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「ECONOトリビア」QWERTY記事顚末記 - 漢字情報研究センター

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「ECONOトリビア」QWERTY記事顚末記 - 漢字情報研究センター
Vol.2015-CH-106 No.2
2015/5/16
情報処理学会研究報告
IPSJ SIG Technical Report
「ECONO トリビア」QWERTY 記事顚末記
安岡 孝一1,a)
概要:「パソコンのキーボードのキーの配列が不自然だと思ったことはありませんか」から始まる読売新
聞記事 (2015 年 3 月 2 日) に反論を試みた.記事のごく一部は訂正されたものの,反論の大部分は徒労に
終わり,
「連続して打つ頻度の高い文字を遠ざける並び方に変えた」というガセネタが,再々流布される結
果となった.このような局面において,人文情報学に何ができるのか,問題提起と考察を試みる.
キーワード:人文情報学,キー配列,タイプライター,所在目録
図 1 2015 年 3 月 2 日読売新聞 (大阪版) 朝刊「ECONO トリビア」
1
a)
京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター
[email protected]
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情報処理学会研究報告
IPSJ SIG Technical Report
写真のタイプライターが「1874 年製」というのは,菊
1. コトの発端
武学園に取材して確認した.ただし,あくまで電話取
2015 年 3 月 2 日の読売新聞大阪版 (第 22277 号) 朝刊 p.7
材であって,実機は見ていない.写真も菊武学園に
に,図 1 の記事が掲載されているという連絡を,とある
送ってもらった.
方々からいただいた.連絡して下さったのは,拙著『キー
タイプライター製造会社の「レミントン」は記憶に
ボード配列 QWERTY の謎』[1] の読者の方々で,かなり
あったが,書くのを忘れてしまった.その結果「ショー
憤慨のご様子.確かにこの記事,ざっと読んだだけでもガ
ルズが製造し,1874 年に発売」という誤った文章に
セネタのオンパレードで,人文情報学を標榜する筆者とし
なった.
ても看過できない.まずは筆者の WWW 日記 [2] で,当該
「連続して打つ頻度の高い文字を遠ざける並び方に変
記事の問題点をざっと指摘した.
えた」については,冒頭に「諸説ありますが」と断り
2. 読売新聞記者の釈明
を入れている.
「親指シフトキーボード」は,日本のキーボードの一
指摘の旨を読売新聞に伝えたところ,読売新聞大阪本社
種として紹介した.QWERTY と対比したわけではな
経済部の船木七月と名乗る記者から,筆者のところに釈明
く,
「親指シフトキーボード」の英文が QWERTY だっ
の連絡があった.釈明は多岐に渡っていたが,要約すると
たことも承知している.
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図 2 菊武学園所蔵の Sholes & Glidden Type-Writer を上から見た際の活字棒 (ハンマー) 配置とキー配列
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←ラインフィー
ド・ホイール
←キャリッジ
リターン・
レバー
図 3
菊武学園所蔵の Sholes & Glidden Type-Writer [3]
(写真は菊武学園提供)
とのことだった.筆者個人としては,
は許せるものの,
はあまりに杜 な取材で許しがたい.実機を取材してい
ないとすると,いくら筆者が「その写真のタイプライター
のタイプバスケット,E のハンマーと R のハンマーが,5
を挟んですぐそばにあったでしょ,私も以前チェックした
んですよ.E と R は連続して打つ頻度が高いのに,キー
ボード上も遠ざかっていないし,ハンマーも近くにありま
す.その写真を出す以上,少なくとも E と R に関して,
は明らかに間違いです」(図 2) とか諭しても,この記者に
は全く理解できないのだ.トリビアが聞いてあきれる.
3. 反論記事の検討
釈明の
を何とかすべく,図 1 の記事に対する反論
記事を,筆者自身が書いてみることを考えた.以下は,反
図 4 Sholes & Glidden Type-Writer 初号機 [4]
論記事の検討過程の概要である.
