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(1) −エールリッヒの法源 論

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(1) −エールリッヒの法源 論
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法曹法の歴史的基礎づけ(1) −エールリッヒの法源
論−
石川, 真人
北大法学論集, 41(3): 1-61
1991-01-31
DOI
Doc URL
http://hdl.handle.net/2115/16773
Right
Type
bulletin
Additional
Information
File
Information
41(3)_p1-61.pdf
Instructions for use
Hokkaido University Collection of Scholarly and Academic Papers : HUSCAP
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法曹法の歴史的基礎づけ(一
││エ lル リ ッ ヒ の 法 源 論 │ │
︿目次﹀
序論 i 問 題 の 所 在 │
本 論 │ エ lルリッヒの法源論
耳目5 呂田己主。
一℃叶 O
(一)﹃義務論﹄
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合乙﹃カエキナ弁護論﹄
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(三)﹃案出論﹄
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(一)キケロの用語法
(二)古典期の用語法
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(一)胃o
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(二)官。官E g E田2igの内包
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(三)﹃弁論家論﹄
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百回口守口∞と呂田肉申EES (以下次号)
U吋
同
OUHeESEma--閣の前史推定(以上本号)
(三)婚姻法
(二)訴権法
(一)相続法
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申
告t55と2
(三)﹁慣習法﹂という意味での呂田 2ir
︿二)﹁法曹法﹂という意味での EmnE-∞
(一)﹁法学﹂という意味での E凹丘三芯
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法曹法の歴史的基礎づけ(1)
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-2ZとEmroロO円釦H
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・5-- その
呂田丘三Z と呂田yoロ O 円白2
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訴権法と相続法 1 1
対立の始まり││
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円 田 口 恥H
古典期以降の発展
EFncBと宮田匂門守同E B
古田空H
Bは私人の合意によっては変更されえない﹂
﹁国家組織法﹂ないし﹁国家制定法﹂としての古田宮一EH25
﹁呂田宮ヴロ2
zm丘三日夕呂田宮σロ2 5とEm胃守巳ロB
ローマ以降の発展
私法と公法
結論│本稿の成果と今後の課題│
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序論│問題の所在│
エールリッヒの﹃法源論﹄は﹃自由な法発見と自由法学﹄とともに﹁彼の思想の基本的性格を示すもの﹂としてその
重要性が指摘されているにもかかわらず、これまで本格的な研究がなかった。たとえば、磯村哲のエ iルリッヒ研究に
おいてはその内容が要約されているにすぎず、レ iビンダ lも﹃法源論﹄をあまり評価しない。
しかし、史料を読まずにエ lルリッヒの法源論を正しく理解できるのかという素朴な疑問を別にしても、従来の研究
には次のような根本的な問題がある。まず第一に、エールリッヒがいかにロ l マ法学の伝統を重んじた学者か、が見落
されているために、彼の自由法学の構想がいわゆる法律実証主義との対決・克服という一面でのみ捉えられ、実はそれ
匂
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- E 85C の再興という一面をもつことが理解さ
が時代を越えた伝統的・普遍的な(実用)法学(含ユ名門
れていない。第二に、主に法曹法。524己由)から成り立つ教示的法源を通して法(判決、正しい解決)を認識する
という動的・立体的な法学を彼がロ i マ法にみたことが見落されているために、彼の法源論は静的・平面的にしか捉え
られず、自由法学との関連も明らかではない。第三に、法(律)問題を扱う法学者ではなく弁論家として事実問題を扱
o
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うキケロこそがエ lルリッヒの理想像であった、ということが見落されているために、実用法学と理論法学(同
したように、彼がロ l マ法と対決しそれを乗り越えようとしている書物、彼の仕事の根底であり、また根底であり続け
従来のエールリッヒ研究における以上のような問題点を克服するために、﹃法源論﹄││過去の偉大な法学者がそう
ロと同様、事実(﹁生ける法﹂)そのものにではなく、その認識の方法にあったのである。
用法学における彼の課題が法(判決、正しい解決)の認識の方法であったように、理論法学における彼の課題は、キケ
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igg 田口町民グ田nFOEE) を峻別し、後者を学問的に基礎 つけようという彼の課題の真の意味は理解されていない。実
論
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法曹法の歴史的基礎づけ(1)
た書物11
をロ l マ法史料に即して検討し、 エールリッヒがロ l マ法とどのように対決し彼がその中に何をみたか、を
明らかにすること、それが本稿の課題である。
なお、 ローマ法史料の翻訳に際しては、いちいち引用はしないが次の文献を参照した。ただし、本稿の性質上エ lル
リッヒの読み方で史料を読んでいくことになるため、訳語は必ずしもこれらの文献に従っていない。
末松謙澄訳﹃ユスチ i ニア 1ヌス帝欽定羅馬法学提要(訂正増補第三版)﹄(有斐閣、大正五年)
末松謙澄訳﹃ウルピア iヌス羅馬法範(訂正増補第三版)﹄(大雄閣、大正二二年)
春木一郎訳﹃ユ i スティ l ニア lヌス帝学説集纂プロ lタ﹄(有斐閣、昭和二二年)
原田慶吉﹃ロ l マ法(改訂版)﹄(有斐閣、昭和三 O年)
京都大学西洋法史研究会訳﹁ユスチニアヌス帝学説嚢纂第二 O巻1第二八巻邦訳﹂﹃法学論叢﹄六三巻六号(昭和三
年) 1八三巻六号(昭和田三年)
法学提要(新版)﹄(有斐閣、昭和四二年)
泉井久之助訳﹃キケロ l 義務について﹄(岩波文庫、昭和三六年)
船田享二訳﹃ガイウス
法律について﹂﹃世界の名著⑭(キケロ/エピクテトス/マルクス・アウレリウス)﹄(中央公
船田享二﹃ロ i マ法(改訂版)﹄全五巻(岩波書居、昭和四三年1四七年)
中村善也訳﹁キケロ
論社、昭和四三年)所収
'l キケロI C円向。の﹃カエキ lナ 弁 護 論 育OE35﹄
柴田光蔵﹃ロ l マ裁判制度研究﹄(世界思想社、昭和四三年)
柴田光蔵﹁ロ l マ法における特示命令訴訟の一考察
をめぐって l ﹂﹃法学論叢﹄九四巻三・四号(昭和四九年) 二 七 頁
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-なお、以下の叙述においては、この書物は頁数だけを引用↓
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・本講演の邦訳として、西本辰之助訳
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回完ど﹃法学研究(慶応大学)﹄七巻一号(昭和三年﹀一一八頁、
﹁
エ lルリッヒの﹃自由なる法律発見及び自由法学﹄(一)(二
同四号(昭和三年)一二二頁、法学理論研究会訳﹁エ lルリッヒ・自由な法発見と自由法学 (l)(2完)﹂﹃西南学院大学法
学論集﹄一四巻三号(昭和五七年)六三頁、同四号(昭和五七年)二一頁、拙訳﹁エ lルリッヒ﹃自由な法発見と自由法学﹄﹂
﹃北大法学論集﹄三九巻一号(昭和六三年)一五三頁がある。
(3) 磯村哲﹃社会法学の展開と構造﹄(日本評論社、昭和五O年。初出は﹁エ iルリッヒの法社会学﹂﹃法律学体系・法学理論
篇﹄(日本評論社、昭和二八年)所収)一七一頁。
(4) 従来のエ lルリッヒ研究については、河上倫逸﹁時代史としてのエ iルリッヒ個人史の可能性と資料状況﹂﹃法学論叢﹄
一二四巻三・四号(平成元年)一四九頁以下が詳しい。ちなみに、同著者は最近精力的にエ lルリッヒ研究を発表している
が、﹃法源論﹄はその研究対象から外れている。したがって、同著者のエ lルリッヒ研究についても、以下で述べる批判があ
てはまることになる。さらに後山山注 も参照。河上論文が出た後のエ lルリッヒ研究としては、 M ・レ lビンダ l (吉野正
三郎・水野五郎訳)﹁エ lルリッヒから見た裁判官による法形成﹂﹃立命館法学﹄二 O 一・二 O二号(平成元年)六七O頁
、
大津享﹁法社会学における﹃国家と法﹄l オイゲン・エ lルリッヒを出発点とした一試論 l l
﹂﹃東京都立大学法学会雑誌﹄
三一巻一号(平成二年)三五頁がある。なお、いわゆるエ lルリッヒ研究ではないが﹃法源論﹄を部分的に扱っている文献
として、恒藤恭﹃緩馬法に於ける慣習法の歴史及理論﹄(弘文堂、大正一三年)がある。とくに、第一章第二節一(一七頁以
下)および第二章第二節四(一 O七頁以下)を参照。
(5﹀磯村・前掲書(注 3) 一七七頁以下。
(6) 冨・河申FE Yw
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ア一旦恒国由開ブユロ島区H
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この箇所でレ lビンダ lは﹁エ lルリッヒの﹃法源論﹄は誤った方法によって書かれている書物であり、否定されるべき
002Enyg門戸句﹃053ny田口周2FZ3mmgmny匝戸当伯仲BmFEE-∞
ものである﹂というシュルツの文章(吋・∞岳巳N・
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法曹法の歴史的基礎づけ(1)
ルツの文章が出てくる前後の脈絡から判断すると、シュルツがエ lルリッヒを否定する理由は、第一に、ローマ法の見方に
関して、シュルツが、法学(法律家)と弁論術(弁論家)の相違点を強調するのに対して、エールリッヒは法学の原点を共
和政期の弁論術(キケロ)にみて、両者の共通点を強調するから、第二に、個別的な問題について、シュルツによれば Em
a
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oは﹁ロ l マ市民間の法﹂を意味するのに対して、エールリッヒによれば﹁法曹法﹂を意味するというように、両者が
まったく相容れない立場に立っているからであると恩われる。しかし、たとえば現代の代表的ロ l マ法学者であるネルの研
Z青ア U225E丘司印ユE0・∞∞ユ2・
究(ロ5
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) においては、古典期の法学者の観念の原型として共和政期のキケロ(し
かも﹃国家論﹄や﹃法論﹄ではなく﹃トピカ﹄や﹃案出論﹄などの修辞学の文献)を分析するという手法が用いられており、
このような手法はカ lザーなどによっても基本的に承認されている(冨・問問SFNEapaoE∞自己安仏R552nygmzzm4
cszZ間枠内w
仏 -f 同oz・
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543 ところをみると、法学と弁論術の
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相異点を強調するシュルツ流のロ i マ法研究は通説的な地位を失いつつあるようである。とすれば、シュルツを(脈絡を度
外視して)引用してエ lルリッヒの﹃法源論﹄を否定するというレ lビンダlの評価は問題であろう。また、内容的にも﹃法
源論﹄には、ネルの用いる﹁慣習法﹂の概念はエ 1ルリッヒがロ l マ法にみた呂田口Fizにほかならないなど、ネルの研究
を先取りしている部分があるともいえる(この点については﹁﹃類型論﹄の原点﹂と題する別稿を予定している)のであっ
ばならないという﹁法命題への拘束性﹂と、すべての法命題は国家に由来するはずだという﹁国家的法観念﹂と、すべての
て、その意味では本稿の意図する﹃法源論﹄の再評価は、従来のエ lルリッヒ研究のみならず、現代のロ l マ法学にとって
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も 有 意 義 な も の と な ろ う 。 な お 、 現 代 ロ l マ法学の﹃法源論﹄に対する評価については、 ζ・民日間申ア -FH
由.
山
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JFロい﹀5modZEZF}5PE--E4∞を参照。
(7) ﹁法律実証主義﹂とは、エールリッヒ自身の分析によれば、判決における三段論法の大前提となる命題は法命題でなけれ
法命題は一体だという﹁法の一体性﹂とを前提とする、ローマ法を継受した国々に特徴的な論理である。︿ 円
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書の邦訳として、法学理論研究会訳﹁法的論理川1附﹂﹃西南学院大学法学論集﹄九巻二号(昭和五一年) 1一三巻三号(昭
和五五年)および河上倫逸 H フlブリヒト訳﹃法律的論理﹄(みすず書房、昭和六二年)がある。
(8) 磯村・前掲書(注3) 二九七頁。いうまでもなく筆者は、このような理解を全面的に否定しようと考えているわけではない。
(9) 来 栖 三 郎 ﹁ 法 の 解 釈 に お け る 制 定 法 の 意 義 ー そ の 一 法 と 法 源 l ﹂﹃法学協会雑誌﹄七三巻二号(昭和三一年)一三三頁
::l~法 41(3 ・ 7)1057
説
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ロ
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旬
の用語法に従った。詳論する余裕はないが、来栖の問題提起(﹁注の解釈と法律家﹂﹃私法﹄一一号一六頁を参照)に始まる
いわゆる法解釈論争に対する来栖自身の最初の解答が本論文で示され、法源は法(判決、正しい解決)を認識するための手
段(フィクション)であるというこの見解は、﹁モデルと擬制l ﹃法における擬制﹄論の準備のための学習ノ l 卜l ﹂﹃法
協百年論集一巻﹄(昭和五八年)四九頁、﹁文学における虚構と真実│﹃法における擬制﹄論の準備のための学習ノ lトのつ
づき│﹂国家学会百年記念﹃国家と市民﹄第三巻(昭和六二年)二八八頁などにみられるように、その後も一貫して維持さ
れ、深化されている。しかし、来栖の﹁法源論﹂については、屋野英一﹁日本民法典に与えたフランス民法の影響﹂﹃民法論
集第一巻﹄(有斐閣、昭和五三年。初出は﹃日仏法学﹄三号(昭和四O年)所収)七九頁では、来栖説は﹁単に用語の問題に
すぎない﹂とされ、また、同﹁民法の解釈をめぐる論争についての中間的覚書﹂﹃民法論集第七巻﹄(有斐閣、平成元年。初
出は﹃民法・信託法理論の展開(四宮和夫先生古希記念論文集)﹄(弘文堂、昭和六一年)所収)八八頁では、判決(法)と
判例(法源)を厳密に区別する来栖説ないし来栖が引用するグレイやフランクの説が﹁判例を法とする考え方﹂として引用
される。さらに﹁擬制論﹂についても、﹁法源論﹂ないし法解釈論争との関連では理解されないのが普通である。例外的な文
献として、瀬川信久﹁民法の解釈﹂星野英一一編集・代表﹃民法講座﹄別巻 l (有斐閣、平成二年)二二頁以下がある。なお、
﹁法﹂と﹁法源﹂の一般的な用語法については、川島武宜﹃民法総則﹄(有斐問、昭和四O年)一六頁以下を参照。
(叩)磯村・前掲書(注3) 一七七頁以下および二九七頁以下において、法源論は﹁法の構造・形成・発展の理論﹂として、自
由法学は﹁実用法学の方法論﹂として無関係に論じられる。
ところで、磯村・同書は﹁自由な法発見﹂ Q25HN2FEZ音ロ肉)を、﹁自由な注規創造﹂(一七一頁)あるいは﹁規範
創造を行う﹂(三O O頁)というように、(制定法に明確な規定がない場合の)法曹による制定法から自由な裁判規範創造と
して、(つまり﹁自由な法源発見﹂として)理解する。しかし、私見によれば、前掲(注2) 拙訳で示したように、少なくと
も﹃自由な法発見と自由法学﹄においては、﹁法発見﹂は概して﹁判決発見﹂の意味で用いられている。﹁法発見﹂には、あ
らゆる判決を法学的構成によって制定法から演律する﹁技術的法発見﹂と、命令的法源である制定法に明確な規定がある場
合はそのとおり判決するが、いわゆる﹁法の欠敏﹂の場合は制定法から自由に、しかし教示的法源である﹁法学的伝承﹂(学
説・判例 H法曹法)を通して判決を発見する﹁自由な法発見﹂とがある。エールリッヒの主眼はいうまでもなく﹁技術的法
発見﹂の批判にあるが、同時に、法発見の規準(法源)として法曹法を据えた点において俗流自由法学と一線を画するもの
があり、この意味でも彼の漆源論は重要である。
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法曹法の歴史的基礎づけ(1)
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o柱。宕印刷凶2ZP 富合戸口FBEEFGNm・55・∞・5・本書の邦訳として、川島
(日)回
武宜訳﹃法社会学の基礎理論(第一分冊)﹄(有斐閣、昭和二七年)および河上倫逸 H フlブリヒ卜訳﹃法社会学の基礎論﹄
(みすす書房、昭和五九年)がある。
(ロ)本稿の主たる対象が法源論(正・不正の認識)であるために、この点について詳論することはできない。本稿﹁結論﹂を
参照。
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北法4
説
吾b.
