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こちら - 経済学部研究会WWWサーバ

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こちら - 経済学部研究会WWWサーバ
入ゼミレポート課題
次の1~15 の資料から 1 つを選び、それを契機として考えたことを A4 用紙 2 枚程度にまとめて下さい。
(1 枚あたり 1200 字
~1600 字です。
)
1 無知の知
2 経済学における数学
3 学問とは
4 オシムの言葉
5命
6 学校を糾弾するまえに
7 思考の整理学
8 Ken Robinson says schools kill creativity(ケン・ロビンソン「学校教育は創造性を殺してしまっている」)
9 広い視野と柔軟性
10 常識をひっくり返す発想は「ダメージ」から生まれる
11 規制なき市場経済ない ノーベル賞・クルーグマン教授語る
12 日本経済の今後
13 Opening Japan Up to the World
14 卒業式を中止した立教新座高校 3 年生諸君へ
15 いま”前座”がおもしろい
1<無知の知>
ソクラテスはソフィストたちの同時代人だった。ソフィストたちと同じように、ソクラテスも人間と人間の生活を論じ、自然哲
学者たちの問題にはかかわらなかった。ローマの哲学者キケロが、数百年あとにこんなことを言っている。ソクラテスは哲学を天
から地上へともたらし、都市や家に住まわせ、人間に人生と習慣、善と悪について考えるように仕向けた、と。
けれども、ソクラテスは重要なところでソフィストたちとは違っている。ソクラテスは、自分はソフィスト、つまり知識(ソフ
ォス)のある人間やかしこい人間ではない、と考えていた。だからソフィストたちとは反対に、教えてもお金を取らなかった。そ
うではなくてソクラテスは、ことばの本当の意味で自分は哲学者(フィロソフォス)だ、と名乗ったんだ。フィロソフォスとは「知
恵(ソフォス)を愛する人」ということだ。知恵を手に入れようと努力する人のことだ、
疲れた?ソフィー。
ソフィストと哲学者の違いを理解すること、
これはこれからのこの講座全てにわたってたいへん重要なんだ。
ソフィストたちは、どうでもいいような些細なことを論じてお金をもらった。そのようなソフィストたちは歴史のいたるところに
出没する。ぼくが考えているのは、すべての学校教師や知ったかぶり屋だ。こういう人々は、自分のちっぽけな知識で満足してい
るか、自分がものすごくたくさん知っていることを鼻にかけているけれど何一つきちんと理解していないかのどちらかだ。きみは
まだ若いけれど、きっとこういう人に出会ったことがあるだろう。本物の哲学者は、ソフィー、まるでちがう。そう、その正反対
なんだ。
哲学者は、自分があまりにものを知らない、ということを知っている。だからこそ、哲学者は本当の認識を手に入れようと、い
つも心がけている。ソクラテスはそういう、めったにいない人間だった。ソクラテスは、自分や人生や世界について知らない、と
はっきり自覚していた。そして、ここが大切なところだよ、自分がどれほどものを知らないかということで、ソクラテスは悩んで
いたのだ。
哲学者とは、自分にはわけのわからないことがたくさんあることを知っている人、そしてそのことに悩む人だ。だから哲学者は、
ひとり合点の知識でもって鼻高々の半可通よりもずっとかしこいのだ。
「もっともかしこい人は、自分が知らないということを知っ
ている人だ」とはもう言ったよね。ソクラテスはこういう言い方もしている。わたしは、自分が知らないというたった一つのこと
を知っている、とね。このことば、メモしておくこと。なぜなら、哲学者たちの間でもこんな告白はめったにないからだ。さらに
は、こんなことをおおっぴらに言うのは、命にかかわる大変危険なことでもあった。いつの世にも、疑問を投げかける人はもっと
も危険な人物なのだ。答えるのは危険でない。いくつかの問いの方が、千の答えよりも多くの起爆剤をふくんでいる。
「裸の王様」の話は知っているよね?本当は王様は真っ裸なのに、家来の誰一人、そう言う勇気がなかった。ふいに子供が叫ぶ。
王様は裸だ、と。勇気のある子供だね、ソフィー。これと同じようにソクラテスは、人はどれほどものを知らないかをはっきりさ
せた。裸だということをつきつけた。子供と哲学者が似たもの同士だということは、もう前に言ったっけ。
つまりこういうことだ。ぼくたちは、ふさわしい答えがおいそれと見つからないような、重要な問いをつきつけられる。ここか
ら先、道は 2 つある。一つは、自分と世界を全部ごまかして、知る値打ちのあることはすべて知っているみたいなふりをする道。
もう一つは、大切な問いには目をつむって、前に進むことをすっかりあきらめるという道。とまあ、人間は 2 種類に分かれるんだ
ね。少なくとも人間は、思いこみが強くてかたくなか、どうでもいいや、と思っているかのどちらかだ。
(どちらの種類の人間も、
兎の毛の奥深くうごめいていることに変わりはない!)これはトランプのカードが分けられるようなものだ。黒のカードはこっち
の山に、赤いカードはそっちの山にと積み上げいく。ところがジョーカーが出てくる。これはハートでもクラブでもないし、ダイ
ヤでもスペードでもない。ソクラテスはアテナイのジョーカーだったんだ。彼は思いこみが強くてかたくなでもなかったし、どう
でもいいと思ってもいなかった。ソクラテスは、自分は知らないということをしっていただけだ。そしてそのことを思いつめてい
た。それで、ソクラテスは哲学者になったのだ。あきらめない人、知恵を手に入れようとあくなき努力を努める人に。
(ヨースタイン・ゴルデル著 池田香代子訳『ソフィーの世界』より)
2<経済学における数学>
言葉を記号化して厳密に思考する
なにしろ、経済には、人々の生きがい、人々の「しあわせ」がかかっている。
だから、経済を研究する経済学では、ちょっとした思いつきや感じを言葉や文書にするだけで済ますことは、決して許されない。
正確・厳密であるためには、用いられている言葉の意味内容がすべての人に共通に理解されるように定義した上で、それを記号
化してしまうのがよい。記号化された言葉それぞれの間の関係を、それらの言葉それぞれの意味内容に即して、形式的に表現して
おくのがよい。推論そのものも、形式的に表現された関係を、論理法則による演算手続きによって進めるのがよい。つまり、記号
論理学あるいは数学を導入して推論するのが、正確・厳密さの保全のために好ましい。
もちろん、通常の言葉を用いても、正確・厳密に推論され、確認・証明されれば、それでよい。しかし、やはり、数学の導入が
大きな便利をもたらす。
数学は必要不可欠な「固い杖」
その意味内容が厳密に定義された記号についての演算によって推論する数学は、いわば固い杖である。そして、経済は分析する
のにまことに困難な事象である。経済学を研究することは盲目でありながら障害の多い道を進むのにひとしい。盲目であるので、
