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歩行と小脳 - 日本機械学会
特集・歩 行 6 歩行と小脳 柳原 大 YANAGIHARA Dai/東京大学大学院総合文化研究科生命環境科学系 歩行において,1 つの肢の運動はいくつかの関節を含む多関節運動であり,さらにその多関節運動が複数の肢 で実行される.1 つの関節の動きといえども,主働筋,協働筋,さらに拮抗筋の協調した活動によって実現される ことを考慮すれば,歩行は多数の筋活動の時間・空間的パターンを同時並列的,かつ協調的に制御して,初め て円滑に遂行されるといえる.小脳は,歩行時における筋緊張の制御,肢運動の位相制御に関与し,それらを統 合した結果の肢間協調 (interlimb coordination) に中心的役割を果たしている.さらに重要なことは,小脳皮質 におけるシナプス可塑性を利用して外乱,外部環境の変化に対する適応性に貢献しているという,歩行の神経 生理学的研究の中では比較的新しい知見である.本稿では,歩行制御系の中での小脳の位置づけ,種々の遺 伝子変異マウスにおける小脳性歩行失調,ならびに動物およびヒトでの歩行の適応制御に関する研究動向を整 理し,概説する. copy として腹側脊髄小脳路 (ventral 1 歩行制御系における 脊髄小脳ループ spinocerebellar tract;VSCT)を介し て小脳に送られている.また,各種体 性感覚系の受容器由来の情報も,背側 小脳は,吻尾側方向,すなわち体軸 脊髄小脳路 (dorsal spinocerebellar の前後方向において大きく 3 つの領域 tract;DSCT)を介して小脳にフィー に分類され,最も正中に位置する虫部, ドバックされている.苔状線維系とし その外側の中間部 (傍虫部) ,半球部か て小脳皮質に送られてくるこれらの情 ら構成される.これらのなかで,虫部 報は,顆粒細胞-平行線維を経由して と中間部は脊髄小脳 (spinocerebel- プルキンエ細胞に伝達される.プルキ lum)とも呼ばれているとおり,脊髄 ンエ細胞は,この苔状線維系の入力を との入出力関係が強く,歩行の制御系 小脳皮質からの出力として変換し,小 において,いわゆる脊髄小脳ループ 脳核,脳幹下行路のニューロンを介し (spinocerebellar loop) を形成してい て脊髄内のニューロン活動を調節して る(図 1 A) .歩行におけるリズムパタ いる.DSCT が,小脳に苔状線維系入 ーンの生成は,脊髄内に存在する歩行 力として,どのような情報を encode パターン生成機構 (central pattern しているのかについては,最近,Bos- generator;CPG) (特 集 1: 高 草 木 の co ら2)によって新しい知見が提出され 稿を参照)によるが,歩行中,脊髄の た.彼らは,除脳ネコの中脳歩行誘発 CPG の活動に関する情報は efference 野(MLR)の刺激によるトレッドミル 1) Key words 小脳 脊髄小脳路 脊髄・下オリーブ核小脳路 肢間協調 splitbelt treadmill 長期抑圧 BRAIN MEDICAL Vol.19 No.4 2007-12 49(349) 特集・歩 行 歩行中の DSCT ニューロンの活動の A 記録を行い,これらのニューロンの発 小脳皮質 虫 部 火活動が肢軸の向きや肢にかかる負荷 を表現している可能性を示唆している. 中間部 (傍虫部) すなわち DSCT は,小脳に単に末梢 感覚器の出力ではなく,むしろそれら 室頂核 外側前庭核 をより統合した情報を送っていると考 中位核 網様体 赤 核 腹側脊髄小脳路(VSCT) 背側脊髄小脳路(DSCT) 脊髄下オリーブ核小脳路 (SOCP) えられる. 歩行制御における小脳の機能を理解 するために,破壊や冷却などによって 生じる脱落症状,すなわち歩行失調や, 歩行中のプルキンエ細胞の発火活動を Central pattern generators 記録・解析することが従来行われてき た.