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釧路水試だより第25号 (PDF:3.88MB)

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釧路水試だより第25号 (PDF:3.88MB)
卦t路 水 託 だ よ り
さ
巻
頭
お
前
昆
布
j
L
言
○マサバ資源 をめ ぐる最近の話題
○樺前 コンプ漁業 につ いて
○北米の旅 を終 えて(
I)
○昭和 四十六年度手業のあ らま し
昭和 4 6年 7月
北海道立釧路水産試験 場
巻
頭
場
長
言
福
原
適兼 *方 もさ まを迎え た が' これ はあく ま でも 斤 のJ
lのこと で' 今年 Q 気長
は並七 乍 ら、それ に マッチで重た い状 態に あ ると ・
P甘 え る。
月中 しばしば生井 な 旺 rZ圧 の
形 成され 、 か つ五
分頓 の*力 が
近年に Vt内 在 Sを 巻く' ・Jのた め
t
L
L、 現在 各位 は糸瓜
さ て、 今年 のサケ ・マス札 は 蓋 Fの予*冶 少好 F に推 a
の漁 に励ん で Sる d
今 年 の並兼わ攻 は' 親潮治 賛
サ ケ ・マス弘 鴇 は比 較的 沖合 は
兼辛 に 上る大 時化 に 上って' 小 丑胎 の■a
tが相次 ぐ寺井 Kに大・
dJ
々支叶 を 来た
また、 中型 洗JE
汎S
iはd]
初 主 とし て .
(.
Iサ ケ
を凪 S、兼方沖4'沖■ (出札し
したが、 予想E
Iタ カ ラ フ- マ スと' ン J
.サ ケの兼正文J
Btが奄め て大き く、 小
五 蛤 は近 年にない上クを好漁 を し て Sる 。
た がE
E
D的 とす る ベ ニザケが比 較 的 #- t かつ長
天候に見tわれ'琳年 上ク毒干
q九 五月 下旬か ら、 六月上 旬 に かけ て入港し、休 む¢ なく ソ ロサ ケを狙って第
二次九 本に向 つたが'前 述 の ェうにat
額状態 が良 好 で、 各蛤 にこぞ って好漁し
た も の である 。
iた、 中正 はえなわ漁 船は 手 固く カ一
77- 7r
(を狙 い' 4・
年は大き を成 井 を
上げ て'昨年 の回漁に 上る 仇 矢を 一r
f
に戊 画し た Uとは、 )
tに 串 いな ことだと
す わなけれ ばな らなS。
・
Jのユタに、 今年 のサケ ・ マスd は全船が好 漁Lt井界に捷9 て明るさ の見
られた亡とはkに 丘T O蓋ク である。 これは' カラ 7- マスが昭和四四年 の土
が
Hの大 き か った こと に 起
汲年 をは るか に 上 増少'また シ ロサ ケ も予想孟 ク来 轟J
し
田す るも ので. こ Qことは ' 日 ソd 兼交 渉に かけ る 日 不t の兼 帯t t 正し か
JOと考 えてSる 。
った ことを 立正 た・
て
から、大巾 を乱雄 の湖水を受けへ
年 の日 ソJ
t事文事 は壌め i
t行 し、 カニに つSては'ソ連
周 知 の.
4'に' 4.
.
Mた' サケ ・ マスに つSては 、 カヲ 7- マスの■漁年に も かかわ らず t E
Z
)事の
の領有 す る大慶f t 帝だ と甘 , 一方的 な 主鎖
J異決 を 見 た こと は ' i K
希求 ナ る故l
Hからほど 遠 い九 万 五千 - ンと 首 ク故 使 t
ソ連 は、 昨年 オホーツクttで約 三〇 万 - /・
Cの油 ニ// (
兼J
fL
Lシ ン) を
こと
連 銭 な こと である 。し かし} これ 等 の 二 つは 生き 残 れた か ら iた し も, 北斗五
五 度以 北 の福 神 ニシ ンが全 面禁漁 に な♪ 一
〇 ンN弁 と' J
E連亜 美に か いtE
的な
打事を受 けた こと は 書に 東低 を
だと思 ってSる。
この上クに 、 音が白 で書 も 王手 を北 洋弘 美は 、近年 ソ連 の鼓 し h故 め っけ に
J
g凍 したと も甘わ れ'朱 書的 K t
t
,
して
忠 念される且由もを SO で、乗務生拍 手
的 な■ 点か ら、 他 に NP
切 な規制 括 I
lが も っ て輸 る べき だ と考 え ている 。
上 って先細少' そ の前 途 は坂に 点L sも のが あると 書.
rなけ れ ば な らな S。 こ
昔が E
dの弘 美比月 知 の上,に、 沿 洋 か ら沖合 へ、 沖食 から 速 拝 へと 花 々し く
れは '独♪ 北洋故 事だけ でな く 、 日 不払 集全 件 の閏 月 で、 そ のしわ 寄 せ は次弟
に専用 を沿 岸A d貢 も ひたt し て乗 る ・
pOと 思わ れ る 。
のfL S成別 格 t に 上 って' 丑牡乍 らも
そ 0* 力を仲 ■さ せた が、 近年は 外包)
と来 た為を歩 士ざ るを 神 な S状 態 に ある と・
.
C甘え る 。 上 って、 今後 日 本式 わ の
考え てSる。
水 虫 土汝K 対する血生 車力は 学 Q汝 しく なると 思わ れ る ので、 これ書 の ことを
を伸 ば し ■ぎ 九 七を 廉く
また、 日 本の水 主 夫 は五年拡大 に拡 大 をN ね、牧 gi
L
r 沿岸d 集 の恒久 対策 を 立 てなけ れ ばな ら な いと
充 分 考よの・
し い上井 や、
し て Sる。牧i
tが 妊 び九 は 妊びる程、 そ の補胎 が大 変 である 。拝 外 司 のVL S
<件t のT大、 はたま たJ
g
S
B建 玉女 の久 也 事 々K l つ て、 昔 が由 の水 差 井 は i
規制 や'近*史 准 0ま少 事に ・
_る舟 魚不 足と そ の昂 tへ 物 価 の手
K tL h時代を 迎え つつあると 書 つても 且書では な S。 上 っ て' 毛先t 毎 に そ
の将来を上く 河手 し、 これに洪 少 なく 対 処し なけれ ば な らな Sと 考 え て Sる 。
●
幸
一
マサ バ資 源 を めぐ る最 近 の話 題
上
大に 上 ってそ の影 事 も大き - な った と述 べ て
Sます 。
こ のほ か 日 本 の二 ・三 の研究者 も 同 じ - サ
ン マと マサバ の防係 を 論じ て います 。
それ に 上 ると ' 三 五年 以 降黒潮 前嶺 の南 偏
と親補の北 過 が進 行 し て汲 合水 域 の面棟 が拡
な ぜ サ ン マが 嫌う' な ぜ マサ.
ハが増 え た の
村
最 近 「適東沖 では 小 サバがず Sぶん 多く な
か、 そ の 真相 は さてお-と し て' 長年 に わ た
漁業 資 源 部
った」 と か、 ある いは 「小型化 の伸 向 からみ
っ て サ ン マQ産卵
にそ っ て南下す る サ ン マの回 立路 は' しだ い
勝
て資 源 の見通 し 比ど う か」 と S つた B(
間を エ
ら これに 加 速 し外味 あ る脱 明 が なされて Sま
に沖 合に 旬す る ように な った 。 一方 浪 合水 域
は 凶' マサバに は青と でた と いク ・
Jと ですが'
マサバ女 帝 の 禁教停 向を み ると 、 図 に 示
マサバ資 源 の 数 l
H動向 と資 源横 道 の 変 化
この変 化に 対 応し て' 親補 の再 への張 出 し
に凄 近す る伸向 が 鄭ま った 。
が ると と も に、 規模 の大き い攻水 塊 が北 海 道
-耳 にし ます 。梓 かに、 指摘 のと Aク四 三年
す
的壷を手 がけ てき たソ連 か
以 降は 小 サバのし める比 率 が非常に高- な っ
サ.
ハは サ ン マの稚魚 も 食 .
(る ので 、 す.
ハの増
l口で Sえば、 先 生環 境 の条件 がサ ン マに
。
て Sます 。例 えは 、 四 五年 の葛合は Sわゆ る
す が、 そ の
交替 を めぐ って Sく つか の論 法 が
サ / マが叔ク、 かわ つて マサバが 増え た の で
では
ま た' 三五年 ころを 境 sKし て 太平 d:
思 います 。
か に膨大 であるか が 上く Aわ か クに なる かと
Jt これだけ で S
捻 尾故 に ほほ匹赦 し ます のf
年 ま で の四年 間 に 適東 沖 で乱獲されたサバ の
が約 五鮮 三千 万尾 で、 この政 は 三九年∼ 四 二
小 サ.
ハと称す る 二年 魚 二 年 魚 の捲漁 雄鳥政
それに 上ると、 三 五年 ころから&汐 が遠州 を葉何葛と し て北 上 ・南 下 回遊を し て Sる マ
紀伊半 島- 伊 豆半 島沖) で大 き く蛇 行' サバは'兼 併韻 の水 大と 同 時に、 暖 水 塊 の周
港沖 (
辺には冷 水性 の動物 プ ラ ンター ンが大 丑 に発
甫偏 す る年 が多-複少、 こ のェ う な年 には 内
軸 に 反時針 回J
C
1の環 流 (
妃州 ・遠 州 暮沖冷水 生します か ら、 そ の丑 書を 何 科 を占 有 する后
塊) が 生じ' ブ ラ ンク- ンが大 玉 に 発 生す る 。 果と な って、 ま さに 色好 の条 件を 様 棉 し乗 鞍
の飛坪 的 な 増大を招 Sたと Sク説 明 です 。
と ころ が こ の冷水 域の中は' サ ンマに と って
忙
は 産 卵 ・発 生 の適水 温を下 回る た めに' 産卵
両方合 せ てみ ると、 海洋 の変動 が マサ .
