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保険代理店の実務から分析した「バカの壁」
保険代理店専門 有料電子メールマガジン inswatch ( http://www.inswatch.co.jp/ ) の【inswatch solution report】(第 2 金曜日 メールまたはPDFにて配信)2003.12.12 に掲載されましたものを執筆者であ ります城東支部長小原太史氏およびinswatch関係者のご好意により特別に全文掲載いたしました。 保険代理店の実務から分析した「バカの壁」 小原 太史 はじめに 私が最近読んだ本の中に二冊、保険代理業の立場からというだけに限らないが、と ても共感できる内容の著作があったので、まずはそれを少し紹介させていただきたい。 一冊は川田茂雄氏の著書で「社長を出せ!実録 クレームとの死闘」(宝島社)という本、 もう一冊は養老孟司(ようろうたけし)氏の著書で「バカの壁」 (新潮社)という本である。 川田氏はカメラメーカーのクレーム処理をされていた人物で、本の内容は川田氏自身の現 役時代の生々しいクレーム処理の実体験をつづったもので、一方、養老氏は北里大学教授・ 東京大学名誉教授(元医学部教授)で、ある物事に対するある人間の思考能力の限界を 「バカの壁」と称し、人間がある物事についてどのように考えるのか、どこまで考えるの か、理解することができる、できないの違いは何かという事等の「人間の思考」というも のについて、社会学や科学、倫理学、精神医学、生物医学などの様々な角度から分析、解 説したものである。どちらも今話題の書物らしく、特に「バカの壁」はかなりの発行部数 との事だ。 双方ともにお勧めの一冊だが、片や「現場の実体験」をつづったもの、片や実験例や実例 を挙げてはいるが、「大学の先生による論文」の様な本で、一見、関係なさそうなこの二つ の書物には、一つの共通キーワードがある。それは先ほど私が「保険代理業の立場から」 と思わず述べたが、他の業種・業界の人も、いや、一人の社会人、人間として共感できる であろうと思ったものであった。 そのキーワードとは「『話せばわかる』は通用しないものだ」 という考え方である。 何ともいたってシンプルで当たり前と言えば当たり前の考えの一つなのかもしれないが、 よく考えれば、社会生活を営んでいる人類共通の認識の範疇にあるだろうし、これによっ て人類史は振り回され続けてきたとも言えるだろう。 少々大げさになってしまったが、これについては私が以前、「インスウォッチ」紙上で連載 させてもらっていた「二十一世紀にもやり続けるであろう原始時代のお仕事」の中でも書 いた保険代理業の実務の中で、私が「裏の仕事」と呼んでいる自動車や火災、賠責などの 保険事故において、他の人間にはできない、我々保険代理店の人間が社会正義の為にやら ざるを得ないただ働きをする際にも、よく突き当たる考えであるし、 「裏の仕事」のみなら ず、顧客や保険会社の社員等と話しをする際にも思い当たる事の多い考えでもあった。 私はこのたびの小論において、私の最近までの実体験で、保険代理店が様々な場面で様々 な人達との話し合いや折衝の際に遭遇した事のある「『話せばわかる』は通用しないものだ」 を、せっかくの使いたいフレーズなので「バカの壁」として紹介させていただき、先述の 「二十一世紀にも・・・」の最終回でも述べさせていただいたが、私の考え方ややり方が 正しいと言うつもりは無く、「自分もそう思う」「自分もそうだった」「参考としたい」「自 分ならもっとうまくやる」「自分ならこう考える」等の「業界の叩き台」にでもしていただ ければ幸いである。 また、この小論を読んでいただくのは業界の方がほとんどだとは思うが、一般の方にも、 また、特にこれから保険業界(損保)を目指そうとしている人材や、他業界・他業種から 保険代理業に進出をしている(しようと思っている)方々にもご一読いただけると良いか もしれない。いろんな意味で・・・ 保険代理店の保険事故処理の実務における「バカの壁」 我々保険代理業の人間が、昔も今も変わらず「バカの壁」に突き当たり、頭を悩ませる 場面に遭遇せざるを得なくなるのは、保険事故処理の実務に携わる時、特に自動車保険 の保険事故の際が圧倒的に多いだろう。断言してもいいくらいだが、この自動車事故処 理の実務をどこまでできるかで、保険代理業の能力が問われてしまう面があるという現 実からは免れないだろう。 本来は、保険会社との委託契約書の関係上、「建前」では保険代理店は自動車に限らず、 保険事故処理の実務には携わらなくても良い事になってはいるが、現実はそうではない、 または、「そうはいかない」という事は周知の事実である。最近では他業界からの自動車 保険市場への進出が特にメディアを通じて一般化した感があるが、それは良くも悪くも、 主力にするにせよ別の目的の足がかりにするにせよ、損害保険商品の「核」となるのは 誰が何と言っても自動車保険である事を如実に物語っている。 しかし、メディアを通じて嫌でも飛び込んでくる情報を受け手側がどう捉えるかは、受 け手自身の問題であり、そこには「バカの壁」が存在すると言える。 