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IPE 研究の直面する課題 国際政治経済学研究会報告

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IPE 研究の直面する課題 国際政治経済学研究会報告
IPE 研究の直面する課題
プロジェクト報告
IPE 研究の直面する課題
──国際政治経済学研究会報告
和 田 洋 典
はじめに
2014年度,国際研究センター文部科学省補助金を得て,国際政治経済学(以下,
IPE)における先端的な研究動向の把握を目的に,国際政治経済学研究会を実施した。
各回の開催日程および報告要旨についてはその都度,国際研究センター・ウェブサイト
にて公表してきたとおりである。それゆえ,本報告では再度それを繰り返す冗長さを避
け,研究会を通じてみえてきた IPE 研究の直面する課題について,大別して2点にま
とめ論ずることで,報告に代えたい。以下述べるように,研究会は多様化と変容が並行
して進むディシプリンの状況を鳥瞰し,今後の研究課題を見出すうえで大変有意義なも
のであった。ここにプロジェクトを採択し,各回の実施をサポートいただいた国際研究
センターとそのスタッフの方々に感謝申し上げたい。
Ⅰ IPE の多様化と変容
1年間にわたる研究会の各報告を通じ実感されたのは,今日の IPE が伝統的な分析
対象である通商,通貨・金融,多国籍企業等に加え,知的財産,環境,労使,移民,衛
生問題などじつに多種多様な問題関心を包含するに至ったことである。
さらに,問題関心の多様化と併行して,IPE がもはや政治学の枠内で国際関係論(以
下,IR)の一分野であることにとどまらず,経済学の知見を大幅に取り入れることで,
いわば名称どおり政治学と経済学の横断的分野へと移行しつつあることも確認され
た1)。関連して近年,英語圏の教科書において IPE に代わり GPE(グローバル政治経済
  1) 経済学の知見の受容を強く打ち出した教科書として,Andrew Walter and Gautam Sen,
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学)の呼称が用いられることが多くなった。この GPE という名称には,経済学を含む
分野横断的なプロジェクトとしての自己規定や,国家以外に企業,国際機関,産業団体,
労働組合,NGO を含む多様なアクターの関わる政治経済現象をとらえようという志向
性が反映されている2)。
このように問題関心の多様化に加え,ディシプリン自体の位置づけの変化が進む状況
を前にして,もはや IPE を単一のディシプリンとして整理し,体系的に把握すること
は難しくなったのではないかとの指摘も聞かれる。問題関心が拡がること自体は IPE
の包容性,発展性を示唆しており,望ましいことである。また多様な問題関心を無理や
り整理し,体系化する必要性はそもそもなく,研究者が IPE の旗の下に自由に問題関
心を追求してゆければそれでよいという立場もありうるのかもしれない。
とはいえ,多種多様な関心についてゆるやかにでも何らかの全体像のもとでの把握,
位置づけができないとすれば,幅広い研究者間の対話は困難になり,研究がごく少数の
“ 同好の士 ” のみで共有される,いわゆる蛸壺化に陥りかねない。それゆえ,各種問題
関心を整理するうえで,いずれ何らかの座標軸が必要になってくると思われる3)。
周知のように IR ではリアリズム,リベラリズム,コンストラクティヴィズムという
3大アプローチが確立されている。だが,もはや IR の一分野であることから脱しつつ
ある今日の IPE にとって,それに代わるものが求められることは明らかであろう。で
はいかなる座標軸が必要なのだろうか。これはむろんディシプリン全体に跨る大問題で
あり,確定的な答えを導くことはこの小論の射程を超えている。そこでこの問題につい
ての議論を喚起するというささやかな目的の下,ここでは暫時とりうる2つの方向性を
示唆するにとどめたい。
1つは,やや唐突に思われるかもしれないが,古典に還るということである。古典と
いってもここで想定しているのは,18~19世紀の古典ではなく,IPE に体系性を付与し
た初期の教科書として知られる R. ギルピンの『世界システムの政治経済学』(以下『世
界システム』
)である4)。現実の世界政治経済の展開や問題関心,研究手法の刷新が日々
Analyzing the Global Political Economy, Princeton University Press, 2008. R. ギルピンも2001
年に出版したテキストにおいては,経済理論の紹介にほぼ3章を費やす。Robert Gilpin, Global
Political Economy: Understanding the International Economic Order, Princeton University
Press, 2001.
