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日清貿易研究所の教育について

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日清貿易研究所の教育について
2015年10月25日 於同志社大学
日本現代中国学会第65回全国学術大会 日清貿易研究所の教育(石田 卓生)
高橋正二手記を手がかりに
日清貿易研究所の教育について
愛知大学東亜同文書院大学記念センター 石田 卓生
1
日本現代中国学会第65回全国学術大会 日清貿易研究所の教育(石田 卓生)
日清貿易研究所の捉え方
高橋正二(1870∼1936)
①日本の中国進出・侵略に積極的な関与があった。
久留米藩士の三男
久留米中学・明善学校・東京英語学校
宮武南海経営の東京学館に勤務
②中国研究の先駆として評価する。
久留米市選抜清国派遣留学生
日清貿易研究所卒業
③二元論的な価値判断をせずに事実を確認する。
日清戦争従軍・台湾憲兵隊
三井物産厦門出張所・香港支店勤務
教育機関としての実態は?
日清戦争以前の中国観は?
東亜同文書院・久留米商業・九州帝国大学
2
高橋正二手記について
3
『日誌 第二』
①『在清見聞録』全5巻(1890∼1893)
②『日誌第二』(1891.9.9∼1892.12.31)
③『雑書綴』(1895∼)
4
日清貿易研究所の教育①
試験科目
算術
5
学生の不満・荒尾の方針
開講予定科目
清語学(会話口授)
英語学(綴字・読本・会話口授・習字・作文・書取)
作文
簿記
英語(英会・英訳・英作・英書・英読・英文)
商業地理(亜細亜ノ部・支那ノ部)
支那商業史(太中古ノ部・中世ノ部)
簿記学(単式・複式)
和漢文学(読書・輪講)
作文(通信文・記事文・報告書・契約文)
清語(清抄・清訳・清暗・清書)
商地(商業地理?)
経済
商業算(和算・洋算)経済学(経済原論・貿易論)
法律学(法律原理・日本商法)
習字(楷書・行書)
商務実習(日清両国度量衡使用法・日清貿易品研究・日清各種
商業ノ組織及営業ノ方法・研究所模形ノ実践・商会ノ実習)
臨時講義(貿易上ノ心得)
物品(日清貿易品研究?)
柔術体操(古式・兵式)
6
1
7
日本現代中国学会第65回全国学術大会 日清貿易研究所の教育(石田 卓生)
中国語テキスト①
中国語テキスト②
御幡雅文 北京語会話テキスト
華語跬歩
下編
日清商会蔵版
1891序
華語跬歩
上編
日清商会蔵版
華語跬歩
全
東亜同文会蔵版
1901
8
①『清国通俗文』書簡文テキスト
中国語テキスト③
香月梅外
①『清国通俗文』(1891)
②桂林・御幡雅文
9
向野堅一
⑥長白桂林先生口述
『申報意解』(1891)
『日清貿易研究所教科書 生意襍話』
(1892序・1940抄)
③『欣賞斎尺牘』 (1892)
⑦『清話集録』
④『欣賞斎尺牘3』(1892)
⑤ 『生意筋絡抄話』 (1892)
⑧句曲王秉元・御幡先生訳解
『貿易指南』(1891序)
10
②『生意雑話』北京語会話テキスト
11
⑤『生意筋絡抄話』ビジネス解説書
12
13
2
日本現代中国学会第65回全国学術大会 日清貿易研究所の教育(石田 卓生)
中国語テキスト④上海語教育
日清貿易研究所の教育②
語学
英語・中国語
御幡雅文『華語跬歩』の一部を上海語化
①『滬語便商』(修文書館、1892序)
北京語(役所との折衝)・上海語(商取引)
②『滬語便商意解』(修文書館、1892?)
ビジネス
算術・簿記・商業地理・経済・貿易品
③『滬語商賈問答・続散語類』(1893)
北京語爲用最廣,上海語爲用至要。蓋京語者宜施之于官宦
也,滬語者宜施之于商賈也。余將曩日爲日清貿易研究所生
徒所輯之滬語便商一册……
『滬語便商』1907序、上海三井洋行、1922。
中国に特化した商業学校
14
高橋の外出先①
1.
