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真の 休息を得る

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真の 休息を得る
真の
finding rest
休 息を得る
“Come to Me, all who are heavy burdened
and I will give you rest.” Matthew 11:28
漢字に込められた聖書の物語
真の休息を得る
イエス・キリストの言葉
すべて、疲れた人、
重荷を負っている人は、
わたしのところに來 なさい。
※
わたしがあなたがたを
休ませてあげます。
( マタイの福音書 11 章 28 節)
※
1
ここでは旧字体を使います。
この慈愛に満ちた言葉は、人々の苦しみを知り
彼らを救うことが出来る唯一のお方、イエスに
しか語れない言葉でした。 この言葉には「人」、
「荷」、「來」、「休」という四つの漢字が含まれ
ています。これら四つの漢字を用いて「真の休
息を得る」というメッセージを説明したいと思
います。
人 荷
來
休
2
1. 人とは誰か。
最初に、ここで語られている「人」について考えてみましょう。
イエスが招いているこの「人」とは誰のことでしょうか。 この
文章では、それは「すべて、疲れた人」だとイエスは言ってい
ます。では、疲れた人とは誰ですか。人の歴史について記述し
ている聖書に基づいて考えてみましょう。
聖書の一番初めの書、創世記にはこう書かれています。
初めに、神が天と地を創造した。(創世記1章1節)
神は人をご自分の形として創造された。神の形として彼を創造
し、男と女とに彼らを創造された。(1章 27 節)
神はお造りになったすべてのものを見られた。見よ。それは非
常に良かった(1章 31 節)。
聖書によると、神の創造されたこの世界は素晴らしいものであ
ったはずですが、残念ながら私たちには現実がそれほど素晴ら
しいとは思えません。なぜでしょうか。聖書はこのことについ
て、なんと言っているでしょうか。
神は、
「園の中央には、いのちの木、それから善悪の知識の木を
生えさせた。(2 章 9 節)」とあります。そして、神は男と女にひ
とつの命令を与え、その理由を教えました。
神である主は人に命じて仰せられた。
「あなたは、園のどの木か
らでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは
取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは
必ず死ぬ。」(2 章 16 節-17 節)
3
しかしこの後、蛇が登場して驚くような話しを女にします。
さて、神である主が造られたあらゆる野の獣のうちで、蛇が一
番狡猾であった。蛇は女に言った。
「あなたがたは、園のどんな
木からも食べてはならない、と神は、本当に言われたのですか。」
女は蛇に言った。
「私たちは、園にある木の実を食べてよいので
す。しかし、園の中央にある木の実について、神は、
『あなたが
たは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あ
なたがたが死ぬと行けないからだ』と仰せになりました。」そこ
で、蛇が女に言った。
「あなたがたは決して死にません。あなた
がたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたが
たが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知って
いるのです。」(3 章1節-5 節)
謀
(たくらみ)
蛇は、神が禁じていた「善悪の知識の木」から果実を食べるよ
うにと言葉巧みに女を誘います。
「謀」という漢字は蛇の策略を
表しています。 この漢字の中には、
「言う」、
「甘い」そして「木」
という文字が含まれていることに気づきましたか。 蛇は甘い言
葉で女を誘惑したのです。こうして女は、自分が神のようにな
れるという蛇の嘘にだまされてしまいます。
謀 = 言 甘 木
4
妄想
(もうそう)
そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に
慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。そ
れで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたの
で、夫も食べた。(3 章 6 節)