また、障害が多いので固い杖が必要なのだ。柔軟な鞭・糸・縄などを手に持ってでは歩むことはおぼつかない。経済は人の意思に
かかわるものである。そして、人の意思・人の心・人の価値観は、他の人にとって真に知ることは、ほとんど不可能なほどに困難
である。そんな不分明な基礎要因に根ざす事象に、明確に観察できる自然的事象には有効でありそうな数学を導入しても無駄なこ
とだ、と思う人もいるかも知れない。が、明確に観察できる事象について研究することは、上のたとえでは、障害の少ない道を明
眼をもって歩むのにも似ている。そんな場合にも固い杖は有効だろうが、経済学の場合は、もっと必要なのだ。
仮説を立てることの意味
確かに真に知ることが異常に困難なことをその基礎に多く抱えている学問なので、経済学では、その推論をはじめるに際して驚
くほど多くの仮説を立てる。数学的に述べられた経済理論は、このことを全く包みかくしせずに示している。それで、人によって
は、そんなに多くの仮説の上に立つ研究などは、などと言ってないがしろにしがちである。が、
「知ラザルヲ知ラズトナス。コレ、
知ルナリ」である。数学的・記号論理的でなく、一見したところでは仮説が少ないように見せかけた議論は危険である。
そんなことは現実にはあるはずがないと思えるようなことを仮説することもまたある。だが「そんな仮説の上に立つ議論は無意
味だ」などと言うのは、かえって無意味である場合が多い。
たとえば、最適経済成長の経路などに関して「現在から目標時点までの間に人々が得られる福祉の累計値を最大にする」と仮定
して議論をすると、
「政府も政治家もいわゆる財界指導者もそんなことは考えていない。そんな議論は無意味だ」と人はよく言う。
しかし、政財界の人や行政当局の幹部の人の心は真には知り得ないのだから、上のような仮定を立て、もしそうならばどんな結論
が得られるかを、正確・厳密に考えるのがよい。得られた結論の中に現実に観察し得るところと比較できるようなことがあれば、
その比較の上に立って、政財界の人や行政当局の幹部の人の心は「人々の福祉の累計値を最大化すること」の方には向いてはいな
いのだ、と対偶論的に断論できるのである。つまり、こうして、知ることの困難なものを、わずかずつ知って行くのである。固い
杖で障害を探知して、それを避けて行くのである。
採用しうる仮説はいちおう数多く限りないかもしれない。そのうち一つでも、これは適切なものではない、とわかれば、牛の歩
みにも似ているがそれは一つの前進だろう。
(岡本哲治・稲田献一編『経済数学のすすめ』より)
3<学問とは>
学者の仕事は芸術家のそれとまったく違った運命のもとにおかれている。というのは、それは常に進歩すべく運命づけられてい
るのである。これに反して、芸術には進歩というものがない。すくなくとも学問でいうような意味の進歩はない。ある時代の芸術
品が新しい技術上の手段や、またたとえば遠近法のようなものを用いているからといって、こうした手段や方法の知識を欠く作品
にくらべてそれが芸術として優れていると思うのは間違いである。正しく材料を選び、正しい手法に従っているものでありさえす
れば――いいかえれば、こうした手段や方法を用いてなくても、主題の選択と制作の手続きにおいて芸術の本道をいくものであり
さえすれば――それは芸術としての価値において少しも劣るものではないのである。これらの点で真に「達成(エルフュレン)
」し
ている芸術品は決して他に取ってかわられたり、時代遅れになったりするものではない。もとより、作品の評価は人によって様々
であろう。だが、真に芸術として「達成」している作品について、それが他の同様に「達成」している作品によって「凌駕」され
たとは、だれもいうことはできない。
ところが、学問の場合では、自分の仕事が 10 年たち、20 年たち、また 50 年たつうちには、いつか時代遅れになるであろうと
いうことは、だれでも知っている。これは、学問上の仕事に共通の運命である。いな、まさにここにこそ学問的業績の意義は存在
する。たとえこれと同じ運命が他の文化領域内にも指摘されうるとしても、学問はこれらのすべてと違った仕方でこの運命に服従
し、この運命に身を任せるのである。学問上の「達成」はつねに新しい「問題提出」と意味する。それは他の仕事によって「打ち
破られ」
、時代遅れとなることをみずから欲するのである。学問に生きるものはこのことに甘んじなければならない。もとより、学
問上の仕事がのちのちまで重んじられることもありうる、たとえばその芸術的性質のゆえに一種の「嗜好品」として、あるいは学
問上の仕事への訓練のための手段として、しかし、学問としての実質においては、それはつねに他の仕事によって取ってかわられ
るのである。このことは――、繰り返して言うが――たんにわれわれに共通の運命ではなく、実にわれわれに共通の目的なのである。
われわれ学問に生きるものは、
後代の人々がわれわれよりも高い階段に到達することを期待しないでは仕事をすることが出来ない。
原則上、この進歩は無限に続くものである。かくて、われわれはここで学問の意義はどこにあるかという問題に当面する。という
のは、この運命の下に置かれている学問というのが、いったい有意義なものであるかどうかは、決して自明ではないからである。
事実上終わりというものを持たず、またもつことの出来ない事柄に、人はなぜ従事するのであろうか。
(マックス・ウェーバー著 尾高邦雄訳『職業としての学問』より)
4<オシムの言葉>
「作り上げることは難しい。でも、作り上げることのほうがいい人生だと思いませんか?」
「守るのは簡単ですよ。
・・・戦術的なファウルをしたり、引いて守ったりして、相手のいいプレーをブチ壊せばいい。作り上げる
ことは難しい。でもね、作り上げることのほうがいい人生でしょう。そう思いませんか?」
(
『オシムの言葉』より)
5<命>
ある日の放課後、小学校 6 年生 18 人が誘い合わせてコウモリ狩りに行きました。次の文章は、その体験談です。
コウモリをとっている最中に、友だちが「おれ、ナイフもってるっけ、解剖してみるか」と言い出しました。早く解剖してみた
いなあ、と私は思いました。解剖は初めてで、体の仕組みをみるのが楽しみだったのです。
とったコウモリは 14~15 匹。そのうちの 1 匹を取り上げて、目や口などを観察したあと、友だちが解剖しました。はじめは胸
がワクワクしてたけど、コウモリが動かなくなってしまうと、
「かわいそう。残酷なことしちゃった」という気持ちがあふれてきま
した。でも、口には出さないで、じっと見ていました。
友だちは、おなかを切って心臓を取り出しました。血はほとんど出なくて、心臓は 7mm ほどの大きさでした。そこまでいくと、
10 人ほど見ていた人が、4~5 人に減りました。内臓を見ながら、私は「コウモリはどんなきもちだったのだろう。人間は怖い動
物だと思っただろうな。仲間のところに帰りたいだろうな」と思っていました。
友だちの一人が「夢にコウモリが出てきて、おまえたちを襲うぞ」といったので、私は怖くなって、友だちと神社にお参りをし
ました。
