...

01号1088.11.15発行 - KIFA・鎌ケ谷市国際交流協会

by user

on
Category: Documents
2

views

Report

Comments

Transcript

01号1088.11.15発行 - KIFA・鎌ケ谷市国際交流協会
シンボ ル
マー ク
募 集中
U号
創干
1988年 ‖月 5日 発行
く発 行〉
鎌 ヶ谷市国際交流協会
編集 。広 報 部 会
(活 動 報 告 )
K.I.F.A.発 足180日 の歩み
(記 念 講 演 )
民間交流 のすすめ
アイスラン ドとい う国
(特 別 寄 稿 )
(挨
倉1刊 にあたって
談話室 。SAL00N
拶)
(会 員 紹 介 )
部会長紹介、 どうぞよろ しく。
ヽ
lrhy don't you join usP
(部 会だより)
(プ ラザ情報 )
昭和 63年 春。市 内の そ こここで梨の花が ほ ころび は じめ た ころ、鎌 ヶ谷市 国際 交流協会 (略 称 K I F.A)は 誕生 しま した。
この 記念 すべ き日か ら約半年 にわた る K I FA.の 歩 み は、私 たちの まち鎌 ケ谷が 国際化 へ向 けて踏 み 出 した大 きな第一歩 で
もあ ります。 ここで は、 K
I FA発
足 か ら180日 間 の活動 の足跡 をた どつてみ るこ とに しま した。
輌瞥R纂 浚含落ユ鑢会
間交 流 の すす め 」 と題 して講 演。-ll市 民 を含め約 140
名 の 参加 者 が 、講師 の 有意義 な体験 談 に耳 を傾 け ま し
た。
8月 6日 ∼ 31日
青 少年 及 び青 少年 指 導者 の 海 外派遣 等
上 記期 間 中、市教 育 委 員会 との共 催 に よ り、青 少年 5
名 、青 少年指 導 者 2名 を ヨー ロ ッパ 、 ア メ リカ、 カナ
4月 18日
K.l.F.A.発 足
(写 真 A)
ダな どへ 派遣 。 そ の 体験 を生 か した今 後 の 活躍 が期 待
協 会 を設立 。
鎌 ケ谷市 国際 交 流協 会 設立 総 会 を開催 し、
され ます 。
地域 の 国際化 の鍵 をに ぎる、市 民 レベ ルの 草 の 根交 流
また、協 会 では 、市 内小 中学校 教職 員海 外派遣研修 (8
推 進 に向け 、 ,舌 動 を開始 しま した。
月22日 ∼29日
5月 15日 ∼
市広報
中国へ )の 参加 者 に対 して も、一 部助
成 を行 い ま した。
会 員募 集 ス タ ー ト
(5/15号 )で の 呼 びか け を皮切 りに会 員 の募
9月 3日 ∼
語 学研 修 講座 開講 (写 真 D)
集 を開始。ポスター
英 語 会話 3講 座 、 中国語 会話 2講 座 を開 講 。熱 意 あ る
の掲示 、出張受 付 、
150名 近 い受 講 生が真 剣 に授業 に取 り組 ん で い ます 。
案 内書 の送付 な ど、
10月 14日 現在会 員数
375名
積極 的 な勧誘 活動
10月 14日 現 在 の 会 員数 は 、個 人331名 、法 人 ・ 団体 44。
を行 い ま した。
部 会 の 活動 も軌 道 に 乗 り、協 会 の一 層 の 発展 を願 いつ
つ 、 よ り魅 力 あお、れ る事 業 を と、部 会 員一 同頑 張 って
い ます 。
7月 23日
臨時総 会
会員募 集 以 来 、協 会 の趣 旨に賛 同 じ入会
した会員 が 初 め て一堂 に会 した のが 、 こ
の 日。席 上 、海 外派遣者 の 紹 介 も行 われ
ま した。
7月 23日
発足 記念 講演会 の 開催 (写 真 C)
成 田ユ ネ ス コ協 会 の橋本 妊寿 奈さんが「民
鶉 物
ホー ム ステ イ を成功 させ るため の コツ を考 えて み た い と
思 い ます。
私 は幾 人か の 外 国 人か ら、「 1ケ 月 の ホー ム ステ イで 、
最初 の 2、
3日 は まるで王様 か プ リンスの よ うな扱 い を
扱
受 け たが 、そ の うち、こち らの 目をま ともに見 な くな り、
民間交流 の すす め
成 田 ユ ネ ス コ協会婦人部 長
橋本
妊寿奈
この 度 、鎌 ケ谷 市 に 国際交 流協 会が発 足 され 、 まこ と
におめ で とうご ざい ます 。
ゃ│な ん│ん お粗本になり■1ケ 月の終わりには笑う顔
、 く ちてほしいという気持ち力蠣 骨
IPr4‐
‐―Fiて 景 曇
に見える│よ うになった」というようなことを聞きました。
│、
私 も最 初 の慣 れ な い ころの受 け 入れ では そ うい う失 敗
をい ろ い ろ した もの です 。 日本 人の恥 に な らな い よ うに
と張 り切 って普段 は 食べ な い よ うな高価 な 食事 を出 して
大層 もて な し、秘 か に相 手か らの素 敵 な贈 り物 を期 待 し
世 界には 、私 た ち以 外 の い ろ い ろ違 った国が あ り、 そ
た りもしま した。
れ ぞれ の 国 に よって歴 史や 文 化 が 異 な り、考 え方や 行動
しか し、 食習慣 の 違 いか ら魚 の 活 き造 りな どは大 多数
も異 な ります 。 そ の こ とを認 め 、 こ とさ ら珍 しが った り
