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Title Sherwood Andersonノート Author 大橋, 吉之輔

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Title Sherwood Andersonノート Author 大橋, 吉之輔
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Sherwood Andersonノート
大橋, 吉之輔(Ohashi, Kichinosuke)
慶應義塾大学藝文学会
藝文研究 (The geibun-kenkyu : journal of arts and letters). Vol.25, (1968. 3) ,p.78- 92
Journal Article
http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=AN00072643-00250001
-0078
SherwoodAnderson
ノート
大橋吉之輔
1
BenHecht
いる( Ben
は Sherwood Anderson
を回想して,
つぎのように述べて
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SherwoodAnderson
とし、う作家ないし人物についての,
このような評言は,なにもけっして珍らしいものではなし、。
Ben Hecht の
Anderson の
生涯を少しでも調べようと思って,彼自身の書いた自伝的なものに向かう
-
78 ー
と,たちまち,どこまでが E確な事実で,
どこからがウソなのか,大きな
困惑にみまわれる。彼自身が書いた自伝的なものというと,まず A
Teller’ s S
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Memoirs
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(1942,死後出版)が思いうかぶが,
前者にはちゃんと,
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とし、う副題がつけられている。また,
Memoirs のなかでも,最初のほ
うで,
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(斜宇筆者)
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とことわっている。上記の二書について,
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やはり自伝の一種と見られる
の Fore\vord には,つぎのような一
節さえある。
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しかし,このようなことは,なにも
Anderson
だけのことではない。
たいていの作家,詩人などというものは,自らを語るときに,
Anderson
的な傾向を示すものだ。作家や詩人自身によって語られた文章と,さまざ
一 79 ー
まな傍証によって,その作家ないし詩人の「正確な」伝記を樹立させよう
とする作業が,文学の研究ということの一部門として認められているくら
いなのである。
しかし考えてみると,私たちが Anderson の伝記に興味をひかれるのは,
まず彼の長篇小説のほとんどが自伝的なものであるために,彼の小説の愛
読者として,小説中に諮られている「虚構」の世界と,事実とのあいだの
ギャップを埋めてみたいという推理的な興味ということがあるだろう。し
かも,その推理的な興味は,
Anderson
自身の生涯が比較的最近で,いろ
いろな傍証もまだ比較的集めやすいし(もっとも,同時代の他の作家や詩
人のそれに比べて,けっして容易だとはいえないが),
ということで,
っそうその面白さをそそられてし、るようでもある。たとえば,
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へ出てくる以前,
Ohio 州 Elyria
での,
とし、う小冊子では,
Anderson
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の家庭生活や社会生
活の模様が,当時の Anderson を知っている現存者たちのことばや,当時
の新聞記事などを基にして,詳細に語られ,
Elyria 出奔前後に,彼がかか
った amnesia の状況も,病院や医師の証言などや,また amnesia 中に彼
が書いた letters や notes などによって,詳しく措きだされている。この
小冊子は,
Anderson 研究の最近の成果のーっとして,注目すべきもので
あることにまちがし、はないが,意地悪くこの著作だけを見れば, Anderson
が amnesia にかかったとし、う事実に推理的興味をそそられて, Anderson
