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effectivités
effectivités
Huh Sookyeon
はじめに
(1) 領土帰属法理の「構造」
国家主権の意義は、国家領域における独立を意味するとされ、それは、
「他国を排し、領
域内において国家機能を行使する権利」として定義される(1)。ある領域に対して排他的な主
権を得ていることを、ある領域がある国家に帰属すると表現する。領域の帰属について、
国際法学においては、領域主権そのものではなく、領域権原という概念を用いて規律する。
領域権原とは、一般的に「領域主権を附与する事実」もしくは「領域主権の基礎」と定義
され、領域権原を取得した国には領域主権が認められ、それは国際社会全体に対抗できる
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
(2)
(対世効)
。つまり、領域権原があるために、ある国家による領域支配は法的に認められ、
他国もそれを尊重する義務があることになり、また同時に、
「権原なき」領域支配は法的に
認められない。
本稿の主題である「領土帰属法理」というのは、領域(領土・領海・領空)のなかで基本
となる陸に対する領域権原を確立する方法・態様等を規律する原則あるいは規則群とそれ
を指導する考え方として捉えられる(3)。こうした領土帰属法理としては、従来から、神授説
や様式論、
〈主権の表示〉アプローチ、歴史的凝縮理論等が論じられてきた。これら諸法理
の関係には十分な検討が必要とされるが、本稿では詳細に立ち入らない(4)。その代わり、こ
れらの諸法理が、詳細は異にしながらも、領土帰属を規律するための基本として有してい
る「構造」を明らかにすることを試みたい。
もっとも、領土帰属法理の構造を抽出する試みは決して新しいものではない。パルマス
島仲裁判決(1928 年)において仲裁人フーバーは、領土帰属法理の構造を抽出することを試
みた。まさに、その試みによって、本件判決は領域紛争においてリーディングケースとし
て認められているだろう。そこで本稿も、パルマス島仲裁判決においてなされた作業を確
認することを通じて、領土帰属法理の構造を確認することとする。本論を先取りするなら
ば、領土帰属法理の構造としてフーバーが注目したのは、
「実効的捕捉行為(an act of effective
(5)
であった。彼によれば、
〈主権者だけが可能な方法によって当該領土を実効
」
apprehension)
的に支配しているかどうか〉が領土帰属法理において重大な要素となる。
しかしながら、
〈領土を実効的に支配しているか〉という要素は、誤解に晒されることが
多い。たとえば、ある国家が領土を実効的に支配するために、実際に国家がその土地を使
国際問題 No. 624(2013 年 9 月)● 20
領土帰属法理の構造―権原と effectivités をめぐる誤解も含めて
用、占拠あるいは私的所有する必要があるとする考えは、きわめて素朴な誤解のひとつと
言えるだろう。もっとも、こうした素朴な誤解は、それが誤解であることさえ認識されれ
ば、判決や学説を紐解くことによって容易に解きほぐされる。他方で、より厄介な誤解が
存在する。誤解が従来の領域法の概念と結合して、独り歩きを始め、新たな領域法の「文
(6)
法」
とも言えるものを生み出す場合である。そのひとつの例が、本稿の副題である権原と
effectivités の関係をめぐる誤解である。もっとも、この誤解は、判決の個別的事情や国際社
会全体の文脈の変化に適応するための領域法における技術であり戦略とも捉えうる。こう
いった場合に重要なのは、誤解か否かではなく、このような適応策が、説得力のある法的
議論を提示できているかどうかであろう。
このような問題関心を踏まえて、本稿は、第 1 節において、領土帰属法理の構造を明らか
にすることを通じて、領土の実効的支配の意義を確定する。そのうえで、第 2 節にて、権原
と effectivités の関係をめぐる誤解あるいは新たな文法とその文脈について論じる。しかしな
がら、本論に入る前に、領土をめぐる紛争の類型に関する整理を行なう。領土帰属紛争と
境界画定紛争の違いである。この整理は、本稿の対象を明らかにするための予備的な作業
であると同時に、第 2 節にて扱われる新たな文法を理解するための補助線を提供することに
なる。
(2) 領土紛争類型の「違い」と「差」
従来、領土をめぐる紛争は、対象領土の権原の所在を争う「領土帰属紛争(disputes as to
」と、国境線の位置を争う「境界画定紛争(frontier or delimitation disputes)」
attribution of territory)
の 2 種類に区別されてきた(7)。争われる対象に応じて紛争類型を分類する理由は、単に講学
上のものではなく、紛争解決の側面における審理対象や決定的な理由が異なるためとされ
る。領土帰属紛争においては領域の現実支配あるいは占有が決定的な重みをもつのに対し
て、境界画定紛争においては、二国間協定や文書による証拠が重要視されるという(8)。
紛争類型に応じて審理対象が異なる理由を本格的に論じた者として、ルテールが挙げら
れる。ルテールによれば、境界画定紛争では、領土帰属紛争とは異なり、当事国の主張が
重複する部分は地理的に自律していないきわめてわずかな部分であり、そのようなわずか
な部分に対しては、領域権原を帰属させうるに足る十分な主権行使は通常見込まれない。
それゆえ、境界画定紛争類型においては、過去に画定された境界線の位置を確認すること
が紛争解決の方法であり、実効的支配は問題にならないのであり、条約や合意など文書に
よる証拠が争われざるをえないとする(9)。
このようにルテールは審理対象の絶対的な区別を主張するが、こうした区別は相対的な
ものにならざるをえない。第 1 に、たとえ領土帰属紛争であったとしても、以前に当事国間
で領域帰属について合意した経緯がある場合、当事国は、その合意を確認するために条約
や協定など文書による証拠を争うことになる。第 2 に、権原の帰属を争う場合にも、その権
原の及ぶ範囲がどこまでかも争われることになる。権原帰属が、実効的な支配によって確
定されなければならないとすれば、その権原の及ぶ範囲もまた、実効的な支配がどこまで
及んでいるかによって確定される。権原の及ぶ範囲が国境線である以上、国境線をめぐる
国際問題 No. 624(2013 年 9 月)● 21
領土帰属法理の構造―権原と effectivités をめぐる誤解も含めて
紛争においても、領土の支配が審理対象となりうるのである。紛争類型の相対性について、
(10)
国際司法裁判所(ICJ)も、紛争類型に応じて審理対象が異なるということは「誤解」
であ
り、両紛争類型の関係は、
「種類の相違(un contraste de genres)」というよりも、むしろ「境界
線画定方式に関する程度の差(une différence de degre dans la mise en œuvre de l’opération considérée)」
