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1~117ページまで
Ⅰ
はじめに
平成の大合併の進展等により、都市自治体の市域内は農山村部を含め拡大し、これ
まで以上に都市部と農山村部との調和や都市農村計画のあり方などが問題になった。
このため、全国市長会では、平成 19 年1月 25 日に開催した経済委員会において、
農山村を抱える都市との意見交換や先進事例等の情報収集や提供、都市部・農村・里
山との共存連携及び都市農村計画のあり方など農林業の振興策を見出すための調査
研究及び都市と農山村の調和ある発展の実現方策について関係方面へ働きかけるこ
とを目的として、経済委員会のもとに「都市と農山村の調和ある発展に関する研究会
(以下、「研究会」とする。)」を設置した。
平成 19 年4月9日に第1回研究会を開催し、以後、平成 21 年7月7日まで6回に
わたり会議を行い、限界集落の再生やグリーンツーリズム事業など各市が取り組んで
いる先進事例の紹介、農地利用の促進に向けた課題及び都市と農村の協働の推進に向
けてのあり方などについて、市長や学識経験者等から講演の後、講師と出席者との間
で活発な意見交換を行ってきた。
このたび、本研究会は所期の目的を果たすとともに、その設置期間も満了すること
から、本年度末をもって研究会を終息することとし、その集大成として平成 22 年1
月 26 日に「地域の再生と活性化のポイント」をテーマに、
「地方の活性化に関する検
討会」合同による「地方の活性化に関するシンポジウム」を開催した(別添)。
研究会における事例発表及び講演等については、研究会の立上げの際に実施したア
ンケート調査結果において、研究会の報告書の取りまとめを希望する声が多数寄せら
れたことから、この度、活動記録として取りまとめたところである。
Ⅱ
研究会に関するアンケート調査の概要
1.調 査 期 間 :平成 19 年2月 26 日(月)~3月 12 日(月)
2.調 査 対 象 者:804 市区長
3.回答市区長数:548 市区長(回答率 68.2%)
4.主な検討課題
(1)農山村の保全
(荒廃農地対策、森林・里山の保全対策、林業の再生、限界集落の再生)
(2)農業の振興
(後継者問題、農地利用の促進)
(3)都市と農村の交流
(グリーンツーリズム事業の取組、交流の促進・拡大のためのリーダー育成)
5.研究会の活動として期待する主な事項
(1)政府及び関係機関等における最新情報の入手 47.6%
(2)先進都市事例の研究
32.3%
(3)研究会としての研究成果物
(事例集など研究会としての報告書作成)
30.1%
-1-
Ⅲ
研究会の開催状況
1.第1回研究会(平成 19 年4月9日)
テーマ:都市と農村の融合による持続可能な社会の形成(総論)
概 要:東京大学大学院の武内教授から都市と農村の融合による循環型の社会の
形成や今後の都市農村計画のあり方について講演。市長との意見交換
2.第2回研究会(平成 19 年 10 月5日)
テーマ:農山村の保全についてー限界集落の再生ー
概 要:早稲田大学の宮口教授から「都市と農山村の調和はいかに実現し得るか」
について講演。四方綾部市長から「水源の里条例について」事例発表。市
長との意見交換
3.第3回研究会(平成 20 年4月8日)
テーマ:都市と農村の交流についてーグリーンツーリズム事業の取組みー
概 要:(財)都市農山漁村交流活性化機構の齋藤専務理事から「グリーンツー
リズムによる都市と農山漁村の交流の取組み(課題と方策)について」講
演。宇佐市の大園副市長から「宇佐市のツーリズムの取組みについて」事
例発表。市長との意見交換
4.第4回研究会(平成 20 年 10 月 10 日)
テーマ:都市と農村の交流についてー交流の促進、都市と農村の協働ー
概 要:農水省の田野井都市農村交流課長から「都市と農村の協働の推進に向け
て」について講演。羽咋市 1.5 次産業振興室の高野総括主幹から「過疎・
高齢化集落との協働作戦~ブランド米への道のり~」について事例発表。
5.第5回研究会(平成 21 年1月 28 日)
テーマ:農山村地域の現状と再生の論点
概 要:常磐大学大学院の井上教授から地域資源を生かして頑張っている市町村
(高知県馬路村、徳島県上勝町、長野県小川村、山梨県甲州市、大分県日
田市)の取組事例について発表及び都市自治体のあり方について講演。市
長との意見交換
6.第6回研究会(平成 21 年7月7日)
テーマ:農地利用の促進
概 要:髙木弁護士(元食糧庁長官)から「農地の有効利用の促進に係る農地法
等の改正について講演。
(株)ナチュラルアートの鈴木代表取締役から「農
地利用の促進~企業側から見た農地利用の課題~」について講演。市長と
の意見交換
-2-
7.地方の活性化に関するシンポジウム(平成 22 年1月 26 日)
テーマ:地域の再生と活性化のポイント
概 要:「地方の活性化に関する検討会」と合同でシンポジウムを開催。沼尾・
日本大学経済学部教授がコーディネーターとなり、NPO法人えがお・つ
なげての曽根原代表理事、金原蒲郡市長から、須田新座市長がパネリスト
として事例発表を行った後、シンポジウム参加者との意見交換
-3-
Ⅳ 講演記録
【第1回研究会】
都市と農村の融合による持続可能な社会の形成
東京大学大学院
農学生命科学研究科教授
武 内 和 彦
氏
東京大学の武内でございます。
市長会の方とは以前に環境の問題をめぐって一緒に仕事を
させていただいたことがございます。その後、私ども都市計
画学会と共催で「市長と語る 21 世紀の都市計画」というシ
ンポジウムをやらせていただきまして、参加された皆さんに
大変ご好評をいただきました。そういうことがあってだと思いますが、今般私に都市
と農村関係のこれからのあるべき姿ということについて話をするようにということ
でございました。
私、皆さんのように現場で実際に色々な問題に直面してその解決を目指してやって
いるということではございませんので、いささか議論が表面的になるかと恐れるわけ
ですが、私なりにこれまで考えてきたことをご披露させていただくことによって、少
しでも皆さんの今後の議論のたたき台にしていただければ大変幸いかと思い、今日お
話をさせていただくことにいたしました。
資料としては1枚紙、
「都市と農村の融合による持続可能な社会の形成」
(別紙参照)
という、これに沿ってお話をさせていただきますが、それ以外に私が最近、私のとこ
ろの研究員と一緒にまとめた、
「アジア巨大都市における都市の循環社会の構築」
(別
紙参照)という、論説のようなものですが、それを配付させていただいております。
これについては、日本というよりも東アジアを視野において、都市と農村の関係を循
環型社会という形でつないでみたらどうなるだろうかということで考えてみたもの
でございます。これは、また時間のある時にでもお読みいただければ大変ありがたい
と思っております。
今日は、5つのことについてお話をしていきたいと思います。
1 都市の成立と田園都市の構想
まず最初に1.都市の成立と田園都市の構想ということでございます。これはそもそ
も都市というのはどういうふうにしてできたのか、そして、その都市というのが農村
とどういう関係にあったのだろうか、というようなそもそも論でございます。ギリシ
ャの「ポリス」は都市の原形であったと言われています。ヨーロッパで都市がかなり
広い範囲で分布するようになったのは中世だろうと思いますが、その中世の都市とい
うのは今でもヨーロッパの中にいくつも残っております。例えば、ドイツのロマンテ
ィック街道に沿っていくつか分布するような都市というのはかなり当時の面影を残
していると言われますし、またオーストリアに行きますと、ウィーンという都市は、
最近では周辺にかなり広がっておりますが、その中心を見ますと相変わらず古い中世
-4-
の時代の都市の骨格が残っていることがわかります。
その頃の都市はどういうものであったのかというと、できるだけコンパクトに外敵
から身を守るようにつくりあげていくものでした。今ウィーンという街は観光の名所
になっていますが、ウィーンの街の一番外側には環状道路がございます。これはドイ
ツ語では「リンクシュトゥラーセ」というのですが、元は何だったのかというと城壁
なんですね。城壁を取り払って今は環状道路に使っているわけです。
そういう形態の中で中心の都市の部分を見ると、ほとんど隙間もないほどびっしり
と建物が密集しています。そして唯一空地らしきものといえば広場になります。した
がって広場と建物と道路、これらがコンパクトにまとまった場所であるというのが中
世都市の常識です。余分なものは、その中に含めないということです。そして、一歩
城壁の外側に出ると、都市とは画然と区別された農村が広がっているという構造です。
これを専門家は、都市と農村が対立的に存在していたと捉えているわけです。そして、
それが長い間続くわけです。
都市に対して大きな影響を与えたのは産業革命です。産業革命によって、最初にイ
ギリスの街がどんどん肥大化していきます。最初 100 万人にも満たなかったロンドン
が、わずか数百年の間に 1,000 万人を超えるような都市になってしまう。今またアジ
アの都市が、数十年のオーダーで巨大都市化しているのが非常に大きな問題ですが、
これは後ほどお話しいたします。
産業革命により工業が起こり、労働者が必要になって、農村から人々が都市に集ま
り、都市がどんどん肥大化する。そして郊外に発展していく。この産業革命と都市の
成長は関係していまして、ロンドンがなぜ成長できたかということの原因は2つあり
ます。1つの原因は鉄道です。都市で仕事をするのに歩いて行ける距離には限界があ
りますが、それが蒸気機関というものが発明されて、人が移動できる距離が郊外に広
がったわけです。
もう1つは、やはり蒸気機関と関連しているのですが、水です。元々ロンドンはテ
ムズ川の水を直接引き上げて飲み水に使うことはできませんでした。それで上流から
細く水を引いて飲み水にしたのですが、これを直接蒸気機関で水を汲み上げ、大量の
人口を養えるようにしたのです。似たような例で、東京はなぜこれだけ大きくなった
かといえば、利根川の水を引けるようになったからです。そういう意味で水は都市の
サイズを規定する非常に大きな要因であり、水を引くことによって都市は肥大化して
いったわけです。その結果何が起こったかというと、当時は燃料として石炭を使って
いたので、深刻な大気汚染が起こりました。それから下水道が未整備なものですから
衛生環境が悪くて、コレラなどの疾病が蔓延したわけです。そして農村からやってき
た労働者が劣悪な住宅に住まわせられて、これがスラムを形成する結果となりました。
産業革命の結果として都市が成長し、また産業革命の結果として、初めて都市の環境
が大きな問題になってきたわけです。
なぜこんな話が都市と農村の関係に関わりがあるのかというと、そういう事態をう
れえて、都市を根本的に考え直してみようという人が、今から百何十年あまり前に現
-5-
れたわけです。その人の名前は是非覚えておいていただけるとありがたいのですが、
エベネザ・ハワードという人です。このエベネザ・ハワードという人が 1898 年に書
いた本がございます。
『明日』という名前の本ですが、それから4年後の 1902 年にそ
の改訂版を出します。改訂版の名前は『ガーデン・シティ・オブ・トゥモロー』、日
本では『明日への田園都市』という名前で鹿島出版会から訳本が出版されております。
この田園都市というのは世界に非常に大きな影響を与えました。日本でも田園調布な
んていうのは田園都市の影響を受けて構想されたわけです。彼が田園都市を考えた理
由は、まさにロンドンのような大都市の、深刻な環境問題にありました。
ハワードは、ロンドンという大都市ではなく、人間のためにもっといい都市を構想
しようという思いに至るわけです。彼は啓蒙家であって、色々と社会に新しい知恵を
与えて人々を豊かにしようという志にあふれていたわけです。彼は、従来の都市とい
うのは何が問題か考えました。たしかに働く場はある。利便性はある。けれども非常
に過密であったり衛生状態が悪かったり、または人々が休日に休めるような場所もな
い。しかし、じゃあ農村がいい場所かというと、農村はたしかに環境はいい、農産物
がとれる、休日にはのんびりと色々なところで遊べる。それはいいけれども就業の場
がない。非常に生活の利便性に欠ける。そうした問題を抱えている。ならば、都市と
農村のいいところだけをとって、この2つを合わせたら良いだろう。彼はこれを「都
市と農村の結婚」と言いました。都市と農村を結婚させることによって、それを自立
的な都市だと考えれば、これこそがまさに理想的な都市になるのではないかというこ
とです。そして彼は提案するだけではなく、それを自ら実際につくりあげました。そ
の都市は今でもイギリスにございます。それはレッチワースという都市です。彼はレ
ッチワースに住んで暮らして死んでいくわけですが、もう1つ、ウェルインという都
市もつくります。そしてこれらの都市に対してガーデンシティという名称を与えまし
た。ガーデンシティというのは本当は庭の都市、日本語でそのまま直訳すると「庭園
都市」なんですね。ところがこれを受け入れた当時の日本の内務省の官僚がこれを「田
園都市」と訳しています。これをさかのぼると別のおもしろい話があって、その田園
都市の原形になったのは実は日本の江戸の街並みだったという話があります。江戸が
欧米人にとっては非常に理想的な、公害のない、都市と農村が融合した都市だったと
思ったようで、それが田園都市を発想した1つのきっかけであると言われています。
とにかく、都市と農村の結婚による田園都市をハワードが提案したわけです。
そのハワードの発想は何年もしないで日本にやってくるのですが、その時にこれを
受け止めて、ハワードの発想はまずいと言った人がいます。この人は、横井時敬とい
う人です。ハワードをご存じの方でも横井時敬はご存じない方が多いと思います。こ
の人は元々農学者です。「稲のことは稲に聞け」という大変有名な言葉を残した方で
す。つまり、本当に農業を知っているのは実は農民なんだということです。また稲作
に使うもみが種まきに適しているかどうかを塩水につけて分離することで良質なも
のを選別する技術を考案した人で、私どもの大学の農学講座の教授でもあった人です。
後に、彼は東京大学を辞めまして、実学的な農業のための大学の学長になりますが、
-6-
それが東京農業大学です。ですから東京農業大学の初代学長でもあるわけですが、こ
の人が、ハワードの田園都市を見て、これは都会の人が農村を使う発想だと言いまし
た。そして、農学者として、農村の人が都会をどうやって使うのかをきちんと考え、
提案をしようとしました。彼は大学人ですが、社会にそういう発想を広く訴えていか
なくてはいけないというので、学術論文では誰も読んでくれないと考えて小説を書き
ました。ところが大学の先生ですから小説なんか書いたことがないわけです。友人に
徳田秋声がいまして、徳田秋声に頼んで、「てにをは」をなおしてもらって、それで
書いた小説が、『小説模範町村』(別添参照)という本です。
この小説の中には、東京帝国大学を修了した学士さんが、田舎に帰って村長さんを
やるという話が出てきます。これは架空の村の話ということになっていまして、この
村長さんの名前は「稲野村長」。ふるさとに帰り、村が荒廃している姿を見て、これ
を何とか活性化させないといけないということで、今で言うと、都市農村融合による
活性化の原形ですね。ほとんど一世紀近くも前にそんなことを書いているわけです。
今更ながら私たちはほとんど同じことを、いつまでも考えているなと思わざるを得ま
せん。彼は、農作業を完全にサラリーマン的な作業にするんです。鐘の音とともに農
作業を始めて鐘の音とともに農作業を終える。農作業が終わったら、村の中心にある
公会堂に集まってダンスパーティをやる。農村に住んでいる人であっても、都市の楽
しみ、利便性、快適性、こういうものをすべて享受できるようにすることで、農村が
豊かになるという、そういうストーリーを描いています。
私たちはおそらくその両面、つまり都市の側から見て農村をどう考えるかという問
題と、逆に、これは大変大事なことだと思うのですが、農村にとって都市というのは
何なんだということをともに考えながら、都市と農村の関係を考えていかないといけ
ない。どちらかが主でどちらかが従というのではまずいのではないかということが、
横井先生の話を読むと非常によくわかります。
さて、話を戻しますが、ハワードは田園都市を提案しました。しかし同時に、彼は
巨大都市の問題にも手をつけます。彼はアムステルダムで開催された、世界都市計画
会議において、その議長として非常に画期的なアイデアを提案します。そのアイデア
は何かというと、「グリーンベルト」というアイデアです。このグリーンベルトが今
ロンドンを取り巻いているグリーンベルトであり、ドイツでは戦時中に、ケルンの市
長だったアデナウアーが、環状緑地帯というものをつくりあげます。日本でも実は緑
地帯の構想があったのをご存じでしょうか。当時の内務省が、東京緑地計画とか、大
阪緑地計画というのをつくっています。私の何代も前ですが、私どもの研究室の教授
に北村徳太郎という人がおります。この北村徳太郎さんは、自らこの東京緑地計画に
関与して、当時ドイツで「グリュンフュレッへ」、緑におおわれた土地という意味で
すが、これを日本語では緑地という用語として提案しました。ですから彼が、日本に
おける緑地という言葉の創始者になるわけですが、そういう構想がありました。
今東京の周りには、砧緑地ですとか、神代植物公園とか、あるいは水元公園などと
いう、非常に大きな都立公園がありますが、あれは実は東京緑地計画で買収した土地
-7-
が公園として残ったものです。環状にはなりませんでしたが、そういう都市公園は一
応実現したというわけです。ただ、グリーンベルトについては、その後軍と内務省が
結託しまして、防空空地というふうにしてしまったんですね。敗戦になったものです
から、防空空地という概念が否定されて、緑地計画自身も否定的なものとして扱われ
てしまったという経緯があります。大阪でも同じです。そういう緑地計画があって、
これも、グリーンベルトといいますが、実は都市を農村で囲うという考え方です。
さて、イギリスに行って、グリーンベルトだから、公園がロンドンの周りを囲って
いるかと思うと、全然そうではありません。森林であったり農地であったり、もちろ
ん一部には公園があったりいたしますが、そういうもので囲われています。
いずれにしても、基本的な発想というのは、ある街があって、それが非常にコンパク
トにまとまっていて、そのサイズについては大きかったり小さかったりするわけです
が、その外側に農村があるという状態が、都市と農村のあるべき姿だというふうに、
われわれはずっと学んできているわけです。
例えば日本の都市計画というのは欧米の都市計画を真似していますから、当然欧米
の姿に近いような絵づらができるのが、都市計画としてはすぐれたものだという価値
感があります。そうすると、都市と農村がきれいに分かれていないような都市は、例
えば皆さんスプロール化しているとか、日本の都市はメリハリがないと言ったり、外
国の方が東京から大阪まで新幹線に乗ったら、どこが都市でどこが農村なのか、着く
までわからなかったということを言ったりします。前述のグリーンベルトを良しとす
る視点から見れば、日本の都市は失格ということで、長い間私たちのように都市計画
をやっている人間は、日本にあるのはだめな都市だと見てきました。
2 アジア都市の都市・農村計画
それに対して、本当にだめなのかという点が、これから私が申し上げたい内容です。
実はアジアの都市というのは、元々ごちゃごちゃになるという、本質的な性格を持っ
ていて、それをきれいにここからここまでは都市で、ここからここは農村だと峻別す
るほうが問題ではないかということが、私たちだけではなくて、欧米の学者がアジア
に来て色々勉強しても、そのように考えたほうがいいのではないかと言われ始めてい
ます。むしろごちゃごちゃになるのが本質であるという前提のもとに、あるべき街づ
くりを考えたほうが望ましいのではないかということです。
そのいちばん代表的な考え方というのが、もう亡くなりましたが、私が非常に親し
くしておりました石川さんというジャーナリストで、都市と農村の「混住化社会」と
いうのを当時言い始めました。これについて否定的にとらえる人も肯定的にとらえる
人もいましたが、日本の社会というのは、都市でもなく農村でもないという、農家の
人が都会に働きに行く、都会の人がちょっと休日には親元に行って、水田耕作でも手
伝うかなんていうことのほうが普通であって、生涯都市である、生涯農村であるとい
う仕切りの中で生きていくような欧米の思想とはちょっと違うのではないかという
ことがむしろ言われるようになって約 20 年ぐらい経ちます。
そういう中で、欧米の学者でも、例えばカナダのブリティッシュ・コロンビア大学
-8-
のマクギー教授は、長年東南アジアの都市を見て、混住化こそが本質だということを
言っているんですね。彼はそれをインドネシア語で、「デサコタ都市」というふうに
言っています。インドネシア、あるいはマレーシアでもそうですが、「デサ」という
のは村です。
「コタ」というのは、コタキナバルなんていう地名がありますけれども、
都市なんですね。つまり、
「デサ」か「コタ」かではなくて、
「デサ」と「コタ」が一
緒になったのが1つの都市であると。そして、それをむしろ全体としてとらえるとい
うことのほうがいいのではないかということを提唱したわけです。
私は、さらに理屈を考えてみました。特に東南アジアのバンコクなんかはまさにそ
うなのですが、なぜアジアの都市は都市と農村がそんなに入り交じるのかという理由
ですが、まず、農村が整備されているということです。ヨーロッパというのは農村と
いうのは牧場が主ですから、そんなにきれいに道路ができたりほ場があったりしませ
ん。ゆるやかな丘が都市の周りにあるだけです。ですから都市にしようとしたら道路
をつくらないと、水も引かないと、平地もつくらないと、というわけで大変なんです
ね。その気にならないと都市にならないのです。
ところが、東南アジアから日本にかけての都市というのは、例外もありますが、だ
いたいどこにできているかというと、多いのは昔の田んぼです。田んぼというのは田
んぼをつくるためにものすごく人工的な造成をしています。まず、田んぼをつくるた
めに農用地をつくります。農道もつくります。それから、田んぼは平坦でないと水が
張れませんから、ほ場区画整理しています。それから水を必要としますから水路があ
ります。そのようなわけで、元々農村のインフラの整備率がものすごく高いのです。
それに対して、都市のインフラ要求はどうかというと、例えば今はもう水洗でない
と駄目だといいますけれども、昔はトイレは水洗でなくても、くみ取りで良かったわ
けです。それから、電気も後で引いてくれればいいです、水はそのへんに水が来てい
ますからその水を使えばいい、道路は農道をそのまま使えば道路じゃないですか、と
いうことで、アジアの人は都市をつくる時の要求度が低い。ヨーロッパの人みたいに
構えて、広場があって教会がないと絶対私は住まないなどという人はいないわけです。
自分の家があって水がくれば、農道を使って歩いてもいいですよということです。
そうすると結果的に、農村から都市へというのが非常に安易に移り得るわけです。
しかも農地が、仮に個人所有であれば、その所有者の意志で農地を手放したいと言っ
たとたんに、そこは潜在的都市化可能地になるわけです。
ですから、今、皆さん市街化調整区域で、色々と悩んでおられると思いますけれど、
市街化区域だって市街化調整区域だって、コントロールしようとしても、ほとんど建
てたい人は建てているという状況になっていませんか。もちろんコントロールするこ
とは必要なんですが、アジアの都市というのは、ぐちゃぐちゃになる性質を持ってい
るという認識のもとに、それをどうコントロールするかというふうに考えたほうが、
本来都市と農村は2つに分かれるべきだという前提のもとに、一生懸命高邁な都市計
画理論を言うよりは、おそらく現実の問題に対する答えに近いのではないかと思いま
す。
-9-
そこで、そのようになることを一応理解していただいたうえで、問題は、じゃあそ
れは全部悪なのか、ということが次に問題になってきます。都市と農村が入り組んで
何が悪いかというと、お互いに背をそむけあって、ただ悪い面を見ている場合です。
入り込んだ都市の人が、別にこんなところ来たくないけれども、土地が安いからここ
に来たんだと思っている。農家の人も、しょうがないから土地を売ったんだ、本来な
ら来てほしくなかったと思っている。
例えば都市の人は、インフラ整備ができていなくて汚水を出してしまう。そうする
と営農環境が悪くなる。農業をやっている人は、別に都市から人が入ろうが、とにか
く薬をまくときは薬をまく、肥料をやるときは肥料をやる。こういう関係であれば、
おそらくそれはお互いに不幸であり続けるわけです。しかし、もしそれが、私は農村
に近いからこそ来たんですよ、すぐ隣に自分の菜園が持てるから来るんですよ、とい
うことになれば、農村の人も、あなたがたが来てくれたおかげで農村も非常にいい形
で維持できますよ、といった良好な関係を築くことができます。まさにハワードの言
うところの、都市と農村の結婚という形、しかしハワードの言うような大きな都市の
固まりと大きな農村の固まりの結婚ではなくて、非常にミクロなスケールで、隣近所
というふうなスケールで、都市住民と農村住民がお互いに幸せに暮らせるような基盤
がそこにあるんだと考えてもいいのではないかというのが、私の言いたいことです。
3 都市と農村の融合による循環系の構築
そうしたいい関係にするためにはどうしたらいいか。そのための1つの手法として、
私は循環型社会という手法を取り入れたらどうかなというふうに思っています。
私は先ほどご紹介いただいたように、今、中央環境審議会で、循環型社会計画の部
会長をやっております。循環型社会というのは大きく2つの話があります。1つは、
鉄とかアルミとかプラスチックとか、そういうものの循環型社会。これは今大変で、
どうなっているかというと、日本に納まらなくてアジアに飛び出しています。また、
ペットボトルも同様です。砕いて別の製品にするのは簡単なんですが、ペットボトル
の会社がリサイクルをする場合は、再びペットボトルを作ります。今非常に残念に思
っているのは、ペットボトルをペットボトルにするだけの技術を持っている会社が休
業しました。なぜかというと、ペットボトルを再生するのは金がかかるんです。それ
で自治体に、リサイクル代としていくらいくらお金を払ってくださいというと、それ
は高いというのです。ではどうするのかというと、中国はもっと安く買ってくれる。
だからみんなペットボトルは中国へ行くんです。中国へ行ってもペットボトルになら
ないんだけど、そういう市場メカニズムでやって、結局その会社は休業するというよ
うなことです。本当に日本のリサイクル社会というのは果たして行く末大丈夫なんだ
ろうかと、心配になります。市長さん方に、いいことは高くてもやるんだというよう
な、リサイクルは是非そういう考え方でやっていただきたい。
もう1つは、いわゆるバイオマス。バイオマスと言ってもそんな高尚な話じゃあり
ません。下水とかし尿とか生ごみとか、それから農村で言うと作物残渣ですね。こう
いうものをうまく組み合わせることができるのではないかということです。例えば、
- 10 -
都市といっても今の下水というのはとんでもない、いわば西洋文明が与えた非循環的
な仕組みです。わざわざトイレで水で薄めて、その薄めたものを集めて、それを浄化
して、結局廃棄物をつくっているわけですから。これを初めから節水型にして、し尿
そのものを堆肥化すれば、これはものすごくいい肥料になります。その過程の中で、
これを腐らせればバイオガスがとれますから、そこでまた新しいエネルギー資源にも
なるわけです。そういった時に、都市と農村があって、都市から出る排泄物や生ごみ
が農村にとっては資源になる。そして農村の中でそういう、いわば有機物を使ってつ
くられる農産物が、都市の側にとっては目に見える安全な食品になるといった形がで
きます。
さらに、今の都市の子どもたちは、いわゆる生き物の教育とか命の教育というのが
欠けているとよく指摘されています。私たちの大学でも、命の教育をすることの大事
さというのを今一生懸命言っている人たちがいますが、農業というのはそういう点で
もものすごく必要な教育です。養老猛さんは、昔は徴兵制度があったけれど、今日的
な形として、子どもたちにある一定期間必ず農村に行き、農業体験させることを義務
付けるべきだなんていうことを提案しておられます。それは極端にしても、農村へ行
って楽しく土と触れ合い、生き物と触れ合う、そうした体験が自ずから人間としての
感性を養うという意味で非常に大事なことです。
農村の側も、都市の側が持つ必要性に応じて受け入れる基盤をつくり、そこでお互
いに交流するということになれば、それは非常にいい関係になるわけです。
そうした土台をつくるときの、1つのインフラ基盤として、是非、生物資源による
循環型社会の形成というふうな考え方を取り入れていただきたい。これは鉄だとかア
ルミだとかプラスチックと違って、地域で処理しなければいけない。その地域で処理
しなければいけないものであるならば、それを手がかりにして都市と農村の交流にも
っていけるような処理の仕方をすることができるのではないかということが、私が申
し上げたいことです。
そして、そういう社会を仮に日本でつくれると、これはアジアの中では一種のモデ
ルになり得ると思っています。
4 アジアにふさわしい循環型社会へ
いま東大の国際関係の責任者をやっていて、中国の優秀な学生を東大にどれくらい
採れるか、というのが私の非常に大きな大学における課題になっています。そのうえ、
4月から東大の北京事務所の代表になり、月に一ぺんか2ヵ月に一ぺんぐらい中国に
行かなければならないのですが、日本は都市と農村の関係、特に農村の過疎化、高齢
化、これは深刻だといいますけれど、日本よりはるかに中国のほうが深刻です。何が
深刻かというと、格差が大きくなって、都市は本当に成長して、金持ちはベンツ何台
でも買えるくらいの金持ちなのに、農村は年収が1万円にも満たない人がいまだにい
ます。そういう格差のある社会がどんどんできていて、このまま農村を放置すると暴
動になるのではないかということで、今の胡錦濤、温家宝体制は、都市農村格差の是
正を目指し、3農問題の解決を言っています。
「農業、農民、農村」、この3つの問題
- 11 -
を解決しないと中国は持続可能な社会にならないというわけです。3農問題というの
はチベットとか、新彊ウイグルとかの問題かというと、そうではありません。むしろ
新彊ウイグルとかチベットは周りに都市がありませんから、格差は少なくてみんな貧
しいんです。だからあまり文句を言わない。文句を言っているのは都市に近いところ
の農民です。上海の周りの人は、上海が繁栄して金持ちが増えていることを知ってい
るわけです。何でおれらは取り残されているんだということを問題にしているのです。
私は最近、北京の隣にある天津という街の農業科学顧問に任命されまして、とにか
く天津市の農業担当の副市長から、天津を何とかしてくれと言われています。なぜ天
津で農業が大事かというと、天津というのは人口 1,000 万人の都市ですが、とても広
大なんです。市の下に県があります。日本は県の下に市がありますけど。中国は大き
な市の下に県があるぐらいの行政の広がりなんです。ですから、天津といえども、市
長は農村をかかえているわけです。広大な貧しい農村。この農村を何とかしないとこ
の市長の首が危ないんですね。私がその時、副市長に申し上げたのは、日本も同じで
すよ、と。日本も今、市町村合併をして大きなところの市長でも農村を持っています。
それはいいじゃないですかと。元々アジアというのは都市と農村を一緒に考えるよう
な風土だから、都市は都市、農村は農村ということではなくて、都市と農村の組み合
わせを単位として考えましょう、と。その時に、循環型の概念を是非持ち込んで農村
にメリットがあるような、そして農村があることによって都市の人がよかったなと思
えるような、そういう循環型社会をつくろうということで、今、附属農場の森田教授
が、天津で中国一うまいコメをつくるプロジェクトをはじめているところです。要す
るに、コメというのはどこか遠くで作ればいいというのではなくて、天津のような大
都市で中国で一番うまいコメが作れると、それは高く売れる。それによって、まさに
天津こそ農業が安定する、と。こういう基盤をつくれといえば、中国はものすごく早
いですから、首長さんがいいと言うとすぐできますから、急に日中友好おいしいおコ
メセンターがいきなりできるというような状況です。天津で始まったようなことを日
本でも考えていったらどうなのかなと、私は思っているわけです。
5 これからの都市農村計画を目指して
そういうふうなアジアに広がる都市と農村の関係だということも、少し意識してい
ただいて、これからの農村のあるべき姿というのを是非お考えいただきたいと思うん
ですが、従来の線引きという考え方ですね。日本は線引きがうまくいったという自治
体はどこもないんじゃないですか。だいたいは線引きしてどういう結果になったかと
いうと、市街化調整区域の地価が安いので、役所とか病院を移して、田んぼの真ん中
に病院がどかんとあって、街が空洞化するというような、そんなことぐらいしか効果
がなかったと言ったら失礼ですけれども、そう考えています。私は線引きというのは、
いわゆる都市の成長時代、イケイケの右上がりの経済成長の時代には、その成長をス
トップし、それなりに形をつけたという役割を認めるということにやぶさかではあり
ませんが、これからはむしろ都市というのは縮小するかもしれないというような時代
において、都市と農村を峻別するのではなくて、むしろ都市はあまり成長しないこと
- 12 -
を前提に、どうやったら農村とうまくやっていけるのかを考えながら、中心市街地の
再生を行わなくてはいけないし、農村部の活性化もやっていかなくてはいけない。こ
れをうまく、最初に申し上げたハワードの概念である都市と農村の結婚に結びつけ、
それを日本では、もっと細かなスケールでやらなくてはいけないということです。例
えば町内会だとか、隣近所とか、そういうレベルでいい関係ができていって、その積
み重ねとして、うちの街はみんな都市と農村がうまくやっているな、といえるような
地域づくりをしていくべきと思うのです。
そして、そういう形で生かしていく時に、農林水産省は農業生産を一生懸命上げて、
農業でやっと食える、そういう人を推奨するということを主目的にやってきたのです。
ですから、例えば兼業農家とか、ホビー農家は全然本業じゃないというようなことで、
一種切り捨ててきたようなところがあります。けれども本業としての農業だけではや
っていけない、本業すらも成り立ち得なくなったということで、私は日本の農政とい
うのは、そういうことをしすぎたと思うんです。むしろ、都市と農村が一体となって
いるというふうなことを前提にして、東京から大阪に行くまでは都市と農村に切れ目
がないんだとすると、いかに都市的要素と農村的要素をうまくミックスして生きてい
くかを提示することが大事だと思うのです。
ところが、その中で農村だけを切りとって、これを自立させるというふうにやって
きて失敗し続けた歴史というのが、ちょっと言い方は悪いですけれど、農政の失敗の
歴史だったと思うのです。例えば、中山間地域に直接支払いをするとしていたのが、
話が変わって、今度は一生懸命やっている中核農家に金を出す。そういうことにあま
り惑わされないで、やはり農業をやっているということは、ただコメを作って金をも
らうだけではなくて、日本人としての文化だとか伝統だとかを継承しているという気
概や誇りがあるからだと思うし、田舎だったら、親からもらった土地だから守ってい
るという人もいると思うのです。それでいいじゃないですか。それをどうして自治体
が振興してはまずいんですか。それらを一体的に、トータルな地域資産の中に農業・
林業というものも含めて、それで農家の人がうまくやっていけるようにするという、
そういう考え方に切り替えるべきだと思います。
そして、いずれまた、今のように食料を海外にゆだねる時代ではなくなりますから、
その準備をしておく。必ず中国が食料難になりますし、地球が温暖化して砂漠化が進
行すれば、アメリカは、今まではずっと食料を供給していても自分たちが困ったら絶
対出しませんから、そうなった時に、やっぱり日本は農業で食っていくんだという形
に切り替えられるような、そういう長期的な戦略も他方で持ちながら、しかしそこま
で我慢するというのではまずいですから、今はトータルにやっていくとか、それが1
つの地域の財産であるとみるとか、それからそこに対してある程度の所得補てんをし
ても良いと思うのです。しかし所得補てんといっても金だけ出せばいいというもので
はないということです。
そういうことを考えて、本当に都市と農村がお互いに尊敬しあう。農業をやってい
る人を大事にするまち、農民はやっぱり都市があってありがたいなと思えるまち、そ
- 13 -
ういうまちづくりをしていくのが、都市と農村の融合による、持続可能な都市づくり
のあり方だと私は申し上げたい。
これで一応私の話は、終わりにさせていただきたいと思います。
どうもありがとうございました。
【第2回研究会】
都市と農山村の調和はいかにして実現し得るか
-農山村再生のための哲学-
早稲田大学
教育・総合科学学術院教授 宮 口 侗 廸
氏
いまご紹介いただきました早稲田大学の宮口でございます。
私は実は富山県と岐阜県との県境の小さな村に生まれた人間
でございまして、私の村も2年前に富山市に合併いたしました。
私の出た学校はもうだいぶ前になくなったんですけれども、そ
ういうところに育った人間でございます。どちらかというといままでは小さな町や村
とのつき合いが多く、国のほうでも過疎問題等々、田舎の地域づくりということにつ
いてかかわってまいった人間でございます。
国の国土政策などで、よく「国土の均衡ある発展」というような言い方を、かつて
の全国総合開発計画等でしてまいったわけでございますけれども、私は均衡ある発展
という表現はもともと好きではございません。私自身が地理学者でありまして、地理
学というのは何かと言いますと、世の中いろいろ違っているよねという、どうして違
っているんだろうと。東京は何でこんな化け物のような都市になったんだろうと。あ
るいは小さいまちにどういう価値があるのだろうと。同じであれば地理学は要らない
わけでありまして、地理学の存在意義からしても世の中が同じになることはおもしろ
くないのです。均衡ある発展という言葉は、同じように都市化して、同じように経済
発展すればいいんじゃないかという雰囲気がのぞくと思います。現実にはそういうこ
とはあり得ないわけですけれども、そういう意味であまり好きではありませんし、国
の施策としても第5次の全国総合開発計画あたりから、そういう発想は少しずつ消え
てきたのではないかと思っております。
というふうなことを考えたときに、本日の研究会に「都市と農山村の調和ある発展」
という、名前をおつけになったということに、私はまず敬意を表させていただきたい
と思います。調和というのはやはりすてきな言葉であります。都市は都市として当然
すばらしい状態になるべきでありますけれども、農村は都市と同じではないのであり
まして、農村的な空間がすべて都市になることはあり得ない。しかも既に日本は人口
減少局面に入っているわけで、人が増えてどこの地域でも発展するということはあり
得ない。これはもう私が 15 年も 20 年も前から言い続けていることでございます。
この中にも過疎指定の市があると思いますけれども、過疎法があと2年あまりで切
- 14 -
れるという時期を迎えまして、国のほうでもポスト「過疎法」に向けて本格的な議論
を始めたところでございます。私は、元来過疎地域というのは少ない人間でうまくや
っていくところだというふうに主張しております。人を増やそうとする必要はない。
人が増えて栄える、いまでも県庁所在地クラスの都市、あるいは大都市はまだまだ人
が集まる可能性はあるわけですけれども、その他の中小都市あるいは農山村、これは
人が増えるという発想はもう頭から消し去っていただきたい。どうやって少ない人間
でうまくやっていく仕組みをつくるかと。これは大きな都市で育つ仕組みとはまった
く違うんだというようなことをずっと主張してきた人間でございます。
というようなことで、本日は「農山村再生のための哲学」という題名をつけさせて
いただきましたけれども、そのあたりが根本的に考えられてほしいということでござ
います。そういうことが多少理解されるようになりまして、人口減少うんぬんという
よりは交流を大切にしようとか、あるいは定住してもらわなくても絶えず人が訪れる
地域であればそこに存在価値があるというような理解が多少生まれてきたように思
っております。
この日本という国は、私は世界の奇跡であると思っています。ある時期「1億総中
流」なんていう言葉が生まれました。本当にそうなっていたかということはかなり怪
しいわけですけれども、ただそういう言葉が生まれただけでも世界に例のない国だと
思います。本当にみんなが同じように幸せになろうとして、ちょっとなれそうになっ
た。瞬間的にそういう時期があった。高度成長期を経て、いわゆる低成長時代と言わ
れた時代が意外にそうだったのではないかと思っております。ただそのあと、バブル
経済というものがあり、バブルの崩壊、そしてその後始末の中でこんどは格差という
ものが非常にクローズアップされてきたという流れにあるわけです。
1 20 世紀までの画一化・標準化の長い流れ
そこで最初のお話ですが、20 世紀までの日本というのは本当に画一化・標準化と
いいますか、みんなが同じようになれるんだという発想でがんばってきた。よく働き
ました。そのもとは私は田んぼの力だと思っております。私は世界をいろいろ歩いて
おりますが、日本の田んぼほどそこに生産力が蓄積されてきた農地はありません。田
んぼを少し抱え込めば末代まで一安心というのが昔の日本人の発想であります。同じ
ように田んぼをつくろう、手に入れようとし、山の斜面にも棚田をつくった。私の育
った富山県というところは水田率が 95%を超えるほとんど畑のない、要するにすべ
てを田んぼにした、そういうふうにがんばった人たちが過去にいた地域ですが、全国
的になんとか田んぼをつくろうということで田んぼができたら一安心、これでみんな
と同じになれたというのが、我が国の人たちの流れでありました。
20 世紀になって工業化が進みます。八幡製鉄所が創業したのが 1901 年という都合
のいい時代でありまして、まさに 20 世紀は八幡製鉄所と一緒に始まった。ああいう
大工場の時代がくる。そうしますと、いろいろな都市に大きな工場ができて人が集ま
ってそこで働く。工場で働くというのも、実は田んぼをつくるのと似たようなところ
がございまして、もくもくと余計なことを言わずに自分のワザを磨いて働いていれば
- 15 -
いいわけです。つべこべ余計なことを言う人間はろくなものではない。そうやってま
じめにひたすら働いて工業化が進んでいき、そして高度成長期というのが来るわけで
ございます。こんどは大都市が異常に拡大成長を遂げる。そこにいろいろな職場が生
まれるということで、大都市あるいは県庁所在地を中心に都市化というものがどんど
ん進行します。
という中で、世界に例のない「一瞬の1億総中流」なんていう言い方が生まれるわ
けであります。そういう中で、だいたい県庁所在地が地方では発展をします。いわゆ
る拡大成長的な発展ということです。地方に散らばっている小さなまちというのは、
江戸時代から付近の産物の集散地として栄えた。あるいは港町などいろいろなタイプ
のまちがありますけれども、そういう小都市のきらめきというのは、この高度成長期
に、県庁所在地クラスの都市がどんどん大きくなっていく中で影が薄くなってまいり
ます。さまざまな小都市文化、これは日本の中では非常に貴重なものであります。例
えば富山には、
「おわら風の盆」という3日間で 20 万もの人が来るようなものがあり、
そこには優雅なうたと踊りが蓄積をしている。あるいは全国の小都市で、屋台や曳き
山、山車と言われるものがあり、そこに貴重な都市文化というものが生まれ育った過
去があったわけですけれども、どうも都市化の中で、全体として言えば影の薄い存在
になった。いまその「手づくりの文化」というものが改めて評価され、いままでもち
こたえてきたところは急に人がいっぱい訪れるようになる、というような状況にある
わけであります。そういうことで県庁所在地の画一的な一人勝ちということです。
そして、いま現在はバブルとその崩壊を経て、たいへんなグローバル経済の時代に
なっております。ある日突然日本の企業がアメリカの資本に買われる。敵対的買収を
なんていうような話がよく聞かれます。そして系列化がどんどん進んでおります。皆