例えば、既存の国内損保以外の自動車保険販売会社がCMで使用する「自動車保険料は どうして高いのか?」「当社の自動車保険料はこんなに安い」「事故処理サービスも万全」 などと、いかにも意図的に使っているとしか思えない誇大広告的なキャッチフレーズを 真に受ける人間がそれに当たるかもしれない。 よく考えれば、自動車保険料の「高い」「安い」の明確な判断基準も、何をもって万全な 事故処理サービスと言えるのかという説明も無い「抽象論」にすぎないのだが、自動車 事故を一度も起こした事の無い人の心には訴えるものがあるのかもしれない。しかし最 近は、本来、損害保険業界の実態には特に似つかわしくないはずのこの抽象論が闊歩し ているような気がしてならない。 そこで、まずは私の過去の保険事故処理の実務経験から述べられる事を申し上げ、損害 保険業界にいかに抽象論が似つかわしくないものか、また、にもかかわらず、なぜ抽象 論が闊歩しているのか、という事を検証させていただきたいと思う、とは言え、私の実 体験を一つ一つ紹介していてはきりが無いので、特に多く経験した実例を基に、私なり に分類・分析したものを以下の要領でまとめさせていただいた次第である。 1.自動車保険事故処理においての「バカの壁」 (1)客観性と感情論者 (2)一元論者と勧善懲悪論者 (3)その他のタイプ・論点と二者択一論 以上の3つは別に自動車保険事故処理に限ったことではなく、他の保険事故処理にお いても出てくるものなのだが、便宜上、自動車保険事故処理の実務上から言える事柄 が多いので、順を追ってご説明させていただきたいと思う。 (1)客観性と感情論者 我々保険代理店に最初に事故の報告を伝えてくるのは、ほとんどの場合、事故当事者 でもある顧客本人であることが多いが、その際、代理店に伝えられる情報は、時間や 場所等の確認が容易な情報と、事故の状況や内容についての当事者の証言という、場 合によっては詳細の確認が困難な、不確実な情報とに分かれる。 最近は誰もが携帯電話を持っているので、怪我人がいない事故の際は、事故場所から そのまま、警察が現場に来る前に事故報告をしてくれる顧客も多くなった。 相手がいる事故の場合は、当然事故相手もまだその場にいることが多いので、全ての 事故当事者の証言をすぐに確認することも容易になった。これにより事故処理の初動 が迅速化される事となってきたのだが、昔も今も変わらない問題点がある。 それは保険会社(代理店)は客観的に判断できる情報だけを求めているのに、得てして 事故当事者は感情的な言動で客観性を無視した証言をしがちになる時がある事だ。 自動車事故で最も重要な情報は、事故当事者がどのような場所で、どのような運転を し、どのような事故になったのか、簡単に言えばただ「これだけ」である。しかし、事故 の状況は当然、当事者でなければ証言はできないが、当事者でもそれをよく覚えてい ない場合もあるし、双方の当事者がよく覚えていると言うわりには、当事者同士の話 す事故報告内容にかなりの食い違いが見受けられる場合もあるし、事故調査員がいく ら調査しても判明しない事も多くある。 「自分にとって都合の悪いことは隠しておきたい」と人間なら誰でも思うこともあるだろう し、ましてロンドンや新宿の歌舞伎町のように、まだ町中いたる所に防犯カメラが設 置されている時代ではないし、たとえ目撃者がいたり、同乗者の証言があっても、保 険で事故を処理する以上は無効であるし、警察は単なる「受付」にすぎない。 また、一般の人には、車同士の接触した車体箇所から、双方の過失が判定されると思 っている人が少なくないが、基本的には(特例はある)そんな判定の仕方はしない事 も、我々保険業界の人間は世間一般に知らしめる必要があるだろう。 例えば以前、私の顧客の事故相手に「自分は悪くない」ばかり言い続けた人間がいた。 もちろんそれだけではお話にならないのだが、それ以外の言葉は、「罵詈雑言」だけし か喋らず、こちら側も相手側も保険会社の人間は「お手上げ」だった。 顧客から事故報告は得ていたが、それだけで処理をするわけにはいかないので、私は 事故相手に顧客からの事故報告内容をぶつけ続け、その「悪くない」根拠をやっと聞 きだしたところ、 「自分は止まっていたし、自分の車の横っ腹をぶつけられたのだから、 自分は悪くない」という言い方に変わったが、事故調査の結果は既に出ていて、事故 場所の道路状況は、私の顧客が走行していた道路が優先だった上、一時停止標識も事 故相手側にしかない交差点内で、もちろん、事故相手車が停止していた事も証明でき なかった為、事故相手側の過失大で処理された。仮に、事故当事者の立場が逆の場合 でも、過失は100対0にはならないが、まさに「感情論恐るべし」と言える事例だ ろう。 最近、私が処理した自動車事故のケースで(1)の更にくわしい解説をさせていただ こう。 私の顧客(30代男性・会社員)が、とある交差点を右折するのを途中でとりやめ、 直進するという少々問題のある走行を行い、元々後方車両だった相手者が私の顧客車 を追い越し、前に出た際、接触したという事故があった(双方とも同乗者・けが人無 し)。 私の顧客の報告では、交差店内で右折を直進に変更する際、よく周りの安全確認をし てから、時速10キロ位で5メートル程直進した際、左後方から急に相手車が前方に 入った為、避けられず、自車両の前方と相手車両の後方が接触したとの事だ。