...

ゴルバチョフのペレストロイカから 20 年

by user

on
Category: Documents
1

views

Report

Comments

Transcript

ゴルバチョフのペレストロイカから 20 年
ESRI Discussion Paper Series No.163
ロシアの構造改革
―ゴルバチョフのペレストロイカから 20 年(1986~2006)―
by
井本
沙織
May 2006
内閣府経済社会総合研究所
Economic and Social Research Institute
Cabinet Office
Tokyo, Japan
ESRIディスカッション・ペーパー・シリーズは、内閣府経済社会総合研究所の研
究者および外部研究者によって行われた研究成果をとりまとめたものです。学界、研究
機関等の関係する方々から幅広くコメントを頂き、今後の研究に役立てることを意図し
て発表しております。
論文は、すべて研究者個人の責任で執筆されており、内閣府経済社会総合研究所の見
解を示すものではありません。
ロシアの構造改革
―ゴルバチョフの「ペレストロイカ」開始から 20 年(1986~2006)―*
*
井本
沙織**(内閣府経済社会総合研究所客員研究員)
本稿作成にあたって、内閣府経済社会総合研究所のセミナーにおいて、黒田昌裕所長をはじめとする出席者の方々、と
りわけ、コメンテーターである金野雄五・みずほ総合研究所株式会社主任研究員から、有益なコメントをいただいた。
また、本村真澄・独立行政法人石油天然ガス・金属鉱物資源機構主席研究員から、有益なコメントとデータの提供を
いただいた。記して感謝したい。なお、本稿に残された誤りはいうまでもなく筆者の責に帰するものである。
**桜美林大学非常勤講師、内閣府経済社会総合研究所客員研究員
-1-
概要
体制移行
ソ連の中央集権型計画経済から市場経済体制への変貌は、政治・経済・社会分野におけ
る大幅な構造変化を伴うものであった。ゴルバチョフ政権の 80 年代のペレストロイカ(経
済・社会の建て直し)によって、古い社会主義的経済体制が壊れ始めるとともに経済状況
は悪化したが、90 年代初からの「パストロイカ」(新しい建設)により新体制を目指す市場
経済への道を開いたことは評価されている。
1991 年のソ連崩壊及び 1998 年の通貨危機によりロシア経済は大きな打撃を受けた。
1992 年にはショック療法が導入されたが、ハイパーインフレを起こし、また、生産低下に
歯止めをかけることが出来なかった。7 年余りの期間を経て、ようやく市場経済が根付き始
めたころに通貨危機が起きたために、構造改革の実施よりも経済安定化を優先することを
余儀なくされた。
しかし、1998 年の通貨危機からのロシア経済の回復は、予想以上に早かった。その要因
には国際原油価格の高騰、ルーブルの切り下げ及び国内生産の拡大を容易にした既存設備
の存在があった。原油価格の高騰に支えられて経済が安定化し、プーチン政権は多面的な
構造改革に取り組んでいる。
中・東欧の体制移行諸国との比較
90 年代のロシア及び中・東欧諸国の社会主義経済体制から資本主義経済体制への移行は、
短期間で実施された価格と貿易の自由化及び民営化を柱にした「ショック療法」の下で行
われた。体制移行が開始されてからはほとんどの国が生産低下、財政赤字、インフレを経
験したが、2 年~3 年後には経済が安定し、成長が始まった。
しかし、ロシア経済の落ち込みは他の体制移行諸国より深刻であり、ハイパーインフレ、
大幅な財政赤字、また、経済安定化に要した期間の長期化の面においてロシアは大きく遅
れた。
他の体制移行諸国との比較では、政治・経済・社会的な初期条件の違い、また、体制移
行の開始時期、さらには改革への取り組み姿勢の弱さが経済安定化に時間がかかった要因
であることが、比較制度論の研究者から指摘されている。
グローバリゼーションへの取り組み
2006 年 7 月にはロシアのサンクトペテルブルクで主要 8 カ国首脳会議の開催が予定され
ている。サミットではロシアが議長国となって、エネルギー安全保障、感染病対策及び教
育問題などが議論される。ロシアが資源・エネルギーの安定的な供給面での大きな役割を
果たし、他の先進国との間で省エネルギー技術及び新エネルギー開発の分野で長期的な協
力関係が築かれることが期待されている。エネルギー分野での各国との協力関係の強化に
よって、国際市場におけるロシアの大手企業の活動はより活発になっていくであろう。ま
た、これにつれて関連企業が国内経済にもたらすスピルオーバー、つまり国内産業の生産
活動の拡大効果が期待されている。
-2-
ロシア経済に対する今後のグローバリゼーションの影響は、短期的な面においては国内
産業の再編や省エネルギー技術の導入のための投資努力が求められる。しかし、競争力強
化に資する経済制度の導入及び後発の利益の効果が、技術の取得を可能とし、長期的には
大きな経済効果が期待できる。
今後の展望
政治・経済・社会面における安定化は、2008 年に 2 期目を終了するプーチン政権にとっ
ての最優先の課題である。内政の安定化とともに、国際原油価格の追い風で経済状況が大
幅に改善され、構造改革を実施する体制は整っている。そして、税制改革から自然独占、
社会福祉分野まで幅広い範囲の改革が行われてきた。しかし、ほぼ完了したと見なされて
いる税制改革以外の改革はスピードダウンの傾向が色濃くなっていることを多くの専門家
が指摘している。つまり、2007 年の議会選挙及び 2008 年の大統領選に向かって、この 1
~2 年は社会的安定を揺るがす可能性のある改革が延期されるとの見方がある。
現在、ロシア経済は安定しているが、経済・財政状況が好調であることは主として天然
資源の輸出によるものである。国際原油価格への依存を打破するためには、国内産業基盤
の強化の産業政策をはじめ、市場インフラ整備の構造改革なくして中・長期的な経済成長
の確保が極めて困難である。2005 年からの鉱工業の成長率(4.0%)は GDP の成長率(6.4%)
を下回る傾向が見られている。産業セクターにおける改革が後回しになるにつれ、このギ
ャップは拡大し、将来の経済成長の妨げになることが懸念される。短期的な面においても、
ロシアの経済成長は当面は輸出型成長として継続されると考えられる以上、石油の輸出と
共に天然ガスの輸出が重要な役割を担っていくであろう。そのような意味においてもコス
ト面での不透明で非効率であるガスプロム改革は政府にとって緊急の課題である。
輸出型の経済成長の脆弱さに加えて、少子化・高齢化、また、近年深刻化している公務
員の汚職問題などを考慮に入れればより徹底した構造改革の実施が必要である。次期大統
領が誰になり、またその政権のもとでいかなる経済・社会政策の路線がとられるかは予測
し難いが、基本的には構造改革路線は継承されていくものと考えられる。
-3-
はじめに
(1) 1986 年 2 月の第 27 回共産党大会で経済改革政策が採択されてから、2006 年 2 月で 20
年になる。改革の進展はまだ途上であるが、ロシアの経済の発展・改革の 20 年間を振り返
ると3つのフェーズに分けることができる。
(2) 第 1 フェーズ(1986 年―1991 年)では 80 年代後半からソ連の政治・経済体制が危機
的な状況に陥り、ゴルバチョフ政権によるグラスノスチ(情報公開)
、ペレストロイカ(経
済・社会の建て直し)が始まった。ゴルバチョフ改革の成果については、政治面において
は共産党独裁支配が終わったこと、表現の自由、多元論が進展するようになったこと等が
挙げられる。他方、経済面においては、社会の民主化に伴い社会主義経済の市場化が進め
られたが、それは「社会主義の枠組み内の市場経済」として考案されたもので、真の「資
本主義における市場経済」ではなかった。つまり、既存の社会主義経済の中に市場経済の
要素を部分的に取り込んでいくものであった。
1991 年 12 月のソ連崩壊とともに経済改革の第1フェーズは終了した。経済構造改革の
第 1 フェーズは、経済体制そのものを大きく変革することが出来なかったものの、次の改
革への序曲としては大きな役割を果たしたと評価される。
(3) 第 2 フェーズ(1992 年―1999 年)初期は、ソ連崩壊の時期と重なる。政権交代によっ
てエリツィン大統領の経済改革の舵を握ったのはマネタリストのガイダル等のエコノミス
ト達であった。彼らが選択した経済構造改革は、
「ショック療法」であった。価格の自由化、
企業に対する国の統制の排除、また、国営企業の民営化が最優先課題にあげられていた。
第 2 フェーズは、政治と経済を分けて考えることが出来ない現代ロシアにおける象徴的な
時期であり、エリツィン大統領が辞任する 1999 年 12 月まで続いた。第 2 フェーズこそが、
新たな経済社会構造改革の真の始まりと見なされ、経済・社会構造を根本的に変えた政策
の時期として評価できる。
(4) 第 3 フェーズ(2000 年以降)は、プーチン大統領誕生の 2000 年から始まり、政権 2
期目となる現在まで続いている。このフェーズの特色は、旧体制の破壊ではなく、新体制
の構築であることが特徴である。これまでの2つのフェーズでは未解決のまま残された問
題(自然独占企業の問題等)の解決に焦点を当てながらも、ロシアの将来の経済成長につ
ながる経済・社会構造構想の構築がプーチン政権の構造改革の重点である。
(5) プーチン政権の構造改革を考える上では、内部要因のみではなく、外部要因、とりわけ
グローバリゼーションの動きも十分考慮すべきである。グローバリゼーションが構造改革
に与える影響については、以下のことが考えられる。第 1 には、最先端の技術及び金融手
法を始めとするサービス部門のノウ・ハウの移転によって後発の利益の効果を享受するこ
とができることである。この利点を得るためには、国際基準に適合した制度、とりわけ法
律の整備及び企業文化の育成等などが必要である。企業文化の面においては、投資家及び
株主の利益を重視したコーポレート・ガバナンスのモデルが採用され、大企業の一部は既
-4-
にコーポレート・コードを導入している。
他方、WTO への加盟に向かって多数の国々と個別交渉が行われている中で、ロシア国内
における電力・ガス料金及び海外の金融機関のロシア国内市場へのアクセスの問題につい
て議論がなされている。 このような外圧も自然独占改革などにとっては影響が大きい。さ
らに、WTO 加盟後は、国内金融市場における外資系金融機関との競合を考慮に入れた銀行
セクターの改革による金融分野の競争力の強化が如何に進められるかが注目される。
(6) 本稿では、プーチンの構造改革に重点を置き、時系列でみた主要な改革、とりわけ税制
改革、行政改革、銀行セクター改革、自然独占改革を詳しく取上げる一方、投資家が注目
している将来のロシア経済の成長を担うであろう産業戦略の方向に焦点を当てる。
-5-
第1章
年)
ゴルバチョフ政権の「市場経済型の社会主義」構築計画(1986 年~1991
1.1986 年
ペレストロイカ(経済・社会の建て直し)
(1) 西側先進資本主義国に追いつくための集中的な重工業発展政策が、第2次世界大戦の前
後に実行されたが、1970 年代から 1980 年代にかけて、時代の変遷とともに構造上の問題
から競争力が低下した。一方西側先進国においては学術・技術的な改革が進んだため、追
いつくことが困難となり、経済成長と発展においてギャップがさらに拡大した。ソ連と西
側先進諸国との間の主要な産業における技術的なギャップは 1950 年代半ばには 10 年から
15 年であったが、これが、1980 年代半ばには 20 年から 30 年に拡大した1。
また、経済生産性は西側先進国と比べれば、鉱工業では 3.5 分の1、農業では 5 分の1で
あった2。さらに、ソ連経済が停滞期に入るとシャドー・エコノミーが一層拡大した。しか
し、そのような状況の中で為政者達は、原油及び天然ガスの輸出が当面は経済発展の維持
の可能性を与えてくれると錯覚していた。
経済成長政策計画と実際の数値のギャップ(単位:年率%)
1966-1970
国民総生産
計画 6.5-7.0
実績 5.0
産業
計画 8.2
実績 6.3
農業
計画 5.5
実績 3.7
1971-1975 1976-1980 1981-1985
5.8
3.1
4.0
1.8
4.0
1.8
8.0
5.4
4.9
1.8
4.9
1.8
3.7
-6.0
5.0
2.1
5.0
2.1
(出所)Handbook of Economic Statistics 1988, CPAS 88-10001 (September 1988),
p.62
<1980 年代のソ連経済における問題点>
1.
2.
3.
4.
5.
6.
1
2
低成長率
生産性の低下
新技術の導入の遅れ
消費財不足
輸出品の国際価格低下、外貨収入の低下と外貨不足
海外債務の増加
Glaziev, S.(1991)
2005 年 10 月 21 日、ワシントンにおける米国の政財界関係者との懇談における、
「ソ連
におけるペレストロイカ開始から 20 年」と題するゴルバチョフの講演。
-6-
(2) 経済成長を遂げるためには市場経済の原理を参考にして経済体制の改革及び私的所有
権を認めることが必要であるということが共産党幹部にも認識されるようになったのは、
1985 年にゴルバチョフがソ連共産党の書記長に就任した時からである。これまでの中央計
画経済体制では、民間企業の企業家精神や、個人の働くインセンティブを欠いており、こ
の枠内では科学技術の発展と革新を達成すること、西側先進国に追いつくことは不可能で
あることが明らかになった。
さらに、1986 年には原油の国際価格が 40%下落し、これがソ連経済にとっては外貨収入
の 20%減少に繋がり、そのため、輸入が制限された。また、輸出額の低下によって税収入
も減少したことから、財政赤字が 1985 年当時のGDPの 2%~5%から 1987 年にはGDP
の 8.5%と拡大した。
(3) 1986 年 2 月に行われた第 27 回共産党大会でのゴルバチョフ書記長の演説には、企業の
経済的独立性の強化及び民間事業の重要性を訴える経済体制の建て直しの路線が打ち出さ
れた。ゴルバチョフ政権の初期段階の経済政策は、「ペレストロイカ(経済・社会の建て直
し)」と名づけられ、ソ連型経済の基本的な枠組を維持しながらも市場経済の要素を取り入
れるという試みであった3。1986 年 11 月には、「個人事業法」が採択され、この法律の下で
29 種類の個人事業が認められたことによって自営業が容認された。
2.1987 年
経済改革の実施の本格化
(1) 1987 年 6 月のソ連共産党中央委員会総会においては本格的な経済改革案が採択された。
1.
2.
3.
4.
<ゴルバチョフの経済改革骨子>
ゴスプランによる長期経済発展戦略
国営企業及び協同組合の完全独立採算制転換
企業経営への行政介入の排除
配給制度、価格統制制度、金融・与信制度の改革
(2) 1987 年 6 月には「国営企業法」が採択された。この法律(25 項目)では、国営企業の
権利と義務について明記され、財政的独立性、生産・販売・収益の使途に関する権利が重
視されるとともに、競争の重要性、倒産などについても重点が置かれている。各省庁との
関係においては、国家計画は一つの目標として位置づけられ、国家発注制度や長期計画の
指数も絶対的なノルマではなく目処として見なされることになった。発注量を超えた追加
的な生産物に関しては、企業同士が契約を結び、自由に売買できることとなった4。
3
4
Латов, Ю. (2005)
1987 年の「国営企業法」によって、ゴスプラン(国家計画委員会)の全面的な計画経済
制度は柔軟な国家発注制度に変わった。新しく導入された制度の特徴としては、政府は企
業から公式的な固定価格で一部(85%-95%)の製品を購入し、残り 5%-15%の製品
の販売(実際には、多くの場合はバーター取引)については、企業に決定できる自由が与
えられることになったことである。また、価格統制においても、政府のコントロールが弱
まり、1988 年からは企業によって一部の新商品に関しては契約価格の自由な交渉が認め
られるようになった。
-7-
(3) さらに、1988 年 5 月 26 日に「ソ連における協同組合法」が採択された。この法律によ
って製造協同組合と消費協同組合が認定された。製造協同組合は、製造過程に関わる事業
を独自に営むことができ、消費協同組合は商業及びサービス業における事業を独自に行う
ことができる。また、協同組合は金融面でも経営面でも独自の意思決定権限を有すること
となった。協同組合の設立に当っては 3 人以上の設立人(16才以上)が必要であると定
められている。この他にも、協同組合の活動にはいくつかの制限が設けられていた。土地
及び天然資源の所有権は認められず5、また、組合は生産物の価格設定に関しては人民代議
員地区ソビエトが協同組合の価値の上限を決めることができ6、また、登録の許認可が行政
府に委ねられていた。
新組合に対する課税政策は、財務省及び地方政府の決定により、設立から 5 年間に亘り、
税率が組合の種類及び業種によって一定の比率に定められていた7。しかし、これが過剰課
税政策に繋がり、実業家のインセンティブがそがれ、闇経済が拡大する要因となった。さ
らに、既存企業に付属する形で組合の設立が可能になったため、一部の新組織は利益隠し
のために存在することになった。つまり、既存の大手企業の経営者が自分の利益を保護す
るために設立されることとなった。
いずれにしてもこれまでの社会主義のイデオロギーにおいては、私的雇用が禁じられて
いたが、この法律の成立によって、協同組合は限られた条件の下で私的雇用が可能となっ
た。
(4) 以上のように、ゴルバチョフ政権初期においては、「企業の独立採算性」(Хозрасчёт)
の構想が主流に置かれることになったものの、制度設計上の問題点も残すこととなった。
さらに、経済的な自由を得た企業は、短期的な利益を追求していたために、収益を投資に
まわさなかった。加えて、賃金の上昇率が生産性の上昇率を上回っていたために、インフ
レ率を押し上げることになっていた。
(5) 1987 年から政府は軍民転換(コンバース)プログラムを開始した。当時、ソ連の軍事産
業は、重工業生産の 3 分の 2、ソ連産業全体の 40%を占めていた。この軍民転換プログラ
ムの実施により、軍事産業企業の生産の半分が消費財生産に充てられたために、冷蔵庫、
洗濯機、テレビ等の家電製品の生産増加に資することになった。
3.1989 年―1991 年「社会主義市場経済」モデル採用
(1) ゴルバチョフ政権の後期にあたる 1989 年から 1990 年には、「規制された市場経済8」
5
6
7
8
「ソ連における協同組合法」第 7 条。
同法、第 19 条。
同法、第 21 条。
当時の首相と経済学者の名前を取って Ryzshkov-Abalkin 計画と称される。Abalkin
L.I.(Абалкин.Л.И.) は 1930 年生まれ、モスクワ国民経済大学卒、1970 年、経済学博士、
1986 年よりソ連科学アカデミー経済研究所所長(現在に至る)。1988 年には、当時の
Ryzshkov 首相の依頼を受け、経済改革プログラム作成に参加。また、1989 年から同研
究所がゴルバチョフ経済改革のシンク・タンクとなる。もう一人の Aganbegyan A .
(Аганбегян А.)は、ゴルバチョフ政権の経済改革に重要な役割を果たし、1989 年 1 月 4
日に経済研究所(Abalkin 氏)の経済プログラムが政府会議にかけられた際に参加した。
-8-
プログラムが実施され始めた。
1.
2.
3.
4.
<「規制された市場経済」プログラム骨子>
所有権の多様化、所有権間の競争の奨励
市場原理の導入による財・サービス市場の発展、及び労働力市場、資本市場への市
場原理の導入
マクロ経済手法による国民経済の管理
成果報酬主義の導入
1989 年末に人民代議員大会で採択されたこのプログラムでは2つの段階が想定されてい
た。つまり、1990 年から 1992 年で財政赤字を克服し、また、消費財市場の歪みを是正し、
税制改革と価格形成改革を行うこと。1993 年から 1995 年においては、国家計画制度を維
持しながらも市場を創造し、所有権の構造を変えることであった。
(2) ソ連時代の経済改革はあくまでも「社会主義市場経済」のモデルの枠内で行われていた
が、それまでのソ連の経済社会システムを変える意味では根本的な改革であり、歴史的な
意味合いが深い。ゴルバチョフ政権の改革の特徴としては、経済改革より政治改革に比重
が置かれていたが、政治改革は、その後の経済改革や経済発展の前提であると見なされて
いた。
4.ゴルバチョフ改革の成果
(1) ゴルバチョフ政権時代の政治・経済体制の構造改革路線には歴史的な評価を与えること
ができるが、経済統計から見た成果としてはネガティブな面も多い。すなわち、生産の低
下に伴って、財政状況が悪化し、ソ連政府の財政赤字が 1988 年から 1990 年にかけてGN
Pの 10%まで拡大したからである。また、財政赤字が中央銀行融資によって賄われたため
に、マネーサプライが年間 15%ベースで拡大していた。生産が低下傾向の中で、物価が年
間 5%の割合で上昇し始めた。1990 年には、コルホーズ市場における物価の上昇は 21.5%
であり、国営商店の小売価格の 3.03 倍になった9。そして、消費財不足が、海外から日常品
を持ち込んで、転売する担ぎ屋(челноки10)が活躍する野外市場が数多く登場し、闇経済
の規模を拡大させる結果となった。
(2) ただし、1989 年から 3 年間に亘る総生産の低下傾向に関しては、一般的に報じられて
いる数字が過剰であるとの専門家の見方も多い。とくに軍民転換とサービス産業の拡大に
その原因が認められる。オッペンハイマー11は、低下の理由として(イ)ソ連経済統計から
排除されていたサービス産業の生産が向上しており、1992 年には、サービス産業の労働力
現在は、ロシア政府の国民経済アカデミーの学長。専門は理論経済、応用経済。
9Илларионов,
А. (1995), p.6
10「担ぎ屋」
(челноки)と言われた人たちは、トルコ、エジプト等から衣類、電気製品等
を大量に持ち込み、自由市場やキオスクで販売していた。
Peter (1992)Issue 141, pp. 48-63.
