...

対馬市教育委員会 文化財課

by user

on
Category: Documents
83

views

Report

Comments

Transcript

対馬市教育委員会 文化財課
対馬文化財図録
2010
ツシマヤマネコ
国指定天然記念物
(環境省 対馬野生生物保護センター提供)
昭和4
6年5月1
9日
対馬全域
対馬の北部を中心に生息するツシマヤマネコは、日本のネコとして
はイエネコを除けば西表島のイリオモテヤマネコの2種のヤマネコ
だけである。生息数は激減の一途をたどり、環境省のレッドデータ
ブックに絶滅危惧種の最上位に位置づけられている。2
0
0
9年1
2月、
厳原町小浦で雄のツシマヤマネコ(1,
1
3
0!)が保護された。下島
で成体が保護されたのは2
5年以上ぶりであった。
○対馬野生生物保護センター(上県町棹埼)で見学可能。
平成22年3月発行
対馬市教育委員会 文化財課
定価 500円
〒817-0322 長崎県対馬市美津島町 知甲1287番地1
平成22年3月発行
TEL0920-54-2341 FAX 0920-54-4046
対馬市教育委員会 文化財課
対馬市文化財図録 表紙1−4 CMYK 宮副 中村 柴田
背は2ミリ
(決*柴)
はじめに
このたび発刊の運びとなりました「対馬市文化財図録」は、合併前の旧6町の指定文
化財を一つにまとめ刊行したものです。文化財の冊子としては、市の発足と同時に「歴
史の散歩道」(3部作)を作成し、普及・情報発信に努めて参りました。対馬市の国・
県指定文化財は県下で長崎市に次ぐ数を有しています。また、市の指定文化財は1
2
3件
を有し、その一つひとつが特徴のある貴重な文化財ばかりです。対馬にしか生息しない
ツシマヤマネコ、天然のリアス式海岸「浅茅湾」、大陸との交流を示す朝鮮半島産の「陶
質土器」
、「銅造如来座像」をはじめとする新羅・高麗時代の渡来仏、原始林に自生する
「イワシデ」などの大陸系植物など例を上げると際限がありません。そのため、図録中
に収めきれない文化財も数多くあります。対馬市の面積は7
0
8.
8
4!と佐渡島、奄美大島
に次ぐ大きさで、九州管内の市町では最大です。広い市内に点在する文化財の管理は、
地域住民の方々のご協力が無くては不可能です。人口が確実に減少している今日、文化
財の保護は今後の最重要課題と言えます。地元の歴史・文化を正しく、確実に継承する
ため、情報発信に努めるとともに各種事業を展開して参ります。
図録作成にあたり、ご協力いただきました関係者の皆様に衷心より御礼申し上げます。
本誌が文化財保護・活用の一助となり、関心を高め、守り、未来へ伝える役割を担う
対馬学の手引書となれば幸甚に存じます。
平成2
2年2月
対馬市教育委員会教育長
3
河合
徹
目
次
厳原町
………1
0
清水山城跡
国指定史跡
………1
0
対馬藩主宗家墓所
国指定史跡
………1
1
金石城跡
国指定史跡
………1
1
矢立山古墳群
国指定史跡
………1
1
主藤家住宅
国指定重要文化財
………1
2
龍良山原始林
国指定天然記念物
………1
2
多久頭魂神社梵鐘
国指定重要文化財
………1
2
多久頭魂神社金鼓
国指定重要文化財
………1
3
旧清玄寺梵鐘
国指定重要文化財
………1
3
旧金石城庭園
国指定名勝
………1
3
椎根の石屋根倉庫
県指定有形文化財
………1
4
醴泉院の涅槃図
県指定有形文化財
………1
4
対馬藩お船江跡
県指定史跡
………1
4
美津島町
………1
5
金田城跡
国指定特別史跡
………1
5
朝鮮国告身
国指定重要文化財
………1
6
根曽古墳群
国指定史跡
………1
6
洲藻白嶽原始林
国指定天然記念物
………1
6
銅造如来坐像(黒瀬観音堂)
国指定重要文化財
………1
7
サイノヤマ古墳
県指定史跡
………1
7
出居塚古墳
県指定史跡
………1
7
かがり松鼻遺跡出土遺物一括
県指定有形文化財
………1
8
大船越瀬戸堀切由来の碑
市指定史跡
………1
8
越前五郎の墓
市指定史跡
………1
8
!知上の町のイヌマキ
市指定天然記念物
………1
8
豊玉町
………1
9
観音寺の観世音菩薩坐像
県指定有形文化財
………2
0
東泉寺の五部大乗経
県指定有形文化財
………2
0
豊玉の猪垣
県指定有形民俗文化財
………2
0
千尋藻の漣痕
県指定天然記念物
………2
0
六御前神社のイチョウ
県指定天然記念物
………2
1
豊玉の和多都美神社社叢
県指定天然記念物
………2
1
対馬唐洲の大ソテツ
県指定天然記念物
………2
1
佐保橋
市指定有形文化財
………2
1
4
峰町
………2
2
銅造如来立像(海神神社)
国指定重要文化財
………2
2
命婦の舞
国選択無形民俗文化財
………2
3
恵比寿山遺跡出土遺物1
3
4点
県指定有形文化財
………2
3
海神神社木造仮面!
