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工作・工芸教育百周年記念誌 - 北海道教育大学学術リポジトリ

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工作・工芸教育百周年記念誌 - 北海道教育大学学術リポジトリ
Title
『工作・工芸教育百周年記念誌』(1986年)の意義と研究課題
Author(s)
佐藤, 昌彦
Citation
北海道教育大学紀要. 教育科学編, 61(1): 265-275
Issue Date
2010-08
URL
http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/2281
Rights
Hokkaido University of Education
北海道教育大学紀要(教育科学編)第61巻 第1号
JournalofHokkaidoUniversityofEducation(Education)Vol.61,No.1
平成22年8月
August,2010
『工作・工芸教育百周年記念誌』(1986年)の意義と研究課題
佐 藤 昌 彦
北海道教育大学札幌枚美術教育学研究室
TheSignificanceoftheCentennialEducation77i7V喝カ月bndiu)0摘Magazine(1986)
andRelatedResearchThemes
SATO Masahiko
Depart上11elltOfArtEducatioll,SapporoCa上11puS,HokkaidoUlliversityofEducatioll
概 要
本稿は,戦後工作・工芸教育史研究の一環として,『工作・工芸教育百周年記念誌』(工作・工芸教育百年
の会,1986年刊行)の概要・意義・それらを踏まえての研究課題について論述したものである。概要は二っ
の視点から述べた。一つは発行母体としての工作・工芸教育百年の会,もう一つは記念誌の内容。意義とし
ては「戦後工作・工芸教育史研究の方向性を探るための貴重な指標の一つになりうる」という位置づけを根
拠とともに示した。研究課題としては次の三つの観点をあげた。第一は「ハンド101−ものづくり教育協議会」
の設立趣旨,活動の経緯,社会的背景等に関する資料収集。工作・工芸教育百周年記念事業後における先達
の業績を明らかにするためのものである。第二はアメリカ教育使節団とIFEL(教育指導者講習/TheIn−
stituteforEducationLeadership/「図画科教育」及び「工作科教育」/1952年)との関係についての考察。
戦後の工作・工芸教育の出発点としてどのような方向をめざしていたのか,その検討である。第三は工作・
工芸教育の前史となるCHARLESALPHEUSBENNETT著『HISTORYofMANUALandINDUSTRIAL
EDUCATIONupto1870』(1926年)及びその続編『HISTORYofMANUALandINDUSTRIALEDUCA−
TION1870to1917』(1937年)の翻訳。工作・工芸教育にかかわる系譜を歴史的・国際的な視野から把握
するためのものである。
1 はじめに
本研究の目的は,戦後工作・工芸教育史研究の
一つの分野に限らず,今後の指針を見出すため
にはこれまでの姿(歴史)を吟味しそれに基づく
検討が必要となる。大著『日本美術数青史』(黎
一環として,『工作・工芸教育百周年記念誌』(工
明書房)を著した山形寛は歴史研究について次の
作・工芸教育百年の会/1986年11月刊行)の概要
ように述べている。「歴史の使命は,ただ昔こう
を整理し記念誌の意義を示すとともに今後の研究
いうことがあった,こういう経過をたどってこう
課題について考察することにある1)。
なったということを知るだけではなく,いわゆる
