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身延山大学東洋文化研究所仏像制作修復室広報誌『のみおと-工房便り
一 露 “ L ・J = = 4 霊. Lr 一 1 二 J 義. 争 ー ー 早 』 昼 必 昨P 刀 4 陰 稗挨拶 身典山大学学長 この度、身延山大学東洋文化研究所仏 像制作修復室︵工房︶便り﹁のみおと﹂ を発刊させて頂くにあたり、御挨拶申し 上げます。 本学は、身延山第十四世善学院日鏡上 人が開創された﹁善学院﹂を基とし、以 来約四五○年の長きにわたり、僧徒の教 育を担って参りました。その精神は﹁行 学二道﹂という言葉に表れ、これは社会 の一員としての役割を常に己に問いかけ、 責任を果たしてゆくということに他なら ないものと認識しております。 現在では僧侶の教育に加え、福祉や仏 像彫刻・修復活動に於いてもその精神を 受け継いでおります。 竜 二 平成十二年、柳本伊左雄教授を本学に 迎えて以来、幾多の御協力、御尽力を賜 りながら、一歩一歩ではありますが着実 に工房は活動を続けて参りました。特に 平成二十三年は、ラオス世界遺産仏像修 復プロジェクト十周年、東日本大震災慰 霊悲母観音像建立事業への着手等、国内 外において、工房が社会に負う役割と義 務を改めて認識するに至った歳でありま した。 昨今の社会的情勢不安の中、大学は社 会から、より一層公益という役割を与え られており、それは工房の存在意義を問 うことと同義語でありましょう。 この工房便り﹁のみおと﹂を通じて、 より多くの皆様に工房の活動を知って頂 き、旧に倍しての御理解と御協力を賜り ますようお願い申し上げます。 合掌 ラオス世界遼産 仏像修復ブロジェ 十︽︵年目を趣えるプロジェクト 身延山大学東洋文化研究所は、柳本伊左 雄教授や池上要靖教授、工房の学生・研究 生が中心となり、二○○一年よりラオス人 民民主共和国︵以下ラオス国︶ルアンパバ ン県世界文化遺産地域で、仏像修復活動を 行っています。 二○二年二月には、過去十年で修復さ れた仏像全十四点を中心とした修復仏像展 覧会を国立王宮博物館で開催しました。 また、プロジェクト十周年記念式典を執り 行い、横田順子駐ラオス曰本大使ルアンパ バン県副知事、日本からは深沢尊明上人 ︵前日蓮宗静岡県中部宗務所長︶、伊藤桂 通自屋仏教救援センター理事長︶、吉田 永正上人︵身延山大学客員教授︶、ラオス 関係各機関、ルアンパバンの僧侶等総勢 百名を超える皆様に御来賓頂きました。 両国の数多くの方々に﹁十年を超す国 際協力プロジェクトは貴重で重要な存在 ﹂というお言葉を頂き、十年間という言 葉の重みと、これからの我々の活動に対 する期待を感じ、身の引き締まる思いで ありました。 10周年記念テープカット(2011年2月12日) 活動のあゆみ 日本一小さな大学が世界一の プロジェクトを目指す このプロジェクトは、身延山大学が 国澆仏教救援センターから仏像の破損が 著しいとの情報を受け、またご助力を頂 き、二○○一年にラオス情報文化省考遺 産局と協定を結び発足しました。当初、 調査は非常に地味な作業が続きます。 一難無線鰯祷嬉蕊慰騨 一 修復を始めようにも修復設備はおろか、 界で初めてとなる仏像基本台帳を作成し 一体何体の仏像が地域内にあるのかさえました。 ラオス政府も把握していないような状況 からのスタートでした。 世界初の総合渦〃串像調査 プロジェクトは、修復と施設の整備、 仏像の個体数及現状調査を平行して行う 必要がありました。 仏像調査を始めてみると、その個体数 の多さと、破損状況は我々の想像を超え るものでした。 瀝漣1f鵠 「 f l 唾 9 戸 雨風が吹き込む非常に厳しい環境に置かれ、壊れゆく仏像 扇蔭遅に対する考え方の違い 1 1 型 現地に赴き、大きく驚かされたことは 仏像を修復する習慣・思想が無いことで した。仏像をよく観察してみると確かに 修復の痕跡があり、大事に伝え守られて きたことが推測できます。しかしながら 近年における内戦と国家変革の歴史の中 で、修復技術の伝承はなされませんでし た。敬虐な仏教徒であるラオス人の多く は、仏像が壊れてゆくことに﹁悲しみ﹂ 1 蟇 を感じています。 