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はじめに - 佐賀大学経済学部

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はじめに - 佐賀大学経済学部
はじめに
ラタナーヤカ・ピヤダーサ
佐賀大学経済学部教授・国際交流室長
戦後数十年間で、世界第二位の経済大国になった日本は、最近までアジア諸国の国民所
得の 3 分の 2 を占める経済力を持つ国でした。また、欧州諸国を上回り、世界でもトップ
の ODA のドナー国としての地位も獲得しました。近年、アジア諸国の急速な経済成長によ
り、昨年頃から日本は世界で第三位の経済規模になり、アジア諸国全体の国民所得に占め
る割合も 3 分の 1 に減少し、援助国としては第五番目の拠出規模に縮小しています。この
ような日本の経済的な成功には様々な要因が貢献しています。特に、日本の数百年に及ぶ
「人的資源育成」の取り組みは多大な貢献をもたらしてきたものとして高く評価できます。
しかし、もし、これからも日本経済を更に発展させ、現在の豊かさを維持したいと考え
るのならば、これまでの従来型の人的資源育成のあり方を変える必要があります。特に、
これまで「内向き志向」で実施してきた教育のあり方を、「外向き志向」に変更していかな
ければなりません。なぜなら、過去数十年間で急激にグローバリゼーションが進む世界経
済社会の現状に対し、柔軟に対応できる人材を育てなければならない時代に突入したから
です。とりわけ世界一の高い経済成長率を維持し、世界人口の半分以上を占めるアジア諸
国との競争に対して十分に力を発揮できる、または、アジアの人々と共に様々な経済社会
活動ができるようになるための人的資源育成が非常に重要です。なぜなら、日本とアジア
との経済関係、特に日系企業の投資活動とアジアとの輸出入関係を見ると、徐々に欧州か
らアジアへと重点が移動しているからです。将来の日本経済が「安定した強い経済」とし
て発展するために、「大学教育研究の国際化」とそれを中心としたグローバル人材育成の実
施が急務になっています。
佐賀大学経済学部は、このような社会の必要性と要望に応じるために、経済学部のカリ
キュラムの中に「国際交流実習」という科目を導入しました。同科目では、毎年、学部学
生 20 人程度を募集し、佐賀大学と学術協定を締結したアジアの協定大学を訪問しながら、
その国の経済社会問題および日本との経済関係について、実証的に学ぶ場を提供しながら、
国際交流を体験できる取り組みをしています。この科目は、学生達が大学で理論的に学ん
だことを実証的に理解する際に大きな効果を上げています。
2011 年 10 月 16 日から 23 日まで、タイの協定校カセサート大学経済学部の協力と指導
のもとで本科目を実施しました。学生達がカセサート大学の学生達と交流しながら、日本
の農業問題や新たな活動、特に「一村一品」運動や「道の駅」などについて英語で発表し、
同大学の学生と討論会を行いました。特に、タイのチェンマイにある日系企業(Thai NRJ
Co.Ltd.)を訪問し、同企業に関する聞取り調査を行いました。また、タイの「一村一品」
活動として、日本へ輸出するために生産しているバナナ産業について聞取り調査を行いな
1
がら、タイの経済発展に対する日本の企業活動の貢献、および同国農村社会の経済社会発
展の現状況について勉強しました。このように経済学部が少しでも日本社会が求めるグロ
ーバル人材育成に応えるべく貢献していくことは、本研修に協力していただいた学内外の
多くの方々の願いでもあります。
最後に、この事業の企画・実施にあたって、ご協力くださいました経済学部の教職員、
並びにタイのカセサート大学経済学の教員、Thai NRJ Co.Ltd の皆様、両大学学生諸君に
対し、心より感謝申し上げます。
2
〈目次〉
はじめに
… 1
目次・参加者一覧
… 3
2011 年国際交流実習について
… 4
実習の成果Ⅰ:事前学習
… 23
①個人課題
… 24
②事前見学会1
… 34
③事前見学会2
… 43
実習の成果Ⅱ:カセサート大学報告会
… 51
実習の成果Ⅲ:個人レポート
… 85
実習の成果Ⅳ:グループ・レポート
…103
実習の成果Ⅴ:パワーポイント・ファイル
…119
①カセサート大学報告会
…120
②成果報告会
…133
〈参加者〉
(1班)
08131013
09131145
10131104
石垣 大輔
09131065
山下 紗季
10131072
PUREVDORJ BAASAN
(2班)
08131024
10131003
10131092
内田 歩
安部 美由紀
原川 莉果
09131094
10131073
田中 涼子
豊福 玲加
(3班)
08131136
10131011
10131087
無田ゆう子
岩永 桃枝
野村 恵里
09131124
10131080
古川 忠美
中村 茉莉
(引率教員)
経済学部教授
経済学部准教授
坂之下 藍里
時 詩織
Ratnayake Piyadasa
石川 亮太
経済学部助手
3
池田 智子
2011 年国際交流実習について
佐賀大学経済学部
准教授 石川亮太
Ⅰ
実習の概要
2011 年の国際交流実習は、平成 23 年度の佐賀大学経済学部・国際経済社会コース専門科
目(2 単位)として、2011 年 10 月 16 日から 23 日にかけてタイで実施された。担当教員は
石川亮太(経済学部准教授)で、ラタナーヤカ=ピヤダーサ(同教授)、池田智子(同助手)
との協力態勢のもと実施された。参加した学生は 15 名(4 年生 3 名、3 年生 4 名、2 年生 8
名)である。
一般に実習科目は、情報を一方的に受け取る形になりがちな一般科目を補い、学生の主
体的な課題発見と解決の能力を養うことを目的としている。この実習でも、見学や交流を
通じて国際問題への理解を深めることに加え、学生自身がそこから課題を引き出し、経済
学部での学習ともリンクさせながら分析を加え、解答を導くまでの取り組みをフォローで
きるよう努めた。具体的には、①社会調査を中心とした行程を組み、現地の状況に詳しい
方の協力を仰ぎながら適切な見学地を選定した。②学生が目的意識を持って見学に臨むこ
とができる体制を作り、また事前・事後学習の充実に努めた。
まず①について、今回の調査地は大きく二つに分けることができる。行程の前半ではタ
イ北部にあるランプーン県の輸出工業団地で、日系の電子部品メーカーである Thai NJR 社
を見学した。これは同社の協力会社である佐賀エレクトロニックス株式会社(以下佐賀エ
レ社)ならびに佐賀エレ社 OB 山北次男氏の仲介によって実現したものである。行程の後半
ではタイ西部のミャンマー国境に近いラチャブリ県・ペチャブリ県一帯で農業組合事業の
調査を行った。これは佐賀大学の交流協定校カセサート大学のチョルラダ博士の仲介によ
り、この地域の農村振興問題に詳しいマヒドン大学パイロート博士の協力を得たことで実
現した。
②については、学生を 5 名ずつ・3つの班に分け、グループワークによって調査を実施
した。まず出発前には、タイ−日本関係や今回の調査地に関する調査テーマを割り振って
調査を行った。その結果はパワーポイントファイルに整理して事前学習会で口頭報告した
後、その内容を英語として現地でのカセサート大学学生との交流会の際にも報告した。ま
た 2 度の事前見学会も実施した。次に帰国後には、現地調査の結果を踏まえて班ごとにテ
ーマを決めて整理した。その内容は 12 月の最終報告会で口頭報告させた上で、グループレ
ポートとして提出した。
なおこの実習は、日本学生支援機構の平成 23 年度「留学生交流支援事業(ショートビジ
ット)」の対象事業に選定され、経費の支援を受けた。また佐賀大学の中期計画実行経費(学
4
部長裁量)からも支援を受けた。
Ⅱ
実習の経過
(1)実施の体制作り
ペラデニア大学の協力を得てスリランカで実施した昨年の例を踏まえ、本学の交流協定
校をカウンターパートとする方針を取った。距離の遠近や交流の密接さなどを勘案した結
果、タイのカセサート大学に協力を要請することとし、ラタナーヤカ教授から同大学経済
学部のチョルラダ博士に照会したところ、快くご承諾いただいた。一方で佐賀エレ社 OB の
山北次男氏からも Thai NJR 社への仲介をご承諾いただいた。そこで今年度の国際交流実習
では日程を二つに分け、前半では Thai NJR 社が所在するタイ北部を、後半ではカセサート
大学が所在する首都バンコクを拠点に実施することとした。
日程案の作成に当たっては、学生が見学だけでなくインタビュー等を通じた調査が実施
できることを念頭に、カセサート大学・Thai NJR 社に調査地等の推薦を依頼した。この後、
カセサート大学と Thai NJR 社には、調査地の調整をはじめ宿舎や交通機関、食事の手配な
ど実習の全ての面にわたり絶大な協力をいただいた。また日本(福岡)とバンコク、バン
コクとチェンマイを結ぶ飛行機のチケット手配は、毎日旅行(株)に依頼した。
日程案の作成後、日本学生支援機構の「留学生交流支援事業」の選定発表を待って、学
生募集を開始した(参考1)
。7 月 1 日に募集を開始し、7 月 22 日に締め切るまでの間に 35
名の応募があったが、
「留学生交流支援事業」の支援枠は 15 名であったため、所属課程や
昨年の実習の参加有無、学業成績などを勘案しながら 15 名を選抜、参加者を決定した。参
加予定者には実習の趣旨等について説明した文書を配布した(参考2)。
8 月 25 日に最初の顔合わせ会を実施し、実習のあらましを説明した(参考3)
。また現地
での学習や行動の単位となるグループ編成を発表し、グループ課題について説明した後、
グループ単位で打ち合わせを行うよう指導した。事前学習の一環として、8 月 31 日に道の
駅大和そよかぜ館、9 月 25 日には佐賀エレ社佐賀製作所の見学を実施した(後述)
。
10 月 5 日に出発前最後の説明会を実施し、旅行の注意事項などを周知した(参考4)
。な
お出発前に学生には各自で海外旅行傷害保険に必ず加入するよう指導し、全員に保険証書
の写しを提出させる等して徹底した。
(2)学生課題と事前学習
学生の学習をサポートする手段として、次の4種類の課題を設定した。
①個人課題(事前):指定テキストの要約
②
〃
(事後):自分の関心に応じてレポートを作成
③グループ(事前)
:研究テーマに基づき調査→カセサート大の交流会で口頭発表
5
④
〃
(事後):現地調査の結果を整理→事後報告会で口頭発表、レポート作成
このうち事前学習の軸となるのは③のグループ課題であり、タイ・日本関係や日本事情
について調査し、その結果を整理して現地での学生交流会で英語による発表を行うことと
した。グループごとの研究テーマについては、最初に教員が大まかな方向性を示し、調査
の進行に応じてグループ内で再検討するものとした。当初テーマは、第 1 班「日本の海外
(特にタイ)への企業進出について」・第 2 班「日本・タイの貿易と労働力の動き」
・
「日本
の農村と「村おこし」
」とした。それぞれの詳細については 8 月 25 日の顔合わせ会で配布
した資料(参考5)を参照されたい。
事前グループ課題に取り組むにあたっては、インターネット上の情報に過度に依存する
ことなく、文献調査やインタビュー調査も取り入れて、多面的な考察を行うように指導し
た。特に重視したのは、学外の専門家にお話を伺う機会を設けることであった。そのため
第 1 班については佐賀エレ社OBの山北次男氏、第 2 班についてはタイ国政府貿易センタ
ー福岡事務所、第 3 班については佐賀県農業技術防除センターの熊谷節子氏を紹介した。
また班ごとの調査に加え、全体でもテーマに関する見学会を 2 度にわたり実施した。ま
ず 8 月 31 日に佐賀市大和町の「道の駅大和そよかぜ館」を訪問した(参考6)。これはタ
イで日本の「一村一品運動」の考え方を取り入れた農村企業を訪れる予定となっており、
事前学習のテーマでも日本の「村おこし」を取り上げたことを踏まえて、実際の地域おこ
しの現場を体験しようというものであった。そよかぜ館では、代表者の小野善孝氏から、
その施設の目的や設立経緯、現状等についてお話しを伺うことができた。
9 月 25 日には神埼市の佐賀エレ社佐賀製作所を訪問した(参考7)
。既に述べたように同
社はタイで訪問する Thai NJR 社の協力企業であり、Thai NJR 社に対して新日本無線(株)
と共同出資している。主たる製品は Thai NJR 社と同じ半導体部品である。佐賀エレ社を訪
問した目的は、半導体生産の基本的な工程について理解するほか、世界的な半導体市場の
動向や、その中での日本とタイとの分業関係等についてメーカーの立場からのお話を伺う
ことであった。佐賀エレ社には説明会と工場ラインの見学を通じて対応していただいた。
こうした事前学習の成果については、10 月 5 日の出発前説明会の際にグループごと日本
語で口頭報告を行い、その討論の内容も取り入れながら、実習中にカセサート大学で実施
する予定の英語報告の準備を出発まで行った。英語原稿は学生自身が作成し、ラタナーヤ
カ教授が校閲した。
また①の個人課題では、末広昭『タイ−中進国の模索』
(岩波新書、2009 年)を指定テキ
ストとして要約と感想を提出させた(8 月 31 日締切)。
(3)実習の実施
9 月末からタイの洪水被害の広がりが日本でも報道されるようになり、バンコクへの被害
の広がりが危惧されるようになった。これを受けて、担当教員と学部長は各方面から情報
収集に努めたが、カセサート大学チョルラダ博士から今回の実習に関係する地域に被害が
6
生じる可能性は低いとの説明を受けて、予定通り実施することに決定した。以下では日程
を追いながら実施の状況について説明する。
10 月 16 日(日)移動(福岡→チェンマイ)
、チェンマイ泊
福岡空港国際線ロビーに集合し、TG649(11:40-15:35)によりバンコクに向かった。バ
ンコクで国内線 TG 116(17.20-18.30)に乗り換え、チェンマイに到着した。チェンマイ市
内のホテルにチェックインし、ホテル内で夕食後、希望者でナイトマーケットを見学した。
10 月 17 日(月)ミーティング、チェンマイ市内見学、チェンマイ泊
午前中はホテル内のミーティング・ルームで現地調査の具体的な実施方法について説明
した(参考8)。グループごとに大まかなテーマを設定し、それに沿って調査地で聞き取り
調査を行った後、改めてグループごとに事後報告会に向け
ての詳細なテーマ設定を行うこととした。今回の調査地が
企業や農村組合に集中していることから、グループごとの
テーマを経営・労働・市場の三つに設定し、これに基づい
てまず翌 18 日の Thai NJR 社でどのような質問をすればよ
いか、グループごとに討論した。また実習中は毎日「実習
日報」を作成し、調査した内容について整理することとした。
午後はチェンマイ市内の市場、寺院等を見学した。
10 月 18 日(火)Thai NJR 社訪問、移動(チェンマイ→バンコク)
、バンコク泊
上述のように Thai NJR 社は日系の半導体メーカーである。今回の調査では、会社概要の
説明と工場見学のほか、タイ人従業員のインタビューの実施を特にお願いし、対応してい
ただいた。具体的には、オペレータ、エンジニア、経営の3つの立場から 3 人の従業員の
方を推薦していただき(Wichian 氏、Bordin 氏、Suntiping 氏)、各位の経歴についてお話
しいただいた後、学生の質疑応答に応じていただいた。その後、工場構内の食堂で昼食を
摂りながら、日本人・タイ人の従業員の方と懇談する機会を持つことができた。
午後はチェンマイ空港か
らタイ航空国内線でバンコ
クに移動した。バンコク空
港でカセサート大学チョル
ラダ博士にお出迎えいただ
き、同大学構内の宿舎に移
動した。
10 月 19 日(水)カセサート大学学生との交流会、バンコク泊
午前はカセサート大学経済学部で学生の事前グループ学習の成果に関する英語セミナー
を実施した。聴き手として学生・スタッフ約 20 名ほどにお集まりいただいた。報告は各グ
7
ループ 20 分ほどで、パワー
ポイントを利用しながら説
明した。それぞれの報告には
カセサート大学側の参加者
から活発な質問が寄せられ、
報告した学生にも大きな刺
激になったものと思われる。午後は佐賀大学とカセサート大学の学生同士でキャンパス・
ツアーを実施し、夕食も共にしながら交流を深めた。
10 月 20 日(木)ラチャブリ(Ratchaburi)県の調査、ラチャブリ県泊
10 月 20 日から 21 日にかけて、タイ西部のラチャブリ県・
ペチャブリ県で農業組合に関する調査を実施した。これはカ
セサート大学チョルラダ博士のご紹介により、マヒドン大学
パイロート博士のご協力を得て実現したものである。パイロ
ート教授には調査先との調整だけでなく、調査に実際にご同
行いただき、貴重なご説明をいただいた。
ラチャブリ県はバンコクの西約 110km にあたり、バスで 4 時間ほどの移動を要した。ま
ず「一村一品運動(OTOP)」で設立されたキャラクター商品(縫いぐるみ等)の製造販売工
場に立ち寄ったが、ここではインタビューはできなかった。
次に同じく OTOP 運動で設立された Zonta Dairy Farm を訪問した。ここは 7 年前に設立
された小規模の牛乳加工工場で、近隣の農家約 50 世帯による協同組合として運営されてい
る。牛乳は加工しない生乳のままでは流通範囲が限られるが、零細な農家が牛乳の加工施
設を自前で設置することは困難であるため、せっかく生産した牛乳の販路を見つけること
ができず、収入に結び付かないという問題があった。このよ
うな問題を解決するため政府の支援によりこの工場が設置
されたという。またこの協同組合のパイロットファームとし
て運営されているロイ氏の農場を見学し、インタビューを実
施した。ロイ氏の農場は 60 頭ほどのホルスタイン種の牛を
飼育し、ミャンマー人の一家を労働者として雇用していた。
10 月 21 日(金)ペチャブリ県の調査、バンコク泊
ラチャブリ県に隣接するペチャブリ(Petchaburi)県に移
動し、協同組合の調査を実施した。午前中に訪問した Nongpho
Dairy Cooperative Ltd.は 40 年前に「国王プロジェクト」と
して設立された。前日の Zonta Firm と同様に牛乳の加工販売
を行う組合だが、規模は極めて大きく、組合員 4,000 世帯、
従業員 900 人のタイ国内でも最大級のミルク加工工場である。
8
ここでは経営者の方から概要説明をいただき、インタビューを実施した。
午後はバナナの共同出荷を行う Tayang 協同組合を訪問した。
ここでは近隣の 2247 世帯を組合員とし、集荷したバナナを選別
してタイ国内および日本に輸出しているほか、バナナ農家への技
術指導や金融事業なども実施している。ここでも経営者の方にイ
ンタビューに応じていただいた。
10 月 22 日(土)
・23 日(日) バンコク市内見学、帰国
バンコク市内の寺院や商業施設を見学した。その際、カセサート大学の学生にも同行と
案内をお願いした。夕食後バンコク空港に移動し、TG648 便(01:00―08:00)に搭乗した。
福岡に到着後は、空港ロビーで解散した。
以上の日程を通じて、学生は概ね健康に過ごすことができた。ただし日程後半になると
疲労の蓄積もあって車酔いや熱射病等の体調不良を訴える学生も見られた。帽子の着用や
早めの休息等の配慮をより徹底させる必要を感じた。またバンコクでは洪水の被害が心配
されたが、チョルラダ教授・パイロート教授に常に情報を収集していただき、危険な箇所
には近づかない等の配慮をすることができた。なお実習中の宿泊先は次の通りである。
・10/16,10/17
Imperial MaePing Hotel
153 Sridonchai Road, Chang Klan, Chiang Mai 50 100
Tel: +66 (0) 5328 3900 Fax: +66 (0) 5327 0181
・10/18, 10/19, 10/21
KU Home
Kas 50 Moo 3 Kasetsart University Ngawongwan Road. Ladyao, Chatuchak, Bangkok 10900
Tel: 0-2579-0010-5 Fax: 0-2579-9292
・10/20
Lunda Orchid Resort
184 Tambon Huay Phak Suanphung District Ratchburi
Tel : 02-944-6720-21
(4)実習後の整理と成果報告
実習後、11 月上旬をめどとして個人レポートを作成した。この個人レポートは実習中の
各自の関心に基づいて自由にテーマを設定し、事後の調査を含めて作成するものである。
このレポートは取りまとめた後、日本学生支援機構にも成果報告として提出した。
一方でグループでの成果とりまとめも行った。上述のように実習にあたっては、班ごと
に大まかなテーマを設定し(訪問先企業の経営/労働/市場)、インタビュー調査の結果を
受けて改めて具体的なテーマを設定しなおすこととした。最終的に決定されたテーマは「"
人”から見るタイでの企業経営」(第 1 班)
、「労働者から見たタイ∼国際交流実習を通して
9
∼」
(第 2 班)
、
「タイの市場とこ
れから」
(第 3 班)である。
これに基づいて、まず 12 月 7
日に口頭報告会を行った。この報
告会は、経済学部市民講座「みん
なの大学」で実施した「市民版国
際交流実習」の成果報告会と合同で実施された。多くの市民の方が来場され、活発な質疑
が行われた。またこの報告会の際には、タイ洪水を支援する募金活動も学生の発案によっ
て行われた。最終的には、報告会の際の議論も取り入れながらグループレポートを作成す
ることとし、2012 年 1 月初旬をめどに提出した。
Ⅲ 謝辞
今回の実習はタイ・日本を通じ、多くの方のご協力なくしては成り立ちませんでした。
佐賀エレクトロニックス株式会社 OB の山北次男様には実習計画当初から相談に応じてい
ただき、佐賀エレ社と Thai NJR 社の見学にあたり仲介の労をとって下さいました。またタ
イについての学生の質問にも快く応じてくださいました。
カセサート大学経済学部の Chollada Laungpituksa 博士、マヒドン大学理学部の Pailoj
Luangpitaksa 博士には、バンコク移動後の調査地の選定・調整に加えて、交通手段や宿所・
食事等、諸方面にわたってご協力をいただきました。また数十年ぶりの大洪水にバンコク
が襲われ多端な中、私たち一行に付き添っていただき、情報を収集して危険のないように
ご配慮下さいました。
佐賀エレクトロニックス株式会社佐賀製作所の石橋尚登様、大久保秀稔様、加藤保廣様、
古賀正博様には工場見学にあたりご便宜をお図りいただきました。また Thai NJR 社の角町
雅王様、土井友博様、深田雅人様、ダンティポン・センチャイ様、清水ゆかり様には工場
見学にご対応いただいたばかりでなく、チェンマイ滞在中の宿舎や食事等、諸方面にわた
りご配慮いただきました。チェンマイ滞在中は、Imeprial Maeping ホテルの光明和子様に
も各種アレンジにお力添えをいただきました。
また道の駅大和そよかぜ館の小野善孝様、佐賀県農業技術防除センターの熊谷節子様に
も、学生の事前学習にご協力いただきました。
そのほか多数に上りますためお名前を挙げられませんが、各地で多くの方のお世話にな
りました。この場をお借りして心よりお礼申し上げます。
10
(順不同)
参考資料1
2011 年 7 月1日
経済学部生各位
担当教員 石川亮太
平成 23 年度 国際交流実習について
国際経済社会コース専門科目「国際交流実習」
(後期集中、2 単位)について、下記の要
領で開講しますので、受講希望者は学生センター経済学部教務担当まで申し出てください。
記
[対
象] 経済学部 2 年次生以上
(原則としてこの授業をこれまでに受講していない者)
[募集人数] 15 名
[募集締切] 2011 年 7 月 22 日(金)午後 5 時
[受付場所] 学生センター経済学部教務担当
[実施時期] 2011 年 10 月 16 日(日)∼同 10 月 23 日(日) このほか事前・事後の学習
会がある。
[実習内容]
学生交流
タイの企業・農場を中心とした社会経済調査と、本学協定校での研究発表・
(仮日程) 10/16
10/17
10/18
10/19
10/20
10/21
10/22
10/23
[費用等]
福岡発・バンコク経由・チェンマイ着
チェンマイ大学訪問、交流と研究発表
チェンマイ工業団地の日系企業調査、バンコクに移動
カセサート大学訪問、交流と研究発表
ラチャナブリ県の農村企業調査
ラチャナブリ県の農場調査
バンコク市内の見学等、深夜バンコク発
早朝福岡着・解散
約4∼5 万円(未定)。なお本実習は独立行政法人日本学生支援機構から「留
学生交流支援制度」の対象事業として経費補助を受ける予定である。左の個
人負担額は、これを差し引いた見込み金額であり、変動する可能性がある。
[選考方法] 受講希望者が 15 名を越えた場合に次の要領で選考を実施する。(1)国際経済
社会コース(2 年次生については経済システム課程)の学生を優先とする。(2)
国際経済社会コースの学生だけで 15 名を超える場合、2010 年度末の GPA によ
って順位付けを行い、上位の者から受講を許可する。(3)国際経済社会コース
の学生が 15 名を超えない場合、残りの定員について他コースからの受講を許
可する。希望者が残りの定員を超える場合、(2)と同じ要領で順位付けを行い
選抜する。 ※これまでにこの授業の単位を取得した者は(3)の選考後なお
定員に余裕がある場合に限って参加を許すことがある。ただし卒業単位には
算定されない。
[成績評価]
実習期間中の参加状況のほか、事前・事後の学習会への参加状況と、事後の
レポートによって評価する。なお現地協定校での研究発表や、帰国後の成果
発表などでグループ単位の学習を行うので、積極的に役割を果たすことが望
まれる。
[問合せ]
石川研究室まで直接、またはメールで問い合わせのこと
([email protected])
。
11
参考資料2
2011 年 8 月 4 日
国際交流実習参加者の皆さんへ
担当教員 石川亮太
国際交流実習のあらまし
(1)この科目の目的について
大学の授業の多くは大人数の講義形式で行われ、学生はともすれば知識を一方的に受け
取るだけに終わりがちです。そうした知識は、現実の社会を理解するために有効な「道具」
でありますが、道具が勝手に働いてくれるわけではありません。それらを何のために、ど
のように使うか、持ち主自身に分かっていてはじめて、道具も力を発揮することができま
す。演習や実習の科目は、そうした道具の「使い方」を身に付けるための科目です。
特に国際経済社会コースに所属する皆さんには、急速に変化する国際社会を自分の目で
とらえ、講義で学んだ知識を武器としながら、問題を解決する訓練を積んでもらいたいと
考えています。「国際交流実習」はこうした目的から設置された科目です。
この科目では、皆さんがそれぞれのテーマを設定し、それに基づいた文献調査を行った
上で現地を見学し、自分なりに解を導き出してレポートやプレゼンテーションにまとめる
という、プロセス全体を重視しています。受け身の見学旅行に終わらないよう、各ステッ
プに積極的・主体的に参加し、実りある経験をしてくれるよう期待しています。
(2)今年度のタイ実習について
今年度の実習ではタイの企業(とくに農村部での企業)を訪問し、聞き取り調査を行い
ます。また佐賀大学の協定校であるチェンマイ大学・カセサート大学も訪問します。
現時点での日程のあらましは次のようになっています。なお詳しくは別ファイル「実習
スケジュール」を見てください(変更の可能性あり)。
10/16 移動 福岡→バンコク→チェンマイ
10/17 チェンマイ大学訪問、チェンマイ市内の見学
10/18 日系半導体工場の調査(Thai NJR Co.Ltd.) チェンマイからバンコクに移動
10/19 カセサート大学訪問、現地学生を交えて研究発表会、バンコク市内見学
10/20 ラチャナブリ県 陶磁器工場/「一村一品」運動の調査
10/21 ラチャナブリ県 企業型農場/農村工場の調査
10/22 バンコク市内見学 深夜便で日本へ(23 日朝に福岡着)
なお 19 日以後の日程は、全面的にカセサート大学経済学部のチョルラダ先生のご協力に
よって運営されます。チョルラダ先生は現地で私たちに同行して下さる予定です。
(3)実習の進め方と課題
12
参加者を 5 名ずつ・3 グループに分け、このグループを単位として事前・現地・事後の活
動を行います。グループには一つずつ研究テーマを割り当てますので、それに沿って調査
を実施してください。研究テーマは後に改めて提示しますが、全体のテーマであるタイの