11Oppenheimer,
-9-
は全体の 25%になった(1980 年には、21.4%であった)こと、(ロ)経済実態を正しく反
映すべき価格制度が欠如していたため、総生産の評価がどこまで実態を反映しているかが
疑問であること、及び、
(ハ)統計では把握できない経済活動(シャドー・エコノミー)12の
存在があったことを挙げている。
とくに、軍事産業あるいは軍事産業用の中間財を提供する産業における生産高が最終的
に 40%低下したが、これは以前に生産された製品の在庫販売がなされたこと、また、シャ
ドー・エコノミーの部分が 40%(90 年代初期)とも言われた際の未登録事業の実態が把握
できなかったことが要因である。シャドーの部分は、海外旅行、ビジネス旅行、住宅建設、
ダーチャ建設、その他、商業及び銀行業界の活動にも見られた。
また、ソ連時代には企業間の決済が非現金で行われたために、このような慣習が 90 年代
に入ってからも残り、当時の状況も、現金取引が 3 分の 1、非現金の与信取引が 3 分の 1、
バーター取引が 3 分の 1 という状況であり、とくにバーターの部分は把握できていない。
したがって、生産量が 40%下がったとしても、一般の家計の生活には、例えばGDPの 40%
の低下と同じ影響が出たとは考えられない。
ロシア連邦の産業別成長率(1989-1991)(対前年比、単位%)
物的生産
産業
農業
投資
消費
1989 1990 1991
1.9
-3.6 -11.0
2.0
-2.2 -8.0
2.8
-6.2 -4.7
-6.1 -22.5 -11.0
5.4
2.0
N/A
出所:Peter.M.Oppenheimer “Economic reform in Russia”
National Institute Economic
Review, Issue 141, 1992, p.4
サービス業を除いた総生産量は、1990 年には 3%~6%低下し、また 1991 年には 11%低
下している。総生産量の低下が加速した要因としては以下が考えられる。
<総生産量の低下要因>
1.軍事産業の生産低下、軍民転換の時間と費用不足、
冷戦の終結による軍事産業用中間財の生産低下
2.独占的経済構造(ソ連の 47,000 企業の 4 分の 3 は 1000 人以上の従業員を持つ企業
であった)の中で、CIS 諸国の独立による産業連関の分断
3.90 年代の民族紛争(グルジア、アルメニア、アゼルバイジャン、チェチェンなど)
12
自由市場で、肉類を売っていた農民、中央アジアからの野菜や海外からの商品を持ち込
んで転売した担ぎ屋、果実をモスクワ市場で販売した人達などは未登録の商人であり、当
然ながら公式統計に含まれていない。
- 10 -
第 2 章 エリツィン政権の経済改革(1992~1999)
1.ガイダル政府の「ショック療法」経済改革
(1) 1991 年には生産の低下傾向が強まり、財政赤字はGDPの 27%に達していた。公式統
計に表れない実際の失業率が労働力の 35%まで跳ね上がっていたとも言われている。同時
に、純対外債務残高が増加しており、1985 年の 183 億ドルから 1991 年には 565 億ドルへ
と増加した13。
ガイダル経済改革のプログラムは、1991 年 11 月に発表されているが、とくに改革の目
的は金融面での安定化及び市場経済の樹立に置かれた。その後、このプログラムは IMF 及
びマネタリストのエコノミスト14とともに検討され、修正された。
1992 年 2 月 27 日にロシアと IMF との間で、ロシア連邦の経済政策についてのプログラ
ムが調印された。このプログラムは IMF と G7のロシア支援の際の交渉のベースとなった。
1992 年 6 月 1 日にロシアは IMF のフル・メンバーになって、経済改革の面においては、
IMF との協調路線が敷かれた。
1.
2.
3.
4.
5.
<ガイダル改革骨子>
経済の規制排除、価格及び企業関係(貿易を含む)に対する国家統制の排除、官僚
支配による財・サービス配分の廃止、市場指導型システムの導入
金融制度の安定化、ルーブルの強化
積極的な社会福祉政策
経済の非軍事化・民需転換、競争力の向上、国際経済への統合
生産の効率性の向上、製品の品質向上、生産品目の拡大、コスト削減及び競争市場
の創造
ガイダル政府の「ショック療法」改革15の実施は、1992 年 1 月 1 日の価格自由化16から
はじまった。商品の約9割の小売商品価格と卸売商品の約8割が自由化されたが、日常品
とみなされた 15 の消費財及びサービス、その中でパン、牛乳、燃料、住宅(賃貸料)及び
公共料金の価格だけが維持された。価格自由化によって発生したインフレーションは、当
初から予想されていた価格上昇率が 2~3 倍であったことに対して、実際には 1992 年の第
1 四半期に価格は 6 倍、対 1991 年比では 13 倍~15 倍となった。
経済安定化に失敗して、1992 年 12 月にガイダルが辞任したが、経済改革は、その後も
Åslund, Anders, (1995),p.49
Jeffrey David Sachs,1954 年生まれ、米国エコノミスト。「ショック療法」政策の支持者
であり、ガイダルの顧問であった。
15 ゴルバチョフ時代の最初の市場経済への移行プログラムは Yavlinskii 及び Shatalin の
「500 日プログラム」であった。しかし、本格的な改革そのものは、1992 年のエリツィ
ン大統領・ガイダル首相の改革で始まった。1993 年にはガイダルに代わり Chernomyrdin
が首相となり、改革の減速がみられたが、改革路線は維持されていた。
16 ガイダル政権の経済改革は、1991 年に発表された IMF,OECD,World Bank の勧告に沿
った政策であった。(A Study of the Soviet Economy. Volume 1-3. Paris: Publications
Service, OECD, February 1991.)なお、IMF が勧奨した主な政策は、1.価格自由化、2.
民営化、3.対外貿易の自由化、4.銀行セクターの強化などである。
13
14
- 11 -
一進一退して進められた。
(2) 1992 年から 1998 年の間の経済状況の変化は以下の3つの段階に分けることができる。
(a) 第 1 段階:1992 年~1994 年
ソ連崩壊及びコメコン経済圏の崩壊によってロシアは海外の重要な市場を失った。また、
経済構造の変革に伴う困難により、1993 年にはインフレ率がさらに跳ね上がったために投
資への深刻なマイナス影響が出て、生産の低下が続いた。
(b) 第 2 段階:1994~1996 年
市場経済のインフラが形成され始め、プラス金利の下(それまでは実質金利はしばしば
マイナスであった)で実物経済に対する融資が活性化された。1995 年及び 96 年には、ハ
イパーインフレの抑制に成功したが、生産低下に歯止めをかけることはできなかった。他
方、貿易収支及び経常収支がプラスに転じ、安定した。
(c) 第 3 段階:
1996 年~1998 年
経済成長促進政策が優先され、また、インフレ抑制に成功した。その結果、中央銀行の
公定歩合が低下し、経済成長の兆しが見え、マクロ経済レベルでの安定化がみられた。
(3) 1992 年 1 月 2 日からのガイダル政府の経済改革は、いわゆる「ショック療法」であり、
価格の自由化から始まったが、ハイパーインフレを起こし、また、生産低下に歯止めをか
けることができずに終わった。この混乱の原因の一つは、価格自由化を受け入れる体制、
つまり市場インフラが未整備であったことにある。企業の民営化、独占構造の排除の後に
価格の自由化を実施したならば、混乱は避けられた可能性もあったと考えられる。
さらに、1992 年の民営化プログラムには、経済的な意味よりは政治的な意味が強かった。
私的所有を可能とし、共産党時代には後戻りしないということを確保することが改革派に
とっては大きな意味があった。そのために、民営化プログラムには経済的論理が欠けてお
り、利益のある企業も、赤字企業も民営化の対象となり、統一された確固たる民営化のビ
ジョンは存在しなかった。
2.民営化
(1) 1992 年~1994 年のバウチャー方式民営化
1992 年には価格自由化、貿易自由化と同時に企業の民営化が始まった。当時、国内資本
が不足しており、企業を民営化するとすれば、海外投資家しか買い手がいないという実情
であった。そこで、国民が民営化に参加できるように政府は「バウチャー17」プログラムを
17
当時、国にある全ての資産を査定し、人口 1 人あたりの金額が算出された。当時の人口
は 1 億 5,000 万人であり、一口が 10,000 ルーブルと計算された。配布されたバウチャー
については、幼児を含む家族の人数に応じて家計に配布された。このバウチャーの使途は、
現金化すること、バウチャー分の株主になること、及びバウチャー基金に預けて配当を受
け取ることであった。早期の段階では多くの人がバウチャーの価値を疑問視したために、
現金化(転売)した人が多かった。また、自分のバウチャー分だけ株主になるよりもバウ
チャー基金に預ける人が多かった。一方、バウチャー基金の場合、詐欺まがいの基金も少
- 12 -
実施した。
1992 年 8 月 14 日の大統領令「ロシア連邦における民営化小切手システムの導入につい
て」、また、1992 年 10 月 14 日の大統領令「ロシア連邦における民営化小切手システムの
発展について」によって、1994 年 7 月 1 日までに、民営化対象となる企業の株式を自由に
取得することができると定められた。その結果、1992 年には、46,815 企業が民営化された。
しかし、この民営化による国家の歳入は、僅か 4,000 万ルーブルであった。
国家統計局(Goskomstat)によれば、1992 年半ばころの所有構造は次のとおりであった。
国営及び地方自治体経営企業の数は 34 万 9,381 社であり、資産総額は 356 億ルーブル、連
邦組織、施設等は 8 万 809 ヵ所であり、総資産は 241 億ルーブルであった。これらの民営
化の条件は、資産の 25%は民営化が禁止、53%強資産の民営化に対しては行政許可が必要
であり、さらには半数の国営企業の民営化は禁じられていた。これらのうち、4 万 6,800 の
国営企業が民営化され、1993 年時点では、民営化された企業の数は 8 万 8,600 になり、こ
れが 94 年になると、11 万 2,600 に達した18。
(2) 1995 年~1998 年の民営化
1994 年以降も民営化が継続され、競争入札及び「ローン・フォー・シェアズ(Loan for
Shares)」方式で大手企業が民営化された。ローン・フォー・シェアズ方式は、政府が財政
赤字を補填するために国営企業の株式を担保に民間金融機関から融資を受けるというもの
であるが、結局は政府の不払いによって担保提供された国営企業の株式が民間金融機関の
所有となり、旧国営企業が金融機関傘下の民間企業に転じた。
1993 年~1997 年における国営及び地方自治体経営企業数の民営化
1993
1994
1995
1996
民営化された国営・地方自治体経営の企業数 42,924 21,905 10,152 4,997
所有権別(民営化前)
連邦所有
7,063 5,685 1,875 928
共和国等所有
9,521 5,112 1,317 715
地方自治体所有
26,340 11,108 6,960 3,354
民営化方法別(単位:%)
100
100
100
100
株式化
31.1
44.8
27.7
22.5
オークションでの競売
6.3
4.4
4.2
3.9
商業テンダー
30.4
24.0
15.9
8.9
投資テンダー
1.3
1.2
1.1
0.7
賃貸借資産の買戻し
29.5
20.8
29.8
32.1
整理・閉鎖の予定の企業、
建設未完成の施設資産の売却
0.4
1.5
4.2
5.7
不動産
15.4
22.9
土地
0.6
1.5
その他
1.0
3.3
1.1
1.8
1997
2,743
374
548
1,821
100
18.1
5.5
9.6
0.5
14.6
9.1
38.5
2.6
1.5
Goskomstat ,Russian annual statistics 2003
18
なくなかったと報じられている。
1993 年から 94 年には、7 万 1,829 社(1993 年は 4 万 9,924 社、1993 年には 2 万 1,905
社)が民営化された。
- 13 -
そして、1993 年から 2005 年の間にロシアにおける企業の所有形態は大きな変化を遂げ
た。2005 年には、民間企業は 79.2%、地方自治体が経営する企業が 5.7%、国営企業が
3.6%、その他が 11.5 %となった。既存企業の民営化と同時に新しい企業が数多く登場し
た。1993 年から 2005 年の間でロシア全体の企業数は 225 万社から 441 万 7 千社まで増加
し、他方、国営企業の数は 32 万 2 千社から 15 万 9 千社まで減少した。
ロシアにおける所有形態別の企業数の推移
5,000,000
4,000,000
3,000,000
全体の企業数
国営企業
民間企業
2,000,000
1,000,000
0
1996
2001
2002
2003
2004
2005
ロシアにおける所有形態別の企業のシェアの推移
100
80
%
60
全体の企業
国営企業
民間企業
40
20
0
1996
出所:Госкомстат
2001
2002
2003
2004
2005
Россия в цифрах, 2005
(3) 2005 年における民間企業数の割合は全企業数の 79.2%である。しかし、GDP に対する
民間企業のシェアは 65%であり、これはチェコの 80%、ポーランドの 75%、ブルガリア
の 75%など、他の中・東欧体制移行国と比べれば低い19。
3.1990 年代のロシア経済の特徴
(1) 国内経済における生産性の低下
19
EBRD, Transition Report, November 2005
- 14 -
新生ロシア連邦誕生時の 1990 年代初頭の国内経済の特徴は生産の低下と高インフレ率で
あった。
1.
2.
3.
4.
5.
<1990 年代初頭のロシア経済の主要な問題点>
ソ連時代の経済・金融圏の崩壊によるCIS諸国とのの産業、企業間の経済的、技
術的関係の断絶
上記を一因とした、金融政策、財政政策の制約からくる金融システムの危機、財政
赤字の拡大、対外債務残高の拡大、インフレ率の上昇
貿易量の減少、輸出力の低下による外貨収入の低下と対外債務の増加及び利払の増
加
材料・燃料のコスト削減及び使用効率の向上がみられない農業等の第 1 次産業の生
産低下
投資余力の低下に伴う全ての経済分野における投資活動低下
1990 年代における産業の生産低下は全ての分野に及んだ。1991 年には、鉱業生産指数が
8%低下し、農業生産指数は 4.5%、設備投資は 15%低下した。とくに、消費財部門におい
ては著しい生産の低下が見られた。機械製造業は 57.4%、軽工業は 84.1%、食料品産業は
44.0%の低下となった。1992 年の産業生産は 18.8%低下した。食料品の生産高は 18%低下
し、日常品は 15%低下した。農業の生産は 8%低下した。1992 年には、小売価格の上昇が
賃金収入の上昇を超え、生活水準が低下したために、バーター取引や物資での労働報酬の
支払いが拡大した。
工業生産の推移(1990-1996 年)
(対前年比、%)
1990 1991 1992 1993 1994 1995
99.9
92.0
82.0 85.9 79.1 96.7
産業全体
102.0 100.3 95.3 95.3 91.2 96.8
電力
96.7
94.0
93.0 88.4 89.8 99.2
燃料産業
98.1
92.6
83.6 83.4 82.7 109.6
鉄鋼業
97.6
91.3
74.6 85.9 91.1 102.8
非鉄金属
97.8
93.7
78.3 78.5 75.5 107.6
化学・石油化学
101.1 90.0
85.1 84.4 69.2 90.9
機械製造・金属加工
91.0
85.4 81.3 69.5 99.3
林業、木材加工、製紙 98.8
99.1
97.6
79.6 84.0 72.7 92.0
建設材産業
99.9
91.0
70.0 77.0 54.0 69.8
軽工業
100.4 90.5
83.6 91.0 82.5 91.8
食料品
Goskomstat, Russian annual statistics 1997
1.
2.
3.
<1990 年代のロシア国内産業の主要な問題点>
運転資金不足、投資の低下による生産の低迷
軍事産業の民間転換の失敗よる、製造業の停滞状態
競争力の弱い国内製品の輸入製品による代替で一部企業の生産停止
- 15 -
1996
94.5
98.4
97.3
95.5
94.6
89.0
88.9
77.7
74.7
72.4
90.8
投資活動の著しい低下がみられ、1992 年の公共投資額は、45%低下し、これを反映して
各企業による投資額も同レベルに下がった。製造業における投資額は半減し、農業におけ
る投資額は 60%以上も低下した。この結果、1996 年の固定資産投資額は、対 1991 年比で
わずか 29.7%になった。このような投資額の著しい低下は、まずは公共投資の低下による
ものであり(公共投資は 1993 年には対 1991 年比 34.3%であり、1996 年にはこれが 20.1%
となった)。そして、企業は収益性の低下及び固定資産の価値低下により自己資本の不足が
生じた20。
1994 年からは赤字経営の企業数が急増した。1992 年の赤字経営企業の割合は 15.3%で
あったが、1994 年には 32.5%、1996 年には 50.6%まで上昇した。また、企業の平均流動
比率は 1992 年から 96 年の間に 41%から 7%まで低下した。このために、加工産業の売上
高におけるバーターの割合が 1992 年には 10%であったが、1994 年から 95 年には 17%か
ら 22%、1996 年には 38%へと記録的なレベルまで上がった。さらに、もうひとつの重要
な要素は、当時の銀行融資が高利であったことである。そのため、企業は銀行融資によら
ず、買掛金と売掛金に依存した資金繰りによってキャッシュ・フローを調整していた。
また、1992 年から 96 年にかけて物価が 2,177 倍に増加したにもかかわらず、マネーサ
プライは同期間に 331 倍にしか増加しなかった。対 GDP に占める M2 の量は、1990 年か
ら 91 年にかけては 70%-75%であったものが、1995 年から 96 年にかけては 10%-12%
に低下している。この貨幣不足は、現金での納税低下によって国家予算の歳入の減少にも
繋がった。
(2) 対外経済
国内経済の低迷は対外貿易にも悪影響を与えた。1991 年から輸出入ともに低下傾向にあ
り、経済に徐々に悪影響を与え始めた。外貨収入の中央集中型メカニズムに障害が生じ、
また、対外債務返済の遅延等の問題が生じたことから債権国、債権者への信頼を喪失した。
1992 年における対外貿易量の低下は、産業全体の生産量の低下を上回った。対 1991 年
比で輸出は 25%低下、輸入は 21%低下した。とくに、エネルギー産業の生産低下が輸出の
低下及び外貨収入の低下を招いた。輸出の 70%はエネルギー資源及び鉄鋼製品であったた
め、これらの産業における生産低下が輸出の低下と直結した。なお、輸入においては、産
業機械及び輸送機械などの資本財ならびに消費財が主要項目を占めていた。
一方、ルーブルの為替レートは 1991 年初には 1 ドル当たり 35~40 ルーブルであったも
のが、1991 年末までには、3~4 分の1まで下がり、現金取引の場合、1 ドル当たり 110
~120 ルーブル、与信取引の場合は 180 ルーブルになった。その理由は、金融制度の崩壊
により、国家予算の歳出の大部分が紙幣印刷によって賄われたこと、及び貿易の自由化、
国家の貿易独占の排除にあった。これに、国内産業の競争力の低下と外貨準備金の減少が
重なり、1992 年から 1996 年の対ドルのルーブル為替レートはついに 44.38 倍まで安くな
20
企業の内部留保である減価償却費の低下も見られている。1990 年の減価償却費は 12.1%、
1992 年は 2.6%、1993 年は 0.9%であり、また、その資金も新規投資の目的ではなく、
運転資金の補填にために使用された。
- 16 -
った21。
4.1998 年の通貨危機及び改革凍結(プリマコフの危機対策)
(1) 1998 年の通貨危機
エリツィン政権の時代、
とりわけ 1992 年から 96 年の間には国内の製造業が打撃を受け、
他方では国際競争力のある輸出産業(天然ガス、原油、石油精製品、石油化学製品、鉄鋼
業の製品の一部)あるいは独占企業(燃料・エネルギーコンプレックス、鉄道、冶金)及
び食料品等の生活産業のみが成長できるといった経済システムであった。こうした中で、
1998 年には育ちつつあった大手の金融機関が打撃を受けることになった。
1997 年に発生したアジアの通貨危機の余波は 1998 年にロシアにも及んだ。1996 年まで
にはマクロ経済的な安定化が図られており、1996 年のインフレ率は 21.8%に収まり、1992
年以降、初めての2桁内の抑制に成功していた。1996 年には、インフレ率の抑制が短期国
債の発行及び自然独占企業の料金凍結によって抑えられたために、経済成長は見られなか
った。しかし、1997 年に入ると、わずかながらも成長が見られ、また、インフレ率は 11.0%
まで下がった。
1998 年 1 月 1 日からルーブルは 1000 倍のデノミネーションが行われ、同時に IMF との
約束によって、平均為替相場は 1 ドル当り 6 ルーブル 20 コペイカの 15%内のバンドを維
持するという変動相場制となった。他方、国内経済は緊縮財政によってインフレ抑制に成
功し、財政歳入と歳出にも均衡が保たれたが、生産低下には歯止めをかけることが出来ず、
税収は伸び悩んだ。また、財政均衡を重視するマネタリストの IMF 専門家の政策に則して
マネーサプライが抑えられており、支払い手段としての貨幣が不足した。その結果、国家
からの支払い、企業間の決済、個人への賃金、年金等の支払いなどが延滞を余儀なくされ、
未払いの問題が深刻になり、バーター取引が増加した22。
1997 年 10 月 27 日、世界各国の証券取引所において株価下落が見られ、28 日にその余
波がモスクワにまで及んで、ロシア証券取引所の平均株価企業の株価(RTS インデックス)
は 19%下落した。ロシア中央銀行は、その日に短期国債(GKO)の購入に 1.2 兆ルーブル
を充当したが効果はなかった。以降、GKO の利回りは 18%から 1997 年 12 月には 38%に
跳ね上がった。ほぼ同時期にモスクワを訪れていた IMF ミッションは緊縮財政条件をより
厳格にするよう要請した。長引く税収の減少及び政府の国内債務の利払いを考慮に入れる
と、IMF の要求を拒否するような状況ではなかった。
1998 年 5 月半ばころから、GKO の利回りが 40%から 118%まで上昇した。7 月 22 日、
連邦財務省は GKO の新規発行オークションを中止し、対応策として海外借り入れを通じた
財政補填策を試みた。また、ロシアと IMF との交渉によって、7 月 24 日に IMF は安定化
21
22
高いインフレ率を背景に家計の貯蓄はドルに人気が集まった。1992 年には、所得の 0.6%
が外貨購入に使われたが、これが 1996 年には 18.7%と高まった。
1998 年の貨幣での取引状況は、電力会社(RAO“UES”)のサービス代金収入の 13%、
ガス会社(RAO”Gasprom”)が同 12%、鉄道省の国内貨物料金が同 31.2%のみという
状況であった。(Ясин, Е.( 2003) p. 398)
- 17 -
のために第一トランシェ 48 億ドルを割り当てた。さらに、7 月 7 日に取り決められていた
世銀からの構造調整融資(SAL-III)のプログラム枠(15 億ドル)のうち、3 億ドルの借
入が8月 12 日に実行された。8 月 17 日23、ついにロシア政府はモラトリアムを発表した。
1.
