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「ロジャー ・ マルヴィ ンの埋葬」 の ルーベンにおける心と言葉について
「ロジャー・マルヴィンの埋葬」の ルーベンにおける心と言葉について 長 岡 政 憲 ホーソーンの「ロジャー・マルヴィンの埋葬」(“Roger Malvin’s Burial”)という作品の歴史的背景は、1725年5月のインディアンとの戦 闘となった“Lovell’s Fight”であるが、この戦いはインディアンの領土 で33名の白人がインディアンの待ち伏せ攻撃により、勇敢に戦いながらも 10数名の犠牲者を出した。その中で重傷を負ったまま4名が逃げ延びよう としたが、2人は途中で死んだ。この壮烈な戦いは後世まで残そうとして 歌にまでなったが、当時のインディアンとの戦闘は白人正義の、英雄達の 戦いとして美化されているものがあり、果して人々に歌われたように勇壮 な兵士の戦いであったかどうかは明らかでない。 ホーソーンはこの作品の中で、ひとりの人間の心と言葉について緻密に 探りを入れ、わずかな影がその人間と周囲の家族をいかに悲劇の結末へ運 命づけてゆくかを提示している。若い兵士であるルーベンがインディアン との戦いで重傷を負いながら、中老でそれ以上に重傷の、義理の父になる 筈のロジャー・マルヴィンの最期を見守るか、あるいは自分の命を救うた めに、マルヴィンを荒野に置き去りにしてキャンプ地へ逃げ延びるか、と いう選択によってルーベンの心の奥をホーソーンは探り始めている。 人間の心とは一般的にheart、つまり心臓や胸ではなく、機能的には物 事を思考する知性、喜怒哀楽や愛憎などを表わす感情、そして自己の生き 方を決定する意志を備えている頭脳の部分と考えられる。意志を表わす言 ・43 葉という媒介は、時々話している相手に誤解して受け取られる場合がある。 しかし、この作品では巧みな言葉が逆に自分の本心を隠し、自己弁護の形 で相手に虚偽を伝えでしまう。その結果自分が後に本心を語り直すことが できず、苦悩し続けながら歳月が流れてゆく。愛する義父と妻に真実を偽っ ている罪意識がルーベンの知性、感情、そして意志まで蝕んでゆき、最愛 の息子を殺害するという結末となっている。この小論ではルーベンの心と 言葉に注目しながら彼の悲劇性を考察したい。 インディアンとの戦いで重傷を負ったマルヴィンとルーベンは荒野をさ 迷いながら逃げ延び{大きな岩のある樫の若木の側に倒れたまま朝を迎え る。自分の命があと2日とないことを悟ったマルヴィンはルーベンにひと りで逃げ延びて助かるように、そして娘のドルカスと結婚するように勧め る。するとルーベンは、 “No;if your end be in truth approaching, I will watch by you, and receive your parting words. I will dig a grave here by the rock, in which, if my weakness overcome me, we will rest together;if Heaven gives me strength, I will seek my way home.”ω としてきっぱりと答えるのである。それに対し、マルヴィンの覚悟はこの 荒野は人跡未踏のような原野であり、大空の下で樫の木の枯葉に埋もれ、 幸い墓石となり得る大きな岩もあり、ここが自分の死に場所と考えたので ある。そして何とかルーベンを早く立ち去らせて助けるために、助かる見 1 込みのあるルーベンが自’分を置き去りにしても何ら利己心も無いこと。ま た自分の死を見守っても若いルーベンの命が無駄となり、より悲惨な死と 44 なること。そして許嫁の自分の娘ドルカスを頼むということで、マルヴィ ンの説得は当然のものとなった。しかしルーベンはドルカスに対し、戦い の前には自分の命に賭けても父親となるマルヴィンを守ると誓っていた。 ルーベンはマルヴィンを置き去りにすることには何ら良心の答は感じなく ても済むが、許嫁のドルカスに対しては、彼女から父親の生死についての 詰問に臆することなく返答できる心構が持てないと思ったのである。更に マルヴィンの口から、戦いで最初に逃亡した者が救助隊に連絡をとり、ルー ベンがキャンプ地へ辿り着いてすぐ案内できれば、自分の命はまだ助かる かも知れない等と、ほとんど助かる可能性の無いことを言いながら、敢え てルーベンに説得を加えるのである。