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日本国憲法の平和的生存権の今日的意義

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日本国憲法の平和的生存権の今日的意義
2004年6月22日
日本国憲法の平和的生存権の今日的意義
法学館(伊藤塾塾長)
伊藤
一
真
本日は、オーストラリアの学会のさまざまな分野で活躍していらっしゃる皆様とお会
いし、お話させていただく機会をいただいたことを深く感謝いたします。
私は、東京を拠点とした伊藤塾という学校で、法律家や公務員を志している学生たち
に対して法律などを教えています。私の夢は、地球上のすべての子供たちが笑顔で過ごせ
る世界を創ることです。私の最初の仕事は弁護士でした。現在は、そのような世界を創る
ことに貢献する法律家や公務員を養成する仕事に専念しています。
子供たちが笑顔で過ごせる世界にするためには、日本国憲法の理想、思想を広く知って
いただくことが大変重要だと思います。そこで私は、日本各地の学校、公務員の研修所、
自治体、企業その他さまざまな人々の集まりに出かけ、憲法の思想を伝える伝道師のよう
なこともしています。
そして、憲法を中心とする学問的な研究を深めるため、最近、第1線の憲法研究者と一
緒に法学館憲法研究所を設立し、その所長を務めております。
憲法を学ぶためには、戦争の犠牲者の身になって考えるなど、イマジネーションを持
つことがとても大切なことだと思います。そこで、学生たちを連れて韓国、中国、ヨー
ロッパ、アメリカなどに行って、戦争の悲惨な遺跡や体験談を見たり聞いたりしてもら
っています。
二
さて、皆さんは、日本国憲法をお読みになったことがありますでしょうか。お手元の
コピーをご覧になってください。この憲法は、1946 年に制定されました。近代立憲主義
憲法の歴史を受け継ぎ、基本的人権の保障を謳っています。
日本国憲法が最も根本にある価値として大切にしているのは、「個人の尊重」です。こ
のことを第 13 条で、All of the people shall be respected as individuals. Their right
to life, liberty, and the pursuit of happiness shall, to the extent that it does
not interfere with the public welfare, be the supreme consideration in legislation
and in other governmental affairs.と示しています。ひとり一人を人間として尊重し、
多様性を受け入れ、自立して生きることをかけがえのない権利として保障しています。
今日お話しさせていただく the right to live in peace もこの個人の尊重のために不
1
可欠な権利として、憲法前文で保障されています。日本国憲法の平和主義の理念を権利
として規定しています。
日本は、15 年間に渡る侵略戦争によって諸国に多くの被害を及ぼしました。自らも悲
惨な体験をしました。そのため、日本国民の平和への強い願いは、なによりも、憲法の
前文の全体に渡って宣言されています。
前文の第1項ではまず、「We, the Japanese people,……resolved that never again
shall we be visited with the horrors of war through the action of government」
とあります。
次いで第2項を読みます。「We reject and revoke all constitutions, laws ordinances,
and rescripts in conflict herewith. We, the Japanese people, desire peace for all
time and are deeply conscious of the high ideals controlling human relationship
and we have determined to preserve our security and existence, trusting in the
justice and faith of the peace-loving peoples of the world. We desire to occupy
an honored place in an international society striving for the preservation of peace,
and the banishment of tyranny and slavery, oppression and intolerance for all time
from the earth. We recognize that all peoples of the world have the right to live
in peace, free from fear and want.」