に関して,検討してみよう.菊武学園所蔵の
に関しては,1874 年製のタイプライターを,ショール
Sholes & Glidden Type-Writer は,キーボード上に£ (ポ
まずは
ズ (Christopher Latham Sholes) 本人が製造したという話
ンド) がある.その意味では英国輸出仕様であり,代理店
は無い.1878 ないし 1881 年製であっても,E. Remington
が E. and T. Fairbanks & Co. に移った 1878 年 7 月以降
& Sons で間違いない.この点に関して議論の余地は全く
のモデルだと考えられる.図 1 の写真および図 3 で確認で
ない.
きるとおり,筐体の向かって右側にキャリッジリターン・
に関して,検討してみよう.
「連続して打つ頻度の高
レバーとラインフィード・ホイールがあって,美しい装飾
い文字を遠ざける並び方に変えた」というネタは,少なく
を施したいわゆる「デコレーション・モデル」(1878 年以
とも E と R に関しては間違いだ.あるいは,I のキーが 8
後発売) である.一方,M や C や X のキー位置は,1882
のそばに移ってきたのは 1871 年頃のこと (図 5) だが,当
年 8 月以前のもの (図 5) である.筆者の記憶が確かなら,
時,連続して打つ頻度の高かった I87I をむしろ近づけて
菊武学園のマシンにフットペダルはなく,その点でも 1874
いる.I を 1 として使っていたからだ.他のキーや活字棒
年製ではない.これらの内容を勘案する限り,菊武学園の
(ハンマー) に関しても,以前,詳細に検討 [5] したとおり
Sholes & Glidden Type-Writer は,1878 年から 1881 年の
で,
「連続して打つ頻度の高い文字を遠ざける並び方に変
間の製造と「推測」しておくべきだろう.また,反論記事
えた」は全くのガセネタと言っていいだろう.それぞれの
の説得力を考えた場合,1874 年製の「本物」の写真は必要
文字ごとに,移動した時期も違うし,理由も異なっている
だから,たとえば初号機の写真 (図 4) を入れる方がいい.
のだ (付録参照).ただ,それを短い新聞紙面で,はたして
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1868年11月
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1870年4月
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1872年7月
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1873年9月
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1874年4月
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1882年8月
図 5
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キー配列の変遷の概要 [1]
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3月2日の本欄に、1874
年のタイプライターと題する写
真が掲載されたが、私の見る限
り、このタイプライターは18
74年製ではない。キー配列だ
けを見ても、Aの左に£
︵㍀︶
が
あって英国輸出仕様。Cの右に
Xが、Lの右にMがあるので、
1878年から1881年の間
にE・レミントン&サンズ社が
製 造 し た も の だ と 推 測 さ れ る。
1874年製の﹁本物﹂の写真
を左に載せておくので、ぜひ比
較してほしい。
1874年製のタイプラ
イター=レミントンノー
ツ誌1913年4月号
反論 1874 年製ではない
現在のQWERTY配列が決
まったのも、1874年ではな
く1882年のことだ。ショー
ルズの特許を忌避するため、レ
ミントン社が1882年にタイ
プライターのキー配列を変更し
た。それが現在も使われている
QWERTY配列だ。﹁連続し
て打つ頻度の高い文字を遠ざけ
る並び方に変えた﹂というのは
全くのデタラメで、単なる都市
伝説に過ぎない。
この都市伝説を広めたのが、
ワシントン大学のドボラクだ。
1932年に開発した﹁ドボラ
ク配列﹂を普及させるため、こ
の都市伝説をばらまいてQWE
RTY配列を陥れた。﹁ドボラ
ク配列﹂が普及せずに都市伝説
だけが広まったのは、歴史の皮
肉と言えるだろう。
︵京都大学 安岡孝一︶
図 6 筆者による反論記事のゲラ原稿
読者に伝えることができるかどうか.このガセネタは,そ
しようとしなかったのは,筆者個人としては返す返すも残
もそもドボラックの論文 [6] その他の孫引きに過ぎないの
念だ.ただこれは,記者個人の資質というより,元記事 (図
だから,むしろドボラックを批判すべきではないか.
