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「ふわふわさんとチクチクさん」~全校朝会講話より~
柏 崎市立 剣野小 学校 学校だ より < No,3> 【 平成2 5年6 月12 日発 行】 「ふわふわさんとチクチクさん」 ~全校朝会講話より~ 6月 ・7 月 の 生 活 目 標 「やさしい言葉で いっぱいの学校にしよう 」 にちなんだお話をします 。 昔むかし、ある村に、ティムとマギーという夫婦が住んでいまし た。二人には、ジョンとルーシーというかわいい子どもがいて、毎 日、幸せに暮らしていました。そのころは、誰もがみんな神様から 小さな柔らかいふわふわしたバックをプレゼントされました。バッ クの中には、あたたかなふわふわしたものが、いっぱい詰まってい て、ほしい時には、いつでもそれを取り出すことができました。こ のあたたかいふわふわしたものを人にあげると、あたり一面に、ほ のぼのとしたあたたかな空気が満ちあふれるので、みんな“ふわふ わさん”と呼んで、大好きでした。この“ふわふわさん”は、人々 が生きていくうえでとても大切なもので、もらえないと、心の病気 や、体の病気になったりしました。でも、この村は、そんな心配は まったくありませんでし た。なぜなら 、“ふわふわさん”は、村中に 満ちあふれていたからで す。“ふわふわ さ ん”が体に触れると、あた たかでとっても良い気持 ちになります。 …略… ところが、病気をなおす薬を売っている悪い魔女にとっては、大 変腹立たしいことでした。なぜなら、人々が幸せだと、心や体の病 気にならないので、薬を買いに来る人が誰もいないからです。この 魔女は、悪知恵が働いたので、とても意 地の悪いことを考えまし た。 ある日のことです。魔女は、お母さんのマギーが子どもたちと遊ん でいるすきに、お父さんのティム のとこ ろに近寄ってきて 、「見てご らん、ティム。マギーが子どもたちにいっぱい“ふわふわさん”を あたえているだろ。このままだと、全部使い切ってしまって、しま いには病気になってしまうよ。それでもいいのかい?」とささやき ました。 … 略 … テ ィ ム は 、 マ ギ ー に 伝 え ま し た 。「“ ふ わ ふ わ さ ん ” を あ げ す ぎ る と、いつかなくなって病気 になってしま うよ。」マギーは、最 初、 「そ んなことはない」と思っていましたが、ティムがあまりにも真剣に 話をしてくるので、信じることにしました。その日から“ふわふわ さん”をあげるのは子どもたちだけにして、他の人にはあげないよ うにしました。二人の子どもたちも、お母さんのことをまねして、 できるだけ、他の人にはあげ ないように なっていきました。村の人々 もそんな様子を見たり、うわさ を信じた りして、“ふわふわさ ん”を 出し惜しみするようにな りました。 月日が過ぎました 。“ふわふわさん”のや り取りが本当に少なくな って、村中に満ちあふれていた、ほのぼのとしたあたたかさが、だ んだんなくなってきました。村では“ふわふわさん”がもらえない ので、落ち込んだり、病気になってしまったりする人が出てきまし た。そこで、病気を治すために、人々は魔女のところに行き、飲み 薬や塗り薬を買いもとめました。最初、魔女は、薬が売れるので、 喜びました。しかし、村人の症状はますます重くなっていったので す。このままでは、薬が効かないことがばれてしまい、薬を買って くれる人がいなくなってしまいます。そこで、ふたたび悪知恵を働 かせました。(続 く) 魔女は、ふわふわバック によく似たにせ もののバックをつくって 売り出しました 。 村人は、それがふわふわバ ッグだと勘違 いし、我先にと買い求めま した。ふわふ わバックはあ たたかでしたが、このバ ッグは冷たくて 、中には、冷たいチクチ クしたものが入 っていました。 この“チクチクさん”をもらうと、冷た くて、チクチク刺すようないや な感じが します。