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品位をもって歩もう

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品位をもって歩もう
品位をもって歩もう
日本基督教団御器所教会牧師 船 水 牧 夫
ローマの信徒への手紙 13章11~14節 更に、あなたがたは今がどんな時であるかを知っています。あなたがたが眠りか
ら覚めるべき時が既に来ています。今や、わたしたちが信仰に入ったころよりも、
救いは近づいているからです。夜は更け、日は近づいた。だから、闇の行いを脱
ぎ捨てて光の武具を身に着けましょう。日中を歩むように、品位をもって歩もう
ではありませんか。酒宴と酩酊、淫乱と好色、争いとねたみを捨て、主イエス・
キリストを身にまといなさい。欲望を満足させようとして、肉に心を用いてはな
りません。
昨年の3.11東日本大震災以降、鴨長明の「方丈記」がよく読まれるように
なった、ということです。未曾有の大震災、大津波を通して、「方丈記」の冒
頭に記された、無限に続く時間の流れの中に浮かぶ「うたかた(泡)」のよう
な一生、それが人生という無常観に、改めて共感を覚える日本人が多くなった
ということでしょう。
しかしキリスト教では、時間を永遠なものとは考えません。初めと終わりが
ある直線的なものと捉えます。この世界は神の創造によって始まり、やがて必
ず終わりが来るという終末信仰に生きているのです。そしてその終末は世界の
破滅、破局ではなく、神による創造の完成、救いの完成としての終末なのです。
「あなたがたが眠りから覚めるべき時がすでに来ています。今や、わたした
ちが信仰に入ったころよりも、救いは近づいているからです」
(11節後半)。こ
れは神が救いを完成されるのが、いつかということを知っていて、その日が近
いということではなくて、自分の救いが神によって完成されるのだ、というこ
とを一層深く自覚しなさい、ということです。「時の過ぎ行くままに身を任せ
て漂う」生き方を捨て、目を覚まして、「救いの完成」という目標に向かって
しっかり生きよ、とパウロはここで勧めているのです。
「夜は更け、日は近づいた」、もうわたしたちは朝の光の中を生き始めてい
るのです。それゆえ、「闇の行いを脱ぎ捨て」(12節)、「日中を歩むように、品
位をもって歩もう」(13節)とパウロは勧めるのです。
そしてそれに続けて「酒宴と酩酊、淫乱と好色、争いとねたみを捨て、主イ
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エス・キリストを身にまといなさい」
(13~14節)。闇の行いの第一の典型が「酒
宴と酩酊」です。これは単に酒の害についての話ではないのです。自己陶酔と
自己喪失への戒めです。わたしたちは偽りの繁栄を楽しみ、物質主義世界に
どっぷり浸かって「酩酊」していないでしょうか。溢れる物と情報の洪水に溺
れて息も絶え絶えとなり、真実の自己を見失い、自己喪失に陥っている、それ
が現代の人間に共通する精神状況だといえるのではないでしょうか。
闇の行いの第二の典型、それが「淫乱と好色」です。それは男と女の最も基
本的な秩序に関わる乱れです。性が商品化され、金儲けの道具と成り果て、又、
倒錯した欲望の奴隷となって神の創造の秩序から逸脱した姿が世界を覆ってお
ります。それが益々深まって来ている時代に今、わたしたち生きているのでは
ないでしょうか。
闇の行いの第三の典型が、「争いとねたみ」です。ここには社会的共同性を
喪失し、自己の利益ばかりを追求しようとする人間の姿が浮き彫りとなってお
ります。
「勝ち組」、「負け組」という格差社会の中で、絶えず他との優劣を比
較しながら思い煩い、消耗し、ストレスに満ちた世界で生きている、それがわ
たしたちの実相ではないでしょうか。格差が広がる中で益々、争いとねたみ、
不安と絶望が深くなっています。
そこでパウロは言うのです。「主イエス・キリストを身にまといなさい。欲
望を満足させようとして、肉に心を用いてはなりません」
(14節)。「主イエス・
キリストを身にまと」う者は、水の流れに浮かぶ「うたかた(泡)」のような
生き方のままで欲望に振り回されて生きる生き方ではなく、目を覚まして、
「救
いの完成」という確かな目標に向かって、昼の光の中で品位をもって歩む生き
方をこそ求められているのです。
パウロは「闇の行いを脱ぎ捨てて光の武具を身に着けましょう」
(12節)、と
述べております。「光の武具」とは、キリストのことです。パウロは他の手紙
でこう記しています。「しかし、わたしたちは昼に属していますから、信仰と
愛を胸当てとして着け、救いの希望を兜としてかぶり、身を慎んでいましょう」
(テサロニケの信徒への手紙一5章8節)。
キリストの武具、すなわち信仰と愛という胸当てを着け、救いの完成という
希望をもって、身を慎んで生きる、それが主イエス・キリストを身にまとった
キリスト者の生き方なのです。共にキリストを身にまとい、品位をもって歩み
たいと思います。
2012年7月9日 朝の礼拝
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