主として,ネコを用いての急性, 亜急性あるいは慢性実験から提出され てきた実験結果は,現在でも歩行制御 運動ニューロンプール 運動指令 における小脳の役割を説明する際,大 変重要であり,本稿でも以下に簡潔に 求心性情報 説明しておく.歩行中の小脳前葉のプ 肢 ルキンエ細胞の発火活動の記録・解析 により,虫部および中間部のプルキン B B1(前肢) ゾーン B2(後肢) ゾーン エ細胞は,1 歩行周期中,発火頻度の 変調を示すことが明らかとなった3)-6). 小脳皮質の特定部位を局所的に冷却し, その領域の神経細胞の活動を抑止する 登上線維 プルキンエ細胞 と,特定の肢の屈曲または伸展が過度 に 生 じ る.Udo ら7)8)は, 歩 行 中 の ネ コの小脳皮質を冷却した際の歩行パタ ーンの変化を解析した.小脳皮質中間 外側前庭核 過屈曲を引き起こす.この際,同側前 下オリーブ核 左前肢 右前肢 左後肢 右後肢 正中 50(350) 部第Ⅴ葉の片側の冷却は,同側前肢の BRAIN MEDICAL Vol.19 No.4 2007-12 図 1 A:歩行制御に関わる脊髄小脳ループ B:虫部 B ゾーンのプルキンエ細胞と下オ リーブ核,登上線維系入力,外側前庭核へ の出力 肢の遊脚相が延長するので胴体は同側 そのものは,脊髄固有のニューロン回 じた運動応答が観察されず,左右の肢 に大きく傾き,同側から胴体を支持し 路,すなわち CPG によって生成され, 間での協調が生じない13).このような てやらない限り歩行を継続することが それが多数の運動ニューロンを活動さ 所見は,少なくとも脳幹・小脳が肢間 困難になる.また,虫部第Ⅴ葉の片側 せることによるが,小脳は脊髄から の協調性の制御に重要な役割を果たし を冷却した場合には,同側の前・後肢 種々の情報を受け取り,脳幹下行路を ていることを推測させる.胸髄 (T6-8) が過度に伸展したまま着地し,胴体は 介して脊髄内の神経回路を on line で で脊髄を切断した慢性脊髄ネコにおい 反対側に倒れやすくなる.この小脳皮 調節していると考えられる. ては,後四半部を自発的に支持するこ 質の冷却において観察された部位によ る相違は,虫部および中間部のプルキ ンエ細胞の出力先との対応で理解する 2 外乱に対する肢間協調と小脳 ことができる.虫部の正中に位置する A ゾーンにおいて,プルキンエ細胞 とができないが,トレッドミル上で歩 行を発現することができる.しかしな がら,前肢および後肢の歩行周期など のパラメータの変動係数は,脊髄切断 歩行中の一肢に外乱が加えられると, 前と比較して約 10 倍に増大する.ま の多くが,室頂核に投射し,さらに室 外乱が加えられた肢の歩行周期が外乱 た,前肢と後肢の接地のインターバル 頂核の出力は脳幹網様体および前庭神 前とは変化する.この外乱に対する運 も大きく変動し,前肢と後肢との協調 経核に投射する.A ゾーンの外側に 動応答は,外乱が加えられた肢のみな が著しく障害されることが判明してい 位置する B ゾーンのプルキンエ細胞 らず,その他の肢にも生じて各肢の歩 る14). ま た,English15) は, 脊 髄 の は, 外 側 前 庭 核 に 投 射 し て い る (図 行周期や肢間の位相関係が変化する. CPG の 活 動 に 関 す る efference copy 1 B).中間部の C ゾーンに位置する しかしながら,このような運動応答は, を 小 脳 に 送 る と 考 え ら れ て い る プルキンエ細胞の多くは,中位核に投 2~3 歩行周期の後では外乱が加えら VSCT の胸髄レベルでの破壊後に,前 射し,脊髄小脳ループの中においては, れる前の状態に戻る.この単発的な外 肢と後肢との位相関係が崩れ,前肢と 中位核から赤核への投射は重要である. 乱に対する一過性の運動応答は,肢間 後肢との協調が障害されることを報告 小脳虫部のプルキンエ細胞の出力先で の協調が外乱に応じて制御されること している.以上より,歩行における肢 ある外側前庭核ニューロンは,前庭脊 を顕著に示している.ネコの歩行中, 間協調 (interlimb coordination)に お 髄路を構成しているが,この外側前庭 接地相にある一肢に機械的刺激を与え いて,脊髄における神経機構だけでは, 核ニューロンは,歩行の接地相中に発 ると,その接地相は短縮される.