なお、 事故場所が交差点内なのか、交差点を横断した向こう側なのかは覚えていないとの事 で、また、顧客と事故相手は、その場で埒の明かない言い争いをしている。 私の長年の友人であり、私の仕事をよく理解してくれている顧客なので、不明な点が あり、自車両の走行の仕方を証明するものは無いが、問題のある走行をしていたこと をわざわざ正直に話してくれた事は好感が持てるし、とりあえずは、客観的に判断で きる情報は多い。また、彼は、事故相手と自身の証言とに食い違いがある場合の判断 は、全てこちら側に任せ、なるべくそれに従うと言ってくれた。 それに対して、私が事故内容の確認を取った際の事故相手(40代男性・会社員)の 証言のいくつかを、私が、漫才で言うところの「ツッコミ」風のカッコ書き解説付で 紹介させていただこう。 なお、私は客観的な判断をする為、相手にどんな運転をしていたのかを、順を追って 質問しながら確認をしただけである。 事故相手:「俺はぶつけられたんだよ」(それはどうかわからないので質問をしている) 事故相手:「ぶつかった場所は交差点の中のわけないだろ、決まってんじゃん、常識だ ろ、追い越しできない場所なんだから」 (証明するものはないし、私は「決めつけ」の質問はしていないが、あなた は「決めつけ」で答えている。しかも言葉遣いも悪い) 事故相手:「俺はスピードなんかそんなに出してないに決まっているだろ!」 (だから決めつけんなって、時速何キロ位だったのか丁寧に聞いただけなん だけど・・・) 事故相手:「俺は割り込みなんかしてないよ!相手に追突されたんだよ」 (「割り込みしたかどうか」なんて質問はしてないよ、あんたは結論なんか言 わなくていいから、聞かれた事に答えてよ) 事故相手:「俺の車の修理屋も俺は悪くないと言ってるよ」 (あんたの車の修理屋は 神様かい) 事故相手:「早く俺の車なおしてよ」 (俺は修理業者じゃないよ、あんたもお願いだか ら、事故解決の為に「大人」になりなよ) なお、当然のごとく、事故相手は自分の保険会社には「追突された」との報告しかし ていなかった。これでは双方の保険会社同士では解決の仕様がない。 せっかくなので、事故相手を「悪くない」と言ってのけた相手車両の修理業者に連絡 して確認を取った際の証言もおまけしよう 修理業者の責任者:「こちらの車の後方に傷が付いているんだから、そちらのお客が追 突したに決まってるだろう、当然でしょうよ、常識だよ」 (また「決めつけ」かよ、事故の瞬間を見てたのかよ) *ちなみに私の顧客に以上の経過報告をしたところ、 「事故相手はともかく、関係のな い人間が勝手なこと言って腹が立つので、相手の修理業者を脅してもいいか?」と 聞かれたので、「ああいいよ、ただし、ただの『恐喝』にならないように『理論的』 にな、それと相手が理解できるように脅せ」とけしかけておいた。 このような案件の際、こちら側が取れる策としては、自分の顧客だけは味方にして おく事くらいだろう、それをしなければ「四面楚歌」になってしまう。 いかがだろうか?まさに「バカの壁」の「見本市」である。限られた情報の中で客観 的に物事を進め、判断していかなければならない時に、襲いかかって来る最大の強敵 は主観的「感情」であり、よくセットで現れる主観的「決めつけ」である。私は先述のよう な、感情にかまけて話にもならない話を展開する人間を「感情論者」と呼んでいる。し かし残念な事に、昔も今も相変わらず、この「強敵」はいつでも「ストーカー」のよ うに現れるのだ。しかも数も多い。種類としては、自己中心的で粗暴、支離滅裂なタ イプが主で、理論もヘッタクレもない。対応策としては、相手が「電池切れ」するま で、鼻でもほじくりながら聞き役に徹し、一方的にしゃべらせておくことだろうか。 (2)一元論者と勧善懲悪論者 (1)で述べた感情論者が、ただ単に、感情的にものをしゃべるだけなのに比べ、一 つの原理で一切の説明をしようとする一元論者は、とりあえずは理論はあるし、冷静 な人間もいる。しかしそれも、あくまでも客観性は無視したもので、「自身の保全が大 前提」である場合が多く、この点は感情論者と同じだが、感情論者がその時々の気分 によって言うことが違っていたり、支離滅裂だったりする場合があるのと違い、一元 論者は首尾一貫している。一種の「自分真理教」のようなもので、話し合いが不首尾に 終わっても、それはそれでよいという点はある。問題は、この一元論者が「勧善懲悪」 の考えを持った時だ。 感情論者が勧善懲悪の考えを持ち、こちらへ向かってくることもあるが、こちら側と 「立っている土俵」が一緒なので、「非常識な人間」で終わらせることができるし、警察 の力を借りる場合もあるので、対応は「覚悟を決めれば」簡単である。 だが、一元論者で勧善懲悪論者は、こちら側と「立っている土俵」が違うので、厄介 だ。 例えば過去に、被害者となった私の顧客(女性)の事故相手(中年男性)が、保険会 社からの賠償を得ているのにも関わらず、それ以外にも、 「加害者の『誠意』を求める」 と言って、何と7年間もの間、私の顧客に時々連絡を入れては、金(金額についての はっきりとした提示は無し)を要求していたケースがあった。 