1) も訂正記事 (図 7) も無署名という事実や,議論中に漏れ
これら
に関する検討を,
「ECONO トリビア」の
聞いた出張費不足という現状から,読売新聞社全体の体質
フォーマットに入るよう,図 6 の形にまとめてみた.さら
なのではないかと考えられる.そのような「体質」に対し,
に,この反論記事を PDF 化して,3 月 4 日,船木記者に送
人文情報学は何ができるのか.
付した.
4. 訂正記事の掲載
ただ,送付しながらも「さすがにボツかな」という弱気
が,筆者自身にもあった.
「ECONO トリビア」は毎週月曜
日の連載なので,もう,かなり先まで予定が決まっている
ことだろう.次の連載日である 3 月 9 日に,筆者の反論記
事を割り込ませるのは,そもそもそれが反論記事であるだ
けに,非常に難しい気がしたのだ.
結局,3 月 6 日の読売新聞大阪版 (第 22281 号) 朝刊 p.34
に, に関する訂正記事として,図 7 の文面が掲載された.
や に関する議論は完全に無視する形であり,指摘をお
図 7
2015 年 3 月 6 日読売新聞 (大阪版) 朝刊「訂正 おわび」
こなった筆者としては悲しい限りだった.
読売新聞の記者が最後まで,菊武学園の実機を直接取材
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5. 人文情報学は何ができるのか
今回,筆者の不満は,まず第一に,読売新聞が菊武学園の
イプライターに関する調査結果を,筆者はもっと早くに公
開しておくべきだった.
さらにもう一歩進めるなら,菊武学園所蔵の Sholes &
実機を直接取材しなかったことに起因している.しかし,
Glidden Type-Writer のみならず,日本国内にある当時の
筆者はなぜそれを不満に感じるのか.この点を少し掘り下
タイプライターに関して,その目録を作り,各タイプライ
げてみよう.
ターに関する情報を発信すべきなのだ.つまるところ,タ
一般に言って,ガセネタに反論するのは難作業である.
たとえば,今回の
に反論するためには,菊武学園の実
イプライターに関する所在目録と解題を作成し,それを
WWW で発信するのが,人文情報学を標榜する筆者のな
機を見ておかなければならないし,年代の特定に際して
すべきこと,ということになる.正直なところ茨の道だ.
は,Hagley Museum & Library のレミントン・アーカイヴ
しかし,タイプライターに関わる人文情報学研究者が,国
ズ [7] での調査結果を動員する必要があった.実際,かな
内には (たぶん) 筆者しかいない以上,筆者がやるしかない
りの労力と根気,さらには知識を要する難作業である.そ
のだろう.
れに対し,ガセネタをばらまく方は気楽なものだ.電話取
6. おわりに
材やインターネットで得た情報を,裏取りもせずに書き散
らせばいい.この不均衡さ加減に,筆者の不満のタネが隠
一方で,
「諸説ありますが」を免罪符として認めない態
れている気がする.ありていに言えば,筆者がかなり苦労
度も必要だろう.特に図 1 の記事の場合,
「諸説あります
してガセネタに反論しているにもかかわらず,ガセネタを
が」と書いていながら,その「諸説」を並記しておらず,
ばらまく方は,全く何の苦労もなしにガセネタをばらまき
ガセネタだけをばらまく結果となっている.このような記
続けるのだ.確かにこれは,あまりにも不均衡である.
事に対しては,われわれ研究者は毅然とした態度を取るべ
では,読売新聞が,筆者と同等かあるいはそれ以上の労
力をかければ,筆者の溜飲は下がるのか.それも何か違う
きだ.その点で,今回の筆者の態度は,まだまだ弱腰だっ
たと反省することしきりである.
気がする.読売新聞に対して,そのような労力を強制する
スベがないし,強制する道理もない.やれと言ったところ
参考文献
で,やる可能性は低いし,まあ,やらないに決まってる.