さんドンペリという高いシャンパンをご存じと思いますけれども、3年前にそのシャ
ンパン屋さんの地下蔵を訪ねたところ、第一声は「当社もついにルイヴィトンの傘下
に入りました。日本人のおかげでございます」と皮肉を言われました。日本人がルイ
ヴィトンのバックを買い求めることで、世界中のルイヴィトンの半分は日本にあると
言われていますが、それほどルイヴィトンはいまや世界じゅうのブランドを買いあさ
っており、このような系列化が進行している。みんながルイヴィトンをほしがるとこ
ろに、低いレベルではなくて、ちょっと高いレベルでみんなと一緒になりたいという
意識が見え、そういう日本人のDNAはまだ健在かなというふうに思わなくもありま
せん。そういうグローバリゼーションというおそろしい状況が進行している中で、優
良企業が自分たちだけでがんばってすばらしいシステムをつくりあげたのに、それが
突然買われるなんていうことがあり得るとういことであります。
そういう流れの中で、私が最初に申し上げました地域の違いについて、私は地域は
違うことに価値があるというふうにずっと考えているわけですけれども、日本では、
日本人の意識が「違い」というものを「格差」に読み替えてしまうようになったので
はないかと思われます。要するに人口5万人しかいないまちは 30 万人のまちよりは
劣るんだ、あるいは県庁所在地から2時間もかかるようなところはろくなところじゃ
- 16 -
ないんだというような、非常に画一的な物差しで地域を見るように地域の人自体が変
わっていったというふうに思うわけです。「大か小か、近いか遠いか」とはそういう
意味でありまして、おれのところは県庁所在地まで 20 分で行けるいいところだとか、
まあ、便利だというぐらいはしょうがないですけれど、それをすべての価値にしてし
まって、いいか悪いか、劣るか劣らないかというような発想を持ってしまったのでは
ないかというふうに考えるわけです。ただ、これには経済の低迷ということも影響し
たんでしょうけれども、20 世紀の最後の 10 年ぐらいになるとようやく違ってまいり
ました。小さいまちにもすばらしいいいものがあるじゃないかというふうに、都会の
サラリーマンもそんなことを少しは考えるようになった。私はバブル経済の効用とい
うのはここらあたりにあったのではないかと思っています。バブル経済の唯一の効用
は、人間はみんな一緒になれないということが理解できたことではないかと思います。
あの時期、大儲けをする人もいれば失敗をする人もいる、そのあと銀行なんかも多く
の不良債権を抱えるわけですけれども。高度成長期は東京のサラリーマンはとにかく
満員電車に乗って、残業して働いて、帰りに同僚と焼酎を引っかけて明日を語ってい
たわけですね。そこには、みんな一緒に上を向いていくような希望があったわけです。
しかし、バブル経済あるいはそれ以降は、人間というのはどうも一緒になれないらし
い、「ここではあいつはうまくいく、しかしおれはだめかもしれない。おれにはどこ
がいいんだろう、ひょっとしたら田舎のまちがおれには向いているかもしれない」と
いうようなことが、かなり言われるような時代がようやくきたのではないかと思いま
す。自分に合うか合わないか、自分は何ができるんだろうというようなことが、よう
やく日本人の意識の中にのぼりはじめ、私はこれを「個性化への流れ」と呼んでいる
わけであります。
2 21 世紀は違いを価値に育てる時代
そういうわけで私は、そういう時代を経て 21 世紀になったわけだから、21 世紀は
違いを価値に育てる時代になるべきではないかと考えました。小さい村は都市のよう
にはならないのです。そこでうまくやっていくということは、大きな都市ではないこ
とに価値があるという状態をつくるということだという、基本的な原理原則というも
のを、やっぱり考えていただきたいと思います。みんなが同じにという発想から脱皮
するということです。もともと地域はひとつとしてまったく同じものはないわけであ
り、広い世間を歩いていればみんな違うわけです。みんな違ってみんな違ういいこと
がある。みんな違ういいものを持っている。風景はよく似ていてもそこに少しおもし
ろい人間が住んでいるかもしれないわけですね。
というわけで、広い世間の違いを知った上で、その場を生かす、そこにある資源を
生かすという、オーソドックスな取り組みが自分たちの価値を育てる、それこそが違
いを価値に育てることだということです。これは猿真似ではない、人真似ではないと
ういことであります。そこにあるものを、そこにいる人たちがどううまく使っていく
かという中で育ってくることだと。また、オリジナルという言葉をそういう意味では
大切にしたいと。我が国にはどちらかというと地域オリジナリティということは弱か
- 17 -
った。例えば東北、岩手や青森の農村は冬ものすごく寒いです。どんな家に住んでい
らっしゃったか。すきま風が入る、家の中がマイナス何度になるような家に住んでお
られました。悪口ではなく、日本では家というのはこういうものだということです。
日本の米づくりは九州からはじまって三千数百年たったわけですけれども、その米づ
くりをベースにした農村が東北までどんどん広がっていったときに、東北に住みつい
た人たちは、ここは寒いんだから暖かい家をつくろうよというふうにはあまりなさっ
てないんですね。それで、冬は寒い、したがって耐えなければいけない。そこで耐え
る、我慢をするというような非常に強靱な精神力は養われたかもしれませんけれども。
実は韓国に渡りますと、オンドルという床暖房がございます。薄い布団で寝るとけっ
こうあれは暖かい。家の隅っこで火を焚いて床下を煙が通る。韓国ではそれをやりす
ぎたために実は山が全部はげ山になりました。やっぱり、家を全部暖めるために木を
どんどん燃やすとういことはたいへんなことなんです。日本の山は何で木が生えてい
るかというと、これは暖房に使わなかったからです。煮炊きだけです。おじいさんは
山に柴刈りにというのは、小枝を切ってご飯を炊いただけでありました。どんどん火
を焚いて家を暖めるということはしなかったわけであります。このように、米がとれ
ればもうそれでいいという感じで、九州から東北まで実は非常によく似た生活文化を
育ててこられたんですね、過去においては。
それから、雪が4mも降るところで屋根雪を下ろさなくてもいい家というのがここ
十数年ようやく新潟にたくさん建てられるようになりました。ツーバイフォー工法で、
1階が高床になっている家ですね。ああいうのだって、大昔に考えようと思えば考え
ついたかもしれないんです。そういうことを意地悪く見ると、地域オリジナリティが
あまり発揮されていないというふうに私は見るわけです。それは世界のいろいろなと
ころを歩くと、寒いところではこういうことをやっている、暑いところではこういう
ことをやっているといういろいろないい例があるからであります。あのローマ帝国が
イギリスまで広がったとき、ちゃんとあそこでは床暖房をやっていたというようなこ
とが地域オリジナリティだというふうにご承知おきください。
そして、そういうことが進むためには、やっぱりオリジナルな目で、いままでにな
いものをつくろうという目で地域をちゃんと見ることが必要になります。要するに過
去がちゃんと地域を生かしてきたかどうかということです。ただ、単に変わっていれ
ばいいというものではもちろんない。広い世間に通用する普遍性という、そういうも
のがその背後にないといけないということをずっと言ってきました。
いま新しい国土形成計画というのがそろそろできそうだというような時期のよう
です。全国総合開発計画というのは第5次の計画まで終わったわけですけれども、そ
のときに私はかなりつき合って「多自然居住地域」という概念を主張しました。それ
までの4全総までの国土計画というのはまさに全国が同じように発展していく雰囲
気を持っていたわけですが、これからの日本の各地域が都市的な成長を遂げるのは、
これだけ人口が増えない時代では県庁所在地クラスまでではないかと思います。そこ
から1時間以上かかる地域は全然別の発展の原理を考えるべきだというようなこと
- 18 -
から言ったのが、結果的に「多自然居住地域」という言葉でした。もっと私流に砕い
て言えば、これは豊かな少数社会。人口は少ないけれども豊かな空間をつくるという
ことを、都市的な成長の一方で考えるべきだと、つまり区別しましょうということで
す。ですから、あまり人口が減って困るという発想があると、すなおにそういう取り
組みができないということで、私は、「人口の呪縛からの脱皮」ということを主張し
ているわけでございます。空間資源の使い方を発展させることが大事です。使い方で
あります。そこに巨大な組織は要らないのです。巨大な数の人間が食っていけるわけ
はないのです。少ないから食っていけるんだというふうに考えるべきです。都市で生
まれるような産業のつくり方はそこでは難しい。そこを地域から考えるということで
あります。
3 オリジナルなワザは単なる継承からは生まれない
そして、そういうことをオリジナルにやっていく必要があり、単に過去を受け継ぐ
ということからは生まれない。場合によっては、地球の裏側の例から学ぶくらいの発
想が必要で、東京からはなかなか学べないのではないかと思います。ただ、東京に暮
らしている人間からは学ぶことができます。システムとしてはなかなか難しいですけ
どね。
例えば、田舎を歩いて「ここの自然はいいですね」とか「あそこにあんなすてきな
ところがあるじゃないですか」と東京の人が指摘をしてくれるというようなことはい
くらでもある。そういうことを交流というわけであります。交流というのは、基本的
に違った目を持つ、持てるように自らが成長する、そのために交流ということがある
のです。単に都市という決まった存在があって、こっちに田舎という決まった存在が
あって、それがつき合うという程度の話では困ると思います。そこには必ず相互影響
がある、お互いの成長があるということを狙いたいということであります。交流は相
互刺激による成長を促すと。交流というのは違った世界の人とつき合うことでありま
して、話は最初から通用しないかもしれない。そこでやりとりをしている中で、なる
ほど都市の人はこういうふうに見るのかと、違う見方というものが自分にも備わって
くる。
一方で、やっぱり東京にしか育たないものはたくさんあります。歌舞伎は東京へ来
ないとなかなか見られないとか、偉大なシェフのすてきなレストランであるとか、そ
ういう都市に育つワザというものはそれはそれなりにちゃんとあるわけです。
私は「全国地域リーダー養成塾」で 10 年も地方自治体の職員のトレーニングにお
つき合いしてきました。(財)地域活性化センターが主催する全国地域リーダー養成
塾で、ここでは職員を鍛えるということにおいてかなり実を上げております。大森
彌先生が塾長で、私もこの2月までずっとおつき合いしてたんですけど、ゼミ制度に
なっていて、午後1時から自分の地域の活性化のためにいろいろ考え方を整理して発
表する。夜は 12 時くらいまで私たちがつき合うことになるんです。そして、そうい
う地方職員が集まってきたときには、私は東京の一流の店に連れていくことにしてお
りました。東京の夜で1万円ぐらい使わなければ東京に来たかいがない。東京から学
- 19 -
んで帰ることも必要だということをずっとやってきました。ただそれは機械的に何の
会話もなくお店へ行くのではなくて、ちゃんとお店のシェフなり支配人とやりとりを
しながら、そういうところのつき合い方も学んでもらうということをずっとやってき
ました。そのあたりが私が地理学者であるゆえんであります。一方に大都市というも
のがあって、一方に過疎の村がある。この中にいろいろなレベルの市町村があります。
それぞれに価値があるようになってほしいわけであります。一般に農村びいきの学者
というのは都市嫌いが多いんですね。私はそういう意味ではかなりバランスよくどち
らも首をつっこんで見てきたつもりです。
地方にあっては、従来変わり者としてつまはじきされてきたような人が意外にこの
時代に力を発揮するものです。私の「異人・異能・異端の価値」という主張です。か
つての田舎は閉ざされた社会であったわけです。余計なことは言わずに田んぼをつく
っていれば成り立ったのが江戸時代の日本の村々でありまして、そういう時代には変
わり者はものわかりの悪い人ということで困った存在でした。しかし、いまはそうい
う人間を逆に必要としています。数としてのパワーは地方は減っているわけですから、
数で勝負はできない。「ワザ」で勝負をする。そこでいろいろな才能というものが必
要だということであります。
もうひとつは、できる他人にその場をいかにうまく使ってもらうかということです。
いま、遊休農地や荒廃した農地がたくさん生まれているだろうと思います。そういう
場をだれが活かして使えるかということです。変わり者がそこに住み着いて、空いた
畑を借りて花をつくって何千万円売っているなんていうような例も、全国にはけっこ
うあります。そういう意味で、地元の人の先入観なしに、すなおに目の前の土地やい
ろいろな資源を見つめて、活かすことができるのはひょっとすると他人かもしれない
というようなことも大事だろうと思います。
いま地方は、昔のように同じタイプの人が大量に固まって住んでいるという時代で
はなくなりました。全体的には人口が減少して隙間ができる。そしてその中に少し変
わった人も住んでいる。山奥に行っても1人2人は変わり者が住み着いている。ある
いは都会で活躍していてリタイアして戻ってきた人もいます。いま団塊の世代のU・
Iターンというのが注目あるいは期待されているわけですけれども、そういう人は必
ずいるわけです。
「協力して働く」という「協働」という言葉が非常にはやっていますけれども、こ
の言葉を、私は単純に理解したい。これは違った力を組み合わせることだと。もとも
と日本人というのは、一緒にがんばろうねというのは得意だったんです。これに対し
て、アメリカ人は得意じゃなかった。そのアメリカで「協働=コラボレーション」と
いうことばがはやって、日本人もこれを使うようになったんですが、私は結果的には
いいことだと思います。私の主張に「さまざまな協働の価値と地域の発展」というも
のがありますが、みんなで一緒にがんばろうねというのは、昔の「共に同じ」と書い
た共同作業だと思えばいい。もともと共同はあったんだけれども、いま同じタイプの
人がわーっと集まって一緒にやろうという、それだけの人数はもういないわけです。
- 20 -
ですからお祭りをやるにも苦労している。大学があるところで学生に手伝ってもらう
ようなことが、協力して働く協働なんです。タイプの違う人の力をうまく組み合わせ
ることによって、むしろいままでよりも力を発揮しようというふうに考えるとこの協
働という言葉がわかりやすいのではないかと思います。またあえて極論すれば「かつ
て同じようなタイプの人によって行われた共に同じ共同に対して、違う力を組み合わ
せることにより飛躍的な活力を生み出す作業を協力して働く協働」とも主張していま
す。昨今、行政と住民の協働という言葉はどこでも使われています。そしてどうもこ
れは、いままでは行政に金があったからめんどうみたことがもうできない、住民に働
いてもらうしかないというような発想で使われているケースが多いし、役所の人の認
識もその程度ではないかと思われるフシがある。私は協働というのは、金があろうと
なかろうと、ある方向に何らかのプロジェクトを動かそうというときに、どういう人
材、どういう顔ぶれにどこに入ってもらえば全体としてパワフルになるか、役所のだ
れがそこに加わればいいかとか、場合によっては役所の何々課のだれそれはこういう
ことが得意らしいじゃないかと考えて、こいつをチーフにしてチームを編成し、住民
もこういう感じで一本釣りで集めようという話にならなければいけないのではない
かと、思っております。
そういうことで、市町村で何かをやろうというときに、やっぱりそういう仕掛けの
要になるのは自治体の職員でしかないと思います。職員がどういう力を持っているか、
あるいはどういう情報を持っているかが大事です。住民の中へ行って説得しなきゃい
けない場合もありますが、そういうことが上手にできる職員もいれば、不得意な職員
もいるわけです。そこで、職員にできるだけいろいろな力を身につけさせるというこ
とで、「職員の育成は最重要課題」又は「研修費は聖域である」と私はよく言って歩
いています。いちばん削られやすいところなんですけれども、そこをなんとか持ちこ
たえていただくことが自治体経営にとっては重要だと思います。
実際に職員研修につき合ってまいりましたし、全国の職員とかなりつき合いがあり
ます。東京に出張で来たからなんて電話があると、じゃあ今晩たまには飲むかと言っ
てさらにそこでやりとりをする。向こうだって、久しぶりに先生に会ってまた元気が
出たとか、その後の成長の様子をこちらに、ありありと感じさせるようなケースが多
いです。人というのは成長することができる。できなかったことができるようになる
という存在であります。もちろんどれだけたたいてもという人もいるかもしれません
けれども、うまく成長する人材をキャッチするのも、たぶんこれは首長さんの大事な
仕事ではないかと思います。お金を使う価値のある人にはぜひ使ってほしということ
であります。
また「普遍化と画一化は別」だとも主張しています。これは、広い世間にちゃんと
通用するというものでなければいけないわけですけれども、それはほかと同じになる
ということではないということでもあります。みずからを発揮してなお通用するよう
になるということで、そういう例はやはりヨーロッパにたくさん存在します。小さい
都市で光り輝いているところがヨーロッパにはまだまだありますし、何よりもヨーロ
- 21 -
ッパで学べることは、農業が大事にされているということだろうと思います。国が農
業にお金をかけるのは常識です。山しかないと思われているスイスのような国でさえ、
自給率は日本よりはるかに上なのです。それは、国が農業に対してお金を払うという
ことを早くから国民的合意にしてきたからでヨーロッパ諸国はほとんどそうなんで
す。農業というのはほっといたら難しいに決まっているんです。市場原理だけで農業
が成り立つわけがない。市場原理で成り立っているのはアメリカだけで、だからアメ
リカは日本に食料を買わせたいわけです。なぜなら、日本が買えば高く買ってくれる
からで、日本が買うのをやめればもっと貧乏な国に売らなければならない。市場とい
うのはそういうものです。金持ちが買えば値が上がるけど、金持ちが買わなくなれば
値が下がるわけであります。だからアメリカは日本に農業を縮小しろ、縮小しろとい
うわけであります。それがアメリカの市場原理です。
しかし、一方で市場原理で農業は成り立つものではないということは、多くのそう
いう先進諸国、特にヨーロッパには小さい国が多くて、いま EU というまさに協働と
いうふうに手を結んでいますけど、そういうものをヨーロッパではたくさん学ぶこと
ができます。もちろん市長さん方も、いろいろな国の外郭団体の企画等でいろいろな
ところへ行かれていると思いますけれども、そういうことが大事だということです。
4 あらためて考える日本の農山村の人間論的価値
次に、日本の農山村にはどういう価値があるのかということを簡単に申し上げます。
日本というところは、暖かい時期にちゃんと水のある国であります。しかも山ばか
りで、わずかな平地で田んぼをつくって何とか食べてきた。江戸時代に鎖国をしてい
たということは、これはある意味ですばらしいことなんです。ひとつには、食糧を輸
入しなくても何とかなったということがあります。江戸時代には、がんばって田んぼ
はだいたい5割増になっていて、輸入しなくていいという条件がなんとかあったわけ
ですが、もうひとつ庶民にとってすばらしかったことは、権力者が食糧を外国に売っ
て金銀宝石に替えて懐に貯めるということをしなかったということです。歴史の先生
はなかなかこういうふうには理解していないのですが、鎖国というのはそういうこと
であります。国民からかき集めた年貢、食い物は腐りますから 100 年もためておけな
いわけですね。そこで、それを外国に売って金銀宝石に替えて自分の懐に入れるのが
いちばん儲かるわけです。これが世界の権力者の常識なんです。あのスターリンでさ
え、懐に入れたかどうか知りませんが、外貨獲得のためにウクライナの農民から小麦
をかき集めて、農民を飢えさせているんですよ。
このような江戸時代に、隅々まで農地というものが美しく保たれてきた。そして日
本の農地というのは本当に優良農地なんです。暖かいときに水がある。そしてそこに
手をかけてきた。日本の田んぼの価値は、収穫の率としてヨーロッパの小麦畑の価値
の8倍ぐらいあるんです。いま日本で農地をどんどん減らしていくと、地球上でそれ
に代わるものはないわけです。ですから、もっと多くの人が農業に従事しろとまでは
いいませんが、農業をやろうという人にはぜひがんばってもらいたい。そしてその人
たちのうまいやり方で農地を減らさないようにしてほしい。だから都市化によってや
- 22 -
むなく減るのはしょうがないにしても、政策としてさらに減らすということは非常に
けしからんことだというふうに考えております。
そしてもうひとつは、農村で蓄積されてきたワザ。いま 60 代ぐらいの人まではま
だおいしい野菜をつくるとか、そういうワザがあるだろうと思います。そういうワザ
の熟練、あるいはそこに悠々と暮らす、時間に追われてあくせくしない、そういう豊
かな精神のもとで暮らす「スローな営み」、これが「美しさとゆとりとあたたかさ」
であり、これは人間の育ててきた非常にかけがえのない価値であります。かつての日
本人は本当にやさしかった。あの織田信長の時代に日本に来た宣教師たちには、何で
日本の農村の人は貧しいのにこんなにやさしくてあたたかく礼儀正しいのか、本当に
不思議な国だったわけです。それがいま、市場原理の中で「切った張った」というよ
うな時代になった。それを国がちゃんと支えていけるのか。やはり農村的な空間とい
うのは、そこで人がちゃんと暮らしているということがものすごく大事なのでありま
す。そのためには、やはり私は国民的な合意、そういうレベルでの国民的合意という
ものを考えてほしいと思います。
実は、私は現行の「過疎法」をつくるときにもおつき合いしましたが、「過疎地域
の役割」として、いまの法律には「美しく風格ある国土の形成に寄与する」というよ
うなことが書いてあります。そこで、どういう人がどういう作業をしているからそう
なっているのかという、人の役割が見える社会であります。東京のばかでかい高層ビ
ルの中で、本社でだれが何をやっているのか、とても我々には見えてこない。そうい
う世界が多くの人間を食わせてきたということは、これは認めますけれども、一方に、
小さくても、少数でも、別の価値があるということ。いま過疎地域の人口は合併によ
って形式的に8%ぐらいになっているんですが、ちょっと前までは5~6%。5~
6%の人間が国の半分の空間、国土の半分をめんどうをみてきたというふうにやっぱ
り理解しておくべきなんですね。
そういうことで、農山村は都市にはない価値を持つ少数社会であると理解して下さ
い。きょうここにいらっしゃる市長さん方の市にも、いろいろタイプがあると思いま
す。大都市に近いというような市の方もいらっしゃると思いますし、いろいろなタイ
プがあるわけですけれども、農山村的空間というのはやっぱり都市にはない価値を持
ち、そして人間は少ないがいろいろワザを発揮して広い空間をめんどうみている、そ
ういうところだというふうに理解しておくことが大事だろうと思っております。
5 地域づくりは系列化に対するアンチテーゼ
そういうわけで、「田舎の」とあえて言いますが、田舎の地域づくりというのは極
論すれば系列化に対する抵抗だといえると思います。例えば、ある程度の市になれば
立派なショッピングセンターができるかもしれません。しかしそれは、中央の資本が
そこからさらにお金を吸い取っていくしかけであります。もちろん雇用もいくらかは
生まれるかもしれませんが、いまの中央からのシステムによる雇用というのは、例え
ば卑近な例でいうと、昔はスーパーのおばちゃんがレジを打つのだってけっこうあれ
は熟練したワザですよね。でも、いまはバーコードですから私でもレジのバイトでき
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ますね。しかも商品というものが中央からのネットワークで選ばれ整理されるのであ
って、その地域において生れる力が必要とされていなければ、本当はお金も地域に落
ちてないということなんですね。
このような状況で系列化というものがどんどん進んでいきます。それは、ある程度
の便利さというものが人間にとっては必要だからです。けれども、それを手放しで喜
んですべてをそれに任せていたら、地域というのはいったい何なのかということにな
るだろうということです。系列化に対抗する時代にふさわしい地域固有の価値づくり
というようなことが、これは考え方として絶対に必要であるということです。それを
地域ブランドと言ってもいいかもしれません。
ただ田舎が「売り」にできるものは、やはり大都市とは違うわけであります。いま
エコとか、エコツーリズムなんていう言葉も随分出てきています。そして食、美しさ。
食の安全というのはやっぱり大きなテーマです。中国で野菜をつくって輸入するとい
うことをやるのは中央の資本です。そういうのは、田舎の人は間違っても買うもので
はないだろうと思いますね。自らの首を締めることになる。おいしさ、美しさ、安全
というようなことを、ちゃんとつくって主張していくということが大事だろうと思い
ます。そういう意味では、大きなものからの系列化に対して、やっぱり逆転の発想と
いうものがあたりまえにならなければ、地方は生きてはいけない。私の主張に「農山
村の再生と持続のために 人と空間を活かす、そしてツーリズム」というものがあり
ます。
農業はある程度効率化も必要です。平野部に大水田地帯がありますが、いま国も品
目横断的何とかとか言って、経営をある程度まとめないともう援助しないと。そうい
う意味では効率化できない中山間地は切り捨てられそうになっているわけですけれ
ども、効率化ができないところではツーリズムしか生きる道はないだろうと思います。
かつての観光旅行は、団体で添乗員に連れられて同じ名所旧跡へ行って同じものを見
て、同じように喜んだわけですね。それほど日本人というのは素直でものわかりのい
い人たちだったんです。でも本当は、みんなが勉強して個性を身につければ、こんな
ものはおれはおもしろくない。そうなると、今度はどこかの農村へ行ったらおばあち
ゃんが畑仕事をしていて、30 分ほど話をしてけっこうおもしろかった、あるいは「帰
りにイモでも持っていくか」とあのおばあちゃんがくれたイモは随分おいしかった、
よかったと言って、若い娘がまた友だちを連れてそこに行く。「そのあたりに泊まれ
るところはないか」「近くに農家民宿もありますよ」というようなことで、それぞれ
の人が自分に合う旅をする。旅の対象としては、何の変哲もない農村で十分いいわけ
です。ただ、あまりに荒れ果ててみすぼらしい風景になっていては、人はそこがいい
というふうには思ってくれないわけですけれども。
そういう、人それぞれの旅、そして、そこでぜいたくではないけれども少しお金を
使うというような形で人に来てもらうということが、これが効率化できない中山間地
域の宿命であろうと思います。もちろんそれを交流という言葉で言ってもいいわけで
すが。でも、同じ農村であってもおもしろいおばあちゃんがいる集落と、全然そうい
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う役者的な人がいない集落では、やっぱり訪れた人にとってインパクトが違うわけで
す。ですからツーリズムには役者が必要です。大げさに言えば、農村の歌舞伎役者に
あたるぐらいのおばあちゃん、あるいは若い農家でもいいですけれども、そういう人
がたくさんいれば人はどんどん来るようになるということであります。
そういうことで、ツーリズムなくして農山村、特に大規模農業というものが難しい
農山村は生きられないのではないかと思います。交流というものの機会を増やすとい
うことでは、私がこの 10 年いろいろつきあってきた地域がそこにずらずら並んでお
ります。湯布院温泉なんかもいまや有名になり、湯布院も由布市になりましたから市
長会の仲間入りをされたわけですけれども、かつて 40 年前に湯布院をこれからどう
しようかと考えていた人たちは、大正時代の本多静六という東大教授の林学博士が湯
布院に立ち寄ったときの講演を見つけたんですね。その人は日本の国立公園制度をつ
くった人で、世界を歩いてどういうところにどういう価値があるかということに敏感
だった。湯布院に立ち寄ったときに湯布院は豊かな自然と農村風景を大事にすべきと
ころであるとひと目で見抜いた。そしてその見本はドイツのバーデン地方にあるとい
うような講演を大正時代にしているんです。一晩立ち寄っただけでおまえのところは
これだよって言える。それが他人のすばらしい目というものであります。一方、地元
の人たちは悩んでいたわけです。別府はものすごく栄えているけれどあの真似をする
のもいやだし、うちには客が来ないといって。でも、彼らはドイツへ実際に行って静
かな温泉町をめぐってなるほどといって、湯布院の人たちにそれを語って、いまのよ
うな湯布院をつくってきたということがございます。
いま田舎でうまくやっているところの例がレジュメにたくさん並んでいますが、け
っこうみんな「できる他人」とつき合いながら、やはりうまく育てているんだという
ことをご承知おきいただきたいと思います。
最近、宮城県鳴子温泉では、ここも大崎市という市になりましたけれども、山の中
の田んぼの米を温泉旅館とか地域でうまく使うような仕組みをつくって、農家の手取
りを1俵あたり 5,000 円増やすことができないかということに真剣に取り組んでおり
ます。だまって流通に乗せたって取り分が少ない。ちゃんと食べてくれる人との関係
を少しずつつくろうというようなことがいま全国で動いているということです。
というわけで、20 世紀の終わりにそういう画一的な経済成長、都市化という時代
から、ようやく個性ある地域づくり、地域それぞれの価値というものを育てるという
ことが少し盛んになり、そしてそういう実例がちらほらと、けっこう育っているんだ
ろうと思います。そういうことから学んで、「都市と農山村の調和」というすてきな
題名の研究会をぜひ実りを上げていただければというふうに思います。
それでは一応ここで話に区切りをつけさせていただきたいと思います。ご清聴あり
がとうございました。
- 25 -
事例発表「水源の里条例について」
京都府綾部市長 四 方 八洲男
氏
皆さんこんにちは。京都府の綾部市です。かつて 50 年前
は5万 3,000 人の人口が、今は3万 8,000 人。面積は比較的
広くて 350 平方キロメートルです。先ほど宮口先生が総論を
お話しになりましたけれども、私が今からしゃべることは、
どちらかというと各論になります。各論をやるときには、や
はり先ほどの宮口先生の哲学がベースになる。まったく私も
同感でございました。
5万 3,000 人が3万 8,000 人になるということは、高度成長の陰の部分を象徴して
いるというふうに思いますけれども、ここのところ工業あるいは農業を中心に下げ止
まりになって反転するかどうかというところに今差しかかっている、そういうまちで
あるということをまずご承知おき願いたいと思います。
私は、3期目の選挙を昨年の1月に受けました。3期 12 年で辞任するということ
を約束して立候補いたしました。
ちょうど一昨年の暮れから昨年のはじめにかけて豪雪でございました。非常に雪が
たくさん降った。私も過去8年間、そういう豪雪のところあるいは綾部市役所からほ
ぼ 30km ぐらい離れたところで高齢化比率 70%、100%、そしてまた年ごとに家が減
っていく、住まいする人も減っていく、そういう状況にあるということはもちろん承
知しておりました。しかし、どこの首長さんもそうでしょうが、気にはなっているけ
れども見て見ぬふりをするということではなかっただろうかと思います。
そういうときに、最後の選挙ということで、私どもは「水源の里」と言っておりま
すけれども、大野教授は「限界集落」という言葉を使う。学者的に言えば「限界集落」
というのは何となくピンときますけど、やっぱり政治、行政の用語としてはいかにも
マイナス要素が強くて、それで私は「水源の里」と言い直したわけです。そういう地
域の問題を最後の任期中に一度真正面から取り組んでみようと、そんな思いで。たま
たま選挙になりますとけっこう時間がありますから、水源の里地域に3か所入りまし
た。そして、ほとんど全住民の皆さん方がそれぞれの集会所に集まって、車座になっ
て話し合いをしました。すべて同じような状況かなと思いましたけれども、1つの地
域で「おやっというふうな」新しい発見がございました。
それが何であったかと言いますと、1つは、山蕗の生産をして年間 650 万円、わず
かですけれどもそれを4軒の家で支えておられる。全戸数で 20 人ぐらいしかいない
集落ですけれども、そういう産業をずっとやってきている。それからもう1つは、お
ばあちゃんたちですね。高齢化比率 100%ですから皆さんおばあちゃんですけど、そ
のおばあちゃんたちが月1回必ず寄り合いをもって、要するにお茶飲み話をやってい
る。そして夏の盆の 14 日になったら、その地域出身の子どもたちが家族を連れて、
その上に会社の同僚を家族ごと誘ってくる。その結果、20 人の人口のところに 70 人、
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80 人と帰ってくる。いわば都市農村交流をずっと前から続けておられ、焼き肉を食
べて盆踊りするぐらいですが、そういうことがございました。そして何より全体を束
ねる歴代の自治会長、そのリーダーがしっかりしておられますね。その4つの要素と
いうのは他の2つの集落にないことでした。あとの2つについては、例えば以前はト
チモチをつくるという産業があった。けっこうこれも商品農産物で金になったわけで
すね。しかしそれも後継者がいない、あるいはトチの実自体が鹿に食われてしまって
収穫できない。そのトチの木まで行く道を整備することさえできないということで、
10 年前ぐらいにもうトチモチをつくることはやめた。そういうふうな感じの2つの
集落と、先ほど言った4つの要素を持った集落、この違いを私は見ました。可能性を
見ました。
そんなことで、検討委員会を立ち上げることにしました。どういう集落の代表に集
まってもらおうかというときに、これが「水源の里条例」の最初の基準になったわけ
ですけれども、市役所から 25km 以上、高齢者比率が 60%以上。大野先生の限界集
落の場合は、50%以上と言っておられるんですね。さらに世帯数が 20 戸未満、それ
から水源の地域であるところ、そんな集落をピックアップすると5つあったんですね。
その5つの集落の自治会の代表の方々に集まっていただき、また、嘉田滋賀県知事の
ご主人である嘉田良平さんも非常に関心を持っておられて、参加していただきました。
それから京都府の職員などと一緒に私が座長で約 30 時間、4月から8月まで集中的
にやりました。その中で、舞鶴市の西方寺平地区というすでに先駆的に実績をあげて
いる地域、あるいは島根県の中山間研究センターですか、そこへも行かせていただき
ました。
このように、共に行動をとり共に討論をする、又は議論をするという中で 30 時間
やってまいりまして、結果どうだったかと言いますと、初めは5集落のうち先ほど言
った割と張り切って元気でやっておられるところを除いて、ほとんどのところは、ま
た過疎対策、あるいはそういう限界集落対策で取り上げてもらうのかと。しかし、今
まで何回かそういう働きかけというのがあったようでございますけれども、そのこと
ごとくが挫折してしまったようで、またかというふうな雰囲気でした。そういう中を
30 時間行動を共にして議論を進める中で、諦めていた皆さん方の目がちょっと変わ
ってきました。今度はひょっとしてという、そういう可能性を感じていただいたと私
は思いました。
「鉄は熱いうちに打たないかん、スピードを上げてやらにゃいかん」というのが私
の印象でございまして、8月に終わって9月には直ちに「水源の里条例」の作成にと
りかかりました。そして 12 月には議会で満場一致で「水源の里条例」を通すことが
できて、現実にはこの4月1日から実施しているわけでございます。その内容は「4
つの振興目標」として、1つは定住対策促進。住宅整備補助を 150 万円まで持ちまし
ょうという制度です。それから定住給付金。これは1年間、1か月5万円を助成しま
す。ただし、これは今まで住んでいた人には助成しないというもので、Iターンなり
Uターンで帰ってくる人又は新たに入ってくる人に対する定住対策促進です。それか
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ら、2つ目には都市との交流促進ということで、都市住民との交流会あるいは農林業
体験事業の実施で、これはこれからの課題です。3つ目には地域産業の開発育成。先
ほど言いましたように山蕗栽培をさらに拡大しよう、条例立案のための議論あるいは
条例制定の中で、今まで荒廃地になっていたところに目をつけて、もう一度みんなで
起こしてみようという、これは自主的に女性の皆さん方が有志の会をつくって、山蕗
栽培を始めて特産物化しよう、さらに加工していこうということがございます。
4つ目には地域の暮らしの向上ですね。水洗化の問題あるいは光ファイバーの問題、
携帯が使えるようにする、そういう課題ですね。そういう4つをこの地域再生のため
のハード、ソフトということで取り上げていきました。
この条例の特徴は、5年間の時限ということにあると思います。「もう、今度しか
ないよ」「立ち上がるなら今ですよ」という意味で、そしてまた何よりその水源の里
地域に住む皆さん方が自覚をしていただいて立ち上がるということなしには、こうし
た条例というのは意味がないということで、5年間という時限にいたしました。
平成 19 年度の予算といたしましては 3,980 万円を水源の里関連予算ということで
計上いたしました。この5集落のお互いの情報交流、あるいはお互いがグリーンツー
リズム等々で連携してやれることはあるわけですから、その連絡協議会をつくってい
ただいたんですけれども、その連絡協議会に対して 140 万円。それから、定住支援事
業ということで、郵便局の仕事を辞めてこの地域で米の栽培をしたいという 33 歳の
方1人に、住宅整備補助金 150 万円、それから定住支援給付金 60 万円。
それから「水源の里の全国シンポジウム」をこの 10 月 18 日に行うわけですけれど
も、このことを全国に発信をさせていただきました。皆さん方のところにもご案内が
行ったかと思いますけれども、今のところ北海道から九州鹿児島まで 400 人ぐらいの
方々が綾部市に来るという申し込みをいただいております。それから綾部市民もおり
ますから、当日は 900 人近くになるのではないでしょうか。過疎水源の里の問題を討
議するんですけれども、会場がいっぱいになって過密になるといううれしい悲鳴でご
ざいますが、そのシンポジウム予算として 120 万円ぐらい。それから農産物加工をす
るための拠点、あるいは水源の里のさまざまなイベントを行うための拠点というもの
が必要だということで、すでにありました会館をそういう目的に合わせて整備をしよ
うということで、これが 2,300 万円ぐらいですね。
さらに綾部市だけでなくて、この水源の里の再生振興ということに共鳴していただ
いた皆さん方に、水源の里基金にぜひ寄付をしていただこう、もちろん水源の里から
出ていった出身者の皆さん方にはもう真っ先に協力していただきたい訳ですけれど
も、そういう受け皿をつくろうということで、とりあえず 1,240 万円を基金として積
み立てました。そんなことで約 4,000 万円を平成 19 年度予算として掲げました。
私どもの「水源の里」条例も含め、全国に同じような水源の里地域を抱えていると
ころは随分たくさんあるわけですね。ですから、私はこれをやっていきながら、先進
的に取り組んでおられる自治体と、さまざまな事例があるはずだと思っております。
行政と住民との関係で条例をつくって取り組むという例はたまたま綾部市が初めて
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だったようで、これは驚きでしたが、これを発表しますと全国的に大きな反響を呼び
ました。
この夏の参議院選挙では、自由民主党が惨敗したわけですけれども、その惨敗の原
因は格差にありというんですね。この格差のいわば究極の格差というのは水源の里で
すよね。農業、農村が抱えている究極の課題というのはこの水源の里、いわゆる限界
集落にあるというのは皆さん方もお感じのことだろうと思いますけれども、そういう
ことに何としても取り組まねばならないといって、小沢一郎さんが岡山のいわば地方
都市から遊説を始め、一方の安倍総理大臣が東京の渋谷、新宿から選挙の街頭演説を
始めた。その結果としてああいう結果が生まれたということも、これまた一面であっ
たと思います。
先ほど宮口先生もお話ししておられましたけれども、私は格差があっていいと思う
んですよね。例えば綾部市の農業・農村地域あるいは綾部市のような地方都市におい
て、東京と同じような所得を要求するということはどだい無理だと思います。でも東
京にないものが地方都市にあるわけですね。先ほど来おっしゃっておりますように食
とか、あるいは水、空気などなどの環境。だからどちらの格差を選択するかという話
だけであって、そういう意識づけということが、この水源の里を考えるときに非常に
大事だなというふうに思っております。
そういうような時代の流れというんですか、宮口先生がおっしゃった「21 世紀に
人類人間、特に日本人は何を求めて生きるんだ」という究極の哲学ですが、それに沿
って考えるならば、私はこの水源の里問題をとらえ、水源の里を再生していく道とい
うのはまさに、一周遅れのトップランナーを目指そうということだろうと確信をいた
しております。
この問題をとらえるときに、ややもすれば水源の里は消滅するかもわからん、限界
なんだ、それを何とか救わないかんという、そういう同情からはじまるというのがあ
りますよね、たいへんだという同情から。しかし、同情論では絶対長続きしないと私
は思います。やっぱり、はっきりとした哲学、理念というものを表にどれだけ出せる
かどうか、そしてまた、それを下流の皆さん方と上流の水源の里の皆さん方が共有で
きるかどうか。ここに私は勝負がかかっているなという気がいたします。そしてそこ
を押し出していくことにおいて、はじめて国もあるいは都道府県も、水源の里に着目
してくるのではないだろうかというふうに思います。
「同情だけではだめだ」とはいうものの、実は私も最初はそうだったんです。「本
当にどうにもならん」「何とかしてあげないかんな」というそういう感じだったんで
すけれども、いまの気持ちは変わってきています。「よくぞいままでがんばってもら
ったな」「ようがんばってもらった」というように、上流は下流を思い、下流は上流
に感謝するというのがありますけれども、私たちは感謝の思いでこの上流、水源の里
の皆さん方に接しなくてはならないだろう。そういう接し方、そういう考え方という
ものを押し出していけば、水源の里、上流の皆さん方も、誇りを持ってこれからも生
き続けようというふうになっていくんじゃなかろうかなと思っております。
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そういうことで、これからの課題というものももちろんさまざまにございます。例
えば4つの柱の中に挙げておりますように、光ファイバーを敷設するとか、あるいは
携帯が届くようにすることとか、あるいは、存外、住宅が空いているようで空いてな
い。空いているところはずいぶん前から手をつけていないから修復するのに莫大な金
がかかるというふうなことで、例えばその光景にあった公営住宅にするとかのハード
の面もやらなければならない。そういうところに若い方を1人、2人投入していくだ
けでその地域が変わってきます。新しい産業も生まれる可能性があるし、伝統的な産
業も復活する可能性があります。光ファイバーを引けば、例えば出版企画の仕事なん
かをやっている人はどこでやってもやれるわけですから、大いに可能性があります。
あるいは、子どもをそういうところで育てたほうがいいという人も、私は1万人に1
人はいるはずだという感じがします。この綾部市がやった水源の里は、珍しいという
こともあったんでしょうけれども、非常に多くのマスコミにたくさん取り上げられま
した。そんなわけで非常に宣伝が行き届いたということで、問い合わせ、あるいは住
まいするところがあれば入りたいという、そういう方々が続々出てきつつあります。
