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なんの取り柄もない貧しい者ですが
11 月1日(毎月1日発行) http://www.nagasaki.catholic.jp 島原宣教450年記念 虫の目と鳥の目 なんの取り柄もない貧しい者ですが る。初めて福音と出会った喜び、 イ ザ ビ エ ル か ら の 年 間、誕 生 し たばかりの教会は眼前に横たわる エスの招きにすべてをかけて生き ようと決めた地ガリラヤ。当て外 痛みや悲しみに寄り添って生きて 今さらの出会い 中、弟 子 た ち は ガ リ ラ ヤ で 再 び イ ― 刷新する教会 ― 昔 も 今 も、神 は 出 来 事 を 通 し て 語り掛ける。不思議なみわざを前 エスと出会う。苦しみと死を過ぎ に、人 は と き に 預 言 者 の よ う な 言 れの十字架と先の見えない不安の 葉を紡ぎ出す。有馬川の8人の殉 島原は日本のガリラヤといっても 地べたを這い回る虫の目のように 教 を 記 録 し た セ ル ケ イ ラ 司 教 は、 越したイエスとの今さらの出会い。 きた。足元で何が起きているのか、 現 実 を し っ か り と 見 据 え た ら、教 さ れ る( フ ィ リ ピ 2・ 6 ~ 8) 。新たな問題 に 直 面 す る た び に、日 本の教会は新しい答え 札幌教区に新司教 ベルナルド勝谷太治司教 西 2 丁 目 ) す る 司 教 団、札 幌 教 区 民 北区北 条 堂(札幌市 女子大学講 敏夫名誉司教をはじめと 区)と前札幌司教の地主 た 菊 地 功 司 教( 新 潟 教 一 升 瓶 を 脇 に 据 え、手 酌 す る お じ い さ ん が い た。 酔っ払うたびに同じ話を 6・ 1 ~ 7) 。口之津 きてきた(使徒言行録 を共に喜び祝った。 の参列者が新司教の誕生 で 行 わ れ、約 2 0 0 0 人 れる」 (Ⅱコリ ・9) 。 の中でこそ十分に発揮さ モ ッ ト ー は、 「力は弱さ を 祈 っ た。 勝 谷 司 教 の た ち は、新 司 教 へ の 祝 福 美男子やった。同じ村に 分の先祖は外海で一番の 着いた先祖のこと▲「自 迫害を逃れて五島に住み で 飲 み な が ら す る 話 は、 をもってたくましく生 は本気で刷新を望む教 叙 階 式 は、教 皇 大 使 ジョセフ・チェノットゥ 区。式後の祝賀会も喜び およそ4年間の司教座 空位が続いていた札幌教 五 島、女 性 は 福 江 に 逃 げ たらしか。でも先祖は上 人は結婚の約束ばしとっ 一番美人の娘がいて、2 と感謝にあふれていた。 大 司 教 立 ち 会 い の も と、 会の鮮やかな記憶を宿 している。 教会の成長と司祭養成 れ、札 幌 教 区 管 理 者 だ っ と崩れそうな肩を抱いたのだ。し ロタジオ有馬晴信が受洗してわず ナ リ オ と し て 祝 別 さ れ た の は、プ 会は「もう泣くな」 (ルカ7・ ) てくる。日之江城下の別邸がセミ ち 得 た の だ ろ う か。 そ し て 司 祭 禁令を出させるほどの感化力を持 「ご覧ください、 これが有馬の教 会の信仰です。私どもは同じ心を 記録されている。 殉教者レオ武富勘右衛門の遺言が の世では結ばれんやった んな約束をしたげな。『こ た。出発する前の晩、2 人々」は告げられた福音にうなず 高 な 神 学 で は な か っ た。「 小 さ な かつてユダヤの人々が受けた イ エ ス の 福 音 は、難 解 な 哲 学 や 崇 ンシスコ会は徹底した貧しさの中 から吹き始めた。托鉢修道会フラ さな聖堂ポルチウンクラの筵の上 世 紀、ロ ー マ 教 会 の 新 た な 息 吹はイタリア・アッシジ郊外の小 向付けていく。 勇んでやってきた。セバスチアン 地の教会から選ばれた少年たちが さ れ た 有 馬 の セ ミ ナ リ オ に は、各 後を除く九州全域)のために開設 皆が心を一つにした。下の教会 (豊 日 本 の 教 会 の 成 長 は、日 本 人 司 ( マ タ イ 2・ 1 ~ 参 照 ) だ と 確 祭の召命と養成にかかっていると 信する。ザビエルをはじめ草創期 ようにいのちを育む。 遺 言 を 受 け た 有 馬 の 共 同 体 は、 るようにしっかりと信仰 を守っていこうで。それ そ の 年 後 有 明 海 と 雲 仙 岳 で、 け ど、い つ か 天 国 で 会 え 人 は こ っ そ り 会 っ て、こ れんといかんごとなっ 不 在 の 潜 伏 時 代、な ぜ 信 仰 は 2 5 も ち、一 致 し て い ま す。 こ の 信 仰 て 行 く こ と に な っ て、別 月 日、札 幌 教 区・ 岡田武夫大司教(東京教 ベルナルド勝谷太治被選 区)の主司式で執り行わ れたキリストが長崎の教会の新た か し、虫 の 目 だ け で は 遠 く は 見 渡 0年連綿と伝わってきたのだろう 司 教 の 司 教 叙 階 式 が、藤 聞く人の心を動かし神へと導くこ な派遣のために待っておられる。 上げ潮に変わると有 明の干潟は一気に満ち 12 か。その答えは今の日本の教会に な共同体。やがて、セミナリオ、コ き、愚 直 に ま ね て 生 き 始 め た。 山 から誕生した。ザビエルから 年 木村(殉教) 、 ルイスニアバラ(殉 か4カ月後のことだった。あてが レジオが開設され、7万5千人の 口でザビエルから受洗した半盲の 目、来 日 し た 巡 察 師 ア レ ッ サ ン ド 教) 、 ガスパル貞松(殉教) 、そして わ れ た 時 に 即 応 す る 教 会 は、母 の 共同体の祈りと信仰が日本の教会 琵琶法師ロレンソ了斎は初代教会 ロ・ヴァリニャーノによって始め せない。祈りと識別と神への思い の精鋭たちを育んだ。誕生から の パ ウ ロ の よ う に「 宣 べ 伝 え る ら れ た 教 会 刷 新 は、口 之 津 の 岬 の が鳥の目となって明日の教会を方 年 目 に 迎 え た 8 人 の 殉 教、ロ ザ リ )となり、医術 伝わった福音 とでしょう」と結んでいる。 島原半島にイエスの福音がもた らされて今年で450年を迎え た。ルイス・デ・アルメイダとロ 16 とって本来あるべき姿へ導く 「星」 を保つよう頼みます」 オを手に仲間の殉教を見届けた共 人」(ローマ ・ ~ の宣教師たちが描いた日本の教会 現場から人骨と共に火縄銃の弾か る こ と に な る。 今、原 城 址 の 発 掘 年後には原城で同じ信仰を証しす う で。 』引き裂かれた2 らしっかり信仰ば伝えよ ぞれに子どもが生まれた え っ た。 そ の 中 に は ペ ト ロ 岐 部、 キ リ ス ト の 牧 職( 世 話 す る つ と ち、救 い の 道 具 と な っ た 教 会 に は いつの時代も世の中に感化力を持 組 」( 慈 悲 の 御 組 ) 、 「 サ ン タ・ マ て い っ た。「 ミ ゼ リ コ ル デ ィ ア の たちの中でうねりのように広がっ ) 。司牧者のあつい思いは、 信徒 は「聖体の犠牲がキリスト教生活 る。 4 0 0 年 も 前 に、有 馬 の 教 会 会の基盤は聖体の恵みから生まれ カリスティアの組」(聖体の御組) 。 の旗があった。一つの心という教 リアの組」 (聖母の御組) 、 「エウ の泉であり頂点である」 ( 『教会憲 当たりにする。そこには聖体の組 打ち直した教会共同体の姿を目の ら 細 工 さ れ た ロ ザ リ オ の 珠、メ ダ れは単なる昔の「信仰を り返し語るのだろう。そ ら、 皆に伝えたいから、 繰 にとって一番大事だか からない。しかしその人 この話が事実なのかは分 鋤 に、槍 を 鎌 に 」 ( イ ザ ヤ 2・ 4) に暮らしとろうたい」▲ イ、十 字 架 が 出 土 し て い る。「 剣 を 守った先祖の話」ではな で聖人たちと一緒に幸せ 人 や っ た け ど、今 は 天 国 誕 生、成 長、派 遣、証 し( 殉 教 ) と る舞いと一筋の涙を通してしか伝 た イ エ ス の 福 音 は、血 の 通 っ た 振 一番低いところまで降りてこられ 通 し て の 文 書 宣 教、日 本 文 化 へ の れ た 日 本 人 の 司 祭 養 成、印 刷 物 を なった。激しい議論の末に決定さ 年 の 信 仰 の 歴 史 は、 「行う人」(ルカ ・ )となった。 聖 母 教 会 が「 筵 の 会 議 」 の 場 と 100名を超す学生であふれか 名を連ねている。1601年には が1580年の第1期生の名簿に ローマへ派遣される4人の神学生 し。 3 世 代 い う、教 会 共 同 体 の ひ な 形 と な っ 年、島 原 の 乱 の さ な か 聖 体 た。 、 預言職(伝えるつとめ) 、 祭司 トマス次兵衛、 ディエゴ結城了雪、 め) すみ か 年 間、や が 会う。1580年から16 トマス西 六左衛門などの名に出 る。しかし神のわざはい しさの中にだけいつも答えを用意 原・ 天 草 に セ )。 5 つ の パ ン と 2 匹 スは大きく変えてくださ 司祭養成は教会の成長の し る し で あ り、そ の 衰 退 は 教会の存続にかかわる。長 崎は今危機を迎えている。 感化力を持った教会 素朴な2つの疑問を 持 っ て 生 き て い る。 司 祭 も少なく満足な組織もな 理 由、カ ト リ ッ ク 信 者 で 涯 一 度 で い い、で き た ら 島 原 半 島 よ う に。 信 徒 の 3 つ の 働 き が、や 「 信 仰 年 」 も 間 も な く 閉 じ る。 生 に語ることでもある▲信 ぐ と は、今 の 自 分 を 次 代 の確認であった。語り継 信 仰 の 遺 産 を 確 認 し、洗 礼 の 喜 あ る こ と の 原 点、い わ ば びと情熱を取り戻すことを求めた 「 我 が 家 の 救 い の 歴 史 」 のキリシタンたちと同じ思いを心 いる。あたかも三位の神の似姿の 3つはバランスよく調和を保って た 鮮 や か な 姿 と 出 会 う。 