2. 
3.
4.
5.
6.
7. 
8.
9.
10.
11.
12.
13.
14.
15.
16.
17.
18.
19.
花園
広業洋行
張園・味 園
本願寺
総領事館
跑馬場
虹口
郵船会社
上海県城
楽善堂
大馬路
蘇州河
東和洋行
十六舗
上野照相
鳳凰山
龍華寺
亜細亜協会
徐家匯天主堂
15
高橋の外出先②
38回
35回
18回
15回
14回
14回
13回
9回
4回
共同租界河南中路342号(現河南中路・九江路角) 4回
共同租界(現南京東路)
5回
4回
(現河南北路・北蘇州路角)
2回
フランス租界外灘(現中山東二路)
2回
福州路16号(現福州路・河南中路)
1回
(現上海市松江区余山周辺)
2回
(現上海市徐匯区)
1回
(所在地不明)
1回
(現上海市徐匯区)
1回
(現黄浦公園)
(所在地不明)
(現南京西路南・威海路北)
共同租界虹口(現武昌路・乍浦路角)
共同租界虹口
(現人民公園)
共同租界在住日本人個人宅
共同租界虹口
16
日常
花園・
娯楽
施設
広業
洋行
虹口
研究所
総領
事館
中国人と没交渉
馬場・張園
娯楽施設
中国人との交流がない
広業洋行
日系企業
研究所の教育
東本願寺別院
日本人コミュニティ・弔事
本願寺
総領事館
日清貿易研究所への期待
20
3
19
幼少ノ時ヨリ銭ヲ与ヘテ楽マシムルノ風アリ元来支那ニ
ハ玩弄品甚ダ少ナク皆金銭ヲ以テ之レニ充ツ此ノ如ク少
児ノ時カラ金銭ヲ弄スルヲ以テ大ニ金銭上ニ於ケルノ利
欲心ヲ奮興シ此等ノ児童ニシテ已ニ十歳ニモナレバ最早
度量衡ノ使用法ヲ熟知セザルモノ稀ナリ
中国観
支那人ノ癖トシテ金銭貪リ飽ク
知ラザル
21
日本現代中国学会第65回全国学術大会 日清貿易研究所の教育(石田 卓生)
『頓智会雑誌』①
1889∼1892年(第58号から『新滑稽』と合併)
宮武外骨『頓智協会雑誌』の後継誌
一人の盲人狭き路次を通り来りしに犬の臥し居るに気
がつかず を以て其背を突きしに犬は驚きてワンの一
声と共に遥か隔りたる所に至りて又寝ころびたり盲人
歩を進めて此所に来り にて又其背を突きしに又驚き
て犬は逃れ去なるや れり盲人首を傾けて曰く何ぞ背
の長き犬なるや
• 「長い犬」No.29,p.32,1890.10.20.
宮武南海:頓智会・東京学館
投稿誌→明治のSNS・Facebook
某侯侍医に謂て曰く民を治る如何侍医対て曰く臣は賤
技なり何を以て経世の術をを知らんや然れども嘗て之
を良医に聞く曰く頭寒足熱と意ふに邦を治むるも亦此
の如き乎、
筑紫妖夫:久留米出身・東京→筑後→清
高橋正二と宮武南海の書信のやりとり
22
一人の広東人あり北京に到らんと欲す然れども其気候の寒冷
なるを怕れ人に向て問て曰く冬日北京に在りて寒を凌ぐは如
何の法ありやと其人答て衣服多ければ則ち可なりと彼北京に
到る恰も冬日なり多くの衣服を求めて之を着し一日外出せし
が歩行自由ならず為に悉く衣を脱し之を一枚の風呂敷に包み
て行けり寒甚だしくして粟を生ず人彼が有様を見て汝は寒か
らずやと彼答て曰く多くの衣服あり故に寒からずと
• 「上寒下熱(かみさむくしもあつし)」No.32,p.3,1891.3.7.
