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長根山 仁志さん

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長根山 仁志さん
伝統的なフランス菓子の味を守る
長根山 仁志さん
ながねやま・ひとし
東共栄在住。
札幌の菓子店やホテルなど
での勤務を経て、1999年、
東共栄に洋菓子店パティス
リーモンタンベールを開店。
フランスへ修業に行くなど、
本場の伝統的な味を守り続
けるため、日々腕を磨く。
本場フランスと北海道の新鮮な素材を使い、
製法は本場仕込み。作業に入ると、真剣な目
つきになります。
に行くため夕方には上がらな
働いているのに、自分は学校
子育てするのに良い環境です。
多く、空気がきれいなので、
島に決めた。﹁北広島は緑が
ランティアをしている。﹁ケ
校で、職業についての講師ボ
長根山さんは、子どもたち
の教育にも熱心だ。広葉小学
大事なのは伝えること
ければいけない。焦りの中で
札幌に近いのもいいですね﹂
。
ーキ屋さんの仕事はこういう
があり、ふるさとである北広
静かな住宅街にたたずむか
わいい店。中に入ると、たく
とを決めたのだから、高校に
こう思った。この道 に進むこ
パティスリーモンタンベール
時まで
さんのケーキと焼き菓子、そ
が誕生した。
しかし、同期が夜の
して色とりどりの砂糖菓子が
行く必要はないだろう︱。高
好 き が 高 じ て
目を引く。そこで腕を振るう
ものなんだよと話します。も
校は2年で自主退学した。
ちろん大変なんだぞというこ
りまで何でもこなし、本場の
ここでは皿洗いからケーキ作
の地名が後に店の名前になる。
あり、景色が美しい街だ。こ
山脈・モンブランのふもとに
ンベールに渡った。アルプス
ランスのシャモニー・モンタ
して今の味になりました﹂。
に苦労しましたが、試行錯誤
帰国して、湿度や材料の違い
らえるようになったんです。
年後に、やっと修業させても
子入りを頼み込みました。2
専門学校で勉強しながら、弟
スに行きました。国立の製菓
リーを勉強したくて、フラン
﹁あこがれの菓子職人ジャ
*1
ン・マルクさんのコンフィズ
店を開いた後も、長根山さ
んの向上心は尽きなかった。
市内はもちろん市外のファ
ンも多い味は、飽くなき向上
ができる店を出したいです﹂。
ートなど、ちょっとした食事
使って、トレトゥールやデザ
です。畑で採れた野菜などを
の中に一軒家の店を建てたい
案顔。﹁今の店のほかに、畑
これから挑戦したいことを
聞くと、たくさんあるなと思
のは、とても大事なことだと
菓子を作ってもらうこともし
向上心は尽きない
帰国後、札幌のホテルでシ
ェフとして働いた。﹁作った
静かで優しい瞳の奥に、高み
心と挑戦し続ける意欲が生ん
ともね。実際に子どもたちに
は電車に乗って買いに行き、
デザートに上司から細かい注
を目指す強い意志。習得した
だ、努力の結晶なのだ。
それからイタリア菓子やド
イツ菓子の店、ホテルなどで
兄に取られないよう隠れて食
文がくるんです。これは自分
コンフィズリーは、現在、店
﹁甘いものが好きなら、作
る道に進んだらどうか﹂。親
の勧めで、家を出て札幌のフ
ランス菓子店で働いた。広葉
中を卒業した春だった。
一つの道を真っすぐに
技術を学んだ。
歳の時、フ
べた。当時は菓子屋が少なく、
が作りたいケーキじゃないと
できらきらと輝いている。
技術を磨いた。
クリスマスケーキは年に1回
思って、自分の店を持とうと
でも大好きなシュークリーム
の楽しみだったそう。
決めました﹂。場所は、実家
*2
思います﹂。
ています。次の世代に伝える
定時制高校に通いながら菓
子作り。生地を焼く工程から
小さいころから甘いものを
食べることが好きだった。中
のが長根山さんだ。
10
仕上げまでの基礎を学んだ。
35
広報 北広島−2010.12.1
⑯
*1…砂糖を主材料とした洋菓子の総称。チョコレートやキャンディー、マシュマロなど。
*2…惣菜の意味。この場合は、野菜を使ったパイやキッシュなどの軽食。
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