憲法は、この権利を確認して、第4項において、「We, the Japanese people, pledge our
national honor to accomplish these high ideals and purposes with all our resources.」
と規定しています。
この前文は、後で述べる憲法9条とあいまって、徹底した平和主義を謳っています。
ここで、free from fear and want の内容について、簡単に説明しておきます。今日の
テーマは、free from fear and want の意義となっています。しかし、今読んだ第2項の
最後の「the right to live in peace, free from fear and want」の部分全体が、今日
のテーマに関わる部分です。従って、この部分全体の内容について説明します。多くの
学者は二つの内容を含むと言っています。
第1に、「戦争や武力行使のない状態で生きる権利」です。「軍備のない状態で生きる
権利」を含むという解釈もあります(①)。
個人が真に自由な意思を持ち、自由に行動するためには、他者による威嚇があっては
なりません。脅されている人間は、本当の意味では自由だとは言えないからです。そこ
で、自国の国家権力による威嚇のみならず、他国の武力による威嚇をもなくしていくこ
とが、真の意味で個人の尊重を図るためには必要になってきます。
また、戦争によって最も苦しみを受けるのは、結局は一般市民であるというのが人類
の経験に基づく真実です。多くの兵士が戦場で命を落としたり、負傷しました。自国に残
っている家族や友人たちも、悲しみや恐怖に打ち震えたり、飢えや寒さに苦しんだりしま
2
す。相手国の兵士や市民も同様な苦痛を味わいます。このような状況は個人の尊厳とは最
も縁遠いものです。
自立した個人による幸福な社会の実現のために、戦争のない世の中を作ろうという平和
主義の理念は、まさに「個人の尊重」から導かれます。
第2に、戦争や軍隊という生の暴力そのものだけでなく、貧困、飢餓、抑圧、環境破
壊などの構造的暴力のない状態で生きる権利です。free from fear and want と書いてあ
るのは、このことも示しています。今日では、生の暴力ではない民族間や地域間の格差
の拡大、貧困・飢餓、環境破壊などの地球的危機はますます深刻化しています。それら
の現実の脅威は増しています。安定した雇用、所得、健康などを可能にする社会、政治
が求められています(②)。
三
ここで、人権と平和についての国際的な動きのポイントをみてみましょう。
「平和なくして人権なし」、逆に、「人権の確立・徹底なくして平和なし」というのが
今日までの認識です。平和と人権は相互に依存し合う関係にあります。
1948 年の「世界人権宣言」の前文を読みます。
「人類社会のすべての構成員の固有の尊厳と平等で譲ることのできない権利とを承認す
ることは、世界における自由、正義及び平和の基礎である」。つまり、人権の保障は平和
の基礎ないし条件であるといっています。
そして、1968 年のテヘラン宣言では、
「平和は人類の普遍的な熱望であり、平和と正義
は人権及び基本的自由の完全な実現にとって不可欠である」と謳われました。ここには、
平和は人権の保障にとって不可欠であるという考え方が示されています。
続いて大きな動きとして、1978 年 12 月 15 日の国連総会の「平和的生存のための社会
の準備に関する宣言」があります。ここでは、
「すべての国民とすべての人間は、人種、
信条、言語または性のいかんにかかわりなく、平和のうちに生存する固有の権利を有して
いる」と規定されました。
このように、平和と人権は互いに不可分なものとして結びつけて考えられるようにな
ってきています(③)。
しかしながら、国際レベルでの平和的生存権ないし平和への権利(right to peace)
は、「権利」といっても、とりわけその個人的側面においては、生成途上の権利にすぎな
いと解釈されているようです(④)
。
四
さらに国際社会では、最近、人間の安全保障(human security)という言葉が盛んに
使われています。
きっかけは、1994 年の国連開発計画(UNDP)の報告書です。従来の安全保障概念
3
は、「国境に対する脅威」への対処と同一視され、安全保障といえば国家の、そして軍備
による安全保障を意味していました。しかし、国家はその名のもとに、ベトナムやアフガ
ニスタンなどで軍事力を行使して、個人の生命、身体の安全を奪ってきました。また、伝
統的な発想では、グローバル化が急速に進展している今日人々の生活を脅かすさまざまな
脅威に有効に対処することができなくなりました。国家の安全保障という考え方は、構造
的な暴力に対する対策を持ち合わせていません。
そこで、これに代わって、人間の安全保障という観念が新たに生まれました。人間個人
のトータルな安全保障が必要だという考え方です。個人の安全は軍備によっては達成でき
ないという視点に立っています。1994 年のUNDRの報告書は、冷戦終結後も開発途上
国など軍事費を急速度で増大させ、国内の貧困状態を放置したまま軍備拡大に巨額をつぎ
こんでいる国がたくさんあると指摘しています。その責任の一端は軍事援助や武器輸出を