「ごめんねコウモリ。命を無駄にして」って。でも、そのあとで私は頭の骨が見たくなって、友だちがまた解剖しました。
1cm ほどの大きさで、やっぱり固かった。私は「またやってごめんなさい」と、神社にお参りしました。残りのコウモリはあとで
放しました。
(朝日新聞家庭欄より)
6<学校を糾弾するまえに>
産業革命以前の大部分の子どもは、学校においてではなく、それぞれの仕事が行なわれている現場において、親か親代りの大人
の仕事の後継者として、その仕事を見習いながら、一人前の大人となった。そこには、同じ仕事を共有する先達と後輩の関係が成
り立つ基盤がある。それが大人の権威を支える現実的根拠であった。そういった関係をあてにできないところに、近代学校の教師
の役割の難しさがあるのではないか。つまり学習の強力な動機づけになるはずの職業共有の意識を子どもに期待できず、また人間
にとっていちばんなじみやすい見習いという学習形態を利用しにくい悪条件の下で、何ごとかを教える役割を負かされている、と
いうことである。
中世では、学校においてさえ後継者見習いの機能が生きていた。たとえば、教師がラテン語のテクストを読む作業をする。ある
いは文字を使って文書を作る書記の作業をする。それを生徒が傍で見て手伝いながら、読むこと書くことを身につけていく。こう
スコラ
バイデイア
いう事態を指して、フィリップ・アリエスは、
『
〈子供〉の誕生』の第二部「学校での生活」において、中世には学校はあったが、教 育
という観念がなかったという。これの意味は、単に教授法が未開発だったために目的意識的な働きかけができなかったということ
ではない。中世の生徒が、将来ラテン語を読み、文書を作る職業としての教師=知識人=書記の予備軍であったために、見習いと
いう方式がそれに適合していた、ということである。
これを逆にいうと、中世の教師は、近代の教師によりも、同時代の徒弟制の親方に似ていることを意味する。中世の教師は、テ
クストを書き写し、解読し、注釈し、文書を作る人である。その職業を実施する過程の中に後継者を養成する機能が含まれていた
ということができる。その意味では、中世の教師は、逆説的にきこえるかもしれないが、教える主体ではなかった。同様に中世の
生徒も教えられる客体ではなかった。両者は、主体と客体に両極化する以前の、同じ仕事を追及する先達と後輩の関係にあり、そ
こには一種の学習の共同体が成立していた。
後継者見習いが十分に機能しているところでは、教える技術は発達しにくい。まして、教える側の、教えられる側に対する働き
ディダクティカー
かけを、方法自覚的に主題化する教授学への必要性は弱い。現に、教 授 学 者たちが出現するには十七世紀を待たなければならな
かった。
ただし近代の学校においても、先達、後輩の関係が成り立つ場合がある。例えば、現代の代表的モラリストで、典型的な中等教
員の一人であったアランは、リセの生徒のときに出会った教師ラニョーに対して、
「わが偉大なラニョー、真実、私の知った唯一の
ささ
神」という最高の賛辞を捧げ、さらに「帰依とは我らが驚異する者に対する愛のことである」というスピノーザの言葉を共感をこ
たた
めて引用している。そのアランの生徒であった文学者モーロワも、
「私が師と仰いだアラン、崇拝してやまないアラン」を讃える
ために一冊の本をかいている。
しかしこの種の師弟関係は、おそらく、書物を読み、書物をかくことを職業とする世界の先達と後輩の間でしか成り立たないで
あろう。将来、知識人になろうとする生徒、もしくは結果として知識人となった者だけが、教師への帰依を語る記録を残すことに
なるのではないか。ラニョーは、プラトンとスピノーザのテクスト購読だけを授業の内容とした。アランは、ラテン語と幾何学だ
けが、人間になるための真の必須科目であると信じていた。そういう教師に、工場の技師や商社のセールスマン、あるいはふつう
の社会人を志望する生徒が「帰依」するとは考えにくい。
みょうり
ラニョーやアランのように「帰依」されることは教師冥 利 につきる。だから教師はどうしても、子どもの中に自分のミニチュ
え こ
アを見たがる。とりわけ学問好きの教師は、自分と似た学問好きの生徒を依怙ひいきして、しかもそれを正当なことだと考える。
教師的人間像を普遍的な理想的人間像であるかのように思いなして、それを子どもにおしつける。そしてそれを受けいれない子ど
もに、だめな人間というレッテルをはってしまう。しかし、子どもが教師的人間像を受けいれることは、生徒の大部分が教師後継
者ではなくなった近代の大衆学校では、ごく限られた範囲でしか通用しない。
教師と生徒の関係のこの難しさに対処するために、近代の教育の諸技術が工夫されたということができるだろう。もちろんそれ
ホモファーベル
だけが理由ではない。近代人が、自然に対して方法自覚的に働きかけて、自然を支配しようとする加工主体であること、その近代
人の志向が子どもという自然にも向けられた、という理由も見のがすわけにはいかない。しかし、子どもの自発性を尊重しつつ、
なお大人が意図する方向へ子どもを導こうとする誘惑術まがいの教育の技術を発達させる動機には、やはり、後継者見習いの関係
が成り立ちにくくなったという事情が投影しているように思われる。見習いの機能が生きていた時代には、大人は、たとえ子ども
を理解しないままでも、後継者を養成することができた。それとは対照的に、近代の学校教師は、子どもを社会人に育てあげる能
力をほとんど失ったにもかかわらず、いや失ったがゆえに、子どもへの理解を無限に強いられる。
〔注〕○フィリップ・アリエス――Philippe Ariés(1914~1984) フランスの歴史家。
○モラリスト――人間や道徳についての思索家。
○リセ――lycée フランスの国立中等教育機関。
○スピノーザ――Spinoza(1632~一 1677) オランダの哲学者。
○プラトン――Platon または Plato 古代ギリシアの哲学者。
(宮澤康人『学校を糾弾するまえに』より)
7<思考の整理学>
勉強したい、と思う。すると、まず学校へ行くことを考える。学校の生徒のことではない。いい年をした大人が、である。
(中略)
ところで、学校の生徒は、先生と教科書にひっぱられて勉強する。自学自習という言葉こそあるけれども、独力で知識を得るの
ではない。いわばグライダーのようなものだ。自力で飛び上がることはできない。
グライダーと飛行機は遠くからみると似ている。空を飛ぶのも同じで、グライダーが音もなく優雅に滑空しているさまは、飛行
機よりもむしろ美しいくらいだ。ただ、悲しいかな自力で飛ぶことができない。
(中略)
指導者がいて、目標がはっきりしているところではグライダー能力が高く評価されるけれども、新しい文化の創造には飛行機能
力が不可欠である。それを学校教育はむしろ抑圧してきた。急にそれをのばそうとすれば、さまざまな困難がともなう。
他方、現代は情報の社会である。グライダー人間をすっかりやめてしまうわけにも行かない。それなら、グライダーにエンジン
を搭載するにはどうしたらいいのか。学校も社会もそれを考える必要がある。