企業の問題を軸として、「経営」「技術」
「労働」等の問題を扱うことになります。
実習のステップごとに計画書や報告書を提出してもらうことになりますが、重要な課題
としては次のものがあります。
① 事前学習レポート(文書) ※個人・出発前
② 事前勉強会での研究発表(パワーポイント+口頭) ※グループ・出発前
③ 現地大学での英語発表(パワーポイント+口頭) ※グループ・現地
④ 個人レポート(文書) ※個人・帰国後
⑤ グループ・レポート(文書) ※グループ・帰国後
⑥ 事後報告会での研究発表(パワーポイント+口頭)※グループ・帰国後
(4)今後の日程
8 月下旬
顔合わせ・説明会
8 月末∼9 月初
佐賀エレクトロニックス訪問(タイで訪問する日系企業の親会社)
※他に「村おこし」事業の見学も企画中
9 月末∼10 月初 事前勉強会
10/16∼10/23
タイ実習
11/14
個人レポートの提出締切 ※日本学生支援機構(JASSO)に提出
11 月下旬
事後報告会
12 月初
グループレポートの提出締切 ※年明けに報告書として刊行
(5)費用について
現地でのホテルや交通手段の確保がまだ終わっていないため、正確な費用は未確認です。
決定次第お知らせしますので、しばらくお待ちください。
なお皆さんには日本学生支援機構(JASSO)から8万円の奨学金が支給されます。またこ
れとは別に、経済学部の予算からも 2 万円の補助金が支出されます。いずれも、皆さんが
届け出た振込依頼書の口座に支給されます。これらの奨学金・補助金については、後日、
個人負担分とあわせて担当教員に納付してください。
これらの奨学金や補助金の出所はいうまでもなく税金です。多くの納税者の支援の上に
この実習が成り立っていることをぜひ心に留めておいて下さい。
13
参考資料3
「説明会・顔合わせ」配布資料
2011/8/25
2011 年度「国際交流実習」の概要
(1)今日の予定
・はじめに(石川)
・自己紹介(全員)
・担当教員の説明
実習の概要/グループ課題について(石川)
・グループ打ち合わせ(全員)
※配布資料:2011 年度「国際交流実習」の概要(本紙・1 枚)、現地日程表(1枚)、名簿(1
枚)、事前グループ課題について(1 枚)
(2)実習の目的と進め方
① ねらい
途上国の社会・経済問題について学び、現地の方との交流を図るほかに―
・現実を観察し、自分の関心と照らし合わせ、課題を発見する(課題の発見)。
・課題に即して情報を収集し、整理・発表する(課題の解決)。
② 訪問先のポイント
※現地日程表を参照
・佐大交流協定校であるチェンマイ大学/カセサート大学学生との交流、研究発表
・企業の訪問と聞き取り調査:日系半導体工場/農村企業(一村一品運動など)
★スケジュール設定、見学先との交渉・調整等はカセサート大学・チョルラダ先生の協力に
よる
③ 課題について
①のねらいを達成する手段として次の課題に取り組む。
・個人課題(事前):テキスト『タイ−中進国の模索』の要約
・ 〃
(事後):自分の関心に応じてレポートを作成
・グループ(事前):研究テーマ(*)に基づき調査→カセサート大の交流会で口頭発表
・ 〃
(*)
(**)
(事後):現地調査(**)の結果を整理→事後報告会で口頭発表、レポート作成
別紙「事前グループ課題について」を参照
現地調査の課題や方法については後日あらためて指示
14
④ グループについて ※参加者名簿を参照
現地での行動だけでなく、事前学習・事後学習の単位となる。
(3)今後の日程(出発まで)
08/25 ・説明会・顔合わせ(今日)
08/31 ・事前課題(個人)提出
※メールにて
・事前見学(1)道の駅「そよかぜ館」訪問
9:00
佐大正門駐車場集合(バス)
10:00
見学開始
13:00 までに佐大帰着予定
ねらい:日本の農村での特産物を用いた「村おこし」を見学し、成果や課題を知る。
09/29 ・事前見学(2)佐賀エレクトロニックス(株)訪問
12:45
JR 吉野ヶ里駅南口集合
13:30
見学開始
17:00 までに現地解散予定
ねらい:訪問予定の日系企業(Thai NJR)親会社、日本側からタイ進出の意義を知る。
9 月末・学習会・説明会
※集中講義の終了後
グループ課題(事前)の中間報告
渡航について最終的な説明などを行う
(4)手続きなど
(提出書類)
・パスポートのコピー
※航空券の予約確定のため旅行会社に提出する
・日本学生支援機構(JASSO)の奨学金関係
振込口座届(全員提出済み)、レポート(帰国後−個人の事後レポートを提出する)
・経済学部の支援経費関係
支援経費支給申請諸(本日提出)、学会報告等のための旅行報告書(帰国後提出)
・海外旅行傷害保険
どこの社でも可。生協窓口、インターネット等で加入できる。9 月末の学習会でコピー提出。
(費用の納付)
・ホテルなどの予約確定が取れていないため金額未定、12∼14 万円程度?(決定次第連絡)
・後日指定する期日までに地域経済研究センター・池田さんに現金で納付
・奨学金については個人の銀行口座に 8 万円(JASSO)、2 万円(経済学部)が入金される。
15
参考資料4
2010/10/05
国際交流実習について
1.集合時間
10 月 16 日 午前9:40 福岡空港国際線出発ロビー(北側カウンター前)
※11:40 発のタイ航空(TG 649 便)に搭乗予定
2.旅程(別紙参照)
3.最低限の所持品
①パスポート
②パスポートのコピー ※パスポートとは別の場所に保管(紛失時必要)
③旅行傷害保険証書と説明書
④常備薬 ※海外の薬は体にあわないことがあります。
⑤現金 ※食費や宿泊費等は事前に払い込んだ旅費に含まれています。
4.服装について
・熱帯ですが高地では冷える場合もあるようです。念のため長袖の衣類も。
・野外で見学や聞き取りなどをします。帽子や雨具、動きやすい靴(運動靴など)
。
・宗教施設や大学を訪問します。T シャツや短すぎるズボン・スカートでは失礼になるこ
とがあります。カセサート大学:上着は半そで。下は男性は長ズボン、女性はひざ下
までのスカート。靴は皮靴、女性はパンプスのようなもの(ヒールは低くてもOK)
。
お寺:大学と同じような服装、靴を脱いで持ち歩くのでレジ袋なども持参すること。
5.パスポートの管理
・自分の身分を証明する文書です。「命の次に大事なもの」と考えてください。
・常に携帯すること。落としやすい場所、スリの被害にあいやすい場所(ズボンの後ポ
ケットなど)には入れない。ホテルの部屋にも放置しない。
・万一紛失した場合は日本大使館で帰国のための証明書を受給しなければなりません。
6.その他
・国際線の飛行機には液体・ジェル類の持ち込み制限があります。化粧品などできるだ
け預け荷物に入れること。どうしても手荷物で客室内に持ち込みたい場合は 100ml 以
下のボトルに詰め、透明なチャック付きビニール袋(ジップロックなど)に入れる。
・水道水は飲まないこと。沸かした水やミネラルウォーターを飲んでください。
・疲れた日は無理をせず、教員に相談のうえホテルで休むようにしてください。
16
参考資料5
「説明会・顔合わせ」配布資料
2011/8/25
事前グループ課題について
(1)概要と目的
出発前にグループごとに調査し、その成果をもとにカセサート大学の交流会で口頭発表を行う。
目的:グループ内のチーム・ワークで作業を進める訓練
多様な情報源にアプローチし、目的に沿った情報を引き出して整理する訓練
外国人の聞き手に面白い・理解できる発表とは?−聞き手の立場に配慮した発表の訓練
(2)スケジュール
8/25
顔合わせ
グループ内で連絡先交換、担当割り当てや今後の作業方針を相談する
※グループごとに日程を計画して作業を進める
9/16
作業状況報告の提出(リーダー→石川)
9 月末
学習会・報告会で発表
※別に配布する書式に記入
※パワーポイント、日本語原稿はこの時までに完成
※出発前までに原稿やパワーポイントの内容を英訳、発表の練習(ラタナーヤカ先生と相談)
※発表は 20 分程度を見込む
(3)研究テーマと調べ方の手がかり
グループごとにテーマを設定し、それに沿って情報を収集する。作業の状況に応じてテーマ
を絞ったり変更したりしてもよい。統計書等からのデータ収集や関係者からの聞き取りなど
を通じて情報を集め、自分たちなりの結果を導き出す(インターネットに過度に依存しない)。
第 1 班:日本の海外(特にタイ)への企業進出について
・『通商白書』(経済産業省)等を用いて、日本の海外企業進出について図表を作成し、そ
の背景について調べる。そのほか、経済産業省「我が国の直接投資に関する Q&A」や日
本貿易振興機構(JETRO)などの公的機関ウェブサイトからも関連情報を得られる。
・タイ国政府貿易センター福岡事務所を訪問し、日本企業のタイ進出の状況について尋ね
る。連絡先は同事務所のウェブサイトから知ることができる。
・山北次男氏(元佐賀エレクトロニックス(株)、[email protected])に連絡を
とって面会し、同社の関連会社である Thai NJR(株)がタイに進出した時の状況、課題
等について尋ねる。
※9 月 29 日の佐賀エレクトロニックス社訪問も参考になる。
17
第 2 班:日本・タイの貿易と労働力の動き
・『日本国勢図会』『日本統計年鑑』等を用いて、日本とタイの間の貿易、人間の移動につ
いて図表を作成し、その背景について調べる。また法務省の「出入国管理統計」、総務省
統計局のウェブサイトなども利用できる。
・タイ国政府貿易センター福岡事務所を訪問し、日本・タイ間の貿易について情報を得る。
また、福岡県国際交流協会などから九州在住のタイ人について情報を得る。いずれもウ
ェブサイトから連絡先を知ることができる。
第 3 班:日本の農村と「村おこし」
・『食料・農業・農村白書』(農林水産省)等を用いて、日本の農村がどのような問題を抱
えているかをデータに基づいて整理する(後継者問題、市場問題 etc.)。
・熊谷節子氏(佐賀県農業技術防除センター、[email protected])に連絡
を取って面会し、佐賀県の農村における「村おこし」の事例や、課題等について尋ねる。
・
「村おこし」の先駆的な事例となり、タイにもその考え方が移植されている大分県の「一
村一品運動」について調べる。NPO 法人「大分一村一品国際交流推進協会」
((097)540-5243、
[email protected])に連絡を取り参考書などについて尋ねる。同協会のウェブサイトも参考
になる。
※8 月 31 日の「そよかぜ館」訪問も参考になる。
※不明な点や、より詳しく知りたい点があれば、ラタナーヤカ先生や石川に尋ねてください。
※次のツールも活用できます。
・分野ごとの参考資料について
国立国会図書館リサーチ・ナビ(http://rnavi.ndl.go.jp/research_guide/)
・新聞記事の検索
日本経済新聞・朝日新聞・読売新聞の記事データベースが佐賀大学図書館ウェブサイト
のトップページ(データベース一覧)から利用できます(大学で使用料を支払っている
ので、大学のネットワークにつながっているパソコンからしか利用できません)。
18
参考資料6
国際交流実習 事前見学(2011/8/31)
「道の駅大和そよかぜ館」
(趣旨)
タイでは日本の「一村一品運動」の考え方を取り入れた農村企業を見学する。タイ農村
での取り組みがどのような特徴を持っているか、比較して理解するための対象として、あ
らかじめ日本の事例についてイメージを持っておきたい。
「そよかぜ館」は農産物の直売所を経営するだけでなく、様々な手段で地域の活性化に
取り組んでいる組織である。見学では、取り組みの内容だけでなく、その背景(なぜその
ような取り組みが必要になったのか、だれがそのような取り組みを主導したのか、取り組
みの問題点は何か)等について、いろいろな側面から理解するようにしたい。
(留意点)
・代表者の小野善孝さんからご説明をいただきます。資料も配布していただけるとのこと
ですが、お話しの要点をメモしながら、注意深く伺うようにしてください(人の話のポイ
ントをつかんで整理するための訓練と考えてください)
。
・質疑の時間があると思いますので、自分が疑問に思った・関心を持ったポイントについ
て、積極的にお尋ねしてください(知識を与えられたまま受け取るだけでなく、自分の関
心に沿ってそれを再構成し、理解を深めるための訓練と考えてください)
。
・そよかぜ館の直売所では、買い物を楽しんでもらいたいと思いますが、同時に、品ぞろ
えや販売の仕方などから分かることがないか、小野さんのお話を思い出しながら、考えて
みてください(文献や整理されたお話しではなく、実際の様子を観察しながら、問題点を
探し出す訓練と考えてください)。
(課題)
・9 月 3 日までに次の内容を含むレポートを提出してください。分量は指定しませんが、A
4用紙 1 枚を超えないようにしてください。
-
そよかぜ館での見学内容、お話しの要旨
-
自分が関心を持ったポイント、その理由。その関心をもとに、今後どのような方向
で理解を深めてゆきたいか。
・提出されたレポートは小野さんにお送りします。
19
参考資料7
国際交流実習 事前見学(2011/9/25)
佐賀エレクトロニックス株式会社
(趣旨)
実習で最初に訪れるチェンマイはタイ東北部の中心都市です。その郊外のランプーンに
は工業団地が設けられ、多くの日系企業が進出しています。実習 3 日目の 10 月 18 日には、
その一つ Thai NJR Co., Ltd.を訪問し、見学やインタビューを実施します。Thai NJR は 1989
年創立の、半導体部品を主製品とする企業です。
今回訪問する佐賀エレクトロニックス(株)は Thai NJR の協力会社であり、同社に新日本
無線(株)と共同出資しています。Thai NJR の訪問に先立って、出資元である佐賀エレクト
ロニックスを訪問することにより、日本企業の海外進出を「送り出す側」
「受け入れる側」
の双方から立体的に捉えられるよう準備することが、今回の見学の目的です。
(留意点)
・概要の説明を伺った後、工程を見学し、最後に質疑応答の時間をとっていただきます。
お話しの要点はメモしながら注意深く伺い、それぞれ質問を準備しておいてください。
・見学にあたっては、半導体の製作工程そのものに加えて、経営上の特徴にも注意してみ
てください。特に、この会社と Thai NJR がどのような関係にあり、それぞれどのような
役割を負っているのかについて考えてみてください。Thai NJR に行った時、見学のポイン
トを絞る上で役立つと思います。
・工程には機密を要する部分があるとのことですので、工場建物の中では写真を撮らない
ように注意してください。建物の外観を撮るのは構いません。
(課題)
・今日の見学で関心を持ったポイントとその理由、またその関心をもとに今後さらに知り
たい事柄などをレポートにしてください。分量は指定しませんが、A4用紙 1 枚を超えな
いようにしてください。
・10 月 3 日までにメールで石川まで提出してください。提出されたレポートは、見学の便
宜を図ってくださった方にお送りします。
20
参考資料8
国際交流実習(2011 年)
現地調査とそのとりまとめ
(1)現地調査について
10 月 18 日
午前:Thai NJR Co., Ltd.(Chiang Mai)、日系 IC 製造工場
10 月 20 日
ラチャブリ県の OTOP(One Tambon One Product=一村一品)運動
午前:陶磁器(Doll Factory) 午後:酪農(Zonta Dairy Farm)
10 月 21 日
午前:ペチャブリ県、国王支援プロジェクト Nongpho Cooperative(酪農)
午後:日本向け輸出バナナ園/Ampawaa 村の OTOP 運動
(2)調査のテーマ
・大まかなテーマ:様々なタイプの企業や企業的活動について学ぶ
1 班:経営について
設立の経緯(誰がどのような目的で作ったか、支援はあったか)
資金の調達(誰からどのように必要資金を集めたか−株式会社等)
利益の分配(利益は上がっているか、どのように分配しているか) etc.
2 班:労働について
リクルート(どのような人を、どのような形で募集しているか)
労働条件(賃金水準、労働時間と休み時間、宿舎や食事、保険)
勤続年数、持ち場と分業、職業訓練
etc.
3 班:商品とその市場について
商品の特色や商品開発・工夫
販売先と流通経路(中間の商人やマーケット)
価格の動向、他産地との競合 etc.
(3)調査方法ととりまとめ
・現場では各人でメモをとり、(班テーマを念頭にしながら)自由に質問してください。
その結果は各自「実習日報」にまとめ、翌朝出発までに石川に提出(後で返却します)
。
なお 1 日 1 回以上、現地の方に質問することを単位を認める条件とします(質疑応答
の場でも、個人的にでも)
。
・帰国後に班ごと話し合いを持つ(時間があれば現地滞在中でも)
。
調査メモや日報を持ち寄って班報告のテーマを決めてください。
そのテーマに沿って文献などを探し、補足調査を行ってください。
・1 か月後を目途に報告会を開き、班ごとに口頭報告を行います。
その後、報告会での指摘をもとに班レポートを分担執筆してください。
・班レポートとは別に個人レポートを作成してもらいます(学生支援機構提出用)
。
各自自由にテーマを設定し 11 月 7 日(月)までに石川にメールで送ってください。
A4 用紙で 2∼3 枚程度を目安とします。
21
実習日報
2011 年
月
日
氏名
訪問地とその概要
現地の方にした質問と回答(なぜそのような質問をしたか、回答についての考え)
訪問地で観察し興味深く感じたこと、その理由
教員検印(
22
)
実習の成果Ⅰ:事前学習
①個人課題:末廣昭『タイ中進国の模索』(岩波新書、2009 年)を読んで
②事前見学会1:道の駅大和そよかぜ館(2011 年 8 月 31 日)
③事前見学会2:佐賀エレクトロニックス株式会社(2011 年 9 月 29 日)
23
【個人課題】末廣昭『タイ中進国の模索』
(岩波新書、2009 年)を読んで
※要約と感想を作成したが、分量の関係から、感想の部分のみ採録する。
(10131003 安部美由紀)
この著書で私が一番興味を持ったことは、第4章である。率直に言うと、私は今までタ
イのイメージはこの本にも書いてあった通り、バンコクは確かに中心地だが、まだまだ発
展途上の国であり、感染病や疫病なども広がっている国であると思っていた。その偏見の
中で、大いに驚いたのが、タイ国は少子高齢化社会に突入しているということである。
私が考えるに、少子高齢化社会というのはある一定の基準をクリアしないとならないも
のであると思っている。その基準とは、まず、国が比較的に豊かであることである。少子
高齢化というのは、人々の考え方が、たくさん子供を作り、働かせ、少しでも家庭を支え
る力になってくれたら、という考えから、一人の子供に十分なお金と教育を与えたい、と
いう考えに変化したということを示していると思う。この考えに変化するためには、国の
中で学歴社会が出てきたということである。次に、医学が発達してきたということである。
つまり、特に感染病や疫病が子供の命取りにならなくなった、ということである。医学が
発達していないころは、感染病などが子供の大敵であり、自分の子孫を少しでも多く生き
残らせるためにたくさんの子供を産んでいた。しかし医学が発達したことにより、その必
要はなくなった。これは同時に老人が長生きするようになった、ということにもつながる
と思う。最後に、これが一番影響力が大きいと思うが、先進国のタイへの介入である。先
進国は、基本的に少子高齢化社会であることが多いと思うが、先進国が介入することによ
って、先進国の生活スタイルや考え方も同時に入ることになる。そのために少なからず、
先進国のライフスタイルが侵入したと思われる。
今後の研究や実習を通して、この、私が予想していることがあっているのか、またその
ほかにもどのような原因があるのか、現地の人々はこの問題に対してどのような考えを持
っているのか、など学習していきたい。
(10131011 岩永桃枝)
今回「タイ
中進国の模索」を読んで、興味を持ったのは第4章の項目である。理由と
しては、どこか近代の日本と似ているのではないかと感じたからである。人種も違えば、
言葉も違う、食べている物も違うが、経済の動きに影響を受ける人の動きというのは、同
じような流れに向かうものなのだろうか。
それというのは、人口爆発の後の経済発展による少子高齢化の流れ、それはまだ先進国
には入っていないタイにも起こっており、地方の方がその加速度が早いという。現在の日
本でも少子高齢化は進んでおり、また決して日本の経済が安定しているとは言えないが、
中進国であるタイで不安定な経済状況が続く時、それがストレス社会に繋がっている。自
24
殺者の増加である。日本の自殺者の数は他国に比べて多い方である。それは日本の人柄に
よるものや、社会性によるものも大きいと思われる。しかしおそらく社会性も風土も違う
タイの人々もまた、ストレス社会の到来によって自殺者が増加している。同じように消費
も増え、それはら一時的に経済が回復しようとも減少する事はない。先進国も中進国も国
民が抱えているストレスは違うのかもしれないが、同じように苦しみを感じるのだと思う。
つまり、同じ人なのだという事を文章の中でだけでしかないが少しだけ実感できる話だっ
たように思う。妙な話ではあるが、親近感のようなものを感じた。また次世代を担うコス
モポリタン世代が日本の学生の政治への関心が薄い事と、タイの人々の政治に参加するで
はなく政治を消費するというものに近いものがあるのではと感じた。また、コロコロと変
わっていく政権に辟易した民衆。それは今の日本の状況に酷似しているのではないだろう
か。勿論多くの違いが日本とタイにはあるが、もしかするとお互い学ぶべき立場があるの
ではないろうかと感じた。
(10131072 時詩織)
私はタックシン元首相の国家戦略について興味を持った。指定文献の最初の「はじめに」
や「一章」を読む限りでは彼の政策は『創造的破壊と呼ぶにふさわしい「国の改造」を目
指すものであった(P10)』と表現され、国を引っ掻き回した悪性ウイルスの様にされていま
すが、五章の「彼」や「彼が行った政策」についてを読む限りでは、どうも引っ掻き回し
ただけでは無いように感じるからである。私がそう感じる理由は、彼には明確な国政変更
に対する目標があると感じるからだ。
タックシン元首相の目からみて、中進国であるタイのさらなる発展を阻害している最大
の要因は、
『公務員制度と公務員の意識を拘束している「時代遅れの体質と文化」(P168)』
であり、彼の国の改造の目標・目的は「時代の波に乗り遅れることを避ける」ことである
ことが指定文献からも伺える。その時代遅れを避けるために抜本的な改革が必要であると
感じたから大きな改革を行ったわけであって、到達目標をあやふやにしか考えないままに
政策を動かしていたわけではなく、明確な理由や目標があった事がはっきり見て取れる。
彼は決して恐怖政治を行ったわけではなく、新しい政策を次々と導入しただけなのであり、
結果的に『国軍の人事や国防予算といった軍の聖域を土足で踏み荒らし、完了を政策決定
機構から排除する活動を意味し(P10)』王室・軍から反発を呼んだが、明確な目標の元の行
動であるため、無闇矢鱈と批判されるものでもないと思える。
中でも私の目を惹いたのは彼の国民に対する姿勢である。
『国会での議論より国民との直
接対話を重視した。たとえ国会の会期中であっても、地方で問題が起これば即座に現場に
飛んでいき住民との対話を行った。(P151)』という国民に対する姿勢は、国民があっての
国家であるという考えを持っていなければ、早々に行動に起こせそうに無いことだと私は
思うからだ。農村と都市との間の格差是正の為の支援が、「結果の不平等」ではなく「機会
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の不平等」に目を向けたものであったり、
「ビジョン・ミッション・ゴール」の要求であっ
たり、彼は目標達成のためには何が必要で、何を起こすべきで、何が問題なのかを重視し
て政策を考えており、大幅な国家戦略の変更も今の日本の政策には類を見ない事なので私
は強く惹かれたのだといえる。
(10131073
豊福 玲加)
私が興味を持ったのは、「黄色のシャツを着た人々」と「赤色のシャツを着た人々」につ
いてです。なぜかというと、実際にタイに行ったときに直接目にする光景だと思ったから
です。タイの歴史や元首相・現首相、タイの政治構造や現状などをさらに詳しく知る必要
もあるとは思いますが、なによりも自分が直接目にする光景についてある程度の知識は持
っておかないといけないと思い、この内容にしました。
「黄色のシャツ」は、2006 年に在位 60 年を迎えた国王陛下を慶賀するため、公務員や国
民が着用を始めた。国王の誕生日となる月曜日は、町中が黄色に染まる。
「黄色のシャツ」
は反タックシン運動のシンボルとなった。一方、
「赤色のシャツ」は、2006 年に起こったク
ーデタとそれ以後の政治体制に反対し、タックシン元首相の政治復帰を掲げる UDD の防衛
隊が組織母体である。
「赤色」はタイラックタイ党がロゴに使用したシンボルカラーであり、
また国旗の 3 色のうち、民族を象徴する色でもある。
「黄色のシャツ」は反タックシン勢力、
「赤色のシャツ」は親タックシン勢力という色分けができた。しかし、この二つの対立を、
民主主義を推進する勢力と阻害する勢力の対立、王政を守るグループとないがしろにする
グループの対立、都市の中間層と農村の貧困層の対立というふうに、国を二分するグルー
プ間の衝突という構図に読み替えるのは適切でない。その理由はいくつかあるが、2005 年
以降タイ経済は不況へと転じ、その苦境から救ってくれるのは誰なのか、という期待の違
いがシャツの色の違いに反映したのである。現状への不満という点では、両者とも共通し
ている。したがって、シャツの色の違いでなく、タイの過去と現状を理解し、将来を展望
する別の視点、あるいはより広い分析枠組みが必要となる。
(101310880 中村茉莉)
このテキストで興味を持ったのは経済ブームの終焉、通貨危機の勃発を契機に、グロー
バル化や自由化の波にタイ社会を自ら適合させていく「タイ王国の現代化」かまたは王制
と仏教を軸に社会の公正や安定を重視する「タイ社会の幸福」の二つの選択肢が立ち現れ
たことでした。前者は中進国が掲げる諸問題を首相の強いリーダーシップのもとで克服し
ようとするなど、なんとなくわかるのですが、後者は仏教を軸にという点に単純に驚きま
した。そしてその内容が、開発計画の目標はもはや「国の開発」ではなく、助け合いと友
愛の精神、節度や道理といった理念などの道徳と仏教をベースとするということを念頭に
26
おく、というのは想像しづらかったです。私はあまり政治や政策について詳しくなく、特
に海外のことはさっぱり分からないので、比べる対象が日本しかないのですが、日本は具
体的な政策や見通しを政府に求めるように思うので、当たり前のことですが、日本は立憲
君主制であるし、そういう制度が違えば政治の在り方もがらりと違うということを目の当
たりにしました。
また、1990 年代半ばからタイが中進国化したこにともなって生じた高齢者対策や福祉の
拡充、情報社会に伴う都市と農村の情報格差、イノベーションの推進など、日本が高度経
済成長期で生じた問題と似通っていて、参考になりました。
中進国の模索、とタイトルに書かれている通り、タイは急激な発展に伴った様々な問題
にぶち当たっており、政権も幾度も変わり、そんな中、国民な何を望んで、これから何を
選択していくのか、このテキストを読んで興味を持ちました。今後のタイはどういう方向
に転がっていくのかに注目していきたいです。
(10131092 原川 莉果)
私が特に興味をもったのはタイ人の考え方である。第 4 章を読んでそう思ったのだが「サ
バーイ」という「心身ともに健やか」の意の言葉や、能力に関係なく人間関係が円滑な社
会のことを「よい社会」という感覚、だれしもがもつ「微笑みの国タイ」のイメージなど、
そういった「タイらしさ」に非常に関心をもった。日本で自殺率ワースト 1 位の福岡県に
住む私にとって、世界でもっとも自殺率が低い国として知られていること、低ストレス社
会のおかげで胃がん患者が極めて少なかったという実情にも驚きを覚えた。
私は先日、講義でアジアの怖さ、悲しさなどを知った。海外出稼ぎや売春、戦争、路上
生活者などリアルな現状を学び心が切なくなったのだ。だから今回、タイの海外実習も急
に怖くなった。だが今回こういった「タイらしさ」を知って本当によかったと思う。
他にも、インターネットでタイ人の夫とタイで暮らしている日本人女性のブログを見て
みると、いろいろなことがわかった。
・タイ語で オオカミ=野生の犬、イノシシ=野生の豚
・食事中にお客さんが来たら「一緒に食べましょう」と誘う
(かといってそこで食べる人は少ない)
・食べたいときに食べる!