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附
本 論 │ エ lルリッヒの法源論 l
吋ルロロ同ル己∞のめ︿己ω
同 ) 円O M M
エールリッヒの法源論の出発点になるのは、ポンポニウスの次の法文である。
O 呂田)一これらの法律︹十二表法︺が制定された結果、法廷における討論が必要になった(解釈に法
りいいいふるゐい N(HUOBHVロ
学者逮の権威が必要であったことはいうまでもない)が、この討論および制定されず法学者達によってまとめられた法は、そ
のほかの法領域が自己の名で、すなわちその領域に与えられている固有の名で表示されるのに対して、固有の名をもたず吉田
22Zという共通の名で呼ばれる。そして、ほぼ同時期にこれらの法律からいくつかの訴権がつくられた。:::この法領域は
法律訴訟と呼ばれる。これは法律で定められた訴権である。こうしてほぼ同時期にこれら三つの法が生まれた。すなわち、ま
ず十二表法が制定され、続いて十二表法から三国巳丘芯が流れ出し、十二表法から法律訴訟がつくられた。:::その後口 l マ
国で十二表法、呂田 2iz、法律訴訟が行なわれていたとき、平民と貴族の聞に争いが生じた。:::こうしてロ l マ国では、法
律、同月。耳255m丘三宮、すなわち制定されずただ法学者逮の解釈によって形成されている浴、法律訴訟、すなわち訴訟の
形式を決めている法、平民会議決、すなわち貴族の同意なしに成立する法、政務官告示、すなわち名誉法がそこから出てくる
法、元老院議決、すなわち平民会議決によらず元老院の決定によるだけで定められる法、皇帝の勅法、すなわち皇帝自身が定
めたことが法律に代わって守られる法、によって裁判が行なわれるようになった。
ポンポニウスによれば、 Emiirと は 明 ら か に ﹁ 制 定 さ れ ず 法 学 者 達 の 解 釈 に よ っ て 形 成 さ れ て い る 法 ﹂ で あ り 、
﹁制定されず法学者達によってまとめられた法﹂ で あ る が 、 通 説 は 、 ポ ン ポ ニ ウ ス の 叙 述 に 後 か ら 手 が 加 え ら れ て い る
こと、そしてE 田丘三Z に か か わ る 他 の 史 料 と 矛 盾 す る こ と か ら 、 ポ ン ポ ニ ウ ス の 叙 述 は 信 用 で き な い 、 と す る 。 こ れ
北法 4
1
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)
1
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6
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法曹法の歴史的基礎づけ(1)
に対してエ lルリッヒは、ポンポニウスは非常に古い共和政期の観念を手本にしており、したがってポンポニウスの叙
述 は 十 分 信 用 で き る 、 と す る 。 そ の 証 左 と し て エ lルリッヒは、キケロの﹃義務論﹄、﹃カエキナ弁護論﹄および﹃案
出論﹄を検討し、キケロにとってもポンポニウスの意味での EmnFizが唯一・自明の用語法であった、と結論する。
(一)﹃義務論﹄
の
い
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申
吋 0・
仏
申 OB22522
・ 一不動産の権利関係についてわが国では E田丘三宮によって、売主は不動産を売却する際に自分
が知っている回収庇を買主に通知する義務がある、と決められている。すなわち、十二表法によれば、売主が買主に明示的に通
知した暇庇については売主はその額を支払えば足り、明示的に否定した回収庇については二倍額の罰金を支払わなくてはならな
いが、法学者達によってさらに秘匿の罰金が決められた。すなわち、不動産のいかなる回収庇も売主がそれを知りながら秘匿し
た場合には、売主はその回収疲を賠償しなければならない、と法学者逮は決めたのである。・:・:この種の不正な秘匿はそのすべ
てを呂田 21Zによって把握することはできないが、把握が可能なものについては注意深く把握されている。
エールリッヒによれば、キケロは吉田丘三ぽという表現をポンポニウスと同じ意味で使っている。すなわち、キケロは
法学者達によって決められた秘匿の罰金をまず十二表法の規定に対置し、この罰金は苫田口守口叩によって決められたと
いい、そしてこの種の秘匿のすべてを E田口守口帽によって把握することはできないといっており、したがって、キケロ
aiu という表現で十二表法を考えている、あるいは法学者達が決めたこと以外のことを考えている可能性は
が吉田
まったくない。
(二)﹃カエキナ弁護論﹄
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Q S 円0・耳ocgnEmH2・
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H 君の全弁論の中で私にもっとも大きな驚きを与えたのは、法学者逮の権威に従う必要
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目閥
はない、と君が述べたことである。:::君がこの事件で不適当な時期に、しかもこの事件で求められていることに反すること
なのに、法学者逮の意見に従う必要はなく呂田 iizがさまぎまな事件においてつねに通用する必要もない、といった考え方
を弁護したことに私は驚いている。また、このような考え方が法廷でよく主張され、時には賢明な人々によって主張されるこ
とは、私にはいつも驚くべきことであると恩われる。なぜなら、そのように考える者逮が、助言を与えた者︹法学者︺はある
ことについて正しく定めていない、と主張する場合、彼らは、愚かな人達のいうことに従う必要はない、と述べるべきであっ
て、法学者逮 (V05版では呂田 2iz) に従う必要はない、と述べるべきではなく、もし彼らが、法学者逮が正しく解答して
いることを認めつつ、その解答とは別の判決がなされるべきである、と主張するなら、それは、不当に判決しなくてはならな
いと主張していることになるからである。:::クラッススは、彼自身が百人官法廷に訴訟を提起したとき、法学者逮の意見に
反することを述べたのではなく、スカエウォラが弁論したことは正ではない、と説いたのである。クラッススは自分の議論に
説得力をもたせただけでなく、彼の義父であるクイントゥス・ムキウスをはじめ多数の非常に経験豊かな人々を権威として引
用している。すなわち、 Emn同︿己申は軽視されるべきものだと考える者は、裁判の緋だけではなく、国民全体の利益と生活の
緋を引き裂く者である。ある者が法の解釈者逮を非難して、彼らは法に熟達していない、と主張する場合には、それは、解釈
者個人を非難しているのであって呂田 2izを非難しているのではない。しかし、法に熟達している人に従う必要はない、と
考える場合には、それは、解釈者個人を非難しているのではなく法律と呂田 iizを非難しているのである。君達は、この国
では呂田巳iz以上に細心の注意をもって堅持されるべきものは何もない、ということを肝に銘じておかなければならない。
後にキケロ自身が述べているように、ここでの問題は特示命令の文言の解釈である。相手方が特示命令の厳格な文言
解釈を主張しているのに対して、キケロは自由な解釈を主張している。キケロは自分が弁護しているものを法学者およ
び法の解釈者による解釈の行為といい、同時にそれを宮田丘三ぽと呼んでいる。すなわち、キケロは両者を区別せず、
同一物であると考えているのである。相手方もまた両者を区別していない。ところで、キケロがこれほど多くのことば
を 費 や し て そ の 拘 束 力 を 弁 護 す る 必 要 が あ っ た 吉 田 丘 三Z と は い っ た い 何 か 。 法 律 や 告 示 の 拘 束 力 の こ と な ら 、 キ ケ ロ
は こ の よ う な や り 方 で 弁 論 し な か っ た は ず で あ る 。 ま た 、 も しE 田 口 三 芯 が 法 律 あ る い は 特 示 命 令 で あ る と す れ ば 、 キ
北法 4
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)
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法曹法の歴史的基礎づけ(1)
ケロは法学者のことばかりいわなかったであろう。相手方も法律や特示命令の拘束力についてはまったく争っておらず、
ただ、まずい解釈を否定し文言どおりの解釈を主張しているのである。キケロの主張する特示命令の自由な解釈こそが
呂田丘三宮なのであり、ここでもまた呂田口守口∞は法学者の解釈、すなわちポンポニウスにおける﹁制定されずただ法
解釈によって形成されている法﹂にほかならない。
ロ
u
g
m
w
Eg
o
o一たしかに、スラは法律を制定した。:::しかし、私が君に問うのは、民会が私に君の
-sg
2 ﹃0・ の宮口g
・
・ ・
奴隷になれと命じた場合、あるいは君に私の奴隷になれと命じた場合、この命令は有効で確実なものであると君が考えるかど
うか、である。この命令は無効であると君は考え、そのことを認めるであろう。この場合まず最初に、民会が命じたことすべ
てが有効である必要はないということを君は認めるであろう。次に、自由を奪うことはできないのに何故市民権を奪うことが
できるのか、その理由を君は述べることができないであろう。:::さらに私は問う。祭記官が敵に引き渡した者、家長が売却
した者、民会が売却した者は、それぞれいかなる理由で市民権を失うのか、と。まず第一に、国家が宗教的な罪から免れるた
めに、あるロ!マ市民が敵に引き渡され、敵が彼を受け入れた場合に、彼は敵の物になる。しかし、ヌマンティア人がマンキ
ヌスを受け入れなかったように、敵が彼を受け入れなかった場合は、彼はロ l マ市民として完全な地位と身分をもっ。第二に、
家長が自分の支配下にあった者を売却した場合に、彼は家長の支配から解放される。第三に、軍務につくことを拒否した者を
民会が売却した場合には、民会は彼の自由を奪っているのではなく、自らが自由でいるために危険に入り込むことを拒否する
者は自由であってはならない、と宣言しているのである。これに対して、市民名簿への記載を拒否した者を売却した場合には、
民会は、法的に奴隷であった者でも市民名簿への記載によって解放されるのだから、自由である者が市民名簿への記載を拒否
することは自ら自由であることを否定したことになる、と宣言しているのである。このように、通常はこれらの理由によって
自由ないし市民権を奪うことができるのであり、それを想起すれば、父祖逮は、これらの理由によって自由ないし市民権を奪
うことができると決定したが、それ以外は欲していなかったことがわかるのではないか。すなわち、自由ないし市民権が奪わ
れる理由を父祖達は Z田2izから取り出したのであるが、それと同じやり方で、誰が法律や命令によって市民権ないし自由
を奪われたのか、を示してほしいのである。
mn-iz による、とキケロは考える。 ロ ー マ 市 民 が 市 民 権 を 失
ロ ー マ 市 民 が 市 民 権 を 失 う の は 法 律 に よ る の で は な くE
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3
5
見
日間
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:
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,
6
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り
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である。したがって、
r
a
p
z
百印丘三円。はここではもっとも厳格な意味で法律ないし命令に対置さ
も﹁制定されず法学者達によってまとめられた法﹂にほかならない。
︼
丘三ロ回目。∞22ρ 己主目と Em丘三日巾が同一物であるとすれば E 田丘三Z に 法 律 が 含 ま れ る 余 地 は な く 、 こ の E 田2
︿己申
い る の で あ る 。 そ し て キ ケ ロ は 、 口E-250田市ごお門主Egを 注 意 深 く 取 り 扱 う の は 法 学 者 達 で あ る 、 と い っ て い る 。
のであるとすれば、キケロほどの人物が両者を区別しないはずはない。つまり、キケロは両者を同一物であると考えて
い て は ほ ぼ 同 語 を 反 復 し て い る の に 対 し て 、 後 者 に つ い て は 同 義 語 を 用 い て い る 。 口 守 口2 5 2と宮田口守口巾が別のも
29-2と gmotmr の 概 念 規 定 を 第 二 の 箇 所 で 繰 り 返 し て い る が 、 前 者 に つ
キ ケ ロ は 第 一 の 箇 所 で 行 な っ た 吉 コE
g
m
nSH
色 白 骨 吋0
・宏 52E55-EH 我々が性質の論点(口O
SEE-omBoz-a) と呼ぶ論点には、﹄ ZF
円E
聞とロ品。EEmとい
では、何が公平で何が公正か、あるいは報酬や罰金はいくらか、が問題にな
う二つの部分があると考えられる。 YE門
t
m
w
2
t
m
w
Zでは、 2i-25222ρ5たおからみて何が法(正しい関係)か、が考察される。わが国では、宮内o
る。ロ∞肉o
を注意深く取り扱うのは法学者逮である、とされている o
C25・仏三口Z口氏。ロ冊目目白 N2
・ いある事実が発生したこととその名称について争いがなく、それがいかなる訴訟にもちこまれ
るか、についても異論がない場合、その行為自体の本質、性質、種類が問題になる。我々はそれを性質の論点と呼ぶ。これに
05長田という二つの主要な部分があると考えられることについては上述した。口。伺 O丘町凶-2とは E 由
はYユE2色 広 と
江己]帽の不断の創造と密接にかかわる論点をもつものである。:::ヨユ丘ロ SEmでは、何が公平で何が不公平か、報酬や罰金
はいくらか、が問題になる。
れ
た
法
う 場 合 と し て キ ケ ロ が 掲 げ て い る ケl ス は 、 確 認 で き る 限 り で は す べ て 古 来 の 慣 習 法 、 す な わ ち ﹁ 制 定 さ れ ず 法 学 者 逮
てよ
L、 つ
る主て
。ま
と
め
会己﹃案出論﹄
れに
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法曹法の歴史的基礎づけ(1)
さらに、 エールリッヒによれば、﹃案出論﹄の基本にある修辞学(同}551w) の 体 系 を 検 討 し て み る と 、 キ ケ ロ が
(85tEtonm52) と 呼 ぶ が 、 こ れ は 、 事 実 問
呂
田 2izという表現で制定法を除外し法曹法だけを考えていることが明らかになる。
すなわち、弁論家は、弁論にかかわる主要問題を﹁事件の論点﹂
Z宮宮に属する。この学説の創始者であると考えられるへルマゴラス
題か解釈問題(法命題であれ当事者の意思表示であれ﹀か、のどちらかにかかわる。事件の論点は、事実問題の場合は
352toロmF に、解釈問題の場合は宮口5
肉
は、理由は明らかでないが、(書かれた)法律あるいは当事者の書面による意思表示だけが解釈の対象となりうるとい
うことを出発点にしており、そうすると、事件の論点は、事実問題でない場合には必ず書面にかかわることになる。し
たがって、事件の論点を解釈問題と事実問題とに分類することは、弁論の対象を書かれているものと書かれていないも
のとに分類することになる。
t
oロmZ(HEロ
丹市立ロ吋m
ところで、 へルマゴラスは問団ロロ国司∞) を四つの∞EEm(O
のロ
Oロ田口口三O
U円。冒ι22・可 ロ中
m
OE2EE では、あることが生じたかどうか、 円)円OHUZ22 では、それがある特w
z
t
o
w 円以ロ丘公m
m
) に分類する。 円
定の
GEES∞では、生じたことは正か不正
gmg丘oでは、原告は訴権をもつかどうか、被告は当事者(適格をもっ)かどうか、
概念にあてはまるかどうか、 可
訴訟提起の時期は正しいかどうか、その訴権を用いることが正しいかどうか、
r
肝
肝
凶
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-仲間で
EEH
釦巳-ロ
E
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仲
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巳
5
仲
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7
5
か、が問題となる。門心嗣古戸ロ
E
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E
H
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g岱田の論点はさ、らりに四つの部分(♀仏宕目巴-ロ仲 ∞耳叶
E釦
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4mでは、
類される。門含凶
、
ある人物が賞賛に値するかどうか、
伊Wでは、あること、がか努力に値するかどうかσ
門t
が問題になり、ロ恒例。丘町長田では、正か不正か、が特定の場合を念頭におくことなく一般的に論じられ、
州
は 、 正 か 不 正 か 、 が 特 定 の 場 合 を 念 頭 に お い て 具 体 的 に 論 じ ら れ る 。 つ ま り gmo江巳広と E
コEnzrは、問題を抽
と同
mz
m様に、 25zm巴巾 (HE
象的に把握するか具体的に把握するか、によってのみ区別されるomS52丘
g