県指定有形文化財
………2
3
円通寺銅造薬師如来坐像
県指定有形文化財
………2
4
円通寺梵鐘
県指定有形文化財
………2
4
普光寺銅造如来坐像
県指定有形文化財
………2
4
対馬円通寺宗家墓地
県指定史跡
………2
4
上県町
………2
5
御嶽鳥類繁殖地
国指定天然記念物
………2
5
松浦桂川墓及び碑
市指定史跡
………2
6
越高遺跡
市指定史跡
………2
6
志多留貝塚
市指定史跡
………2
6
鯨納屋跡と墓地
市指定史跡
………2
6
上対馬町
………2
7
塔の首遺跡
国指定史跡
………2
8
鰐浦ヒトツバタゴ自生地
国指定天然記念物
………2
8
朝日山古墳群
市指定史跡
………2
8
長松寺の高麗版大般若経
県指定有形文化財
………2
9
西福寺の元版大般若経
県指定有形文化財
………2
9
対馬琴のイチョウ
県指定天然記念物
………2
9
霹靂神社懸仏
市指定有形文化財
………2
9
国選択無形民俗文化財
………3
0
豆酘の赤米行事
………3
0
対馬の亀卜習俗
………3
0
対馬厳原の盆踊り
………3
0
(表紙使用写真)
オ オ キ ド ジンジャヒロサキセイドウホコ
右上
(大吉戸神社広鋒青銅矛)
ツ シ マ ハンシュソウ ケ
ボ ショ
対馬藩主宗家墓所
レイセイイン
ネ ハン ズ
醴泉院の涅槃図
ツ
ツ
アカゴメギョウ ジ
豆酘の赤米行事
カネ ダ ジョウアト
金田城跡山頂
ツ シ マ キン
ホウセイ ジ
コクブン ジ サンモン
対馬琴のイチョウ
法清寺木彫仏像
国分寺山門
ドウゾウニョライリュウゾウ
カイジンジンジャ
左下
(銅造如来立像:海神神社)
5
指定文化財(国・県・市)一覧
対馬市には、大陸文化そして九州本土の文化の交流地点として、他地域にはあまり見ら
れない独特な遺跡、文化伝統が存在してきた。指定文化財についても、国指定、県指定文
化財が多数存在し、その後世への継承は私達の大きな使命となっている。
! 国指定文化財
番号
種
別
名
称
所 在 地
指定年月日
所
有
1
重
文
主藤家住宅
厳原町豆酘
S4
4.
3.
1
2 主藤長太郎
2
重
文
多久頭魂神社梵鐘
厳原町豆酘
S5
0.
6.
1
2 多久頭魂神社
3
重
文
多久頭魂神社金鼓
厳原町豆酘
S5
0.
6.
1
2 多久頭魂神社
4
重
文
旧清玄寺梵鐘
厳原町今屋敷
S5
0.
6.
1
2 対馬市
5
史
跡
清水山城跡
厳原町西里
S5
9.
1
2.
6
6
史
跡
対馬藩主宗家墓所
厳原町西里
S6
0.
2.
1
8 万松院
7
史
跡
金石城跡
厳原町今屋敷
H7.
3.
2
8 対馬市
8
史
跡
矢立山古墳
厳原町下原
S5
1.
1
2.
2
7 対馬市・斉藤氏
9
天 然 記
龍良山原始林
厳原町豆酘
T1
2.
3.
7
国
1
0
重
文
銅造如来坐像
美津島町黒瀬
S5
6.
6.
9
黒瀬観音堂
1
1
重
文
朝鮮国告身
美津島町尾崎
S4
9.
6.
8
早田氏
1
2
史
跡
根曽古墳群
美津島町!知
S5
1.
2.
2
4 対馬市
1
3
特別史跡
金田城跡
美津島町黒瀬
S5
7.
3.
2
3 対馬市
1
4
天 然 記
洲藻白嶽原始林
美津島町洲藻
T1
2.
3.
7
国
1
5
重
銅造如来立像
峰町木坂
S4
9.
6.
8
海神神社
1
6
天 然 記
御嶽鳥類繁殖地
上県町瀬田
S4
7.
6.
2
0 国
1
7
史
塔の首遺跡
上対馬町古里
S5
2.
2.
1
7 山原/古里氏
1
8
天 然 記
鰐浦ヒトツバタゴ自生地
上対馬町鰐浦
S3.
1.
1
8 宮原氏他
1
9
天 然 記
ツシマヤマネコ
全域
S4
6.
5.
1
9
2
0
天 然 記
ツシマテン
全域
S4
6.
6.
2
8
2
1
名
旧金石城庭園
厳原町今屋敷
H1
9.
2.
6
文
跡
勝
者
対馬市
対馬市
" 記録作成等の措置を講ずべき無形民俗文化財の選択(国選択)
番号
種
別
名
称
所 在 地
指定年月日
所
1
民
俗
対馬の亀卜習俗
厳原町豆酘
S5
4.
1
2.
8
2
民
俗
対馬厳原の盆踊り
厳原町豆酘
H9.
1
2.
4
3
民
俗
豆酘の赤米行事
厳原町豆酘
H1
4.
1.
1
8
4
民
俗
美津島の盆踊り
美津島町
S5
6.
1
2.
2
4 伝承区
5
民
俗
命婦の舞
仁位、木坂
H8.
1
1.
2
8 島居氏
有
者
岩佐氏
6
! 県指定文化財
番号
7
種
別
名
称
所 在 地
指定年月日
所
有
1
有
形
旧日新館門
厳原町桟原
S4
5.
1
0.
6
対馬市
2
有
形
椎根の石屋根倉庫
厳原町椎根
S5
2.
1.
1
1 桐谷氏
3
有
形
今屋敷の防火壁
厳原町今屋敷
S6
1.
1.
1
0 海地氏
4
有
形
醴泉院の涅槃図
厳原町今屋敷
S5
5.
2.
2
9 醴泉院
5
有
形
醴泉院の釈迦十六善神図
厳原町今屋敷
S5
5.
2.
2
9 醴泉院
6
有
形
朝鮮国信使絵巻
厳原町今屋敷
S5
5.
2.
2
9 醴泉院
7
有
形
太平寺の梵鐘
厳原町中村
S3
9.
1
0.
1
6 太平寺
8
有
形
法清寺の木彫仏像(1
5躯)
厳原町樫根
S4
8.
5.
1
8 法清寺
9
有
形
大興寺の銅造如来形坐像
厳原町久根浜
S5
5.
1
0.
2
4 大興寺
1
0
有
形
大興寺の銅造誕生仏
厳原町久根浜
S5
5.
1
0.