(両替所の人、お店の店員が堂々と食事してもいいし、レストランの店員が口をもごも
ごさせていても、決して変ではない)
・タイ人(大人)はすぐに人のサンダルを履いて帰る
(何十足もある状況で間違えるのではなく、2 足だけの状況でもふつうに履いて帰る)
・タイのお坊さんは殺生しないから精進料理を食べるといわれているが、実際はけっこ
う召し上がられている
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(中には守っている人もいるが「自分では殺してないから食べてもいい」という考え)
など失礼ながら思わず笑ってしまうものもあった。だが私はこういったルーズさ緩さがタ
イの魅力であり、低ストレス社会というのも納得できた。今回こういった「タイらしさ」
を調べて、わたしはタイがとても好きになった。
参考:
『タイ人と暮らす!∼イルカと南国生活∼』
(10131104 Purevdorj Baasan)
僕が一番関心を持ったのはタックシン首相&タックシノクラシーである。彼のことを
Most Wanted for crimes against the kingdom of Thailand という人々がたくさんいるか
もしれないが、彼が成し遂げたことから見れば彼はタイという国に対して悪いことをして
いたとは僕は思わない。
第五章にも述べたように、彼は演説の中に『資本主義の絶対的勝利が前提になっている
今、われわれが事態を静観していては敗者になるだけだ。自己防衛策で、世界民主主義に
ついていかなけべばならない』とタックシン元首相が言っていた。彼の『時代についてい
く』という言葉が一番印象に残った。
『タイ王国の現代化計画』=Kingdom of Thailand Modernization Framework KTMF を外
国人投資家の前で演説をしたときに Knowledge Technology Management Finance
に変え
て言った事をさすがだなと思った。臨機応変に自分の主張したいこと、伝えたいことをそ
ういう風に表現していることでタックシン元首相をすばらしい演説者と個人的に思う。
彼は『強い首相』であった。彼の『緊急経済社会政策 9 科目』
1.3年間農民の負債返済を猶予する
2.村落基金を設置し、1 村あたり 100 万バーツを融資する
3.無担保融資の人民銀行を地方に設置する
4.中小企業向け政府機関を立ち上げること
5.国家が管理する不良債権処理機関を設置
6.国営企業の民営化
7.Universal 健康保険制度
8.麻薬取締法の強化
9.汚職対策を徹底する
はすべて MANIFEST に書かれたことで、そのすべてが成し遂げられたことがタイでは初めて
のことであった。他の国の政権にしても、Manifestでかかれたことをすべて達成
できるのさほどないことでしょう。
彼はシンCo.を経営して大成功したCEOである。首相になってからも『国を企業と
見て、首相をCEO』と見て政権を担っていた。彼はとても強い首相で、彼の Dual Track
政策が農村部の経済発展につながった。日本の政権も国民の維持が低く、首相が次々と変
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わっているのが現状である。機能も日本の新首相に野田さんが就任した。タックシンを例
に挙げるのは良くないが、野田さんが政権をどう担うかは厳しい経済状況の日本を左右す
る大きな出来事になるであろう。
(09131065 坂之下藍里)
私が最も興味を持ったのは第4章のタイ中進国化と社会の変化という章である。その理
由は3つある。まず一つは農村部と都市部の経済格差がそれほど目立っていないという事
実である。経済が発展すると農村部と都市部の間には大きな経済格差が生まれるのではな
いかというイメージがこれまで強かったのだが、この章でビールの消費量を例にとって考
えたときに確かに購買力という面から見たら都市部の方が圧倒的に強い部分はあるが、農
村部でも確実に経済ブームの恩恵を受けているとわかるほどにビールが消費されているこ
とがわかり、その点に驚いたというのが興味を引いた一つの理由である。これは次に私が
この章に興味を持った理由ともリンクするのだが、タイにおけるコンビニエンスストアや
大型百貨店の急速な地方進出が一因となり、農村部の活性化につながっていると考えられ
る。タイで急速に拡大しているコンビニエンスストアや大型百貨店の進出は私たち1班の
グループ課題の「日本の海外への企業進出について」にも深くかかわってくると感じた。
日本からはファミリーマートなどが進出していると同時にタイには世界各国からたくさん
の百貨店が進出してきていると知り、中進国タイは今、徐々に経済力をつけてきているの
かというのが情報としてはっきり分かる変化だと思った。
そして最後に私はタイの社会的な変化という点に興味をひかれた。これまで「微笑みの
国」と呼ばれるほど穏やかな国民性が特徴だったタイ国民がそれを失い自殺するまで追い
詰められるほどの急速な経済発展は果たして必要だったのだろうか?と疑問が浮かぶ。現在
タイが直面している問題にも大きくかかわるが、タックシン首相のようにタイをグローバ
ル社会に適合した国へと持っていくべきか、国王を元首と考え、これまでの伝統を守って
いくべきか、その選択を避けられないと同時に、すでに中進国化しているタイで、国民の
ストレス解消の手助けをするような機関(職場ごとや学校における相談所等)の設置など
もこれから必要になってくると私は考える。いつかタイがふたたび「微笑みの国」と呼ば
れ、良い文化・風習が戻ることを願いたい。
(09131094 田中 涼子)
最終章で筆者も述べていが、タイの選択すべき道は「タイ王国の現代化」もしくは「タ
イ社会の幸福」のいずれかに果たして当てはめることができるのだろうかという点である。
理由としては、第一に途上国が発展するにあたってグローバル化への適応は回避できない
問題である。第二にタックシン首相の政策は確かに批判できる部分もあったが同時に評価
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すべき政策も含まれていた。一、二を考慮すると一概に選択を迫ることは難しいと考えた
からだ。
そこで政策の観点から私的に考えていく。まず、問題点として政策決定は首相と政党が
担うという権力集中の形、異常な金融資産とその活用により悪い形で利益獲得を目指した
点である。首相の政治は代表民主性により民主化は満たされていると捉えられていたが実
際には民主化とは少しかけ離れた政策決定の形が取られていた。また、金融資産運用のた
めに規制緩和、脱税疑惑など国のトップとしてこれをやると信頼が欠けるのは明らかであ
り多少人間的な問題もあるように思える。これに対し、良い政策は農村の潜在能力を発揮
させるためには、機会を与え後方支援を行う必要があると主張した首相。緊急経済社会政
策九項目プラス一村一品運動、バーン・ウアアートーン計画を含むポピュリスト的事業が
特に評価できる点である。実際に一村一品運動では 330 億バーツの売上を上げ 30 バーツ医
療サービスでは国民の 95%をカバーするという成果を上げている。この成果実績を考慮し
て後の首相も他の政策は取り入れずとも草の根経済復興は継承しているというパターンが
ある。首相だけでなく国民の理解を得られたからこそ継承できた政策ではないだろうか。
以上は、タックシン首相の現代化計画側からの視点で考察したが加えてタイの伝統的な
価値意識や国王・宗教を重んじるというタイ社会の幸福も同時に考えていかなければなら
ない。タックシン首相の前例があるように、現代化への選択だけでは限界が見えるはずだ。
そんな時に社会の安定・幸福を求める動きが同時に出てくるように方向付けるのが今後の
タイに繋がるのではないだろうか。
これを通して現地実習では、タイの伝統的な価値観・社会について触れたいと強く感じた。
(9131124 古川忠美)
わたしは「タイ 中進国の模索」を読んで、タイ国王について興味を持った。タイでも日
本でも、これまでに首相はたくさん替わって様々な政策を行ってきたが、失敗に終わった
り衰退したりした。しかしタイ国王は、変わらず絶大な支持を国民から得ている。しかも
その期間が、長期にわたってである。その国王の存在によって、タイという1つの国が支
えられて存在しているのではないかと考えた。「王室プロジェクト」と呼ばれる農業を始め
とする方経済の活性化プログラムを自ら指導し、こんなにも国民から敬愛されているので
ある。他にも具体的には、国王自ら土地改革運動のために王室の所有地を提供し、農村開
発や干ばつ対策の人工雨等の各種王室プロジェクトを推進している。王妃と共に地方視察
も非常に精力的に行い、国民に近い立場をとり続けることから、確実にタイ国民の尊敬と
信頼を勝ち得た。実際に、毎年国王の誕生日前になると全国各地に肖像画が飾られ、国王
の色とされる黄色いシャツを着用した市民で埋め尽くされるほどである。このように広く
支持されているのは、これらの献身的な活動や人柄が愛されてのことであり、学校教育で
行われている国王に対する崇拝教育や不敬罪といった強制的なものによるものではない。
30
共産主義への対抗上、王室の政治利用が進められたことも影響しているという意見もある
が、いずれにしても様々な功績が評価され、国民の自発的な尊敬を集めているとして国内
外から評価されているといわれている。一般的にタイ国民から敬愛を受け続けているが、
反王制派思想やアジア人に対する侮辱的感情を持つ外国人等による批判を受けることもあ
る。しかしながら、諸外国の政府や国民からの評価は高い。我が国日本とも、独立国であ
り続け君主制をとり続けてきたタイの王室と、日本の皇室は歴史的に縁が深い。比較的友
好関係にあると考えられる。政府と国王のバランスのとれた国が存在し続けることがいか
に難しく、しかしいかに幸せなことか、考えさせられた。
(09131145 山下紗季)
私はタイの教育と労働市場のミスマッチについて関心をもった。
なぜなら、まずタイには大学の数が十分に足りておらず、就業率も低いと考えていたの
で教育と労働市場にはミスマッチなど生じないだろうと思っていたからだ。しかし実際タ
イでは、政策目標に掲げた高等教育の大衆化をほぼ実現していたのである。
驚いたのは、昼間コースの学生のじつに八割が農民の子弟だったことだけでなく、タイ
ではチャワリット政権の時代に国家育英基金が設置され、高校から大学院までの学資を無
利子で融資する制度を開始していたことである。また、大卒者を採用する職種は、東北タ
イの東北に位置するサゴンナコン県では、地方官庁、学校、銀行や生命保険会社の地方支
店、ホテルくらいしかないのである。
日本とタイを比較してみると、日本では大きな企業や有名な企業ほど高卒の者よりも大
卒者を採用する傾向がある。むしろ高卒では就職先が見つからないことも多々ある。高卒
という言葉には偏見をもつ者も少なくないと思う。また、日本でも奨学金を借りることは
できても特別な理由がない限りほとんどの学生が利子付きでしか借りれないのである。こ
こにタイと日本の教育に対する考え方の違いを感じた。
日本は大卒という肩書きがあれば、他人から見るとこの人は四年間もよく勉強したのだ
なぁと思われる。それに対して、高卒者にはこの人は大学に行ける知識がなかったのかな
と思いがちである。しかしながら、タイでは、学生に対して、学校で何を学んだのかとい
う点を重視し、勉強した期間ではなく学習内容に重点をおくのである。つまり、職業高校
や短期大学で実学を学んだ学生を企業経営者たちは必要とするのだ。
しかし日本とタイで共通点があることもわかった。大卒者の農業従事者が少ないことで
ある。大学まで出て農業をするのはどうかと思う日本人がほとんどだとは思うが、環境と
共存し安全な農産物を供給し、安定した農業経営を維持するために様々な知識が不可欠に
なっている。これが経済と雇用の関係をよりよくするものかもしれないということを頭に
いれて国の将来のことも考えていくべきだと思った。
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(08131013 石垣大輔)
私が興味を持った事項は“タックシン首相の行動力”である。この点に関して、今の日
本政治と自分自身の2つの点から論じていきたい。それでは、前者に移っていきたいと思
う。現在、日本は毎年のように首相が代わり、国民からだけでなく世界からも強いリーダ
ーがいない国だと認識されている。なぜ、日本には強いリーダーが生まれないのか。それ
は、政治家が強い信念を持っていないからである。だからこそ、明確なビジョンも描けず、
はたまた挙党一致体制すら作れないのである。一方、結果的には“破壊”に終わったもの
の、タックシン首相は強いリーダーシップで国を改革していった。やはり、彼にはタイを
現代化させたいという強い信念があった。だからこそ、あそこまで行動できたのだと推察
できる。政治には表には見えない裏の世界が存在し、自身の意見を通す為に様々なやりと
りが横行しているだろう。しかし、私は国(もしくは国民)のため、そして法律の範疇内
であれば、私は大いに活用していいと考える。タックシン首相は保身の為にそれを使った
為に、国民の反感を買ってしまった。したがって、私は今後、日本が世界で存在感を保っ
ていけるように今の政治家には強い信念と国家像を是非とも持った上で行動してもらいた
いと思う。
とはいうものの、私自身も目的を持って行動してきたかと言われれば、即答できないの
が正直な所である。だからこそ、私もタックシン首相の企業経営を参考に短期・中期・長
期の目標を設定したいと思う。そして、私はその目標に確固たる自信を持てるまでに考え
抜き、即座に行動に移していきたいと考える。さすれば、タックシン首相がタイを変革し
たように、私も自分の未来を少しずつ変えていけるのではないかと思う。
以上のように、私は“タックシン首相の行動力”には強い目的意識が存在したと分析し
た。そして、その目的意識は現在の日本とその一員である私に必要であるという結論に至
った。
(08131024 内田歩)
現国王のプーミポン国王は、時代の流れと彼自身の行動から「国民の父」
「統治者」そし
て「国王を元首とする政治」へと発展させていったと書いてあった。日本では、天皇が統
治者や政治に関与することはできない。しかし、このような多くの側面で国民から認めら
れるには、生まれながらの才能とかなりの努力が必要であると考える。「国民の指導者」た
る国王は、言動に気を付けなければならない。首相や政権の変化が激しい中でも、中進国
としていられたのは、仏教の慈悲と寛容に基づく統治を行い、国民に国王としてあるべき
姿を見せていたからではないかと思う。プーミポン国王の提唱した「足るを知る経済」の
考え方だけでなく政治・司法・経済運営の改革をしなければ、タイの中進国化した社会問
題と経済の安定は見込めない。社会問題では、家族やコミュニティ、NGO、宗教組織の協力
32
が不可欠である。仏教国として、タイは経験を
重ねている国であり、社会問題の解決策
の一つとして日本やほかのアジアの諸国にも参考にするべきであると考える。ストレス化
したタイ社会を柔軟に切り抜けていくためには、タイ国を支える「民族・宗教・国王」の
ひとつである宗教の役割が必要ではないかと考える。タイ国民が「足るを知る経済」を意
識し、国民が現代化したタイ社会と社会的公正に目を向けた社会の両者をバランスよく柔
軟に受け入れていくことこそが微笑みの国タイに再び戻すきっかけになると考えられる。
(08131136 無田ゆう子)
私が1番興味をもったのは、第4章で述べられている「タイの中進国化と社会の変化」
についてである。大きな変化を経験してきたタイ社会であるが、経済ブームによって消費
社会へと変容した過程に強く興味を持った。この章では、タイの 1 人当たりのビール生産
量が 1 人当たりのGDPを上回るスピードで右肩上がりの上昇を続けていることや、コン
ビニエンスストアの急速な拡大を挙げ、都市と地方を比較している。タイのイメージでは、
バンコクなどの都市と農村のような地方とでは大きな経済的格差や生活水準の違いがある
と考えていた。しかし、実際にバンコクと地方都市の間で経済格差は広がっているものの、
農村との間では縮小してきている。これは、経済ブームがバンコクだけでなくタイ全土に
恩恵をもたらしていると言えるのである。このことは、ビールの生産量の増加やコンビニ
エンスストア、大型スーパーが地方にも続々と進出している点からも説明出来ると著者は
述べている。バンコクでは大型百貨店などの建設ラッシュが始まり、人々の生活水準も高
まってきている。その一方で政治に対する考え方も変わってきており、これは経済ブーム
を経験した国と同様の現象である。
現在のタイ社会が発展を遂げていく過程は、多くの先進国が辿ってきた道と同じような
課題を抱え込んでいることも共通する。代表的なものは、人口抑制政策や女性の社会進出
の増加による少子高齢化の問題、グローバル化や経済の自由化により企業では競争が行わ
れるようになり、ストレス社会も到来した。何事も穏やかで、微笑みの国であると言われ
てきたタイも、このような社会の変化に飲み込まれてしまっているのが現状である。
目まぐるしく変化するタイの現状に歯止めをかけることは出来ないが、様々なことに柔
軟に取り組むことが出来ると言われているタイ国民の今後の進んでいく道をもっと詳しく、
政治面・経済面から学んでいきたいと思った。
33
【事前見学会 1】道の駅大和そよかぜ館(2011 年 8 月 31 日)
そよかぜ館を見学して
09131145 山下紗季
私はそよかぜ館を見学して、とてもアットホームな暖かい空間だなぁという印象をもち
ました。お店のなかを見てまわっているときに、まったく知らない地域のおばちゃんやお
じちゃんが気軽に話しかけてきてくれてとても穏やかな気持ちになれました。
また、小野さんのお話を聞いてためになることがいくつもありました。まず、道の駅の
スタートが資金ゼロの直売所からだったという事実に驚きました。地域密着型で地域の活
性化を目的に、地域にあるものを地域で吸収していきたいという強い意志があってからこ
そ実現できたのだと感じました。道の駅には、情報発信、地域の連携、休憩機能の三つの
機能があり、それだけでなく防災の機能や暴力団対策、クレーマーへの対応など私たちが
知らないところでこんなにも地域のために動いてくれているのだと感心しました。
また、そよかぜ館では様々な体験教室がひらかれていて、手作りの良い点がとても活か
されていて、よい考えだなぁと思いました。原材料がはっきりしているということは消費
者にとって一番安心できることだからです。
現在そよかぜ館が頭を抱えている問題点や課題がはっきりしていることにも感心しまし
た。年間を通しての地産地消がどれだけ難しいことなのか痛感しました。私は地産地消を
広めたいと簡単に言っていたけれど、これを年間を通して可能にするためにはどうしたら
いいのか、継続することの難しさをふまえて考えていかなければならないなぁと実感しま
した。
今回のそよかぜ館の訪問でよりいっそう地域とのつながりは大事なのだとわかりました。
そよかぜ館での視察研修を終えて―
10131011 岩永 桃枝
・そよかぜ館での見学内容
そよかぜ館ができるまでの過程や地元農家の方々と密に交流をしながら、農薬について
のアドバイスを行ったり、実際にそよかぜ館に置く商品についての制限やバーコード管理
での工夫などのお話を拝聴した。地域密着型のそよかぜ館は若い人にも買ってもらおうと、
ソフトクリームやパウンドケーキなどの商品を販売するなどの工夫をされている。地元農
家だけでなく、他の道の駅との交流もあり、暴力団やクレーマー対策のための情報交換を
行っている。体験教室も行われており、より地元に根づく運営を行っている。現在の安定
した運営状況で終わる事はなく、今後も加工品の開発や契約栽培などの取り組みも視野に
34
入れて運営をされていくという事だった。
・関心を持ったポイントなど
地域の活性化で地域の事を多くの人に知ってもらう事ができる。これは自分もより多く
の地域を知ることにつながるのではと思った。地域を発展させようとするからこそ、より
多くの地域の事を知らなければならず、それがさらに地域の発展へとつながっていく、理
想的な循環の仕方だと感じた。その地域密着型の運営方法の中でも一番関心を持ったのは、
農薬についてのお話だった。農家が使いやすい表示方法の工夫やアドバイスなどそこまで
してくれる関係というのは、お互い安心できるし、消費者の方々も安心して商品を購入で
きると感じた。安心や安全の問題がより問われてきている時代で大切なのは、こういった
地域に密着した安心感なのではないかなと思った。この関心をもとに今後はどういった形
で商品を置けば人は安心するのだろうかという、人々の感情について理解を深めていきた
い。
そよかぜ館見学についてのレポート
08131024 内田 歩
1.見学内容・話の趣旨
l
誕生の理由:買い物が不便だったこと、地域に密着した店をつくる思い
l
道の駅の役割:情報発信・地域との連携・休憩機能・
(新潟の震災以降は)防災機能
l
取り組み:POS システムを利用した鮮度管理や在庫の管理(オリジナルの 26 ケタのバ
ーコードを使用)
、農薬の使用方法の指導、農家の知識や地域の伝統や文化を体験教室
で広める、他の道の駅との情報交換、従業員研修
l
今後の取り組み:①ペースト状にする加工工場をつくる(介護食や離乳食、ジュース
など)②漬物③冷凍(冬場の野菜でも地産地消を行うことができる)④乾物(保存食
として)⑤レストランの設立⇒一次加工の重要性
l
今後の課題:農産物の安定供給
2.関心を持ったポイントと理由、どんな方向で理解を深めていくか。
近年、農業に関心のある人が増えてきていると聞いていた。しかし、話を聞いてみると、
農業をする人はまだ少ないようである。その原因としては、農産物の出来高によって収入
金額が変動すること、屋外での労働仕事であること、などがあげられる。今回お世話にな
った「道の駅そよかぜ館」のある梅野地区でも、過疎化が進み、農業の高齢化が進んでい
る。これらの問題に対して、「道の駅そよかぜ館」では、農産物の販売以外にも体験学習を
通して地元の人々とのコミュニケーションのできる場を提供すること、農薬の使い方や農
35
家の人を対象とした農業の研修会など、多岐にわたって地元の農家をサポートしている。
韓国からも視察団が来たという話もあった。海外でも地方の問題は深刻であり、道の駅
は地域復興のカギを握っている。農産物の販売から始まったそよかぜ館の多くの取り組み
は、近年薄くなっている周りの人とのつながりを求めている若者や都会の人々にとっては
新鮮なことだと感じた。商売は人とのつながりから始まっていると思う。接客だけでも人
の求めるものは、調べることができるし、体験教室でも生の声を聞くことができると思う。
農家の方々の農産物を作ることと一般の人との価値観のバランスをいかに調節していくの
かが大切だと思う。消費者の価値観は、時代やその地域の発達の度合いによっても変わっ
てくる。それらについて、理解を深めていきたいと思った。
道の駅 大和 そよかぜ館の見学を経て
08131013 石垣大輔
今回はお忙しい中、私達のために時間を割いて頂き有難うございました。
今回は道の駅を設立するまでの経緯、道の駅の現状、今後の方針等をお話して頂いた事
によって、私は地域振興の実像を以前よりはっきりと掴む事ができました。
小野さんの話の中で私が最も興味深かく感じた事は、農家と流通媒体との関係性でした。
私は以前から農家の方の収入が不安定だという事は知っていました。かといって、私はそ
の原因を深く掘り下げず、ただ自然という不確定要素が多いものを相手にしているからと
短絡的に片付けていました。しかし、今回の話の中で流通(流通媒体)が収入の安定性に
大きく関わっている事を知り、私は非常に驚嘆しました。その反面、今後、大いに改善で
きる余地があるのではないかとも感じました。そこで、恐れ多いですが、以下に私なりに
考えた流通の改善策を簡単に述べさせていただきたいと思います。
私は今回の話を聞く限りでは、道の駅の目的は“地域の繋がりを強くする事を通じて地
域振興を成そう”という印象を受けました。そこで、それをより推進する為に、今後、協
力を重点的に深めていく相手をコンビニエンスストアにするのが適当ではないかと考えま
した。その理由は2つあります。1つ目の理由は“コンビニエンスストアが現代人の生活
の拠点となっている点”です。現在、コンビニエンスストアは生鮮食品からATMまで生
活の基盤をほぼ網羅していると言えます。加えて、先の震災では防災や安心の面での貢献
もありました。コンビニエンスストアは海外で急速に店舗を増やし、農村部にも進出して
います。このようなノウハウを持つコンビニエンスストアと協力を深められれば、より効
果的に地域振興を図れるのではと考えました。2つ目の理由としては、若者が多く利用す
るという点です。先日、見学をさせて頂いた際に道の駅の購買層は30代以上とお見受け
しました。正直、私もあまり道の駅を利用した事はありません。その理由は馴染みがない
からだと考えます。そこで、購買層の広いコンビニエンスストアと協力する事で道の駅の
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認知度を上げられると考えました。そして、提供する商品は農家の方の手作り商品にする
とより効果的だと考えます。なぜなら、コンビニエンスストアにはすぐ食べられるものを
求めて来店されるお客様が多いからです。その調理済みの商品から生鮮食品や道の駅など
の情報を分かるようにする事で、道の駅の購買層または後継者を増やす事に繋がっていく
のではと考えます。
以上のように、私は流通の問題を解決するために“知ってもらう”という事が最良の策
だと考え、その上でコンビニエンスストアを手段として意見を述べさせていただきました。
私がこのように考えられたまたはこのような機会を持てたのも小野さんが非常に有益なお
話をしてくださったからだと思います。したがって、私は今回の話で得た情報を参考にし
ながら、タイの見学を行い、より地域振興の本質について考えていきたいと思います。
「そよかぜ館」訪問レポート
10131087 野村恵里
そよかぜ館が存立している松梅地区は、高齢化・過疎化が問題となっている地域でした。
また、農業が主要産業でしたが、流通経路が明確でない点や、農業だけでは生活していく
ことが困難だということに問題がありました。そこで、地域に密着した施設が「道の駅」
そよかぜ館でした。道の駅には3つの目的があります。第1に、商品を販売・加工する場
であるということ。第2、コミュニティの場であるということ。そして第3に、地震など
の自然災害に備えた施設であるということです。実際に店内を見ていると、客同士での会、
話はもちろん、店員と客との間でもたわいもない会話がされていて、そこも地元のお客さ
んが足しげく通う理由かな、と思いました。また、そよかぜ館は商品を販売するだけでな
く、農家と連携をとり、農薬をできるだけ減らそうという取組みを行っていました。農協
や農林水産省が製作した資料では分かりにくかった部分を改良し、農家の人がわかりやす
いように工夫されていて驚きました。このようにすることで、農家の農薬に対する意識レ
ベルを向上させることに繋がるようです。普段、スーパーで売っている農作物はどの農薬
がどのくらいの量を使用しているのか見ただけでは分かりません。だけど、そよかぜ館の
ように、明確に農薬の種類や量が決められているので、わたしたち消費者は安心して口に
することができます。さらに、徹底した鮮度管理によっていつも新鮮な農作物を購入する
ことができます。これは、通常13桁のバーコードを26桁にし、商品名,種類,出荷日
などを含めています。そうすることで、期限が過ぎた農作物はレジを通すことができない
などといったことが可能になったのです。
道の駅といったら、普通の直売所だと思っていました。しかし、そよかぜ館では鮮度管
理を徹底したり、農薬の使用量なども細かく決めたり、消費者の立場になって販売が行わ
れていた点に関心しました。なぜなら、通常の流通経路は、生産者→JA→市場→小売業→
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スーパー→消費者となっていました。そよかぜ館では、生産者→そよかぜ館→消費者とな
っています。生産者から直接消費者の手に届く形態をとることで、いままでは JA などに任
せっきりだった農薬や鮮度などに農家自身が責任をもつことになります。このような形態
をとることが、より地域に密着した施設としての役割を果たしていると思ったからです。
今後は、タイで実施されている一村一品運動との相違点や、問題点と照らし合わせて自分
たちが調べるテーマにそって研究していきたいと思います。
今回、そよかぜ館を訪問して、消費者側として来るだけでは分からなかった点を詳しく
知ることができました。お忙しい時間を割いて、お話をしてくださりありがとうございま
した。
道の駅大和そよかぜ館見学レポート
10131080 中村茉莉
私は今まで「道の駅」というのは、その地域の特産物を外部から来た人々に知ってもら
い、買ってもらうためのものだと思っていました。でも実際、そよかぜ館に行って話を聞
くと、それだけではないことが分かりました。
そよかぜ館が最初にできたときのきっかけは、わきあいあいとした、地域に密着した場
所を作るためであり、近所の人の、例えばおはぎがうまいとか、弁当がうまいとか、その
ような特技を聞きつけては交渉し直売所へ回したりと、そういうことからはじめていたと
きき、ここまで道の駅として拡大したのかと驚きました。地域交流として干し柿作りや漬
物教室、田舎料理教室などをしていたりして、地域の人々との触れ合いも大切にしている
のも魅力的でした。しかし、直売所ならではの苦労もあるようで、農家から直接仕入れる
ために責任は重大で、新鮮でなければならないため、鮮度管理には余念がないそうです。
対策として、農家に農薬について考えてもらうために防除日誌を出してもらったり、バー
コードに売る期間を入力し、それが過ぎるとレジを通れないようにしていたり、消費者の
目線にたって考えることを重視しているため、お客さんに注意を受けては見直しているそ
うです。
実際にそよかぜ館で買い物してみると、見たことの無い野菜や手作りのお饅頭やお菓子
など普通のスーパーには売っていないような商品がいっぱいあって新鮮な気持ちになりま
した。また、お客さんを見ていると本当に近隣の方々がほとんどらしく、
「今日は○○が売
っていたよ!」とか、
「その野菜わたしも買おうか迷った!」とお客さん同士で会話してい
て、このそよかぜ館自自体がコミュニケーション提供の場所になっているんだと思いまし
た。
スーパーやコンビニ、大型商業施設が増えている現状ですが、そよかぜ館のような地域
に密着した場所はもっと必要なのではないかと思いました。後継者の問題などあると思い
38
ますが、これからもこのような地域に根付いたあたたかい場所を後世に語りついでいって
ほしいです。今回は貴重なお話をしていただきありがとうございました。
「道の駅大和そよかぜ館」レポート
08131136 無田ゆう子
今回、道の駅そよかぜ館を見学させて頂き、道の駅に対するイメージが大きく変わりま
した。今までの道の駅というと、地域で作られた農産物などが売られており、安全かつ安
値で買える直売所というイメージでした。実際にじっくりと見学してみると、農産物だけ
でなくお弁当や雑貨などの多くの品ぞろえがあるということも分かりました。
また、小野さんにお話しを伺ってみると、道の駅と地元の農家さんとの間ではただ商品
を置くという関係だけではないことも分かりました。特に驚いたのは、道の駅の方から農
家に対して農薬の使い方を指導していたり、契約栽培を行ったりしている点です。安全で
良いものを消費者にということで、鮮度管理を徹底したりバーコードを26ケタにするな
どして、農家の方にも多くのことを知ってもらい意識を変えるというところにも、道の駅
はただ商品を置く直売所としては語れないのだなと感じました。
多くの種類を少数単位で作っている農家にとっては、JAを通すよりも道の駅に商品を
置いてもらう方が収入の安定を図ることが出来て、生活の安定にも繋がるという利点もあ
ることを知りました。道の駅という場所は、他のところにはない農家の方々の知恵や、旬、
四季が感じられる場所でもあり、ただの直売所ではなくて地域の人々・外から来た人を繋
ぐという大切な役割を持っています。小野さんがおっしゃっていたように、モノを売るだ
けでなくライフラインなどを揃えて防災に備えるなど、道の駅があることでたくさんの人
に安心感を持ってもらえるような場所にしていくこともこれから大事になってくるなと感
じました。
「道の駅 大和 そよかぜ館」レポート
古川 忠美
先日、小野さんからそよかぜ館の成り立ち、仕組みや現状、今後の取り組み等詳しく説
明していただき、より一層「一村一品」につて興味がわいた。
山林に覆われた中山間地に位置し、高齢化が進行している梅野地区を活性化させるため
に「道の駅」が設立された。地域の人々が安心して集う場所、県外の人々にもこの地域のこ
とを知ってもらうための場、として考えられている。休憩・地域密着・情報発信・防災の
39
4つを役割と担っている。ここでは物を売ることが最大の目的ではなく、農家に販売の場
所を提供しているまでに過ぎない。道の駅間では会議が開かれ、情報交換や商品交換を通
してそれぞれの意識を統一している。
道の駅で販売されている農産物は農家直送であり、大型スーパー等とは違い新鮮なこと
が大前提である。その鮮度は、出荷規制や罰則規定で厳守されている。例えば、葉菜類の
出荷期限は1日・果実類は3日、値段を休日に高くしたら3日間出荷停止・市場から仕入
れて出荷したら1ヶ月出荷停止である。お客様から鮮度等について指摘されたことを、消
費者の立場から考慮することによって、この考え方に至った。制度を徹底するために、特
殊なバーコードで期限切れの商品はレジを通すことが出来なくなっており、売上情報を電
子メール利用で配信するなどの工夫をしている。農家側は、そよかぜ館の発行する農薬表
を活用して農業を営み、天候や曜日での売上を配慮しながら出荷している。
また道の駅では、特産物に特化して商品開発を行っている。そよかぜ館では、干し柿を
食べやすく若者向けにアレンジしアイスやケーキに加工している。他にも、味に問題はな
く少々形の悪い物を有効活用して、酢や羊羹など形を変えて商品化するなど、地域の物を
しっかり商品化することが出来ている。このことは、干し柿ソフトクリームの売り上げだ
けで2千万と成果にも現れた。また、地域の人が販売出来ていることは活性化の効果だと
考えることが出来る。
これからは、レストラン経営やペーストや味噌、漬け物などの加工複合工場の設立が企
画されている。地元の人を雇用し、地元農家から原材料を調達することで益々活性すると
考えられる。しかしわたしは、新たな企画より基盤となる農家の今後について関心を持っ
た。現在の出荷者平均年齢は、64歳と非常に高い。将来のことを考慮すると、後継者不
足が問題とされる。後継者作りとして、休耕田管理や経済的支援を行っているが、大幅な
増加には至っていない。農家経営は、収入が天候や出来具合に左右され安定することは厳
しいイメージがある。現実に、市場に出荷してもほとんどお金にならないし、不作の年が
ないという保証はない。ここに流通経路が安定していたら、伴って収入も安定すると考え
られている。若者対象の農家育成機会,、農家を営む環境整備、そして流通経路確保が大き
な鍵になるのではないかと考える。
「道の駅」大和 そよかぜ館を視察して
10131092 原川莉果
今日、小野さんの話を聞いて、ここ大和の「道の駅」は、買い物が不便だった地域のた
めに地元の農産物を用いて、若者とともにゼロから始められた場所であると知った。当時
は 1 日 3 万円だった売上も今では 1 日 100 万円にもなり、今日では韓国にも道の駅第 1 号
店ができるなど、その発展はすばらしいと思う。また常に消費者目線で考えており、安心・
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安全・新鮮さはもちろん、後世の若者にもお店に来てもらえるようにアイスやケーキを出
したり、形の悪いものはお酢やドレッシングなどに形を変えて売り場に並んでいるなど、
たくさんの工夫が見られた。農家さんたちに対しても、小野さんたちが自ら水産省の情報
をわかりやすくするために、病気・虫と農薬における表を作成したり、またわからないこ
とがあればいつでも小野さんに尋ねて来られるなど、そのすばらしい信頼関係もうかがう
ことができた。農家さんたちも、消費者のためにレシピや食べ方など手書きで紹介したり
して各自いろんなアイディアを出し、また自分の棚は自分たちで責任をもって数量を決め
たりしているということ、店内においてもお客さんがあふれており、とてもにぎわってい
ること、そういったことから、小野さんたちお店側の方々、農家のみなさん、お店に来ら
れる消費者のみなさんという、それぞれの信頼関係、そして各自自立している場なのだと
実感した。地域の連携や休憩場所として、また防災の拠点としてなどいろいろな機能を持
つ場である「道の駅」
、これからも全国各地で見られることを願いたいと思う。
そういったなかで私が特に印象に残っているのは、全体におけるあたたかさである。家
というのも、コンクリートでつくられたものより自然本来の木でできたもののほうがあた
たかさを感じるが、それと同じように、私はそよかぜ館にいてあたたかさを感じた。お話
を聞いているときも手作りのイスとテーブルに囲まれ、また和紙のカーテンに包まれ、店
内でもお菓子やスイーツ、アクセサリーからバッグ、正座するとき負担を軽減するイスま
で、すべて手作りであり説明書きも見た人のためを考え親切に、かつ手書きのものがほと
んどだった。食べ物においてもそうである。お話にうかがったように地元のものにこだわ
りをもっており、お弁当、漬物、サンドイッチなどもほとんどがその地域のもので、地産
地消とは本当にいいものだと改めて思った。
今度訪れるタイでも、町の人々はとてもやさしい人たちだとうかがっている。そして「一
村一品運動」の考え方を取り入れた農村企業を見学し、タイ農村での取り組みがどのよう
なものか、また日本の道の駅との共通点、相違点を探し、今後の生活に直接でなくても間
接的に役立てていきたいと考えている。
小野さん、本日はお忙しいなか、本当にありがとうございました。2 年もの、3 年ものの
干し柿も初めていただきましたが、それぞれ甘さが異なり、とてもおいしかったです。こ
れからもあくなき挑戦を続け、がんばってください!