「妄想」という言葉は二つの漢字によって成り立っていますが、
その中には5つの文字があります。 それは「亡(ほろびる)」、
「女」、「木」、「目」、そして「心」です。 これらの文字を見て
いると、女が立っている園に私たちもいるような気がしてきま
す。
妄想 = 亡 女 木 目 心
「善悪の知識の木」の実を見つめる女の心に、蛇の甘い誘惑の
言葉が入りこんで行きます。死の危険に近づく女に向かって、
私たちは思わず「食べちゃダメだ!」と叫びたくなるでしょう。
ではここで、私たちの人生を振り返ってみましょう。皆さんは、
今までこのような危険な状況に陥ったことがありますか。そし
て、
「もしあの時正しい選択をしていたら」と悔やむことはあり
ませんか。
さて、蛇に誘惑された男と女にとうとう悲劇的なことが起こり
ます。彼らは神に背き、
「善悪の知識の木」の実を食べてしまっ
たのです。その結果、
「神は人を追放して、いのちの木への道を
守るために、エデンの園の東に、ケルビム(天使)と輪を描いて回
5
る炎の剣をおかれ(3 章 24 節)」ました。
咎
(とが)
男と女が「善悪の知識の木」の実を食べたその時、全ての人に
罪が入って来ました。神は罪が入ってしまった人々の状態と罪
について、聖書の中で明確に語っておられます。
私たちは皆、羊のようにさまよい、おのおの、自分勝手な道に
向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負
わせた。(イザヤ書 53 章 6 節)
「咎」というのは罪とか悪事という意味です。漢字を見てみま
しょう。この字の中には「各」という文字があり、その右上に
「人」という文字が乗っています。
「各」という字に比べ、
「人」
のサイズがとても小さくなっています。
咎
=
各 人
この「咎」という字が強調しているのは「各 (おのおの)」であ
り、つまり「全ての人」ということです。
神は人の状態について、さらにはっきりと語っておられます。
義人はいない。ひとりもいない。(ローマ人への手紙 3 章 10 節)
すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受ける事が出
来ず・・・(ローマ人への手紙 3 章 23 節)
これらの言葉から、イエスが言った「すべて、疲れた人」とは、
罪が入ってしまった全ての人だと分かります。イエスの「私の
ところに来なさい」と言う呼びかけの言葉は、全ての人に対す
6
る神からの招きの言葉なのです。
2. 荷 (重荷を負っている人)
神が罪に対する罰を人類に与えられた時、つまり、歴史上初め
て人類に重荷が課せられた時、二つのことが起こりました。
一つ目は、人の命が野の草のように儚(はかな)くなったことで
す。
「荷」という漢字の部首は草冠で、この草は人の命の儚さを
象徴しています。アダムとエバが「善悪の知識の木」の実を食
べた時から、全ての人はいずれ死ぬことになりました。
人の日は、草のよう。野の花のように咲く。風がそこを過ぎる
と、それは、もはやない。その場所すら、それを、知らない。(詩
篇 103 篇 15 節-16 節)
荷 = 艹 何
二つ目は、自分の罪を認識するようになったことです。善悪の
知識の木の実を食べてしまった男と女は、園の中を歩く神が「あ
なたはどこにいるのか(創世記 2 章 9 節)」と語りかける言葉を聞
いた時、神の御顔を避けて隠れました。
「荷」の下の部分の「何」は、
「いつ、どこで、なぜ、どのよう
に」という問いかけを意味します。罪を犯した人は、神からの
問いかけに正しく応答が出来なくなりました。それは、神から
の問いかけが、私たちが罪を犯したという事実を思い出させ苦
しめるからです。この苦しみは私たちの受ける罰なのです。誰
かに悪いことをしてしまった時、私たちは自分の罪を認めて謝
るべきです。同じように、神に対する正しい応答は、私たちの
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悔い改めなのです。
人は、自分の罪を認めて悔い改めるか、それとも悔い改めずに
罪の重荷を負い続けるかの、いずれかの選択を迫られます。
「荷」と言う漢字を別の視点から注意深く見ると、左下に「人」
という部首が使われているのが分かります。この「人」という
部首をなくしたら、この字がどうなるか見てみましょう。漢字
として成立しますか。
そうです、「苛(さいな)む」という漢字になります。
荷 = 亻 苛
昔は重い荷物を運ぶ仕事は馬やロバがしていました。でも、
「荷」
という漢字は重荷を負うのが人であることを示し、しかも、そ