  2) Ronen Palan, “New Trends in Global Political Economy,” in Palan, ed., Global Political
Economy: Contemporary Theories 2 nd edition, Routledge, 2013, ch. 1.
  3)
IPE の全体像を鳥瞰できないことがただちに混乱を引き起こすのは,教育の場においてであ
ろう。
  4) ロバート・ギルピン(大蔵省世界システム研究会訳)『世界システムの政治経済学──国際関
係の新段階』
(東洋経済新報社,1990年)
。
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進むこの分野において,今さら1987年(原著)の書籍に戻るというのはいささか時代錯
誤にうつるかもしれない。実際,
『世界システム』が,いくつかの点で古くなっている
ことは否定できない。なかでも近年のフォーマル/量的分析を志向する立場からすれ
ば,ギルピンの歴史的,叙述的なアプローチはいかにも時代遅れにみえよう。ギルピン
自身もまた,
『世界システム』の続編といえる Global Political Economy において,
『世
界システム』は国家を一元的なアクターととらえる伝統的ないしは構造的アプローチに
終始しており,国内の政治,制度,アクターを捨象している点などで古くなったと述べ
ている。『世界システム』で提起された経済ナショナリズム,リベラリズム,マルキシ
ズムという3つの視角(perspective)についても,それが分析的な立場なのか規範的
な立場なのかが明らかではなかったとふりかえっている5)。
他方,それら3つの視角は一見 IR におけるリアリズム,リベラリズム,コンストラ
クティヴィズムに符合しているかにみえながら,より幅広い射程を有しており,IR の
枠にとらわれずして古典政治経済学の知的遺産を継承可能なものとなっている。経済ナ
ショナリズムについていえば,IR で二次的な重要性しか付与されてこなかった英国重
商主義やフリードリッヒ・リストらドイツ歴史学派などの経済思想をも知的源流として
取り込むものとなっている。
『世界システム』におけるリベラリズムも IR のリベラリ
ズムより射程が広い。IR のリベラリズムの知的源流として言及される経済思想は,主
に協調的な国際関係の促進要因として通商を重視したアダム・スミスやデイヴィッド・
ヒュームらである。それに対し,ギルピンのリベラリズムはそれら経済学における自由
主義的な立場にとどまらず,市場への国家介入を説く J. M. ケインズなど根本において
市場経済を肯定する立場を遍く包含している。他方,マルキシズムについて Global
Political Economy では,冷戦後の重要性の低下が指摘されたうえで,取り扱う対象か
らほぼ外れている6)。だが近年,部分的にはマルキシズムの批判的立場を継承するコン
ストラクティヴィズム,なかでもその影響の色濃いコンストラクティヴィズムのパワー
分析が隆盛をみせつつある現状にかんがみれば,必ずしもマルキシズムの重要性は衰微
していないといってよい。ゆえに,それを含め様々な古典政治経済学を知的遺産として
包摂可能な視角に還ることは,IPE が政治経済学として自らを再確立してゆくにあたっ
て,重要な一歩となろう。
経済ナショナリズム等の3つの視角をギルピンが理論ではなく,イデオロギーと位置
づけたその趣旨も今日性を有しているように筆者には思える。すなわち3つの視角は分
析者各自が自覚的,あるいは無自覚的に拠って立つ信条体系というべきものであり,客
  5) Gilpin, Global Political Economy, p. 14.
  6) Gilpin, Global Political Economy, p. 13.