ハ
有利 ・サ ン マに は不利 に 展開 した と Sう J
Jと
場 を沖 合に 移さざる を得を - な った。
し かし適 温 の低 い マサバにと つては、 それ
に をクま す が' そ れ だけ が女 帝を 叔 らし た 少
同 時に、 競 あるSは増 した ♪ す る絶 対 的 な 要 畠 でな Sに
にA
・
1つ て再 生産 の場 が広くな ると
合 が瞭 和され ると いう好 条件 がとと のっ て
大 しても、 自然環境 の変化が女帝に与え る形事
発生 をした と Sう脱明 である 。
は決し て小さ- な Sと いえ る でし 上ク 。
大 Sに B席を ふクま
M
いた のも つい半年 前 のこと です 。そ こで' ・
テ レビや新 開 で紹 介さ れ
る ことに Sた します 。
す そ の内容 から措 介す
マサ バ棄 瀕 の 変 動 原 因
r
も
た 二言 年 以 降は、 産 卵長 そ のも のが 一
年 かき
「」
l
J
I
.
- _ t J_ (_ )
忙増 減を-少 かえ し つつも、 - な って三月上 旬∼ 中 旬にみ られ る 上うに な
なか相 対的に 高水鍵 に ある 。 った Cも う少し その内容を具休 的 に 説 明す る
初 めから常 に 房総 沿馨と 島 まわ 少 の二 つの梅
と、 太平 洋 系 の マサバ の産卵 場 は 三〇 年 代 の
結果'四〇 年 以後 は漁
の
そ
す なわち' 数 丑 水準 の非常 に 低 - か つた 年
城 に存在 してSyl
すが、衷 心と い
う点 か らみ る
代 (
∼ 三四年 以前) に は、 成魚 の分布 域 も こ
獲歪 も飛躍 的に増 大し、 四
-五
〇 万 - /に、 さ らに 四
三年以降に なると多少 ふれ
く
も房総 沿
岸
に あ って 相対 的に北 に偏 って いた
近海より あ って、全般 に 三 ・四年 の甲 サバ
と悌向 的 に 変化 し ており ます。
が大.
きく なる が六〇 万- 八
が北 も 南 I
,
p割 合 安定したかたち で現わ れ て S
〇 年- EI
二年の聞 壮四 五万
〇 万 ト /にも 達しt S
わや
るサバ漁英 の全盛 期を むか
ました 。 おそ ら-' こ のころは 産 卵 場 の訳 心
こと で明ら か
えた のです 。
以上 のべた
左上 うに産 卵 丑 の動向 に対 年 代 であると推察 さ れ ます。その後 、 水 準 が
応 し て' マサバ漁獲丘は 変 徐 々に 高ま る年 代 (三五∼ 三 九年) に 番 っ て
動し
てSます 。嘗兼 を かえ から'産 卵 場 の南 への拡大が 目 につ- ように
年 は 大蔓 出し
てSえばへ 近 年に hける マ なり ま した 。具体 的 に は、 ニ〓ハ
サバ受渡 丑 の高水韓 はへ と 海域 に、 三七年社 さらに 南 西 エク の高 瀬 か上
nウ タ ン根 の海域に 移少、三< ・三 九年
少もを かきず 産 卵量増 大 の び ヒr
結 果と Sえる と 思 いま す 。 に は ついに 銭洲 近 海にま で也 が つた 。 こ のよ
うにへ 見かけ 上 は 房総沿 岸と 島 まわ 少 の 二 つ
また、教 主動向 に 対応 し て' マサバ の属性
まずへ 四〇 年 頃 を境 Sに して、 そ れ以 前 の
わ せ る過 肝 的 な段 階と Sえそ う です 。また 、
かと いえば この年 代は重心 の南 への者動 毛 思
の海域 に産 卵 場 が存在す る のです か、 ど ち ら
相対 的に数量水準 の低 い年 代には' 大体 四 月
そのき ざし がみ え はじ めた 三上
ハ年 頃を 境 いに '
も 日にみ え て低 下 し てしま St つ いに
三八 ・
これま で盛 ん であ った <戸沖 のは ね釣 ク漁場
中 旬 ころ から産 卵期 に 移行 してSJ
PL筏 fl
た
が 変化 し ている こと が 注目さ れま す 。
■ l< _
]
わ ず か t〇 万 ・
Lンそ
す ェヶに'三 二年以前jl 産卵丑 の水車 も 低く、
これに対 応し て漁 獲 丑
ろ から産卵
こそこでした 。と ころ が 三三年 こ
増え はじめ ると ' それ にともな S、 漁獲
宜が
漁
水準 か相対姑 に高・
Mつた 年 代、 つ七 夕四
達し+し屯 その後'直卵生が r定 の水 準 に遷しI 叡 宜
〇 年以 降は産卵期への膚行 が lヶ月 あまり早
丑 も徐 々に増 加し て 三 九年には 四〇 万 ト /吃
卵生と 獲tの変動
屋
マサ バ 京平
洋 系群
の虎
マ サ バ成 魚の 回 滋 横 式 園
とを は っきり 物語 って います。
うになりました。このことは、産卵 場 の重 心そ の
ものが この年 代に 入 って島 まわ 少 へ移 った こ
三 九年に は 全- 漁場 が形成 され な いままに 終
ってしまいました。 これにかわつて三 五年ころ
また、 年 令組 成を み る と' 産 卵 場 では 三年
か ら 遍東沖 に まき 網 漁堀 が つ- られ るよ うに
な 少、努 力丑 の増 加と あ いま って故 丑 も 急激
魚 の卓越と 同 時に 年 々高令魚 の占 め る比率 が
また、 三七 二 二八年に仕 房 総沿 岸と島 まわ
ク の間 で尾叉長組成に目立 った 違 いがみ られ、
統 計的 を分析 か らも 房総沿岸 に集合 した集 団
に 属t
t
l
を S成 魚 が' 直接 島まわ ク へ加 入す る
来 遊す る魚 の大きさは 時期 に 上 って変 化する
T
r
L ます。
の多 S年 に 相j
に増 大した のです 。
・
Jと 垂 E・
唆 し てお少' し かもtrA
Jのこと は韮
と同じ ようを時期に かき て S
高くを つて かクt Sわ ゆ る 高令 化 のき ざ しを
心 の南 への潜動
が' 大体ど の年 をみ ても 上-似 て
.
ハ資 源 の増加 期 に あたク' 産 卵場 が南 へ拡大
以上 のこと を整 理す ると、 こ の年 代は マサ
のぴな S。 そ の後、 型 変ク し て小 サ .
ハが多 く
なる が、 群れ の密 度が小さ S ので、 漁 獲 豊 は
わち、 初斯 (
六- 七 月) に は 大 サ .
ハが 主体 と
Sる 。す な
l力'索餌 海域 に 目を向 け る と、 適東 沖に
年に生 れた魚 が これに あた ク、 概し て産 卵 量
み せ て います 。 具 体 的 に は 、 三 七 1 三 九
る のです 。
す るとと も に、重 心の潜動 が かき、 直接 島 ま
津 への来 速長 比相 対的 に汝少 し てしま St そ
合 の暖流 分派域 を 北上 するためと思われる.
主群 はむし ろ親汐 沖 合 分枝 の東 側、 つま少 沖
わク に加 入する魚 がみられる上うにな少ました
J
.
な
ると' 対 応 し て漁 獲 壬は増 え 一つ目 の山を
ま た 、 成魚 の分布域 も近 海を'上少北 の海域
つ-る C漁 靭後 半 (九月) に な ると 再 び 型 変
に ま で広 が った と Sえそう です 。
タし て、 初朝 に 出 現したと同じ も のだ け が 現
続 Sて、資 海水 準 が 高位に逮す る A
]クに な われる 。しかも ' 量的 に は非 常 に多 S ので'
った 四〇 年 以 降は、 産 卵期の早ま クと 関連 し そ の籍 果 二 つ日 の山をつ- る 。構 造的に は'
( 大 サバと 小 サバと では 時間 的 に も 空間 的 に も
て' 島まわ ク への魚 群 の集 合 が以前に く ら '
ると 二 カ月,
Q早 S二月 中 旬にみられるようにな
f
定
の
ズ レをも って来 遊す るし、 また初籾 に
Iw L屯 当然 それ にと も 在って'越冬籾の漁
大 す.
ハの密 度が 小さ Sのは' も と も と 沖合性
期は 短 かくな ったが 'それ にも まし て房 総滑 と Sう佐 賀を大 す .
ハ自身 がも って いる ので'
の后 黒鍵冬期 の資 源土指数 も 大き く フレる エ
し かし、 南下 の過程 で、 大 サ.