265
佐 藤 昌 彦
『温故知新』にあると思われる。この意味で美術
教育の変遷を調べたこ
とによって,現実に展開し
紹介されたりすることはほとんどなかった。その
ような資料を本稿で取り上げた理由は多くの先達
ている美術教育の諸相についての判断をするため
がかかわりながら百周年という歴史の大きな節目
には大変役立っていると思われる」2)。本研究で
に纏められたものであるならば小冊子ながらも戦
はそのような「温故知新」の精神を共有すること
後工作・工芸教育史研究に関する貴重な指針を読
によって考察を進めるものとする。
み取ることができるのではないかと考えたからで
戦後工作・工芸教育史研究に着目した理由は二
ある。考察にあたっては先行研究や文献等で既に
つある。第一は美術教育史のなかで図画教育にか
明らかになっている事柄を踏まえながら全頁数76
かわっては比較的多くの研究や文献があるにもか
頁の内容を吟味することによって意義を見出すこ
かわらず工作・工芸教育についてはまだ十分に明
ととした。さらにその意義に基づいて今後へ向け
らかにされていない先達の業績が少なくないとい
ての研究課題を検討した。
うことである。本研究ではそうした歴史のなかで
も日本の学校教育の大きな転換点となった1945
(昭和20)年以降,つまり戦後の変遷にまず焦点
本論に関する先行研究・文献には奥田真丈監修
『教科教育百年史』4),山形寛著『日本美術数青
史』5),宮脇理著『工芸による教育の研究一感性
をあてることとした。第二は授業研究を行なう上
的教育媒体の可能性−』6),春日明夫著『玩具制
での基盤を確かなものにしたいと考えたからであ
作の研究一造形教育の歴史と理論を探る−』7),
る。筆者はこれまで地域の自然や人々の生活に根
石原英雄・橋本泰幸編著『100年の歴史から21世
差した伝統的造形の意義を明らかにしそれを工
紀へ/工作・工芸教育の新展開』8)などがある。
作・工芸教育にどう生かしていくのかという視点
それらによって提起された歴史研究の視点,工芸
から授業研究を進めてきが)。それらの研究の質
の理念,工作・工芸教育の系譜などを基盤としな
を一層高めていくためには歴史的考察によって授
がら本稿での検討を行なうものとする。論文構成
業の背景にある教科としての未解決問題を明らか
は以下のとおり。1はじめに(研究の目的,問題
にしていくことが必要となる。先達の業績を掘り
の所在,研究の方法,先行研究,論文構成),2『工
起こし戦後における工作・工芸教育の系譜を調べ
作・工芸教育百周年記念誌』の概要(発行母体,
ることは教科としての未解決の問題点を明確にす
内容),3『工作・工芸教育百周年記念誌』の意
るとともに解決策を探るための手掛かりを得るこ
義(意義,根拠),4戦後工作・工芸教育史研究
とにもつながっていくものと考える。具体的には
の課題(百周年以後,戦後工作・工芸教育の出発
次のようなプロセスとして設定した。①『工作・
点,工作・工芸教育の前史),5おわりに(結果,
工芸教育百周年記念誌』の意義と研究課題に関す
課題)。
る考察,②研究課題に基づく戦後工作・工芸教育
史の探究,③戦後工作・工芸教育史における未解
決問題の明確化,④未解決問題に関する解決策の
探究と提案。
今回の『工作・工芸教育百周年記念誌』(工作・
2 『工作・工芸教育百周年記念誌』の概要
(1)工作・工芸教育百年の会
1986(昭和61)年11月刊行の『工作・工芸教育
工芸教育百年の会)は,1986(昭和61)年11月,
百周年記念誌』は先述したように工作・工芸教育
工作・工芸教育百周年記念事業の一つとして刊行
百周年記念事業の一つとして工作・工芸教育百年
され,記念式典や祝賀会等への協賛者・参加者へ
の会が作成した小冊子である。会の目的は,手工
配布されたA5版76頁の小冊子である。非売品で
科創設(明治19年)百周年にあたりこれを記念す