2.
3.
1.
2.
3.
4.
<モラトリアム骨子>
6 ルーブルから 9.5 ルーブルのバンド内での変動相場の導入
1999 年 12 月 31 日満期の短期国債の新規証券切替え
非住居者へのローン、証券担保付のローン返済の 90 日間のモラトリアム
<ロシア通貨危機の要因>
国際市場の原油価格下落。1998 年には原油価格がバレル当り 19.27 ドルから 13.39
ドルまで下落し、1976 年以来の最低価格となったこと(1998 年 12 月には原油価格
がさらに下がって、同 9.7 ドルになり、ロシアの原油”URALS”は 1998 年半ばころ
には 1 バレル当り 8 ドルであった)
アジア金融危機による短期資本の 1998 年夏からの引き揚げ
財政赤字の拡大
1995 年からの固定為替レート導入、1998 年までのバンド制の経済実態との乖離24
ガイダル政権からロシア政府は IMF との密接な関係の中で市場改革を実施してきたが、
1998 年の通貨危機を契機に、その路線は誤りであったかのように IMF に対する批判が呼び
起こされた。ロシア政府に対する IMF 融資の条件は、財政赤字削減及び為替のバンド制採
用であった。
本稿ではロシアに対する IMF 戦略についての詳細な分析は省略し、改革派のエコノミス
トである E.Yasin の意見だけを紹介しておく。同氏によれば、IMF 政策の失敗は 2 つほど
あって、(イ)IMF の要求に応じて 1995 年に石油の輸出税を廃止(1999 年には、IMF の
賛成の下で再び導入)したこと、(ロ)1997 年に行われたロシアの証券市場の自由化である
25。その結果、ロシア市場に短期資本が
300 億ドル規模で流入し、1998 年の危機の際には
経済を崩壊するように流出してしまったことである。
通貨危機発生以降の経済の実態は、短期的な打撃と中期的な良好なパフォーマンスの芽
生えに分けることができ、これをまとめると以下のとおりである。
なお、デフォルト前の 8 月 13 日に、世界有数の基金の総帥であるジョージ・ソロスが
“Financial Times”紙上で、ロシアの財政・通貨危機は最終段階に入っており、ルーブル
切り下げ及びドルペッグ制が必要である旨を発表している。
24 1998 年 1 月 1 日には前期のバンド制に関する義務が終了を迎えたため、変動相場の導入
をすべきであった。(Ясин, Е. (2003), p.409)
25 (Ясин, Е. (2003) p.404-405)
23
- 18 -
<通貨危機発生以降の経済の実態>
1.
2.
短期的な現象
z 4~5 倍のルーブル安が起きたために、ロシア政府に対する国内外の信頼が失わ
れた。
z 政治面においては、改革派の代わりに保守派のプリマコフが政権の座に付いた。
1998 年の GDP は 6%減少し、インフレ率が 84%になった。
z 銀行制度が麻痺し家計の貯蓄とともに金融制度の信頼が再度失われることとな
った。
z 多くの商業銀行が倒産を余儀なくされ、国の管理下に入った。
中期的な現象
z 良好なパフォーマンスの回復が見られた。
z 1999 年に入ってから、状態が安定化し、経済成長率がプラスに転じた(1999
年の GDP は 5.2%、同 2000 年は 8.3%のプラス)。
z 1999 年から 2000 年にかけては金属鉱物資源の値上がりとともに、とくに原油
価格が 30 ドル~35 ドルまで高騰するなどの現象が現われた。
z 1999 年 11 月からは復活した石油輸出税によって外貨が流入し始めた。
z 外貨準備高は、1998 年 8 月末には 100 億ドル(そのうち金は 60 億ドル)であ
ったが、これが 2000 年には 280 億ドルまで増加し、2001 年には 360 億ドルに
なった。
z 中央銀行のマネーサプライの増加26を受けて、バーター取引や未払いの問題が解
消された。
(2) 1998 年-2000 年プリマコフ首相の経済政策
1998 年 8 月 23 日、キリエンコ首相は辞任し、9 月 11 日にはドゥビーニン中央銀行総裁
も辞任した。
時を同じくしてルーブル安が進み、物価が上昇し始めた。8 月~9 月の間に価格は 45%上
昇し、11 月にも 5.7%、12 月には 11.6%上昇した。国際市場での資金調達の道が閉ざされ
た政府は紙幣発行を始めた。
改革派に代わった保守派のプリマコフ政権は危機からの脱却に向け以降 8 ヶ月間舵を取
ることとなった。プリマコフ政権の主な課題は危機により打撃を受けた経済を立て直すこ
とであった。改革派が政府から一掃され、一人だけ残ったザドルノフ財務相は緊縮財政を
実行し、インフレ率を何とか年率 84%程度で抑えることができた。さらに、徴税の問題に
メスを入れて財政再建に努めた。他方では、民営化等の改革を一時凍結し27、経済における
国家の役割を強化させることとなった。
26
2000 年にはマネタリーベースが 1.5 倍に増加したが、物価は 20%の上昇であった。
- 19 -
<プリマコフ首相の分野別政策>
1.
農業分野
食料品供給を確保するための主要品目に対する輸入税の引き下げ、農産物の運送費
用の 50%程度までの引き下げ、食料品に対する付加価値税の引き下げ、肥料価格の引
き下げ
2. 賃金の未払い問題
1998 年 12 月1日までの学生への奨学金の未払い解消、1999 年 1 月 1 日までの軍人
報酬の未払解消、税務警察による 7 万社を超える企業調査、未納、合法と非合法の境
界線上にある企業の不透明な賃金支払いスキーム、税金回避の有無の調査
3. 銀行制度再建
金融機関再建庁が設立、21 行の業務健全化を 3 年間で達成できるよう総額 190 億ル
ーブル投下、戦略産業への投資促進のために開発銀行(Российский Банк Развития(28)
設立
27
28
民営化が予定された”Svyazinvest”の 25%の株式の売却が中止された。
(Ясин, Е.(2002)
1999 年の連邦予算法(1999 年 2 月 22 日採択)によって設立された。
- 20 -
第 3 章 プーチン政権の構造改革(2000-2006)
1.プーチン政権の課題と改革プログラム
1.1 プーチン政権の課題
(1) プーチン政権が誕生した 2000 年を境に、ロシアは新しい改革の局面に入った。1998
年の通貨危機から 2 年を経て、ロシア経済は、専門家の予想を遥かに超えた速さで回復し
た。回復の主要な理由は、通貨切り下げによって、国内商品の競争力が向上し、国産メー
カーにとって失われつつあった市場が回復した。さらに、財政面においても、1998 年 7 月
に 1 バレル当り 10 ドル原油価格が高騰し(表 3-1 参照)、ロシアの輸出の 50%を占める
エネルギー資源、石油と天然ガスの輸出収入が大幅に増加すると共に、1998 年に行われた
債務負担の軽減により財政への圧迫が緩和された。
ロシアの原油価格の推移 ( URALS:US$/1 バレル)
199729 1998 1999 2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006*30
16.62 9.57 24.38 20.93 19.40 30.31 27.44 37.36 53.48 60.06
出所:Energy Information Administration, US Government H.P.
石油生産および輸出量の推移
10
9
8
7
6
100万バレル 5
4
3
2
1
0
500
450
400
350
300
250 100万t
200
150
100
石油生産(100万バレル/日)
50
石油輸出
0
石油生産(100万t/年)
1997 1998 1999 2000 2001 2002 2003 2004
出所:本村眞澄(2005)p.83
2000 年 3 月の大統領選挙でプーチン政権が誕生した。プーチン政権は、危機回復を目指
して、事実上改革を凍結したプリマコフ政権に代わって、改革路線に戻った。
90 年代の財政赤字に悩まされたロシア経済は、1998 年の通貨危機回復とともに克服が可
能となり、2000 年以降は黒字に転じた。1998 年から 2001 年にかけては、国際原油価格の
29
1997 年―2005 年、12 月末時点。
- 21 -
上昇とともに、ルーブル切下げ及び予備設備と予備労働力があったことによって国内産業
が再生し、ロシア経済は内需拡大に支えられた回復と、その後は平均 7.1%の経済成長を遂
げた。
2002 年~2005 年の成長は、国際原油価格の高騰と輸出拡大によるもので、平均 6.4%の
成長率を遂げた。
実質GDP の成長率、対GDPの財政赤字(黒字)(%)
%
15
10
10
5
5
0
0
-5 1997 1998 1999 2000 2001 2002 2003 2004 2005 -5
-10
実質GDPの成長率、%
対GDPの財政赤字(黒
字)、%
-10
出所:IMF, Russian Federation:Basic Data, 1997-2003、1998-2004 、ロシア財務省のデ
ータ31
失業率は 2000 年以降、8.0%のレベルで維持され、徐々に下がっている。同時に、賃金、
年金が増加し、生活の安定化が図られている。
失業率、賃金、年金、所得(実質、%)の推移
25
20
15
10
5
0
30
25
20
% 15
10
5
0
2000
2001
2002
2003
2004
失業率、% 年金の伸び率、%
賃金の伸び率、%
収入の伸び率(国民一
人当たり、%)
出所:IMF, Russian Federation:Basic Data, 1998-2004
プーチン大統領の就任から、ロシア経済のマクロのパフォーマンスが改善されたことを
背景に、政府が構造改革の実施に積極的に取り組むことができた。
30
2006 年 1 月 27 日。
2005 年の財政黒字は 15,360 億ルーブル(対 GDP7.2%)である。
Новости, 19.1.2006
31財務省の発表によれば
RIA
- 22 -
ゴルバチョフ政権の改革は、市場経済への移行が可能にした政治的な改革や市場経済の
一部の構造または私的所有を認める法律が採択され、本格的な経済改革への序曲であった。
エリツィン政権の経済改革は、価格自由化及び企業民営化によって市場経済メカニズム導
入であったが、市場経済に不可欠なインフラ、とりわけ投資家の権利の保証・保護システ
ム、倒産法、透明な迅速な仲裁及び裁判手続きの制度が欠如していた。さらに、複雑かつ
頻繁に修正・訂正される税制度の下で、企業の経済活動、事業見通し、また、国の財政の
建て直しが進まなかったため、税制度改革及び裁判制度の改革などが不可欠であった。2000
年、2001 年の一般教書の中では、税制度改革及び裁判制度改革の重要性が訴えられた。
(2) 国内・海外企業を問わず、複雑かつ不透明であるライセンス、許可、商品標準化(サー
ティフィケーショーン)32等多数の行政の手続きは、公務員の汚職の温床になり、事業の発
展を妨げていた。商品の標準化は一つの例に過ぎないが、開業の際にライセンス制度の存
在、手続きの複雑及び複数の行政機関の参加によって長期化、柔軟性の欠如は、
「一つの窓
口」制度、つまり、一つの事業に関する手続きは一つの行政機関で行われる制度の導入も
行政改革の一部となった。公務員制度の見直し、省庁の再編、政府機関のスリム化が図ら
れ、行政効率の向上の目的で行政改革もプーチン政権の優先上位に挙げられた。
(3) エネルギー市場に限らず、鉄道事業においても自然独占の見直しがなされ、競争原理の
導入と自然独占の存続が必要と認められる部門をまず峻別し、内外からの投資を活性化す
る試みがなされた。
(4) 90 年代においては、経済の先行きに対する不安や政府に対する信頼の欠如があり、また、
銀行セクターの脆弱さを背景にマネー・ロンダリングを含むロシアからの資金流出(キャ
ピタル・フライト)の問題が深刻であった。
純資金流出(非金融セクター)
20.00
15.00
10.00
10億ドル
純資金流出
5.00
0.00
-5.00
-10.00
1994
1996
1998
2000
2002
2004
出所:Central Bank of Russia, Balance of payments, 1994~2005
32
2002 年時点、ロシアにおける 80%の商品はサーティフィケーショーンであったのに対
して、ヨーロッパでは 4%。商品標準は 20,000 強が存在し、中小企業の調査によれば、
商品の標準化は、コスト高の中で 4 位を占めた。(Erik Berglfőf(2003) p.103)
- 23 -
この資金流出に歯止めをかけるためには、政権への信頼の回復と経済状況の改善、及び
1998 年の通貨危機の際に打撃を受けた銀行セクターの強化と信頼回復のための改革が必要
であった。改革の成果は 2005 年になって漸く見られ、非金融セクターにおける資金流出が
資金流入を下回ることとなった。
(5) グローバリゼーションの影響も過小評価ができない。第 2 章に見たように、1992 年の
IMF への加盟は、ロシア国内経済政策に極めて大きな影響を及んだことは周知のとおりで
ある。さらに、2007 年と予想される WTO への加盟は、ロシアの国内産業・農業の政策を
始め、経済の幅広い分野に影響を及ぶことが予測されている。
1.2
プーチン政権の改革プログラム
(1) プーチン政権の構造改革路線については、大統領の一般教書(2000 年~2005 年)、
「2010 年までのロシア連邦の発展戦略」(2000 年 6 月 28 日)、「2008 年までのロシア連邦
政府の主な活動」(2004 年 7 月 28 日)、2006 年 1 月 19 日に閣議で決定された「ロシア連
邦の社会経済発展の中期(2006 年―2008 年)プログラム」に記述されている。
(2) 90 年代には経済低迷によって貧困の拡大、貧富格差、福祉制度の遅れが目立った。その
ため、社会保障の改革、とりわけ年金、住宅・公共料金改革、教育制度改革がアジェンダ
に上がった。これらの構造改革に加えて、地方自治体改革、郵政改革及び軍事改革が、大
統領の一般教書における優先順位の高い構造改革課題として取り上げられている。
(3)「2010 年までのロシア連邦の発展戦略」の重点は、銀行セクター改革、税制改革、自然
独占改革である。銀行セクター改革の促進、税制改革路線は「2008 年までの政府の活動」
プログラムにおいても継承されることなり、さらに社会分野における教育、住宅等の拡充
とともに、防衛産業、航空産業、通信、ハイテク分野の発展が重視され、金融市場の強化、
中小企業の支援策も織り込まれている。
(4) 2005 年 10 月 21 日付けの大統領令によって大統領府直属の優先的国家プロジェクト評
議会が設置された。2005 年 12 月 21 日付け優先的国家プロジェクト評議会幹部会によって、
「健康」、「教育」、「住宅」及び「農工コンプレックス」の4つの優先的国家プロジェクト
が承認された。「健康」プロジェクトは、「第1次33の医療・健康衛生の発展」及び「住民へ
の高度医療の保障」の2つの柱からなっている。「教育」プロジェクトは、「祖国の最良の
教育モデルの支援および発展」、「近代的な教育技術の導入」、「世界レベルの国立大学およ
びビジネス・スクールの設立」、「学校における養育レベルの向上」及び「軍における専門
教育の発展」からなっている。「住宅」(正式名は「ロシア国民への手頃で快適な住宅」)プ
ロジェクトは、「住宅の手頃さの向上」34、「住宅ローンの規模の拡大」、
「住宅建設の規模の
拡大及び公共インフラストラクチャ施設の近代化」、「連邦法に定められた市民への住宅提
供に関する国家義務を果たすこと」からなっている。「農工コンプレックス」(正式名は「農
33
地区担当医者の専門レベルの向上(研修を受けた医者の人数を増やすこと)、医者の兼務
を減らすこと、外来診療所における検診待ちの期間を 1 週間までに短縮すること等。
34 若い世帯の住宅の購入時の補助金提供。
- 24 -
工コンプレックス発展」)プロジェクトは、「畜産業の加速発展」、「農工コンプレックスに
おける小事業体の発展」及び「若い専門家(または家族)の手頃な住宅の保障」の 3 つの
柱からなっている。
(5)「ロシア連邦の社会経済発展の中期計画(2006 年―2008 年)」では、教育の近代化、医
療保険制度の近代化、住宅市場の形成、所得格差の是正、雇用制度・年金制度の改善、行
政改革、国家資産の民営化及び管理、天然資源の利用方法の改善、財政改革、官民パトナ
ーシップの発展、中小企業振興策、所有権の保護、コーポレート・ガバナンスの発展及び
経済成長を制約する産業構造の是正策などが取上げられている。産業構造の是正策の中に
は、「2010 年―2015 年、燃料・エネルギーコンプレックス発展」、「2010 年までの運送分野
の発展」、
「2010 年までの科学・イノベーション分野の発展」、「2012 年までの情報・通信分
野の発展」、
「2015 年までの防衛産業コンプレックスの発展戦略」、「2015 年までの航空産業
の発展戦略」及び、「2015 年までのロケット・宇宙産業の戦略発展」等が含まれている。
本稿では、それぞれの具体的な改革について一般教書に登場している順に述べるととも
に、産業戦略全般、航空機産業及び経済特区について詳しく述べる。
- 25 -
2.