の 外 国 人に は残酷 で気持 ちの悪 い もの で した。 そ して彼
驚 い た り偏 見 を持 った りす るこ とな く、そ の 国 の 風俗 、
らが帰 った後 に 残 った ものは家 計簿 の赤 字 と疲 労 と高 価
習慣 を理解 し、か つ 日本 に関 して も相 手 に正 し く理 解 し
な食物 の 山、そ して小 さな花 東 一 つ一一 こ うい うこ とを
て もら うこ とで真 の 交 流が で き、友 好関係 が生 まれ る と
して い ては 、一 回 の ホー ム ステ イ で こ りご りで し ょ う。
思 い ます。 そ の 際 、 日本 人が 日本 人の文 化や 習 1貫 の 良 い
そ の 後長 く続 け て い くには ど うした らよい か とい ろ い ろ
ところ を失 うこ とな く進 め て い って ほ しい と思 い ます 。
勉 強 させ られ ま した。
成 田市 に国際 空港 が で きて 10年 に な ります 。 各国 の 乗
まず 、食事 は豪華 にす る と経 済的 に永 続 きは しな いか
務 員 が町 の 中 に増 え るにつ れ 、外 国 人 の服装や 歩 きなが
ら、 い っそ最 初 か ら最 後 まで粗 末 な ら粗 末 で通す 。 た と
ら飲 食す る習慣 に驚 き、昔 なが らの町 の雰 囲気 を残す た
え胸 の 中 に「早 く帰 って もらい た い」とい う気持 ちが あ っ
め の対 応策 な どを話 し合 った 人々 も、 10年 た った今 では
て も表 面 には 出 さな い。 また、受 け 入れ側 としては つ い
す っか り慣 れ て しまい 、 日本 人の躾 とか行儀 とい うもの
自分 た ちの生活 の リズム を変 えて まで相手 に尽 くした り、
まで もが どこか に い って しまった感 が あ ります 。
大変 な神 経 を使 った りしが ちで 、そ の挙 句 の 呆 てが「 も う
「僕 はパ イ ロ ッ トとし
あ るイ ギ リス 人 の キ ャプテ ンが 、
こ りご りだ わ」とい う結 果 に な りが ちだか ら、自分 た ちの
て世 界 中 を飛 ん で何 十年 に もな るが 、 た った一 つ 、 日本
生 活 の リズム は決 して崩 さず 、む しろ相 手 に こち らの リ
の で女性のく
にだけ残っているものなある、
│そ れ 町 中
―
ズム に合 わせ て もら う。これ らが基本 的 な こ とで し ょ う。
な1男 1見 ―
│な t:こ
′
●えた
│ゎ
1事
=と
││あ
ヽ
し
た
乞」
まし
。
││ち て
私 は 、過 去 16カ 国 の 中流家庭 に それ ぞれ 1週 間 か ら 1
「やっぱり日本人
ところが:し ばらぐぶりに来 日した折、
カ月単位 で ホー ム ステ イ を した こ とが あ ります 。そ の 際 、
の女性 もくわえたばこ をして歩 くようになった。僕は本
どこの 国 の家庭 で も、 肉が 出 たの は大体 1週 間 に 1回 く
当にたった一つの尊 い もの を失 ったような気がす る」 と
らい 。朝 食 は いつ も トー ス トに飲 み 物 くらい。 そ の トー
嘆 いて い ました。国際化 とい うことが 日本人らしさを失
ス トも薄 い 食パ ン をガ リガ リに焼 い た ものが普通 で した。
うことではない ように願 いた い ものです。
私 た ち もホーム ステ イを受 け入れ る場合 の 食事 にあたっ
ホームステ イ とい うのは国際交流の基本です。そ こで
,0,0,9,0'υ
,9'0'υ ●υ●υ
'υ 'り
て は 、私 た ちが普段 食べ て い る もの を少 しず つ 出 してみ
鰐ミ1内 匡]際 ダ勁流国]本 ―■記
'り ,0,9,0,0,9,υ
'υ 'υ 'り
自治体各
交流団体名
発足年月日
自治体名
交流 団体名
千 葉 県
千 葉 県 国 際 交 流 協 会
59.12.24
船 橋 市
船 橋 市 国 際 交 流 協 会
千 葉 市
千 葉 姉 妹 都 市 市 民 の 会 46.4.13
銚子市・ワースベイ市姉妹都市友好委員会 58. 9. 29
・
騨 1島 P炒
卿 癬 頸 ミ 設 る:£
成 田 市
成 田 市 国 際 交 流 協 会
市 原 市
市 原 市 海 外 交 流 友 の 会
似
`[子
F市
市 川 市
柏 市侶
需i
'0,0
発足年 月 日
62.8.25
61.5.16
「 基緞ろ.1
55.8.1
隔 物
3
世界とい うもの を正 しく理解する上で、マスコ ミの報
る こ とだ と思 い ます 。決 して見栄 を張 らず 、気取 らな い
こ とで`
す。
道だけ を鵜呑みにすることな く、国際交流 を通 じて自分
食生 活 とい うの は そ の 民族 の 歴 史 か ら成 り立 って い る
の 目で確かめ、自分の体験に基づ ぃて■ 人■ 人が理解 し
の で 、それ で相手 をさげす ん だ り優 越 感 を持 った りせ ず 、
│う 。 │■
てい くことが望 ましいことでしょ
外国ではまだ まだ間違 った日本の紹介が されてお りま
生 活全般 にお い て外 国 人 とつ き合 う場 合 、 もの ご とを 自