「道の駅 大和 そよかぜ館」の見学を終えて
09131094
田中 涼子
『道の駅』と聞くと、単に農産物の直売所で地元の特産品を中心に販売されている場所
というのが私の勝手なイメージでした。なので、どのようにして地域活性化に繋がってい
るのかという仕組みについて考えたこともあまりなかったように思います。
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道の駅が造られたのには地域の過疎化・高齢化による衰退をどうにかして活性化したい
という思いが背景にあり、当初は少ない資金、売上からの活動スタートだったようです。
その地域にはどんなものがあるのかというのを知り、それを 1 つの場所(直売所)に収集
し販売することで地域の特産物を過去、現在そして未来に繋いでいる重要な役割を担って
いるように思います。農産物直売所の役割としては、情報発信・地域との連携・休憩機能
があり今後注目されているのが防災拠点としての役割です。
POS システムや携帯電話などを用いることで鮮度管理を行い生産者への情報提供を用意
にしているということにも驚きました。また、農薬一覧を作成し農家の方が使用する農薬
を制限することで安全・安心な商品を提供できると同時に農家の方が生産しやすいような
活動も行われていました。さらに、地域の農産物を使い、地域の知恵を発信し子供を含め
た体験学習の実施や高校生との共同で新商品を販売するなど地域内での交流・連携の拠点
となっている場所だということが分かりました。
私が特に関心を持ったのは、直売所の担う役割と今後の取り組みについてです。説明の
では役割として大きく 3 つ上げられましたが中でも“地域との連携”が重要だと感じたか
らです。活性化のために売上を伸ばすというのも重要なことですが、店内でのお客さん同
士の会話、体験学習また他の道の駅との連携の中でコミュニティが形成され活性化に繋が
っているというのがとても興味深いところでした。今後の取り組みとしては、商品開発ペ
ースト加工品、レストラン設置などさらに進化していく道の駅の姿を想像するととても楽
しみな部分があったからです。ただ、農家の後継者の育成・増加の点で課題は残っている
ようですが小野さんがおっしゃったように現在の農家の方には負担がかかるかもしれませ
んが育成支援を行うというのが 1 番良い方法だと思います。私自身、佐賀県出身ですが直
売所の良さをあまり理解していなかったので道の駅の良さをさらに発信していくことがで
きればますます活性化に繋がるのではないかと感じました。タイ現地実習では、直売所が
担う役割と今後の進展に注目して理解を深めたいと考えています。
今回の見学は、農家の現状、直売所の担う役割、農協との関係など新たな発見が数多く
ありとても勉強になりました。今度は家族で遊びに行きたいと思います。お忙しい中本当
にありがとうございました。
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【事前見学会2】佐賀エレクトロニックス株式会社(2011 年 9 月 29 日)
佐賀エレクトロニックス株式会社を見学して
08131136
無田ゆう子
今回、佐賀エレクトロニックスさんの見学をさせていただいて一番驚いた点は、工場内
の徹底した品質管理です。半導体というもの自体、あまりピンときていなかったのですが、
本当に小さな部品を組み合わせたりして出来たものが、世界のあらゆるものを動かす力と
なっているのだなあと見学をしていく中で感じました。そのためだと思うと、このような
徹底した管理も重要なのだと納得しました。
今回の見学で私が関心をもったのは、工場内で働いている人の少なさです。機械を使用
しているとは言っても、ある程度の人がいるのだろうと予想していたのですが、たくさん
の機械を数人の人が動かしているのを見て、とても驚きました。今後、さらに人手は必要
なくなり、機械だけですべてをまかなえるようになるのではないかと感じました。しかし、
お話の中でやはり人間にしか出来ない仕事もあると聞き、少し安心をしました。普段はな
かなか見る機会のない工場の内部を見学させて頂いて、産業の空洞化と言われる問題の現
状を少し垣間見ることが出来たような気がしました。生産段階については、専門ではない
ので難しく感じるところも多々ありましたが、貴重な体験をさせて頂けたのだと感じてい
ます。現在、多くの機械がタイの工場に移動しているとのことでしたので、実際にタイを
訪れた際には労働力についてや、日本の工場とタイの工場での違いなどについてさらに詳
しく知ることができたらと思います。
佐賀エレクトロニックスを見学して
岩永桃枝
今回佐賀エレクトロニックスさんの現場を見学させていただいて感じた事は、一つ目に製
品を作る現場では服装はもちろんの事、持ち込む物なども制限されていて、少しの静電気
でも壊れてしまうため、徹底した配慮がなされている現場を見て物を作る事は大変なのだ
と思いました。その工場の中で実際に働いているのは人間ではなく、ほぼ機械で人は大体
オペレーターとして物をセットして取り出したり、次工程に運んだりと昔に比べ機械によ
り仕事をする人間が減っても、生産量は昔に比べて多いという事が能率を上げている反面、
人間の仕事を機械が奪っているような感じも受けました。そうした見学の中で最も私が関
心を持った事は、何故半導体を生産する工場がタイに移動しようとしているのかという理
由です。半導体は材料に金・銀・銅等を使っているため金の値で材料費が変動します。そ
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うして金の値が上がっても、給料は下がってしまうのでタイなどの安い場所で生産するし
かないという事でした。また他の会社の安い賃金に勝つ為には高いものを安く作り売りに
出したり、設備投資を下げたりするしかないので、タイなどの場所にこれからどんどん工
場が移転していくという事でした。これらに関心を持った理由としては、これから社会人
になっていく私達にも関わりのある事だと思った事と、他国に工場が進出していく中で日
本人に必要なスキルとは、製品の企画や海外でも使える語彙力を持つ事なのかなと考えさ
せられたからです。私は今後高いものを安く作り、その後どのような方法で販売していく
のかという事や、どのような人間がより必要とされていくのかという事を知って、考えて
いきたいと思っています。
佐賀エレクトロニックス株式会社を見学して
09131065 坂之下藍里
今回、佐賀エレクトロニックス株式会社を見学させていただいて、普段は経験すること
ができない貴重な体験をすることができました。我々学生のためにお忙しいなか時間を割
いて、一つ一つ丁寧に教えていただけて本当に感動いたしました。
私が今回工場内を見学させていただいたときに一番気になったポイントは、
“エンジニア
の方が少ない”ということでした。すべてがオートメーション化し、実際に人の手がかか
わってくる場面が少なくなってきているのだなということが改めてわかった気がします。
また、コスト削減のために国内生産をやめて、タイに工場を移転しつつあることもオペレ
ーターが少ない理由だと知りました。なぜタイの工場で生産をしたほうがコストがかから
ないのかを考えたときに、日本人とタイ人の人件費に歴然な差が出ていることがわかりま
した。大卒、中・高卒でそれぞれ日本の賃金の 5 分の 1、8 分の 1 というのは本当に驚いて、
材料費が変わらないのであれば確かにタイで生産したほうがコストが大幅にカットできる
上、効率もいいということに納得がいきました。生産数推移や従業員推移といったデータ
を取り上げたときにも佐賀エレクトロニックスとタイ NJR の現状がよくわかりました。佐
賀エレクトロニックスの生産数が年々減少してるのに対し、タイ NJR のほうは年々生産数
が増加しており、ここから、生産する工場の日本からタイ移転が明確に現れているなと感
じました。また、従業員数は年々オートメーション化、工場移転に伴って減ってきている
ということがわかりました。ここで最初に採用を控えられるのはオペレーターの方だとい
う話を聞き、工業化するにつれてオペレーターのニーズが薄れてきているのかと感じまし
た。
ここまで学んできて私は、これから先、よりすべてが機械化され、さらに人員削減によ
るコスト削減が行われるのであればニーズを失いつつあるオペレーターの方々はどうなる
のかなと思いました。また、さらに機械化するのであればどの過程を機械化できるのかと
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いうことや、現在日本よりも古い機械で工場生産を行っているタイでは日本のオペレータ
ー数とどれほどの差があるのかという点が気になりました。今度タイに行く際にはぜひそ
の点に注目して工場見学を行いたいと思います。
今回の見学はほんとにいろんな点で自分の勉強になったし、新たな課題を見つけるいい
機会になりました。本当にありがとうございました。
佐賀エレクトロニックス株式会社見学を終えて
09131094 田中 涼子
これまで、私が見学したことのある工場は食品関連の工場がほとんどだったので今回の
IC(機械系)の工場は初めての見学でした。見学前のイメージとしては製造設備の機械が
多く、製造のための工場としての敷地が広大。さらに多くの従業員の方がいらっしゃるの
だろうという勝手なイメージを持っていました。しかし、実際はレイアウト集約型により
工場の敷地は思っていたよりも狭く感じました。従業員の方の数は極端に少なかったので
とても驚きました。オートメーション化によって生産効率は非常に高くなり、かつて手作
業で行われていた時代と比べると約 25 倍程度の生産性になっているようです。加えて、人
件費の削減も可能になりオペレーターの人数は 10 人以下のフロアもあり製造工程によって
必要となる人数も大きく異なると言うことを改めて知ることができました。
具体的な製造工程に関しては、私の知識が少なく難しく感じる部分も多くありましたが
IC が完成するまでの大まかな流れはつかむことはできたように思います。
製造だけでなく、経営に関することも含めて現場の声を聞くことができました。
タイ NJR 設立にあたり、日本の円高の影響と日本人にかかる人件費の高さがタイ進出へ
の大きなキーワードとなっているようです。日本よりもタイで生産した方が、人件費も安
くすみ、設備投資も日本で使用していた機械を持ち込むことでさらにコストを抑えること
ができ完成した製品の価格も安くなるという仕組みが出来上がっていました。同時に日本
では、タイからの研修生の受け入れや集約された機械を導入することによって品質を保ち
ながらもさらに進化・発展していくことができます。
どうしても日本で製造しなければならない物以外はよりコストのかからない海外の地で
製造することが効率の良い生産方法であるということを強く感じました。人件費に着目す
ると、特に製造業では人件費の固定費という位置から変動費化へと考え方を転換すること
で削減できる部分は多少なりともあるのではないかと私も感じました。その点では、派遣
や日雇い労働者など非正規雇用を取り入れるのも企業側からすると必要だろうと考えさせ
られました。
上述したように、難しい部分もありましたが経営に関することや日本企業の生き残りそ
して進化のために何が必要なのか、また何のために海外進出していくのかというのを現場
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の声として伺うことができとても勉強になりました。私自身、佐賀出身ですが海外進出を
している企業がこんなに身近な場所にあることすら知りませんでした。今回のタイの国際
交流実習で現地の企業見学の際には、生産方法(流れ)
・管理と現地の人々が日本にとって
どのような役割を担っているのかなどに着目して日本と比較しながらさらに考えを深めて
いこうと思います。
お忙しい中、本当にありがとうございました。
佐賀エレクトロニックス株式会社を見学した感想
10131104 プレブドルジ バーサン
25 日の見学の際に関心を持ったことが2つありました。
1 つ目は、工場で働く人の少なさです。外から見たときに工場がとても大きかったですし、
そこに働く人もたくさんいるだろうと見学の前に思いました。しかし、実際見学をさせて
いただいたときには各階に 20 人∼30 人程度で驚きました。そこに労働集約というのはどう
いうものなのかということを感じることができました。円高が進んで、輸出産業で利益を
上げるのは困難になって人件費の削減をせざるを得なくなったということを伺いました。
もちろん、そこには機械の進歩した面もあるのでしょう。その少ない人数のオペレータが
何をやっているかをお尋ねしたところ、機会に部品をセットして、できた商品を取り出し
て、後は不具合が無いように観察することでした。今は半導体がねじや釘のように汎用品
になってきている時代です。半導体は 1 個をだいたい 10 円ぐらいで販売していると伺いま
した。利益を上げるには、費用を削減するか、それとも売り上げを伸ばすかどちらかです。
売り上げを伸ばすのは半導体の市場の激しいこの時代には難しいことです。それで佐賀エ
レクトロニックス株式会社は出来上がった部品をチェックをする機械を自分たちで 300 万
円ぐらいで作り、他のメーカから 1500 万円ぐらいで買う費用を大きく削減していることが
分かりました。それでも、円高がどんどん進んでいて佐賀エレクトロニックス株式会社も
リストラクチャリングをして派遣という形でタイの工場の規模を拡大させる方針であると
いうことを聞かせていただきました。
2 つ目は、IC チップの注文が多い時期です。それについてお尋ねしたところ、新学期、
クリスマス、お正月、Golden Week などに電化製品が多く売れるらしく、電化製品のメー
カーもそれらのイベントの 2∼3 ヶ月前にたくさん注文をしていたようです。でも、最近は
中国人の電化製品を求める人が急増して、その市場も拡大しています。そのため、その中
国人のニーズに合わせるように、中国でのイベントである旧正月、9 月の新学期、お盆など
の中国での連休での販売ピークに備えて、その 2∼3 ヶ月前に注文をするようになっている
のは最近の動きのようです。これはとても興味深い話で、世界の経済の動きを見れるとて
もいい機会でした。
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佐賀エレクトロニックス 見学レポート
10131087 野村恵里
≪関心を持ったポイント≫
佐賀エレクトロニックスでは加速する円高に伴い、国内工場での生産からタイの工場へ
生産をシフトしています。日本で製造してもタイで製造しても変わらない汎用品をタイで
製造していくとのことでした。材料、機械、材料費は日本と同じですが、タイの人件費は
日本の1/30です。コストのうち約3割が人件費なので、タイで生産をすることでかなり
の人件費を削減することができます。さらに、日本の工場を縮小し、日本の工場から機械
の一部をタイへ持っていくことを計画しているとおっしゃっていました。しかし、タイへ
持っていった機械の分だけ人が残ります。人が残っても操作する機械はないとい矛盾が生
じてしまいます。このような点に関心を持ちました。
≪関心を持った理由≫
佐賀エレクトロニックスを含む半導体市場だけでなく、他の産業も海外へ生産をシフト
すれば、産業の空洞化がより深刻化してしまいます。円高に対応するほかの方法はないの
か、また産業の空洞化をふせぐ方法はないのだろうか?と思ったからです。
タイへ生産をシフトするという点で、現地の人たちと言語や文化の違いなどでコミュニ
ケーションにおけるトラブルなどはないのだろうか?と疑問に思いました。
また、残っても操作する機械がないという矛盾が生じるということで、残った人はどう
なるのか?という疑問も出てきました。
今回、忙しい時間を割いて私たちに見学をさせていただき本当にありがとうございまし
た。精密機械が並ぶ工場に実際に入ることは初めてで、少し緊張しましたが普段目にする
ことがない IC チップの製造過程を見ることができて感激しました。また、他の見学者には
絶対に言わないとおっしゃっていた質問にも答えていただきたくさんのことが知れてよか
ったです。今回の見学で、タイでの企業見学も楽しみになりました。ありがとうございま
した。
事前見学を終えて
本日はお忙しい中時間を割いていただき、ありがとうございました。スライドや資料に
よる詳しい説明から少人数での工場見学など、貴重な体験をさせていただきました。半導
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体自体は日常生活でよく目にするものでもないため、学ぶことがたくさんありました。
一番衝撃だったことは、半導体1つが想像していたよりも安価だったことです。様々な
情報があんなにも小さく納められているのに、約 10 円程度だとは思いもしませんでした。
確かに1日約 130 万∼150 万個と大量生産していて、技術革新による機器使用でコスト削減
にはなっていると思います。しかし半導体は最先端技術の中枢で、研究を重ねられ手間暇
かけてつくられた高貴なモノという印象がありました。
時代の流れで消費者需要が低価格のモノへと変化していくとともに、供給側もそれに応
えるため、様々な工夫をしていることが分かりました。そのうちの1つが海外進出なのだ
と思いました。設備・材料・人間をいかに上手く使うかが経営のポイント。タイと日本で
は材料費変わらず、設備も日本のものをタイへ持っていったりして変わらない。大きく異
なるのは、約5分の1を占める人件費。このことによって、需要側は安価に入手すること
が出来、供給側も利益を得ることが出来る。今後もこのような事業展開 は増えていくので
はないかと感じます。
他にも、工場に入って自分の目で半導体の造られていく工程を見せてもらうなかで、天
敵であるダストや静電気に細心の注意を払っていることがわかりました。初めて体験する
ことばかりで、たくさん知識がしみ込んできました。タイの工場での生産効率を高めるた
めのポイントやコストについて学んできたいと考えています。本当に親身な事前見学をさ
せていただき、ありがとうございました。
佐賀エレクトロニックス株式会社 佐賀製作所訪問について
内田 歩
会社説明で 1965 年に設立され、約 45 年の間に時代のニーズに合わせた多くの変革を行
われていたことを知った。製品の質や環境に対応した商品を必要とする今の時代では、
ISO9002 や TS16949 を取得され、製品の質の向上を行っていたことや、CSI の一環として
ISO14001 を取得されたことなど第 3 者から見た製品の質の向上や仕事場の環境づくりが行
われており、時代の流れに沿って柔軟に取り組まれていることがわかった。
何よりも気になったことは、産業の空洞化という点で話をされたとき、80 年代に 1000 人
ほどいたオペレーターの方々を 5 分の 1 程度にまで減らし、さらに、間接的にかかってい
た人件費も削る予定であると話をされた。機械化を進め、それでもコストの安い海外の工
場の規模を拡大しようとしていたことに関心をもった。話で聞くことと、実際にどのくら
いの機械が日本で使われなくなり、海外の工場に移動されていくということを目で見て感
じることで。日本が今抱える問題がいかに深刻であるかということを知ることができた。
タイの工場が今回訪問させていただいた工場よりもさらに大きく、これからも設備投資さ
れる予定であるということで、企業の円高対策や利益の確保などのために効率化や製品の
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高機能化・小型化・薄型化という技術革新も常に行われているということも知ることがで
きた。
世界の半導体市場は、右肩上がりであるというグラフをいただいた通り、主にアジアで
生産・消費される見込みがあり、これに乗じて日本の他企業も工場を海外に移転している
ことと思う。今回、石橋さんがおっしゃったように、日本でしかできないものという価値
のある製品を残し、その他の製品を海外に移転していくことも会社を維持していくために
は必要なことだと思った。産業の空洞化は深刻で、シリコンアイランドと呼ばれている九
州にもその影響は大きく、佐賀エレクトロニックスさんだけでなく他の企業も厳しい環境
におかれ、生き残りをかけて、さらなる経営や技術面でのノウハウを各企業の人たちが必
要とされていることを感じた。
今回の工場見学で様々なことを学ぶことができ、きわどい質問にも答えていただいてあ
りがとうございました。これを生かして、さらにタイでの実習を有意義なものにしていき
たいと思います。
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(チェンマイにて)
(ランプーン県・Thai NJR 社)
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実習の成果Ⅱ:カセサート大学報告会(10 月 19 日)
51
Group 1:
The company advance into Thailand from Japan
Daisuke
Airi
Ishigaki
Sakanoshita
Saki Yamashita
Shiori Toki
Purevdorj Baasan
The theme of our presentation is “Japanese FDI in Thailand”. I’ve divided our presentation into
four parts. First, I would like to talk about “Inflow of Japanese FDI into Thailand” and then, will
focus on “The aims of Japanese FDI”.Thirdly, I’ll talk about “Problems and prospects of Japanese
FDI”.Finally, I’ll show you “Present and Future of Japanese FDI in Thailand”.
1. Inflow of Japanese FDI into Thailand
The main engines of economic growth of Thailand are export-led foreign investment. In this
section, I would like discuss how Japanese FDI in Thailand changed in the last few decades. It is
well known fact that japan is the one of prominent foreign investors in Thailand, which contributed
to change of economic structure of the country.
According to available information, investment from japan and Asian NIEs increased rapidly after
the Plaza Accord in 1985.
Although Japanese investment in Thailand is increased continuously as a result of appreciation of
Yen and progress of capital and financial liberalization, ignited by a weak Yen after April 1995, the
investment number is already decreasing from 1996. The amount of investment decreased rapidly in
1998 because of the Asian financial crisis in 1997.
The amount of investment and the number of cases increased in 2000. This year, the Investment
Encouragement Law has been amended by BOI (Thailand). This may have been the one of major
reason for sudden increase of FDI in Thailand.
After the Thaksin government in February 2001, the foreign funding attraction policy based on a
dual track is the factor which the amount of investment recovered.
From 2004, the government of Thailand attempted to develop R&D and human-resources
development enterprise under Investment Encouragement Law. This was also contributed to rapid
increase of FDI in Thailand.
In recent years, the amount of investment is increasing along with the GDP growth. Therefore, in
2009, the amount of investment had unexpectedly decreased due to Lehman shock and the World
52
monetary crisis. The main reason for this can be recognized as a result of the effect of the business
stimulating measure which the new Abhsit government introduced.
This is a pie chart showing the cases of investment. As compared with the 2004 fiscal year, the
amount of investment to an electron and an electric industry has increased about 20 percent in the
2010 fiscal year. Moreover, the service industry is also extended.
The FDI from Japan to Thailand is recovering now, although it has been fluctuated by various
factors in the recent past. The Japanese firms in Thailand have the remarkable growth of an
electronic and an electric industry in conclusion.
The conclusion is that the favorable investing environment and various types of encouraging
policies towards FDI introduced by Thai government have been the major factors contributed to
resurge of Japanese investment in Thailand. Finally, this slide is about the ranking of Thailand in the
world.
2. The purpose of the Thailand advance of Japanese companies
In Thailand we can earn about 200B on an average. In Japan we can earn about 2800B a day. In
wages, there is a big difference of ten times between Thailand and Japan.
Thailand is a core member of ten nations of ASEAN with a population of 400 million , and there
are China and India in the rear. So Thailand geopolitically speaking, Thailand occupies the good
geographical convenience called the triangullar middle point of high growth three countries. It is not
only good location in terms of geopolitics. By “FTA” concluded between ASEAN and China, there
are no tariffs on most products in trade with China from 2010.Japanese companies’ products
produced in Thailand, as well as duty-free.China and Japan have not signed “FTA” , but Japan has
been trying to enjoy the benefits of zero tariffs entering into Thailand.If Japanese companies advance
to Thailand , there is a merit that it can be located in the middle point of a growing triangle , like
Thailand companies.
Thailand has a great geographical position, which is economically sandwiched between China,
Malaysia, Singapore and Japan. The statistic of top 10 trade partner countries shows that Japan is the
2nd biggest trading country with Thailand. Also Japan has 11.4% share to total ASEAN trade
Seeing export markets and import origins Japan is the 3rd in export market and 2nd country for
Thailand in import origins not only in Asia, but in the range of the whole Earth.
For Japan Thailand is the 5th biggest export country with value of 222million JPY and the 10th
biggest import country with value of 160 million JPY.
Now let`s take a look at Thailand. For Thailand Japan is the 3rd biggest export country with value
of 156 million JPY, and the 1st biggest import country with the value of 252 million JPY.
Japan is the biggest investor country for Thailand. Last year Japan invested to 723 projects, which
53
costed 1863 billion THB, and the amount of money is increases constantly. It declined once in 2008
due to the Lehman shock in the USA, but it surged after the crisis.
Employment in Thailand is good. The lowest wage rate is 151THB a day, and the highest wage is
206THB/day in Bangkok. In Chiang Mai it`s about 190THB a day. But the wage in Thailand is still
one fifth for engineers, and one tenth for workers of that in Japan. This way, manufacturers make
about 30% lower price products in Thailand than making it in Japan. Of course, they sell it with 10%
lower price. The rest 20% is their profit.
Please take a look at the graph of Thailand GDP growth. Except the currency crisis in 1997 and
Lehman shock in 2008 Thailand GDP had a great growth. Within 20 years from 1990 to 2011, it
surged more than 2 times.
But rising wages erode low-cost image. Same with China, rising wages in some places of
Thailand have reached the point at which foreign manufacturers need to give up on the notion of the
country as a low-cost production base. The wage is increasing. Of course, this trend is
INEVITABLE as the Thailand economy grows and society improves. Despite rising labor costs,
Thailand export will continue to increase in part, because of excess production capacity in the
country.
3
Problems of Japanese companies facing in Thailand
I will explain about problem facing by Japanese companies in Thailand based on a questionnaires
survey conducted by some of the researchers. This questionnaire survey conducted among 40
Japanese firms, which are producing automobile parts in Thailand.
First, I will explain about basic problems faced by Japanese firms during their production process
period in Thailand. 23 firms (57.5%) have “language” problem and 21 firms (52.5%) have “secure of
human resources”. Majority of companies are facing these two problems. About “language” problem,
most of the Japanese firms are attempting to communicate with Thai people through interpreter.
However, this strategy is having various problems such as inability to convey the correct meaning of
the discussions due to poor level of translation. So, Japanese companies have employed a new
strategy to overcome this communication problem. Japanese managers have asked Thai people to
observe technologies used by Japanese people and learn by themselves. This is the effective way
used by Japanese firms to transfer necessary technologies to Thai people. Many Japanese managers
stressed that Thai worker have spend a plenty of time to improve their skills using an ‘observation of
technologies’. About secure of human resources problem, most of the Japanese firms intended to use
recruiting companies to find out necessary human resources for their production process.
Next, I will explain about problems facing by Japanese firms during their production process
period. 35 companies (87.5%) have faced a difficulty to secure necessary human resources, and 26
54
companies (65%) said that their employees are not having required education level. It shows that
companies have the former problem overwhelmingly.
In Japan, the concept of lifetime
employment is very popular among Japanese people. This means that they work a single company
until retirement. This will help employees to improve their skills sufficiently. But, Thai people are
often changing their jobs, so it is difficult to get skills for a long time. Therefore, companies which
need expert skills cannot be secured or developed using their present employees. In addition, it is
also difficult to implement training or education programmers to educate their existing employees in
the firm.
And, “secure of good human resources” apply to both Thai workers and Japanese managers.
Young Japanese managers have not sufficient specialty abilities of management and experience of
teaching people. Moreover, they are not fluent in Thai and English. So, Japanese employees are not
having sufficient communication with their Thai colleagues well.
4. Present and Future of Japanese FDI in Thailand
Please look at this graph. This reveals the changing pattern of Japanese population structure in the
future. According to this figure, there is no doubt that Japanese population will be declined in
long-term. That means, Japanese market is also shrinking due to lack of demand in the domestic
market. Thus, Japan has to face a severe problem in the future.
This graph demonstrates the purchasing power of the people in China. According to trend of
disposable income of the people reveals in this figure, Chinese purchasing power is remained at
upper class layer and trends to expand middle class layer during the period 2008 and 2020. This
means, domestic market in China will expand in the future. As a result, foreign firms can expand
their businesses in China in the future.
This Figure illustrates trend of purchasing power in India. As in China, Indian purchasing power is
also tends to expand little in upper class layer while expanding in middle class layer between 2008
and 2020. Therefore, Indian market seems to be hopeful one for foreign firms to expand their
business in the future.
This graph demonstrates the top-10 countries, which are having highest
economic growth rates in order of merit. According to this estimate, Japanese companies anticipate
China and India are emerging as No.1 & 2 markets respectively in the future. At the same time,
Japanese firms think that Thailand will be the 4th largest market in the future. This means, Thailand
remains above Brazil and Russia, though these two countries are categorized as BRIC. I really want
to pay your attention on the feature of Thailand market. There is no doubt that Japanese firms can
expand its businesses in the future.
Thailand GDP is growing quite similar level of China and India. High growth rate of the country
will result to increase the minimum wage rate of the people in the both upper class and middle class
55
of the population. This will eventually result to increase purchasing power of the consumers in
domestic market in Thailand.
Thailand is surrounded by No. 1 & 2 markets of China and India. This will contribute to expand
businesses among trading companies, including both domestic and foreign. Therefore, It seems to be,
Japanese companies will increase their FDI in Thailand due to increase of purchasing power of the
Thai people and geographical position.
56
Group 2:
Relationship between Thailand and Japan ∼Trade ∼
Ayumi Uchida
Ryoko Tanaka
Miyuki Abe
Reika Toyofuku
Rika Harakawa
Ayumi Uchida
In this presentation we will analyze the trade relationship between Thailand and Japan. First, we
will talk about how important trade is between the two countries. Second, we will discuss about the
trade of processed products. We have traded processed food such as meat and fish for many years.
Finally, we would like to talk about skin care products because it has been increasing on the trade
table.
First, I will talk about trade between the two countries. This is the graph about exports and
imports in Thailand in 2010. For Thailand, Japan is the top partner for trade. Thailand’s export to
Japan is the second largest. It is 10.5 percent. We will tell you about commodity trade in detail later.
With regard to imports, Japan is the biggest import market for Thailand, which consists about 21
percent of the total imports of the country. But it is predicted that Thailand and other ASEAN
countries will become the main partners in many fields, including trading in the future.
This is the graph about exports and imports in Japan in 2010. Japanese exports to Thailand
amounted up to 4.4 percent of the total value of exports. And its imports from Thailand were 3
percent of all imports. In the recent years, its trade with Asian countries grew increasingly. Asian
countries are geographically in close proximity to Japan. Thus it has a thriving trade relationship
with China, Korea and Taiwan. Many Japanese companies have opened plants and factories not only
in East Asia but also in South East Asia, especially in ASEAN countries. It should be also noted that
Thailand is a very important for Japanese trading companies compared to other member countries of
ASEAN. This graph illustrates the nature of Japanese and Thai trade. According to the graph, it is
clear that with regard to Thailand’s trade with Japan, it shows a trade deficit since 1980s. This is due
to the effects of a strong yen and foreign capital including Japan attracted in Thailand and other
Asian countries. It caused the hollowing out of industry in Japan since then.
Next, we will show you about the pattern of Japanese trade.
Reika Toyohuku
We are going to look at trade between Thailand and Japan by product. Before that, I will
57
exemplify Japanese trade. After shifts from fixed exchange rate to floating exchange rate system, the
yen strengthened rapidly in the exchange market, but with the end of the global recession that
plagued the previous years and high growth of the rising nations, Japan’s exports has improved.
Looking at Japan’s main export items, Motor Vehicles’ export has restored drastically. Chemical
products, IC and iron and steel exports have increased as well. Japan’s main export products are
“Transport Equipment“ like Motor Vehicles and “Electric Equipment” like Semiconductors and
other Electronic Components, Visual Apparatus and Communication Equipments and “General
Machinery” like Office Machines, parts of Motor Vehicles and Power Generating Machinery. And
then, Japan’s main import products are “Mineral fuels” like Petroleum, Crude Oil, Coal and
Liquefied Natural Gas. These are used as fuel for motor vehicles and other industrial necessities.
Compared with other items, these imports are overwhelmingly high.
Moreover, Some Japanese companies take the form of re-importation to ensure efficient business.
Among Japan’s imports from East Asia, the re-importation of durable consumer goods, non-durable
consumer goods and mechanical equipment products has rapidly increased in number.
Next is going to talk about a related topic.
Miyuki Abe
Rika Harakawa
Next, I will tell you about “processed products made in Thailand”. Trading of processed products
has been popular between Japan and Thailand for a long time. Please look at the graph. Their export
to Japan increase two-digits a year. Because of the bird flu, Japanese food regulations have been
strict for many years. As a result food processing companies in Thailand had to maintain strict
control for food exported to Japan. Therefore food imports from Thailand could be further increased
and we Japanese who prefer high quality products can consume them with confidence.
Regarding processed chicken products, Japanese process chicken imported from Thailand and
make “yakitori” which means grilled chicken, and “karaage” which means deep-fried chicken etc. A
lot of Japanese like meat. And low-calorie chicken is popular among women. That’s why we often
eat chicken products in restaurant at office and at home.
Also, Japan imports a lot of seafood from Thailand. For example, fish for sushi and “ebihurai”
meaning fried shrimp are imported to Japan. It is one of the favorite foods of me and most of
Japanese kids. Thailand also exports Japanese food to the rest of the world. I learnt that “chikuwa”,
“kamaboko”, “kanikama” which are deep-fried foods have become globalised delicacies.
So, many food products in Japanese supermarkets are made in Thailand. For example, frozen food
is essential for mothers who make lunch boxes. And “okaki” and “arare” made in Thailand are
popular among Japanese consumers. And surprisingly, popular products made in Thailand are not
58
only sushi but also “gari”. Thai ginger for sushi is said to be soft and taste good.
Now, Thailand is certain to be precious for the Japanese food market.
Thank you.
Ryouko Tanaka
Next, I would like to discuss about “skin care products”.
Japan imports a large volume of skin care products from Thailand. The import value of this
product amounted to more than five hundred million dollar in 2010. We really want to inquire how
such Thai-made products increased in Japanese market, and how Thai firms engage in producing
such specific products.
Well, it is important to compare Thailand with other countries. This graph illustrates the amount of
“oil, spice and cosmetics” imports by Japan from abroad. In this respect, Thailand accounts for abut
sixteen percent of the total import value. It is the third largest import market of this product
following the United States and France.
I will give you a few examples of Japanese cosuetics manufactures in Thailand: SHISEIDO,
Kanebo, POLA, mandom, MILBON, FANCL, KOSE and so on.
Finally, I would like to summarize my presentations. The main reasons for rapid increase of skin
care products from Thailand can be identified as follows: first, Japanese cosmetic companies
transferred their production centers from Japan to Thailand as a result of appreciation of Yen ;
second, Japanese firms attenpt to look for new markets in abroad through Thailand .
In my feeling that trade relationship between the two countries is very important for the future
economic prosperity of Japan and Thailand. In this respect, Japan has to import more from Thailand
because Japan exports more than imports from Thailand making a huge trade defict to Thailand.
Thank you very much for kind attention.
59
Group 3:
Reawakening of Japanese villages
Yuko Muta
Narumi Furukawa
Momoe Iwanaga
Mari Nakamura
Eri Nomura
Today, farming villages of Japan are facing a very critical situation. The problem of farming
villages is low birthrate and longevity, and the large influx of young people into the city which has
resulted in a decrease of the farming population.
Please pay attention to the graph. According to the agricultural census of 2010 by the Ministry of
Agriculture, Forestry and Fisheries, the working population of agriculture decreased from 750.000
persons to 2.6milion people within five years. The rate of decline for these five years is 22.4% and it
is the highest occurrence after 1985. The working population of agriculture was 4.82milion people in
1990, but it reduced by half in these 20 years. Moreover, the average age of the employed population
rose in 2.6 years within a period of 6 years and it exceeded 65 years for the first time.