もあったために,これまでの工作・工芸教育に関
るとともに工作・工芸教育の一層の振興を期すこ
する研究や文献で取り上げられたり全国的に広く
とであり,事務局は筑波大学学校教育部内に置か
?66
佐 藤 昌 彦
男,高浦浩,高橋晃,高橋正人,高山正喜久,滝
二月にかけて約六週間IFEL工作科教育講座が東
沢秀雄,竹内博,竹中正義,田中通孝,田中陽子,
京教育大学で行われた。当時はアメリカに占領管
長南光男,都築邦春,出口良生,徳井義明,仲瀬
理されており,教育もその指導のもとに,いろい
律久,中田隆幸,中西清,仲野達三,中野忠,中
ろな施策がなされ,その一環として全教科に捗っ
村亨,生江洋一,奈良坂昂,西口信道,西浦坦,
て行なわれたが,工作科はその最終講座であった。
根津三郎,萩原栄,橋本時浩,橋本光明,服部鋼
その目的とする点は『大学における工作教育法を
資,畠山三代喜,長谷川総一郎,浜本昌宏,林健
担当するもののために必要な資質の向上をはかる
造,林倫子,林俊昭,原稲生,播磨通弘,樋口敏
とともに,工作教育法の内容および指導方法に関
生,平木秀夫,広井力,藤浦敏雄,藤沢英昭,藤
する専門的研究を行なう。』ということであり,
沢典明,藤島晴雄,藤田陸也,古市憲一,星野祐
将来の工作教育の指導者を養成することであっ
二,細田育宏,堀啓二,松岡忠雄,桧本久志,桧
た」(長谷喜久一)。第四は「工作・工芸教育の制
本百合子,松山欣二,真鍋一男,三浦寛三,皆本
度・学習指導要領」について。項目は「戦時下の
二三江,蓑輪英淳,宮坂元裕,宮崎集,宮本朝子,
工作教育(小山栄一郎)」「一九四五年以降の工作・
宮脇理,椋田宏昭,武藤忠春,村内哲三,村上暁
工芸教育…昭和二十二年(長谷喜久一),昭和二
郎,村木朝司,持田政郎,百瀬桂子,森市桧,森
十六年(長谷喜久一),昭和三十三年(斎藤清),
住延幸,安原書孝,矢田佳三,山田雅三,山下登,
昭和四十三年[小学校](村内哲二),昭和四十四
山西謙二,大和屋巌,吉田勇,吉田義英,米倉正
年[中学校](宮脇理),昭和五十二年(樋口敏生)」
弘,和田晶。
(2)工作・工芸教育百周年記念誌
『工作・工芸教育百周年記念誌』は次の八項目
「一九四五年以降の学習指導要領改訂年度一覧」。
戦時下からの沿革の大要が学習指導要領改訂の要
点を軸にしながらが示されている。例えば,昭和
をその内容としている11)。第一は巻頭言「工作・
二十二年に関しては「従来の図画工作科の教科名
工芸教育百周年記念の会に当たって」(工作・工
が美術科と改められた。その内容は芸術性,創造
芸教育百年の会会長:長谷喜久一)。「明治十九
性を主体とした表現や鑑賞活動に関するものと
(1886)年に文部省令で高等小学校の教科目の中
し,工作に関する部分は,新設の技術・家庭科で
に手工科が加設されることになってから,本年
扱うようになった」(斎藤清)とある。また四十
(1986)は百年目に当たります」との文言で始ま
四年[中学校]については「この期の特質を一言で
る。第二は「復刻手工教育五十周年記念大骨誌」(解
いえば,『工芸』領域を学習指導要領美術に付置
題:宮脇 理)について。内容は「手工教育沿革
することによって第二学年の週一時間増を実現し
大要」「手工教育創業者」「日本手工研究会沿革」「手
たことである。ところで中学校の美術科から工的
工教育功労表彰者氏名」。「手工教育創業者」には
な分野が希薄となった昭和三十三年の学習指導要
創業者の三人にかかわる経歴が「後藤牧太先生略
領の影響は,造形活動そのものを崩壊させたと
博」「上原六四郎先生略博」「岡山秀吉先生略博」
いっても過言ではあるまい。図画工作科時代の教
として記されている。第三は「教育指導者講習
員のあるものは技術科へ移籍し,またある者は美
(IFEL)と工作教育」(解題:長谷喜久一)につい
術科に残りながら,クラブ活動等において地域の