ちなみにその事故相手は、2週間程度の外傷で済んでいるし、加害者である私の顧客 は、直接および電話でも、何度もお見舞いをしているし、贈り物やお詫び状も差し出 すという良識人だ。元々は自分が加害者であるとの負い目から、当初は電話で応対し ていたらしい。だが、金を払う気はない意思は見せていたので、しつこくされたよう だ。警察に相談しても、相手は「元」被害者であり、自分のやっていることを「当然 の権利」と思っている人間だから、 「民事不介入」の立場からも、対応してくれなかっ たようだ(まだストーカー規制法が制定される前)。 私の顧客は7年間もよく耐えていたが、さすがに参ったらしく、「何とかしてほしい」 と相談してきたので、この手の相手は、「本職」がやるのならともかく、素人の第三者 が下手に脅したりするのも危険(こちら側にはか弱い女性の良識人がいるのに対し、 相手は非常識なオッサン)だし、関係の無い人間の介入を「不当」と抗弁してくるタ イプなので、幸いストーカー規制法が制定されたばかりの時期だったこともあり、私 は保険会社との打合せの上(実は相手は賠償は受けていたが、示談自体は7年間拒否 していた)、弁護士から、彼女に対する件で法的手段も持さないという趣旨の「警告書」 を発送してもらったところ、相手からの電話はぴたりとやみ、保険会社との最終的な 示談にも応じた。以外と「権威」に弱かったのである。 それにしても、元被害者とは言え7年間も・・・これは立派(?)なストーカーであ る。人間というものは上を見てもキリがないが、下を見てもキリがないと感じさせら れた案件である。 また、他の案件には、自分の主張を通す為、事故の事実関係の不明な点や客観性は無 視し、事故相手である私の顧客(配送業)の元受会社を調べ、そこに抗議の電話を入 れ、いわゆる「ネジ込もうとした」人間もいた。やり方は卑怯だが、逆に言えば「う まい手」だ。この手の人間の「常套手段」である。なお、同じやり方は私自身が顧客 にやられている。 既存の顧客の紹介により、自動車保険に加入してもらった顧客だが、事故を起こした 際、相手側との折衝が進展せず、紹介者から私に一方的に抗議をさせてきた。 保険代理店がもっとも困るやり方だが、折衝が進展しない原因は事故を起こした顧客 があまりにもわがままで、「自分の言う通りにしろ」という主旨しか持っていなかった からなのだが・・・ また、文章で書くのは多少問題があるかもしれないが、例えば、様々な団体(ご想像 にお任せする。お察しいただけるだろう)の関係者と、顧客が事故を起こした場合、 最初から話し合いの余地がなく、相手側からは「被害者はこちら側なので、迅速な賠 償を求める」と、決められた上で、話が進められそうになる事がよくあり、客観的に やらなければならない我々にとっては非常に困難だ。 一元論者も最初から答えが「自分は悪くない」で一貫している上、客観性を完全無視して いることが多く。客観性を求めようとすると「被害者をうたがうとは何事だ」と、「話の土 俵」をすり替えてくる。「O・J・シンプソン裁判」の弁護士のようなものだ。 ただの感情論者と違い、一応は理屈でものを言う(もちろん理屈にもならないが)。 そして「こちらは正義で相手は悪。悪はこらしめねばならない」という勧善懲悪の考えに基 づき、様々な手段をとってくる。普通の常識人から見れば、「バカの壁」を持った人間 にすぎないのだが・・・ (3)その他のタイプ・論点と二者択一論 (1)と(2)においては、特に代表的な自動車事故処理における実務上の問題点と 論点、およびタイプや実態を述べさせていただいたが、他にも「権威主義者」、 「単純 クレーム転換論者」、「代理店責任転換論者」、 「現実逃避主義者」等について述べさせ ていただこう。先述の(1)と(2)を兼ねることもあるが、便宜上、分けさせてい ただいた。 まず「権威主義者」だが、これは文字通り「権威」を武器とするか、自分の社会的地 位を利用して「ゴリ押し」をするタイプの人間だ。 例えば、これは他の代理店主に聞いた話だが、ある有名政治家の秘書(本当かどうか はともかく名刺は持っていたとのこと)と顧客が自動車事故を起こした際、「こちらの 言うとおりにしないと困った事になる」と脅されたが、そっちがその気ならこちらも とことんやるまでという態度を見せた途端、急に態度を軟化させ、事故は客観的な判 断に基づいて処理されたという。 また、別の代理店主に聞いた話では、ある警察署の重役の妻と顧客が自動車事故を起 こした際、亭主であるその警察署の重役がやって来て、名刺を差し出しながら先述の 政治家秘書と同じようなことを言ったので、「上等じゃねえか」という態度を見せ、名 刺を受け取ろうとしたところ、その警察署の重役は名刺を引っ込め、やはり急に態度 を軟化させ、事故は客観的に処理されたとのことだ。 何のことはない、単に一般庶民をなめているだけのことだ。まして我々の経験から言 わせてもらえば、権力者や権威よりも、先述の(1)(2)のような素人や、「その筋」 の人間や、「様々な団体」の人間の方がよほど怖い。 また、他にも、世の中で社会的地位・信用が高いと言われている仕事に就く人にも、 このタイプは少なくないと思われ、しかもやたらとプライドが高く、困りものだ。 