「そういう時代なんだなあ」ということを私は改めて感じました。ですから、水源の
里、限界集落といえども、ちゃんとした受け入れの体制をつくれば入ってくる若者は
いる。多少、大多数の若者とはちょっと違ったところがあるかもわかりません。いい
じゃないですかその違い。その違いというのは必ず次の時代を担うかもわかりません。
1万人に1人そういう若者がいるということは、全国に1万 2,000 人可能性があるわ
けですね。だから、受け皿づくりをしっかりやれば、そういう皆さんに飛び込んでい
ただける。全国で 3,000 か所にこの水源の里、限界集落があると言われておりますけ
れども、そこへ1万 2,000 人ですから1地域に4人ずつ。それで十分なんですよ、そ
ういう刺激があれば。そして何よりも、都市の住民の皆さん方が、「ようがんばって
もらった」と、「水源の里をよう守ってもらった」と。この守るということは何かと
いうと、例えば、これから林業を振興させようという場合に山際に里があるというこ
とは非常に大事です。それからさらに水源の里に誰も人がいなくなった、廃屋と化し
てしまったならばそこに必ず産業廃棄物、不法投棄が行われるでしょう。そういうも
のの監視もしてもらえます。あるいは国土保全という観点からも、やっぱり災害が起
きたら、人が住んでいるから手が入り予算が投入されるわけです。そういう日本国土
の保全という意味でも、その水源の里に住まいをしていただいているという存在は非
常に大事なんです。
そういう多面的な役割、もちろん環境問題もございます。そういう多面的な役割を
担っていただいている皆さん方ありがとうという、そういう感謝の思いが大都市部か
らもどんどん出てくれば、私は誇りを持って水源の里に皆さん方住まいされるだろう
と思うのです。そして若い人も、先ほどの宮口先生の話ではございませんけれども、
どんどんでなくてもいいわけで、ほどほどにおればいいわけなんです。そして、その
ほどほどということを私は確保することができるだろうと思います。そのために4つ
の柱というものをつくったんですけれども、それ以外にもこれから必要に応じて、き
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め細かくやらなければならないと思っております。
従来の過疎対策は、ややもすると金太郎飴的に、同じような施策を霞が関のほうか
らどんどんメニューが出されて、そしてそれを食わされる。結果的にみたら金がかか
った割には成果が上がっていないという実態があります。そういうことをなくすため
には、やっぱりこの水源の里、あるいは過疎対策もそうでございますけれども、市町
村に任せることです。そして何よりその地域の住民の皆さん方の立ち上がり、これに
委ねるべきであるというふうに思っておりす。
そんなことで、この 10 月 18 日に綾部市で全国水源の里シンポジウムを、先ほど言
ったようにたくさんの皆さん方と一緒に行いますけれども、そのあと、ぜひ「水源の
里の全国協議会」というものを呼びかけていきたいと思っております。この協議会の
目的は2つです。1つは、霞が関のほうからあれこれあれこれ指図してもらわなくて
も結構だ。ただ静かにお金をください。お金もそんなにたくさん要りません。1年間
に 100 億、10 年の時限で結構だ。全国で 3,000 そういう地域があるとするならば、
1地域当たり 10 年間で 3,000 万円投入することができるわけですよね。その予算を
大切に使って、ハード、ソフトを充実させていくことは、私は決して不可能ではない
と思います。
それからもう1つは、ややもすれば孤立しがちな水源の里の皆さん方が全国で情報
を共有すること、そして励まし合うことだというふうに思っております。その2つを
成すために全国協議会をつくりたい。そしてその2つがスムーズに行われるようにな
ったら直ちに解散すればよろしいというふうに思っておりまして、ぜひこの水源の里
シンポジウムで皆さん方に問題提起をして、そして年内には、東京で全国協議会を立
ち上げて、総務省、農林水産省等々、福田内閣に対しても大いに要望していきたいな
と思っております。幸い、私の選挙区から谷垣禎一さんが今度政調会長になられまし
たし、今までは財務大臣をやっておられましたので、そういう兼ね合いでぜひ、来年
度からただちに 100 億というのは無理かもわかりませんけれども、水源の里の地域の
住民の皆さん方を前面に立てて、私たちは背後に回って、そして住民の皆さん方がこ
の際 10 年間でやりきるんだという決意のもとに総務省に出かけていっていただくと
いうような、そういう構図をつくりだしたいと思っておりますので、どうぞ皆さん方
もご理解いただきまして、全国水源の里協議会にご参加賜ればありがたいなと思って
おります。その際の条件として、皆さん方の自治体の中で水源の里、限界集落のいわ
ばリーダー的な人、住民の代表の方をぜひ決めていただいて、一緒に活動させていた
だければありがたいと思っております。
以上、あっちへいったりこっちへいったりで雑駁なことになりましたけれども、ま
だまだ綾部市は緒についたばかりでございまして、これからいろいろ試みながら、そ
して問題を1つひとつクリアしながら、皆さん方とそうした体験を共有させていただ
きながら進めていきたいと思っております。私は「美しい国」というのは東京という
「顔」が美しくても何もならず、
「本当に美しい国」というのは足の指先、手の指先、
そこまでしっかり血が通っている、そして崩れていない、そういう日本こそ「本当に
- 31 -
美しい国」だというふうに思っており、今後とも皆さん方との交流と、そして実績を
上げていくことを改めてお誓い申し上げまして、私の報告にかえさせていただきます。
ありがとうございました。
【第3回研究会】
グリーン・ツーリズムによる都市と
農山漁村の交流の取組み(課題と方策)について
財団法人 都市農山漁村交流活性化機構
専務理事 齋 藤 章 一
氏
財団法人都市農山漁村交流活性化機構専務の齋藤でござい
ます。私どもは通称「まちむら交流きこう」といっておりま
すけれども、グリーン・ツーリズム事業、それから「オーラ
イ!ニッポン会議」の事務局として、都市と農山漁村の共生・
対流の事業を実施しており、皆さまに格別のご指導を賜って
おるわけであります。改めて厚く御礼を申し上げる次第でございます。
さて、私どもはグリーン・ツーリズム事業、それから都市と農山漁村の共生・対流
の事業を行っているわけですけれども、このところグリーン・ツーリズム事業につい
て流れは変わってきたという話を聞いております。やはり新しい時代を迎えたんじゃ
ないかなという感を強くしております。
何点か理由があると思いますけれども、1つはやはり、昨年から団塊の世代の皆さ
ま方の大量定年退職が始まりました。定年が5年延長されて 2007 年問題は 2012 年
問題になったという話もありますけれども、私どもが地域に行きますと、もうすでに
団塊の世代のあるいは団塊の世代の周辺の皆さまが、このグリーン・ツーリズムに活
躍している姿をよく見かけるようになりました。やはり団塊の世代の方々の定年退職
というのは、我が国のこれからの都市と農村漁村の関係に大きな意味を持っているの
ではないかと思います。1947 年から 1949 年生まれの方だけでも約 700 万人おられ
るといわれておりますし、何といいましても実主体験として田園の魅力を知る最後の
世代であるとか、経済的にも余裕ある世代というような見方もされているわけであり
まして、この団塊の世代の方々が、特に田舎暮らし、農山漁村に非常に関心をもって
おられるということは、これからまちとむらとの関係を考えるにあたって非常に重要
なポイントではないかと思います。
もう1つは、団塊ジュニアの方が農山漁村に関心をもちはじめたということでござ
います。私どもは、農家民宿の登録事業をやっているんですけれども、一昨年の夏に
ある農家民宿に泊まったときに、たまたま 27 歳の会社員の方と一緒になり、食事を
したあとに囲炉裏を囲んでいろいろ話をさせていただきました。その人がいうには、
27 歳になって突然田舎が恋しくなったといいますか、非常に意識変化が起こったと
いうことですね。いろいろ話をしていると、若い人たちに大変な構造変化が起こって
- 32 -
いるんだということを感じました。
それから最近よく聞く話は、雇用形態がいろいろ変化し仕事を辞められて次の仕事
を探している間の人たちが、大変グリーン・ツーリズムに関心を持っているというこ
とです。こういうことを考えますと、いよいよこの都市と農山漁村の関係も変わりつ
つあるのかなという感を強くしております。
また、皆さんもご案内のとおり、昨年「子ども農山漁村交流プロジェクト」が打ち
出されました。この農山漁村で子どもが学ぶというのは、ある意味では古くして新し
い課題であるわけであります。農林水産省がグリーン・ツーリズムを始めたのが 1992
年ごろでしたが、それから 16 年くらいたちまして、グリーン・ツーリズムの中核を
担ってきたのは、やはり子どもの体験活動だったかなということがあると思います。
武蔵野市の「セカンドスクール」とかいろいろな試みの中で、やはり子どもたちが農
山漁村で学ぶということはすごいことなんだということがいろいろな意味で認識さ
れてきたのではないかと思います。
教育政策としてもいろいろ議論され、先般3月 28 日には学習指導要領の改正が告
示されて、そのなかで「体験活動の充実」がうたわれております。そして、児童・生
徒の社会性や豊かな人間性を育むために、小学生については集団宿泊活動や自然体験
活動を重点的に推進するということが、新しい学習指導要領に盛り込まれたというこ
とでございます。
これまでも子どもたちは田舎には行っていたわけですが、どちらかというと自然教
室とか移動教室とかの1泊あるいは2泊程度の、それも公共施設を利用しての体験と
いうことが中心だったわけですけれども、今回政府、農林水産省・文部科学省・総務
省が3省挙げて事業として打ち出したこのプロジェクトでは、体験宿泊数をふやすと
か、あるいは農家民宿といいますか、農林漁家における民泊を取り入れるということ
で、いよいよ子どもが農山漁村で本格的に学ぶ時代になったのかなということがいえ
るのではないかと思います。
昨今では、「食の問題」がいろいろ議論されているわけでありますけれども、一般
的には「食の栄養バランスの問題」として議論されているわけであります。ご案内の
とおりの都市化、国際化という中で、子どもにつきましても肥満の問題、生活習慣病
の問題等々がありまして、食の乱れとかいろいろな問題が取り沙汰される中でのバラ
ンス等の問題が議論されているわけですけれども、食育にはやはりもう1つ大事な側
面があるのではないかと思います。それは、「食はどこから来たのか」という問題で
あります。やはり食は一般の工業製品とは違い、人工的にはつくれない自然の恵みと
してしかいただけないということ、その食の生産には生産者の大変なご苦労があると
いうこと、そういうことをやはり国民的に共有していかないと、まちとむらとの良好
な関係はなかなか構築できないだろうというようなこともあろうかと思います。
そういうことで、いよいよグリーン・ツーリズムも新時代を迎えたのではないかと
思います。このグリーン・ツーリズム事業につきましては、都市側にとりましても、
農山漁村側にとりましても利益がもたらされる関係、いわゆる「win・win の関係」
- 33 -
になる数少ない事業ではないかと思います。特に農山漁村におきましては、新たな地
域活性化の切り口になるのではないかという期待もある一方、都市住民にとっては新
しいライフスタイルとしての創造ということがあると思います。
私どもは、「オーライ!ニッポン」という表彰事業を行っておりますが立ち上げか
ら5年が過ぎ事例がだいぶ集まってまいりました。その中に「ライフスタイル賞」と
いうのもあるわけですが、これを見ましても、明らかに都市住民の方々が単に町と村
を行き来するのではなくて、自分の人生というもののあり方というものを考えるいわ
ゆる新しいライフスタイルづくり、又は特に町と村を行き交うライフスタイルづくり
という側面が見えてきたのかなというふうに思います。一方で、このグリーン・ツー
リズムには潜在需要は極めて大きいけれども、顕在需要は極めて小さいということが
あり、これだけ国民の皆さんが関心をもっているのに、なぜそれを実施している方が
こんなに少ないのかという問題にいつも直面しているわけであります。これからは、
このギャップをいかに埋めていくかということになろうかと思います。もしこういう
ギャップが埋められるまちとむらとのパートナーシップの確立ということになれば、
地域にある水・土・緑をはじめとしたいろいろな資源を活用するという切り口が変わ
ってくるだろうと思います。それはおそらく都市側の視点と農山漁村側からの視点と
いうものを合わせた、両者のコラボレーションによる新しい価値の創造という時代に
入るのではないかと思います。そのためには、やはり先ほど申し上げましたギャップ
を解消する必要があり、これをどう解決するかが最大の課題ではないかと思います。
具体的にどのような事業展開を図っていくのか。
お手もとに「子ども農山漁村交流プロジェクト」に関する資料を配付させていただ
きました。この政府プロジェクトが打ち出されたことによりまして、これからのグリ
ーン・ツーリズムの具体的な方向性が明確になったかなという感じがしております。
やはり、子どもたちに農山漁村でしっかりと体験していただき、それがいろいろな面
で今後の子どもたちの成長の糧となってもらう、そういうことではないかなと思いま
す。
基本的には3省の連携事業として実施するわけでございますが、学ぶ意欲、自立心、
思いやりの心、規範意識などを育み、力強い子どもの成長を支える教育活動として実
施するということで、これは小学校5年生程度になるということでございますが、農
山漁村で1週間程度の長期宿泊体験を推進するということになっております。5年後
の目標として、全国公立2万 3,000 校、1学年 120 万人について1週間程度の宿泊を
伴う体験活動をやっていただくとこととし、そのために3省がそれぞれ支援していく
と、こういうスキームでございます。
文部科学省では、この農山漁村受入モデル地域と連携して、小学生の農山漁村での
長期宿泊体験活動をモデル的に実施するということで、そのための支援をしていくと
いうことであります。農林水産省は、受入体制の整備ということで1学年単位で受入
可能なモデル地域を設け、モデル地域でのノウハウ等の活用により全国的に受入地域
の拡大を図ることとして、モデル地域をまず決めて、20 年度は 40 地域程度、5年後
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は 500 地域に波及していくという考え方でございます。
また、全国的な推進体制やノウハウや受入地域情報の共有化等々、様々な事業を展
開することになっているところでございます。
そして、この農林水産省の受入側モデル地域につきましては、現在公募がなされて
おり、公募方式により国が直接採択し、地域ぐるみでの体制整備や受入計画の作成、
実践にかかる経費等について支援をしていくというようなことでございます。公募の
受付期間は4月2日から4月 15 日ということになっております。受入地域は2つの
タイプに分けるというふうになっています。1つは先導型ということで、これはかな
り受入実績もあって、すでに条件整備がなされているという地域等については、ノウ
ハウの提供等あるいは他地域の育成に必要な経費として 50 万から 100 万円の定額補
助をしていくということです。先導型にならない地域については、体制整備型という
ことで、受入体制整備に必要な経費として 200 万から 300 万を定額で補助するとい
うことでございます。
このモデル地域の活動の展開が周辺地域に波及することが見込まれる、あるいは地
域ぐるみの自立的・継続的なビジネスモデルとなる取組みである、というようなこと
が認められた地域が指定されるわけでありまして、事業実施期間は原則2年以内とい
うことでございます。
採択件数は 40 地域程度となっておりますが、状況に応じて増加するというようなこ
とが公募要件の中に書かれております。
グリーン・ツーリズム事業も、こういう事業が打ち出されたということで方向性が
非常にはっきりしてきたかなと思います。私どもグリーン・ツーリズムを推進してい
る立場からいいますと、やはり「子ども農山漁村交流プロジェクト」を核にして、新
しい時代にふさわしいグリーン・ツーリズム事業というものの体制整備を図っていく
必要があるのではないかと思います。特に、これからグリーン・ツーリズム事業を推
進するうえで、重要なポイントは、受入体制の整備、特に窓口の一元化と連絡体制の
整備ということが必要なのではないかと思います。それとこの事業を成功させていく
ためには、何といいましても、人材育成ということが重大な課題ではないかと思いま
す。学校と地域を結ぶ、あるいは地域内をまとめるという意味でも人材育成というも
のが最重要課題だと思いますし、また、これからグリーン・ツーリズムを展開するう
えで、この人材育成なくして、なかなかこのグリーン・ツーリズムも進まないだろう
ということを強く感じております。
このためには、この子ども農山漁村交流プロジェクトの安全、あるいは効果的な実
施ということが非常に重要な課題となっているわけであります。農林水産省の公募要
領を見ましても、選定基準のなかで、受入協議会が設立されている等の要件が非常に
重要な要件となっており、また、原則4泊5日以上の小学校1学年規模での長期宿泊
体験活動の受入れが可能である等々が選定条件とされておりますし、効果を挙げると
いう点で、農林漁家や農林漁家民宿に1泊以上宿泊するということも選定基準として
挙げられているところであります。いずれにいたしましても子どもの体験活動につき
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ましては、効果を十分に挙げていくということが必要な課題ではないかと考えており
ます。
それから、先ほど申し上げましたグリーン・ツーリズム事業のもつ潜在需要と顕在
需要のギャップの問題についてです。このギャップは何なのかということでいろいろ
な議論がなされてきたわけでありますけれども、私どもがいま注目しておりますのは、
「流通のインフラが十分に整備されていない」ということです。やはり、流通インフ
ラを整備しないとグリーン・ツーリズム事業もなかなかスムーズに進まないというこ
とを強く感じております。そういう思いもあり、私どもまちむら交流きこうも昨年旅
行業者として登録をいたしました。その思いは、いま申し上げましたような、新たに
グリーン・ツーリズムの展開に必要な流通インフラをつくるということに、なにがし
かの貢献をしたいという思いがあったからでございます。
そこでいま私どもが考えておりますのは、1つは地域でグリーン・ツーリズム事業
を実施するということになりますと、どうしてもランドオペレーターが必要だという
ことであります。地域で体験プログラムをつくって実行している、そういう体制整備
なり人材が配置されていませんと、なかなかグリーン・ツーリズムも動かないという
ことがわかりましたので、地域における体制整備と、それから人材育成について、な
にがしかのお手伝いができないかなということを考えているところであります。そし
て、そこでできた、いわゆる着地型の旅行商品を、旅行会社のほうに橋渡しをすると
いうことを考えているところであります。旅行会社大手、中小の全国旅行業協会の皆
さま方にもいろいろ話をしてきておりまして、私どもが地域と旅行会社をつなぐ、い
うなれば地域と都市をつなぐそういうビジネスモデルを構築できないかということ
で、いまいろいろ模索しているところでございます。
そういう中で、これを具体化するには実践を通じてやっていかなければならないと
いう思いがありまして、いま≪市町村長と語る旅≫というものをやらせていただいて
おるところであります。これまで5回開催し、6回目は遠野市長さんにお世話になっ
て、実施することにしているわけですけれども、私どもの着地型旅行商品づくりにつ
いても、だんだん学習効果が出てきており、このほど全国旅行業協会の会員向けホー
ムページにこの旅行商品を掲載していただくことになりました。
全国旅行業協会の会員は、約 6,000 社でありますが、グリーン・ツーリズム事業を
円滑に進めるためには、こういう流通インフラをいかに活用し、そことドッキングし
て一体となった流通インフラをつくっていかないと、グリーン・ツーリズム事業もな
かなかうまくいかないのではないかという思いがありまして、やっとそういうような
体制にもっていくことができました。ただ、実際お客さんがどのくらい集まるものか
というのはまだ未知数でございます。都会の人たちがグリーン・ツーリズムの内容を
理解していただくには、文章だけではなかなか伝わらない面もあるのではないかとい
うことで、やはりそれは実践を通じて知ってもらうのがいちばんいいのかなという思
いもありまして、最初は小さな流れでしかないと思いますけれども、こういうことを
通じて1人でも多くの人にグリーン・ツーリズム事業の楽しさ、おもしろさというも
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のを体験していただくことによって、新しいビジネスモデルの構築につなげていけた
らと思っているところであります。
おかげさまで、こういう事業を通じまして見えてきたことがあります。グリーン・
ツーリズム事業はネットワーク型事業とか、あるいはコミュニティビジネスというよ
うないわれ方もしますけれども、やはり地域ぐるみで取り組んでいかないとなかなか
うまくいかないという面もありますし、地域の持っているいろいろな力を商品化する
には、多様な人材を育成しなければならないというような課題もあろうかというふう
に思います。そして、そういうことはやはり実践を通じてでないとなかなか人材も育
っていかないのではないかなという思いを強くしておりまして、ぜひ市長様方のご協
力も賜りながら、こういう事業を実施していきたいと思っております。
「子ども農山漁村交流プロジェクト」、あるいは着地型旅行商品づくりを進める上
で、やはり何といっても重要な課題は人材育成ではないかと思っております。「オー
ライ!ニッポン」ではいろいろな地域のグリーン・ツーリズム事業が受賞されており
ますけれども、そこにはやはり核となるリーダーがいて、いろいろな人材が育ってい
るということが見てとれるわけであります。この人材育成をどうやって進めていくか
ということが最大の課題ではないかと思います。
私どもは、グリーン・ツーリズムのインストラクター育成スクールというものをや
ってきておりまして、これはインストラクターだけではなくて地域案内のエスコータ
ーとかあるいは企画立案者としてのコーディネーターとかのいろいろな人材育成を
やっているんですけれどもおかげさまで現在までに、全国で約 2,000 名くらいの人材
が育ってまいりました。最近は、私どもがいろいろな関係で地方に行きますと、必ず
こういう方々に出会うようになってきており、こういう人材を引き継いで育成してい
くことが重要な課題ではないかと思います。
大学でもこの事業に注目してくれまして、帝京大学に私どものインストラクタース
クールを取り入れていただき、このスクールの修了者には1単位を与えるということ
をやっていただいております。平成 19 年度から始めたのですが、参加した大学生は
大変興味を持っており、また、こういうスクールを受けたからには、将来、こういう
仕事に携わってみたいというような話も多く出ているという話を聞いております。こ
のように、若い人たちも大変関心を持っていただいているのではないかと思っており、
このことは、先ほどの団塊ジュニアが農山漁村に関心を持っているということと裏腹
になっているのかなという気もいたしております。
人材育成は、鶏が先か卵が先かというような問題があろうかと思いますけれども、
やはり実践を通して、具体的な成果が感じられるようなことをしつつやらないと、な
かなか人材も育たないのではないかという気がしておりまして、着地型旅行商品づく
りもこの人材育成とからませて実施していきたいと思っております。特に≪市町村長
と語る旅≫という着地型旅行のモデルツアーもだんだんと学習効果が出てきたと申
し上げましたのは、私どもは旅行業の登録をしておりますので旅行の企画ができます。
ただ、私どもだけではできないわけでありまして、いまいろいろお願いしているのは、
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地域でこのグリーン・ツーリズムで経験を積んで、リーダー的な役割を果たしていた
だいている方にコーディネーターとなっていただいて、その方を中心に旅行商品をつ
くっていただいて実行のお手伝いをしていただいております。そういうような仕組み
というものがひとつ見えてきたかなと思います。やはり着地型を動かすにも、あるい
は「子ども農山漁村交流プロジェクト」を動かすにも、そういうキーパーソンが地域
におられるということが非常に重要であるということが見えてきたという面もあり
ます。
それからもう1つは、「ホスピタリティ」の問題であります。NPOでこのホスピ
タリティのことをやっている団体があるんですけれども、グリーン・ツーリズムを推
進するうえではホスピタリティが重要だということで、私どもいまそこと連携してい
ろいろ教えていただいております。先般も、群馬県片品村でイベントがあったときに
お話をいただいたんですけれども、大変好評でした。農家民宿をやっている方とかい
ろいろな方が参加してくれたのですけれども、要は、サービスは上下関係であるけれ
ども、ホスピタリティはサービスと違って対等な関係であると。サービスは一方通行
だけれども、ホスピタリティは双方向であると。このことは、これから都市と農山漁
村の交流を考えるうえで非常に重要なポイントだと思っております。特にいろいろ指
摘がありましたのは、例えば「こんにちは」とあいさつすると、「こんにちは」と相
手も返してくれるということで、あいさつの仕方1つをとっても、一方通行か双方向
かでまったく違った効果が生まれます。「こんにちは」ということで、対等な関係・
双方向の関係が生まれ、そこから心が開いてきて、そうすると都市と村との交流もい
ろいろ促進するというような酵素的な役割も果たすのではないかともいわれており
ます。グリーン・ツーリズムは1回性のものではなくて、リピート性というものを考
えなくちゃいかんということになりますと、あいさつの仕方も「出会いのあいさつは
3分、別れのときのあいさつは7分」という話もいただきました。別れのときに丁寧
にあいさつするということが、またもう一度来ていただくことにつながるんだという
ような話も承っておりまして、そういう意味での人材育成も必要なのではないかなと
いうふうに思っているところでございます。
さらに、私どもは「農林漁家民宿おかあさん百選」という事業を実施しておりまし
て、開始年の19年度には 20 人の方を農林漁家民宿おかあさんに取り上げさせてい
ただきました。これが大変な反響で、この選ばれた 20 名のおかあさん方は皆さんマ
スコミの取材攻勢にあって、また予約が大変取りにくくなったというふうにいわれて
おります。『女性自身』に紹介されたり、『おもいっきりテレビ』でも取り上げられ、
今後シリーズで登場するのではないかといわれております。この 20 人の方々は皆さ
ん大変一生懸命やっておられ、実績を挙げておられる方々でありまして、私どもはこ
ういう農林漁家民宿のおかあさんにモデルとなっていただきたいという思いと、それ
から農林漁家民宿をはじめ、グリーン・ツーリズムのおもしろさ、楽しさというもの
を都会の人たちにいろいろな面で伝えてほしいという思いがあります。そういう意味
では、マスコミがいろいろな面で取り扱ってくれており、それなりの効果が出てきた
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のかなと思っております。
私どもは、いまカーナビにグリーン・ツーリズム情報を搭載するということをいろ
いろ模索しております。平成 19 年度に高知県と組んで、カーナビに農産物直売所で
すとか農家レストラン、あるいは農家民宿等の情報を搭載して、GPSを搭載してい
る自動車と搭載してない自動車に並行して走ってもらって実験事業をやったのです
けれども、やはりカーナビの威力はすごいということがわかりました。そこで、農産
物直売所にアンケート調査をかけたり、あるいは農家レストランにアンケートをした
りしていますが、これがすごく回収率がいいんです。
直売所や農家レストランの方々の期待感が回収率につながっているのではないかと
考えています。ただ、カーナビだけですべて解決するかというとそうではなくて、や
はりアナログの案内板とかそういうものと合わせて表示を活用していく必要がある
というふうにもいわれております。ただ、そこから見えてきたのは、案内板の場所と
か案内の内容とかそういうものをもう少し工夫する必要があるということです。カー
ナビとアナログの案内板とがうまく組み合わさると、非常にスムーズなかたちでグリ
ーン・ツーリズムが体験できるのではないかというふうに思います。これから自動車
の旅ということが大きな流れになっていくとすれば、カーナビによるグリーン・ツー
リズムということはしっかりとやっていかなければならないのではないかと思って
おります。とはいうものの、まだ高知県でモデル的にやっただけで全国展開まではま
だ道遠しということではありますけれども、しっかりとこれに取り組んでいきたいと
思っております。
最後にもう1つ、観光立国の一環として、観光立村、国際グリーン・ツーリズムと
いうものも実施しております。皆さんご案内のとおり「ビジットジャパン」キャンペ
ーンというものが政府の大きな政策課題として取り上げられているわけであります
けれども、私どもも国際グリーン・ツーリズム事業に取り組まさせていただいて、や
はり質の面ではグリーン・ツーリズムの意味合いというのは非常に大きいなというこ
とがわかってきました。数合わせからいうと、それは東京、大阪、京都などの「大通
り観光」によらざるを得ないわけですけれども、質的な面ではグリーン・ツーリズム
が大きいのではないかということでいろいろな議論をした結果、ジャパンブランドは
農山漁村にありということがわかってきました。そこで、私どもも「食と祭りと匠」
をジャパンブランドのキーワードとして位置づけて、外国人の皆さん方に1人でも多
く農山漁村を訪れてもらいたいというキャンペーンをやっております。いま全国で6
か所、日本語学校の学生とか、あるいは都市に在住のビジネスマンの皆さんとかを中
心に農山漁村体験をしてもらっておりますけれども、大変好評でございます。これに
は2つの意味合いがあるのではないかと思います。1つは、外国人の皆さんは意外と
日本人も知らないような日本のよさというものをちゃんと見てくれるという面があ
りまして、そういう意味では、私どもがこれからグリーン・ツーリズムを進めるうえ
での先行指標の発見みたいなところがあって、グリーン・ツーリズムにおける「黒船
効果」みたいなものが期待できるのではないかということと、それからやはり、いま
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ほとんどの人が日本の都市に来てそのまま帰っていますけれども、都市に来た人の何
割かに田舎まで足を伸ばしていただいて体験していただくと、すごく大きなグリー
ン・ツーリズムの効果も出てくるのではないかという気がいたしております。やはり
グローバル化した時代でございますので、国内のグリーン・ツーリズム事業を展開す
るうえでも、やはり国際的な視点というものもとり入れた展開が必要ではないかと思
っているところでございます。
結論的に申し上げますと、グリーン・ツーリズム事業もいよいよ変わってきたかな
いよいよ新時代になってきたかなということになります。やはりこの新時代の課題は、
地域により直接的な利益がもたらされるような、そういうグリーン・ツーリズムの展
開でなくてはならないのではないかというふうな思いを強くしているところでござ
います。そういう意味で、これから私どもも「子ども農山漁村交流プロジェクト」を
中心に、着地型旅行商品の新たなビジネスモデルの構築等々について全力を挙げて取
り組んで参りたいと思いますので、市長の皆さま方はじめ、多くの皆さま方のご指導、
ご鞭撻を切にお願い申し上げまして、お話を終わらせていただきます。
ご清聴ありがとうございました。
事例発表「宇佐市のツーリズムの取組みについて」
宇佐市ツーリズム推進協議会会長
宇佐市副市長
大 園 清一郎
氏
みなさんこんにちは。ただいま紹介いただきました、大分
県宇佐市の副市長の大園でございます。本日は大変貴重な時
間にこのような事例発表の場をいただきましたことに、心よ
りお礼を申し上げたいと思っております。本日は、宇佐市が
取り組んでおりますグリーン・ツーリズム、あるいはそれに
伴うツーリズムの取組みについて事例を発表させていただきたいと思っております。
せっかくの場でございますので、宇佐市を少し宣伝させていただければと思います。
宇佐市は九州の北部に位置しておりまして、大分県の中でも北部にございまして、瀬
戸内海豊前海に面した海岸部でございます。
平成 17 年3月 31 日に宇佐市と安心院町、院内町の一市二町が新設合併ということ
で合併いたしました。人口約6万人、面積は約 439 キロ平方メートルということでご
ざいます。宇佐市の特徴は、全体面積の約 20%が農地でございます。そして、山林
が約 60%、漁業では約 300 戸から 400 戸近くの漁民がいる漁港の町でもございます。
そういう意味では農、林、漁という3つの産業が盛んで、特に1次産業が盛んな地域
でございます。それと同時に、ご承知のように北部九州は特に自動車アイランドとい
われ、2年前に宇佐市に隣接する中津市にダイハツ工業株式会社、九州ダイハツとい
う会社ができまして、それに伴いましての自動車関連企業の立地が非常に進んでおり
まして、当宇佐市におきましても約8社の自動車産業の企業が進出いたしております。
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そのような中で、特に宇佐市について我々がいつも自負しているのは「3つの日本
一がある」ということです。そのうちの1つが、全国八幡宮の総本社であります宇佐
神宮です。それから相撲の盛んな地域で、横綱双葉山の生誕の地でございます。そし
てもう1つは、焼酎の製造量が日本一であるということです。これら3つの日本一を
私ども宇佐市は有しております。産業面からは、先ほど申しましたように1次産業の
農業が盛んであり、またグリーン・ツーリズムでは日本での先駆けといわれる安心院
地域がございます。
ここの 380 ヘクタールのぶどう団地がグリーン・ツーリズムに取り組もうというこ
とになった発端でございます。平成8年3月、旧安心院町において、グリーン・ツー
リズム研究会が結成され、平成9年3月には議会でグリーン・ツーリズム取組宣言を
しました。そして、平成 13 年4月には町の商工観光課の中にグリーン・ツーリズム
推進係という専属の係を設けてグリーン・ツーリズムの推進に取り組んできました。
そして、平成 16 年8月にNPOのグリーン・ツーリズム研究会ができ法人格を取得
したというのがグリーン・ツーリズムの経緯でございます。
グリーン・ツーリズムの内容を見ますと、農泊をということになりますといちばん
のネックは、旅館業法、それから食品衛生法の法律がかかってくるわけでございまし
て、農家については改造あるいは保健所の許可等いろいろな問題点がからんできて、
農家ではそういう問題はなかなかとらえにくいということで、県等にもお願いして旅
館業法についてはユースホステルあるいは山小屋というような感じの中の簡易宿泊
所というようなとらえ方をとっていただきました。
食品衛生法については、宿泊者が一緒になって料理をしたり、あるいは野菜などを
採ってきて一緒につくるといった体験をしながら食事をするという、とらえ方をして
許可は不要であるという特例をいただいたわけでございます。そのようなことで安心
院のグリーン・ツーリズムができあがったわけでございます。
これは要するに、農泊をすることにより、体験をしながら宿泊する。そして宿泊し
た方は会員になり、その方には会員証を渡し、
「1日泊まれば遠い親戚、10 日泊まれ
ばもう親戚」というような、感覚のもとで取組みをやっていったというのが1つのあ
り方でございます。ですから、受入をした場合には必ず会員証を渡して会員になって
いただくことが特徴でございます。
現在、この農村民泊で 50 軒の受入家庭がございます。受入家庭の特徴は、①体験
をすることが大事であるということ、②できるだけお金をかけずに泊まっていただく
こと、③食事あるいは家の形などが、1軒1軒それぞれ違うということ、④泊まるこ
とによって家庭との密着あるいは交流ができあがっていくというようなことでござ
います。
それから、現在取り組んでおりますのは体験旅行ということで、教育旅行を取り組
んでおります。平成 19 年度を見ますと 31 団体で 3,480 名の方が宿泊等で取り組んで
いただきました。
それからもう1点は、この安心院地区では、農地の取得について通常は 50 アール
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以上なければ取得はできないわけでございますけれども、30 アールで取得ができる
よう規制緩和をいただいております。平成 13 年に指定をとりまして、以後、3軒の
方に新規に就農いただいております。
また、ぶどう農家が自家製のワイン等をつくり、宿泊者などに独自のワイン等が提
供できるよう酒税特区等も申請をしているところです。
次に、ツーリズム等の実績・受入として、50 軒の受入農家で平成 19 年度は約 5,400
名の方を受け入れしております。
農家の収入単価は、1泊2日で 6,500 円程度のお金を宿泊料としていただいていま
す。教育旅行としての受入れは、関西、北九州等から中学の修学旅行生 3,000 名程度
が2泊3日程度でみえております。
市では、このグリーン・ツーリズムにつきまして、グリーン・ツーリズム推進係を
設けており、教育旅行等についてはそこで受入れをし、農家等の受入家庭の割り振り
をする取組みをしているところでございます。
3番目に「ブルーツーリズム」というものを掲げております。宇佐市には長洲漁港
という港町があり、年間水揚げが 10 億円程度ある大分県下でも一番の漁港でござい
ます。宇佐は干潟と申しますか、遠浅の海岸でございまして、ここで古式漁法「石干
見」(いしひみ:満潮の時に石積みに入った魚を干潮時に漁獲する)を行い、これを
1つの観光資源あるいはまちづくりにしようと地元の地域づくりグループが、平成
18 年 10 月にこの石干見を復活いたしました。
本年3月には、「第1回日本石干見サミット」を開催いたしまして、同じ石干見漁
法のあった石垣島、長崎の五島等との交流、関西学院大学・田和教授の講演会等を実
施したところでございます。石干見サミットの中でも、山、里、農家、漁業、そうい
うものをつなげ体験学習をしたらどうだろうかというような議題もあがりましたが、
ブルーツーリズムの推進にも取り組んできているところでございます。
4番目に、「ツーリズムのまちづくり」ということでございます。ツーリズム推進
協議会を平成 18 年 12 月に発足いたしました。宇佐市には宇佐神宮等を含めまして、
1年間に約 400 万人程度の観光客が訪れております。ところが観光客1人当たりの消
費金額は 1,600 円くらいしかなく、滞在型ではなく通過型の観光であるということが
わかります。そこで、点の観光行政をできるだけ面の観光行政にしたいということで、
いろいろな業種の方々、例えば宇佐神宮観光協会、ブルーツーリズムの方々、あるい
はそれぞれのまちづくりの皆さん方など約 31 団体に声をかけてツーリズム推進協議
会を立ち上げました。
そのなかで、合併以前の市町それぞれがガイドは持っているんですけれども、全体
的なガイド員をつくりましょうということで「ガイド研修会」を開いたり、あるいは
周遊観光をも含めるようなかたちにしたらどうだろうということで、『宇佐ナビ』と
いう観光ガイドブックの作成等々を行いました。それと同時に「山と海と一体化した
ものにつくりあげようということで、山をきれいにして、山を生き返らせることによ
って、海も魚が採れるようになる」と訴える岩手県在住の畠山先生の講演会を催した
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りしています。このツーリズム推進協議会は、発足して1年でございますけれども、
今後、ここあたりを中心にしながら、取り組んでいきたいと考えているところでござ
います。
このような中で、今後の問題点としては、本当にグリーン・ツーリズムを商品化し
ていくのがいいのかどうかという問題点がございます。特に長崎県の松浦でのツーリ
ズムは体験型というものに1日 2,000 人の集客を目標に取り組んでいるということで、
その中で、例えば宿泊料についてはちゃんとした宿泊料をいただこうじゃないかとい
うふうな取組みを行っております。我々グリーン・ツーリズムやブルーツーリズムに
ついても、そのあたりを十分視野に入れながら、今後はそちらの方向に動いていくべ
きなのか、それとも安い金額といういまのかたちの中で商品化しながら取り組んでい
くべきなのかについて考えていかなければならないのではないかと思っております。
同様に、体験学習で問題になるのが、例えば修学旅行といいますと、学校の教育方
針とかがありますので、そのあたりを十分協議しなければ体験のあり方(例えば農泊
の体験と漁泊の体験,あるいは平和教育等の体験等)をめぐって学校側とトラブルに
なりかねない可能性がございます。したがって、今後広く取り組めば取り組むだけ問
題がでてくるようでございます。
先ほど斎藤先生のお話の中にもありました「農漁村民泊かみさん百選」の中の1人
に宇佐市のグリーン・ツーリズムに取り組んでいる農泊の方が選ばれました。安心院
の農泊にはそれぞれ名前がついていて、例えば今回百選に選ばれた方は『百年之家と
きえだ』ですが、他の屋号をあげると『昔ばなしの家』、
『むろや』、
『星降る高台の家』
など、農泊の名前はそれぞれの家の特徴でついております。
グリーン・ツーリズムについては、ちょうど過渡期にきておりますし、「子ども農
山漁村交流プロジェクト」についても申請中でございまして受け入れの方向で取り組
んでおります。ツーリズム推進協議会の中で、各種まちづくり団体等の体験を幅広く
とり入れる体制を整えているところでございます。いろいろな問題点も今後考えてい
かなければと。またツーリズム協議会にも若干期待もいたしておるところでございま
す。
貴重な時間をいただき、そしてまた少し早口でお話しいたしまして、わかりにくか
ったのではと思いますけれども、以上で実践の事例発表を終わらせていただきます。
大変ありがとうございました。
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【第4回研究会】
都市と農村の協働の推進に向けて
農林水産省農村振興局農村政策部
都市農村交流課長 田野井 雅
彦
氏
ただ今ご紹介いただきました、農林水産省都市農村交流課
長の田野井でございます。本日はこのような席にお呼びいた
だきまして、我々の仕事の一端をご紹介させていただけると
いう点で大変ありがたく思っております。
この都市農村交流課というのは今年8月1日の組織再編でできた課で、その前は、
都市と農村の交流の関係は農村政策課の中でやっていました。その農村政策課は、都
市農村交流とかいろいろと仕事が多くなった関係で、8月1日に都市農村交流課とい
うかたちで中身が分かれ、このような「都市と農村の協働」という新しい政策テーマ
に関する企画立案というのは農村計画課の方に移りました。しかしながら、私、前の
農村政策課でこの研究会、それからこの協働の研究会の前に実は少し伏線がありまし
て、そちらを担当していた関係で、今回、お話があったときに、おまえ行ってこいと
いうことになったわけです。
そういう点で、今日も基本的には「都市と農村の協働の推進に関する研究会」のと
りまとめについてご説明いたします。今年の4月から7月にかけて有識者の方々にい
ろいろとご議論いただいてまとめた内容ですが、その前段と言いますか、伏線の方も
含めて簡単にお話ししようかと思っています。
お手元には、スライドのコピーをしたものと、報告書本体とりまとめもお配りして
いるかと思います。そちらを適宜、ポイントを絞って紹介させていただきたいと思い
ます。