改革分野
2.1 税制改革
税制の現状及び問題点
新たな経済状況に税制を適合させるため、規制の部分的な見直しが頻繁に行われた。し
かし、これによってロシアの税制は複雑かつ不透明な制度となり、結局納税規律を妨げる
ようになった。さらに、企業活動のインセンティブや投資意欲の阻害を招き、経済発展へ
の支障をきたす状態に陥った。この反省から、透明な税制の再構築が優先度の高い課題と
して上げられ、2000 年の「ロシア中期経済発展プログラム」
(通称「グレフ35のプログラム」)
では税制改革が重要な課題として取り挙げられた。
税制改革の趣旨及び進捗状況
(1) 税制改革の具体的な課題としては、税の負担を軽減すること、税制度の簡素化、法律及
び規制の恣意的な解釈から納税者を守ることであった。2001 年から 2005 年までに税制改革
はほぼ終了し、ロシアの税制は大きく変わった。
(2) 税制改革は、新税法第一部(2001 年)と新税法第二部(2002 年)の採択によって大き
く前進した。税法の第一部 5 条の発効によって、ロシア税制全体を安定させ、1 年度内に数
回行われていた税法の変更に終止符を打った。また、税法違反の懲罰措置を統一化させ、
納税者と税務当局との間で「推定無罪」の原則を導入した。新税法第二部は、連邦及び地
方、市町村の税金の徴収を規定しているもので、各章では各税についての法律が定められ
ている。
(3) 新税法の発効時点で付加価値税は 20%として設定され36、社会的に重要とされる商品に
対する税率は 10%とされた37。1998 年からは 5%の税率の売上税が導入されたが、2004 年に
廃止された。
2001 年 1 月 1 日からは、税金徴収の向上の目的で所得税を一律 13%に設定し、
以前の累進的な所得税率(12%、20%、30%の段階課税)制度は廃止された。一律税の導
入とともに、基本的な控除及び社会的な控除も増加され、同時に自営業に関わる控除可能
な費用の算出方法も簡素化された38。これらの控除を受けるためには、所得の申請が必要で
あるため、以前には隠されていた所得も表に出るとの期待があった。一方、所得税の大幅
な引き下げと共に、税務当局による納税管理・コントロールも強化され、結果的には納税
ゲルマン・グレフ(Герман Греф)、1964 年生まれ。2000 年からは経済発展貿易省大臣。
2004 年 1 月 1 日には 18%まで引き下げられた。
37 社会的に重要とされる商品、例えば子供用品に対する付加価値税は 10%と設定されてい
る。
38 新税法によって、自営業の控除可能な費用の算出方法は、2つ認められた。1つは以前
と同様で、全ての費用を書類で裏づけ、申請することによって規制の下で控除可能な金額
が算出されるもので、以前と変わらない方法。2つ目は、費用を裏づける書類が無くても、
収入の 20%が費用として認められるもの。
35
36
- 26 -
額の急増に資することとなった。一律所得税導入の効果により、2001 年には対前年比で徴
収額が 46.7%上昇、2002 年には対前年比 39.7%上昇した39。さらに、以前は4つに分かれ
ていた福祉関連税(年金、医療等)が統一社会保険に纏められることになったことで、税
率は 39.5%から 35.6%まで引き下げられた。2005 年 1 月 1 日付で、税法二部 24 条の改訂
によって、統一社会税は再び、35.6%から 26%までに引き下げられた。
2002 年 1 月からは法人税が 35%から 24%に引き下げられた。法人税の 24%のうち、7.5%
が連邦予算、14.5%は地方予算、2%は市町村予算として納められている。尚、立法機関は
特定納税者に対する税率を 24%より引き下げる権限を有するものの、最低税率は 10.5%と
定められた。
<税制改革骨子>
1. 個人所得税の一律 13%(2001 年)
2. 統一社会税(給料に対する税)は 39.5%から 35.6%まで引下げ(2001 年)
3. 5%の売上税の廃止(2001 年)
4. 法人税の 35%から 24%への引下げ(2002)
5. 付加価値税の 20%から 18%への引下げ(2004 年)
6. 統一社会税の 35.6%から 26%への引下げ(2005 年)
(4) こうした税制改革の結果、過去には高い税率の下で活動を余儀なくされていた商業銀行、
証券取引所、ブローカー、保険会社などがその他の企業と同様の税率を受けることとなり、
均等税率を享受できるようになった。
GDP に占める主要な税金徴収の比率(%)
2000 年 2001 年 2002 年 2003 年
所得税
2.4
2.9
3.3
3.4
社会税
7.4
6.8
7.6
7.4
法人税
5.4
5.7
4.3
4.0
輸出税
2.3
2.5
1.8
2.3
輸入税
0.9
1.2
1.2
1.2
輸入付加価値税 1.4
1.8
2.0
2.1
国内付加価値税 4.9
5.3
4.9
4.6
売上税
1.3
1.6
1.7
1.8
資源使用税
3.0
3.1
4.3
4.2
その他の税金
5.0
3.7
3.0
2.0
合計
33.9
34.7
34.1
33.1
(出所:”Transition” CEFIR, 2004 年 7 月―9 月 http://www.cefir.ru)
上記データからは、税制改革の実行によって所得税及び資源使用税の徴収が増加し、法
人税及び「その他の税金」のシェアが減少したことが読み取れる。さらに、納税負担は、
加工産業より一次産業(石油、天然ガス、鉱石等)へのシフトが見られ、懸念されている
39
2004 年には、ロシア人は 5,745 億ルーブル納税し、2005 年の上半期には 3,405 億ルー
ブル納税した。法人税、付加価値税についで、所得税の納税金額が 3 位である。
(Комсомольская правда, 11.10.2005)
- 27 -
「オランダ病」によって産業構成、輸出構造の歪曲化を是正する役割も果たしている40。今
後の課題としては、土地税、個人財産税、法人財産税の改革があげられる。
2.2 裁判制度改革
裁判制度の現状及び問題点
(1) ロシアの裁判制度は、憲法裁判所、通常の裁判所及び仲裁裁判所からなる。憲法裁判所
は、監視機関であり憲法に違反している法令を廃止する権利を有している。通常の裁判所
の範疇には、最高裁所、地方裁判所、地区裁判所、軍事裁判所及び調停裁判所が含まれて
いる。仲裁裁判所は最高仲裁裁判所、管区仲裁裁判所及び連邦構成主体(共和国、地方、
州、モスクワ市、サンクトペテルブルク市、自治共和国、自治州)の仲裁裁判所からなる。
(2) ソ連時代から残っていた裁判制度の変革の必要性は、90 年代初めころから政府によっ
て意識されていたが、1992 年 6 月 26 日付けの「裁判官のステータス」についての法が採
択された後はしばらく注視されなかった。1994 年には、ソ連時代の憲法裁判に関する法律
の代わりに、1994 年 7 月 21 日付でロシア連邦の憲法裁判法が採択された。そして、1993
年の新しい憲法の解釈についての議員等からの照会が多くなったことによって裁判制度が
再び注目を集めるようになった。1996 年 12 月 31 日には「ロシア連邦の裁判制度」につい
ての法律が採択された。しかし、裁判官の収入は低いままで、裁判過程の中でも結審の客
観性及び透明性が欠如していた。
(3) 裁判の実情を見ると、所有権保護、倒産手続き等の法律が存在しているが、財政困難の
ために、裁判官の人数が不十分であり、新情報技術の導入が遅れているため、司法手続き
がしばしば長期化している。さらに、裁判官の汚職問題の背景には、低額報酬制度があっ
た。また裁判所建物も不足しており、2001 年には、2,717 の裁判所建物の中で、事実上、
司法活動を行うことが不可能であるのが 719 ケ所あった。162 の裁判所建物は、支障を来
たしかねない状態にあった。
(4) 中・東欧の体制移行諸国と比べればロシアへの海外直接投資が小規模であることの理由
の一つとして、法的なインフラの未整備、新しいビジネス環境に適応できていない裁判官
の知識不足などが指摘されている41。2005 年における調査でも、海外投資の流入の妨げと
して、汚職、行政の障壁、法律の歪曲的な解釈及び適用、さらには、矛盾した法制度が挙
げられている42。
裁判制度改革の趣旨及び進捗状況
(1) 2001 年、2002 年の一般教書で取り上げられた裁判制度の改革では、新規の民法、刑法、
仲裁法の採択及び仲裁裁判制度の効率化が重要な項目とされている。また、司法制度の技
Anna Ivanova, Michael Keen, Alexander Klemm (2005) p.411,に算出された数字は上
記の数字と多少異なるが、同様の傾向を示している。
41 Jonscher, Charles Нефтегазовая вертикаль 2002, No12
42Нефтегазовая вертикаль,новости 25.4.2005
40
- 28 -
術的な面、人事、物資的な面における改善も改革に織り込まれている。具体的な改革は「ロ
シア裁判制度の発展、2002 年―2006 年」2001 年 11 月 20 日付けで採択されたプログラム
に基づいて実施されている。2002 年―2004 年には、司法制度の整備のため、より多くの国
家予算が充当された。
司法制度の整備のための予算規模の推移
35,000,000
1.4
30,000,000
1.2
25,000,000
1
20,000,000
0.8
15,000,000
0.6
10,000,000
0.4
5,000,000
0.2
0
%
1000ルーブル
対GDP、%
0
2001 年 2002年
2003年
2004年
出所:Госкомстат, Россия в цифрах 2005
1.
2.
3.
4.
5.
6.
7.
<裁判制度改革骨子>
民法、刑法、仲裁法の新規採択
仲裁裁判の機能強化
裁判官、職員の増員、連邦裁判官の補佐官の役職の導入、仲裁裁判の裁判官及び行政
官の補佐官の役職の導入
裁判官及び司法事務官の給与の引上げ
裁判所建物の建設、再建、修理と共に、裁判官、職員用の住宅の建設(購入)
司法活動に必要な物資の確保
司法制度の IT 化
「裁判制度の発展、2002 年~2006 年」プログラムの実施のために、2002 年から 2006 年
までに 44,865.6 百万ルーブルの予算が充てられ、そのうち固定資産投資額は 7,042.3 百万
ルーブルである。43司法制度の効率を向上させるためには、裁判官及び裁判所職員の給与の
引き上げ及び司法活動に必要な物資の提供のための 37,823.3 百万ルーブル予算(2002 年~
2006 年)が割り当てられた。予算の 74.5%は、裁判官及び裁判職員の報酬向上に使用され
る。
43
予算額は年別の内訳は、2002 年―7,999.0 百万ルーブル(内:1,819.2 百万ルーブルは固
定生産投資)
、2003 年―8,463.2 百万ルーブル(内:1,505.8 百万ルーブルは固定資産投
資)、2004 年―8,387.5 百万ルーブル(内:1,387.4 百万ルーブルは固定資産投資)
;2005
年―9,303.1 百万ルーブル(内:1,165.5 百万ルーブルは固定資産投資)
;2006 年―10,719.8
百万ルーブル(内:1,164.4 百万ルーブルは固定資産投資)である。出所:
「ロシアの裁判
制度改革」の実施について、2006 年 1 月 19 日。
- 29 -
(2) 2006 年までは、裁判官の平均給与を 28,500 ルーブルまで引き上げるとされていたが、
2005 年末、現在、裁判官の平均給与は 59,200 ルーブルであり、改革の目標を既に上回っ
ている。さらに、2006 年の予算では、2006 年 7 月 1 日から裁判官の給与の 32%引き上げ
が織り込まれており、2007 年には 7.5%の引き上げが予定されている。2002 年から 2006
年の間、裁判官の人数を 5,347 人(その中に調停裁判官は 2,097 人)及び 23,443 人の裁判
所職員を増員する予定である。2002 年には、殆どの行政区に陪審裁判制度が導入された。
2005 年現在、改革の実施によって、一人の裁判官の月当たりの担当件数は大幅に減少して
いる。調停裁判制度の導入も完了され、5,977 人の調停裁判官が司法活動を行っている。2002
年から 2006 年にかけては、裁判所建物の建て直し、修理また、必要な物資補給、司法制度
の IT 化の予算として、6,265.9 百万ルーブルが充てられている。2001 年から 2005 年の間、
地方裁判所のコンピュータ化は 90%に達し、地区裁判の場合も 50%となった44。
一方、司法制度をより発展させるためには、引き続き新しい「ロシア裁判制度の発展、
2007 年―2011 年」連邦プログラム案の提案が予定されている。
2.3 行政改革
行政制度の現状及び問題点
80 以上の分野における企業活動を規制する許認可制度及び汚職問題は、企業にとってコ
ストの増加につながり、経済活動発展の妨げになっていた。
汚職問題においては、汚職の度合いを示している CPI(Corruption Perceptions Index,
Transparency International)45で見たロシアの状況は、中・東欧の体制移行諸国と比較し
て深刻であった。
The Corruption Perceptions Index、1998-2005
国
1998 年
2000 年
2002 年
2004 年
2005 年
スコア 位置 スコア 位置 スコア 位置 スコア 位置 スコア 位置
ロシア
2.4
76
2.1
82
2.7
71
2.8
90
2.4
126
ポーランド 4.6
39
4.1
43
4.0
45
3.5
67
3.4
70
ハンガリー 5.0
33
5.2
32
4.9
33
4.8
42
5.0
40
チェコ
4.8
37
4.3
42
3.7
52
4.2
51
4.3
47
スロバキア Na
Na
5.5
28
3.7
52
4.0
57
4.3
47
(注)「スコア」は、1 から 10 までの数値。数値が低いほど汚職度合いが高い。「位置」は
汚職の少ない順。ちなみに 2005 年では 156 カ国中、一番汚職の少ない国はアイスランドで
1 位(スコアは 9.7)。
出所:www.transparency.org
2006 年 1 月 19 日閣議、「ロシア裁判制度改革」の実施についての経済発展貿易省グレフ
大臣の報告。
45 CPI のスコアは1から 10 まであり、
スコアが高い方が汚職の少ない度合いを示している。
44
- 30 -
行政改革の必要性については、1998 年 2 月、エリツィン大統領の一般教書において初め
て言及され、さらに、首相に就任したキリエンコの演説には、肥大した官庁組織の見直し
について述べられている。しかし、1998 年 8 月の通貨危機後、行政改革を含む構造改革が
事実上凍結になったため、官庁組織の再編問題は手付かずであった。
2001 年 4 月、プーチン大統領の一般教書の中で「ようやく行政改革への準備を始める必
要がある」と述べられ、改革の幾つかの提案が出された。
行政改革の趣旨及び進捗状況
(1) 行政改革の一貫として規制緩和が積極的になされた。2002 年 1 月 15 日からは、議会の
決議によって、ライセンスの必要な事業種類を 15 分の 1 までに引き下げ、新規企業登録の
手続きを簡素化し、企業の検査を 2 年間で1回以上行うことを禁止した。2003 年 1 月 1 日
からは、新規小企業の検査を設立から 3 年間免除した。その結果、行政改革の前と比べ 2004
末には新規企業の登録は 1.5 倍の早さで可能になった。新規企業登録は、「一つの窓口」の
導入によって、法律で定められている 5 日間で進められることになった。登録料金は 2,000
ルーブルであり、以前の 3,000 ルーブルよりも安くなった46。
2005 年、事業ライセンス関連法47の改訂によって、49 種類のライセンスの段階的な撤廃
が見込まれている。2007 年 1 月 1 日から建設業務及び観光業務に関わる許可は撤廃される。
(2) 2003 年に「行政改革委員会」が設立され、省庁の再編及び公務員の報酬の見直しが行わ
れた 48 。経済発展省が各省庁の機能を調査した結果、5,600 の機能があることが判明し、
「省・局・部門」の再編が行われた。内閣の委員会は 220 から 14 まで削減され、大統領府
の局は 23 から 12 まで削減された。さらに、大統領府の職員数が最大 954 人と定められ、
改革の前に比べて、250 人(20%)削減された。
2004 年 1 月 1 日当時、国家行政機関、司法機関、保安及び防衛機関を含む行政分野では
82,000 の機関が活動しており、この分野の職員の平均報酬額は、8,331 ルーブル(2004 年)
であり、経済全体の平均報酬を 22%上回っていた。
46
47
48
Ведомости, 16.11.2005, No 215(1496)
「各事業のライセンスにかかる連邦法の改訂について」2005 年 7 月 2 日。
2003 年 7 月 23 日、大統領令「2003 年―2004 年における行政改革の実施について」。
- 31 -
出所:Госкомстат, Россия в цифрах 2005
2004 年 4 月 10 日、大統領令 No519 によって、一部の上級公務員の給与が引き上げられ
た。大統領令によって、中央当局の国家公務員は職階によって 2 倍から 13.6 倍の給与の引
き上げが行われた。一年間の報酬の中には以下の手当が含まれている。
<年間の公務員給与引き上げ対策>49
1. 資格の級に見合った手当(基本給(月額)の 4 か月分)
2. 勤務の特別な条件のための手当(基本給(月額)の 14 か月分)
3. 年功のための手当て(基本給(月額)の 3 か月分)
4. 勤務の成果ボーナス(基本給(月額)の 3 か月分)
5. 毎月の報奨金(省の場合、基本給(月額)の 42 か月分、連邦機関の場合、36 か月分)
6. 生活援助(基本給(月額)の 2 か月分)
全体的には、公務員の年間報酬の 15%が基本給であり 85%が手当である。
一方、上級国家公務員の場合には、給与及び手当以外の、特権の形での報酬が存在してい
る。連邦省庁の幹部は、各省庁に付属している病院での医療を無料で受ける権利を持ち、
保養所の使用も無料である。各省庁の次官は公用車を利用でき、第 1 次官の場合には、公
用車の利用を公私共に認められている。
なお、 2005 年以降の行政改革の第二弾は、汚職の排除に焦点を当てることになった。
2.4 自然独占改革
2.4.1. 電力産業改革
電力産業の現状及び問題点
49
2004 年 4 月 10 日、No519 の大統領令、第 13 項。
- 32 -
(1) ロシア統一エネルギーシステム株式会社(以下 RAO UES)は、1992 年 8 月 15 日、No923
及び 1992 年 11 月 5 日、No 1334 の大統領令によって設立された。2004 年の市場占有率は、
発電所の総生産能力において 72.4%であり、電力生産量は同 70.0%、ロシア全体のエネル
ギー供給においては 32.3%であった50。
(2) 2000 年における電力産業の構造は次のとおりである。政府は”Rosenergoatom”社(ロ
シア原子力エネルギー)の 100%所有権を保有し、10 の原子力発電所を運営した。さらに、
政府は電力部門の総合事業会社 RAO UES51の株式の 52%を保有した。RAO UES は、44(建設
中の 8 発電所を含む)の発電所の株の 20%~100%を保有している。RAO UES は、エネルギ
ー企業の 71 社、発電所、送電線(220kw 以上)、配電線(100kWatt 以下)、制御、販売会社
の株式の 45%~100%を保有するとともに、地方の総合エネルギー企業(Irkutsk’energo
社, Tat’energo 社、Bashkir’energo 社のそれぞれの株式の 21%、Novosibirsk’energo
社の株式の 14%)のシェアを有していた。他方、当時、エネルギー市場における独立系エ
ネルギー会社も存在した。
電力分野における独占的な構造は、非効率を生み出し、90 年代には次のような問題が起
きていた。
1.
2.
3.
4.
5.
6.
<90 年代におけるロシア電力部門の問題点>
エネルギー使用量、設備の効率、発電所の生産能力の立ち遅れ
発電コスト削減、エネルギー消費節約等へのインセンティブ不足
地方での停電等の障害の他、大規模な事故の可能性の内在
電力料金未払問題
電力企業の財務状況の不透明、情報の未開示
新規市場への進出困難
さらに、2000 年以降も電気料金の値上げは著しく、住民に対する 100 キロワット当たり
の電気料金が 2000 年の 39.16 ルーブルから 2004 年には 93.15 ルーブルと 2.3 倍に増加し
ている52。
電力産業改革の趣旨及び進捗状況
(1) 電力産業改革の基本は、市場原理に基づき、可能な限り地方における電力の競争市場を
創出することにある。改革の目標には、電力部門の独占構造の廃止、省エネルギーの促進、
コストダウンのための効率的なメカニズムの導入などが挙げられている53。
改革の主要な目的は、電力部門の効率を向上させ、投資の促進によって産業を発展させ
ることにあり、ロシアにおいて安定したエネルギー供給を確保することである。これを実
現するために、規制緩和、エネルギー市場の創設、新規事業促進政策にプーチン政権は高
50
51
52
53
RAO UES の HP より。
ロシア統一エネルギーシステム株式会社、政府の株式持分は 52%、その他の株主は 48%。
Госкомстат, Россия в цифрах 2005
2003 年 3 月 26 日「連邦電力法」が採択された。
- 33 -
い優先度を与えている。そして、改革の趣旨はエネルギー部門における自然独占部門と競
争原理の導入可能な部門の分離である。競争市場原理の導入可能な分野としては、発電及
びエネルギーの販売への新規参入が重要と見なされており、これらの分野においては、市
場を創設し、市場価格メカニズムを導入することである。他方、従来のシステム全体の管
理・制御においては、組織再編を行いながら国家管理体制を強化する予定である。
1.