腫露
倍‐
垂
暑黛
1:,11警 芳
分 の 物差 しで測 るべ きでは な い と思 い ます 。
欧米 人は契約 の 文化 とい うもの を持 って い るため の確
認作業 とい うか 、イエ ス・ノー をは っ き りさせ てお く必要
Ittt,「‐i告
;‐
i彙
11ふ 荷
111本 場
lt‐ r,I‐ │││││‐
「私は棄語 ができないがら交流 はできない」
日本人には、
が あ り、日本 人 の 美徳 とされ る曖 味 な態度 は通用 しな い こ
ヽ
とを′
し
得 てお くべ きで しょ う。納 得 さえす れ ば不満 は 出
と尻 ごみ される方が往 々に してお られ ますが、相手 を理
生 活 のルー ル を双方 で話 し合 い 、それ
な い と知 った上 で 、
解す る上で言葉 の問題 は二の次です。それはできるに越
を きちん と伝 え守 らせ るよ うにす るこ とが大切 で しょう。
根本的な ものはハー ト・ ツー ・
したことはないのですが 、
相互理解 す るこ とに よっ
国際交 流は一 方通行 ではな く、
ハ ー ト、心 と心 の 問題 です。心が通 い合 えば、言葉が少 々
て初 め て交 流 も可能 に な ります 。 そ の ため には相 手 の文
で きな いこ とな どは何 の問題 もあ りません。
化 、歴 史 、風 土 、習慣 な どさ ま ざまな分野 につ い て調 べ
国際交流 とい うのはケース・バ イ・ ケース 、それぞれ
てお くこ とが望 ま しい。 親切 のつ も りが習慣 の違 いか ら
に事情 が違 えば対応 も違 い、本当に骨の折れることです
不 親切 にな った りす るこ との な い よ うに留意す るこ とが
が 、 自分 の手や足で普通 の庶民 の生 活や考 え方等に直接
大切 です 。
触れて、生 の人間 として分か り合 うことが真 の 国際交流
加 えて 、長期 滞 在者 には 日本 の 法律や 習慣 の 大 ざっぱ
につ なが ります 。
なるほ ど国際交流は した くなければ しな くて もよい し、
な説 明 を して あげ るこ とが必要 で し ょ う。法 律 で は 、例
えば捨 てて あ る と思 われ る よ うなぼ ろぼ ろの放 置 自転 車
ホームステイは断われ ることです。 しか し、国際交流 の
で も勝手 に乗 る こ とは窃 盗 の 罪 に な るこ とな ど、知 らな
「骨折 り損 の くたびれ もうけ だ」など
意義 を考 えるとき、
ければ つ い うっか りして しまい 、不愉快 な思 い をさせ て
と言わな いでほ しいの です。私 たちは今 こそ頑張って次
しま うこ ともあ ります 。文 化や 習慣 の違 いか ら誤解 を招
代 に渡せ る確かな土台 を作 り上げ、そ して これか らの若
い 人達に正 しい意味で の国際交流 のあ り方 を渡す義務 が
あ ります 。
「 日本は人類社会 に参加せ よ」と
ライシャワー博士が、
考 え過 ぎて国議奏慌 に 自信 を失 っては元 も子 もあ りませ
メッセー ジを寄せ られ ましたが 、 日本は食料 をは じめ と
ん 。 同 じ人間 な の で 、 どん な場 合 で も相 互理 解 は可能 で
して多 くの生活必需品 を外国に頼 ってお り、経済、文化 、
しょ うし、国際交 流 とい うもの に必要 以上 に緊張す る こ
科学 の どの分野にお いて も:も はや単独 では何 もな し得
とな く、め げず に続 けて い ただ きた い もの です 。
な い今 日、 日本に住む私達は肝 に銘 じてそのこ とを考 え
かつ て「友 人 の い る国 とは戦 争 を した くな い」 とい う
て いかなければな らない と思 い ます。
今後 の鎌 ケ谷市国際交流協会 の順調な ご発展 をご祈 念
言葉 を聞 い た こ とが あ ります が 、
宇 宙 の 中 の 小 さな地球 、
そ こに住 む 人間 同士 が いが み 合 った り、 肌 の 色 が 違 うと
いた します。
い って差 別や 偏 見 を持 った り、 ま してや 戦争 を起 こ し殺
注
し合 うとい うこ とは絶 対 に避 け なければ な りませ ん 。
ワリ,υ ●υ●υ
ワυワυ●υ●υ,υ ,υ りυ
'υ
:1時 間半 に及 .ぶ 講演 の 内容 を要約 させて いただ きま
した。
][祭 夜
勁流国]1本 ―疑事
疇ミ
F勺 匡
ワυ●υ
ワυ●υ●υ,0'υ ●υ
'υ 'υ
交流団体名
●υ
'υ
発足年月日
自治体名
交流団体名
発足年月日
自治体名
八千代市
八 千 代 国 際 交 流 友 の 会
袖ケ浦町
袖ケ浦町海外友好親善推進協議会 55。
四街道市
四街道・リバモア姉妹都市市民の会
52.4.1
52.4.29
芝 山 町
芝 山 町 ユ ネ ス コ 協 会
58.10.1
佐 倉 市
佐
会
62.5。 10
富 里 町
富 里 ユ ネ ス コ 協 会
習志野市
習 志 野 市 国 際 交 流 協 会
62.7.18
浦 安 市
浦 安 市 国 際 交 流 協 会
58.5.15
62.3.20
倉
日
蘭
協
5。
26
臨 物
野にわた り交流 を深め、国際理解、国際親善 に貢献 され
ます ことを祈念 い た します。