With the decrease in population, a serious problem includes the successor problem. The
consumption of rice has decreased due to changes in the Japanese dining habits and the price of rice
fell as a consequence. Work efficiency is unsatisfactory in the cultivated areas of Japan, and prices
fluctuate as result of climatic changes. Also, unstable income constitution induces a lot of cheap
crops to be imported. These factors form the background, and the successor problem has become
aggravated. Under these circumstances farmers do not want their children to take over their family
occupation. Several attempts had been made to solve the problems, but with no avail.
A strategy known as Mura-Okoshi was introduced in an attempt to reawaken the village.
“Reawakening” is “Mura-Okoshi” in Japanese. The definition of Mura-Okoshi is implemented in
Japan aims at the reactivation of the village. This strategy hinges on the utilization of natural
resources and promoting nature experiences such as astronomical observation and bird-watching.
Infrastructure facilities for these purposes are provided in schools that were recently closed down
due to merging of municipalities.
But results are not promising everywhere. It is difficult
without suitable themes and regional characteristics. Therefore, it is important to consider the history
of local industries and implement the program accordingly. If there are famous agricultural products,
we can expect to have professionals the field.
Therefore it is also important to bring out expertise in the field.
Now in Japan, “ Mura-Okoshi” is successful in many instances.
60
First example is Higashiyoshino in the Nara prefecture.
There are facilities to enjoy nature and the village of exhibition which narrates the story of the
village that has been developed by forestry and you can seek further information from villagers who
had worked there. There are facilities to watch a video, talk to native villagers and take a hike up the
mountain, So adults and children can feel the woods or mountains. This kind of activities will help to
rethink the past natural prosperities which gradually disappeared along with modernization of Japan.
Second example is the Agricultural cooperative association in the Umage in Kochi prefecture.
They successfully developed a new region by remerging several villages.
The most important point is to figure out some way to raise product proceeds, not to mention
commodity packaging. This is a good example of a successful project in which production of goods
and marketing matched well. They asked a local illustrator to design and publicize local products on
TV. As a results,
1.
production of yuzu increased 95t to 700t between 1975 and 2006.
2.
proceeds of yuzu increased three thousand yen to three thousand three handred forty and
four thousand yen between 1976 and 2006.
3.
The number of employees of yuzu increased two people to seventy two people between
1975 to 2006.
4.
Tourists of yuzu increased from fifty thousand to eighty thousand between 1993 and 1996.
(after no change)
In Saga Prefecture in which we live, “ Murra-Okoshi” is done for the purpose of “local supply
and local consumption”. There, various measures are taken to connect “food” and
“Agriculture”.”Green tourism [cooperation of a city and farm village]” is the main activity. It started
first in Europe. And it was ranked as a leisure-time activity in a rural area. In Saga Prefecture in
which we live, village revitalization is done for the purpose of “local supply and local consumption”.
There, various measures are taken to connect “food” and “Agriculture”. “Green tourism
[cooperation of a city and farm village]” is the main activity. It started first in Europe. And it was
ranked as a leisure-time activity in a rural area. In recent years, however, there is a wide range of
activities aimed to promote general city farm village exchange, such as an agricultural-products
outlet, a farmer’s restaurant, sightseeing and experience at a plantation ,a city farm village event, an
allotment garden, an owner system plantation, a community guest house, and a working holiday. The
first was the community guest house [minka] in “Guza” of Saga Mitsuse-mura village. The second is
the working holiday in Nanayama in Karatsu Nanayama-mura village of Saga. The last, “Soyokaze
hall” of Michi-no-eki [the roadside market] in yamato-cho of Saga.
The first, I explain about a community guest house in “Guza”. It is a refurbished born about 80
years and was opened in February, 2006. Here, tourist can enjoy dishes made by many homemade
vegetables. Tourist can also enjoy splitting firewood and taking a bath in a metal bathtub heated from
61
beneath. Moreover, people can participate in the rice planting and a harvest, making buckwheat
noodles , and local culinary . This year, there was pizza making in the classroom on a handmade
stove, and blueberry picking expedition .
Secondly, I explain about “a working holiday”. In Nanayama, the farmer’s version of a working
holiday was carried out for the first time in the Saga prefecture.Here, people lend a hand in
agricultural work, when a farmer suffers labor shortage. Qualification requirements are those who
can do agricultural work aged 16 and over. However, There is a condition that people can apply to
help in agricultural activities, only when the farmer is in need of it. The standard length of a person’s
stay is three-days. Everyone must bear his own expenses. But in return for the labor of 7 hours the
farmer must offer shelter and food. The work is never easy, and the participant must work hard
without pay. However, since merit of the village can be tasted by those who live in a city,
applications come from all over the country.
This approach help to reduce labor cost of farming activities of the Nanayama village, while
providing a relax life for the people who were so tired working in the city.
Finally we introduce the example about agricultural-products direct management place ; rest area
`Soyokazeholl`. They process and sell specialties made from dried persimmon there. They also
support a distribution channel so that the farmer gets a stable income. Further they make a table
based on the date of the Ministry of Agriculture, Forestry, and Fisheries about the kind and quantity
of agricultural chemicals by themselves. Then they distribute the tables. In this way, they raise
executive responsibility of farmers over agricultural chemicals and farmers can produce
safe
agricultural products . In this respect, they introduce several products such as `Guza` , rice planting,
rice reaping, making dried persimmons, making konnnyaku, etc.
Various forms of `Mura-okoshi` has led to reawakening of the area. One of the especially
successful activities is the `One Village One Product Movement` of Oita Prefecture. ` One Village
One Product Movement ` is a movement which digs up a specialty of the area those residents can
be proud of and promote the specialty to attract touristsf. It is expected to reawaken the village
subsequently. This movement was initiated by the Former Governor, Hiramatsu of Oita Prefecture in
1979.
The main reasons for introducing of this concept are as follows: first gradual decline of village
population. And second rapid migration of people from rural sector to urban sector in order to pull
out local vitality, the specific local industry suitable for the area is introduced. Moreover superfluous
administration dependence is wiped away and the soul of independence is kindled.
This movement improves once again the area in which one lives, and improves powers of the area.
This movement is already disseminated in many countries in the world. In this concept `Make it
local and global` and `Self-reliance originality and creativity` , `cultivation of men's ability` are
made into essential principles.
62
This ` One Village One Product Movement ` was started at the time, when Oita Prefecture, was
occupied by residents with the lowest income in Kyushu, and had suffered progressive depopulation
and the decline in youth.
But as the movement spread, many new "specialty products" were developed in by the hands of its
residents, and promote quality improvement cited by the province, "Oita prefecture" also increased
awareness of local industries. In Oita Prefecture are practices and advanced agricultural products
such as mushrooms, chestnut, plum trees .According to the Center for Regional Development
Institute, this concept has introduced for more than 25 village in Japan. In addition, the NPO
"Association for Promotion of International OVOP Oita," says that since the 1980s it is assumed that
it extended to 12 countries and regions in Asia, Africa, and South America, etc. , which contributed
to minimize economic discrepancy and so on. Especially an economical effect is the purposes of the
introduction. For example, there is something for the developing countries to learn from "One
village one goods" campaign. This is an approach that people in Japan are widely following.
Production of attractive such as a rich cloth, handicraft goods, and toys are encouraged in developing
countries in Asia and Africa, etc , and they are supporting the export improvement of the commodity
consequently.
Thus, "One village one goods movement" of Oita Prefecture suggests that the strategy of the seen
regional industrial activation is a good approach that excavates an economic resource that exists in
the region by wisdom and devising the resident initiation, and raises industry in an international
scope. The measure of an administrative side that supports this and the resident's effort call the
sympathy of not only Japan but also Asian nations, and are taken up as one of the models of a new
community building in the inside and outside.
The agriculture of Japan has adopted various approaches as described above even it has a serious
problem and it starts making the region energetic. It is important that people in the region continue
such a local redevelopment movement. When the resident becomes tired, it does not have much of
an impact since it is the outside’s interest that matters to pass on the farmer’s original technique and
correct information.
63
(カセサート大学報告会)
(ラチャブリ県調査)
64
実習の成果Ⅲ:個人レポート
65
日本の教育文化と今後の課題について
10131003 安部美由紀
私が国際交流実習を通し、一番印象に残り、これからの課題として考えていくべきこと
だと思ったことは、「日本の教育文化」についてだ。
日本の文化の背景には、上の人を敬うというものがある。そのために世界共用語の英語
には存在しない敬語が日本語には存在する。部活動に入ると先輩後輩関係が強く根強いて
おり、私たちが初対面の人と会話を交わすときは、必ずと言っていいほど年齢を聞く。海
外に出ると、年齢を聞くという文化はあまり存在しないのが現状だ。
私は、中学生のころから部活動に参加をしていたが、最初は年が上だというだけで、敬
語を使わなければいけないという、その義務に疑問を感じていた。今となっては洗脳され
て特に何も思わないが、この義務は何歳になっても続くものである。高校に入学してから
すぐ、団体行動の合宿があり、センター試験は団体戦だ、野球は全員野球だ、といったこ
とも今まで何度となく耳にしてきた。ミスをしたらそれはチーム全員のミスになり、連帯
責任を取らされる。私は、なぜだか分らなかった。
タイNJRは、日系企業ということで、もちろん日本人が指導しているため、この日本
の文化がどのように反映されているのか非常に興味深く感じながら訪問した。現地の従業
者の話の中で、日本企業のよいところを取り上げるという場面があった。その時に取り上
げられた点が以下のものだ。
・ 先輩が後輩を指導するという文化
・ 連帯責任
・ 教育研修システムがある
・ 賃金は大して重要ではない(=やりがいが一番である)
・ ローリスク、ローリターン
先進国の中で唯一だといわれるほど、会社の幹部の会話が英語ではなく、日本語で行われ
ているこの国の独特の文化が賞賛されていることに、私は正直驚いた。今まで改善点であ
ると認識していたが、誇るべきものに変わった瞬間であった。
では、この誇るべき文化をどんどん世界に広げていきましょう、とはならなかった。な
ぜならば、タイという国は日本と同じ仏教国であるということもあり、日本人と根本的な
気質は似ているといわれているからだ。つまり、日本の文化もタイ人には浸透しやすかっ
たと思われる。
今後、日本が中国やタイに進出するにあたって、もちろんその中心はアジアであると思
われるが、すべての国にタイの例と同じように、スムーズに浸透するとは考えられない。
アメリカを例に挙げるが、アメリカの野球は、チームプレーではなく、個人プレイヤーの
集まりであると言われている。確かにメジャーリーグを見ているとわかるように、言い方
66
は悪いが、プレイヤーはチームの勝利ではなく、自身の活躍を狙っている。だからその証
拠に、送りバントなどはあまり見られない。このような国に、もし日本企業が進出しよう
と考えたとき、とてもではないがスムーズに日本文化が浸透するとは考えにくいことは確
かだ。では、どうすればよいのだろうか、というのが今後の課題であると考えている。
先ほど、メジャーの例を出したのだが、今はアメリカの個人野球ではなく、日本のチー
ムプレー、すなわち全員野球が賞賛されている。つまり、アメリカの中でも日本の良い側
面は生きていけるということだ。しかし、年齢などの根本的な文化が強い部分には太刀打
ちできない部分もある。
日本が今後も世界で活躍していくためには、日本文化の良いところ、つまりその国の文
化に入り込める部分はどんどん突き進み、無理な部分はこちらが改善する、という柔軟な
思考が求められると思う。
67
タイの農業組合の現状について
10131011 岩永 桃枝
今回、国際交流実習として10月16日∼23日の間、タイ王国を訪問して最も関心を
向ける事ができたのはタイ国内で行われている、王様の農村への支援活動についてである。
タイは東南アジアの中で1980年代∼90年代に高度経済成長を遂げた国である。し
かし、それ以後のバーツ危機や急激な経済成長での環境破壊などの問題の残る発展途上国
でもある。タイ周辺のアジア諸国に比べると政権など不安定だが、タイに住んでいる人々
の意識として、タイは裕福な国という意識を持っていた。タイは立憲君主制国家であり、
現地では道路沿いに定期的に王様の写真が置いてあるなど、王様を敬愛している国民も多
い。
タイ国内では、王様のおこなう一村一品運動(OTOP)と呼ばれる農村への支援活動が行
われており、私たちは今回 OTOP の支援対象の一つであるミャンマーの国境付近にあるラ
チャナブリ県の乳牛を飼育している畜産農家とその工場を訪問した。そこではその土地で
とれたミルクを地元の人自ら週に2、3回程工場を稼働させ、牛乳を加工していた。その
加工したミルクの一部は王様が始めたスクールミルクプロジェクトとよばれる、小学校3
年生くらいまでの地元の子供たちに無償でミルク1パックを提供する計画により、地元の
学校に配給されている。
このスクールミルクプロジェクトは貧しいために昼食を持ってくる事ができない子供た
ちなどの事を考えて始まった。ミルクの市場価格はデパートなどで1パック20∼25B と
なっているが、スクールミルクに関してはそれよりも安い値段で買い取られている。これ
らミルクの乳牛を飼育している近隣の畜産農家の方々は、王様から与えられた仕事として
農家を行っているため、仕事へのプライドを持っている方が多い。
そしてこのような畜産農家を王様が支援するきっかけとなったのは、40年前畜産農家
の周りには加工工場がなかったという事である。牛乳の加工機械がある場所はタイ全体で
みても少なく、また乳牛の農家の人々も加工の教育を受けていなかった。そこで王様が資
金100万 B と土、加工に対する教育を行い小さな農業組合を設立した。それからという
もの農業組合は次第に成長を遂げ、今では大きいところで1時間に2万パックのミルクを
生産する牛乳の加工工場となった。加工品としては、ヨーグルトやアイスクリームも生産
されている。
市場は2種類ありUHTという保存期間の長いパックに入れられた牛乳は全国に配送さ
れ、保存期間の短いものは県内の店舗や周辺の学校へと販売されている。また、農業組合
には会員4000世帯が加入しており、全部でおよそ6万∼7万頭の牛を飼育している。
この農業組合の会員になるためには自分の牛を飼っている事が前提であり、その後牛乳を
組合に送り、訓練や研修が必要になってくる。組合資金は10株1B支払う事になってい
68
る。この組合の会員である人々は農村の人々同様に王様から頂いた仕事という事で誇りを
持って働いている。農業組合の会員には日常生活で使うものから牛の飼育に関する餌や器
具まで、コスト削減の為に安く売られている。小さな銀行が存在し、お金の援助も行って
おり、通常の銀行に比べ利子率も低い。また、会員の為の獣医が存在しファームに直接来
てくれる。
このような農業組合が順調に運営をしていく為には、会員一人ひとりが規制をする事、
お互いに手伝う事など協力をしていく事が重要になっており、これが運営方法となってい
る。
これは農業組合同士にも適用されており、農業組合は別の農業組合を手伝い、牛乳の量
が多く地方の小さな工場で加工しきれなかった牛乳などを、大きな農業組合が請け負い加
工している。2011年10月現在では、タイの洪水の影響により、加工工場が運営でき
ずに、多くのミルクが送られてきているため許容量をオーバーし、その余ったミルクをど
こに向かわせるかが問題となっている。
他にも大きく2つの課題として、一つは安定的な収入や生活水準の向上といった各会員
の衛生面を考えるという事。二つ目に加工の品質の向上やマーケティングに関する事など
の商品の売り方について改善していくという事が現段階の課題としてあるという事だった。
今回これらタイ王国を訪問し、農業組合などを見学する事ができて、日本の農業組合と
違う点は何かと考えた時に、やはり大きいのは国に根付いた、王様への敬愛からくる、仕
事への誇りや自信の大きさなのだろうかと感じた。そこで今度は日本の農村ではどのよう
な考えを持って仕事を行っているのか。それを調べて、タイとの比較をより明確にする事
を今後の課題としていきたい。
69
タイの酪農業における現状
10131072 時詩織
(1) 酪農業の現状
今回、ラチャブリ県の酪農業を見学に行った。今回見学に協力してくれた酪農家は大体
60頭程の牛を所有する所で、従業員はタイ人の酪農父1名とビルマからの住み込み労働
者が3名 (内1名は 3 歳位の子供。酪農父は「従業員が3名」と頭数に入れていたが実際働
いてはいない。) いる所だった。
今回の見学先での説明や通訳をしてくれたパイロートさんの話では、現在酪農業は衰退
している一方であり、その理由は3K 労働に属すからだそうだ。勉強が出来る環境にあり
学歴のある人は、バンコクに出て企業に就けるが、勉強が出来ない環境にある人は農家や
畜産・酪農などの仕事をする。後者の仕事はタイでは人気の無い職である為に、経営者が
不足し衰退は加速している。
(2) 酪農業にまで広がる外国人労働者
見学した酪農家で働いていたビルマ人労働者の給料は、一日 150 バーツ程であった。タイ
人を雇うと 200 バーツかかるために、住み込みの外国人労働者を雇ってコスト削減を行って
いた。雇い先はビルマやミャンマー等である。また、ビルマでの給料は、バーツ換算で一日
50 バーツ程度であるので、ビルマ人にとっては割と良い給料をもらっていることになる。し
かし、酪農はビルマ人にとっても3K 労働にあたるらしく、1∼2年でやめてしまうこと
が多いそうだ。
また、今年の1月にタイ人の最低賃金が引きあがり、タイ人を雇用して酪農を続けるの
はコスト的にきつい為、経営をするためには外国人労働者を雇うしかないと酪農父は言っ
ていた。
「もし、外国人労働者の人材が確保できなくなったら?」という質問には、
「牛の
数を減らすか、賃上げを行う。
」と答えていた。東南アジアでもタイは比較的豊かな国に属
するのではあるが、外国人労働者の起用が企業のみならず酪農業にまで及んでいることに
とても驚いた。
(3) 今季における洪水被害
見学した農家では、1日に消費するエサが干草や藁・もみ殻などをあわせたもので約2
t必要らしく、1日のエサ代の費用としては 25 バーツかかるそうだ。しかし、今回のタイの
洪水の影響で、藁が水に浸かってしまい入手困難な状況にあるために、藁の値段が急騰し
ている。
その影響で1日のエサ代が 50 バーツへと倍に上がってしまいコストを圧迫している、
と酪農夫は語っていた。
70
(4) 酪農業を営むうえでの苦労
コスト削減と同じくらいの重要な課題であるのは、牛の保有である。雌牛を妊娠させる
際は人工授精を行うのであるが、着床に失敗すると次に人工授精を行えるまで3週間をあ
けなければならないらしく、7 回挑戦しても着床しない時があるなど予測が立て難い分野で
あり、着床に失敗すればするほど費用がかさんでしまう。また、生まれた子供が雌牛でな
く雄牛だった場合は搾乳が出来ないので、生後1週間で食肉センターに引き取ってもらう
らしく、その理由はエサ代がかかるからである。お乳がだめになってしまうなど、本来の
搾乳量よりも下回ってしまう雌牛も同じ理由で、食肉センターに送られる。
また、雨が降るなどして藁が手に入りにくい状況になるとエサが減ってしまい、牛に十
分な量が行渡らなくなってしまう。そうすると搾乳量が減ったり、病気にかかったりとい
う影響が出るので、余計なコストを抑えるためにもエサの問題は重要課題である。
(5) 酪農業の課題
課題としてあげられるのは、酪農家人口の減少であると思う。決して華やかな仕事では
なく、牛の状態や天候などに左右されやすい上、給与も不安定である為、気苦労が多い割
には給与が見合わず、人気のある職では無い事が実際のお話を伺って分かった。
そこで、経営に対する不安定要素を少しでも少なくするために、タイ政府からの補助金
や、酪農部門に対する研究を行うことで、酪農人口の確保を行えるのではないかと考えた。
酪農部門の研究とは、どうすれば搾乳量があがるか(牛のリラックス方法)や、人工授精の着
床率を上げるにはどのようにすればいいかなどの研究である。搾乳量が増えたり着床率が
安定したりすれば、直接的に収入増大につながり、労働の割に見合わない仕事であるとい
う意識を少しでも軽減できるのではないかと思う。
今回見学して一番驚いたのは、上記にも挙げたが外国人労働者の起用である。如何にコ
ストを抑えて生産する方法を模索しているかが十分に伝わった。見学した酪農家は月収が
平均6万バーツ程で、良いときには 10 万バーツと伺ったが、この給与は決して安いものではな
いので、経営の仕方によっては酪農業は大きな収益が期待できるのかもしれないと感じた。
参考文献:
http://lin.alic.go.jp/alic/month/domefore/2009/oct/gravure01.htm#2
(タイにおける酪農経営の効率化への取り組みとモデル酪農場について。シンガポール
駐在員事務所 佐々木勝憲、吉村力)
http://www.geocities.jp/noby_thai/politics_archives/min_wage.html
(タイの最低賃金)
71
タイ国民にとっての王家
10131073 豊福 玲加
(1)タイでの王家の存在
タイでの日々において、特に印象に残
っていることがあります。それは、道路
沿いや様々な場所に、タイの国旗が飾ら
れていたのですが、その隣に必ず黄色や
青色の旗が備え付けてあったことです。
しかも、場所によって黄色だったり青色
だったりで、統一されていませんでした。
そこで、パイロート先生に質問したとこ