し か も、 職(祈り取り成すつとめ)に与っ 47 「私たちキリスト者はなんの取 り 柄 も な い 貧 し い 者 で す が、神 様 底告白してみたい。 の歴史』があなたにもあ 返し話す『我が家の救い 酔 っ 払 い な が ら も、繰 り 仰年の終わりに問いた 日 付 け、教 皇 パ ウ 古巣 馨 長崎大司教館 ロ5世に宛てた奉答文) 620年9月 白である。 (F・O) ない貧しい者」の信仰告 叫 ぶ、 「なんの取り柄も リ8・9)主に向かって (Ⅱコ とを本当に幸せに思います」 ( 1 「貧しくなられた」 りますか。 」これもまた、 い。「あきれられながらも きに深い敬意に満ちている。「有馬 の子どもと呼ばれる身分にしてい 頁) 。 月 7 日、有 馬 川 の 剣を鋤に、 槍を鎌に 1613年 同じ思い・同じ心で生きられるこ の 教 会 は、恐 ら く キ リ シ タ ン 時 代 る」 ( 『雲仙の殉教者』 最も完全な証しを示した教会であ では一番徹底して育てられ、 また、 た だ き、ま た 教 皇 様 と 信 じ る 皆 と 生涯キリシタンの歴史と向き 合 っ た 結 城 了 悟 神 父 の 文 章 は、と 伝える基礎となっている。 こ こ か ら 巣 立 っ て い っ た。 がて来る潜伏の教会で信仰を育み を導く多くの精鋭たちが て始まる殉教時代の教会 いた多くの皆さまに感謝。 1 2 年 ま で の ミ ナ リ オ、コ レ の魚はすべての人を満た だいたものを差し出した い 教 会 が、な ぜ 多 く の 人 々 く、今 自 分 が こ こ に い る 順応適応の具体的指針。貧しさを 始まった。新たな派遣のためであ “それを ここに” つもそこから始まる。 島原小教区主任 「 そ れ を こ こ に 持 っ て 山田良秋 来 な さ い 」( マ タ イ ・ ジ オ、修 道 院、 建 て ら れ、そ こ で 養 成 さ 印刷所などが れた精鋭たちが派遣され した。島原の宣教がたっ 千人の信者たちは、教育・ た 2 人 の 宣 教 師 か ら 始 なった。 い。 ものを差し出すときイエ 福祉・典礼の組織を作り、 ま っ た よ う に、わ ず か な あれから450年。日 本の教会に閉塞感が漂 教会共同体のひな形と い、「 た っ た こ れ だ け で る。私たちも神からいた 何になりますか」という に 福 音 を 届 け、為 政 者 に は 章』 )ことを証しした。 あ え て そ の 住 処 と さ れ た 神 は、貧 会 だ っ た( 使 徒 言 行 録 2・ の ひ な 形 は、エ ル サ レ ム の 初 代 教 12 わらない。宣教は昔も今もイエス むしろ 同体のその後の歩み。そして誕生 を心得たアルメイダはみことばを レンソ了斎によって始まった小さ 14 から 25 事は日本中を驚かせ、そしてまた、 過 言 で は な い。 そ こ に は、復 活 さ 10 の組の旗のもとに残されたしる 14 13 「 高 来( 島 原 半 島 ) の 教 会 の 出 来 印刷所 株式会社 藤 木 博 英 社 〒 850-0852 長崎市万屋町 5-13 TEL095(821)2146 FAX095(821)2148 20 が行った方法しかない。 43 12 復 活 さ れ た イエスの 福 音 は、弟 子たちをガリラヤへ招くことから 14 ていった。また、7万5 聖体礼拝と記念ミサ 月 ~ 日、島 原 宣 教450年・有馬川殉教 4 0 0 年 を 記 念 し て、 時間聖体礼拝と髙見三明 大司教司式による記念ミ サが原城本丸跡(南島原 市 ) で 行 わ れ、約 3 0 0 人が参加した。 1 5 6 3 年 春、ア ル メ イダとロレンソ了斎に よって島原半島の宣教 32 教皇フランシスコは 9 月 30 日に枢 機卿会議を招集し、福者ヨハネ 23 世 と福者ヨハネ・パウロ 2 世の列聖式を 来年 4 月 27 日に行うことを決定した。 Ⅱコリント8章9節 14 11 10 小 さ な 小 教 区 を 助 け、 会場設営など協力いただ 23 13 列聖式は 2014 年 4 月 27 日 主 は 豊 か で あ っ た の に、 あ なたがたのために貧しくな られた。 島原宣教 450 年・有馬川殉教 400 年 10 37 ささやきが漏れ聞こえ 14 12 は 始 ま っ た。 や が て 島 10 75 30 50 24 18 75 10 ヨハネ 23 世とヨハネ・パウロ 2 世 発行所 カトリック長崎大司教区 広報委員会 発行人 大 水 文 隆 〒 852-8113 長崎市上野町 10-34 カトリックセンター内 TEL095(843)3869 FAX095(843)3417 郵便振替番号 0 1 8 8 0 - 5 - 2 6 9 9 カトリック長崎大司教区ホームページ 1011 号 ) 第 昭和27年1月12日 第三種郵便物認可 1カ月140 円 年間1,500円( よ き お と ず れ (1)2013年(平成25年) 信仰年連載企画 長崎はなぜ長崎を棄てるのか ⑬ 月 日から始まりまし 髙見 三明 様を中心に全世界の教会と共に聖母のご保 護のもとキリストとの一致を深め、互いに 愛し合うよういっそう努めなければならな いと思います。 す。「 ま だ 」 の 方 は、「 今 か ら 」 で も 遅 く あ 方がたくさんおられるのはうれしいことで 読んだり、講座や講演などで学んだりした 式訳』も発行されました。「信仰年」の間に 末には『第二バチカン公会議公文書改訂公 書『YOUCAT』があります。また9月 今年6月に発行された若者のための要理 要 約 』、『 カ ト リ ッ ク 教 会 の 教 え 』 、そ れ に は、『 カ ト リ ッ ク 教 会 の カ テ キ ズ ム 』 、 『同 ち、も っ と 自 由 に も っ と 勇 気 を も っ て を福音に基づく信仰に確信と誇りを持 目指して活動する。これからの2年間 る。④参加し、 交わり、 宣教する教会を を前にして教区代表者会議を準備す て生きてゆく。③信徒発見150周年 とを教え、 心にとめ、 喜びと感謝をもっ 親 子 で 教 理 を も う 一 度 学 び、学 ん だ こ 活を大切にする。②信仰年にあたって のような目標を掲げました。①家庭生 けることになります。 実施に向けて力を結集するよう呼び掛 出し、 わたしはそれらを承認した上で、 会議代表がそれらの提言をわたしに提 5 0 周 年 記 念 ミ サ の 中 で、教 区 代 表 者 れ、採 択 さ れ ま す。 そ し て 信 徒 発 見 1 ら始まる教区代表者会議で逐一審議さ ま す。 こ れ ら の 提 言 案 は、来 年 5 月 か 教区代表者会議に上程することにあり な ら な い 課 題 を 提 言 案 と し て ま と め、 ほかの人とそれを分かち合う信者に生 まれ変わることを目指す。 これに加え、 むすび りませんからすぐに読み始めてください。 信徒発見150周年に向けて 「信仰年」も「信徒発見記念日」も、 信仰を立て直す機会として捉えたいと だ か ら で す。 信 仰 は、心 の 中 に あ っ て 告 白 長 崎 で は、わ た し は「 信 仰 年 」 を 教 区 代 表者会議(シノドス)と信徒発見150周 ク中央協議会HP参照)。 の趣旨は、信仰について深く考察すること 「日本の課題」を発表しました(カトリッ この「信仰の立て直し」のために「信仰年」 団は、「信仰年」の開始日に合わせて「メッ がはずみとなれば幸いです。実際、「信仰年」 セージ」と同時に新しい福音宣教に関する が、 直近の段階に入りましたので、 今年 す。2011年から準備してきました 信徒発見150周年を迎えるに際し て最も重視すべきは教区代表者会議で まって少しずつ準備を進めています。 た し も 加 わ り、 2 カ 月 に 1 回 程 度 集 し、小島 栄委員長ほか の関係をますます強めてくれますよう 仰 年 』 が、わ た し た ち の 主 キ リ ス ト と の日』 教皇メッセージ) 。 願わくは、「 『信 共同体です」 ( 2 0 1 3 年『 世 界 宣 教 セージを分かち合いたいと願う人々の の 深 い 喜 び の 体 験、つ ま り 主 が わ た し きた人々、 そして今生きる人々、 またこ ストとの出会いという奇跡をかつて生 思います。わたしたちが所属している するもの、典礼の中で祝われる神秘の基礎、 年に向けた歩みの中で過ごすよう呼び掛け に。 キ リ ス ト 以 外 に、未 来 に 向 か う た 役立てたいものです。信徒発見記念事 0周年を記念して設け ら れ た 「 聖 マ リ ア の キリスト者としての生活を導く指針、祈り ました。各小教区、各地区、 各団体などでさ 父様を委員長に任命しました。中央委 4月に中央委員会を設置し、山脇 守神 め の 保 証、真 実 で 永 遠 の 愛 の 保 証 は な まな取り組みがなされました。日本の司教 「信仰年連載企画 長崎はなぜ長崎を 全 世 界 で、そ し て 日 本 の 他 の 教 区 で も、 棄てるのか」をメーンテーマとした本 「信仰年」の間に、その趣旨に沿ってさまざ 紙の連載記事も信徒発見150周年に 母性」の祝日でした。 ヨ ハ ネ 世 教 皇 が こ の源です。従って、「信仰年」は、「わたし まざまな取り組みが行われました。教区評 いからです」 (教皇ベネディクト 「信仰年」をどう過ごしただろうか の日を公会議開会の日としたのは、公会議 は誰を信じ、何を信じているのか?」「信仰 議会は、2013年度活動方針・計画とし 会、教 区 委 員 会、教 区 顧 問 会、修 道 会 や て、「わたしたちの教区が『参加し、 交わり、 員 会 の 任 務 は、こ れ ま で 小 教 区、評 議 自発教令『信仰の門』 世教皇が、エフェソ公会議にお を聖母マリアの慈しみに委ね、公会議とい を神の恵みとして受けとめ、その喜びを感 団体などから寄せられた諸意見をもと 年にピオ う事業をキリストのご 生 涯 の 神 秘 と 結 び 付 じ て い る の か?」