この 少なくとも時間的 (位相的)に協調され 火活動のピークを持つような発火頻度 機械的刺激に対する応答は,正常無傷 た歩行は実現できず,脳幹および小脳 の変調を示す.また,この発火頻度の のネコ,除脳ネコ,脊髄ネコのどの歩 が重要な役割を果たしていると考えら 変調は伸筋の活動と関係づけられる. 行標本においても基本的な違いはない. れる. Orlovsky9)は,歩行中の外側前庭核ニ ここで,一肢が接地相にある時に刺激 ューロンの発火頻度の変調が,小脳皮 が加えられると,刺激が加えられた肢 質の除去によって消失し,さらに発火 の反対側の肢は遊脚相にあるが,正常 頻度が亢進することを示している.網 無傷のネコと除脳ネコでは,この反対 様体脊髄路を構成する網様体のニュー 側の遊脚相が刺激に応じて短縮され, ロンも,歩行の遊脚相中に発火活動の 接地が早められることにより両脚支持 とする分子生物学,遺伝子工学の急速 ピークを示すが,やはり小脳の除去に 相が確保され,スムーズな体重移動が な発展により,特定の遺伝子,蛋白質 より発火頻度の変調は消失する .以 行われる .しかしながら,脊髄ネ の変異・欠損が,小脳機能にどのよう 上より,歩行のリズムパターンの生成 コにおいては,反対側の肢に刺激に応 な影響を生じるのかについて調べる研 10) 11) 12) 3 種々の遺伝子変異マウスに おける小脳性歩行失調 遺伝子改変動物の作製技術をはじめ BRAIN MEDICAL Vol.19 No.4 2007-12 51(351) 特集・歩 行 究は,現在非常に盛んに行われている. まっすぐに歩行することができず,足 長期抑圧の欠損,軽微な歩行失調も生 動物種としてはマウスを用いるが,マ を引きずりながら歩く.回転棒課題に じており,回転棒課題での学習も障害 ウスにおける歩行の解析は,主として おいても,ほとんど棒の上で歩くこと されている21).PLC の活性化は,リン 後肢の足跡 (footprint)や 回 転 棒 課 題 が で き ず に す ぐ に 落 ち て し ま う16). 脂質を分解してジアシルグリセロール (rotating rod test)が簡便なためによ mGluR1 ノックアウトマウスでは,下 とイノシトール三リン酸の合成を促し, く用いられている.これらのテストか オリーブ核から発する登上線維とプル さらにプロテインキナーゼ C(PKC) ら, 運 動 の 協 調 性 (motor coordina- キンエ細胞のシナプスに発達異常があ の活性化を引き起こす.プルキンエ細 tion)を観測するわけであるが,たと る.幼若動物においては,プルキンエ 胞に発現している PKCγのノックア えば回転棒テストでの成績 (棒上での 細胞はいくつかの登上線維によって, ウトマウスでは,登上線維の多重支配 滞在時間,歩行時間および試行を重ね いわゆる多重支配を受けているが,発 の残存はあるが22),長期抑圧は正常に ることによる学習)が野生型マウスと 達に伴って余剰な登上線維シナプスは 生じる23).この PKCγノックアウトマ 比較して著しく悪いとしても,歩行に 除去され,成熟後は,1 つのプルキン ウスは軽微な歩行失調を有しており, おけるどのような協調性が損なわれて エ細胞は 1 本の登上線維によって支配 回 転 棒 課 題 で の 学 習 も 生 じ な い23). いるのかを明らかにすることはできず, される.ところが,mGluR1 ノックア Chen ら23)は,mGluR1 ノ ッ ク ア ウ ト 歩行運動の厳密な解析とは言いがたい. ウトマウスでは,成熟後もプルキンエ マウスや PKCγノックアウトマウス しかしながら,特定の遺伝子・蛋白質 細胞に対する登上線維の多重支配が残 における歩行失調や回転棒課題での学 の機能を,スライス標本あるいは培養 存してしまう .mGluR1 を介した細 習障害の原因は,両者の間に長期抑圧 標本での電気生理学的解析による生理 胞内信号伝達系の起点として,G 蛋白 の障害の有無が認められるので長期抑 機能と照らし合わせながら考察できる 質αサブユニットの活性化があるが, 圧ではなく,一方,登上線維の多重支 という点では非常に有用であり,特に プルキンエ細胞には Gαq と Gα11 が 配の残存は,両方のノックアウトマウ さまざまな疾患における歩行失調の解 発現している.Gαq ノックアウトマ スともに観察されることから,歩行の 明という点では,これからより重要性 ウスでは,登上線維の多重支配の残 協調制御に必要な登上線維入力が混乱 が増してくると考えられる.