ルーベンが、“Were your situation mine,would you desert me while life remained?”(2)とマルヴィンに 聞くと、マルヴィンは20年前の同じような情況で、重傷の友人を自分が救 援隊を呼ぶことによって助けた体験を語る。その体験話によってルーベン は納得し、出発の支度に木の根や草をマルヴィンの食料となるように側に 置き、大きな岩の上に登り、樫の若木の天辺に自分の血のついたハンカチ を結びつけ、自分が必ず戻ってきてマルヴィンを助けるか、さもなくば彼 の遺骨を埋葬することを自らの血に誓ったのである。当時のインディアン の習慣でも戦いで死んでいった仲間の遺体を命がけで埋葬しようとして、 自分の命を犠牲にした例がいくつもあったと言われている。遺体を土の中 に埋葬するという意義は死者の体と尊厳を守り、魂の永遠の安らぎとして 考えられていた。それ故にマルヴィンはいよいよの別れ際には、 “_And,Reuben,”added he, as the weakness of mortality made its way at last, “return, when your wounds are healed and your weariness refreshed, return to this wild rock, and lay my bones in the grave, and say a prayer over them.”(3) 45 として最期の自分の思いをルーベンに託す。 ルーベンはマルヴィンに別れを告げて急ぎ足で出発し始めるが、ある種 のguiltyな感情がマルヴィンの視線から彼に隠れ場を求めさせ、しばらく 歩いてからawild and painful curiosity{4)に駆られ、根こそぎになった 木の根の間に身を隠し、その死を待つだけのマルヴィンをじっと盗み見る のである。さてこの行為をホーソーンはwildな好奇心と述べていることに 注目したい。マルヴィンは両手を上げて自分と娘ドルカスの幸せを祈って いる苦悶の言葉がルーベンの胸に届く。この覗き見の行為によってマルヴィ ンの悲惨な最期の姿を彼は悲哀な目差しで見つめたかも知れない。しかし この行為はマルヴィンの立場からすると、見られたくなかった心の苦悩の 姿であり、死を前に神に対し、自分の魂の安らぎを祈る神聖な時であり、 他人の凝視によって煩わされてはならない聖域であると考えられる。マル ヴィンの最期の聖なる安らぎを求めるありのままの姿を覗き見し、神への 祈りの言葉を盗み聴きしてはならない罪をルーベンは犯したのではなかろ うか。 「ウェイクフィールド」という作品では、主人公のウェイクフィールド が妻に数日間旅に出ると言って家を出た後、実は自宅のあまり遠く離れて いないロンドンの町の通りに部屋を借り、自分がいなくなると妻はどんな 様子になるのかと、自・ら変装までして何年も妻の行動を覗き見しているウェ イクフィールドの心理状態を想起させるものである。ルーベンのこの行為 はともすれば、マルヴィンの苦悶をそっと見守る優しい行為であるかの印 象である。しかしウェイクフィールドの覗き見の心理は、妻が少しは気づ いていた“aquiet selfishness”(5)な好奇心であり、自分の身を隠して人 の心を覗き見るという犯してはならない罪につながるものであろう。ルー ベンの場合、恐らくマルヴィンの最期の祈りの姿がルーベンの心に強く映 し出され、祈りの言葉が耳に残っていたにちがいない。次にルーベンはひ とりで逃げる荒野の途中で行き倒れとなり、キャンプ地に運ばれた時、何 故ドルカスの父親の生死の質問を恐れ、真実を隠す言葉で返答したのかを 46 探っていきたい。 さてマルヴィンのもとを去って荒野を逃れ、キャンプ地を目ざしたルー ベンだが、体力も消耗し、食べる食料もなく、途中で倒れて動けなくなっ てしまう。しかし運よく救援隊の一行に助けられてキャンプ地へ運ばれ、 そのキャンプ地でドルカスの手厚い看護の甲斐あって、数日後)V一ベンの 意識が回復する。父親の生死がずっと気がかりになっていたドルカスは、 「ルーベン、私の父は?」と尋ねる。ルーベンは答える代りに顔色が変っ たのだ。ホーソーンはこの場面を次のように語っている。 