2
4 大興寺
1
1
有
形
法清寺の銅造菩薩立像
厳原町樫根
S6
1.
1.
1
0 法清寺
1
2
有
形
福泉寺の金銅如来立像
厳原町久根田舎
H5.
2.
2
4 福泉寺
1
3
有
形
法清寺観音堂の千手観音立像
厳原町樫根
S6
3.
9.
3
0 法清寺
1
4
有
形
多久頭魂神社大蔵経
厳原町豆酘
S6
1.
8.
2
9 多久頭魂神社
1
5
史
跡
対馬藩お船江跡
厳原町久田
S4
4.
4.
2
1 長氏
1
6
埋
文
豆酘寺門樫ぼの遺跡
厳原町豆酘
H8.
3.
1
8 多久頭魂神社
1
7
天 然 記
万松院の大スギ
厳原町西里
S4
1.
5.
2
6 万松院
1
8
天 然 記
キタタキ剥製標本
厳原町今屋敷
S3
8.
3.
2
7 対馬市
1
9
天 然 記
阿須川のアキマドボタル生息地
厳原町北里
S4
1.
5.
2
6 対馬市
2
0
有
形
大吉戸神社の広鋒青銅矛"
美津島町黒瀬
H1
4.
2.
2
6 大吉戸神社
2
1
有
形
かがり松鼻遺跡出土品!
美津島町!知
H2.
1
1.
1
6 対馬市
2
2
史
跡
出居塚古墳
美津島町!知
H1
4.
2.
2
6 大塔氏他
2
3
史
跡
サイノヤマ古墳
美津島町!知
H1
7.
3.
2
5 米田氏他
2
4
有
形
観音寺の観世音菩薩坐像
豊玉町小綱
S4
8.
5.
1
8 観音寺
2
5
有
形
東泉寺の五部大乗経
豊玉町仁位
S6
3.
9.
3
0 東泉寺
2
6
有形民俗
豊玉の猪垣
豊玉町横浦
S4
8.
2.
6
2
7
天 然 記
千尋藻の漣痕
豊玉町千尋藻
S4
1.
5.
2
6 原田氏
2
8
天 然 記
六御前神社のイチョウ
豊玉町千尋藻
S4
7.
8.
1
5 六御前神社
2
9
天 然 記
豊玉の和多都美神社社叢
豊玉町仁位
S5
1.
2.
2
4 和多都美神社
3
0
天 然 記
対馬唐洲の大ソテツ
豊玉町千尋藻
S5
3.
3.
3
1 青木氏
3
1
有
形
恵比寿山遺跡出土遺物1
3
4
峰町吉田
S4
9.
9.
6
対馬市
3
2
有
形
海神神社木造仮面!
峰町木坂
S4
9.
7.
2
海神神社
3
3
有
形
円通寺銅造薬師如来坐像
峰町佐賀
S5
0.
1.
7
円通寺
3
4
有
形
円通寺梵鐘
峰町佐賀
S5
0.
1.
7
円通寺
3
5
有
形
普光寺銅造如来坐像
峰町吉田
S5
0.
3.
4
普光寺
3
6
史
跡
対馬円通寺宗家墓地
峰町佐賀
S4
9.
7.
2
円通寺
3
7
天 然 記
対馬海神神社の社叢
峰町木坂
S5
0.
9.
2
海神神社
3
8
有
形
長松寺の高麗版大般若経
上対馬町琴
S6
0.
2.
2
7 長松寺
3
9
有
形
西福寺の元版大般若経
上対馬町西泊
S6
1.
8.
2
9 西福寺
4
0
天 然 記
対馬琴のイチョウ
上対馬町琴
S3
6.
1
1.
2
4 対馬市
4
1
有
形
青磁陽刻牡丹唐草文瓶
厳原町豆酘
H1
8.
3.
2
多久頭魂神社
4
2
有
形
朝鮮国告身(小野家伝来)
厳原町今屋敷
H1
9.
3.
2
長崎県
横瀬氏他
者
対馬市指定文化財一覧
番号
1
2
3
4
5
6
7
8
9
1
0
1
1
1
2
1
3
1
4
1
5
1
6
1
7
1
8
1
9
2
0
2
1
2
2
2
3
2
4
2
5
2
6
2
7
2
8
2
9
3
0
3
1
3
2
3
3
3
4
3
5
3
6
3
7
3
8
3
9
4
0
4
1
4
2
4
3
4
4
4
5
4
6
4
7
4
8
4
9
5
0
5
1
5
2
5
3
5
4
5
5
5
6
5
7
種 別
史
跡
史
跡
史
跡
史
跡
史
跡
史
跡
史
跡
史
跡
史
跡
史
跡
史
跡
史
跡
史
跡
史
跡
史
跡
史
跡
史
跡
史
跡
史
跡
史
跡
史
跡
史
跡
史
跡
史
跡
史
跡
史
跡
史
跡
史
跡
史
跡
史
跡
史
跡
史
跡
史
跡
名
勝
名
勝
天然記念物
天然記念物
天然記念物
天然記念物
天然記念物
天然記念物
無形民俗
無形民俗
無形民俗
無形民俗
有形民俗
有形民俗
有形民俗