やめようとしない先進国にもあると指摘しています。軍備による安全保障が人間の安全を
阻害しているという認識です。軍事支出の削減によって得られる財源を平和への配当とし
て人間開発のために利用するしくみをつくるべきであることが提言されています。
この点は、1999 年のUNDRの報告書でより明確に示されました。グローバリゼーシ
ョンは経済成長、自由市場の拡大という形で強引に進められています。その結果、人々や
国々の間の不平等をますます拡大させています。こうした認識に立って、市場のためでは
なく、人間の幸福のためのグローバル・ガバナンスの必要性が提起されたのです(⑤)。
しかし、現実はどうでしょうか。right to peace や human security の考え方にもかか
わらず、世界の構造的暴力は減るどころか、激しさを増す一方ではないでしょうか。必死
に働こうとしても希望のある未来を見つけることができずテロという暴力に走る人々が
増えています。これに対して先進国は、軍事力による抑圧で対処しています。残念ながら
日本も含めてです。国としては豊かな先進国の人々も、テロや貧困に脅えています。
その大きな原因は、right to peace が明確な権利となっていないことにあります。そ
して、 human security といいながら、現実には軍備を中心とした国家の安全保障という
枠内で個人の安全を保障しようとしている考え方にあります(⑥)。国連といっても、実
際には5つの常任理事国の国家の利益―よくみると多国籍企業の利益など―を実現する
ための手段となっている面が強いと思います。さらには、イラク戦争などを見て分かるよ
うに、1つの覇権国家の利益のために、現にこの瞬間にも市民や兵士が殺されています。
これが国際社会の現実です。
五
これに対して、さきほど読んだ日本国憲法の「the right to live in peace, free from
fear and want」は、世界の人権発展史上、先駆的な意義を持っているといわれています。
第1に、平和的生存権が、明確に権利として保障しています。
憲法前文のこの規定の原型となったのは、1941年の大西洋憲章第6項の「恐怖と欠
4
乏からの自由」だと言われています。さらには、ルーズベルト大統領の有名な「4つの自
由」にまで遡るとされています。表現の自由、宗教の自由、恐怖からの自由、欠乏からの
自由です。ただ、これらは自由という言葉は使っていますが、法的な権利という意味では
謳われていません。単なる政策です。
これに対して、日本国憲法の the right to live in peace, free from fear and want
は、法的な意味のある人権として保障されました。国会の多数意思でもっても奪うこと
のできない人権として、立憲的な意義を与えられたのです(⑦)。
human security には、国家、異なる集団、個人の間で、そのいずれの安全を優先させ
るか、という判断の基準がありません。human security は the right to live in peace,
free from fear and want という権利の裏打ちがあって初めて、人間中心という政策選択
の基準を持つことができます(⑧)
。
第2に、日本国憲法第9条や第 13 条とあいまって、内容が具体化されました。
お手元の条文の第9条をご覧になってください。読みます。
Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the
Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation and the
threat or use of force as means of settling international disputes. 2) In order
to accomplish the aim of the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as
well as other war potential, will never be maintained. The right of belligerency
of the state will not be recognized.
実は、この条文の解釈には争いがあります。通説は、自衛戦争を含めて、一切の戦争
を放棄した、そのために軍隊も持たないと解しています。これまでの戦争が自衛のため
という名目で実際には侵略戦争を行いたくさんの人々を殺してきたという教訓を踏まえ
たものです。そして、前文と合わせて、国民のひとり一人が、武力によらず平和的な方
法で世界の人々と共に幸せになるために全力を尽くすべきであるという考え方に立って
いると解されています。積極的非暴力平和主義の考え方です。人類の英知の結晶です。
始めの頃に言いましたが、the right to live in peace の内容は、「戦争や武力行使の
ない状態、ないし軍備のない状態で生きる権利」として、明確になりました(⑨)。この
ように権利の中身を具体化してはじめて、戦争を阻止し、あるいは軍縮を進めるために
役立つ力を持つのではないでしょうか。