The youth shrank, as if with.abitter pain, and the blood gushed vividly into his wan and hollow cheeks. His first impulse was to cover his face;but, apparently with a desperate effort, he half raised himself, and spoke vehemently, defending himself against an imaginary aCCusatiOn.〔6)(下線筆者) ルーベンはドルカスの前で自分の重傷の様子を体で再現し、そして最初の 衝動は自分の顔を隠すこととなった。では何故彼はドルカスに顔を隠すこ とになったのであろうか。ルーベンはドルカスに対して何を恐れたのか。 それはルーベンが、勇敢に死を迎えるマルヴィンの優しさの前で自分の見 せたくなかったもの。つまり、 Reuben felt it impossible to acknowledge that his selfish love of life had hurried away before her father’s fate was decided.(7〕(下線筆者) であり、またマルヴィンとの別れ際にルーベンの心に沸き起こったもの。 47 それは、 ...,but the desire of existence and the hope of hapPiness had strengthened in his heart, and he was unable to resist them.{8)(下線筆者) として考えられる。先程の青ざめた、澄んだ彼の頬に生き生きと顕われた 血とは、生き延びたいという本能であり、幸せになりたいという願望であ り、ルーベンが自覚しているhis selfish love of life「自己の生命の利己 愛」ではあるまいか。それらをホーソーンは象徴的に血潮として表したの であろう。ルーベンの表情や身体は弱まっているように見えるが、実は心 の奥では本能的な生存欲、自己愛、そして幸福への願望が血潮となって生 き生きと彼の頬に表面化したのであろう。従ってルーベンは自分の心のあ りのままの姿をドルカスに見せたくなかったのであり、それを悟られるの を恐れたのである。それ故彼は顔を隠し、内面の姿を別の力で掻き消すよ うに、敢えて激しい口調でマルヴィンの最期の様子をドルカスに説明した のである。 父親の死を告げられたドルカスはルーベンに、荒野で哀れな父のために 墓を掘ってくれたかと問うと、ルーベンは実に巧妙な答え方をしたのだ。 “My hands were weak;but I did what I could,”replied the youth in a smothered tone. “There stands a noble tombstone above his head;and I would to Heaven I slept as soundly as he!”【9)(下線筆者) あの大きな岩が墓石になると言ったのはマルヴィンであって、ルーベンは 墓も掘っていないため、墓石と称してはならないのである。この言葉の飛 躍の上に、standsという自動詞を使うことによってドルカスに墓石の存在 48 の有無を明確にし、前置詞をbyの代りにaboveを代用して、土の中にマル ヴィンの遺体を埋葬したことを暗示させてしまったのだ。 ホーソーンは ルーベンの返答の言葉を“wildness”aoとしている。 さてルーベンがマルヴィンを荒野に置き去りにして逃げること自体は、 ルーベンも間違ってはいない正当な行動だと感じている。あのまま真直に キャンプ地へ逃走していれば、あるいは疾しい思いもなく、ありのままの 事実をドルカスに打ち明けられたのかも知れない。しかしwildな好奇心か らマルヴィンの最期の心の安らぎの聖域を覗き見し、そして彼の祈りの言 葉を盗み聴くという行為が、死を迎える絶望の彼にいかに同情し、悲痛の 思いであったにせよ、wildな好奇心から来るwildなものが心の奥に滞在し、 ルーベンがドルカスに答える間際になって、それが真実を隠そうとする wildな衝動と化し、それがルーベンの口からwildな言葉となって発せられ たのである。ホーソーン的に言うならば、something like a sinとでもな りそうである。 さて、キャンプ地の人々の間ではドルカスが信じていたように、ルーベ ンが自分の死をも顧みず、マルヴィンの埋葬を果たし、立派な墓石を建て たという勇気ある話が事実となってしまったのである。そのうちルーベン はドルカスと約束通り結婚したが、花嫁は喜びで顔を赤く染めていたのに 対し、花婿の顔色は青ざめていたのである。