の苦痛は心が苛まれる程に重いことを表しています。
「荷」を見ていると、この苦痛が人を取り巻き押しつぶしてい
るかのようです。
冒頭でお話しした、
「神の創造された世界は素晴らしかったのに、
なぜ現実はそうではないのか」という疑問に対する答えはここ
にあります。人が犯した罪のゆえに、命は短くなり、人生の苦
痛が増えてしまったのです。でも、神には解決策があります。
神の福音(良い知らせ)とは、罪のゆえに重荷を課せられた人に対
し、その解決策を語っているものです。ですから、決して希望
を捨ててはいけません。
8
3.來(わたしのところに来なさい)
ここで紹介する「來」という漢字は、現在使われている「来」
の旧字体です。 この漢字の中には何人の人がいますか。少なく
とも二人はいますね。実は三人います。 十字架の真ん中に大き
な人が一人いて、その両側に小さな人が一人ずついるからです。
聖書には、イエスが十字架刑に処せられた時の様子が詳しく書
かれています。イエスは二人の強盗の間に架けられました。聖
書は、
「そのとき、イエスといっしょに、ふたりの強盗が、一人
は右に、一人は左に十字架につけられた。(マタイ 27 章 38 節)」
と記録しています。 この漢字の中の小さい二人の人は、罪ある
人の最期の姿を表しています。
つまり、全ての人がいずれは肉体的に死ぬということです。こ
の事実を変えることは誰にも出来ません。しかし、肉体の死後
に私たちがどこに行くのかは、私たちの選択にかかっています。
それは、神から私たちに無償で与えられた贈り物を受けとるか
否かにかかっているのです。そして、これが神の解決法です。
私たちの罪のために十字架上で死なれたイエスの犠牲は、私た
ちへの神からの無償のプレゼントでした。 私たちのすべきこと
は唯一つ、自分が死に値する罪人だと認めて、イエスを通して
与えられた神からの無償のプレゼントを受け取るだけなのです。
十字架上で交わされた二人の強盗とイエスの会話には、神から
の贈り物のこと、そして私たちに与えられた選択肢のことが書
かれています。強盗は二人とも死にましたが、彼らの選択が死
後の行先を変えました。一人は罪のないイエスの犠牲によって
自分の罪が完全に取り除かれることに気づき、自分の罪を認め
9
て
救いを求めました。彼はイエスと共に神の御国に入りましたが、
もう一人は自分の罪を認めずに死に、神の御国に入ることが出
来ませんでした。
この選択肢は、全ての人に与えられています。この世の人々は
最終的にどちらかに進むのです。
③
「來」と言う漢字の書き
順を通して、イエスが十
字架にかけられた出来事
を説明します。 まずは一
度、右の書き順に沿って
「來」の文字をなぞって
みて下さい。
①
②
④
②’
④’
「來」に含まれているメッセージはこうです。
① 唯一の聖なる神は
② 人々のために
③ 十字架に
④ 人々の罪を取り除く人となって来られた神の小羊、
イエス・キリストをかけられた。
「來」と言う漢字は、イエス・キリストの「わたしのところに
来なさい、わたしがあなたの罪を取り除いてあげよう」との招
10
きを表しています。
4.休 (わたしがあなたがたを
休ませてあげます。)
最後に、「休」という漢字について見ていきましょう。
人が罪を犯す以前、神はエデンの園を作り、アダムとエバをそ
こに置いて園を管理させました。彼らは一日働いた後、涼しい
時間に園で休みました。これがエデンの園に住んでいた人の姿
だったです。
「休」という漢字は二つの文字で出来ています。人
が木の隣りに立っています。 太陽の下で一日働いた後、木の下
で休むという光景を思い浮かべることができるでしょう。この
光景は「休」の意味をよく表しています。
しかし、人が神に背いて禁じられていた「善悪の知識の木」か
ら食べてしまったので、神は彼らを楽園から追放し、「炎の剣」
によって彼らを「いのちの木」から遠ざけました。
「いのちの木」
への道は完全に閉ざされたのです。
エデンの園での出来事のずっと後になって、神はイスラエルの
民に幕屋を作るように命じました。幕屋とは神が住まわれる移
動式の建物で、イスラエルの民はここで神を礼拝しました。幕
屋を作成するにあたり神が示した設計図には、幕屋の中の「至
聖所」という神が留まる特別な部屋を、人が礼拝する場所から
仕切って隔てるための大きな幕が含まれていました。イスラエ
ルの民は「至聖所」に勝手に入ることを禁じられたのです。
「至聖所」を仕切っていたこの大きな幕は、
「いのちの木」があ
る園に人が近づけないようにした「炎の剣」と同じ意味を持ち、
11
聖なる唯一の神から罪深い人を遠ざけるものでした。