例えば私の顧客にも、顧客の事故相手になった人間にも、いわゆる「センセイ」と呼 ばれる職業の人間が少なからずいたが、自動車事故の際は、普段の知的で理論的な態 度はどこへやら、客観性などまるで無視して「俺の言うとおりにしろ」、「俺の言うことが信 用できないのか」等の、見苦しい言葉のオンパレードだ。一番笑わせてくれたのが、数 年前の私の顧客の事故相手に、ある地方の「地元の名士」を名乗る男がいた が、事故内容を確認した際、「俺は地元の名士なんだ。地元の人は、誰もが俺の言うこ とを信用してくれる」とうそぶいていた。しかし、私の顧客との事故報告内容がかな り食い違い、何ヶ月経っても解決しなかった為、お互い妥協した方が良いと提案した ところ(私の顧客はとっくに納得済み)、その「自称、地元の名士」は、「バカ野郎! てめえみたいな奴は人間じゃねえ!死んじまえ!」と言って電話を切った。 ちなみに事故は「自損自弁」で処理されたが、所詮、「名士」の正体など、この程度の ものということか、いや、それ以前に「名士」は自分で自分のことを「名士」とは言 わないものだと思うのだが・・・ 笑わせてくれることもある「権威主義者」に比べ、絶対笑わせてくれないのが、 「単純 クレーム転換論者」と「代理店責任転換論者」だ。 「単純クレーム転換論者」は、自分の思い通りにならない場合は、直ちに保険会社に 「クレーム」として訴える輩のことで、もちろん事実関係の不明な点や客観性は無視 してである。 近年問題となっているインターネットの掲示板に対する、匿名の、他人への誹謗中傷 を書き込むのもこういうタイプだろうか、例えば「私は○×保険会社にこんなひどい 事故処理をされた」などという文章が、合法・非合法を問わず、各種企業に対する意 見を言うホームページの掲示板に載っていることがあるが、事実関係が読み手に理解 できるように書かれていない場合は(書かれていてもだが)、まず「話半分」と思った 方が良いだろう。まして「匿名」ではなく、関係者と正々堂々と話し合えば良いのだ。 我々保険代理店も保険会社も、普段からしっかりとした仕事をしていれば、クレーム となることはないし、まして、本当のクレームなら、きちんと対応するべきだし、「ク レームとされた」ものなら、事実関係を調べられた際、自分の仕事ぶりに何の問題も なかったことを説明できればそれで良いのだ。 また、「代理店責任転換論者」は、「単純クレーム転換論者」と同じタイプだが、より スケールは小さい。事故相手とお互いの保険会社ではなく、最後は「保険代理店が悪 い」と言ってくる輩だ。対応策としては「単純クレーム転換論者」の場合と同じだが、 「事故慣れ」した輩は、事故相手であるこちらの顧客にこの言い方で文句を言ってく るので、顧客が丸め込まれることがあり。意外と要注意だ。また、(2)でも述べたよ うなわがままな顧客や、事故処理が思うように進まない場合は、いかなるケースにせ よ、顧客自らこの考えを持つこともあるので、我々保険代理店は、普段から顧客との 信頼関係を築いておくことが肝心だろう。 自動車保険事故処理においての「バカの壁」を持つ主なタイプとしてのトリに「現実 逃避主義者」を紹介させていただこう。 これはある意味、一番、保険代理店および保険会社泣かせと言える。なぜかというと、 事故の一報から解決まで、事故当事者本人ではなく、変わりの人間と連絡を取っての やり取りとなるからだ。 例えば、契約者が親で、事故を起こしたのが子供、というパターンに少なくないが、 事故報告を親が、子供から話を聞いてから変わりにしてくることがある。この際、事 故相手側の報告と事故内容が一致(「ほぼ」でも良い)していれば何の問題もない。 問題は一致していない時で、当然、事故処理の折衝は進展しない事になる。こちらと しては本人と話がしたい、となるのだが、契約者である親は「子供の言う事ことを信 用している」とか、「子供の言う通りにしてほしい」等と言って、本人と話をさせてく れないし、合わせてもくれない場合があり、また、たとえ本人と話をさせてくれても、 話し合いができているのか、親と話が一緒で進展しないことには変わりがなく、いつ まで経っても事故が解決せず、最後は代理店と保険会社が悪いことにされてしまう。 また、逆に、事故相手の親しか出てこなかった場合でこのパターンがあり、その相手 の親は、こちらの保険会社にクレームとして抗議してきた。その際の抗議内容はいた ってシンプルで短絡的なもので、「うちの子供は被害者なのに、なぜ話し合わなければ いけないのか」というものだった。私は先述の件も含め、こういうのは「親ばか」ではな く「バカ親」だと思っている。 未成年ならいざ知らず、いや未成年であっても、これ位の問題はきちんと本人が対処 するべきなのだ。だが、このタイプ、成人している場合でも、過去の例としては先述 の「親子間」に限らず、「夫婦間」や「他の親類間」等があり、変わったところでは、 「会社の同僚間」というのがあった。 なお、この「現実逃避主義者」にはもう一タイプある。それは自分が加害者になって も、被害者にお詫びを言ったり、お見舞いに行ったりという、加害者として、と言う よりも、社会人として当たり前の義務を果たさない人間だ。