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説
a
問
吾
.A
(
幻
︺
E E守口BWEロEmEHHHyzmcEnoEE江mwEE) に分類さ
mqHEO) も四つの回冨吉田(由。吋GEES-ロEE5・25)の
れる。
ところで、 へルマゴラスの体系において法学の問題としてとくに重要とされるのは、書かれた法および当事者の書面
(幻)
(gSEE-oロ
∞m05長田伯仲 Eユ丘三mロ田)である。これに対し
に よ る 意 思 表 示 の 解 釈 官EEm-恒例由民団)であるが、それと並んで重要とされるのが、あるケ l スが一般的ないし個別
的に正か不正か、禁じられるか許されるかという問題
て、当事者の口頭による意思表示あるいは不文法の解釈については論じられない。
QomEEm)、正か不正か、の問題 (FREEmHU) という
以上のようなへルマゴラスの体系とは異なる考え方もある。すなわち、﹃へレンニウス弁論書﹄は事件の論点を事実
822zz-5)、書面(法律ないし意思表示)の解釈
問題 (
三つの部分に分類する。さらに第三の部分では、法は六つの部分(自然、法律、慣習、先例、衡平、合意)から成り
立つとされる。
キケロの﹃案出論﹄は、大略においてはへルマゴラスの体系に従っているが、キケロと﹃へレンニウス弁論書﹄の作
者が共通に模範にしているものも用いている。すなわち、問題が書面にかかわる(吉田口江草 O)か書面でないものにか
かわる(古吋巳5ロ申)か、をキケロはへルマゴラスに従って区別するが、キケロが書面の解釈の問題 (mgzmZ官注目)
を事件の論点の問題としない点、ヘルマゴラスが門官mEgを四つの部分に分類しているのに対して、キケロがへルマ
(叩}
ゴラスの宮巴住凶由に対応する性質の論点守Oロ凹辛口氏。内巾EEZ田)で Emo丘阻止はと Eユ去の﹄巴ぽだけを区別している
点でキケロとへルマゴラスは異なっている。キケロにとっては、正か不正か、の事実問題を判断する際に法の問題が
(叩)
なにがしか生じるのではないか、それとも、法の問題は解釈問題として事実問題とは独立に論じられるのか、というこ
とが重要であったのである。
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法曹法の歴史的基礎づけ(1)
ロ
ロ
︻円
gzz
と、他方を2 2自立ZPと我々は
20・含52己55 2 ・4H一三円丹念江戸-Zは二つの部分に分かれる。一方を与
呼ぶ。同ZoZZでは、正か不正か、の問題が扱われるが、富市町o
pEmのように暗黙のうちに不明確に行なうのではなく、よ
り明示的に、より明瞭に行なう。 :::225写守 Pとは、ある事実の存在がその事実自体からは証明できないが、それと密接
に関連する状況の論証によって弁護されることをいう。
このキケロの区別が不明確で維持しえないものであることは、すでにクインティリアヌスが指嫡しているが、
ルリッヒは、キケロの錯誤の理由はクインティリアヌスが考えているのとは別のところにあり、まさにそのことが吉田
ロ三宮の問題を考える際に決定的に重要な意味をもっ、とする。すなわち、キケロはへルマゴラスに従って事件の論点
を事実問題と解釈問題に分類し、後者を書かれた法と書面による意思表示にかかわる問題であると考えるが、キケロに
とって書かれた法とは法律以外のものではなかった。実際、書かれたものの解釈を論じている部分で問題となっている
のは法律の解釈だけである。しかし、その際明らかにキケロは、これでは不文法たる吉田口守口申が落ちているという認
mnHSUを 事 実 問 題 の 中 で 論 じ よ う と す る 。 そ の 際 彼 がEmO丘町長田
識 に 眼 を つ ぶ る こ と が で き な か っ た 。 そ こ で 彼 はE
のことを思いついたのは、 ク イ ン テ ィ リ ア ヌ ス が 推 定 し て い る よ う に 、 へ ル マ ゴ ラ ス が こ れ を 法 学 の 問 題 と い っ て い る
ことに関係があるのかもしれない。しかし、キケロはロ申向。江色はの中で法源についても言及しており、ここには﹃へ
レンニウス弁論書﹄と同じことを文字どおりにいっている部分がある。すなわち、間接的であるにせよ、キケロは再
び﹃へレンニウス弁論書﹄の作者と同じ模範に従っているのである。ここで、キケロは法律についても言及している。
法律は法律から知られなくてはならないであろう、と。しかし、法律はキケロと﹃へレンニウス弁論書﹄の作者とでは
口市)
ZEB白色05 ロOロ mqGEO
まったく異なる意味をもつはずである。後者においては、正か不正か、の問題(
82吾EFoEZEnE-2) の 中 で 法 律
が論じられるのに対して、キケロにおいては、そもそも書面でないものにかかわる問題
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7
1二
説
主
主
活h
剛司
として法律が論じられる余地はないからである。キケロの場合、書面でないものにかかわるのは E田丘三芯である。こ
こで﹃案出論﹄によくみられるキケロの軽率さを指摘することも可能であろう。しかし、次のような仮説も成り立つ。
すなわち、キケロは﹁法律は法律から知られなければならないであろう﹂という文章で﹃案出論﹄の中の法律が論じら
﹃案出論﹄ では最後の場所に置かれていること、ここでは、他の法源について詳細に論じ
れている他の場所を示そうとしただけではないか、と。このことは、﹃へレンニウス弁論書﹄では法律が第二の場所で
論じられているのに対して、
られているのに対して、法律については何もいわれていないに等しいことからわかる。
E田丘三芯は
﹃案出論﹄から明らかになることは、若きキケロが成文法と不文法を共通の視点で統一的に論じること l これは後
にキケロ自身および彼の後継者達が企てていることである!をぜんぜん思いつかなかったことである。
不文法であるという観念がキケロには深く根づいていたのだが、 それが深ければ深いほど、法律を E田丘三ぽの亜種と
して考察することはキケロにとって縁の遠いことであった。
ma--mは、﹃義務論﹄、﹃カエキナ弁護論﹄、﹃案出論﹄だけでは
エールリッヒによれば、ポンポニウスの意味での E
なく、法学提要、学説集纂、パウルスの﹃断案録﹄、キケロの﹃法論﹄、﹃弁論術区分論﹄、スエ卜ニウスの﹃ユリウス・
カエサル﹄、ボエティウスの﹃トピカ﹄にもみられる。吉田円Fizは、解釈の対象ではなくその結果であった。
(日)エ lルリッヒの﹃法源論﹄の主たる批判の対象となっている﹁通説﹂は、彼が﹃法源論﹄の序文の中で述べているところ
から、そして本稿において具体的にみていくように、直接的には、現在でもなお高い評価を受けている(︿包 -ZO
円
ア P 0・
釦
芦
田
ロN
∞
・
∞
・
﹀
ロ5・
﹃円四角
S) ウラサクの﹃法源論﹄(呂・当F回目白}♂関ユ江田口yogg門
E
- 寸F82由島常河2ZZ己申ロ叩ロトgN25zo・
・a
EgmFR宮口 hEH
g-CEN--∞∞品)であると考えられる。詳論する余裕はないが、ウラサク説の基本的テーゼを筆者なりに
H ・
H 4
一言で要約するならば、後述するパピニアヌス文(ロ -・
・本稿第八節を参照)にみられる法源論、すなわち﹁古来の Z田
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8
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口肝︿己申(制定法および法曹法)とそれを補充・修正する法務官法の対立﹂という法源論が共和政末期から古典期までみられ
zzgd﹃と 8550目Z44に相
る、というものである。すなわち、ウラサクは、硬直した日52丘芯(英米法における白g
当する)ではなく、法務官法(英米法におけるZE々に相当する)に創造的な法学をみたのである。これに対してエー
ルリッヒは、本文でみるように、ポンポニウス文を出発点とし、宮田口守口申(英米法における 8850ロEさに相当する)
そのものの中に創造的な法学をみようとする。
ところで、ウラサクによれば、彼が史料に即して再確認しようとする右述のテ iゼは、サヴィニ lやプフタによって確
立されたものである。したがって、ゥラサク説を批判するエ iルリッヒの﹃法源論﹄は、間接的にはサヴィニ lやプフタ
を批判の対象としていることになる。ところが、後年エ lルリッヒは、周知のように自らを歴史法学派の﹁後継者﹂ない
し﹁完成者﹂と位置づけて、サヴィニ lやプフタの説を非常に高く評価している(たとえば﹃法社会学の基礎づけ﹄第一九
節﹁慣習法の理論﹂を参照)。すなわち、歴史法学派を高く評価するエ lルリッヒと、これまたサヴィニ lやプフタ以来の
通説を再興しようとするウラサクが、古典ロ l マ法の見方に関して根本的に対立し、ある意味では正反対の見解を示して
いるのである。その理由はさしあたり、一九O 二年の﹃法源論﹄の段階では、ェ lルリッヒはウラサクを直接的な批判の
対象とすることによって間接的にサヴィニ lやプフタ以来の通説を克服しようとしたが、後年、﹃法源論﹄において自ら
ロl マ法を史料に即して検討して得たもの(伝統的・普遍的な法学﹀によって、初めてサヴィニ lやプフタの真の価値が
理解できたためである、と考えておきたい。
'HE-22門虫色R50により原則として廃止された法律訴訟をポンポニウスが法
(は)エ lルリッヒは、アウグストゥスの日団側g
源に数えていること、さらに、ポンポニウスは民会決議の拘束力を正当化しているが、これは彼の時代にはすでに解決済み
。もっとも、ポンポニウスが古
の問題であったことから、ポンポニウスは共和政期の観念を模範にしている、とする 3 ・N)
い観念に倣っていること自体は、エールリッヒに限らず、しばしば指摘されることである。
(日)∞・ω
・
﹃ルリッヒが引用する次の史料を参照。
(日山﹀エ l
定義することによって錯綜した事柄を整理し、
Emit-oを賞賛し、暖昧なことばを区別したのである。
Q g 円0・
2a25Nい私がカエキナを弁護した事件は、全体として、特示命令の文言にかかわるものであった。我々は、
A
R
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北法 41
(3・
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説
論
(日)∞・ 4
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﹃
(叩)∞・∞
(却)以下の叙述はエ lルリッヒが主に心巳己E匝
ロ5 ・吉田辛口EooEZ江戸同日目に依拠して述べているところを筆者が要約した
ものである。
(引)∞・申・
(泣)∞・忠・
円
(岱)∞・5・
(但)エ lルリッヒは史料を掲げていないが、参考のため関係部分を翻訳しておく。
}
H
2
0ユ2・匝円四回目円四ロロEB ご∞・5・N品川上述のように、ロ Oロ
2FEEoにはgロ
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1Engロ?という
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回 o也氏自内 ・
州
同
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三
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の
部
分
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。
は
争
点
が
事
実
にかかわる場合である。 :::zmE59は何らかの争点が書面において
E 丘仲間は、何が生じたか、については一致しているが、それは正しく行
あるいは書面から生じる場合である。:::日ユ円四
なわれたか、不正に行なわれたか、が問題となる場合である。この論点には二つの部分があり、一方は与moZZと、他
方は 2 2目立を同と呼ばれる。
(部)前注と同趣旨で、関係部分を翻訳しておく。
V2022旦同 REEEHHロ5・
8H我々がのO
B吾戸注目05ユEns-U与mozzを用いるのは、外的な防禦手段を用いな
州
同
いで、自分がそれを行なったと自白するであろうことは正しく行なわれた、と主張する場合である。この論点では、ある
ことが正しく行なわれたか否か、が問題になる。これについて事件が発生したときに、法(正・不正を認識する規準)は
どの部分から成り立っているか、を知っていれば、あることが正しく行なわれたか否か、を弁論しうるであろう。法は次
の部分から成り立つ。すなわち、自然、法律、慣羽円、先例、衡平、合意である。自然においては、血縁や愛情によって守
られるものが法である。この法により親は子を、子は親を扶養する。法律においては、民会の命令で制定されたものが法
である。たとえば、﹁汝が法廷に召喚されたときは、汝は出頭すべし﹂という︹十二表法の︺規定のように。慣習におい
ては、法律はないがあたかも法律があるかのごとく用いられるものが法である。たとえば、汝は汝が両替商に寄託した金
銭を彼の仲間に正当に請求しうる、という法のように。ある法について︹審判人の下で︺判決が下されあるいは︹法廷手
続で︺裁決された場合は、先例が法である。判決や裁決はしばしば相違する。審判人、法務宮、執政官、護民官がそれぞ
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0
法曹法の歴史的基礎づけ(1)
rzg
れ異なる決定を行なったというように。しかも、同種の事件についてしばしば異なる裁決や判決がなされた。たとえば、
市民係法務官マルクス・ドゥルススは相続人に対して委任︹反対訴権︺が提起されることを許したが、セクトゥス・ユリ
ウスは許さなかった、同様に、審判人ガイウス・カエリウスは詩人ルキリウスを舞台で名指しで侮辱した者を名誉段損の
訴権から解放したが、プブリウス・ムキウスは詩人ルキウス・アッキウスを舞台で名指しした者を有罪とした、というよ
うに。したがって、同種の事件に別々の先例が適用される可能性があるので、これを用いる場合は、審判人と審判人、判
決の時と時、判決の数と数を比較する必要がある。真実と共通の利益にかかわると考えられる法は、衡平から成り立つ。
たとえば、六O才以上で病気の者には訴訟代理人が与えられるべし、というように。新しい法は、このような事情から、
あるいはそのほかの状況や人間の地位から決められるのが適当である。法が合意に由来するのは、両当事者があることを
約定した場合、あることが両当事者間で一致している場合である。合意には、法律によって守らなければならないものが
ある。たとえば、﹁合意がある場合、当事者はその旨を陳述すべし。合意がない場合、当事者は午前中に民会または法廷
で事件の概要を陳述すべし﹂という︹十二表法の規定の︺ように。同様に、法律なしに約定したこと自体から守られる合
意もある。これらは法廷で有効であるといわれる合意である。
(却)前々注、前注と同趣旨で、関係部分を翻訳しておく。
耳
目0
5
H
O
-プ弁論や審理によって解決されるべき何らかの争点を内包するすべての事柄がもっ問題は、事実、
i
-争点が事実にかかわる場合は、推測によって主張が確かなものになるので、
名称、性質、訴権の何れかにかかわるO
85吾558EgEz--聞と呼ばれる。争点が名称にかかわる場合は、その名称で表される事柄の本質がことばで定義さ
SEE-o仏え訂正ZPと呼ばれる。その事柄はどのようなものか、が問題となる場合は、争点はその本質や
れるので、g
性質にかかわるので、8555HomsRと5 と呼ばれる。この者は原告となりえない、この者は被告となりえない、裁判
管轄が異なる、訴訟提起の時期が異なる、まちがった法律、犯罪、罰金を用いている、といったことを主張する場合は、
gtzzo可自由Ftgと呼ばれる。:::︹書面
訴権を移転したり変更したりすることが必要であると考えられるので、 g
に か か わ る 争 点 釘SEH恒例色申)が生じるのは︺書面の文言が起草者の意図と異なっていると考えられる場合、二つな
いし複数の法律が一致しないと考えられる場合、書かれたことが二つないし複数のことを意味すると考えられる場合、書
かれていないことが書かれたことから発見されると考えられる場合、 85E己目。仏丘町巳EZ のように、文言、がいかなる
意味で書かれたか、が問題となる場合である。我々は第一のものを肉SE 仏申凹ロユ三02mggE5と、第二のものをZ
北法4
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7
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説
論
SEE-a-申告げ Cmと、第三のものを印BEmgcgと、第四のものをEton宮町三回2 5と、第五のものを仏REEgB
と呼ぶ。
(幻)エ!ルリッヒが引用する次の史料を参照。
P) ︹にかかわる争点︺とは、すべての問題が、書面にで
︻
凶
冊
目
ロ
︿SEO
ロ∞ご∞一これ︹書面にかかわる争点︺に対してE
はなく何らかの関連づけ(号官58520) にある場合である。
門
戸
伯
仲
ロ
︿g
tog--回目白川書碩の性質について疑問が生じる場合は、争点は書面にかかわる。
(泊)エ lルリッヒが引用する次の史料を参照。
(
叩)
ω ・呂町・
o
s
-
SEFOロ冊目 Hプ続いて考察されるのは、争点が書面にかかわるのか、 EFUにかかわるのか、である。すなわち、
門戸叩5
争点が書面にかかわるのは、書面の性質から争点が生じる場合である。これには五つの種類があるが、これらは事件の論
点とは区別される。
江
(却)前掲門問。52ロ
少ロg2
・ を参照。
(出)エ lルリッヒが引用する次の史料を参照。
円
B5EEgg-2mE5502Zg E少詔一これらの(へルマゴラスの︺書物について彼︹キケロ︺自身の判断があっ