の文学とはなんら関係のないところで成立した小冊子ともいえないことは
ない〈もちろん,
Anderson
また,
これはあくまで意地悪い見方であって,
Sutton 教授の
研究にたいする真剣な態度を批判しているのではけっしてな
Anderson の伝記を少しでも知ると,その伝記自体が,
Anderson
には失礼だが,彼が発表した多くの自伝的な小説そのものよりも面白そう
だということがある。こうなると,まるで「事実は小説よりも奇なり」と
いう cliche をもちだしているように見えるかも知れないが,彼が作家とし
- 8
0-
ての自分を見出すまでにたどってきた道は,周知のように,いわゆる Ho­
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ないしは American Dream といわれるものの成就とそ
の挫折の,まさに典型的なノミタンを示しているのである。そして,そのノミ
タンを主題にして,彼はくりかえし長信小説を書いた。
しかし,ここで思い出されるのは,
Anderson
と同時代の作家だといっ
てもし市、 Dreiser のことである。 Dreiser の諸作品も同様の主題をくりか
えしている。ただし, Anderson が Dreiser の作品に刺激をうけて,初期
の長篇 Windy
McPherson ’ s Son (1916),や
Marching
Men (1917)を書
いたという説が,多くの学者や批評家のあいだで行なわれているが,この
点は,彼の Memoirs のほうを信頼すべきであろう。彼は Memoirs のな
かで, Dreiser の名前をはじめて出し、たのは, Elyria 時代のことであった
が,“at
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公表されたときには,
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1912
年に
や Marching Men の原稿
はすでに書きあげられていたのである (1910-12)。
それはともかくとして,ここで Anderson と同時代の作家,あるいはむ
しろ彼の先輩である Dreiser をもちだしたのは,同じような主題をあっか
いながら,
Anderson と Dreiser の作品には,作品自体の密度からいって
も,主題の追及の方法や技巧からいっても,大変な相違が見出されるから
である。もちろん,両人の人物ないし資質の差,また両人の文学観の相違
などが,その原因であることは自明であるが,
Dreiser も Anderson のそ
れとあまりちがし、のない環境に生まれ育ち,成長してきたはすe であるのに,
Anderson が主題を「自伝的」なものにあまりにも頼りすぎたのにたいし,
Dreiser は,小説においてはすくなくとも,
「自伝的」なものにつとめて
背を向けようとしていたことは,やはり注目しなければならないだろう。
(そして,
Dreiser は Anderson のよりもずっと「E確な」自伝をいくつ
も公刊しているのだ〉。表面的には,
Dreiser の自然主義にたし、して,
- 8
1-
An-
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n の心理主義的リアリズムということがし、えるかも知れないが,
Dreiser の自然主義的信条の堅固さに比べて,
Anderson のはいかにも八
方破れの観がないこともなく,自分自身に甘えるーーというよりはむしろ,
「自伝」にしか小説の主題をしぼることのできなかった愛すべき,
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とでもいった傾向を Anderson は多分にもっていたように思われる。
Anderson は,自分が
Chicago にきて小説家の列に加わったとき,自分
は“modern”な作家としてデビューし,“modern
の旗手になったのだということを,
彼が Winesburg,
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くりかえし述べている。客観的に見て,
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o (1919)などの作者として,
“modern”な作家で
あることは疑いないが,彼が自己を“modern”というときには,現代小
説がたどってきた「自伝的」また「心理主義的」な傾向をふまえて,自分
を Dreiser などに比べているふしがないこともない。また,
Hemingway
や Faulkner たちが,なんらかの形で自分の影響をうけて巣立っていった,
という自負もそこにはあるだろう。だが,そういう自負というか,そうい
ったものは Anderson のばあいには一つの弱みにすぎなかった。なぜなら,
Hemingway や Faulkner が Anderson からうけた影響といえば,その一