「 信 仰 と わ た し の 人 生 に 宣教する教会』を目指して、 『― 人間とし に、今 後 長 崎 教 区 が 取 り 組 ま な け れ ば 教 会 は「 聖 霊 に 導 か れ、イ エ ス・ キ リ けるためでした。当時 教 会 は 社 会 に 対 し て はどんな関係があるのか?」などと自問し て、信 仰 者 と し て ― 互 い の き ず な を つ く 日に発足 力を失いつつあり、従って現代に適応し、も 確認するだけでなく、体験する時です。 る』ための活動を推進すること」とし、次 名の委員にわ 業 実 行 委 員 会 は、今 年 1 月 う一度力を取り戻す必 要 が あ り ま し た 。 そ その意味で、全小教区において「ニケア・ コンスタンチノープル信条」を唱えること ところで、公会議によって刷新され、現代 に適応してきたはずの教会は、今また、 年 ) 。 世 たちに与えてくださった救いのメッ のために教皇ヨハネ 世 は 公 会 議 を 招 集 し には意味があります。ラテン語で たのです。 前のように力を失いつ つ あ る よ う に 思 わ れ 歌う小教区は少なかったようです 平戸地区で諸宗教対話研修会 ます。もしそうなら、わたしたちは、信仰と 世 教 皇 は、こ の こ と を 師。 会 場 と な っ た カ ト 編纂に携わった園田善昭 平戸地区評議会は9月 日(日)、「異宗婚に伴 る宗教も大切にしたいと か ら、あ な た が 信 じ て い それができる」と説いた。 し た。 さ ら に、典 礼 を 行 いと思っているからこそ、 大きな要素であると指摘 リックの信仰を素晴らし 者中心」から「大祭司キ う者をこれまでの「聖職 が、教 会 の 刷 新 を 導 い た いう思いにある」 「私たち が自分の信じているカト リストと共同体」 (信徒 え る こ と は、あ ま り に も 当 た り 前 も含めた教会全体)に正 で す が、黙 っ て 拝 領 す る 人 が 今 な ことの理 動的意識的に「参加」す そして神様は、その意志を受け継ぐ教皇を 由と意義 る 典 礼 を 目 指 し て、典 礼 摂理的に与えてくださ い ま し た 。 フ ラ ン シ ~何が変わり・なぜ変わったか~ はおろそ かにされ の日本語化に尽力した体 リック田平教会信徒会館 がちだった。国井師はミ う宗教対話に関する諸問 サの生い立ちを最後の晩 験を語った。 お少なくありません。これは自分 教区典礼委員会主催の 公開講座「典礼の刷新~ 餐 か ら 始 め、時 代 と 共 に スコ教皇様は教会に新 し い 風 を 吹 き 込 み つ を傾けた。 何が変わり・なぜ変わっ 公開講座「典礼の刷新」 結婚が通常のこととなっ た か ~」 が 9 月 に は、平 戸 地 区 の 各 小 教 て い る 現 状 で、こ れ を 障 園 田 師 は、中 国 か ら の 引 き 上 げ の 体 験 や、終 戦 受難修道会の国井健宏師 題 」 を テ ー マ に、秋 の 講 も大切なことです。唱えていない 後母親の影響でカトリッ を講師に招いてカトリッ の 信 仰 を 表 す 行 為 で す し、主 イ エ 人にはぜひお願いします。神父様 害 と し て で は な く、む し クと出会い島原教会に つあります。神の慈しみへの信頼、清貧、小 神を知り、愛することができるようわたし ろ豊かさとして受け止め 通 っ た こ と、当 時 教 理 を 気 が 必 要 で す。 …… す べ て の 人 が、神 に 愛 こたえ、わたしたち自身を神にゆだねる勇 みに感謝するために、一人ひとりがそれに し か し、信 仰 に は、神 の 愛 を 生 き、無 限 の 恵 しょう。 神の恵みです。恐れずに近づきま はそのきずなを修復していただく 失 っ た り す る こ と で す が、ゆ る し トリック中央協議会)の の手引―実践Q&A』(カ リック教会の諸宗教対話 教部門委員として『カト トリック司教協議会諸宗 コ 修 道 会 司 祭 で、日 本 カ と。あなたを大切に思う ま た、 「 諸 宗 教 対 話の 基本は相手を尊敬するこ の素晴らしさを語った。 を土台として生きること が ら、カ ト リ ッ ク の 教 え た か に 向 け ら れ、変 わ る は何がどのように変わっ 憲章」は多くの変革をも 第2バチカン公会議の 最初の実りである「典礼 270人が参加した。 た ら し た が、人 々 の 関 心 されるという喜び、救いの喜びを経験でき ど の よ う な 神 を、ま た 何 を 信 じ ているのかを説明できるために 23 欧州で起こった典礼運動 る」と感想を述べた。 年を味わったように感じ かった。今日は特に信仰 れていったことがよく分 教会に合うように変えら 「公会議後、 典礼が日本の い る と い う 男 性 信 徒 は、 会でこの祈りを唱えて を全員で唱えた。毎日教 変 化 し た こ と を 概 観 し、 講演後は活発な質疑応 答、 最後は「教会の祈り」 し、 「与る」典礼から、 行 たちの心を開かせる、神からのかけがえの 方はゆるしの秘跡を勧めるだけで る こ と が で き る よ う、目 区から200人を超える ない贈り物です。神は わ た し た ち と の 関 係 な く、告 解 場 で 待 機 し て く だ さ っ からうろこ的理解を目指 学 ん で 感 じ た こ と な ど、 ク セ ン タ ー で 行 わ れ、約 信 徒 が 集 ま り、講 演 に 耳 に入り、わたしたちのいのちをもっと意味 た よ う で す が、ゆ る し の 秘 跡 に 近 自身の半生を振り返りな 演会を開催した。目的は 深 く、良 く、美 し く す る た め に、自 ら の い の す 」 こ と。 講 師 は、コ ン 日、御 ち を 分 け 与 え る こ と を 望 ん で お ら れ ま す。 づく人数も頻度ももっと増やす必 ベンツアル聖フランシス スをお迎えするという意識を持 16 15 人たちとのきずなを傷つけたり さな人々への愛などに つ い て 分 か り や す い 15 34 神 は わ た し た ち を 愛 し て お ら れ る の で す。 要があります。罪は神様とほかの 言葉で話し、証ししておられます。「信仰は、 ち、信 仰 の 喜 び を 体 験 す る た め に 「 宗 教 の 異 な る 者 同 士 の 就 任 当 初 か ら 心 に 掛 け、尽 力 さ れ ま し た。 聖体拝領のとき「アーメン」と答 ん。 ベ ネ デ ィ ク ト が、今 後 も 努 力 し て ほ し い で す。 いう土台から立て直さなければなりませ 50 23 けるマリア様の神の母 と し て の 宣 言 1 5 0 長崎大司教 信仰年、そしてこれから 新教皇と共に信仰の 立 て 直 し を 年に当たる昨年 前教皇ベネディクト 世が定められた 「信仰年」は、第2バチカン公会議開会 周 50 た。 同 教 皇 に よ れ ば、こ の 日 は、 1 9 3 1 10 16 11 23 16 るはずです」(2013年『世界宣教の日』 カトリック教会の 青年向けカテキズム 教区法人会計事務室・購買部 ◇ YOUCAT(日本語) 青年向けに書かれたカトリック教会の要理 書。 難 解 な 用 語 の 使 用 を 避 け、Q & A 形 式 の 文 体 で 教 え 全 般 が 解 説 さ れ て い る。 個 人 で の 読書、堅信の準備のテキストとして最適。カト リック中央協議会、1890円。 ◇ 第二バチカン公会議公文書 改訂公式訳 典礼書の日本語版や新教会法典の発行に 伴って教会用語の訳語の見直しが行われ、公文 書 の 訳 文 に も 改 訂 が 求 め ら れ て い た。 本 書 は こ の 要 望 に 応 え る も の で あ る。 カ ト リ ッ ク 中 央協議会、3150円。 法人会計事務室・購買部(カトリックセンター内) では、『日本二十六聖人長崎への道巡礼マップ』も取 り扱っています。お問い合わせは、 095‐846 ‐4248、 095‐848‐8310まで。 TEL 11 教皇メッセージ)。わたしたちはこの教皇 FAX 22 11 月1日(毎月1日発行) (2) 2013年(平成25年) よ き お と ず れ 1011 号 (昭和27年1月12日第三種郵便物認可) 第 という回答の順位を示せば、1位「小教区 成の必要性」 、 7 位「 小 教 区 の 統 廃 合 の 必 安」 、 6 位「 聖 体 授 与 の 臨 時 の 奉 仕 者 の 養 的発言に関心」 、 5 位「 司 祭 の 高 齢 化 に 不 合いの中で生じていると推測される。 イフサイクルと社会・時代の趨勢のせめぎ し、 大半の項目におけるこうした傾向は、 ラ Ⅱ.小教区 ①主日のミサはできるだけ自分の小教区で参加するよ う努めていますか。 ②小教区の行事や委員会活動に積極的に参加しようと 努めていますか。 すうせい のミサ参加」 、 2 位「 小 教 区 へ の 金 銭 的 協 要性」の順である。 努めていますか。 ① ② 0 議論で大いに活用されるよう望まれる。 力」 、 3 位「 行 事・ 委 員 会 へ の 参 加 」 の 順 ⑩ミサに参加するよう努めていますか。 ③ 連載・教区シノド ス か ら 恵 み の 年 へ ③ である。多くの信徒が参加する自分の小教 1000 Ⅰ 信徒の現状 1000 大司教区の信徒の現状と課題 ⑨平和な世界になるように、 何かの運動に参加するよう アンケート関心度 2000 区の維持に関して、金銭的協力と行事や委 2000 3000 男女・年齢別の関心事 ⑧ボランティアに参加するよう努めていますか。 アンケート有効回答数9101票の中か ら、肯定的な回答数を各設問ごとに比較し 3000 員会への参加の比率は大きく相違してい に入園入学させるよう努めていますか。 た。 こ れ に よ っ て、設 問 に 対 す る 信 徒 の 関 ③司祭の高齢化について不安を感じますか。 ミサ・小教区に参加する信徒の現状 ミサ・小教区に参加している信徒の性別の 4000 ・男女別 比率の相違が関係しているように思える。 