たのではないか、と我々は上で述べた。すなわち、ある青年がもっていたノlトに︹キケロの︺講義が記入されており、
そこには誤りがあった、と伝えられている。︹キケロが誤ったのは︺へルマゴラスが法の問題についての最初の例をこの
場所に置いていること、あるいは、ギリシア人が法の解釈者のことを﹁実務家﹂と呼んでいたことにキケロが影響された
からであろう。
丘g
(犯)とくにrsgロ
pHHENtHEを参照。
(犯)注泊、目、加と同趣旨で、関係部分を翻訳してお︿。
内回申ES己目。ロタロ22
) を考えてみ
℃B
・8
・ 一ここで、この種の論点︹ロ恒例。丘町E由︺を論じる場合のものさし(官2 2Z
よう。両当事者の弁論家は i 複数の当事者が訴訟に関係している場合はもちろん各弁論家はすべて l 、法(正・不正
を認識する規準)が何から成り立っているか、を考察しなければならない。法は自然に由来すると考えられる。しかし、
この法のうちの明確なものあるいは暖昧なものが有用性の観点から慣習法となり、その後、慣習によって承認された法、
北法 4
1
(
3・
2
2
)1
0
7
2
法曹 J
去の歴史的基礎づけ(1)
あるいは真に有用であると考えられた法が法律として制定されたと考えられる。さて、自然法とは、︹後天的な︺知識で
はなくいわば先天的な本性が我々に示すものである。敬神、義務、恩顧、復讐、尊敬、真実といったものがそれである 0
・::しかし、自然法自体はこの論点に関してはあまり問題にならない。なぜなら、自然法は 2m丘三芯には含まれず、ま
た、普通の人の知識から比較的遠いものだからである。もっとも、比較のために、あるいはある論点を強調するために、
弁論家は自然法をもちだす必要がしばしばある。これに対して慣習においては、制定されていないが万人の意思において
長時間承認されたものが法であると考えられる。万人の意思の中には、長時間が経過したことによってそれ自体がすでに
確実な法となったものもある。しかし、この中にはそうでないものも多く、その大部分は法務官によって告示される習わ
しであった。この種の法の中で慣習法としてすでに確実な法となったものは、合意、衡平、先例の三種類である。合意と
は、両当事者間で約定されたことが正当であると考えられ、その結果法廷で有効であるといわれる法である。衡平とは、
万人にとって公平な法である。先例とは、一人の人間のあるいは複数の人聞の判決によってすでに決定されている法であ
る。法律は法律から知られなくてはならないであろう。
(M) ∞・口氏・
(お)∞・5・
以上のように、エールリッヒはキケロがEm2︿己申を書面の解釈問題ではなく事実問題会主5 にかかわる問題)の中で
扱っていることを重視している。 EEoの問題は、たとえば英米法において判決文の中で先例として拘束力をもっ部分が
5
円伊
丹 enESEと呼ばれること、大陸法において継受されたロ l マ法が E
tomn丘三回と呼ばれたことを考えただけでも
重大であり、詳細な検討は別稿に譲らざるをえないが、本稿では法源論との関係でさしあたり﹃法論﹄を参考にして﹃巳写
のイメージをもっておくことにする。
門戸申 ZmFゲロ∞ごタコ・5・
5 一マルクス一これらの︹人聞が自然から分け与えられているものは何か、人間の心がもっ最高
の賜物の力がいかに大きいか、どのような仕事を遂行し達成するために我々はこの世に生まれてきたのか、人間の結びつ
きとは何か、人間の自然的な結合体とは何か、といった︺問題が明らかになってはじめて、法 (ZHZ呂田)の起源を探
究することができるのだ。アッティクス一そうすると、現在多くの人が考えているように法務官の告示からではなく、
また、品目の人が考えていたように十二表法からでもなく、もっとも深遠な哲学から法学が引き出されるべきである、とお
考えなのですね。マルクス一そのとおり。つまり、この討論においては、法廷手続で通用する証書をどのように作成す
北法 4
1
(
3・
2
3
)
1
0
7
3
説
吾A
呂田
siz(
べきか、あるいはそれぞれの法律相談についてどのように解答すべきか、といったことを問題にしているのではない。も
ちろん、このような問題は重要かもしれない。いや、現に重要なのだ。これは、かつては多くの非常に優秀な人々が、現
在はある人物︹セルウィウス・スルピキウス・ルフス︺が最高の権威と学識をもって行なっている仕事だ。しかし、この
討論で我々は普遍的な法(吉田 RFH)の問題を論じようとしているのであり、そうすることによって、我々が吉田丘己目。
呼んでいる法は小さく狭い場所に閉じ込められることになる。:::だが、それ︹ Hg田口守口四︺は後回しにして、法の起源
を考えてみよう。さて、非常に優れた学者逮は、法は旋 (-oH) に由来すると考えた。このことは、彼らが定義している
ように、錠が自然に内在する最高の ztoであり、なすべきことを命じ、なすべから、さることを禁ずるものだとすれば、
zoが人間の心の中で確実なものとなり完成したとき、それは錠となるのだ。彼らが、錠とは賢
おそらく正しい。このz
UEPE5) である、つまり、正しく行為することを命じ不正に行為することを禁ずる旋の本質は賢慮にほかならな
慮(
い、と考えるのはそのためである。ところで、錠は、ギリシア語では﹁各人に各人の物を分け与える﹂という意味からそ
う呼ばれる、と彼らは考えるが、私の考えでは、ラテン語では﹁︹正なるもの、真なるものを︺選択する﹂という意味か
らそう呼ばれる。つまり、ギリシア語では公平という意味が、ラテン語では選択という意味が提には付与されているのだ
が、両方とも錠に固有の性質である。以上に述べたことが正しければ│ギリシア人がいったことの大部分は正しい、と
私はいつも思うのだが l 、この旋に法の起源が求められなければならない。すなわち、錠とは自然の力であり、賢者の
心と ztoであり、正・不正を分別する規準公認己とである。もっとも、我々の討論全体は一般的なものの見方を扱う
のだから、時には通俗的ないい方をしなければならず、また、命じたりあるいは禁じたりすることによって・自らが欲する
ところを制定する成文法も、皆がそう呼んでいるように綻と呼ばなければならないかもしれない。しかし、法の起源は、
成文法が制定されあるいは国家が成立するよりずっと以前に誕生したこの至上の錠に求めなければならないのだ。
ここでキケロは、成文法(法務官告示、十二表法﹀と吉田
証書作成、解答活動)を超えた普遍的な法の問題を論
じている。キケロは法の起源を錠 (ZH) に求める。錠とは、人間の心の中にあって正・不正を教えるものである。この錠は
ztoに置き換えられ、さらに匂E宕E5や円高己凹に置き換えられる。すなわち、 E 江Oとは、人間の心の中にある、正不正を分別する規準を意味し、同時にその規準によって正・不正を分別する営み(学)をも意味する。
なお、吋同氏。については小川浩三﹁F ・コナンの契約理論(二)﹂﹃北大法学論集﹄三八巻一号(昭和六二年)三七頁(と
くに注8) を参照。また、弁論術と法学に関する学説史、とりわけ﹃案出論﹄の mgc 目Z 肉PZの部分が古典期の法学者に
:
I
t
i
:
去41(3・24)1074
法曹法の歴史的基礎づけ(1)
gg
w
コ
与えた影響については真田芳憲﹁共和政末期における弁論術出ZZE と法学の解釈方法﹂﹃法学新報﹄七四巻二・三号
(昭和四二年)一二七頁を参照。さらに、事実問題と解釈問題については本稿第三節で扱うキケロの﹃弁論家論﹄も参照。
目
印 NM
t
t
oロ冊。ロ wZ2nHOO-U-N
∞
・
日
・ 4印(﹁仲江口口広田
M
P
A
C
E
m
-︿∞ -N0・。芯叩吋0・仏@戸血性ゲロ田 回
Yのお由同0・仏叩支出(お﹀同・ω
M
ω
f 同
印
・
↓o匂-HU-UNH。﹃・を参照。この中から、法学提要に関するエ lル
同耐え自己目)・∞SEES-白戸ニトロ目。
円怠・回02FEm-z
リッヒの見解をみておこう。
ω・
5・T[OEF何回酔ルOロ
恒
国
︺ ii-gとは、法律によって規定されたもの、あるいは、少なくとも Emaiuによって承認
・
さ
れ
た
も
の
で
あ
る
。
E仲
口
間
円
巳 ロ 守
が発生するのは、法律によって規定された場合か、あるいは、少なくとも呂田丘三Z によって承認
5
g
n
g
。
mEoロ叩田口守口g の成立に法的な根拠を与えるこの E凹丘 4FZは、﹁制定
された場合か、である。﹁承認する﹂だけで oEH肉
されず法学者逮によってまとめられた法﹂にほかならない 3 ・
5)。
(幻)∞・5・
北法4
1
(
3・
2
5
)
1
0
7
5
説
E
命
Eω 巳己︼のとそれ以外の法源との関係
官。匂江口B
(一)キケロの用語法
m沼田という表現を非常にしばしば用いる。
次 の 史 料 に み ら れ る よ う に 、 キ ケ ロ は E田丘三日申又 Z
いるが、それ以上に恥ずべきことがあろうか。
QnR0・号 035吋
冊
目 印
H 由一習得されるべき Emiizと知られるべき法律:::。
QnR0・
02許可足。ぃ君は、法律や宮田丘三 -oのことを知らないのに、法律や[呂田]丘三芯にかかわる訴訟を弁論しようとして
Q B円0・
h
S
H君が若い頃負かしたカルボ lは法律を知らず、父祖逮が決めたことについてはためらいをみせ、宮田
品
。 ogZ ﹃叩H
己ユZ については習熟していなかったことを:::私は思い出す。
エ ー ル リ ッ ヒ に よ れ ば 、 キ ケ ロ は 同 義 語 を 並 置 し て い る の で は な く 呂 田 24HEと法律を対立するものと考えている。
エl ル リ ッ ヒ は 、 ま ず ﹁ 習 得 さ れ る べ き E 凹22Uと知られるべき法律﹂あるいは﹁法律を知らず吉田口守口市につい
ては習熟していない﹂という表現に注目しなければならないとし、続いて次の史料を検討する。
問問
Q S ﹃0・母 OE
U
-印︼一人と人との結びつきはあらゆる人間の聞にもっとも広く行きわたっている。ここでは、人聞が共同で
利用するために自然が生んでくれた物はすべて共有されるべきであって、法律と E田口守口由によって︹個人に︺分配された物
については、法律で決められているように守らなくてはならないとしても、それ以外の物については、ギリシアの諺にあるよ
うに﹁友人達がもっている物はすべて友人達の共有である﹂と考えなくてはならない。
﹁法律と苫田円守口巾によって ︹ 個 人 に ︺ 分 配 さ れ た 物 に つ い て は 、 法 律 で 決 め ら れ て い る よ う に 守 ら な く て は な ら な
い﹂という部分は、法律と吉田丘丘目。が同一物であることを示しているようにもみえるが、 エ ー ル リ ッ ヒ は 、 あ る 規 定
北法4
1
(
3・
2
6
)
1
0
7
6
は 法 律 の 中 に 含 ま れ て い よ う と E田 丘 三 宮 の 中 に 含 ま れ て い よ う と 少 な く と も 法 律 で 決 め ら れ て い る の と 同 じ よ う に 守
らなくてはならない、という意味である、とする。ただ、いずれにしても、ここでは同義語反復の可能性はまったくな
い 。 法 律 の 規 定 と E田 丘 三 宮 の 規 定 が 厳 密 に 区 別 さ れ て い る か ら で あ る 。 お そ ら く キ ケ ロ は 、 法 学 者 の 解 釈 ( 吉 田
丘己目叩)は法律の意味を越えて及んではならない制限的なものである、と考えていたのであろう。
。
﹃﹃
円
円
叩 H22
2 吋0・
O
・
ロ
目
白
由
一
私
の
考えでは二般の風習が乱れているために、これ︹校滑なやり方︺を人は見苦しいことだと思っ
tzによっても禁止されていないが、自然法がこれを禁止している。
ていないし、法律によっても呂田口F
エールリッヒによれば、それは、元老院議決や勅法が
(
gニ叩哲g 仲22 丘三ロ)という二者択一的な表現によって、同義語
﹁法律によっても古田丘三宮によっても﹂
①吉田口守口∞と法律
zmSEEm丘三目。という表現がキケロ以降みられなくなることではなく、
次の史料が示すように、古典期の法学者達が宮田口守口∞の規定を法律、元老院議決、勅法と対置していることである。
至っていなかった。しかし、重要なのは、
ロの時代にはすでに実務上大きな意義を有していたが、 r
mg 伯仲吉田口守口。という伝来の表現に取って代わるまでには
法律と同等の効力をもつようになって以来、この表現が現行法全体を表わすものでなくなったからである。告示はキケ
zmg$ 苫田口守口。という表現はキケロ以降みられなくなる。
(二)古典期の用語法
反復の可能性は完全に排除される。
'
-
m
t
己目・ロロ。いさらに彼ら︹兵士︺は、外国人およびロlマ人を相続人に指定しあるいは遺贈することが認められている。こ
れに対してそれ以外の者の場合には、門田丘022rm によって、ロlマ人はユニア法によって、遺産を相続することも遺贈を
北法4
1
(
3・
2
7
)
1
0
7
7
の
。
法曹法の歴史的基礎づけ(1)
説
論
受けることも禁止されている。
035・
S一︹共同受遺者の一人が︺持分を受け取らなかったとき、その持分は、債権遺贈の場合は相続財産の中に留まり、
ロN
F
ゴZ によってそのように決められてい
物権遺贈の場合は︹それ以外の︺共同受遺者に添加される、と我々は述べたが、古田 n
たのはパピア法制定以前であることに注意しなければならない。パピア法制定以後は、その持分は顛落財産となる。
mと 元 老 院 議 決
②E 印丘三-
目円
5∞いしかし、このように︹遺言者に帰属していない物を対象とする遺贈は無効であると︺規定しているのは、
OE5・ロ E4・
いうまでもなく Em丘三ぽである。その後ネロ帝の提案によ﹁一て元老院議決が制定され、次のように規定された。すなわち、
ある者が自分に帰属していなかった物を遺贈した場合は、この遺贈は最良の状態で︹債権遺贈として︺遺贈されたものとして
i
-しかし、ある者が自分の物を遺贈し遺言作成後にその物を譲渡した場合には、大多数の法学者は、この
有 効 で あ る 、 とO
遺贈は宮田氏三芯によって無効であるばかりでなく元老院議決によっても有効とならない、と考える 0
0白dp N
E
u家外相続人に対して︹先取︺遺贈が行なわれた場合には、この遺贈は無効である。この点についてサビヌスは、
この遺贈はネロ帝の︹提案によって制定された︺元老院議決によって︹有効な遺贈に︺転換しえない、と述べている。なぜな
ら、サビヌスによれば、用語の取庇の故に呂田ロユZ 上無効である遺贈だけがこの元老院議決によって有効となるからである。
・:これに対して、ユリアヌスとセクストゥスによれば、この場合も遺贈は元老院議決によって有効となる。なぜなら、これ
も用語の暇庇によって E∞aig上遺贈が無効になる場合、だからである。
③呂田丘三宮と勅法
ロ
g
H8
25) い誤った表示は受遺者に対しても信託遺贈受遺者に対しても損害を与えない:::と規定している
円
・ (ZR巴
・ 七
のは、 EFtoEZ 目nZEmとセウェルス帝、アン卜ニウス帝の勅法である。
N
∞
・
∞
・8 ・
H
M
m
w
c
E
Y 皇帝の意図を推察すれば、その子が同じ健康状態である限りでそれ︹父が唖の成年者の代理人にな
胃
・(
ることの許可︺を与えようとした、ということができる。すなわち、呂田 22Zによれば、被後見人の遺言は彼が成年に達す
ロ
ることにより終了するが、病弱さのゆえに遺言を作成できない者についてもそれと同様に扱うのが正しい、と皇一帝は考えてい
る
。
jt法4
1
(
3・
2
8
)
1
0
7
8
法曹法の歴史的基礎づけ(1)
ウラサクは、これらの法文には比較的新しい法と比較的古い法の比較という考え方が根本にある、とするが、
ル リ ッ ヒ は ウ ラ サ ク 説 に 反 対 す る 。 す な わ ち 、 も し 法 律 、 元 老 院 議 決 、 勅 法 が Emaizそ の も の で あ る と す れ ば 、 そ
れ ら の 制 定 法 と 比 較 す る た め に 引 き 合 い に 出 さ れ た 比 較 的 古 い 法 が Em丘三Z と 呼 ば れ て い る の は 驚 く べ き こ と で あ
る。吉田丘三戸市はまったく別の意味で用いられる専門用語(ウラサクによれば名誉法以外のすべての法を意味する)で
ルロ由。門戸、戸田
ある。ガイウスやウルピアヌスといった法学者が専門用語をこのようにミスリ lディングなやり方で何度も用いること、
そして、 それが元老院議決のような公的な声明にまで入りこんでいることはまず考えられない。たしかに、
の代わりに﹁古法﹂(呂田 E5555fEmgE白)という表現が用いられることもあるが、だからといって吉田丘三Z が
﹁古法﹂そのものであることにはならない。 エールリッヒ説によっても Em21Zの多くは﹁古法﹂なのである。
エールリッヒはウラサク説に対する反証として次の法文を掲げる。
H
ー
コ
ハ
d-19
5 ・ M内υ N少 N斗一原形を損なわないで使用・収益しうる物については、 Z目立三日叩によってその物の用益権を遺贈す
ロ
ることができる。:::元老院議決によれば、消費を内容とする物についてもその物の用益権を遺贈することができ、その物は
受遺者に引き渡される。ただし、用益権が受遺者に帰属しなくなったときにはその物を相続人に返還する旨の担保問答契約を
結ばなくてはならない。
- 円用益権は、土地、建物だけでなく奴隷、役畜、そのほかの物にも設定されうるが、使用によって消費される物は除か
・M十
E
i
-四円回一色 Oによってもの守口仲間円曲、to によっても、︹消費︺物には用益権を設定しえないからである O
れるのなぜなら、ロ巳C
i--しかし、元老院は一般の利益を考慮して次のように決定した。すなわち、︹消費︺物にも用益権を設定しうる、ただし、︹受
遺者は︺自己の名で相続人と担保問答契約を結ばなくてはならない、と。
エールリッヒによれば、この二つの法文は、形式上も内容上も完全に対応しており、後者が古典期に起源をもっ法文で
2は前者における E田丘三ぽなのであり、これをたとえ
あることは明らかである。すなわち、後者におけるE 立O丘三-
北法 4
1
(
3・
2
9
)
1
0
7
9
1二
説
吾b.