そもそも、このような都市と農村の協働ということを検討した背景といたしまして
は、その前段として、一昨年ぐらいから世の中に「ソーシャル・キャピタル」という
言葉が、特に霞が関界隈ではやり出しました。ソーシャル・キャピタルとは何かと言
いますと、資料9ページを開けていただきますと、私ども農村振興にかかわりだした
のが一昨年の4月からです。そのときにいろいろな優良事例とか、さまざまな事例、
あるいは地元の方といろいろお話ししていて、地域の、あるいは農村の振興において
何が大事かというとやはり人だというお話がありました。
それで、最近の問題として「限界集落」という言葉も出てきておりますが、集落の
衰退とか崩壊とか、そうしたものも非常に問題であるということも聞いたということ
で、従来日本の農業政策というのはかなり農業集落の、我々集落機能と言っておりま
すが、そういう集落が持つさまざまな合意形成機能とか、協働機能、そうしたものに
非常に大きく頼ってきたと言いますか、依存して政策が進められてきたのかなと思っ
ております。
それが近年の高齢化あるいは人口減少等によりまして、そういう集落の機能が衰退
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しているということ、それが非常に農村の振興においても、さまざまな施策を進める
上でも、うまくいきにくい原因になっているのではないかという問題意識から、一昨
年 12 月から昨年の6月にかけて、これも有識者による会議で検討をしてみました。
それではそもそも「ソーシャル・キャピタル」とは何かというと、ここに少しあり
ますが、実はこの「ソーシャル・キャピタル」という言葉自体はもう 100 年以上前か
らあります。特に最近、1995 年に、ここに書いてあるロバート・パットナムという
アメリカのハーバード大学の政治学の教授で、『ボウリング・アローン』という論文
を書いて有名になった方ですが、この『ボウリング・アローン』というのは何かとい
うと、1人でボウリングをするというように訳されていますが、アメリカ人はボウリ
ングが大好きだというのは皆さんよくご存知かと思います。ボウリング人口が減って
いるわけではないのですが、ボウリング場の売上は落ちています。それはなぜかとい
うと、昔はボウリングをやるのに、友だちや家族と一緒に、大勢で来てみんなでわい
わい言いながら、一緒にピザを食べたりビールを飲んだりしながらボウリングをして
いました。ところが最近のボウリングをする人は1人でやってきて、1人でもくもく
とボウリングをやってさっさと帰られます。したがって、ボウリング場ではピザとか
ビールという副次的な売上が非常に減ってしまったという現象から、これは一番典型
的な例なのですが、アメリカのコミュニティが衰退しているのではないかということ
を唱えられ、それが世界的に非常に反響を呼んで、そこからコミュニティというもの
を「ソーシャル・キャピタル」、直訳すれば「社会資本」なんですが、社会資本と言
ってしまうと橋とか道路のようなインフラストラクチャーと混同されるので、「ソー
シャル・キャピタル」とそのまま片仮名で言っております。そうしたものが衰退して
いるのではないか。パットナム教授の定義によると、「ソーシャル・キャピタル」と
いうのはここに書いてありますように、「協調的行動を容易にすることにより、社会
の効率を改善し得る信頼、規範、ネットワークのような社会的組織の特徴」と、少し
難しいですが、キーワードで言えば、まさに「信頼」とか「規範」とか、「ネットワ
ーク」とかそういうことになります。翻って日本の農村を見てみれば、集落の中での
協調的行動、特に水田農業の歴史を持つようなところは、そうした農作業を通じて
日々の作業自体を協働でやる、日々の生活に関しては相互扶助がある、お互いの信頼
関係があるといったような特徴を持っています。そうした点から、やはり日本の農業
集落というのは非常にソーシャル・キャピタルが豊かではないかというようなことを
考えました。
ところがそのソーシャル・キャピタルが今だんだん落ちてきていることから、非常
に活力もなくなり、合意形成能力もなくなり、いろいろな意味で問題が起こってきて
いるのではないかというように考え、そうしたものを政策の中でどのようにすればい
いのかということをこの研究会では考えました。
10 ページを開いてください。
日本の農業政策との関連でわかりやすく言えば、例えば土地改良事業には必ず土地
改良法に基づいて同意取得、3分の2同意というのがあります。それから、おそらく
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今日ご参加の各市のほとんどのところで行われているかと思いますが、中山間地域の
直接支払、これも集落で協定を結んでいただくことになっています。これはやはり集
落の合意形成機能というもの、それから集落での共同作業と言いますか、集落機能を
活用して、こういう施策をやらせていただいているというところがあります。
それから、「農地・水・環境保全向上対策事業」に多くの市で取り組んでいるかと
思いますが、これもやはり活動組織というものをつくって協働でものごとを行うとい
うことで、この施策をつくっております。
それから今年度から始めました、「農山漁村(ふるさと)地域力発掘支援モデル事
業」では、
「地域力」という言い方をしていますが、これなどもまさに、ソーシャル・
キャピタルを高めるためにやりましょうというような事業なのです。
だから農村で合意形成をして一緒にやるという、そういう地域の力といったものが
高いか低いかによって、こうした事業がうまく進むか進まないかというのが非常に端
的になっていたわけです。
翻ってみれば、例えば従来の生産調整などはたぶんその典型だと思いますが、やは
り地域、地域の合意形成というものに農政自体も頼ってきました。あるいは地域の合
意形成力があるということを前提に農政も進めてきたというところがあるかと思い
ます。
ところが地域の合意形成力、ソーシャル・キャピタルがやはり低下してきたという
ことを受けて、実は緑の点線で囲っている下2つの事業(「農地・水・環境保全向上
対策」、「農山漁村(ふるさと)地域力発掘支援モデル事業」)などは、多様な主体、
地域以外の都市住民の方とか NPO とか、そういった方々が入って、新たなソーシャ
ル・キャピタルをつくり直すと言いますか、そうしたものを条件にしている事業を近
年は進めております。というのも、これから説明いたしますが、結局、今の農村振興
において、うまく活性化しつつあるところとなかなかうまくいかないところの差はど
こにあるのかというと、それだけではなく、また、唯一ではありませんが、1つのポ
イントとしては、やはり外からの新しい力を入れているかどうか、あるいは外からの
目で見て自分たちのソーシャル・キャピタルを変えているかどうかというところが非
常に大きく作用しているわけです。
ソーシャル・キャピタルというのは、もちろん社会が効率的に動くようにという意
味ですからプラスの意味なのですが、他方、昔の農村には閉鎖的世界と言いますか、
村八分という言葉とかいろいろありますが、農村はある意味、内側で固まって結束力
が高いということがあり、昔の社会の効率性という点ではよかったわけです。しかし
ながら、今そうなってくると、逆にそれがむしろマイナスになってきます。何か外へ
新しいことをやって活性化を図ろうと思っても、なかなか自分たちのよいものが何か
わからない、あるいは外からのアドバイスをなかなか聞き入れたくないというような、
ネガティブな面が障害になっている場合が多々見られます。こうした点で、まずそも
そものソーシャル・キャピタルが大きいか小さいかという点、それから、新しい目を
入れられるかどうか、それによって新しいソーシャル・キャピタルをつくれるかどう
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かというところが、農村の活性化にとって非常に大きなポイントになるのではないか
なと思っております。
今日私の後で講演される羽咋市の高野さんも、実は私どもの「立ち上がる農山漁村」
という、これは全国で活性化している先駆的事例を選定する事業ですが、そこで昨年
羽咋市の事例を選定させていただきました。高野さんも一度市の外に出られてまた戻
られたということで、我々から見れば新しいアイデアを持ってこられて、新しいソー
シャル・キャピタルを形成されたと思っています。
そうした例を見てまいりますと、農村振興が難しいのは、国として一概に、全国一
律にこうしなさいというわけにはいかないところにあります。全国一律ではうまくい
くわけがなく、そこは地域、地域でお考えいただくところが多いのです。そのため国
としては、こうした事例紹介を行い、広げていこうとすることを1つの大きなポイン
トとして、この研究会を行いました。
これを受けて、次の段階として昨年の 10 月から 12 月に、「農村振興政策推進の基
本方向」研究会で検討を行いました。資料の4ページです。
農村振興というのは実は皆さんご承知のように、平成 11 年の「食料・農業・農村
基本法」という新しい基本法に、ようやく農村の振興が農政の基本理念の4つのうち
の1つとして入ったものです。したがって、農水省ではコンセプトとしては割と新し
い分野のものであることから、それを今後どうしていくかということを検討いたしま
した。各市長さん方はむしろ地方都市に当たるかもしれませんが、国交省などは人口
減少等に対応するため、地方都市についてはコンパクトシティ化を提唱していました。
そうなると、都市はコンパクト化しても周辺は残るので、その周辺は誰が守るのか
というと、やはりこれは農村が守らなければならない。また、農村は簡単にコンパク
ト化するわけにはいかないので、どうしてもその周辺部分までを含めて守らなければ
いけない。そうすると、人口が減少していく中で何をしていくかというと、やはり1
つはコミュニティの再編ということになります。すでに皆さんご承知のように、例え
ば京都府の旧美山町とか、あるいは広島県安芸高田市の旧高宮町とかで、旧村単位で
自治会が合併して振興協議会のようなものをつくっている例があります。そうしたコ
ミュニティの再編をして、やはりもう1回コミュニティを見直して力を合わせてやっ
ていくやり方と、もう1つは、やはり都市部の人間、これは地方都市、大都市両方の
さまざまな人間だけではなく、NPO、大学、企業というさまざまな主体の力を借りて
振興を図っていくことを考えざるを得ないのではないかということをここで打ち出
しています。
ここで「ネットワーク化」とか、「協働」という言葉を使い、キャッチフレーズと
しては、こういう集落間の連携、都市との協働による自然との共生空間の構築を打ち
出しました。
これのフォローアップとして、本年4月から7月まで「都市と農村の協働の推進に
関する研究会」で検討いたしました。少し長くなりましたが、それをまずベースとし
て頭に置いていただければと思います。
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3ページお願いします。
それでは、今まで都市と農村の関係をどのように考えてきたかと言いますと、実は
平成 14 年1月、これは食料・農業・農村基本法が平成 11 年に成立し、食料・農業・
農村基本計画が平成 12 年に決定され、それを受けて今後どうするかについて有識者
を含めて検討いたしました。そこでは、ここにある「『都市と農山村の共生・対流』
を実現」というようなかたちを打ち出しています。現在、農水省では「共生・対流」
ということをさまざまなところで言っておりますが、その「共生・対流」というのは
ここから出てきました。そのときに言っている都市は非常に一般的なものであり、主
に個々の住民を念頭において都市と表現してきたと理解しております。
ところが、先ほど言いましたように、いざ検討していきますと、単に都市と言って
も誰がとなると非常に行動様式とか関心が違うわけです。そうしたことを受けて、後
ほど実例もご紹介いたしますが、実際にそうした例も出てきておりますので、昨年や
りました基本方向のとりまとめでは、
「共生・対流」というものを1歩進めて「協働」
といたしました。これまではどちらかというと都市住民の方をお客さん的にとらえ、
地域のマネジメントまで一緒に考えていただこうとは思っていなかったわけです。今
後はやはりそうしたものについても一緒に考えていただけないかということで、「都
市との協働」という見方をいたしました。
しかも、具体的には単に住民とか個人のレベルではなくて、NPO、大学、企業など
の主体ごとにそれぞれ考えて、対等なパートナーシップを形成するという言い方で、
具体的な組織ごとに都市をとらえていただきました。そうした点で、私が個人的に一
番大きいと思うのは、少し手前味噌になりますが、この研究会の報告がこれを分けて
考え、整理したということが非常に大きな成果ではないかと思っています。
ここからは、どのような実例があるのかということを簡単にご紹介いたします。
ここに紹介しているのは主に先ほど申しました「立ち上がる農山漁村」とか、我々
がいろいろな機会を得て知った、あるいは情報を得たものの中から紹介しております。
例えば1つの NPO です。これは私が言うまでもなく皆さんのほうがよくご存じだと
思いますが、最近では NPO が非常に活躍しており、農村振興の中でも活躍している
例が多くなってきています。その代表的なものとしてはここにある「NPO 法人アサ
ザ基金」があります。「アサザ」とは池などに生える水草の一種で、水質浄化に非常
に影響を与えるものです。霞ヶ浦という茨城県の大きな湖で、アサザを再生してきれ
いな水辺を再生させようという活動をしてこられた「NPO 法人アサザ基金」に、NEC
(株)が協力し、さらに地域住民も一緒になって地域の環境再生を行おうとするもの
です。このプロジェクトでは谷津田の再生から酒米プロジェクトなどを一緒に行って
いますが、もともと NPO が活動をしており、事業実績をあげた NPO からの提案に
対し、企業(NEC(株))が応じたものです。NEC(株)としてはものづくりに対す
る社員教育、それから何らかのビジネス・シーズと言いますか、ここに若干商売のネ
タを期待しているとも聞いています。
それからもう1つの例は、アストラゼネカ(株)というイギリスに本社がある外資
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系の会社です。この会社は小売販売を主にしているのではなく、基本的には業務用の
薬を作っておられます。同社では3年前から年に1回、日本法人の全社員約 3,000 人
が一斉に休暇を取り、全国の棚田とかいろいろな地域の農村へ行って収穫作業や草刈
りをボランティアでやっています。社長以下全員がやっておりまして、その日を
C-day と言って、今年はついこの間の 10 月7日、新聞に少し出ていましたが、10 月
7日に全国 55 か所で農作業等を行いました。ひょっとしたら今日ご参加の市の中で
もその現場があったかもしれません。
このアストラゼネカ(株)という会社はロンドンの本社自体が CSR 活動を実施し
ています。CSR とは最近のはやり言葉で、
「コーポレート・ソーシャル・レスポンシ
ビリティ」といます。翻訳すると「企業の社会的責任」となります。現在、企業に対
し、市民として社会貢献をすることが求められており、そのためにはどのようなこと
をして社会貢献をしていくかが、企業の中では非常に大きな課題になりつつあります。
CSR というのは非常に定義が広く、いろいろな定義や概念があるため、一概に言
うのは難しいのですが、例えば法令をしっかりと遵守することも CSR の一環である
と言われておりますし、むしろ日本企業では法令を遵守することに CSR としての優
先順位を置いているところが多いようです。また、ほとんどの上場企業に CSR 担当
部局が設置されていますが、こうした社会貢献というか地域貢献の形にまでなってい
るところはまだ少ないと思います。他方でメセナ事業のようなかたちで環境活動や文
化活動を行っている企業はかなりあります。
このアストラゼネカ(株)は、日本全国の支社も含め社員約 3,000 名をどこかの農
村で農作業等に従事させたいと考え、東京都社会福祉協議会からできた団体である
「東京ボランティア・市民活動センター」に相談を行い、この東京ボランティア・市
民活動センターが NPO 法人棚田ネットワークに相談をして、今の活動につながった
ものです。このような企業が何かしたいということに対して、NPO がコーディネー
ターとして機能し、社会貢献活動が始まったという例です。
それから、次に大学と農村の協働ですが、大学も今非常に大きな農村振興の担い手
になっています。その1例として、青森県平川市(旧尾上町)の農家にある蔵が観光
資源として利用されていますが、その際に、弘前大学農学生命科学部地域環境工学科
と八戸工業大学工学部建築工学科が協力いたしました。弘前大学が蔵の保存のための
蔵マップの作成に協力、さらに八戸大学が文化財登録のための調査に協力いたしまし
た。これは大学にとっても研究材料が提供されるわけですから、双方にとって非常に
メリットがあったという例になります。
それから栃木県の作新学院大学では、地域住民が地域の活性化を図るために、何を
したらいいかということを考える際に、同大学の学生たちがその地域へ出掛けて行き、
住民と一緒にワークショップを行います。学生と地域住民が一緒になって地域の課題
を考え、計画を作り、それによって地域のやる気が非常に出ているという実例です。
次は企業と農村の協働による技術開発の1例です。これは今非常に有名になってい
ます。北海道の江別製粉(株)と「江別麦の会」とが「ハルユタカ」という味はいい
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けどなかなか加工が難しいという小麦を、企業と一緒になってラーメンとか小麦製品
を開発してブラント化したという実例です。これは経産省と農水省が一緒になって実
施している「農商工連携 88 選」の中の1つにも選ばれています。企業メリットと農
家、それから地域全体のメリットがうまく合ったという実例です。
それから次は環境がらみです。ソニーセミコンダクタ九州(株)という半導体工場
のことですが、半導体工場は地下水を大量に使用します。この半導体工場を熊本市の
郊外に造ろうという計画がされたときに、地元の NPO「環境ネットワークくまもと」
から同社に地下水保全などの環境に関する公開質問状が出され、会社側もそれに対応
しました。その議論の中で、結局地下水に影響を与えるのであれば、水田を通して地
下水を補充してもらうということで、会社側が冬期の水田湛水に 10a当たり1万
1,000 円を支給し、地下水を補充するというものです。さらにこれがきっかけとなっ
て、企業の社員が地域のお祭りに参加したり、あるいは企業がその田んぼで採れたお
米を買い上げて社員食堂で使うといった協力関係ができた実例であります。
最後に4番目のパターンとして、新たなソーシャル・キャピタルの形成と書いてあ
りますが、先ほども言いましたように、和歌山県の那智勝浦町色川という何もないご
く普通の半島の先の山の中の集落のことです。このままでは地域が崩壊する、このた
め外から人を受け入れるしかないということで積極的に外から人を受け入れ、地域の
人もよそ者だということは言わずに、同じ地域の人間としてどんどん付き合いをしま
した。そうすると最初に入ってこられた5名の方が、また都市住民を呼び込むという
役目を担い、現在の人口は 135 人ですが、この人口の 25%がUターン、Iターン者
であるという実例です。これは先ほども言いましたように新しいソーシャル・キャピ
タルをつくった典型例であります。
それからもう1つは、東京都板橋区にある「ハッピーロード大山商店街」という、
店舗数は約 200、全長1㎞に及ぶ非常に大きな商店街のことです。この商店街が今や
っているのは何かというと、空き店舗に全国の 12 市町村の産品を置いて、
「とれたて
村」といういわばアンテナショップのようなものをつくったことです。本来はそちら
が先だったのですが、毎週末に全国各地からイベントを招致して商店街の空き地で開
いたところ、今では商店街の人通りが非常に増え、売上も伸びました。さらに、大山
商店街に来て買い物をするだけではなく、買い物客を連れて地方訪問や生産者との交
流をすることにより、次の交流を生むということから、第 2 回東京商店街グランプリ
の活性化事業部門のグランプリを受賞されております。また、私も「立ち上がる農山
漁村」で何度もお付き合いをさせていただいております。それから、余談になります
が、先月でしたか、テレビ東京の「カンブリア宮殿」という番組において、地方と結
びついた商店街活性化ということで取り上げられていました。
我々はこうした例を見て、それでは具体的にこうした取り組みを理屈として少し整
理し、何とか政策的にやっていけないかということを検討したということです。
11 ページをお願いします。
その次に、SWOT、「スウォット」とか「スワット」とか読む表があります。こま
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ごまと書かれているので、後ほどゆっくりお読みください。ここで何をしたかという
と、農村、NPO、大学、企業などが、お互いにどうしたら関係付けられるか。そうい
う点で、この SWOT というのは企業の戦略分析などで使われる手法なのですが、S
というのは Strength(強み)、Wというのは Weakness(弱み)です。まず内部要因
としての強みと弱みです。次に外部要因としてのOというのは Opportunity(機会)、
T というのは Threat(脅威)です。そうしたものを整理して、お互いの強みをどう
生かし、弱みをどう克服するかということを考えます。
ここで私たちが考えたのは、農村の強みと弱みです。これに対して都市側の NPO、
大学、企業の強み、弱みをどう組み合わせれば、農村の強みを生かして何が都市側に
できるのか。農村の弱みを都市側の強みでどうカバーできるのかということを考えま
した。
それともう1つは外部要因としてどんな風が吹いているか。いわゆる機会です。例
えば農村に対していえば、いわゆる「スローライフ」とか「ロハス」とか、今、国民
の農村に対する関心は非常に高まっています、なかなか踏み出せませんが関心は高ま
っています。それから「グリーンツーリズム」とか「6次産業」だとか、そうした成
功事例もぼつぼつ出てきています。さらに、歴代内閣も活性化、活性化と言って、さ
まざまな施策を打ってきています。それから、中国産冷凍餃子問題などさまざまな問
題により輸入農産物や食品に対する不安が出てきたことから、国産が見直されていま
す。こうしたことからも、今、非常に追い風が吹いています。
前のページに戻ります。
それに対して、例えば NPO の持つネットワークの強みや自由な立場、また大学の
豊富な知識、企業の持っている人、もの、金などをどうしたら生かせるのかというこ
とを考えてみました。
ただし、NPO や大学にも共通していますが弱みはもちろんあります。特に大学と
企業で共通しているところが多いのですが、やはりなかなか農村への入り方がわから
ない、農村との付き合い方がわからないということです。
それから企業などは、何のためにするのかという目的がはっきりしないとなかなか
踏み出さないということがあります。大学にはもちろん教育の一環としての目的があ
るわけですが、企業ではやはり何のために農村と協働するのかという点の意義付けが
非常に重要となります。先ほども言いましたように、CSR といってもやみくもに行
うわけではないのです。何だかんだと言いながら、何のために社会貢献をするかとい
うと、最終的には企業として何らかのメリットがあるからやるのです。一番いいのは
経済的なメリットがあるということですから、それをどのように農村の活性化と結び
つけるかというのが大きなポイントであると考えております。
次に、大学は今、国立大学が独立行政法人化して、いわば独立独歩を強いられてい
ますから、逆にいえば大学は農村を研究対象あるいは教育の場として非常に重視して
いると私は見ております。
後で言いますが、現にそういう事例も増えてきていますし、学生の関心も非常に高
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くなってきています。ちなみに、今日の資料の中には入っていませんが、内閣府が平
成 17 年に実施した、定住とか二地域居住に関するアンケート調査では、50 代、60
代のいわゆる団塊の世代、あるいは退職間際の人たちは農村に関する関心が高いので
すが、それとともに 20 代でも関心が結構高くなっています。20 代から一度、30 代、
40 代は関心が落ち、50 代、60 代でまた上るということになっています。若い人たち
は農村に非常に高い関心を持ってくれています。そうした人たちをどのように活用す
れば、先ほど言ったように農村の弱みを補えるか、あるいは強みをもっと活用できる
かということについては次のところで説明したいと思います。
13 ページをお願いします。
次にやったのは、NPO をそれぞれ型で分類してみました。ここでは「直接型」、
「間
接型」、「コーディネート型」の3つに分けます。NPO、NPO と言ってもそれぞれ活
動のタイプ、活動の目的、活動の場所などはさまざまです。そうしたものをひとまと
めにして、具体的にどうすればいいのかということを政策上考えるのは難しいことな
ので、実際に活動している NPO の実情を見ながら分類してみました。その分類ごと
に対応を考えます。私が思いますには、これは単に施策だけではなく、農村側も自分
たちと協働する相手、NPO、大学、企業のパターン分けをしていますが、そうした相
手がどんな性格特徴を持っているのか、どんな目的を持っているのかという点を整理、
分類し、その相手に応じた戦略を立ててみる、あるいは逆に自分たちの戦略に合った
相手を探すということも必要になってくるのではないかと思っています。
実際、この分類はあくまで大まかなパターン分けです。具体的な1つの主体、NPO
とか企業は複数の性格を持っている、あるいは中間的な性格を持っていることもあり
ますことから、そういう点では非常にファジーな分析でありますことをお断りしてお
きます。
ここにありますように、直接型は農村に近くて、農村の課題を解決するという意味
で直接的ということです。間接型はどちらかというと都市に近く、むしろ都市住民の
関心の解決を農村に求めると言いますか、農村で求めるというか、そうしたタイプで
す。コーディネート型というのは、先ほども「東京ボランティア・市民活動センター」
のことを紹介しましたが、都市と農村、あるいは企業と農村を仲介するというコーデ
ィネート型というところもあります。
このため、先ほど出てきた事例で分類すると、これは研究会での議論ですから絶対
的なものではありませんし、私はそうは思わないというところもあるかもしれません
が、例えば、
「アサザ基金」とか、尾上蔵保存の NPO 法人なんかは直接型に近いよう
です。特に尾上などはもともと地元での活動から NPO 化されたものですから、非常
に直接型に近いものです。アサザ基金などは自分たちで活動もされていますが、NEC
(株)と地域との仲介などもされていることから、若干コーディネート型のところに
位置付けてみました。それから「棚田ネットワーク」とか、「環境ネットワークくま
もと」などは、もともとの関心は都市側の関心、環境問題を仲介するかたちですので、
コーディネート型の様相を持っています。また、「東京ボランティア・市民活動セン
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ター」などもむしろ、自分で活動するというよりは仲介ということを中心的にやって
いることからコーディネート型になります。
こうしたものの定義として、直接型 NPO は、もともと農村住民や移住者の方、ま
さに農村に住んでいる方の関心から話が始まり NPO 化したというようなパターンが
多いことから、その活動範囲も主に農村に限られているようです。こうした場合、ど
のような特徴があるかというと、結局そうした活動では自主財源が乏しいため、補助
金に頼りがちということになります。加えて、農村内で自己完結していることから、
都市部にそうした活動が伝わりにくいという点があるというような分析をしていま
す。
他方、間接型 NPO は逆に都会で活動していることから、例えば食や環境とかを目
的に活動しています。このため、範囲としては非常に広く、また都会にいることから
資金も割と集めやすいということがあると思われます。
また、これは一概には言えませんが、環境でも食でも農村だけの問題ではないこと
から、農村側が都市に向ける期待に比べ、都市側の農村に対する関心はそんなに高く
ないというような分析もしています。つまり、非常に農村に関心の高い間接型の NPO
もあればそうではないところもあるということです。
それから3つ目のコーディネート型ですが、先ほども言ったように、マッチングと
言いますか、都市部の主体と農村部の主体をマッチングするコーディネート型が最近
出てきております。
これも後述しますが、このコーディネート型というのが今後非常に重要なのではな
いかと思っております。なぜなら、都市側も農村側も結局何をしたらいいのかわから
ないというのが正直なところです。農村側に最初から目的をしっかりと決めたリーダ
ーがいれば、実はそんなに我々の出番はないわけです。何かやりたいし、やらなけれ
ばいけないと考えますが、何をやったらいいのかわからないという声をよく聞きます。
これは先ほども言っていた都市側の人間にも当てはまることで、関心はあるが何をし
たらいいのかわからない、あるいはどうしたらいいのかわからないという人が結構多
いわけです。このため、こうした方々に対し、何がしたいのですかと聞いても、「よ
くわからない、でも何かしなければならない」という感じはお持ちのようです。こう
した方々はやはりしっかりとコーディネートをしなければなかなか実行に移れない
ので、そうした点でコーディネート型は今後非常に重要になると思います。
それから大学ですが、先ほども言いましたが、国立大学は独立行政法人化されまし
た。やはり自分で研究課題や学生を集めなければいけないということで、大学の関心
は非常に地域に向いております。特に地方の国立大学は大都市の大学と同じことをし
ていたのでは学生が集まらないということで、学部の名前を変えることがはやってい
ますし、地域のコミュニティとか地域経営など地域のことを考える学科や講座が増え
てきております。
実際、地域との連携を図る交流センターとか、そうした部署をつくる大学が増えて
きており、報告書の本文の 14 ページには地域貢献推進室とか地域連携推進センター
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といった大学における地域連携拠点の例もいくつか挙げております。
こういうかたちで特に地方大学は地域に貢献しようという姿勢が非常に明確にな
ってきております。したがって、今後連携先としては有望ではないかと思っています。
その一方で大都市型大学。わかりやすいのは東京6大学とかあるいは関西にもあり
ますが、こうした大学でも農学部に限らず、工学系、社会学系、あるいは経済学系と
かで農村を研究の対象としております。その要因としては、地域に対する学生の関心
が高まりつつあるのだと思います。例えば一橋大学商学部、関西大学環境都市工学部、
あるいは慶応大学環境情報学部などでは、大学の教授や准教授が地域のことに関心を
もっているため、地域を研究材料とする例が増えています。また、聞くところによる
と、早稲田大学などの授業では農山漁村における実習が組み込まれており、教養課程
の1つとして単位を与えています。なお、こうした取組みを行う大学も増えてきてい
るという状況にあります。
したがって、こうした大学の力といいますか関心をうまく取り込んでいくことが、
今後農村振興の大きな力になるのではないかと思っています。
次に企業ですが、企業もいくつかのパターン分けをしています。複雑なのでこまご
ま言いませんが、18 ページの下にまとめております「直接型」と「間接型」に分か
れます。直接型というのは農業・農村に直接かかわりがある産業、例えば食品産業な
どが該当します。それから建設業なども地域という意味では直接型と言えるかもしれ
ません。他方で先ほど例を示した製薬会社とかあるいは NEC(株)などは直接には
関係がないので間接型ではないかと思います。
そうしたものを、例えば企業規模、所在地、業種・業態で分けてみました。そうす
ると中小企業は主に直接型に該当します。一方、大企業は間接型に該当します。それ
から中小企業と地場企業は必ずしも一緒ではないと思われますから、地場企業という
のは直接型に該当し、大都市に本社がある会社は間接型というふうに分かれると思い
ます。それから、食品産業、建設業、やはり農業にかかわりがある企業、影響が大き
な企業、さらに消費者と直接的にかかわる企業はやはり直接型となり、それに該当し
ないところは間接型と大きく分けています。
16 ページを開けてください。
それでは直接型企業というのはどんな感じかというと、一般的には直接農村に関係
があることから、企業がどのようなことで協働してくれるのかというと、基本的には
自分たちの活動について地域がどう評価するかということになります。要するに、企
業イメージの向上が図られることが非常に大きなインセンティブになりますし、結局
それが社会、地域からの信頼を得て自分たちの商圏、商売の地域を確保することにな
ります。それから、会社に対する社員の忠誠心を向上させ、誇りを持たせるというこ
ともあります。それから、直接的には原材料の確保とかビジネス・シーズの確保とい
ったものにつながるというようなことが考えられます。
その一方で、地域貢献とビジネスが非常に一体的なことから、場合によっては地元
対策という言い方でとらえられる可能性もありますし、社会的課題の解決よりは商売
- 54 -
のためという認識を持つ場合もあることからプラスマイナスの両面があります。ただ
し、一般的に協働をするということは、やはり地域とともに進むという企業が多いは
ずですから、協働をするというインセンティブは非常に高く、また、持続性も高いと
分析しております。
他方、間接型はどちらかと言えば物理的にみても精神的にみても農村とは遠いとこ
ろにある企業のタイプなので、イメージ向上は当然考えるものの、何か商売をすると
いうメリットよりは、社員の能力養成とか一体感の醸成、それから社員が農山漁村に
行って楽しく1日を過ごすといった福利厚生の一環として考えるところが多いと思
います。したがいまして、協働についてはどちらかというとボランティア的にとらえ
るところが多いのではないかと分析しています。このため、間接型は直接型に比べ、
持続性とかインセンティブとかがどうしても低いと思っております。こうしたタイプ
によって、その対応は自分たちがどのようにしてかかわっていくのかということを考
えていかなければならないとお願いします。
19 ページをお願いします。
このような間接型企業の場合はもともとボランティア色が強いことから、最初は、
ボランティア色が強いものから始め、徐々に展開していけば企業も儲かるし、地域も
活性化するという方向にもっていくことが必要であると思っています。
結局、企業は株価上昇や収益比率の上昇など最終的に利益のかたちにもっていかな
いと、社会貢献自体も持続しないということが明白なことから、どのようにしてそう
した点にもっていくのかということがあります。地域がそのようなことまで考えるの
かといわれるとそれはなかなか難しい問題です。もちろん農村側が企業の利益を考え
る必要はないのですが、それでも農村側が企業の利益につなげるためには何ができる
のかということを考えていかなければ、企業側から農村振興や農村活性化に対して協
力をしようとする動きはなかなか出づらいのではないかと思っています。
他方、地場企業とかあるいは本業が農業、農村に関係のある企業は最初から協働し
てくれますので、協働の開始点は非常に本業色の強いところにあります。その典型例
ですが、2、3週間前に読売新聞だったか農業機械メーカーの(株)クボタの全面広
告が出ていました。それは同社が募集した全国の耕作放棄地の解消等に向けて、農業
機械とオペレーターの提供を通じて支援する「クボタ e プロジェクト」の募集結果を
発表したものです。また、小学校が主催する農業体験野外学習を支援するというもの
でした。私から見れば(株)クボタはやはり農業機械とか農業資材をつくっている企
業ですから、農村の衰退が社業の衰退にもつながることから、ある意味では当然なこ
とだと思うのですが、直接型の企業というのはこうしたことをやります。それは当然
なことですが本業のメリットにつながるというわけです。最初はボランティア色の強
いところでも、こうしたことによりメリットがあることがわかれば、多少なりとも本
業色の強いところが出てきて、財政的な支援をすることになると思います。私がこん
なことを言うのも何ですが、今後、行政が従来のような多額の財政支援を継続するこ
とは非常に難しいと予想しています。
- 55 -
そういう状況の中で、経済の流れの中から農山漁村がはじき出されないようしなけ
ればならないわけですから、そのためには企業を巻き込み、企業のお金をうまく使う
ことを考えなければいけないかなと思っています。これは余談になりますが、農山漁
村の人口は減少したとはいえ、まだまだ日本の人口のかなりの部分を占めていますし、
中山間地域の面積は4割と相当ありますことから、農山漁村が束になってかかってい
けば、企業に対して相当なプレッシャーをかけられるのではないかと思っています。
だから農村側が協働を提案する場合に、まず1つは相手の特徴に応じて協働内容を
選択するということが大事です。誰でも彼でもいいというわけではありません。むし
ろ、私の気持ちとしてはやはり農村側から狙いを定め、こういう企業に協力をさせて
やろうというぐらいの思いで戦略を仕掛けてもらえればと思います。それともう1つ
は協働が企業側に対し、何らかのメリットをもたらすということを示さないと、企業
側はなかなか出てこないと思います。あまり例えとしてはよくないのですが、空を見
て雨が降らないと待っていてもやはり雨は降りませんが、火を炊いて雨乞いをするこ
とには意味があります。なぜなら、大きな火を炊くと上昇気流が上がり、雲ができや
すくなるらしいのです。ただ単に祈るだけではだめで、やはりそれを起こす原因をつ
くらなければなかなか雨は降ってくれないわけです。そういう意味で、相手が何を望
んでいるか、どのようなことができるか、それに対して自分たちは何ができるかとい
うことを戦略としてつくり、それぞれの具体例とともに協働内容を考えて持ちかける
ことが大事なのではないかと思います。
結局どのような魅力を売り込むのかというところで、NPO、大学生、教授とかの外
部の目を持つ人に見てもらうのは非常に大事だと思います。こうしたことにより売込
の際のセールスポイントを見つけてくれるのではないかと思います。
次に、どこでやるかということですが、必ず来てもらわなければいけないというこ
とではないと思います。先ほどの大山商店街のように、農村から出ていくという場合
もあるわけですから、そうした場所もいろいろ考えた方がいいということになります。
それから、4番目にソーシャル・キャピタルですが、先ほども言いましたが、農村
地域のコミュニティには農村特有のネガティブな面の特徴があります。なかなか認め
たくはないところだと思いますが、やはり活性化するためにはどのような点を改める
必要があるのかということを自分たちで見直し、新たなコミュニティを構築するため
の努力をすれば成果に違いが出てくるのではないかと思います。
また、最後にありますが、農村側が都市側の協力に対して評価を行い、さらに具体
的な行動に移すというか、そうしたものを提示することができれば、都市側、特に企
業も来やすいと思います。
複数の農村が連携した『農村集合体』とあります。これも1つの例として皆さんの
中にはすでに加盟されている都市もあるかもしれまんが、去年の 11 月に綾部市さん
が先導されて「全国水源の里協議会」をつくられましたが、あのように全国のいわゆ
る限界集落を持っている自治体が集まり大きな団体をつくられたというのは1つの
プレッシャーになると思います。こうした活動をすることにより、山あいに大変な集
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落があるということが、初めて大新聞やマスコミなどで報道されますし、企業は反応
が大きいと思えば宣伝効果やイメージ向上という観点から出てくると思います。こう
した点を活用するということも大事なのではないかと思います。
あともう1つ大事なことはやはりコーディネーターにつきると思います。そのため
にはコーディネーターに育っていただかないといけないと思っています。先ほども言
いましたが、都市側も農村側も自分たちができることをわかっているわけではありま
せん。ある意味では無理もないことなのですが、何ができるかをうまく具体化するこ
とのできるプロがやはり必要なのだと思います。そのためには双方から信頼してもら
う必要があります。特に企業は NPO をなかなか信用していない現状にあります。や
はり財政的に苦しいからということだと思います。言葉は悪いですが、NPO は企業
に献金を強要するのではないかというような疑心暗鬼があり、そうしたことからも信
用してくれないということがあるようです。その辺は行政がうまくバックアップをす
るとともに、コーディネーターを育てるということが非常に重要ではないかと思って
います。
その1つの例として今日お配りしている資料の中に、「地球緑化センター」という
NPO 法人が実施している「緑のふるさと協力隊」のチラシが入っているかと思いま
す。この NPO は、まさに都市部の学生や若い人たちなど農山漁村に関心を持つ人た
ちを1年間農村に派遣するプログラムを実施しています。まさにコーディネーターの
役割を果たしています。このプログラムに応募してくる若い人たちは、具体的に何々
県でどんな作業がしたいと思ってやってくるのではなく、何となく農山漁村に関心が
あるという軽い気持ちでやって来られます。そうした若い人たちに、農山漁村ではど
んなことをして、どういう作業があるのかというようなことを教えた上で、両者の間
を取り持っています。このようなコーディネーターがもっともっと広がり、また財政
的にも安定するようにしなければならないと思いますし、信用を積み重ねることも大
事なこと思っています。
こうしたこともあり、いろいろなパターン、単に1つのコーディネーターがやるの
ではなく、都市側と農村側のそれぞれ強い結びつきを有するコーディネーターがそれ
ぞれ連携をすればというようなことも提案しております。
24 ページをお願いします。
それでは誰がコーディネーターになるかというと、今までは市役所など行政に関係
する職員の方とか農協の方とかがコーディネーターの役割を果たしていたのですが、
やはり NPO、特に地球緑化センターのような全国的な展開力を持つ NPO というのが
大事だと思っています。
あと、
「Win-Win の関係」が大事だと思います。結局のところ都市側と農村側の両
方にメリットがなければなかなか進みません。例えば既存の施策でどのようなものが
あるかというと表彰事業があります。これを見てわかるように、農水省以外にも経産
省や内閣官房などさまざまな役所が農村と連携した人に対する表彰を行っています。
その表彰のほとんどは直接型に対するものです。つまり農村とかで直接何かした人た
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ち対する表彰しかなく、なかなかコーディネートをした人に対する表彰というものは
あまりありません。
だから方向性としてはいろいろと書いておりますが、これは必ずしも国がやるとい
う意味ではなく、今日まさに地方の行政の長の方がおられますので、是非とも各地域、
地域でこういうかたちで何か1つでも役に立つものや参考になるものがあれば、それ
を支援するようなかたちで何らかの施策を行っていただければ大変ありがたいと思
っています。企業に対するもの、大学に対するもの、農村に対するものなどいろいろ
なものがあります。例えば農水省では、協働を行う企業に対する表彰制度の拡充とい
うことで、「立ち上がる農山漁村」の中では、協働をしてくれた企業や大学に対して
は、新たな力というかたちで表彰といいますか、選定の取り組みを進めております。
また、21 年度の予算要求の中でも、地域との協働を進める NPO や企業が事業主体に
なれるようなかたちの事業も仕組んでいます。
結論になりますが、これをすれば解決するというのは正直のところまだわかりませ