鎌 ケ谷 市議会 議 長
国際交流協 会 会長
佐 々本
武二郎
国際交流協 会顧 間
鎌 ケ谷市 国際交 流協 会 が 設立 発 足
小金
以 来、
早や 6カ 月の 月 日が経過 いた し
ま した。この 間 、
市長 を始 め 市 当局 の
一 般 市民 の 深 い ご理 解 と暖か い ご協 力
ご指 導 は もちろん 、
勇作
鎌 ケ谷市 国際 交流協 会 の会報 紙創
ヽ
か らお祝 い 申 し上 げ
と
刊 に あた り、′
ます 。
に よ り、当初 の予 定 をは るか に上 回 る会員 の ご参加 を得 、
地域 の 国際化 が 求 め られて い る今 日、市 民主体 の 国際
ヽ
と
よ り感謝 い た します。
順調 な第一 歩 を踏 み 出せ た こ とを′
交 流 の 推進 を 目指 して本協 会 が 設立 され ま した こ とは 、
国際社 会 の 平 和 と繁 栄 に貢献 す る責 務 と役 割 を果 たす
目的 の 中 、鎌 ケ谷 市 国際交 流協 会 として も地域 社 会 の 中
ま こ とに意義深 い こ とであ り、 そ の 後 も極 め て順 調 に発
展 を遂 げ られ るな ど、 ご慶祝 にた え ませ ん 。
協 会 設立 の趣 旨に ご賛 同 い ただ き入会 され ま した会 員
でお互 いが 多分 野 にわ た った交 流 の輪 を広 め 、地域 の 活
性 化 、市民 生 活 の 向上 に 資す る こ とを 目標 に 、交 流活動
各位 には 、厚 くお礼 申 し上 げ ます 。
私 も、協 会顧 間 として最善 の努 力 を傾 注 い た して ま い
が 今 後 とも活 発 に推移 して い くこ とを期 待 します 。
当協 会 は本 年 8月 、活動 の ス ター ト事 業 と して 7名 の
青 少年 及 び青 少年 指導 者 を海 外 派遣 し、 それ ぞれが 貴重
りた い と存 じます の で 、皆様 の ご指 導 、 ご協 力 を賜 りた
くお願 い 申 し上 げ ます 。
協 会 の よ リー 層 の 発展 と会 員各位 の ご活躍 をお祈 りい
な体験 をい た しま した。 又 、 9月 よ り語 学研修 講座 を開
発 展 し、
今 後 とも会員 の 皆様 の ご要望 に沿 う形 で成長 、
当初 の 目的 を達 成 すべ く努 力 い た した い と思 い ます。皆
様 の心 よ りの ご指 導 、 ご協 力 をお願 いい た します 。
石川
蛉辟
文代 (前 広報部会長・カナダ在住)
ぜ
Z昌 こ
髯
蚕
墨
舅
寒
τ
署
ぼ
黒
3り 萱
X三 冒
ど
色
腎
なの
<ね
鎌 ケ谷 市 長
繹
国際交流協 会名誉 会 長
皆川
餡
鰈
靡 櫃
M.鼈
た します 。
講 し、 多 くの 参加 者 を得 てお ります 。
圭一郎
に設立 され 、 こ こに会 報創干」の 運 び
とな りま した。
「モ ノ」 と
日本 は 、経済 的 に飛躍 発展 を遂 げ るにつ れ 、
「 カネ」が 国際交 流 の 主 流 とな って い た感 が あ りま した。
しか し、今 日の よ うな国際 的 な相 互依 存 関係 が深 まっ
て くる と、生 活 習 1貫 や 価値観 の違 いか ら摩 擦 が 生 し、経
済面 のみ な らず文 化 面へ の影響 も危惧 され てお ります。
この ため積 極 的 に交 流 の場 を広 げて 、異文 化 の 相互理
解 と吸収 に努 め なけれ ば な らな い現状 に もな って きて お
ります 。
海
殊 に近年 は海 外 か らの 入 国者 も毎年 200万 人 を超 え、
外渡航 者 も500万 人 を超 えて い ます 。
鎌 ケ谷市 内で も、外国 人居 住者や 海 外渡航 経 験 を もつ
市 民 の 方 々が 増 えてお り、一 過性 の もの では な い 、地域
に根 ざ した市 民 レベ ルの 交 流 を推 進 して い くこ とが重要
この よ うな時期 に設立 され た 当協 会 は 、会 員数 も380近
くな り、海 外派遣 を行 うな ど、積 極 的 な活動 を してお り
ます 。
今 後 、民 間交 流機 関 として文化 ・ スポー ツ等 幅広 い分
E撼
;「
[急
うちに現在の家に移 り住むことができました。日本
です。おまけに、敷金│‐ 礼金などの余分なお金は不
必要、外国人だからと追いはらわれることもな<、
ヨ1越 しの何と気楽で簡単なことでしよう /
颯
繹
バンクーバーで地域社会
にどつ/3iり とつかつて、
多種多様―一 ここでは文
字通り多様な民族が雑居
しています――な人々と
繹
7を
:,:Fttξ
髯
欝
豪薔饉薔量鵞量菫‡
颯
颯
ま
ダ
り
を
送
り
。
お颯
ヒ
憲ヵ
ナ
便
す
これから私は、こちら
.褻
馨蛯
な こ と とな って い ます 。
絋
「
裂
暑
奄
〔
撃「罰
讐
理
言
璽
濡
場
墨
監FE愈 冒
曇
緻
::;[:::れ
[:[:I言 :::言 』
尿
颯
屁
祗
カナダ人というのは一般に動物好きな人が多 <、
鰺
鎌 ケ谷 市 国際交流協 会 が 今年 4月
ま した。
る よ うな太 陽が待 つて いて
嬌
搾
緩檬まζ量量薔書書
塚
.彰
鮮
露
繋ζ‡量鵞檬ξ量書
露
鷺