a
冊
印 gtρE に 置 き 換 え る こ と は 不 可 能 で あ ろ う 。 な ぜ な ら 、 ロ ー マ で は 、 あ ら ゆ る 時 代 に 吋 巳5
ば ztoEユ
2iz聞が通用していたからである。
エールリッヒは、さらに次の二つの法文を掲げる。
2江
田
。巳ロタロ呂町・5吋一物権遺贈の客体になりうるのは、呂田 CEユ江口自によって遺贈者自身に帰属する物だけである Oi---しかし、
このように規定しているのはいうまでもなく宮∞丘三Z である。その後ネロ帝の提案によって元老院議決が制定され:::。
。 m呂
N -H申
・口 H∞
N いこれに対して、そのほかの卑属については、男性たると女性たるとを問わず相続から包括的に排除しうる
w田
・:・と規定しているのは Em22Fである。すなわち、法務官はすべての男性卑属を:::。
ウ ラ サ ク 説 に 立 て ば 、 次 の よ う に 説 明 す る こ と に な ろ う 。 す な わ ち 、 第 一 の 法 文 で は 、 ガ イ ウ ス は E目。守口∞ではなく
EmmgZ古己目というべきであった、第二の法文では、 EmFOロOEZ己目と対立する意味での吉田丘三ぽを考えていた、
と。しかし、この二つの法文で吉田口守口。が何故これほどまでに異なる意味をもつのか、を史料から読み取ることはで
きない。史料の内容を検討してみると、問題になっているのは制定法の規定ではなく、確定しうる限りではほとんどが
法曹法、すなわち﹁制定されず法学者達によってまとめられた法﹂ の規定であることがわかる。 古田丘三ぽは﹁古法﹂
(叩)
(とりわけ古い制定法)ではなく、かつてキケロがこれを十二表法と対置したのとまったく同様に、古典期においても
法律、元老院議決、勅法と対置される法である。
門
回
目
︼
申
包
ぴ
己
回
目g
- OEgg-H∞ω・HME-G窓口出国咽円以 H
(泊)∞・コ・ェ lルリッヒが引用する Q g 円0・
O
L
-∞Bonn-乱。 σ申口氏芯仲O
申
戸
門
ロ N 0・Nも参照。
(羽)∞・5・
H
2・
(的)∞-
(
“
)
∞ E・
北法 4
1
(
3・
3
0
)
1
0
8
0
法曹法の歴史的基礎づけ(1)
RRESE-gas-oという表現を用いた最初の法学者は、 エールリッヒに
(位)すべての法源を包括するものとして呂田 FO
ロ
よればパピニアヌスである。本稿第八節を参照。
(mM)Emat-oと告示については本稿第八節、第九節を参照。
EF 関門FEEZEロ全g
-∞g ・
臼 -h円
( H H )次の法文のほかにエ l ルリッヒが引用するり・5 ω
(寸ミ UFO口三回)
U
E
N・=-U (guEロ
c
1但ロロタ
ロ
由)
u・
・・
・
吋
M︿
UMHH5 内
U内
M
︿H
内
ログ 内
N
L
ω も参照。
・
M ︿8 N
N
0・
N8・自?ロ・包・∞・8ω
4・
(釘)次の法文のほかにエ lルリッヒが引用するの色ロタロ N
U内ロ
(
H
U
E
5
) ・d-ugロロ凹ロ
・
・
・
8 ・
H 白色E
Em﹀も参照。
・
5・
s-E・コ・耳・(EOB)も参照。
次の法文のほかにエ lルリッヒが引用するり・8・
5(E1担ロロ凹)-U・
(MW)
N
ω
・
gE 田
(釘)冨-
E
-
(同叩)∞
(品目)∞
N
・
(印)∞ -え
北法4
1
(
3・
31
)
10
8
1
a
岡
3
見
三
子
必h
(一)耳
同
u
g育252ω
巳己目。の外延と内包
E∞口三Z に数えられないとき百回丘三宮は消極的に限界づけられる
O
E田口守口市は成立の仕方に特徴がある(非制定法、法施司法)だけでなく、その対象が限られ
EEEm2irの外延
O匂﹃
エールリッヒによれば、
ている法であった。まず最初に、ある法領域が
EmgnEB-E印吉EF2B-EEnE宮EFgにかかわる法が百田口守口叩に属さないことは次の史料からわかる。
Q25唱
門
広 O 吋伊丹O 円 曲 目H8・アエリアヌスのこの研究︹通称﹁アエリウス法﹂︺が人を魅了するとすれば、それは、すべての宮町
22Zにおいても、神宮の書物においても、十二表法においても、古来の模範がもっとも重要だからである。
Q g 円0 ・円四四OEZZHNOT私的な事柄にかかわる訴訟においては、しばしば自由口EZから弁論を取り出さなくてはならない。
出
口EBUロ
ぴ
ロ2 5、民会、元老院
したがって、上述したように、弁論家にはzmzizの知識が必要不可欠である。同様にE門
EF25の権
にかかわる訴訟においては、弁論家は公的な事柄を扱うのであるから、古い事柄についてのあらゆる記憶、 E田宮威、国家を支配している道理や原理、それに準じる重要な事柄を熟知していなくてはならない。
会己育o
胃E S E田口守口叩の内包
次に、 吉田の守口mの 外 延 と 同 様 、 そ の 内 包 に つ い て も キ ケ ロ の 著 作 が 手 掛 り と さ れ る 。 次 の 史 料 に み ら れ る よ う に 、
キケロにおいては、法学者が私的な事件において適用する法、法務官の面前で行なわれる法廷手続で通用する法、法律
行為の証書を作成する際に通用する法、 つまりこれらの法領域で発展した法曹法だけが吉田口守口叩と呼ばれている。
ロロ申円0
z--g一法廷手続で通用する証書を作成し、︹法的な問題について助言し、︺この種の知識によってできるだ
・
号
。
同
町E
け多くの人の役に立つことは、自分の勢力を増し他人の好意を得ることにつながる。だからこそ、父祖逮の立派な行ないがた
北法 4
1(
3・
3
2
)
1
0
8
2
法曹法の歴史的基礎づけ(1)
・︻
rz
くさんある中で、最良に決められた Em25Zの知識と解釈につねに最高の尊敬が払われたのである。
のお申吋 0
包ぴ己目ごデコ一いわゆる [Em︺ロ守口∞を彼らが用いたのは、彼らがそれを国家のために役立てようと望んだとき
だけであった。この法は、実際上は必要であるが学としてはささやかなものである。君は私にいったい何をいい、私に何をい
わせたいのか。雨水役権や壁の権利関係について本を書け、というのか。それとも、問答契約や訴訟の方式書を作成しろ、と
いうのか Oi---ポンポニウスよ、この討論においては、法廷手続で通用する証書をどのように作成すべきか、あるいはそれぞ
れの法律相談についてどのように解答すべきか、といったことを問題にしているのではない。もちろん、このような問題は重
cg
要かもしれない。いや、現に重要なのだ。:::しかし、この討論で我々は普遍的な法の問題を論じようどしているのであり、
そうすることによって、我々が呂田 21Zと呼んでいる法は小さく狭い場所に閉じ込められることになる。
叫
向
山
申
同
)
白Htto
円O
5SLCC一原告は︹そもそも︺訴権をもつかどうか、原告はまだその訴権をもっているかどうか、
ロ申 025吋
原告はその訴権を放棄したかどうか、当該法律は︹原告に︺訴権を認めているかどうか、原告は︹法律の定める︺文言を用い
ているかどうか、というように訴権が問題になる場合には、裁判の前でも、その裁判の争点を決定するための討論が行なわれ
るのが普通である。これらの問題が裁判の前に論じられず判断されず決定されなくても、次のような場合には法廷でしばしば
非常に大きな意味をもっ。すなわち、﹁汝の請求は多すぎた﹂﹁汝の請求は遅すぎた﹂﹁汝は原告ではなかった﹂﹁我は被告では
なかった﹂﹁汝の請求は法律に合致していなかった﹂﹁汝の請求は法律の定める文言を用いていなかった一﹂﹁汝の請求はその判決
によって認められていない﹂といわれる場合である。事件の性質を決めるのは、私的な︹そして公的問︺事柄について定めて
E田口Fizの 積 極 的 な 内 容 を 知 る 上 で と り わ け 示 唆 的 な の が ﹃ 弁 論 家 論 ﹄ で あ る 。
いる法律または習律に基礎をおく呂田 2izである。 HCm2izの知識をほとんどの弁論家は軽んじているが、これは弁論家
が弁論するためには必要不可欠なものであると我々は考える。
(三)﹃品升払制{家浩一酬﹄
エールリッヒによれば、
。 百 四 円0
・含 OEZ 円 冊 目 目 白4L4NLa--aL8・
4
4・
50一クラッススは続けていった。これらの弁論家に雄弁さが欠けていたので
はない。弁論の方法がまずかったのでも内容がなかったのでもない。彼らは zmnFizを知らなかったのである。すなわち、
北法4
1(
3・
3
3
)
1
0
8
3
説
ラA
a
冊
彼らのうちのある者は、法律訴訟において十二表法が規定している以上のことを訴求し、そのような請求をしたという理由で
敗訴した。またある者は、訴権において決められている以上のことが自分に訴求されるのは不当であるとは考えたが、そのよ
の人々に対しては、私は跨踏せず有罪の判決を下すであろう。第一に怠慢の罪によって、第二に恥知らずの罪によって。なぜ
うな訴訟を提起すれば相手方は敗訴するであろうとは考えなかった。:::彼︹アン卜ニウス︺を除外するとしても、そのほか
なら、彼らは法廷でたじろぎ、法廷手続や法務官の法廷で呆然として立ち練み、重要な事柄を扱う民事裁判│ここでは、事
実ではなく衡平と法がしばしば問題になるを避けて通り、百人官法廷│ーここでは、使用取得、後見、同族、宗族、寄洲、
沖積地、拘束行為、奴隷、壁、窓、雨水役権、遺言の有効・無効、その他無数の権利関係が取り扱われるで動揺したから
んな顔をしているのであろう。ある兵士が死亡したという誤った知らせが軍隊から故郷に届いたとき、その兵士の家長はその
である。何が自分の物で何が他人の物か、ローマ市民と外国人をどのように区別するか、ある者は奴隷か自由人か、と
い っ た こ と を ま っ た く 知 ら な い ︹ で 法 廷 に 立 つ ︺ こ と は 恥 知 ら ず の 証 拠 で あ る Oi---呂田丘三Z は 決 し て 些 細 な 事 件 で は な く
しばしばきわめて重要な事件で問題になるが、 Em口守口帽についていかなる知識もなく訴訟を引き受ける弁論家はいったいど
知らせを信じて遺言を変更し、自分が適当だと考えた者を相続人に指定して死亡した。ところが、その兵士は故郷に生還して、
遺言によって相続から排除された息子に法律上与えられている父の相続財産に対する訴権に基づいて訴訟を提起した。この事
件は百人宮法廷にもちこまれたが、このような事件より重要な事件がほかにあるだろうか。この事件で問題になったのはいう
は相続財産から排除されるのか否か、が問題になったのである。このマルケルス家とクラウディウス家のあいだの争いについ
までもなく呂田口Hizで あ る 。 す な わ ち 、 家 長 が 遺 言 の 中 で 名 を 挙 げ て 相 続 人 に 指 定 す る と も 排 除 す る と も い っ て い な い 息 子
て、百人官法廷はどのように判断したか。マルケルス側が、︹相続財産は︺直系卑属関係の故にその自由人の息子のものでなく
ι
なる、と主張したのに対して、クラウディウス側は、その自白人の相続財産は氏族関係の故に彼の息子のものになる、と主張
した。双方の弁論家は、この事件では直系卑属と氏族の 止しい関係について弁論しなくてはならなかったのではないか。さら
に、百人官法廷では次のような争いがあったと聞く。すなわち、ローマに追放され、あたかも自分の家長であるかのようにあ
る者に従うという条件でロ l マに住むことが認められていた外国人が無遺言で死亡した、という事件である。この事件では、
従来先例がなく不明瞭だった隷従関係を百人官法廷で弁論家が明らかにしたのではないか。:::さらに、かつて百人官法廷で
争われたマニウス・クリウスとマルクス・コポニウスの有名な事件で︹法廷に︺集められたのはどのような人々であったか。
彼らの弁論はどれほど期待に応えるものであったか。:::我々はどちらも、さまざまな権威、さまざまな先例、遺言の方式と
北法 4
1(
3・
3
4
)
1
0
8
4
いったEm丘三Z の中心問題をこの事件で取り扱うことを忘れたであろうか。
以上の叙述の後に続くのが、本節の最初で引用された次の箇所である。
ル
F
E
E
-号 055 円 冊 目NCHい弁論家には国家と統治に固有な呂田宮EFEEや古い事柄の記憶、古来の先例が必要であると私が
考える理由については、すでに長い弁論はいらない。すなわち、私的な事柄にかかわる訴訟においては、しばしば E四三己Zか
ら弁論を取り出さなくてはならない。したがって、すでに述べたように、弁論家には呂田口守口∞の知識が必要不可欠である。
同様に EE江口日吉ゲロ25、民会、元老院にかかわる訴訟においては、弁論家は公的な事柄を扱うのであるから、古い事柄
についてのあらゆる記憶、 EZucZEBの権威、国家を支配している道理や原理、それに準じる重要な事柄を熟知していなく
てはならない。
こ こ に は 、 弁 論 家 が E 白色2Zを 必 要 と す る 事 件 と 呂 田 口E Z以 外 の 法 の 知 識 が 問 題 に な る 事 件 の 目 録 と で も い う べ き
E 田丘三ぽではなくZ 目 ℃CEH2Eを必要とするのは、
ものがある。すなわち、弁論家が弁護人として法的な紛争にかかわるとき、たとえそれが卑属や隷従関係についての問
題であっても、彼は百四丘己-帽を必要とする。これに対して、
﹃弁論家論﹄を引用する。
EE口
EMEE山口問、民会、元老院にかかわる訴訟である。
エールリッヒはさらに、
のい nR0・宕 oEZ吋∞ご∞HLS-Hg・頭絡にかかわる事件は、次の事件がそうであったように、しばしば法廷手続で扱われるこ
とがある。すなわち、最上の貴族、最良の人間である前執政官、ガイウス・マンキヌスがヌマンティア人とまずい条約を結んだ
ため、祭紀宮は元老院議決に基づいて彼をヌマンティア人に引き渡した。ところが、ヌマンティア人が彼を受け入れなかった
ので、マンキヌスは祖国に戻り、跨跨せず元老院に復帰した。マルクスの息子である護民官プブリウス・ルティリウスはマン
キヌスに、彼は市民たる身分を否定されたのだから、元老院から出ていくように命じた。なぜなら、古くからのいい伝えによ
れば、自らの家長が売却した者、民会が売却した者、あるいは祭紀宮が︹敵に︺引き渡した者は市民に復帰することができな
いからである。国家にかかわるすべての事柄の中から、前執政官の身分、市民としての地位、自由、頭格にかかわることより
北法41(3
・
3
5
)1
0
8
5
。
法曹法の歴史的基礎づけ(1)
も重要な裁判上の論争を発見することができるだろうか。とくにこれらの問題が被告が反証しうる何らかの罪の存否ではなく
吉
田a
tz にかかわる場合に、これらの問題より重要なことがあるだろうか。さらにこれと類似の事件、すなわち、同盟国で
市民だった者がロ l マでは身分が下がって奴隷になったが、その後解放されて祖国に戻ったという事件で、彼は復帰によって
元の身分に戻りロ l マ市民としての身分を失うのかどうか、が我が父祖達の下で問題になった。さて、自由にかかわる裁判よ
り重要な裁判はないのであるが、自由が問題になるとき、すなわち、自らの主人の意思によって市民名簿に記載された奴隷は
記載されると同時に自由人になるのか、それとも記載されてから五年経つてはじめて自由人になるのか、が問題になるときは、
包凹 212から論点が生じるのではないか。
﹃カエキナ弁護論﹄ では、 敵に引き渡された結果、 あ る い は 戦 場 か ら 離 脱 し た 者 や 市 民 名 簿 に 記 載 さ れ て い な い 者 が 売
却された結果、 日田口守口叩によって自由が失われる、 とされていたが、 ﹃弁論家論﹄ の こ の 箇 所 は そ れ と 完 全 に 対 応 し
ている。 すなわち、 市 民 の 自 由 や 頭 格 に か か わ る 事 件 は Emaizを基礎として判決されうる、 というのである。
Eggs-F の対比によってまず第一に事実(の存否の)
る の で は な い か ﹂ と い っ て い る 。 キ ケ ロ は 百 円 ユBg由とZ
・:とくにこれらの問題が:::何らかの罪の存否ではなく Em丘三ぽにかかわる場合に:::呂田丘三Z か ら 論 点 が 生 じ
キケロの叙述の中にある。すなわち、キケロは﹁頭格にかかわる事件は:::しばしば法廷手続で扱われることがある。
F25が適用されてもよさそうなものである。この間いに対する答えは、
員としての地位にかかわるだけに、 吉田℃ロE
しかし、この種の事件はいつ吉田口守口∞の通用領域に属するのか。とりわけマンキヌスの事件は、問題が元老院の構成
法廷にもち出すことのできる非常に重宝なものと考えている官。な
as包含円夕、ozag回申口OロgEFO)からである。
し、この呂田丘三ぽはたとえば ﹁拘束力のある準則﹂ という意味ではない。 なぜなら、 キ ケ ロ は 宮 田 丘 三 芯 を い つ で も
し
E 田町Hizから生じる論争が可能である、ということに疑問の余地はありえない。
問題と法の問題だけを対比させようとしているが、事件が﹁何らかの罪の存窓口﹂にではなく通常の法廷手続において
判決される場合にのみ、
か
説
論
北法4
1
(
3・
3
6
)
1
0
8
6
法曹法の歴史的基礎づけ(1)
エールリッヒによれば、以上のことは共和政期の史料についていえることであって、帝政期の史料には、
(拍)
P H由 。 HJ
﹃即日。
は特定の法領域だけを包括する、と明示的にいっているものはないが、古典期の法学者(たとえばウルピアヌス)に
(
悶
︺
とっては、それは自明のことであった。呂田丘三回申は、証書作成、解答活動、訴訟行為といった法学者の実践的活動の
基礎となる法であり、同時に、その活動の結果生み出された法であった。
-H H H - N
g
o
z
z
z
∞
包 S
(引)∞・呂町・エールリッヒが掲げるのお句 ・。巳
E E NS
NLEも参照。
g
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主
∞
包
げ
ロ
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目
目
印
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(臼)∞・8
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ユ M0
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∞
∞
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∞
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ッ
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が
掲
げ
る
の
広
角
タ
音
自ら参照。
0
2
5
吉
田
0
E
宮
・
(臼)エ lルリッヒは、全体の脈絡から考えてこの部分は消されるべきである、とする 3 ・
N
3
0 なお、 F05版でもこの部分
は採用されていない。
(日﹀∞・包(日)本稿第一節つ己を参照。
(印)本稿第一節(三)でみたように、﹃案出論﹄では、解釈問題と事実問題(吋ggの問題)が分けられ、後者は事実、名称、