つは文学の崎、外にある社会的権勢の庇護であり,文学の領域では, Ander­
son の技法ないしは心理的リアリズムを下敷にして出発しながら,一刻も
はやく Anderson 的なものを克服していこうとし、う,自戒的な教訓l にすぎ
なかったからである。
逆説的にいえば,
Anderson
Faulkner たちに真似られるだけの弱みをもっていた,
は Hemingway
や
ともいえるのであ
る O Dreiser には,そんな弱みはなかった。
このような弱み(あるいは,
う)が,
自己にたいする甘え,
どこから出てきているか,
である。さきほど,
といってもし刈、だろ
ということはきわめて興味ぶかし、こと
Anderson の文章のー,二を引用したとき,彼が用い
ている imaginative, fancy とし、う語を斜字体にしたが,彼は imaginative
とか fancy
とし、う語が非常に好きであったらしく,
彼の著作を読んでい
ると数えきれないくらい出てくる O そして,注目すべきことに,彼はどう
やらこの二語の意味をほとんど同義に考え,混同していたらしいのである。
- 82 -
というより,
imagination (ことに文学でいう imagination)
に考えないで,ふつう常識的に fancy
の意味を真剣
といわれるものと,ほとんど同義
に考え,極言すれば, fancy こそが文学を支えている根本だと思っていた
のではないかとさえ推測されるのである。小説の主題を追及して,小説に
形をあたえる原動力となるものが imagination であるとすれば, Anderson
にはそれが致命的に欠除していたのではないか。そのかわりに,彼は豊富
な- egoist であるが故に豊富な,
fancy
をもっていた。 fancy がこと
ばを媒体とするとき,そこには主題を創造したり追及したりしていく力は
ないが,そのかわり,美しくも醜くくも,印象的な「絵」ないし具象的な
fantasy を描きだしてみせる力はある。そして,その際,描きだされた「絵」
は,
fancy が巣食っている ego から離反して,独立した存在にもなりう
る。その独立した個々の「絵」を強い糸でつなぎあわせていくものが,ま
た imagination であるとすれば,
imagination の稀薄さとし、うことは,小
説作家としては致命的な欠陥ともいえるだろう。ここでまた Dreiser
Anderson の比較をもちだせば,
が,
Anderson
には
Dreiser には fancy
imagination よりも
fancy
在していた。 Dreiser は「こわい強し、作家」であり,
愛すべき egoist の story
しかし,
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よりも
と
imagination
が,それぞれ豊富に存
Anderson は「弱し、
であった。
fancy は「絵」を措きだすといっても,それは長篇小説にたい
する短篇小説への比鳴をいっているのではなし、。短篇小説を創造する原動
力の一つに imagination があることは否定できない事実である。ただ,短
篇小説のあるジャンルでは,
imagination よりもむしろ fancy のほうが効
果的であることもたしかである。また短篇小説においては,多くのばあし、,
imagination と fancy とのみごとな結合が,長篇小説のばあいよりも,美
しい果実を成就させることが多し、。そういった点では,
が Dreiser
Anderson のほう
よりも成功している。短篇という限られた形式のなかでは,
Anderson のほうが,
egoist
であるが故に「夢中」になれる度合いも強く,
それだけに自己をしばらく忘れることもできた。
Fancy とか imagination とし、う語のほかに,
- 83 -
Anderson が好んで用いる
文に“something
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rhappened).”といちのがある O
自分や作中
人物の心理的な転機などを描こうとするときに,彼はすぐにこの文章を
挿入し,
しかもたいていのばあい,
その something
の内容や,
happen する仕方などは説明しようとはしない。これはもう,
それが
Anderson の
独壇場で,ことに短篇などではみごとな効果をあげていることが多し、。だ
が長篇のなかでは,主人公が世俗的な成功をおさめたとたんに,
“ some-
thing”が起こって(その辺はなにも“something”という語ばかりを使っ
ているのではなく,一応なにかもっともらしい状況の推移を説明しようと
しているのだが,印象的にはほとんどのばあい,
れるような i慶味なものなのである),
“something”で要約さ
Truth の探求にのりだす,という結
末が多し、。彼がしばしば逃避作家といわれるのは, Dαrk
のような作品からばかりでいわれるのではなく,
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rTruth.