国際条約上の「right to peace」が戦争を実際には肯定しているのとは異なります。
第3に、the right to live in peace, free from fear and want の享有主体は、
all peoples
of the world です。皆さん、考えてみましょう。人権とは何だったでしょうか。人間で
あれば誰もが持っているという普遍的なものだったはずです。しかし、実際には、その
憲法を持っている国の国民の利益を実現するための権利にすぎませんでした。そのため
5
に、例えば、アメリカ人の安全を守るために、イラク人の子供たちや女性、老人に残酷
なことをすることも仕方ないとされているのではないでしょうか。
人権の持つイデオロギー性が明確に現れています。人権を単なるイデオロギーではな
く、言葉の本当の意味での人間としての権利として理解することを受け入れないと、既
に自分たちの生命の安全も守れないということが、もはや明かになったとのではないで
しょうか。
日本国憲法の前文は人類の歴史が始まって以来初めて人権の普遍性を明確に規定しま
した。もちろん、1国の憲法に止まっている限り、外国に住んでいる人に適用すること
はできません。しかし、考え方としてはコペルニクス的転換です(⑩)。
六
the right to live in peace ないし the right to live in peace, free from fear and
want の権利内容や権利の法的な性格については、日本国内でも解釈の仕方が大変分かれ
ています。しかし、この権利の考え方が実際の歯止めになって、日本の軍隊はこれまで、
一人の人も殺しませんでした。世界の平和を創るうえで、立憲的な意義は大変大きかっ
たと評価されています。
今、イラク戦争に反対する運動が世界中で盛り上がっています。昨年2月には、シド
ニーやメルボルンでも、10 万人、20 万人もの人々がデモに参加したというニュースが届
いています(⑪)。
日本でも、決して大きなうねりとまではいえませんが、戦争に反対する市民の運動が
活発になってきました。その一つの特徴として、デモに初めて参加する若者が増えてい
ます。憲法のことをあまり知らない若者も多く参加しています。考えてみると、憲法が
先にあるのではありません。彼らは、イラクの人々が死んでいくという事実、映像を見
て、立ち上がったのです。ひとり一人思い思いの言葉でやり、パフォーマンスも多彩で
す。その中で、憲法を学びもっといろいろ知りたいという方から、私の所にも講演依頼
がきています。
現在、日本の各地で、the right to live in peace の侵害を理由に、日本の軍隊であ
る自衛隊のイラク派遣差止めの訴訟が提起されています。若い人がたくさん原告になっ
ている訴訟もあります。
私は、平和的生存権や第9条の考え方は理想に過ぎないという批判が多いことも知っ
ています。しかし、これを現実のものとするか否かは私たち次第です。憲法の根本的な
思想は、権利や平和は主権者である自分たちが行動して獲得し創っていくものだという
ことです。この創造的な行動が、今実践されつつあるのだと思います。私は、ここに未
来を見、希望を感じます。
先日の6月 10 日には、ノーベル賞を受けた作家である大江健三郎さんなど日本を代表
6
する知識人が行動を始めました。日本国憲法を守り、広めるためのネットワークを作る
行動です。私たちの法学館憲法研究所も、憲法研究者、法律実務家、そして国内外の多
くの人々の架け橋になっていきたいと思います。
イラクの問題や国際平和の維持建設の問題などで国連の安全保障理事会の決定が、い
ろいろ出されました。安全保障理事会の決定は国連の中では全能といってもよいかもし
れません。戦争で人を殺し、傷つけることはもうやめようという、世界の人々の願いは
まだ国連には届いていません。しかし、human security が the right to live in peace
という人権として定義されるようになるならば、国連や世界は変わるでしょう。
これからは、ハードパワーに代わるソフトパワーの時代だと思います。平和的生存権
による法の支配はソフトパワーのチャンピオンです。
地球は、広い宇宙で生命体の存在が確認されている唯一の星です。この地球を、美し
いものとして後の世代に引き継ごうではありませんか。
①
浦部法穂「憲法学教室」401 頁
②
同 401 頁
③
山内敏弘「人権・主権・平和」97 頁
④
松井芳郎「国際法における平和的生存権」『法律時報』53 巻 12 号 13 頁
⑤
浦部法穂「憲法九条と『人間の安全保障』」『法律時報』76 巻2号 64 頁
⑥ 同 64~66 頁
⑦ 同「憲法学教室」397 頁
⑧ 武者小路公秀「平和的生存権と人間安全保障」深瀬忠一ほか編『恒久世界平和のために』
169 頁
⑨ 浦部法穂「憲法学教室」402 頁、同「憲法九条と『人間の安全保障』」
『法律時報』76 巻
2号 67 頁
⑩
武者小路公秀「平和的生存権と人間安全保障」深瀬忠一ほか編『恒久世界平和のため
に』169 頁、179 頁
⑪
金子勝「誰が包囲されているのか」『世界』2003 年 4 月号 85 頁
7
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