性質、訴権のいずれかにかかわるとされ、法の問題(法源論)が性質(宮田ES) の論点の中に生じることをエ iルリッヒ
は重視している。したがって、ここでの﹁法の問題﹂はいわゆる﹁法律問題﹂(解釈問題)ではない。﹁自由にかかわる訴訟
には解決しなくてはならない困難な法の問題があり、それを解決するためには呂田口三Z の知識がいかに必要か、を示すこ
とだけがキケロの関心事であった。すなわち、事実(の存否の)問題ではなく法の問題を解決するためにこそ宮田 2izが
必要であった﹂(∞・8) という叙述における﹁法の問題﹂も同様であろう。
(日)∞・ ωN
・
(dqSロ己由)・ この法文をエ lルリッヒがどう理解するかについては、本稿第一二節および第一四節を参照。
・・
(回)ロ
(印)∞-宮内・
J
:
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法4
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弘
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-H
U
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2
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5
ω 己己︼∞の通用領域
u円。同
同
z
i
z という表現で考えていたのは、
ローマで主として法学者逮が発展させた慣習法か、もっぱ
ロ ω
E(の巴田口凹)いある法律の全体を見通さずにその法律の一断片を提示して判決しあるいは解答することはEmaZ∞では
・-
前 述 の ﹃ 弁 論 家 論 ﹄ の ほ か に 、 次 の 法 文 で Emit-∞は﹁法学﹂という意味で用いられている。
(一)﹁法学﹂という意味での E田口守口市
の法曹法、慣習法という意味で用いられる。
﹂のように、 吉 田 丘 三 芯 は 理 論 的 な 法 の 営 み と し て の 法 学 と い う 意 味 で 用 い ら れ る と 同 時 に 、 実 践 的 な 法 の 営 み と し て
Q S円0・門目。。円巳 O吋
冊
目 H4い
0 我々の親友である:::プブリウス・クラッススはとくに次のことについて賞賛されるべきである、
と私は考える。というのは、プブリウス・スカエウォラと兄弟であったクラッススはスカエウォラにしばしば次のようにいっ
たからである。スカエウォラは豊かな弁論を身につけなければ E田口守口申において十分にその才能を発僚できない、と。・
そして、自分︹クラッスス︺は呂田丘三ぽを学ぶ前に友人の事件を引き受けて訴訟を行なうことはしなかった、と。
する。クラッススの次のような﹁ことばの遊び﹂もこの二義性による。
意味をもっていた。とくにキケロにおいては、 吉田丘己目。は法学の勉強、助言、法学者の解答活動、学問的活動を意味
エ ー ル リ ッ ヒ に よ れ ば 、 キ ケ ロ 以 降E田24FZと い う 表 現 は 、 理 論 的 な 法 の 営 み と 実 践 的 な 法 の 営 み と い う 二 義 的 な
ら法学者達の活動によって成立した法原則や法準別である法曹法か、それとも法学か。
ポンポニウスが宮田
四
北法 4
1
(
3・
3
8
)
1
0
8
8
法曹法の歴史的基礎づけ(1)
ロ
・
印
。
・
コNCN220-25) 一宮町内回︿己申においてはいかなる定義も危険である。
さらにエ l ル リ ッ ヒ に よ れ ば 、 本 稿 第 二 節 で み た ﹁法律を知らず E田 丘 三 ぽ に つ い て は 習 熟 し て い な い ﹂ あ る い は
mnFigと 知 ら れ る べ き 法 律 ﹂ と い う キ ケ ロ の 用 語 法 か ら 、 法 律 が 単 な る 認 識 の 対 象 と し て 扱 わ れ
﹁習得されるべき E
ているのに対して、 吉田口守口市は学問的な研究の対象として扱われていることがわかる。 呂田口守口叩Emg円。は法律を
EZ田25-H回目。広三日は法律を知っていることではなく法学に通じて
EユmnFSEEm円右ロロ仰という表現もみられる。同様に、 E丘町丘三口m Bユ吉田唱沼市立江田巴E5 は
知ることではなく法学を習得することであり、
いることであった。
法律に通暁している者ではなく法学に通暁している者であったる。
田 2irと 呼 ば れ る こ と が あ る が 、 こ の 場 合 の 呂 田
また、 吉田口守口申司ziEEB と い う よ う に 法 学 者 の 著 作 が 呂
丘三Z は 、 著 作 の 内 容 で は な く 著 作 そ の も の を 指 し て い る 。 こ の 意 味 で の E田口守山田は次の史料にみられる。
s
-s
-
U自
りいい-N・ 品 H・ 怠(︼ 。
ロ呂田)いその後、プブリウス・ムキウス、ブルトゥス、マニリウスが出て、呂田 24FZの基礎を
問 }O
築いた Oi---その後、プブリウスの子であり大神宮であるクイントゥス・ムキウスが出て、類型ごとに一八巻に分類した Em
丘三ぽを著した。:::セルウィウスは、このいわば屈辱的なできごと︹クイントゥス・ムキウスに罵倒されたこと︺によって
発奮し、苦労して呂田 2izを勉強した。:::︹トゥベロは︺貴族で、法廷弁論術から呂田 22F に転向した人である。
(二)﹁法曹法﹂という意味での Em丘三芯
帝政期の法学者達においては、宮白色︿己申は通常、専門用語として﹁法曹法﹂という意味で用いられる。さらに、
可
申
告MFE江 田 口 守 口 広 が 実 定 法 の 準 則 で は な く 法 曹 法 の 準 別 で あ る こ と は 一 般 に 承 認 さ れ て い る が 、 エ ー ル リ ッ ヒ に よ
E
己
ロ
ロ
由
ロ
己
仲
Eロ目巴吋ユ仲田口丘仲守︿5
れば、このことは印円 E
H
H
5白E
. 司 釦巴巴一
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斗広ザh
。。
北法 41
C3・39)1089
説
論
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い
ロ・企-M-E(C83ロ
栢続財産に関する訴訟の主体は、多くの号宮B82521mnZE聞によって承認されているよう
ロ
田
に、相続人ではなく被相続人である。
H H官
-・
り・合 -・
︿C55ロ
5) 225EES己目白によれば、相続人およびその他の遺産承継人は罰金訴権に拘束されない。
ま た 、 次 の 法 文 で は 、 伝 来 の 法 準 則 が 法 律 上 の 根 拠 を 示 す こ と な くE田口宮口市に直接結びつけられている。
N
ω
4 申にも違反する。
ロ
・
企
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2
20-25﹀一同じ物を時効取得する期間が一定でないということは不合理であり、宮田市 F己
・
育
・
りb-N 印H・
巳5ロロ田﹀一複数の人間の打撃によって一人の奴隷が傷つけられ死亡したが、その奴隷を死に至らしめたのは
H-N2
誰の打撃か、が明かでない場合は、すべての者がアクィリア法訴権によって績害賠償義務を負うと考えられるが、これは先人
達の考えにも一致する。:::以上のような我々のル lルを不合理だと考える者は、︹共同不法行為者は︺両方とも損害賠償義務
を負わない、あるいは一方だけが慣害賠償義務を負う、と考えることになるが、それは我々のル lルよりはるかに不合理であ
る。なぜなら、︹両方とも損害賠償義務を負わないとすると︺不正がまったく罰せられないことになり、また、︹一方だけが損
害賠償義務を負うとすると︺どちらが︹アクィリア︺法で決められている煩害賠償義務を負う者かをほとんど確定しえないか
らである。呂田 aizが法の厳格さにもかかわらず共通の利益のために多くのことを採用してきたことは無数の場合について
確認できるが、その中から一つのケ lスを引用するだけで十分であろう。
さ己﹁噴習法﹂という意味での EmnEZ
狭義の慣習法は、法学者が創造した法ではないが、法学者が承認し発展させ定式化した法であった。また明らかに、
法学者の著作が慣習法を知りそれを伝える手段であると考えられていた。すなわち、法曹法と慣習法を分ける線は一定
で は な く 、 ロ ー マ 人 が 法 曹 法 と 慣 習 法 を 明 確 に 区 別 し て い た と は 考 え ら れ な い 。 逆 に 、 狭 義 の 慣 習 法 が 吉 田 2izと呼
ばれていたのではないか、という想定には大いに蓋然性があり、また実際そのような用語法がみられる。
ペルニ lチ ェ は 、 近 親 婚 の 禁 止 、 未 成 熟 補 充 指 定 の 許 可 、 夫 婦 問 贈 与 の 無 効 と い う 三 つ の 私 法 上 の 関 係 が 慣 習 法 に
北法 41(3・
4
0
)
1
0
9
0
法曹法の歴史的基礎づけ(1)
、 そのほかに、未成年者が債務を負う際の後見人の同意も慣習法によって成立したと
よ っ て 成 立 し た と し 、 ブ リi は
する。
近親婚の禁止
H
SEm- 同5・?親子は E 聞の三芯により婚姻しえない。
司
い
H52︿己申においても同様に、︹未成熟者が︺成年に達したときにこの︹未成熟者補充指定の︺遺言
未成熟補充指定の許可
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∞
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は効力を失
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未成年者が債務を負う際の後見人の同意
4
ロE・8
E-E) 一後見人の同意がない場合は宮田口EZ により被後見人は債務を負わない。
・( 司
夫婦問贈与の禁止
ロE
Hω
H
N
(己目立自己目)一夫︹債権者︺が債務者に対して妻に支払えと命じた場合に、︹弁済された︺金は彼女のものになるか
・
どうか、債務者は免除されるかどうか、が問題になった。ケルススは﹃学説大全﹄第一五巻において次のように書いている。
債務者は免除され、弁済された金は夫のものになり、妻のものにはならないといえるのではないか、と。なぜなら、宮田丘三戸市
によって︹夫婦問︺贈与が禁止されていないとすれば、事柄の当然の成り行きとして、金はまず債務者から汝︹債権者︺に移
り、次に汝から妻に移ることになる︹が、夫婦問の贈与は禁止されているので、金は汝から妻には移りえない︺からである。
によって婚姻が解消される離婚が行なわれなかったとは考えられない。
田
口 7ι-o
HE
エールリッヒは、 この四つのほか、 さ ら に 遺 言 、 婚 姻 、 離 婚 、 養 子 、 水 利 も 慣 習 法 に よ っ て 成 立 し た 、 と す る 。
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E
N・己・耳・ (dJZロ
ロ5) 一法律は﹁自らの保護者と婚姻した被解放女性は離婚をなしえない﹂と規定しているが、
北法 4
1(
3・
41
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9
1
①
②
③
④
⑤
養子
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ム
・ 4・N
叶(弘己包ロロ白)・ 5凹2izにおいては養子の子は養孫の身分を得る。
⑥
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HU
曲
目ENも参照。
(町)エ lルリッヒが引用するの同2 5・晋 2巳 O円
口
町EC凹
M∞
・
印
・ 4
(槌)エ lルリッヒはりSEm-H︿∞N
Oを引用する(∞・8)。
日(ピ江口巳E 河
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同 CB2nyo河申円吉田君岡田凹恒国田口}
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印
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-ごω ωEZmug(白山)エ iルリッヒは﹁法学の勉強﹂を意味するものとしてのぽR0・ 宕 ozg吋
官
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冨
ロ
円
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・
印 N
ζ ・
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E
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ω を、﹁助一言﹂を意味するものとして宕 EgZEug--∞ア号。円包2OEO-匂吋0
を
、
﹁
解
答
活
動
﹂
を
意
味
ロ
﹁
吉
田
54・
Ngを引用する(∞・ω由
)
。
するものとして宕 OBZ吋冊目包を、﹁学問的活動﹂を意味するものとして晋 OEZ﹃申ご斗0・
N
0・4・官・(同MgE目)も参照。
(位)エ lルリッヒが引用するり・5 -U2巳
F
E
s
s
- ロ・怠日
・
ZEごg にみられる(∞・ω叶
(前)この用語法は C28 $002
)
。
れることは決してない、と。
習 法 、 法 学 者 が 創 造 し た 法 曹 法 を 区 別 す る こ と な く 呂 田 丘 三 ぽ と 呼 ん だ が 、 こ れ に 対 し て 、 制 定 法 が Em巳三宮と呼ば
エールリッヒは以上の分析を次のようにまとめる。すなわち、 ロi マ人は、法学、法学者の著作の中で承認された慣
ロB・ ・4 ( C︼官同ロロ凹)い水と泉についてのこの特示命令は、水源から引かれた水だけにかかわるものであり、それ以外の場
所から出る水については妥当しないと考えられる。 H
Z田
口Hizによれば、水源から引かれた水だけに役権を設定しうるからで
ある。
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⑦
説
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命
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1
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(宕) 8.39. 吋ー弐=、トムJ:長!!l!~t{l Gaius,1
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(Gaius),D
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4.
1
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.
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6
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3(idem),Ulpianus,XVII1,XXII1
9,XXIV
1
2,1
3 ..+l~\匹。
(~) 8.
43
.
(に) A
.Pernice,ZumramischenGewohnheitsrechte,SZXX,1
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説
意 味 と こ5 2 i zに 基 礎 を も っ ﹂ と い う 意 味 で 二 義 的 に 用 い ら れ る よ う に な る か ら で あ る 。 し か し 、 242聞が雑種的
な概念であることをいつも意識していた法学者が古典期にもいることを示す史料がないわけではない。
エールリッヒによれば、このような用語法はとくに相続法において、さらに訴権法や婚姻法においても確認できる。
(一)相続法
Emiiz上 の 相 続 権 と い う 表 現 は 、 帝 政 後 期 の 史 料 に お い て は 通 常 、 無 遺 言 相 続 人 の 相 続 権 と 遺 言 相 続 人 の 相 続 権
の両方を意味するが、ガイウスは﹃法学提要﹄の二箇所で呂田口守口。上の相続人(遺言相続人)と法定相続人(無遺言
相続人)を対置している。
。 伊5
丹 ・
ロ E∞-E?最初から不適法に作成された遺言書、あるいは適法に作成された後で破棄されまたは失効した遺言書に
従って遺産占有を行なう者は、呂田 22Zによってその者が相続財産を得ることができる場合には実効ある遺産占有を行ない、
呂田己己Z によってその者が相続から排除されうる場合には実効なき遺産占有を行なう。なぜなら、第一の遺言または第二の
遺言により呂田丘三宮上の相続人に指定されている者、あるいは無遺言相続の場合に法定相続人である者は、遺産占有者から
相続財産を取戻しうるが、呂田 22Z上の相続人が一人もいない場合は、遺産占有をしている者が相続財産を保持することがで
き、法定相続人でない印族は遺産占有者に対していかなる権利ももたないからである。
・
ロ ω
A
Y
ω叶い︹遺産占有を得ても相続財産を取得しない場合(実効なき遺産占有)がある。︺適法に作成された遺言によって
相続人に指定された者が相続財産を取得したが、遺言書に従った遺産占有の申請を欲せず、呂田 22Z 上の相続人であること
に満足している場合には、それ︹呂田2E∞上の指定相続人がいる︺にもかかわらず遺言を作成しないで死亡した者の遺産占
有に召喚される者は遺産占有を申請しうる。︹しかし、 E田
口EZ上の指定相続人は遺産占有者から相続財産を取戻しうるので
あるから、この場合は実効なき遺産占有である。︺ある者が無遺言で死亡したが、その自権相続人が遺産占有の申請を欲せず、
法定相続人であることに満足している場合も同様である。
エ ー ル リ ッ ヒ に よ れ ば 、 ガ イ ウ ス が Em丘 三 宮 上 の 相 続 人 と 法 定 相 続 人 を 厳 格 に 対 置 し て い る こ と は 決 し て 偶 然 で は
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岡
北法 4
1(
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4
法曹法の歴史的基礎づけ(1)
ない。、ガイウスがこの二箇所以外では一度も両者を対置せず、法定相続人を呂田2tz上 の 相 続 人 と 呼 ん で い る こ と は
重要ではない。時代が異なれば用語法も異なるからである。すなわち、ガイウスの﹃法学提要﹄は、明らかに後の時代