有形民俗
有形民俗
有形民俗
有
形
有
形
有
形
有
形
有
形
有
形
名
称
朝日山古墳群
経隈墳墓
コフノサエ遺跡
古遺愛の碑
松浦桂川墓及び碑
鯨納屋跡と墓地
越高遺跡
志多留貝塚
辰の口堀切
大将軍山古墳
烽火台の跡
百姓一揆の碑(義農小茂田勝治武田文五郎の碑)
甘藷翁原田三郎右衛門碑
白嶽古墳群
賀嶋恕軒蟄居跡
宗甲斐六郎の墓
赤崎遺跡
唐崎遺跡
貝鮒崎古墳
池田の堤
中村の館跡「桜町遺跡」
廻の鯨組墓地
殿様開き遺構仁位浜開田の跡「イビ」
越前五郎の墓
松村安五郎顕彰碑
吉野数之助顕彰碑
大船越瀬戸堀切由来の碑
雨森芳洲の墓
陶山訥庵の墓
松浦霞沼の墓
賀嶋恕軒の墓
御首塚
御胴塚
網代の漣痕
西津屋の漣痕
鰐浦ひとつばたご
ツシマウラボシシジミ繁殖地
ミヤマキリシマ
日吉の大杉
日吉のムクロジ
!知上の町のイヌマキ
亥の子
阿連のオヒデリ祭(本山祭)
頭受け神事と赤米
サンゾーロー祭
藻刈舟(材木舟)
大アンドン
大五徳(オオカノウサマ)
伊奈の捕鯨具一式
越高の神楽面
曽の「力石」
薬師如来坐像及び奉籠物
泉の石剣
唐舟志の青銅矛
唐舟志の青銅鏡
霹靂神社懸仏
西福寺宝篋印塔
所 在 地
上対馬町大増
上対馬町河内
上対馬町唐舟志
上県町佐護北里
上県町仁田
上県町伊奈
上県町越高
上県町志多留
上県町佐護東里
上県町志多留
上県町佐護南里
上県町佐須奈
上県町久原
上県町佐護南里
上県町伊奈
峰町吉田
豊玉町卯麦
豊玉町佐保
豊玉町貝鮒
豊玉町廻
豊玉町仁位
豊玉町廻
豊玉町仁位
美津島町加志
美津島町大船越
美津島町大船越
美津島町大船越
厳原町日吉
厳原町大手橋
厳原町日吉
厳原町久田道
厳原町下原
厳原町樫根
上対馬町網代
上県町西津屋
上対馬町鰐浦
市内一円
上県町西津屋
上県町佐須奈
上県町佐須奈
美津島町!知
豊玉町内
厳原町阿連
厳原町豆酘
厳原町豆酘
上県地区公民館
上県地区公民館
上県地区公民館
上県町伊奈
上県町越高
豊玉町曽
上対馬町豊
上対馬町泉
上対馬町唐舟志
上対馬町唐舟志
上対馬歴民室
上対馬町西泊
指定年月日
所 有 者
H1
7.
5.
1 霹靂神社
H1
7.
5.
1 権藤・阿比留氏
H1
7.
5.
1 糸瀬氏他
H1
7.
5.
1 白石氏
H1
7.
5.
1 宝蔵寺
H1
7.
5.
1 阿比留氏
H1
7.
5.
1 本多氏
H1
7.
5.
1 志多留地区
H1
7.
5.
1 島居氏
H1
7.
5.
1 古藤氏
H1
7.
5.
1 対馬市
H1
7.
5.
1 佐須奈地区
H1
7.
5.
1 久原地区
H1
7.
5.
1 緒方氏
H1
7.
5.
1 野方氏
H1
7.
5.
1 中村氏
H1
7.
5.
1 日高氏
H1
7.
5.
1 長郷氏
H1
7.
5.
1 犬束氏
H1
7.
5.
1 廻地区
H1
7.
5.
1 長崎県
H1
7.
5.
1 廻地区
H1
7.
5.
1 波田氏他
H1
7.
5.
1 岡村氏
H1
7.
5.
1 平間氏
H1
7.
5.
1 平間氏
H1
7.
5.
1 小田氏他
H1
7.
5.
1 長寿院
H1
7.
5.
1 修善寺
H1
7.
5.
1 長寿院
H1
7.
5.
1 海岸寺
H1
7.
5.
1 観音堂
(下原地区)
H1
7.
5.
1 法清寺
H1
7.
5.
1 財部氏
H1
7.
5.
1 姫大神神社
H1
7.
5.
1 鰐浦区民
H1
7.
5.
1 対馬市
H1
7.
5.
1 西光寺
H1
7.
5.
1 嶋大国魂御子神社
H1
7.
5.
1 嶋大国魂御子神社
H1
7.
5.
1 対馬市
H1
7.
5.
1 1
2地区
H1
7.
5.
1 阿連地区
H1
7.
5.
1 頭仲間(保存会)
H1
7.
5.
1 豆酘地区
H1
7.
5.
1 対馬市
H1
7.
5.
1 川本氏
H1
7.
5.
1 原田氏
H1
7.
5.
1 吉竹氏
H1
7.
5.
1 豊田氏
H1
7.
5.
1 嶋之御子神社
H1
7.
5.
1 慶龍院
H1
7.
5.
1 永野氏
H1
7.
5.
1 庄司氏
H1
7.
5.
1 糸瀬氏
H1
7.
5.
1 霹靂神社
H1
7.
5.