この本では、グライダー兼飛行機のような人間となるには、どういうことを心掛ければよいかを考えたい。
(外山滋比古『思考の整理学』より)
8<Ken Robinson says schools kill creativity(ケン・ロビンソン「学校教育は創造性を殺してしまっている」)>
http://www.ted.com/talks/lang/ja/ken_robinson_says_schools_kill_creativity.html?utm_expid=166907-14&utm_referrer=http%3A%2F%2Fmarut
a.be%2Fgakusyu%2F419
(TED: Ideas worth spreading より)
9<広い視野と柔軟性>
先の見えない日本とは対照的に、今世界で最も活動的な地域は中国沿海部だろう。市場経済化によって解き放たれたエネルギー
は、無尽蔵の低賃金労働力に支えられて技術レベルを高め、世界市場を席巻しつつある。だが、変化極まりない時代のなかで急速
な成長を遂げつつある背後には、脈々と流れる華僑の伝統がある。
ある時、日本人と中国人が同じ場所で同じ釣りざおと餌を使って釣りをしていた。一年後二人が何をしているかを見ると、日本
人はさおをハイテクのさおに換え、餌を高級なものに換えて、同じ場所で釣りをしていた。中国人は同じ古いさおと古い餌を使っ
て、同じ場所で十人が釣りをしていた。一年前に釣りをしていた本人は、その十人を使って釣りをさせ、自分は別の仕事をしても
うけていた。
先日の朝日新聞に、女優のジュディ・オングさんが、
「大きな白紙の上の小さな黒い点だけを見つめて自分は不幸だと思っていま
せんか。鳥になって上から自分を眺めてみれば、周りに楽しいことがたくさん見えるはず」といった意味のことを書いていた。こ
れは彼女の個性なのか、それとも流れる血のいわせた言葉なのか。
飽食の時代になって、ハングリー精神を失った日本は、広い視野と柔軟な思考をも失っていないだろうか。変化がますます加速
する世界で、変化に適応する柔軟性こそが、機械やコンピューターにない人間だけの能力である。豊かな教養と高い倫理観や他か
ら素直に学ぶ姿勢は柔軟な思考の源泉である。
多発する医療事故も、
その原因を探ると多くの場合、
専門分野の知識だけを詰め込んだ視野の狭い医師の存在に行き着くという。
育児に疲れた親による子供の虐待問題も同根である。日本の経営者も同じ問題を抱えていないと言い切れるだろうか。
中国では若い人々と女性が高い地位に就いて活躍している。常識を破る柔軟な思考と行動力こそ、戦後日本の成長力の源泉であ
った。国や企業も指導者が老齢化すれば広い視野と柔軟性を失う。日本の停滞は指導者を若い世代に入れ替えるメカニズムが働い
ていないことによる。
指導者が柔軟であるか、
そうでないときに働く新陳代謝メカニズムを持っているかどうかは、
企業価値の最大のポイントである。
(日本経済新聞の記事より)
10<常識をひっくり返す発想は「ダメージ」から生まれる>
日本はいまだ、年功序列で縦割りの社会ではないでしょうか。例えば、日本人はランキングが好きですね。学校や企業などさまざ
まなランキングがあり、
「ネーション・オブ・ランキング」
(ランキングの国)と呼びたいぐらいです。
日本の社会では、年次が低い、年齢が若いことは一種の「ダメージ」になっていると思います。こうしたダメージを持った人た
ちは、組織の中で力が弱い。ほかにも、人と違った経験をしてきた、専門が違う、組織に属していない――こういうケースも、日
本ではダメージになりがちだと思います。こんな人たちのことを「低力者」
(Low power Players)と総称してみます。
常識をひっくり返すのがイノベーション
実は、
「低力者」が有利になる場合があります。それが「イノベーション」が起きるときです。そもそもイノベーションとは何で
しょうか。ここではイノベーションを「何か得する変更を起こすこと」と広く定義してみましょう。
例えば現在の自動車にはタイヤが4つ付いていますが、自動車が発明された当初は、3つのタイヤで走るものなどいろいろなバ
リエーションがありました。最初に複数のアプローチが試された後、方向性を修正していくことで、現在の自動車に近い1つの方
向に絞られてくる。テレビ、パーソナルミュージックプレーヤー、携帯電話なども同じように進化してきました。こうした流れは
新しい技術が登場するたびに繰り返されます。
イノベーションを成し遂げるには研究開発費や時間が掛かります。しかも、ありきたりのアイデアは既に誰かが試しています。
残っているのは、手が届きにくく難しい部分だけ。つまり、新しいアイデアは常識をひっくり返すくらい斬新なものでなければい
けません。
例えば、
光ファイバー技術を開発したのはガラスメーカーだったにもかかわらず、
商品化に成功したのは電線のメーカーでした。
異業種の知識によって商品化の壁を突破できたからです。また、パーソナルミュージックプレーヤーの分野で主導権を握ったのは
家電メーカーや音響機器メーカーではなく、パソコンメーカーでした。これは常識にとらわれないシンプルなインターフェースを
導入できたからです。大きなビジネスに成長するようなイノベーションは、こうしたアイデアから生まれるのです。
従来の「やり方」ではイノベーションは生まれにくい
一般的に会社では、よくモットーや理念が掲げられています。なぜなら、過去の成功体験から学んだ「やり方」を社員全員が習
得することで、会社は存続してきたからです。特に日本の会社では、4月に入社した新入社員は、まず、その会社ならではの「や
り方」を横並びで身に付けます。会社のヒエラルキーの上部には、その「やり方」のエキスパートがいる。
「やり方」が分かってい
るからこそ昇進してきたわけです。
会社にいる限り、会社の「やり方」を身に付けることは重要です。しかし、イノベーションに不可欠なのは常識をひっくり返す
こと。つまり、従来の考え方は新しい世界で邪魔になるのです。特にイノベーションに関しては、組織内での地位の有利がなくな
ります。そこで、低力者にチャンスが生まれるのです。
古い考え方がイノベーション後の世界にフィットしなかった一例を挙げましょう。ビデオデッキが出たとき、映画業界とテレビ
業界は反対しました。自分の業界が損をすると思ったからです。ところがビデオデッキや DVD プレーヤーが出たことで、有料で
あってもテレビや映画が広く視聴されるようになったのです。
低力者こそ画期的なアイデアが出せるはず
ヨットを思い浮かべてください。ヨットには帆とかじ、竜骨があります。ヨットは風を利用して進むので、行きたい方向へ行く
ためにはきちんとポジショニングを取る必要があります。
人生はヨットに似ています。帆とかじは自分が取るアクション。風は経済環境や家族など、自分のキャリアを形成する環境に当
たります。また、ヨットの竜骨には風に逆らってでも船体を前に進める役割があります。竜骨は自分の情熱や、やる気など「ハー
ト」に当たるでしょう。ヨットを動かすにはしっかりした竜骨が欠かせない。人生においても、ハートが弱くなっていると、どん