て(IFEL:アイフェルはTheInstituteFor
材料を中心とした『工芸』活動を進めたのが実状
EducationalLeadershipの頭文字)。「TFlミL工作
である。このことはわが国における制度の存在が
科教育講座(抜粋)」「工作教育と造形教育の課題
文化の性格をいかに左右したかの端的な事例であ
(抜粋:造形教育の本質・思潮・沿革)」「参加者」
る」(宮脇理)と記されている。第五は「工作・
がその内容であり,経緯と目的等は解題に次のよ
工芸教育推進者」について。次の5人に関する記
うに示されている。「昭和二十七年十一月から十
載がある。阿部七五三吉先生(長谷喜久一),山
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『工作・工芸教育百周年記念誌』(1986年)の意義と研究課題
形寛先生(斎藤清),三苫正雄先生(長南光男),
のは考え過ぎだろうか。新人類といわれる若者た
桧原郁二先生(宮脇理),阿妻知幸先生(松岡忠雄)。
ちの流れのまゝに進むことに一抹の不安を感ずる
記載内容の一部を次に示した。「阿部七五三吉先
のも年のせいだけであろうか」(桑沢デザイン研
生:手工教育の創生期の上原六四郎,後藤牧太,
究所長高山正喜久)。第七は「工作・工芸・デザ
岡山秀吉先生方に続いてその黎明期の中軸となっ
イン教育101年に向けて」。7名(小池岩太郎,真
てご活躍された先生です」(長谷喜久一)。「山形
鍋一男,樋口 敏生,村上暁郎,榎原弘二郎,藤
寛先生:文部省に入るや,終戦前の国民教育局に
沢英昭,池辺国彦)による見解が提起されている。
あって『師範図画』の刊行,そして終戦後の教育
一例を以下に示した。「工芸の教育は『工芸する』
局にあっては,当時の最も混迷していた時代に,
ことの全過程の実践にこそ意義がある。そこには
小・中学校の『学習指導要領図画工作科編(昭和
科学性あり,芸術性あり,又社会性あり,その意
二十二年刊)』の編纂に当たった」(斎藤清)。「三
味で,工芸は素朴ながら全教科を備につなぐ全人
苫正雄先生:先生の教育に対する構想は,いつも
教育と言えるのだが,又その多面性の故に時流に
広い視野のうえにたっておられたが,この会議か
押されたり,踊らされることも容易だからである。
ら(昭和十二年・第八回国際美術教育会議・パ
特にこれから一層の高科学,ハイテクなどと言わ
リ),芸術と技術に関する結合の信念を一層深め
れる世紀末に入り,既に台頭しているポストモダ
られたものと思われる」(長南光男)。「松原郁二
ンを掲げる耽美的様式の誘惑もある。それらに揺
先生:主著に『図画教育』『工作精義』『美術教育
り動かされて,工芸による教育の根元を見失うよ
法』など多数,第十七回国際美術教育会議(東京)
うなことがあってはならないと思うのである。工
で『造形教育の理念と構造』を発表,今日の造形
芸の教育は出来れば山野を駆け巡っての材料調達
教育の基底として多くの人々の思考背景となって
から,人と生活への愛情をこめての工夫,製作,
いる」(宮脇理)。「阿妻知幸先生:先生は,早く
そして活用。要は人間始原の活動全てを復習する
から機能的工芸への反省として人間性,人間化要
ことであり,そのことによって素朴で健全な人間
素の導入と第二造形教育分野を設け従来のインダ
性の維持と高揚を期すべき教科である。知識水準
ストリアルアートからインダストリアルデザイン
が高いなどとうそぶくよりは,人間味豊かだと誇
指向を強調され造形教育界に多くの示唆を与えら
れる教科にすることが今一番大切なことに思え
れた」(桧岡忠雄)。第六は「碇言」。8名の関係
る。百一年は,工芸教育による人間復興の採点に
者(五十嵐治也,高山正喜久,井岡友諒,長南光
してはどうであろうか」(東京芸術大学名誉教授
男,森市桧,石原英雄,西浦坦,木下洋次)によ
小池岩太郎)。第八は「筑波大学造形芸術教育研