1 西福寺
8
厳原町
対馬藩主宗家墓所
国指定史跡
ツシマハンシュソウケボショ
昭和6
0年2月1
8日
対馬市厳原町西里
ばんしょういん
寺の名は「万 松 院」と呼び、対馬市民にはこの名で
そうよしとし
親しまれている。初代藩主宗義智は元和元年(1
6
1
5)
、
正月3日に金石城で逝去した。墓は中世風で正方形の
ほうきょういんとう
よしなり
基壇に宝篋印塔が建っている。対照的に2代義成、3
よしざね
代義真の墓が夫人の墓とともに格別に大きいのは、朝
鮮貿易が好況で藩政が興隆期であったことを反映して
かみ お たま や
いる。「上御霊屋」は歴代藩主と夫人、
「中御霊屋」は
側室と童子、下段は一族及び分家(初代)
の墓所になっ
ひゃくがん き
かみ お
ている。「百雁木」と呼ばれる石段(1
3
2段)が「上御
たま や
霊屋」まで続く。万松院は元禄4年(1
6
9
1)
、享保1
1
年(1
7
2
6)と2度火災に合っているため本堂は再建さ
ももやま
れたが、山門だけは創建当初の桃山様式を残す貴重な
木造建築物である。
上御霊屋
金石城跡
カネイシジョウアト
国指定史跡
平成7年3月2
8日
対馬市厳原町今屋敷
そうもりはる
享禄元年(1
5
2
8)
、宗氏の居館「池の館」が宗盛治の
まさもり
謀反によって僅か2年で炎上した。宗家1
4代将盛は金
石の地に避難し、ここに新しく屋形を築いた。宗家2
1
よしざね
代義真は、屋形を拡張し、寛文5年(1
6
6
5)に国分寺
を日吉に移転した。その跡地を含めて整備し、同9年
には大手門に櫓を建てた。櫓門は文化1
0年(1
8
1
3)の
火災で焼失したが、同1
4年に再建された。大正8年
(1
9
1
9)に解体され、平成2年にこれを復元した。大
手門付近と枡形の石垣、金石川に沿った城壁石垣はよ
く遺っており、対馬流の石工技術がうかがえる。
矢立山古墳群
国指定史跡
ヤタテヤマコフングン
昭和5
1年1
2月2
7日
対馬市厳原町下原
じ ぞうだん
矢立山古墳群は「地蔵壇」と呼ばれる丘の東南斜面(標
高3
0∼4
0!)に位置する。この地に3基の古墳が遺っ
とう あ こう こ がっかい
ている。昭和2
3年(1
9
4
8)に東亜考古学会の対馬調査
の折に発掘調査がおこなわれた。平成1
2年度には福岡
大学考古学研究室、厳原町教育委員会の合同発掘調査
によって詳細な形状が明らかとなった。1号墳は3段
ちくせい
ほうふん
築成の方墳で墳丘の規模は東西1
1.
6!、南北1
0.
5!、
全体的にやや東西に長い墳形である。2号墳は3段築
成の南北に長い長方形墳で得意なT字形の石室を主体
部とする。推定復元規模は東西8.
8!、南北1
0.
5
5!
(下
ぼ こう
段)で、墓域の造成後に墓
うが
を穿ち石室を構成する。
3号墳は墳丘推定規模が東西約4.
2
7!、南北約6.
6
6!
の南北に長い長方形墳である。1・2号墳は段築方墳
で畿内系の最新墓制が導入され、3号墳は伝統的墓制
つみいしづか
の影響を受けた積石塚で形態は全く異なる。
2号墳
11
厳原町
椎根の石屋根倉庫
醴泉院の涅槃図
シイネノイシヤネソウコ
県指定有形文化財
昭和5
2年1月1
1日
対馬市厳原町椎根
レイセイインノネハンズ
県指定有形文化財
昭和5
5年2月2
9日
対馬市厳原町今屋敷
釈迦が成道ののち、
さ
ら そうじゅ
いよいよ沙羅双樹の
おう が
もとに横臥し、寂滅
されようとする姿を
大きく中央に描く。
とう
その釈尊を囲い、刀
り てん
利天から下ってくる
ま
や
仏母麻耶婦人を初め、
仏弟子の諸菩薩阿羅
きんじゅう
漢や諸王人天禽獣な
石屋根倉庫の起源ははっきりとしない。対馬には板状に
剥離する粘板岩や砂岩及び頁岩が多く、瓦が普及しな
かった藩政末まで住居には茅葺きか板葺きだったが、小
屋には板状の石を用いることが流行した。その形跡は減
少の一途を辿っており、最も多く、格調高く建造された
のが椎根地区である。小屋には衣装小屋(衣類と格納)
と、俵物小屋
(穀類を収蔵)
があり、一棟で内部を仕切っ
た小屋もある。どの集落でも住居と小屋は離れ、群を成
して建っているところもある。椎根地区の場合は、住居
は山際に建ち、小屋は中央の椎根川付近に群を成して並
んでいる。現在は瓦となった小屋も多いが、古くは石屋
根だったことは柱の太さでわかる。石屋根は台風にもよ
く耐えた。火と風に強いことが石屋根の自慢で、箱式石
棺墓、屋敷の石垣塀とともに対馬における民俗文化の特
色をなしている。
ねん ばん がん
けつ がん
かや
ど多数の群衆が泣き
悲しんでいる情景の
図である。この図は
醴泉院に伝承された
絹本著色の掛軸で、
表装は新しくされて
いるが、保存状態は良好である。箱の内側に享禄3年
(1
5
3
0)寅9月吉日とある。縦1
1
4.
7!、横6
0!。
所在地:長崎県立対馬歴史民俗資料館
対馬藩お船江跡
ツシマハンオフナエアト
県指定史跡
昭和4
4年4月2
1日
対馬市厳原町久田
厳原港から南に分かれた久田浦の白子に、「お船江」と
呼ばれる人工の入江がある。4つの突堤と、5つの船渠
が構築されたのは寛文3年(1
6
3
3)
のことである。対馬藩
は多くの公用船を所有していた。大阪、博多、長崎、釜
山及び田代、浜埼など各方面に航海したが、任を終え次
の航海までの間、この船江に入渠して船体の手入れをし
ていた。陸上には造船場があり、船大工や水夫たちの納
屋があったという。築堤の石積みは当時の原形を保ち正
門、倉庫などの建物跡が遺っている。海に面した各藩の
城下にはこのような施設はあったはずだが、対馬藩ほど
の船渠は残っていない。日本近世史上貴重な遺構である。