苺鐵醤警薔鵞量量量鵞量
鰈
蜀 物
5
4分 の 3は 千 しグ ラ を 中心 と した漁 業 に依 存 して い る 。
又 、 豊 富 な エ ネ ル ギー を活 用 して の ア ル ミニ ウムエ 業 も
行 わ れ て い る。
日常 的 に は ア イ ス ラ ン ド語 が 使 わ れ 、 人 口二 十 数 万 の
国際 交流協 会 副会 長
国 で 出版 活 動 も盛 ん で あ る。 ア イ ス ラ ン ド語 で書 か れ た
日本 旅行 作 家協 会会 員
雑 誌 や 単 行 本 が 出版 され て い る。
東京成徳 短期 大学助教 授
秋山
ス ポー ツ も盛 ん で あ り、サ ッ
カーや 柔道 な ど、様 々 な 「 クラ
秀一
ブ」 が レ イ キャ ビ ッ ク市 内に あ
? 1年 中氷 に覆われて いて、人
る。 クラ ブは 日本 の よ うに企業
は氷の家 かなんかに住んでい るん じゃないの…」 と言っ
や学校 単位 では な い。 限 られ た
た人が い る。 シンクタンクに勤め 、講演や執筆活動 も盛
人だけ で な く、誰 で も参加 す る
んに行 って い る人である。
こ とが で きる。 ス ポー ツの 後 に
さらに 「
、 そんな北 の小 さな国のことなんか どうで もい
は 、皆 でサ ウナ に入 っ て再 び汗 をか く。柔 道 の稽 古 を見
い じゃないかJと も言 った。知 らない こと、間違 えた こ
学 させ て もらった 後 に 、私 もア イ ス ラ ン ドの 人々 と一 緒
とを正当化 しようとして「そんなことはどうで もいい じゃ
にサ ウナ に入 った 。 サ ウナ は大切 な コ ミュ ニ ケー シ ョン
ないか 、た い した問題 じゃな い よ」 といった言 い方 をす
の場 で あ り、北 欧 の 人 々に とって 、サ ウナ は 日常 の 生 活
る人はけっ こ うい る。知 ってる、知 らないはた い した問
と切 り離せ な い もの に な って い る。
題ではない。 しか し、「そんなちっぽけなJと か 、「 そん
なことなんか」 とい う言 い方 をされると気 にかか る。
アイスラ ン ドとい う国、 日本人に とってはな じみ の薄
ア イ ス ラ ン ドは治安 も良 く、暮 ら しに も余裕 が 感 じら
れ た 。一般 に考 え られ て い るア イス ラ ン ドの イ メー ジ と
はか な り違 って … … 。
い北 の国か もしれないが 、かつ ては 日本の捕鯨船 の基地
ア イ ス ラ ン ドはか な
り北に位置 して い るが、
ビックで開催 され 、重要 な役割 を呆 した。
││,1111
摯警
また、そ こで生 活す る人々は 、一 人一 人見 ると、 いわ
では私 た ちの住 む鎌 ケ
轟
ゆる大国 といわれ る国の人々よ りもスケールが大 き く、
谷は 一 体 どの辺 りに …
鶴
心 のや さしい人が 多い。
…。
「鎌 ケ谷 を同 じ緯 度
一
魃
邊蒻一
になって いたこともある。米 ソ軍縮会談が首 都 レイキャ
の ま ま ヨー ロ ッパ の 方
北 大西洋 の この 島国 を
訪 れ たの は1979年 の 夏 の
‐翁
1摯
に移 動 させ る と、 どの
辺 りに な る と思 い ます
こ と。ロン ドンか らジェ ッ
「 さあ、よ くわか らな い け
か 」 とい った こ とを尋 ね る と、
ト機 で 2時 間半 、夜 中 に
れ ど… … 」 と言 い なが ら、 ロン ドン 、パ リ、 ロー マ 、 あ
ケ フ ラビ ク空港 に着 き、
る い は イギ リス 、 フ ラ ンスの 比較 的 メ イ ン な都 市や 国 の
土地 の 人 の車 に便 乗 して
名 を答 え る人が 多 い 。 しか し、実 際 には ロ ン ドンや パ リ
子った。 そ して半
街 までイ
は北 海道 の さ らに北 、 サ ハ リンの ほぼ 中央部 に位 置 して
月ほ どア イ ス ラ ン ド人 の 家庭 で寝 泊 ま りしなが ら街 を歩
い る。鎌 ケ谷は とい う と、 アル ジェや チ ュニ スな どの あ
き、人 と話 を し、 自然 を観 た 。 こ の 国 を小 さな島の よ う
つ ま リア フ リカの北部 に位 置 して い るの で あ る。
る辺 り、
に思 って い る人が 多いが 、
実 際 には北 海道 の 13倍 もの 広
「 国際交 流」 とい うと、 とか く言葉 だけが 問題 に され
さが あ る。 そ こに二 十数 万 の 人 々が暮 ら して い る。平均
や す いが 、 そ の奥 に きちん とした ものの 見方 の 大切 さ も
寿 命 は 、今 日本 が世 界一 。何年 か 前 、 日本 が世 界 第 2位
お忘 れ な く。歴 史的 な見方 、 それ に 「現 在」 を きちん と
の とき、 この 国が 第 1位 であ った 。長寿 の 国 で あ る。
空 間的 な広が りを もった地 理 的 な見方 を、
据 え るため に 、
バ イ キ ン グの子 孫 で あ り、現 在 の 首相 は女性 。産 業 の
そ して鎌 ケ谷 をよ く知 るこ とも。
陥 物
談話室 。SALOON
的な もの を求め ると同時 に 、民族本来の伝統 を保持 し、