2.
3.
4.
5.
6.
7.
<電力産業構造改革の実施目標>
販売システムの管理会社における政府のシェアを 50%以下
連邦送電会社の政府シェアを 75%程度
地域間の配電担当企業の政府シェアを 50%程度
原子力発電所の政府のシェアを 75%程度
水力発電所の政府のシェアを 50%程度
火力発電所、独立系のエネルギー企業、販売会社、修理・サービス企業の政府のシェ
アを 50%以下
極東ホールディングなど隔離したエネルギー・システム・ホールディング社の政府の
シェアを 50%程度
(2) 今後の改革の流れの中で設立される新組織は、分業原理に基づいて設立される。分野別
に設立される新規企業は、いくつかの地方における同機能の部門を統合することになるた
めに、企業規模は、これまで地方に存在した独占企業の規模を上回ることも予想されてい
る。たとえば、送電線は「連邦電線会社」の管轄に入り、配電事業は地域間の配電企業に
移行され、地方の管理・制御事業は全ロシアシステム・オペレーターに移管されることに
なる。
(3) 地方のエネルギー株式会社の再編は 2003 年から始まっており、とくに 2004 年には積極
的に行われた。2004 年には、地域をまたぐ企業の設立が着手され、2005 年には、予定され
た7つの卸売り発電企業の登録が完了、予定されている 14 の地方発電所の中からは 13 の
企業登録手続きが終了した。また、2005 年には4つの地域間配電企業が設立された。
(4) なお、これらの電力改革は 2006 年までに完了する予定であったが、2005 年 12 月の閣議
にて 2008 年まで実施が延長された54。改革の結果、現在の RAO UES は解散することとなる
が、それに代わって、6つの卸売電企業及び連邦送電会社が市場におけるプレイヤーにな
るものと考えられる。なお、チュバイス55によれば 2008 年までには電力市場の自由化が完
成する予定である56。
2.4.2 ガス産業改革(ガスプロム改革)
ガス産業の現状及び問題点
2004 年 12 月 24 日、閣議にて「電力部門における改革の実施について」、産業エネルギ
ー省フリステンコ大臣報告。
55 アナトーリー・チュバイス( Анатолий Чубайс)1955 年生まれ。1998 年 4 月から RAO
UES の社長。現在に至る。
56 出所:RAO UES の HP より(www.rao-ees.ru)
;Ведомости 2005.11.22.
54
- 34 -
(1) ロシアの天然ガス埋蔵量は世界シェアの 26.9%である。1997 年から 2003 年の間の生産
と輸出の推移は以下のとおりである。
ロシアの天然ガスの生産と輸出
(単位:10億立方メートル/年)
700
600
500
400
立方メートル
300
200
100
0
天然ガス生産
天然ガス輸出
1997 1998 1999 2000 2001 2002 2003 2004
出所:本村眞澄(2005)、p.82、83,. Interfax
2005 年 2 月 8 日付け(2004 年天然ガス生産
量)。International Oil Daily 2005 年 1 月 26 日付け(2004 年天然ガス輸出量)。
(2) 天然ガス産業の構造は自然独占であり、独占企業であるガスプロム社のシェアは 2001
年で 90%であり、2004 年には 86%であった57。
現在の問題としては独占的構造によるコスト削減意欲の欠如から来る問題、また、料金
値上げ問題がある。住民の月間の一人当たりガス料金は、2000 年から 2004 年の間において
5.66 ルーブルから 14.36 ルーブルに上昇し、約 2.5 倍に増加している。
さらに、ガスプロム社の主要な資産であるパイプラインは老朽化している58。設備の老朽
化の比率は 56%であり、コンプレッサーの老朽化が特に進んでおり、89%である。ガス田
開発や設備投資には資金が不可欠であるが、ガスプロム社の不透明な財務状況が投資家に
懸念を与えている。十分な投資ができない場合には、2006 年~2008 年にはガス不足が生じ、
国内市場における需給バランスが崩れる場合には国内価格が高騰する恐れがある59。さらに、
ガスプロムの会計上の不透明さは以前から投資家や関係者の批判の的であった。
The Moscow Times, 8.6.2001.,”Gazprom in Figures,2000-2004, www.gazprom.ru”
2005 年現在のパイプラインの使用年数は次のとおりである。21 年~35 年使用されたパ
イプラインは全体の 40.7%、11 年~20 年は 30.9%。また、35 年以上は 17.3%、10 年以
下は 11.1%。
(ガスプロム社の HP より、www.gazprom.ru)
59 Компания, No21, 30.5.2005
57
58
- 35 -
ガス産業改革の趣旨及び進捗状況
(1) 天然ガス産業の改革は、エリツィン政権時代から始まり、プーチン政権には、「ガスプ
ロム改革60」として受け継がれている61。ガス産業改革の目的は以下のとおりである。
第 1 にガス産業の効率を向上させること、第 2 には投資家にとってガス産業の魅力を向
上させることである。2001 年 5 月 30 日、ガスプロム社長にミルレル氏62が就任して「ガス
プロム改革」の第 1、第 2 段階が実施されている。
(2) ガスプロムの独占体制の改革は、電力産業の改革と同様で、自然独占の部分と競争原理
の導入可能な分野を分ける方法が採用されている。パイプラインは非競争分野と見なされ、
新規開発部門に市場原理を導入することで、新規企業にとっては市場へのアクセスを容易
にするといった構想である。一方、独占構造の排除、とりわけガスプロム社本体の分割(生
産と輸送の分離)については、経済発展貿易省とガスプロムとの間で考え方の違いが生じ
ていた。しかし、無理に本体を解体することは避け、コア部分は残したまま再編するとい
うガスプロム社のビジョンが主流になっている。
(3) 2003 年には、ガスプロム改革の第 1 段階が終了した。第 1 段階ではガスプロム社の資産
をはじめ、ガス産業全体の資産の調査が行われた。2008 年までに実施される第 2 段階の目
的は、垂直型の総合企業としての効率向上である。その手法としては、ガスプロム社本体
から副業的な事業を分離独立させ、天然ガス・液体炭化水素の採掘及び運送部門の専業事
業をコア事業とすることにある。同時に専門外の事業、さらには採掘、運送事業において
もそれぞれの子会社の形にすることで財務状況をより明確に把握できるようにすることが
狙いとなっている。再編の結果としては、天然ガス及び液体炭化水素の採掘、運送、加工、
地下及び販売など、それぞれの部門に発生するキャッシュ・フローが分割して把握される
ために透明性が向上すると期待されている。中核事業に集中すること以外には、メインテ
ナンス・修理業務、ガスの分配網及び福祉インフラ部門を分離し、独立組織にすることが
改 革 の 第 2 段 階 の 内 容 で あ る 。 2004 年 に は 、 分 配 網 を 軸 と し て 事 業 を 行 う 株 式 会
社”Gazpromregiongas”が設立された。さらに、各子会社の投資部門に代わって、地方別
に投資会社を設立する予定である。
(4) 2006 年 1 月には、ガスプロム社株式に関する規制のうち、非居住者のシェアは従来の
20%までという制限があったが、これが撤廃・緩和された。ただし、同時に「ロシア連邦
60
61
62
1989 年、ガス産業省は省ごと国営ガス・コンツェルン、つまり「ガスプロム」
(GGK
Gazprom)に移行・設立された。その後、大統領令(1992 年 11 月 5 日)及び閣僚会
議の政令(1993 年 2 月 17 日)を受けて、1993 年には株式会社「ガスプロム」(RAO
Gazprom)が設立された。主な活動は、天然ガス、ガス凝縮液、石油の採掘、天然ガス
及びガス凝縮液の加工、ガスパイプライン運送、国内外の消費者への天然ガスの販売業
務である。
1997 年 4 月 28 日「自然独占における構造改革の主なテーゼについて」大統領令、No426
1999 年―2001 年。政府の依頼によって、ロシア連邦エネルギー委員会、経済発展貿易
省及びエネルギー省は、
「ロシアのガス産業発展の構想」を作成。
アレクセイ・ミルレル(Алексей Миллер)1962 年生まれ。2000 年からエネルギー省
次官、2001 年 5 月 30 日からガスプロム社社長である。現在に至る。
- 36 -
におけるガス供給法」の改訂63により、ロシア政府のシェアは 50 %プラス 1 株以上と定めら
れている 64 。また、非居住者による株式取得に際して必要とされていた連邦金融市場庁
(Federal Financial Market Service )65の許可が不要となり、さらには株式の売買取引
所指定もなくなった。ガスプロム社の株式市場の規制緩和によって同企業の時価総額が急
増している。2006 年 5 月 5 月 10 日現在、ガスプロム社の時価総額は 3000 億ドルを上回っ
て、世界第 3 位の企業である
66
。
2.4.3 鉄道改革
鉄道部門における現状及び問題点
(1) 現在、ロシアの鉄道の総延長距離は、87,157km であり、米国についで2位である。
国別の鉄道の総延長
71,898
227,736
鉄道の総延長、km
23,577
87,157
0
50,000
100,000
150,000
200,000
250,000
出所:米国 CIA ファクト・ブックより http://www.odci.gov/cia/publications/factbook/
改革が実施されるまで、ロシアの鉄道部門では独占的構造が存在し、競争原理が欠如し
ている中で、コスト高及び運賃の値上がりも目立っていた。100 キロ当たりの運賃は、2000
年の 29.00 ルーブルから 2004 年の 94.64 ルーブルまで、3.3 倍に増加している67。
(2) 2003 年 10 月 1 日付でロシア鉄道省が廃止されると同時に、輸送関係業務が新規「ロシ
ア鉄道株式会社」に譲渡され、管理は運輸省が担うようになった。「ロシア鉄道株式会社」
は、国営企業であり政府が株式の 100%シェアを保有している。同企業は、駅ビル、車庫、
63
64
65
66
67
2005 年 12 月 8 日、議会で採択。
ガスプロム社の子会社が親会社の株式の 10.74%を国営企業「ロスネフチガス」に売却し
たことによって政府のシェアが 50%を超えた。
証券市場をはじめ、ロシアの金融市場のモニタリング機関。
Ведомости, 10.05.2006
Госкомстат, Россия в цифрах 2005
- 37 -
中国
米国
日本
ロシア
操車室、20,000 台の機関車、貨物車両と乗客車両を合わせて、600,000 車を所有し、運営
している。
鉄道部門改革の趣旨及び進捗状況
(1) 鉄道改革は、2001 年の「鉄道構造改革」の政府令、及び「2003 年―2005 年、鉄道構造
改革プログラムの実施計画」68の下で行われている。
電力及びガス産業改革と同様に、鉄道事業においても非競争部門(自然独占)と市場原
理を導入できる部門を分けるのが改革の趣旨である。第 1 段階においては、鉄道省の管轄
にある資産について調査・評価が実施され、専業外の事業を切り離し、新規に「ロシア鉄
道株式会社」とすることとし、これは 2003 年 10 月1日に設立された69。設備投資プログラ
ムに改革の重点が置かれ、車両の近代化とともに、レール敷設等のインフラ投資に大きな
重点が置かれている70。2005 年には全投資額の 70%がインフラ投資に充てられる。
(2) 鉄道事業における市場原理の導入の結果として、民間列車が登場した71。鉄道改革の第
2 段階における「ロシア鉄道株式会社」から連邦旅客列車カンパニー72が独立することによ
って、国営企業と民間企業の両者が運輸市場のプレイヤーになった73。
(3) 改革の結果としては、2004 年 6 月に初めてロシア鉄道株式会社が Moody’s Investors
Service による格付が与えられた。2005 年には Fitch 社が、”BBB”の格付け(ロシア連邦
ソブリン格付けと同様)を与えるとともに、2010 年満期の総額 350 百万ドル及び 2012 年満
期の総額 175 百万ドルの社債に対して、ロシア国内格付基準で AAA 格付けを与えた74。
国際格付け機関によるランキングが与えられたことにより、将来の国際金融市場におけ
る資金調達につながり、投資活動の活発化が期待できることになった。
(4) 2005 年には鉄道改革の第2段階が終了した。「ロシア鉄道株式会社」の経営陣が取り
組んできたコスト削減及び事業の効率性向上の結果、運送量は 10%増加し、運行の安全性
や財務状況が改善された。2005 年には「ロシア鉄道株式会社」を 13 億人の乗客が利用し、
貨物量は約 13 億tであった。ロシアの国内全体の輸送市場における同企業のシェアは、利
用者の人数では 41%であり、貨物量では 39%であった。また、2005 年の財務状況は純利
益額が 113 億ルーブルであり、国への配当金は 10 億ルーブルであった。
(5) 2006 年、改革の実施は第 3 段階に入る。改革の一貫として、「ロシア鉄道株式会社」
の傘下企業に連邦乗用車管理会社(Федеральная пассажирская дирекция (ФПД) の設立が予定
されている。新企業は 7 の地方管理会社をまとめ、46 の車庫及び 25,500 台の乗客車両を保
68
69
70
71
72
73
74
No384,2001 年 5 月 18 日及び No283、2003 年 5 月 6 日の政府令。
No585,政府令。社長には元鉄道大臣の Fadeev 氏が就任した。新会社に譲渡された資産
額は 15,357 億ルーブルである。
2004 年には、
「ロシア鉄道」株式会社がサハ共和国にある Tommot-Kerdem 線に 40 億ルー
ブルを投資することを発表した。 www.reformarzd.ru
モスクワとサンクト・ペテルブルグの間で、”Grand Express”という名のホテル列車の運
転が開始された。
政府が 100%株式を保有する。
www.reformarzd.ru 2005 年 12 月。
RIA Novosti, 17.11.2005
- 38 -
有する予定である75。
2.5 銀行セクター改革
銀行セクターの現状及び問題点
(1) 1998 年の通貨危機以降、ロシアの銀行セクターは速い速度で回復を遂げた。1998 年か
ら 2003 年の間、銀行セクター総資産の対 GDP 比は 31.5%から 41.8%まで増加し、自己資
本比率は 4.8%から 6.1%まで増加した。対 GDP 比で見ると、非金融セクターへの融資は
8.2%から 18.0%まで、居住者の預金高は 8.0%から 11.9%まで上がった。
2004 年末の金融機関の数は 1,605 であり、その中で銀行業務を行う機関数は 1,329 であ
る。法人取引トップの 5 位の銀行は次のとおりで、ズベルバンク(Sberbank)が 1 位を占
めており(1,658,000 口座、Moody’s 格付けで Aaa.ru)、アルファバンク(Alfa Bank)が
2 位(60,000 口座,Standard&Poor’s 格付けで ruAA-))、モスクワバンク(Bank of Moscow)
が 3 位(58,300 口座 )、ウネシュトルグバンク(Vneshtorgbank)が 4 位(58,000 口座,
Standard&Poor’s 格付けで BBB(A-),外貨建て、予想))
、ソッドビジネスバンク(Sodbusiness
Bank )が 5 位(50,000 口座)である。76
(2) 2005 年末には預金市場における国営のズベルバンクのシェアは、55%強であり、こうし
た独占的な構造が金融セクターの発展の妨げになっている。また、銀行セクター総資産は
GDP の 40%であり、産業発展に必要な投資を提供する規模にはなっていなことが経済全体、
及び金融システムの弱点である。銀行セクターを強化する改革が、今後の経済発展のため
に不可欠である。
銀行セクター改革の趣旨及び進捗状況
(1) 銀行セクター改革は、
「ロシア連邦銀行制度発展戦略」77(5 年間プログラム)及び、
「ロ
シア連邦銀行セクター発展戦略 2004 年~2008 年」78また、2005 年 4 月 5 日で採択された
「2008 年までのロシア連邦銀行セクターの発展戦略」79の下に実施されている。
75
76
77
78
79
www.pro-rzd.com、27.2.2006
2006 年 2 月現在、Moody’s(www.rating.interfax.ru)は、51 のロシア銀行に格付けを
行っている。Standard&Poor’s(www.standardandpoors.ru)では 35 の銀行が格付けさ
れている。
2001 年 12 月 30 日、カシアノフ首相(当時)及びゲラシェンコ中央銀行総裁(当時)に
よって調印された。
2004 年 2 月 11 日、閣議にて採択。
政府及び中央銀行の共同声明、2005 年 4 月 5 日。
- 39 -
1.
2.
3.
4.
5.
6.
7.
8.
9.
10.
11.
<銀行セクター改革骨子>
銀行セクターの危機を防止することを可能とする安定した銀行制度の構築
家計の貯蓄及び企業の貯蓄を集約し、融資及び投資に動員する銀行業務の向上
投資家、債権者、預金者の銀行制度への信頼度の向上
預金者及びその他、銀行の債権者の権利保護の強化
不誠実な商業活動の金融機関の使用防止
2004 年からの国際会計基準の導入
金融機関再建庁(ARCO)80の管理下で倒産に陥った金融機関の再建
新規金融機関の自己資本額及び自己資本比率に関する規制強化
ロシア中央銀行によるモニタリング・システム強化
住宅ローン制度の発展
預金保険制度の構築
(2) 現在は、自己資本 5 百万ユーロ以上の銀行にとっての最低自己資本比率は 10%であり、
5 百万ユーロ以下の場合では 11%である。一方、自己資本比率が定められた下限を下回る
場合には当該銀行の倒産を防止するために、中央銀行が関与する義務が定められている。
自己資本比率が 2%以下に下がった場合には、中央銀行が市中銀行の銀行業務ライセンスを
取消す義務がある。2006 年 1 月 19 日の「銀行及び銀行業務」法及び「金融機関の倒産」法
の改訂によって、銀行業務のライセンスの取消の基準は、自己資本比率 2%から 8%までに
引き上げられることになった。
(3) 新しく設立される銀行の自己資本額は 5 百万ユーロ相当のルーブル額と定められている。
さらに、2005 年からは自己資本比率が 10%以上と定められ、これらの規制を満たさない銀
行についてはライセンスが取消される。また 2007 年からは、自己資本比率の 10%規制はノ
ン・バンクの金融機関など、全ての金融機関に対し有効になる。同時に、全ての金融機関
の自己資本額が 5 百万ユーロ相当以上と定められる。
(4) また、ロシア中央銀行の銀行セクターに対するモニタリング機能強化政策の下で、銀行
と企業との取引リスクを算定する目的で、債権者と債務者との融資取引についての情報を
開示するシステムが構築される予定となっている。
全体の構想としては、家計の貯蓄を投資にも転換させる効果的な銀行制度の構築、ロシ
ア国内金融市場において外資系金融機関と競争できる銀行セクターの育成、銀行セクター
の安定性の向上、預金者保護制度の構築、投資家、債権者、預金者から高い信頼を受ける
銀行セクターの育成である。また、戦略プログラムには具体的な数字も取り上げられてい
る。具体的な目標としては、2009 年 1 月 1 日までに、総資産、自己資本、融資の対 GDP 比
をそれぞれ 56%-60%、7%-8%、26%-28%にすることである81 。
(5) 効率的な銀行制度は、高度経済成長率を達成するためには必須であり、とくに 1998 年
80
81
1998 年の金融危機の際に設立された金融機関再建のための専門政府系機関。
銀行セクターがプログラムのとおり発展していく場合、銀行セクター成長率は GDP の成
長率を上回る計算になる。仮に GDP の平均成長率は 7%であれば、銀行セクター総資
産の増加率は 15%、自己資本の増加率は 13%、融資の伸び率は 17%である。(Николаев
И.А.(2004) p.256)
- 40 -
に失われた信頼の回復が先決である82。そのため、預金保険制度導入、また、国際会計基準
に適合した会計制度の導入、情報開示の徹底、銀行活動のモニタリング、必要な場合の倒
産手続きの確定、債権者権利の保護等が改革の重要なポイントになっている。
(6) 銀行のモニタリング機能は中央銀行が担っているが、預金保険制度は「預金保険庁」が
担当している。預金保険制度は、2 段階に分けられて導入される。第 1 段階は、財務状況が
安定した銀行が任意加盟する段階である。一方、その時に加盟しなかった銀行は銀行業務
を引き続き行うことが認められる。第 2 段階は、国際会計基準が導入されてから 1 年以上
経過した後、実施される。第 2 段階では、預金保険制度への加盟が義務付けられる。加盟
が認められない銀行は、個人預金の扱いの許可が取消される。
(7) 一つの銀行の一口座あたりで保証される預金の最大金額は 100,000 ルーブルであるが、
複数の銀行に口座を開設することや、同一銀行において家族の口座を開設することによっ
て保証される金額を増やすことは可能である。他方、一定の条件を満たした銀行に限って
預金保険制度に加盟することが可能になる。2004 年 4 月現在、120 の銀行(全体の 10%)
が預金保険制度に加盟を申請している。他方、この制度に加盟していない(加盟が認めら
れていない)銀行は新規預金を受け入れることが不可能となる。ズベルバンクは預金保険
制度に 2007 年から加盟83することになった。預金保険制度の導入によって、銀行セクター
の独占構造が改善されると予想されている。
2.6
地方自治体改革(中央・地方財政改革)
自治体制度の現状及び問題点
(1) 地方自治体に関する問題については、プーチン大統領の国家評議会での「ロシア連邦に
おける地方自治体:現状及び発展の展望」報告書(2002 年 10 月 23 日)の中で述べられて
いる。大きな問題の1つとしては、地方自治体の経済基盤が脆弱であり、市場経済におけ
る新しい社会体制の法律が未整備・未完成であることが指摘されている。中央政府及び地
方自治体との関係についての権限などには具体性が欠如している部分があることや、90 年
代に採択された地方自治体法とその後にできた連邦の税法及び財政法との間に隔たりがる
ことも記述されている84。
(2) 2000 年 5 月、プーチン大統領の就任後、全国の地域が 7 つの連邦管区に分類され、大
統領の全権代表者が地域を監視する制度が設けられた。
82
83
84
2004 年 OECD のデータによれば、ロシアには銀行預金は 480 億ドル、「箪笥預金」は
400 億~800 億ドルと見なされている。OECD(2004), p.1
ズベルバンクの預金保険制度への加盟は移行期間を置いて実施される。ズベルバンクの
保険料はロシア中央銀行の特定口座に集約され、預金保険制度への加盟の後、保険料が
全体のシステムと統合される。
Путин В.В. «Местное самоуправление в Российской федерации: состояние и
перспективы развития», доклад на Государственном совете Российской
Федерации, 23.10.2002.