または、加害者かどうか は別に、事故当事者としての普通の責務を果たさない人間もこれに入る。 ちなみに、このパターンに一番多かったのは、任意保険未加入者(事故相手)だ(自 賠責まで未加入の場合もある)。自動車保険未加入ということ自体「現実逃避」という ことか。 さてここで、近年、私も少なからず経験した、自動車事故処理において問題となって きている事例を紹介させていただこう。 それは事故相手が不法滞在外国人だった場合である。 ここ数年、不法滞在外国人による犯罪が急増しているそうだが、ご多分に洩れず、自 動車事故も起こす。しかも、大概は事故の責任を一切取らずに母国へ逃げ帰るか、事 故の際、日本の警察に身柄を拘束されて母国へ強制送還されるかのどちらかだ。 事故の状況も一方的な加害者であることが多く(居眠り運転や信号無視など)、警察は 被害者の為の損害賠償活動は一切やってくれないので、被害者はたまったものではな い。我々保険代理店の人間が力になってあげるしかない。 不法滞在外国人が使用していた車は、日本国内で盗んだものを別にすれば、無保険で あることがほとんどで、仮に、車の持ち主が日本人の第三者であったとしても、被害 者の為の賠償請求には手間暇がかかる為、結局は被害者が付保している保険を使用す るしかなく、付保内容によっては「泣き寝入り」しなければならない事もある。 とりあえず問題提起が目的なので、この辺でやめておく。 ここで「バカの壁」を持っている事故相手(側)との交渉には、「二者択一」のどちら かを取らざるを得なくなることを述べさせていただこう。 自動車事故に限らず、本来、交渉事というのは次の「三者択一」のはずである。 ①こちらの要求を相手に呑ませる ②相手の要求を呑む ③お互いの妥協点を模索し、歩み寄る 理想としては、当然③を選択し、解決を図るものだが、「話せばわかる」がどうしても 通用しない相手というのはいるもので、この場合、①と③、もしくは、②と③のどち らかで二者択一し、②に近い③を選択する事が多くなる。自分の顧客に理解してもら えば、別にそれで良いのだが、もし、①と②の選択となったら厄介だ。案件はいつま で経っても解決しないことになる。個人レベルの問題ならまだしも、国同士なら最後 は「戦争」しかない。 そう、日本が今、隣国と抱えている問題も、我々保険代理店が実務レベルで抱えるこ とのある問題も、実は、「規模は違えど図式は一緒」なのである。とてつもない「バカの 壁」を持った「話せばわかる」は一切通用しない相手と交渉するには、③の選択肢は あり得ず、①と③、②と③の二者択一が取れないとなれば、もはや、①と②の二者択 一しかないのだ。あとはその二者択一を選ぶ勇気・覚悟があるかどうかだが、読者の 方がそれぞれ結論を出す問題だと思うので、これもここまでとしておこう。 以上、自動車保険事故処理の実務における代表的な「バカの壁」を私なりに分析、解 説させていただいた。 それにしても、先述のような案件を扱う時にいつも思うことだが、大事に至らなけれ ば「たかが自動車事故」であり、基本的には「事故はお互い様」のはずである。なぜ、その ように考えられない人間(日本人?)が少なくないのだろうか・・・? 2.自動車保険以外の保険事故処理における「バカの壁」 自動車保険事故処理における項目で書きたいことをほとんど書いてしまったが、当然、 他の保険事故処理においても、我々保険代理店は様々な「バカの壁」に突き当たる。 まず、現実問題として、個人賠償責任保険の対象事故においては、自動車保険と違い、 保険会社に示談交渉を行うシステムがなかった為、既成事実として、我々保険代理店 が代わりにそれを行ってきた歴史がある。 例えば、私も、ゴルファー保険の顧客が、ゴルフプレー中、打ったボールを他の組の 人間にぶつけた時、被害者の治療費や慰謝料、場合によっては休業補償等の通常認め られる損害の他、間接損害を際限なく要求されたことがあり(一緒にラウンドしてい た他の3人分の飲食費やプレー代、交通費や、けがをした本人による、通常認められ ない生活費の要求等)、被害者の怒りを静め、保険賠償の範囲を納得してもらうのに数 十日費やした記憶がある。 また、団地やマンションの火災保険の顧客が、階下に水漏れ事故を起こした時、顧客 宅を訪問し、加害者である顧客を落ち着かせ、保険事故処理の段取りを説明し、被害 者宅を訪問し、保険事故処理の段取りを説明し、被害者を落ち着かせ、鑑定人が来る 前に事故現場の参考写真を撮る等の仕事も数多くこなしてきたが、その際も、被害者 (宅)が一軒だけとは限らず、例えば、団地の5階に住む顧客が、階下全ての部屋に 水漏れ被害を与えたこともあったし、被害者が被害額以上の過剰要求をしてきたこと も少なからずあった為、被害者の怒りを静め、保険賠償の範囲を納得してもらうのに 何度も訪問したことも少なからずあった。 しかも被害者の中には、私が散々話をして、釘をさしていたにもかかわらず、保険で は認めてもらえない(もちろん法律上も)部屋全体の修繕を勝手にしてしまい、それ を請求してきた者もいた(もちろん散々もめることとなった)。 まさに被害者になったことを「これ幸いに」と言ったところか。 ではここで、私がどうしても書きたかった火災保険事故処理において経験した「バカ の壁」を紹介させていただこう。 