ハも近 海上少に
四三年に生れた 魚が これに あた 少' Sずれ も
ク です 。具体 的には、 四 一・四 二 ・
九 たとか
てSる のです 。
的
年
に
か
きに繰 返 さ れ て いるそ の変動 籾 が、 現象
移動す る ことは、 漁期 後 半 の状 況か らみても
乗鞍 海域 で大王に出 現 した のです が' それ に
つ- られ る上うに な った が' 組成をみ ると 適
年以 降も引き 続 いて' しかも それ ほど 涙少 せ
む しろ 三七 二 二
八 二 二九年 生れ の魚が 四 三
偏と 親潮 の北 遇 が進ん で、 大規模 を暖 水 塊 が
ー
ハの発 生環 境も ・
4- な った 。また、
は黒汐 が大き く蛇 行す る エクに な っ て、 マサ
す なわ ち、 三五年 ・
Jろから黒汐 流 軸 は 南 保
は、 海 洋 の変 動期とき わ め て上- 一致 し
明ら か です。
東沖 のも のと )
致す る ので、 道東沖 か ら の南
ず産 卵場 へ出現し て いる ので、 産 卵 親魚は ま
鼎汐前絵 から切放 へ 北上す る条件 が作 ク 出 さ
具汐 の南
遠洲 書 沖 で
下群 である こと は ほ ほ聞 達 いな SL、 押合 を
すます 高令 化 の傾 向 が は つき 少し てき た の で
れt Sわ は マサ'
ハにと つて色 好 の兼 併 環 境 が
動が
北海 道に暖水塊 が接 近 す る傾向 が 襲 Sと Sわ
の⊥うな年 代に は、 栽汐 の沖合分攻 が 発.q
t
L、
汝しく、 総 じ て不 安 定を状 態に あ♪ ます 。 A
J
化 の悼向 が欝ま つた が、 同じ 軍
直披 t
T
J
がる 群れも あ った よう です。
す 。要す るに、 葉何 市域 では葺合 化 ・産卵場
広が った の です 。また、 四〇 年 以 降 は 焦汐 碓
みあ う ほど産 卵場に あ らわ れ て いま せん 。
以上 のことを並 理す るとへ こ の年 代は マサ
では 布令化と いった ように 両 者 の間 で年令 組
軸は 再び 北 偉悌向 を みせ つつも' 東 北 変
また' 四〇年 の秋 か ら再 び< 戸沖に漁 場 が
・
ハ穀類 の ホ水世に あ る長 持 で、 産卵 場 の甫領
成 の不 丁数がは つき 少 みられ る ようにな って
た- な ってし ま S' 魚
バが ほとん ど轟 を みせ
そのも の が- ずれ てき
政l
H変動に 対 応 し てt a(
源書 達が 段 階的に
マサ バ 資 源 の見 通 し
たたけ る かと 思 い・
Mす が' そ の変 化 の内 容 が
資化 し てきた こと は前 述 の説 明 で理爺 し てi
以上、 マサ バのt的
これ ま で マサバ の女帝評
価は、 主と し て産
となかな か# し い現状 に多少 ・
Mす 。
・
Nだ まだ抽 虫 的 な ので' 確 かを見 通 しと な る
ること は' ほほ 四- 五
て述べせしたが'
注目され
夕的 な 変動 挿向に つ S
ました 。
群 の規 則的 を現わ れ方
る上う です 。
塊
は さ らに早 やま って' 1月下 旬に み られます 。 れて Sます 。確に 、 昨年 な ども 適 東沖 に大 政
uれ' な おそ の傾向 が持 続し て S
一方' 適東沖 では 大 サ 水 が形成 y
変 って いませんが、 鋲 洲海域 への魚群 の集合
(ほとん ど
は以 前 (
四〇 年 - gl
Tr
年) に -ら'
またへ 産卵場 の富心 や産 卵 の始少そ のも の
き た のです 。
E海攻 も近 海は・
Aと .
<少沖 合
化と 同 時に、 窯B
Jの
K ま で広が つた と いえ そ う です 。また 、 A
場合 の押合 は東偏 およ び北偏を 意味す る ので
す。
と ころ で、四 三年 以 降棄e
E海域 全般にわ た
. 1
って小 サー
ハが苦し - 増 加した こと は書初 に ふ
.i .T
I
年 令別 漁獲局 数
)
■■ ()J
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J
L∼ ∼ (hJ
EZEA
I
和J
Hの動向 や轟和 親 魚丑 を通 じ て お こなわ れ
てき ました 。
そ れに 上ると '産 卵丑 は少- 衣- とも 四 三
年 ま では相 対的に 馬 S水 準 を 推持 し てSる が
で四 五年は 同
e]四年 に いた って大 き - 低下 し て Sます 。
一方'親魚i も四四 年 がピ ー ク
じ 上クに低 下し て いる のです。 要す るに、 子
の t も親 のtも
共K と -Qt近 K Sた って大巾
に 低 下したと Sクこと に モクます 。した が っ
て、 これだ けを兼 直 に評 価 すれ ば、 近年 筒水
l
昭 和 四十 六年度 水 産 関係 試 験 調査 事 業
協議 会 の開催
毎年春におこなわ れ てSる 道東 管 内 Q支庁へ 改 良普及所へ 市 町村、 漁協 と 水 式 の水産関
係 拭 ai
調査に関 する打合 せ 金敦 が、 今年 も 五月 二十 t・I〓⊥ 盲 の二日間 にわ た って罪催
さ れ ました。出席 者は 十勝へ 釧 路' 横 車支 庁管 内 から 三十 五名 で、 日商支庁 管 内 の人 々の
耽 明 のほ か' 各市 町村へ 漁協 の調査古 巣に ついても' 地区 の普 及所 長 上少鋭 明 が あ少、 ま
第 1日日は 釧 路市漁協 大会議室 で、 全体 会 盛 が行 なわ れへ 水 式 の四十 六年 t
h本 業# 想 の
顔 がみ られ な か った のは 残 念でした 。
たと判
硬 いに し て低 下 のき ざ し がみ え はし め
た 各事 業 主体 上qも これ らを進 めるに あた つて 水 杭に 対す る晋 宜 が出さ れ ま した。 これ
準を 推持 し てきた マサ バ資源も 四 四年 ころを
断 され る のです 。ま た、 そ の形 書 の てる四 六
ら の温 故に 入 って 各的 圭に 附随 した今 ま で の知見 や'仕事 を進 め る忙 あた つて のポ イ ント
の
年 、 つま ク今王 Q 通水 沖 の漁 況は そ の意味 で
な どに つS て、水 就側 の各 部科 長 から 意見 が 述べ られ 質疑 が交 わ され ま した が、 芋 虫
ま だ集 れ ると 首わ れる 道東 でも、 増 兼租 に 対す る私 意と水 試 忙 対 す る要 望 が 芽 Sこと が う
- は例年 の上 クに浅 瀬資源 の増 士殖 や、 そ の場 壌調 査あ る いは 沿 岸魚 類 の資 漁網 査 な ど で、
の多
大 Sに 注目 され る年 でも あるわ け です 。
今のと ころ' いろ Sろ な現象 から 撚合的忙
か がわ れ iし た 。 また最近 の加工振 興に 対す る漁 鼓 の甲 心を反形 し てか、 漁 村 加 工に つ S
判 断し て' 大 サバが 出 現す る見 込み はまず帯
S の で、 今年 も 相 変 ら ず 小 サバ の多 S年 に モ
ての意見 も例 年 以上 に多 か つた .
・
tうに思わ れ ま す 。
れ、 今年 の重 点的 なと少- み方 や、調 査 の方法 、 協 力体制など を とタ決 め まし た 。 各地 の
iの各 部に かSて個
琴 盲 E
E
nは 、前 日出された要 望に つ いて、水3
別に d L合 いが行 な わ
が行 なわ れ、 これ らを通 じ て今年 の海 況 のあ き に対す る世辞 を 深 め て いた だき ・
Mし た 。
な か時間 の l郡をさ Sて' 中村漁実科長 上ク、今年 の サケ ・マスの漁 海況に 関 す る説 明
ク そ う です 。
また、 六月 二 二日
- 二四 日には 東北水 研 <
スルメイカ の長 籾 予報検
戸 支所 で、 マす.