ルーベンは自分が最も愛し、 信頼しているドルカスに心の奥に隠し事をしており、真実を虚偽に変えて しまった自らの臆病を苦々しく後悔した。ドルカスに真実を明かそうとす るが、ドルカスから見捨てられる恐れ、自らのプライドの喪失、そして世 間の人々の軽蔑等が彼の真実の芽を塞いでしまった。真実を隠し続ける彼 の心に、ホーソーンが“the secret effect of guilt”aDと指摘しているよ うに、罪意識が芽生え、あたかも暴露されていない犯罪の加害者がもつ恐 49 怖心を抱いているかのように、傑いている心理状態になっている。更に数 年経つうちに、荒野に置き去りにしたままのマルヴィンが岩の側に座った まままだ生きていて、ルーベンが誓った約束を果たすように待っていると いう幻想に悩まされるのであった。落ち着いている時でさえ、遺体となっ たマルヴィンが、荒野から果していない約束を全うするように呼び続けて いるような思いに囚われていたが、何年もその呼びかける声を無視してき たのである。 His one s¢cret thought, because like a chain, binding down his spirit, and, like a serpent, gnawing into his heart; and he was transformed into a sad and downcast, yet irritable man.ca(下線筆者) とホーソーンが語っているが、aserpentとは創世記3章のお馴染みの悪 魔の使者であり、gnawという動詞は、『緋文字』の第17章の森の場面で、 罪の重荷で心身共に衰弱しきったディムズデイルに対し、ヘスターが、 “Why shouldst thou tarry so much as to other day in the torments that have so gnawed into thy life!−that have made thee feeble to will alld to do!一一 that will leave thee powerless even to repent!”a3(下線筆者) と嘆いているように、ディムズデイルの生命を喰い尽す程致命的に、執拗 に噛み続ける苦悩を表現している。ルーベンも心に棲みついた邪悪な思い が蛇のようにルーベンの心を噛み続けるのである。つまり要約すると、 wildな好奇心からwildな言葉が発せられ、そこには一種の罪のようなもの が存在したため、ルーベンの心にguiltyな意識が生まれ育ち、それが歳月 と共にan evilのシンボルとしてのserpentが棲みつき、彼の心を蝕んでいっ 50 たのである。彼の心は当然、正常な意志、感情そして知性が失われ、evil な思いに支配されて隣人とも喧嘩が絶えず、折角マルヴィンの農場を受け 継いだにも拘らず、農場経営も失敗し、破産してしまう。生活の場を失い、 その結果、15才になる野営生活には頼もしいひとり息子のサイラスと共に、 親子三人で荒野での自給自足の生活を始めることになるのである。こんな 状況にあっても、ドルカスは健気に荒野での三人の生活の身支度をし、家 族の団蘂を求めてゆく。 ルーベンは次第に利己的な性格になり、心は冷たく、悲しい存在になっ てゆく。森での野外生活に長けているサイラスの道案内にも拘らず、自ら 無意識のうちに行くべきコースから離れ、自分の居場所をも見失ってゆき、 ‘The twelfth of May!...,’...‘Where am I?Whither am I wan− dering?Where did I leave him?’aalと叫び出す。夢遊病者の如くさ 迷うルーベンは、超自然的な力が自分をこの荒野に召し出しているように 信じ込み、ついには神の御意志が彼に罪を償う機会を与え給うのだと信じ るのである。もはや彼は自分の理性も思考の自由も喪失し、狂信的な、生 きたままの魂の抜け殻となった存在である。藪の厚い茂みの背後でガサガ サと音がする物体目がけて、ルーベンはいきなり銃を発砲した。こともあ ろうに彼はドルカス以上に、最も愛していたひとり息子のサイラスを撃ち 殺したのである。 ルーベンがサイラスを銃で撃ち殺した後の記述で、ホーソーンはルーベ ンの驚きや悲痛な思いについての表現は何も述べていない。それよりも息 子殺しの現場は、なんと18年前に、ルーベンがマルヴィンを置き去りに したあの大きな岩があり、岩の岩脈もそのままの状態で、ルーベンの記憶 を呼び覚ますことになった。