なに風を受けても、頑張ってかじや帆を動かしても、行きたい方向へ進めない。自分自身で竜骨を作ることが大切です。
例えば、私は日本という難しい社会で起業したので、困難に直面することは少なくない。組織に所属したほうが楽なことも多い
かもしれません。でも「組織の中にいる人には出せないアイデアが私にはあるかもしれない」と信じている。それが私の竜骨にな
っています。内部の常識にとらわれている人よりも、その常識を知らない人のほうが斬新なアイデアを出すことができる。知識は
時に邪魔になります。
まず、しっかりとした竜骨を作りましょう。そして、組織から見れば「低力者」である人こそ、従来の考え方にとらわれず、常
識をひっくり返すような発想ができるのです。
(ケネス・ペクター氏の講演より)
11<規制なき市場経済ない ノーベル賞・クルーグマン教授語る>
激動のうちに2009年は明けた。国際社会は、金融危機の拡大と世界不況に苦しみ、新自由主義と米国一極集中に限界が見え
始めている。国内では、政治の混迷が続き、未曽有の経済苦境から抜け出せない。この危機にどう立ち向かい、未来を切り開くか。
内外の識者に現状認識と打開策を語ってもらった。
◆危機からの教訓…P・クルーグマン(米・プリンストン大教授)◆
世界金融危機は、市場経済は自由放任にしておけばうまくいくという信仰を打ち砕いた。1930年代の大恐慌後に採られた適
度な規制を是とする哲学に回帰すべきだ。
市場経済そのものが悪いのではない。市場経済はいまだに最善のシステムだが、金融には問題があった。
引き金を引いたのは、米国の住宅バブルの崩壊である。元凶は、規制もされずに野放しとなっていた米証券会社やヘッジファン
ドなどによる「影の銀行システム」だ。
大恐慌を教訓に、銀行への規制や金融の安全網が整えられた。だが、現代の金融の大半を支配する「影の銀行システム」は、実
質的には銀行なのに、銀行のような規制を受けて来なかった。住宅ローンを証券化した金融商品などで、借入金を元手に自己資本
の何十倍も投資するレバレッジ(てこ)取引を行い、バブルを膨らませた。
タイタニック号の乗客が沈没するのを知らずに、別の乗客から保険を買ったようなものだ。金融工学を駆使した金融商品は安全
だと信じ込んで、皆がバブルでリスクの膨らんだ金融商品を持ち合っていた。
だから、いったんバブルがはじけると、今度はてこが逆に作用し、負の影響が直ちに世界中に伝わった。米国の住宅バブルと関
係のない様々な国々にも、危機は異常なほどの伝染力で広がっていった。
◆超大型の財政出動を◆
私たちは個々の融資を丹念に審査しなくても、金融工学でリスクを管理できると思い込んでいた。市場に自浄作用があるとも信
じていた。しかし、結局、それは間違いだった。
今はまず、政府・中央銀行による救済策が必要だ。大規模な財政出動や慣例にとらわれない金融政策などの対策を打たなければ、
不況はこの先何年も続くだろう。新興市場にも深刻なダメージを及ぼし、金融システムに深い傷を残す。一時的な巨額の赤字をた
めらうべきではない。
80年代のレーガン政権のスローガンは「政府は問題を解決しない。政府こそが問題だ」だったが、今必要なのは「政府こそが
問題を解決する」なのである。
世界経済には、もはや覇権国家は存在しない。米国主導の時代が完全に終わったのではないが、米国の信用と権威は落ちた。米
国は経済政策について多くの国に口出しをして来たが、今やそれは難しい。
「米国が父親役で、子供たちに何をすべきか諭す世界」でなく、将来の世界経済は、米国と欧州連合(EU)
、中国、インドの4
大勢力など大国間の駆け引きで動くことになるだろう。日本は、2番手集団の先頭といったところだ。
米国の景気を回復させるには、大規模で慣例にとらわれない財政・金融政策を迅速に行うことが重要だ。
何も手を打たなければ、現在6%台の米国の失業率は、少なくとも9~10%に達するだろう。失業率を1%押し下げるには、
2000億ドルの財政出動が必要との研究がある。失業率が5%以下の「完全雇用状態」を実現するには、巨額の財政出動が欠か
せない。
財政赤字を懸念する声も聞かれるが、財政出動が将来世代を痛めつけることにはならない。今、経済をテコ入れしなければ、公
共投資だけでなく、民間投資も冷え込んでしまう。経済を強くするため、あらゆる必要な手を打つことは、すべての人の利益にな
る。
財政出動で最も効果があるのは公共投資だ。資金が貯蓄に回らず消費されるうえ、価値のあるものが最後に残るからだ。日本に
比べ速度の遅いブロードバンド(高速大容量通信)網などの情報技術やエネルギー転換への投資など、あらゆることが行われるだ
ろう。
問題はスピードだ。公共投資は始めるのに時間がかかるが、景気の落ち込みは急速に進んでいる。社会保障給付や減税を組み合
わせることが必要だ。1年目は失業者や地方自治体の支援策や広範な減税を行い、2年目以降は公共投資に比重を移していくべき
だ。
オバマ米次期大統領がこうした対策を打てば、米景気は2009年後半にはやや好転するのではないか。
◆ゼロ金利政策を支持する◆
一方、バーナンキ議長の率いる米連邦準備制度理事会(FRB)は、慣例にとらわれない融資や資産買い取りを進め、08年1
2月にはゼロ金利政策に踏み切った。私はこれを支持するし、FRBは現実を正しく認識していると思う。
つまり、米国は1998年当時の日本と同じ状況、金利を上下させる通常の金融政策が効かない「流動性の罠(わな)」に陥って
いるのだ。
私は98年、日本銀行に対して、政策目標とする物価上昇率を示す「インフレ目標」政策を採用すべきだと指摘したが、この議
論も再び活発になってきた。
達成できると、国民に信じてもらうのは難しいが、現在の米国で実際に効果を発揮させるには「向こう10年間、物価を年4%
ずつ上昇させる」くらいのインフレ目標が必要だ。
ゼネラル・モーターズ(GM)などの米自動車大手に関して言えば、死に至らしめるべきではない。ブッシュ政権のつなぎ融資
は時間の猶予を与えたに過ぎない。今必要なのは、自動車メーカーを再構築し、自動車産業を救済するために真の努力をすること
だ。
多くの人々が示唆し、私も正しいと思うのは、メーカーに事業再構築のチャンスを与える形の「管理された破綻(はたん)・再生」
だ。ただ、米連邦破産法11章は適用できないことはわかってほしい。車は耐久消費財で、アフターサービスを行うメーカーが3
年以内に姿を消してしまうと思われたら、車は売れなくなるからだ。
だから、政府による融資と保証を付けた形で処理しなければならない。それでも、うまくいくかどうかはわからないが、自動車
産業は巨大で、景気後退のさなかに雇用が失われれば、大きな痛手になる。
財政・金融政策がうまくいけば、私たちの孫の世代も、そんな不況があったのかと忘れてしまうだろう。まずい対応で今も記憶
に残る大恐慌のようにしないために、やれることは何でもやらなければならない。
(読売新聞の記事より )
12<日本経済の今後>
それにしても、なんで唐突に国外脱出なんだろう。