ろ、次のように教えてくださいました。
『青色の旗は王妃、黄色の旗は国王を表している。王妃の誕生日が 8 月 12 日、国王の誕
生日が 12 月 5 日で、それぞれの誕生日の時期になると国中が旗の色を統一する。現在色が
2 色存在するのは、時期的にその中間くらい(10 月中旬)だから、国王の誕生日に向けて
黄色に変えているところもあれば、そうでないところもある。』
現在バンコクに暮らしている方のブログ①に、次のように
述べられていました。タイでは曜日毎に色や仏像が決まって
いて、自分が生まれた曜日の色のものを身につけるようにし
たり、お寺に行ったときは自分が生まれた曜日の仏像に拝ん
だりすることが幸運をもたらすと人々は信じているそうです。
各曜日の色は、日曜日:赤、月曜日:黄、火曜日:ピンク、
水曜日:緑、木曜日:オレンジ、金曜日:青、土曜日:紫と
なっています。よって、王妃の旗が青色、国王の旗が黄色な
のは、それぞれ王妃・金曜日、国王・月曜日生まれだからで
す。また、それぞれの誕生日は国民の休日であり、タイでは
国王の誕生日:父の日、王妃の誕生日:母の日とされています。
また、Wikipedia②やタイ観光案内所というサイト③では次のように述べられています。
タイの国民は伝統的に王家に対して崇敬を払うよう教えられていますが、実際は自主的に
王家を敬うものがほとんどで、国王や王妃の誕生日には国中が誕生日を祝うお祭り状態と
なります。また、国王や王妃の誕生日の前後には、肖像画が国中に飾られます。日常生活
においても、国民の各家庭やオフィスビル、商店や屋台に至るまで、国王の写真、カレン
ダーや肖像画が飾られています。映画館では本編上映の前に『国王賛歌』と共に国王の映
像が流され、その間観客は起立し敬意を表わすのが慣わしとなっています。現代でも不敬
72
罪が存在する数少ない君主国です。特に現国王であるラーマ 9 世(プーミポンアドゥンラ
ヤデート)は、その人柄と高い見識から国民の人気が非常に高いです。彼は対共産という
ばかりではなく、自ら目にした地方の貧困を解消するために、様々な提案を王室として積
極的に行なっていきました。国民はそのような国王の姿を、実際に目の当たりにしたり、
毎日TVで見るたびに国王の人徳に魅かれるようになってきたのでした。また、国内の政
治的な対立が起こったときには、国王がその調停役になることもたびたび行なわれてきま
した。1973 年の 10・14 事件の際には、
タノーム首相は国王の助言により退陣をしています。
また、国内がタクシン首相派と反タクシンで大きく揺れていた 2006 年の 9 月に起こったク
ーデターの際も、国王がクーデターに承認を出したことで闘争が終結しています。現在で
は、プーミポン国王は国民にとって尊敬する大切な国王として親しまれています。
(2)国王支援プロジェクト
そんな国王は、日々タイ国民のために公務をしてきました。在京タイ王国大使館という
サイト④で、次のように述べられていました。国王は、1952 年から自ら民衆を訪問し、数
多くの援助活動を行っています。最初はプラチュアップキリカン県ホアヒンのクライカン
ウォン宮殿近くに住む民衆を訪問することから始め、少しずつ国内の全地域に範囲を広げ
ていきました。現在では陛下が訪問していない土地はないといっても過言ではなく、各地
の民衆もまた陛下に深い忠誠心を抱いています。陛下御自身が直接民衆を訪問することに
よって、民衆の暮らしぶりや仕事における問題を把握しています。これらの問題は多岐に
渡っており、例えば水源や灌漑施設の開発、土壌開発、農業、教育、医療や衛生、天然資
源の保全、副業等々の問題があげられます。そしてこれらの問題の解決が、国王陛下が御
提案された、現在 1,000 以上もあるプロジェクトの始まりとなったのです。ここで、その
内のいくつかを紹介します。
・水資源及び灌漑開発事業
多くの農業地帯が農業用水や生活用水の不足に直面する一方、ある地域では、作物が洪
水被害を受けていることに陛下は注目しました。そこで、そのような状況に苦しむ国民の
ために、水資源の確保や灌漑の整備を実施しています。農業用水及び生活用水のための水
資源開発プロジェクト、川の源流保全のための水資源開発プロジェクト、遠隔地域の電力
供給のための水資源開発プロジェクト、作物栽培に有用な低湿地域の排水プロジェクト、
水害対策プロジェクトなどに分けられます。
・土壌改良と開発
国王陛下はやせ細った土地を肥沃な土壌に改良し、協同組合を組織して、これらの土地
を農民に分配しました。また、ベチベルソウ(ヤー・フェーク、草の一種)を植えて表土
の浸食を防ぎました。
・教育
国王陛下は御自身の資産を投じて学校を建設し、ナワルーク奨学金を創設しました。こ
73
れは教育費が不足している学業優秀な児童を支援するものです。また、海外留学のための
アナンタ・マヒドン基金も設立しました。
そして、10 月 21 日に訪問したペチャブリ県の Nongpho Cooperative(酪農)も国王支
援プロジェクトのひとつです。ここでは、ミルク加工のほかに、会員に対して牛の餌や日
常生活・農場で使うものを安く提供したり、銀行のような役割を担ったり、会員の家に獣
医さんを派遣する制度などを行っていました。
いまから 40 年前くらいに、牛を飼っている農家の人
たちが牛乳をどこに売るか迷っていたところ、国王がそ
れを知り手伝いたいと思い、受取所やそのための土地、
また加工のための土地・資金・教育を支えたそうです。
資金においては、はじめに 100 万バーツ与えたそうで
す。そして、将来的なことも考えてつくられたのが農業
組合だということでした。
国王陛下は国民の暮らしの安定を心から配慮し、すべ
ての公務に力を注いでいます。王室と国民は心の絆により結ばれ、そこから生まれる国民
の深い忠誠心が色褪せることはありません。
(3)感想
今回タイで様々な企業を見学しましたが、すべてに共通して感じたことがあります。そ
れは、従業員の皆さんが生き生きとたのしそうに働いているということです。タイの労働
者の方々は、自分の仕事に誇りを持って働いているという印象を受けました。そしてもう
ひとつ共通していることは、「みんなはひとりのために・ひとりはみんなのために」という
考え方をもっていることです。タイ NJR、ラチャブリ県の酪農、ペチャブリ県の酪農、そ
れぞれ規模は全く違うけど、働いている人たちの顔の表情はどこも一緒でした。タイの国
王がどれだけ国民を大切にしているか、そしてタイの国民がだれだけ国王を敬っているか、
今回の研修、そしてこのレポートを書いてみてそれがよくわかりました。
参考文献
①http://hellobkk.exblog.jp/14292090/
②http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%A4%E7%8E%8B%E5%9B%BD
③http://homepage1.nifty.com/Cafe_Saigon/thailand/culture/kingdom.htm
④http://www.thaiembassy.jp/rte1/index.php?option=com_content&view=article&id=2
94&
http://www.thaiembassy.jp/rte1/index.php?option=com_content&view=article&id=2
95&Itemid=267Itemid=268
74
タイの農村における課題
10131080 中村 茉莉
タイでは、自動車、電気・電子産業を中心に産業集積が進み、製造業の輸出拠点として存
在感を高めているが、その就業構造を見ると、3,832 万人の就業者のうち、約 4 割が農林水
産業である。GDP に占める農林水産業の割合は 2010 年には、8.3%にまで低下し、10 年前
から 2%ポイントの低下となっているが、雇用への寄与度から見ると、依然として重要産業
の一つであるといえる。では、そんな「農業国」と言えるタイでは、農村においてどのよ
うな課題が挙げられるのだろうか。
1961 年以降、グローバル化の波など様々な要因から、政府は伝統的な農産品輸出国から
工業国への移行を進めてきた。その流れは、バンコクを中心に農村地域にまで波及してい
る。しかし、こうした経済開発の恩恵を享受しているのはバンコク周辺の都市部や一部の
農村地域に限られており、なおざりにされ貧困地域となってしまっている地域も存在する。
地域別所得水準を見ると、バンコク周辺の一人当たり年間 GDP が 370,611 バーツ(2009
年、約 104 万円)であるのに対し、農業人口の多い東北地方においては、48,481 バーツ(同、
約 13.5 万円)とバンコクの約 8 分の 1 の水準となっており、所得格差が歴然と存在してい
ることが分かる。こうした所得格差の一因となっているのが、農業に不適な東北部の土壌
環境と、頻発する旱魃、洪水等の自然災害による恒常的な農業の低生産性と、これらに起
因する不安定な農業収入である。
私達が実際に訪問した農村でお話を伺うと、そこでは乳牛を飼育していたのだが、仕事
をしていて一番困ることはやはり天候や自然災害であると言う。牛のエサは自然に生えて
いる草だけでは栄養が足りないため、ワラやもみ殻を取り寄せている。ただでさえ 1 週間
に 400 ㎏は必要というエサには、かなりのコストがかかり、人参の皮などを使用してしか
しコストダウンを図っているのだが、今回起きた大規模な洪水の影響で、今まで 14 ㎏約 2
5 バーツだったワラが、今年は約 50 バーツと約 2 倍の高騰を見せているという。
また、このことも理由となって、タイでも後継者問題が浮かびあがってきている。その
他の理由としては、3K{きつい (Kitsui) 、汚い (Kitanai) 、危険 (Kiken)}がある。し
かし、後継者問題は日本の農村では重い課題としてのしかかっているが、タイでは一世帯
あたりの子どもが多いので、出来がいい子は大学へ進学させ、企業に就職し、そうでない
子は農家を継ぐ、といった感じらしく、この問題は日本ほど深刻化していない。
このような中、タイ政府はどのような取り組みを行ってきたのか。1970 年代、農村対策
を急務の課題としてとりあげるようになり、農村開発がタイ政府にとっての重要政策課題
になると、その行政制度にも改革が求められ、
1・生産、公衆衛生、教育・訓練、インフラ整備などのトータルな工場を目標とする
2・農村住民への資源供給。
75
この 2 つを重要なポイントとした。その後、80 年代初頭には国家農村開発委員会を中心と
する農村体制が形成された。また 1997 年に後進地域農村開発計画を打ち出し、農村のイン
フラ整備、農村住民の教育・訓練に関わるプロジェクトを企画した。このプロジェクトの
特徴は貧困エリアを特定している点にある。そして同年、憲法が改正され、権力、金融な
どの大規模な地方分権化が行われ、その後には地方政府が税金を集め、その 35%を使うこ
とができるようになった。地域における小さな要求を組み入れるためには地方政府におけ
る権限を強めたほうが効率的である。
以上が政府の行った大体の対策であるが、住民自身も経済開発、社会開発を目的とする
様々な住民組織を形成するようになる。このことは住民による自立的、継続的な組織運営
を出現させ、タイ農村開発における画期的変化といえるのではないだろうか。
タイでは今後も工業化の流れは加速していく。そうすると農村での問題はまた増えてい
くことが予想される。都市と農村の経済格差も悪化していくだろう。そのようななかで重
要なことは、今後も政府が農村の援助をしていくことであり、それと同時に農民自身が地
域で協力しあって工夫していくことがますます必要不可欠になっていくだろう。
76
ロイヤル・プロジェクトによる農家の救済
10131087 野村 恵里
Ⅰ.はじめに
私はタイへ行くのは今回の国際交流実習が初めてだった。今回の実習で最も興味をもっ
たことは農業についてであった。親が農家ということもあって私は小さい頃から農業とは
深い繋がりがあった。だから今回の実習で農業に興味をもったのかもしれない。
現在日本では、農業人口の低下、高齢化が深刻な問題となっている。農業は、天候や感
染病などに左右されやすく安定した収入を得ることが困難なのにも関わらず、重労働であ
るという点が原因であると考えられる。
タイでは日本と違った農業に関する問題があるが、安定した収入を得ることが困難だと
いう点は同じであった。これをふまえて、実習で訪れた牧場や牛乳加工工場をもとに、こ
の他にどんな問題があるのか、問題を解決するために行なっていることは何かを検証して
いきたいと思う。
Ⅱ.タイのいままでの農業問題について
(1) 農家のほとんどが貧しい生活を送っている
代々、貧しい家計の農家という場合があるので、子供に高等教育を受けさせるお金
がないので、ずっと貧しいままであるという悪循環が起こっている。
(2) 流通経路がはっきりしていなかった
今回訪問した牛乳加工工場は 40 年までは設立していなかった。この地域では、乳牛を飼
っている農家は多かったものの、生乳を加工する施設がなくて困っていた。
(3) インフラの整備が不十分である
牧場訪問にいく際、細くでこぼこした道がおおく、大きな車1台が通るのもやっとだと
いうところが多いように感じた。
Ⅲ.問題の解決策
1969 年、現国王がタイ北部を旅行した際に違法なアヘンを栽培しているのを見て、国民
が農業によって自立したよりよい暮らしができるように援助を開始して始まったのがロイ
ヤルプロジェクトである。王はタイ全土を視察して回り、その土地にあった農作物を選ん
で、その栽培方法の指導から、それを利用した製造加工方法、輸送、売買の方法、生産計
画など市場に出回るまでをトータルに指導して、村民の利益を得られるよう様々な側面か
77
ら指導を行なってきたという。
今回訪問した牛乳加工工場では、ロイヤルプロジェクトの一環として乳牛を飼っている
ことが加入する際の条件である農業組合を作っていた。加工工場の組合員は、①安い資金
で購入した餌を、安く販売、②生活用品を安く販売、③融資を行なう、④組合員の獣医が
ワクチン接種を行う、など組合員の農家を助けるための様々なことを行なっている。また、
この工場では農家の必要に応じて新しい機械を後払いで提供している。工場と農家は強い
信頼関係で結ばれている。また、農家は『ロイヤルプロジェクトのおかげで仕事ができる』
と思っているので、お金を返さないということはないそうだ。
Ⅳ考察
・タイのロイヤルプロジェクトでは王様自らが、貧しい農民を救済するために積極的に活
動を行なっている。
・40 年前まで牛乳を飲む習慣がなかったタイで、栄養学を学んだ王様が子供の成長のため
に学校給食で牛乳を無料で配布している。
・このプロジェクトは農民を救済することを第一の目的としているので、工場への機械導
入における人件費削減は決して行わない。
・牧場では人件費を削減するために、ビルマやミャンマー人を雇っていた。
Ⅵ.今後の展望
流通経路がはっきりしていても、農村ではインフラの整備が不十分であった。そのため、
道路を舗装する必要がある。道路を舗装することで、鮮度が命である牛乳や野菜の鮮度を
よりよい状態で運搬し,市場に出すことができる。しかし、タイは自動車依存型社会である
ため、頻繁に交通渋滞が起きてしまう。ですから、幹線道路の建設も必要ではないか、と
考える。ヒトとモノの移動がスムーズになれば、農産物の市場拡大につながるかもしれな
い。そうすれば、今以上に消費が拡大し、農家がゆとりある豊かな生活を送ることができ
るようになる。生活が豊かになれば、子供たちが高等教育を受けることができるようにな
り、貧困から脱出できると思う。
①インフラの拡充→②市場拡大→③消費の増加→④収入の増加→⑤豊かな生活→⑥教育
の充実、この6点が今後の展望である。
参考資料
http://www.foocom.net/fs/riscom/951/
http://kuin.jp/fur/thai2007/pdf07/nakamura07.pdf
http://www.jtca.or.jp/database/houkoksyo/kunibetu2/10banko.htm#3
78
タイと日本の農業問題について
10131092 原川莉果
私が今回タイを訪問して最も知りたいと思っていたことは、農業問題である。これは日
本においても同じ問題があるため、農業が盛んなタイでは、どのようにしてこの問題を乗
り越えているのかにとても興味があったからだ。そして今回牧場を訪ねた際に聞いたこと、
質問したことをふまえ、さらに日本との比較という点で考察していこうと思う。
まずその規模について知るために農業人口についてみると、
『農林水産省 タイの農林水
産業概況
FAO 統計 2008 年』によれば、タイは総人口 6.739 人に対し農業人口 2.875 人、
日本は総人口 12.729 人に対し 305 人であった。つまり、総人口あたりの農業人口は、タイ
42.7%、日本 2.4%という驚愕な数字であることがわかる。タイの農業人口率が日本の 20
倍という数字にも注目したいが、日本の 2.4%という数字にも私は驚きを隠せない。
次に一体どのような農業問題が各国にあるのか調べてみると、まず日本においては、最
近話題となっている TPP 問題、放射能問題、そして食料自給率問題、後継者問題などが挙
げられる。タイにおいては、洪水被害、後継者問題などである。今日、日本の東日本大震
災、タイの洪水被害と、両国ともに農業においては厳しい状況下におかれている。その中
で農家の人もおっしゃっていたように、農業を行ううえでは避けては通れない後継者問題
という同じ課題も双方にあるとわかった。そこで今回は、後継者問題について主に取り上
げてみようと思う。
では、どうして後継者問題は深刻にな
っているのだろうか。まず日本において
述べると、高度経済成長による農業従事
者の高齢化が主な原因であると考えら
れる。というのも、1950 年代の高度経
済成長によって、都市の拡大また電車の
スピード化が起きたため、農村の若者た
ちが都市に働きに出て行ってしまった。
従来日本は「三ちゃん農業」という出稼
ぎに行った父以外の祖父(じいちゃ
ん)
・祖母(ばあちゃん)
・母(母ちゃん)
の 3 人で農業を行っており、行く末はその長男が土地や財産を相続する農家が多かった。
だが経済成長は母と子どもたちを農業離れさせてしまったために、祖父・祖母しか残らず、
農業従事人口は右図(出典:総務省)のように減少し、高齢化が生じたということだ。
続いてタイについて述べる。タイはもともと農業を経済の基盤として発展させてきた国
であるが、1980 年代後半以降、急速な工業化の進展により、国内総生産や輸出に占める農
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林水産業は低下傾向にある。しかしながら農林水産業は依然として国民経済を支える主要
産業のひとつであり、最近では輸出形態が従来の一次産品から加工度を上げたものにシフ
トしている。だが先行き不透明な農業を避け第二次産業、第三次産業に仕事を変える人が
増えている現状もあり、そういったことから、農業人口が減少していると考えられる。
次にその解決策について比較していこうと思う。まず日本であるが、日本は主に農林水
産省による新規就農の支援を行っている。これにより農業を新たに考えている人のための、
いろいろな相談窓口の創設、農業インターンシップ、日帰りバスツアーなどの企画を行っ
ているのだ。また、新規就農に向けて勉強したいという人のために、大学教育だけでなく、
就農準備校やインターネットでの講座なども支援しており、研修や就農に必要な資金の無
利子貸付なども行っている。対して農業国タイにおける対策は、日本の「将来に向けた対
策」ではなく「今における対策」という印象が強い。というのも、タイの農村の人に伺っ
たお話によれば、タイではまず前提として従来通りに子どもが後を継ぐ。タイにはもとも
と 4~5 人兄弟の家庭が多く、皆を大学などに進学させる余裕はないために、勉強が苦手な
子、あるいは他のだれかが一人はたいてい農業を進んでするそうだ。だが、後継ぎがいな
い場合、若い人は都市へ働きに出る人が多いため、タイではミャンマーやフィリピンなど
の外国人労働者を雇って補うようだ。彼らはタイにとって様々な面で都合がいい。賃金に
おいても、タイ人であれば 1 日 300 バーツ払わなければならないところを、外国人労働者
は 1 日 150 バーツでよいし、また彼らは 3K(きつい・汚い・危険)でも働いてくれる、さ
らには住み込みと言っても食事や住まいは別々でもよいからである。そこで気になるのが
彼らのメリットだが、10 年働くとタイ国籍がもらえるようで、国籍があれば他のより賃金
の高いところで仕事ができるというわけである。またそういった外国人労働者をどのよう
にして雇うかであるが、求人などによる方法ではなく、労働組合に加盟している人から雇
い主が探すようだ。もちろんタイ人ではないため言葉の問題があるが、組合の方が仕事に
支障がない程度にあらかじめ仕事用語などを教えてくれるそうだ。では、もしそういった
外国人労働者がいなくなったらどうするのか尋ねてみたところ、賃金を上げて働いてもら
えるようにするか、牧場であれば牛の数を減らすなどして対策を立てるそうである。
調べてみると、タイと日本では、農業における後継者問題に向けての解決策は意外にも
全く異なっていることがわかった。というのも、調べる前はタイも日本も同じ農業国であ
るから似たような対策を行っているのだと考えていたからだ。だが、異なる解決策をもっ
ていても、両国ともに農業人口は減少している。この状況を食い止めるためにも、日本は
未来ではなく今に向けた支援をさらに増やしていき、タイは今だけでなく未来に向けた支
援も取り入れていくべきだと思う。仲の良い国どうし、お互いのいいところを取り入れら
れれば親交を深めるだけでなく、お互い大切にしている文化をよりいっそう長く続けてい
くことができるのではないかと考えるからだ。
参考:農林水産省ホームページ/crosscurrent/現地での話
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タイで教わったこと
10131104 Purevdorj Baasan
2011 年 10 月 17 日から 10 月 23 日にかけてタイへ国際交流実習をしてきた。実は出発す
るはずだったのは 10 月 16 日であったのだが、僕の確認ミスで日本に再入国する許可を取
るのを確認せずに行ったため、一人だけ日本に残り一緒に参加したメンバーに大変迷惑を
かけてしまった。チケットも 16 日だけに使用できるもので、17 日に行こうとすればお金が
かかると言われてどうするかで大変悩んでいたが、ラタナーヤカ先生がお金を私が建て替
えてあげるからとりあえず無事タイに来なさいと言ってくれたので、その教員の生徒に対
する気持ちや心をとても暖かく感じた。
次の日、18 日から僕の実習が始まった。突然であったが、Thai NJR を訪問した。佐賀
にいたとき佐賀 Electronics の元社長の山北さんにも言われたようにタイへ行って知りたい
ことをたくさん聞けたと思う。もちろん、佐賀にいたときも色々と見学をさせていただい
たが、タイで一番良かったのはタイ人の労働者と直接話をできたことだと思う。タイで退
職率が多いのがなぜかとかタイで日本の会社に勤める上での愛社精神とか日本の企業のい
いところと悪いところなどを聞かせていただいた。日本にいるときはタイ人の労働者はさ
ほどまじめに働かない人達であろうという考えがあったが、実際タイへ行って直接話をし、
工場の中を見学させてもらったときその考えが 180 度変わった。やはり現地へ行って、そ
こでの状況を自分の目で見て、肌で感じ始めて分かることがたくさんあった。
次の日にカセサート大学で大学を訪問し、自分たちが作ったプレゼンテーションを発表
した。相手方の英語能力や自分たちの英語能力もよくなかったので伝えたいことや感じた
ことを完全に相互に知らせることができなかったと思う。もっと英語を勉強しないといけ
ないということを再度感じた。タイの先生たちや学生たちは僕たちを大変暖かく迎えてく
れたので緊張感が少し和らぎ、プレゼンテーションもスムーズに終わらせることができた。
タイの学生たちに発表をし、後で質問を受け、その質問からも僕たちがたくさんのことを
学ぶことができた。午後は Campus の中を案内してもらったが、カセサート大学の Campus は
とても広く設備も佐賀大学に比べ物にならないくらい多かったので驚いた。カセサート大学では
食堂や体育館などがとても新しく、利用しやすかったので、そういったところをできれば
佐賀大学にも取り入れたいと思った。
次の日に、タイの一村一品運動である OTOP を見学させていただいた。最初に訪れたの
はおもちゃを作る店であった。おもちゃを作る過程は見せてもらえなかったがたくさんの
おもちゃがそろっている店で大変いい雰囲気に包まれていた。店で妹におもちゃを買った。
たぶん、妹の気に入ると思う。
午後には Zonta Dairy Village を見学し、小さい国境に近い村で人々はいかに牛乳で乳
製品を作っているか、その組合の流れを見させていただいた。そこでは、一頭の乳牛から
81
朝と夕方 2 回に分けて20∼30リットルの乳を搾っていた。牛が20頭近くいたので一
日にだいたい500リットルの乳を組合に渡すことができる。1リットルを15THB で売
ってた。Farm から集まってきた牛乳を工場で検査し、いい状態のものだけを使っていた。
牛乳を冷却し、その後 Pastuarizing=低音殺菌していた。それが終わったらココアや砂糖や
イチゴをミックスして全部で4種類のミルクが出来上がる。それらを後でパックする。パ
ックは Vinyl であったのでコストが安くなるといわれた。Zonta Dairy Village の商品はほ
とんどその地域の幼稚園から小学校6年生の間の子供たちに配られている。そのお金が政
府から直接入ってくるので、継続して事業を続けることができる。僕たちが Zonta Dairy
Village を訪れたのは学校が冬休みであったので、工場を稼動させずに注文を受けた分だけ
作るようにしていた。そうしないで、毎日ミルクを造っていると需要が無いので、結局の
ところ工場が損をすることになるらしい。工場の機械をおよそ200万 THB,土地など建物
も200万 THB ぐらいで立てたので、損失は許されない。
Zonta Dairy VillaGe に牛乳を提供している Farm に働いている人達は一つの家族でミ
ャンマーから逃亡してきた人達であった。ミャンマーは貧しく軍事政権が未だ残っている
国。一日働くとおよそ50THB しかもらえなくて生活が苦しくなってタイに逃亡する人が
多くいるらしい。一回ミャンマーを逃亡してしまったらミャンマーに帰れなくなり、もし
帰ったら殺されるらしい。それだけではなく、タイ側もミャンマーから逃亡してきた人達
に国籍を与えないため、不法労働者としてタイで働くミャンマー人やラオス人が多くいる
と聞いた。このことがニュースや新聞に報道されること無く、本にも書かれていなかった
ので、そのことについては一切何も知らなかった。その逃亡者たちの現状は大変厳しいも
のであった。その逃亡者たちが仕事を文句無くやり、少ない給料にも不満を言わないで働
いてくれるのでタイにとって優れた労働者であると聞いた。
次の日の朝タイで一番大きなミルク工場を見学させていただいた。工場がとても大きく、
製造過程もスムーズに行われた。見学させていただいたときに一番疑問に思ったのは牛乳
の値段が政府から固定されているとの事であった。しかも、値段を勝手に変えて販売する
と大きな罰金、もしくは刑務所へ行くことになるらしい。タイの経済は自由経済だと思っ
ていたが、まさかそういう現状があったとは知らなかった。
。。今後、タイ政府が実施して
いる固定値段についてもっと詳しく調べたいと思う。 もう一つ関心があったのは工場の
中の機械がすべてタイ製であったこと。タイは自分の国の中で機会を作れるようになり、
他の国に工場部門や機械部門に関してさほど依存していないということがそのことから窺
われる。
タイから日本にバナナを輸出するバナナ組合も見学させていただいた。事務所がとても
きれいで立派な建物だった。相当儲かっているのだろう。輸出過程を見たがやはり日本か
らの依頼や制限がとても厳しいものだという印象を受けた。バナナの長さが 16cm、直径
3cm、傷の部分が 2cmX2cm 以内で無ければ基準に満たさないものとして受け付けない
らしい。大変厳しいことである。その基準に少しも満たさないものであると例えおいしく
82
て栄養もたっぷりのものでも捨ててしまうらしい。
以上のように今回の国際交流実習でたくさんのこと体験し学ぶことができたという風に
思う。タイへ行く前に本または新聞でタイについて勉強したのだが、実際タイへ行ってみ
ると想像と違ったものがたくさんあり、やはり自分の目でみて、肌で感じてみないと本当
のタイについて分からなかったのであろうと思った。でも、実際タイに6日間しかいなく
て、まだ勉強不足のところも多々あるので機会があればもう一回タイへ行って知識を増や
して来たい。
83
タイの中の日本∼文化と経済のかかわり∼
09131065 坂之下藍里
私が今回の国際交流実習において一番興味を持ったのはタイと日本の文化についてであ
った。現地に実際に行ってみるとやはり相違点が最初に目についたが、同時に日本の文化
がタイへと多く流入しているのではないかと感じた。そこで私は、タイへ流入し、発展し
つつある日本文化とタイ経済発展とのかかわりについて考えてみた。
まず、タイ独特であるなと感じた文化や習慣についていくつか例を挙げていきたい。一
つ目に私が注目したのは宗教についてである。タイは日本のように多神教ではなく、国民
の 95%以上が仏教徒であるということから、タイ人の男性は人生のうち必ず 1 度は出家を
しなければならないという事実があることに驚いた。これはタイにおける大切な通過儀礼
であり、僧侶になった男性は『女性に触れてはならない』、
『食事は一日に 1 度(2 度のとこ
ろもある)』などの 227 条の戒律を守らなければならない。ここで、高位の僧侶にランクさ
れることによって一般大卒者と同等の資格を得る可能性もあるので学歴社会の意識が高い
タイでは貧しくて大学等に進学できない若者にとっても一種のチャンスであると考えられ
る。タイの学歴に対する意識の高さは、実習中に訪問した日系企業の THAI NJR の賃金水
準や、割り当てられる業種、地位が学歴別であったことをみても明らかであると感じた。
二つ目にアルコールの販売に時間制限があることが印象的であった。バーなど、お酒を
出すようなお店であっても、深夜 2 時までしかアルコールを出すことができないうえ、販
売所では 11 時∼14 時、17 時∼24 時と販売時間に規制があり、これに反すると処罰の対象
となるようである。実際私もスーパーでお土産用のウイスキーを買おうとして時間の販売
規制に引っ掛かった。また、飲酒禁止エリアや時間もあるようで日本と違ってアルコール
に対する法がすごく徹底されている。
他にも挨拶の習慣(日本でいう“いただきます”に変わる言葉がタイではないことなど)
や絶対的な国王の存在、寺院参拝の服装の厳しさなど、日本人にはあまりなじみのないよ
うな文化や習慣がタイにはたくさんあると感じた。
しかし、近年タイには日本などの外資系企業が多く流入していることもあり、それらの
文化の広まりが多く見られた。その中でも私が特に興味を持ち、取り上げたいと思ったの
が、日本のアニメーション・マンガのタイでの人気についてである。
カセサート大学の学生との交流の中で、分かったのだが、日本のアニメや漫画は現在タ
イではとても人気で、数多くの作品が入ってきているという。主な作品名としては日本で
もかなり有名なものがやはり多く、
“ONEPIECE”や“名探偵コナン”
、“ポケットモンス
ター”などが人気であるとのことだった。実際私が持っていた ONEPIECE のグッズを見
て、タイの学生に喜ばれたのがすごく印象的であった。
そこで私は、タイの学生の話をもとに、これだけ一般的に日本のマンガ・アニメが知ら
84
れていることから、タイのマンガ市場およびアニメーション市場は盛んなのではないかと
考えた。
ジェトロの調査によると、タイ国におけるマンガ市場の拡大は 1980 年代頃から急速に起
こり、当時は不正コピーなどの海賊版が出回ることが多かった。90 年代に入り、政府の指
導があったことからタイのマンガ出版社と日本の大手マンガ会社とのライセンス契約が広
がり、現在のマンガ市場確立に至っている。
タイにおける主要マンガ出版社は、サイアム・インター・コミックス(Siam Inter Mul
timedia Co., Ltd. )、ヴィブンキッ(Vibulkij Publishing Group Co., LTD) 、ネーショ
ン・コミックス(Nation Egmont Edutainment Co., Ltd.)
、ブラパット(Burapat Com
ic Ltd. Part)、ボンゴット(Bongkoch Publishing Co., Ltd.)
、トゥモロー・コミックス
(Tomorrow Comix Co., Ltd.)などがある。マンガ市場規模は 35.8 百万 USD あり、200
5 年当時のレートでいうと約 43 億円である。近年では正規のマンガ本の市場が 8 割以上を
占め、海賊版が減少した要因としては正規コミックの安さが挙げられる。
(一冊が約 40 バ
ーツ※日本円で 120 円)
次にアニメーション市場についてであるがこれは、映画、TV番組、ビデオ販売、キャ
ラクター等、多くのビジネスへと羽を広げており現在も様々な形で発展しているといえる。
タイの日本アニメ放映は 70 年代から始まっており、タイで大成功を収めた最初のアニメで
ある「一休さん」を皮切りに、
「Dr.スランプ アラレちゃん」や「ドラえもん」、
「ドラゴ
ンボール」など日本の人気アニメが次々と上陸していった。アニメーション市場は、CG 産
業の市場と併せて考えると約 21∼22 億バーツの規模がある。近年のマンガ市場とは違い、
アニメーション市場においては海賊版 VCD と「Power of Attorney」(リーガル・アクシ
ョンの代理権)の問題が深刻である。日本アニメーションは日本でのリリース直後、すぐ
にバンコクのビデオショップに並ぶというのが現状であり、正規のアニメーション企業ビ
ジネスの大きな障害となっている。アニメーションはライセンサーの不明瞭さを強く指摘
され、日本側としては、業界統一的な窓口の設置等の対応が求められている。
また、日本のアニメーターの人材不足を背景としたタイへのアウトソーシングの例もい
くつか挙げられており、極彩色のタイの仏教寺院などから、タイ人の色彩感覚、色使いは
アニメーター向きだと期待されている。これを受けたタイ政府はアニメーション人材の育
成に取り組んでおり、質量とも充実したアニメーターの輩出が求められている。
今後の見通しとして、タイでの受託制作の活発化や両国間での共同開発等が進められ、
よりタイのアニメーション市場は伸びると考えられる。また、マンガ・アニメーションは
映画化、テレビ番組化、キャラクターグッズ販売といった様々なビジネスへと波及し得る
ことから日本のマンガ・アニメーションはさらにタイでの人気を確立し両国共、市場規模
の拡大が期待できるだろう。また、アニメーションの海賊版の問題と同時に、電子書籍な
どといったデジタル化による違法コピーへの対策も求められるだろう。現在タイでは日本
のアニメーションブームを経て国内での自作アニメ制作にも力を入れており、積極的に世
85
界市場へと足を伸ばしつつある。よってタイではこれからもマンガ・アニメーション市場
のさらなる発展が見込めるといえる。
私は今回タイへの国際交流実習に参加し、現地に自ら赴くことによって改めていろいろ
な発見があったと思う。事前学習ではタイでは主に自動車関連や家電メーカー、電子産業
といった業種の日本企業が進出しているというのを学んできたが、それに伴う日本文化の
流入および経済への影響というのは現地に行ったからこその面白い発見だった。現地の学
生とは日本のマンガ・アニメーション以外にもプリクラやカラオケといった日本独特の娯
楽施設があるという話も聞き、若者の余暇の楽しみ方は日本でもタイでも変わらないのか
というのを実感した。また、ほかの国にも多く受け入れられるような自国の文化に誇りを
持つこともでき、改めて日本文化と向き合う良い機会でもあった。今回私は、タイと日本
の文化的な違いや共通点、人々の考え方の違いや関わり方などを自分の目で確かめて実際
に体感できたのはもちろんだが、同時に現地の人との交流の中で、彼らの人の良さやあた
たかさにも触れることができたと思う。さすがは“ほほえみの国”と言われるだけあって
タイの人々は常に笑顔で親切な方が多く言語が違っても確かなつながりを感じた。このよ