- 41 -
<7つの連邦管区>
1. 中央連邦管区(首都、モスクワ市)
2. 北西連邦管区(サンクト・ペテルブルク市)
3. 南連邦管区(ロストフ・ナ・ドヌ市)
4. 沿ボルガ連邦管区(ニージニー・ノブゴロド市)
5. ウラル連邦管区(エカテリンブルグ市)
6. シベリア連邦管区(ノボシビルスク市)
7. 極東連邦管区(ハバロフスク市)
(3) 2005 年 1 月 1 日現在、ロシア連邦には 21 共和国、6地方(クライ)、49州(オブラス
チ)、2 特別都市(モスクワ及びサンクトペテルブルク)、1 自治州、10 自治管区の 89 の連
邦構成主体85があり、その下に 1,866 地区、1,099 市及び 24,373 の農村がある。ロシアに
おける地方自治体の活動は、「ロシア連邦における地方自治体」法(1995 年 8 月 28 日採択)
によって定められている。その法律によって町村には自治体ステータスが与えられ、所有
権、予算及び市民による行政官の選出が確保された。一方、連邦と自治体との間での歳入
予算の分配手続きなどについての具体的な記述がなかった。
自治体自治体改革(中央・地方財政改革)の趣旨及び進捗状況
(1) 2003 年 10 月 6 日付で改訂版「ロシア連邦における地方自治体法」が採択され、同法が
2006 年 1 月 1 日に発効したことによって自治体の独立性は向上されるとみられている。改
訂法によれば、自治体は地区、町村、市の3つのレベルで定められ、2006 年からは年金、
防衛関連費用、高等教育(大学)、学術の費用が連邦予算から支払われるのに対し、自治体
は医療関係、教育及び住宅・公共料金にかかる補助金などを負担することになっている。
地方自治体改革の実施に伴い、公的資金の拠出においては地方自治体の負担がより大きく
なるものと予想されている。
(2) ベスランで発生したテロ(2004 年9月 1 日)を契機に、2004 年 12 月 12 日、プーチン
大統領は地方知事の選挙制度を廃止する国家機構を定める改訂法に署名し、地方知事は事
実上、大統領により任命されることになった。
85
その後、連邦構成主体の改編があり、2006 年 5 月 1 日現在では 88 となっている。
- 42 -
連邦・地方の財政支出(国民一人当たり)の見通し
30
25
20
1000ルーブル 15
10
5
0
連邦予算
地方予算 予算以外の連邦基金
2004年 2005年 2006年 2007年 2008年
出所: Министерство финансов «Бюджетная реформа в действии 2006-2008»
2.7 教育制度改革
教育制度の現状及び問題点
(1) 教育課程は 4 つの段階に分けられている。第 1 段階は就学前教育であり、第 2 段階は初
等教育(3 年)、第 3 段階は一般中等教育(8 年)
、そして第 4 段階は専門教育である。初等・
中等教育は合計 11 年であるが、義務教育は 9 年である。なお、大学教育の平均年数は 5 年
間である。義務教育の年数の 9 年間は、初等課程入学の年齢を 6 歳 6 ヶ月から可能とし、3
年間であり、そして、中等教育の終了は 15 歳までと定められているが、終了年齢の上限は
18 歳で86、4 級から 9 級までと定められている。なお、就学前の教育は幼稚園で行われ、年
齢は 2 歳から 7 歳までである。
(2) 1988 年から 1998 年の間、出生率が半減したことを反映し、就学前の教育機関に通って
いる児童の人数が 54%まで減少し、教員の人数も 31%減少した。2003 年には、就学前の教
育機関の 8 割は市立幼稚園であり、予算不足のため、教員の平均月給は、360 ルーブル(約
1,500 円)87であった。
(3) 教員は最も低い所得層に属しており、2004 年時点においては、経済全体の平均月給
(6,832 ルーブル)の 62%(4,254 ルーブル)であった88。市場経済移行過程で財政赤字が
続いた 1998 年までは、教育分野へ国家予算の配分は減少していた。その結果、2000 年には
2百万人の児童(全体の 10%)が通学していないこと、また、学校の設備や教材の更新が
遅れ、教育課程が円滑でないことが指摘され始めた。さらには、大学の入学にあたり 40%
ロシア連邦「教育法」1995 年 7 月 12 日、2004 年 3 月 5 日改訂版。
Федеральное агенство по образованию, «Дошкольное образование: задачи,
проблемы»
88Федеральное агенство по образованию, Госкомстат Россия в цифрах 2005
86
87
- 43 -
の受験生と受験生の両親の 30%が不正入学問題に直接・間接的に係わったとの報道もある89。
(4) ロシア教育制度は、長期間に亘って見直されたことがなかったため、政府にとっては質
の高い、誰でも受け入れる現代的な教育制度の構築が重要な課題である。
教育制度改革の趣旨及び進捗状況
2001 年 10 月 25 日には、「2010 年までのロシア教育制度の現代化構想」が採択され、教
育改革が始まった。
<教育制度現代化構想骨子>
1.
2.
3.
4.
12 年の中等教育の導入
統一国家試験の導入
統一国家試験の結果に基づき大学入学の決定
統一国家試験の結果に応じた国家支援(奨学金)の決定(「お金が成績についてくる」
という構想の導入)
5. 教育の基準化の促進
2000 年当時は、教育分野への国家予算の配分が 2.8%であったが、2004 年には 4.9%に
までに引き上げられた90。また、2006 年度予算では、対 2005 年比 35%の配分増加91が織り
込まれている。
2.8 住宅・公共料金改革
住宅・公共料金制度の現状及び問題点
(1) 2003 年の国民1人当たりの住宅面積は 20.2 平方メートルであり、また、住宅分野への
建設投資は固定投資全体の 14.3%であった92。
(2) 90 年代後半から住宅価格の値上がりと同時に、公共料金も値上がり傾向にあった。
Аванесов В.С. (2000)
Rosbalt 通信社、09.12.2004
91 Министерство финансов «Бюджетная реформа в действии 2006-2008»
92Николаев И.А. (2004),p.163
89
90
- 44 -
出所:Госкомстат Россия в цифрах 2005
住宅価格の値上がりと同時に、公共料金も値上がりしている。2003 年には、国民一人当
たりの所得の 7.2%が住宅・公共料金の支払いに充てられ、これまでで最も高い数値になっ
た93。
出所:Госкомстат Россия в цифрах 2005
93Николаев
И.А. (2004), p.165
- 45 -
出所:Госкомстат Россия в цифрах 2005
(3) さらに、2002 年には住宅管理などで 52,000 企業が事業を行っており、うち 61.6%が赤
字であったことなどから住宅管理分野においても非効率的な企業運営の状況が示された。
改革の趣旨及び進捗状況
(1) 住宅分野における改革は、2001 年 9 月 17 日付の「住宅」国家プログラムの、「ロシア連
邦の住宅・公共サービス・コンプレックスの改革及び現代化」サブプログラムの下で実施
されている。改革は 3 段階に分けて行われる。2002 年~2003 年の第 1 段階では、現在の住
宅分野における国営企業及び住民による料金の未払い問題を解決し、公共料金の補助金制
度を廃止する予定である。2004 年~2005 年の第 2 段階では、住宅・公共サービス分野に
おいて市場原理を導入し、競争力のある環境を整備する予定である。さらに、2006 年~2010
年の第 3 段階では、この分野の持続可能な発展を確保するための、投資の誘致、また、銀
行融資を促すために国家保証また地方自治体保証の制度を導入する。
(2) 住宅・公共料金改革の中では、社会保障政策も重要な役割を果たしている。住民の生活
レベルが低下しないための、以下の具体策が織り込まれている。
<社会保障面における住宅・公共料金改革の骨子>。
1. アパートに設立される住宅所有者の管理組合による 2003 年までのアパート経営
実施
2. 民間の住宅関連サービス会社設立
3. 住宅・公共サービス分野への投資誘導メカニズム構築
4. 公共サービス料金に関する連邦基準の設定、2003 年以降、家計による公共
料金の全額支払い、家計収入における公共料金の支払い比率 25%上限、25%を超への補助
金給付
5. 低収入家庭に向けの補助金制度構築
- 46 -
2.9
年金改革
年金制度の現状及び問題点
(1) ソ連時代には、女性は勤務年数の 20 年間を条件として 55 歳から、男性は同 25 年間の
条件で 60 歳から年金を受け取る権利を有していた。ただし、厳しい環境(炭鉱、鉄鋼業)、
厳しい気候(北部地域)
、あるいは社会的に重要な教員、医療関係者などの場合には受給年
齢がより低く設定され、また、場合によっては必要な勤務年数も短縮されていた。年金額
は本人の希望によって、最後の 12 か月分の月給または最後の勤務 5 年間の平均月給を基礎
とする計算方法が採用されていた。したがって、勤務全期間中に支払われた給与の総額、
及び実際の勤務年数は受け取る金額にほとんど影響がなかった。なお、年金の原資は一部
が企業の納付金、その他が予算基金によるものであった。ロシア連邦最高会議の決議によ
って、「ロシア連邦年金基金に関する規則」が 1991 年 12 月 27 日に採択され、ロシア年金
基金は金融機関として活動することが規定された。
(2) 1990 年代には、ロシア社会の少子94・高齢化95が進み、他方では税金未納問題及び投資
に必要な資金の不足のために、年金給付制度を見直すことが試みられた。とりわけ、積立
て方式の導入による年金制度改革が重要な課題となった。
年金改革の趣旨及び進捗状況
(1) 年金改革は、2001 年に採択された3つの法令、すなわち、「ロシア連邦における国家年
金」(2001 年 12 月 15 日)、「ロシア連邦における労働年金」(2001 年 12 月 17 日)、及び「ロ
シア連邦における義務年金保険」(2001 年 12 月 15 日)の下で進められている。
<年金改革骨子>
1. 積立年金による給付額の決定
2. 積立て方式の義務
3. 任意の年金積立てを可能にする制度構築
(2) こうして、将来は配分方式の年金制度から混合(配分方式及び積立て方式の組み合わせ)
年金システムへと移行していくことになる。具体的には、年金は3つの部分に分けられる
ことになる。1つは最低限の保証年金であり、現時点では 660 ルーブルである。この最低
保証金額は政府がインフレ率に沿って決定・修正する。2つ目の部分は、年金保険(積立
金)に支払った年数及び金額によって決まる年金の部分である。この積立て方式は、月給
ロシアの出生率(女性が一生の間に生む子供の数)は 2003 年には 1.319 であり、1992
年の 1.552 と比し低下傾向にある。
95 全体人口に対する年金者の割合は、1990 年の 18.7%から 1995 年に 20.2%になり、それ
94
以降 20%台より下がったことはない(2003 年には 20.5%、2004 年には 20.3%)。
Госкомстат Россия в цифрах
2002, 2005
- 47 -
の一部を天引きにするものであるが、個人の名義の口座に積み立てられていく。積み立て
た金額は、民間の年金基金96に預けることも可能となり、市場で運用することが可能となる。
(3) 年金改革のもう一つの目的は、以前から残っていた特定の社会層(年金生活者をはじめ、
低所得者、第二次大戦歴を持つ退役軍人、専門分野における功労が認められた者)の特典
制度(公共交通料金の無料使用、住宅・公共料金の割引等)を廃止すると同時に、年金給
付額を増やすことにあった。2005 年 1 月には、特典の廃止に対して、全国で年金生活者等
による反対デモが行われた。年金者の意向に対して、プーチン大統領は年金改革の必要性
及び特典制度の維持が困難であることについて言及した。大統領の説明によれば、特典制
度は 90 年代には有効であったが、特典を与えられている人数の急増に伴い、制度の維持が
難しくなったということである。モスクワの公共交通機関の無料使用の例を挙げて、大部
分の利用者が無料で利用している分を特典のない少数者が負担しているという不平等の問
題である。公共交通機関では修理や設備投資の財源が不足しているが、他方では、正規料
金を支払っている利用者に対しては運賃の値上げを余儀せざるを得なくなったという問題
があり、全般的にサービスが悪化したということが報じられている97。
2.10 郵政改革
郵政事業の現状及び問題点
2002 年までは 4 万の郵便局が 92 の国営企業の管轄下に置かれていた。90 年代初の郵政
効率をみると、モスクワやサンクトペテルブルクのような大都市においても書簡の配達が
15 日~20 日かかるなど遅延が目立っていた98。また、郵政サービスの多様化及び IT の導
入を含む近代化が大きな課題である。
郵政改革の趣旨及び進捗状況
(1) 郵政事業の効率向上のために、2002 年 6 月 28 日付け政令で「連邦郵政再建構想」が採
択されたが、この構想の実施は、3 段階に分けられている。第 1 段階では、統一公社を設立
し、分割状態にあった郵政ネットワークを統一の国営企業の傘下に納めること、第 2 段階
では、統一公社の事業、とりわけ、郵便物の分別・郵送、国際郵便、郵便局のネットワー
クを充実させること、第 3 段階では、政府が支配権を確保した後に民営化することである。
(2) 2003 年 2 月 13 日に、統一郵政公社が設立された。2005 年現在、4 万の郵便局を傘下に
置き、1 年間で 10 億の書簡、12 百万の郵便物、7 千万の郵便送金を行っている。従業員の
数は 37 万人である。郵便物の郵送以外のサービスとしては、商品の通信販売、保険サービ
ス(自動車保険)、宝くじ販売、書籍の購読手続き、年金の支払い等を行っている。2004
年の売上高は 279 億ルーブルであり、対前年比で 19%増加している。経常利益率は 4.7%
96
97
98
1992 年に採択された「労働不能な市民及び児童のある家族の社会保護構想」の中で、非
国営年金基金の設立の展望について記述されている。
www.inopressa.ru 2005 年 1 月 20 日。
Известия, 2004.06.03
- 48 -
である。平均賃金は対前年比で 12%増加しているものの、経済全体における平均賃金の 60%
程度に留まっている。
事業・サービス別の収入構造
8%
6%
19%
10%
3%
33%
書簡配達
書籍配達
郵便物配達
年金支払い
通信販売,等の事業
郵便送金
その他
21%
出所:Федeральное госудaрственное унитарное прeдприятие «Почта России»
www.russianpost.ru
2.11 軍事改革
軍事分野の現状及び問題点
(1) 2006 年現在、ロシア連邦軍は約 121.3 万人であり、準軍隊が約 35.9 万人(国境警備隊
は約 14 万人、内務省軍は約 15 万人など)である。
戦略任務戦力は約 14.9 万人、戦略ロケット部隊の ICBM は 635 基、宇宙部隊の ABM は
100 基、海軍の SSBN は 14 隻、SLBM は 232 基、空軍の戦略爆撃機は 78 機、早期警戒シ
ステム(地上レーダー・衛星等)である。
一般任務戦力は、地上軍が約 36 万人、34 個師団、戦車は約 22,800 両、火砲等は約 30,000
門である。海軍は約 15.5 万人であり、総トン数は約 202.6 万t、主要水上艦艇 27 隻で、
潜水艦は 51 隻(SSBN を含む)である。空軍は約 18.5 万人であり、戦闘機は 908 機、攻
撃機は 606 機、爆撃機は 116 機(戦略爆撃機を除く)であり、SAM は約 1,900 基である。
極東ロシア軍は、地上兵力が約 9 万人であり、主要水上艦艇は 20 隻、潜水艦は 20 隻であ
り、作戦機は約 630 機(海軍機を含む)である99。
(2) ソ連時代から受け継いだ軍務及び兵役制度は、「防衛法」(1996 年 5 月 15 日)、「軍事義
務及び軍務法」(1998 年 3 月 28 日)によって定められている。これらの法律に従い、18
歳~27 歳の男子が徴兵される。徴兵期間は原則 24 ヶ月であり、大学卒業者は、12 ヶ月で
99
日本外務省 HP「ロシア連邦」より。
- 49 -
ある。ただし、徴兵制度に関する法律には、軍務を免除される範囲が定められているため
に、健康上の理由などによって、事実上は登録されている徴兵義務のある男子の 10%程度
しか徴集できないのが現状である100。さらに、2005 年以降は兵役年齢の男子人口の減少が
見られるために 2010 年までの予定定数を確保することは困難とみられる。そのため、兵役
にかかる契約制度の導入が軍事改革の柱として取り上げられている。
軍事改革の趣旨及び進捗状況
(1) 1999 年 2 月 12 日には、「ロシア連邦における軍事改革法」が採択され、また、2003 年
8 月 25 日には「2004 年~2007 年、一部の軍隊及び部隊の軍務兵士定員の契約制度への移
行」プログラムが採択された。プログラムの実施に必要な予算は 791 億ルーブルである。
2004 年~2007 年の間に 80 の部隊に契約制度を導入し、これにより定員を充足することで、
145,500 人の現役軍人を拡充させる予定である。
上記のプログラムの実施によって、2008 年からは徴兵制度による兵役期間を 1 年までに
短縮することが予定されている。
(2) 契約による報酬制度は、1 年目の兵士の月給が 6,000 ルーブルであり、チェチェン共和
国における任務を行う兵士の場合は 15,000 ルーブルとされている。
軍人契約制導入の費用および人数
300
60
250
50
200
40
億ルーブル 150
30 1000人
100
20
50
10
0
0
2004 年
100
2005年
2006年
2007年
ロシア国防省 HP、「軍隊の定員充足制度の改良」より。
- 50 -
費用
契約軍人
3.産業政策
3.1 概要
(1)「2010 年までのロシア連邦の発展戦略」(通称:グレフ・プログラム)の中では「産業政
策」という言葉は使われていない。また、自然独占部門について述べられている部分は「構
造政策」と名付けられている。ロシア政府の見解では、産業部門に優先順位をつけ、国が
支援していくといった、戦後の日本のような「傾斜生産方式」は効率的でないとしている101。
国際原油価格と予算歳入の推移
30
60
25
50
20
40
30 国際原油価格
予算歳入 15
10
20
予算歳入(対GDP,%)
5
10
国際原油価格
0
0
1994-2003年の平均国際原油価格
1999 2000 2001 2002 2003 2004 2005
1997年-2006 年の平均国際原油価格
*国際原油価格は1バレル当り($)
出所:ロシア財務省、Goskomstat より作成
(2) 2003 年 12 月 10 日、
「安定化基金」法が採択され、12 月 28 日には「ロシア連邦の安定
化基金設立をロシア連邦の予算コードに追加」する法が議会で採択された。この安定化基
金は、国際原油価格の上昇によって生じた予定外の歳入増加分を基金とし、将来の財政安
定に資するよう活用するためのものである。2004 年 1 月 1 日には 1,060 億ルーブルで「安
定化基金」が設立された。追加的な歳入を計算するベースの原油価格には当該年度までの
過去 10 年間の平均価格を用いると定められている。2004 年 1 月時点のベース価格は$20/
バレルと設定され、5,000 億ルーブルを対外債務返済に充てることが可能となった。そして、
2005 年にはパリ・クラブ債権者への返済に 4,258 億ルーブルが使用された102。
(3) 2006 年 1 月 1 日現在の基金の総額は 1 兆 2,370 億ルーブルであり、対前年比で 2.3 倍増、
GDP の 6%に上った。2005 年4月からのベース原油価格は$27/バレルである。なお、クド
リン財務大臣によれば、
「安定化基金」の使途は対外債務返済及び年金基金の赤字補填のみ
101
102
「国家の経済政策の優先」グレフ経済発展貿易省大臣の報告、2004 年 2 月 10 日。
RBK,( www.rbc.ru) 8.2.2006
- 51 -
とされる103。
(4) 政府の優先分野は、中期経済発展プログラム104の中でのハイテク産業、とりわけ、防衛
産業、原子力及び航空宇宙産業、通信、製薬及びバイオ技術、ソフト関連プログラムなど
にみられる。とくに、防衛産業及び航空宇宙産業の発展に関しては経済政策上の優先度の
高い分野と考えられている。そして、2006 年から、これらの分野においては長期発展戦略
が実行に移される。「ロシア連邦における情報技術の発展と利用」プログラムについて調整
中であり、具体的な発展プログラムが作成されつつある105。産業政策における政府の役割は、
これまで市場のインフラ整備、とりわけ競争市場の環境作りであったが、ハイテク分野で
は 2006 年に官民投資案件の実施のための新たに「投資基金」の創設を行うことも視野に入
っている。
(5) 2006 年 1 月 31 日にクレムリンで行われた大統領記者会見では、今後の経済政策及び産
業戦略については、ロシア経済の多様化、新技術の導入によって継続的な成長パターンに
移行することが課題である点が強調された。会見の中で披露された数字は、2005 年には
1,210 億ドルの固定資産投資が行われ、8.7%が石油ガスセクターへの投資、それ以外のお
もな投資は加工産業、運送業、農業及び通信分野への投資ということであった。マクロ経
済的な安定を確保する目的で「安定化基金」が既に存在しているが、それに加えて産業支
援の目的で「投資基金」の設立が予定されている。公的投資の目的は、ハイテクかつイノ
ベーティブな産業発展及び国内外の投資の誘致である。具体的には、航空機製造業、情報
技術及び通信、農業工業コンプレックス、中小企業支援、及び運輸インフラ整備などであ