私 の 国際 交流 の思 い 出
桜岡
孝治
昭和 10年 、東 京工 大 で天 津 か らの 留学 生 、王 任之 君 と
それ を継承す ることは とて もすば らしい と思 い ます。
鎌 ヶ谷市 に引越 して来て もうす ぐ3年 にな ります 。周
りは静 かで 、空気 もきれ いです 。東京 に近 いか ら益 々 人
席 を並 べ た 。
王君 も私 か ら 日本語 を吸収 したが 、私 も彼 か ら多 くの
口が増えて くる様です。鎌 ヶ谷 はこれか ら発展す る若 い
こ とを学 ん だ 。 公 費留 学生 として 外務 省か ら月60円 支給
町だ と思 い ます ので 、 これか らこの市 へ 越 して くる人達
され て い た。 多 い と言 うと、 日清 戦争 後 、清政 府 は 3億
の為 に も環境 を守 り、機能的なす ば らしい町づ くりをし
両 の 賠償 金 を払 い 、利子 計算 を して も、 中国 の 金 であ る
て もらい たい と思 い ます。 これか らも一 市民 として 自分
と答 え、 カ ルチ ャー ・ シ ョッ クを味 わ った。
の町 を愛 し、誇 りある市にす る為 、皆様 と一緒にがんば
世 界情勢 は彼か ら教 え られ る こ とが 多 く、魯迅 の小 説
りたい と思 い ます。
も彼か ら文庫本 を借 りて読 んだ 。楽 しい交 流 だ った。西
〉
O蛉 〉鯰ぐ∝ ぐ∝ ぐ∝ 0蛉〉∞〈
〉
勢 昨ε
安 事 件 (抗 日戦 線樹立 )な ど も彼 が 解 説 し、不安 を感 じ
た。
まず始めたい、人を知ろうとするところから
直溝橋事 件 の翌 日、登校
鴻池
淑子
しな い王君 を 自由 ヶ丘 の下
私 に は大切 な友達 が い る。 バ ン グラデ ッシ ュか らの 出
宿 に訪 ね る と、帰 国 の ため
稼 ぎ労働 者 であ る。 か ねがね 、 中学校 で学 ぶ 英語 の授 業
荷造 りし、手伝 わ され た。
こそ殆 どの子 供達 に とって初 め て触 れ る外 国文 化 であ り
「帰 国 して 日本 軍 と戦 う
海 外へ の 窓 口で あ るべ きでは な いか と思 い なが ら英語 を
よ」
重慶人民賓館 にて
教 えて きた。 だか ら、 い ろん な顔形 、皮膚 の 色 、そ して
「戦場 で会 った ら、 どうす る ?」
い ろんな言葉 を しゃべ る人達 を どん どん教 室 に呼 ん で い
「お互 いに撃 つの よそ うJ
る。
自由 ヶ丘の駅 で別れて半世紀 、以後 の消定、
は知 らないc
た どた ど しい英語 の
わが国際交流の悲 しい思 い出である。
そ の 中 に流れ る熱意―
交換留学生は、 どうも欧米主流であるような不満があ
何 とか 自分達 の 国 が 置
る。 アジアの交流は 、私 の見呆てぬ夢であろ うか。
冷蛉 0に絆闘0∞0∝ Ce,〉 鯰 〉
鯰〉
∞〈
か れて い る状 況 を理 解
してほ しい。 一 つ 一 つ
の 単 語 を必死 に 聞 き取 ろ う とす る子 供 た ちの熱 い視 線 。
「バ ン グラデ ッシ ュ を一 番初 め に独 立 国 として認め て く
鎌 ヶ谷 に住んで
港
雲芥
れ たのは 日本 で した」 の 言葉 に 自然 に沸 き上 が った拍手 。
日本に来て、 もう 5年 にな りました。主人は 日本 の商
た った 1時 間 の うちに彼 らに対 す る子供 た ち の 認識 は 、
社に勤めて い ます 。私 も現在、中国関係 の仕事 をしてお
ただ 『洪 水 と貧 困に病 め る国』 か ら 『彼 らが命 をか けて
ります。妻 と母親の二役 で時間がち ょっ ときついです 。
守 って きた国。 その 国民 は古 代文 明発祥の地 として優れた
で も、主 人は中国語に精通 して いて 、私 の事 もよ く理解
文 明 を生 み 出 した 人達 であ り、今 は貧 しい なが ら も誇 り
して くれて い ます。ですか ら、い くら生活が きつ くて も
を失 わず 、家族 を支 え るため必死 に働 い て い る人々の国』
幸せ と思 って い ます。
へ と大 き く変 わ ったの であ る。 もう子供 た ちは 「 じゃぱ
私は 日本 とい う国、及び 日本
人 とい う民族が好 きです 。 日本
は世 界の経済先進国だけでな く、
ゆ きさん」 とは言 わ な い。 あ る生徒 が 言 った 、 「知 らな
い って耳きず か しい こ とだ ネ」 と。
交 流 の仕 方 には い ろ い ろあ るが 、私 は 英語 を教 え る事
日本 民族 の伝統 を守 り、 日本人
を通 して様 々 な人間 に心 を開 い た子 供 た ち を育 て るこ と
、
の礼儀正 しさに いつ も感′
し
しま
で国際交 流 につ なげ て い きた い と思 って い る。 それ には 、
すc
どこに行 って も 日本 人は礼儀 正 し くて穏や か です 。先 進
『 そ こに 住 む 人 々』『 目の 前 の そ の 人』 を知 ろ う とす る と
ころか ら出発 した い もの であ る。
晦 物
部会ズ ーム ・アップ
→
部
会
活
動
と
は
一
一
―
一
一
一
一
一
一
―
―