東大出のキャリア官僚なら、腐っても鯛。仮に役人を辞めても、外郭団体とか研究機関とか、いくらでも条件のいい天下り先は
ありそうなのに…。
そう思って尋ねてみた。
「だって N さん。収入はどうすんのよ。せっかく東大出てさ、日本にいりゃ、一生安泰な生活が保証されてるってのに、なんでま
た?惜しくないの?」
「そりゃあ、今までのままなら日本にいますよ。銀行はじめ、日本の金融機関が生き残れて、しかも官僚の支配下にある状態が続
くんなら」
「んん?銀行の生き残りと N さんの国外脱出と、どういう関係があるわけ?」
「大ありです。横田さんもご存知のとおり、今や日本の金融機関が、どんどん外資に乗っ取られてるでしょう」
「なにしろヘタすりゃ全滅って話しさえ出てるくらいだからな」
「つまりそれは、純国産銀行がなくなるということですよね。民族資本が滅びるというか」
「滅びるとどうなる?」
「決まっているじゃないですか。金融のみならず、日本の産業全部が、外国に支配されるんですよ。
」
話としては理解できたが、N さんの言い方はいまいち他人事みたいで、気に食わない。
「だけど N さん、日本の金融機関を弱くしたのは、大蔵省の責任じゃないか。長年、大蔵省が保護行政しいて、必要以上に外資か
ら守ってやった。商品開発にしても何にしても、箸の上げ下ろしにまで口出してさ。だから競争力を失っちゃたんだぜ。それを棚
に上げて、いきなり民族資本が滅びるなんて言われてもなあ…」
「批判はわかりますよ。たしかに半分は、そのとおりだと思います。でもね、今さらそれを言ったところで、もはや後戻りはでき
ないんです。
」
「というと?」
「日本の金融が外資に乗っ取られ、近い将来民族資本が滅びるというのは、今や厳然たる事実でしょう。いいか悪いかは別にして」
「まあそうかもな」
(中略)
「だからそれがどうしたんだよ」
イライラするオレに、N さんは諭すような口調で説明を続けた。
「つまりです。銀行の役割というのは、産業部門にカネを供給すること。なのにその銀行が、外資に変わってごらんなさい。これ
までみたいに、日本の産業へカネを回すと思いますか?」
「うーん、どうなんだろう。儲かると思えば貸すんじゃねえの?あくまで個別の判断で」
「いや甘いですね。マクロで考えてみればわかるでしょう。アメリカは貿易赤字国ですよ。その不足分を、どこかから引っ張って
こなくてはならない。おカネを持ってるよその国から」
「それが日本だってこと?」
「そのとおり。よく日本の個人資産は、1200 兆円もあるって言いますよね。外資、もって正確に言うならば、アメリカが狙ってる
のは、まさにそれです。つまり、これまでは日本国内で循環し、産業に回されていたカネが、これからはアメリカに流出してしま
う。
外資による金融支配とは、
結局そういうことなのです。
ところで横田さん、
産業にカネが回らなくなるとどうなると思います?」
「経済活動がストップしちゃうよな。
」
「さらには不況ですよね。ただでさえ今でも景気が悪いのに、この先もっと景気が悪くなったらどうします?」
(中略)
「でもさ、産業構造の転換ってのがあるじゃんよ。例えば、昔よかった繊維とか鉄鋼が、電機や自動車にとって代わられ、さらに
はそれが、半導体とかコンピューターにとって代わられて。今だったらどうかなあ、情報産業やソフトなんてのが先端だろ。そう
いう先端な産業にどんどんシフトしてきゃ、日本もなんとかなるんじゃないの?」
「あのねえ、横田さん」
こいつにはもうあきれた、という哀れみの顔で N さんがオレを見た。
「じゃあその情報通信の分野で、今の日本は優位に立ってますか?とんでもない。圧倒的に強いのはアメリカです。というよりも、
情報通信と宇宙航空と金融。この三つの分野が、アメリカの国家戦略なんですよ。しかもその三分野すべてにおいて、日本ははな
はだ後れをとっている。とてもじゃないが、マトモに太刀打ちできる状態じゃない」
「チェッ、まったく無責任なことを言うよなあ。だって、日本をそういう状態にさせた張本人は、大蔵省なり通産省なりの官僚じ
ゃないか。N さん、他でもないその官僚の一人だろ?」
「だからさっきも言ったでしょ。なにも我々に、全く責任がないと言っているわけじゃないんです。それよりも、もはやここまで
きたら、厳しい現実を直視することの方が重要だろうって…」
「じゃあさ、ソフトとかはどうなの?例えばゲームソフト。あれなんか絶対、日本は強いと思うんだけど」
「確かに強いかもしれませんが、組織として大きくなれる産業じゃありませんね」
「どういう意味?」
「つまり、しょせんオタクみたいな若い人達が、何人か集まって作るわけでしょ。しかも手掛けているソフトが完成したら、さっ
と散ってしまう。でまた、そういった規模の小さい柔軟な組織でないと、良いものを作ることが無理なんです。もし仮に、ソフト
を作っているスタッフが、全員そのまま会社へ残り、さらには終身雇用かなにかになってごらんなさい。組織は硬直化し、年をと
ることによって社員の感性は鈍り、絶対いいソフトなど作れやしません」
「たしかにジジイの作ったテレビゲームなんか、つまんなそうだもんなあ」
「そもそもソフトという産業の特性自体が、そういうものなんです。さらに言えば、ソフトの制作者も、日本にいる必要はありま
せん。今やインターネットがありますからね。外国に住んでいながら、自由に作ることができる」
「作曲家なんかもそうだよなあ。あいつらも、パソコンか五線紙さえあれば、世界中どこでだって仕事ができるんだから。なにも
好きこのんで、こんな汚ねえ国に住んでる必要はねわけだ」
「つまり、日本なんかに残ってること自体が、バカなのです」
自信に満ちた N さんの言い分だった。
「ずいぶんはっきり断言するんだなあ、東大出の官僚さんも」
「でも事実ですからね。今後は、有能な人間ほど外国へ流出し、無能な人間ほど、日本にとどまるようになります。だから私も脱
出するんです」
ゲゲッ、すげえプライド!エリート官僚がタカピーだとは聞いていたが、これほどとは…。
(横田濱夫氏の文章より)
13<Opening Japan Up to the World>
WITH A GLOBAL FINANCIAL CRISIS AT HAND, IT IS CLEAR THAT MAJOR CHANGE IS NEEDED among leading nations. For Japan,
this comes at a time when two prime ministers have left office in barely 2 years, and support for the new prime minister, Taro Aso, is weak less than
2 months after he took up office. Perhaps the public, sensing the need for change, is pessimistic about the possibilities, given that Japan has been so
resistant to change over the past decade.