25
久留米
実家との連絡
本庄民野柳川藩士田中乙松氏ヘ嫁シタル
国武氏ヘ棉花商況ヲ報ズベキ(日誌1891.10.20)
•  「樽見て酔であらう」No.32, p.22 1891.3.7.
李鴻章氏が孜々 々日も尚ほ足らずして経営せるは兵備的
の事業なり〔略〕苑明園の修理を〔略〕五百万両の外債を
起こし以て修理の費となす〔略〕李氏又奏して曰く〔略〕
最大必要を感ずるは軍事上鉄道の布設に在り幸に募集し得
たる外債の有るあり因て以て之れが資に充つるを得ん苑明
園の修理の如きは山東の塩税を増加すれば之れを弁ずるを
得べしと帝之れを允許す
国武喜次郎との連絡 久留米絣
棉花商況ヲ報告ス(日誌1891.11.20)
棉花相場ノ件ニ付発信ス(日誌1891.11.27)
•  「利口相」No.55, p.3, 1892.3.25.
26
27
日清貿易研究所の学校としての実像
漢口楽善堂グループ(陸軍将校荒尾精・大陸浪人宗方小太郎)
日清貿易研究所の教育:語学・ビジネス
秀才高橋正二:中国に対してニュートラル
中国に特化したビジネスクール
28
4
日本現代中国学会第65回全国学術大会 日清貿易研究所の教育(石田 卓生)
高橋日誌にみる日清貿易研究所のカレンダー
西暦
和暦
月日
9.21
○一年生試験(∼30
10.3
開所一周年記念会
)
大掃除
10.6
室長改選
筆紙墨等備品配布
1891 明治24
10.20
定期試験成績発表
10.27
定期試験優秀者表彰
11.3
天長節遙拝式於領事館
11.30
半靴配布
12.3
暖炉使用開始
12.21
○臨時試験(∼26
)
12.28 冬 年末休業
1.1
休 勅語奉読於研究所
み 遙拝於領事館
1.6
始業式
1.8
室長改選
1.25
臨時試験成績発表
2.1
上海旧暦正月視察のため休講
2.7
候補道台が研究所視察
2.25
高雄(艦長有栖川宮)入港、埠頭で研究所一同奉迎。
2.7
有栖川宮研究所訪問予定も中止。市川白岩(龍平)生徒総代が高雄にて中国貿易について講義。
2.15
草場謹三郎氏幹事退任、後任益田三郎
2.29
鶴原定吉領事離任につき領事館で見送り。
試験前休講
3.3
暖炉使用停止
3.10
3.15
3.16
○三学期試験(∼15
春
休
み
春休み(∼18
)
)
室長改選
神武天皇祭
4.3
万国祭大懇会於領事館
4.9
臨時休講、荒尾精所長離別懇親会於龍華
4.16
定期試験成績発表
荒尾精所長離別会
4.28
猪飼麻次郎教頭、所長代理兼務委嘱
根津乾(一)評議員就任
夏服着用開始
6.1
1892 明治25
起床5時に改める
6.4
蚊帳使用開始
6.9
陸軍参謀本部高橋維則、伊地知(幸介)来所
6.20
○臨時試験(∼24
6.25
室長改選
7.11
6時始業11時終業に改める
7.24
臨時試験成績発表
7.29
上海語授業開始
8.1
夏 夏休み(∼10
8.5
休 西村幹事代理根津一と交代
)
8.16 み 夏休み延期(∼20
)
授業再開
8.22
午前だけ授業(宗方日記)
9.14
試験準備のため休講
9.19
○二年生試験(∼24
)二学年定期試験(宗方日記)
部屋換え
9.25
室長改選
試験慰労休講
9.26
6時起床に改める
10.17
神嘗祭
11.3
天長節遙拝式於領事館
11.4
臨時休講
11.26