であると論じた(11)。
たしかに審理対象が紛争類型によって異なるという見解は「誤解」と言えるが、両者の
違いは、領域権原帰属あるいは境界画定の決定によって分割される土地の部分の大小の
「差」には還元しえない。両紛争類型の前提とする状況の違いによって、審理対象の限定と
は異なるかたちで、両類型はやはり「種類として」異なり、その取り扱いも異ならざるを
えない。小寺は、帰属紛争は権原帰属の「確認」が紛争主題であるのに対して、境界画定
紛争は、かつて両国間で決定した国境線があった場合には「確認」によって紛争が処理さ
れるが、そのような国境線がなかった場合には、新たな国境線が「設定」されることによ
って紛争が処理されうると論じ、紛争処理の判断の法的性質が決定的に異なりうることを
示唆する(12)。
小寺が言うように、境界画定紛争において、その設定方法や解釈において争いがあると
しても(川の中間線原則や分水嶺原則、ウティ・ポシディーティス〔uti possidetis〕原則等)、新
たな境界線の「設定」が可能であるとすれば、
「設定」を可能とする前提状況とは何かが問
われなければならない。境界画定紛争が想定するのは、実のところ、
「〔自国領域に〕隣接す
(13)
状況である。これが、
る当該領域に対して隣接両国がそれぞれ合法的な主張をしている」
国境線の設定を可能とする状況である。両国に隣接した紛争地域(両国の主張する国境線が
ずれている部分)が少なくとも隣接国のどちらかの領域であるという前提、言い換えれば、
必ずどちらかの当事国に紛争地域が帰属するという前提があるゆえに、その範囲内に新た
に設定される国境線は、既存の合意といった特別の事情がなければ、当事国のどちらかの
領域主権に基づくものであり、法に適った国境線とみなしうる。すなわち、国境紛争の場
合、国境線に領土が接するのは通常隣接両国のみと考えられることから、係争地域も必ず
どちらかに帰属する(紛争当事国のいずれかが権原を有する)という「二国間性の推定」が働
く。それゆえ、権原が確立しているかどうか自体は、論争の対象とならない。他方で、領
土帰属紛争において、そのような推定は必ずしも働かないことから、権原それ自体が確立
しているかどうかが証明されなければならない。
実のところ、こうした「二国間性の推定」と同様に、権原の確立自体を紛争の対象から
除外する効果をもつ操作が、領土帰属紛争でも行なわれつつあり、そういった意味での両
類型の相対化も進んでいる。本稿第 2 節で、そうした例を検討する。その前に、領土帰属紛
争で争われる領域権原の確立とは何かについて次で論じる。
1 領土帰属法理の構造―「実効的な支配」の意義
領土帰属法理として従来から一般的には様式論が挙げられる。国家が領域権原をどのよ
うに取得し喪失するかという得喪の方式(=様式)をあらかじめ定めることによって、領土
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領土帰属法理の構造―権原と effectivités をめぐる誤解も含めて
帰属を規律しようとするものである。領域権原を取得する様式として、無主地先占・割
譲・時効取得・添付・征服併合の 5 つの様式が挙げられることが多い(14)。取得様式に対応す
るかたちで、喪失する様式も定められており、様式に定める行為・事実が生じた場合に国
家は権原を取得し、喪失様式に定める行為・事実が生じるまで、その権原を保持する(静態
。また、それぞれの様式は一国のみが充足できる要件であることから、権原保持者は取
性)
(15)
得から喪失までの間、重複することは想定されていない(一国性)
。
しかしながら、パルマス島仲裁において、フーバー仲裁人は、様式論の各様式が紛争の
局面で言及されるものの、その用いられ方は様式論の前提と異なることを指摘した。まず、
フーバーは「領域紛争においては、まず主権を主張する国家が、他方に対して優位する割
(16)
譲・征服・先占等の権原を有しているかを審査するのが慣例である」
と述べながらも、他
方で、仮に一国が様式を充足していたとしても「他国が実際の主権の表示を主張している
場合には、ある時期に確立されていた権原を立証するだけでは不十分である。領域主権者
のみが可能な実際の主権の表示が継続して存在したこと、また決定的とされる時点で存在
(17)
したことを示す必要がある」
ことが紛争解決において要請されていたと言う。これは、様
式を充足していたとしても、対抗する主張に対して、主権の表示が継続して存在していた
ことを示す必要があることを意味する。すなわち、様式論の想定する一国性も静態性も、
紛争の局面では機能しないというフーバーの理解を示す。
こうした認識を前提にしながらも、フーバーは、領土帰属法理の構造を論じることによ
って、様式論と紛争における慣例は矛盾するのではなく、両立すると論じた。すなわち、
領域主権取得権原は「実効的捕捉行為」が前提となっており、様式論の各様式もそれぞれ
異なるようにみえるが、実効的捕捉行為という共通の要素を内包していると言う(18)。具体的
には、先占と征服は明白に領域の実効的支配に基づいた様式であるし、割譲もまた、譲渡
国と譲受国、少なくともそのどちらかは、割譲地を実効的に処分できる権能を有している
ことが前提とされている。自然添付も、すでに実効的な主権が存在し、その主権の及ぶ範
囲における土地の隆起であることから、主権が及ぶことが認められる。ここから、フーバ
ーは各様式を通底する単一の包括的原則が存在すると述べ、その原則が各様式に対して優
位しているとした。その原則とは、
「領域主権の継続的かつ(他国との関係で)平穏な表示は
権原に値する(The continuous and peaceful display of territorial sovereignty[peaceful in relation to other
States]is as good as a title)
」であるとし、これは国家慣行や学説の認めるところであるとした(19)。
こうした「諸様式」あるいは「諸権原」がひとつの包括的な権原である「主権の表示」
へと概念化される過程で、様式論のもっていた構造は次の 3 点で大きく変更を受けた。第 1
〈主
に、権原確立に関してあらかじめ定められた(合意された)態様は存在しなくなった。
権の表示〉アプローチによれば、各様式は領域主権の表示の具体例にすぎないのである。し
たがって、どのような主権の表示が権原に値するのかが個別具体的に問われることになる。
第 2 に、
〈主権の表示〉アプローチによって、領域権原概念の「プロセス」としての側面が
照らし出された(20)。
〈主権の表示〉が「継続的」であるという状態が権原確立・維持のため
に求められているということは、いったん、権原取得様式を充足しただけでは十分でない
国際問題 No. 624(2013 年 9 月)● 23
領土帰属法理の構造―権原と effectivités をめぐる誤解も含めて
ことを意味する(21)。第 3 に、
〈主権の表示〉の要件として「(他国との関係で)平穏」である