人びと は「“ふわふわさん”がほしい」と言われ ても、 “ふわふわさん”がなくなっ ては困 るので、かわ りに“チクチクさん”を 与えるようにな りました。前は、幸 せだ った村の中に、 とても冷たい、 チクチク刺すようないや な空気が満ちて きました。 そ んな あ る 日 の こと で す 。 温 かい 太 陽 の よ うな 笑 顔 を も った 女 の 子 が この 村 に や っ て来 ま し た。その女の子は、何も恐れず、子ども たちに“ふわふわさん”を与えて回りま した。それを見 た大人たち は驚いて 、「そんなこと をして いたら、自分の “ふ わ ふ わ さ ん ” が な く な る ぞ 。」 と 、 女の子に注意しました 。でも 、その女の子 は、かまわずたく さんの子どもたち に“ふ わふわさん” を与えて回りました 。子どもたちは 、女 の子の周りにいると 、ぽかぽか温かで 、幸せな気持ちに なるので、その女の子 のことが大好き に なりました。そして、 女の子のまねを し て、“ふわふわ さん”を自由にあげたり、もらったりす る ようになりました。…略…ところ が、子ど もたちの“ ふ わふわさん”は、まったくなくならな い のです。しかも、子どもたちの周りに は 、温かくて幸せ そうな空気が流れてい ました。それを 見 ていた大人たちは 、“ ふわふわ さん”が満 ちあふれ、と ても幸せだった頃のこと を思い出しまし た。そして、子どもたち のまねをし始め ました。しばら くすると、この村は、昔のような温か い 、幸せな村にもどりました。魔女とチ ク チクさんは、い つの間にかいなくなって いました。そし て、あの女の子もいなく なっていました 。【終わり】 ◆最後に… “ふわふわさん”は、いくら使ってもな くなることはありません。あなた が、誰かにこの“ ふ わふわさん”をあげたい と思ったら、人 にやさしくしてあげるこ と、やさしい言 葉をかけてあげ ることが大事です。一人 一人がそうする ことで 、あなたの周りに は、温かな“ ふわ ふわさん”が、 満ちあふれます。 ※「ふわふわさんとチク チクさん」クロ ード・スタイナー 著(扶 桑社)一部改作 1年生の「ひとこと日記」より わたしのうれしいふわふ わさんは、かなしいとき に ぼくのうれしいふわふわ さ わたしのうれしいふわふ わ んは、「ありがと う」です。 さんは、 「じょうずだね 」で なぜかというと、こころ が す。なぜかというと、こ こ うれしくなるからです。 ろがあったまるからです 。 「だいじょうぶ」ってい っ てくれるひとです。なぜ か というと、こころがふわ ふ わするからです。 完全燃焼! あおぞら運動会 ◆5月25日のあおぞら運動会には、お忙しい中、たくさんのご来賓、保護者、地域の皆さ ん、剣野保育園、米山台保育園の園児の皆さんからご参加いだだき、盛り上げていただきまし た。「あおぞら運動会」の名の通り、天候にも恵まれ、それまでの練習の成果 を思う存分発揮 することができました。中には、悔し涙を流した人、嬉し涙を流した人、体いっぱいで喜びを 表現した人、一日中、声をからして応 援をした人…。「行事を通して子どもたちは大きく成長 する」このことを実感したあおぞら運 動会でした。 三階節を教えていただい た、近藤清さん、 近藤宏さん、小林フジイさん、大変お世話になりました。 運動会スナップ写真集 ラ ン ド セ ル 俳 人 の 五 ・ 七 ・ 五 ◆先日、NHKのニュース特集として、大阪 府岸和田市に住む、ある小学生 の男の子(現在、6年生)が紹介されていました。その子は、1年生の時か らひどいいじめに遭い、不登校を経験し、それでもなお、たくましく生きて います。その少年の心を支えたのが、家族と「俳句」でした。 ◆「ランドセルの俳人 五・七・五」(小林 凜 著・ブックマン社)より この日本には、いじめられている人がたくさんいる。