しかしこの岩の側に生えていた樫の木の若木 は成長し、幹の真ん中から下の部分は枝葉がはびこって生き生きとしてい 51 たが、木の天辺の部分は胴枯れ病に侵され、枝は枯れ死んでいた。その枝 はルーベンが自分の命に賭けて血のついたハンカチを結び、マルヴィンの 救助、あるいは彼の遺骨の埋葬を誓った部分であった。この樫の木は18年 前の若者であったルーベンの象徴として、ホーソーンが印象づけている感 じが強いのである。もしそうだとすれば、まさにルーベンの心、つまり彼 の知性、感情、そして彼の意志は彼のwildな好奇心、 wildな言葉、 guilty な意識、そしてevi1なものによって蝕まれ、内側から彼の心が崩壊していっ たと考えられる。銃声を聞いて駆けつけたドルカスは、呆然と立ちつくし ているルーベンのぞっとするような青白い顔を見つける。その場でドルカ スは、自分のひとり息子が夫に射殺されたこと。そして18年前の父親が埋 葬されずに荒野に野晒しのままになっていたこと。更に墓石も自然の大き な岩にすぎなかったことがまさに自分の眼で知らされる。ルーベンはドル カスに、 “This broad rock is the gravestone of your near kindred, Dorcas,”...“Your tears will fall at once over your father and your son.” ㈱ と口を開いたのである。その言葉にはルーベンが自分の長年隠し続けて いた真実を見える形で告白しているが、しかし妻に対して謝罪の念を読み 取ることはできない。自分の長年の虚偽を明らかにしただけである。ドル カスはルーベンの言葉も聞かず、金切り声を上げてその場に倒れてしまう。 その時、樫の枯れた天辺が自ら崩れ落ち、断片となって岩の上、枯れ葉の 上、ルーベンの上、ドルカスと死んだ息子の上、そしてマルヴィンの上に 降り落ちてくる。この超自然的な現象によって、ホーソーンは何を意味し ているのであろうか。 これまでの論旨を結論づけると、ルーベンの蝕まれて崩壊した心が呪わ れたものとなり、マルヴィンの墓石となる大岩はドルカスにとっては墓石 52 とならず、マルヴィンの遺体に安らぎを与える枯れ葉にも災いが降りかか り、ルーベン自身にも、悲嘆の極限のドルカスと殺された息子にも、更に ロジャー・マルヴィンの遺体にもルーベンの災いが降りかかったとして、 家族全体の崩壊となった悲劇の結末と考えられるのではあるまいか。そし て心が頭の部分ではなく、人間の最も大切な心臓、つまりheartと考える ならば、人間の生きている生命としての最も重要な生命の源を失ったこと になるのである。ただ、ロジャー・マルヴィンの埋葬については、ルーベ ン自らの罪の代償として、自分の最も大切な、そして自分の分身のような 息子サイラスを殺すことによって、ルーベンが人間性を無くした狂人、廃 人になることによって、樫の枯枝がマルヴィンの遺骨の上に降り落ちた現 象を、一種の埋葬の儀として解釈することも可能であると考えられる。 注 (1)Nathaniel Hawthorne, Mosses fromαn Old.Manse, ed. William Charvat and Others,(Ohio State University Press,1974),X, p.340.以下このテキストをM.O.Mとする。 (2) Ibid., p.342. (3) Ib ia., p.344. (4) Ib i(云, p.345. (5)Nathaniel Hawthorne, TLvice−told Tales, ed. William Charvat and Others,(Ohio State University Press,1974),IX, p.132. (6) M.O.M, p.347, (7) 1わid., p.348. (8) Ib id., p.345. (9) Ib id., p.348. (10) Ib id., p.348. (11) Ibid., p.349, (12) Ibid., p.350. 53 (13) Nathaniel Hawthorne, The Scαrlet.乙etter, ed. Roy Harvey Pearce and Others,(Ohio State University Press,1962),1,p.198. (14) M。0.ハ4,pp.354−355. (15) It)id., p.360. 54