る提言が示されている。例えば,次のような内容
究会の構成と活動」について(桧岡忠雄)。筑波
である。「これからの工作・工芸教育では単なる
大学造形芸術教育研究会は「工作・工芸教育百年
表現力の啓発だけではなく,「物と人間」という
の会」の母体となった研究会であり,その発会趣
精神面の教育が必要かと思っている。今地球的規
旨,活動内容,構成(会長:桧岡忠雄・事務局長
模で資源の問題が浮かび上がっているが物を単に
:橋本光明・研究企画委員:宮脇理・長南光男・
人間の欲望を満たす消費財としてではなく人間同
樋口敏生・井岡友諒,研究推進委員長:小山栄一
様,物にも命があり八百万神(ヤオヨロズノカミ)
郎,研究部長:西浦坦他全附属教官),事務局等
として面巳った先祖の心を今一度ふり返ってみる必
について述べられている。さらに「『工作・工芸
要はないだろうか。このような考えのもとに創造
教育百年の会』の発足について」として趣意書や
性や造形感覚や技能という表現力の基を育てゝい
発起人,記念行事,会則,構成(会長,実行委員
かないと人間本位の自然破壊は加速度的に進み人
長等)に関しても記述されている。
類の危機が急速にやってくるのではないかと思う
269
『工作・工芸教育百周年記念誌』(1986年)の意義と研究課題
ている様々な立場の人とものづくり教育のあり方
様々な不自由さから解放されて,新しい時代の人
について検討し提案する場が必要であるという提
間教養えの大道建設の一環として工作教育の精神
案である。「会員名簿」は1987(昭和62)年(特
と,そしてその道を見出すことに専念することが
別会員・会員・会友:計164名,団体・法人会員
できた。又,図画科教育法の参加者との合同研究
:計3社)と1989(平成元)年(特別会員・会員・
もしばしば行なわれたので,各その独自の姿と強
準会員・会友:計184名,団体・法人会員:計5
調混沌たる美術教育の真の姿とがよく理解され,
社)のものである。しかしその後の活動がどのよ
行手に多くの光明を見出すことの多かったことを
うに推移していったのか,そのことにかかわる資
よろこぶものである」(昭和27年12月20日,三苫
料がほとんどない。また企業と教育運動との違い
正雄,阿妻知幸)。戦後下作・T芸教育の出発点
はあるが同じ時期にものづくりの価値に着目して
におけるこうした先達の業績を図画科教育とも関
スタートし今も続いている東急ハンズと比較すれ
連させながらその詳細を明らかにしたいと考え
ば継続性という点でどのような相違点があったの
る。
か。ハンド101設立の意義と今後の展望を明らか
にするためにもそれらに関連する資料収集が不可
欠である。
(2)アメリカ教育使節団とIFEL(教育指導者
講「図画科教育」「工作科教育」)との関係に
ついての考察
このことに関連する基本文献としては,前述し
(3)cHARLES ALPHEUS BENNETT 著
『HISTORYol=MANUALandlNDUSTRIAL
EDUCAT10Nupto1870』『HISTORYof
MANUAL andlNDUSTRIAL EDUCAT10N
1870to1917』の翻訳
一冊目のチャールズ・A・ベネット著
『HISTORYofMANUALandINDUSTRIAL
た奥田真丈監修,生江義男・伊藤信隆・佐藤照
EDUCATIONupto1870』は全体で461頁。1870
雄・瀬戸仁・宮脇理編集『教科教育百年史』建吊
年までのヨーロッパやアメリカにおけるものづく
社,教科教育百年史編集委員会編『原典対訳米国
り教育にかかわる内容が11項目(第1章∼第11章)
教育使節団報告者』(建吊社)13),『第9回後期教
にそいながら述べられている。二冊目の
育指導者講習研究集録図画科教育:東京教育大学
:昭和27年度教育指導者講習』,『第9回後期教育
『HISTORYofMANUALandINDUSTRIAL