ハと
討 会 溝が内 かれi ナ の で' そ の括栗 を参 考に
し て いた だき た いと 思 います 。
Mした 。
麺 当者 Q方 々で 各部とも所長盛 況 のうち に 無事 予定を終 了す る ことが でき ・
今年 の¢ 葉 が円倍に進行 す る 上クへ 連け いを 密に し て参少た いと 思 います 。 これ か ら も
上 ろしくと魅 力下 さい。
樟前 コンプ漁 業 と は
増
部
佐 々木
根全管内
・
茂
根 垂 市 の歯 斉漁 美 協 同 組合 は見 放 島を 主に
川
二 、 操業する期 間
合 が 多 く なる 傾向 です 。
殖
樟 前 コ ンプ 漁 業 に つ い て
「
跳 箱 以 東 の太平 洋 沿 岸 に 生 育す る ナ ガ コ ン
プ を 対生 と し た 漁 業 の中に 祥 析 n ノブ弘 美 と
な ぜ 件 前 コンプと 呼 ぶ のかと Sう 空間 を A
4
呼 ば れ る も のが あ 少 ま す。
梓 前 漁業 の対象 と し て Sます 。そ し て地先瀬
積 量 漁 業 協同 組合 と 落 石弘 美 協 同 柾合 比 主
- 受 け ます が、 I投 に 、 ナ ガ コ/ブは も 芋型
に 地先 海 面は 成 コ /ブ漁 業 に、 梓前 コ ンプ は
面 を 成 コ ンプ漁 業 に あ て て いる 上 ク です 。
でナ - S揚げ 、 生 長 の A
JSも のか ら 選ん で採
ソビ エー の漁 業 協 定 が 結 ばれ る ま で の実額 に
の 樺 と いう 漁 具 を 陵つ て、 コ ンプを 船 ベ ク ま
取 でき る のが蒋 敬 の 一つか ・
U思 Sま す 。 それ
昆 布 森' 釧 持 東 部漁 各 組 は' ここ政 年 前 か ら
流水 雀 筈 など て大 不 漁 の年 以外は 操 業 し て お
う 上 う に な ってき まし た 。ち な み に 釧 路 東 部
りへ 成 コ ンプと 同 じ レベ ルで倖 前 コ ンプ を 扱
漁業 協同 血 合 の昭 和 四 十年 か ら行な わ れ た 経
五月 二十 五 日 か ら 六 月 二十
五月 二十 日 か ら 六 月 二十 日
五月 二十 日 か ら 六 月 三十 日 ま
過は つぎ のと かク です 。
昭和 四 十 年
での うち 七 日間
昭 和 四 十 一年
ま で のう ら 十 日間
昭 和 四 十 二年
五月 二十 日か ら 六月 三十 日
五月 二十 日 か ら 六 月 二十 日
日ま で の うち 七 日間
昭 和 四 十 三年
昭和 四 十 六年
ま で の うち 六 日間
ま で のうち 十 五 日間
昭 和 三十 六年 頃 の ナ ガ コ ンプに関する知見 に
二「 漁 獲 し た コ ン プ の 大 き さ
弘 美 者 へ 海津 研 究 者 です らへ きわ め て低 く 、
漢美
し てい・Mす O
上 って' 歯 舞 漁協 組 に 参加 す る 形 で月 放 鳥で
で 七月 以 降に 本格 的 に 韓 で採 取す る .成 コン
プ 漁 業 ..
甘始 ・
Mる 前に 行 なわ れ る の で、 これ
且 放 鳥に かけ る コンプ漁 業 仕ソ ビ エトと の
を .韓前コップ 漁 業.と 呼 ん で S・
∼す 。
こ の よう に ナガ コ ンプ を 採 取す る漁 業 の形
民間 '
(-スで行 な わ れ て Sる 漁 業協 定 に 上 っ
効 果 を 井 定 し た 時、ナガ コ ンプは 一年 生 が 主
て 六月 一日か ら 九月 三十 日と さ れ て いま す が、 例 えば 昭 和 三十 七年 に 遺成 し た 第 二且 放 鳥 の
.ヰ 前 コンプ .と ′成 nンプ .の 二 つが
態は
地先 海 面 で成 T
lノブ が解 兼 と な る 七月 中 旬 ま
あ 少 ま す が、 両漁 業 と も 漁 捷 対虫 は 二年 生 コ
プ で、 片前 は よ 漁 年 に 限 っ て密 生す る 二年
ン
体 で 二年 n ノブは 漁 集 の対象 に な っ て いな い
だ ろ っと 私 た ち 研 究 者 です ら、 考 え て いま し
で が樺 前 コ ンプ の操 業 舶 間 です 。
佃
た。・
Jれ は ナ カ コ ンプ の研究 が ほ と ん ど な さ
コ ンプを 間引 Sて 美 人ク を 良 -す る た めに 行
J政 年 は必ず
な わ れ てき ま した 。 し か し、 こJ
浜 中、 散 布、 厚 樺 の 各漁 業 協 同血 合 は ナ ガ
釧 枯管 内
し も 土 漁 年 だけ で な- ' 成 コンプ漁 集 と 同 等
コンプ の 丑熟 年 に 限 っ て操 業 す る こと が多 -
れ て いな か った た め てL L
Jう 。
に ナ ガ コ ンプ漁 業 の 一つと し て考 え て いる 息
l
したが っ て漁 集 で漁 銀 した ナ ガ コ ンプ の判
定など 壮 ' ま った く 行 なわ れ て Sま せん 。現
在 で も 統計 的 に扱 え る ほど の資 料 は あ少 ま せ
Z
J
lF
a
ん がへ ま が 少な 少 に も 昭和 四 十 三年 か ら 釧 路
第 1 回
と 見放 島 で漁雄した も のが あ少 ます の で' つ
- 3回 は 釧 路産
ぎ に 図 示 し てみ ま し 上 う 。 1
)
×1
・
1
平方センチ メ
長
蕪
4- 6図 は見 せ 島 産 の樟 前 コ ンプ です 。横 軸
は 採 取 し た 日、 縦 軸 は そ れ ぞ れ の形質 の大き
さ へ 一回 の 測定数 は 五十 本' 柱状 タ ラ 7の値
は 五十 本 の平均 値 、 3と 6図 は肥 大 度と Sつ
て' コンプ の突 入夕 具 合 を表わ す 尺 度 です 。
肥 大 慶 は採 取・
Mもな い生 の コンプ の重 Hを 乗
の長 さに 葉巾 を かけ た 素 面康 で割 ク ' そ の値
詐
ます 。
を 一、0 0 0 倍 し た も の で表わ し
汚 汁守 矧
これ で計 井し た 値は コンプ
∫ - ル の重 丑 で、 そ れ を 棚 (
、
、
、リ ク ラ ムと 読
む t l,
・
、- グラ ムは 千 分 の 1ク ラム) で表わ
し た も の です 。
l
これ ら の国 から l見 す る と 釧 梅 と 見放 コ ン
プ の速 いは 葉 の長 さ で は 余 ♪ 差 は な いが 、
本 あ た ク の韮丑 を 示 し た 2図 と 5回 を み ま す
と ' 常に 月か産 が 三〇〇 か ら 五〇〇 ク ラ ムも
大 き いエうで、 そ の原因 は' 図示してSま せ
ん が妻 巾 が釧 路産 で 約 <∼ 九 セ ンチ メー ト ル
月 .
一
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一
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一
・
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一'∼上 1】 6月l 一
旦第 3国訓
緒 肥 大 疎く実入り)
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第 4図
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貝殻 J
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第 5園
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I6回 RIBも 肥大在 (実入 り)
- 10-
貝敷島
集tA
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4 l年
3 7 2.
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2 8.
5
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42年
29ー
5.050
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,○99.
770
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L
⑦ 他海許に 上 って コンフの生育帯 が占 有 さ
① 流 氷倭梓 があ った 丑年 (
た だし連携 し て
菜 源 が増大ナ p
O要 因
れた 年 は、そ の後赦年 間#1
乃しな い。
㊥
接 樟す る年 は 除-)
この上クに ナ ガ コンプは漁美 で一一
年生 コ/
ブを 取クすぎ たた め に女 源 が狭少 するとす う
(
二年 生) は、 前年 の 一年
翌年 の採 取 コンプ
ことはほとん ど 考えられ ま せん 。そ の理 由は
生 コ ンプ (
水 コン.
フ) を保 狂す る こと に 上 っ
て維持 させるも ので あ り、 また 、 一年生 コン
プ の発 生 のも と に な る胞 子は、 ほとん ど前年
204.930
糊
l
∼ 十 五 七 /チと 伝-な っ
を のK A教生 托十 三
て いるた めです 。また 3図と 6回 の肥大 鑑を
み ると 釧路藍 が 八〇 か ら 二 〇 ・
・
、- ク ラ ムに
対 し、 見放 産は 七〇 ∼ 九〇 ・
・
、
リ ク ラ ムで'釧
路 産 が やや 突入クがJ
・
l-な って Sま す 。
この ように同じ 種 類 の コンプ でも 東 はピ コ
/ブは 大きくな っ て いる よ うです 。
EZ. 資 源 を 左 右 す る も の は
ナガ n /プ の研究は 昭和 三十 六年 から 別 掲
産 を 対象 にはじ まク、 四十 六年 に終 了す る 予
は 天 釈 漁場 f
・
J
の秋 に 生書 し てSた f年 生 コ/ブから 出る こ
。研 究 の内容
l人前 Q二年生 コンプに なるま での生活 の研
と が明 ら かに な った た め です 。
定 で行 って Sます
察 記 骨 です 。 この研究期間 中に史上 点 大と S
、昭和 三十 六年と 四十 五年 の二
わ れた 放 水 が
ク です 。
釧路東部漁業協同組 合 の場合 は 下表 のと か
漁 業 の漁 凍 比
五 ' 祥 前 コ ン プ 漁 業 と 成 コ ンプ
回 コ ンプ試 裁 地にも接岸 した ので' 流 氷が コ
/ブに あた えた雀害 の仕 組みや、 そ の翌年 に
はなぜ大生魚 になる かなど のメカ ニズ ムを胡
察 する こと がて・
p
J
・
Mした 。 ・
Jの研究 冶兼 か ら
ナ ガ コ /プ のBr
帝を 大き - 左右す る 腹囲を つ
資 瀕d
d謙少さ せる要因
ぎ 忙 あ げ てみ まし 上 ク.
㊥
0 1年 コ /ブを 九月 以降 K大I
H
に採取した
場合 は 翌年 の共済 は 叔少する。
② 流 氷接 岸 で コンプかけず クと られた 年 は
虫 酸 は 威少す る 。
8 4.
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6
′
4 0*
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.)04.090
糊
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コ .