[1]
よしんば菊武学園 (名古屋産業大学) を直接取材したとして
も,デラウェア州の Hagley Museum & Library にまで取
材に行くというのは,いくら何でも 14 字× 36 行の記事に
は見合わない.労力の強制は,本質的に無理がある.
[2]
[3]
[4]
ならば,どうすればいいのか.人文情報学にできること
はないのか.
[5]
目指すべきことの一つは,ガセネタをガセネタとしてわ
かってもらえる社会状況の確立だろう.新聞記事にガセネ
[6]
タが掲載されても,読者が全く されないのならば,別に
何の不都合もない.ガセネタを流した新聞の方が,笑いも
[7]
のになるだけのことだ.そういう社会状況ならば,筆者と
しても,せいぜい WWW 日記で軽く指摘しておけばいい.
しかし,ガセネタをガセネタとしてわかってもらえる社会
[8]
状況には,どうすれば到達できるのか.100%は無理とし
安岡孝一,安岡素子: キーボード配列 QWERTY の謎,
NTT 出版 (2008 年 3 月).
安岡孝一: 読売新聞と QWERTY 配列 (2015 年 3 月 2 日).
<http://slashdot.jp/~yasuoka/journal/590418>
タイプライタ博物館,菊武学園 (1999 年 1 月).
“The Ancestor of Them All, Model 1 Remington—Serial
No.1,” Remington Notes, Vol.3, No.2 (1913 年 4 月),
pp.13-14.
Koichi Yasuoka and Motoko Yasuoka: “On the Prehistory
of QWERTY,” ZINBUN, No.42 (2011 年 3 月), pp.161174.
Willis L. Uhl and August Dvorak: “Cost of Teaching
Typewriting Can Be Greatly Reduced,” The Nation’s
Schools, Vol.XI, No.5 (1933 年 5 月), pp.39-42.
“Sperry Rand Corporation. Remington Rand Division
Records, Subgroup III. Advertising and Sales Promotion
Department” (1830∼1975 年), Manuscripts and Archives
Department, Hagley Museum and Library.
C. Latham Sholes: Improvement in Type-Writing Machines, U. S. Patent, No.207559 (1878 年 8 月 27 日).
ても,せめてそのような社会状況を目指すには,どのよう
付
な手立てが有り得るのか.
録
で言えば,菊武学園所蔵の Sholes & Glidden
1868 年 11 月から 1882 年 8 月にかけて,キー配列上の
Type-Writer に関する調査結果を,筆者が積極的に公開し
各アルファベットがどのように移動したか,図 5 に即して
ていれば,結果は違っていたように思える.そうすれば,
述べる.ただし,各文字の移動理由は,必ずしも確定でき
読売新聞がガセネタを流しても誰も
ているわけではないし,そもそもキー配列の変遷が一本道
今回の
されなかっただろ
うし,あるいは,そもそもガセネタ記事など書かなかった
ではない (枝分かれが有り得る) 点に注意されたい.また,
かもしれない.しかし現状では,菊武学園も筆者も,当該
各文字の移動の時間的前後関係も,必ずしも確定できてい
Sholes & Glidden Type-Writer に関する情報を,ほとんど
るわけではないが,図 8 に筆者の推定を示しておくので参
発信していない.これではガセネタも流れ放題だ.当該タ
考にされたい.
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A の移動 もともと左端にあった A は,1870 年に母音の
字ずれて,現在の位置に収まった.
一つとして上段に取りだされたものの,1871 年頃に中
Q の移動 Q は,1871 年頃,上段左端に新設されたキー
段の左端に戻っている.アルファベットの最初の文字
に移動している.N の移動との前後関係が不明で,Q
であるがゆえに,左端に置くべきだとされた,と推測
される.
の移動の理由も筆者には確定できていない.