や関心が高くなる傾向が明白である。しか 4000 る。 1 位「 神 学 生 数 の 減 少 の 不 安 」 、 2 位「 司 す な わ ち、女 性 の 信 徒 は 幅 広 い 層 が ミ サ・ 行 事・ 運 営 に 関 心 」 、 4 位「 大 司 教 の 社 会 ②大司教の平和活動や社会的発言に関心がありますか。 「教区シノドス」準備委員会は、2011年に「教区シノドス」アンケートを教区全世帯 と修道院などに19631部配り、9101の有効調査票を得た。その後、集計したものの 祭の高齢化に不安」 、 3 位「 大 司 教 の 社 会 小教区に参加しているのに対して、男性の 会における信仰生活であるミサ参加が3位 ⑦できるだけカトリック経営の保育所・幼稚園・学校 ④ るので、希望者は閲覧することができる。 で あ る。 次 に、信 仰 お よ び 信 仰 の 延 長 線 上 5000 分析までに時間を要したが、髙見大司教の意向でアンケートの分析を下関市立大学・経済学 的発言に関心」 、 4 位「 カ テ キ ス タ 養 成 の 信 徒 の 場 合、多 く の 男 性 が ミ サ・ 小 教 区 に 単位の集計は、統計的信頼性の高いものに にどう違いが生まれるのか、を明らかにす における施設の存在・不在に関係している 5000 ミ サ・ 小 教 区 に 参 加 し て い る 信 徒 は、家 庭生活・小教区の維持・大司教区への関心 必要性」 、 5 位「 聖 体 授 与 の 臨 時 の 奉 仕 者 参加していないこと、 しかし、 ミサ・小教区 はじめに ることである。 のが、第4位のカトリック経営の学校への ①大司教区の行事や運営に関心がありますか。 大司教区に関する信徒の現状 の養成の必要性」 、6位「大司教区の行事・ に参加している男性の多くが行事や委員会 さらに、③小教区ごとにデータベース化 した信徒の現状認識や思いを主題別に区分 入学である。 6000 アンケートの回答者を大司教区の信徒の ミサ参加、小教区への参加の指標にすれば、 運営に関心」 、 7 位「 小 教 区 の 統 廃 合 の 必 活動に参加するなど積極的であるために、 目的の一つとして、教区シノドスの開催を する作業を実施した。今回のアンケートの 6000 ミサ・小教区に参加している信徒の性別は 要 性 」 の 順 で あ る。 す な わ ち、大 司 教 区 の アンケートの目的お よ び 分 析 の 概 容 前に信徒一人一人が長 崎 教 区 の 現 状 に つ い 回答の特徴は、信徒一人一人が自由回答や また、信仰共同体の維持と家庭での信仰 生活に関係する項目の子どもの模範、一般 Ⅲ.大司教区 部・叶堂隆三教授に依頼した。このたび、その分析結果が出たのを受けて、今年度設立され らに既婚者の配偶者(夫・妻)の宗教に関 (教区シノドス中央委員会) 分の1弱にとどまっている。 ま た、ミ サ・ 小 教 区 に 参 加 し て い る 信 徒 ( 歳以上)は既婚者が9割弱である。さ 現状(神学生数の減少・司祭の高齢化)に 性別の特徴が見えにくくなっているように て考え、小教区単位の分かち合いに参加す 意見の欄に各自の思いや経験をびっしりと 的な青年期教育と信仰教育(信徒の教え) か。 9000 た「教区シノドス中央委員会」が結果を公表することとした。それは、この分析結果を基に して、離島地域などは、信徒間の婚姻率が相 関する項目が1位・2位を占め、 信徒にとっ るための各信徒のいわ ば 覚 書 の 役 割 と 小 教 記載していることである。一般のアンケー に関係する項目の「性」、「青年期教育」 、 子 青年期を過ごせるよう、 教育を施すよう努めています ⑤ 大司教区に関する質問で、努めているな において、性別の大きな差異を見いだすこ どの回答の順位を示せば、 大司教区全体は、 と は で き な い。 こ う し た 状 況 は、お そ ら く 対的に高く、一方、都市地域で信徒間の婚姻 て 重 大 な 問 題 で あ る こ と が 分 か る。 ま た、 みることができる。こうした状況がさらに である。 ト調査ではまれな、信徒一人一人の思いを ど も の 信 仰 教 育 の 項 目 の「 要 理 教 育 」 が、 いますか。 ⑥ 男性約1対女性約2で、女性が中心である。 なるとともに、データベース化されたこと 率 が 低 く な っ て い る。 ま た、年 齢 別 の 配 偶 2 0 1 4 年、長 崎 教 区 代 表 者 会 議( 教 区 シノドス)が開催され る 。 年 の 教 区 シ ノ さらに、アンケートを実施した重要な目 的 が あ る。 そ れ は、ア ン ケ ー ト に 回 答 し た つづった自由回答を可能な限り取り上げる 5位・6位・7位である。 ⑥人間の性について正しい知識と教会の教えに従って 0 これからの長崎教区を信徒と共に考えていくためである。この分析結果を見ることで、長崎 で長崎教区全体および各地区・修女連の地 者の宗教に関して、世代が若くなるにつれ 大司教区の運営・運動(行事・運営に関心、 進 行 し た 場 合、ミ サ・ 小 教 区 に 参 加 し て い 信徒の一人一人の現状 認 識 と 今 後 の 方 向 性 作 業 を 通 し て、家 庭・ 小 教 区・ 大 司 教 区・ ますか。 Ⅰ. 家庭 教区全体の現状と課題が幾分見えてくる。なお、アンケート分析結果の全文は700ページ 区別の比較や信徒の自由回答や意見の分析 てカトリック以外の宗教の配偶者との結婚 を 小 教 区・ 地 区 レ ベ ル で 集 約 し、教 区 シ ノ その他の各質問に対する4択の回答の信徒 さらに、信仰共同体の維持に関係する項 目の召命の祈りが8位、地域社会や教会へ ⑤子どもたちにしっかりと要理教育をするよう努めて ⑦ いる。その一方、 代は 分の1、 代は が可能になった。 の比率が高まる傾向が見られる。 ドスに信徒の声を反映 す る こ と で あ る 。 の内実、つまり思いや経験などの信徒を取 の 参 加 の 延 長 に 位 置 付 け ら れ る「 ボ ラ ン ④子どもたちの信仰や祈りの模範となるよう努めてい ⑧ 次 に、ミ サ・ 小 教 区 に 参 加 し て い る 信 徒 の 年 齢 は、 ~ 代 が 3 分 の 2 弱 を 占 め て また、②9000を超える有効回答の中 から、約1000のサンプルを無作為抽出 アンケート結果を教 区 シ ノ ド ス の 基 礎 資 料に生かすために、準備委員会は各教会か り巻く状況が明らかになっている。 ティア活動への参加」、教会に関係しつつも とどまっている。 ら返送された小教区単 位 の 集 計 と 膨 大 な 数 信仰の外の社会運動に捉えられる一面を持 ③召命のために家庭で祈るよう努めていますか。 ⑨ にも及ぶものであったので、教授の許可をいただき中央委員会の判断で重要な部分だけを掲 法による抽出作業を行った。この作業の目 性の関心が女性を大きく上回る状況が現わ の社会的発言に関心が3位を占めている。 家庭生活・小教区の維持・大司教区への男 一 方、今 後 の 方 策( 小 教 区 の 統 廃 合 の 必 要 れる可能性もある。 ミサ・小教区に参加している信徒の場合、 家庭生活・小教区の維持・大司教区への関 性・カテキスタ養成の必要性・聖体授与の 心のいずれにおいても、年齢とともに務め のアンケートの回答を 整 理 ・ 分 析 し た 。 ま これらの①~③の作業を通して、一人一 人の信徒の各質問の回答および自由回答の つ「平和運動」が9位・ 位である。 ②社会に対する責任を果たすよう努めていますか。 ⑩ 載 す る こ と に し た。 全 文 は カ ト リ ッ ク セ ン タ ー 別 館 の 教 区 シ ノ ド ス 中 央 委 員 会 事 務 局 に あ ドス開催の目的は、長崎教区の歴史を踏ま 的は、アンケートの家庭・小教区・大司教区・ る男性の比率がさらに少数になる一方で、 えて、髙見大司教が司牧の根本方針とした その他の各質問のそれぞれの回答に対する 大司教の社会的発言に関心)のうち大司教 念頭に置いて、将来の長崎教区をどのよう 家庭生活に関する信徒の現状 家庭に関する 項目の質問で、努めてい るという回答の順位を示せば、信仰に加え 修女連の大司教区に関する質問の順位 は、 1 位「 カ テ キ ス タ 養 成 の 必 要 性 」 、2 臨時の奉仕者の養成)は4位以下の関心に することで、男女の別や世代によって信仰 て一般的な社会規範や家族愛が関係してい 位「 神 学 生 数 の 減 少 の 不 安 」 「大司教区の 性別・年齢別の内訳や質問間の関係を分析 や信仰共同体に対する思いや活動にどうい る項目である社会に対する責任・愛を生き ず、①各小教区などからのアンケートの回 内容は、教区全体および7地区別、性別・世 ①互いに愛を生きるよう努めていますか。 ① に築いていくのかを教 区 の 信 徒 と 共 に 考 え ることである。 う違いが生まれるのか、大司教区や小教区 る が、 1 位・ 2 位 を 占 め て い る。 ま た、教 答と小教区による集計 を 長 崎 中 地 区 ・ 長 崎 代別に集約化することができた。こうした Ⅰ.家庭 ② ・年代別 教区シノドスに先立 っ て 実 施 さ れ た 「 長 崎教区代表者会議(教 区 シ ノ ド ス ) に 向 け いによって、大司教区の今後の方策の評価 南地区・長崎北地区・ 佐 世 保 地 区 ・ 平 戸 地 小教区維持に関する信徒の現状 次に、小教区に関する質問で、 努めている 教区シノドスアンケート(一部抜粋) ③ ⑦信徒の聖体授与の臨時の奉仕者の必要性を感じますか。 て の ア ン ケ ー ト 」( 以 下、ア ン ケ ー ト ) は、 の現状に対する一人一人の信徒の認識の違 区・上五島地区・下五 島 地 区 の 7 地 区 お よ 点で、本報告書は、教区および地区の現状の の項目で、家族の生活状況および地域社会 び修女連に区分してデータベース化し、さ 把握と課題の発見に資するものになったと 区単位の基礎資料のた め に 企 画 さ れ た も の らに教会による集計を 統 計 的 に 点 検 ・ 確 認 自負できよう。