本稿では 存 ,長期抑圧の欠損が観察され , している可能性があり,これが歩行障 与えられた紙面の都合上,特に小脳の 歩行失調も観察される.回転棒課題に 害の原因と推測している. シナプス可塑性に関連する受容体蛋白 おいてもすぐに落ちてしまい,成績の 17) 18) 19) 上述してきたノックアウトマウスで 質などのノックアウトマウスの歩行失 向上は生じない 18) 19) .Gα11 ノックア は,体のすべての細胞で標的としてい 調について以下にまとめ,脊髄小脳変 ウトマウスでは,長期抑圧の発現は正 る遺伝子が欠損する.通常,標的とし 性症モデルマウスなどの歩行失調など 常野生型と比べて減弱しているが,回 た遺伝子(蛋白質)は,脳のさまざまな は別の機会とさせていただく. 転棒課題においては,野生型と同様に 部位,多種類の神経細胞に発現してい 代謝型グルタミン酸受容体 1 型 成績の向上が認められる .G 蛋白質 る場合が多いので,限られた神経回路 (metabotropic glutamate receptor αサブユニットの活性化は,次にホス の中での電気生理学的データと個体レ subtype 1;mGluR1)は,小脳プルキ ホ リ パ ー ゼ C(phospholipase C; ベルでの運動・行動とを直裁に議論す ンエ細胞に強く発現し,平行線維-プ PLC)の活性化を引き起こす.小脳前 る の は 危 険 で あ る. そ の 意 味 で は ルキンエ細胞シナプスにおける長期抑 葉のプルキンエ細胞には,PLCβ4 が mGluR1 も例外ではなく,小脳プルキ 圧の発現に必要である.この mGluR1 強く発現しているが,このノックアウ ンエ細胞のみならず,脳,脊髄のほか のノックアウトマウスでは,小脳スラ トマウスでは,登上線維の多重支配の の部位(たとえば海馬,視床,脊髄運 イス標本での長期抑圧が欠損しており, 残存が前葉に高い頻度で観察され , 動ニューロンなど)にも存在するので, 52(352) BRAIN MEDICAL Vol.19 No.4 2007-12 19) 20) mGluR1 のノックアウトマウスのデー ー マ ウ ス)を 作 製 し た(図 2 A)24). ていたが,mGluR1 レスキューマウス タのみから小脳と歩行失調との関係を mGluR1 レスキューマウスでは,長期 では,野生型マウスと同様に,左右対 議論することは完全ではない.そこで 抑圧も正常に発現し,登上線維の多重 側肢の間の位相関係に障害は観察され われわれの研究グループでは,小脳プ 支配の残存もない.われわれは,野生 ず, 円 滑 な 歩 行 が 行 わ れ た(図 2 B) . ルキンエ細胞特異的に発現する L7 プ 型,mGluR1 ノ ッ ク ア ウ ト マ ウ ス, また,トレッドミル歩行の場合,各肢 ロモータによって mGluR1cDNA を発 mGluR1 レ ス キ ュ ー マ ウ ス に つ い て, の歩行周期はベルトの速度に対応して 現するトランスジーンを mGluR1 ノ トレッドミル歩行時の四肢の動作解析 一律に変化し,ベルトの速度(すなわ ックアウトマウスに導入し,体細胞の を行った .mGluR1 ノックアウトマ ち,歩行速度)が速くなれば逆に歩行 中 で プ ル キ ン エ 細 胞 だ け が mGluR1 ウスにおいては,前肢,後肢ともに左 周期は短縮されるという反比例の関係 を発現するマウス(mGluR1 レスキュ 右対側肢の間の位相関係が著しく崩れ を 呈 す る. 