にかなり手が加えられてはいるが、おそらく共和政期に由来する模範をもとに書かれた書物であって、それぞれの時代
に 書 か れ た 法 文 は そ れ ぞ れ の 時 代 の 用 語 法 を 示 す の で あ る 。 遺 言 相 続 人 が 専 門 用 語 と し てEm 丘三ぽ上の相続人と呼ば
(回)
れ て い た こ と は 不 思 議 で は な い 。 な ぜ な ら 、 無 遺 言 相 続 は 十 二 表 法 に 基 づ く も の で あ っ た が 、 こ れ に 対 し て ロ l マ法学
の作品の一つである銅衡遺言は呂田口守口∞に基づくものであったからである。
こ の 結 論 が 正 し い こ と は 次 の こ と に よ っ て も 示 さ れ る 。 す な わ ち 、 次 の 法 文 に み ら れ る よ う に 、 ローマ人は法定相続
人と遺産占有者、法定相続と遺産占有をしばしば対置するが、ここで考慮されているのはつねに制定法上の相続権であ
り、それ以外の法源に基づく相続権ではない、ということである。
ロ
・
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・ 4・
ω・
E225) いある者が遺言を作成せずに小書付によって次のような信託遺贈を行なった。﹁私の未来の相続人あ
胃
・(
るいは遺産占有者が誠実であれば私は次の物を与える﹂と。この場合、信託遺贈が行なわれなければならない。なぜなら、遺
言能力をもちながら小書付を書いた家長は、法定相続人あるいは遺産占有者となるべきすべての者を相続人に指定したものと
考えなくてはならないからである。
ロ -∞
N -A・H・
也d
(
-125) い我々が問題にしているのは、遺言相続が行なわれなかった場合、無遺言相続人として相続財産を占
有する者は、法定相続人として占有しているのか、そうではない︹遺産占有者として占有している︺のか、ということではな
い。:::それゆえ、法務官告一不が適用されるのは、法定相続人が相続財産を占有している場合、あるいは無遺言相続人が遺産
占有をしている場合、あるいは略奪者が無遺言相続人として遺産を占有するための何らかの権原を作出して相続財産を占有し
ている場合である。
﹂のような用語法からわかるように、 ローマ人は吉田 22U上 の 相 続 と い う 表 現 を 法 定 相 続 お よ び 狭 義 の E田口守口∞上
の相続(遺言相続)というこ義的な意味をもっ雑種的な概念として取り扱っていたのである。
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(二)訴権法
凹
田 22Zに よ っ て 基 礎 づ け ら れ た も の で あ れ 法 律 に よ っ て 基 礎 づ
セ ウ ェ ル ス 朝 時 代 の 史 料 に お い て は 、 有 O同
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江
口B 呂
R5uロmmazg と 呼 ば れ る 。 し か し 、 訴 権 に は 法 律 に よ る も の とE 22Z
けられたものであれ、すべての訴権は
に よ る も の が あ る こ と を ロ l マ人がいつも意識していたことを示す史料がないわけではない。
日
日
︺
仰
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江 Oロ伯由。宮口白田は法律または Emiir によって基礎づけられた訴権であり、仰の江 O口市田町。ロ0
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2 22-gとは、法律によって決められたもの、あるいは、少なくとも呂田丘三Z によって承認された
・
ものである。
-P??以上に示した stoロ冊目およびこれに類似するものは、法律または E田nEZによって基礎づけられる。
﹂の二法文は、
は名誉法によって基礎づけられた訴権である、という見解に与するものであり、また、史料において支配的なのはこの
ような考え方である。それにもかかわらずエ lル リ ッ ヒ は 、 そ の 中 か ら 比 較 的 古 い 部 分 を 取 り 出 す こ と は 決 し て 不 可 能
ではなく、そうすることによって、相続法における用語法と類似の発展が訴権法における用語法にもみられることが明
らかになる、とする。
g Zロ
ユg は 虫 色 Oロ224己申回に対置されるだけ
まず第一に、次のことが検証可能である。すなわち、 Etoロ
03
E
-はとも対置されるが、 mwo江Oロmmyoロ
ユg に 対 置 さ れ た 場 合
05
巾肉恒F
同
でなく、 Rtoロ
gzEEBB や 2toロ冊目 E 2田口
凹
z -zε丘
は、次の史料にみられるように、
ヲ匂。
ロ・也いい-HN(C85ロ己的)い網で吊されていた嚢が網から落ちて何らかの鏑害が発生した場合にも同じことが守られるべきであ
北法 4
1(
3・
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)
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9
6
法曽法の歴史的基礎づけ(1)
る、なぜならこの場合は白25ZM1tg叫)も法務官法上の訴権も認められないのであるから、と︹セルウィウスは︺解答した。
ロ留やおい (
MM053EE) い用役権者がある作業を行ない、それによって雨水が第三者に損害を与えたという場合、恒司江o
題になった。
吋
R
H吋の被告になるのは︹土地の︺所有権者であるが、用役権者が雨水阻止訴権に準じる訴権の被告になりうるか、が問
z
mE
ι、mwntoロmmgロOュ
Eg と RPoロ
叩mE江田口︿日田は次の二箇所の法文で対置されている。
第二
mH25at--聞 と い う 表 現 で 考 え て い
ロ
・
申
・
品S
-官・ (E-52凹)一複数の者によって共有されている奴隷が窃盗をなし、共有者全員が悪意でその奴隷は自分遠の支配
下になかったということにした、という場合、法務官は日ロtog-mn守告団に従わなくてはならず、:::法務宮の訴訟の被告
になるのは原告が選んだ者である。
ロム甲山・5・
H
(
H
U
O
B
H
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Oロ呂田)い︹甲は甲の土地で乙が種を蒔き収穫することを乙に許したのに、乙が収穫することを許さないと
いう場合に、乙は︺日232江田三司王∞をもたない、なぜなら︹乙に︺事実訴権が与えられるかどうかは疑問であるから、とア
リストはいう。しかし、︹法務官法上の︺悪意の訴権は与えられるであろう。
エールリッヒによれば、 ユ リ ア ヌ ス や ポ ン ポ ニ ウ ス は ウ ル ピ ア ヌ ス や パ ウ ル ス が
コ
た こ と と 同 じ こ と を ω252 m22-U と い う 表 現 で 考 え て い る 、 と 想 定 す る こ と は で き な い 。 な ぜ な ら 、 後 の 時 代 に
確認される用語の意味を前の時代の用語に反映させることは許されないからである。 ユリアヌスやポンポニウスの用語
E5
法 は 、 後 述 す る よ う に ウ ル ピ ア ヌ ス や パ ウ ル ス の 用 語 法 と 異 な っ て い る 。 す な わ ち 、 ユ リ ア ヌ ス に お い て は oE仲間
丘三2は m5570ロ
03吋日ではなく oZFmmEOロ巳己巴はに対置されており、ポンポニウスにおいても同様に、 sto
∞s
i
-田 が ユ リ ア ヌ ス や ポ ン ポ ニ ウ ス に お い て す で に 専 門 用 語
22ロ田は裁判上訴求しうる訴権を意味する。 mntoEユ
として法務官法上の訴権と対立し法律上の訴権を含む表現であったのであれば、ウルピアヌスやパウルスが同じ概念を
表わすのに別の表現を用いているのは何故か、しかも、 ユ リ ア ヌ ス や ポ ン ポ ニ ウ ス に お い て す で に 別 の 意 味 を 与 え ら れ
~t i:去4 1( 3 ・ 47) 1
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吉
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岡
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ている表現を用いているのは何故か、を理解することはできない。ことばの意味はこのように恋意的に変わるものでは
なく、またそのことを確認できる史料もない。
ロ
田 24FZが古典期まで専門用語として法曹法という意味で用いられていたとすれば、仰のtoE江
田
エールリッヒは、 ル
ω255F2Eロロ守口広は周知のようにロ l マ法学の作品の一つ
丘三 Emは ﹁ 法 曹 法 に よ っ て 基 礎 づ け ら れ た 訴 権 ﹂ と い う 意 味 を も ち 、 そ し て 、 こ の よ う な 理 解 は ユ リ ア ヌ ス や ポ ン ポ
ニウスの法文に完全に調和する、とする。すなわち、
であり、したがって、 アリストが﹁この場合、訴権は法曹法によって基礎づけられない﹂といっていること、また、
リアヌスが﹁この場合に適用されるべきなのは法曹法によって基礎づけられた訴様である﹂と主張することにはそれな
りの理由があった。なぜなら、法務官が規準として用いるべきだとユリアヌスが考えた訴権は、加害訴権ではなく﹁原
告が選んだ者に対する訴権﹂ で あ っ た か ら で あ る 。 周 知 の よ う に 、 本 来 は 共 有 者 全 員 が 被 告 と な る べ き 加 害 訴 権 に 、 原
告は共有者の中の誰を被告に選んでもよく、選ばれた被告には損害全体についての責任がある、という形態をもちこん
だのは法曹法である。 ユリアヌスは、法曹法によってもちこまれたこの訴権を意識的に ω25E江田の守口広と呼んで、
巳2ZEtgmと区別しているのである。
仰
の
丘 OロOH
昨日仲間山ル}
o性tECB に由来する
エールリッヒは訴権法の分析を次のようにまとめる。専門用語として用いられる場合、古田 -
F
4
吋仲間山円一
な わ ち 、 相 続 法 と 訴 権 法 の E白丘三宮という概念は、古典期の法学者にとっては、℃吋 O
有E E吉田 24門戸市および法律に
ス朝時代にもなにがしかの理解があったことが確実であることを考えると、次のように想定することが可能である。す
ルス朝以前の時代の法学者がセウェルス朝時代にも登用されていること、したがって、彼らの用語法についてセウェル
印
立5zmFtBmは 、 セ ウ ェ ル ス 朝 以 前 の 時 代 に は 、 相 続 法 と 同 様 、 専 門 用 語 と し て 区 別 さ れ て い た 。 そ し て 、 セ ウ エ
toZ 肉EBmwと、吉田氏三日申に由来する訴権は mW255ユ田円宮医師と呼ばれていた。 m
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訴権は mw円
二L
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問
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よって基礎づけられた相続法と訴権法を統一的に表現したものにほかならなかったが、この統一的な概念の中には二つ
の構成部分があることを彼らはいつも意識していた、と。
会己婚姻法
つねに卑俗的に用いられるとは考えられず、したがって、
一部はユリア法、パピア法、その他のアウグス
であるとい
であるといわれているとしても、その制度が法律によってつくりださ
が同義であるとは考えられない。また、 ロ ー マ の 婚 姻 が テ ク ニ カ ル な 意 味 で 法 律 に よ っ て 基 礎 づ け ら れ て い た と 想 定 す
る こ と も で き な い 。 仮 に あ る 制 度 が ZmE自己凹
一部は E田口守口市によって、
ZFg
れたことにはならない。周知のように、 そ の 制 度 が あ る 法 律 に よ っ て 規 律 さ れ て い る 場 合 に も Z包
われるからである。有効な婚姻の要件は、
5 5 2田
ト ゥ ス の 立 法 、 と り わ け 姦 通 に 関 す る ユ リ ア 法 に よ っ て 決 め ら れ て い た 。 と こ ろ が 、 古 来 の 自 己 コ50ロ
EE
の 概 念 規 定 に お い て も 、 法 学 提 要 の 中 に 伝 え ら れ て い る B巳ユBOECBEE
由 B の概念規定においても、これらの法
律はまったく考慮されていないのである。ウルピアヌスの時代には少なくとも、最低ユリア法やパピア法が決めている
要件に合致している婚姻だけが有効とされたにもかかわらず、 である。
EBから出生した子は親の権力に服する。呂田Z55伊丹コヨoロ
25の要件は、婚姻を
53同
ロ5 ・︿ゲドωLEES自己E50ロ
約束した男女のあいだに婚姻権があること、男は成熟期に、女は適齢期に達していること、双方が自権者である場合は両者が、
他権者である場合は両親が婚姻に同意していることである。婚姻権とは、呂田によって妻をめとる権能である。
北J
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ロ ー マ で は 、 法 学 者 も 非 法 学 者 も 、 婚 姻 を ヨ 旦 コ ヨoロ
EHFE22 ロ
C15∞ と 呼 ん で い た 。 こ れ と 並 ん で
EZEZ∞肉片付片岡ロ2 ・5EZEoEzszmFtHHgBという表現もみられるが、日叩性tE5と い う 形 容 詞 が 専 門 用 語 の 中 で
B Eコ日oロE52zzg と自己ユ目。ロEBZE丘自己ロ
法曹法の歴史的基礎づけ(1)
説
三ι
伝聞
ウルピアヌスがユリア法とパピア法を扱っているのはまったく別の場所である。
g
立
S5・ M内︿同 N一夫婦の一方が他方から遺産を受け取らない場合いがある。すなわち、ユリア法およびパピア・ポッパエア法
に違反して婚姻が結ぼれた場合、たとえば、生来自由人が︹娼婦、その周旋人、姦通者のごとき︺下品な女と結婚した場合、
あるいは元老院議員が被解放女性と結婚した場合である。
有効な婚姻の要件を論じる際にユリア法やパピア法が考慮されないのは、 エールリッヒによれば、有効な婚姻の要件に
関 す る 規 定 が 古 来 の 慣 習 法 、 す な わ ち 専 門 用 語 と し て の E田
口HSZであったからである。
と こ ろ で 、 自 己 ユ 自oECE 呂田E Bが E白色iz上 有 効 な 婚 姻 で あ り 、 法 律 の 規 定 に 関 係 し な い 婚 姻 で あ る と す れ
ば 、 自 己H
a
H
B
OロEB]由性江自己目は E 白 丘 三 宮 上 有 効 で あ る だ け で な く 法 律 上 も 有 効 で あ る 婚 姻 で は な い か 、 場 合 に
よっては、法律だけに合致する婚姻ではないか、という想定が容易に可能である。実際、離婚に関しては少なくとも、
す で に 掲 げ た 法 文 に お い て E田 口 守 口 叩 と 法 律 が そ の 意 味 で 対 置 さ れ て い た 。 婚 姻 そ の も の に つ い て は ロσOEmog中
門吉田吉田 2izρEgmEとロσ叩江田2cE古BYE-恒常国心己gmEが次の法文において区別されている。
︿ mw3 5∞
(dqgロロ田)い︹この子は)これらの法律︹ユリア法とパピア法︺によって吉田吉田︹な婚姻から生まれた子︺で
・
仲 ・
・
あるとみなされる、と考える者もいる。神皇マルクス帝とルキウス帝もアプロニウス・サトゥルニヌスに対して次のように勅
答している。﹁汝は汝がこれらの法律により三人の宮田吉田︹な婚姻から生まれた︺子をもつことを証明しているが、もっとも
すぐれた男である法務宮マニリウス・カルボ lは汝の︹後見人の︺免除を許すであろう﹂と。しかし、この勅法が﹁E由吉田︹な
婚姻から生まれた子︺﹂といっているのは、三回 23Zによって︹Zmzmな婚姻から生まれた子であると︺みなされる子のこ
とであると考えなくてはならない。
包 O円 HNO
・0﹃
( 叩 叩 ) 。 貯 叩 円0
北法 4
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Papinianus),D
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有名門EBEm巳izの前史推定
円
EmnZHZには数えられない
EEOEE吉寸ロ2 日 を 意 味 す る こ と が し ば し
Emが そ れ 以 外 の 種 類 の 裁 判 所 を 表 わ す
江口白色町田門品ロロ三日 e NN
同州﹃ H20
ハ被告が、この訴訟は適切な時期に提起されていない、あるいは原告は︹訴権をもたないから︺
変更されるべきである、あるいは審判人が変更されるべきである、と主張する場合、論点は可同ロ己主芯にかかわる。ギリシア
人は︹書面の解釈が問題になる︺論点の中の可州自己主5 の部分をEEnEBで扱う。我々はこの部分を呂田[丘三 o
] で扱うの
が普通であるが、宮円四回2zgで扱うこともある。たとえば、国家が所有する銀の壷を私有地からもち去ったとして横領罪で告
発された者は、窃盗とは何か、横領とは何か、をまず定義して、︹本件において原告は︺横領ではなく窃盗の訴権を用いなけ
ればならない、と主張することができる。このような場合には、次のような理由によって書面の解釈が問題になる論点のうち
続いて﹃へレンニウス弁論書﹄が考察される。
表現として用いられることはなく、逆に、吉田とE 仏丹江口E が対立物であると考えられていたことを示す史料がある。
以外で法務官の訴訟手続を模倣してつくられた裁判所を意味するようになる。
ばあるが、これに対して、呂田は法務官の面前で行なわれる通常訴訟手続(とくにその場所)を意味し、後にはローマ
次 の こ と を 指 摘 す る 。 周 知 の よ う に 、 単 に EEicEといわれるとき、
エールリッヒは、キケロ以前の史料がない状況にもかかわらず、宮田丘三Z の 前 史 を 推 定 し よ う と す る 。 ま ず 最 初 に
gzgzd﹃の関係に相当し、名誉法は第三のカテゴリーである25q に該当する。
るgBBOロ︼仰ぎと回
る。ェ lルリッヒによれば、ローマ法における百回 22Zと 法 律 、 元 老 院 議 決 、 勅 法 の 関 係 は 、 い わ ば 、 英 米 法 に お け
こと、第三に、呂田丘三日唱の対象は法学者の活動(証書作成、解答、訴訟行為)が及ぶ範囲に限られていたこと、であ
習法を意味すること、第二に、これに対して法律、元老院議決、勅法は、名誉法と同様、
田 22Zは 法 学 、 法 曹 法 、 慣
エールリッヒは、前節までの叙述から次のことが明らかになった、とする。第一に、 呂
'
戸
.