ん。我々もまだまだこれは検討途中でありますし、試行錯誤しているところです。こ
れは農村振興施策全体に言えますが、国が農村振興において何をすべきかというのは
実は常に我々自分たちのテーマとして自問自答していますが、なかなか答えが見つけ
られないでいるというのが正直なところです。財務省に行って農村振興などの予算要
求をしますと、それは地方分権の流れの中で地方がやるべきことではないですかと露
骨に言われます。農水省としては、いや、そんなことはありませんと言っております。
全国一律の政策は難しいと思いますが、やはりこうしたきっかけづくりとか、いろい
ろな情報提供、それから大きな仕掛けと言いますか、大きな全体での仕掛けというの
はやはり国がやるべきものもあると思っておりますし、今日ご出席の皆様方にもいろ
いろご意見があるかと思います。
そうした観点で、これからの新しい世の中に応じたいろいろな施策というものをこ
れから考えていかなければいけないと思っておりますので、ご理解とご協力をいただ
ければと思います。
以上で終わらせていただきます。ありがとうございました。
過疎・高齢化集落との協働作戦
-ブランド米への道のり-
羽咋市 1.5 次産業振興室
総括主幹 高 野 誠 鮮
氏
ただ今ご紹介いただきました高野と申します。石川県の羽
咋市は、左手の親指を曲げていただくと、親指の第 2 関節、
ここから来たとお考えください。これを日本列島だとすると
親指のここです。そこから参りました。羽咋市の 1.5 次産業
振興室の過去4年間にわたる取り組みをご紹介したいと思います。
- 58 -
本来ならば、本日は橋中市長から皆様方に取り組みをご紹介する予定でしたが、よ
んどころない事情によりまして、今日は私が代わってご紹介させていただきます。
神の子の原と書いて、「神子原(みこはら)地区」と言います。いわゆる限界集落
です。高齢化率が最大で 57%を抱える場所です。それが4年間でどのように変わっ
てきたのか、いったい何をしてきたのかということを簡単にご紹介したいと思います。
「神子原(みこはら)地区」は、石川県と富山県との県境にあります。見渡す限り
棚田で、石川県下で一番大きな棚田で団地化されております。面積は 110 ヘクタール、
そのうち 80 ヘクタールが圃場、田んぼ、棚田です。残り 30 ヘクタールが畑です。そ
して、市の人口は現在、約 2 万 4,500 人、市全域の面積は約 82 平方キロメートルと
なっています。
この神子原地区の人口は平成 15、16 年でほぼ半分になりました。1,080 人いた人
口が、平成 17 年4月には 506 人になりました。高齢化率は平均化すると 54%で、一
番高い菅池が 57%となっています。離村すると当然、耕作放棄地が拡大します。も
うすでに 46 ヘクタールぐらいが林地化していました。ここを活性化しなさいという
わけです。
平成 17 年4月に、60 万円という予算で着手しました。部屋の名前が 1.5 次産業振
興室と申します。これは何かというと、第1次産業、農林漁業には最大の欠陥があり
ます。それは自分でつくったものに自分で値段を付けることができないということで
す。これに自分で値段を付けましょうという、本当の意味での産業、プロダクツにし
ようという狙いがありました。つまり生産・管理・販売というサイクルを自分たちの
手に持っていただこうというものです。最終的に目指したものは何か。農業の場合は
農協や行政、市に頼らなくても自活・自立できる村にしましょうというのが狙いです。
農業からどんどん人が離れていく、それには理由があります。人口が半分になった、
あるいは 50%を超えるような限界集落では後継者がいません。また、耕作が不利地
で非常に急傾斜です。本地面積よりも、のり面のほうが大きいところもあります。反
収も低く、平野部に比べると 6.5 俵か7俵ぐらいしか採れません。しかも値段が平野
部と同じなのです。非常に厳しい条件の山で作った米も、平野部で1反歩 12 俵も採
れる米も1俵当たりの値段が変わらないのです。もともと山は工場も全くないところ
ですから工場排水もありません。山の清水だけで作っている米と、近くに民家や工場
があるところで作る米との値段が変わらないという矛盾を抱えていたわけです。
これらの課題に応えるための対策を取りました。先ほど、田野井課長が「決定的な
政策はないのだ」と言われていましたが、私たちもそうでした。まったく決定的な策
はありません。しかも与えられた予算が 60 万円です。1.5 次と名前を付けたのは、実
は人員スタッフが 1.5 人です。私1人ともう1人、畜産職員との兼務です。あそこは
人が 1.5 人しかいないから 1.5 次というのだと揶揄されました。
このような状況ですが、プラスの要因もたくさんありました。人が離れていく割に
は、
『日経BP』に、96 年の全国のおいしいお米ベスト3に羽咋のコシヒカリという
名称で紹介をされたり、棚田の面積が1位であるとか、あるいはお正月に食べるクワ
- 59 -
イの生産高は年間8トン程度ですが、これが全国で1番だったのです。そしてこれら
に対する対応策をずっと打っていったわけです。
予算が 60 万円しかありませんので、頼ったのは何か。国の 10 分の 10 補助事業で
す。当たるか当たらないかはわかりませんが、とにかく軒並み手を挙げました。平成
16 年 11 月から国土交通省、厚生労働省、総務省、経済産業省と、各省庁が持ってい
る 10 分の 10 補助事業、100%補助です。お金を出さなくても国が 100%持ってくれ
るというものを徹底的に調べました。たくさんありました。応募していなかっただけ
なのです。数打てば当たるもので、実のところ相当数当たりました。
この基本的な考え方は何かというと、推進方法、理念に基づく実践だけなのです。ま
ず 60 万円の予算では予算がないからできませんという、言い訳のできないところか
ら実は始めたわけなのです。よく役所では、予算がつかなかったからできませんでし
たと住民に言い訳をしますが、それができないところから始めたわけです。
もう1つ、活性化の計画を作りなさいと担当部署に言いますと、必ず立派な印刷物、
何センチもの厚さになる印刷物を作ります。そのほかにも会議をよく開催します。こ
うしたことをすれば村は活性化すると考えているようですが、これは幻覚・幻影なの
です。何センチの報告書や活性化計画書を作ってみても村は活性化しません。会議を
100 回開いたって 2,000 回開いたって活性化しないのです。何が足りないのか、行動
なのです。
「理念に基づいて実践するというシステム力」と私たちは名付けましたが、
いま役所に足りないのは何か。行動して、そこを本当に変革していく力なのです。こ
れが圧倒的に足りないのです。会議はたくさん行いますし、そのほかにもさまざまな
名目をつけて会議を新たにつくります。しかしながら、そこから出てくるのは印刷物
ばかりなのです。そのような印刷物を何冊も作っても村は1つも変わりません。理念
があって、戦略と実践がなければ実は変わらないのです。非常に単純なことなのです
が、これを忘れていたわけなのです。そして、これを実施するだけなのです。このた
め、人員スタッフも 1.5 人で十分なのです。60 万円の予算でも着手することができる
という考え方を取りました。
ただベースとなったものの考え方、これは、集落、村、市はどこから成り立ってい
るのか。1人の人間です。それが集まって家族になっています。社会を構成する最小
の単位は家庭なのです。そして人なのです。つまり、人があって集落ができ、町にな
り、市になり、県になり、国になるのです。それでは、そこの集落や市全体を考える
ときにどのように考えるのか。1人の人間として考えてみるのです。疲弊する農山漁
村、これをどこに例えたのか。やせほそっていく左手、あるいは右手なのです。ここ
での発想が2つありました。まず、害虫駆除的な発想です。そんな山の中に住んでい
るからいけないのだ、平野部に住みなさい、これは害虫駆除です。つまり、自分の左
手がどんどんやせ細っている。右手にナイフを持ってきて一生懸命自分の左手を切る
だろうかと。普通は切りません。もとに戻そうとするのです。私たちはリハビリとい
うことを考えたのです。村が過疎化する、限界集落になっていく状況下で何が必要か。
1つは哲学です。愛と知恵が足りなかったのです。1人の人間として見た場合に、こ
- 60 -
れほどうまくいっているシステムはないのです。なぜかというと、必要なところに必
要な血液がいくのです。この血液は、つまり貨幣、お金と見たわけです。人間の身体
がうまく運営されている。これと同じように地方自治がなされれば、こんな理想的な
ことはないだろうと考えたのです。つまり、やせ細ってきている手、何が足りないの
か。運動と血液、お金なのです。これを元に戻せばいいと考えただけなのです。そし
てその集落を1人の人間、あるいは市全体を1人の人間としてとらえてみたのです。
小指が痛ければ痛みは全身に伝わります。何をどうして見ていけばいいのか、これは
すぐ見えてまいりました。
それは人間の行動です。ここにも着目したわけです。さあ、明日からやりましょう
よと言っても誰も見向きもしません。そこで何をしたのか。メディアを活用したので
す。人間の行動パターンというのは目、耳から情報が入って、知、情、意につながり
ます。つまり、目、耳から情報が入ります。そして心が揺れ動いて行動になるのです。
例えばこの地域を売ろうとする場合にどうするか。目と耳から情報を入れてあげる必
要性があります。一部上場している企業は何をやっているか、朝から晩までテレビで
CMを放映しています。これはどういう心理を狙っているのかというと、消費者の目、
耳から情報を入れて、知、情を動かすのです。そして意、行動に駆り立てるのです。
あのCMで流れていたチューインガムが美味しそうだ。私もお店に行って買おうとす
るのです。そのため、一日中CMを放送し、目と耳から情報を入れようとします。
ところが最近のテレビ、新聞の神通力というのは2週間ぐらいで消えてしまいます。
石川県羽咋で何かやっているということが、しばらくすると、羽咋ではなくて福井に
変わっていたりするのです。人間の記憶というのは非常にあいまいで、実は数日間で
消えていきます。
それをおしはかるのが GRP、グロス・レイティング・ポイントと言います。昔は
100GRP も投入すれば日本中の誰もが知っていた状態でしたが、最近は多チャンネル
時代になりましたので、600GRP ぐらい投入しないとなかなか人には知ってもらえな
いという状況にあります。こういうことを踏まえながらプロジェクトを 1.5 人で実施
してみたわけです。
まず、このプロジェクトの段階的な目的と最終目的を決めました。それは何か。過
疎になって高齢化すると当然のことながら空き家、空き農家がどんどん増えていきま
す。そのほかにも、後継者の育成などといったさまざまな問題が発生します。離村す
る最大の理由は簡単です。農業が金にならないからです。サラリーマン並の所得にな
っていないのです。農水省が5年毎に公表する「農林業センサス」の農業所得を見て
びっくりしました。石川県羽咋市神子原地区の農業所得が年間 87 万円と書いてある
のです。今、日本人の平均的なサラリーマンの年収が 440 万円程度です。それだから、
なぜ離農をしたのかというと理由は簡単です。87 万円程度の年収では、家庭を持っ
て子どもを生み育て、小中高、大学へと子どもを育てあげることができません。この
ため、農業に比べ年収の良いサラリーマンを目指し、わざわざ金沢へ移住するとか、
あるいは富山、高岡といった羽咋から見ると大都市の方へ皆行ってしまうということ
- 61 -
でした。
こうした状況を改善するため、農業を職業の選択肢の1つにしたい、サラリーマン
並の所得になればいいという、究極的な目的を持ったわけです。その活動の理念とし
て、当市の市長・橋中が考えだしたのは、地域にある未利活用の地域資源を最大に生
かしていこう、地域にあるもの全てを否定するのではなくてそれを生かすのです。あ
るものはあるとして考え、その利点は何なのか、それを最大に生かしていこうという
考え方です。利用するのと生かすのとでは全然違います。Win-Win の関係です、お
互いがお互いを必要とする関係です。ただし課題もありました。年間 60 万円の予算
しかないわけですから、業者に頼み、コンサルタントを入れて全ての経営戦略を練る
ことはできません。平成 17 年の事業費は 60 万円、18 年は 47 万円、19 年は 27 万円。
今年の事業費はゼロです。ゼロ予算事業としてやっております。今日は市長が来てい
ませんので言いますが、大変な市長に仕えたと思いました。1年後に農産物をブラン
ド化しますと言ってしまったのです。1年後には何とかしてブランド化しなければな
らないという課題を与えられたわけです。たった1年で農産物をブランド化したとい
う事例は実際のところありませんでした。大変弱りました。手持ちは 60 万円しかあ
りません。それをどのように使ったのか、53 万円は旅費で消えました。これはバス
の借上げ費用です。農村集落、村の人たちと先進地視察に2回行きました。残りは7
万円です。これは東京へ2回来た旅費分だけです。それで 60 万円全部がものの見事
に消えていきました。
これですから、やってみるしかないのです。試行錯誤。失敗して当たり前という世
界です。失敗も随分ありました。最初から成功するなんていうことはないのです。多
くの失敗を繰り返し、そこから学んで成功するしかなかったのです。よく公務員は失
敗を恐れます。ただし、当時の課長である池田と橋中市長が、犯罪以外は全部私が責
任をとるからやれというのです。肝っ玉の太い上司だと思いました。この男気にほだ
されたのです。とにかくやってみることにしました。
ただし、過酷な条件です、村に入って農家の人たちと相談して、110 ヘクタールあ
る圃場からいい米を売りたい、とにかく米をブランド化したいので何とか拠出しても
らえないか、とお願いしましたが、皆さん反対です。169 戸の農家のうち賛成してい
ただいたのはたった3軒だけです。集まった米は 50 俵程度にしかなりませんでした。
500 俵というのは後のことです。しかも『魚沼産コシヒカリ』があるのに、ブランド
化する、とてもじゃないがそんなことできるわけがないだろう。失敗したら役所が全
て買い取ってくれるのかという話です。だから反対だと言うのです。農協は安くても
米を買い取ってくれるが、失敗したら役所が米を買い取ってくれるのか、いや、買い
取りません、予算は 60 万円しかありませんから買い取ることは一切できません。そ
こで、私たちは何を目指したのかというと、自転車に乗る場合の補助輪、つまり農協
という補助輪と市役所という補助輪の2つをこれからはずそうと思っています、よろ
しいですかという話なのです。集落は補助輪がはずれたら引っくり返るだろうといい
ます。それではいつまでたっても自転車に乗れないじゃないですか。引っくり返った
- 62 -
らどうするのだというのです。起きればいいだけのことなのです。転んで怪我をした
らどうするのだ。立ち上がってもう1回こぎはじめて、自転車に乗れるようにすれば
いいだけじゃないですか。たった3軒の協力者、理解者の農家しかいないというほと
んど相手にされない状態です。加えて顧客はゼロです。さらに、
『魚沼産コシヒカリ』
があるという状況の中で、米のブランド化を進めようとしたわけです。
もう1つ行ったのは何かと言いますと、コンソーシアムを組んだことです。これは、
運動体としてくるくる回し、1つの小さなものごとが大きなものごとになるような仕
掛けをつくっていきました。県内にあります酒造メーカー、航空測量機メーカーとい
ったところとのコラボレーションや、商工会を中心に独立した民間の組織である「羽
咋ブランドの会」といった組織をつくっていただきました。また、村は村で、神子原
の米をブランド化しようという機運を盛り上げるため、お米の部会をつくってもらい
ました。さらに、金沢大学、法政大学、県立大学などにも関わっていただき、コンソ
ーシアムを展開していきました。これにより、お互いに全ての情報が行きわたります。
これからが具体的に行ったことです。これは対症療法です。何かというと、人口が
半分になってしまったようなところは空き家がたくさんあります。これを、月額2万
円で都市住民に貸し出しています。当初は8家族でしたが、現在では 10 家族、31 名
が暮らしています。先月も入居者がおりましたので、また増えました。ただし、この
空き家に希望者が入れるというわけではありません。どういうことかというと、ここ
に住んでいる村の役員たちがテストをします。現地見学会を行うと、多い物件では倍
率が 24 倍から 25 倍くらいになります。その中で、村人たちが点数をつけます。あの
人なら安心して入れてもいいのではないか。その権利は集落全部が持っています。先
月入居した 32 歳の大阪から引っ越してきた人の時は、十何人の村人が周りを取り囲
んで試験を行いました。試験と言っても問答みたいなものです。針のむしろに乗せら
れたような状態でその人が試されるのです。本当におまえさんこの村に来てやる気が
あるのかとか、おまえ本当にここに骨を埋めるつもりでいるのかとか、実はそういう
試験があって、誰をこの家に入れてもいいのかということを集落の人たちが決めると
いう制度です。
もともとの農家が離村して、あるいはおじいちゃんおばあちゃんしか残らなくて、
そのうちの一方がお亡くなりになると、息子さん、娘さんたちが迎えに来て家が空き
家状態になります。このパターンが一番多いのです。そうした空き家に、地権者と私
たち行政が中に入って希望者との間を取り持つという仕掛けです。「空き農家・農地
情報バンク制度」と言います。この制度は、今年、全国農業会議所が全国展開をする
予定で、このシステムを立ち上げるための企画検討委員会が今月末にも開催されます。
先ほども申し上げましたが、家賃が最大で月額2万円で、入居者は平均すると 1,080
平米ぐらいの農地を持つことになります。なお、この空き農家には納屋から囲炉裏と
いったさまざまなものが付いています。
次に行ったのは何か。これは交流事業の一環ですが、「烏帽子親農家制度」を行い
ました。
「烏帽子」と書いて、石川県能登のなまりで「よぼし」と言います。
「烏帽子
- 63 -
親農家制度」とは簡単に言えば農家民宿制度です。しかも許認可は要りません。それ
でなくても疲弊している集落に対し、農家民宿をするために、400 万円から 500 万円
の改修費をかけて、厨房を直してくれ、お風呂場、お手洗い、水回りを直してくれと
か、毎年1回、保健所の検査を受けてくださいということを私たち行政から過疎の村
人たちにはとても言えませんでした。
そこで考えたのは、九州の「安心院(あじむ)」を参考にしてみました。「安心院」
とは前大分県知事の置き土産であり、農泊を旅館業法上における簡易宿所として位置
付けた旅館業法の画期的な緩和です。ところが石川県では県が先手を打って、「簡易
宿所は一切許認可まかりならん」という通達を出しました。そこで、私たちが考えた
のは何か。安心院よりもっと簡単な方法はないかと考えたのです。それがこの烏帽子
親農家制度です。資料には2人の女子大生の写真が掲載されていますが、この女子大
生はこの農家の子どもです。これは平安室町時代から当地方に伝わる風習で、いまだ
に残っています。農家は「烏帽子子」を持ちます。これは何かといいますと、農作業
を軽減化するために、農家はたくさんの子ども、かりそめの子どもを持ちます。たく
さんいればいるほど農作業が楽になります。農作業のほかにも、冠婚葬祭や最近では
選挙にもよく使われます。烏帽子子の数が多いほど勢力が強いのです。
この制度を始めてすぐに、石川県薬事衛生課から電話がありました。
「羽咋市さん、
法律違反をしています」という話がありました。そこで、「どこが法律違反ですか」
と反論をすると、県からは「これは旅館業法や食品衛生法に抵触するので法律違反に
なります。即刻やめてください」ということでした。2か月間余り、県と論争です。
かりそめであっても、親子であって「不特定多数の人間」なのかどうかという論点で
す。つまり、親子の間で金銭の授受があっても、例えば1泊2食、あるいは3食付き
で 2,500 円とか 3,000 円を支払ったとしても、親子なのです。これでもあなた方はこ
れを業法、生業として見るのですか。平安室町から伝わっている伝統文化です。この
伝統文化に現代の法律が通用すると思いますか、と協議をしたのですが、その結果、
食品衛生法から省きますと言われ、当然のことながら旅館業法からも外れました。建
築基準法から消防法に至るまで全ての規制が外れました。法律が適用されない農家民
宿ができあがったわけです。
この制度により、村に大学生が入ることになりましたが、閉鎖的な村なので当初は
なかなか入れてはいただけませんでした。そこで考えたのは最初に女子大生を入れる
ことにしました。その理由は何か。しかも入れるに当たっての条件はお酒が飲めると
いうことなので、二十歳以上の女性です。彼女たちが入りますと、村のおやじさんた
ちが喜ぶのです。女子大生が入ると村がパッと明るくなります。最初、村人は気を張
っていて、女子大生に明日から何を食べさせたらいいのかわからないと言っておりま
した。そのように言われていた女子大生2人が実際に村に入りますと、まずご近所の
飲み友達のおやじさんがポンと来ます。姉ちゃんどこから来たんだと言って話が始ま
り、酒盛りが始まります。最初は反対だったのですが、ほかの家が夜の8時、9時に
なると寝静まるのに対し、この女子大生たちが入った家だけは夜の 10 時、11 時、12
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時まで煌々と電気がついていて非常に賑やかなのです。その様子を見て、来年もこん
な事業があるのだったら俺のところにもあの女子大生連れてきてくれと。
逆に、おばあちゃん方は若い男の子たちが来ることを喜びます。おやじさんたちは
女子大生が来ることを本当に喜びます。彼女たちが来ることにより元気になるのです。
草刈り機の使い方がわからないと言えば、80 歳を過ぎたじいさまが出てきて、
「姉ち
ゃん、そんなのじゃないんだ、こうなんだ」と言って、草刈り機のやり方を実演して
見せるのです。いつまでたっても男は男なのです。要するに、若い女の子が入れば本
当に元気になるのです。そして、男の子が入れば奥さん方やおばちゃん方が元気にな
るのです。
こうした取り組みのほかに、農家の年収を増やすためにブランド化を行いました。
これにはさまざまなストーリー性をつくれるか、あるいはうん蓄のある商品づくりを
することができるのかという、ストーリー性を構築したわけです。そして、農家はメ
ーカー(生産者)であり、農家自らが値段を付けます。米に自分で値段を付けて、消
費者が納得する商品をつくろうということです。
そのほかに行ったこととしては、徹底的な周知と規制緩和の推進です。これは国の
制度をフルに活用しました。これという制度には手を挙げ、何でも応募しました。ま
た、特区制度を活用するため、簡単就農特区やお神酒特区というものを2年連続でつ
くり、申請をして許認可を得ました。とにかくいろいろなことに応募していきました。
もう1つは交流の推進です。これはリハビリのための運動だと見たことから、交流
というのが非常に大事だというように考えたわけです。過疎の村に大学生たちが集ま
ってくる。あるいは、各種オーナー制度を実施して、都市住民との交流を図りました。
そして、村に毎年来てくれる宿泊者を増やそうともいたしました。それからマエスト
ロの村づくり計画といって、この村に来なければ食べることができないものをつくる。
あるいは、東京の銀座でお店を開いてもいいのですが、過疎の村、限界集落といわれ
る高齢化した村の中でお店を開いてもらおうとしたのです。そしてマエストロたち、
いわゆる匠です。手に非常にすばらしい技術を持った若い人たちに村に入ってもらう
ような仕掛けというものをつくっていきました。
学生たちが村に入る。特に若い男の子たちが村に入った最初のとっかかりは、一番
最初に来た学生たちが大学へ戻って、私は変な村に行ってきました。当時この村では
携帯電話はつながりませんでした。携帯もつながらない村ですが、そこの村の農家の
人たちと心がつながりましたと言って、学生が大学の教授に語ってくれたのです。そ
して、
「烏帽子親」、
「烏帽子子」というかりそめの親子にされてしまいました。
「今日
からおまえはうちの娘だ」と言って、いつもお父さんから手紙が来たり、お母さんか
ら電話連絡が入るようになりましたと大学に戻り教授に話をしたのです。そうなると、
法政大学の教授が最初に興味を持ちはじめ、行きますということで、学生たちが村に
来るようになったわけです。
ただし、これには少し面白いことをしています。それは何かというと、学生たちが
来ても泊まる場所を決めていません。明日から何処で何をするのか。これについても
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プログラム化はしていません。それはなぜか。口があるのですから、学生に農家と直
接交渉してもらいます。泊まることに失敗すると野宿です。真夏です。暑いさなかに、
女子大生などが、
「私、今日どこに泊まればいいのですか~?」って来るのです。いや、
「泊まるところはありません。」と言うと、
「え、それではどうするのですか。
」って。
28 戸ありますので、1戸ずつ家主と全部話をして、今晩泊めてくださいという交渉
をするのです。『田舎に泊まろう』という番組がありますが、この村ではあれを地で
やっているのです。これは実は失敗から始まりました。最初ここの区長というか町会
長が、その前年の3月に大学の教授が来て、来年受け入れをしてくださいと言われ、
はいはいと返事はしたものの、ほかの村人たちの誰1人とも相談することがなかった
のです。学生が来る2日前に、誰にも言ってないということがわかり、大慌てをして、
急遽間に合わせでやってみました。それが功を奏して、最初の年は全員泊まることが
できました。失敗をするとシャワーも浴びられない、ご飯も食べられないという状態
なので、学生たちも真剣です。
その子たちがまた恩返しを村にするのです。それは何かというと、3月3日の雛祭
りに、巨大な棚田を利用して長さ 100 メートル×幅 40 メートルの巨大な雛段をつく
ります。その雛段には、おばあちゃんの腰巻きを使ってつくられた巨大な雛人形を飾
ったところ、この過疎の限界集落と言われている村に 1,500 人も人が来てしまったの
です。狭隘道路ですので車は1台しか通れません。そんな村に県内外から 1,500 人も
の人が集まるとどうなったかというと、村始まって以来の大渋滞を招いてしまったの
です。
このときにもう1つ仕掛けたことがあります。それは何かというと、この3月3日
に合わせて農家カフェをオープンさせました。つまり1つのことをやることが、ほか
のことに結びつくような考え方を実はとっています。「フラクタル」という思想です
が、この考え方をとっています。先ほどご紹介した、
「空き農家・空き地バンク制度」
を利用して、その当時ご主人が 30 歳という若い夫婦がこの村に入ってきました。そ
して、この村にある素材を使って、カフェレストランをオープンしました。外見上は
何も備わっていません。看板はA3判の小さなベニヤでつくったものが2枚しか出て
いません。先ほどの雛祭りの際に、ここに集まった人から、この村は携帯もつながら
ないし自販機もないのか、どこか近くにレストランはないのかと言われました。「こ
の村の中にありますよ。」と答えると、
「そんな看板見たことない」と返事が返ってき
ます。それならば、「村の人たちに聞いてみてください。この村の中には立派なカフ
ェがあります。」と言って、ここに人を集中させたのです。カフェのオーナーは岐阜
市から移住してきた夫婦です。18 年間子どもがいなかった村ですが、彼らの間に3
人子どもが生まれました。高齢化率 57%の菅池というところですが、ここが現在ど
うなっているかというと、高齢化率が 51.5%に下がりました。ゼロ歳児が生まれると
一挙に高齢化率が改善します。その仕掛けは実に簡単なのです。なんだ、たった1軒
来ただけじゃないか、そのとおりで1人の子どもが高齢化率をものすごく改善します。
ただうれしかったのは何かと言いますと、このご夫婦の最後に生まれた子どものモモ
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ちゃんがぐずるとすぐ近所のおばあちゃんがおんぶ紐を持ってきて面倒をみてくれ
ます。つまり、地域本来が持っていた教育力です。そのおばあちゃんは、何かという
と、赤の他人の子じゃなくて、集落、在所の子だという考え方を持っているのです。
おらが在所の子ですね。20 年近く赤ん坊がいない村に赤ん坊の声がすると、おばあ
ちゃんもやる気を出します。
それから彼はカボチャを作っています。彼が担当して管理している農地は 200 平米
足らずです。たった 200 平米です。ここで収穫したカボチャ1個がいくらになるかと
言うと、軽く1万円を超えます。農協に出荷すると 50 円から 80 円ぐらいですが、彼
の手にかかると1万円を超えます。何をするかというと、まさに 1.5 次化です。カボ
チャそのものを売るのではなく、カボチャプリンやカボチャのブラマンジェを作りま
す。それが 30 数個、ときには 50 個近く出ていきます。1個 280 円から 300 円ぐら
いなので、軽く1万円を超えます。
先月、彼は朝日放送系統のクイズ番組に出演しました。さあ、あなたの年収はいく
ら。そこでは1つ嘘がありました。実はテレビで言っていた年収の2倍あります。
1,000 万円を超えてしまっています。過疎の村で 1,000 万円以上の売り上げがありま
す。金沢の経営コンサルタントから、3か月もたたないうちに、店をたたんで岐阜に
帰らなければいけなくなると言われました。私たちはそれは間違っている、見る目が
ないと思いました。要するに、普通の経営コンサルタントでは経営戦略がつくれない
のです。私たちが考えたのは何か。今の時代というのは、戦後間もないころは「量」
でした。農産物は量です。その後「時間」になりました。時間が買われる時代になっ
たのです。その後は何か、
「質」です。その後、今は何か。
「雰囲気」なのです。実は
雰囲気が売れる時代なのです。東京の銀座のど真ん中で飲むコーヒーと、過疎の村の
中で飲むコーヒーを比べるとどちらが美味しいか。都会の喧騒から離れて、携帯もつ
ながらないところでゆっくりとコーヒーを飲む、こちらの方が好まれる時代です。そ
うしたことからも、過疎の村に人が来ると私たちは踏んでいました。
ブランド化ですが、これは非常に厳しい、何回もクリアしなければいけない点がた
くさんありました。それでも、できるというふうに思って行いました。この目的とい
うのは、高所得になれば離村はしない、サラリーマン並の所得が得られる、あるいは
UJIターンにより確実に村に人が戻ってくると考えていました。先ほども出ました
が、SWOT 分析をしました。生産・管理・販売サイクルを農家そのものが持つよう
にやってみました。ただし、差別化も図っています。これはマネジメントですが、い
いお米、これをさらにブラッシュアップしようということで、人工衛星を使って米の
観察をしています。米国製のデジタルグローブ社の衛星「クイックバード」を使って
観察しています。何かというと、おいしい米とまずい米を見るのです。私たちがとっ
た考え方というのは、おいしい米を高く、まずい米は安くという考え方です。刈り取
り前に食味を衛星で測定し、高く売りつけようと考えたのです。これは商品のマネジ
メントです。今年も観察をしております。随分お金がかかると思われますが、そんな
にはかからないのです。これは後で申し上げます。
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これは原理原則ですが、先端技術、アドバンストテクノロジーと言いますが、それ
を導入しています。食味測定装置でもって計りますが、その玄米はあなたの田んぼの
どこからお採りになったお米ですかと聞いても誰もわかりません。私たちは、田んぼ
1枚ずつの中で、60 センチ幅で全てを見通しています。資料の衛星データ解析と選
別(神選品)の右側の図面を見ていただきますと、1 ドット 60 センチ四方ずつで食
味が出ています。赤いのはレッドカードです。黄色いのはイエローカードだと思って
ください。赤と黄色はまずい米です。これらの米粒はたんぱく値が非常に高くなって
います。赤と黄色の部分ではたくさん収穫されます。赤いところでは1反歩 11~12
俵ほど収穫され、黄色いところでは 10 俵ほど収穫されています。要するに「量」で
はなくて「質」なのです。何を目指したのか、それは「質」です。質が高いものは高
く、量がたくさん収穫されてまずい米は農協に出してください。1俵当たり、今年は、
コシヒカリでは1万 2,500 円ぐらいしています。高いものは高い値段をつけて直接消
費者に届ける。質の悪いものは全て農協に引き取ってもらいますという考え方です。
相対値と絶対値の違いを出しています。人工衛星によって絶対値を出しています。
農水省では平成 22 年までに人工衛星を使って日本中のお米の品質管理をするという
大規模な管理事業(次世代大規模品質管理システム実用化事業)を実施していますが、
本市では全国に先駆けてその直轄事業の指定を受けています。人口は約2万 4,500 人
の小さな市ですが、これまで衛星を使っていましたので、国が白羽の矢を立てたわけ
です。
タスクスケジュールとしては、刈り取り適期の2週間から3週間以内で撮影を全部
済ませ、そして食味選定をして、美味しい米だけを集めて高く売るということを今年
もやっています。実はこれをビジネスとしてやっています。民間の企業に頼むと1千
何百万円もかかっていたものが、我々にお願していただくと、1回の撮影費用、衛星
の測定費用が 37 万円で、1反歩 500 円でやっています。実はこれが売れました。民
間の大手企業は高いが、役所に頼めば安いじゃないかということで、実は新潟県の魚
沼産コシヒカリの測定も行っています。解析結果に関しては申し述べることはできま
せんが、やっております。あるいは長野県、群馬県、山形県、京都府もそうです。京
都府の場合は一部の小さなところです。米どころといわれるところの測定を秘かにさ
せていただいています。薄利多売でやっています。是非ご興味があれば私たちの方に
ご相談していただければ、民間企業の約 20 分の1の価格で行います。そのため、大
手商事会社からは商売の邪魔だと言われますが、それでもやっています。非常に細か
なことをやっているのです。これは北國新聞の社説に書かれたものですが「コスト削
減による成功例」とありますが、悪口も言われました。社説でたたかれもしました。
ブランド化、お米のブランド化については、実際、生産者側や行政、役所がブラン
ドと認めるわけではありません。それをするのは誰か。消費者なのです。つまり、い
かに消費者がブランド品だと思うかという心理分析がわかっていないとブランドは
つくれません。ブランドをつくりますという経営コンサルタントがいますが、彼らは
たくさんの印刷物は作りますが、ブランドはつくっていません。そんな成功事例、探
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してみましたが、ありませんでした。
我々がターゲットとしたのは何か、金持ちです。インペリアル・ユーザー、ロイヤ
ル・ユーザーといわれる人たちを、いかに取り込むか。値段は生産者自体が付けます。
そして消費者と直結をします。農協、経済連、流通業者の全部を省きます。このため、
最初は農協の経済部や営農部との間で当然のことながら揉めました。ただし、今では
農協の組合長が最大の理解者です。実はそのようなことをやっています。
そしてデパートですが、いわゆるデパ地下に置いていただいています。今年は山形
屋さんですとか新しいデパートもぼつぼつ決まっています。どのしてしたのかと言い
ますと、その戦略の行程、これの基本になったのはロンギング、あこがれです。人が
ブランドだと認めるのは何かというと、「あっ、あの、自分以外のあの人が飲んでい
る、食べている、着ている、身につけている、持っているもの」に対してあこがれる
のです。つまり、その第三者である人の影響力があればあるほど、そのものがブラン
ドの力を持ってきます。ここを狙ったわけです。人的な影響力ですね。
神子原、神の子の原という名称から、最初に考えたのは、皇室の皇と子どもの子を
置き換えて、つまり、皇子(みこ)、天皇皇后両陛下に献上することにしましたが、
これは失敗でした。後で申し上げます。また、アメリカは米国、米の国と書くぐらい
ですから、ブッシュ大統領から、
「私は日本から『神子原米』というものをもらった」
と一言でも言ってもらえれば、ものすごい絶大な効果があります。ブッシュ大統領に
するか、あるいは日本の総理大臣にするかなどさまざまなところに狙いを絞り、ロン
ギングを図ろうとしました。そして、ユーザーとしては、ロイヤル・ユーザー、ある
いはインペリアル・ユーザーと言われる本当のお金持ちをターゲットにいたしました。
そのほかにも使えるものは全部使いました。ただで告知する。先ほど冒頭で申し上げ
た GRP を稼ぐためにやったわけです。
実際に行ったことです。右側の写真は橋中市長と宮内庁の前田式武官です。石川県
には加賀百万石の加賀藩があったことから、歴代の大名家の当主の方々は皆さん宮内
庁勤めをいたします。行かれる大学、会社もほとんど同じで、その後早期退職をして
宮内庁にお勤めになります。そして宮内庁では雅楽の演奏者である式部官になられま
す。この前田式部官は石川県人会の名誉会長の職に就かれておられます。こうしたこ
とから、早速お願いに行きました。前田式部官は「私は料理長を知っているし、侍従
長もよく存じ上げています。陛下には今晩召し上がっていただきましょう」と言って、
その日のうちにお渡しをして、その日のうちに召し上がっていただこうといたしまし
た。ところが、2、3日後にすぐ宮内庁からお電話がございました。「私どものとこ
ろに石川県の羽咋市からお米が持ち込まれましたが、献穀田制度が崩れてしまうので
こうしたことはやめてほしい」と釘をさされました。北海道から九州まで全部引いて
いる献穀田制度は、宮内庁が場所を定め、そこから宮内庁にお米を献穀するものです
が、その制度そのものが瓦解するではないですかと言われたのです。そこで、急遽路
線を変更しました。神子原、神の子の原。英語で読み返したのです。
「“the highlands
where the son of God dwells”」というふうにして、普通地名は固有名詞ですから翻
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訳しませんが、翻訳すると「キリストが住む高原」という意味になります。こういう
地名のところから採れたお米を、ローマ教皇様に召し上がっていただくという可能性
は1%でもございませんかと言ってバチカンに英文で手紙を書きました。そうしたら
大使館から連絡がありまして、そのような聖なる地名が日本に残っていたのですかと
言われたのです。もし、東京に出て来られる機会がありましたら、九段下にあります
大使館までお越しいただけませんかということになり、町会長(神子原地区の区長)と
市長、それに私どもが 35 ㎏ぐらいのお米をトランクに入れてガラガラと曳いて大使
館へ持って行きました。
これは日本で一番小さな村、限界集落です。そこと世界で一番小さな国の架け橋に
したいと言われました。そして、そのような聖なる地名のお米となりますと、ローマ
教皇が召し上がるのには非常にふさわしものですということになりました。これは平
成 17 年 10 月 21 日の出来事でした。このことが信者数は6億人で、日本の人口をは
るかに超えているローマカトリック教会に、日本からの献上品に米があったと各国の
言葉に翻訳をされて報じられました。日本の国内では、四ツ谷にありますソフィアユ
ニバーシティ、上智大学の敷地の中にあります、聖イグナチオ教会のバザー関係者か
ら真っ先に電話が入りました。「ローマ教皇様に献上されたお米はありますか」と言
うのです。非常に高貴な感じの上品な奥様からのお電話でした。値段は決まっていま
せん、まだ売れていなかった時期です、10 月 23 日に電話があって、「1キロおいく
らなの」と言われました。その当時私たちが調べていた価格は、デパートの地下売り
場で販売されている高いお米で、1kg860 円~1,300 円でした。さすがに 800 円、900
円とは言えなかったので、1kg700 円と申しますと、返された言葉が「あらお安いわ
ね」と言われるのです。1kg700 円のコメが安いという方なのです。これが金持ちと
いわれる富裕層です。そしてその富裕層の間でこのお米が売れはじめました。このこ
とがNHKに伝わったり、さまざまなメディアに露出されるきっかけとなりました。
その結果どうなったかというと、1か月も経たないうちに 500 俵が集まりました。
50 俵しか集まらなかった米が、気が付いてみると1か月で 500 俵も出ていました。
どこから集まってきたのだ。賛成者が僅か3名の農家だったものが、何十軒にもなっ
ていました。いきなり売れたのです。しかも価格は1kg 当たり全部 700 円です。つ
まり1俵では4万 2,000 円です。手数料はどこも取っていませんので、全部農家の収
入となりました。ただし、皆で相談をして、袋の印刷費などの経費は持ってもらいま
した。輸送費は個人持ちです。
そして実は、デパートに置くことに成功しました。お願いしに行ったかというとそ
うではありません。デパートがこちらに頭を下げて、売ってくださいという仕掛けを
つくりました。初めて申し上げますが、どうしたのかというと断ったのです。東京世
田谷区に住んでいると言われたとたんに、「残念ながらお米は売り切れましたと」言
って断りました。目黒区、目白区、世田谷区、港区も同様です。この周辺地域から
57 件ほどの電話がありましたが、全部断りました。断るとどうなるかというと、そ
の人たちはまずデパートに電話をします。「あなたのところに『神子原米』というの
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はないの」と。デパートの顧客で、そこでお米を購入する人というのは本当に金持ち
です。いま消費者は二極化しています。いわゆるロイヤル・ユーザー、インペリアル・
ユーザーと言われる、こだわりを持っていて、これでなくてはいやだという人と、1
円でも安いお米がいいという人に二極化しているのです。私たちが狙ったのは、どん
なに高くてもいいという人たちです。
この人たちが目指す商品はどこにあるか、デパ地下です。ブランドはどこにあるの
か、近くのスーパーにはないのです。ブランドというのは必ずデパートにあるのです。
高島屋のバイヤーという方から電話がありました。「おまえのところで『神子原米』
というのを扱っているだろう、うちにも譲れ」というのです。「量は少ないですがよ
ろしいですか、値段は1kg700 円です。輸送費も持っていただきますがよろしいです
か。袋代の印刷費については、ロールで渡しますが、そちらの方で持っていただくと
いうことでよろしいですか。」と言いました。全部こちらの言うとおりになりました。
これに関する窓口は役所だけです。農家には一切売らないでくださいと釘を刺しまし
た。これはなぜかというと、販路は簡単につくれますが、簡単に崩すこともできます。
販路を2つ3つと設けますと確実につぶれます。実は農家は目先のことしか見ていま
せん。持続、継続ということを考えもしないで、あそこでも、ここでも取り扱ってく
れるというので、わざわざ販売のチャンネルを探しに行かれる方もおいでになるので
す。ありがたいことですが、戦略面から考えると危ないことです。ブランド品は近く
のスーパーで売っていてはだめなのです。デパートでしか買えないようにしないとだ
めなのです。
実はお米だけではなくお酒も造りました。米を核として、お酒造りをすると酒粕も
出ます。それもプロデュースしていったわけです。これができたお米、お酒です。写
真の右側にあるのは、「客人(まれびと)」という、スペシャル米を使ったお酒です。
1本が 720ml で、値段は3万 3,600 円と少しばかり高いのですが、農家はえらく儲
かります。真ん中にありますのは、
「神子原米」です。今年も1kg 当たり 700 円と安
定的に売れています。写真の左側にあるのは「どぶろく」です。値段は 1 本 1,680 円
ですが、紅白なので2本セットで売れます。これは1か月で 1,000 万円を超えました。
それでは、3万 3,600 円もする日本酒がなぜ売れるのかというと、それは売り方です。
田崎真也さんというソムリエの方が、平成 17 年 12 月 22 日付けの地方紙に、日本酒