では、幕屋の中と同じように、
「休」の漢字の中の「人」と「木」
の間に幕があると仮定してみましょう。
亻
木
自分が「休」という漢字の「人」という部分だと想像してみて
下さい。 木と自分を隔てている幕に近づいて、その小さな小さ
な繊維の四角い部分を覗いてみると、木が見えて来るでしょう。
困
「困る」という漢字は囲われている木を表してい
ます。人類が歴史上初めて困難を覚えたのは、
「い
のちの木」への道が閉ざされた時でした。しかし
その時、人はそれがどれほど深刻な事であったか
を理解していませんでした。
囚
反対に「いのちの木」の側、つまり神の側からこ
の幕の小さな繊維の四角を通して人を覗くと、そ
れは「囚」という字になります。これが神の目か
ら見た私たちの状況です。人は判決を待っている
囚人であり、その判決は死刑なのです。
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囚人となった人を解放する方法は、神だけが知っています。そ
れは、神の御子イエス・キリストの死によって、神と私たちを
隔てていた幕を取り除き、私たちが神に近づくことが出来るよ
うにするという方法でした。実際、キリストが十字架上で死ん
だ時、神が臨在する「至聖所」と人とを隔てていた幕は、上か
ら下まで真っ二つに裂けてしまいました。(マタイ 27 章 51 節)
「困」という漢字が示す人々が困難に陥っている状態、そして
「囚」が示す人々の囚われている状態は、解決可能なのです。
なぜなら、神がそこから脱出する方法を、イエスによって私た
ちに与えて下さったからです。このことを知ると、
「休」という
漢字がありふれた木の横に人がただ立っているだけという絵に
は見えなくなってくるはずです。
自分の罪の重荷に気づいた人は、イエスの十字架の元に来て真
の休息を得ることが出来るのです。
13
結論
福音とは、全ての人の代わりにイエスが自らを犠牲として十字
架に架けられ死なれたこと、そして、このことを通して全ての
人に永遠の命である「いのちの木」への道を再び開いて下さっ
たというメッセージです。キリストは私たちのために十字架に
つけられました。イエスはほふられた神の小羊であり、その血
が死刑判決を受けた私たちを無罪放免するための代価だったの
です。
では、人はどのようにして真の「休息」を得ることが出来るの
でしょうか。イエスが私たちのすべき事を聖書の中で語ってい
ます。
イエスはこのような話しをされました。
ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせ
ず、自分の胸をたたいて言った。
「神さま。こんな罪人の私をあ
われんでください。」あなたがたに言うが、この人が、義と認め
られて家に帰りました。(ルカの福音書 18 章 13-14a 節)
また、聖書はこうも言っています。
もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方
ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちを清めてくだ
さいます。(第一ヨハネの手紙 1 章 9 節)
これは、全ての人に与えられた福音のメッセージです。イエス
が自分の罪ために死んで下さったことを認め信じる時、初めて
人は罪の重荷から解放され、真の「休息」を得るのです。
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作者:
ケント・シスコ
発行: RIBOZUM PRESS
2016 年 6 月発行
©Kent Sicso2016 聖書 新改訳©1970,1978,2003 新日本聖書刊行会
E-mail: [email protected]
URL: to be ready soon J
作者紹介:
宣教師の子として十代を日本で過ごす。
漢字に強い興味を持ち、漢字に込められ
た聖書の物語を解き明かすことに情熱
を注ぐ。現在アメリカ在住、ソフトウェ
アの開発会社経営。
日本では「キリスト教」というと西洋の宗教と思われがちです
が、聖書には「地上のすべての民族」がアブラハムの子孫によ
って祝福されると書かれています。(創世記 12:3 と 28:14、使徒
の働き 3:25) 神の福音は日本人も含むすべての人に向けて語ら
れているのです。
この冊子を通して、漢字が語る聖書の物語が多くの人に伝わる
ことを願っています。
finding rest
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