ことが示されたことによって、領土帰属法理に明示的に他国の態度や反応という要素が取
り入れられた。様式論は、時効取得を除けば、基本的に権原を取得する国家側のみに関与
する規律方式であったことと対照的である。
こうした構造変化を経た〈主権の表示〉アプローチであるが、それが具体的に何を指すの
かを明らかにすることは容易ではない。
〈主権の表示〉アプローチは、パルマス島仲裁以降、
多くの国際判決で援用されているが、そうした判決の蓄積も、主権の表示の標準化や明確
・
・
・
・
化というより、例示にとどまっている。なぜなら、パルマス島仲裁においても「状況に応
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
(22)
じた方法による領域主権の表示」
と表現されているように、
〈主権の表示〉の具体的態様
は領域の状況に依存せざるをえない。具体的に、フーバーは、パルマス島が遠隔の小島で
あることと、競合する権原主張を行なう他国の不在、その他の現地の状況に鑑みて、
「先住
民のみが居住する離れ小島に対する主権の表示が頻繁であるとは期待できない」とした(23)。
東部グリーンランド事件(1931 年)においても、権原主張を考慮するに際して必要な事項と
して、
「他の国家によって主権が主張されている程度」が挙げられた。すなわち、
「相手国が
優越的主張を立証しえなかった場合、法廷は、主権的権利の現実的行使については、きわ
めて希薄な行使で満足してきた。……これは、とりわけ人口希薄もしくは人が定住してい
(24)
のである。実際に、諸判決で具体的に権
ない地域に対する主権の主張に関して該当する」
原に値するとして認められた〈主権の表示〉も、散発的な宗主権条約の締結や、若干の納税
記録、視察の事実(25)、通商協定、商業・狩猟・鉱業に関する国内規制、第三国の承認を求
める外交文書(26)、裁判、税の徴収(27)、関税措置、警察による監視、刑事管轄権の行使(28)な
どと、その種類と強度は、各紛争においてさまざまである。
また、東部グリーンランド事件では、
〈主権の表示〉に基づく権原主張は、割譲のような
特別の行為または権原による主張とは区別されるとしつつ、
〈主権の表示〉に基づく主張の
際には「主権者として行動する意図および意思(l’intention et la volonté d’agir en qualité de sou」と「その権能のいくらかの現実的な表示または行使(quelque manifestation ou exercice
verain)
」の2 要素が必要であることを述べ、
〈主権の表示〉を分節化している(29)。
effectif de cette autorité)
しかしながら、
「意図および意思」と「権能の表示」がそれぞれどういったものであり、ど
のような関係にあるのかを示しておらず、
〈主権の表示〉の明確化に資することはない。
さらに、
〈主権の表示〉の標準化・明確化を困難にする裁判での実行として、当事国間の
「相対的な強さ」を量る判断手法が挙げられる。パルマス島仲裁では、予備的な考察として、
「どちらの当事者も同島に対する主権の権利主張を立証」できなかった場合、仲裁人の判断
は両当事国が援用した「権原の相対的な強さ(the relative strength of the titles)」に基づくとされ
た(30)。この判断の根拠は、付託合意に現われる紛争の終了を求める当事国の意思であり、
仲裁人はそれに応える必要があるためであるとした(31)。パルマス島仲裁では、予備的な考
察として相対的な強さの衡量がなされたにすぎないが、マンキエ・エクレオ事件において
権原の相対性は全面的に取り入れられた。同事件において、
「裁判所は、すでに考察した諸
事実に照らして、エクレオに対する主権の対立する主張の相対的な強さを評価しなければ
国際問題 No. 624(2013 年 9 月)● 24
領土帰属法理の構造―権原と effectivités をめぐる誤解も含めて
ならない」として「相対的な強さ」が評価の手法であることを明確に述べ、実際に、両当
事国によるさまざまな〈主権の表示〉に値する行為から、両国の主張の相対的な強さを評価
した(32)。このように判断された場合、何が権原に値する〈主権の表示〉であるかを客観的基
準によって量るというよりも、相手当事国よりもわずかでも上回ればそれで足りることに
なりかねず、このような例が蓄積されたとしても、
〈主権の表示〉の内実の基準化や明確化
には資さない。
もっとも、このように基準化や明確化が困難だからといって、
〈主権の表示〉アプローチ
がその場その場で領土支配の現状に照らして妥当な判断を下すための紛争解決基準にすぎ
ないわけでは決してない。
〈主権の表示〉アプローチは、
「継続的かつ平穏な主権の表示」と
いう要件を、単なる領土の現実的な支配ではなく、
「実効的な支配」とする指導原理を含ん
だものである。
「実効的」と称されるためには、何らかの目的の実現に資するものでなけれ
ばならない。フーバーが考える〈主権の表示〉を行なった国家に権原を帰属せしめる目的と
は、主権に伴う義務の実現であり、
「国際法が守護者であるところの最低限の保護」を確保
するためである。すなわち、フーバーによれば、
「領域主権とは……国家活動を表示する排
他的権利を含む。この権利はコロラリーとして義務を付随する。すなわち、領域内におけ
(33)
る他国の権利を守る義務……である」
。さらに、領域主権は、
「国際法が守護者であるとこ
ろの最低限の保護(the minimum of protection of which international law is the guardian)をあらゆる地
点において保障するために、領域主権が人間の活動する空間を諸国家に分割する役割を担
(34)
っている」
とした。言い換えれば、国際法が求める最低限の保護を実現するという共通の
利益のために、各主権国家は自国領域を専属的に統治することが委任されている。フーバ
ーが領域権原に値するとした「継続かつ平穏な主権の表示」とは、まさに領域内における
国際法の最低限の保護を確保することのできる能力を指し示していると同時に、そのよう
な保護を確保しなければならないという規範的性質を帯びたものとして理解されなければ
ならない。
領域の状況や主張の有無に応じて〈主権の表示〉が相対的に変わりうるということも、こ
のような指導原理に照らせば、当然のこととなる。国際法の最低限の保護を確保するため
に必要な〈主権の表示〉は、領域の状況や対立する主張の有無に応じて異ならざるをえない。
様式論のようにあらかじめ権原取得の態様を定める方法は、領域の特性を無視することに
より、国際法の最低限の保護を確保するという目的に照らせば、
「実効的」とは言いがたい。
このことは、
〈主権の表示〉として認められる国家活動の水準が相対的であると認めたエリ
トリアとイエメンの仲裁裁定においても、領域主権の確立には、
「ある一定の絶対的な最低
水準」が必要であり、
「原則として単なる相対的な問題であってはならない」とも論じられ
ていることから確認できるだろう(35)。