Clearly, today’s global competition demands entrepreneurs with distinct out-of-the-box talents. The flattening global market is also driving the need
for diversity and collaboration, essential for the kind of open innovation that creates new markets. Like other nations, Japan’s investments in science,
technology, and innovation are crucial to its economic growth. Universities play a key role in nurturing future talents and leaders in every sector of
society.
Therefore, government support for academic science is vitally important. However, in Japan, such investment by the government often fails to
nurture the potential of these individuals. This is partly due to an insular, hierarchical, and male-dominated system that still prevails in every sector of
Japanese society, including academic institutions.
Meanwhile, many universities in other countries have become more open to the world, thereby becoming cores of the global community.
They are creating programs that attract students from around the world and address global challenges in areas such as health, energy, climate change,
and the environment. The international student-faculty-alumni network that these efforts forge is a powerful tool that is crucial for any nation’s
future success. In contrast, only a few universities in Japan are truly international: At Ritsumeikan Asia Pacific University, 50% of the
undergraduate students are international and half of the courses are given in English; Akita International University, a typical small liberal arts
college, has 40% international students, with most courses taught in English.
Leading universities outside of Japan aim to attract not only the world’s most promising students but also the best faculty and academic leadership,
be it dean, provost, or president.
Some invite outstanding women to lead them: the University of Cambridge, Massachusetts Institute of Technology, Princeton University, and
Harvard University, to name a few. Among approximately 80 national universities in Japan, only one has a woman at the top (Ochanomizu
University, a women’s university). Among Japan’s private universities and colleges, the situation is not much different. Inviting someone from the
outside to a top academic position is still exceptional, as it is in Japan’s business sector.
But change is imminent. In 2009, the Japanese government will launch new programs in science and technology that join universities and research
institutes in Japan with those in Africa.
The program moves beyond simply inviting graduate students from Africa to Japan; it will promote joint bilateral research projects involving faculty
and students.
Also, the Ministry of Education has submitted a budget beginning in fiscal year 2009 for an unusually ambitious program that increases
opportunities for students to go abroad for a year as part of an exchange. The number of Japanese students who go abroad, even to universities in the
United States, has fallen rapidly over the past few years (from 46,000 to 35,000). Reasons for this decline are unclear, but it comes at a time when
meeting the future challenges in any country requires a circulation of human capital and resources that supports a vibrant international exchange of
ideas and talents. The newly proposed exchange programs target 30 leading universities and aim to have at least 10% of all students study abroad
within the next 5 years. The budget also requires that these universities offer many courses in English, which will hopefully attract non-Japanese
students and faculty.
It is critical to approve this 2009 budget request because it will ultimately keep Japan economically robust and competitive. Otherwise, I fear that my
country will become closed off from an increasingly interconnected global community, turning Japan back 150 years in its history to a time before
Commodore Matthew Perry opened Japan to the world.
(Dr. Kiyoshi Kurokawa の文章より)
14<卒業式を中止した立教新座高校 3 年生諸君へ>
諸君らの研鑽の結果が、卒業の時を迎えた。その努力に、本校教職員を代表して心より祝意を述べる。