EDUCATION1870to1917』は全体で566頁。一
指導者講習研究集録工作科教育:東京教育大学:
冊目の続編であり1870年から1917年までのヨー
昭和27年度教育指導者講習』14)などがある。上記
ロッパヤアメリカにおけるものづくり教育の要点
の「研究集録工作科教育」の「序文」には厳しい
が13項目(第1章∼第13章)にわたって示されて
財政事情にもかかわらず意義のある教育指導者講
いる。例えば,第2章「TheSloydofScandinavia」
習になったことが次のように記されている。「受
はフィンランド,スウェーデン,ノルウェー,デ
講者の旅費も宿泊費滞在費も研究費も全く出なく
ンマークにおけるものづくり教育の状況を次の各
なり自費をもってすることになった。これは受講
項にそって記述したものである。「Homesloyd」
者にとっては,これまで一度も美術教育に関する
「Eary sloyd schooIs」「Sloydin the fork
IFELがなかったばかりでなく,最後に行なわ
schooIsofFinland」「Sloydinthenormalschool
れることになったかと思えば自費で一切をやらね
establishedbyCygnaeus」「Salomonandthe
ばならぬという誠に気の毒の至りとなった。かか
schooIsatNaas」「lミducationalsloyd」「General
る事情にもかかわらず受講者の全員も講師も関係
characteristicsofeducationalsloyd」「Theaims
者一同も全く未だかつてない全力をあげて充実し
Ofeducationalsloyd」「EquipmentforSwdish
た成果をあげた。美術教育特にそのうちでも工作
sloyd」「Thesloydmodels」。翻訳が終了すれば,
面の教育に従事している参加者一同は,従来の
歴史的・国際的な広い視野から我が国の現状を検
273
佐 藤 昌 彦
討することが可能となり,手工・工作・工芸・デ
の寄贈を受けた。宮脇理氏:芸術学博士。略歴:北海
ザインを通したものづくり教育の発展に大きく貢
道学芸大学(現・北海道教育大学)専任講師(岩見沢),
東京教育大学附属小学校教諭,福島大学助教授,文部
献できるものと考える。
省初等中等教育局中学校・高等学校教育課教科調査官,
岡山人学教授,横浜国立人学教授,筑波人学教授,佐
賀大学教授,中華人民共和国・華東師範大学(上海)
5 おわりに
顧問教授,中華人民共和国・厘門(アモイ)大学客座
以上,本研究では戦後工作・工芸教育史研究の
一環として『工作・工芸教育百周年記念誌』(工
教授。
2)山形寛『日本美術数青史』黎明書房,1988。
3)佐藤昌彦「授業過程の構造図における基本的作成プ
作・T芸教育百年の会)の概要,意義,それらを
ロセスの有効性」北海道教育大学実践センター紀要第
踏まえての今後の研究課題について論述した。概
8号,2007,pp.31−39。佐藤昌彦「創作プロセスの
要は発行者としての工作・工芸教育百周年の会と
百周年記念誌の内容を示した。意義としては「戦
探究と造形教材の提案」北海道教育大学紀要教育科学
編58巻第2号,2008,pp.71−80など。
4)奥田真丈監修,生江義男・伊藤信隆・佐藤照雄・瀬
後工作・工芸教育史研究の方向性を探るための貴
戸仁・宮脇理編集『教科教育百年史』建畠社,1985。
重な指標の一つになりうる」という位置づけを提
5)山形寛『日本美術数青史』(復刊第2版)黎明書房,
示した。根拠は3つの視点から述べた(①沿革の
大要,②先達の業績、③研究の課題)。研究課題
としては次の三つ。第一は「ハンド101−ものづ
くり教育協議会」の設立趣旨,活動の経緯,社会
的背景等に関する資料収集。第二はアメリカ教育
使節団とIFEL(教育指導者講習,TheInsti−