領域の現実支配を合法性や正当化の契機によって規律するという〈主権の表示〉アプロー
〈主権の表示〉アプローチは、
チの構造は、他の領土帰属原理にも共通していると言える(36)。
領域の現実支配をベースにしながらも、
「継続的かつ平穏でなければならない」という要素
を加味して、
「国際法の最低限の保護の確保」という目的を達成しうる「実効的」な支配と
国際問題 No. 624(2013 年 9 月)● 25
領土帰属法理の構造―権原と effectivités をめぐる誤解も含めて
して権原確立を規律する。様式論も、フーバーの看破したとおり、各様式は領域の現実支
配をベースとしている。領域の現実支配を単なる支配ではなく合法的なものとするために、
あらかじめ諸国によって了解されている定式化された様式によって権原が公然とやりとり
されることを求めるのが様式論である。もっとも、様式に基づいたやりとりの始まり(原始
取得)については、別途の正当化根拠が準備されている。単純化して説明すれば、原始取得
論とは、ある土地を一国が排他的に支配することによって、主のない土地として放置する
よりも、その土地の効率的な利用が可能になることから転じて、効率的な利用を行なう者
がその土地に対する主権を得るべきである、という議論である(37)。これも領域の現実支配を
要素としつつそれが権原と結びつく論理を提供するものである。さらに、歴史的凝縮理論
という〈主権の表示〉アプローチのある側面を強調する議論も、領域の現実支配をどのよう
に正当化するのか、あるいは正当化される領域支配とは何かを見極めるための議論と整理
できる。歴史的凝縮理論とは、権原の継続とそれに伴う他国の承認の累積によって、領域
と国家は、権原に足る利益と関係性の複合体となりうるという議論である(38)。
領土帰属法理が複数存在していることからもわかるように、今日において通説的な地位
を占めていると評価できる〈主権の表示〉アプローチも、絶対的なものではない。領域の現
実支配とその正当化という複層的構造も含めて、
〈主権の表示〉アプローチ自体も、実は、
文脈に応じて変容している。たとえば、すでに触れたように、紛争解決の局面であれば、
一方の紛争当事国の権原を他方の紛争当事国が承認したという事実によって、その権原帰
属の合法性および正当性はきわめて高くなる。係争中の領土に対して一国の権原を認めた
場合、同じく主権を主張する他国の権利は排除されることになる。それゆえに、権原の確
立は合法的であり正当性を有する必要がある。すなわち、承認があった場合には、他国の
主権を侵害するという不法の可能性がなくなるためである(39)。国際法の最低限の保護を確保
するという目的は変わらないとしても、紛争の局面という文脈によって、正当化の要素自
体も、それぞれの重みも、変わりうる。また、植民地独立以降という文脈においては、人
民の自決というものを、領土帰属において考慮に入れざるをえない。領土帰属法理の多く
が植民地化の文脈のなかで形成されたことに鑑みれば、植民地独立以降という文脈は、領
域法に多大なインパクトを与え、領土帰属法理の具体的な適用も文脈化されることになる(40)。
2 領土帰属法理の文脈適応の方法―「権原」と effectivités の関係
〈主権の表示〉アプローチの文脈化を知るよい例が、ブルキナファソとマリの間の国境事
件判決第 63 項である。その後の判決において、何度も、もともとの文脈とは離れて、引用
されることになる。
「いくつかの事態が区別されなければならない。事実が法と完全に合致する場合、すなわち実
効的行政が法の上のウティ・ポシディーティスに付け加えられる場合、
『effectivité』の唯一の役
割は法的権原から導き出される権利行使を確認することである。事実が法に合致しない場合、
すなわち紛争の対象となる領域が法的権原を有する国家以外によって実効的に管理されている
場合、権原保持者が優先される。
『effectivité』がいかなる法的権原とも共存しない場合、
『effec国際問題 No. 624(2013 年 9 月)● 26
領土帰属法理の構造―権原と effectivités をめぐる誤解も含めて
tivité』は必ず考慮されなければならない。最後に、法的権原がそれに関係する領域の範囲を正
確に示すことができない場合が存在する。そのときに『effectivités』は実行上においてどのよう
(41)
。
に〔法的〕権原が解釈されているかを示す本質的な役割を果たす」
この一節の意味を理解するためには、いくつかの概念を知っておく必要がある。まず、
「法の上のウティ・ポシディーティス」である。これは、植民地が独立する際に、新独立国家
は国境線として独立時の旧植民地の行政区画線を引き継ぐことを推定する原則とされる(42)。
本原則が適用された場合、行政区画線が法的にどのように引かれていたかが問題となるの
であって、実際にどのように領域が支配されていたか、あるいは、
〈主権の表示〉がどのよ
うに行なわれていたかは問題とされない。領土帰属を決定するウティ・ポシディーティス
線(行政区画線)が権原ということになる。なお、ブルキナファソ = マリ国境事件では、両
当事国ともに本原則の適用に合意していた。
次に、
「法的権原」である。権原の定義についてはすでに論じてきたとおりであるが、ブ
ルキナファソ = マリ国境事件では、裁判部は「権原という概念は、……権利の存在を確証す
るためのあらゆる証拠と、その権利の実際の源との両者を含んでいる」として(43)、権原を示
す証拠もまた、権原と呼ばれることを確認した。第 63 項に挙げられる「法的権原」とは、
この証拠としての権原、すなわち、ウティ・ポシディーティス線を示す権原(植民地行政文
書)を指す。
最後に、
「effectivités」である。これは、実効性の複数形という一般的なフランス語の単語
であるが、英語の判決文においても常にフランス語のままイタリック体で用いられているこ
とから、本稿でもフランス語イタリック体で表記する。裁判部はこの語の用例を指定して
いる。すなわち、effectivitésとは「植民地時代における当該地域における領域的管轄権の実効
(44)
であるとした。effectivités は植民地行政当局の行動
的行使の証拠としての行政当局の行動」
であり、国家の活動である〈主権の表示〉とは区別される。
これらの概念理解に照らして第 63 項をみれば、第 63 項は、ウティ・ポシディーティス原
則の適用のもと、ブルキナファソ = マリ事件においては、領土帰属において〈主権の表示〉
アプローチを排除することを確認するものであることが了解される。法的権原は、あくま
で権原を示す証拠や文書を指すのであり、領域主権の源としての権原ではない。植民地当
局の活動である effectivités も、ウティ・ポシディーティス線を明らかにするために補助的に
用いられるだけであり、権原となりうる〈主権の表示〉ではない。本件において国家に領土
を帰属させる根拠、すなわち、権原はウティ・ポシディーティス原則ということになる。
ウティ・ポシディーティス原則のもとで、領土帰属法理である〈主権の表示〉アプローチ