る106。投資基金への初期出資は 25 億ドルになると報道されている。さらには、ハイテク商
品の輸出促進のために、7 億~8 億ドル程度の資金が割当てられる。
また、産業への融資促進の目的で、ロシア開発銀行(Российский банк развития)、ロ
シ ア 輸 出 入 銀 行 (Российский экспортно-импортный банк) 及 び 対 外 経 済 銀 行
(Внешэкономбанк)の参画による開発銀行グループが形成される予定である107。
(6) 中小企業振興策はロシアの産業政策の重要な課題である。政府による中小企業の支援策
は「一つの窓口」の原則を利用した法人登録手続きの簡素化、特別税制度の確立、設立さ
れる小企業に対する管理・監督措置実施の 3 年間のモラトリアムの導入等である108。
103
104
105
106
107
108
大統領の予算教書、2004 年 7 月 12 日。
「2008 年までのロシア政府活動の主な動向」
、2004 年 6 月 28 日。
「大統領の一般教書の実効についての中間報告」。2005 年 12 月 22 日閣議。
Министерство финансов «Бюджетная реформа» 財務省 HP より。
ФИНАМ «Ежедневный обзор» , 9.2.2006, http://research.finam.ru
「ロシア連邦の社会経済発展の中期計画(2006 年―2008 年)」。
- 52 -
海外からの投資の推移
9月
)
20
04
海外から投資
海外からの直接投資
直接投資シェア
20
05
(1
月
~
20
03
45
40
35
30
25
%
20
15
10
5
0
20
02
20
00
45,000
40,000
35,000
30,000
25,000
百万ドル
20,000
15,000
10,000
5,000
0
出所:ロシア中央銀行
(7) 2004 年 10 月 22 日、ロシア議会で京都議定書109の批准に関する連邦法が承認され、2004
年 11 月 5 日にプーチン大統領が署名した。京都議定書の批准によって、ロシアは 2008 年
~2012 年、温室効果ガス量を 1990 年のレベルで維持することが義務付けられている。しか
し、この義務を果たすためには新技術の導入による設備の現代化を余儀なくされるだけで
はなく、省エネルギー技術導入への投資を妨げるエネルギー資源の国内における低価格制
度の見直しも迫られる。
(8) ロシアの中期経済発展の基礎になった「2010 年までのロシア連邦発展戦略」(2000 年 6
月 28 日)は、WTO(世界貿易機構)加盟を前提としたものであり、政府は WTO の加盟に向
かって積極的に準備を進めている。加盟の時期については、経済発展貿易省・グレフ大臣
は、一番楽観的シナリオで 2006 年半ば、より現実的な時期は 2006 年末と述べているが、
相手国との交渉が長引いた場合には 2007 年に繰り越すことも否定しなかった110。
WTO 加盟は、競争力の弱いロシアの国内産業に対する影響が大きく、ロシア商工会議所は、
以下をまとめている。
109
110
正式名称は気候変動に関する国際連合枠組み条約の京都議定書(英 Kyoto Protocol to
the United Nations Framework Convention on Climate Change)。
Lenta.ru 16.11.2005
- 53 -
<WTO 加盟の際の影響>
1. 自然独占企業の財・サービス価格に依存する鉄鋼・冶金産業の競争力の問題
2. 情報技術及び通信分野での競争激化、一方での消費者への好影響
3. 航空機製造業及び自動車産業への政府支援の必要性111
(9) 航空機製造業の支援は、政府産業戦略の1つの柱になっている112。「2002 年~2010 年
及び 2015 年、ロシアの民間航空機の発展」(政府法令 No728、2001 年 10 月 15 日)プロ
グラム枠内で、2,800 機の飛行機及び 2,200 機のヘリコプターの生産が見込まれている。
(10) 2005 年には、経済発展貿易省は、産業発展の目的で、経済特区を導入した。
3.2 航空産業の発展戦略
(1) ソ連時代の航空輸送事業体に関しては、アエロフロート航空会社が 15 共和国における
独占企業であった。1991 年 6 月には「アエロフロート・ソビエト・エアライン」生産・商
業公団が設立されたが、1991 年のソ連崩壊の後は数百社に分割されたために、同公団は数
百社の中の1企業として活動を始めている。2005 年現在、ロシアには 327 社の航空会社が
事業を行っている。そして、1992 年 7 月 28 日には「ロシアの国際航空便の設立について」
の政令により、株式会社「アエロフロート・ロシア国際エアライン」が設立された。
2004 年時点でアエロフロート社はロシアの国際航空便の 33%を占めるトップ企業であり
国内航空便の 10%(2 位)を占めた。アエロフロート社の 2005 年 1 月現在の株式構造は政
府(連邦財産管理庁)が 51.17%、民間法人 40.55%、個人 8.28%113となっている。
(2) 航空機製造に関しては、エネルギー産業を除く既存産業の中では、その助成が経済発展
戦略上で大きな位置を占めている。中期経済発展プログラムの中で名指しにされた航空産
業については、「航空産業の発展戦略」114及び「統一航空機製告会社設立構想」115に基づい
て、今後の発展の基本方針が定められる。2006 年 2 月 20 日、「統一航空機製造会社」設立
に関する大統領令が署名された。
(3) ロシアの航空産業は防衛産業における大きな割合を占めており、防衛産業全体の売上高
の 40%であり、軍事産業の総売上高の 60%である。90 年代に、積極的に民営化が行われた
ことにより 80%が既に民営化されている。
111
112
113
114
115
Торгово-Промышленная Палата Российской Федерации «Последствия
вступления в ВТО для отдельных отраслей»ロシア連邦商工会議所 HP
www.tpprf.ru より。
「航空機製造業は経済構造再建及び多様化の1番重要な梃子の1つになる可能性があ
る」とプーチン大統領は述べた(2005 年 2 月 22 日、国家院会議)。
アエロフロート社の HP 、Standard&Poor’s 2004 年 7 月 24 日 報告より。
2004 年 18 日、閣議にて航空産業発展についての長期戦略プログラムが決定された。
2004 年 12 月 7 日、閣議にて統一航空機製作会社の設立準備の開始について合意された。
- 54 -
<航空産業における民営化の動向>
1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999 2000 2001 2002 2003
310 310 310 310 310 310 310 310 311 311 306 296
企業の数
そのうち
国営企業 287 223 139 90
90
90
90
90
90
88
76
63
民間企業 23
87
171 220 220 220 220 220 221 223 230 233
出所:
「ロシアの航空産業コンプレックスの現況及び展望について」、2005 年 2 月 22 日、国
家評議会報告書。
(4) 90 年代から航空産業は長期的な低迷に見舞われた。産業の危機的な状況を打破するため
に、1999 年には、航空機の販売の際にリース・スキームを導入することが認められ116、ま
た、2001 には、長期的発展プログラムが採択された117。
さらに、「防衛産業コンプレックスの改革及び発展(2002 年―2006 年)」連邦プログラム
118
によって、改革の第 1 段階に 15 の統合組織を設立することが計画され、改革の完了時点
までには産業の骨格となる 5~6 の関連組織を設ける予定である。1998 年からようやく航空
産業における回復がみられ始め、2003 年には対 1992 年比で生産高が 65.5%となった。
2001 年~2003 年の間は、政府のコントロールの下で公的資金、国内民間投資及び銀行ロー
ンを活用したファイナンスで航空機のリース販売システムが構築された。このリース・シ
ステムにおけるロシア製新規航空機のリースの際には一部政府補助金制度も導入されてい
る。2005 年から 2008 年の間に 135 機の最新機種の製造及びリース販売にかかる「開発ロー
ンチング受注」の制度が導入された。2002 年~2010 年及び 2015 年までに「ロシアの民間
航空機の発展」プログラムは、2 段階に分けて実行される予定である。
116
1999 年 12 月 29 日閣議決定。
年~2010 年及び 2015 年、ロシアの民間航空機器の発展」、政府法令 No728,2001
年 10 月 15 日。
政府法令 No713, 2001 年 10 月 11 日決定。
117 「2002
118
- 55 -
<「ロシアの民間航空機の発展」プログラム骨子>
1. 第 1 段階(2005 年~2006 年)
「開発ローンチング」にて 135 機の生産及びリース119、政府による航空機リース産業の
育成120、投資
2. 第 2 段階(2007 年~2008 年)
航空機の製造拡大、政府出資のリース会社の財務体質向上
(5) 2006 年 2 月 20 日、「統一航空機製造株式会社」大統領令によって航空産業における大
きな再編が始まった。新規企業における政府のシェアは 75%であり、MiG 航空機製造会社、
Suhoi 航空持ち株会社、Ilyushin 航空コンプレックス、Tupolev 社等の航空機製造の 6 大手
が傘下に入っている。統合期間は 9 ヶ月から 1 年までにかかると報じられている。新規企
業の構造は、4つの、「軍用航空機」、
「民間航空機」、「軍事・運送及び特殊航空機」及び「装
置・ユニット」の事業ベースでの持ち株会社からなる。現在、ロシア航空製造産業は1年
間で9機しか生産していないが、2013 年までには年間、民間航空機 120 機を生産すると予
定されている。そして、2015 年までには年間売上高が 82 億ドル~85 億ドルになると予想
されている121。
3.3 経済特区
(1) 2005 年には、ロシアの製造業の中でも付加価値の高い産業の育成のために投資促進を目
的として「経済特区法」
(2005 年 7 月 22 日)が採択された。同時にこの法律によって、従
来から法律によって認められていた「マガダン州特区」と「カリニングラード州特区」以
外の全ての経済特区が廃止された。マガダン州における経済特区は「マガダン州における
経済特区法」
(1999 年 5 月 31 日)に定められ、2005 年 12 月 19 日の大統領署名によってそ
の法律が改訂され、2007 年 1 月 1 日(有効期限は 1 年)まで約 1 年間延長された。カリニ
ングラード州の経済特区は、「カリニングラード州における経済特区法」(1996 年 1 月 22
日)に定められ、2005 年 12 月 23 日にその法律が改訂された。新法律は、2006 年 4 月 1 日
から有効になり、特区の期限は 25 年間と定められている。
(2) 2005 年に新しく定められた特区は基本的に 2 種類であり、産業・製造特区と科学技術導
119
120
新型の 135 航空機の開発予算は、2008 年以降のリース販売企業が採算ベースの事業を
行うために 33 億ドルが必要であるとされる。ただし、33 億ドルのうち 30 億ドルが 2008
年までに政府に返済されることとなっている(Avia.Port.ru, 28.12.2004)。
1999 年には、政府が銀行ローンの利息払いの負担を持つ形でロシアのリース企業を支
援し、これら企業へ出資した。ローンチング受注プログラムには、2005 年にリース企
業の資本力を向上させるために公的資金 60 億ルーブルが投入された。2001 年には、
特 恵 を 受 け る リ ー ス 会 社 の 公 募 が 行 わ れ 、 ”Financial Leasing Company” 及
び”Ilyushin finance Co.が選定された。
121
2006 年 2 月 20 日、「統合航空機製造株式会社」大統領令;www.opec.ru, «В.Путин
подписал указ о создании «Объединенной авиастроительной корпорации»
22.02.2006
- 56 -
入特区に分けられている。産業・製造の経済特区における企業は、登録から 5 年間に亘り、
財産税及び土地税が免除され、減価償却の速度を 2 倍に設定できるようになり、開発費用
の高速償却が認められる。また、赤字の次期繰越に対する制限は撤廃される。科学技術導
入経済特区の企業は、統一社会税が 35.6%から 14%までに引き下げられる。それ以外にも
関税、行政手続及び土地利用面においても特権が与えられることになる。
(3) 2005 年 11 月には経済特区の第 1 公募が行われ、モスクワ州(ドゥブナ市)、トムスク州
(トムスク市)、モスクワ州ゼレノグラード市)、サンクトペテルブルク市が科学技術導入
経済特区として選定された。産業・製造経済特区として、リペツク州(グリャジンスキ区)
及びタタルスタン共和国(エラブガ市)が認められた。
<経済特区概要>122
地区名
広さ
モスクワ州
ドゥブナ市
187.7
トムスク州
トムスク市
モスクワ州
ゼレノグラ
ード市
サンクトペ
テルブルク
市
リペツク州
グリャジン
スキ区
タタルスタ
ン共和国エ
ラブガ市
197
122
産業名
(ヘクタ
ール)
155
200
インフラ
投資額
(億ルーブル)
コンピューター・ソフト、情報加工システ
ム、電子機器製造業、航空機設計、新素材
(金属及びセラミックの複合素材等)、新素
材使用製品生産、省エネ技術開発、新薬開
発、医療機器開発
IT 技術開発、新素材及びナノ技術、バイオ
及び医療技術の開発
光学電子製品、ナビゲーションシステム、
バイオ情報・バイオセンサー技術の開発及
び電子機機器の組み立て
コンピューター・ソフト、通信機、家電製
品、医療機器の製造
公的資金
率(%)
25
65
19
70
50
50
15
50 強
1,030
家電製品及び家電製品用の電子部品の製造
18
42
2,000
自動車部品、バス、家電及びハイテク化学
製品の生産
16
49
Российская газета 11.1.2006
- 57 -
(4) 経済発展貿易省によれば、一つ経済特区あたりで以下の経済効果が見込まれる。
1.
2.
3.
4.
5.
<経済特区による経済効果>123
250 億ルーブル以上の海外及び国内からの投資を誘導
経済特区設立より 5 年経過時点で、毎年 300 億ルーブル以上の生産額増加を期待
14,000 以上の雇用創出
年間 10 億ルーブルの国家予算の歳入増
科学技術経済特区の導入にて、(1)2020 年までに競争力のあるハイテク産業の従業員
数 2.5 倍増、(2)生産性の向上による経済特区従業員の報酬の対 2004 年比 6 倍増、
(3)経済特区からのハイテク産業製品輸出の 2020 年までの約 20%増加
(5) 2006 年には、観光レジャー及び港(空港を含む)の経済特区についての法律がそれぞれ
採択される予定である。なかでも港及び空港の貨物ターミナルの設備投資は高額となるた
め、優遇期間を他の特区で認められている 20 年間から 49 年に延長することも政府の視野
に入っている。さらに、港の経済特区については、極東地域が選ばれる可能性についても
報じられている124。
123«Отношения
124
между государством, обществом и бизнесом должны стать более
открытыми» 経済発展貿易省グレフ大臣、”National Export today”2005 年 12 月イ
ンタービュー、2006 年 1 月 20 日付発表、経済発展貿易省 HP。
РИА Новости, 16.2.2006, 16.3.2006.
- 58 -
第4章
ロシア構造改革の評価と展望
1.ロシア構造改革の評価
(1)ソ連の中央集権型計画経済から市場経済体制への変貌は、政治・経済・社会分野におけ
る大幅な構造変化を伴うものであった。ゴルバチョフ政権の 80 年代のペレストロイカ(経
済・社会の建て直し)によって、古い社会主義的経済体制が壊れ始めるとともに経済状況
は悪化したが、90 年代初からの「パストロイカ」(新しい建設)により新体制を目指す市場
経済への道を開いたことは評価されている125。
(2) 1991 年のソ連崩壊及び 1998 年の通貨危機によりロシア経済は大きな打撃を受けた。
1992 年にはショック療法が導入されたが、ハイパーインフレを起こし、また、生産低下に
歯止めをかけることが出来なかった。この混乱の原因の一つは、価格自由化を受け入れる
体制、つまり市場インフラが未整備であったことにある。7 年余りの期間を経て、ようやく
市場経済が根付き始めたころに通貨危機が起きたために、構造改革の実施よりも経済安定
化を優先することを余儀なくされた。
(3) しかし、1998 年の通貨危機からのロシア経済の回復は、予想以上に早かった。その要
因には国際原油価格の高騰、ルーブルの切り下げ及び国内生産の拡大を容易にした既存設
備の存在があった。現在、ロシア政府は経済安定化を確保するために「安定化基金」の設
立などの財政基盤の強化を進めている126。
(4) 原油価格の高騰に支えられて経済が安定化し、プーチン政権は多面的な構造改革に取り
組んでいる。構造改革を、基本設計の作成段階、制度構築に必要な関連法案の整備及び実
行段階といった時系列に分けた場合、現在のプーチン政権の構造改革の大部分は、制度整
備段階からその実行段階に移るところにある。構造改革はロシアの将来の持続的経済成長
を確保するためには不可欠であり、この制度整備による改革の効果は、中・長期的なスパ
ンで見守るべきものである。
2.中・東欧の体制移行諸国との比較
(1) 90 年代のロシア及び中・東欧諸国の社会主義経済体制から資本主義経済体制への移行は、
短期間で実施された価格と貿易の自由化及び民営化を柱にした「ショック療法」の下で行
われた。体制移行が開始されてからはほとんどの国が生産低下、財政赤字、インフレを経
験したが、2 年~3 年後には経済が安定し、成長が始まった。
しかし、ロシア経済の落ち込みは他の体制移行諸国より深刻であり、ハイパーインフレ、
大幅な財政赤字、また、経済安定化に要した期間の長期化の面においてロシアは大きく遅
れた。
(2) 他の体制移行諸国との比較では、政治・経済・社会的な初期条件の違い、また、体制移
行の開始時期、さらには改革への取り組み姿勢の弱さが経済安定化に時間がかかった要因
125
126
ロシア東欧貿易審査月報、1991 年 3 月。
OECD, Economic Survey of the Russian Federation, 2004
- 59 -
であることが、比較制度論から指摘されている127。比較制度論において指摘されているよ
うに、制度とはフォーマルな部分(法律や契約、様々な制度のようなフォーマル・ルール)
とインフォーマルな部分(歴史、文化、慣習などからなるインフォーマル・ルール)から
構成される。したがって、「優れたフォーマル・ルールを海外から取り入れたとしても、国
固有のインフォーマル・ルールが慣性をもち、変化を困難にするため、両ルールのあいだ
には軋轢が生み出されるかもしれない。結果的には、借りもののフォーマル・ルールを導
入したとしても、うまく機能するとは言えない128。そのような意味においては、ロシアの
制度改革が中・東欧諸国のように円滑に進まないことはロシアの歴史やビジネス文化を含
む文化、慣習で説明できると考えられる部分もある。
約 45 年間の共産党支配という歴史を持つ中・東欧の諸国と比べれば、ロシアの共産党時
代は 75 年間も続いた。1917 年から体制移行が始まった 1992 年までの間、労働力では 3 世
代の交代があった。1992 年には、1917 年の社会主義革命前の時代を覚えている人、また、
当時の経済活動の経験を持つ人はほとんど生存していなかった。このような歴史的・心理
的な背景が中・東欧諸国より改革を困難にさせ、制度の再編には時間を要したと言えよう129。
(3) このように、制度的な初期条件の違いによってロシアの体制移行期間は長くなった。し
かし、ロシア固有の条件、とりわけ、天然資源保有国としての特殊な条件の下で、顕著な
回復振りを見せることができた。
3.グローバリゼーションへの取り組み
(1) 2006 年 7 月にはロシアのサンクトペテルブルクで主要 8 カ国首脳会議の開催が予定さ
れている。サミットではロシアが議長国となって、エネルギー安全保障、感染病対策及び
教育問題などが議論される。ロシアが資源・エネルギーの安定的な供給面での大きな役割
を果たし、他の先進国との間で省エネルギー技術及び新エネルギー開発の分野で長期的な
協力関係が築かれることが期待されている。
エネルギー分野での各国との協力関係の強化によって、国際市場におけるロシアの大手
企業の活動はより活発になっていくであろう。また、これにつれて関連企業が国内経済に
もたらすスピルオーバー、つまり国内産業の生産活動の拡大効果が期待されている。
(2) 海外からの直接投資の増加、及び国際市場における資金調達の拡大傾向がみられる。企
業のあり方についての議論も進み、コーポレート・ガバナンスの面においては多くの大手
企業がアングロ・サクソン型の企業統治制度を導入し始めている。しかし、国内金融市場
の今後の発展の行方、とくに銀行融資を中心とした間接金融型市場が成長するか、または
証券市場が中心となる型の直接金融が主流になるかによって、コーポレート・ガバナンス
制度も長いスパンで見た場合、如何なる変化が起きるかが注目される。
(3) 2007 年に予定されている WTO 加盟によって、ロシア国内の金融市場を始め、国内市場
指向型の産業における変化も見込まれる。金融セクターでは、銀行セクターの強化の一貫
127
128
129
Fischer, Stanley; Sahay, Ratna(2004)
青木昌彦 (2001), p.4.