通常、自動車事故に比べ、火災事故ははるかに少ないが、それでも保険事故処理の為 の業務をやるとなれば、その労力は自動車保険事故処理以上に大変なことがあり、事 故現場の参考写真を撮ることはもちろん、被害者への被害物の保管の依頼や、保険請 求の為の、被害物および被害金額を確定する為の、被害者への補助作業など、やるこ とは多い。まして、被害物件が店舗となればなおさらだ。 以上のことを踏まえていただき、これから紹介する案件は、正確には火災保険で「対 象とするはず」の、ある水漏れ事故の一件である。 一昨年の夏、店舗総合保険(3階建て事務所兼マンションの自室分の家財を契約)に 加入してもらっている都内在住の顧客A氏(60代)の奥さんから、湯沸器の水道管 が破裂し、自室が水浸しになったとの報告が入り、私は早速、詳しい情報を得る為、 A氏宅を訪問した。 A氏は不在だったが、水道管が破裂した瞬間を目撃した奥さんから状況を説明しても らった。 それによると、朝7時頃、湯沸器を使おうとしたところ、湯沸器とつながっている水 道管の蛇口の根本付近から、水がポタポタと垂れているのに気づき、どうしたのだろ うと少し様子を見ていたところ、突然、蛇口が吹っ飛び、蛇口のなくなった水道管の 先から大量の水が噴出した為、あわてて奥さんは3階の自室から1階まで降り、水道 管の元栓をしめ、水を止めたが、自室に戻ると、部屋中いたる所、床と畳などが水浸 しになってしまったとのことだ。 まるでオカルト映画である。 私はA氏宅に入った瞬間、状況を察したが、奥さんは私が訪問する前に、直ちに湯沸 器を取り付けた業者を呼び、仮の、代わりの蛇口を取り付けてもらう突貫作業(本格 工事は後日)を終えてもらっていた。 A氏が家族とともに3階に住んでいるA氏所有のマンションは、1階と2階は事務所 専用のテナントが入っていたが、幸い、そちらへの被害はなかった。 私はとりあえず、現場の写真撮影を行ったが、奥さんは一番肝心な物である「吹っ飛 んだ蛇口」の現物を、業者に回収させずにとっておいてくれたので、それも様々な角 度から撮影させてもらった。 見るとその蛇口は水道管の太さに比べてとても大きくて重く、例えて言うなら、 「箸に かぼちゃを付けた様な状態」だったのではと思わせるような物だった。しかもさびの 状態が、頭が吹き飛んだことにより、中がよく見える水道管共々ひどかった為、老朽 化が原因かと思ったが、奥さんの話では、なんと、湯沸器と一緒にこの蛇口を取り付 けたのは1年半前だとのことだ。 「これは湯沸器を取り付けた業者のPLだな・・・」 私はピンときた。 私は奥さんに、訪問前に一報を入れておいた保険会社からは、明日、鑑定人が派遣さ れることを聞いていたので、明日は被害の確認の為、鑑定人と一緒に訪問するので、 この蛇口をとっておいてもらうことを告げ、もう一つ肝心なことである床の被害、つ まり「建物の被害」を火災保険で請求する手はずはどうなっているかを質問した。 A氏はこのマンションを建てる際、B銀行から融資を受けているので、建物の火災保 険はB銀行経由で加入させられていたことを知っていたが、途端、奥さんは暗い表情 となり、私の質問に答えてくれた。 それによると、B銀行に今回の事故報告をした際、直接保険会社に連絡するように支 持されただけで、しかも、連絡をした保険会社によると、A氏のマンションの保険の 種目が長期の「住宅火災保険」の為、今回の事故は対象にならないとだけ言われ、対 応を終わらせられたという。なお、A氏も奥さんも、保険加入の際、保険内容の説明 をB銀行側から一切受けていないという。 私は奥さんに保険証券の写しをみせてもらい、憤懣やる方ない気持ちになった。 まさに「殿様商売」の権化である。 我々保険代理店が「コンプライアンス」の名の下に、厳しい状況の中で業務を遂行してい る昨今、このようなことが平気でまかり通っているのも現実なのだ。しかも、後日、 A氏も奥さんも言っていたが、仕事でも融資を受けている(A氏は会社も経営してい る)銀行なので、喧嘩はしたくないとのことだ。 私に言わせれば、A氏夫妻の言う通りなら、この件でB銀行のやったことは「保険販売」 と呼べるものではないし、「事故対応」の風上にも置けないもので、もし、我々保険代 理店が、B銀行の様な仕事をすれば、保険業法300条違反で処罰されるだろうし、 一般の人には「保険なんてこんなものだ」という偏見を与えかねないだろう。もっとも、 B銀行の様な保険業務をしている金融機関は、A氏の様なケースを鑑みれば、多分多 いのだろう。 これはもう立派(?)な「バカの壁」である。 話を元に戻す。 次の日、私は鑑定人と共に再度A氏宅を訪問した。 鑑定により床・畳・カーペット等の被害額は、合計で30万円程が見込まれ、また、 例の「吹き飛んだ蛇口」を見た鑑定人は、断定は避けたが、「湯沸器設置業者のPLの 可能性あり」と判断した。 私はA氏夫妻から、どう話せば良いのか判らないので、設置業者に、損害賠償をして もらえるよう交渉してほしいと懇願された。たしかに、裁判をやるには割に合わない し、調停をやるには労力がかかりすぎる。 それに、昔からの馴染みの顧客が困っている姿を見て、断るわけにはいかなかった。 