R の移動 R は,1871 年頃,N と Q の移動にともなって,
B の移動 B は 1871 年頃に,A に追い出されて,T の跡
右に二文字ずれている.その後 1873 年頃,ピリオド
地へと移っている.V の右横に来たのは,偶然かもし
との交換で上段に移動しているが,これはむしろ,ピ
れず,あるいは何か意図があるのかも知れないが,筆
リオドなどの約物を右下に集める意図があったと考え
者には確定できていない.
られる.
C の移動 C は 1871 年頃に,S に追い出されて下段へと
S の移動 S は,1871 年頃,Z と E の間に移動している.
移っている.さらに 1882 年には,ショールズの特許 [8]
当時のアメリカン・モールス符号では,
「Z」は「· · · ·」
を忌避するため,X と入れ換えられているが,この結
で表されており,
「SE」と区別がつきにくかったこと
果,C と D と E は,ほぼ一直線に並ぶ形となっている.
から,次の文字が送られてきた段階で「Z」もしくは
D は移動していない
E の移動 E は,1870 年に母音の一つとして上段に取りだ
された.その後は移動していない.
「SE」を速く打つために,S を Z と E の間に移動した
と考えられる [5].
T の移動 T は,1871 年頃,上段の真ん中に移動してい
F は移動していない
る.これは,T が子音の中で最も使用頻度の高い文字
G は移動していない
だったから,だと考えられる.
H は移動していない
I の移動 I は,1870 年に母音の一つとして上段に取りだ
された.1871 年頃に,8 のそばへと移動しているが,
これは当時 I を 1 としても使っていたことから,連続
U の移動 U は,1870 年に母音の一つとして上段に取り
出された.1873 年には O に追い出されて,I の左横に
移動するが,1874 年には Y の移動により,U は右に
一文字ずれている.
して打つ頻度の高かった I87I を近づける意図があっ
V は移動していない
たと考えられる.1874 年には Y の移動により,I と 8
W の移動 W は,1871 年頃に X に追い出されて,A の跡
は少し離れてしまうが,1882 年には数字全体が動くこ
地に移動している.W が半母音であることが移動の理
とで,I と 8 の関係が復活している.
J は移動していない
由かもしれないが,筆者には確定できていない.
X の移動 X は,1871 年頃に C に追い出されて,右に一
K は移動していない
文字ずれている.さらに 1882 年には,ショールズの
L は移動していない
特許 [8] を忌避するため,C と入れ換えられているが,
M の移動 ショールズの特許 [8] を忌避するため,1882
年,N の右横に移動した.
N の移動 もともと右端にあった N は,1870 年に下段の
この結果として元の場所に戻っている.
Y の移動 Y は,1870 年に母音の一つとして上段に取り
出された.1871 年頃,I に追い出されて,左に一文字
右端に行くものの,1871 年頃に下段の真ん中に移動し
ずれている.1873 年には U に追い出されて,P の右
ている.これは,N が子音の中で 2 番目に使用頻度の
横に移動するが,これに反対したショールズによって,
高い文字だったから,だと考えられる.
1874 年には元の位置に戻されている.
O の移動 O は,1870 年に母音の一つとして上段に取り
Z は移動していない ただし,Z と A を入れ換えたキー配
だされた.さらに,1873 年に I のそばに移動して来る
列が (あるいは枝分かれの途中に) 存在しており,Z が
が,これは当時,I を 1,O を 0 として使っており,数
左下の端から動かなかったかどうかは,必ずしも判然
字としても使う I と O を並べておく意図があったと考
としない.
えられる.1874 年には Y の移動により,O は右に一
文字ずれている.
P の移動 P は,1871 年頃,N の移動にともなって,下段
の右端に移動している.その後 1873 年頃,アポスト
ロフィとの交換によって最上段に追い出されそうにな
るが,さすがに最上段にアルファベットを置くのはバ
ランスが悪く,アンダーラインを追い出す形で O の右
横に収まった.さらに O と U と Y の移動により左に
一文字ずれるものの,1874 年の Y の移動で右に一文
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図 8 QWERTY 配列に至るまでの各文字移動の時間的前後関係
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