野 生 型 マ ウ ス と mGluR1 B a Number 20 15 10 10 5 5 0 0 90 180 270 mGluR1(−/−) 0 360 0 20 15 15 10 10 5 5 0 20 c Wild-type 15 20 b Forelimb 20 0 90 180 270 mGluR1 rescue 0 360 0 20 C Hindlimb Wild-type 800 400 200 90 180 270 360 mGluR1(−/−) 90 180 270 360 mGluR1 rescue 0 800 400 200 0 800 15 600 10 10 400 5 5 200 0 90 180 270 0 360 0 90 180 270 位相 360 12 14 16 mGluR1(−/−) 600 15 0 Wild-type 600 1 歩行周期の持続時間(msec) A 24) 0 12 14 16 mGluR1 rescue 12 14 16 ベルト速度 (cm/sec) 図 2 mGluR1 ノックアウトマウスにおける歩行失調 A:mGluR1 の免疫組織化学.a:野生型マウス,b:mGluR1 ノックアウトマウス,c:mGluR1 レスキューマウス(プルキンエ細胞のみに mGluR1 が発現し, 他の神経細胞には mGluR1 は発現していない). B:左右前肢間 (Forelimb)および左右後肢間(Hindlimb)の位相関係のヒストグラム.マウスをトレッドミル上で歩行させ,四肢の動きをビデオカメラシステム において記録・解析する.野生型マウス(wild-type)においては,左右で 1/2 周期(図中では横軸 180 度に相当する)の位相差に制御されている.もし,左右の肢 が同時に着地されると,0 度または 360 度となる.mGluR1 ノックアウトマウス(mGluR1(-/-))においては,ヒストグラムの分布が広がっている. C:トレッドミルのベルト速度に応じた歩行周期の変化.グレーのコラムは前肢,青のコラムは後肢の歩行周期を示している.横軸はベルトの速度である. (文献 24 より改変して引用) BRAIN MEDICAL Vol.19 No.4 2007-12 53(353) 特集・歩 行 レスキューマウスにおいては,ベルト 学習の効率が小脳プルキンエ細胞にお 重要な役割を果たしていると結論する の速度の増加に応じた歩行周期の短縮 ける mGluR1 の発現量に依存してい ことができる. が観察されたが,mGluR1 ノックアウ た.最近,テトラサイクリン (tetracy- トマウスでは,そのような変化は観察 cline)を 用 い た conditional knockout は,中枢神経系において小脳プルキン されず,さらに前肢と後肢の歩行周期 法により,成熟後に mGluR1 の発現 エ細胞に特異的に発現している.この が合致しておらず,前後肢の協調にも をコントロールできるマウスが作製さ グルタミン酸受容体サブユニットをア 障害が観察された (図 2 C) .回転棒課 れ,正常に成熟後,mGluR1 を欠失さ フリカツメガエル卵母細胞や培養細胞 題において,mGluR1 ノックアウトマ せた場合に歩行失調が観察された . に単独発現させても,あるいは他のサ ウスは全く学習することができないが, 以上より,小脳プルキンエ細胞におけ ブユニットと共発現させても,チャネ mGluR1 レスキューマウスにおいては, る mGluR1 が,歩行時の肢間協調に ル活性を検出することはできず,その A 25) B C anti-δH2 anti-calbindin GL D δ2 型グルタミン酸受容体 (GluRδ2) P overlay ML E Retention time (s) 120 100 80 60 40 20 0 + anti-δH2 + anti-GR2N 2h 2 10 4h 20 2 + anti-δH2(n=8) + anti-δGR2N (n=8)) Sham op.(n=12) Sham op.*(n=8) 6h No. of triasl 10 2 10 2 24 h 10 図 3 δ2 型グルタミン酸受容体の阻害による学習の障害 A〜C:小脳虫部に注入された GluRδ2 阻害抗体(anti-δH2)を蛍光色素で標識し,その局在を観察した.anti-calbindin は,calbindin がプルキンエ細胞に強く 発現していることから対比染色のために用いられ,GluRδ2 と二重染色された.GL:顆粒細胞層,P:プルキンエ細胞層,ML:分子層. D:GluRδ2 阻害抗体の注入によって生じる軽微な歩行失調.