部 会 は 、現 在 4部 会 (派 遣 、広報 、研修 、交 流 )あ り、
それ ぞれ部 会長 (理 事 か ら選 出 )と 、部 会 へ の 参加 を希
忘
J11:1髪 艶
)(A
RTY〕
R口 END F認 ヽ
YE」 ヽ
――FRIENDSHIP PARTY BY K.l.F.A― ―
DAttE i SUNDAY DECEMBER ll,1988
望 した有志 の 会 員 に よって構 成 され て い ます 。
部 会 の仕 事 は 、担 当分野 の事 業 を企画 ・ 立 案 し、理事
会や 総会 を経 て 、実施 に あた るこ とです 。 つ ま り、協 会
の事 業 は部 会 に よ り推 進 され るこ とにな ります の で 、音る
会 には 、会 員全体 、 さ らには広 く市 民 を も対 象 とした事
業 の 展 開 が求 め られ ます 。
PM/1:00-PM/4:00
PLACE:KAMAGAYA CITY HALL,DINING R00M Bl FL00R
MEMBER'S FEE
ADULT¥2,000
STUDENT¥1,000
『
:仁 鰐
,E‖
暑
應轄IE妻 暴鵞蜃』
]
交流部会
また 、 こ うした部 会 の 活動 は 、 ボ ラ ンテ ィア を基本 と
した 、部 会 員 の主 体 的 かつ 積極 的 な参加 に よって支 え ら
れ て い ます 。 それ だけ に部会 員 の 役割 は重要 で あ り、そ
研 修 部会長
の 活躍 が 期待 され て い ます 。
岡本
靖子
鎌 ヶ谷市国際交流協会 が うぶ声 を
あけて早や半年がたちました。各部
派遣 部会長
荒井
会 それ ぞれ に活動 を始 め て い ます c
茂行
国際理 解 とか世 界平 和 とい う言
研修 部会 も英会 話 3ク ラス 、 中国語 2ク ラスの 語学 講
葉 は よ く耳 に しますが 、そ の 原点
、
し
で
座 を現 在 開講 中 です 。 いずれ の クラス も参加 者 が 熱′
は 人 の心 の 在 り方 だ と思 い ます 。
和や か な雰 囲 気 です が 、皆様 の 意欲 は大変 な もの です 。
また、相 手 を思 いや る気持 か ら始 まる もの だ と思 い ます 。
語学 講座 は今 回 の 状 況 を参 考 に して 、今 後 多 くの方 に
そ の ため には 、 まず 自分 を冷 静 に 見 つ め る こ と、そ して
よ りよ い 方法 で参加 して い ただけ る よ うに検 討 して ま い
同時 に広 い視 野 を持 ちた い もの です 。 そ の こ とが鎌 ヶ谷
りた い と思 い ます。研修部会は この語学講座 の l lN続 のため
市 の 国際交 流協 会 の 大 きな 目的 で もあ る と思 い ます 。
の 討議 と、 ボ ラ ンテ ィア通 訳市l度 の 実現 の ため に 、 目下
この意 味か ら も会報 が果す 役割 は 、今 後 の 当協 会 に と
って大 きな もの に な る と思 い ます 。
の ところエ ネ ル ギー を傾 け てお ります 。
多彩 な活動 を推進 す るため に も、会員皆様 の積 極 的 な
部 会 入会 をお待 ち してお ります 。
交流 部会長
広 報 部会長
加藤
記 久枝
藤谷 i亨 子
待 ちに待 った創干」
号 がつ い に発
7月 の 臨時総 会後 、各部 会 と も
行 で きま した。 原稿 を快 く引 き受
着 々 と活動 を進 め て い る様子 です
け て くだ さった皆 様や 、 ご 多忙 に
が 、交 流部 会 として会 員相互 の 親
もか か わ らず 、協 力 して くだ さった広報 部 会 員 の 方 々 、
睦 ・ 交友 を深 め る 目的 の 交 流 ブ ラ ン が な か なか 進 まず
それか ら事務 局 の 方 々のお 陰 です 。
頭 を痛 め て い ます 。 ホー ム ステ イ制1度 な どは今 後お い お
残 念 なが ら、広報 部 会 はほか の 部会 に比 べ て部 員 が 少
い取 り組 ん でい くつ も りです 。民 間 の 国際交 流 団体 で活
な く、会報 を出す に 当 た っては随分 苦労 い た しま した。
動 した経験 か ら、 どの 国 の 人 と交 流 をす るに して も大切
ど うか皆様 の ご協 力 をお願 い した い と思 い ます 。
な こ とは 、 人 と人 とが 交流す るの だ とい うこ とです 。 外
ボ ラ ンテ ィア として 、ぜ ひ会報 づ くりに ご参加 くだ さ
国 人 との交 流は もちろん です が 、そ の 前 に鎌 ヶ谷市 にお
い。無 か ら有 を生 み 出す 苦 しみ はあ ります が 、そ の 分 出
い て様 々 な分野 で活躍 され て い る方 を知 り、そ して 交流
来上 が った ときの喜 びは格別 です 。
す るこ と も大事 な こ とだ と思 い ます 。
ヵ メラの好 きな方 、 イラ ス トや 漫画 の 得意 な方 、特 に
歓迎 い た します 。 お待 ち して ます 。
気 負わ な い でや って い きた い と思 い ます の で よろ し く
お願 いい た します 。
物 0機 `夕 ιメ
崚
“
隔 物
′