この報告書を構成する信徒 ③小教区の維持や施設のために、 金銭的な協力を引き受 (5) する作業を繰り返した 。 統 計 的 精 度 を 高 め 7000 ⑥信徒のカテキスタの必要性を感じますか。 20 の一人一人の思いや状況が教区シノドスの 7000 ⑤小教区の統廃合などの必要性を感じますか。 30 る作業を経て、アンケートの回答と小教区 8000 ④神学生の減少について不安を感じますか。 20 (6) 8000 は何だと思いますか。 20 10 14 50 10 9000 ④あなたの小教区が活性化するために、 一番必要なこと 70 (4) (1) 「参加し、交わり、宣教する教会づくり」を 11 月1日(毎月1日発行) (2) (3) Ⅱ. 小教区 けようと努めていますか。 50 1011 号 (昭和27年1月12日第三種郵便物認可) 第 よ き お と ず れ (3)2013年(平成25年) 行動を理解し受け入れることが親の愛であ う再構築していくかを家族・小教区・大司 いる状況を自由回答につづっている。もっ しようかと苦慮し、 時として、 悩み苦しんで 言に関心がある信徒が こと、 そして、 大司教の平和運動や社会的発 場合、被爆県で平和教育活動が盛んである 基盤にした参加のためのプログラムを企画 といった成人のための宗教教育や小教区を めに、 例えば、 子どもと共に要理教育を学ぶ 的な理由から、委員会や清掃などの開催曜 が、小教区の中には参加率を高めたい実際 一人折り合いをつけていくべきものである 的価値(平和や社会正義)の実現を目指す の信徒をはるかに超える比率の信徒が社会 に現れていることから、おそらく他の教区 詳細な把握が必要とされよう。 るという思いを強く抱いている信徒は多い とも、 信仰と職業生活の両立は、 信徒が一人 分の に及ぶこと 教区で考えていかなければならない一面も 一 方、ミ サ・ 小 教 区 に 参 加 し て い る 信 徒 ある。こうした状況をどのように受け止め、 に関しては、さらに参加や関心を高めるた 家と個人に関して、配偶者(主として夫) どのように取り組んでいくのかは、信徒に の教会離れ、非信徒であるという信徒の状 課せられた大きな課題の一つといえよう。 思いを内包していると推測される点で、相 のである。 況 も 自 由 回 答 か ら う か が う こ と が で き る。 当の成果を上げていると評価することがで 参加信徒の少子・高齢化状況 日・時間を工夫しているところも散見され こうした信仰状況は、家族を単位としてき た信仰が家族の中の一人、二人の信仰に縮 暮 ら し の 高 齢 信 徒 も、実 態 と し て「 一 人 信 近隣に交流のある親族が不在の場合、一人 こうした結果から、長崎大司教区の信徒 は、① ミ サ・ 小 教 区 参 加 に 関 し て 多 く の 若 高まる傾向の項目が明らかである。 もに努めている・関心があるという比率が 大司教区に関する質問で、年齢の上昇とと 生活に関する質問・小教区に関する質問・ 占め、若い世代はわずかである。また、 家庭 ミサ・小教区への参加は高齢者が大多数を こうした状況は、信仰と身体の間のジレン 多くいると想定される。高齢者を取り巻く ミサ・小教区に参加できない高齢の信徒も 数多い上、さらに身体機能の低下のために 高齢者夫婦世帯と世帯状況をつづる信徒が れている。 また、 自由回答では、 一人暮らし・ 代以上の高齢者の比率が低下する傾向が現 加などの若干の項目や若干の地区では、 の、 例えば、 小教区の行事や委員会活動に参 心があるという比率は高まっているもの アンケートの回答者を大司教区の信徒の 家庭生活・小教区・大司教区に関する質 に、子 ど も の 転 出、配 偶 者 の 死 去 の 結 果、一 人暮らしの高齢信徒の数も増加している。 ミサ参加、小教区への参加の指標にすれば、 問 で、年 齢 の 上 昇 と と も に 努 め て い る・ 関 再 考 す る 時 間 が 求 め ら れ て い る。 同 時 に、 る。 同 時 に、大 司 教 区 の 現 状 に 対 し て 不 安 くためにどう生活を設計していくべきかを けるのか、 言い換えれば、 信仰を持続してい 区への参加と職業生活をどう折り合いをつ 自 が 置 か れ た 生 活 状 況 の 中 で、ミ サ・ 小 教 信徒の間に生じるこうした信仰と職業の ミスマッチについて信徒が分かち合い、各 くい信徒も多い。 な ど に 従 事 し て、ミ サ・ 小 教 区 に 参 加 し に る。 さ ら に、職 業 生 活 以 外 に も 家 族 の 介 護 生活の両立の苦労、悩みは人さまざまであ いがあり、 また、 信徒一人一人の信仰と職業 長崎大司教区に対する誇りがつづられてい アンケートのさまざまな質問の自由回答に 長崎大司教区の信徒の特徴は、自分の教 区に大きな誇りを持っていることである。 周知・議論の場や時間が求められよう。 徒の参加につなげていくためには、さらに 理念を受け入れるだけでなく、活動への信 しかし、信仰の影響力が及びにくい教会 参加の延長的な活動は、多くの信徒がその きよう。 者」と見ることができよう。 い 世 代 の 信 徒 が 不 参 加、② ミ サ・ 小 教 区 に マ(信仰の高まり⇔ 身体機能の低下)とし とはいえ、 大司教区内でも、 都市地区と離 島地区などで信仰と職業をめぐる状況に違 単位として小教区に参加することで、小教 参加している若い世代の信徒でも、上の年 ・若い世代の問題 区の維持に大きな役割を果たしてきた。し 齢 層 の 信 徒 に 比 べ る と、務 め が 不 十 分 で Ⅱ 大司教区の課題 心の度合いが分かる。 かし、信仰の「個」化の広がりとともに、小 長崎大司教区の信徒を特徴付けてきた 「家」の信仰としてのカトリックは、家族を 長崎大司教区の今後 アンケートの分析を通して、長崎大司教 区のミサ・小教区に参 加 し て い る 信 徒 の 家 教区と信徒の間の結び付きが弱くなってき したい。 況に対応した行事・活動の日程を検討する 小教区・大司教区も所属する信徒の生活状 も 一 定 数 に 及 ん で い る。 そ の 結 果、日 本 に 状を維持することが困難と思っている信徒 を感じている信徒も3分の2を上回り、現 おける長崎大司教区の位置付けをめぐっ ことが求められている。 ざまな思いや状況の信徒の比率が増加する る 傾 向 に あ る た め、こ の 観 点 に 立 て ば、ミ あ る。 一 般 に、信 仰 心 は 年 齢 と と も に 高 ま ライフサイクルの影響とは、人生の各段 階の移行の中で現れてくる生活上の特徴で が関係しているように見える。 要があろう。 な対応が可能であるかについて議論する必 め、 小教区および信徒組織として、 どのよう を求める信徒が多いように思える。そのた い る よ う に、ミ サ・ 小 教 区 に 参 加 し に く い ランティア活動・平和運動への参加といっ 一方、 教会参加の延長的な活動、 とりわけボ なければならないという諦観の錯綜であ る取り組みに後発的ながら取り組んでいか アンケートでは、家族愛や社会規範と重 の 教区の中心的・模範的教区であり続け 複する場合、 信仰は維持される傾向にあり、 てほしいという願望と他教区が実施してい て、信徒の思いに揺らぎが生じているよう 傾 向 に あ る。 例 え ば、多 く の 信 徒 が 厳 し い サ・ 小 教 区 へ の 低 い 参 加 状 況、信 仰 に 関 す た新しい価値を実現していく活動の場合、 る。 し、それが次代につながることを望んでい 員として信仰と行い( 宗 教 行 動 ) を 同 じ く 教 観 も「 家 」 と 同 様 に、家 族 が「 家 」 の 一 存続するものと捉えら れ て い る 。 信 徒 の 宗 い る。 小 教 区 参 加、と り わ け 委 員 会 活 動 な 下し、小教区の大きな課題の一つになって また、時間や行動の伴う行事や委員会へ の参加は金銭的務めよりもさらに比率が低 い場合、若い世代の相対的に低い比率が加 る 傾 向 に あ る。 ま た、こ う し た 影 響 が 大 き 広がりの中で育った世代はそれを内面化す トが縮小する傾向で、こうした社会意識の 端的に言えば、生活における信仰のウェイ れている。 心を抱いていない理由に職業生活が挙げら 祈りや信仰の模範)でも努めていない、関 区 の 行 事 や 運 営、家 庭 生 活( 家 庭 に お け る サ参加、 小教区の行事や委員会活動、 大司教 を 挙 げ て い る。 ま た、所 属 す る 小 教 区 の ミ 状況にあるといえよう。かつての地域社会 を守っていきたいという思いが勝っている の 実 現 ) で は、現 在 の 信 仰 生 活・ 社 会 規 範 いの二極(社会的価値の維持⇔ 社会的価値 する数多くの教会の維持と本州の教区のよ 学生養成制度の改編、集落教会をはじめと 区のように外国人神学生・司祭の導入・神 司祭・修道者を送り出してきた自負と他教 さく そう る。こうした思いは、多くの信徒がアンケー どの役員の仕事は、従来、ミサ・小教区参加 齢とともに上昇する見込みは小さく、低い 信仰の影響力は大きくない傾向が明らかで トの自由回答で信仰の 継 承 の 思 い を つ づ っ の比率が女性よりも低い男性のうちの少数 比率のままか比率がさらに低下する可能性 てい かん に 思 え る。 す な わ ち、長 崎 大 司 教 区 は 日 本 小教区の財政状況を認識し金銭的な務めを る務めや関心が低い状況の若い世代の信徒 信仰の及ぼす力 果たしているものの、一人暮らしの高齢信 であっても、加齢とともに高齢の信徒と同 て い る 通 り で あ る。 そ の 一 方 で、多 く の 信 の信徒が担ってきた。しかし、実際は、夫の 一方、仕事を通して社会に対する責任を 果たしていると一定数の信徒が回答してい 例えば、主日のミサに家族で参加したいと しかし、共に正しい二つの思いが、長崎大 司 教 区 の 信 徒 の 間 に ジ レ ン マ( 家 の 信 仰 られている。 