後肢の足跡を示している.E:GluRδ2 阻害抗体注入後の回転棒課題の成績.*:6 時間後の試行 を行わなかった sham operation のマウス. (文献 27 より改変して引用) 54(354) BRAIN MEDICAL Vol.19 No.4 2007-12 機 能 は 全 く 謎 で あ っ た. と こ ろ が, 時間後に,もう一度回転棒課題を行わ GluRδ2 ノックアウトマウスは,平行 せ,前日に学習したことを記憶してい 線維シナプスの減少,登上線維シナプ るかどうか調べたところ,コントロー スの発達異常,長期抑圧の欠損,重篤 ル群のマウスは試行の始めから安定に な歩行失調と多くの小脳障害を呈し, 歩行していた (すなわち記憶していた) その本質的メカニズムはわからないが, が,GluRδ2 の阻害抗体を注入された 動の,時間・空間的パターンを協調的 小脳機能に深く関与していることが示 マウスはうまく乗れず,再学習が必要 に制御した結果,円滑かつ安定に遂行 唆されていた .われわれは,GluRδ2 であった.これらの結果は,GluRδ2 される.歩行中の肢間協調は,外乱を の阻害抗体(anti-δH2)を作製し,成 が関与するシグナル伝達系が,回転棒 加えることによって顕著に具現される. 熟した正常な小脳皮質神経回路および 課 題 に お け る 学 習・ 記 憶 の 保 持 (re- 予測できない外乱を歩行中に加えれば, 歩行運動の学習・記憶におけるこの受 tention)に関わっている可能性を示唆 それに対する肢間協調の動態を観察す 容体の機能を調べた .成熟し,正常 している. ることができ,とりわけ,外乱が毎歩, 26) 27) 4 splitbelt treadmill を用いた 歩行の適応制御研究と 小脳の役割 歩行は,複数の肢の,多数の筋の活 な小脳神経回路においても,GluRδ2 一定の部位に一定の強さで加えられる の活性化が AMPA 型グルタミン酸受 ようにすれば,外乱を予測し適応する 容体のクラスタリングの調節,長期抑 過程,すなわち歩行における感覚運動 圧の発現に必要とされることが証明さ れた.この抗体を成熟野生型マウスの 小脳虫部直上のくも膜下腔に注入した A ところ,マウスは軽微な歩行失調を示 した(図 3 D).抗体注入 1 時間後に脳 を灌流固定し,抗体の局在を調べたと ころ,抗体は小脳に限局して皮質内に 浸透し,プルキンエ細胞樹状突起上の GluRδ2 と特異的に結合していた (図 RF LF 3 A~C).図 3 E は,成熟した野生型 RH LH マウスに阻害抗体を投与し,回転棒課 題を行わせた結果を示している.この B 阻害抗体を投与した 2,4 時間後にお いては,マウスは歩行失調のために学 習も障害されていた.しかしながら, 急性の歩行失調が観察されなくなった 6 時間後においては,コントロール群 (阻害効果を有しない IgG 抗体 (antiδGR2N)を注入したグループや sham operation のみのグループ)のマウス と同様に,棒上に安定して歩行するこ とができた.抗体を投与してから 24 図 4 splitbelt treadmill A:除脳ネコ歩行標本におけるトレ ッドミル. (文献 28 より改変して引用) B:ヒトにおける左右分離型トレッ ドミル. BRAIN MEDICAL Vol.19 No.4 2007-12 55(355) 特集・歩 行 学習を調べることができる.splitbelt 著に高くなっていた29).記録した小脳 いた.外乱に適応した安定な歩行にお treadmill,すなわちベルトが分離さ 虫部第Ⅴ葉のプルキンエ細胞は,いわ ける重要な要素として,両脚支持相 れていて,各ベルトを独立に制御でき ゆる B ゾーンに位置し,その出力を (bisupport phase)の確保がある.両 るトレッドミル(ヒトの場合,左右 2 同側の外側前庭脊髄路に送り脊髄内の 脚支持相とは,対称肢の間で接地相が つのベルトで構成されている.