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観的に妥当性の高低を決せられる性質のものではないという。このように分析の前提や
予測の方向性が個人の主観に依存するとする立場は,昨今流行りの「科学的」な立場か
らすれば唾棄すべき遺物とうつるかもしれない。しかし,前述の IPE が直面する流動
的かつ拡張的な現況に対応するうえでは,このある種 “ いい加減 ” ともいいうる包容性
がまずは必要になってくるのではないだろうか。
ギルピンという古典以外にもう1つ,IPE の直面する課題,とりわけ経済学的知見の
吸収に関して可能性を感じさせるのは,経済学の立場から政治経済学を研究する D. ロ
ドリックの『グローバリゼーション・パラドクス』である7)。ロドリックは,市場経済
の発展には民主的な合意を反映する制度が必要とする制度派的な立場から,国際政治経
済の通史について,市場取引とそれを支える制度という枠組みを念頭に叙述した。この
市場と制度という一見単純極まりない枠組みもまた,今日の IPE 分析の根幹に据えら
れるべきものとしての潜在性を有している。というのも,一見無秩序ともいえるほど多
様化が進む IPE の現状にかんがみれば,当座の対応としていわば何でも入る器を用意
しておくほかないとも思えるからである。加えて,IPE が IR の枠から出でて,真に政
治経済学として自らを再確立するにあたり,経済と政治が相互に作用しあう場としての
制度は最も重要な分析概念たりうるものである。所有権をはじめとする制度が市場経済
の発展に欠かせないことについては,極端なミニマリスト的立場以外からは経済学界に
おいて広く合意を得ている。同時に制度の構築とその運営,改変は,ほぼ例外なく様々
なアクターの力,利益,規範が競合する過程,つまりは政治的な過程でもある。したがっ
て,制度を主軸に経済問題を分析するというアプローチは,IPE が真に政治経済学とし
て経済学の知見を取り込んでゆくうえで非常に有望だと考えられる。
Ⅱ IPE におけるコンストラクティヴィズム
つぎに,一連の報告を通して印象づけられたのは,構成主義的手法の広範な活用で
あった。これは日本の IPE/IR 学界における多くの研究者が置かれた状況を考えれば,
いわば必然的な方向といえるのかもしれない。日本ではいわゆる文理の壁もあり,“ 理
系的 ” な量的分析からは距離を置き,いわゆるヒューリスティックな事例研究にいそし
む研究者が今なお多くを占める。筆者もまたその1人である。ここで「今なお」などと
し,筆者自身を含む立場が時代遅れの側にあることを示唆せざるをえなかったことから
もわかるように,
「二重の輸入学問」とも称される日本の国際政治学においては,米国
  7) ダニ・ロドリック(柴山桂太,大川良文訳)
『グローバリゼーション・パラドクス──世界経
済の未来を決める三つの道』白水社,2013年。
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IPE 研究の直面する課題
から分析手法が持ち帰られればそれは定義上,最新の手法とされる傾向がある。そして
目下その大勢を占めるのはフォーマル分析あるいは量的分析である。その底流にある基
本的な価値観は,IR/IPE も新古典派経済学と同様に科学的であるべき,すなわち少数
の仮定(その現実性は問われない)と演繹的推論から高い予測力が得られるような理
論・モデルの構築とその実証に努めるべきというものである。
近年,その圧倒的な説得力にどう対峙すればよいかが「旧来型」の事例研究者にとっ
て問題となってきた。質的分析であっても適切な研究設計の下で量的分析同様,科学的
たりうるという KKV のような立場もないではない。だが如何せん科学性の装いにおい
て,フォーマル・アプローチや量的分析に遠く及ばないことは否定しがたい8)。そこで,
量的/フォーマル分析と同じ土俵で張り合うことを避け,いわばそれと対極に位置する
アイディアや間主観性を前面に掲げることで,数値・モデル化や因果関係特定を堂々と
拒否することが許される立場に活路を見出してゆくのは自然な流れなのかもしれない。
しかし,IPE へのコンストラクティヴィズムの適用においても,前節で論じた IPE
が IR の一分野から政治経済学への移行途上にあることに伴う問題はつきまとう。とい
うのも,IR におけるコンストラクティヴィズムは,元来,既存のリアリズム,リベラ