が排除されるのは、植民地独立の確保という正当化あるいは合法性の要請によるものであ
る。独立して間もない国家に対して、
〈主権の表示〉アプローチを徹底するならば、未開発
の土地や定住されていない土地が無主地となる可能性が生じる。そこで、実際の領域支配
の裏付けのない文言上の権利(「法的権原」)であったとしても、それに対して独立後の主権
を認めることが必要となる。ウティ・ポシディーティス原則が、こうした効果をもたらす
ことによって、旧行政区画の一部が他の列強による無主地先占の対象とされることから新
国際問題 No. 624(2013 年 9 月)● 27
領土帰属法理の構造―権原と effectivités をめぐる誤解も含めて
独立国を守り、また独立国同士の紛争を防止することに資することになる(45)。領土権原法理
が、脱植民地化の文脈に応じて、新たな要素を自身に取り入れた例と言えるだろう。
ところが、このような構造のもとに展開された第 63 項や、そこで用いられた「法的権原」
や「effectivités」という概念が、もともとの前提から離れて、その意味を転じて用いられる
ことになる。まず、effectivités についてであるが、ブルキナファソ = マリ事件判決以降しば
らくすると、effectivités を「
『権原』に足りないもの(everything short of “title”)」であるかのよ
うな表現や、時には「権原」そのものを effectivités と表現する例が散見されるようになった(46)。
effectivités が実効性を意味する単語であったり、もともとの意味も植民地行政当局の活動で
あったりしたことから、単に領土上での実際の活動を総じて effectivités と称したり、あるい
は、
〈主権の表示〉のパラフレーズとして effectivités が用いられたのである。このように用い
(47)
た裁判例としては、エリトリア = イエメン仲裁(1998 年)
、エリトリア = エチオピア決定
(48)
(49)
(2002 年)
、ニカラグア/コロンビア事件(2012 年)
などが挙げられる。これらの判決で
はウティ・ポシディーティス原則が適用されていないことからも、effectivités が当初の前提
から離れて用いられていることが理解されるだろう。誤解は避けるべきものではあるが、
単にパラフレーズであれば、パラフレーズという了解のもとに用語を用いることで、それ
以上の混乱は避けられる。
問題は、effectivités を〈主権の表示〉のパラフレーズとして用いておきながら、もともと
の文脈に繋げて、ウティ・ポシディーティス原則を前提とした構造をそのまま援用する場合
(50)
(51)
とリギタン・シパダン事件(2002 年)
である。カメルーン/ナイジェリア事件(2002 年)
の 2 つの判決では、いずれも effectivités を植民地当局の活動ではなく国家による〈主権の表
示〉として扱ったという誤用に加えて、ブルキナファソ = マリ事件第 63 項を、その文脈で
あるウティ・ポシディーティス原則とは無関係に適用するという「誤読」を行なっている。
すなわち、当事国の権原主張が条約や法的文書に基づく権原の主張であれば「法的権原(文
書)
」として位置づけ、何らかの主権の行使に基づく権原主張はすべて「effectivités」に振り
分けたうえで、第 63 項に基づいて、法的権原の優位性をア・プリオリに措定する方法であ
る。たとえば、カメルーン/ナイジェリア事件におけるバカシ半島の領有権について、裁
判所は、1913 年条約を法的権原として、ナイジェリアの主張する「歴史的凝縮」の議論に
基づいた領域支配を effectivités として仕分け、
「法的権原」の「effectivités」に対する優位を第
63 項に照らして導き、ナイジェリアの主張を退けた(52)。ウティ・ポシディーティス原則の
適用がない以上、1913 年条約によって得られた権原が〈主権の表示〉によって維持されて
いるのかどうかを精査したうえで、対抗する他方当事国の〈主権の表示〉の存在が比較衡量
されるのが通常であるが、そのような精査がなされることなく、第 63 項を機械的に適用し
て、法的権原(文書)の優越が導き出されたのは問題なしとしないだろう。また、リギタ
ン・シパダン事件においては、法的権原文書の不在が認定されている。そのうえで、裁判
所は、本件を第 63 項に言う法的権原と effectivités が共存しない場合であると認定して、effectivités を考慮する必要があると論じ、あくまでも、第 63 項の枠内で領土帰属を扱った(53)。こ
の場合、第 63 項を援用することによって、effectivités による権原帰属の判断が何に基礎づけ
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領土帰属法理の構造―権原と effectivités をめぐる誤解も含めて
られているのかが不明確になるという問題点が生じたと言える。effectivités に基づいて権原
帰属を裁判所が決定している以上、effectivités が権原に足る〈主権の表示〉に値したと考え
るしかないが、同判決において領域権原と effectivités がどのような関係にあるものとして扱
われているかは明らかではない。
本来の意味であれ、機械的に適用するかたちであれ、第 63 項を援用した諸判決では、共
通して、厳密な意味での実効的支配あるいは〈主権の表示〉が存在しない。ウティ・ポシデ
ィーティス原則の適用のある判決において、
〈主権の表示〉アプローチは定義上排除されて
いることが明らかであるが、他の 2 件の判決においても、実効的支配は存在しない。カメル
ーン/ナイジェリア事件においては、ナイジェリアの主張するバカシ半島支配は裁判所に
よって「法に反した effectivités」と評価されたのだが、まさにナイジェリアの支配は継続性
も平穏さも欠く単なる領域の現実支配にすぎなかった(54)。他方で、いわゆる不法に占拠さ
れたカメルーン側の〈主権の表示〉を見込むことはできない。そうしたなかで適切な判決を
下すためには、
〈主権の表示〉アプローチを見かけ上排除できる第 63 項の援用は都合のよい
ものだったかもしれない。リギタン・シパダン事件では、双方の主権行使が、羽のように、
あるいは、草のように軽いものだったと評されるほど、希薄であった(55)。そうした希薄な
〈主権の表示〉に基づいて権原を帰属させるに際して、第 63 項の枠内という補助が必要とさ
れたとも考えられる。さらに、リギタン・シパダンでは、両国ともに係争地を無主地とは
考えていなかったことを挙げて、無主地である可能性をあらかじめ排除したうえで、帰属
を定めている(56)。
こうしたウティ・ポシディーティス原則や、第 63 項の誤解、あるいは、無主地の可能性
の排除は、境界画定紛争における「二国間性の推定」にも似た安全弁として機能しながら、
〈主権の表示〉アプローチの文脈化に対応したものである。