ネコの ニューロン活動を調節していると考え 交代するに際し,その両方が同時に接 場合には 2~4 つのベルトで構成され られるが (図 1 B),両側の前肢のタッ 地している位相であり,体重支持機能 ている)は,そのような研究目的に適 プ刺激などで複雑スパイクが誘発され の交代が円滑に行われるために重要な 合した実験装置といえる (図 4) .ここ るものであり,歩行中の左右の肢の状 位相である.前肢の左右間では,左前 では,われわれが以前に行った除脳ネ 況をモニターするのに適した脊髄-下 肢が接地してから右前肢が離地するま コにおける splitbelt treadmill におけ オリーブ-小脳路系 (spino-olivocere- での両脚支持相と右前肢が接地してか る歩行時の肢間協調の適応学習と小脳 bellar pathway;SOCP)の典型といえ ら左前肢が離地するまでの両脚支持相 の役割について , さ ら に,Bas- る.ところで,外乱のないトレッドミ があり,外乱を加えていない通常の歩 による,ヒト ル歩行および床上での歩行では,小脳 行では,この 2 つの両脚支持相に差異 での splitbelt treadmill における肢間 虫部および中間部のプルキンエ細胞の はない.ところが,外乱歩行の初期で 協調の適応学習と小脳疾患患者におけ 複雑スパイクは,発火頻度においても は,特に右前肢が接地してから左前肢 る学習の障害について取り上げる. 非常に低く,歩行周期の特定の位相と が離地するまでの両脚支持相がしばし の関係も示さない ば確保されず,すなわち左前肢から右 28)-31) tian の研究グループ 32) -34) 実験には,上丘の前縁と乳頭体の前 .複雑スパイク, 29)35) 縁 を 結 ぶ 前 額 断(precollicular-pre- すなわち下オリーブ核からの登上線維 前肢への体重支持の交代が円滑に行わ mammillary)で除脳された自発歩行 入力は,何らかの誤差信号をプルキン れていないことが観察された.外乱に 能(ネコは MLR(特集 1:高草木の稿 エ細胞に伝送していると考えられるが, 適応し,歩行周期が安定した際には, を参照)などの電気刺激なしでベルト 前述した長期抑圧の発現に必要不可欠 左前肢が接地してから右前肢が離地す の速度に応じて自発的に歩行する)を であり,外乱に対する適応や回転棒課 るまでの両脚支持相が,右前肢が接地 有する除脳ネコを用いた.左前肢下の 題での学習に重要である .この外乱 してから左前肢が離地するまでの両脚 ベルトの速度のみを他のベルトの約 2 歩 行 を 約 100~200 歩 続 け て い る と, 支持相の約 2 倍の持続時間を示した. 倍の速度で駆動すれば,左前肢には毎 やがて各肢の歩行周期は安定し,外乱 これら両脚支持相の安定な確保 (左右 歩接地するたびに他の 3 つの肢とは異 を加えない歩行時の四肢間の位相関係 で非対称的ではあるが)は,歩行を継 なる速度で後方に伸展されるという外 とは異なる新しい位相関係を示すが, 続していく過程で獲得されていくもの 乱が加えられる.この外乱歩行が始め これは四肢間で新たな協調 (interlimb であり,外乱歩行を行った直後から顕 られた初期には,各肢の歩行周期の持 coordination)を獲得したことを示唆 著に観察される,外乱が加えられた左 続時間は安定せず,非常に大きく変動 している .外乱に適応した後の 前肢における接地相の短縮と右前肢に しており,定常的な歩行パターンを示 両側前肢においては,左右のベルトの おける遊脚相の短縮とは,それらが関 すことができない .この外乱歩行 速度が異なるにもかかわらず,歩行周 わる制御系が異なることを想像させる. 中の小脳虫部第Ⅴ葉プルキンエ細胞か 期は一致している.外乱が加えられた 実は,両脚支持相における時間的に比 ら登上線維入力に伴う複雑スパイクを 左前肢においては,主にその接地相の 較的ゆっくりとした適応過程は,sp- 記録したところ,その発火の確率は, 持続時間を短縮し,一方,右前肢にお litbelt treadmill 歩行における健常人 外乱のない通常の歩行時と比較して, いては,遊脚相の持続時間を短縮させ において,左右のベルト速度比を 2: 外乱が加えられている位相特異的に顕 ることで,左右の歩行周期を合わせて 1,3:1,4:1 などに変更し,連続し 56(356) 28) 30) BRAIN MEDICAL Vol.19 No.4 2007-12 36) 28) 30)31) て約 100 歩,歩行した際にも顕著に観 ついては,生理学的実験による証拠は 察されている .