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北法 4
1(
3・
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1
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2
法曹法の歴史的基礎づけ(1)
同
-巳5 の部分が稀に百円rnEBで扱われることがある。すなわち、恒三5 胃FZEにおいては、抗弁が法務官によって
の可胆ロm
ouzEFgにおいては、被告に有利なように、
承認されていて、原告は訴権をもっていなければ敗訴するのに対して、。ロ忠由t
原告についての審理、すなわち原告が訴訟を提起することが許されるか否か、の審理があらかじめ行なわれる、と法律が決め
ているからである。
ruzE55
キケロの﹃案出論﹄の次の箇所は、﹃へレンニウス弁論書﹄のこの箇所と密接に関連していることが明らかである。
︻同
z
m
のな叩﹃ 0・
ロ印 4・印?訴訟の変更ないし移送が必要と考えられるのは、原告が訴権をもたない場合、被告が適切で
ない場合、裁判所に管轄がない場合、︹原告が主張していることを︺法律が規定していない場合、︹原告が主張する︺罪や罰が
FO可gmgtg と呼ばれる 0・
適切でない場合、適切な時期に訴訟が提起されていない場合である。この間題は85吾E
我が国では通常、比較的稀にしか可胆ロ凹Ftoの問題が法廷で論じられない。それは、一つには法務官が定めた抗弁によって多
くの訴訟が排除されるからであり二つには適切なやり方で訴訟を提起しなかった原告は敗訴すると EmnZ己申が決めている
からである。それゆえ︹この宵日ロ包己怠の問題は︺宮町で扱われるのが普通である。すなわち、
では抗弁が出され、原告
に訴訟能力が与えられ、宮内虫色ロ日間EZEB において必要とされるすべての書式が作成される。稀に可胆ロm
gzo の問題が
Z 525において論じられることもあるが、事柄の性質上その問題自体から確定的なことがわからない場合は、骨円笹田己主5
の問題はそのほかの ggEEFO を論じることによって決定される。たとえば、ある者が ESECB で毒殺の罪で告発され
たが︹告発状には︺﹁親殺しの罪により﹂と書かれていた、という事件が特別訴訟手続に移送されたが:::。
﹃ へ レ ン ニ ウ ス 弁 論 書 ﹄ と ﹃ 案 出 論 ﹄ を 比 較 し て ま ず 最 初 に 眼 に つ く こ と は 、 前 者 に お い て は 吉 田 丘 三Z が EEnEB
口
。E Eは 対 置 さ れ て い な い 。 し た が っ
E田口同三戸市と E門
に 対 置 さ れ て い る の に 対 し て 、 後 者 に お い て は Em が 苫 佳 江 口 自 に 対 置 さ れ て い る こ と で あ る 。 し か し 、 そ の 直 前 の
﹁:::と呂田口守口叩が決めているからである﹂という部分では、
z
m
n
p﹂江戸市はE田
に お い て 適 用 さ れ る 法 だ け を 意 味 し 、 宮 田 で は Em 丘 三 宮 が 決 め て い る よ う に 訴 訟 を 提
て、宮田と呂田丘三円。が同じ意味で用いられていると想定することはできない。しかし、次のような想定は可能である。
すなわち、
北法4
1(
3・
5
3
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1
0
3
5
見
吾
面岡
A
起 し な け れ ば 敗 訴 す る 、 と い う 想 定 で あ る 。 つまり、﹃へレンニウス弁論書﹄と﹃案出論﹄とでは Em 丘三Z の意味が
EF25 に 対 置 さ れ る ﹁ 法 務 官 の も と で 行 な わ れ る 法
異 な っ て い る の で あ る 。 前 者 に お け る Em丘三日目が E EE
の B宮j
z
m
o守口∞の多義性をここでも確認することができる。
廷 手 続 ﹂ を 意 味 す る の に 対 し て 、 後 者 に お け るE 凹2三日叩は E聞 に お い て 判 決 が 宣 言 さ れ る 際 の 規 準 と な る ﹁ 法 曹 法 ﹂
を意味する。
虫
色E出
これに対して、﹃案出論﹄以外の著作においては、百回 22ZとE門
回
)
ロEF25 の 対 立 が 比 較 的 し ば し ば み ら
れる。
唱 明U
そのほか無数の Zmg
z
m
Qno吋O噌宮︿∞円252to-HHHO 5∞一ウォコニア法には﹁なすべきである﹂﹁なすべきであった﹂という表現はない。いか
・
∞
なる法律も過去︹の行為︺をとが
めることはできないからである。ただし、それ自体が有害で不正であるために、たとえ法律
で規定されていなくても何としても回避すべきであった事柄は別である。すなわち、いろいろな法律によって多くのことが禁
止されているが、法律が制定される前になされた行為は ZE25ロで審理されない。これに対して民会は、遺言と貨幣の偽造
に関するコルネリア法やそのほかの多くの法律において、新しい関係を何も規定せず、必ず不正であるとされる行為について
は一定の期聞をおいて民会が審理する、と規定している。しかし、ある者が宮田口守口帽について何か新しいことを定めた場合、
過去になされた行為のすべてが有効であるとは限らない、ということを彼は受け入れるであろうか。アティニア法、フリア法、
フスィア法、そして私が言及したウォコニア法について考えてみよ。これらの法律はすべて、あるいはそのほかの法律も、
asZにかかわっているのである。
宮内申田宏 Ezaizについては、別の箇所でも言及されている。
︻
﹃へレンニウス弁論書﹄と﹃弁論家論﹄と﹃ウェレス訴追論﹄ において Ema2Zと い う 表 現
Q25 円。∞色σoNH 一我が父祖逮のもとで、遺言に関するフリア法、妻の相続に関するウォコニア法、
222E52が規定された。
エールリッヒによれば、
は 同 じ も の を 意 味 し て い る と 考 え ら れ る 。 それは、 通 常 吉 田 と 呼 ば れ る 法 務 官 の 面 前 で 行 な わ れ る 訴 訟 手 続 で あ る 。
北法 4
1(
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1
1
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4
法曹法の歴史的基礎づけ(1)
すなわち、
﹁ある者が E田口守口∞について何か新しいことを定め
EB の区別と同じ意味で百田口守口四とE 門日付EB
﹃へレンニウス弁論書﹄の作者とキケロは、宮田とEE口
25での訴訟手続を区別しているのである。したがって、
UEσロ
た場合﹂という部分は﹁法務官の面前で行なわれる通常手続訴訟で判断される事柄について何か新しいことを定めた場
合﹂という意味であり、 umgP22 ロルヱロは﹁法務官の面前で行なわれる通常訴訟手続で判断される事柄にかかわ
る法律﹂という意味である。 アティニア法、 フリア法、 ウォコニア法はすべてこの種の法律である。﹃へレンニウス弁
論書﹄の作者とキケロが法務官のもとでの法廷手続だけを民事訴訟
Em にとっ
(H吉田口守口申)として考察しこれを EE口呂田に
EEnEBはほとんど法的に規律されてい
対置している理由は、 ほぼ自明である。すなわち、キケロの時代にはまだ、
ない陪審裁判であり、 そこでは、私人が法務官の命令に沿って証拠を評価し採用しなければならなかった。
て(リ法務官にとって)は、法律は判決の規準となるものであったが、百円口口2 5 にとって (H審判人にとって)は、
M回のい︿戸∞
法務官の命令が法律に優先するものであったのである。 エールリッヒは以上の考察を次のようにまとめる。 r
(川)
E Eが派生したのと同様に、
は本来、法務官のもとで行なわれる訴訟手続を意味し、苫︹位。E
Eucσ ロ
25 からE E口
Emは吉田丘三円。から派生した、と。
キケロがこの意味で吉田丘己ぽという表現を用いている例として、 エールリッヒはさらに次の史料を掲げる。
・門
エールリッヒはこの
ロ
口
市
吋 0r
amia--コ出口奴隷を売却する際に売主が︹買主に︺通知しなくてはならないのは、もしそれを通知しなければ
呂
田a
iz上売主が奴隷を引き取る義務が生じる回収庇だけか、それとも、︹その奴隷は︺嘘つきか、博打好きか、盗癖があるか、
酒好きか、ということまで通知しなくてはならないか。
stz(法学者)によって決められた﹁秘匿の罰金﹂が容易に想起されるが、
この箇所では、吉田
吉田丘三宮は﹁訴訟手続﹂という意味であるとする。
北法 4
1
(
3・
5
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5
説
民間
号A
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-
。520・官。。窓口恥口曲、
云
・ 4?ところで EmnF2Zとは何か。:::もし、手中物にかかわる法によって君の財産に属する物を
君が保持しうるか否か、が不確実であれば、また、呂田丘三Z が不確定であれば、また、国家が制定した法律によって他人の
権利から︹自分の権利を︺守ることができないのであれば、相続によって父から取得した建物や土地、あるいは別の方法で正
i---私のいうことを信じてほしい。
当に取得した物を所有するということは、︹君にと勺て︺いったいどんな意味があろうO
我々は誰もが少なからぬ相続財産を得ているが、︹実際に︺その財産を遺してくれた人からそれを受け取っているというより
も、法と法律からそれを受け取っているのである。すなわち、ある者は遺言によってある土地を私の物とすることができる。
しかし、もし吉田 2izがなければ、私は自分の物となったその土地を保持することができない。父は土地を遺贈することが
できる。しかし、土地の使用取得、すなわち、訴訟の不安と危険の終わりを意味するものは、父ではなく法律の遺産である。
父は引水権、汲水権、通行権、放牧権を遣すことができる。しかし、これらのすべてに有効な権威を与えるのは宮町 2己芯で
ある。それゆえ、父祖逮から受け継いだもの、すなわち法という公の遺産を、君達は自分の私的な財産とまったく同様に注意
深く保持しなくてはならないのである。それは、呂田口HEZによって私的な財産が保護されているから、というだけではない。
財産を放棄しても一人が不利益を蒙るだけで済むが、法を放棄すれば国家は必ず大きな不利益を蒙るからでもある。
すでにみた﹃カエキナ弁護論﹄の用語法とは違って、この箇所では法学者のことは論じられておらず、したがって呂田
丘三ぽが法曹法を意味しないことは明らかである。前掲の笥所では、キケロは吉田丘三日叩を承認しようとしない者を論
駁して、法学者が正当ならば彼らに従わなくてはならない、といっている。この箇所では、キケロは一歩進んで、国家
にとって E田丘三Z が い か に 必 要 か 、 を 論 証 し よ う と し て い る 。 も ち ろ ん 、 そ れ は 容 易 な こ と で は な い 。 法 の 素 人 は 、
法学の必要性を簡単には受け入れないからである。しかし、キケロは法学の必要性を説く。ただ、法学がなければ国家
は存続しえないとは、法学者でさえも容易には考えられない。まして、キケロの弁論の聞き手は素人の裁判官である。
そこでキケロは、詑弁(キケロのソフィスト的なやり方は周知の事実であり、驚くにはあたらない)を用いる。すなわ
ち 、 我 々 は 相 続 財 産 をE凹 丘 三 宮 か ら で は な く 法 と 法 律 か ら 受 け 取 る 、 と い っ た 後 で 、 キ ケ ロ は E田丘三Z を 第 二 の 意
北法 4
1
(
3・
5
6
)
1
1
0
6
法曹 t
去の歴史的基礎づけ(1)
味、すなわち﹁法廷手続﹂という意味で用いる。法廷手続であれば、それは国家にとって必要不可欠だ、と容易にいえ
o
る 。 さ ら に 、 す で に み た よ う に 吉 田 丘 三Z に は ﹁ 法 律 行 為 ﹂ と い う 意 味 が あ る が 、 そ う す る と 呂 田 丘 三 宮 が 法 律 行 為
(H吉田の宮己申)によって獲得された権利の法廷手続 (HE田口守口市)における保護をも意味することは明らかである
E 白色2 Zは、ここではすべて﹁法曹法﹂ではなく﹁法廷手続﹂という意味で用いられている。詑弁を用いるキケロも
E聞の円三︼叩が
や は り キ ケ ロ で あ る が 、 重 要 な の は キ ケ ロ の 詑 弁 を 指 摘 す る こ と で は な い 。 キ ケ ロ が 法 律 を Emaiu に置き換えるこ
とをまったく思いついていない、ということが重要である。とくにそのことを示しているのは、﹁また、
不確定であれば、また、国家が制定した法律によって他人の権利から︹自分の権利を︺守ることができないのであれば
:﹂という部分である。
(川)
法 学 文 献 に お い て は 、 キ ケ ロ 以 降E由丘三芯は法廷あるいは法廷手続という意味では用いられなくなるが、非法学文
献においてはこの意味での Em丘三芯が二世紀に入ってもみられる。
siz と、﹁法学﹂という意味での E田24FZとに密接な
﹁法務官の面前で行なわれる法廷手続﹂という意味での呂田
関係があることは検証可能である。すなわち、第三節ですでにみたように、百田口守口。と呼ばれたのは﹁ロ l マ市民が
つまり、法務官の面前で行なわれる法廷手続
(HE田口守口市)にかかわる法学だけが Emgszと呼ばれたの
法を守り、法学を担い、訴訟を指揮・形成し、その結果法と法学と訴訟の区別はなくなり、すべてが一体的なものと考
えられる。 ローマでもまさにそうであったのである。この一体的な法を司っていたのは神官であるが、おそらく十二表
jヒ
法4
1(
3・
5
7
)
1
1
0
7
自己の財産を維持するために﹂役立つ法学だけであり、﹁ロ l マ 市 民 に か か わ る 訴 訟 に お い て ﹂ 通 用 す る 法 学 だ け で
る@た
法発展の初期の段階では、どの民族も法と法学と訴訟を区別しない。すべての法は慣習法であり、法を知る者は慣習
であ
あっ
説
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冊
吾d
込
法 制 定 以 前 か ら 、 宗 教 的 な 部 分 と 世 俗 的 な 部 分 (HEmnEHO) の 分 離 が 始 ま る 。 後 者 に 属 す る の は 、 慣 習 法 上 の 実 体
法と訴訟法、訴訟、法学、すなわち神宮の法活動のうちの世俗的な事柄を対象とする部分すべてである。この法はロー
マ市民間の訴訟に関係したために Em丘三Z と 呼 ば れ た 。 こ れ に 対 し て 法 律 お よ び 国 家 組 織 法 は 、 民 会 の 共 有 財 産 で あ
って神宮の法活動の対象ではなかったため、 Emn民主目とは呼ばれなかった。十二表法制定後も根本的な変化はなく、
Em丘三Z は 十 二 表 法 の 解 釈 と い う 形 式 を と る 慣 習 法 、 法 学 で あ っ た 。 法 が 世 俗 化 し た 後 、 証 書 作 成 、 解 答 、 訴 訟 行 為
という従来の法学者の活動領域に著作活動が加わるが、吉田丘三宮の内容にも名称にも変化はみられない。キケロ以降、
︿叩)
E回目仰の2 5か、 Em吉ZF25
法 廷 お よ び 法 廷 手 続 と い う 意 味 で の E田丘三Z は 姿 を 消 し て い き 、 帝 政 期 に は こ の 意 味 で の 吉 田 丘 三Z は み ら れ な く な
ヲ。。
百聞の同︿昨日∞は玉虫色の概念である。すなわち、対立物として何が考えられているか、
田F
O口OR
か
、 UH か、吉田内恒三E B か
、 吉
円 EB か 、 に よ っ て EmnEZの内容は変わる。しかし、﹃トピカ﹄の中で
O) の例として挙げていることは重要である。
キケロが E町内守口帽を列挙による定義(ガ ユ
m
wE
g
N
iz
QnR0・斗O宮
∞い定義には列挙による定義 QR55) と区分による定義(E220)がある。列挙による定義とは対象となっ
は法律、元老院議決、判決、法学者の権威、政務官告示、
ている事柄を構成部分に分けることである。たとえば、 Em 江
習律、衡平から成り立つ、と定義する場合がそれである。区分による定義は、定義される事柄の類に属するすべての穏を含む。
ペルニ lチェはこの宮田丘三日唱を﹁現行法﹂という意味に解するが、 エールリッヒはその説に反対する。 エールリッヒ
、 Eユ聞広三ロmm口広三百あるいは Em丘三宮仏222といわれる場合の吉田丘三日申と同様、
によれば、この呂田 25Zは
﹁法学﹂という意味である。そのことは、キケロが吉田口守口町を列挙による定義の例として挙げていることからわかる。
すなわち、列挙による定義とは、ある事柄を構成している要素を一つ一つ数えることであり、区分による定義とは、あ
北法 4
1
(
3・
5
8
)
1
1
0
8
法欝j
去の歴史的基礎づけ(1)
る一つの類に属する種を余すところなく数えることである。 Emn守口∞が﹁現行法﹂ であれば、キケロは吉田丘三ぽを
列挙による定義ではなく区分による定義の例として挙げて、法律以下、現行法の種をすべて数え挙げて現行法の概念を
定義したであろうが、キケロは E田口守口∞を列挙による定義の例として挙げている。そのことは吉田口守口 mが法学を意
味することを示している。キケロは﹁法学とは、法律、元老院議決、判決、法学者の権威、政務官告示、習律、衡平に
基礎をおくものである﹂といおうとしているのであろう。とくに、﹃トピカ﹄がさつと書かれた書物であることを考え
る
ム
﹂
、 山口田口守口曲が法学を意味することは十分考えられる。すなわち、キケロは、宮町丘三宮とは何か、を知らない人
にE田口守口∞の概念を説明しているのではなく、 トロ回口守口叩とは法学であることを知っていることが前提となっている
(帥)
田 OFiuはこの箇所では現行
ローマ人(トゥレパティウス)に列挙による定義の例を挙げようとしているのである。 吉
﹃トピカ﹄ のこの箇所
法を意味することを証明しようとすると、列挙による定義の例をこの箇所の中にみることができなくなってしまう。
ペルニ lチェはエ lルリッヒの﹃法源論﹄が印刷されているあいだに出た別の論文の中で、
の吉田丘三宮はロ!マ人がそれに従っていた法(現行法)であり、その法は法律以下のもので構成されている、と解す
る。ェ lルリッヒは﹃法源論﹄の巻末で、ペルニ!チェのそのような見解を再度批判する。
同
Q g﹃ タ 寸U
g
N∞・臼・区分による定義は、定義される事柄の類に属するすべての種を含む。:::したがって、類が例外なく区
OF
分されたもの、それが種である。たとえば、呂田を法律、習律、衡平に分ける場合がそれである。
ぺルニ lチェは、前掲の箇所では﹁現行法﹂が問題になっているのに対してこの箇所では ﹁法﹂そのものが問題になっ
ている、と考えることによって二つの箇所を調和させようとするが、エールリッヒは、ペルニ lチェは列挙による定義
と区分による定義の違いを見落している、とする。すなわち、この箇所では、法律、習律、衡平が E凹という概念の
種(門司自由・ 4 2芯白)として挙げられているのに対して、前掲の箇所では、法律、習律、衡平(さらに元老院議決、
北法4
1(
3・
5
9
)1
1
0
9
説
論
判決、法学者の権威、政務官告示)が呂田丘三Z という概念の構成部分 QR田)として挙げられているが、そうする
と、吉田丘三Z (現行法)の概念は E回(法)の概念よりも単に狭いだけだ、ということはありえない。もしそうなら
rH
田
口
凹
己
申
H4
キケロは構成部分と種を同じものとして扱っているはずであるが、実際は、キケロ自身が両者の混同を戒めているか
らである。したがって、 呂田丘三Z は Em とはまったく別のカテゴリーに属する概念である。すなわち、
は法学であり、法律、元老院議決、判決、法学者の権威、政務官告示、習律、衡平は法学の構成部分である。呂田は現
行法であり、法律、習律、衡平は現行法の種である。このような考え方に対しては、法律、元老院議決、告示、か E
口同三宮に含まれているではないか、 という反論が容易に可能であるが、 エールリッヒは次のようにいう。すなわち、
うまでもなく法学は自らの﹁構成部分﹂に﹁基礎をおく﹂ことはできない。しかし、﹃卜ピカ﹄はキケロの友人であり
法学者であるトゥレパティウスに捧げられた書物であり、列挙による定義と区分による定義はキケロが法学の問題に適
用しようとした修辞学上の証明の種類である。すなわち、 官、日とは対象物を構成している部分ではなく、概念規定の
個々の要素、つまり弁論家が立証する個々の部分である。キケロはこの意味で﹁列挙による定義とは対象となっている
事柄を構成部分に分けることである﹂といっているのである。したがって、﹁ Em丘三円。は法律、元老院議決、判決、
法学者の権威、政務官告示、習律、衡平から成り立つ﹂という部分は、﹁ Em丘三宮は法律、元老院議決、判決、法学
者の権威、政務官告示、習律、衡平の学問的な加工である﹂と翻訳することができる、と。
(田)∞・白色・
H・
H-HH(pgzm)一Em ︹という用語︺は呂田(判決)が宣言される場所の意味でも用いられる。
(船)ロ(引)∞・白色・エlルリッヒが引用する司ZEE- 冨ggnF522を参照。
北法 4
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