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とし、うノミタンが,小説を終結にみちびくた
めのひ弱い手段としてだけ用いられ,そこには一向に具体的な説明がない
からである。 Truth という語にしても,彼の長篇の主人公たちが探求しよ
うとする truth と,
Winesburg, Ohio の“The
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中の不朽の一節,
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のなかでの truth と,
Anderson の truth は fancy の赴くままに揺れ動
いているかのようである。もっとも,彼自身,別のところではつぎのよう
にもいっている一一
“ Where i
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なかばサジをなげている恰好である O それに,彼は自分のことを,
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などと口ぐせのようにいったが,
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めったに
novelist だとはいわなかった。
考えてみると,最初に述べたような,
Anderson の自伝的回想、における
虚言癖に対する私たちの困惑は,事実とウソとのあいだのギャップがたえ
ず揺れ動いて一定していないからである。これがかりに一定していたとす
れば,私たちは困惑を感じることなしにウソを読むことができたはずナごし,
そこにはそれなりの別種の面白さがあっただろう。ところが,ギャップの
振幅が一定しないばかりか,一定しないことの埋め合わせに,自己弁解と
おぼしき陳述がちりばめられていては,困惑させられるばかりなのであ
る。 Memoirs や A
S
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yTeller’ s
がぎっしりつまっている。だが,
Story や Tar には,不朽の美しし、「絵」
「絵」と「絵」の聞のツナギが,自己の
劇作の秘密を解きおかしている説明であるかに見えて,実は説明などでは
なく,あいも変らぬ自己弁解ー
あるいは,自己を正当化しようとする
fanciful な陳述ばかりだとあっては,読者を困惑させるばかりであろう。
2
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きかったとはいえ,
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について Anderson は大きな自負
をもってし、た。
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うかの論議はさておいて,
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の小説が Anderson 独自の佳作といえないことはたしかである。それにひ
きかえ,
Winesburg, Ohio は,
の佳作である。それだけに,
まさに Anderson
の名を不朽にするだけ
Anderson のこの作品に対する打ちこみかた
- 8
5-
も,並みたいていのものではなかった。その証拠は,
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できることである。また,
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〔Memoi:γs〕
という一節も,そのへんの事情をよく語っているし,あふれ出てきた涙に
も偽りはなかったと信じることができる O “
No wordo
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とし、う陳述は,あとで述べるように明らかに誤りであるが,それもこのと
きの感激に圧倒された看過しうる誤りといってもし巾、だろう。
ところで,
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, Ohio のなかの stories のいくつかは,
1919年に
一巻として公刊される以前に,ニ,三の雑誌に発表されていた。たとえば,
“ The B
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eGrotesque,,は 1916年 2 月号の Masses,“Hands”
も
同じく 1916 年 3 月号の Masses,“Paper Pills,,は“The Philosopher,,と
いう表題で Little Review の 1916年 6 ー 7 月号,“Queer”
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The
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と
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の 1916年 12月号と 1917年 1 月号,といった
- 86 -
ぐあいである。
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Philosopher,,は,
Pills,,とは完全に異なる別のー篇である。この点,
これまでの
bibliography その他には,多少の誤りが見出される。〉
こういったものを,
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Ohぬという一本にまとめるさし、に,
Anderson がどれほどの改訂をほどこしたか,それは彼の原稿のうえにあ
らわれている字句修正などの苦心の様子とともに,
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Anderson
作家あるいは
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を知るうえで,いうまでもなく非常に重要な
ことである。ここでは,その一例として,
“Hands”の改訂を見てみよう。
“ No wordo
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じいものがある。たとえば,現在一般に行なわれている Winesburg,
中の“Hands”の最初の二節と,その equivalent である,
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表されたときの次のような最初の五節とを比べてみるとし、し、。