ン
フ
成
ソ
コ
前
韓
場
され ' それ に集 めク の欄干がか か少' 右
長
北米 の旅を 終
々
視察 E
E
lの 一行 は、 そ の後 7 /カ レッジ
青
長
を 表 敬 訪問 したヵ 水 産、 林産へ 石油 等
で市
各種 の重美 に ついて現地 財界関係者 と長 時間
に 亘少 恐扱す る散 会を得 た 。 これは 7ラ スカ
を知る上 で誠に 益す る と ころ
が大き か つた 。
7 /カ レッジで の琴 壷 に' 北海 通主催 の
レ セプ シ ョ ンが 二也 の M氏経 営 にな る ニッ コ
ー ガ ーデ ンで' 知名 人 多 数 を頼持し 盛大 に鞘
遺
かれ.
た 。店内 は細 目 不良 で中央 には 池 や川 が
榛
あって' 白 人 の家族 連 れ が スキ焼き や、 天ぷ
側 に は骨裁 き のし 上 うL やな日 本間 が 哉 つも
ら に箸をは こび、 心行- ま で目茶の芳田 気を
楽しん で いるように 見 うけ られた 。
さ て、 青 々の レセブ シ r
nンは和洋 せ つち う
福
え
原
て国
ス コッチゥイ スキーや 日 M・
酒へ ビー ルのか
は 山瀬 の珍 味 が色
と 少と 少 に、杖 に 生 か になら べられ、 特に 巨
もし出す 弄歯 気は 城に などや か で、また 度鵜
でへ 長 大 な テーブ ルの上 に
ハガ L
t
) や 、 シュリ
大を キング クラブ (タラ.
もすわ タ ブ E
)- タ ンイ ンク- ツシ ユで弟 かん
Iヶ月程 机に、 アラ スカ鮫 海を侵 ぽん し た か
に日米交 換 をやったも の である。 そ の中 で、
ンプ (エビ) を材料 に した多彩 な料 理は、 さ
r1
す が 7ラ スカだと 吾々のE
E
Dと、 その昔を 照た
ん させ たも のである 。
と で教判に かけ られ た 日 本延縄漁船 の頼凄 士
を動 めたと首 う 書年 紳 士と 知力 合 いに な クへ
そ の日 本ぴ ぃさ に 意を 穿く した も のである 。
彼は近 く 日 N・
を訪問 し、 更に 理解を 溌 めた い
Sた 。
好
様 の莫 し いゆ か たに 小 豆 色 の帯
-・
・
そ れ が 双方 の画 の利 益でも あ ると 話し て
白 地に 花
を 小 意 気に し めた 政 人 の暮 S 日 不女 性 が 、 英
語と 日 本籍をた- み忙 交 え 乍 ら サ ー ビ スに こ
れ勉 め て Sた 。 7 ラ スカに 来 て .r・
メ 恥 もな S
ニ ッコー ガーデ ンにおけ る北海 道主催 レセプシ ョン
(アンカ レッ ジにて )
- 】2 -
F
p
T
汗
苧
る呈
<は か なt
A,
彼 女 毒・
Cま た 祖 国 を背 景 に 帝 ク 高く働く日 本
思 った も の であ
そ の夕刻 ' 青 々は休 む 鳴 も を- ア ラ スカ洲
知 事 招 待 の レセプ シ ョ ンに 出席 した 。 場 所 は
ノ ユノーを -望 忙 出 来る小 高 S丘 に あ る 知事
公給 で' 雨に 頼 れ た芝 生 のホ S線 が' 古 見 な
建物 のた たず ま Sと 良 - 調 和 し て、 奴 に 印象
的 で あ った 。
レ セプ シ ョンに は 洲改 解 の要 人 や、 経 済 界
等 Q 代 表が 未練伺 伴 で 出席 し、 吾 々 一行 を 心
る と、 知 * 公
鹿 の大 広間 は忽 ち 訣笑 のる つぼ
か ら も てなし て呉 れ た 。 ス nツ チ の杯 を 懐 け
と な 少 ' ス ムー スに 弊 牧 が進 捗 し て行 く 。 す
を 多 様 に 変 え て ' 時 間 の経 過を 忘 れ さ せ て
は 海と山と ' 河川 ' 氷 河 がそ の形 状 と 、 色彩
帝政 ロンヤ調 を 見 本 に 表 現 し' ア メリ カに 来
前 の よ うに そ のた たず ま いと 、 内 部 の装飾 は
青 々 の宿 舎 は パラ ノ フ ホテ ルと 育 っ て' 名
ケ ・マ ス事 情 を 視 察 す る た め乗 糾 さ れ 、 別 格
加 の漁 集 金 法 で来 日され' そ の 時 北 海道 の サ
平 が笑 顔 で待 っ て Sた 。 州民は 三年 前 に 日米
う の で 人汲 み を 分け て行 っ てみ る と )氏.U 天
(ジユ ノーにて )
人 の T人 でも ある と し みじ み
る 。 私 は、 ア ラ スカ長 大 の初 市 ア /カ レ ッ.
シ
に あ っ てし ば し そ れ を 忘 れ、 日 本に Sる様な
錯 覚 に と らわ れ た も の であ る 。
北砂 通主 催 の レ セプ シ ョ ンは 非 常 を成 功 で、
招 待 者 は 沸 足 気に故 実 を た た え' 固 S握 手 を
交 し乍 ら 甥 つ てSつた 。 ア ンカ レ ッ.
ゾの 夜は
' ニッ コーガーデ ンの ネ オ ンが
冷 気に 沸 ち て
そ こに 駿 た か- ItS てSた。
7ラ スカ の族 は 抜 け ら れ て行 - 、 丁 /カ レ
ッ'
/空港 は 午 後 の日 射 L を 浴び' 各 国 の.
シエ
ッ ト旅 客 駿 が逆 光 に # き ' あ-ま で も 恋ん だ
k 空 の 下 に は ' 海岸 山 根 が間近 かに そ びえ て
Sた 。
ウ エス タ
青 々は、 三 時間 と 少 々で、 ヅ ユノー 空港に
ン航 空 六
〇 五便 ジ ェット殻 の 人と
の l三時 三〇 分 頃 で参 る 。 陣 夕 立 つた 。 J
Jこ南 東 アラ スカ比 両生 の多い
こ
と でも 有 名 で、 こ Q 日 .
シユノー は小 雨 がば
九月 九日
ら つき 、 空港 の近 - 忙 ある有名 な メ ンテ ンホ
呉 れ る 。 特 に こ の地方 は リ ア ス式 の 海岸 で'
る と、 間 も な く 私を 妓 し て Sる < が Sると す
そ の変 化 は三陸 沿 岸 の比 で はな く' 入 江 の変
水 式 に 立ち 寄 った も の で' 私は 勾長 垂 で 以氏
わったも の であ る .
気 を いさ t
t
.
か味
て往 時 に かけ る ロ シャ の穿開]
ー ル大 氷 河 も 雨 零に屈ん で いた 。
パ ラ ノ フホ テ ル
'
(ん 万化す る 様 は 城 に絶 景 であ る 。
.
ゾ ユノー で あ る 。 内 陸 地方 と 連 S、 そ の下 に
スカ沿 樺 を 飛 ん で行 く 。 そ の目的 地 は洲 都 の
鞍 は み るみ る 高 度を 上 げ 、 方位を 南 東 に 7 ラ
な った の は
南 東7 ラスカ の沿 岸
う な感 じ で 、
7 ラ スカ の水 産 に つ S て 色 々と
月 後に 追 った 日 米 加 漁 業 会 話 で 訪 日す る こと
に なっ て かク ' そ れ を 非 常 に 楽 し み に し て お
ら れ た 。私は M氏と 再 会 し' 百 人力を 得 た エ
丁の什 格 を偲 ば せ る も の が 秘 められ て S る 。
を町 で も あ り ' そ の 放る と こ ろ に j
l
l時 の ロ /
の首 都 で、 t七 九 九年 に 槌 設 さ れ た 古 色 盤 か
カ.
ハルブ の進 出 に 上 っ て' そ の人 口は 倍 以 上
に 過 ぎ な か った が 、 日 本 の 経 営 に
なる アラ ス
こ の町 は 、 少 し 前 ま で < 口 三五〇 〇 人 余 り
ント カは 、 7 ラ ス カ が ロン 7領 で あ った 頃
落ち 入 った と 苫 つ ても 言 い過 ぎ で は な い .
歓 談 し た も ので あ る 。
大きな し・
M模 様 も 鮮 や か な ネク タ イを 瀬に
し た M知 都 の ゼ スチ ュア- た つ ぷ 少 な 挨 拶の
後 、 那 須 団 長 から そ れ に 対 す る 挨拶 と 、 北 海
鹿 か 三〇 分 足 ら ず の 空 の族 で あ った が ' 眼 下
-J
4-
( ン ハン
道 の お 土 産 が 手 狂 た さ れ 、 二時 間 近 - の レ セ に ふ く ら み 、 現在 は 南 東 ア ラ スカ (.
ド ル地区 と も 嘗 う) に かけ る 林 集 、 水 産 並 ひ
こ 夫妻 と サ ケ ・ マ スそ の 他、 色 々な 漁 菜に つ
に は 無数 の 島 と 入 江 が' 松 と 水 の明 彩 を あ
臨む 海 辺 の 風 景 は 杖に 兼 し -、松 の 古 木 を 沸
受諾 よ ウシ トカ苦土 を 望む こント;
J.
=て )
nン仕 奴 に 在 と や か に ' そ し て 有 意 議 に
ブ ンE
縫 った も の であ る .
.