うな経験の中で私は、さらに日本とつながりの深い国々に対する興味が深まったと思う。
私は今回実習でお世話になった方々に感謝するとともに、これから先世界の経済を担って
いく若者が日タイ間でより良い関係を築き、さらなる発展を目指していければと考える。
参考資料
・安田靖『タイ 変貌する白象の国(中公新書 889)』中央公論新社、1988 年。
・ジェトロ(日本貿易振興機関)
東南アジア 3 か国におけるコンテンツ市場の実態(2007 年 3 月調査)
http://www.jetro.go.jp/world/asia/reports/05001418
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タイの工業化と農業
09131094 田中 涼子
今回、現地の実習においてでタイに進出している日系企業(タイ NJR)、ミルク工場、農
場そして日本向けバナナ輸出企業を訪問した。これらの見学を通して、途上国として工業
化が進む一方で農業のあり方がどのように変化するのか興味深く感じたためこのテーマを
設定した。
まず、工業化についてタイ NJR とミルク工場見学の点から述べる。現在、日系企業は円
高の影響を受け安価な人件費、比較的治安の良いタイに多くの企業が進出している。街を
見ていると、日本の自動車メーカー“ホンダ、トヨタ”などの車が多く走っており、いた
るところに看板があった。今回訪問したタイ NJR(日系 IC 製造工場)も進出企業の一つであ
り、事前研修を行った佐賀エレクトロニックスの関連会社である。佐賀とタイの工場の一
番大きな違いは、各部門における従業員の数だった。佐賀の場合、オペレーターの人数が
極めて少なく一つのフロアに 10 人未満というところもあった。しかし、タイでは製造に直
接関わっている人数が約 300 人、製造部門で見ると 600 人程度。生産工程や規模等の違い
があるにしてもこの差は大きい。機械とオペレーターが 1 対 1 という製造の方法もあるよ
うで日本と比較する少々非効率に思えるが、設備投資と人件費のバランスが上手くとられ
ていた。現地の工場は、工業団地の一角に存在しており、工業化を進めたい政府は税金の
免除を行うなどの政策をとっている。また、工業団地としてインフラが整備されているた
め企業側も立地しやすい。では、なぜ日系企業が受け入れられているのだろうか。それは、
日本独自の組織の仕組みがタイに受け入れられたからである。他国の企業は、結果が全て
でありアドバイスや手助けなどは存在しないハイリスク・ハイリターンの仕組みが存在す
る。それに比べて日本は先輩が後輩の世話をするというような縦の関係が上手くできてお
り家族のような暖かい雰囲気はお金には代えがたいとのことだった。
次にミルク工場だがここはタイ NJR と異なり農業組合との関係で設立されている。見学
した工場は小さな農村の工場と比較的大きな街の工場である。今回、視点をあてたのは大
きな工場における生産性の観点から考えられる問題点だ。この工場は、王様プロジェクト
の派生であるため雇用産出そして国民が豊かになるための工場であることから工場内にガ
ソリンスタンドやスーパーを併設。加えて銀行機能も兼ね備えている。しかし、雇用産出
を主とした場合、工業化においてオートメーション化が思うように達成できないという問
題点が挙げられる。実際に工場見学を行ったが、日本の食品メーカーの製造工場と比較す
るとやはりオペレーターが多く存在していた。
このように、日本と比較すると生産の効率化という面ではまだ差があるようだが工業化
は着々と進んでいる。
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一方、農業の現状はどのようになっているのだろうか。今回は、村の小さなミルク工場
とその農業組合に加入している農家(牧場)を訪問した。この村では、農業組合ファーム
等も存在し各酪農家が村の工場にミルクを売り加工する。元々、タイではミルク(牛)に
関する仕事は王様からの仕事として生活が良くなるとされている。それぞれの規模として
は酪農家ごとに 10 頭未満から 60 頭以上と様々である。
今回話しを聞くことができたのは、
60 頭を飼育する農業組合の酪農家だった。
農家の問題点として、以下のことが挙げられた。まず、飼育をするうえでは悪天候によ
るエサ不足、子どもを計画的に産ませることへの苦労。農業の観点から日本同様に後継者
問題が存在していた。現在タイでは、工業化を背景に栄えてきた都市に若者が流出してい
る。農家を継承するよりも、工場で働いた方が高い賃金を得ることができるからだ。加え
て、近年タイ人は 3K 労働を嫌う傾向がみられる。そのため、現地では他国の出稼ぎ労働者
を雇い経営しており出稼ぎ労働者はとても重要な存在になっていた。しかし、タイ人は平
均 4、5 人の兄弟がいるため現段階ではまだ後継者が存在すると言われている。また、村で
は生ミルクを加工し製品を生産しているが FTA の影響を受け今後、他国から安価な粉ミル
クが輸入されるようになると競争が激化しさらに厳しい市場になるだろう。
今後、生活水準が向上した場合現状を維持できる可能性は少ない。これらのことより工
業の発展と農業の衰退は日本同様に今後の大きな課題となると考えられる。
タイの将来を予測するために次のデータを取り上げる。下記は、タイの一人当たり GDP
の推移だ。
1人当たりGDPの推移
6000
5000
4000
3000
2000
1000
0
2001
2002
2003
2004
2005
2006
2007
2008
2009
2010
(単位:米ドル)
このグラフからも分かるように、一人当たりの GDP が緩やかにではあるが上昇傾向にある。
これらのことから、今後も生活水準は上昇していくと大まかに予想することができる。
また、農業から工業への移行を示すデータとしては、1970 年 GDP の 25%程度を農業が
占めていたとされているが、2008 年には 12%強と減少している。しかし、就業者の 40 か
88
ら 50%は農業に従事しているため、主要産業であることには変わりない。
レポートを書くにあたってタイの工業化と農業というテーマで今後のタイがどのように
変化していくかについて考えてきた。日系企業の進出等により急速に工業化が進んでいる
のが現状であり、ますます経済成長をタイは遂げていくだろう。しかし、同時に多くの課
題を抱えていくに違いない。長期的に考えると労働問題、環境問題、高齢化問題、そして
格差問題。一番身近な問題としては今回起きた洪水の被害への対応である。日本と関係の
深いタイ(途上国)の発展が今後どのように動いているか今後も注目していきたい。
私は、今回の国際交流実習で初めて途上国の現状を見た。途上国といっても様々だが、
タイの都市バンコクがこれほど著しく発展しているとは思っていなかった。実際に現地に
踏み入り労働者の方、学生等の話しを聞く機会があり、労働・生活環境、土地の文化・習
慣・風習など多くのことに触れることができとても良い経験を積むことができた。これを
活かしさらに世界に目を向け、視野を広くもち様々な視点から考えていければと思う。
(参考資料)
・ジェトロ貿易投資白書
・在タイ日本国大使館ウェブサイト
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タイの協同組合と日本の協同組合
09131124 古川忠美
国際交流実習に参加して、大変貴重な体験が出来ました。その中でも特にわたしが興味
を持ったのは、6日目に訪問した Nong pho Dairy Cooperative Ltd でのお話でした。
そこは会社ではなく国営企業でもなく、タイ国王支援のプロジェクトでした。その協同
組合の目的は、牛乳を組合員から買い取り、加工牛乳を売ることです。他にも、肥料を低
価格で販売したり、低価格で獣医の問診を受けられたり、小さな銀行やガソリンの給油・
スーパーマーケット等に至るまで、とても幅広い分野で活動していると伺いました。
日本の協同組合といって頭に浮かんだのが農業協同組合だったので調べてみたところ、ガ
ソリンスタンド(JA-SS)
・スーパーマーケット(A コープ)
・JA バンク・JA 共済等、同じ
ような活動内容を運営しています。
しかし、日本とタイの協同組合では利用制度が異なります。日本の組合員は、正組合員
と准組合員とに分かれています。正組合員資格は農業を自ら営む農業者に限られ、組合員
が一人一票の平等の議決権を持つことや組合員全員に組合の事業を利用する権利が生まれ
ます。これに対して、農家でない人でも JA に加入手続きをして承諾され、出資金の払込み
をすることで准組合員となり、JA のいろいろな事業を利用することができます。ただし、
JA での選挙権などはありません。現在、組合員が資格を満たしているかのチェックはほと
んど行われておれず、その結果 2000 年代には、本来であれば資格を持たないはずの組合員
が 100 万はいるといいます。タイにおいて、組合員となる資格は株を持つことが要されま
す。Nong pho Dairy Cooperative Ltd では牛を有していれば無料で研修を受けることが出
来、初心者でも始めることが出来ます可能となっています。また、組合員のスーパー等で
は商品を現金引き換えでなくても購入することが出来ます。これは、日本では普及されて
いない制度です。あまりお金を持ち歩かないというタイと日本の文化の違いも関係してい
るようです。
それから、わたしたちが訪問した牛乳加工工場 Nong pho Dairy Cooperative Ltd は国王
支援プロジェクトで、日本の政府援助とはまた大きく異なるとものだと思いました。組合
員から定額で引き取ることで収入が安定し、日本の農家のように天候等で左右されること
はほとんどありません。そして、この工場の従業員は組合員の家族の人々で構成されてい
ました。このことは、家族の雇用も確保することが出来安心して働けるだろうと感じまし
た。このような制度があるなら、乳業や農業をする人が多いだろうと考えます。実際に、
90
1990 年∼2000 年あたりではタイの耕地面積は減少していますが農業経済人口、穀物生産は
大幅に増加しています。
しかしもう少し調べてみたところ、かつて発展途上国であった国々でも工業化が進むこ
とで先進国に近づきつつあり、先進国と類似した農業問題が発生し始めていました。都市
における食生活向上に伴う輸入食料の増加や、都市や大きな工場地帯がある工業部門への
労働力流出に伴う農村労働力の不足等が挙げられます。タイの町を自分で目にしてきて、
バンコクと他の地域との生活の差は歴然でした。工業地帯の日系企業へ実際に訪問させて
いただいたし、バンコクやサイアム等の都市にはマクドナルドやケンタッキー、その他多
くの外国食産業が店を並べ、コンビニもたくさん見かけました。外国産業が浸透している
のを肌で感じることが出来ました。一方、他の地域で外国産業の店を見かけることはあま
りありませんでした。これはやはり、タイの所得格差からくる明確な問題です。よって、
今後ますますの工業化でタイの経済発展が進み、日本のように地域間での所得格差がなく
なったなら、バンコクのような都市化が地方にまで浸透し農業も自ずと減少すると考えら
れます。
そんな中でも、タイ国民の国王への信頼はあつく、国王支援プロジェクトは成功してい
ます。これからも広範囲に発展していくと考えられます。協同組合と一口に言っても、文
化等によってタイと日本とでこんなにも制度や意識に違いがあったのだから、世界におい
てはもっと異なる点が数多く存在すると思います。しかし、共通して言えることは、連帯
経済の主要な担い手だということです。実際に自分の耳で聞き、口で質問することで、国
内外を比較することが出来、理解と興味が深まりました。
91
様々な視点からみたタイ
09131145 山下紗季
今回の国際交流実習では、日系企業の訪問やタイ農村の農業協同組合の訪問で、産業と
農業の二つの面からタイ全体をみることができました。
まず日系企業であるタイ NJR の訪問で、現地で働く人の生の声を聞くことができてとて
もためになりました。私は離職率において日本とタイを比較したときにタイの方が高かっ
たことに疑問を持ちました。現地の方によると、タイ国内では常に求人がかかっていてい
つでも転職が可能な環境があるために離職率が高いことがわかりました。このような問題
に対して、会社側は給料の増加や福利厚生の充実をはかり、社員の愛社心を高めようと取
り組んでいます。タイは日本と違って求人が多く、それが離職率の増加につながっている
のだと思いました。現在、日本では就職率の低下を問題としているなかでタイでは離職の
問題のほうが深刻なのだとわかりました。私たち大学生が就職活動をする際によく言われ
る、選ばなければ就職先はあるということがタイでも同様にいえることだと思いました。
また、タイ人は私たち日本人が気にするほど賃金に関してあまり神経質ではないというこ
とがわかりました。そこで日本との国民性の違いを感じました。やはりこれが総幸福度の
高さの差と関係があるのだと思いました。
次に、タイで一番大きな工場である Nong pho Dairy Cooperative Ltd の訪問ではタイの
農業協同組合について深く知ることができました。四十年程前に乳牛を飼っている人たち
が牛乳の加工場所や受取人の不足で困っていた際に王様が牛乳加工の教育、土地を支援し
てくれたことがきっかけでこの工場ができたことがわかりました。王様が支援してくれて
いる農協組合の一員として、組合員たちはみな誇りに思っていました。さらに、タイでは
School milk project というプロジェクトがあるということも初めて知りました。幼稚園か
ら小学六年生までの間、学校で出される牛乳はタイ政府が支援してくれるという政策です。
そして、タイでは牛乳の値段を政府が決めているということにもとても驚きました。牛乳
に対する思いや扱い方、牛乳に政府が関わってくる点などが日本とは全く違っていて、改
めてタイの人々がどれだけ王様を敬っているのかわかりました。
また、小さな村の工場である Zonta Dairy
Products や乳牛を飼育している酪農農家の
訪問では初めて知ったことがたくさんありました。タイでは牛を飼っている農家は少なく
とも一家に三頭で、多くて六十頭も飼っているということです。タイでは一家族に約四、
五人の子供がいますが、家族全員で働かないとまかなえないという事実も聞きました。ま
た、やはり日本と同様に農家では後継者問題が深刻であるとわかりました。酪農は3Kの
仕事として認識されているため、タイ人の若者をアルバイトとして雇っても長続きせずに
すぐやめてしまうという現状があります。そこで今回訪問した酪農家では、ミャンマー人
92
を雇うことで後継者問題の解決に取り組んでいました。個人でやっているファームであれ
ば酪農の存続は個人の自由だが、農協組合に入っているファームだと簡単にはやめられな
いということもあり、組合に援助してもらっている分、負担も大きいのだと実感しました。
タイでは米を作る農家よりも酪農農家のほうが収入は多いと言われているが、常に牛の
ことを第一に考えて毎日を過ごしていて生き物を飼育することはとても大変で責任感がい
ることなのだと改めて思いました。酪農家にとっては牛自体が大切な資本なので、それが
失われないようにとても神経を使っているのだとわかりました。
最後に、日本向け輸出バナナ園の訪問によって日本人がどれだけ贅沢をしているのか気
付きました。まず初めに驚いたことは、バナナを日本に輸出する際に、輸出できるバナナ
の傷の大きさが決められていたということです。傷がその規定より少しでも大きい場合は
日本には輸出できないためタイ国内のホテルや店に出しています。さらに、日本に輸出で
きるバナナには長さと重さが決められていました。また、タイ国内に出荷するバナナは二
回洗浄をしているのに対して日本向けバナナは五回も洗浄を繰り返しているという事実を
知りました。
ここでタイと日本の国民性の違いに気付かされました。それと同時に私たち日本人はと
ても贅沢をしているのだとわかりました。以前は何も考えず普通に食べていたバナナも、
これからは日本人のために念入りに洗浄して工夫してくれていることを忘れず、頭の隅に
おいて感謝して食べようと思いました。また、このような事実は実際に輸出元である現地
に行って調査をしてみないとわからなかったことであり、今回訪問できて本当によかった
なと感じました。
タイの学生との意見交換では改めて日本とタイの文化の違いを感じ、異文化交流ができ
てとてもよかったと思います。英語を使ってタイの文化を直接現地人に聞くことができ、
また、日本の文化を直に伝えることができて本当に良い勉強になりました。しかしお互い
に英語能力はまだあまり足りてないように思い、自国の文化への強い誇りを感じる一方で
グローバル化への対応が迫られているようでした。共通言語である英語の能力の向上はグ
ローバル化への第一歩になると認識し、今後の学生生活の目標にもなりました。
今回初めてタイを訪問しましたがタイ国内の様々なところに国王の写真や肖像画が多く
貼られていていました。これらを見て、タイの人々は本当に国王のことを尊敬し、大切に
思っているのだとわかりました。日本でいうと国王は天皇にあたり、私の祖父母などお年
を召した人たちは天皇に対してとても敬意を表しますが、それに対して今の私たち若者は
天皇に対して思いが弱いのではないかなと感じ、改めてタイの人々の国王に対する強い尊
敬の意は素晴らしいものだなと思いました。
さらに今回の洪水で、タイにはたくさんの日系企業が進出していたことを初めて知りま
した。洪水によって日系企業が大きな被害を受けたが、このことで日本はタイに支えられ
ていたのだと再認識できたと思います。この国際交流実習では実際にタイを訪問すること
でタイと日本の関係を深く知ることが出来たし、異文化の交流など、様々な経験が出来ま
93
した。ここで得たものを今後の学生生活で活かすことができたらいいなと思いました。
タイ人の労働観から見る離職率と日本的経営
08131013 石垣大輔
私は実習を行うまで2つの疑問を抱いていた。まず、1つ目は、なぜ離職率が日本に比
べて高いのかという点である。日本では、会社を辞める事に対して非常に抵抗感を感じる
人が多い。しかし、タイでは、タイに進出している日系企業が主な問題点として挙げるほ
ど離職率が高い。そこには、日本にいては知る事ができない考え方があるのではないかと
私個人としては興味を持っていた。2つ目は、タイの人が考える日系企業のメリットはど
のような点なのかという事である。日本的経営は、アメリカの経営学者ジェイムズ・アベ
グレンが1冊の本にまとめるほど、欧米企業とは一線を画した経営手法である。私個人と
しては、この経営手法は、
「和」を重んじる日本人独特の考え方が反映されたものであると
考えていた。したがって、日本独特の考え方をタイの人はどのように考えているのか私に
とって非常に興味深いものであった。実際に、私は今回の実習を通して、上記の2点の疑
問を解決する事ができた。加えて、自分自身の労働観についても見直す良い機会となった。
それでは、2つの疑問がどのようにして解決されたのかを、THAI NJRの社員の方
とカセサート大学の先生と生徒の話を基に紐解いていきたいと思う。
私はTHAI
NJRで働かれている日本人社員の清水さんになぜタイではジョブロー
テーションがないのか尋ねた。その理由は、“タイ人を別の部署に異動させると、離職する
リスクが高まるから”というものであった。そこに日本人とタイ人の労働観の違いが隠さ
れていた。日本人は部署を異動されても受け入れようとする。なぜなら、日本人は会社が
自分にジェネラリストになる事を求めるという事は、自分が会社を俯瞰できる人材になり、
後々は管理職として上に立ってほしいという会社の思いがあるのだという心理が働くから
である。一方、タイ人は自分が学んできたスキルを生かしたいという思いが日本人より強
い。だからこそ、部署の異動によって、自分が希望していた仕事と違う場合は、強い抵抗
感を覚えるのである。しかし、抵抗感を覚えるのは日本人も同じである。それにも関わら
ず、タイでは離職にまで至る。この理由はTHAI NJRで働かれているタイ人のサン
ディポーンさんの話から具体的に窺い知る事ができた。サンディポーンさんは以前、タイ
系企業の環境コンサルタントをしており、今はTHAI NJRで労務と財務の担当をし
ている。私は分野の違う会社に転職されたサンディポーンさんになぜTHAI NJRに
転職したのかを尋ねた。それは、
“労務や財務のスキル向上とビジネスモデルを知りたい”
という理由であった。私はこの事と先に述べた抵抗感の話から1つの共通点を見つけた。
それは、タイ人はスキルに着目して就職先を決めているという点である。つまり、タイ人
はスキルを大前提として入社している事から、会社を辞める事に対して抵抗感がないので
ある。したがって、以上の事から、タイの離職率の高さは、
“日本人は会社に就職し、タイ
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人は職業に就職する”という考え方の違いが原因としてある事を知る事ができた。
続いて、タイ人が考える日系企業のメリットについて述べたい。私はカセサート大学の
先生に日系企業に対するタイ人学生の人気について尋ねた。その答えは“人気はある”と
の事だった。そして、その理由は“教育制度が充実しているから”というものであった。
そこで、今度は実際の生徒の真意を確かめる為に、直接、1人の生徒に日系企業で働きた
いと思うか尋ねてみた。その答えは“YES”であり、理由もまた“教育制度が充実して
いるから”というものであった。なぜ、タイ人が“教育の充実度”を大きなメリットとし
て捉えるのか。ここにも、先に述べたタイ人の労働観が関係していると考えられる。タイ
人はスキルに着目して就職している。したがって、社員の教育に対して丁寧に取り組む日
系企業はスキルを生かしやすく、かつ向上させやすい場としてタイ人から認識されている
と推測できる。「和」を重んじる日本人の特性から生まれた終身雇用。その制度があるが故
に実践されてきた充実した社員教育。今では、この制度がタイ人から大きなメリットとし
て捉えられており、実際に働いている人も実感している。その事は、以前は欧米企業のド
ライな環境に違和感を覚え転職を決意し、教育システムの充実さから来るアットホーミン
グな環境の中で、今も充足感を持って働いているTHAI NJRのボーディンさんの存在
からも窺い知る事ができる。したがって、タイ人が考える日本企業のメリットは日本人特
有の「和」を尊ぶ心だという事を訪問先でのヒアリングを通して学ぶ事ができた。
最後に、自分自身の労働観の変化について述べたいと思う。今後、日本は少子高齢化に
よって、マーケットが縮小していく事が予想される。そして、日系企業はますますグロー
バル化を余儀なくされ、労働市場も終身雇用の崩壊などから流動化が進む事が予測される。
そのような中で、重要となってくるのは視野の広さだと考えられる。その一例として、先
に述べた労働観が挙げられる。会社で考える日本人とスキルで業界全体を見るタイ人では、
視野の広さではタイ人の方が広い。そして、自分のスキルを広げられる可能性もタイ人の
広がっていると感じた。そこで、自分自身も今後はこれまでの固定概念に囚われず、大き
な視野を持って物事を見ていきたいと思った。それを体現する為にも、多くの人やモノに
触れ、自分の人間としての幅を広げていく事が必要であると感じた。それと同時に、今回
の実習では、
「和」を重んじる心や相手を思いやる心など、日本人の誇るべき特性も再認識
する事ができた。したがって、私は常に新しいものを吸収する意識と日本人としてまたは
これまでの自分の経験から曲げてはいけないと考える軸の2つを持って行動する事が、こ
れからの激動の時代に対して今の自分ができる事なのだと今回の実習を通して切に思う事
ができた。
95
実習を通して感じたタイ国民と王室のつながり
∼王室プロジェクトについて∼
8131024 内田 歩
今回、10 月 16 日から 23 日までの 7 日間、
タイに国際交流実習として行かせていただいた。
同じ仏教の国といっても、日本と違う点が多く見られ、タイの文化や習慣の違いに驚きを
感じた。至るところに寺や仏像あり、お供え物をしているところをみても仏教を重んじて
いることがわかる。文化面以外でも、外国人の多さに驚いた。タイ周辺の国々から出稼ぎ
に来た外国人や観光客、地元で働く人が多く見られた。文化面でも同じことが言えるが、
中国の影響が強く、華僑の人々がタイ人と結婚し、タイ人の多くが中国系であるという事
実もわかった。短い期間ではあったが、タイのことを知るにつれてイメージが変わってい
った。
タイに行って気が付いたことは、タイの国民が国王のことを尊敬してやまないことであ
る。道路の中央や店の入り口などの見えやすいところに国王や王妃の写真が飾ってあった
からである。食堂には、国王と海外の国賓たちの写真が飾ってあり、国王のみならず王子
の妻である王女に対しても同じであった。彼女が店に来た際に使用した椅子がカバーにか
けて飾ってあったのを見たときは驚きを感じた。タイ国民が国王や王妃だけでなく、王室
全体を大切に思っていることがよくわかった。そして、国王や王室でもタイの貧しい人々
だけでなくタイ国民をバックアップしようとしていることを知った。
私たちが見学したミルク工場も王室プロジェクトの一環としてつくられた。ミルク工場
にしては、労働者が多いように感じた。これも、国王ができるだけ多くの人を雇い、安定
した収入を得て欲しいという思いから、たくさんの人々を雇っているのであると教えてい
ただいた。このミルク工場では、ミルクやアイス、水、ヨーグルトを作っていた。それだ
けでなく、銀行やガソリンスタンド、スーパーマーケットまでつくり、農家のサポートを
していた。この仕組みだけで自立した生活が送れるようにとの国王の意向であった。スー
パーでは、買い物時にお金がない人々でも、買い物ができ、収入が入った後に買い物代金
を支払うというシステムまでつくられていた。さらに、農業用の肥料や牛などの飼料もオ
リジナルでつくっていた。銀行では、普通の銀行よりも貸し出す際の金利を安くし、借り
やすいような工夫がしてあった。このように、この工場周辺の地元の方々が不自由のない
生活ができるように考えられていることが分かった。
タイでは、農業組合が農家のサポートや支援活動を行なっており、農業組合がミルクを
集め、それを販売しているところもあった。そして、その一部をスクールミルクとして近
くの小学校などに安く販売していることもわかった。これは、王室ではなく政府による支
援のひとつで、小学校低学年ほどの子供たちが学校でミルクを飲み、栄養を与えられるよ
96
うに考えられたものである。同じように、私たちが見学したミルク工場でもスクールミル
クが作られており、政府が資金を負担し、小学校で毎日配布されている。ここでは、王室
と政府が協力して国民の生活や子供たちの将来を守っているのだと感じた。
現国王(プミポン国王)の母であるソンワーン皇太后がタイの山岳地帯でタイ王室所有
の農園でコーヒー豆の栽培を行っている。これは、
「ドイトン開発プロジェクト」と呼ばれ、
基礎健康、栄養向上及び生活状況の向上、教育を柱として、最終的には地域の自立を目指
したプロジェクトを行なっている。このドイトンでは、コーヒー豆の栽培以外にも伝統的
な織物や蘭の育成、和紙作りなどの活動も行われている。ほかにも、多くの王室プロジェ
クトが実施されており、地方の農村振興のために、農業、漁業、林業、酪農等の分野で 3,000
以上の非営利・半営利のプロジェクトをサポートしている。具体的には、高知稲作プロジ
ェクト、チトラダ酪農場、有機肥料、医薬用ハーブ栽培、無土壌栽培の研究等を行なって
いる。王宮の敷地内にはプロジェクトの実験を行う場所があり、それらの研究も行われて
いる。地方の農村振興だけでなく、教育や水害に備えた灌漑開発事業、医療面でのサポー
トはもちろん多くの部門で開発プロジェクトが進められている。このように、国王の多く
の時間を国民のために使っているということを知り、国民に対する愛情の深さを感じるこ
とができた。
タイに行ったことで、タイの国王がなぜこんなにも国民に愛されているのかということ
がわかった。日々勉強し、少しでも国民に豊かな生活を送ってもらいたいという思いが強
いからではないかと思った。現国王であるプミポン国王の父も同じように王室プロジェク
トを行なっており、タイでは国王が国民の生活を改善しようという気持ちが受け継がれて
きたように思われる。タイでは、政権の不安定さや軍との摩擦で治安が不安定だとの見方
もあった。しかし、政権が不安定でも国民が安定していられるのは、国王のしっかりとし
たサポートを国民が理解しているからだと感じた。
最後に、現在、私たちのお世話になったバンコクが水害で生活しづらくなっていること
をニュースや FACEBOOK などを通じて知った。私たちが実習に参加した時期は、浸水被
害が都市部には及んでいなかった。しかし、学生の実習ということで心配事も多かったの
ではないかと思う。お手伝いいただいた先生方や現地の学生のおかげで無事に日本に帰る
ことができ、とても感謝をしている。帰国後、さらにひどくなっている水害に対し、水が
早く引き、水害に対する保障の充実と感染症などの病気が少しでもなくなること、そして、
タイの産業がさらに発展することを祈っている。国王が入院中で国民は不安もあると思う
が、浸水被害のない地域でや水が引いた地域でバンコクやアユタヤなどの浸水地域をサポ
ートして欲しいと思った。
97
タイの農村における農業組合のあり方
08131136
無田ゆう子
今回、私達はタイの西部に位置するラチャブリ県を訪れ、ミルク加工工場や有機バナナ
農園などの農業組合で話を聞く機会を頂いた。タイを訪れるまでは、農村というとほとん
どが米を作っているという印象しかなかったのだが、実際に足を運んでみると以外にも多
くのミルクの協同組合があることが分かった。
初めに見学をしたミルク加工工場は、従業員が5名程で、1日3tのミルクを加工する
小さな工場であった。そこの工場には、朝と夕方に農民が各自の家で搾ったミルクを持っ
て来る仕組みになっており、加工されたミルクは県内の学校に給食用として配布されてい
る。タイや近隣のミャンマー、カンボジアでは、政府から補助金が出るため義務教育の過
程で給食のミルクは無料で配布されることとなっている。
その後訪れた酪農家の方は、農業組合の組合員であり、60頭程の牛を飼育している比
較的大きな牧場であった。乳牛は、18カ月飼育してやっとミルクが取れるようになり、
1頭につき約10年ミルクを取ることが出来る。そのため、1農家につき10頭は牛を飼
育しないと生計を立てることは難しいとのことであった。また、現在はエサのコストが上
がってきており、コストダウンがとても難しいと言われていた。この牧場のように大きな
ところでは乳牛の飼育と出荷で生計を立てることが出来ているが、小さなところはそれだ
けでは生きていけないために、夫は会社や工場に働きに出て家族が牛を育てるという形を
とっている農家も多い。タイでも日本と同じように後継者問題は顕著になってきている。
農村での仕事は、
「汚い・キツイ・危険」のいわゆる3Kの仕事が多く、タイの人々も進ん
で農村の仕事をすることはなくなっている。タイの農村は1家族における子どもの数が多
いために、勉強の出来る子は大学に行きバンコクなどの都市で会社に就職し、勉強が苦手
な子が農業を継ぐというケースが多いそうだ。そのため、重要な労働力となっているのが
外国人労働者である。ラチャブリ県は国境に近いため、ミャンマーから多くの外国人労働
者の人々が働きに来ている。この様な人々は外国人労働者として登録をする必要があり、
登録をするといつまでも働くことが出来るが、やはり3Kの仕事のため1∼2年で辞めて
いく人々が多い。賃金としては1日約250バーツで日本円にすると約650円と非常に
低賃金だと感じるが、彼らがミャンマーで働いて得る金額よりは高いのだと言われていた。
次に訪れた工場は、従業員数が約900名というとても大きな協同組合であった。ここ
では、1日に2000tのミルクを加工し、6割が学校へ、残り4割が市場へと出荷され
ている。また、UHT と呼ばれる紙パックと、パスチャライズと呼ばれる袋の2つの市場が
あり、長持ちする UHT は全国に、パスチャライズは県内へと出荷されている。その他にヨ
ーグルトやアイスクリーム、牛乳を作っていない時間には水を生産するなど様々な仕事が
98
ある。ここの工場では多くの組合員もいるため、組合員の生活を支えるために様々な手助
けをしている。例えば、農民の人々が使う機械や牛のエサを安く販売したり、獣医が駐在
しており牛の検査をしてくれたりする。その他にも貯金など銀行のような役割も担ってお
り、お金がない農民のために組合員は工場内のスーパーやガソリンスタンドでは会員番号
を伝えるだけで支払いは後払いでよいという制度も設けられている。
ミルク加工工場や酪農家の方を訪れて感じたことは、協同組合というものが農民の人々
の生活を支えるための大きな基盤となっているということだ。逆に考えてみると、農家の
人々は、組合に加入していなければ生活をしていくことが困難だと感じた。協同組合タイ
も、都市化や工業化が急速に進み、農業の衰退はとても深刻な問題となってきている。と
は言っても、未だにタイの人口の半数は農業に従事者である。そこで政府の政策として、
農村開発計画が実施されており、特に国王陛下による王室プロジェクトへの支援の強化も
盛り込まれている。この王室プロジェクトの成功と実績は、タイの農村開発や農業の分野
では見落とすことの出来ないものとなっている。これは、タイ国民が国王陛下に対して並々
ならない尊敬と敬愛を持っているため、今後も農業の衰退を止めるためにも注目すべきも
のだと感じた。また、王室プロジェクトは国王のリーダーシップだけでなく、明確なビジ
ョンと計画があったことや、タイの所得の中間層の台頭を背景に市場が受け入れる余地が
拡大していることも成功の要因だと言えるだろう。見学をさせてもらった工場も王室プロ
ジェクトの支援を受けており、国王から与えられた仕事のため、国民は皆喜んで仕事に取
り組んでいるとのことであった。
タイを訪れて、バンコクの都市化と農村との違いが予想以上であったため、非常に驚い
た。しかし、農村部の人々も貧しさなどは気にしていない様子でとても明るい印象であっ
た。この様に都市との格差や農業の衰退があっても、国王という存在が国民にとっては大
きな支えであるのだと改めて感じた。
99
国際交流実習に参加して
経済学部助手
池田智子
予測できない自然災害とはいえ、タイでの洪水被害が連日報道される中、相手先のカセ
サート大学からは「大丈夫!問題ありません。どうぞ、来てください」というお返事。東
日本大震災の影響で「日本(=佐賀)は危ない」という悲しい経験をしていた私たちにと
って、チョルラダ教授からの信頼おけるこの言葉は大変心に響きました。
実際にバンコクやチェンマイを訪問
しても、天気に恵まれていたこともあり
深 刻 な 洪 水 問 題 が ど こ に あ る のだ ろ
う?という印象でした。確かに川岸ギリ
ギリまで水が溜まっていたり、足首あた
りまで浸水して市場の一部が閉まって
いたり、銀行や病院の入口に土嚢がたく
さん積まれていたり、高速道路の路肩に
隙間がないほど車が縦列駐車して避難
していたりしていましたが、テレビや新
聞報道とはかけ離れたものでした。
しかし、これはチョルラダ教授をはじ
めとするカセサート大学の関係者やマ
ヒドン大学のパイロート教授等の綿密
な情報収集とネットワークの賜物で、予測される被害を早め早めに回避するため私たちを
何事もないような様子で誘導されていたことが滞在している中でわかりました。
公私ともに洪水のことで大変な時に、私たちの研修を第一に考え引率していただいたこ
とに、まずは心から感謝しお礼を申し上げます。ありがとうございました。
国際交流というのは、人とのつながりということを強く再認識させられました。
今回の研修で1番印象を受けたのは、隣国のミャンマーやラオスなどから出稼ぎに来てい
る若夫婦や子ども達の存在でした。この若夫婦は約50頭の牛の搾乳作業を暗い湿った場
所で黙々とこなしていました。搾乳器を牛に取り付けやすくするために、人間は牛よりも
低い位置にいます。牛は搾乳が終わるまで餌を食べながら待っていますが、構わず糞尿を
出します。3K と言われる仕事です。1∼2歳ほどの子どもが、ジッと両親の作業を見つ
めています。遊びたい、甘えたい盛りの年齢なのに切ない思いがしました。
また、流行っているシーフードの店に行きました。可愛らしい女の子が3人、働いてい
ました。私はてっきり、店の関係者の家族で忙しいから手伝っているのかなぁ∼と思って
100
いましたが、実は親元を離れて出稼ぎに来ている子ども達でした。あどけなく、遊び盛り
の12歳が、夜、お皿を片づけるために、美味しそうに海老や魚を食べているテーブルの