しかし、修復するすべが無い以上﹁自 然なことで仕方が無い﹂と心に折り合い をつける彼らの心に触れる度に、非常に 切ない思いがしました。 - − − − − − 仏像修復は施設整備から技法・材料の 研究調査、材料入手方法等課題が山積み でした。 まさに手 探りの状態 立派な修復所を構えています。 人材育成プロジェクトヘ 修復技術や観念 を伝え、将来的 にラオス人によ る仏像修復の定 着を目指してい ます。一方的に 教えるのではな く、責任感と 参加してもらい、 国立工芸大学 講師陣六名に我 々の修復活動へ 修復を九体完了し、成果を上げてき た我々は、ラオス政府機関からの要請 を受け、二○○九年からは人材育成事 業も行っています。 指導風景(向かって左が柳本教授) 蹴樅蠅帷箔剰 ●齢 道 』 Z 麺 修オス人スタ ッフと共に 試行錯誤を 重ねてきま した。 また、修 後復所は三度 復も移転し、 L』 易 修現在では国 立王宮博物 館敷地内に p i 割 I = 一 一 − 自 主 性 を 促 し 、 両国スタッフが、チーム と し て 共 に活動する柳本教授のこのスタ イルは彼らに修復のプロ意識を持たせ、 ラオス人による仏像修復とい う 文 化 の 再 生が芽生え始めたと感じています。 −8甲℃84 ー ー − ー ー = , ー 一 第12回ラオス世界遺産仏像修復 プロジェクト全スタッフ 東日本大震災慰霊 も母観昏 総会のだめにできる、、と 東日本大震災発生直後から、吉田永 正客員教授は何度も現地へ赴き、ボラ ンティア活動をされています。工房の 柳本教授もその活動に同行し、様々な 痛ましい現状を目の当たりにしてきま した。 ﹁被災者の悲しみはどこに向ければ いいのか。身延山で仏像に携わってい るものとして被災地へ向けて何かでき ることは無いのか﹂という両教授の思 いを身延山・大学その他多くの方々が 共有され、二○一一年六月より大学 の社会貢献として悲母観音像建立事業 は始まりました。 約3メートルの御像を被災地︵ 制作過程∼現羅まで ①デッサン 毒可 現在工房で柳本教授の下、研究生や学 ー 生らが参加し制作されている観音像は、 I 二○一三年三月に岩手県陸前高田へ届け られます。﹁やり場の無い悲しみを、少 しでも多くの方々が悲母観音に託せるよ う、大きなお姿でなくてはならない﹂ と、この寸法となりました。 ②粘土原型制作 = ヨ fー − − ③石實原型制作 ④型紙作成 ⑤材木刻みと組み立て 小さな材木を寄せていく「寄木造り」 材質:エゾ松 一 一 = ー ⑥荒彫り ⑦中彫り 一周忌法要(上) 墨書する東北の方々(下) − − − 現在工房では、一般の皆様にお越しいた だき、被災者への慰霊の気持ちを鑿に込 めて頂く一のみ運動を行っております。 ︵のみ二鑿︶運動 一 一 言 お問合せ身延山大学 多くの皆様がのみ入れに お越しいただいています 一 震災一周忌法婁を陵前高田で M_m# 0556︲62︲0107 身延山和讃会有志の方々 二○一三年三月十一日、震災から一年 のこの日、荒彫りの観音像は陸前高田へ と届けられ、遠野市法華寺の阿部上人に より、一周忌法要が執り行われ、また現 地の方々により、仏像の内側に被災者へ き砥& 4良 ロ﹄1凸■■■■, F 1 、 唾諄麹一 一 酷 一 一 、 − のメッセージが墨書されました。 霧 現在工房では、大変有難いことに様々 な寺院から仏像彫刻・修復の御依頼を頂 いております。 日蓮宗に関する仏像はも ち ろ ん のこと、 宗 派 を 隔 て る こ と な く 、 そ の 活 動 を 行 っ てきました。ここでは、 その模様をご紹介していきたいと思いま す。 先日、一つの大きな修復が完成しまし た。京都市の日蓮宗本山間法山頂妙寺の 御開山日祝聖人像の修復です。 昨年から始まった修復は特に慎重に作 業 を 進 められ、4月の御開山日祝上人第 五○○年遠忌法要にてお披露目されまし た。その法要に我々も参列し、御堂に納 まる様子を感慨深く見守って我々の仕事 は 完 了 しました。 本山の仏像修復という今までにない大 きな仕事に携われたことは、様々な方の お力添えがあって実現したことでした。 しかし、そのような機会が得られたの は、工房の技術が認められたからだと確 信しています。