鸞部会員募集 /広 報部会 a研修部会
玲プラザヘの投稿 お願い
広 報部 会 と研 修 部 会 では 、 それ ぞれ部 会員 を募 集 して
国際交 流 に関す る 、 ご 自分や ご家族 の 体験 談 を ま とめ
い ます。事 業 の企 画 、実施 な どに ボ ラ ン テ ィア で活躍
て、
思 い 出 の写真 また は カ ッ ト等 と共 にお送 り下 さい 。
○楽 しか った海 外旅行 の思 い 出
して い ただけ る方 の参加 をお待 ち して い ます。
│
│
○海 外 での文 化 、食生 活等 に まつ ´‐
る藷 ‐
広報部会〕
〔
「 K.I.F.A.Plaza」
広報部会は、
│‐
○ ホー ム ステ イ ・ ホー ム ビジ ッ ト等‐
の体 験 談
の発行、講
演 会 ・ シ ン ポ ジ ウム の 開 催 な ど を担 当。
○将 来 の夢
「 K.I.FA.Plaza」
〇そ の他
を よ リー 層 充 実 し た も
.`
│‐
○ カ ッ ト等
の にす る ため 、 編 集 ・ 制 作 を手 伝 っ て くれ る仲 間 を募
■│
集 します 。(編 集 、イ ラ ス ト、 レ タ リ ン グ 、写 真 、 ワー
また K
I F.A Plazaに
プ ロ 、翻 訳 の で き る方 大 歓 迎 )
望が あ りま した ら併せ てお送 り下 さい 。
対 して の ご意 見 、 ご要
研修部会〕
〔
研修部 会 は 、語学 研修 講座 の 開催 、通 訳 ボ ラ ン テ ィア
意見 。
希望 (抜 粋 )
●会員アンケー トより 。
制 度 の 実施 な どを担 当。
・研修会 を希望
語学研修 講座 を今 後 さ らに拡 充 して い くため 、講座 の
・ スポーツ交流事業 をしてほ しい
・ 在住外国 人 との幅広 い交流 を希望
運営 を担 当 して くれ る仲 間 を募 集 します 。
・生 きた外国語 をマス ター した い。
一連絡 先―
鎌 ケ谷市役 所 内
・市内で も帰国子女が増えて い るので 、子供達 の
交流の機会 をぜ ひつ くってほ しい。
鎌 ケ谷市 国際 交流協 会事務 局
TEL 45-‖ 4i
内線 300
・ できるだけ早 く姉妹都市交流がで きるように。
鰈シンボルマーク募
鎌 ケ谷 市 国際交 流協 会
(K I FA.)で
・長期間仕事 で外国の家族 と交流 して、大変お世
―
ヽ
。
話 になったので何かの形でお役に立 ちた し
は 、皆 様 に
親 しまれ るシ ンボルマー クを募 集 して い ます 。
隋市内在住外 国人の皆様ヘ
下 記要 領 で 多数 の 応募 をお待 ち して い ます 。
・募集期 間
。応募要 領
・あ て 先
昭和 63年 12月 15日 迄
K I.F.Aで
ハ ガキ 1枚 につ き 1点 、住 所 ・ 氏
交 流 をす るため に会 員 を募 って い ます 。
名 。年 令 ・職 業 ・ TEL明 記
鎌 ケ 谷市 に も近年 、外国 人居 住者 が増 えて い ます。
〒 273-01
同 じ市 民 としてお つ き合 い を しなが ら、お互 いの 生 活
鎌 ケ谷市初 富 928-744 市役 所 内
の 幅 を広 げた い と思 い ます 。
鎌 ケ谷 市 国際交 流協 会事務 局
ご本 人は もち ろん 、 日常 お見か けす る外国 人が い らっ
しゃい ま した ら K.I.FAの
入選 者 には記 念品 を差 し上 げ ます。
爬颯塚鱚 編 集 雑 感 吻瑕颯隕
脩
協 会 発 足半年 に して、や っ と創 刊号 発行 に こ ぎつ け
ま した。企 画 の段 階 では五 里霧 中、 ど うな るこ とか と思
い ま したが 、 だ ん だん先 が 見 えて くるにつ れ 、市役 所 へ
向か うペ ダ ル を踏 む 足 も軽や か に な って きま した。少 な
い ス タ ツフでの 編集 会議 は ち ょ っび り淋 し く、皆様 の 参
ヽ
か らお待 ちす る次 第です 。
亡
加 を′
聰
)
(M.後 関
)
毎 日を忙 しい忙 しい と四苦 八苦 しなが ら暮 して い る
の に 、又 また知 人 の勧 め に乗 って 入部 して しまった広報 、
こ とをお話 して下 さい。
籍 だけ 置 い て作業 は気楽 に させ て貰 えば良 い し、等 と自
己弁 護 しなが ら安 易 に 出向 い た私 の初 日。何 とた った二
人が に こや か に私 を迎 えて くれ た。 しか も、 そ の うち の
一 人は事務 局 の 方 で 、 お手伝 い を して下 さって い る状 況
ク
ヽ
の よ う。`シマ ッタ と内′
し
後悔 に とらわれ た ものの 、こ
れ こ そ本 当 の後 の 祭 り。 で も、欠席 して い る部 員 が あ と
数 人居 る と聞 い て少 しは安堵 した
ものの 、この先 ど うな るこ とや ら /
ス タツ フの 中 では唯一独 身 して ます。 フ レ ッシ ュ感
覚で次号 もがんば ります。
鰈
(K.加 藤
は 、 よ り多 くの市 民 が 多様 な仲 間 との
(」
鰈
.小 山内
)
たの まれて カ ッ トを描 きま し
た 。 紙 面 に合 って るか ナ ?私 は花
の 高校 生 デー ス。
(E.神
戸)
Fly UP