リズムに対する批判理論,あるいはそれらへのオルタナティブとして提起された面があ
る。そうした経緯から,コンストラクティヴィズムの適用に際して,一般にその対象が
既存理論の説明や予測に反する動きを示していることが求められる傾向がある。つまり
多少なりとも力要因や利益要因と整合的な動きを示す事例において,わざわざアイディ
ア要因を持ち出す必要はないというわけである。このうちリベラリズムで主たる要因に
据えられることの多い利益との関係については,IPE におけるコンストラクティヴィズ
ムの適用にあたって,特に深刻な問題を引き起こす。というのも経済の絡む問題に関し
アクターは多かれ少なかれ利益を重視して行動するものである。そうした問題において
利益の代替要因としてしかアイディアを提起できないとすれば,その適用の余地はほと
んどなくなってしまうためである。
だがこれは,まったくナンセンスな話であろう。そもそも市場経済が利益の追求だけ
ではなく,一定の道徳的規範にも支えられていることは,『国富論』と『道徳感情論』
の双方を著したアダム・スミス以来,経済学でもよく知られている話である。制度派経
済学の泰斗,D. ノースも,果物の売買という日常的な例でもって,売り手,買い手双
  8)
さらにいえば,KKV による量的分析同様の手続きに従うことで,質的研究も科学たりうると
いう主張自体,質的研究が量的研究の拠って立つ価値基準を受け入れることによってしか,そ
の手法を正当化できないことを認めたうえでのものでしかない。加えて KKV の指示は多くの
場合,事例研究の設計に際して実行困難であり,筆者の実感としては,その詳細な手続きに完
全に則ろうとすれば,ほとんど身動きがとれなくなってしまう。
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方に互いの公正さについての信頼が共有されることで市場取引が成り立つことを説得的
に示している9)。
そのように,我々が日々経済的利益を追求するのと同時に何らかの規範的制約を受け
るという事態はごくありふれたものである。だから,問題は利益要因かアイディア要因
かではない。むしろ政治経済や国際問題の多くにおいて,双方とも作用すると考えるほ
うが自然であろう。したがって,そうした状況を利益かアイディアか,あるいはリベラ
リズムかコンストラクティヴィズムかという IR 流の二者択一に陥らずして分析的にと
らえることは重要である。
こ こ で 参 考 に な る の は, 近 年, 構 成 主 義 政 治 経 済 学(constructivist political
economy)として提示されている一連のアプローチである10)。その代表的な論者の1人
である M. ブライスは,経済政策選択をめぐる利益要因とアイディア要因の一体不可分
な関係に関して,ナイト流の不確実性下において,利益はアクターの物質的境遇のみな
らず,信条や願望にも依拠して定まると説明する。通常,構成主義と対極に位置づけら
れる合理主義的アプローチにおいて,アクターはミクロ経済学における個人や企業のよ
うに,利益最大化行動をとると想定される。つまりそこにアイディアが入り込む余地は
ない。それに対して,ブライスによれば過去の経験やデータに基づく確率計算が通用し
ないような不確実性下では,そもそも個々のアクターにとって何が利益かは判然としな
い11)。そうした状況では,アイディアが利益追求の方向を誘導し,あるいは利益認識を
創りあげる役割を担うことになるという12)。大規模な危機はまさにそのような不確実性
の高い状況であり,その際いかなる対処が自国の利益になるかはアプリオリに決まって
いるわけではない。やや単純化していえば,ある国の政策決定者が危機の原因と処方に
ついて,市場に内在する不安定性を重視するケインズ的なアイディアを受け入れていれ
ば,資本市場や金融機関の規制強化が自国の利益になるとみなすであろう。反対に市場
自体は本来,人為的な干渉がなければうまく機能するとする新自由主義的アイディアの
影響下にあれば,規制撤廃に加え,透明性の向上を通じた市場参加者への情報開示が国
  9) ダグラス・ノース(大野一訳)
『経済史の構造と変化』日経 BP 社,2013年。
10) Rawi Abdelal, Mark Blyth and Craig Parsons, eds., Constructing the International
Economy, Cornell University Press, 2010.