せんきょ
14
美津島町
神
ノ
櫛
山
田 田
ノ上里 八割トンネル
浜
銘
位
ノ
端
舟沢山
高
瘤
山
中善寺トンネル
豊
小綱 大綱
玉
町
対
馬
市
曽
ノ
曽浜
荷舟
鳩岳
砥ノ浦
岳ノ山
天
神
山
糠
岳
佐
保
蔵敷
仁位
豊玉隧道
糠
仁
位
浜
卯
麦
志
賀
和多津美神社の社叢
モクゲンジ
廻
貝
口
妙見
水崎
加志
唐
洲
和
多
都
美
神
社
佐
志
賀
西
加
藤 東深
加里
藤
烏
帽
子
岳
干尋藻
長
江
鑓川
カラクロ
和
板
板
塩
屋
浦
底
観音岳
オテド
塩浜
横
浦
見世浦
濃部トンネル
古家岳
賀谷
糸瀬
濃
部
佐志賀トンネル
賀谷隧道
大道山
赤
島
嵯
峨
芦浦
唐洲の大ソテツ
遠見山 貝
鮒貝
小船越
鮒
大山在所
郷崎
まぐわじま
馬耙島
郷山
昼
ヶ
浦
飛山
島山
明礬島
尾崎
八
斗
蒔
壇
山
鶴ヶ岳
面天余
鋸割岩
吹崎
田
今
ノ
里
浜 加
ト
志
ン
士富壇山 ネ
ル 大祝詞神社
鉾ヶ岳
箕形
加志峠
対馬空港
立
石
山
洲藻白嶽原始林
白嶽
前嶽
知ダム
小
茂
田
浜
神
社
椎 黒岳
根
見 壇山
殿浜
白山
穴壇山
大坂壇山
下
原
床谷
御首塚
金田山
樫根
原
町
上
見
坂 権現山
根緒坂トンネル
小浦ダム
隠蔵寺山
若田
経
塚
厳
三
隈
山
士富
南
小室
トンネル 室
佐須峠
砥石渕
厳原トンネル
柳ノ壇山
棧原 阿須
入
大梶岳
小道
浦岳
曲
白水山
成相山 成相 大板
八幡宮神社
金田城跡
国指定特別史跡
紺青岳
国
国
県
国
県
県
国
県
国
紅葉山
大
平
山
小
茂
田
大
浜
西高浜 高
浜
ニガカシ山
黒土山
船
越
【美津島町】
知トンネル
浪人坂トンネル
丸山
304.4
緒
樽ヶ浜
知
中山
久
須
方
カ保
タ 大平山
明神岳
ン
大 山
美津島トンネル
一
中道壇 ノ
倉
峠
洲藻 倉板トンネル
遠見岳
大山壇山
阿連坂トンネル
阿連
玉調
女万
護関
島橋
竹敷
黒
瀬
箕
形
今
里
犬吠
玉
調
美 津 島 町
持山
幸崎幸崎
乗
住吉 越
鴨居 瀬漁港
浅芽山 大崎山
畠浦
大山岳
島山島
塩屋壇山
鴨居瀬
重文/朝鮮国告身
重文/銅造如来坐像(新羅時代)
有/大吉戸神社の広鋒青銅矛(7)
特史/金田城跡
有/かがり松鼻遺跡出土品(3)
史/出居塚古墳
史/根曽古墳群
史/サイノヤマ古墳
天/洲藻白嶽原始林
カネダジョウアト(カナタノキ)
昭和5
7年3月2
3日
対馬市美津島町黒瀬ほか
天智6年(6
6
7)に大和朝廷は対馬の浅茅湾南岸に金
田城を築いた。斉明6年(6
6
0)
、白村江の戦いで敗れ
た日本は、唐・新羅の来襲に備え急ぎ防備を整える必
要があった。そのため、国境に位置する「対馬」の浅
茅湾南岸に位置する約2"四方の半島に金田城が築か
れた。石塁は1
3
0
0年以上経った今でも比較的良く遺っ
ている、約2.
6"の石塁が半島北東部を一周する。最
長4
9!余り続く石塁は圧巻で、石塁の大半は崩落して
いるが、谷部では5!以上の高さを現在も保つ。平成
5年度より発掘調査に着手し、建物跡5棟、城門跡、
土塁を確認した。現在保存整備中であり、調査成果を
一部公開している。城内には園路、案内板等が整備さ
れ自由に見学ができる。空気の澄んだ日には遠く韓国
の南岸を視野に入れ、その距離を体感できる。
二ノ城戸
15
美津島町
かがり松鼻遺跡出土品
大船越瀬戸堀切由来の碑
カガリマツバナイセキシュツドヒン
県指定有形文化財
平成2年1
1月1
6日
対馬市美津島町!知
オオフナコシセトホリキリユライノヒ
市指定史跡
平成1
7年5月1日
対馬市美津島町大船越
かがり松鼻遺跡は美津島町のほぼ中央部、万関橋の東、
久須保浦に突き出た北面の岬上に位置する。海面から数
!程しか距離がなく、波風によって自然崩壊し、遺跡が
消滅する恐れがあったため、昭和6
2年1
0月に発掘調査を
実施した。石棺は大きく崩壊した状況にあり、法量は不
ふくそうひん
明であったが、貴重な副葬品が多く確認された。ガラス
へんけいほそがたどうけん
は とう しょく
玉約1,
2
0
0個、変形細形銅剣1、把頭飾1、土器片数1
0
個である。土器の年代は弥生時代後期から古墳時代後期
と数世紀に渡る。
!知上の町のイヌマキ
越前五郎の墓
エチゼンゴロウノハカ
市指定史跡
平成1
7年5月1日
対馬市美津島町加志
ケチカミノチョウノイヌマキ
市指定天然記念物
平成1
7年5月1日
対馬市美津島町!知
文永1
1年(1
2
7
4)1
0月3日、
ま さん
南北に長い対馬は中央部(浅茅湾)で東西に通じる水路
が無かった。そのため、低く狭い地点を選んで船を引き
上げて越す方法しかなかった。大船越は東西に狭いなだ
らかな丘であったため、早くから船を越す場所として労
そうよしざね
役に携わる人々で賑わっていた。対馬藩主3代「宗義真」
かんぶん
は、江戸幕府の許可を得て瀬戸を掘り切る大事業を寛文
1
2年(1
6
7
2)1月に着手した。同年6月下旬には長さ約
1
0
8!、幅1
8!を掘り切り、東西の海が通じた。初期普
請に関係した人数はおよそ3万5千人、銀5
9貫余を費や
し全長1
1
0!、幅1
8!の水道が開削された。その後も拡
張普請は継続され全長2
6
2!、幅2
2!∼5
0!の大規模な
工事が完了した。瀬戸の開通によって東西に出漁できる
ようになったため大船越には漁船が集まり、開削時の土
砂で埋め立てられた新たな土地に民家が立ち並び集落が
形成され今日に至っている。
がっ ぽ
マキ科に属するイヌマキの雌
馬山湾を合浦により元・高麗
株で、樹高約1
5!、幹回り4.