今後もそれに賄ることな く、一同精進していく次第です。 彩色風景 エ マ ざ ー 『 言 漉 忠 一 蚕 二一 一一 虻 日祝聖人像 《 q 画■ 』 修復前 − − F ー 一 … 修復後 兵一房 の 国 際 交 流 二○一一年十一月に、ラオス国立工 芸大学から、ラオスプロジェクトスタ ツフでもあるシートン。シー ブ ン サ イ 一 氏︵木彫講師︶が、国際交流基金の資↑一 助により来日、工房で三ヶ月間の仏像一 修復研修を受けました。 さらに、二 ○一二年一月 にはモンゴル からはバトゾ リック氏、ボ ルトン氏が仏 像彫刻研修を 一ヶ月にわた って受け、工 房は一時国際 色豊かな場と なりました。 柳本教授による指導(シートン氏寒そうです) 特別寄稿 吉田永史身奥山大学容頁 社会のニーズに応えて !身延山大学仏像修復工房の活躍︲ ラオス笹界遼産ルァンバーハンにて 二○一一年二月、ルアンパバンで仏像 修復の十周年記念式典が開かれました。 身延山大学の東洋文化研究所仏像制作修 復工房が、現地の仏像を修復して十年が経 ちました。 すばらしいことには、世界遺産に単独 で携わり、長く国際貢献している大学は身 延山大学だけではないでしょうか。 しかも﹃現地の美術学校の先生に技 術指導をし、更に現地の材料を使って 修復できるように工夫しています。現 地の文化を守るということは、そうい うことだろうと思います。 いつか日本の地でルアンパバンの仏 像展が開かれることを願っています。 観音様を被災地︵ 三・二の大震災で被災した岩手・陸 しようと心の救援活動を行っています。 前高田へ仏様の慈悲の心である悲母観音 を、慈母観音を宮城の仙台へ、そして福 島へはお釈迦様の坐像を謹刻してお届け − − − 工房が公開され、三・五メートルの悲母 観音像に多くの方々が慰霊や復興の願いを 込めてノミを入れています。体内にお名前 や願文を記しています。 宗教は不特定多数の人々の安心と、生き る喜びを保障して初めて価値があります。 大きな仏様の慈悲の心で東日本の方々の 心の想いを救おうと、三体の仏様を刻んで います。 生活え摸 東日本大震災で被災された方々は津波 で家を流され、職場を流され、全てを失 ってしまいました。仮設住宅で生活して いても仕事がありません。 そこで工房は生活支援として張子の す。他に京都の本山の御尊像の修復や県 内外寺院個人所蔵の御尊像も修復して 一眺測臓肘ど紘岐脆鮒始一貝献であり尊いこ 一 総 称本伊 ﹁ものづくり﹂の尊さと困難、それに正 面から向き合い己を磨き続け、また社会 に向け発信してゆくことを学生に伝え実 行し続けてきた成果が現れ始めたのだと 実感しています。勿論これら事業は多く の方々からの有形無形のご支援の賜物で あり、期待に添えるようこれからも精進 一 一 お願い申し上げます。 工房は十三年目を迎えましたが、まだ まだ未熟な赤ん坊のような存在です。泣 き声をあげ、それを常日頃から聞き上げ、 手を差し伸べて頂いている方々抜きでは 成長が止まってしまいます。これからも、 更なるご理解、御協力を工房一同重ねて を重ねなくてはなりません。 一 あとが雪﹄ 身史山大挙裁校 この度、身延山大学東洋文化研究所仏 像政策修復室季刊誌﹁のみおと﹂を発刊 させて頂くにあたり、ご協力を賜りまし た皆々様に御礼申し上げます。 工房の発足より今年は十三年目にあた り、特に昨年は﹁ラオス世界遺産物修復 プロジェクト十周年﹂、﹁東日本大震災 慰霊悲母観音建立事業﹂ヘの着手、宗門 内外の記念事業御尊像修復等、工房の脚 踏実地の活動が世に認知され始め、また 必要とされるに至ったという、工房の新 たな展開への幕開けの年でありました。 一 一 − 最後にこの場を借りまして、工房諸 業に に御 御協 協力 力を を頂頂 事業 いい てて いい るる 、、総本山久一 遠寺様、日蓮宗宗務院様、日蓮宗静岡 中部宗務所様、ラオス仏像修復サポー ターズクラブ様︵会長 旭日重北山本門 寺貫首狽下︶と諸会員様、 こ の 場 に 書 き す きれなかった皆様に厚く御礼申し上げ ま 0 ○監修・・・柳本伊左雄 身延山大学教授 ○デザイン・・・永利郁乃 平成三四年九月 身延山大学 東洋文化研究所 仏像制作修復室