ロシア特命全権大使西徳次郎来所
12.10
定期試験成績発表
12.16
定期試験成績優秀者表彰
冬
12.26
休
み
5
)
部屋換え
冬休み開始
室長改選
日本現代中国学会第65回全国学術大会 日清貿易研究所の教育(石田 卓生)
『頓智会雑誌』『新滑稽』と高橋正二
* 号数 発行年
元号
発行日
1
1 1889 明治22
2
2 1889 明治22
-
3
3 1889 明治22
-
4
4 1889 明治22
-
記載名
記事名
ジャンル
日誌記載
高橋所在
6月
東京
5
5 1889 明治22
6
20 1890 明治23
4月20日
-
7
21 1890 明治23
5月10日 八点在京筑紫妖夫
8
23 1890 明治23
6月16日
第二回投書点数表
(自第11号至第20
号)
9
24 1890 明治23
6月17日
10
25 1890 明治23
7月10日 筑後一等投書家筑紫妖夫
11
26 1890 明治23
7月25日 筑後一等投書家筑紫妖夫
12
27 1890 明治23
8月10日
13
28 1890 明治23
9月15日
14
29 1890 明治23
10月20日
15
30 1890 明治23
11月30日
16 32
1891 明治24
33 1891 明治24
4月1日
18
34 1891 明治24
4月25日
19
36 1891 明治24
6月1日
20
37 1891 明治24
6月15日
21
39 1891 明治24
7月15日
22
40 1891 明治24
8月1日
23
41 1891 明治24
8月15日
43
44
45
24
46
47
48
一趣考参らせん
消したる数字を当る法
頓智談
智囊
筑後一等投書家筑紫妖夫
ぶせうトハ
頓智談
筑後一等投書家筑紫妖夫
甲冑を要せん
頓智談
議院の名物
頓痴奇林
筑後一等投書家筑紫妖夫
歌の番頭
智囊
筑後一等投書家筑紫妖夫
長い犬
頓痴奇林
在清会員筑紫妖夫
上寒下熱
頓智談
在清会員筑紫妖夫
当選の際には賞与なし 頓智談
羽前一等投書家松山天爵子
筑後一等投書家筑紫妖夫
3月7日 在清会員筑紫妖夫
17
42
久留米
ソーは桑名の四日市
甘く唖へる
頓痴奇林
在清会員筑紫妖夫
見て酔であらふ
七点在清筑紫妖夫
第三回当初点数表
頓痴奇林
在清会員筑紫妖夫
御体操
頓智談
在清会員筑紫妖夫
地獄の沙汰も……
頓痴奇林
在清会員筑紫妖夫
禁葷酒入山門
頓痴奇林
在清会員筑紫妖夫
(十)暑中見舞いに
問答
1891 明治24
9月29日43号入手
10月14日44号入手
1891 明治24
1891 明治24
1891 明治24
25
49
26
50 1892 明治25
27
51 1892 明治25
28
52 1892 明治25
29
53 1892 明治25
30
54 1892 明治25
31
55 1892 明治25
10月26日45号入手
11月1日
11月10日入手
12月1日47号入手
12月25日48号入手
12月20日 在清会員筑紫妖夫
非職はまだゝ
頓痴奇林 12月29日入手
1月1日
1月8日入手
1月24日 四点在清筑紫妖夫
第五回投書点数調
2月2日入手
2月5日
2月15日入手
2月25日
3月10日初版
3月14日増補
在清投書家筑紫妖夫
3月25日 在清投書家筑紫妖夫
32