ハ1
7ノ フ ホ テ ル に 帰 る 車 の忠 か ら ア ラ スカ
の 西 空 が 明 る- 、明 日 の晴 天 が 予 想 さ れ た 。
ノ ユノー の朝 は 、 零 一つを - 冊 れ わ た っ て
Sた 。 昏 々 二 時 ア ラ スカ航 空 の ノ エ ツ -機
い て長 時 間 歓 談 し た も の で あ る . そ の ぎ 一
人
や な し て、 大 自 然 の箱 庭 の ⊥う な 景 観 を 展 開
で ノ ユノー を 発 ち シ ト カに 向 つた 。 そ れ は 、
離れ
し て Sる 。 う つそ う と し た 松 の巨 木 が 複 雑 な
が ' 今 匿 は 釧 路 か ら約 六、 0 0 0 キ ロも
た ア ラ スカ ノ ユノー の ' それも知都 会 飴 で私
海 岸 細 を 何 処 ま でも 埋 め つ- し 、 鏡 の よ う を
の ぅか つさ を 悔 や ん だ
した 無 数 の 小 島 の間 か b /- カ富 士 が 望 見 さ
シーカの藁 に海浜に 面 し て か少 、 こ こ か ら
ス力 泳 菜 の権 威 で' 近 年 コ・
、
、ツ シ ヨ ナI に な
れ 、 松 島 に あ っ て古 土を 見 て Sる 様 な 錯 覚 に
M 氏 に つ い て は す つか J
C
1
、 失 念 し て かタ 、 そ
も の だ と 、そ の 時 し みじ r
+感 じ た も の で あ る
ら れ t M知 事 のI
Oと で 活 用 さ れ て おり' 一ケ
l
次 第 であ る 。彼は 7ラ
水 面 に そ の影 を 静 か に 落 し て いた 。
を 迎 え て 呉 れ た ので あ る 。 世 界 と は 全- 狭 い
7 ラスカ州 云
E
)
串 レセ ブシ = ン
(ジ ユノー にて )
「
?L
KJ
F光 の メッカと し て有名 であ る 。
市長に 対す る 表 敬 訪問を&'
えた 青 々は' 直
ちに 特別 .
ハスに乗 か水 産施設を見 芋 した 。そ
れ等 の施設 のほとん ど は、海 浜に 突き 出 さ れ
た積 館 の上 に 魚 の処 理葛を持 つ冷 hE庫 や、 缶
桔工場 で、そ の設 備 は A世辞にも新 式と は 嘗
えす、 釧路 で最 新 式 のそ れ等を 見倣 れ て Sる
輩 者 に は' 古 めか し Sも のに 思 えた 。 こ の地
モン
(マス
方 は既に サケ ・マスの盛漁籾 を藤ク 、 広 い魚
処理場の 1刑 に 巨大 な キ ングサー
ノ スケ) が駐かに 耕片を 洋やかせ て Sた 。ま
た へ 別 の 部屋 では筋 子、 イクラの穀 達や、 ハ
- パ ット (オ ヒ r
T
.ウ) の冷凍 フィ レIが沢 山
か 遺さ れ て おり' 日本 や米本国 へおびた だ し
あ った 。
れ て Sると のこと で
アラ スカ.
ハルプは と乗 知 の上うに ' 不社 が
く dE
t移 出 さ
青 々 丁行 の.
(スは 反 転し て' 海岸 道路 を臭
東 京 に ある8(N・
金 一五〇 甘 円 の'れ っき とし
が
え臭 えと 突 っ走 った 。 入江 巨大 を 森林 を 外
た 日本の会社 で ある 。し かし、 これ は あ- i
でも持 ち株 会社 に 過ぎず 、 lO
O多 目 不出史
し て何 処 ま でも続 いて Sる 。そ の岸 は 急珠 で
l O 米も あ ると 言 う 。大 言に、 氷 河 でえ ぐ
O
丁 ラ スカ.
ハルブ忙 上 っ
ー カにかけ る 対日 息情 は康 め て良 好 で、 これ
が漁業朗 係にも良 S形 轡を 与え て いる 。 そ の
卑 近 を例は、 8 本漁船 団 が 南東 アラ スカ近 海
で 操業 を Lt 急病 人等 の出 た均 合 は、 シー カ
の 病院 で親切 を手 当を 受 け て かク' 帝 に 米人
の奥 さん に な っ てSる 日 本
女性のⅩ夫人 が、
そ の都 度献身的 を 看 護に 当 られ て Sる 。 シト
カ空港 で昔 々は同 夫 人と しばし態 鼓 する機 会
を 裾、 弗 <漁 夫に 対す る心 患た ま る親 切に 深
く 扉を 下 げ たもので ある 。
そ の 日 の夕方 ' アラ スカ.
ハルプ の主催に な
る レセブ シ r
nンが、 郊 外 の小高 S丘 にある展
q台 で、 現 地 の要 <を 混じ え て開 かれた 。た
しは水 産、 林美 と つき る こと がな い。 シー カ
の人達 は素朴 で' 課に 親切 であ る 。
展 望台 の暮手 は'急峻 を 山に な ってAカ、
それ が巨大 な 松 Q森林 を放 して、 果 てしなく
筏Sて Sる 。また' 前 面 は何 処 ま でも 開 放 さ
れて水 平韻 に 連な か' 眼 下に は無 数 の小島 や、
ん で見 入 ったも のである 。
(
続 -)
あやなす 大 自然 の神 秘的 な 美 し きに、 息 を の
私 は、 アラ スカに来 てそ の栃淳頓 と 、 梅 の
れを鮮 やかに 浮き 彰 ク し て Sる 。
少漁 船 が仇 跡 を 画 S て' アラ スカの 夕常 が そ
の米国 法 人 で'工場 の全従 業且四 七〇 人 の中 、 入江が乗 しく ' その中を サケ ・マスの曳 縄釣
工 場長 以下 のほとん ど は 米国 人に 上って占 め
人葦はL
東 京に ある 不杜.
か ら の指令 を 伝 毒す る
少取られ た のであ ろう 。今は、 汁 列 な水 を 丑
か忙 湛 え て、 永 久 に魚 族 を はぐ-ん で Sる よ
うに み えた 。
青 々は、 急に 大き な カーブを曲 った 。す る
管 理本 務にたす さわ ユて Sるだけ で ある。
の
て美大を 利益を 享受 し て A♪' それ だけに シ
l本人
・>ト.
<は 、 E
ら れ' 日 本人紘 底 か十名 足 らずで、 これ 等 の
と 、 眼前 に 巨 大を 工場 が行 -手 をさ えぎ って
Sる のに、 l眼 目を 見 張 った。 丁ラ スカ.
ハル
ブ の シト カ工場で あ る 。
t
`シ トカに て '
洲
7 ラスカ"'
ル プ -シ トカエ 恥
ヤ
2沖 合漁 業 資 源 及 び 漁 場 詣 査 研 究
川 サケ ・マス漁場調 査
北 洋 サ ケ ・マス資 源調査 の 一環と し て、
を調
種 ・系統群 とと にそ れ ぞ れ の変 動特性
'
を継続し て明査す る 。粥査括兼 は、 速 報 で
北 海 遠来 シ ロず ケ の沖 合に Aけ る 分布 回 遊
査 し て漁 況 予測摘 度 の向上 を 計 る 。また、
と共
に
米加漁 兼 香見合 へ対策 資料とし て連 出す る 。
操 q(の合 理化に 役 立 てると 共に、 日 ソ ・日
合
確
箆す
る に 所 漁 場 の開 発 や 投 薬 の合 理
化
な
ど総 的 漁 業 経 営 の 貫 定を 計 っ て S
く
0
ニ類賞 源訴 壬
3:
カ
昭 和 四十 六年 度
事 業 のあ らまし
◎漁業資 源部
1 沿岸 漁 業資 源お よび 漁 場 調 査 研 究
シ シャ モ、 .
ハバガ レイ、 ヌ・
T
・メガク、
3
=沿岸 漁集 梁瀬訊 暮 並び に漁集抜 営 拭裁
全国的 毛虫鼓 のもと で' 受源動 向 を 杷般
榊 サ ン マ漁? 粥 壬
するた め の諸訴 重を 実施す る が、 漁 胡 前 の
漁 獲丑 限 定方 式がと られ て Sる ケガ 二を
主対象に、 そ の漁朋 前 調査、 椎仔朗 の粥 圭
北上 棄何 群 の乗 逝状 態 から南下 棄餌 群 の漁
る
が、 特 に /ンヤ モを 重点に、 そ の幼稚魚期
た、 釧路東 部 海域に かSては' 試 験操 集を
を充 実し て漁 況予測付 鹿 の向 上 を 計 る 。ま
ナ ギタ コを 対生 と して女 帝動向を 調査す
の鞘 糞 を 充 実し て漁 況予 測和 欝 の向上 を計
況 が大ま かに予 測 でき る 上クにな った ので、
l
J
漁 況 予測
両者 の関 連性 の究明に 重点をかd
堆積し てそ の合 理的な 利用を 計少 へ根 茎水
ハチガ レイの産 集的 分布 を確認し た浜中海
対兼 のた め
域 では、 適切 を軽 源管 理と E
Dソ
捕 度 の向 上 を計 る 。
る 。またへ前年 肝 の訴 糞 で マガ レ イ' ノウ
域 で、 刺し網に ユタそ の企業化を 計る.