3
軍約3万数千の大軍が9
0
0余
!、樹齢8
0
0余年と推定され
船の軍船にて日本へ出撃した。
る古木である。一説によると
5日の夕刻に西海岸佐須浦沖
平安時代後期(1
2世紀)
、こ
に現れた。急報を受けた守護
の付近に阿比留在庁があった
そうすけくに
代宗助国は大宰府に急を知ら
との言い伝えがある。
せ、自身は8
0余騎を従え布陣
した。翌朝合戦となったが、
衆寡敵せず、助国以下奮戦及
ばす討ち死にした。この時、
加志浦にも入寇しており、迎
え討った越前五郎は討ち死にしたと伝わる。川縁に宝筐
印塔が一基建っている。越前五郎の墓と伝わるが、鎌倉
時代の形式ではなく、後に供養塔として建立されたと解
すべきであろう。越前五郎は宗助国の庶兄であるという。
18
峰町
命婦の舞
公開日
ミョウブノマイ
国選択無形民俗文化財
平成8年1
1月2
8日
旧暦8月1日(豊玉町和多都美神社)
旧暦8月5日(峰町海神神社)
旧暦8月5日、木坂海神神社大祭において本殿で命婦
の舞が奉納される。「ミョウブ」とは女性神楽師のこ
とで、海神神社のほか、豊玉の和多都美神社等で奉納
ひ
はかま
は
お
しろ た
び
される。緋の袴に千早を羽織り白足袋姿で、手に鈴を
のり と
持って舞う。楽太鼓の一方打ちをしながら、祝詞調子
の神楽詞を奏上して、終わると神楽鈴を右手に、五色
の緒を左手に支えて立ち、太鼓に合わせて神歌を唄い
ながら四方舞を奉納する。日本の芸能史上でもっとも
つし
古い形態の舞いと評されているものの1つである。
『対
ま
き
じ
馬紀事』に「神楽乙女八人」と記され、八郡より出ず
るという。「伶人楽師ハ正陪従是ヲ司リ乙女ハ大命婦
司ル八月十四日試楽ノ時舞女ノナリフリヲ見音声ノ節
ヲ考之能キ物ヲ取テ命婦トス」と記されている。当時
の演技を伝えている曲目は、わずかに1
4曲であるという。「記録作成等の措置を講ずべき無形民俗文化財」として国
から選択された。
恵比寿山遺跡出土遺物1
3
4点
海神神社木造仮面!
エビスヤマイセキシュツドイブツ
県指定有形文化財
昭和4
9年9月6日
対馬市峰町吉田
カイジンジンジャモクゾウカメン
県指定有形文化財
昭和4
9年7月2日
対馬市峰町木坂
昭和4
9年度に県の吉田川改修工事が着手することになり、
創祀の古い縁起と、対馬一ノ宮という栄光の歴史を誇る
遺跡全体が消滅することになってしまうため、緊急に発
本社には数々の名宝が伝えられてきた。海神神社境内の
掘調査を実施することになった。元々は海中にあった島
入口近くに宝物館があり所蔵品を保管・展示している。
だったが、周囲が開拓され陸続きとなった。恵比須山と
その中に鎌倉時代・南北朝頃の舞楽面が朽破損面を含め
称するのは、この島に恵比須神が祀られていたからであ
8面 残 さ れ て い る。そ の 中 で 裏 面 に 墨 書 で 正 安3年
る。山の南斜面は緩い舌状地形で、そこに弥生時代から
(1
3
0
1)の作と記した「火王面」がある。左目したから
古墳時代の箱式石棺群があった。発掘調査した石棺は1
2
口縁まで欠失しているが、眉間にしわをよせて激しい表
基で全て盗掘されていたが、遺物は多数発見された。注
情をみせていることは充分にうかがえる。仮面研究上貴
ぶ がくめん
か おうめん
は とうしょく
そくりゅうもんほうちゅう
目される出土遺物としては、剣の把頭飾で『粟粒文方柱
重な資料である。
じゅう じ かたけん は とうしょく
十字形剣把頭飾』と呼ばれ、把頭金具の出土例が多い対
とうしつ
馬でも格別の逸品である。そのほかに韓国の陶質土器も
出土し、日韓交流を占めす資料として貴重である。
所在地:峰町歴史民俗資料館
23
所在地:海神神社宝物館
国選択無形民俗文化財
豆酘の赤米行事
国選択無形民俗文化財
ツツノアカゴメギョウジ
平成1
4年1月1
8日
対馬市厳原町豆酘
とううけ
豆酘の地に代々受け継がれてきた頭受神事と赤米の行事がある。全国でも豆酘と鹿児島
まつ
県種子島、岡山県総社市だけに残る珍しい伝統行事である。赤米行事とは赤米を祀り栽
培する行事の事で、頭仲間と呼ばれる集団によって旧暦一月二日から旧暦十二月の末に
とう
至るまでの一年間にわたり行われる。一連の神事を世話する役目として、頭と称する神
役を中心に神田で赤米を厳しい戒律のもとで栽培し、代々受け継いできた。この頭は一
年で交替する決まりで、その交替式を「頭受け」と言う。これらの行事の中でも中心と
なる行事は、旧暦一月十日の深夜から翌朝にかけて行われる頭受けで、この赤米を収穫
つ
ま
すると新しい俵に入れて本座の天井に吊す「お吊り坐し」の行事をして、翌年の頭受け
まで祀ることになる。この後も、赤米を氏神に供える初穂米、赤米で作った若酒を氏神
へお供えする斗瓶酒、成酒を供える日の酒、赤米で臼型の餅をつき、氏神への初詣りな
どの行事が行わる。近年、「頭仲間」が減り続け、主藤公敏氏一人となった。存続の危
機の中にある。
対馬の亀卜習俗
国選択無形民俗文化財
ツシマノキボクシュウゾク
昭和5
4年1
2月8日
対馬市厳原町豆酘
保持者
岩佐経治