名刺によると、A氏宅に湯沸器を取り付けたC社は、湯沸器・風呂釜等の修理販売を するガス器具器総合メーカーとのことだが、いわゆる「一人親方」的な会社だという。 私はC社と何度か連絡をとり、次を要点とし、交渉を重ねた。 ●A氏は、この度の水漏れ事故について、C社の 1 年半前の湯沸器取り付け工事につ いて不信感を持っており、PL法の観点からも、C社には「お客様」であるA氏に 対し、工事内容についての明確な説明を行う義務や、理解ができるような文章での 回答等をする義務があるのではないか。 ●保険会社指定の鑑定人も、C社のPLの可能性を指摘しているし、本工事の際、現 物を回収したとはいえ、「勝手に」破損した蛇口や水道管の写真等、「証拠」となる ものもあるが、A氏は、裁判等の揉め事を起こしたくない意向から、C社からの明 確な回答を望んでいる。 私が連絡を取る度に電話に出るC社の社長は、口ではこちらの意向を理解しているよ うなそぶりだが、いつも答えは同じで「当社には何の落ち度もないし、落ち度のない ことを、いずれ文章なりで回答する」ということを繰り返すのみで、現在に至ってい る。 もちろん(?)PL保険には加入していないとのことだ(それ以前に「PL」の概念 自体、わかっていない様子だった) 。 裁判や調停をやることも多分ないだろうし、たとえやって負けても、支払う賠償金も 大したことはないとたかをくくっているのだろう。これは偏見かもしれないが、電話 で話をしたC社の社長の印象を「バカの壁」として、私はこのようにとらえた。 それにしても、PL法が施行されて久しいが、「現場の現実」など、まだまだこんなもの である。いざとなったら、誰も「誠意」を見せないし、責任をとろうともしない。 もっとも、これは保険事故処理の実務にたずさわっていて感じることに限らないが・・・ 法的処置をとることは、考えてはいなかったA氏は、もう2度とC社を使わないとの ことで、建物の火災保険については、銀行側の保険会社と直接やり取りし、加入しな おすとのことだ。 家財の被害については、私で加入していた保険で補えたことと、私の労力について、 奥さん共々、心から感謝してくれた様子だったのが唯一の救いだった。 他に、保険もいっぱい入ってもらったし・・・ 終わりに ということで、保険代理店の実務から分析した「バカの壁」いかかだっただろうか。 今回の小論では、保険事故処理の実務からの観点のみだったが、実は他にも、保険会 社側や様々な顧客とのやり取りにおけるもの等も書きたかったのだ(機会があればぜ ひ)。 しかし、今作をこれ以上長くするわけにもいかず、しかも、要点のみにしたかったの だが、具体例を挙げなければ理解されないと思ったので、これでも最小限だが、依頼 を受けていた文章量よりはるかに長いものとなってしまった。長々とお付き合いいた だいて感謝の念に耐えない。 もちろん、私なんかよりも数多くの保険事故の実務を経験された同業者も多いだろう し、まして保険会社の損害調査部の人たちの苦労は並大抵のものではないだろう(私 は損害調査部の人達とは常日頃から綿密な打合せをしている)。 しかし、現実主義者で実務主義者の保険代理店として言わせてもらえば、保険会社側 には判らない、代理店と保険事故当事者とのやり取りにおける「裏の部分」と「手を 出せない世界」が数多くあるのだということを理解してもらい、更なる保険会社との 信頼関係、協力体制を築くため、また、せっかく「インスウォッチ」紙上で書かせて いただけるのだから、単なる「汗かきべそかき事故処理体験記」的なものでは意味が なく、無謀にも、分析による学術論文的なものにしたかったし、業界人だけではなく、 一般の人も読んで理解してもらえるようなものにもしたかったのだ。 また、冒頭でも書いたが、損害保険を販売している他の金融業界の人や、保険業界に 進出してくる、または進出しようと思っている他業界・他業種の人にもぜひ読んでい ただきたい。その理由は・・・ここまで読んでもらえれば説明は不要だろう。 あえて言えば、目に見える物は「見ないふり」をしても、「見なかったこと」にしても、そこに存 在し、臭い物は「蓋」をしてもにおいの元はなくならないということで、その対処と対応に ついては、結局は誰かがやらなければならないということだ。 しかし昨今の損保業界は、本来ならその「当たり前」のことを「当たり前」のこととして きちんと考えないようにしてきた部分があったから、他業界に進出されたり、現場の 実態と実務がわかっていない人間が物事を取り決めたりして、こんなに混乱してしま ったのではないかと思うのだ。 もっともこれは損保業界に限ったことではなさそうだが・・・ なお、今回の小論では、養老孟司氏の著書で有名になった言葉「バカの壁」を、言葉 としてかなり「しっくりくる」と思ったので使わせていただいた。養老氏が私の著作 をお読みになることはまずないだろうし、仮にお読みになったとしても、私の主旨を すぐに理解してくれるだろう。 最後に、改めて、私の駄文にお付き合いいただき、心より感謝している。 出展: inswatch ( http://www.inswatch.co.jp/ ) 【inswatch solution report】2003.12.12