であり、むしろ、そうした状況にどう対応す 代・社会状況下で押しとどめることが困難 の小教区を支える家族単位の方式が機能し も若い世代の空洞化が指摘されている。そ 町内会や自治会などの地域社会への参加で 生活領域に職業を位置付ける生き方の二極 こうした現実に生きる現役世代の多くの 出 し て い る ケ ー ス も 多 く 見 ら れ る。 ま た、 信徒が、信仰を大切にする生き方と重要な と考えられる。地区によっては若い世代が ずれの地点に自分の信仰・職業生活を定置 の た め、ミ サ・ 小 教 区 に 参 加 し て い な い 信 (信仰の普遍性⇔ 生活の普遍性)の間のい 今日の信仰の「個」化の趨勢は、例えば、 小教区に籍を残したまま、進学や就職で転 一人暮らしの高齢信徒の増加のように時 なくなる恐れもある。 徒に関しては、まず参加していない実情の 位置付けられている。 経済的基盤にとどまらず主要な生活領域に におけるキャリア教育などの結果、仕事は るように、一般的な社会的通念や学校教育 と努力が必要とされよう。長崎大司教区の は、大司教区および信徒に相当の頭の整理 実現の両極を信徒が同時に受け入れること こうした地域運動の歴史を持ち出すまで もなく、社会的価値の維持と社会的価値の 組織を新たに展開したという経緯がある。 人 々 が、要 求・ 価 値 実 現 型 の 社 会 運 動 型 の 地域組織が対応できないという批判をする 公害問題・都市問題などにこうした伝統的 活環境の維持を目標とし、新たに発生した どの伝統的地域組織は地域住民の身近な生 と社会運動の関係を振り返れば、町内会な が、 教区に求められる対応といえよう。 れるように所信・見解を発信していくこと リックの中心的、模範的教区であるという 長崎大司教区の現状に対応した方策を進 めていく場合、長崎大司教区が日本のカト ど、 さまざまな思いや見解が錯綜している。 うに信徒が主体的な役割を担う必要性な 割を担う司祭に依拠する喜びと他教区のよ うな小教区の統廃合、信徒を導き神聖な役 大司教区も日本の教区の一つ)は、今後の 徒 が 家 族( と り わ け 子 ど も ) に 対 し て、家 委員活動を妻が支えていく夫婦(家族)単 も想定される。 いう思いを強く抱いているものの、子ども るかを考えていかなければならない一面と すうせい がミサや要理教育より も 部 活 な ど の 学 校 行 ともに、信仰を基盤にした家族づくりをど 下関市立大学 経済学部教授 叶堂隆三 信徒の自負に抵触することなく受け入れら 事・ 学 業 の 優 先、信 仰 の ウ ェ イ ト が 小 さ い の 維 持 ⇔ 個 人 の 尊 重 ) を 生 じ さ せ て い る。 生き方を望むならば、その子どもの思いや あ っ た。 こ う し た 状 況 か ら、長 崎 大 司 教 区 族は自分の意思と行動 の 自 由 を 有 す る 「 個 位 の 活 動・ 役 で あ っ た と い え る。 も し、信 信仰と職業のミスマッチ 状況にある高齢信徒に対して何らかの対応 徒あるいは経済的に厳しい状況にある信徒 こうした信徒の心の動揺(長崎大司教区 は日本のカトリックの中心的存在⇔ 長崎 そ の 結 果、小 教 区 を 維 持 す る 金 銭 的・ 人 的な務め(「維持費などの金銭的協力」と「行 長崎大司教区の多くの信徒が、カトリッ ク は 代 々 伝 わ る、い わ ば「 家 」 の 宗 教 と 認 ら を 含 め て、「 均 等 割 り 」 の 方 式 や 他 の 小 様の傾向を帯びると想定できる。 人」として尊重すべき 存 在 と い う 思 い を 強 仰 の「 個 」 化 が 広 が っ て い く な ら ば、従 来 事や委員会などへの参加」)に関して、さま 識 し て い る。 一 般 に、「 家 」 は 一 つ の 単 位 教区の維持費の額と比較して維持費の額に 方策の一つ一つの評価に影響を及ぼしてい 16 く抱いていることも自 由 回 答 で 数 多 く つ づ ・家族⇔ 個人 として、また個別の家族員の生死を越えて 負担を感じる層も多くなっている。 る よ う に 思 え る。 例 え ば、日 本 の 各 教 区 に 信仰の「個」化 (5) 80 のために社会を創り上げていこうという思 ⑦ 現役世代の信徒の多くが、 アンケートで、 の 多 く の 信 徒 は、現 在 の 信 仰 生 活・ 社 会 規 一方、社会・時代の趨勢の影響は、 例えば、 世 俗 化 と 呼 ば れ る 傾 向 で あ る。 世 俗 化 は、 主日のミサに参加できない理由に職業生活 範を受け入れたいという思いと平和と一致 (4) ・小教区⇔ 個人 庭生活・小教区の維持 ・ 大 司 教 区 へ の 関 心 ・高齢者の信仰生活の維持 る。 2 したりPRすることが求められよう。 3 の 状 況 が 明 ら か に な っ た。 さ ら に、信 徒 の 0 て捉えることができよう。 1000 あったり関心が低い状況にある、という若 2000 たり、家族単位を前提とした小教区と信徒 3000 の関係に対応しきれない信徒が増加してき 4000 回答状況や自由回答か ら 長 崎 大 司 教 区 お よ 5000 び信徒が直面する問題・ジレンマを析出し、 6000 い世代の問題が浮き彫りになる。 一例を挙げれば、聖体授与の臨時の奉仕 若い世代のこうした状況には、二つの傾 者の養成に賛成する理由として、相当数の 向( ラ イ フ サ イ ク ル と 社 会・ 時 代 の 趨 勢 ) 信徒が病人や高齢者への聖体奉仕を挙げて 7000 ている。 8000 長崎大司教区の解決す べ き 課 題 と し て 提 示 小する傾向を想像させるものである。さら (2) ① ② ③ ⑤ ④ ⑥ 9000 Ⅲ. 大司教区 (1) 現実の若い世代の状況は、こうした二つ の傾向の混じり合った渦の中で生じている (3) 11 月1日(毎月1日発行) (4) 2013年(平成25年) よ き お と ず れ 1011 号 (昭和27年1月12日第三種郵便物認可) 第 福者カミ ロ ・ コ ン ス タ ン ツ ォ 殉 教 祭 説 教 の 中 で 大 司 教 は、 「信仰年のうちに自分自 身 の 信 仰 を 見 直 し、最 後 まで神をたたえて死んだ カミロ・コンスタンツォ 神父の強く深い信仰に倣 い、信仰を遺産として、生 活 の 中 で 多 く の 人、特 に 後の世代に伝えていきま しょう」と説いた。 福崎教会(西木場小教 区)の小学生や田平教会 の シ ス タ ー は、共 同 祈 願 の 中 で、地 に 落 ち て 多 く 大槌ボランティア募集 長崎教区評議会は東日本大震災復興支援に関し て、大槌ベースキャンプ( 月から岩手県上閉伊 郡大槌町桜木町9‐ )へのボランティアを引き 続き募集し、協力を呼び掛けている。 なに 聖人と神様を近く を超える工事が可能に ストである」 と呼び掛け、 山口神父は「これから も 見 つ め る べ き は、キ リ の表れとなった。 感じてほしい」 と語った。 な っ た こ と は、絆 の 深 さ 共に生きよう、 伝えよう、神の愛 は)うれしいこと。みん ス・ フ ィ リ ピ ン 人 各 1 「 (記念庭園ができるの 人)は、1633~ 年 に長崎で殉教。 聖人を 顕彰する記念庭園の起工 式 に は、ド メ ニ コ・ ジ ョ ル ジ 駐 日 イ タ リ ア 大 使、 0959‐54‐1701 丸尾教会のFAX番号が変わりました。電話番号 丸尾教会の新FAX番号 は変更ありません。 ホスピス科部長と益冨美 ミサの中で髙見三明大 の赤窄耕一さんは「今日 〈 聖 フ ラ ン シ ス コ 病 院 ホ 司 教 は「 教 会 は 絶 え ず、 が 終 局 の 目 的 で は な い、 スピス開設 周年記念講 津代ホスピス病棟師長に 新たなスタートです」と 役 員、大 曲 武 征 病 院 長 ) 短 信 節 目 の 決 意 を 表 明 し た。 楠原教会献堂100周年で絆を確認 キリストの救いの犠牲の 祝賀会はお告げのマリア 同 ⃝病院(古川正子代表 日、 「 その人により ン ド リ ン 演 奏、加 藤 周 子 父(平戸小教区主任)の に聴き入っていた。 月 時、平 戸 市 生 月 ぶどう園 日㈰ ▼黒瀬の辻殉教祭 町クルスの丘公園。雨天 時、 青方教会。 日㈰ ▼信仰年閉年行事 ①講 演 会 講 師・ 車 東 燁 師 (仁川教区未来司牧研究 日㈯ 時~ 月 ンターホール。 月 所所長) 。 神 学 生 時 代、司 牧 実 習 でお世話になった山添 克 ㈰ 時~ 年 本 郷 主 任、 主 任。 気質のまじめな方。厳し 明神父(浦上助任)は、「昔 時、カ ト リ ッ ク セ 日 時、 浦上教会。 ②ミサ 月 日㈰ 時~ 時 分、 浦上教会。 年 老 司 主 任、 者さんに対しても同様で い中にも優しさがあり、 信 教総代理、 教区書記長 (事 とその人柄をしのんだ。 ㈫~ 温かさが感じられました」 ▼司祭研修会 会で司祭叙階。 時から宮原良治司教司 式により大名町教会(福 岡市)で行われた。 荻窪管区本部修道院・管 院長 大神学校長、 年西 川 主 任、 年 東 村 山 修 道 親しみのある司祭だった。 園長を歴任。人柄が良く、 管区長、 院長、 理事長、 幼稚 区 事 務 局 長、 年 赤 羽 修 通夜は 月 日 時か 道院長、 年赤羽修道院・ ら、葬 儀・ 告 別 式 は 日 時半から﨑濵宏美管区 長により仁川教会(西宮 市)で行われた。 ▼平戸ザビエル祭 ル記念教会。 感 謝 ― 香典返し ― 故ペトロ山下俊朝様 故ペトロ大井 正様 告を申し上げます。 右の方々からご芳志を 賜りました。お礼とご報 ◦大井敏朗様(深堀) 長崎カトリック神学院 故ペトロ大井 正様 道 院・ 古 仁 屋 助 任、 年 あり修道会に父と共に入 5月聖母の騎士修道院長、 会。父は修練中に帰天し 長崎コレジオ 故 人は司 祭 となり、 ◦山下弘子様(本原) 同年8月仁川修道院長 仁 たが、 長崎大司教区 川主任、2002年 仁川 ◦牧山スミ子様(中町) 院 長 仁川 学 院理 事 長 仁 年 終 生 誓 願、 年 7 月 修道院で静養。 