として絶品だというふうに書かれました。赤いどぶろくは、赤米と古代米に、紅麹を
使って造ったものです。ブルーの瓶に入っているのは白色の普通のどぶろくです。辛
口と甘口の2種類を造ってみました。日本人は紅白だからめでたいと言って2つセッ
トで買っていただけます。これも秘かに売れています。要は見せ方です。
それでは、超高級日本酒「客人」について、どこで発表したのかというと、有楽町
の電気ビル内にある外国人記者クラブで行いました。北陸3県、石川県内地元では一
切発表をしていません。「地元をないがしろにしている」と最初は新聞にたたかれま
した。なぜこんなことをしたのか。このときは、16 か国の外国人記者に集まってい
ただき、実際に飲んでみてもらいました。
「日本人は同じ 720 ㎖で、7万円もする『ロ
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マネコンティ』を平気で買われます。その半分の値段しかしていない日本酒を高いと
思われますか。不味いですか。味はどうですか」という逆説的な聞き方をしたのです。
いや、決して高いとは思わない。それはなぜか。実は一次発酵にワイン酵母を使って
あるのです。外国人受けをするように最初から仕組みました。16 か国の外国人記者
が自国に配信します。日本人は、日本人がつくったものや、身近でつくったもの、あ
るいは身近な人間を過小評価する心理が働きます。近くにいればいるほど近い人を過
小評価します。遠くにいればいるほど、あれはいい、あの人はすごい、あそこはいい
と思うのです。日本人は本当に不思議な民族です。これを最大限に利用するには何が
よいのか、それは外国人なのです。16 か国に配信すると、この外電が日本に、東京
にと集中して流れてきます。そして認めてくれるのです。これを石川県内で発表する
と、たぶん騒ぎにも何にもならないでしょう。
それでは、現在、このお酒がどうなったのかというと、日本航空の太平洋線に搭乗
してみてください。ただし、一番高いエグゼクティブクラスです。成田からロサンゼ
ルスまでの運賃は 106 万円と高価ですが、搭乗してみてください。そして日本酒をお
願いしますというと「客人」が出てきます。
この能登神子原米と書かれた揮毫は、福井在住の吉川壽一先生の作品です。日本人
として初めてエルメスのスカーフを筆でデザインした書家で、先生の作品はエルメス
博物館に 24 枚ほど飾られています。また、NHKの大河ドラマに「武蔵」という作
品がありましたが、この「武蔵」という題字を書かれた方でもあります。そのような
著名な書家の方ですが、玄米 30 ㎏で「能登神子原米」と書いていただきました。と
にかく、先生、村を救うと思ってお願いしますという一点張りで頼みました。そうし
たら、奥様から「宅の主人は普段そうしたことはしておりません」と怒られました。
吉川先生にお願いすると、普通、1作品が 400 万円、500 万円はします。場合によっ
ては 700 万円、800 万円はいたします。
その後、村はどうなったのかというと、現在では 169 戸の農家のうち 131 戸が出
資し、平成 19 年の7月7日に「神子の里」という会社組織を設立し、農家が自ら値
段を付けて、自ら販売する直売所をオープンさせました。オープン後1年ほど経過い
たしましたが、この1年間の売り上げは 6,800 万円です。
この直売所をオープンさせるときのことですが、村の中に直売所を造りますという
と、だいたいお父さん方がたくさん出てきます。しかしながら、お父さん方が出てき
て役に立つかというと、正直なところを申し上げると役に立ちません。それはなぜか。
直売所の中で働いている人を見てください。女性です。直売所の中でものを売るのは
奥さん方ですし、加工所の中でものを作るのも奥さん方なのです。直売所を造るとき
にどうして奥さん方が出てこないのか。お父さん方の話だけを聞いていても、現実に
そぐわないものが出てくると思いました。案の定お父さん方が考えたのは、小川が流
れていて、水車が回っておりました。そして、瓦葺きの非常に重厚かつ立派な建物(設
備)なのです。一方、奥さん方が考えたのはプレハブです。土地の造成費から直売所
の建設費を含めても1坪当たり 27 万円でできました。この直売所建設のため、実は
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2つの会議を開いていました。1つはお父さん方だけが公民館に集まるダミーの会議
です。その一方、奥さん方は農協の跡地の倉庫で夜な夜な会議を開いていました。ど
のような造りにするか、どのようなデザインにするか、中に何が必要なのかという会
議です。このため、直売所の中には奥さん方が本当に必要とするものしか入っており
ません。特にPOSシステムがそうです。これは四国地方でよく使われているものと
同じです。レジを通った瞬間に生産者本人に通知がいくものです。こうなると本人の
やる気に火がつきます。
現在の状況はどうなったかと言いますと、月額 30 万円を超えるおばあちゃんが出
てきました。そうなると孫の扱いが違ってきます。ガンガンと音を鳴らした黒いワン
ボックスカーの助手席にはおばあちゃんが乗っています。朝6時半ごろにここに降り
立って、助手席に座っているおばあちゃんが、茶髪の若い孫に、あれ持っていけ、こ
れ持っていけ、そこの一角に出しなというふうに指示をするなど徐々に変わってきま
した。これによる収入は年金よりも多くなりました。
月 10 万円を超えるあたりから農家の目の色が変わってきました。調子に乗って、
「神子原米音頭」という音頭まで作ってしまいました。盆踊りのときに皆さん黄色い
同じユニフォームを着てやるようになりました。
こうしてつくられたお米やお酒は、非常に特殊な、一部のセレブ層にしか出回って
いない『クラブコンシェルジュ』、あるいは『セブンヒルズ』という年収が2億円か
ら5億円の方々が読む本当のセレブ雑誌に取り扱いさせていただきました。平成 19
年には2冊同時に書かれていました。この雑誌の下にある時計は1つ 1,360 万円の時
計です。それに比べると、5kg で 3,500 円の米などはただみたいなものですし、3
万 3,600 円のお酒がいかに安く感じられるかと思います。
こうしたことを行った結果、平成 18、19 年の2年連続して全国紙で取り上げられ
ました。
橋中市長の「1年で農産物をブランド化します」という公約を何とか達成いたしま
した。所得は何とか 2.8 倍になり、全ての農家ではありませんが、104 俵ぐらい出荷
すれば年収が何とか 440 万円に届くようになってきました。欲を出して、肥料をたく
さん撒いてしまいますとまずい米になります。そうした米は農協へ出してもらってい
ます。おいしい米だけを直売するという方法しかとっていないわけです。ブランドの
マネジメントとか、あるいはUJIターンも始まりました。まだ少数ですが、8名が
この集落に一応戻ってきました。
資料の最後に「考え方」とあります。これは、本市の若手職員向けに書いたもので
す。何を考えているか。何をベースにしてものを考えているかというと、公務員は、
常に給料の3倍以上の仕事をしているかどうかを考えてくれと言い続けています。な
ぜならば、民間企業では 100 万円以上の仕事をしないと 30 万円の給料はもらえませ
ん。経営者が、10 万円の仕事しかしていない人に、10 万円の給料を渡したら当然の
ことながら会社は倒産します。会社全体の維持経費、福利厚生費はどうなりますか。
本人が 30 万円以上の仕事をしないと与えることができないのです。
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それから、市役所の職員に対し、公務員は3つの職員像しかないということを言っ
ています。①いてもいなくてもいい職員。②いては困る職員。③いなくてはならない
職員。どの職員像を選ぶのかは本人次第です。村にとって必要な職員となるか、不必
要な職員となるのかは、自分で選ぶしかないと言っております。あるいは、これまで
の狭い経験と知識によって物事を判断するのではなく、今一度、物の考え方、理念を
整理した上で、判断してほしいとお願いをしております。
唯物史観や社会主義的な発想は人を物としてしか見ていません。人間として見ない
わけです。ここが非常に脆弱だということで、もっと1人の人間として市全体を見て
ほしいという考え方を、若い職員に対して言っているところです。
時間になりましたが、人工衛星の測定、あるいは興味があるという方はぜひ私たち
の 1.5 次産業振興室までご一報ください。すぐ営業の者が駆けつけるようになってい
ます。最後は営業のお話までさせていただきました。どうもありがとうございました。
【第5回研究会】
常磐大学大学院コミュニュティ振興学研究科
教授 井 上
繁
氏
市町村合併が進み、皆さんの市でもかつては町や村であった
周辺地域が今では市域の中に入っているというところも大変
多いと思います。従いまして、以前は、市といえば都市自治
体であり、都市問題だけを考えていればよかったのですが、
農山村地域が新たに市域の中に入ることにより、農山漁村の
現状等についても認識した上で、施策を講じていただく必要
があると考えています。
これから、パワーポイントを使いながら具体的な事例など
について説明いたしますが、今日の私の話の筋はお手元に配布されている簡単なレジ
ュメにまとめていますので、これに沿って進めていきます。
まずは「農山村地域の現状」から入りたいと思います。
1.農山村地域の現状
釈迦に説法かもしれませんが、今、政治の世界で「格差」ということがかなり話題
になっています。違い「格差」としてとらえれば、格差は是正しなければならないと
いう考え方になりますし、むしろ違いを「地域の個性」としてとらえれば、その個性
はむしろ伸ばした方がいいということになりますので、同じ現象についても使う言葉
によってかなり違ってまいります。仮に、その「違い」を「格差」として考えた場合、
最近の「格差」はかつての「格差」と少し質が違っているような気がします。もちろ
ん経済格差、これは皆様の市の財政力指数を比べてみてもよく分かるところでござい
ます。
ただし、従来から言われている格差はともかく、最近、職業柄大学で若い学生と接
していますと、特に新たな格差として挙げられるものとして情報通信格差があります。
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これは学生が情報等に対する感度が大変優れているために起こるものであり、私の大
学がある茨城県でも携帯が繋がらない地域においてはかなり不都合が生じています。
こうした格差を解消するため、一部の県では光ファイバーを全県的に敷設するといっ
たような都市との情報格差の是正に努力をされているところもありますが、これが都
市の場合には黙っていても民間の事業者がインフラ整備ということで通信回線の充
実をしています。中山間地域では必ずしもそうしたわけではなく、むしろ遅れた部分
があれば、行政がかなり力を入れていく必要があると考えています。
また、別の格差として交通問題を考えると、東京周辺では相変わらず通勤ラッシュ
がいわれておりますが、逆に地方の中山間地域では公営バスの廃止が増えている状況
にあります。そのための代替バス、コミュニティバス、あるいはデマンドタクシーの
運行に行政が中心となって、いろいろと努力をされたり、工夫をされたりしているわ
けですが、特に車の運転をしないご高齢の方々のモビリティ、移動がやはり困難にな
っています。高齢者の方が、若い人やほかの人にいちいち頼んで連れていってもらう
となると、相手に対して迷惑がかかるということから、どうしても動きが鈍くなって
しまうというようなことにもなりかねないわけです。
さらに、高校生の通学、あるいは小・中学校の児童・生徒の通学といった問題もあ
ります。まだ運転免許を持てない年代等の場合、唯一の通学手段としてバスというよ
うな所も多いわけです。このため、通学又は通勤の足をどのようにして守っていくの
かといったことが行政にとっては大変重要な課題だと考えております。
もう1つ申し上げれば、やはり福祉です。公的介護保険を導入する前後から、福祉
はやはり一番身近な基礎的自治体が担うべきではないかという議論が盛んに行われ、
考え方としては正しいと思います。なぜならば、やはり住民のことを一番知っている
のは基礎的自治体の皆さんであり、決して都道府県ではありません。このため、考え
方そのものは正しいのですが、今では市町村合併によって市もかなり広域自治体にな
りつつありますので、このような場合には行政の目が隅々まで届くのかという問題が
あります。もちろん届かなければいけないのですが。特に福祉の場合には、やはり地
域社会でそれを担っていくということがとても大事なことです。
私は、大学の仕事の傍ら、各地を訪れるなど現場からの発想を大事にするよう努め
ています。例えば高知県に津野町という2つの村が合併して今日に至っている町があ
ります。この町では社会福祉協議会と行政が一緒になって力を合わせて、「安心・安
全見守り台帳」というものを作成しています。この台帳は、高齢者に何か問題が生じ
た場合に備えて血液型や持病、さらにいざというときの連絡先などの一般的に必要な
情報は全て入っていますが、それに加えて寝室の場所、つまり2階の道路側で寝てい
るのか、それとも1階の茶の間の隣で寝ているのかといったことを記入する欄があり
ます。これは、大地震の発生など、いざという時のためのものです。阪神・淡路大震
災の際には、神戸市の真野地区のようなコミュニティ活動が発達している地区では、
私が今申し上げたようなことを住民の方が知っているため、隣近所の人がすぐに現場
に駆けつけ、ご本人がいないと分かるとパワーショベルを借りて、火の手が迫ってく
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る中で何人もの方の命を助けています。この阪神・淡路大震災では、特に建築基準法
が施行になる以前の木造家屋の倒壊が目立ちましたが、残念ながら中山間地域にもそ
うした古い家屋がまだ多く残っております。災害時にはやはり時間との勝負というと
ころがありますので、いざという時のための備えを地域ぐるみでやっているところも
あることをお話したわけです。
一般論として、農山村地域は都市部に比べると人口減少率が高いといわれています。
こうしたことにも原因があるのかもしれませんが、今、どこの農山村に行ってもイノ
シシやサルやクマなどの野生鳥獣による農作物等の被害が増えております。自然災害
による心配に加えて、野生鳥獣による被害が増えています。
こうした中で、一部ではありますが、このままこの地域に住んでいることができる
のだろうかという心配な気持ちを持つ方もおられると思います。心の過疎というよう
なことだと思いますが、今の日本の全体人口は昨年当たりから減少していますが、農
山村における減少幅は都市部よりも大きくなっています。最近の災害時における被害
の大きさや鳥獣被害等もこの人口減少と何らかの関係があるのではないかと考えま
すと、こうしたことに対しても市の施策が及んでいく必要があるのではないかと考え
たりもします。
ただし、悪い話ばかりではありません。今、政府も二地域居住等に力を入れつつあ
り、一部の地域では農山漁村にIターンなどで人が移住しているといった事例もあり
ます。
最近、『二十四の瞳』の舞台として知られる香川県の小豆島を訪れる機会がありま
した。ここでは「オリーブのまちづくり」に力を入れていますので、そうしたことか
らオリーブに関連する仕事をやってみたいという人が出てこられました。今ある豊か
な自然というものは維持しながらも、やはり働く場というか産業の創出は非常に大切
なことですので、皆さん方がやっておられる委員会や研究会の役割というものは大き
な意義があるものだと思います。
2.再生の論点
(1)都市と農山漁村との関係
次に「再生の論点」に入ります。(1)として「都市と農山漁村との関係」と書き
ました。実は、わざわざこういうことを書かなければならないのは少し残念なことな
のですが、最近の政治の場面などを見ていますと、「都市か地方か」といった二者択
一的な発想があまりにも多すぎるような気がいたします。地方交付税論議などを聞い
ていても、大都市に住んでいる人が地方、農山漁村等をあたかも養っているがごとき
の議論がされています。日本列島の中では、都市と地方の農山漁村あるいは地方の都
市、これらは当然のことながら支えあっています。東京だけが光り輝いているような
歪んだ姿では日本の将来は危ういと言わざるを得ません。こうした当たり前のことが、
必ずしも政治を司っているような方々の間で十分理解されていないことに危惧を覚
えるわけでございます。あるいは今日、皆さんがこの会場お越しになる際に、山手線
に乗って来られたかもしれませんが、この山手線で使用されている電力は新潟県の信
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濃川の発電所で発電したものが使われています。飲料水も同じことです。水源地域の
犠牲がかつてあったからこそ、水不足もそれなりに解消されていますが、四国、九州
あるいは島嶼部、島では未だに水不足という大変な難題を抱えているところもありま
す。
また、私どもが口にする食料の自給率も下がっています。中山間地域は食料の供給、
農業を通じての環境保護、あるいは国土保全そのものに大いに関係しています。今、
林業の担い手不足が叫ばれている中で、派遣労働者などの一部の方が林業などに職を
求める動きがあるといった報道がつい最近もありましたが、大都市と中山間地域ある
いは地方都市というのは支えあう関係にあるということを改めて確認しておきたい
わけです。
実は、私は長いこと新聞社に勤務していて、地方問題とか地方自治に関する社説を
十何年にわたって書いてきたこともあり、地方の方々と意見交換をするようになって
随分と長くなります。そうした中で、大都市と中山間地域との交流とか連携はますま
す盛んになってきていると思います。一時は市町村合併により、かつて姉妹都市であ
ったところが解消したというようなことがあり、これは困ったことだと思った場面も
ありましたが、最近ではかなり復活していますし、市町村合併後も海外との姉妹都市
もそのまま引き継がれているところの方が多いように思います。
そのよう中で、都市と農山漁村との連携を考えてみます。
東京都世田谷区と群馬県川場村の交流は、1981 年に東京都の副知事と群馬県知事
が立ち会って協定に調印したもので、もう 28 年、四半世紀以上が経過しています。
この交流では山村留学、森林ボランティア、民家に宿泊する民泊、農作業体験、ある
いは逆に村の子供たちが世田谷区に来てホームステイをするといったことが行われ、
また、川場村の特産物を世田谷区で販売するということもずっと続いています。
こうした中、1986 年に今の健康村を開設し、これも既に 20 年以上が経過しており
ます。この健康村は川場村と世田谷区に加え、民間の方々も出資している第3セクタ
ーです。いわゆる宿泊保養施設ですが、さまざまな形で実績が積み重ねられています。
こういった関係がもっと広がればいいと思っています。
(2)格差是正と内発的発展
例えば各市におかれても企業誘致に力を入れているところが多いと思いますし、県
も含めて頑張っていると思います。ところがこの企業誘致、企業と言っても工場だけ
ではなく、事務所、支店、出張所のようなものも含めての話になりますが、これがな
かなかのくせ者なのです。誘致のために、固定資産税の減免などさまざまな優遇措置
を講じたり、首長自らがトップと面会したりするなど、いろいろと努力をして地域に
事業所を誘致いたしました。ところが、例えば東京とか大阪などの大都市に本社のあ
る会社は、東京とか大阪の論理で意思決定をしています。ということは、ある日突然、
アジアに工場を造りたいといったことや、現在、何々県何々市にある工場で生産して
いるものを別の工場に移したいといった話がくるわけです。大型店についても同じこ
とです。採算が合わないといって駅前の大型店舗が突然閉鎖されます。これによりた
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だでさえ寂れている印象のある駅前が、さらに輪をかけて寂れたという地方都市も多
いようです。
この問題をよくよく考えてみると、企業というほかからの力によって地域の振興を
図ろうと考えたことに原因があるのです。後程申し上げます「内発的発展」とは逆の
考え方、強いていえば内、外ということで「外発的発展」ということも言えなくはな
いのです。だからと言って、企業誘致を全く否定するものではありません。企業が来
ることによりさまざまな利益があることはご承知のとおりですが、先ほど申し上げた
ような事例もあるということ、もう1つは例えば昔から地域で製造業の仕事をしてい
る中小企業は多いとは思いますが、こうした中小企業と地域へ進出して来た企業との
取引といったさまざまな関係が出てくるような一種の地域連関、それには中小企業を
育成して中堅企業になってもらうといったような努力も必要かとは思いますが、そう
した一つの地域の中での関わりができてくれば、それはそれとしてまた大きな成果に
つながると考えるわけです。
ただ、そうしたことはあるにせよ、本日の研究会で強調したいのはこの「内発的発
展」ということです。国が条件不利地域について、もちろん農山漁村の全てが条件不
利地域とは申し上げませんが、一般的に条件不利地域といわれている地域にてこ入れ
をするのは、国土保全や環境問題等のさまざまなことを考えれば私は当然のことだと
思います。今日あえて申し上げたいのは、実は1つの都市においても同じことだと思
います。今、市町村合併が一段落した地域を訪れますと、周辺地域に住んでいる方は
その地域の将来に対して非常に心配をしています。中心市街地に住んでいる方とは別
の感覚を持っている方が多いわけです。そういう状況の中で、やはり地域資源を生か
して頑張っている地域もございます。
これからいくつかの事例をご紹介いたしますが、これらの事例は現時点ではまあま
あうまくやっている地域です。ただし、世の中の状況は日々変わっていきますし、地
域間競争も激しくなっていることからこのままずっとうまくいくかどうかは分りま
せん。また、同じようなことをほかの地域でやったからと言って 100%成功するかと
いうと必ずしもそうではありません。なぜならば、見た目は地域資源が同じであって
も、それをうまく組み合わせ活用していくソフト部分がやはり違うからなのです。
そうした中で、高知県馬路村についてご紹介いたします。
1)高知県馬路村の取組
ここ馬路村はゆずの産地で、人口は 1,170 人と少ないところです。隣は徳島県で、
総面積の 97%が山林です。昔から炭の産地として有名な地域でしたが、ご承知のよ
うに林業は厳しい状況におかれています。
そうした状況の中で、この村の唯一の特産品が「ゆず」なのです。特産品であるゆ
ずは、そのままの形で出荷すると値動きがかなり激しく、時には値崩れすることもあ
ります。ましてや、馬路村の場合には高齢者が農業に従事しているため、管理がだん
だん行き届かなくなったことから「ゆず」の品質が落ち、それが買いたたかれる原因
にもなっていました。
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そこで、1次産業である農業製品を加工して付加価値をつけて売り出すという、い
わゆる 1.5 次産業に取り組みました。1979 年に初めてゆず製品を都会に向けて売り
出しました。今年が 2009 年ですから、あれから 30 年が経っています。昨年も馬路
村を訪れましたが、実は今から 30 年前とは言いませんが、世間的に少し馬路村の名
前が知れ始めてきたころに取材に行きましたので、今回、馬路村を訪れてその後も頑
張っているということがよく分りました。
馬路村の名前が知れ渡るようになったきっかけはというと、20 年ほど前の 1988 年
に東京・池袋の西武百貨店で行われた全国商工会連合会が主催した『日本の 101 村展』
に出品して大賞を獲得したことが大きな要因です。試しに出品した製品の評判が非常
によかったことから、都会の人はこうした製品を出すと喜んでもらえるということが
わかり、自信がついたわけです。今では「ゆず酢」とか「ゆず味噌」、あるいは「ゆ
ずジャム」といったさまざまな製品を売り出しています。なお、最近ではこれら製品
のインターネットによる通信販売にも力を入れています。また、今では馬路村に関す
る本も出版され、さらにはテレビなどでも報道されているので、こうしたメディアを
見た人から直接電話がかかってくるわけです。
私が馬路村を訪れる際には、いつも高知空港でレンタカーを借り、自分で運転をし
て村へ向かう道を行くのですが、だんだんと寂しくなります。片側1車線の道が途中
からすれ違うこともかなりきついぐらいの道になるので、道を間違えたのではないか
と不安になります。ちょうど去年ゆずの季節に行ったのですが、私自身はあまり冷房
が好きではないので、車の窓を開けて走っていると、村へ入った途端、ゆずの匂いが
漂ってきます。ゆずの村に来たということで懐かしさを覚えるわけですが、ほかの方
も多分同じ感慨を持たれると思います。また、村の入り口には、ゆずの村と分る建物
がありますが、これを見るとやはりゆずの村に来たということで安心いたします。観
光案内所ですが、このような仕掛けも施されております。
先ほど、もともとは林業の村であったと申し上げましたが、最近ではゆずで名前が
知られたことから、馬路村そのものをブランド化するということで工夫をしています。
地域資源を生かしてこのような各種のゆず製品を開発したり、あるいは土佐の和紙と
組み合わせて和風の照明スタンドを『馬路の灯』という名前で売り出すといったよう
なこともやっています。
2)徳島県上勝町の取組
次にご紹介するのは、最近、テレビなどでも随分と取り上げられるようになりまし
た上勝町の話でございます。上勝町は人口が約 2,000 人と少なく、高齢化率が 46%、
今ではもう 47%になっているかもしれません。ここ上勝町では、農家の、特にご高
齢者の方々が頑張っているというところがミソです。ここもみかんの産地でしたが、
このみかんの木が台風による被害を受け、これを再生するのは大変なことでした。た
またま大阪に出張した農協職員が、食事の為に寿司屋に入りました。衝立の向こうで
若い女性達が食事をしていましたが、彼女達の会話が何となく耳に入ってきました。
刺身などの「つま」として使われている紅葉か何かのきれいな葉っぱを見て、
『わー、
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きれい、これ持って帰ろう。』といった会話をしているというのです。都会の人はこ
んなことに関心を持つのかと、改めてそうしたことを感じたわけです。
そこで、その職員は町へ帰って呼びかけました。ところが町の人達は、落ち葉を売
るなんてことはできないとのことで、ほとんどの人は乗ってきませんでした。一番初
めに出荷をしたのは 1986 年のことですが、その当時はわずか4戸の農家しか協力し
てくれませんでした。しかしながら、今、代表取締役をされている横石知二さんは大
阪の夜のことが忘れられませんでした。そこで出荷をしてみましたが、さっぱり売れ
ません。そうすると地元の人は「それみたことか、そんなもの売れるわけがないよ。」
というような話にもなりました。
それでも横石さんは、知られていないから売れないのだと思い出荷を続けていまし
たが、なかなか売上が伸びない。これはやはり使ってもらう先方の話を聞く必要があ
るのではないかとのことで、つてを頼ってある料亭の板前さんに上勝町に来てもらい
話をしてもらいました。開口一番、
「上勝町から出荷される葉っぱは不揃いである。」。
つまり、葉っぱは食べるものではないが、大きいものとか小さいものとかが混ざって
いるとお皿の上に乗った時のイメージが違う。片一方の刺身は4切れあって、もう片
一方の刺身は2切れしかないというような違いではないが、板前さんとしてはそうい
うものは出しにくい。しかも、台風で落ちたものとか、あるいは虫が食ったものなど
も一部入っていた。これでは使うわけにはいかないといわれました。そこから、大き
さは同じもので、かつ落ちる前に採取したものが秘訣であるということも初めて知り
ました。
先ほどトレーに紅葉の葉っぱを詰めている写真をお見せいたしましたが、紅葉を詰
める時にはアイロンをかける際のスプレーで霧をシュッと吹きかけてからラップで
包むのと同時に、その日のうちに市場に出荷するなど見た目にもいいといわれること
もやっています。
この紅葉の木は私に言わせれば商品棚です。この葉っぱの1枚1枚が言ってみれば
現金に変わるわけですからおろそかすることはできません。余談になりますが、葉っ
ぱがお金になるということを知って、地域の皆さんがきれいな葉っぱの樹木等を植え
るようになり、景観がよくなりましたと地元の方がおっしゃっていました。
町を離れて仕事をしている息子さんが、帰省した際にこの話を聞き、それならば葉
っぱを採りやすいようにと柵を作ってくれたということで持ち主の方は喜んでいま
した。
庭木、いわゆる柿の木ですがこのような葉っぱも大事な商品になりますことから、
1本1本がおろそかにできないわけです。
夫婦で葉っぱを採り、妻がトレーに詰め、夫がライトバンなどで農協へ持っていく
といった働き方をしております。働いている方の平均年齢は七十数歳なのです。多い
人は月に 100 万円くらい稼ぎます。ほとんど夫婦でやっていますので、多い人という
より多い世帯といったほうがいいかもしれません。
普通の商品、コンビニの商品ですと 100 万円売るためにはいろいろ原材料費がかか
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ります。原価があるわけです。ところがこちらの場合には、何と言っても庭に生えて
いる木とか自分の畑の木ですから、もちろん管理をする必要はないので、常識的に考
えてもそれほど原価がかかっているとは思えません。
今、これをやっている農家は約 180 戸です。年商2億 5,000 万円から2億 7,000 万
円といったところです。農家ではトレーに詰めると農協の支所に運びます。ここで取
り扱っているものは「彩(いろどり)」という地域ブランドが付けられています。実
は、上勝町で成功したことから、ほかの地域でも同じような葉っぱビジネスを始めま
したが、ここ上勝町は一番の先発組ですから「彩ブランド」というだけで大阪、東京、
広島といった市場では高く売れます。これが強みです。
ここではもう1つお話した方がいいことがあります。パソコンの写真をお見せして
いますが、キーボード、マウスなどの形は、今私の手元にあるノートパソコンとは全
然違っています。これは高齢の方が使いやすいように、町とメーカーとが共同して開
発したものです。なぜこうした高齢者向きのパソコンを開発したかというと、日中ト
レーで詰めていた方が、夕方になるとパソコンの画面でその日の自分の成績を確認し
ます。というのは、自分が市場に出荷したものがいくらで売れたということが分かる
ような仕組みになっています。しかも、ここがまた随分ユニークだなと思いますのは、
約 180 人の生産者中で今日はあなたが一番多かったですよとか、2番目ですよという
ことが誰でもパソコンで見られるようになっているところです。そうすると七十何歳
といえども競争心がわき、皆が競って出荷するようになります。
そうなると機会を均等にしないと仲間割れが起きるのではないかという懸念が生
じるので、農協の方が考えたのは朝 10 時になると防災無線を使ってファックスで一
斉に「今日はこれだけ必要です」と流します。そうすると自分の商品棚、庭の木の状
況を見て出荷できるとなると、これがまた競争になりますが、携帯で農協へ電話をし
て例えば紅葉 10 箱とか、カエデが何箱とか、こうやって受注できますというわけで
す。ここでは機会均等が一番大事というわけです。
3)長野県小川村の取組
さて、次に長野県小川村の取組をご紹介します。
ここの特産品は「おやき」です。私なども子どものころには随分食べたものです。
この小川村はおやきの製造で頑張っている地域です。1986 年ですから、かれこれ 20
年以上前のことになりますが、農協が中心となって「小川の庄」という株式会社をつ
くりました。昔は農山村では囲炉裏でおやきを作っていました。私も世代的には疎開
をしておりましたので、おやきには郷愁を感じます。都会ではおやきを見かけること
がほとんどなくなりましたが、農家の味ということでファンも今広がっています。
ここではいろいろと工夫をしております。例えば、おやきを製造して販売している
ので、言ってみればメーカーです。普通メーカーといえばそのほとんどは工場を建設
し、従業員は工場に通勤しています。これが普通のパターンです。多くの従業員を抱
えている工場では、会社のマイクロバスなどによる従業員の通勤や、あるいはマイカ
ーによる通勤が行われているところが多いようです。
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しかしながら、高齢者の方は車の運転に自信をなくしておりますし、さらに気軽に
働いていただくためには通勤などがないようにする必要があります。
そのため、普通ならば一つの工場にするところを、分散工場ということで集落に小
さい作業場を建設しました。自分の集落内なので徒歩通勤が可能ですし、また農家の
方はお昼には家に帰って食事をするという習慣がありますので、この作業場で働くこ
とにより家に帰って食事をとることができます。そうなると働いてみるかという気持
ちになり、気楽に働けます。これがミソだと思います。
また、ここ小川村も上勝町と同じようにご高齢の方に活躍していただいているとこ
ろもミソです。会社を設立した際、従業員は 60 歳以上の方に限定をしていました。
当初は 60 歳で入社し、定年が 78 歳という仕組みを作りました。ところが仕事をして
いくうちに、78 歳になったからと言ってピンピンと元気にしている人がたくさんい
ることが分かりました。その上、働いている方からの希望もありましたので、現在は
定年という制度はありません。いつ辞めるかというのは自分が決めればいいというわ
けです。
おやきの具は野沢菜とか切り干し大根とかいろいろあります。全て手作りです。お
やきの製造工場である「小川の庄おやき村」は観光客に開放されていて、その中では
製造実演しています。実演している男性は 1924 年生まれです。私は食事をした後に
行ったものですから、そこで食べずに単に写真を撮っただけなのですが、大きな声で
『ありがとうございました』といわれました。本来ならば写真を撮った私からお礼の
言葉を述べるべきものなのですが。この村の合言葉は、『丸いおやきで心も丸く』で
す。この話を後で聞いてなるほどと思いました。
先ほど、高齢者の方がピンピンとして働いていると申し上げましたが、おやきを作
っていく中で、練り作業というのはかなりの力を必要とする大変な作業だそうです。
このため、練り作業には練り機を導入するなど作業負担の軽減を図っているとのこと
でした。また、集落で作られたおやきは配送車が巡回して製品を集めているとのこと
でした。
その後、「小川の庄」もそれなりに知られるようになりました。そうなると若い人
が自分も何か役に立つことがあればここで働きたいというような話をしてきます。考
えてみればそうした希望を持った若者を拒否する必要はありません。もともと 60 歳
採用としたのは、村には若い人があまり居なかったということも実はありました。そ
ういうわけで、今では働きたいという人も出てきており、さらに若い人も加わってい
ます。パソコンを操作する人も随分と増えてきましたので、ここ小川村でも通信販売、
特にインターネットを使った通信販売に最近では力を入れております。
以上、三つの事例をご紹介しましたが、次に国土をどう保全するかについて移りま
す。
(3)国土をどう保全するか
ご承知のように、「限界集落」という言葉が随分使われるようになりました。私自
身もそうしたところの調査をしています。限界集落に近いところを訪ねますと、やは
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り人がいないということで、ごみの不法投棄、ごみと言っても普通のごみだけではな
く、非常に大きな家電製品や産業廃棄物といったようなものが、道路沿いの人目につ
くところに大量に捨てられているというような場面に出くわすことが多々あります。
あるいは、自治体がトンネルの建設や道路改良のための用地買収をしようと思っても、
実際、そこに居住していない不在地主との連絡をつけるのにかなり手間がかかってい
るようです。仮に名前が登記簿に掲載されていたとしても、代替わりしていたりする
こともあります。また、共有林などもあることから権利関係が余計に複雑であり、境
界線の確定ができないのです。あるいは、空き家は当然のことながら庭が荒れていま
す。このような庭は通りから目につき易いところに多く見受けられるので、集落景観
を損ねているといえます。
農山漁村、特に農山村は農業活動あるいは林業活動を通じて、結果として国土の保
全という大事な役割を担っていますが、今やその機能が低下しています。これは国と
しても取り組まなければならない大変重要な課題になっています。そのような状況の
中で、さまざまな仕組みを構築していくことが望まれることから、次の「4.今、必
要なこと」ということで、三つに絞って申し上げたいと思います。
3.今、必要なこと
(1)自らの市の実態を把握することが必要
『ワイン発祥の地は今』ということでご説明いたします。旧勝沼町、現在の甲州市
勝沼は日本におけるワイン発祥の地です。最近では、ここで生産したワインが本場の
フランスにまで輸出されています。フランスワインもこちらに入ってきていますが、
こちらからも出しているという土地です。
ここでは、ぶどうとワインにこだわったまちづくりをしています。合併をしたのが
2005 年で、塩山市と勝沼町、それに大和村の1市1町1村が新設合併をして甲州市
が発足いたしました。合併後には振興局が設置され、勝沼には勝沼振興局というもの
があります。この勝沼振興局が勝沼地域の地域づくりを担っています。写真では旧J
Rのトンネルの写真をご覧いただいていますが、JR側の輸送力増強という事情によ
り、ルートが微妙に変更されました。その結果、今まで使用されていたトンネルが用
をなさなくなり、当時の勝沼町に無償で寄付されたことからここを遊歩道に変えまし
た。今この地域では「フットパス」という新しいやり方を取り入れています。このフ
ットパスはイギリスで盛んに行われている活動であり、簡単に言えば散策する道を系
統的に整備し、何々ルートというような形でいくつかのルートにする取組です。先ほ
どのトンネルにも灯りを全部つけて、散策ができるようにしております。
何と言っても「勝沼ぶどう郷駅」は、プラットホームのすぐ脇までぶどう畑があり
ます。
勝沼には小高い丘がありますが、その丘を「ぶどうの丘」と名付けています。この
ぶどうの丘には温泉が沸いているほか、宿泊施設もあります。また、ここ「ぶどうの
丘」では、ワインの試飲もできます。
実は、塩山の方と話していて分かったことですが、塩山の方は勝沼地区でやってい
- 83 -
る活動、例えばフットパスなどを知らない方が多いのです。中心市街地である塩山地
区では、また別の名前をつけて観光ルートを作ってやっています。先ほども申し上げ
ましたが、合併したのが 2005 年ですが、同じ市に住んでいながらも地元の方が自ら
の市内の実態を十分把握していないということです。皆さんの市ではどうでしょうか。
もちろん自治体によって合併をしていないところもありますし、合併をしたもののそ
の広さ等はかなり違いますから一概にはいえないと思いますが、市役所の職員の方が
自分の市の現況を知らずしていい行政ができるのでしょうか。私は研修会などではま
ずこうした話をしています。前に自分が働いていた地域のことが分かるというのは当
然のことですが、ほかの地域のことについても意識的に勉強しないとバランス感覚を
失うことになると思います。まず、自らの市の実態を把握しようというのが、先ほど
3つ申し上げますといったうちの1つでございます。
(2)目に見える形での周辺地域対策の実施
さて、それでは『大山・中津江は今』ということでご紹介いたします。先ず大分県
大山町といいますのは、地域づくりの世界では非常に名の通った地域です。かつては
北海道池田町か大分大山町かといわれた時もありました。今でいう地域づくりを始め
たのが 1961 年のことで歴史があります。この大山町と大分県中津江村。中津江村は
2002 年に日韓で開催した第 17 回ワールドカップの時にカメルーン代表の方々をお迎
えした土地として知る人ぞ知るという土地です。この大山町と中津江村は 2005 年の
市町村合併(1市2町3村)により日田市に編入されております。
こうした中で、現在の日田市長が選挙に出馬をした時の公約は「周辺地域を大事に
する」ということでした。先ほども申し上げましたとおり、大山、中津江といった周
辺地域は地域づくりで名の通ったところですが、冒頭に少し申し上げましたとおり、
周辺地域というのは市役所の本庁舎があるところに比べると条件的に不利です。この
ため、意識的に周辺地域に関する振興施策を講じていかないと、周辺地域の人々が市
役所の本庁舎がある中心地へと移動することになり、ひいては周辺地域が寂れる恐れ
があります。やはり政策としては意識的にやっていく必要があるということではない
でしょうか。
1)旧大山町での取組
初めに大山について紹介いたします。旧大山町にある『木の花(このはな)ガルテ
ン』では、有機農法で生産した農家の出品物に生産者の名前を書いた統一規格のシー
ルを貼るなどして販売を行っていますが、それよりも特に大山町を有名にしたのは、
『梅栗植えてハワイへ行こう』というキャッチフレーズで地域づくりに取り組んだこ
とではないでしょうか。当時はまだ稲作が全盛の時代で、あえて稲作ではなく梅と栗
を植えて収益を上げ、海外旅行に行こうといったのです。これにより、一時、地域が
随分潤いました。その大山町が合併後どうなったのか私も大変関心がありました。こ
こで一つご紹介したいのは、1991 年から4年に1度ずつ開催されている「全国梅干
しコンクール」のことです。コンクールが始まった当時は、大山町役場や農協が主催
していましたが、合併後の 2007 年に初めて開催されたコンクールでは、大山町役場
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から振興局になったため、主催団体としての行政の名前がなくなりました。また、か
つては農林水産大臣賞も出していましたが、同賞も最初から申請を行わなくなったと
のことでありました。大山の場合は伝統があることからこのコンクールが続いていま
すが、やはり地域づくりという視点で見た場合には、残念ながら少し力が削がれてい
るという感じもします。
2)旧中津江村での取組
さて、次は旧中津江村での取組をご紹介いたします。ここには当時の3村などが共
同出資した第3セクター「つえエーピー」があります。この組織では先ほどご紹介し
た馬路村に勉強に行き、今ではゆず製品によりかなりいい線にいっており、馬路村の
ライバルになりつつあります。世界食品コンクールの「モンド・セレクション」にお
いて最高金賞を 2004 年より5年連続で受賞しています。
そうした地域ですが、ここは昔金山があり、そこを観光施設として開放しています
が、村の合併が決まって以降、財団法人を作り、その財団法人に今まで村が行ってき
た仕事を引き継いでもらいました。この財団法人の役員は、商工会、農協、自治会、
婦人会といった村の主な組織の代表の方々が就任しています。市町村合併により従来
の村の特徴がなくなるおそれがあることから、それを防ぐための組織として作られた
ものです。
以上、二つの事例をご紹介いたしましたが、日田市を例にして何を申し上げたいか
と言いますと、一言でいえば、目に見える形で周辺地域対策をしてほしいということ
なのです。中心部の方は、やはりいろいろと意見を言われる方も多いですし、市議会
議員もたくさん選出されているので、その声は反映されやすいのですが、周辺地域の
声に対しては、やはり首長が意識的に耳を傾けるというようにしないと、将来的に見
てよろしくないのではないかと考えています。
3)都市自治体は住民の自主的な取組に対する支援を
最後になりますが3番目は、都市自治体は住民の自主的な取組を支援せよというこ
とです。行政だけで地域づくりをするという時代は終わりました。住民、NPO、さ
まざまな団体、企業等と一緒になって地域づくりを進めていく必要があるのではない
でしょうか。
4.都市自治体の責任は重い
そろそろまとめたいと思います。レジュメの最後に「都市自治体の責任は重い」と
書いておきました。従来、市長はどちらかと言えば都市的な発想をしていれば済んで