56 1892 明治25
4月10日
33
57 1892 明治25
4月15日
58 1892 明治25
上海
任二等投書家但取扱は一等
投書家に準ず在清筑紫妖夫
利口相
頓智談
3月21日入手
孫呉の秘法
頓智談
4月1日入手
叙任及び辞令
4月15日入手
4月26日入手
※新滑稽第16号と合併
7月8日入手
*資料番号のない号は未見。
6
日本現代中国学会第65回全国学術大会 日清貿易研究所の教育(石田 卓生)
高橋正二手記目録
①高橋正二
在清見聞録一
明治 23
釐金税
年 9 月起
半税
日清貿易研究所開所式祝詞
支那ノ銀行
上海租界ノ成立
支那銀行ノ起原及現状
支那商人及長江運輸の概況
福州領事館莫大小試売ノ景況
支那官制
自来水
片
支那貿易の要点附支那商人及家庭教育官吏登用ノ
事
支那人ノ衣服
上海の沿革風俗習慣商事一般附今海及普陀山
支那人ノ飲食
上海の景況運輸及風俗
支那人ノ家屋
支那現時ノ状態
支那人ノ性質
南清各地ノ概況
税関
香港繁盛ノ理由
支那米附塩
コンプラド
亜片ニ就テ
支那商業地理ノ概要及運輸上ノ一般
噸税
直隷張家口貿易ノ景況
北支那ノ糧穀
支那人反古紙ヲ重シスル事
香港ニ於ケル日本雑貨ノ景況
③高橋正二
上海諸般ノ情況
年 9 月起
怡和洋行碼頭料並ニ倉敷料規定
②高橋正二
7
房
在清見聞録二
明治 24
在清見聞録三
支那ノ尺度
年 6 月起
支那ノ権衡附海関館ト上海銀
匪情一班
清国ノ兵勇
商業上支那人の有スル重ナル点
清国度量衡
支那ノ通貨
支那ノ風俗一般
支那ノ質屋
支那ノ物産
会館
支那ノ製造業
公所
支那ニ於ケル毛皮類
上海工匠及ビ雇人ノ給料
北支那輸入品及ビ其説明
上海市場織物丈尺幅員
北支那人所用枡ノ名称及容量
上海ニ於ケル銀行
天津市上ニ於ケル衡ノ種類
明治 24
日本現代中国学会第65回全国学術大会 日清貿易研究所の教育(石田 卓生)
広東貨物陸揚及ビ船積ノ手続
上海ニ於ケル人参ノ商況
福州貨物陸揚手続
福州市城内外職工賃銭及商業雇人ノ給料
⑤高橋正二
明治廿四年中支那ニ於ケル重ナル事件
年 3 月起
武昌織布局
④高橋正二
在清見聞録四
明治 25
在清見聞録五
明治 26
上海ニ輸入スベキ綿糸ニ就キ日本ト印度トノ比較
年 3 月起
自強書院ノ創設
北支那貿易事情
芝罘港荳油製造法
清国産漆
上海ニテ刻烟草ヲ製造輸入ト内地製造費トノ比較
北支那ニ於ケル木材ノ需要
支那南部地方ニ於ケル海産物輸入取引
湖北省ノ鉱山事業
上海市街道路名
昆布ノ産地及支那各地ニ於ケル需要ノ割合
明治二十五年中ノ支那貿易ニ就テ
明治廿四年中上海輸入海産物担数
清国向本部産需要品ノ景況
支那内地商業ノ運転
上海ニ於ケル木綿縮
広州府ノ景況
千八百九十二年支那外国貿易
支那内地ノ野蛮人
上海ヨリ各港ヘノ汽船運賃ノ差及其高低ノ季節
天津ノ輸入米
上海ニ於ケル保険ニ就テ
南国需要百貨輸入ノ制限明治廿五年上半期長崎ヨ
上海銀行及其荷為替取組法并ニ普通為替ノ組織
リ支那ニ輸出セシ重要品ノ数量
上海ニ於ケル大売小売ノ利掛
香港ニ於ケル各国製石鹸ノ景況
上海ニ於ケル日清両商間ノ商事訴訟
清国ニ於ケル日本銅
盛京省黄海沿岸ノ各港ノ概況
支那金ノ輸出
在上海日本商店ノ閉鎖并ニ其原因
雑感一束
清国各港駐在本邦領事交代年表
北京銀行附貨幣制度
盛京省金州城ノ沿岸
放帳局
金州半島老鉄山附近ノ砂金附塩田及煤窟
天津塩商