の4(
料を 収集 す る。
榊 底 魚.gE
井粥査
で漁況 予測が 田舟鼓 現状に ある ので、 ま づ
前 に かけ る移動 ・国連 を 正点的忙 調 査す る。
群 か上 び オ ホー ツク 港 の群 と の脱 連 を 粥 査
道東水 域に 北上 来 並す る群 の戸燕 が不 明
厚津 ニシ ンを 主対象に 各発 生年赦 群 の教
細 スル メイ カ漁等 調査
士 動向 を 調 査 す るが、漁況は 所 添 加群 の来
この水 攻 の沿 岸、 沖 合を北上 す る群と 南下
㈱ ニシン的 査
ケ ークタ ラ、 .
ハバガ レイ、 ノウ ハチガレイ
並状 態 に 上 って左右され る ので' そ の汲籾
沿岸 た 源調 査 と 密接 な連け Sの ・
CとK ス
ケー ク タ一
7忙屯 点 を かき、 現在漁 場とな っ
等 の重要女 帝 の動向を加 重する が、帝 に ス
て Sる エトロ7沖、 ラク ス沖' 別 掲沖、 広
し
て い- 。
この系 点群の変 動特 性を 解 明し つつ、
H
また、 北水 研と 共同 で、 北 洋 ニシ ンの政 l
同時 に 北方 な らび に沖 合 漁場 の開 先を 計 っ
て
尾 沖 の群 の朋達 也 を 究 明す る。
動向を鵠 査す る 。
㈱ エビ 漁場調査
釧 路 ・十勝支 庁 管 内沖 合にかS て、 エ ビ
諸調 査 を
類女 源 の適切な 管 理を 計 るため の
叫 マサ.
ハ漁 場調 査
●
道東水 城 に 北上 ・南 下来 遊す る 索餌辞 の
動向 を房総へ 伊 豆沖 合 の産卵群 と の関連 に
◎増 殖 部
1水 族 増 殖 試 験 研 究
年 度 で 1応 三年 計 画を終 了 の予 定 です 。
昨年 に 引 き続 Sて水 稚内 で ケガ この母 カ
㈲ カ ニ類 兼 殖 何科 期 先 試 験
ニか らふ化 し た幼 生 と ' 天然採 取幼 生 を 使
の基礎を 確 立す るた めに、 登 光砂 に上 る底
連を粥 重し'合 せ てそ の人工的確 保 のた め
ホ ツキガイ の稚 月 の出 現 と耳鏡寺田 の朋
ハガ 二の兼雁試 族 に つS ても 別 項 の上
タラ.
かに ホツカ イ エ.1
Jや水 産庁 が根 室 で行 な う
た飼 料 に つ いても 開 発 を進 め ます 。 こ のほ
つSて' さら に拝 し S研 究を進 めま す 。ま
っ て、 稚 ガ 二ま で育 てる た め の飼 育 条 件 に
文 の移動へ 土俵港姓 に上る稚 魚 Q集 まク な
クに進 めます 。
M 貝類 の増 殖 に関 ナ r
O拭負
ど を主体に した 拭 験を 野 付 ・# 多布など で
の資 源 の変動 特性 の解明に つと め' 漁 況 予
か いて桐 査 Lt近 年 の小型化 の原 因などこ
全 国 計 画に もと づ いて' 道東 の沖合 ・沿
利和 度 の向 上 を計 って S- 。
岸漁 薬に 関す る 海況と漁 況を 定期 的 に的 重
行 な いiす 。合 せ て名 管内 の漁S 粥圭 な ど
3漁 海 況 予 報 調 査
し、 その推 移 ・予報を 速報 し て漁 業経営 の
漁協と魅 力し て実施 します 。
釧路 市 押大 型魚礁 に つ
S
S
3大 型魚 礁 効 果 調 査
安 定に役 立 てる 。特に、 前年 度ユ タ田始 し
辺 の底 生 生物 調査 を行 な
何 科 と の朗 連 を
て漁 獲 試 験 と周
釧 路に おける 三十 六年以 来 の ナガ コンプ
明ら かにす る 予 定 です 。
的 糞を行 な う予 定です 。
管 内 各海域 の汚染 防止 を中 心に し て随 時
4公 害 防 止 対 策 認 査
粥 王を今年 度 の粥 糞 で終 了 する 予定です 。
た 海況 の 77 ツク ス放送を '内容を さ らに 吻 コンプ の養殖 に関 す る拭襲
充 果 し て鮮続し、 そ の成果 の向上 を 計 る.
・頼 垂管内 ナガ コソフ地帯 各地 の実情 に つ
4水 産 機 械 開 発 拭 験
前 年 度ユタ 鮮 援 し て' サ ン マ拝 受 網 漁 兼
Sて' 不 足し て Sる汎 堵調 査、 生 物調査 を
そ のた めに今年 鹿は増 殖技 術 に朗す る釧 路
の凍 集 の近代化を 主題 と し て突崩 す る 。且
行
キガ イ漁 場訳 糞を 北水 研、 中央 水 許 と 共 同
昨年 に 引き 抜 Sて野 付を 中 心と す る ホ ツ
L
D委 託 革 業 関 係
越冬凍t
E
E管 理技 術に つ Sてさ らに基 幹的
で実施 し ます 。今年 も重 光砂 、 土俵 春 雄 に
2漁 業 開 発 姦 興 調 査
な って■経た絵 を 出す 紫科と し ・Mす 。
体 的 には' サ ケ ・ マス托網 漁集 の乗 組負数
で 能率 的 な操 業 が でき る エう在来 漁 法を 改
良 し て操 業 の鞍 械化 を 計 る 。
研 究と共に、 二年 日華成 コ ン.
フの軍人ク促
州相 室 湾海 蛾 栽培 漁業 訴 王
進と 末枯 れ防止 に 上 る品 質向上、抹移植の適
上る砂 の移載稚 魚 の確 保 を t
S
L
に 拡 大 し て行
M蛋白 r
Tンプ 書籍拭 襲
期を妄 血
丁心にした技術の改良を折ります勺 今
な クほ か、確保稚 月 の漢耗防 止などに つS
ても 試食する 予定 です 。 こ のほか尾岱 沼 の
(
この
調査 は 通辞発句 が野 付魚 島に委 託 し ' 調査
エビ漁場 の調査 をど も 実施します 。
は 三珠 験散開 て分適 実施 する も のです)
㈱ カ ニ類兼 t
t技 術湘 発 企業 化拭崇
水 産 庁 が行な う カ L
I類暮 殖技 術 の 試 崇に
つ い て並が委託 を受 け、 別掲水 謀 が 実施す
るも ので、北水 研' 北大厚岸塩 梅 実兼帯'
改 革 漁協 の四着 の払 同 研究に な クま す 。す
こ
忙 色 々と 問題 が多 いの で被乾物 の特性に 対
応した乾 洗方法 を確 立す る ことに 自席を荘
Sて次 の試 験 を進め ます 。
川 乾 燥特 性 に関 ナ る試襲
対象魚 の種 類へ 形 態 に上 ってそれぞ れ
ま
エ ソン、 コ マイに つ いて拭験を 行 S す 。
と をクます 。昨年 の ニシ ンに 引続 いて、 油
O拭裁
扮 乾 煉段 階別托 変化 に朋ナ r
乾殊 遇在 中 の蒸 発速 度iJ
肉質 の関係を 明
らかにし て行 - 。
の組 立 に的 ナ pO鉄拳
物 漁獲物 の加 工技術扶襲
生 ウ ニの鮮 度保 持、 エゾ ワ スレ且 の利 用
化、 ホタテガ イ、 ノ- の処 理 工程 の検討 な
ど を行 な Sます 。
3 ス ケ L.
ウ タ ラ薪 需要 期 発 試 験
スケト ウ タラの茶 事 を指 先す るた めに 原
料 の確保 の方法 (
冷凍) と これを つかった
フィ ッシ ュブ ロック (
混合 型) の如 遺基
時 の晶 質 の隣 保 を試 親し ます 。
汲 和様 や' ら いホ 牧、 サイ レ ントカ ッター
物と 食感 や保水性 の関係 や製 造 工程 の中 で
準を設 定す る 必要がある の で添 加物、 配合
川 、榊 の知見 を 基に 乾漁 の合 理的 方法 を
綿 毛 煉工程
曲 立 てt A
I
lい製 品 を樽る 目途と 致し ます 。
でに四月以来棟 垂 のb
S験 壷で タラ.
ハガ この
ふ化角 育 3
&験 が行 なわ れ て Sます が、 当旬
など の物 理的 砺 げ幸 が' 冷凍 中 の内 実 にど
ん な形 事を 与え る か を就 農し て製 法 の確 立
を 計J
E
i す 。 こ の外に 色 々の タイプ の# 晶
がある 訳 です
が道東地攻 の特性 か らみ て手
するた め 地域 の草 屋 の弥 S次 の拭 験を行 な
用 の妊 大を 計 る妖験を 行 な います 。
加 工拭 族と ブ ロック の魚種 配合の効 果 と 利
せん ので今 年 は 積出向 (
フィ レー) 製 品 の
工業的 生産 Qも のは 生産 に仲 々結 び つき ・
M
て冷凍 食品、 調 味製 品 (包装出 品) など を
魚柏向 に 姻され る 小型 の サ.