いましたが、今では農山漁村が市域の中に入って来る時代です。そうした中で、2010
年、来年には過疎法が期限切れになり、また、同じ年に、「食料・農業・農村基本計
画」の新しい計画が策定されます。これは国にとっても大事なことですが、一つ申し
上げたいことは、現場を知っている皆さんから、国に対してしっかりと政策提言をし
ていただきたいということでございます。
それから2つ目は、地域づくりにおいて、やっぱり歴史とか環境を守っていくとい
うことです。
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北海道清里町では、自治会が整備している花壇、あるいは個人が守っている道路沿
いの花壇、個人の庭の開放、ドライフラワーの制作、長野県木曽町の開田高原では、
農村景観を大切にするための道路標識の工夫、自治体から支給された材料費を元に行
う住民による手づくりのバス停留所などのさまざまな環境保全が行われています。
そうした中で、まちの歴史に誇りを持つということで言えば、ニュージーランドの
ワイヒという町が参考になると思います。
昔は金の露天掘りをしていたところなのですが、町の中を歩きますとあちらこちら
にパネルが展示されており、町の歴史について写真や文章で詳しく紹介されています。
日本ではこれほどの規模で地域の歴史を訴えているところはまだあまり見かけませ
ん。ワイヒでは、こう言ったものがあちらこちらにあります。考えてみますと、地域
にはその地域にしかない歴史があるわけです。これはほかでは真似のできないことで
ございます。都市と農山村の調和ある発展を進めていくためにはどうしたらいいのか
ということで、私自身の考えを押しつけるつもりはないのですけれども、これまでい
ろいろ見てきた中でヒントになると思われるものを拾ってご紹介した次第でござい
ます。
【第6回研究会】
農地の有効利用の促進に係る農地法等の改正について
弁護士(元食糧庁長官) 髙 木
賢
氏
はじめに
ご紹介いただきました高木賢でございます。いまご紹介に
ありましたように、20 世紀の間は農林水産省に勤めておりま
したが、2001 年の冒頭に辞めまして、21 世紀は弁護士をや
っているということでございます。出身は群馬県高崎市でご
ざいます。途中島根県の農林水産部長で出向したこともございます。今日お集まりの
皆様方の顔ぶれを見ますと、役人をやっていたときに何らかのお世話になったり、つ
ながりのあった方であろうなという感を深くいたしております。
それでは内容に入りたいと思います。かなり長いレジュメを用意させていただきま
した。私の話をパッと聞いただけでは記憶に残らないところもあるかもしれませんの
で、これをお持ち帰りいただいて、読んだときにも何か役に立つようにということで、
若干詳細に書いておりますが、要点につきましてはアンダーラインで整理しておりま
す。
今回6月に成立した改正農地法ですが、大きく2つの柱からなっております。1つ
は「農地を守る」「確保する」という関係の規定です。守られただけではどうしよう
もないので、
「守られた農地、確保された農地を有効利用する」、この2つを眼目にし
ております。事務局からいただいた要望によりますと、特に「有効利用」ということ
に力点があったように思いましたので、有効利用ということに重点を置いたペーパー
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の整理をしております。
実は、確保という点では市町村長さん方に非常に関係の深いものとして、これまで
市あるいは県が公共用に転用するときには許可不要ということだったのですが、今回
の改正では、行政機関ですから許可というのはどうかということですけれども、都道
府県の転用担当部局と協議をして、協議が成立しないと転用できないということで、
許可制ということではありませんが、協議制度というものが導入されるということに
なっております。その点が市町村あるいは都道府県が農地を転用する場合、これまで
公共用の転用ということであれば自由であったものが、協議制、法定協議制というも
のが導入されるというのが大きな点であります。
何でいまごろ農地のそういうことなのかということについてちょっと申し上げて
おきますと、現在日本の農地は 463 万ヘクタールしかありません。これはフランスの
6分の1です。ドイツ、イギリスの4分の1ということで、日本は山国で、かつ非常
に農地面積の少ない国であるにもかかわらず、さらに減り続けている、これが一番の
問題です。一方人口はどうかというと、フランスは 6,000 万人、ドイツで 8,000 万人、
イギリスも 6,000 万人ということで日本の半分以下、ドイツで3分の2以下くらいし
かいません。
したがって、少ない農地で多くの人口を養うということですから、いわゆる食料自
給率はかなり低い水準であります。いま4割ということで低い低いといわれています
が、そもそも物理的な生産条件が、日本の場合人口に比べて農地が極めて少ないとい
うことで、大変苦難を背負っている状況にあるわけです。昨今の国際穀物価格の高騰
で、日本の農地をもうちょっと大事にしようじゃないか、もうちょっと有効に使おう
じゃないか、そうじゃないと将来に向かって食料の確保に不安がある、こういう声が
起こってまいりまして、やはりこの際、日本の農地を見直して、できるだけ農地が減
ることを防止する、それから、耕作放棄されたところで回復できるものは回復整備を
する、それからそもそも現在農地として利用されているものも利用のレベルを上げる、
こういうことが必要なのではないかということで、2007 年、先ほどの紹介にもあり
ましたが、「農地政策に関する有識者会議」というものが農林水産省に設けられまし
て、私は役人時代にそんなに農地を詳しくやったわけではなく、また、役人OBがい
ろいろな審議会あるいは研究会というところで排除されているわけですけれども、幸
い弁護士という肩書があったものですから有識者会議の座長になれということでや
ってまいりました。
そういう2年間の勉強を経て、今回の改正案がまとまって、かつ国会で民主党の修
正案というものが出され、与党との間で協議の上修正が合意されまして、6月 17 日
に成立したということでございます。
冒頭の 1 ページにあるように、この2つがポイントということであります。「農地
を確保する」、「確保された農地を有効利用する」ということであります。
利用という側面だけで見ますと、これまた2つの面があります。ご案内のように、
農地一筆一筆に地片として分かれております。その土地そのものの地片として農地を
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利用するということが最低限必要なわけですけれども、それがある程度まとまって面
的に、つまり1日あるいは半日の作業をこなすに足りるぐらいの大きさにまとまった
農地を利用する、そういう面的な利用を促進するということももう1つの課題であり
ます。つまり高いレベルの有効利用を図るということであります。このように利用と
言っても2つの側面があるということであります。
それから今回の改正は、利用の促進のためにいろいろなメニューを用意しておりま
す。これを「平成の農地改革」というような言葉で言う人がいるのですが、実はかつ
ての、戦後間もなくの農地改革とは大きく違っています。戦後間もなくの農地改革は、
いわば人のふところに手を突っ込んで強制的に国が耕作地を買い上げて、これを小作
人に売り渡したということですけれども、今回はそういう乱暴なことは当然ありませ
んし、単にいろいろな利用促進のための枠組み、制度の仕組みを改めたというだけで
すから、これを生かすも殺すもそれぞれの関係者の努力いかんということであろうと
思います。したがって、地域の農業のビジョンをどうやって描いて、そのためにこう
いった改正法をどう利用していくのかというところにポイントがあるのではないか
と思っております。
1 目的規定の改正等
① 目的規定の改正
具体的な改正事項に入ります。まずは大きく違っているのが目的規定。農地法の目
的というものが何であるかというのが変わっております。四角の囲み中に書いてある
ことが、これまでの目的規定と何がどう変わったというポイントのところであります。
以下その説明が書いてあります。
まず①の「目的規定の改正」というところでは、これは農地の関係者には非常に有
名な字句ですけれども、これまでは、「農地はその耕作者みずからが所有することが
最も適当であると認めて」という文句が入っていました。耕作者がみずから所有する
のが最も適当なんだという哲学であります。これは農地改革のときに導入されたわけ
ですが、この規定を削除した。それに代えて新たに主たる目的として2つ入れました。
「農地を農地以外のものにすることについて規制する」こと、端的に言えば転用を規
制するんだということと、次に少し長いんですが、「農地を効率的に利用する耕作者
による権利取得を促進し」、これが大きな2つ目の中の小さい1つです。小さい2つ
目は、「及び農地の利用関係を調整し、並びに農地の農業上の利用を確保するための
措置を講ずる」と、こういう大きく、転用規制と利用促進という2つを規定したとい
うことです。
2ページにまいりますが、これらの措置を講ずることによって、「耕作者の地位の
安定あるいは国内の農業生産の増大を図り」、この最後のところが一番の究極の目的
ということですが、「もって国民に対する食料の安定供給の確保に資すること」とい
うのを目的として書いております。これが現在の農地法と大幅に変わっております。
ご案内のように、昭和 22 年から行われました農地改革、これは地主が保有する農
地を買い上げ、自作農にするため小作人に売り渡したということでした。自作農にな
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れば、耕作者の地位も安定する、それから収穫物はみんな自分のものになるというこ
とで、戦後の食料難に対して、農業生産を一生懸命やるであろうと、そういうインセ
ンティブが働くということが期待されたわけです。現実に、昭和 20 年代、30 年代で
は、非常に農業生産力は強化され、さしもの食料難も解消するに至りました。これに
はアメリカからの食料援助も影響しておりまして、今日の学校給食などにもその影響
を留めておりますけれども、国内の生産力が極めて上がったということは事実であり
ます。
これが戦後GHQの力で実現したわけですけれども、昭和 27 年に占領が終わると
いうことになりまして、占領が終わったときにGHQがいなくても大丈夫かというこ
とでつくられたのが農地法であります。この農地法では、耕作者が所有することが最
も適当だという哲学を明確にして、農地改革の成果が逆戻りしないようにということ
でできたわけです。
しかし、いまや農地改革から 60 年、大きく状況は変わっております。農地の所有
が一番適当なんだという哲学だったのですが、逆に言うと、所有していれば利用する
かというとそうではない。これは耕作放棄地が 38 万ヘクタールくらい発生している
ということからも明らかなように、農地を持っている人が必ずしも耕作するとは限ら
ない。確かに耕作者が持つのがいいということはあったのですが、逆に、所有者が必
ずしも耕作者ではないという事態が発生してしまった。それが大きな背景の第 1 点で
す。
2 番目は、いまの農地の利用構造を見ますと、むしろ借りている人というのは大規
模の人が多いわけです。しかもそれは少数であるということで、大規模に借りて経営
する人は、50 人、100 人の所有者からそれぞれ小さな土地を借りて、それを借りるこ
とによって大規模経営を実現しているということですので、戦前のような小数の大規
模地主、多数の零細小作人という構造はもはやなくなってしまっているということで
あります。
そういうことでありまして、むしろ「所有が最も適当」、第一義的に重要なんだと
いうことから、「利用が最も適当」なんだという考え方に転換すべきだ、また転換せ
ざるを得ないという状況になったということであります。したがって、農地に関する
権原、それが所有権であろうが利用権であろうが、要するに農地を放置せずに農業的
に利用すべきであるということが必要だということで、こういう目的の規定の改正に
なったわけであります。
かくして、改正後の農地法の目的規定は農地を効率的に利用する耕作者による権利
取得を促進するということで、利用する人が利用権なり所有権を取得すべきだと。も
ちろん所有権を否定しているわけでは当然ありません。所有権に基づいていてももち
ろんいいのですが、ただ所有しているだけでは困るよ、利用してくださいよという考
え方になっているわけです。
それからもう1つは、これまでの農地法にはなく、②のところに書いておりますが、
「農地を農地以外のものにすることについて規制する」ということも農地法の目的に、
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これまでも転用許可制度というのはありましたが、目的としては農地を農地以外のも
のにすることについて規制するということは明記されておりませんでしたが、これが
明記されたということで、農地の確保の重要性ということがうたわれたということに
なります。
3ページにまいりまして、これに対して衆議院で修正がいくつかありました。四角
で囲った先ほどの1ページのものは修正後の姿でありまして政府原案ではありませ
ん。修正後になっているので、そこのところで何が違ったかということであります。
まずアで、第1に、「農地は国民のための限られた資源である」という規定があっ
たのですが、「地域における貴重な資源である」ということも追加されました。した
がって、農地の位置付けがさらに重くなったというふうに評価できると思います。
2番目に、「耕作者みずからによる農地の所有が果たしてきている重要な役割も踏
まえつつ、」という文言が加わったということと、政府原案では「農地を効率的に利
・
用する者による農地の権利の取得」と規定されていたのですが、修正後は、「農地を
・
・
・
・
・ ・
・
・
・
・
・
・
・
・
効率的に利用する耕作者による地域との調和に配慮した」という、傍点を打ったとこ
ろに改められました。つまり、耕作者ということをより重く見ているというのが修正
の内容であります。これは、耕作者の地位をより大きく見ているということと、耕作
者というのが、これまで常時農作業に従事する個人と、農業生産法人という一定の法
人を耕作者といってきたということを踏まえて、あまりそれ以外の、例えば株式会社
とかNPO法人とか、そういうものを簡単に(あとで申し上げますが、利用権の取得
の範囲を広げているんですけれども)認めてくれるなという趣旨だろうと思います。
しかし、そう書いたからといって、これもあとで申し上げますが、利用権の設定を認
める人の範囲を特に限定しておりませんので、結論的に言えば農地の利用権の取得を
したり、所有権の取得をするということになれば、結果的にはその人は耕作者だとい
うことになるのではないかと思います。むしろ、この耕作者の議論の背景にあります
のは、株式会社もそうですけれども、法人の農地取得、農地の権利取得を認めるかど
うかというのが引き続き大きな論点になっていることがあります。
実は経済界、経団連などはずっと一般の株式会社にも農地の取得を認め、農地への
参入を受認すべきだということを言ってまいりました。しかし、農業団体の方からは
強い反対がありまして、株式会社というのは儲け仕事だから、ちょっと儲からないと
いうことになったらすぐ撤退してしまうのではないか、その後の農地はどうしてくれ
るんだとか、あるいは放置したならまだしも、産廃場になってしまったとかいうこと
になったらどうかとか、あるいは地域の合意等を踏みにじって、あるいは無視して勝
手な振る舞いをするのではないか、こういう懸念がありまして、農地について所有権
を取得するということについては絶対に反対であるということですが、利用権、例え
ば借りるということですね、賃借権などの利用権ならばやむを得ないということで、
今回妥協が成り立ったわけですけれども、そういうふうに法人による農地の権利取得
というのは、この何十年来の古典的な議論があります。
農地改革は地主を排除するということで小作人が農地を取得したわけですが、長い
間、地主だけではなくて資本も排除すべきだという議論が古典的マルクス主義者など
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から唱えられておりましたけれども、そこまでいまや、そういう時代ではないのでは
ないかということで、少なくとも利用権については一般の株式会社にも道を開くとい
うのが今回の改正であります。それは5ページ以下で出てまいります。
② 農地の権利者の農業的利用に関する責務規定の新設
あともう1つ利用ということに関して哲学論として重要なのは4ページの②にあ
りますように、農地の権利者の農業的利用に関する責務規定。つまり農地の権利者は
その権原の如何にかかわらず、所有権であるとか賃借権であるとかにかかわらず、権
原を持っている人は、農地の適正かつ効率的な利用に関する責務があるというふうに、
責務規定を新たに置いたというのが大きなポイントです。「義務」ということではな
く「責務」ということにしておりまして、例えば利用しなければ罰金を課するぞとか、
あるいは利用していないと国家が買い上げてしまうぞといえば本格的な義務という
ことになるのですが、そこまでの義務を課するというのは現在のところで少なくとも
熟していないだろうということで、義務よりは軽い責務という規定になったわけです
けれども、責務という規定が入っただけでも、これはなかなかほかの立法例にはあり
ません。各種基本法などは、国がこういう責務を負うとか、地方公共団体はこういう
責務を負うというような規定はありますが、一般の私人に対して責務を規定するとい
う立法例は極めてまれです。
例えば都市計画法、③に書いてありますが、遊休土地の転換利用促進地区という中
での土地の権利者の土地の有効利用の責務というのはあります。しかし、農地法の今
回の改正の、一般的に世の中全部の農地について利用の責務を課したというのは初め
てのことであります。
この、責務を課したということで、実はこれは空念仏ではありません。何ページか
後に、遊休農地対策の強化というのがありまして、遊んでいる土地があると、これを
何とか利用するように、いろいろな勧告なりという仕組みがあります。最後は都道府
県知事による利用権の強制設定というところまでいく仕組みがありますけれども、こ
ういうものを背後においての責務規定の新設ということであります。
2 利用権の設定が認められる者の範囲の拡大と利用権取得許可
の要件
① 利用権の設定が認められる者の範囲の拡大
それから5ページにいっていただきまして、これが今回の改正の最大の目玉といわ
れるものであります。それは利用権の設定が認められる者の範囲を拡大するというこ
とであります。具体的にはどういうことかというと、四角の2行目から以後に書いて
ありますが、「農地を適正に利用していない場合には契約を解除できる」と、こうい
う条件をつけた利用権設定については、これまで個人の場合には農作業に常時従事者
がいるとか、ご家族、あるいは本人でもいいですが、農作業に常時従事する、あるい
は法人の場合には農業生産法人であると、一定の要件が課されておりまして、かなり
権利取得は厳しいものがありました。しかし、解除できるという条件をつけた場合に
は、利用権の設定は、農作業に従事するとか農業生産法人でなくても利用権の設定が
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受けられるということになったわけであります。
したがって、逆に言うと一般の株式会社でも、あるいは常時従事しない、最近いる
ようですけど、山の中で小説を書くのが半分、農業が半分というような方も利用権に
ついては権利の取得ができるようになるというのがこの改正の目玉であります。
ただ、これは新聞などでは一部誤解がありまして、例えば『日本経済新聞』なんか
で、賃貸借なんかが原則自由になるというような報道ぶりがありましたけれども、こ
れは正しくありません。というのは、利用権を取得できるという人の範囲は確かに広
がります。常時従事者がいるとか、農業生産法人であるという限定をしませんので、
資格者としては広がりますけれども、一方、農地法に基づく利用権の設定について許
可が必要だということは変わっておりません。許可の対象からはずれたわけではあり
ませんので、自由というわけにはいかないということであります。
②に許可要件を整理しておりますが、許可の要件としては大きく2つあります。1
つは、「農地等のすべてを効率的に利用して耕作又は養畜の事業を行うと認められな
い場合」は許可することができない。つまり、利用権を設定すると言っても、全てを
効率的に利用して耕作すると認められない場合はだめですよと。例えば半分は確かに
農地としてやりそうだけど、半分は産廃場になりそうだというのではだめだというこ
とであります。
もう1つの要件は、地域調和要件ということでありまして、「農地の集団化、農作
業の効率化その他周辺地域の農地等の農業上の効率的かつ総合的な利用の確保に支
障を生ずるおそれが認められる場合」は許可できないと。つまり周辺の農地に悪影響
を及ぼすようなやり方の農業利用ではだめだと。例えば、周りがみんな有機栽培をや
っているのに、おれだけはそんなのいやだからって農薬を撒いてやるんだという人が
出てくると、これはだめだと、こういうことであります。
3つ目に衆議院の修正が行われまして、株式会社は誰でもいいということだったの
ですが、
「業務執行役員のうち1人以上の者が農業に常時従事すると認められること」
という要件が追加されております。これは農作業ではありません、農業に常時従事す
るということなので、必ずしも作業ではなくて、販売の企画だとか、そういう企画業
務に従事する人も農業に従事するというふうには認められておりますので、幅は広く
なっております。
こういう条件をクリアすれば、株式会社であろうがNPO法人であろうが、はたま
た最近検討されているようでありますが、生活協同組合のようなものも参入できると
いうことになります。逆に言えば、農業をやるかどうか心配だというか疑念があると
か、地域農業と調和しない人とか、あるいは農業をやるやると口だけ言っても体制が
できていないというような人の参入は阻止されるということになります。
株式会社については、先ほど来言っているように非常に多くの議論があり、賛否両
論が渦巻いておりまして、国会における審議でも非常にたくさんの質疑がかわされま
した。どちらかというと衆議院の民主党による修正は、株式会社の参入についての疑
念を受けて、なるべくそれを縛るというか、そういう方向での修正が行われたという
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ことであります。一口に言えばそういうことであります。
② 不許可要件の追加
「② 不許可要件の追加」ということであります。これは先ほど申し上げましたが、
地域農業と調和しない人は許可されないということであります。これは政府原案から
入っておりました。地域農業と調和しないというのはどういうことかというと、6ペ
ージ②ア、イ、ウとありますように、面的にまとまって利用しているところで、それ
を分断するように真ん中の方に土地を借りようとしてきたというようなものはだめ
とか、水利調整にちゃんと取り組まないようなものはだめとか、有機栽培をやってい
るところで有機栽培に参加しないというのはだめだとか、こういうようなことが考え
られております。この地域調和要件は、利用権だけではなくて、所有権の移転の許可
の場合にもこれが適用されるということでございます。
③ 利用権設定に係る許可についての要件の追加
7ページ③ですが、これが先ほど申し上げました「利用権設定に係る許可について
の要件の追加」ということで、③イが法人の場合です。業務執行役員のうち1人以上
の者が農業に常時従事するということであります。
それから個人の場合あるいは家族経営の場合には、「地域の農業者との適切な役割
分担の下に継続的かつ安定的に農業経営を行うと認められる」として、なかなか抽象
的でどういうふうに具体化するかというのは問題なわけですけれども、常時農作業に
従事しなくても継続的安定的に農業経営をやると認められるということが条件にな
っております。
④ 農地の利用権設定許可に際しての市町村長の意見
それから7ページの下④、これは市町村長の意見を言う機会を確保するというもの
でございます。いまのように、農地の利用権設定許可、これは基本的に農業委員会の
権限でありますし、その地区を離れた場合には都道府県知事の権限ということでござ
いますが、例えば、株式会社が参入しようということで利用権設定の許可申請をして
きたというときで許可しようとするときは、あらかじめ市町村の長に通知をする。そ
れに対して市町村長が意見を述べることができるということに、法律上はなっている
わけです。法制的表現はそういうことですけれども、実際問題の実務としては、やっ
ぱり許可が来た時点で市町村長に連絡して、円滑に連絡調整をして、許可権者と市町
村長の両者の意見の間に齟齬がないようにすべきであろうというように思われます。
⑤ 農地の利用権設定許可の条件として定期的な利用状況報告
の義務づけ
それから⑤は、今度は許可を受けようとする人に、定期的、毎年農地の利用状況に
ついて農業委員会に報告しなければならない、こういう条件をつけて許可するときは
許可すべきということであります。毎年利用状況ということですので、これは利用権
の設定の許可を受けた人にとっては大変重い義務になるかと思いますが、これによっ
て、最初は仮にまじめにやろうとしていたけれども、どうもうまくいかないので途中
から廃棄物処理場になっちゃうとか、あるいは駐車場になっちゃうとか、こういうこ
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とを防止しようということで、定期的にちゃんと私は農地としての利用をしています
よという報告を求めるというのが⑤の規定であります。
⑥ 地域農業と調和しない場合等における許可権者の勧告
それから、さらに衆議院による修正はいろいろとだめを押してきておりまして、そ
の1つが9ページの⑥です。いくつか具合の悪いことがその後あった場合には、許可
権者がちゃんと元のようにしっかりやれという勧告をすることができるという権限
を追加しております。それが9ページ⑥のア、イ、ウということであります。先ほど
申し上げたように、許可の要件としてはかなりしっかりしておりますが、問題は許可
した後、1年たち2年たち3年たったときにそれが引き続き守られているかどうかと
いうことだということで、⑥のア、イ、ウはその後も引き続き要件を満たしているか
どうか、これを農業委員会が点検チェックをして、先ほどの報告を受けるというのも
その1つかもしれませんけれども、引き続きその要件を満たしていないということに
なった場合には、ちゃんとやれという勧告をする、勧告できるということにしている
わけであります。
⑦ 許可の必要的取消し及び新たな利用者のためのあっせん等の措置
勧告をしても言うことを聞かないというのは当然あり得ますから、⑦で、最後は許
可の取消しという激しいものがあります。「必要的取消し」と書いてありますが、適
正な利用をしていないときには、貸し付けた人が契約を解除できるという条項を入れ
て認めたわけですけれども、貸付人もぐるになって契約解除しないという場合が考え
られます。こういう場合には許可取消しだということで、その契約が形式的には存在
していても、許可のない契約ということで、法律的効果が発生しないようにする、あ
るいは法律的効果を失わせるようにするという措置をとるというのが⑦のことであ
ります。それは、貸付人が契約を解除しないという場合と、先ほど申し上げた⑥で勧
告をした、しかし勧告に従わなかったというときも許可を取り消さなければならない
ということになっております。これは取消しができるということではなくて、取り消
さなければならないという非常に強い規定になっております。したがって、利用状況
について農業委員会は常にチェックしておかなければならないということが反面の
こととして生ずるわけであります。
解説の②にも書きましたけれども、適正に利用していなければ契約が解除できると
いうことがあれば、一般の株式会社なりNPO法人でもいいよということなんですけ
れども、これが、貸付人が、言葉は悪いんですがぐるになっていて、借受人が農業以
外に使っても咎めない、貸しておけばそれなりの借地料が入るからそのままでいいん
だということであると、農業的利用の担保ができないということでありますので、こ
れは取り消さなければならないということにして、そういう不適正な状態が存在しな
いようにするということであります。
それから、先ほどの⑥の、勧告をしたけれども従わないというのでは元に戻らない
わけですから、これも許可を取り消さなければならないということで、最終的には許
可の取消しということで不適正な利用がされることを防止しようということであり
- 94 -
ます。
したがって、利用権を設定できる人の範囲の限定は基本的になくなるんですけれど
も、入り口の許可のときのチェック、それから出口のときに不適正なときに許可の取
消しという2つの措置によって、農地としての適正な利用を確保しようという趣旨の
法律の改正であります。
3 遊休農地に対する利用促進措置の強化
① 遊休農地に対する利用促進措置の農地法への移管等
11 ページはもう1つの柱でありまして、遊休農地に対しての利用促進措置という
ことの強化であります。これは一片の土地、地片としての一筆一筆の土地の最低限の
利用を確保しようとするものであります。実はこの仕組み自体は、平成 17 年に農業
基盤強化促進法というものがありまして、そこの中でこの措置が定められたんですけ
れども、実際に平成 17 年から 21 年、4年間たちましたけれども、1件もこの措置の
発動事例がないというのが実態でありました。なぜそういうことなのかというと、遊
休農地があっても市町村の基本構想で要活用農地、活用すべき土地というふうに位置
付けられないとダメというのがありました。つまり、遊休農地=要活用農地ではあり
ませんので、遊休農地のうち一部しか要活用農地にならない。それから、その要活用
農地を活用することの要請という措置がありまして、農業委員会から市町村に要請が
...
行われなければいかんということと、実際に農地の利用についても勧告できるという
ことでありまして、勧告しなくてもいいということでありますから、いろいろなこと
があって、発動が1件もないというのが実態であります。
しかし、今改正後は、市町村と農業委員会に権限が分かれていたのを、農業委員会
が一貫してこの遊休農地の利用促進措置の権限を行使するということにしたという
のが1つ。それから、遊休農地の発見といいますか、定期的な調査をするとか、ある
いは関係の農業団体、農業者から通報を受けると。どうもあそこに遊んでいるのがあ
るぞという通報の制度、あるいは定期的調査の制度で実態を把握して、把握したらと
にかく恣意的に選択するのではなくて、通知をして勧告をするというふうに自動的に
と言いますか、動くという仕掛けに変えたということであります。なかなかそういう
利用勧告とか遊んでいる土地があっても、どちらかというと財産権がらみということ
で躊躇を感じているということも背景にあろうかと思います。各種の調査をしますと、
農業委員会とか市町村の担当の方は、人の土地に踏み込むのはどうかということがあ
りますけれども、こういう今回の改正農地法でとられている措置は当然内閣法制局の
審査を経ておりまして、憲法には適合するということが当然の前提でありますから、
仮に訴訟が起こるかもしれませんけれども、憲法違反の問題はクリアできるというふ
うに思っております。憲法では財産権の不可侵ということもうたっておりますが、同
時に 29 条2項というのがありまして、
「財産権の内容は、公共の福祉に適合するやう
に、法律でこれを定める」ということになっておりますから、公共の福祉に適合する
ということで法律で定めれば、これは財産権の侵害にはならないということになりま
- 95 -
す。
ともあれ、改正後の法律では市町村から農業委員会に権限が移管されておりまして、
農業委員会が遊休農地を発見した場合にはまず相手方に通知をする。通知して利用を
勧告する。それでも、従わないというときには、最後は農地保有合理化法人とかその
他の農地を利用したいという人に強制的に都道府県知事の裁定によって利用権が設
定されるという仕組みになっております。
これまで1件もなかったので、これも実際問題としてどの程度動くか、農業委員会
がそれだけ十分働けるのかという疑問も呈されているのも事実ですけれども、そうい
うことで、躊躇していたのではなかなか利用も進まないのではないか、やはりひとつ
ひとつ着実に対応していく必要があるのではないかというふうに思っております。
② 遊休農地の迅速な把握のための措置
12 ページ②、
「遊休農地の迅速な把握のための措置」ということで、先ほど申し上
げましたが、農業委員会が毎年の利用状況調査をする。それから農業団体、周辺地域
農業者からの申出制度、いわば内部通報みたいな制度ですけれども、これを設けて、
遊休農地の早期発見に努めるということであります。
③ 所有者不明の農地に対する措置
それから、最近、山林の場合には所有者不明というのがたくさん出てまいりました。
相続に伴って 2 代、3 代と代わると一体いまの所有者が誰なのか全然わからないとい
うことで、農地についても同じ事情が出てまいりました。そうなると、遊休農地とし
て通知をしようといっても相手がわからないじゃないか、勧告しようとしても相手が
わからないじゃないかということがありました。今回の改正では③にありますように、
通知に代えて公告するということで、これも民事裁判なんかでもよくとられている手
なんですが、人がどこにいるかよくわからないときには公告するというような措置が
ありますけれども、これを導入しております。そのことによって最終的な都道府県知
事による利用権設定の裁定ということが可能なようにしているわけであります。
それからいろいろな改正があってちょっと大変なので少しはしょって次へまいり
ます。
4 農地の権利取得の下限面積の設定権者・設定地域の変更
4 番目、「農地の権利取得の下限面積の設定権者・設定地域の変更」これも利用促
進という点ではかなり大きな改正かと思います。1つはいま原則都府県 50 アール、
北海道2ヘクタール以下の権利取得はだめだと。零細な小さな農地面積の権利をたく
さんの人が持ってもよくないということで、50 アール、2ヘクタールという最低限
の面積の規定があります。これには例外がありまして、都道府県知事が現在は、都道
府県の区域の一部について 50 アール以下を定めることができるということで、現実
には中山間地域などでは 30 アールとか 20 アールとかいう例があります。
これを農業委員会に権限を下ろして、かつ「市町村の区域の全部又は一部」におい
て、それを下回る面積を定めることができるということで、半分趣味的な人も、地域
によっては農地の権利取得ができる、農業に参入できるということにしているわけで
- 96 -
す。もちろん大都会の近くですとこれは非常に危険な面もありまして、小面積ですと
それがいつの間にか宅地になって売られるということもないわけでもないので、要注
意の点があると思いますが、いまどきのような、担い手が少ない時期には、ある程度
小面積でもやむを得ないのではないか。それから農業にシンパシーを持ってくれる方
がかなり出ております。そういう方を農業に呼び込む上でも、地域の実態に応じて下
限面積を下げることができるというこの改正は、それなりに意味があるのではないか
と思います。
5 相続税納税猶予措置の改善
5 番目、
「相続税納税猶予措置の改善」。これも目玉の1つであります。これまでは
農地を貸すと、いわゆる相続税の納税猶予というのは打ち切りになりました。やはり
農地は冒頭申し上げましたように、耕作者がみずから所有することが適当であるとい
う考え方ですから、所有するのが適当で、所有者が利用しないで貸したのに相続税の
納税猶予が続けられるというのはおかしいじゃないかと。いわゆる農地の自作農主義
から見ておかしいんじゃないかということで、30 年間も長らく要望してきたのです
が、結局第 1 条の目的規定が障害になりましてだめだったんですが、今回目的規定を
改めて、所有が第一じゃない、利用が第一だよということにしたことで、貸し付けて
も、一定の条件があるのですが、打ち切りにはならなくなった。その条件は、相対で
の貸付けではだめで、農業経営基盤強化促進法による農用地利用集積計画の中に入れ
て貸し付けるということが1つです。これは市町村が仲立ちになりますので、相対で
ぐるになって貸し付けたふりをするということではないという担保があるというこ
とで、農業経営基盤強化促進法による貸し付けということが1つ。それから、終身貸
し続けるというのがもう1つの要件です。しかし最初から終身契約を結ぶ必要はあり
ません。5年間とか 10 年間とかやって、結果的に終身貸し付けたことになった場合
も相続税の納税猶予になります。終身でその次の代にいったときにまた次の代の人が
どうするか。もちろんみずから農地を利用しても結構ですし、貸し続ければこれまた、
相続税の納税猶予が適用されるということになります。これは利用促進という面から
見ますと、大きな改正であろうと思います。
6 農地利用集積円滑化事業の創設等
① 農地利用集積円滑化事業の創設
6番、
「農地利用集積円滑化事業」。これは先ほど申し上げた農地の利用の2つ目の
局面、できるだけ面的にまとまった形で利用の促進を図ろうというものでございます。
15 ページにまいりますが、日本の農地の利用というのは非常に分散錯圃といわれ
ていますけれども、1人の人がたくさんの細かい土地を持っております。しかもひと
つひとつの登記した土地がまとまって隣り合わせであればいいのですが、必ずしもそ
うではない。あちこちに散らばっているということで、これはなかなか利用するとき
には大変なことになります。こっちでトラクターやると1時間で作業が終わった、ま
た次のところまで農道をはるばる引っ張っていって次のところへ行くというような
ことで、続いて土地があればじゃんじゃん作業できるものが、分散しているためにあ
- 97 -
ちこち行かなければいけないという、非常に非能率な事態になっているのが現実の実
態であろうと思います。そうではなくて、この分散した状況を克服して何とか1日な
り半日の作業分ぐらいはまとまった形で利用できるようにしよう、ということを促進
しようとするものであります。
2つの局面がありまして、できるだけ農地の所有者が、あるまとまった土地におけ
る、農地の所有者はたくさんに分かれておりますが、そういう人たちが全員、おれた
ちは貸すよと言ってくれればもちろんいいわけですが、そういうふうに所有者がまと
まった形で貸し付けに出してくれるということと、今度は貸す相手を、あの子はいい
けどこの子はだめだというふうに限定をしていただかないとということが必要にな
ります。せっかく皆さんが貸すと言っても、おれはAじゃなきゃだめだ、おれはBじ
ゃなきゃだめだと言っていると、Aさん、Bさんがまた入り組んだ形でしか利用でき
ない。左半分はA、右半分はBというように、ある程度まとまった形で利用するため
には、あの子はいい、あの子は悪いという選別をしてもらっては困るわけであります。
したがって、今回の仕組みは、もう借りる人については仲立ちする人に任せますとい
う形で利用権の集積をする、そういう形をとろうということであります。もちろん、
そもそも貸し付けるという気持ちがなければどうしようもありませんが、貸し付ける
気持ちになっても、相手について誰にするかということを仲立ちする人に委任すると
いうことであります。仲立ちする人は誰かというと、市町村あるいは市町村の公社、
JAとか、いろいろと考えられると思いますが、そういう人に面的集積のために働い
ていただく、こういうことであります。
具体的仕組みが 15 ページの下の方に書いてありますが、市町村が、農業経営基盤
強化促進基本構想にこの円滑化事業の骨格を規定する。それから、円滑化事業を実施
する場合には、事業規程を設けて市町村の承認を受ける。それから事業実施者、JA
とかその他になりますけど、これは原則として地域の重複は認めないということ。そ
れから市町村みずから事業を実施するというのであれば、市町村が事業規程を作成す
る。それから、申込みについては全て応ずる、逆に言えば事業実施者も選別してはい
けませんよと、こういうことであります。
こういうことで、買ったり借り入れてまたやるということで、間に立つ人がリスク
を負うという形だとなかなか進まないということから、リスクを負わない形での代理
人事業を進めようと、こういうものでございます。
現在 21 年度の補正予算では、貸した人に1年に1反歩 1 万 5,000 円、最大5年分
という助成金を交付するというのが 21 年度の補正予算で計上されています。これが
活用されれば、貸す方の側の人にドライブがかかるということが言えようかと思いま
す。ただし、これは無駄遣いだというふうに民主党の方で言っておられますので、今
後の出方がどうなるかということであります。
16 ページ②、
「農用地利用集積計画の策定の円滑化」というのがありますが、これ
はそう大きな改正じゃないので省略いたします。
- 98 -
③
特定農業法人の範囲の拡大
利用の関係であと大きいのは 17 ページ③です。特定農業法人ということで、集落
などでまとめてどなたかが集落の営農を引き受けるという制度がありますが、これを
いまは農業生産法人とか、れっきとした農業者でなければいけないのですが、そこま
で熟していなくてもそれができるということで、利用権の設定範囲が広がったという
ことに伴うものでございます。
7 農地の利用に関連するその他の改正事項
① 農地の権利取得をしたことの届出
それから 17 ページ以下はその他の改正事項ですけれども、1つは先ほど申し上げ
ましたように、相続した後、誰が所有者かわからないという事態がかなり出てきてお
ります。そこで今度は相続した人が権利取得したということを農業委員会に届け出る
という義務制をしいております。これがどの程度都会に住んでいる人たちに周知され
るかということにもかかっておりますが、一応相続によって取得した場合、許可が要
りませんので、農業委員会は自動的には知ることができないということで、相続して
農地を取得した人に権利の取得の届出義務を負わせるというのが①です。
② 農地の賃貸借の存続期間の特例
②は農地の賃貸借の存続期間、最長 50 年。いままでは 20 年以内ということでした
が、50 年まで可能なようにすると。いまどき 50 年なんて長いとか、30 年とか、実
態としてはほとんど考えにくいんですけど、中にはそういう人もいないではないとい
うことで、特例として 50 年まで可能なようにするということです。可能なようにす
るだけで、別にそうしろということではとうていありません。実際問題としては、平
均が6年、5年から 10 年というのが現実に多い年数であります。
それから③の農業生産法人の出資制限の改正とか、19 ページの農業生産法人につ
いての関連事業者の議決権の範囲の拡大とかありますが、細かいので省略します。
④ 標準小作料制度の廃止
19 ページ、標準小作料制度。これまで農業委員会が標準小作料を定めるというこ
とでやってきましたが、これを廃止する。しかし廃止しただけでは当事者間での交渉
がなかなか大変なので、やっぱり目安となる、だいたいこの地域ではこういうふうに
作収は決まっていますよという目安になる情報は提供するということにしておりま
す。
⑤ 小作地所有制限等の廃止
それから最後に 20 ページになりますが、小作地所有制限等の廃止とか、「小作地」
という言葉がそもそも実態がほとんどないということで、そういう言葉も全てやめる
ということで、戦後の農地改革のころからずっとなれ親しんできましたが、用語その
ものも廃止するということであります。
20 ページ6番、株式会社だけではなく農協も農業経営ができると。これは利用権
を取得して経営できるということであります。ただし、農協は農家の農業経営と競合
しますので、特別議決だとか、あるいはそういう組合員の合意を得て農業経営をする
- 99 -
という仕組みになっております。
以上いろいろ申し上げましたが、これの施行は、公布の日から6か月を超えない期
間ということになっておりまして、今年の 12 月 23 日が施行期限になっております。
それまでに施行するということですが、なかなか細かい指針なんかをつくらなければ