「安全弁」というのは、これらの
仕掛けによって、
〈主権の表示〉アプローチが徹底されないにもかかわらず、単なる領域支
配とは区別される合法的かつ正当性のある「実効的支配」が確保されるためである。ウテ
ィ・ポシディーティス原則は、植民地独立の確保という正当性を付与する。第 63 項や無主
地の可能性の排除によって、きわめて希薄な〈主権の表示〉に基づいて権原の確立および帰
属を判断したとしても、それによって不法な事態が生じることが回避される。また、第 63
項の法的権原の絶対的優越は、起源が怪しいけれども、はっきりと不法であると言いきれ
ない実際の領域支配を権原に足る〈主権の表示〉につなげうる理路を防ぐことにも役立ちう
る。このように、第 63 項の「誤解」やウティ・ポシディーティス原則は、
〈主権の表示〉ア
プローチの基盤を崩しかねない半面で、
〈主権の表示〉アプローチを自決原則や植民地独立
以降の文脈、あるいは個別判決の事情に適合させるという肯定的な側面ももっている。
本稿では主に実効的支配の権原論における位置づけについて論じてきたが、実効的支配
そのものに関しての扱い方が変わってきているように思える。リギタン・シパダン事件や
ニカラグア/コロンビア事件では、
〈主権の表示〉あるいは effectivités が権原に値するかどう
か、言い換えれば、国際法の最低限の保護を確保できるかどうかというよりも、主権者と
しての活動(á titre de souverain)であるかどうかに重きを置いて、権原の帰属を規律した(57)。
国際問題 No. 624(2013 年 9 月)● 29
領土帰属法理の構造―権原と effectivités をめぐる誤解も含めて
これが法的議論においてどのような意義をもつのかは今後の検討課題としたいが、試案と
して、きわめて現実支配が希薄な場合に、主権者として支配を行なうという意思や意図が
確認されることによって、正当因に基づいた領域支配であることを裏付けるといった、権
原帰属の合法性や正当化の確保に資するという議論も可能ではないかと考えられる(58)。
むすびに
本稿では〈主権の表示〉アプローチを中心に領土帰属法理の構造を示した。領土帰属法理
においては、実際に領域を支配していることが基底的な重要性をもつことは言うまでもない。
しかしながら、単なる領域支配は権原につながりえない。領土帰属法理とは、どのような領
域支配であれば、正当かつ合法的で、対世的に主張できる領域支配となりうるかを定めるゲ
ートキーパーのような役割を担っているのである。
〈主権の表示〉アプローチは、
「国際法の
最低限の保護の確保」という目的を達成しうる領域支配のみが権原に値するとした。その目
的のためには領土の状況に応じた「継続的かつ平穏な主権の表示」が求められるのである。
・ ・ ・
本稿では、こうした目的に資する領域支配である〈主権の表示〉を「実効的支配」と呼ぶこ
とにした。
しかしながら、effectivités という用語が用いられる近年の国際裁判では、こうした〈主権の
表示〉アプローチが前提とされつつも、徹底されていないことがみてとれる。ウティ・ポシ
ディーティス原則の適用や、ブルキナファソ = マリ事件判決第 63 項の誤解によって、
〈主権
の表示〉アプローチの適用が排除されている。これは、領域の状況に応じた主権の表示がき
わめて希薄なものとなりうるという権原の相対性の問題ではなく、ア・プリオリに、主権の
表示の検討を排除するものである。
こうした排除は、
〈主権の表示〉アプローチ自体を否定するものではなく、当該紛争の文脈
において、同アプローチが提供する実効性および正当性がなくとも、その領土帰属の合法性
や正当性が確保されることが見出されたことを意味する。ウティ・ポシディーティス原則が
適用されている場合には、無主地である可能性は回避されていることから、
〈主権の表示〉の
ない土地あるいは希薄な土地をある国家に帰属せしめたとしても、合法性を欠くことはない。
こうした消極的な合法性の確保のみならず、植民地の独立を確固としたものにするという積
極的な正当性をも付与される。第63項の機械的適用は、本来の前提を離れつつも、その正当
性の見掛けを利用するという点で問題なしとはしないが、たとえばリギタン・シパダン事件
では無主地の可能性をあらかじめ排除したうえで第63項の適用が行なわれていることや、カ
メルーン/ナイジェリア事件では、ナイジェリアの「法に反するeffectivités」が問題となって
いたことも留意しておく必要があるだろう。なお、こうした〈主権の表示〉を検討すること
なく領土帰属が決定されることは近年の例に限られない。紛争類型の区別の議論において紹
介した境界画定紛争類型における国境線の「設定」の合法性の問題である。境界画定紛争で
は、国境線に接するどちらかの国に権原が存在するという〈二国間性の推定〉が存在するこ
とから、仮に国境線を二国間で新たに「設定」したとしても、その国境線が対世的効果を有
するに際して、やはり合法性を欠くことはない。同様に、第 63 項を援用することは、ウテ
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領土帰属法理の構造―権原と effectivités をめぐる誤解も含めて
ィ・ポシディーティス原則の残響のなか、両当事国のいずれかに権原が存在することを推定
させる役割を果たす。また、実際問題として、長年にわたって争われる領土帰属紛争におい
て、紛争当事国以外の国家に帰属されることは考え難いことも、事実上の〈二国間性の推定〉
を強化する。
こうした実行は両義的である。こうした実行が前提を離れて多用されるならば、
〈主権の表
示〉アプローチのもつ基盤を崩しかねない。単なる領域支配と実効的な支配の区別をあいま
いにしたり、実際に領域支配を行ないえない国家に権原を帰属せしめることによって「国際
法の最低限の保護」を確保できない事態を招来するかもしれない。しかし他方で、こうした
実行によって、植民地独立以降という一般国際法上の文脈や、個々の紛争の事情に適合した
領土帰属が可能になっているという側面も否めない。
このような実行が、領土帰属の新たな法理とまでいかなくても、説得力をもつ「文法」と
なりうるのかを展望することは難しい。個別の紛争解決を目的とした司法過程での実行であ
るため、その一般性は自明ではないためである。しかしながら、司法過程で行なわれた実行
であるからこそ、その文脈への適合は、必ず法的議論のかたちをとらざるをえず、また、従
来の法的概念との接続性が念頭に置かれていることも確かである。国際法学の立場からは、
・ ・ ・
判決の射程の分析を通じ、領域の実効的な支配が何を指し、どのような意義をもつのかにつ
いて、国際法が求める他の価値や利益に照らして注視していく必要がある。フーバー自身も、
パルマス島仲裁において、
「国際法は、法一般がそうであるように、それぞれに法的保護に値
(59)
と述べている。
する異なる利益の共存を確保するという目的を有している」
( 1 ) Island of Palmas Case(Netherlands and U. S. A.)