ハを 主体 と し
㈹ 小 サバ加 工品に関す る加 工拭哉
います 。
漁村、 中 小加 工業者 の処 理加 工技術に 責
2加 工 技 術 指 諌 及 び 試 験
の分 担は、 大l
H飼 育 の前凄 と な る管 理条件
に つ いて、 ケガ こと 同 様 に 実裁量 内 で究明
加 工 部
理に あた ク ます 。
い ても 随 時北水 研、 壌 皇漁協と 共 同して管
す る こと です 。また根 茎に かけ る飼 育に つ
◎
1水 産 物 の加 工 に 関 す る基 礎 的 拭
漁 獲物 を乾姓 す ると 云う
A
Jと は 乾製 品、
冷凍 と 共に水産
ので' 食 品別 の処 理工程 Q中 で脱牌手 法に
ます 。加H 晶と し ては油 が間瑠と なク ます
成熟 度、 凍 た 魚卵 など 都 賀 の時期 的 変化 過
スケ ノ魚卵i
7
i
晶 の品 実 の安定を 計 るた め
4水 産 加 工食 品 添 加 物 開 発 試 験
半 乾 点 や粥味加 工品 など '
つ い て検討 し、 あわ せ て時柄 別 Q l般 成分
程に 対応す る 各種 色素 の着色 効果 と 保管 中
妖作 し有 事 Q開発 を 計 る加工拭 験を行 を S
物 の重要 を処 理方 法 であ る 。と-K遍東 地
調 査を行 いへ 速報 など で御知 ら せし ます 。
阜研究
区 に お いては高 温多 湿肋 に おけ る紗 械乾 泳
l
の品 耳 の鞘 係に つ Sて残飯を行 な います 。
水 産 加工葛 か ら の排水は 色々 の制約 をう
びに退戦 が発令 されま した 。新 < の今故 の括
このたび 次 のェうに 研究職 鼻 の新採 用な ら
nJ
け る 現況に かん がみt J
Jの排水 の内 容に つ
蝕に朗 待す ると共 に' 惜 し ま れ て去 った中村
職 員 異 動
Sて実態加 重 を行 な Sます 。今年 は 主と し
漁業科長 のど 姫関を 心 から祈 クま す 。
L
D水 産 加 工 排 水 の 蛮 白 回 収 読 唇
て釧鳥市内 の缶詰、 冷 凍ナ ウ身 の前 処 理 工
な かこれ に よる 七月 -日現在 の釧 掩水試聴
木<j
I2
兵 は別 表 のと かカ総見四 十 三名 です 。
新採 用 (4・1 ・-付)
の蛋白含有 土 や油 ' 30か、 cO Dや固垂
租 に 主体を かSて スケ ノ ・サバ魚 件処 理水
輸 '全皇 窯そ の他 を 分析 し て' そ の揺兼 を
研 究我見 (
増 丹 前)
北大水 産学 部増 稚
もと に排水 中 の蛋 白を 匝収す る l次 処 理を
美 顔的 プ ラ ソーを 血 立 てて回収 実 験 を行 な
食 品 学科 43年 率
北 大 水 産 学 部水 産
佐 々木政 則
学 科 45年卒
研究#且 (
加 工部)
S.
Mす 。 二次 処 理や連続的 処理へ 沖 の分離
操作 など は次 の段 階 で熊村 します が、 これ
程 の検討 も新 たに 研究を 続け て、 企業 の合
書森 県 水産 物加 工
を併 行 し て現在 の水産 加工 の生産 、 処 理工
理化、 近 代化に役 立た し めた いと 考 え て A
倍
海 洋水 産柴 港開 発
中村
研究所
書 (4 ・6 ・30付)
少・
Mす 。
退
漁業 科長
セ ンター開 発調査
第 二抹 長 に転 出
◇
t
P
前 コンプ漁菜につSて」畏 してもらSfJ
L▲
十勺佐 々木海藻科長に「
持
も大きくふくらんでSfL
昨年 の放 水嬢等KL
tる 大 成産 が こた えた だ け
に、昆 布漁 家 の皆さん にと つて は、 この上 な
S福音 となり ・
Mした 。夏昆 布漁 に かけ る期 待
駅頭 への見 送少 は 耕掩水 拭は じ ま っ て以来 の
の関係 で今後 も 釧 路に 出張 す る こと も ある の
発展 のた めに 活 躍され る こと でし ょう 。仕 事
去る 六月 七日' 野 付漁 協 ホ ンキ部会 の会
れ あわ せ て施行 法、施 行 規則 ・
x
F㍑ 定 t
t
J
れまし
◇
約 l時間 半にわ た ク' 恐故 と見栄 応 答を し ま
水扶 榊は 釧 掩市漁 s
a大 会 法皇 を借 用 し て迎 え、
長約 六〇 名 が 研i
L旅 行 の途 中、 大串 し て来 場
◇
Mすと 、去 る 七月 五日 元 気に 出 発 され ま した 。
ナガ コンプ地帯 の豊漁 の声と う らは ら に、 ・
で、 皆 さん と h会 いす る のを粂 しみ に し て S
ター では国 際的視 野に 立 ってわ が国水 産業 の
かれま す 。新 し い戦 場 海洋水産 資 源 E
E発 セ ン
事 に 上る 道政 が衆 生し ま した。水産 行政 にも
羅臼 nンブ、 特 に 知床 先端に近 S好漁 場 での
多人故と は'某 さん の感 想 。折 と J
E鵬
艮 Gt
当然 新 し S動き が出 てく る こと でし 上 つが、
不作 が伝え られてSます 。領南 の犬昆布 に 匹
寄
私 たら が忘 れ てなら を Sことは' 栃 の中 の生
◇
陸上 の人 の動き に は
四 月十 I日 の知事改 選に上って皇 垣内 知
き 物 たら は、 この上 クを
何 の関 係も なく 生活 し て Sると Sう ことです 。 敵す るも のだ けに、 そ の夙因を 急 いで調査す
る こと に なht
ま した 。
究に 上 って海と そ の中 で生活するも のた ち の
います 。そ れ に つけ ても わ が水 試 会誌蔓 は
した 。漁 業者 の研件 旅行 は 年 々盛 ん に な っ て
もを S のが身 分相 応 と の声 あわt
。
六月 二十 四 日、 水 屑汚濁防 止 法が施行 さ
動き を 正 し- 知る こと です 。私たら は 道政 の
た 。 各棟 工 場' 事 業 場 の排水 に は従来 ユタ I
十 五名 ぐ ら Sで満 員 御礼 の札 止 め 。漁 民 の垂、
はま す科学的 な調 査研
中 に明 る- 希望に 満ち た水 産 対兼 が た てられ
ですが、 現 実 の防止 対熊 に な ると また か寒 い
届さ び し い規制 が設 け られたこと はもちろん
昼 不室 の携 怨 も ある が、 反 面今 の水 3
iな ら何
水 産 業 の発展 の基礎
る上 うに 調査 研究にと 少-み 施策 に 役 立 てた
状 態 です 。水 産 加工 場 の排水 か ら生白 を 自主
回収するためのブラン1実験が新たに開始されますO
二
Sと 思Sます 。
◇
北洋 サケ・
マス漁 は圭汲 年と発 表 さ れ て S
まし た が 、出漁 以来 、終始 漁錘は好 調 でさ び
◇
今年 は奄 向を か え て音 別 の名 物 ふ・
d
J
採 ク 。敬
花
五月 三〇 日' 境 内 レク リエー ゾヨ /あ・e
l
。
し S規制 の中に あ って各市鴇は毎 日 活況を皇
れ に つけ ても今春 は Sた ま し い海舟事 故 が連
に閉 まれ'河鼠 で の豚汁 に 沸較 ' も ち ろん 重
具家族 約六〇 人 の垂 加 が 参 って新 株 と 野 の
◇
し ま した 。沿岸もま た好 漁 で これ か ら の秋 サ
生 々し Spr
u憶 です 。亡- な った皆 さんQ異相
接Lt 多く の人命 を 失 った ことは あ ま少 にも
人命 書 束、 梅搬 防 止は今 や至上命 令 .そ
ケ の定正 に も期 待 がもた れ て 甘ク ます 。
を祈 少t l屑 安全操 集に 徹 しま し ょ う。
良 S 1日でした。
いふき もと っさク 。.
Mすt
f什天に め ぐまれた
◇
サバ漁 解禁 。小 型 群 が多くな ったと 甘 ク
業 界 の声 '萩魚tも低 下 のきざし 多少と 甘 う
◇
◇
見 方 の中に あ って、 今 bdの逼東沖 の漁 獲 は 注
は道東水産 美界 に と っ て蛇に大き な シ ョック
サケ マス研究 の韮鎌 中村漁業科 長 の逓戦
日 の的 でし ・
]ク。村上 研 究負に 「マす.
ハ資源
々を 無鼓 をく 送 り まし ょ う。仕 事に ' レク リ
エー シ ョ ンに .
・
・
︰
道東 もど う やら 夏 の季 節。 こ の貴 重 を 日
Jもらいfl
した . でした 。あと にな って知 つたと 甘 う 人も多く
を めぐ る最近 の話 題」を解説しt
持前 n /ブ漁 も今年 は近 年に な い上作 でt 釧路 から去 った こと を 惜 しむ声 が しき ク に拘
l
◇
一和 y
釧 持 水 訳だ よ り
事
苫号
昭 和 46年 7月 川 日
耽
釧路 市 浜 町 1
原
先 行 月 日
所
釧路 綜 合 印 刷 株 式 会社
北 海 連 立 釧 路水 産 沃 長 考
所
福
刷
行
gF
集 発行 人
発
印
Fly UP