いかんということになりますので、多分実際にも施行日は今年の 12 月になると思わ
れます。
それまでの間、本当にいま申し上げたように骨格だけで実際に実務に携わる方から
見ると相当な変革でありますので、いろいろと勉強しなければならないことが多々あ
ろうかと思います。そういう意味で6か月の施行猶予ということになっておりますが、
これからまたいろいろな機会で関係の皆様方もいろいろ研修していただければと思
います。以上で終わらせていただきます。
農地利用の促進
-企業側から見た農地利用の課題-
株式会社 ナチュラルアート
代表取締役 鈴 木
誠
氏
はじめに
皆さんこんにちは。ただいまご紹介賜りました、株式会社
ナチュラルアートの鈴木でございます。
私は現在 43 歳でございまして、青森県青森市生まれとい
うことでございます。高校を卒業してから大学で東京にまいりまして、大学を卒業し
てから 10 年間銀行員をやってまいりました。その後、銀行を退社いたしましてから、
いまこの農業という世界に入って約 10 年弱、会社ができて7年弱というような状況
になっております。
私がいまこういった経歴を申し上げただけで、もう皆さんは多分「えっ」と思われ
るような経歴ではないかと思うのですが、つまり、俗に言うところの畑違い中の畑違
いということでございまして、しかしながら、そんな畑違いの、何の知識も経験もな
い、バックグラウンドのない僕でも、実は農業は十分にやっていけるということをで
きるだけ今日は具体的に、時間の制限もございますので満足のいく、納得のいくご説
明までには至らないかもしれませんが、できるだけそのあたりを赤裸々に、どのよう
に我々が考え行動しているかということをお話しさせていただきたいと思っており
ます。
おそらく前段の髙木弁護士さんのお話、後半しかうかがっていなかったのですが、
おそらくルールの説明が当然たくさんご説明があったんだと思います。ということで、
私はルールに触れる必要はないと考えておりますので、今度はより現実に即した、そ
のルールをどのように運用していくのかということについてお話しさせていただき
たいと思っております。
- 100 -
1
さまざまなやり方がある農業
当社には、当社自身ももちろんですけれども、農業という業界に新規参入いたしま
したし、それから名だたる日本の大会社といわれるような、農業とは関係のない企業
さんから大変多くのご相談を承っております。ひとことで言うならば、是非農業をや
りたい、どうやったら農業に参入できるんだと、皆さんこのようなご質問を同じよう
になされます。そのときに皆さんおっしゃるのは、『そうは言っても鈴木さん、日本
ってこういう規制があったり農地法があったり何があったり大変だよね』と、『農業
に参入するのって難しいよね』と、皆さんこのようにおっしゃいます。しかし僕自身
は実際問題それをやっている立場として、実践者として、決して農地法がややこしい
とは全然思っておりません。現行のルールの中でも十分にできる農業はあると。しか
も、現行のルールだけではなくて、これからさらに農地法なりいろいろなさまざまな
規制が緩和されていく方向であるという前提で言うならば、ここで農業ができないな
んて議論すること自体がまったくおかしな話で、現行のルールあるいは近い将来やっ
てくるルールの中で十分できるんだと、あとはどのように具体的に運用していくか、
こういうことを考えるべきではないかと思っております。
我々は現在、一番北は青森県から始まって、青森、秋田、宮城とありますし、一番
西の方は山口県なんですが、全国に約 10 か所ぐらい農場を設けております。その農
場は、例えば野菜をつくっているところもあれば、あるいは施設栽培でイチゴをつく
っているところもあります。あるいは畜産ではニワトリを何か所かでやっております。
これは言うまでもないことですけれども、当然ながら現行のルールを守った形でやっ
ております。しかしながら株式会社ナチュラルアートは、本社が東京にあり、僕も東
京に住んでおり、いわゆる認定農業者といわれる立場にはありません、僕自身は。し
かしそんなことはまったく関係ありません。現地にいろいろな会社をつくったり、現
地といろいろ協調したり、あるいは場合によっては農業をやるには農地という地目、
畑という地目だけではありませんから、例えば我々の養鶏場は山奥を切り開いたとこ
ろで、雑種地や山林という地目の中で農業生産をやっています。これには言うまでも
なく農地法の制限はまったく関係ありません。
このように、農業っていろいろな、さまざまなやり方があるよねということだと思
うんですね。ですから、我々は規制の問題はそれほど重要と考えておりません。しか
し、もっと難しい問題が逆に1個あるというふうに思っております。それはむしろ、
その地域の慣習とか文化とかいうものだというふうに思っています。
2 法律の規制以上に難しい地域の慣習
例えば、端的に言えば田圃がどこかの村にあいている、地主がよその人に貸してい
いよと、じゃあ貸しましょう、借りましょうとなったとする。でもところで、そこで
田圃をやるためには、当然ながら地元の方々と協調して一緒に水の管理をしたり、一
緒に利用したり、いろいろなことを協調しながら地元の人たちとやっていかなくては、
当然ながら農業という仕事は成立しないということなんですね。ただ単に土地があれ
ばいいというものではまったくないということでして、そういう意味において、村の
- 101 -
慣習とか、村の仲間に入っていくということは、実は法律の規制以上に何倍も難しい
ことだと思っております。
我々は幸いなことに、すごく平たく言えば全国にそんなお友だちがあちこちにたく
さんいたものですから、そのお友だちと一緒にやっていると、ただこれだけのことで
す。残念ながらナチュラルアートには特別に難しい必殺技とか、特殊な技術とか何も
持っておりません。普通にたんたんとやっているだけです。多くの仲間とみんなで協
調してやっている、これだけのことです。
先般もこういう話がありました。私のところにある千葉県の若者が相談にきました。
鈴木さん、私はいまサラリーマンをやっているけど、真剣に農業をやろうと思ってい
る、そして地元の農業委員会に相談に行ったと、そしたらまったく剣もほろろ、自分
が農業をやろうということに相談に乗ってくれるどころか、ダメダメダメのできない
理由のオンパレードで、私はまったくやる気がなくなっちゃいましたというふうなこ
とで、彼はがっくりして、でもそのあともう1回奮起して僕のところに相談に来たと
いう話です。でもこの事例は実は珍しくありません。僕自身も全国のいろいろな農業
委員会の方々とこれまでお話させていただきました。別に農業委員会さんを目の敵に
しているわけではありません、これは誤解のないように。ただ、多くのケースの場合
が、あんたは経験があるんですかというところから始まって、事業計画を持っていっ
たところで、ひたすらそれに対してネガティブな突っ込みが入ってくると、こういう
状況の中で、なかなか地元で受け入れるということを容認してくれないと。これは法
律とかルールの問題ではなくて明らかに運用の問題だというふうに僕は思っており
ます。
我々も何度もそのような経験があります。表向きは農業委員会さんも、あるいは地
方自治体さんも、この地域にどんどん新規参入で来てください、我々は農業の活性化
を願っていますと、よその方々あるいは異業種の方々もどんどん受入れますと、表向
きは皆さんおっしゃっておられます。しかし、現実にその場に行くとまったく違うよ
うなリアクションが出てくる。僕も最初は驚きました。いまはもう慣れたから何とも
思いません。でも、最初は本当に驚きました。何でこんなおかしな業界なんだと、何
でこんなおかしなルールになっているんだと。でもこれはよくよく考えてみるとルー
ルじゃないんです、運用だけの問題なんです。表向きではこの地域の活性化は農業の
活性化であり、農業の活性化のためには他の地域や異業種の方々を受け入れますと大
声で言っている方々が、現実にそういう人たちが来ると、なぜできない理由のオンパ
レードなのかと。そういうところに相談に行く人たちは何を求めているかというと、
できない理由を教えてほしいのではなくて、どのようにしたらできるかという方法論
を聞きたくてその人たちは相談に行っているにもかかわらず、そのような相談には乗
ってくれない。ややもすると、おまえ何しに来たんだ、とっとと帰れと言わんばかり
の大変冷たい対応が多いと、これは残念ながら現実なんです。
もちろん僕は理由はわかります。先ほど言いましたように、これには村の慣習とか
いろいろなことがあります。よそ者の、それこそいい加減な人がやってきて変なこと
- 102 -
をされたら地元に迷惑がかかる、これもあると思います。当然そのようなリスクを排
除するために、一定のふるいにかける、これは意味はよくわかります。しかし、だか
らといって善意のやる気のある人間までも排除してしまったら、結局その村は発展し
ないんじゃないでしょうか。
いま盛んに日本の地方の活性化と農業の活性化は表裏一体であり、ややもすれば農
業の活性化こそが地方再生の大きなキーワードだと、このようにいわれている向きも
あると思います。僕は基本的にこの考え方は大賛成です。是非そうすべきだし、また
そうしなくちゃいけないと思っています。しかし、その運用の部分だけで言えば、ま
だまだ足りないということが1つまず言えると思います。
それからもう1つ、いま、いわゆる農業ブーム的な状況が盛んに起きておりまして、
特にテレビや雑誌やいろいろなところで農業に関するふわふわと浮き上がったよう
な、いろいろなことが報道されております。しかし、おそらく皆さん地方の方々はよ
くご存知のとおり、農業の現場というのはそんな浮ついた簡単なものでは決してない
ということは当然のことなわけですけれども、ふわふわと浮き上がった議論だけがな
んとなくなされていると。
それから、我々から見れば、大変生意気な言い方をあえてさせていただきますと、
実践を伴わない農業評論家みたいなものがこの世界とてつもなく多くて、農業を語っ
ている人たちはいっぱいいるんだけれども、ところであんた何かやっているんですか
という人がほとんどと言っていいぐらいいないと。つまり、1 番目の問題点は運用と
いうことを申し上げたんですが、2番目の問題提起は、行動する実践者が極めて少な
い、こういう状況にあるというふうに思います。
3 大事なのは理屈ではなく実践をすること
当社にも盛んにいろいろな有名な評論家といわれる人たちとか、いろいろな大学の
先生とかいろいろな方々がお見えになられます。そしてその方々がみんなおっしゃる
のは、『鈴木さん、これから日本の農業はこうあるべきじゃないの』って、皆さん大
変立派なことをおっしゃいます。僕はそれに対してほとんど反論はありません。『そ
うですね』と、
『それは素晴らしいですね』と、
『そんな素晴らしいことだったらあな
たがやってください』と、僕はいつも答えを、その人にボールを投げ返します。『そ
んなことを僕にやれといわれても僕はできない』と。『ナチュラルアートはナチュラ
ルアートなりの考え得る精一杯の農業をやる』と。そして、例えばどなたかがそのよ
うにすごい農業を考えておられるなら、僕はそれに対して何の反対もないです。でも、
理屈だけ言っていることにはやっぱり反対ですね。理屈を言うのではなくて、行動を
伴ってくださいと、実践してくださいと、むしろそれがもっと大事なことなんじゃな
いですかと、僕はこのように考えております。これが2番目の問題提起。1番目は運
用をもっとしっかりする、見直すということ。2番目は評論家ではなく行動するとい
うこと。
4 経営感覚が必要とされるこれからの農家経営
それから3番目の問題提起、これはやっぱり、農業者というのは、残念ながら、僕
- 103 -
自身もそうなんですけれども、僕も青森の田舎者でして、実家は農家ではありません
が、でも本当の田舎者であるわけですけれども、田舎の人間というのはやっぱり人と
協調するということがあまり上手ではない、こういう人が多いと思います。
例えば農業の世界も他の産業同様に、もう個人主義で父ちゃん母ちゃんで経営でき
る時代は残念ながらもう終わったと言わざるを得ないと思います。前段でも先ほど、
農家の所得ということが1つのお話になっておりましたが、まさに農家の所得あるい
は経営を確立するというためには、いわゆる普通の経営感覚というのが必要で、それ
は個人主義ではだめですよということですね。組織をつくって対応しなくちゃいけな
いよということです。とするならば、当然複数の人間が存在して、みんなで協調して
いく、あるいは力を合わせていく、当然このような行動が求められるんですね。
ところがご存知のとおり、農家の方々はこれがあまり得意ではありません。最近で
も5年くらい前から、例えば農林水産省さんが中心になって、例えば集落営農なんて
いう考え方が全国に普及しました。これは平たくいえば個人農家の人たちが複数束に
なって、1つの法人をつくってやったら、より効率的な、よりいい農業ができるので
はないかという発想の下に進みました。しかし、結論は皆さんご存知のとおり、かえ
ってそれはややこしい状況を生み出したと言わざるを得ないということですね。すご
く原始的に表現するならば、せっかく集まったみんなが、もともと仲間と協調するの
が上手じゃないから、そのうちけんか別れして、そのうち意見がばらばらになって、
結果として企業とか組織の体をなしていないということがあります。その中で、じゃ
あそれどうしたらいいんだという特に大きな問題点を1個だけ挙げるならば、リーダ
ーシップの欠如ということに尽きるんだろうなと思います。
皆さんは市長というお立場の方でいらっしゃいますから、そういう意味では当然な
がら地域のリーダーとして強力なリーダーシップを発揮しておられる方々だと思い
ますが、残念ながら農業の世界にこういう、いわゆる組織を束ねるリーダーという人
が非常に少ないということです。リーダーがいないのにそこに 10 人、20 人、30 人
と集まって組織をつくって、果たしてどうなるでしょうかということです。ひょっと
したらこれは、日本の国の政治ということを見ても、そこからもリーダーシップの重
要性というのはうかがえるかもしれません。
いずれにいたしましても、農業の世界でも、何業であっても、組織で対応するとき
にはきちっとしたリーダーシップが必要であるということなんですが、残念ながら、
もともと個人主義でやってきた方々に、急にあなたはあしたからリーダーですよとか、
あしたからあなたは社長ですよと言ったところで、これは残念ながら無理です。無理
であれば、じゃあどうしたらいいのか。
5 農業業界の発展を阻害している縦割りの考え方
僕の次の提案は、農業業界の中だけで凝り固まる必要はない、農業の外の業界にも
農業に貢献してくれる素晴らしい人たちはいっぱいいる、その人たちをどんどん呼び
込んだらいいじゃないですかと。つまり僕の言っている協調というのは、もちろん農
業業界の中の人たちも協調してほしいけれども、それでも足りなければ、農業業界の
- 104 -
外の人とも協調してみんなで力を合わせてやっていきましょうと、こういうことだと
いうふうに思っております。
当社はちなみに、このような独立系の会社ですから、現実は全然違うんですけれど
も、よく勝手に想像でいわれるのは、我々みたいなところは農協さんを否定し、農協
さんとけんかをしながら活動していると、このように勝手に思われます。当社はまっ
たくそうではありません。ただし、農協さんに迎合しているということを言っている
のでもありません。お互いに、いいところは力を合わせて一緒にやりましょうと、お
互いに違うところは別々でいいじゃないですかということで、農協という肩書だから
いいとか、農協という肩書だから悪いとか、そんなことはまったく関係ないはずだと。
我々は農業の世界の非常に大きな問題点の1つは、縦割行政、縦割りの考え方、これ
が極めて明確であって、それが横の連携をおろそかにしている、これが農業業界の発
展を阻害している大きな要因の1つだと考えております。ですから我々は例えば農協
さんとも志やテーマを一にできるときは一緒にやる。一方でそうじゃないときには当
然ながら組まないということで、誰だからとか彼だからとか、肩書に一切関係なく、
農業業界がもっとみんなで協調して力を合わせていく必要があると思っております。
僕はこんなことをどこでも言っておりますので、大変ありがたいことに今度も全農
さんでも講演をさせていただく予定になっている、あるいは地方の単協さんでも講演
させていただくことになっているなど、それは講演の自慢話をしているのではなくて、
そのように、系統さんからも随分お声かけをいただいております。
しかし一方で、僕と話もしたこともないのに当社を敵対視する農協さんも全国にた
くさんあります。僕はこれが、農業業界の極めて遅れているところだなというふうに
思っています。僕が仮にどこどこ農協さんに迷惑をかけた、あるいは何かいやがらせ
をしたということならば、鈴木はけしからんと言われてもごもっともです。しかし会
ったこともない、触れたこともない、でもそんな人たちのことの悪口を言う人たちが
実は結構この業界にいたりして、それはナチュラルアートだけの問題を言っているの
ではなくて、おそらく行政の皆さんに対してもそういう言い方をする人も多いと思う
し、それから多分農協さんに対してそういう言い方をする人も多いと思うし、いろい
ろなことがあるんですね。
でもそんなことに一喜一憂したり目くじらを立てている必要はまったくなくて、
我々は異業種も含めて常に志を一にする人とみんなで協調していこうと、ただただこ
れをひたすら追求してまいりました結果、当社が創業したころは、たった 40 軒の日
本全国の農業法人の方々しか存知あげませんでした。たった 40 軒の仲間とスタート
しまして、約7年弱の間で 1,000 軒をはるかに超える状況で、仲間が大変増えました。
それからお陰さまで、創業のときは言うまでもなく売上ゼロからスタートしたわけで
すけれども、いまはざっと 100 億ぐらいの商売ができるようになりました。これはな
ぜそのようになったかというと、理由は簡単でして、我々がゼロから全部つくったの
ではまったくなくて、もともとそんな力と志と能力、そんなものを持っている人たち、
でも何となく既存の農業業界や農村に嫌気がさしていて、行き場を求めている人たち
- 105 -
がいて、そういう人たちとたまたま我々が巡り合って、気がついたら1つのグループ
のような形になってきた、このようなことだと思うんです。
そのような状況ですから、僕は、いまのルールの中でもこうやって、いま改めて、
いま非常に不景気だとか、いろいろなややこしい時代だからこそ、もう1回原理原則
に立ち返って、本来の志、本来の我々の目指すべきものは何かということをきちっと
確認すれば、いくらでも多くの方々と協調していけるのではないかなと。ひょっとし
たら皆さんも政治家でいらっしゃるわけですから、まさにそういうリーダーシップを
発揮していただくのが、ひょっとしたら皆さんのお力ではないのかなと思っておりま
す。
6 杓子定規に物事を捉えずにやれることはやる
例えば、最近当社は茨城県の守谷というところで新しい農場を始めました。これを
どのように始めたか具体的に申し上げますと、もともとそこに地元の農業法人さんが
ありました。この方は立派に経営しておられる方です。その方は元気に頑張っている
ものですから、その方のところに、その周辺から、もう高齢化しておれはこれ以上農
地を維持できないと、ほったらかすと雑草の手間から何から大変なので、その方のと
ころに、ただでもいいから使ってくれと、近所の農家がいっぱい集まってきています。
そして、その方も心意気のある方なので、わかったと、よしじゃあおれが借りてやる
と、そのかわり本当に地代だけだぞと、一方で草刈りとか管理は当然きちっとやるぞ
ということで、その方はその周辺から複数の農場をお借りしておられます。
今度はその方から当社に相談がありました。鈴木さん、もう土地をいっぱい借りた
んだけれども、よくよく考えたら管理するのは自分のところだけでも大変だと、つい
ては、一緒にやってくれないかという話がきたんです。うちは何の迷いもなく、快く、
はい、是非やらせてください、一緒にやりましょうと言って、うちのスタッフをそこ
に派遣して、実際に労働をし、実際にそこでできた野菜を販売して、ということで農
場をやっています。
例えばここで、杓子定規にあえて言うならば、その農地を株式会社ナチュラルアー
トが所有権を持っているわけではありません。それから、厳密に言うと借りているわ
けでもありません。でも、我々は実際に違法なことをしているのでも何でもなく、そ
こで農作業を一生懸命、あるいは農業経営を一生懸命やっています。そこで採れた野
菜を販売しています。こういうことをやって一定のお客さんにも喜んでいただいてい
ます。これは果たしていまの農地法から見ると脱法行為なんでしょうか。やっちゃい
けないことなんでしょうかと。
先ほども、弁護士の先生からも後半に、やっちゃえと、やっちゃえばいろいろなこ
とができちゃうというふうなお話もありましたけれども、僕はまったく同感です。別
にそれは決していい加減なことを言っているつもりはありません。ただ、何でもかん
でも教科書どおりに杓子定規に、そんなことで物事をとらえたって、結局進まないよ
ねと。ルール違反はもちろんやってはいけません。でも、やってもいいことはいくら
でもあるので、それをもっともっとどんどんやるべきで、それをやっぱりみんなで官
- 106 -
民一体となって応援していくべきではないかと思っております。
7 農家のやる気に応じた補助金の配分
その中で、先ほどたまたまどちらかの市長さんから民主党の所得補償の話がちらっ
と出ましたのでそれに関してもちょっと申し上げたいと思うのですが、我々は基本的
に農業業界が発展していくということを強く望んでおりますから、その中で世界の事
例を見ても、官民一体となって補助金が農業に与える影響というのは極めて重要であ
り、補助金というのは僕も政策的に必要なものだと思っております。
しかしながら、日本の農業者を見た場合に、わかりやすく言いますと、やる気のあ
る一生懸命な農家と、やる気がなくて適当にやっている農家と明らかに真っ二つに分
かれます。そして、このやる気のない人にまで果たして補助金をつける必要があるん
でしょうかと。僕はこれは無駄遣い以外の何物でもないと思います。例えば減反政策
という言葉も先ほど出ておりました。減反をやるために、転作奨励金をもらうために、
大豆や蕎麦を適当にばらまいて、芽が出たらそれを写真に撮って市役所なりに持って
いって、いろいろな役所に届けて補助金だけもらってあと収穫なんか何もしないでほ
ったらかしにしている、これって果たしていいんですかと。これはやはり無駄遣い以
外の何ものでもないと思うんですね。
ですから、これからも日本の行政、農林水産省さんはもちろんのこと、最近は権限
がどんどん地方自治体さんの方に移譲されておりますので、地方自治体さんも中心に
なって、僕は補助金は是非使っていただきたいのですが、有効な使い方をしていただ
きたい。やる気のない農家であっても、形式に合致したからはい補助金差し上げます
と、こんなことをやっているから中途半端な農家がまだたくさんいるということだと
思います。
8 減少し続ける日本の農業者
釈迦に説法ではありますが、日本の農業人口は約 300 万人おります。この 300 万
人のうちの9割以上が兼業農家です。先ほど弁護士の先生もおっしゃっておられまし
たが、僕も兼業農家が悪いとは全然思いません。兼業農家も重要なあり方だと思いま
す。しかし、そうは言っても兼業農家はやっぱり農業に与えている、例えば数字的な
インパクト、ずばり言っちゃうとほとんどの人が田圃です。普段は役所かなんかに勤
めていて、田植えのときだけ、稲刈りのときだけというレベルでの兼業農家です。い
まの米はご存知のとおり機械化や技術が進んでいますから、かなりある意味素人でも
米は作れます、いまのやり方をすれば。こういう兼業農家の人が9割の中の大多数を
占めるということですね。逆の言い方をすれば専業農家は1割弱ということです。
ではこの農家の数はいまどうなっているんだと。5年前の農業者の数は 350 万人で
した。ということは、この5年間で 50 万人、つまり平均すると毎年 10 万人の農業者
がリタイアしているということです。ではなぜリタイアしているのか。いま 300 万人
の農業者のうち、65 歳を超える方が 60%、70 歳を超える方が 40%です。僕は決し
て高齢者の方をばかにしているのでも粗末にしているのでもありません。おそらく、
例えば 30 年前、50 年前の高齢者の方よりも、いまの高齢者の方がおそらく何倍もお
- 107 -
元気だと思います。そういう意味では 65 歳でも 70 歳でもいくらでも農業はできると
思います。
しかし、そうは言っても人間ですから永遠の命はありません。いつか必ずリタイア
すると思います。とするならば、いまこの 70 歳の人たちが 40%、10 年後には言う
までもなくこの方々は 80 歳になるわけです。そうすると、この方々が果たして何人
残っているでしょうかと。ということは、おそらく、普通に考えれば、いまの毎年
10 万人ずつ減ってきたということも大問題ですけれども、このまま放っておけばも
っと強烈な勢いで農業者の頭数は減っていくでしょうと。
9 悪化する農家の経営基盤
そして、もう1つ重大な問題は、残念ながら農家の経営基盤が、以前より以上に、
どんどん厳しくなっているという現実なんですね。高齢化が1つの要因ですが、もう
1つは農家の経営破綻あるいは経営が苦しくなっている、こういうことの中で、残念
ながらいままでの平均 10 万人レベルではなくて、もっと強烈な勢いで農業者は減っ
ていくと思います。
日本の直近1年間の農業生産高、これは米、野菜、牛、豚、鶏全部含めてですが、
1年間の農家の生産高は約8兆円です。これが5年前はいくらだったか、10 兆円で
す。たった5年間で農家の所得は2兆円もふっ飛んじゃいました。いま僕が言ったよ
うに、頭数がこれからさらに減っていくとするならば、果たしてこの8兆円はいくら
になるんでしょうかということです。少なくともかなりの勢いで減っていく可能性が
高いと。
そうすると、いま盛んに政府が言っている日本の食料自給率約 40%、世界の先進
国と言われる中で圧倒的な低水準。この 40%、いまでさえ極めて大きな問題である
にもかかわらず、果たして 10 年後の食料自給率は何%になるんでしょうか。こうい
う話です。
でも、農林水産省さんあたりはこれを 45%、50%に回復させると言っています。
僕はまず先ほども言いましたように、理論的には大賛成です、是非やってくれ、そう
すべきだと思っています。しかし、我々現場にいる立場で申し上げるならば、どうや
ってそれができるんですか、誰がやるんですかと。いくら立派な施策を国が立てたと
ころで、それを実行する、実践する人がこの業界にはいないんですね。残念ながら、
メディアではいま農業に新規参入が猛烈に進んでいるなんて書いていますけれども、
ほとんどうそです。こんなのはほとんど誤差の範囲程度でしかなくて、実際に農業の
新規参入なんか進んでいません。つまり、辞める人がものすごくたくさんいて、入っ
てくる人はほんのわずかですから、だとするならば、言うまでもなく頭数はどんどん
減っていきます。これは国の力ももちろんだと思いますが、人口の減る産業とか、人
口の減る地域に活力やアウトプットが出てくるはずがないと。残念ながらいまだけで
見ればそのように言うのが僕は正解だと思っています。
10 将来の日本の国を支えるのは農業者
ただし、それを僕は悲観して言っているのではありません。つまり、だからこそ、
- 108 -
そのような背景だということを理解すれば、逆に言うならば、これからのこの日本国
内で農業生産を司る人たちの社会的な意義、存在価値というのは相対的にますます高
まっているんだと。いままでは、ややもすると昭和の高度経済成長の時代は田舎で農
家なんかをやるよりも、都会に出てサラリーマンをやった方が生活もいいし、格好い
いし、そっちの方が相対的に社会的価値があるんだと、これが昭和の高度経済成長を
支えた1つの要因だと思います。
しかしこれからはまったく逆で、いまのような極めて脆弱な、しかも、これからま
すます悲惨になるであろう日本の食料安保、農業の実態、これを踏まえるならば、逆
に言えばそれを司るプレーヤーの方々の社会的価値というのは間違いなく大きく高
まってくるというふうに言えると思います。
例えば端的に言えば、いまの状況をもし放置するならば、間違いなく日本は食料イ
ンフレに突入します。これは言うまでもなく、日本国内の農業生産が人口の減少以上
にものすごいスピードで国内生産が落ち込んでいく。一方で、その裏側を支えている
海外からの輸入、この輸入食料は世界中の争奪戦ですから、言うまでもなく、世界の
食料価格はこれからどんどん上がっていきます。この高い輸入に依存する日本は当然
ながら日本国内でも食料インフレの方向にいかざるを得ないということです。だとす
るならば、10 年後に日本の国内で野菜をつくっている人たちの所得は増えるという
ことですね、当然ながら。というふうな図式が当然ながらこれから出てくるであろう
ということなんですね。
ですから、今日は皆さんは違いますが、よく農業団体でもお話をさせていただくも
のですから、そのときに必ず言うことは、もはや負け犬根性の農業はやめましょうよ
と。おれたちは田舎者だとか、貧乏人だとか、どうせ社会からあぶれちゃっているみ
たいな、こんな感覚が残念ながら農業者の意識の中にはいま強くあります。あるいは
これが過去 10 年、20 年の間にどんどん悪化したと思います。しかし、もはや時代は
変わりましたよと、潮目は変わりましたよと。自信喪失の負け犬根性の農業から、こ
れからは我々農業者が日本という国を支えていくんですよと、社会的価値は一気に高
まっているんですよということを、僕は農業者の方々にはお話しさせていただくよう
にしております。実際にそのように思っております。
11 これからの基盤整備は土地ではなく人材の育成
いまこのような状況がきているわけですから、あとはあまり難しいことを言わずに、
僕はルールを無視しろとか乱暴なことを言っているのではありませんが、単純に農村
の人口を増やさなければいけないし、農家の頭数を増やさなければいけないし、ある
いは作付面積を増やさなければいけないし、これをやらずして、100 の理屈を言った
ところで何の意味もないと思います。
また、農水省さんあたりから出ている1つのガイドラインでも、例えばこれからは
農業者の法人化だと、大規模化だと、これによって日本の農業は救われるというよう
な方向性が出されていますが、僕は先ほど来申し上げているように、理屈は賛成です。
法人化してがんばることもいいことです、大規模で効率を上げることも全然反対じゃ
- 109 -
ありません。でも、先ほど言ったように法人化するためには会社運営の仕組みを知っ
ているんですかと、あるいはリーダーがいるんですかと、あるいはそのための資金は
どうやって用意するんですかと。こういう基本的な、世の中の一般産業では当たり前
のように思われていることができていないのが農業業界ですから、そういう意味での
基盤整備をしなくてはいけない。農業の世界で基盤整備というと、すぐ土地をどうし
てこうしてとか、土地というのは農業の世界でも僕に言わせればいわゆる「箱もの行
政」に近いような感覚でしか聞こえなくて、土地とか箱をいじるのではなくて、大事
なものは人間でしょうよと、人間をいじることをもっと考えましょうよと。いじると
いうのは言葉は悪いのですが、もっと人を育てるように、やっぱりもっていきましょ
うよと、こういうことを我々はもっともっとやっていかなくちゃいけないのかなと思
っております。
12 耕作放棄地の現状
1つその中で注意しなければいけないのは、耕作放棄地というのが常にこういうと
きに議論になるんですね。あそこに土地が空いている、土地が空いているからあそこ
を使って新しい農業をやれ、あるいは農業者を参入させればいいじゃないかというこ
となんですが、これも理屈上は僕は賛成です。実態上は、でもちょっと気をつけてく
ださいという話ですね。なぜかというと、農地が耕作放棄されるということはもちろ
んさまざまな事情がありますが、多くのケースの場合は役に立たない土地だから耕作
放棄されるんですね。つまり仮に同じ田圃が2か所あったとして、でもおれは年とっ
て2か所はできないから1か所だけ続けて1か所止めようというときにどっちを止
めるかといったら、成績の悪い土地を当然捨てるんです。これは当たり前のことなん
ですね。日本全国に、莫大な面積の耕作放棄地がありますけれども、この面積のうち、
大部分とまで言うとちょっと言い過ぎかもわかりませんが、かなり大きなウェートで、
実は使い物にならない土地が非常に多いということなんですね。
ですから、例えば行政の皆さんが市かなんかで耕作放棄地のデータベースを集めま
したと。どこかよそから新規参入したいと人が来ましたと。ここに土地があるよ、好
きなのを使っていいよと紹介しましたと。やってみたら全然ものが、もともとやって
いるプロでさえもうまくいかないのに、素人さんが難しい土地をやってうまくいくは
ずがないんですね。土地も農業も、言うまでもなく簡単なものではありませんから、
どこでも誰でも同じように簡単にできるはずがないんです。
13 失敗は将来の成功の糧
例えば、特定の有名な場所、こういう言い方をするとあまりよくないかもしれませ
んけど、具体的に言うと、例えば新潟の南魚沼と言われる地域は日本で最もおいしい
米が採れる地域だと言われているわけですね。それは大変結構なことで僕も賛成です。
でも、南魚沼の地域の中だから 100%おいしい米が採れるのかと言われれば、全然違
いますね。やっぱり南魚沼の中でも、平均点は高いかもしれませんけれども、おいし
いところもあればおいしくないところもある。それは、土地とか、水とか土とかいろ
いろな総合的な環境に基づいてやっぱり影響を受けるというふうなことなんですね。
- 110 -
ですから、そんなこんなでいろいろな状況がありますので、結局そういうところを、
僕はまず1つは行政の皆さんにはどんどんある意味盛り上げていただきたいんです
けれども、盛り上げるだけではやっぱりだめで、そこに専門家なりあるいは一定のリ
レーションをつくって組織でやらないと、結局最初は盛り上がったけど最終的にはう
まくいかなくなっちゃったねということがあると思います。
売り込みのようではなはだ恐縮ですが、当社では一番最近は栃木県庁さんからコン
サルティング契約をちょうだいいたしました。それはすごく平たく言えば、栃木県の
農業を活性化させるためにナチュラルアートは協力しろという話です。当然喜んでや
らせていただいております。
あるいはまったく同じように、今度は自治体だけではなくて、例えば地方の重要な
機関であります地方銀行さん。例えば一番最近は岡山のトマト銀行さんというところ
にやっぱり契約をちょうだいしました。そして、トマト銀行さんを中心に、そのお客
さんに向けて農業の活性化ということを当社がバックアップさせていただくと。例え
ばこういう仕事もやらせていただいております。
そのようなことで、別に当社がどうのこうのというのは別にしまして、世の中には
そういう会社とか、そういう機能を持っておられる人たちもたくさんいらっしゃいま
すから、ただ単にいままでの過去の延長の縦割りのやり方ではなくて、もうちょっと
システマチックに組織的にやっていけば、いくらでもやりようがあるのかなと思って
います。逆の言い方をするならば、言うまでもなく、我々がでしゃばるまでもなく、
日本全国に素晴らしい自治体の復活事例、成功事例、こんなのは枚挙にいとまがない
というぐらい、失敗事例を挙げてもきりがありませんが、成功事例を挙げてもきりが
ないくらい、とてつもなくいい事例がたくさんあると思います。
一番有名なのは皆さんよくご存知のとおりだと思いますが、例えば徳島県に上勝町
という町があって、あちらは極めて高齢化過疎化の進んだ、本当の 80 歳以上のおじ
いちゃんおばあちゃんだけの町で、でもそこが「つまもの商売」と言って、最初はも
みじとか葉っぱの落ち葉ですね。この落ち葉が実は東京の料亭に高く売れると農協の
方が気がついて、地元でみんなで一体になって、実際に落ち葉を拾うだけじゃなくて
ちゃんと栽培までやって、ちゃんとパッケージをつくって、しかもデータ管理を 80
歳過ぎのおばあちゃんたちにパソコンを使わせて、ちゃんとこれが使いきれるように
なって、そしておばあちゃんたちの所得が、何百万は当たり前のこと、下手すれば
1,000 万を超える人も出てきちゃってと、こういう素晴らしい事例がよくテレビなん
かでも報道されますけれども、そんなたぐいのところは全国にたくさんあります。で
すからそういう意味において、やっぱりやりようなんだろうなと。
ですから、各市役所にも優秀なスタッフの方がたくさんいらっしゃるし、多くのア
イデアもお持ちだと思いますから、あとはとにかく、あまり難しいことを言わずに、
どんどんやっていただきたいなと。やっていただくときに、もし役割がちょっと足り
ないよというときには当社のような会社に声をかけられたらいいんじゃないかなと。
そして、そうは言っても 100 発 100 中は絶対ありませんから、必ず失敗することが
- 111 -
いっぱいあると思います。しかし、いちいち1個1個の失敗を批判するのではなくて、
言うまでもなく失敗は将来の成功の糧ですから、そういう意味で、失敗もしない人が
成功なんか得られませんから、我々はとにかく常に失敗の繰り返しでして、恥ずかし
ながらナチュラルアートもものすごく多くの失敗をしているんですけれども、そのも
のすごく多くの失敗をしたからこそ、逆に言えばわずかばかりの成功が得られたとい
うことではないかと思っております。
- 112 -
Ⅴ
おわりに
本研究会では、平成 19 年4月に第1回研究会を開催し、先進的な取組を進めてい
る市長をはじめとする自治体関係者、学識経験者、関係省庁、民間企業の代表者の方々
から大変示唆に富んだ講演、助言等をいただくとともに、出席市長と活発な議論が展
開されたが、これは研究会の目的である「都市と農山村の調和ある発展」に沿ったも
のであり、都市自治体の行政運営の一助になったものと考える。
現在、審議中の平成 22 年度農林水産予算においても、定住・交流を通じた農山漁
村の活性化を図る施設整備等の取組を支援するための予算が計上されるなど、都市と
農村の交流を推進することが必要なことから、今後は本研究会の上部機関である経済
委員会において適切に対応することとしているので、引き続き市長各位のご支援、ご
協力をお願いするものである。
- 113 -
Ⅵ
設置要綱
「都市と農山村の調和ある発展に関する研究会」の設置について
(平成 19 年
1 月 25 日
制定)
(平成 20 年 11 月 12 日
改正)
経
1
済
委
員
会
名称及び目的
都市自治体は、市町村合併が進んだことなどにより、農山村部を含めた市域が拡大し、
これまで以上に都市部と農山村部との調和や、都市農村計画のあり方などが問題になって
いる。
農山村を抱える都市との意見交換や先進事例等の収集提供を行うとともに、都市部・農
村・里山との共存連携のあり方や都市農村計画のあり方、農林業の振興等について解決策
を見出すため調査研究を行う。また、都市と農山村の調和ある発展の実現方策について関
係方面へ働きかけるため、経済委員会のもとに「都市と農山村の調和ある発展に関する研
究会」(以下「研究会」という。)を設置することとする。
2
組
織
研究会の組織は、次のとおりとする。
(1)
経済委員会の委員長及び副委員長の職にあるもの。
(2)
委員長が指名する市長。
(3)
委員長が指名する学識経験者。
3
運
営
研究会の運営は、次のとおりとする。
(1)
研究会には、座長及び座長代理を置く。
(2)
研究会に学識経験者及び委員市の部課長等で構成する幹事会を設置することができ
る。
4
その他
(1)
研究会の設置期間は、設置の日から凡そ2年間とする。
(2)
以上のほか、必要な事項は委員長が定める。
(附則)
1.この設置については、平成 20 年 11 月 12 日から施行する。
2.4(1)の規定からさらに1年間延長することとする。
- 114 -
Ⅶ 委員名簿(平成 22 年 1 月 26 日現在)
座
長 埼玉県新座市長 須田健治
座長代理 岩 手 県 大 船 渡 市 長 甘 竹 勝 郎
〃
長野県飯田市長 牧野光朗
委
〃
〃
〃
〃
〃
〃
〃
〃
〃
〃
〃
〃
〃
〃
〃
〃
〃
〃
〃
〃
〃
〃
〃
〃
〃
〃
〃
〃
〃
〃
〃
〃
員 北海道旭川市長
〃
稚内市長
〃
深川市長
青森県平川市長
岩手県久慈市長
〃 遠野市長
〃 陸前高田市長
〃 二戸市長
宮城県登米市長
福島県喜多方市長
〃 本宮市長
新潟県長岡市長
〃
三条市長
〃 糸魚川市長
富山県黒部市長
石川県輪島市長
〃
珠洲市長
福井県鯖江市長
長野県長野市長
〃
須坂市長
東京都中野区長
埼玉県飯能市長
茨城県水戸市長
〃 常陸太田市長
〃
北茨城市長
栃木県日光市長
群馬県富岡市長
山梨県富士吉田市長
岐阜県中津川市長
〃 恵那市長
〃 海津市長
三重県名張市長
〃
熊野市長
西川将人
横田耕一
山下貴史
外川三千雄
山内隆文
本田敏秋
中里長門
小原豊明
布施孝尚
白井英男
佐藤嘉重
森
民夫
國定勇人
米田
徹
堀内康男
梶
文秋
泉谷満寿裕
牧野百男
鷲澤正一
三木正夫
田中大輔
沢辺瀞壱
加藤浩一
大久保太一
豊田
稔
斎藤文夫
岩井賢太郎
堀内
茂
大山耕二
可知義明
松永清彦
亀井利克
河上敢二
- 115 -
岐阜県可児市長
山田
京都府綾部市長
〃
京丹後市長
〃
南丹市長
和歌山県紀の川市長
兵庫県南あわじ市長
広島県東広島市長
山口県山口市長
〃
萩
市長
〃 美祢市長
徳島県三好市長
香川県丸亀市長
愛媛県松山市長
〃
宇和島市長
〃
西条市長
〃 西予市長
高知県高知市長
福岡県うきは市長
佐賀県佐賀市長
〃
伊万里市長
〃
多久市長
〃 神埼市長
長崎県長崎市長
〃
雲仙市長
〃
南島原市長
大分県豊後高田市長
熊本県天草市長
〃
阿蘇市長
宮崎県宮崎市長
〃
都城市長
〃 串間市長
鹿児島県鹿屋市長
〃 日置市長
〃
曽於市長
四方八洲男
中山
泰
佐々木稔納
中村愼司
中田勝久
藏田義雄
渡辺純忠
野村興兒
村田弘司
俵 徹太郎
新井哲ニ
中村時広
石橋寛久
伊藤宏太郎
三好幹二
岡﨑誠也
怡土康男
秀島敏行
塚部芳和
横尾俊彦
松本茂幸
田上富久
奥村愼太郎
松島世佳
永松博文
安田公寛
佐藤義興
津村重光
長峯
誠
鈴木重格
山下
榮
宮路高光
池田
孝
計
豊
70 名
Ⅷ「都市と農山村の調和ある発展に関する研究会」に関するアンケート調査結果
全国市長会
平成 19 年 2 月
調査実施数
804 市
回答数
548 市
回答率
68.2%
Q1.検討会への参加を希望されますか。
選択肢
1
希望する
2
希望しない
調査数に対
する割合(%)
回答数に対
する割合(%)
98
12.2
17.9
448
55.7
81.8
2
0.2
0.4
調査数に対
する割合(%)
回答数に対
する割合(%)
件数
3 保留
Q2.研究会には、主にどのような活動を期待されますか。
選択肢
件数
1
政府及び関係機関等における最新情報の入手
261
32.5
47.6
2
先進都市事例の研究
177
22.0
32.3
3 有識者(民間企業、NGO 等を含む)との意見交換
の場の設定
71
8.8
13.0
4
67
8.3
12.2
165
20.5
30.1
139
17.3
25.4
36
4.5
6.6
調査数に対
する割合(%)
回答数に対
する割合(%)
4.5
6.6
委員市長相互の情報交換
5
研究会としての研究成果物(事例集など研究会
としての報告書の作成)
6
政府等への提言・要請活動
7
都市と農山村の調和ある発展について、検討課
題(項目)がありましたならば具体的にお書きく
ださい。
Q3.何かご意見があればお書きください。
選択肢
件数
(具体的な意見)
36
- 116 -
「都市と農山村の調和ある発展に関する研究会」
アンケート調査結果概要
アンケート調査による主な検討課題・意見は、以下の項目のとおり。
第1回の意見交換で上がった課題と併せて整理を行い、第2回目以降の研究会のテーマとする。
◆農山村の保全について
○荒廃農地対策
○森林・里山の保全対策
○林業の再生
○限界集落の再生
◆農業の振興について
○後継者問題
○農地利用の促進
◆都市と農村の交流について
○グリーンツーリズム事業の取組み
○交流の促進・拡大のためのリーダー育成
◆社会資本整備について
○医療・教育等の格差是正
○高速道整備等交通対策
○住宅対策
◆その他
○財源問題
(交付税拡充、地方財政負担軽減、環境税・森林税など国土環境保全
のための費用分担)
○農山村への産業立地の誘導
○学校の統廃合による跡地利用
○農業体験の学習システムの構築
- 117 -
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