(1928)
, Reports of International Arbitral Awards(RIAA)
,
Vol. II, p. 831[hereinafter Palmas Award]
, p. 838.
( 2 ) R. Y. Jennings, The Acquisition of Territory in International Law(1963)
, p. 4; Ian Brownlie, Principles of
Public International Law(6th ed., 2003)
, p. 129; Marcelo G. Kohen, Possession contestée et souveraineté territoriale(1997)
, pp. 127–154など。
( 3 ) 海洋に関する権原付与(entitlement)は陸のそれとはまったく異なる発展を遂げている。さしあ
たり以下を参照、Prosper Weil, The Law of Maritime Delimitation: Reflections(1989)
.
( 4 ) 詳しくは、許淑娟『領域権原論― 領域支配の実効性と正当性』(東京大学出版会、2012 年)、
27―94 ページとそこに引用されている文献、ならびに深町朋子「現代国際法における領域権原につ
いての一考察」
『法政研究』61巻1 号(1994年)を参照のこと。
( 5 ) Palmas Award, supra note 1, p. 839.
( 6 ) 本稿で使う「文法」とは、説得力のある法的議論を生み出すシステムといった程度の意味で用い
ている。Cf. Martti Koskenniemi, “New Epilogue,” in From Apology to Utopia: The Structure of International
Legal Argument(2006)
, p. 568.
( 7 ) J. R. V. Prescott, Boundaries and Frontiers(1978)
, p. 40; M. Shaw, Title to Territory in Africa: International
Legal Issues(1986)
, pp. 62, 224–225; N. Hill, Claims to Territory in International Law and Relations(1945)
, p.
25; R. Jennings and A. Watts, Oppenheim’s International Law, Vol. 1: PEACE, Part 2 to 4(9th ed., 1996)
, pp.
12–15; S. P. Sharma, Territorial Acquisition, Disputes and International Law(1997)
, pp. 21–29; Kohen, supra
note 2, pp. 119–126; Charles de Visscher, Problemes de confins en droit international public(1969)
, p. 26;
Réplique de M. Paul Reuter, Case Concerning the Temple of Preah Vihear, Plaidoireis, Documents,
国際問題 No. 624(2013 年 9 月)● 31
領土帰属法理の構造―権原と effectivités をめぐる誤解も含めて
Correspondance, Vol. II(1962)
, p. 544など。
( 8 ) D. Bardonnet, “Les frontieres terrestres et la relativité de leur trace,” Recueil des Cours de l’Academie de droit
, tom 153(1976)
, pp. 9, 49–52.
international(RdC)
( 9 ) Reuter, supra note 7, p. 544; Giovanni Distefano, L’ordre international entre légalité et effectivité(2002)
, p.
421.
(10) Différend frontalier, arrêt, CIJ Recueil(1986)
, p. 554[hereinafter Burkina Faso & Mali Case]
, p. 564, para.
18.
(11) Ibid., p. 563, para.17.
、有
(12) 小寺彰『パラダイム国際法―国際法の基本構成』
閣、2004年、127ページ。
(13) Sharma, supra note 7, p. 23.
(14) Lassa Oppenheim, International Law: A Treatise(1st ed., 1905)
, p. 266(sec. 211)
.
(15) 詳しくは、Hersh Lauterpacht, Private Law Sources and Analogies of International Law(1927)
, pp.
100–104; 許、前掲注(4)
、32―34ページ。
(16) Palmas Award, supra note 1, pp. 838–839.
(17) Ibid., p. 838.
(18) Ibid., p. 839.
(19) Ibid.
(20) フーバーは、権利の存在においても、法の発展によって求められた諸条件に従うべきであるとし
て、その諸条件を満たさない権利は存在しえないことを示唆する(ibid., p. 845)
。時際法について
は、本特集の深町論文を参照。
(21) フーバーによれば、権利の維持に失敗した場合には、主権の遺棄(喪失様式)があったかどうか
という問題は生じないとされる。Palmas Award, supra note 1, p. 846.
(22) Ibid., p. 839.
(23) Ibid., supra note 1, p. 866 et passim.
(24) Legal Status of Eastern Greenland(Denmark v. Norway)
, Permanent Court of International Justice(PCIJ)
Reports(Ser. A/ B, No. 53, 1933)
[hereinafter Greenland Case]
, p. 46.
(25) Palmas Award, supra note1, p. 866 et passim.
(26) Greenland Case, supra note 24, pp. 62–63.
(27) Minquiers and Ecrehos, ICJ Reports(1953)
, p. 47[hereinafter Minquiers & Ecrehos]
, pp. 60–66.
, Tribunal Constituted under
(28) The Indo-Pakistan Western Boundary(Rann of Kutch)Case(India v. Pakistan)
an Agreement of the 30th June 1965(Chairman: Lagergren)
(award delivered the 19th February 1968)
, RIAA,
Vol. XVII, No. 5[hereinafter Kutch]
, pp. 358–417.