また、今日までの諸君らを支えてくれた多くの人々に、生徒諸君とともに感謝を申し上げる。
とりわけ、強く、大きく、本校の教育を支えてくれた保護者の皆さんに、祝意を申し上げるとともに、心からの御礼を申し上げ
たい。
未来に向かう晴れやかなこの時に、諸君に向かって小さなメッセージを残しておきたい。
このメッセージに、2 週間前、「時に海を見よ」題し、配布予定の学校便りにも掲載した。その時私の脳裏に浮かんだ海は、真
っ青な大海原であった。しかし、今、私の目に浮かぶのは、津波になって荒れ狂い、濁流と化し、数多の人命を奪い、憎んでも憎
みきれない憎悪と嫌悪の海である。これから述べることは、あまりに甘く現実と離れた浪漫的まやかしに思えるかもしれない。私
は躊躇した。しかし、私は今繰り広げられる悲惨な現実を前にして、どうしても以下のことを述べておきたいと思う。私はこのさ
さやかなメッセージを続けることにした。
諸君らのほとんどは、大学に進学する。大学で学ぶとは、又、大学の場にあって、諸君がその時を得るということはいかなるこ
とか。大学に行くことは、他の道を行くことといかなる相違があるのか。大学での青春とは、如何なることなのか。
大学に行くことは学ぶためであるという。そうか。学ぶことは一生のことである。いかなる状況にあっても、学ぶことに終わり
はない。一生涯辞書を引き続けろ。新たなる知識を常に学べ。知ることに終わりはなく、知識に不動なるものはない。
大学だけが学ぶところではない。日本では、大学進学率は極めて高い水準にあるかもしれない。しかし、地球全体の視野で考え
るならば、大学に行くものはまだ少数である。大学は、学ぶために行くと広言することの背後には、学ぶことに特権意識を持つ者
の驕りがあるといってもいい。
多くの友人を得るために、大学に行くと云う者がいる。そうか。友人を得るためなら、このまま社会人になることのほうが近道
かもしれない。どの社会にあろうとも、よき友人はできる。大学で得る友人が、すぐれたものであるなどといった保証はどこにも
ない。そんな思い上がりは捨てるべきだ。
楽しむために大学に行くという者がいる。エンジョイするために大学に行くと高言する者がいる。これほど鼻持ちならない言葉
もない。ふざけるな。今この現実の前に真摯であれ。
君らを待つ大学での時間とは、いかなる時間なのか。
学ぶことでも、友人を得ることでも、楽しむためでもないとしたら、何のために大学に行くのか。
誤解を恐れずに、あえて、象徴的に云おう。
大学に行くとは、「海を見る自由」を得るためなのではないか。
言葉を変えるならば、「立ち止まる自由」を得るためではないかと思う。現実を直視する自由だと言い換えてもいい。
中学・高校時代。君らに時間を制御する自由はなかった。遅刻・欠席は学校という名の下で管理された。又、それは保護者の下
で管理されていた。諸君は管理されていたのだ。
大学を出て、就職したとしても、その構図は変わりない。無断欠席など、会社で許されるはずがない。高校時代も、又会社に勤
めても時間を管理するのは、自分ではなく他者なのだ。それは、家庭を持っても変わらない。愛する人を持っても、それは変わら
ない。愛する人は、愛している人の時間を管理する。
大学という青春の時間は、時間を自分が管理できる煌めきの時なのだ。
池袋行きの電車に乗ったとしよう。諸君の脳裏に波の音が聞こえた時、君は途中下車して海に行けるのだ。高校時代、そんなこ
とは許されていない。働いてもそんなことは出来ない。家庭を持ってもそんなことは出来ない。
「今日ひとりで海を見てきたよ。」
そんなことを私は妻や子供の前で言えない。大学での友人ならば、黙って頷いてくれるに違いない。
悲惨な現実を前にしても云おう。波の音は、さざ波のような調べでないかもしれない。荒れ狂う鉛色の波の音かもしれない。
時に、孤独を直視せよ。海原の前に一人立て。自分の夢が何であるか。海に向かって問え。青春とは、孤独を直視することなの
だ。直視の自由を得ることなのだ。大学に行くということの豊潤さを、自由の時に変えるのだ。自己が管理する時間を、ダイナミ
ックに手中におさめよ。流れに任せて、時間の空費にうつつを抜かすな。
いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。
いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。
海を見つめ。大海に出よ。嵐にたけり狂っていても海に出よ。
真っ正直に生きよ。くそまじめな男になれ。一途な男になれ。貧しさを恐れるな。男たちよ。船出の時が来たのだ。思い出に沈
殿するな。未来に向かえ。別れのカウントダウンが始まった。忘れようとしても忘れえぬであろう大震災の時のこの卒業の時を忘
れるな。
鎮魂の黒き喪章を胸に、今は真っ白の帆を上げる時なのだ。愛される存在から愛する存在に変われ。愛に受け身はない。
教職員一同とともに、諸君等のために真理への船出に高らかに銅鑼を鳴らそう。
「真理はあなたたちを自由にする」
(Η ΑΛΗΘΕΙΑ ΕΛΕΥΘΕΡΩΣΕΙ ΥΜΑΣ ヘー アレーテイア エレウテロー
セイ ヒュマース)・ヨハネによる福音書 8:32
一言付言する。
歴史上かってない惨状が今も日本列島の多くの地域に存在する。あまりに痛ましい状況である。祝意を避けるべきではないかと
いう意見もあろう。だが私は、今この時だからこそ、諸君を未来に送り出したいとも思う。惨状を目の当たりにして、私は思う。
自然とは何か。自然との共存とは何か。文明の進歩とは何か。原子力発電所の事故には、科学の進歩とは、何かを痛烈に思う。原
子力発電所の危険が叫ばれたとき、私がいかなる行動をしたか、悔恨の思いも浮かぶ。救援隊も続々被災地に行っている。いち早
く、中国・韓国の隣人がやってきた。アメリカ軍は三陸沖に空母を派遣し、ヘリポートの基地を提供し、ロシアは天然ガスの供給
を提示した。窮状を抱えたニュージーランドからも支援が来た。世界の各国から多くの救援が来ている。地球人とはなにか。地球
上に共に生きるということは何か。そのことを考える。
泥の海から、救い出された赤子を抱き、立ち尽くす母の姿があった。行方不明の母を呼び、泣き叫ぶ少女の姿がテレビに映る。
家族のために生きようとしたと語る父の姿もテレビにあった。今この時こそ親子の絆とは何か。命とは何かを直視して問うべきな
のだ。
今ここで高校を卒業できることの重みを深く共に考えよう。そして、被災地にあって、命そのものに対峙して、生きることに懸
命の力を振り絞る友人たちのために、声を上げよう。共に共にいまここに私たちがいることを。
被災された多くの方々に心からの哀悼の意を表するととともに、この悲しみを胸に我々は新たなる旅立ちを誓っていきたい。
巣立ちゆく立教の若き健児よ。日本復興の先兵となれ。
本校校舎玄関前に、震災にあった人々へのための義捐金の箱を設けた。(3 月 31 日 10 時からに予定されているチャペルでの卒
業礼拝でも献金をお願いする)
被災者の人々への援助をお願いしたい。もとより、ささやかな一助足らんとするものであるが、悲しみを希望に変える今日とい
う日を忘れぬためである。卒業生一同として、被災地に送らせていただきたい。
梅花春雨に涙す 2011 年弥生 15 日。
立教新座中学・高等学校 校長 渡辺憲司
15<いま”前座”がおもしろい>
“前座”が面白い。本来、この言葉は落語や講談などで真打の前に出演することをいうのだが、今はもっと幅広く用いられている。
スポーツで前座というと何をさすのだろうか。
ぼくはスポーツのことを書くことが多いので、
スタジアムにはしばしば足を運ぶ。
ボクシングには、はっきりとした前座がある。その日のメーンイベントが始まる前に 4 回戦ボーイの試合がいくつも組まれるの
がふつうだ。プロ野球でいえばファームの試合が前座的だ。高校野球でいえば地区予選か。重賞レースが行われる日の競馬の前半、
第 5 レースあたりまでは前座のにおいがある。相撲でいえば幕下の取組みあたりまでが、いかにも前座らしい。
こんこう
その前座が面白い。みんなが何者かになろうとしていて、いまだに何者でもない。玉と石とが混淆している。誰にも無限の可能
性があるのだが、そこにいるほとんどの人間たちが、やがて何者にもなりえなかった自分を見つめつつ、いずこかへ去っていく。
有限であると知りつつ、無限の可能性を夢見る。そこには妙にざらざらとした存在感がある。
ぶざま
無様なパンチをくりだし、偶然あたったパンチで KO 勝ち。しかしそのことにすっかり酔ってしまい、ヒーローのように振る舞
う少年。彼はそれをきっかけに無謀にも、夢に向かって突進してしまうかもしれない。あるいは、自分はもうこれ以上モノになり
そうにないと諦めかけた男もいる。所詮、才能がなかったんだと。しかし、このルーキーには負けられないと、一瞬、目をぎらつ
かせる。
観客のない球場、がらんとしたスタジアム、熱気が充満する前のリングの上にも、日々、ターニング・ポイントが用意されてい
る。毎日、誰かが敗れ、誰かが勝者になっている街、東京。路地を曲がったところでも、同じようなドラマが演じられているのか
もしれない。人間のうごくところ、どこにでも前座のためのスタジアムがある。
(
「いま”前座”がおもしろい」より)
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