tutefor上土ducationLeadership,「図画科教育」「工
作科教育」,1952年)との関係についての考察。
第三は我が国における工作・工芸教育の前史とな
る CHARLES ALPHEUS BENNETT 著
『HISTORYofMANUALandINDUSTRIAL
EDUCATION up to1870』(1926年)及び
『HISTORYofMANUALandINDUSTRIAL
EDUCATION1870to1917』(1937年)の翻訳。
上記の研究課題は,冒頭でも述べたように,戦
後工作・工芸教育の総括にかかわるとともにその
背景にある前史を掘り起こすという重要な意味を
もつものである。この取り組みが将来へ向けての
1988,22−23。
6)宮脇理『工蛮による教育の研究』建畠社,1993。
7)春日明夫『玩具制作の研究一道形教育の歴史と理論
を探る−¶ 日本文教出版,2007。
8)石原英雄・橋本泰幸編著『100年の歴史から21世紀へ
工作・工芸教育の新展開』株式会社ぎょうせい,1987。
9)工作・工芸教育百年の会/会長:長谷喜久一,実行
委員長:長南光男,同副委員長:樋口敏夫・宮脇理,
監事:斎藤清・高山正喜久,事務局長:松岡忠雄,事
務局:小山栄一郎・井同友諒・京野一・岩下親夫・高
橋晃・服部鋼資・岡元和正・橋本時浩,事務局:筑波
大学造形芸術教育研究会内。
10)記念事業に関する記載事項は以下のとおり。1,シ
ンポジュウムの開催一工作・工芸教育の今日的課題一
日時:昭和61年11月8日(土)午後1時より,会場:
筑波大学学校教育部[地下鉄丸ノ内線君荷谷駅下車2
分]/2,工作工芸教育百年記念式典の開催一手工科
創設百周年を記念して−/日時:昭和61年11月8日午
後3時より/会場:君渓会館[君荷谷駅下車2分]/3,
記念祝賀会の開催/日時:記念式典終了後/会場:記
念式典開催会場/4,記念誌の刊行,協賛者・参加者
に配布。
11)『工作・工芸教育百周年記念誌』…発行日:昭和61年
教科の方向性を探り授業の質的改善に資するもの
11月8日。発行者:工作・工芸教育百周年の会/会長:
となるよう検討を重ねていきたい。
長谷喜久一。事務局:筑波大学学校教育部内筑波大学
造形芸術教育研究会内。印刷所:株式会社彩信社(非売
品)。工作・工芸教育百周年記念誌作成委員:長谷喜久
註
一(湘北短期大学教授),長南光男(千葉大学教育学部
教授),松岡忠雄(筑波大学学校教育部助教授),宮脇
1)『工作・工芸教育百周年記念誌』(1986年)は北海道
理(筑波大学芸術学系教授),協力/栗田真司・赤木里
教育大学「宮脇理記念文庫」(札幌校・美術教育学研究
香子・石崎和宏(筑波大学大学院芸術学研究科)。
室)の一冊。美術教育学研究室では2009年12月から2010
12)「ハンド101−ものづくり教育協議会」に関する主な
年1月にかけて宮脇理氏より多数の美術教育関係図書
274
記録は宮脇理氏収蔵資料及び財団法人美育文化協会(編
『工作・工芸教育百周年記念誌』(1986年)の意義と研究課題
集部:大澤秀隆氏)収蔵資料。
13)教科教育百年史編集委員会編『原典対訳米国教育使
節団報告者』建崗社,1985.
14)IFEL(教育指導者講習)研究集録「図画科教育」「工
作科教育」(原本は謄写版印刷)は宮脇理氏収蔵資料。
15)工作・工芸教育の前史となるCHARLES ALPHEUS
BENNETT著『HISTORY of MANUAL andIN−
DUSTRIAL EDUCATION up to1870』(1926年)及
び『HISTORY of MANUAL andINDUSTRIAL
EDUCATION1870to1917』(1937年)は宮脇理氏収
蔵図書。
(札幌校教授)
275
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