天津ノ当舗
⑥高橋正二
天津ノ洋行附輸出入重要品
月 9 日起(1891.9.9∼1892.12.31)
商事慣例
支那人種成国ノ関係
⑦書簡(長江一帯
清国ノ歳晩及年始
全三通
千八百九十二年度上海貿易ノ景況
権藤千之助宛猪田正吉書簡
一
織ノ商況
日誌第二
明治 24 年 9
暴民蜂起について)
明治 26 年
天津市上主要ナル木材
8
日本現代中国学会第65回全国学術大会 日清貿易研究所の教育(石田 卓生)
⑧書簡(長江一帯
全三通
二
暴民蜂起について)
明治 26 年
明日係
二十九年十一月二日
⑨書簡(長江一帯
[台中から各地ヘノ距離表]
三
暴民蜂起について)
明治 26 年
日(台中屯斗)
靖国祭典須用梨園演唱以為□祝…
権藤千之助宛猪田正吉書簡
全三通
明治
[軍人階級の英日対照表]
権藤千之助宛猪田正吉書簡
立合同議□第九憲兵隊軍吏鈴木龍男…明治卅一年
某月某日
⑩高橋正二
第一号
雑誌綴
第二号
日
旧清国治下台湾府(台湾彰化苗栗雲林ノ四県及□
明治二十九年四月七日
台中城内及其附近ノ沿革
九年十二月廿八日
第六号
明治廿
台湾島ノ我国へ割譲前最近ノ台湾府以下
第八号
田地ノ種別
戸小租戸佃戸ノ関係
田地売買質入等ニ就テ
第九号
一月
カークード顧問本当巡視ノ際明治三十一年一月十
租税並ニ徴税法
キ本地ノ民情風土及目下官民ノ間ニ於ケル調和ノ
地券並ニ
如何土民ノ感情等ヲ聴取セル事項如左(一営業税
三十年五月十五日
徴収ノ件
一道路開鑿ノ件
裁判ニ関スル件
一刑罰ノ件
一民事
一阿片令施行ノ件一伝染病予防
消毒ノ件一公文ヲ漢文ニテ発セラレタシ云々ノ件)
第三章両替)
台湾ニ於ケル政府ノ歳入
周連山、楊吉臣、林朝清、黄文波、林英俊等ニ就
大租
台湾ニ於ケル金融上ノ慣例(第一章貸借
第二章為換
第十号
明治三十年二月十日
田地ノ等級并ニ税率
附記
司法省顧問カークード氏演説筆記明治三十一年一
三日彰化東門□楊吉臣宅ニ於テ当彰化紳士呉徳切、
ノ各地方朝刊ハ左ノ如シ
台湾島塩業調査書
第六十六号台湾ノ人民ハ…明治三十年十一月八日
月十二日台中県府ニ於テ
(戸川軍医)
第七号
台湾善後四策
台湾中路ニ於ケル住民ノ種族及ビ性質
「モルモット」(九月十六日)
第四号第五号
里社庁)管内堡名
伏シテ□ヲニ帝国ノ…
台湾葫蘆墩両□隊管轄区域生蕃地境ニ於
ケル隘勇ニ就イテ報告
第三号
明治 28 年起
彰化及其附近ニ於ケル土人ノ風俗習慣
明治二十八年十二月
明治二十九年
日(葫蘆墩屯斗)
第九憲兵隊□土語専修科規則
第五分隊土語研究会規則
日本銀貨ニ刻印□又其刻印字ルモノ通用ヲ禁ズ
一、暴風雨一般ノ概況
(葫蘆墩屯斗)
馬ノ死傷
許可□□ヲ
暴風雨ニ際シ隊内ニ於テ執行セシ人民政策
牛スルヲ禁ズ(葫蘆墩屯斗)
二、隊内被害ノ個所及人
三、被害個所ニ対スル応急処置
四、
本部用トシタ借家ノ件(第二区隊本部)
土匪ノ状況
人夫代雇ノ件(第二区隊本部)
管内生蕃ノ状況
人民安慰ノ告示
生蕃人加害表自明治三十年十月至仝三十一年八月
水時限ノ
死屍引渡ノ
9
後門ノ出入ヲ禁ズ明治廿九年十月
明治二十九年八月南投御屯斗
(台中屯斗)
明治廿九年十月十三日(台中屯斗)
台湾□……□
土匪処分及善後策
明治□十一年十二月一日稿
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