ところで,ネコが ない.しかしながら,われわれが行っ 外乱歩行に適応した後,また,ヒトが たネコにおける外乱歩行の適応現象に 左右非対称なベルト速度での歩行に適 ついての非線形振動子を相互作用させ 応した後,もう一度,外乱なし,すな た数理モデルや,それを四足歩行ロボ わち左右のベルト速度が同じ条件での ットに適用した工学的研究では,除脳 歩行が行われた際には,すぐには元々 ネコが示した適応現象が見事に再現さ の外乱なしの通常の歩行パターンは示 れた31)37).この際に重要なのは,振動 さず,左右の両脚支持相の持続時間が 子の間の位相差を勾配系として記述・ 逆 転 す る, い わ ゆ る 後 効 果 (afteref- 表現し,振動子間の相互作用が減少す fect)が生じる.この後効果の存在は, るように勾配系,すなわちポテンシャ その制御システム内で情報処理の履歴 ル関数のアトラクタを調整することで が次回の制御系に利用されること,す あった. 32)33) なわち何らかの情報が一時的にせよ保 存・記憶されていることを示唆する. おわりに 小脳皮質に運動の内部表現,内部モデ ルが生成されるという仮説36)があるが, 歩行制御に小脳皮質内神経回路がど 歩行における外乱に対する適応現象や のような情報処理を行って機能してい 後効果の存在も,この仮説に矛盾する るのか,さらに,近年の遺伝子変異マ ものではないと思われる30)31)33).小脳 ウスを用いた研究により端緒に着いた における内部モデルの生成には,その ともいえる,種々の分子,蛋白質,お 神経回路内で長期抑圧などのシナプス よびそれらが携わる種々のシナプス伝 可塑性が必要とされるが,除脳ネコに 達ならびにその可塑性が,歩行制御系 おける外乱歩行における適応にも,長 においてどのように生理学的に機能し 期抑圧の発現に必要とされる一酸化窒 ているのかについては,今もってほと 素の発生が必要不可欠であることが示 んど明らかではなく,今後の脳神経科 されている .また,小脳疾患患者に 学の重要なテーマのひとつであり,脊 おいては,splitbelt treadmill におけ 髄小脳変性症などにおける歩行失調の るベルトの速度の左右差 2:1 の歩行 臨床医学においても,電気生理学的解 において,両脚支持相の調整などの歩 析とバイオメカニクス的解析がより重 行を続けることによって緩やかに生じ 要性を増してくると思われる. 30) る 適 応(彼 ら は,predictive feedforward adaptations と呼んでいる)が生 じ な い か, あ る い は 障 害 さ れ て い た33)34).小脳皮質虫部や中間部などで 歩行に関係する何らかの内部表現,内 部モデルが生成されているかどうかに ●文 献 ₁ )Arshavsky YI, Gelfand IM, Orlovsky GN:Trends Neurosci 6: 417-422, 1983 ₂ )Bosco G, Eian J, Poppele RE:Exp Brain Res 175:83-96, 2006 ₃ )Udo M, Matsukawa K, Kamei H et al:Exp Brain Res 46:438-447, 1981 ₄ )Armstrong DM, Edgley SA:J Physiol 352:403-424, 1984 ₅ )Andersson G, Armstrong DM:J Physiol 385:107-134, 1987 ₆ )Kim JH, Wang JJ, Ebner TJ:J Neurophysiol 57:787-802, 1987 ₇ )Udo M, Matsukawa K, Kamei H: Brain Res 160:559-564, 1979 ₈ 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