故クララ本田富枝様 ◦大井敏朗様(深堀) 修 道 院、 年 奄 美 大 島 修 年王子 日ローマ・アレキシオ 教 原爆で、 母、 兄 弟 を 亡く したが、 生前の母の願いも 年入会、 年初誓願、 月 日 日㈭。大司教館。 務局長) 、 伊万里トラピス 年久留米 主 任、 年 茶 山 主 任。 司 年光丘主任。 主 任。 年 健 軍 主 任、 年 浄 水 通 叔父にあたる。 よる講演があり、 皆、 熱心 エ ル 師、田 上 富 久 長 崎 市 場です。それは聖なる絆 主催の記念講演会が、2 時、 山田教会。 100周年記念実行委員 長、彫刻家の池田宗弘氏、 の確認の場でもありま 緩和ケアデーにあたる 興 で 大 い に 盛 り 上 が り、 013年の世界ホスピス 修道会のシスター方の余 月 ドミニコ会ロザリオ管区 信者ら約300人が参列 す 」 と 説 教 し、神 と 教 会 教 会 の 歴 史 や、お 年 寄 り 中町教会で記念庭園の起工式 日本地区長ファン・マヌ した。髙見大司教は、「多 と社会の結び付きをこれ と子どもたちのスライド ▼上五島地区堅信式 援 助 も あ り、当 初 の 計 画 年3月 日浄水通教会 演会〉 く の 人 が 訪 れ、人 の 生 き からも大切にするよう諭 月 日㈰ ⃝月 日㈭~ 日㈬ ( / 締切) 1月 日㈭~ 日㈬ ( / 締切) ⃝ 日㈭~ 日㈬ (1/ 締切) 定員 名程度。申し込みは所属小教区へ。問い 合わせは、教区本部事務局(渡辺)まで。 る 道 を 考 え た り、安 ら ぎ した。 添う」 をテーマにカトリッ 2 ⃝月 095‐842‐4450 を得られたりするような クセンターホールで行わ 095‐842‐4460 場所になってほしい」と が 映 し 出 さ れ る な ど、新 月 6 日、水 ノ 浦 小 教 区の楠原教会(山口竜太 たに歩み出した共同体の 郎 主 任 神 父 ) は、 「共に フランシスコ・ザビエル 痛みが生じた聖堂の修 復には信徒の拠出金だけ あった。式後は聖堂でロ 生きよう、 伝えよう、 神の なった。 ザ リ オ の 祈 り を 唱 え、ミ 愛」をスローガンに献堂 島外に移住した出身者の サでは説教に代わって中 で深堀仙右衛門司教より 山田 成章 神父 (福岡教区) 司祭叙階。 年呼子教会 表らによる鍬入れなどが 町 教 会 有 志 に よ る、聖 ト 1 0 0 周 年 を 祝 い、記 念 述べ、感謝の意を表した。 営)が中町教会で行われ、 ミ サ と 祝 賀 会 を 行 っ た。 その後、 土地の祝福、 西坂 聖トマス西と十五殉教者祭 たる2015年3月完成 マ ス 西 と そ の 家 族、共 同 ▼ 教 区 主 催「 死 者 の 月・ う」に祈った。 を目指す同殉教者記念庭 体の絆を描いた聖劇「殉 れた。ホスピスボランティ 参加者が年々減少して い く 中、職 場 の 同 僚 に 誘 下 五 島 地 区 司 祭 団、歴 代 アHIROさんによるマ 9 月 日、聖 ト マ ス 西 と十五殉教者祭(教区主 教祭が行われた。 われて来た信徒も見られ 職 者 が 集 い、聖 堂 に は 入 主 任 司 祭、多 数 の 出 身 聖 教の絆」が演じられた。 りきれない信徒と共に感 で は 心 配 さ れ た も の の、 喜びを分かち合う一日と 教 者 に 倣 い、神 様 へ の 信 催、長 崎 南 地 区 評 議 会 運 髙 見 三 明 大 司 教 は、厳 しい残暑と台風による 強 殉教記念ミサがあった。 た。最後に「(悪天候の中) 園の起工式と、ロザリオ、 日 頃、中 町 教 会 や 聖 フィリッポ教会のミサに 殉教地の土埋めと信徒代 9 月 日、平 戸 ザ ビ エ ル記念聖堂を対岸に望 む 頼と希望のうちに毎日を 風の中に集った約25 0 皆さんよく頑張りまし 聖トマス西と十五殉教 者( 日 本 人 9、ス ペ イ ン 参加しているというフィ 追悼ミサ」 月 時、 浦上教会。 ささげることができるよ 人の信徒をねぎらいな が た」との大司教の温かい やい ざ ミロ・コンスタンツォ 殉 焼 罪 史 跡 公 園 で、福 者 カ ら、「 聖 人 の 遺 徳 を し の 言葉をもって閉祭した。 謝の祈りをささげた。 15 15 信徒発見150周年にあ び、取 り 次 ぎ に よ っ て 罪 リピン人の信徒たちは サムエル 23 11 月 時、平 戸 ザ ビ エ 1日㈰ ト リ ッ ク 学 校 講 師、幼 稚 通夜は9月8日 時か ら、葬 儀・ 告 別 式 は 9 日 9月8日午前3時4 分、聖 マ リ ア 病 院( 久 留 園・保育園園長など歴任。 ト 修 道 院 特 別 聴 罪 師、カ 米市)にて帰天。 歳。 達 事 項、長 崎 教 会 管 区 内 1925年3月 日生 2 0 1 1 年 引 退 後、司 祭 の 長 崎 教 区 窓 口 と し て、 ま れ。 浦 上 教 会 で 受 洗。 の 家 に 居 住。 山 田 聡 神 で の 連 絡、聖 職 者 の 死 亡 (コンベンツアル 聖フランシスコ修道会) 局に残っていただき活動 ています。 氏が古木次長と共に働い の 秘 書 と し て、丸 尾 信 枝 務を担当しています。そ 区 長 の も と で、種 々 の 事 時 の 連 絡 等 な ど、長 崎 教 深堀 貴 神父 信仰養成部 部 長 秘 書 福音化推進部 部 長 秘 書 教会奉仕者等養成部部長 こ れ ま で、多 々 不 備 な 点が多かったことを反省 し、長 崎 教 区 の 窓 口 と し 月 日午前8時 分、上 ヶ 原 病 院( 兵 庫 県 て役割を果たしていきま 西宮市) にて帰天。 11 30 24 11 を赦していただきまし ょ いています。 担 当 秘 書 委員長 委員長 広報委員会 家庭特別委員会 秘 書 事務員 すので今後ともよろしく 歳。 赤羽主任、 年管区長、 お願いいたします。 11 10 11 17 26 12 人 4、イ タ リ ア・ フ ラ ン 教区評議会は教区の中 心 的 役 割 を も ち、そ の 事 しています。 働いています。 時にローマからの通達事 書として辻 喜美子氏が の た め に、前 評 議 会 の 議 項、日 本 司 教 団 か ら の 通 シスター岩崎しのぶ氏が 長であった松尾 勝氏を 働いています。 ま た、古 木 次 長 は 同 時 に東日本大震災復興支援 事 務 員 と し て、本 部 事 務 ます。 広報委員長として大水 文隆師(三ツ山教会主任) 事務局長として小瀬良 明 が 担 当 し、日 本 の 教 会 を 担 当 し、そ の 事 務 員 と 教区評議会の組織改革 に 伴 い、家 庭 特 別 委 員 会 が、事 務 局 広 報 担 当 者 の 務は多忙を極めます。そ 福音化推進部長とし て、紙 﨑 新 一 師( 植 松 教 して渡辺洋子氏と共に働 を基礎として3つの部が 鹿山みどり氏と共に『よ いています。 会主任)が社会の福音化 ジ オ 院 長 ) が 担 当 さ れ、 設けられています。信仰 きおとずれ』発行などの 事務員 16 28 14 う」と呼び掛けた。 カトリック セ ン タ ー 紹 介 11 のために秘書宮崎善信氏 と共に働いています。 その秘書として山田良秋 教会奉仕者等養成部長 として、山脇 守師(コレ 教 区 本 部 事 務 局 は、カ トリックセンターの2階 師(島原教会主任)が働 養成部長として山川 忠 広報活動をしています。 山 川 忠神父 ★ 岩崎しのぶ ★ 紙 﨑新一神父 宮 ★ 崎善信 山脇 守神父 山 田良秋神父 大 水文隆神父 鹿 山みどり ★ 古 木眞理一神父 辻 喜美子 ★ 松尾 勝 ★ 渡 ★ 辺洋子 11 19 19 13 教区本部事務局 29 24 27 教区評議会 東日本支援 70 1931年2月 日生 年聖母の騎士修道院長 本 ま れ。 浦 上 教 会 で 受 洗。 河 内 主 任、 年 仁 川 修 道 12 カトリックセンター(長崎市上野町)に所在を置く各 部署について紹介するシリーズ。前回の法人事務所紹介 10 事務局長 小瀬良 明 15 17 14 62 84 15 に続く2回目は、センター2階にある教区本部事務局。 12 11 16 (★印は教区本部事務局職員) 14 15 10 名 師が信仰養成(子どもか 家庭特別委員会委員長 と し て、次 長 の 古 木 眞 理 73 の 一 室 に あ り、現 在 ら大人に至るまで)を担 一 師 が 担 当 さ れ、そ の 秘 75 57 60 76 のスタッフが勤務してい 当 さ れ、そ の 秘 書 と し て 11 12 10 10 15 14 11 19 55 92 24 52 49 13 16 12 37 (★) 88 14 54 66 91 45 51 87 11 12 お告げのマリア修道会の Sr の実りをもたらした「殉 42 FAX TEL 19 22 18 局長 小瀬良 明神父 ★ 次長 古木眞理一神父 ★ 秘書 丸尾信枝 ★ 2 16 10 10 29 “一粒の麦が地に落ちて” 11 月1日(毎月1日発行) 99 61 70 85 94 12 28 88 82 21 10 1011 号 (昭和27年1月12日第三種郵便物認可) 第 よ き お と ず れ (5)2013年(平成25年) が 月 日浦 大会の報告会 ジス、ゆるしの秘跡、十字 流や司教によるカテケー たかをつくづく感じてい が地域のために尽くされ し て、い か に ド・ ロ さ ま 当にありがたかった。そ 熱心に活動に協力する担 差を感じることも。 だが、 に寄付していた。「出津に がちな行政との間に温度 観光資源としてのみ捉え つ に な っ て い て、一 帯 を し、作 物 を 神 学 校 や 教 会 妹会が一緒に畑で作業を 年 時 代 に は 青 年 会・ 姉 目を記念したいと考えて 年。ド・ロさまの家も節 ド・ロさま帰天100周 参加した青年らが多くの 長崎と福岡の青年 が 体 験 を 語 る 上 教 会 で 行 わ れ、大 会 に フで開催される次の大会 6年ポーランド・クラク 行 い、各 種 事 業 を 通 し て げのマリア修道会)。