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なんという大きな改訂であろうか。たんなる字句の修正などというもの
ではなし、。原型は,修正されたもののたんなる素材にすぎないと思われる
までに,改変が行なわれているのである。その改変を具体的に比べてみた
だけでも,
Anderson がこの素材に打ちこんだ情熱と,彼の創作心理のプ
ロセスとは,なまなましく浮かびあがってくるだろう。しかも,その改訂
は,だれの眼にも明らかなように,改善である。そして,改善されたもの
のすばらしさは,それが「絵」になっているということであろう。素材と
しての imagery を,ー幅の美しし、,隙のない「絵」に仕立てあげようと
する一人の「作家」の情熱的で没我的な息吹きが,そこには充ちあふれで
いる。考えてみれば,
Winesburg, Ohio という佳作の価値は,そのなかに
収められている“storv”ないし“tale”が日常茶飯の現代的「グロテス
- 8
8-
ク」を語りながら,
Winesburg
という限られた枠のなかで,それぞれ,
美しい「絵」に仕立てあげられているところにあるのだ。
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訂が行なわれている。再版は 1922年であるから,すでに Winesburg,
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が公刊されたあとである。
前にもちょっと述べたように
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作者が
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a時代に書いたものであるが,それが 1916 年に作者の処女作として公
表されるさい,すなわち初版発行以前に,
Dreiser とともに出版の世話に
あたった Floyd Dell が,結末のところで原稿を多少修正した。
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これは厳密には修正ともいえるものであるが,同じカットするなら,な
ぜ肢終部分を全部カットしなかったのか,と悔まれる。この小説が
III で終わってし、たら一一いや.終わるべきであった,
Book
と思うのは私だけで
はないだろう。しかし,この一種のハッピ-・エンディングは,これまた
いかにも Floyd Dell 好みのものであることは,
とであるし,
Dell の尽力がなかったら,
Dell の読者なら背けるこ
そのころすでに 40 才に近かった
Anderson の文明への登場もあやしかったのだから,致しかたなかったと
しなければなるまい。
むしろ問題は,初版と再版のあいだのことである O 再版にあたって An­
derson が改訂をくわえたといっても,
それはけっして“Hands”の改訂
- 89 -
のようではなく,結末の部分に手をくわえて最終章を付加したにすぎない
のである。事実,初版347 頁,再版349 頁のうち,
335 頁までは初版当時の
組版をそのまま使用したのだった。
この小説中の随所に,いかにも後の Winesburg,
Ohio の作家らしく流
麗な文体が見出されるのは事実だが,大半は,さきほど引用した Mαsses
の“Hanbs”のそれに類似した荒けず‘りな文体である O
ったにせよ,
いろいろ事情があ
Anderson は再版改訂にあたって,そこには一切手をつけよ
うとはしなかった。ただ,屋上屋を架するがごとき最終章をつけくわえた
だけなのである。その最終章の冒頭を見てみよう一一
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私たちは,この流麗は散文詩のような文体の突然の出現に,まず一瞬ど
- 90-
ぎもをぬかれる。詩集 Mid-American
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t (1927)のなかの一部分といってもおかしくないくらいのものである。
だがつぎに,この小説の最終章の冒頭の文章として見はじめるとくそうい
えば, Mid-American Chants や A
NewTestαment
のなかの多くのピー
スもそうだといえそうだが〉,これは作者のいわば editorial comment に
すぎないのである。この種の comment は,
Dreiser の作品にも数多く見
られるが,それらが小説中にもっている意味や比重は,この場合とはおよ
そ比べものにはならなし、。この小説において,ここでこのような comment
は,およそ蛇足といわねばならないだろう。さらに邪推していけば,自己
弁解といえないこともなし、。文体が凝ったものである。
(上の文章を引用
しているうちに,最後の部分で,私はいまふと Anderson の短篇のなかで
も殊に有名なものの一つである“Dea t
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それはたしかにとっぴな連想ではあるが,あの短篇の凄絶な迫力を生みだ
しているものは,この comment のような流麗さとはまったく異質,いや
正反対なものなのだ。)
そして,つけくわえられたこの最終章の最後の部分で,
Samはつぎのよ
うに自分につぶやいている。
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これがもしかりに,作者の人生に対するアイロニイであるとすれば,そ
れはそれで一つのすぐれたアイロニイといわなければならなし、。そして,
この種のアイロニイは,アメリカ文学のなかでも,すくなくとも Anderson
の時代までは,稀有のものであった。だが,これはだれが見ても明らかな
ように,アイロニイなどというものではなし、。思し、あぐね,考えあぐねた
結果の,
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苦しまぎれの蛇足である O
なぜなら,
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にとっては,
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には,終わりがないということを,私たちは知っているのだから。
Anderson は“Man andH
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1-
と題するエッセイのな
かで,つぎのように述べている。
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この thinker という語を,
(斜宇筆者)
novelist という語におきかえても,そんなに
誤ってはいないだろう。
つ臼
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