ぼくもその一人だ。 いじめは、一年生から始まった。からかわれ、殴られ、蹴られ、時には「消 えろ、クズ!」とののしられた。それが、小五まで続いた。僕は生まれる時、 小さく生まれた。 「ふつうの赤ちゃんの半分もなかったんだよ。」、とお母さん は思い出すように言う。だから、いじめっ子の絶好の標的になった。危険な いじめを受けるたびに、不登校になってしまった。そんな時、毎日のように 野山に出て、俳句を作った。 「冬蜘蛛が糸にからまる受難かな」これは、僕が八歳の時の句だ。 「紅葉で神が染めたる天地かな」この句は、僕のお気に入りだ。 僕は、学校に行きたいけど、行けない状況の中で、家にいて安らぎの時間 を過ごす間に、たくさんの俳句を詠んだ。僕を支えてくれたのは、俳句だっ た。不登校は無駄ではなかったのだ。いじめから自分を遠ざけた時期にでき た句は、三百句を超えている。 今、僕は、俳句があるからいじめと戦えている。 <小林 凜> ◆この本には、凜さんが詠んだ「107」の句が納められています。どの句 にも凜さんのしなやかな 感性や豊かな想像力が満ちあふれています。「書く」 という行為が、凜さんの「生きる 力」となっていることがわかります。 剣野っ子の活躍 「20 世紀少年」 ~私の小学校時代~ 第 13 回 柏 崎ジュ ニアミ ニサッ カー大 会 <給食編> <優勝> 剣野スカイウェーブ チーム ◆今回から、時折、昭和時代の小学校生活(私が小学生だった頃)を紹介します。今回は、 <給食編>です。 ◆全国の小学校で完全給食が始まったのが、昭和27年だそうで す。今回は、私が小学生の頃(昭和 40 年代)の給食について、 回想してみたいと思います。 <当時の給食>→ ・食器はすべて、アルマイト製。熱い汁物の時は、熱くて持てな かった。 ・牛 乳の代わ りに、脱 脂粉乳のミ ルクが出 された。 味が悪く 、食器の底 に粉が残 るなど、 嫌い な人が多 かった。 鼻をつま んでやっと 飲んでい た友だち も多かっ た。表面に 湯葉の よう な膜がで き、それ が好きな 友だちもい た。たま にココア 味の時が あり、その 時は、 みんなで喜び合った。 ・5年生の頃から瓶入りの牛乳に代わる。紙製のふたを開ける 道具(右の写真) が用意されていた。紙製のふたを集めて、 遊び道具として活用した。ちなみに、「オセロ」のルーツにな ったという話は有名である。 ・肝油(かんゆ)係が、毎日1人に1個ずつ、「肝油 ドロップ」 を配っていた。夏休みには、缶入りの 徳用ドロップを注文する友だちも多く 、中には1 日で食べてしまったという強者もいた。 【Word】「肝油」 ・クジラやタラ、サメなどの肝臓か ら取 る油の総称。かつて日 本人の食生活で不 足しが ちだったビタミンAやD を補給する手段 として広く用いられ 、戦後から19 70 年代 後半にかけて学校給食で も出されていた 。 ・主 食は、食 パンかコ ッペパンが ほとんど で、たま にソフト 麺が出され た。特に 、ミート ソースは人気があった。(ちなみに、私は、焼きそばをコッペパンにはさんで食べるのが 好きだった。) ・ほとんどの場合、箸ではなく、「先割れスプーン」を使って食べていた。 ・肉が出ることはあまりなく、出たとしても鯨肉や脂身の多い肉が使われていた。 ・当 時は、食 べ残した パンは、持 ち帰って もよかっ た が、机 の中やラン ドセルの 中からカ ビの生えた状態で発見される場合が結構あった。 ・お 盆はなく 、机の上 に白いビニ ール製の ランチョ ンマット を 敷いて食 べていた 。週に一 度洗わなければならなかったが、ついつい忘れてしまい、独特なにおいがした。 ◆皆 さんにも 給食にま つわる思い 出がある と思いま す。昔と 今の給食で は、大き な差が あ ります。でも、給食がいただける幸せは、同じではないでしょうか。 ◆次回は、PTA会長・菊地さんの子ども時代の思い出をお届けします。 <細井 一貞>