ド・ 知り、学ぶことができる。 遺産登録が実現するかど 今年4月に開館した旧 出津救助院(所有者お告 浦上でWYD報告会 架 の 道 行、教 皇 司 式 ミ サ 当職員の姿もある。世界 支えに対する感謝を込め への参加を呼び掛けた。 マルコ・マリー・ド・ロ 代表 川田正勝さん 叙勲(瑞宝双光章)を受 け、出 津 教 会 の 主 任 を 長 月 日帰天)に く務めた深堀政美神父様 (昨年 知 ら せ た と こ ろ、 「 『良 かったなあ。神様からも 平で獲れた作物を使った ド・ロさまが開墾した大 の巡礼者に配慮しガイド う か は 別 に、国 内 外 か ら んに見ていただきたい」 で ー ら の 畑、教 会。 皆 さ まを通じて天国に行けた 言われました。ド・ロさ 石 積 み、野 道 墓 地、う ー 日頃、 農業、 地域活動も がいっぱい残っています。 こなす。2008年秋に いる。 について紹介し、201 ま す。」 救 助 院 で は さ ま て、キ リ ス ト の 受 難 と 復 最後に、「宣教は、青年 だけでなく大人や子ども 神父の活動の原動力と は ド・ ロ さ ま の〝 足 跡 〟 ざまな授産事業について 活の神秘を味わう巡礼の に対してもできると思っ な っ た 愛 の 精 神 を、人 々 料理体験も可能。 畑では、 養成など取り組むべきこ らうごと頑張らんば』と ルム・ド・外海』という 里 脇 浅 次 郎 枢 機 卿、田 口 芳 五 郎 枢 機 卿、浜 口 末 うー そばも作る。 3つの部会があり、現在、 茶、いも、 ロさまの家はその運営を 体験を分かち合った。 た」「行って、変わること に伝えようと活動する。 一般社団法人「ド・ロさまの家」 ん、時津・島本可菜さん、 を、周 り の 人 に ど う 伝 え 報 告 者 は、長 崎 教 区 の 3人(浦上・大隈衣織さ 分の信仰の振り返りがで 小 ヶ 倉・ 橋 本 裕 紀 さ ん ) る か が 今 後 の 課 題 」「 自 した感想を1人ずつ述べ 通・ 城 島 有 さ ん、古 賀・ き た 」 な ど、大 会 に 参 加 約 にすることなく力を合わ 徒や修道女の声援を受け 始球式を髙見三明大司 教 が 務 め、長 崎 市 内 の 信 な集中力ではね返した五 今年の優勝は、3対 の劣勢を最終回に驚異的 は3位決定戦に回った。 平戸チームと混成チーム ―――― は教区HPを参照。 りを募集している。詳細 るための祈りを被災地に 被災地と支援活動を支え 教えた。彼の教えに従って分けて考えた 大会に協力してくだ さった長崎地区の信徒の ランが飛び交った。 きるだけ電子 メールで。 ❖小学生以下 の 部、中 高 生 の さ れ た も の を、祈 願 集 として出版。 月 ❖募集期間は 月1日~ 日まで。 リック司教協議会東日 ❖ 送 り 先 は、日 本 カ ト 本大震災仙台教区復 興 支 援 室「 祈 り の 募 集係」 ( fukkou@cbcj. ) 。 catholic.jp ★ ★ D 付 き。 青 春 出 版 社、税 ★ 別1333円。 ★液晶画面に吸いこまれ ネット社 ★まだ見えなくてもあな る子どもたち 会の子育て 依存などが問題になって 現 在、ネ ッ ト の 悪 用 や 乱 用 に よ る 事 件、ネ ッ ト 共著=下田博次 下田真理子 の作詞・作曲者であるイ 庭内での見守りがとても 大 切。 そ こ で、こ れ だ け いる。赤ちゃんからの、 家 は知っておきたいことを の 古 木 修 道 女 が、 『いの 物 語 を 紹 介、生 き る こ と ち』の歌が紡いだ感動の エスのカリタス修道女会 被災地などでも歌われ ている歌、 『いのち』 。そ 著=古木涼子 たの道は必ずある 世界 にたったひとりの自分へ 文 字 以 内。 応 募 は で 部、大 人 の 部 か ら 採 用 援のための祈り」募集 最 後 に、世 界 遺 産 学 術 会議委員の片岡千鶴子修 島チーム。準優勝は長崎 日本カトリック司教協 と長崎市内チームが決勝 戦に勝ち上がり、 佐世保・ 議 会 で は、東 日 本 大 震 災 げた。予選で五島チーム チ ー ム、修 道 会 な ど の 混 「 東 日 本 大 震 災 復 興 支 出津教会所属、 歳。 めに煉獄に一時とどまる どうしても償いをするた せて取り組んでいけるこ 人の会員が奉仕して とじゃなかでしょうか」 でーら て、温 か な 報 告 会 の 集 い 4 代 前 の 先 祖 が、ド・ 男 司 教 は じ め 多 く の 聖 ロさまとの関わりでカト 職 者、修 道 者 が 生 ま れ た ら 大 変 あ り が た い け ど、 中 村 祐 善 さ ん )。 大 会 の を終えた。 ま た、救 助 院 は「 長 崎 の教会群とキリスト教関 とがある。 様子をスクリーンに映し い ま す。 募 集 時、す ぐ に リックに改宗。自身の青 しい福音宣教の取り組み とを願います」 と語った。 成チームが熱戦を繰り広 月 7 日 は、 連遺産」の構成資産の1 として私たちが神にいた 出 津。 来 年 皆さんが応じてくれて本 だいた大きなお恵みで 島 チ ー ム、佐 世 保・ 平 戸 一方で参加した教会か ら は、行 政 側 の 信 徒 へ の なる協力を呼び掛けた。 い 」 と 語 り、今 後 の さ ら 出 し な が ら、人 々 と の 交 と福岡教区の2人(浄水 「『 う ー で ー ら 』『 聖 ヨ ゼ フ の 仕 事 部 屋 』『 フ ェ 今年7月に開催され た WYDリオデジャネイ ロ 世界遺産登録に関する説明会 行政と 教 会 が 抱 え る 問 題 に つ い て 説 明 不 足 の 指 摘 や、観 光 客 の 見 学 マ ナ ー の 問 題、 す。このチャンスを無駄 登録を目指す目的で行わ 面で信徒の負担が増える 回の推薦は見送られた 道 女( 長 崎 純 心 聖 母 会 ) 会 が、長 崎 市 松 山 ソ フ ト 市内チーム。全4試合を また登録後の維持管理の れたもの。 のではないかなどを心配 9月 日、長崎県は「長 崎の教会群とキリスト 教 登録を行政側から支援 し て き た、長 崎 県 世 界 遺 が、こ の 機 会 を 本 登 録 後 て、長 崎 市 内 チ ー ム、五 ら、世の山積する諸問題は、 容易に処理で 通して、5本ものホーム きることだろう。 皆 さ ま、審 判 団 の 皆 さ ま に深く感謝したい。 滅びる、いのちの完成をみることはない、 いつ そう諭す言葉だからである。一で考えね ■イエスの教え ばならないのである。 のいのちに人を招くのでない」とある。 教会の宣教活動に関する教令2には 「神は、相互の連絡なしに、 個別に、 ご自分 イエスは、個別に、物事を解決しようと いつ す る の で は な く、一 の と こ ろ へ 人 を 集 め 届 け る た め、全 国 か ら 祈 世界遺産登録に向けて 行 の受け入れ体制を固める ボール場で開催された。 会 の 司 祭・ 信 徒 を カ ト 関連遺産」に含まれる 教 リ ッ ク セ ン タ ー に 招 き、 産登録推進室の大崎義郎 する声が寄せられた。 政と教会がそれぞれ抱 え は、「世界遺産登録は、新 教区司祭団ソフトボール大会 説明会を開いた。これは、 室 長 は、「 残 念 な が ら 今 ている問題や要望を出 し 良いチャンスと捉えた 世の中には世の中のルールがある。自分 のことは自分でやる以外にないのだ。個 別 に 考 え る 以 外 に な い の で あ る。「 三 と 10 デ カ ル ト が 好 き な 私 に、衝 撃 を 与 え る 聖書である。三に立っていたらおまえは 所となろう。近くに住む二人であっても、 めに、自他の間に一本の補助線を引け、 と 9 月 日、長 崎 教 区 内 司祭団ソフトボール大 合 い、お 互 い 協 力 し て 本 ■三と一 応募要領 ❖1人1編まで。200 私たちに、存在を与え、そのいのちに招か れたのは(教会憲章2)、三位一体の神であ る。 三 位 一 体 の 中 に あ る 三 と 一、こ こ イエスさま カット・榎 うららさん (三ツ山教会・小2) 一」で表すと、世の中は、個別のところで 成 り 立 っ て い る。 つ ま り、三 で 考 え て い へ光を照らす1冊となっ その他 住所・氏名・学年・所属教会を記入。 40 ようとしている。自分の持ち物を自分の 1冊にまとめた。女子パ 規 格 はがき大~ A4 サイズ(描画材料は自由) 24 77 ウロ会、 税別1200円。 締 切 2013 年 12 月 15 日(日)消印有効 10 ている。同会の聖歌隊ス 対 象 小・中学生 30 11 モールクワイアが歌うC 問合先 〒 852-8113 長崎市上野町 10 - 34 から神学や聖書を考えていくべきでは ないか。 三 は 個 別 性 を 深 く 想 わ せ、感 じ さ せ よ う と す る。 で は 一 は 何 を 感 じ 取 ら せ る の か。 そ れ は 唯 一 性 で あ り、一 体 性 である。 人の中に、神と同じいのち、三と一が真 神はご自分に似せて人を造られた ( 創 世 記 1・ )。 だ と す れ ば、一 人 一 に輝いているべきで は な い か 。 山川 忠神父 るのである。 ■金持ちとラザロ (カトリックセンター) 近 代 哲 学 の 父 と い わ れ る デ カ ル ト は、 ものと見なさないで一切を共有し合う神 絡み合う複雑な人間関係を解きほぐすた の国へと招いてくださっている。 「みことばにふれて」 カット募集 25 10 ルカ ・ ~ にあるた と え 話 だ が、現 代人には合点がいく ま い 。 理 解 に 苦 し む 箇 31 広報委員会 ℡ 095 - 843 - 3869 27 19 11 25 16 11 13 みことばにふれて 100 11 月1日(毎月1日発行) (6) 2013年(平成25年) よ き お と ず れ 1011 号 (昭和27年1月12日第三種郵便物認可) 第