傍で待っています。農村の子ども達へのプレゼントとして用意してきた文具を渡そうとす
ると、「学校に行っていないからいらない。お金が欲しい」と言ったそうです。この子たち
の将来には何が待っているのでしょうか。
次に心に残ったのは、外に出ると何かとハプニングに遭遇します。特に海外の場合は、
そのハプニングが大きな問題に繋がりかねないので大変です。しかし、予想しなかった出
来事に遭遇したことを元に戻すことはできず、それをどう冷静に対処するかが大切です。
今回もいくつかのことがありましたが、懸命に解決しようとしている教授等がどのような
交渉をし、どのような解決策を導いたのか、何か自分が役立つことはないのか、考えるこ
と仕切りでした。よい経験になりました。
私は実地研修ではメモをとる「記帳」の大切さを、退職された経済学部教授から教わり
ました。事前に日程や参加者名簿、現地での主な連絡先などを貼っておきます。そして、
見聞したこと、感じたことなどを思うがままに、たまには下手な絵を交えて記録します。
パンフレット等を切り抜いて貼ったり、スタンプを押したりもして、1冊の手帳に情報を
まとめます。お金の出し入れも書き込みます。戻ってからは、関連した新聞記事などを貼
ったりもします。最近は年のせいか雑になりがちで反省していますが、思い出す手助けを
してくれます。
今回学生は毎日所定の様式の報告書を提出していました。石川准教授はそれにコメント
を書いて戻されており、学生に対する思いやり丁寧さには驚きました。学生が報告会等で
この毎日の報告書が役立ったことは明らかだと思います。学生の皆さんには、このことを
今後とも続けていって欲しいと思います。
1月にチョルラダ教授がシンポジウム「ソーシャル・ビジネスと貧困軽減∼日本の草の根
技術協力のあり方を考える」のため来佐されます。私に何ができるか考えているところで
す。
最後に、昨年に引き続き今回も学生と国際交流実習を共にすることができ、大変嬉しく
思っています。楽しく時間を過ごすことができました。お誘いいただいたラタナーヤカ教
授、石川准教授には大変感謝しています。ありがとうございました。
今後ともこの実習が盛会に継続していくことをお祈りしています。
101
(ペチャブリ県の調査)
(バンコク市内見学∼帰国)
102
実習の成果Ⅳ:グループ・レポート
103
1班グループレポート
“人”から見るタイでの企業経営
石垣 大輔
坂之下 藍里
山下 紗季
時 詩織
Purevdorj Baasan
Ⅰ. 序論
課題:“人”から見るタイでの企業経営
目的:私たちが実習を通して考えたタイでの経営について必要なことを知ってもらうため。
根拠:”人”というのは日本とタイで大きく異なる経営資源であり、異なるからこそそれに対
するアプローチや生じている問題からタイでの経営に必要な要素を導けると考えた
から。人のなかにも様々な見方があって、その中でも私たちは二つに絞って考えた。
① 言語:コミュニケーションをとるうえで重要
② 環境・制度:従業員が働きやすい環境なのかどうか働くうえで重要
調査方法:ヒアリング
Ⅱ. 本論
私たちはタイに行く前は、日本人とタイ人のコミュニケーションには共通言語として英
語が使われていると考えていたため、高い英語力が必要だと思ったが実際は会議の資料で
用いられる程度で、日本語とタイ語で十分なコミュニケーションがとれていることが分か
った。その理由としては、日本人でタイ語を話せる方がいること、日本人が指示を出すの
はマネージャークラスのタイ人であること、マネージャークラスのタイ人は業務に支障が
出ない程度のレベルの日本語スキルを持っていることがあげられる。このことから、無理
に共通言語を作らなくてもよいという背景にはマネージャークラスのタイ人が業務に支障
をきたさない程度の日本語を話せるという高い能力水準にあることが挙げられる。
しかし、両方の言語が出来る人が板挟みになるという人間関係上の問題が新たに浮上し
てきた。これは、部下と上司の板挟みになっている日本の中間管理職と同じような構図で
104
あり、日本人・タイ人双方の意見を取り入れなければならないということが原因であった。
以上のことから、タイで経営するうえで問題となってくるのは“言語”そのものではなく、
人間関係というのが問題として挙げられた。
次に、環境・制度に関して、従業員教育における他外国企業との違いについて比較して
みた。日本では OJT 制度を採用し、先輩が常に面倒を見てくれるため集団としての扱い
を受けている。それに対して、他外国では上の者が指示を出しっぱなしで、結果が出る出
ないは全て自分の責任という個人としての扱いを受けている。さらに、日本とタイの離職
率を比較したところ、日本は 5.5 パーセントでタイは 11.79 パーセントであることから、タ
イの離職率が高いことが分かった。そこでなぜタイの離職率が高いのか疑問に感じたため、
現地の方にヒアリング調査を行った。
・フォレンさん(カセサート大学の学生)
“日本企業で働きたいかという質問に対して”
「働きたい。その理由は二つある。一つは、教育制度が充実しているから。もう一つは
安定しているから。」
・ワンさん(カセサート大学の先生)
“日本企業で働きたいと思っている生徒は多いのかという質問に対して”
「多い。その理由は教育制度が充実していることが挙げられる。あと、安定している事
も主な理由としてある。」
・清水さん(タイ NJR の社員)
“なぜタイは離職率が高いのかという質問に対して”
「それはタイの人は会社に就職するのではなく職業に就職しているため。
」
以上よりタイ人の労働観について考えてみた。タイ人の重要視ポイントは教育システム
であり、スキルを身につけたいと着目するため、タイの方は日本人に比べて帰属意識が低
く、このように高い離職率につながっていると考えられる。そこでタイ NJR の方が実際に
日本企業についてどこにメリットを感じるか伺ってみた。
・ウォーリンさん
「日系企業は OJT 導入などにより教育体制が確立している点」
・ウィッチアンさん
「日本企業は安定しているし教育制度が整っているから自分の能力向上が期待できる。」
・サンディポンさん
「社員同士が仲が良く、まるで家族のようで働きやすい環境にある点。」
これらの発言より、日系企業で感じるメリットは社員教育の徹底(教育用スペースの設
置、研修内容の充実)と、仕事環境の良さ(日本人の丁寧な対応、良好な人間関係)であ
り、やはりタイ人は教育に着目していることが窺える。
105
タイ人のスキルアップをしたいという考えが教育制度の充実した会社に勤めたいという
労働観につながり、ノウハウを吸収して転職していく人もいる。これはタイ人の価値観と
して受け入れることが重要である。さらに愛社心が芽生え、長く勤める人もいる。これは
日本の考え方が受け入れられている証拠であり、柔軟に対応した結果である。
(ジョブロー
テーションの廃止)このことから、それぞれの価値観を理解し、その中で自分たちにでき
ることで柔軟に対応していくことが重要だと分かった。
Ⅲ. 結論
以上のことから“人”から見るタイの現状としては次のことがあげられる。自分たちが
考えていたタイで経営する上で重要になってくるだろう問題点としては「言語」
「人材の確
保」をあげていたが、
「言語」についてはタイ語と日本語のみでも通訳を介して十分なコミ
ュニケーションが取れており、無理に「英語」などの共通語を作らなくても問題なく作業
が行えるということがわかった。また、
「人材の確保」としては、タイでは専門的な知識を
大学等で勉強して「職業」に就職するため、新しく入社した人すべてに一から十まで教え
る訳ではなく、教えることに関する負担は思っていたより軽いことが分かった。そして、
離職率の高さは、タイ NJR において日本の教育制度が浸透した結果「愛社心」につながり、
日本より低い離職率であることが分かった。
タイでの経営における今後の課題としては、
「言語」の問題として、通訳を介して行うコ
ミュニケーションであると、通訳者がタイ人・日本人両方の意見を取り入れなければなら
なく板ばさみの苦しい状況に追い込まれるということがあげられる。また、通訳を行うこ
とで自分が言いたい意味と少し違った意味で解釈されてしまい人間関係が抉れてしまう事
が増えるという事もあげられる。
今回タイに行ったことで、日本との考え方の違いというものを深く感じることが出来た。
様々なインタビューをした中でも日本人とタイ人との価値観の違いを一番印象的に感じさ
せる言葉は、
「日本人は会社に就職している、タイ人は職業に就職している」という言葉で
ある。日本人が会社に就職する背景としては終身雇用制度の名残であったり、タイ人が職
業に就職する背景としては大学での細分化された専門的な勉強や“スキルを伸ばす”事を
目標としているからであったりと、それぞれの国の文化的な背景が「仕事」に影響を与え
ているということが分かった。
タイでの経営において重要となってくることは、相手の価値観を受け入れようとする姿
勢と変化を恐れない柔軟な対応力が必要であるということが結論としてあげられる。
Ⅳ. 感想
タイを見学する前は、タイのことをあまり知らなかった。私たちのタイでの目標は新日
本無線の子会社である Thai NJR を見学すること、乳製品を生産する“Zonta Dairy“組合
106
やタイで一番大きな乳製品の組合を見学する
ことで、それによって工業化が進んでいるタ
イで農業はいかに行われているかを知ること
だった。農業組合だけではなく、タイから日
本へバナナを輸出する組合を訪問し、そこの
組合の仕事やバナナ輸出のプロセスを見させ
ていただいた。私たちは何も考えずに食べて
いるバナナがどんな厳しい規制をクリアして
私たちの元に届いているかを知ることができ
た。
107
2 班グループレポート
労働者から見たタイ∼国際交流実習を通して∼
内田 歩
田中 涼子
安部 美由紀
豊福 玲加
原川 莉果
1.はじめに
昨年の 10 月より、タイでは例年以上の水がチャオプラヤ川付近の家や工業地帯へと流れ
込み、日本でも大きな問題になった。私たちは、その時期にタイへと渡航し、現地で日系
企業や農業組合を見学してきた。そして、タイと日本がどれほど密接な関わりをもってい
るのかということを実際に目で見てきた。中進国として知られるタイは、都市部だけを見
ると工業中心とした社会ができており、東南アジアのネットワークの拠点として多くの日
系企業がタイに進出している。水害の被害が拡大し問題になっている工業地帯やバンコク
市内への洪水・浸水の影響で日本企業が打撃を受けているのは、多くの日本企業が海外生
産拠点としてタイを東南アジアのネットワークの中心に置いていたことが理由に挙げられ
る。
ここでは、タイで働く労働者の環境や問題について、現地を知り、学び、調べてきたこ
とをまとめている。具体的には、労働賃金の違いや企業における福利厚生、教育システム、
タイにおけるタイ人女性労働、日本とタイにおける農業後継者問題への取り組みの違いな
どについて簡単に述べている。
2.労働賃金から見た労働者(内田歩)
日系企業が海外に進出した要因の一つとしてよく挙げられるのは、日本よりも低い賃金
コストで商品を製造することができる点である。特に、タイで製造される理由は、工業地
帯などが整備され、税などの面で優遇措置がとられていること、そして、タイの人々の熱
心な働きも理由に挙げられる。タイでは、
「自分の技術をいかに伸ばすかという観点で仕事
ができるかということを重視している」と訪問した企業のタイ人労働者が話をしていた。
タイでは、日本と違って細かく職業の専門性があり、はっきりと区別されている。給与は
職業により異なってくるため、ここでは、最低賃金で考える。日本とタイでは、現在、労
働賃金のタイも日本と同じように、経済成長と共に最低賃金は上昇してきた。タイでは、
108
2011 年1月1日から法定最低賃金が引き上げられた。食品や燃料など生活必需品の価格が
上昇していることから、1日当たり 8∼17 バーツ(約 22∼47 円)と、平均で 6.7%上昇す
る。は約 40 パーセント上昇することが決定されている。経済発展とともに賃金が上昇し、
低コストで生産できていたタイから外資系企業の生産拠点がベトナムなどのさらに人件費
の安い国へ移転する可能性も出ている。しかし、高度な技術をもった労働者がタイにいる
ことや工業地帯に日系企業のサプライチェーンが多いため、すぐにタイから撤退する可能
性は低いと考えられる。
今回私たちが見学に行かせていただいた農業組合で、ミャンマーからの出稼ぎ労働者の
方からも話を伺うことができた。東南アジアの経済大国であるタイでは、ミャンマー、カ
ンボジア、ラオスなどの地域から多くの出稼ぎ労働者が自国で働くよりも高い収入を求め
て働きに来ているというのが現実だった。家族で移住してくる人もいれば、子供だけがタ
イで働き、家族に仕送りをしている子供たちもいた。これらの人々は、タイ人が働かない
ような重労働で賃金が低く、きつい仕事において多く見ることができた。私たち学生が日
本で働いた場合は、1 日で稼ぐことができる給料と彼らの 1 か月分ほどの収入がほぼ同じく
らいだという現実にも衝撃を受けた。タイでの現地の方々や都市の雰囲気、地域の物価な
どを知るうちに、中進国タイというよりも、都市部と農村部などの地域で全く異なった現
実を見ることができた。先進国と途上国の二つの面をもったタイの大きな格差が、存在し
ているということを改めて学ぶことができた。
3.日本と比較したタイの福利厚生に関しての現状(田中涼子)
日本では、法定福利(健康保険、厚生年金、雇用保険、労災保険)と法定外福利(住宅
補助、レクレーション、食事補助など)の 2 種類が存在する。タイでは、社会保障制度(傷
病、障害、出産、死亡、子女扶養、老齢、失業)の 7 種の給付が存在する。従業員を雇用
する事業所は全て加入が義務づけられており、非保険者は民間企業の従業員 15 歳以上 60
歳以下の雇用者とされている。労働者にはほかにも、労働者災害補償基金制度(労働者の
業務上の負傷、疾病、死亡に対して使用者がその補償義務を負う制度)は補償金、療養費
用、療養後のリハビリ費用、死亡補償している制度もある。しかし、日本の法定外福利に
当たる規定は存在しない。しかし、タイの日系企業の場合、独自に住居補助を行っている
企業もある。実際に訪問したタイ NJR では福利厚生委員会の設置していた。年金制度に関
しては政府としての決定は無いため基金と契約し、積み立てられている。その他に社会保
険、医療保険、退職金の支給が行われるような仕組みがとられている。他にも、スポーツ
施設設置(サッカー場、卓球台など)や 24 時間営業の食堂、年に 2 回会社の敷地内に社員
を集めて特賞付きくじ引などの社内パーティーを開催している。
タイと日本の福利厚生の相違点として、法定外福利の有無があげられる。日本では福利
厚生の有無は従業員にとって企業選びの重要な点であり、また、労働意欲向上に繋がる。
今回訪問したタイ NJR は、日系企業ということで、日本の福利厚生等の制度が導入されて
109
いた。福利厚生の充実だけでなく、レクレーションなどで培われる同僚とのコミュニケー
ションを重ねるような日本方式と考えられる先輩と後輩のつながりなどがタイという国に
も受け入れられていると感じた。日本の考え方と現地の人々の考え方を現場に生かしつつ
経営を行うことで、外資系企業や他の日系企業よりも離職率を低くすることができている
という話があった。従業員の人たちは家族のような雰囲気があるということだった。働き
やすい環境を整えるうえでも法定外福利は必要だろう。
今後のタイの課題として工業化がさらに進展していく中で、いかに働きやすい環境を整
えていくかがポイントとなる。そのためには、政府が中心となり他国、企業と連携をとり
ながら経済発展のためにタイ独自の文化等を考慮した上で策を打ち出していく必要がある。
4.企業における教育システムについて(安部美由紀)
私たちが今まで受けてきた義務教育を含めた教育では、おそらくどの年代でも同じこと
が教えられてきたことだと思う。日本文化の最大の特徴として、敬語があると思う。外国
人が日本語を勉強するときに一番難しいものは敬語だともいわれている。私は、この理由
として、敬語、つまり年下が年上を敬うという文化が日本独自のものであるからだと思う。
その証拠として、私たちは初対面の人と話すとき、必ずといってもいいほど年齢を尋ねる。
そのほかにも、連帯責任や何事も団体戦である、ということが日本ではよく言われる。
私が高校に入学してすぐのころ、連帯責任の意識をつけさせるための合宿があり、また、
大学入試では、センター試験は団体戦である、とよく言われたが、私はこの意図について
はよくわからなかった。
しかし、労働者からの話の中で、日系企業の良い点について伺ったとき、この謎が解け
た。そこでは主にこのようなことが挙げられた。先輩が後輩の世話をきちんと見るところ
や、ミスを犯しても自分ひとりの責任ではなく、連帯責任とすることで、会社が家族のよ
うになっていくことなど、日本の教育システムが社会に出るとこのようなメリットとして
返ってくることを知った。しかし、問題点もある。今まで述べてきたように、日本の組織
文化は強固なコミュニティを形成する
上では強みがあった。しかし、この教
育システムが通用したのは、タイが仏
教国であるということもあり、また、
タイ人の気質が比較的日本人に似てい
るといわれているからだと考えられる。
今後も日本企業が世界に進出していく
ためには、様々な文化をもった民族と
かかわる必要があると思われる。その
ときに、日本側が柔軟に対応し、日本
文化の浸透しやすいところは浸透させ、
110
改善するべきところはする必要があると思った。
5.タイにおける女性労働の現状 (豊福玲加)
タイの日系製造業ポータルサイト、Fact-Link の就業構造によると、タイにおける女性の
労働力率は、長年に渡ってアセアン地域の最高レベルであると考えられてきた。労働力人
口に占める女子労働者は 2003 年時点で 44.7%を占め、男子労働者の 55.3%とそれほど差
が無く、女性の社会進出がかなり進んでいることが分かる。国立社会保障・人口問題研究
所というサイトの、人口統計資料集−労働力−主要国の性別労働力率で確認してみたとこ
ろ、2003 年以前の 2000 年においても、労働力率は男性 80.6%、女性 64.9%であり、女性
労働力率が高い順位でいうと、タイはスウェーデンに続き 2 位。さらに、2003 年以降にお
いても、2005 年では男性 81.5%、女性 66.3%で、順位はスウェーデン、デンマーク、ノル
ウェーに続いて 4 位。2005 年以降もその変化はなく、2000 年から 2008 年までの労働力率
を平均すると、男性 81.4%、女性 65.5%でした。順位も毎年 4 位で、アセアン地域の最高
レベルということが確認できた。この背景としては、タイの社会では、女性の立場が社会
的にも広い範囲で認められており、出産、育児休暇など会社側の受け入れ体制や、労働法
の保護、共働きおよび出産後の子供の世話をする家族の理解や協力など、女性でも長く働
ける環境が整っている事がある。このように、結婚や出産が女性を雇用する事についての
妨げにならないため、タイでは結婚後も女性が仕事を続けるのが一般的である。出産後も、
職業意識が高いタイ人女性は、社会復帰をするケースがほとんどです。出産休暇に関して
も、労働法(第3章第 41 条)で定められている 90 日間の権利を使い切る女性は少なく、
妊娠後もお腹が大きくなるまで仕事をした後に出産休暇を取り、1ヶ月から2ヶ月で職場
復帰するケースが多いのが現状である。
さらに、国際会計事務所グラント・ソントン・インターナショナルが発表した「2011 年
国際ビジネスリポート」によると、世界 39 カ国・地域の中で、タイは企業幹部に占める女
性の割合が 45%と世界1位であった。また、女性を最高経営責任者に起用する企業の割合
でも、タイは 30%を記録し、世界平均の8%を大きく上回りトップに立ったということで
ある。この調査は昨年 10 月∼今年3月に 39 カ国・地域で実施され、9,000 社超が回答した
ものである。ちなみに、日本は8%で、アラブ首長国連邦(UAE)と並び最下位である。
タイで見学した企業を振り返って見ると、どこの企業でも女性の従業員数が多く、女性
の社会進出が進んでいることが分かった。なかでも、タイ NJR においては、交代のシフト
制で女性が深夜も働いていると教えていただいた。
タイは、男女ともに平等に出世の機会を与える文化が根付いている国であり、女性でも
働きやすい環境がきちんと整っていた。
6.労働者の面から見たタイと日本の農業(原川莉果)
111
ここでは、タイと日本における農業の後継者問題の取り組みについて述べようと思う。
現在、タイでは人口のおよそ半分が農業を行っている。これは日本の農業従事者のおよそ
20 倍にあたるわけだが、そんな農業王国タイにも、日本と同じように多くの農業問題があ
る。そして調べていくなかで、農業を行ううえで避けては通れない「後継者問題」という
同じ課題が双方にあるとわかったため、今回は、この問題について主に取り上げてみよう
と思う。
ではまず、その取り組みについてそれぞれ見ていくと、日本では新規就農のための支援、
タイでは外国人労働者の雇用を主に行っている。というのも、今日日本ではゆとり、ふれ
あい、自然志向が強まるなど国民の価値観が変化するなかで、環境とかかわりの深い産業
として農業への期待が高まりつつある。そこで、農林水産省によると、次世代を担う新規
学卒就農者や若い離職就農者、新規参入着などの意欲にあふれた農業の後継者を育成、確
保することがとりわけ重要となっているようなのだ。そのため、農業を新たに考えている
人のためのいろいろな相談窓口の創設、農業インターンシップ、日帰りバスツアーなどの
企画を行っている。また、新規就農に向けて勉強したいという人のために、大学教育だけ
でなく、就農準備校やインターネットでの講座なども支援しており、研修や就農に必要な
資金の無利子貸付なども行っている。
そしてタイにおいて、タイはもともと農業を経済の基盤として発展させてきた国である
が、1980 年代後半以降、急速な工業化の進展により、国内総生産や輸出に占める農林水産
業は低下傾向にある。しかしながら農林水産業は依然として国民経済を支える主要産業の
ひとつであり、最近では輸出形態が従来の一次産品から加工度を上げたものにシフトして
いる。だが、先行き不透明な農業を避け第二次産業、第三次産業に仕事を変える人が増え
ている現状もあり、そういったことから、農業人口が減少していると考えられる。しかし
現地の農村の方に伺った話によると、そのような状況のなかでも、まず前提としては従来
通り子どもが後を継ぐようだ。タイにはもともと 4~5 人兄弟の家庭が多く、皆を進学させ
る余裕はないために、勉強が苦手な子、あるいは他のだれかが一人はたいてい農業を進ん
でするということだった。だが、後継ぎがいない場合、若い人は日本と同じように都市へ
働きに出る人が多いため、賃金、労働、生活など様々な面で都合がいいミャンマーやフィ
リピンなどの外国人労働者を雇って補うようなのだ。これは日本と比較した際、大きく異
なる部分である。
農業従事者の高齢化が及ぼした農業人口の減少、そして後継者問題。このような農業の
現状において、こういった問題に直面している国々では、それぞれ独自で解決の糸口を見
つけ未来へとつなげようとしている。わたしたちは、代々受け継がれてきたそのバトンを
なんらかの形であれ未来につなげ、発展させ、そして次世代に託していくべきだと思う。
7.おわりに
タイで国際交流実習をさせていただいたことで、私たちは、日本では知ることのできな
112
かったタイ人の人柄やタイの伝統、文化を身近に感じることができた。そして、労働者問
題や貧困の削減にタイの国王をはじめとした、王室の方々が尽力されており、多くのプロ
ジェクトを実施し、労働者支援する活動も行われている。国民からも、国王に対する深い
感謝の気持ちをうかがえた。日本との習慣の違いもあったが、多くの方々の協力を得て、
無事に国際交流実習を終了することができた。提携校であるカセサート大学の学生とは、
実習が終わった後も連絡をとっている。日本と様々な面で異なった生活スタイルで戸惑っ
たこともあった。しかし、自分の国に対する考え方や相手への思いやりの気持ちなどは、
どこの国も同じように強くあるのだと知った。短い期間ではあったが、この国際交流実習
で多くのことを学ぶことができた。
113
3班グループレポート
タイの市場とこれから
無田ゆう子
古川忠美
岩永桃枝
中村茉莉
野村恵里
(1)タイ市場の現状
タイ経済は過去50年ほど、特に85年から96年までに経済成長率は 10%に近い非常
に早い成長を実現した。経済部門の内鉱・製造・建設業部門が特に急成長し、工業製品輸
出が急速に増大し、その輸出総額に占めるシェアが急増した。生産と輸出の工業化に伴う
高度経済成長が発生したのである。
しかし、この高度経済成長は小国タイの経済・金融・農業部門の市場原理主義に基づく
過度の自由化がもたらした成長であり、それゆえにタイ経済・金融は崩壊し、そして危機
に対するIMFの間違った経済・金融政策強要により、この崩壊はさらに激しくなった。
97 年からの経済・金融危機は(1)バーツの過大評価(2)経常収支の過大な赤字(3)資
本市場の過度の自由化による短期外貨の過度の流入と国内長期信用の過度の拡大及びその
後のバブル崩壊と短期外貨の過度の流出に原因する。
その後、経済成長率は 99 年には 4.2%、2000 年には 4.6%になったが、2001 年には世界
的不況のため 1.4%に低迷した。しかしそれ以後 5.4%から 6.5%のかなり早い経済成長を維
持してきた。過去数十年間輸出がタイの高度経済成長の主要なエンジンであった。
1989 年から 1995 年までは輸出が年率 15.2%で増え、それがタイの非常に早い経済成長
を支えた。1996 年に賃金の上昇もあり、いったん落ち込み、また 1997−98 年の激しい経
済危機に伴うバーツの大幅な減価は、2001 年の世界的不況もあってすぐには輸出を回復さ
せなかったものの、2002 年には年率 10.9%で増加し、DTDS・2路線発展戦略に従った
農業と中小企業を対象とした財政拡大政策は農家所得を引き上げ、経済は最近回復過程に
入っている。
また、タイ国経済の中心部門は農業であることは有名であったが、2002 年の農業部門の
付加価値生産額はGDPの 10%ほどで、農林水産物の輸出額もそれくらいである。この原
因は、農林水産物への需要の所得弾力性の低さと生物生産に関わった技術進歩の困難性、
そして 50 年代末から現在にかけてタイの工業化の速度が非常に早く、急激な経済構造の転
114
換を果たし、現在では工業製品輸出国になったことがあげられる。生産や輸出額では農林
水産業部門の比重は急速に減少した。
工業製品輸出国とはなったものの、いまだタイの農業人口は多く、これは農業部門が大
量の農業労働力を吸収しタイ国の所得と需要に大きな影響を与えていることを示す。しか
し逆に大量の農業労働力農業部門での滞留とそれに起因する農工間の大きな所得、貧富格
差という発展途上国に特徴的な状態を表している。
(2)タイ市場と日本市場の違い
日本の市場とはどういったものだろうか。これから日本の市場とそれに関連する企業の
特徴を見ていく。まず日本の企業内の特徴として、他の国ではあまり見られない教育の形
が存在する。日本国内の様々な企業では、会社での労働年数の長い先輩や上司などが、新
しく入社する社員へアドバイスや教育を行うという形が一般的である。つまり、技術や技
能を習得してから入社するのではなく、入社後働きながら技能や技術を習得していくとい
う事だ。この形態を可能にするのは日本人の特徴とも言える協調性や集団行動。これらは
中学や高校などの社会に出る前の人々の間でもごく自然に行われている形態であり、日本
の文化や民族性に根付いたものだと考えられる。この技術を持っているものと、まだその
レベルに達していないものが共に行動していく事により、技術を学び、教え合う事が可能
となり、それぞれの職場に適した人材育成が可能となっている。
では私たちの訪問したタイではどうだろうか、タイでは企業に入ったから技術を学ぶの
ではなく、技術を手に入れてから企業へ入る形態が多い。それは、日本のように先輩か後
輩を指導するという形態が確立されておらず、就職を目指す学生はスキルを上げるために
就職、離職を繰り返すというのが現在のタイの状況である。その中でも近年タイに進出す
る日本の部品メーカーは多く存在し、私たちが訪問した日系企業のタイNJRでは、入社
してからの教育が行われており、そこでの労働者も家庭的な会社の雰囲気が好きで、日本
の先輩から学ぶ事のできる教育方式を魅力的だと感じている方もいた。
次に日本の部品や素材メーカーの産業と国内の市場の特徴とはどういったものだろうか。
日本の企業は部品等の業務を外部に委託する事が多く、この同時分業によって生産性は高
まり、その部品を製作に当てる時間を他の開発や販売促進など様々なものに当てる事がで
き経営が柔軟になるという特徴がある。
次に日本のサービス業、販売業の特徴とは日本では顧客と企業で協力し支え合う関係が
ある。つまり技術的な要求をすることによって、それに応えようとする事で企業の技術力
等が高まる。そうして顧客との関係が成立している。
次に日本の企業同士の競争について、日本では激しい意競争により利益を上げることがで
きなくなることを防ぐため、共倒れを避け、全く同じ企業を作らないすみわけが行われて
いる。が、これは形式的なものではなく日本国内での暗黙の了解として存在しており、逆
に競争が鈍くなりすぎて発展しない事を防ぐ競争を促進するものなど、国内でのルールが
115
存在している。
このような日本国内の市場の中で最も発達しているのは第三次産業であり、市場でも大き
な割合をしめている。中でも工業技術は世界最高水準となっており、様々な分野で発展途
上国、先進国問わず規範となっている。
(3)日本とタイとの市場関係
日タイの現代的経済関係の始まりは 50 年代後半あるいは 60 年代前半の 50 年前に遡る。
タイは多くの日本企業にとって戦後初の製造拠点であり、それ以来、日本企業の対タイ直
接投資はタイの急速な産業化に大変重要な貢献であった。2006 年の日タイ貿易総額は 420
億ドルであり、日本はタイにとって 2 番目に大きな輸出市場であると同時に、主要な輸入
先でもあり、また、同じ年に日本はタイにおける最大投資国でもあった。
自動車産業ほど日タイ連携の成功を例証する産業はない。現在、タイはアセアン最大の
自動車生産国であり、世界の主要な自動車製造企業にとっての生産拠点である。2007 年合
計 60 万台の輸出が見込まれ、その 8 割以上は日系企業によって生産された。
しかし日本は、タイから自動車だけでなく
農産物も輸入している。実際に、今回私たち
は、タイが日本へ輸出しているバナナ農園に
訪問した。農園で行われている仕事内容は、
農作物加工・販売、卸売市場の経営、貯金・
貸出等である。全体の20%(40バーツ/㎏)
が日本へ輸出され、80%(20バーツ/㎏)
がタイの市場へ出荷されている。海外輸出先
は日本だけで、日本からの依頼があって以来
20 年間続いているそうだ。そこでは、日本の厳しい品質基準に適応させるために栽培方法
から出荷に至るまで徹底的な管理が行われていた。そして、高い基準にクリアしたバナナ
のみを輸出し、そのバナナは日本のスーパーやデパートで販売されている。
また、日本はタイから輸入のみ行なっているのかと思っていたが、実際はそうではなか
った。タイはマンゴー、マンゴスチン、ドリアンなど、日本で購入すると高価な果物だけ
でなく、安くて豊富な果物を1年中楽しむことができるフルーツ王国だ。そんなタイの首
都バンコクでは、現地でハイソと呼ばれるタイ人富裕層の間で、日本産の高級フルーツが
売られており、日本にとって主要輸出先のひとつとなっている。あまり知られていないが、
日本にとってタイは、アメリカ、香港、中国、韓国、台湾に次ぐ第 6 位の果物輸出市場で
ある。品目では、りんごが通年供給可能という点、また日本の果物として浸透しているこ
とから、年間でみると、タイでは一番販売額が多い。しかし、シーズンで見ると、桃とい
ちごの反応がよく、それぞれ時期的には売上の7∼8割を占める。タイでは、桃は中国産、
いちごは北タイ産が流通しているが、それらと比較し品種改良が進んだ日本産は味や大き
116
さなどの品質が全く違う点が評価されている。
日本の果物は、富裕層をターゲットにしているだけに、タイの地元の果物に比べると数
倍の値段がする。日本の、高級品をそのまま輸入,販売すると、日本の小売価格の3倍以
上の価格になるためだ。例えば、福岡のイチゴ「あまおう」の場合、1粒あたりおよそ 100
バーツ、日本円でなんと 300 円近くもするのだ。ただし、2007 年に発効した「日タイ経済
連携協定」が追い風となり、現在、段階的に日本の農産物への関税が下がっており、タイ
での消費拡大を後押ししている。例えば、メロンやぶどうといった果物に関しては、2009
年に随時 0%に下げていき、
みかんやいちご、
チェリーについては 2012 年に 0%に下がる方
向である。JTEPA が十分な成果を得られれば、
日本産の果物の値段も下がり、現在の販売価
格と比較して最高 40%は安くなるであろう
とジェトロの上層部も期待を寄せている。輸
入税率が下がってからは、日本産の果物の
タイへの輸入は果物の種類にもよるが、平
-タイの高級デパ ート のフ ルーツ 売り 場の様子−
均して 30∼50%の成長率が予測されている。
また、日本は JTEPA の特権のみに頼ってはおらず、ジェトロ・バンコクセンターにマーケ
ティングの計画、日本産果物の販売促進を委託している。
タイと日本の強固な関係は何世紀にわたって継続的発展を見せ、あらゆる分野とレベル
において繁栄し続けてきた。協力体制の強化と深化という点において、特に文化と経済事
象に関して両国は懸命な努力を維持している。同時に、貿易と投資に関してタイ日連携関
係の可能性を最大限に活かすため、いくつかの計画も発案されている。そのため、両国の
貿易と投資の連携関係の基礎となる日タイ経済連携協定の円滑な実施が重要となる。
(4)タイの市場のこれから
現在のタイは、都市化や工業化が急激に進み、農業の衰退はとても深刻な問題となって
きている。しかしながら、まだ人口の半数は農業に従事していて人々の生活が農業に根付
いており、政府の政策として、農村開発計画も行われている。特に国王陛下による王室プ
ロジェクトへの支援の強化も盛り込まれている。この王室プロジェクトはタイで成功し、
実績も確実に残してきている。これは、タイ国民が国王陛下に対して並々ならない尊敬と
敬愛を持っているため、今後も農業の衰退を止めるためにも注目すべきものだと感じた。
また、王室プロジェクトは国王のリーダーシップだけでなく、明確なビジョンと計画があ
ったことや、タイの所得の中間層の台頭を背景に市場が受け入れる余地が拡大しているこ
とも成功の要因だと言えるだろう。したがって、この王室プロジェクトは今後も国民の生
活の大きな支えとなるため、タイから農家が激減することはないだろうと考えられる。国
民は王様から頂いた仕事に誇りを持って働いているし、その支援が成功し国民一人一人の
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生活が豊かになっていく事でまた国民が国王を敬愛するようになる循環は、もちろん成功
ばかりではないと思うが国と国民とのつながりの強い関係ができているのだという事を感
じた。
一方、工業地帯が多く存在するタイでは、これからもさらに海外企業が進出してきて工
業化の流れは加速すると考えられる。一例として、佐賀エレクトロニクスも工場の一部を
THAI NJR に移設するという計画を挙げている。日系企業だけにとどまらず、世界各国か
ら多くの工場がさらに肩を並べていくことになると考えられる。
また、これから新たな分野で成長が期待されるのが、インターネット関連である。かつ
てはタイ通信公社が事実上インターネット市場を独占していたが、1997年の世界貿易
機関における合意に基づき、2005年に正式に自由化されることとなった。情報社会と
なった今、タイの EC 市場に関しては IT インフラの基盤整備とインターネット事業の開放
により着々と伸びている。しかし、現状はバンコクが飛びぬけておりその他の地域ではま
だまだこれからの市場であると言えるだろう。バンコク以外の地域が活性化するときに魅
力的な市場になると思われる。タイのインターネットユーザー普及率は約3割といわれ、
年代層を見ると18∼24歳が主要プレーヤーで、45歳以上はわずかしかいない状況で
ある。
このようにタイでは、ベースとして様々な援助に支えられながら農業を続けていき、時
代の流れとして工業化、さらには情報化していくものと考える。
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