11) Mark Blyth, “Powering, Puzzling, or Persuading? The Mechanisms of Building Institutional
Orders,” International Studies Quarterly, Vol. 51, No.4, 2007, pp. 761-77.
12) 関連して合理主義と構成主義の関係について,L. シーブルックは,マックス・ウェーバー流
にアクターが慣習や規範など社会的文脈内で自らの厚生を追求するという価値合理的
(axiorational)行動の重要性を指摘した。Leonard Seabrooke, “What Do I Get? The Everyday
Politics of Expectations and the Subprime Crisis,” New Political Economy, Vol.15, No.1, 2010, p.
57.
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の利益につながるとみなすであろう。このように,複雑な政治経済問題に際して経済利
益追求の中身や方向性が社会的に構成されるとする仮定は汎用性が高いものであり,そ
の採用はコンストラクティヴィストを自認する論者以外にも広くなされてよいものに思
われる。
また R. パランらの批判理論的立場から執筆されたテキストの中で,A. ブルームは
IR コンストラクティヴィズムと IPE コンストラクティヴィズムが,その起源や関心を
異にする点を強調する。IR コンストラクティヴィズムは,冷戦後の世界をいかにとら
えるかという問題関心から提起された。それに対し,IPE コンストラクティヴィズムは,
グローバル化が進展するなか繰り返される経済危機を理解することに主眼をおく。理論
的な相違についても,IR コンストラクティヴィズムの代表的論者と位置づけられる A.
ウェントは,K. ウォルツらのネオリアリズム批判を念頭に置いていた。それに対し
IPE コンストラクティヴィズムでその起源として意識されているのは,市場経済が主観
的な投資判断に左右されることを重視したケインズや不確実性下の意思決定を理論化し
たフランク・ナイトであるという13)。IPE コンストラクティヴィズムが IR における「パ
ラダイム論争」の関心を必ずしも共有していないことは,IPE におけるより折衷主義的
なアプローチ──利益要因とアイディア要因,あるいは力要因とアイディア要因の併用
──に道を拓く点で重要である。
このように利益とアイディアの不可分性や IPE コンストラクティヴィズムの固有性
を明確に意識することにより,大きな潜在性を有しているコンストラクティヴィズムの
適用をわざわざ利益要因や既存 IR アプローチを排除するような事例だけに限定してし
まう愚を避けることが可能となろう。さらに様々な政治経済事象で作用する利益要因と
アイディア要因の重要性の比較衡量や経済利益動機が支配的にみえる事象において部分
的,補完的に作用するアイディア要因の追跡といった重要な理論的関心の正当化にもつ
ながるだろう14)。
おわりに
今般の研究プロジェクトにおいて,今日の IPE が2つの課題に直面していることが
確認された。すなわち,研究対象の著しい多様化と IR の一分野から政治経済学への移
13) André Broome, “Constructivism in International Political Economy,” in Palan, ed., Global
Political Economy, ch. 14.
14) 経済政策をめぐる利益とアイディアの交錯する関係についての筆者自身の分析として,「国際
経済制度における中国の協調性──銀行規制と財政金融政策の事例分析」『問題と研究』44巻2
号,2015年。
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行途上にあることに加え,IPE コンストラクティヴィズムと IR コンストラクティヴィ
ズムの相違が明確になってきた。本稿では,これらの課題と対処の方向性について簡潔
にではあるが考察を加えてみた。これら理論的課題を見出せた点で,今般の研究プロ
ジェクトはきわめて有益なものであったと総括できる。
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