豆酘の古い行事に亀の甲を焼いて年の吉凶を占う神事
があった。正月の3日に行われ、結果を対馬藩に報告
まいにち き
していたことが「毎日記」に記載されている。亀卜は
じん ぎ かん
うら べ
古来朝廷の行事として行われたもので、神祗官の卜部
が担当した。卜部は対馬から1
0人、壱岐から5人、伊
豆から5人出仕していた。明治4年(1
8
7
1)の廃藩ま
で正式に行われていた。豆酘では村行事として継続さ
れてきたが、今日では作法は簡略化されている。亀卜
いかつ お
み
じんぐう
の伝来は対馬卜部の祖雷大臣が、神功皇后に従って韓
土に渡り、亀卜の術を習得して帰ったと伝わる。
対馬厳原の盆踊り
国選択無形民俗文化財
ツシマイズハラノボンオドリ
平成9年1
2月4日
対馬市厳原町
江戸時代の中頃より特色のある盆踊りが、各村落で踊
られ伝えられてきた。青年の通過儀礼の一環として伝
承されたところが多く、全国的に広くみられる集団に
よる輪舞形式のものとは異なり、二列縦隊を基本とし
た独特の芸態をとる。平成1
0年の調査時には1
1集落で
あ
れ
まがり
ないいん
踊られていたが、現在阿連、曲、内院の3集落のみと
なった。歌舞伎の影響を受けた阿連、練習を積んで技
に磨きをかける曲、早朝に集落の小祠に踊る内院など、
古風な盆踊りの霊祭りの習俗に支えながら、集落によ
り独自の発達を遂げている。踊り手は1
0∼2
0代の青年
たちで、かつては集落の本戸の長男のみに限られた。
内院
30
おわりに
対馬市となり6年が経ちました。この間、文化財課が平成1
8年5月に設置され、文化
財の保護・活用の促進に努めて参りました。旧町より事業を継続中の対馬藩主宗家墓
所・金石城跡・矢立山古墳群・金田城跡の保存整備事業は多少遅れ気味ですが、これま
での事業の成果は現地で学ぶことができます。先人たちが残した足跡を保ちつつ、対馬
独特の個性ある文化財を未来へ確実に残し、伝えるため、課員一丸となって鋭意努力す
る所存です。
島の8
9%は緑濃い山林で、周囲は透明度の高い青く美しい海に囲まれる対馬。中世の
景観も残る自然豊かで歴史遺産の豊富な島の特色を生かした施策を実行して参りたいと
考えています。
平成2
2年2月
対馬市教育委員会文化財課長
!!! 交通アクセス !!!
飛 ANA
行
(ORC)
機 ANA
ジェットフォイル
船
カーフェリー
高速貨物フェリー
釜山
1日4往復(25分)
長崎空港→対馬空港
1日4往復(35分) 金・日曜は5往復
対馬市
博多!(壱岐経由)"厳原 1日3往復(4時間35分)
行)
"比田勝
浅茅湾
1日1往復(5時間20分)
博多!!!!!"厳原 1日2往復(4時間5分) 日曜は1便減
博多!(厳原経由)"比田勝
厳原港
対馬空港
8K
m
壱岐
空
路
航路
韓国とのアクセス
空
路
長崎県
国際定期高速船 釜山←(2時間30分)→厳原 週3便
船
ドリームフラワー 釜山←(1時間30分)→比田勝 週2便
博多港
福岡空港
長崎空港
市内(島内)の所要時間
1
0#
3
1#
上対馬町 15分 上 県 町 40分 峰
(比田勝)
(佐須奈)
1
1#
2
4#
長崎市
1
2#
町 20分 豊 玉 町 40分 美津島町 20分 厳 原 町
(三根)
(仁位)
(対馬空港)
(厳原港)
対馬市教育委員会文化財課
〒8
1
7
‐
0
3
2
2
長崎県対馬市美津島町
!知甲1
2
8
7番地
[電話]0
9
2
0−5
4−2
3
4
1
[FAX]0
9
2
0−5
4−4
0
4
6
ケ
13
1日1往復(5時間35分)
初版発行
編集・発行
49.5Km
比田勝港
博多!(壱岐経由)"厳原 1日2往復(2時間15分)
博多!(直
平成2
2年3月1
9日
航路
福岡空港→対馬空港
菊次
対馬市文化財図録
韓 国
九州とのアクセス
梅野
チ
印刷所
$ 昭 和 堂
〒8
5
4
‐
0
0
3
6
長崎県諫早市長野町1
0
0
7−2
[電話]0
9
5
7−2
2−6
0
0
0
[FAX]0
9
5
7−2
2−6
6
9
0
対馬文化財図録
2010
ツシマヤマネコ
国指定天然記念物
(環境省 対馬野生生物保護センター提供)
昭和4
6年5月1
9日
対馬全域
対馬の北部を中心に生息するツシマヤマネコは、日本のネコとして
はイエネコを除けば西表島のイリオモテヤマネコの2種のヤマネコ
だけである。生息数は激減の一途をたどり、環境省のレッドデータ
ブックに絶滅危惧種の最上位に位置づけられている。2
0
0
9年1
2月、
厳原町小浦で雄のツシマヤマネコ(1,
1
3
0!)が保護された。下島
で成体が保護されたのは2
5年以上ぶりであった。
○対馬野生生物保護センター(上県町棹埼)で見学可能。
平成22年3月発行
対馬市教育委員会 文化財課
定価 500円
〒817-0322 長崎県対馬市美津島町 知甲1287番地1
平成22年3月発行
TEL0920-54-2341 FAX 0920-54-4046
対馬市教育委員会 文化財課
対馬市文化財図録 表紙1−4 CMYK 宮副 中村 柴田
背は2ミリ
(決*柴)
Fly UP