Dabrowski, Marek (2005)
- 60 -
として、銀行の合併・買収が活発化すると考えられる。
なお、EBRD の調査では体制移行諸国における金融市場の開放政策が銀行セクターの効
率を向上させていることが分かっている130。ロシアの脆弱な銀行セクターにおいても、外
資系銀行の進出に対する規制緩和によって国民にとっては大きなメリットが見込まれる。
(4) 他方、国内産業においては、二極化が進む可能性がある。戦略産業とみなされている分
野、とくにエネルギー産業、原子力、航空製造業においては国家管理が強化されると考え
られる。同時に、輸入品及びサービスとの競争激化によって繊維、アパレル産業のような
競争力の弱い国内産業においては深刻な衰退が予想される。つまり、短期的には痛みを伴
う構造の変化が起こりうることは否定できない。しかし、長期的には銀行セクターの強化
がなされ、また産業分野でも競争に基づいた市場メカニズムによって効率化が図られるこ
とで新たな金融・産業制度が形成され、将来の経済成長を支えていくことが期待される。
(5) 現在、ロシアはエネルギーの消費効率の面においては先進国より大きく遅れているが、
2004 年に京都議定書を批准したことによって、今後の省エネルギー技術の導入が余儀なく
される。同時に、非効率である自然独占部門の電力やガス産業の構造改革に対しては積極
的な取り組みが問われることになる。
ロシア経済に対する今後のグローバリゼーションの影響は、短期的な面においては国内
産業の再編や省エネルギー技術の導入のための投資努力が求められる。しかし、競争力強
化に資する経済制度の導入及び後発の利益の効果が、技術の取得を可能とし、長期的には
大きな経済効果が期待できる。
4.今後の展望
(1) 政治・経済・社会面における安定化は、2008 年に 2 期目を終了するプーチン政権にと
っての最優先の課題である。内政の安定化とともに、国際原油価格の追い風で経済状況が
大幅に改善され、構造改革を実施する体制は整っている。そして、税制改革から自然独占、
社会福祉分野まで幅広い範囲の改革が行われてきた。しかし、ほぼ完了したと見なされて
いる税制改革以外の改革はスピードダウンの傾向が色濃くなっていることを多くの専門家
が指摘している。つまり、2007 年の議会選挙及び 2008 年の大統領選に向かって、この 1
~2 年は社会的安定を揺るがす可能性のある改革が延期されるとの見方がある。
(2) 2005 年現在、ロシアの GDP における民間部門のシェアは 65%であり、チェコの 80%、
ポーランドの 75%等の他の移行体制諸国と比較すればまだ小さい。さらに、2003 年の秋に
「ユーコス」事件131が発生した後は、石油セクターをはじめとする戦略産業部門における
再国有化の動きが顕著になり、民営化の側面では改革路線から外れる傾向が見られている。
他方、現時点では、航空機製造部門、宇宙開発部門等における民間企業の投資能力が不十
分であるとの条件の下で、公的投資の必要性を容認できると同時に、長期的な国営は企業
130
131
Fries, Steven; Damien, Neven: Seabright, Paul; Taci, Anita(2006)
ロシアの石油会社の最大手であったユーコス社に対する脱税容疑では巨大な追徴税が
課され、当時の社長のホドルコフスキー氏が起訴された。
- 61 -
運営における透明性等の確保が出来ない懸念があり、コーポレート・ガバナンスの効率等
を低下させ、経済成長の妨げになる可能性も指摘されている132。
(3) 現在、ロシア経済は安定しているが、経済・財政状況が好調であることは主として天然
資源の輸出によるものである。国際原油価格への依存を打破するためには、国内産業基盤
の強化の産業政策をはじめ、市場インフラ整備の構造改革なくして中・長期的な経済成長
の確保が極めて困難である。2005 年からの鉱工業の成長率(4.0%)は GDP の成長率(6.4%)
を下回る傾向が見られている。産業セクターにおける改革が後回しになるにつれ、このギ
ャップは拡大し、将来の経済成長の妨げになることが懸念される。短期的な面においても、
ロシアの経済成長は当面は輸出型成長として継続されると考えられる以上、石油の輸出と
共に天然ガスの輸出が重要な役割を担っていくであろう。そのような意味においてもコス
ト面での不透明で非効率であるガスプロム改革は政府にとって緊急の課題である。
(4) 輸出型の経済成長の脆弱さに加えて、少子化・高齢化、また、近年深刻化している公務
員の汚職問題などを考慮に入れればより徹底した構造改革の実施が必要である。次期大統
領が誰になり、またその政権のもとでいかなる経済・社会政策の路線がとられるかは予測
し難いが、基本的には構造改革路線は継承されていくものと考えられる。
132Гавриленков
E. (2005)
- 62 -
参考文献
1.書籍・論文
(日本語)
青木昌彦(2001)「比較制度分析に向けて」NTT 出版株式会社
井本友文(2004)「ロシアのふたつの自然独占―UES とガスプロムー」中央大学企業研究
所第 6 号
外国為替貿易研究会(1990)「IMF 等によるソ連経済調査報告-概要と勧告―」
上川孝夫、新岡智、増田正人編著、スダケヴォッチ・オリガ、井本友文(2000)「第4章
ロシア通貨危機」『通貨危機の政治経済学』日本経済評論社
ゴールドマン、マーシャル、小川和夫監訳(1983)「危機に立つソ連経済-スターリン型モ
デルの破産-」時事通信社
塩原俊彦(2005)「ロシア経済の真実」東洋経済新報社
西村可明編著(2004)「ロシア・東欧経済―市場経済移行の到達点―」日本国際問題研究所
二村秀彦、金野雄五、杉浦史和、大坪祐介(2002)「ロシア経済10年の軌跡-市場経済化
は成功したか-」ミネルヴァ書房
能勢学、小田島健(2006)「ロシア連邦:体制移行の現状と今後の課題」国際協力銀行開発
金融研究所報第 28 号, 198-211
本村眞澄(2005)「石油大国ロシアの復活」アジア経済研究所
ラヴィーニュー、マリー、栖原学訳(2001)「移行の経済学」日本評論社
ロシア東欧貿易審査月報(1991)(2000)3 月、4 月
(英語)
Åslund, Anders (1995), ”How Russia Bacame a Market Economy”, Brookings
Institution.
Berglfőf, Erick; Kurnov, Andrei: Shvets, Julia; Yudaeva Ksenia(2003) ,“The New
Political Economy of Russia”, MIT Press.
CIA(1988), “Handbook of Economic Statistics 1988”, CPAS 88-10001
Dabrowski, Marek(2005), “Russia :Political and Institutional Determinants of
Economic Reforms”, Institute for the Economy in Transition.
Fries, Steven; Damien, Neven: Seabright, Paul; Taci, Anita(2006), “Market entry,
privatization and bank performance in transition,” EBRD Policy Conference
Tokyo, 03.04.2006.
Fischer, Stanley; Sahay, Ratna(2004), “Transition Economies: The Role of Institutions
and Initial Conditions”, IMF.
Gazprom(2005), ”Gazprom in Figures, 2000-2004”, www.gazprom.ru
Glaziev, S.(1991), ”Transformation of the Soviet Economy: economic reforms and
- 63 -
structural crisis”, National Institute Economic review. Issue: 138.
Goldman, Marshall I.(2003), “The Piratization of Russia”, Routledge.
IMF (1997~2003), “Russian Federation: Basic Data”.
Ivanova, Anna; Keen, Michael; Klemm, Alexander(2005),“The Russian flat tax reform”,
Economic Policy.
Kolodko, Grzegorz W.(2000),“Globalization and Catching-Up: From Recession to
Growth in Transition Economies”, IMF Working Paper.
OECD(1991), “A Study of the Soviet Economy”, Publications Service, Volume 1-3.
OECD(2004), “Economic Surveys: Russian Federation”.
Oppenheimer, Peter.M.(1992), “Economic reform in Russia” National Institute
Economic Review. Issue 141, pages 48-63.
Roland, Gerard (2000), ”Transition and Economics -Politics, Markets and Firms-“,
Massachusetts Institute of Technology Press
Roland, Gerard (2005), “The Russian Economy in the Year 2005”, UC Berkeley.
Stiglitz, J.E.(2002), “Who Lost Russia? Globalization and Its Discontents”, New York,
W.W. Norton.
Zickel, Raymond E.(1991), ”Soviet Union : a country study”, Federal Research Division,
Library of Congress, 2nd ed. Washington, D.C. U.S. G.P.O.
The Moscow Times, June 8.2001.
(ロシア語)
Аванесов В. (2000), «Истоки и уроки образовательного кризиса», Президент.Парламент.
Правительство. No5.
.Белоусов А. (2005), «Долгосрочные тренды российской экономики», Центр макроэкономического
анализа и краткосрочного прогнозирования.
Белоусов А. (2003), «Проект Путина на развилке концептуального кризиса», www.opec.ru.
Гавриленков E. (10.11.2005) «Белоусов умалчивает о роли государства в экономике», Деловая
пресса,No 44(328), www.businesspress.ru
Греф
Г. (14.09.2005), «О приоритетных задачах и направлениях социально-экономического
развития Российской Федерации на среднесрочную перспективу (2005-2008 годы)», доклад в
Государственной Думе.
Греф Г. (19.01.2006), «О ходе реализации федеральной целевой программы «Развитие судебной
реформы России» на 2002-2006 годы», доклад на Заседании Правительства.
Илларионов А. (1995), «Попытки проведения политики финансовой стaбилизации в СССР и в
России» Институт экономического анaлиза.
Латов Ю. (2005), «Советская экономика» ,«Кругосвет» Энциклопедия .
Меньшиков С. (2004), Анатомия российского капитализма, Международные отношения.
Николаев И. (2004), Сколько стоит Россия, Экономика Елима.
- 64 -
Путин В.В.(23.10.2002) «Местное самоуправление в Российской федерации: состояние и
перспективы развития», доклад на Государственном совете Российской Федерации.
Ясин Е.(2002), «Рост и развитие российской экономики», Фонд «Либеральная миссия».
Ясин Е. (2003), Российская экономика: истоки и панорама реформ, ГУ ВШЭ.
Аналитический центр
«Эксперт», «Влияние налоговой системы на перспективы
нефтяной отрасли России» ,2004
Госкомстат, Россия в цифрах 2005.
Министерство финансов, «Бюджетная реформа в действии 2006-2008», 2005.
Федеральное агенство по образованию, «Дошкольное образование: задачи,
проблемы», 2005.
Центр развития, «Обозрение российской экономики за 2005 год», 2006.
2.新聞・雑誌
Ведомости (2005-2006)
Известия
Компания
(2003-2005)
(2003~2005)
Комсомольская правда (2000-2006)
Нефтегазовая вертикаль (2002-2005)
Российская газета (2000-2006)
Эксперт (2000-2006)
3.連邦法・大統領令・政令
«Закон СССР об индивидуальной трудовой деятельности», (19.11.1986).
«Закон о государственном предприятии (объединении)», (30.06.1987).
«Закон о кооперации в СССР», (26.05. 1988).
Закон РСФСР «О приватизации государственных и муниципальных предприятий
в РСФСР»,( 03.07.1991).
«Закон oб образовании» (12.07.95, 05.03.2004.).
Федеральный закон (12.2.1999 , 19.07.2001 ), «О воинской обязанности и воинской
службе».
«Налоговый кодекс Российской Федерации», Часть первая,(31.07. 1998), Часть
вторая (05.08. 2000.).
Федеральный
закон
(08.08.2001),
«О
лицензировании
отдельных
видов
деятельности».
Федеральный закон (15.12.2001), «О государственном пенсионном обеспечении в
Российской Федерации».
Федеральный закон (17.12.2001), «О трудовых пенсиях в Российской Федерации».
Федеральный закон (15.12.2001 ), «Об обязательном пенсионном страховании в
Российской Федерации».
- 65 -
Федеральный закон (26.03.2003), «Об электроэнергетике».
Федеральный закон (06.10.2003), «Об общих принципах организации местного
самоуправления в Росийской Федерации».
Федеральный закон (28.12.2003), «О внесении дополнений в Бюджетный кодекс
Российской Федерации в части создания Стабилизационного фонда Российской
Федерации»
Федеральный закон,(14.01.2003), "О железнодорожном транспорте в Российской
Федерации».
Федеральный закон (09.12.2005) "О внесении изменений в статью 15 федерального
закона "О газоснабжении в Российской Федерации".
Федеральный закон (02.07.2005), "О внесении изменений в Федеральный закон "О
лицензировании отдельных видов деятельности".
Федеральный закон (22.7.2005 ), «Oб особых экономичесих зонах».
Указ Президента Российской Федерации(24.12.1993), «О Государственной
программе приватизации государственных и муниципальных предприятий в
Российской Федерации».
Послания Федеральному Собранию Российской Федерации (2000-2005)
Указ Президента Российской Федерации (23.07.2003), «О мерах по проведению
административной реформы в 2003-2004 годах».
Указ Президента Российской Федерации (20.02.2006) «Об открытом акционерном
обществе «Объединенная авиастроительная корпорация».
Постановление Правительства Российской Федерации (20.11.2001), «Развитие
судебной системы России» на 2002-2006 годы.
Постановление Правительства Российской Федерации (18.05.2001), «О программе
структурной реформы на железнодорожном транспорте».
Постановление
мероприятий
Правительства
по
Российской
реализации
Федерации
Программы
(06.05.2003),
структурной
"План
реформы
на
железнодорожном транспорте на период 2003-2005 годы".
«Стратегия развития Российской Федерации до 2010 года»,( 28.06.2000).
«Стратегия развития банковского сектора Российской Федерации», (30.12.2001).
Подпрограмма
(17.09.2001),
«Реформирование
и
модернизация
жилищно-коммунального комплекса Российской Федерации» федеральной
целевой программы «Жилище».
Федеральная программа «Развитие судебной реформы России» на 2002-2006 годы
(20.11.2001).
«Концепция
реструктуризации
организаций
федеральной
почтовой
связи»
(28.06.2002).
«Федеральная целевая программа перехода к комплектованию должностей ряда
соединений и воинских частей военнослужащими, проходящими военную
службу по контракту, 2004-2007» ( 25.8.2003).
- 66 -
«Стратегии развития банковского сектора РФ на 2004 г. и на период до 2008 г»
(01.07.2004).
«Основные направления деятельности Правительства Российской Федерации на
период до 2008 года», ( 28.07.2004)
Заявление
Правительства
Российской
Федерации
и Центрального
банка
Российской Федерации (05.04.2005), «O Стратегии развития банковского
сектора Российской Федерации на период до 2008 года».
Доклад
«О
состоянии
и
авиационно-промышленного
перспективах
комплекса»
на
развития
российского
заседании
президиума
Государственного Совета (22.02.2005).
«О предварительных итогах реализации Послания Президента Российской
Федерации Федеральному Собранию Российской Федерации», заседание
Правительства ( 22.12.2005).
«Программа
социально-экономического
развития
Российской
Федерации
на
Федерации
на
среднесрочную перспективу (2006-2008 годы)», (19.01.2006).
«Программа
социально-экономического
развития
Российской
среднесрочную перспективу (2006-2008 годы) и план действий Правительства
Российской
Федерации
по
реализации
в
2006
году
Программы
социально-экономического развития Российской Федерации на среднесрочную
перспективу (2006-2008 годы)», (30.01.2006).
- 67 -
ロシアのマクロ経済指標
年
名目GDP(10 億ルーブル)
実質GDP成長率(%)
物価
消費者物価上昇率(%)
工業製品物価上昇率(%)
生産
鉱工業生産増加率(%)
農業生産増加率(%)
設備投資伸び率(%)
資源生産量
石炭(100 万トン)
原油(100 万トン)
天然ガス(10 億立方メートル)
財政収支(総合)
(10 億ルーブル)
プライマリーバランス
貿易
輸出*(10 億ドル)
*
輸入 (10 億ドル)
経常収支(10 億ドル)
外貨準備高(10 億ドル)
為替レート(年平均、1 ドルあたり)
1997
2,342
1.4
11.0
7.4
2.0
1.5
-5.0
263
307
595
-180
-62
86.9
72.0
-2.6
17.8
6.0
ロシアへの外国投資総額(10 億ドル)
(うち直接投資)
失業率(%)
平均賃金(一人当たり/ルーブル)
平均年金(一人当たり/ルーブル)
11.2
965
366
1998
2,629
-5.3
84.4
23.2
-5.2
-13.2
-12.0
232
303
591
-158
-37
74.4
58.0
0.6
7.8
9.71
11.8
3.4
13.3
1,052
403
1999
4,823
6.4
36.5
67.3
11.0
4.1
5.3
250
305
592
-204
83
75.5
39.5
24.0
8.5
24.62
9.6
4.3
12.2
1,523
521
2000
7,305
10.0
20.2
31.6
11.9
7.7
17.4
258
324
584
62
373
105.0
44.9
46.8
24.3
28.13
11.0
4.4
9.7
2,223
823
2001
8,943
5.1
18.6
10.7
4.9
7.5
8.7
270
343
581
242
484
101.9
53.8
34.6
32.5
29.17
14.3
4.0
8.7
3,240
1,138
2002
10,834
4.7
15.1
17.1
3.7
1.5
2.6
256
380
595
140
367
107.3
61.0
30.0
44.1
31.35
20.0
4.0
8.8
4,360
1,462
2003
13,305
7.3
12.0
13.1
7.0
1.5
12.5
275
421
620
207
431
135.9
76.1
35.8
73.2
30.69
29.7
6.8
8.2
5,512
1,637
*
サービスおよび所得収支を除く。
(出所)IMF, Russian Federation: Statistical Appendix: IMF Country Report No.04/315, Sep,2004.
IMF, International Financial Statistics, Feb,2006.
2004
16,779
7.1
10.9
23.8
7.3
1.6
10.9
280
443
591
183.5
96.3
60.6
120.8
28.81
8.5
6,828
1,915
Fly UP