(29) Greenland Case, supra note 24, pp. 45–46.
(30) Palmas Award, supra note 1, pp. 869–871.
(31) Ibid.
(32) Minquiers and Ecrehos , supra note 27, pp. 67–72.
(33) Palmas Award, supra note 1, p. 839.
(34) Ibid.
(35) Eritrea-Yemen Award of the Arbitral Tribunal in the First Stage of the Proceedings(Territorial Sovereignty
and Scope of the Dispute)
, RIAA, Vol. XXII(2002)
, p. 209[hereinafter Eritrea & Yemen]
, para. 453. もっと
も、権原の相対性についてのすべてが必ずしもこの指導原理から導かれるわけではない。詳しく
は許、前掲注(4)
、157―160ページ参照。
(36) Koskenniemi, supra note 6, pp. 282–300, 576–580. 領域の現実支配を正当化および合法性の論理で規律
する領土帰属法理の構造を、権原を支える基盤の二層性(権原の物的基盤と正当化〔型〕基盤)
国際問題 No. 624(2013 年 9 月)● 32
領土帰属法理の構造―権原と effectivités をめぐる誤解も含めて
として分析したものが、許、前掲注(4)となる。
(37) 土地の効率的利用とは何かという点で、ヨーロッパ列強による「新世界」の植民地化の正当化論
理として用いられることになるが、この点は、本稿の主題ではないため、ここでは踏み込まない。
詳しくは以下を参照。Jörg Fisch, “International Law in the Expansion of Europe,” Law and States: A
Biannual Collection of Recent German Contributions to These Fields, Vol. 34(1986)
; J. Fisch, “Africa as terra
nullius: The Berlin Conference and International Law,” in Stig Föster, Wolfgang J. Mommsen, and Ronald E.
Robinson(eds.)
, Bismarck, Europe, and Africa: The Berlin Africa Conference 1884–1885 and the Onset of
『法学論叢』61 巻 2 号
Partition(1988)
; 太寿堂鼎「国際法上の先占について―その歴史的研究」
(1955年)
。
(38) Charles de Visscher, Théories et réalités en droit international public(1953)
, pp. 244–245; Georg
,
Schwarzenberger, “Title to Territory: Response to A Challenge,” American Journal of International Law(AJIL)
Vol. 51(1957)
, p. 308; D. H. N. Johnson, “Consolidation as a Root of Title in International Law,” Cambridge
Law Journal, Vol. 13(1955)
, p. 217.
(39) Koskenniemi, supra note 6 , pp. 286–287.
(40) 許淑娟「脱植民地時代における領域主権の移転の認定」
『国家学会雑誌』123巻7 ・8 号(2010年)
、
89 ページ参照。
(41) Burkina Faso & Mali Case, supra note 10, pp. 586–587, para. 63.
(42) Steven R. Ratner, “Drawing a Better Line: Uti Possidetis and the Borders of New States,” AJIL, Vol. 90
(1996)
, p. 590; Malcom N. Shaw, “The Heritage of States: The Principle of Uti Possidetis Juris Today,” British
, Vol. 67(1997)
, p. 97.
Yearbook of International Law(BYIL)
(43) Burkina Faso & Mali Case, supra note 10, p. 564, para. 18.
(44) Ibid., p. 586, para. 63.
(45) Ibid., p. 566, para. 23; Abi-Saab, Opinion individuelle, ibid., pp. 661–662, para. 13; 奥脇直也「現状承認原
則の法規範性に関する一考察」
『法学新報』109巻 5 ・6 号(2003年)
。
(46) Torres Bernárdez, Dissenting Opinion, Délimitation maritime et questions territoriales entre Qatar et Bahreïn,
fond, arrêt, CIJ Recueil(2001)
, pp. 40, 285, para. 73.
(47) Eritrea & Yemen, supra note 35.
(48) Eritrea Ethiopia Boundary Commission, Press Statement dated March 13, 2006, RIAA, Vol. XXV, p. 83.
(49) Territorial and Maritime Dispute(Nicaragua v. Colombia)
, ICJ Reports(2012)
, available at〈www.icj-cij.
org/docket/files/124/17164.pdf〉
.
(50) Frontière terrestre et maritime entre le Cameroun et le Nigéria(Cameroun c. Nigéria; Guinée équatoriale
[intervenant]
)
, arrêt, CIJ Recueil(2002)
, p. 303[hereinafter Cameroon & Nigeria Case]
.
(51) Case Concerning Sovereignty over Pulau Ligitan and Pulau Sipadan(Indonesia v. Malaysia)
, Judgement, ICJ
Reports(2002)
, p. 625[hereinafter Ligitan Sipadan Case]
.
(52) Cameroon & Nigeria Case, supra note 50, p. 416, paras. 223–224.
(53) Ligitan Sipadan Case, supra note 51, p. 678, para. 126.
(54) Cameroon & Nigeria Case, supra note 50, pp. 417–418, para. 233.
(55) Franck, Dissenting Opinion, Ligitan Sipadan Case, supra note 51, p. 696, para. 17
(56) Ligitan Sipadan Case, supra note 51, p. 678, para. 126.
(57) Ibid., para. 141; Nicaragua/Columbia, supra note 50, para. 84.
(58) ローマ法の possessio における animus の役割に関する議論を借用した。Cf. W. W. Buckland and
Arnold D. McNair, Roman Law and Common Law: A Comparison in Outline(2nd ed., 1965)
, p. 75. 第 63項や
effectivités が用いられた例ではないが、ペドラ・ブランカ事件(2008年)においても、
〈主権の表示〉
が原始権原との関係できわめてルースなかたちで適用されている。原始権原という概念もまた、
国際問題 No. 624(2013 年 9 月)● 33
領土帰属法理の構造―権原と effectivités をめぐる誤解も含めて
〈主権の表示〉アプローチを文脈化するために用いられると考えられる。詳しくは、以下を参照。
Sookyeon Huh, “Title to Territory in the Post-colonial Era: Original Title and Terra Nullius in the ICJ Judgments
on Cases Concerning Ligitan/Sipadan(2002)and Pedra Branca(2008)
,” Jean Monnet Working Paper(forthcoming)
.
(59) Palmas Award, supra note 1, p. 870.
ほう・すぎょん 立教大学准教授
国際問題 No. 624(2013 年 9 月)● 34
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