Comments
Description
Transcript
オーデンの恋愛好情詩
オーデンの恋愛拝情詩 明生 後藤 W. H. Auden's Akio Love Lyrics GoTOH# 1 1930年代といえば政治と文学がかつてなく接近した時代であるが,それはまた拝情詩 の時代でもある。 W. H. Audenこの時期に多くの拝情詩を書いている。その大部分は Stranger ! (米国版はOn 1936年にイギリスで出版されたLooh, thislslandと改題して 翌年出版)に収められることになるが,この詩集もそうした時代の特色を反映している。 オーデンの研究家FranGOis Ducheneはこの詩集を論じたところでその魅力は行情詩 にあることを指摘して,次のような論評を加えている。 おそらく1930年代におけるオーデンの最大の業績である拝情詩は, 1930年代,特に 1930年代中葉という時代の固有の業績でもあるというのは,奇妙な事実である。例えば 1933年以前のヒトラー出現以前の時期,あるいは1937年のスペイン以後の時代を見てみ ると,拝惜詩が数のうえでオーデンの作品において支配的であるとか,種類において明 白に際立っているとはいい難い1)0 Looh, Stranger !には1930年から35年の間に書かれた詩が収録されている。その多 くを占める拝情詩は,さらにデュシェーンによると「最も伝統的な基準に照らして『拝 情的』であり,ノスタルジアないしはエロティックな哀感の調子を基盤にしている」。 そしてこの種の手予情詩は20世紀の理念よりはむしろヴィクトリア朝詩歌のそれにはるか に近い。そのためにNew Writingなどが掲げた没個性とかプロレタリア革命といった理 念と,ちぐはぐな対照を成しているという(pp. 80-2)。 オーデンがこのように一時的に拝情詩(特に恋愛詩)を多く書いたという事実は,彼 Carpenterによると, 「アガペのヴィジョン」の体験に関 の伝記を書いたHumpbrey 連している。この体験は「隣人を我が身のように愛するとはどういうことか」をオーデ 2)彼はその直後 ンに初めて実感させた, 1933年6月のある晩の神秘的な体験をいう。 にこの体験にもとづいて有名な"ASummerNight"を書いたが,カーペンタ一によると この作品でオーデンは初めて愛の「経験」に係わり始めたという3)この作品を,それ より数年前に書かれた"Enter with him/These legends, Love''(1931年作)と比較し ※ 英語教室(°ept. ofEnglish) 132 後 藤 明 生 てみると,このことば了解できる。初期の方の作品では愛は単に観念にとどまっている のに対し, "A Summer Night"では詩人は自らの具体的な経験に立脚して書いているの である。 しかしこのアガペの体験をもってオーデンの拝情詩の制作の動機とするのは適当では ないらしい。もう1人のオーデン研究家Edward Mendelsonによると話が少し違って 3 くる。オーデンが愛について高揚した調子でうたったのは, 1933年の夏のわずか2, 週間に過ぎない。翌年の呑までにアガペのヴィジョンは完全に消失してしまった,とメ ンデルソンは主張するのである。 4)ちなみにメルデルソンはこの後のオーデンの思索 上の展開をおよそ次のように辿っている.この後オーデンは「愛」の問題から「無BgJL'」 の問題へと関心の対象を移していき,やがて1936年初頭あたりに「無関JL、」から「慈悲」 の問題へとさらに関心の対象を替えた。そして「慈悲」ということを詩にうたい始めた 1936年2月噴から彼はにわかに恋愛詩を書き出す。オーデンの生涯でこれはど一時期に 恋愛詩が集中して書かれたことはないというのである(p. 193)0 ところでこの時期に書かれた行情詩は(メンデルソンによると) ,性的な成就と情緒 的な挫折という二重の主題を扱い,賞賛と後悔の二重の調子が主調となっている。こう した特色は"Lullaby'' (1937年1月作)において最もよく実現されている。ただしこれ はオーデンの恋愛拝情詩の中の最後の作品となる。オーデンはこれを書いた数日後スペ インに発ち,それ以後の2年間,すなわち米国に移住する1939年までの間恋愛詩は全く 書かなくなるというのである(p. 230;pp. 234-5)。メルデルソンは主題と調子の点 で"Lullaby''の先駆けとなった作品として,単行本未収録の詩"Sleep tboughl wake on beside for you''5)を挙げている。これは1933年夏頃の作とされるが,そうだと すると1933年から1937年初頭にかけての時期がオーデンの拝情詩の最盛期であったと見 ることができる。 ここでデュシェーンとメルデルソンの見解をっき合わせてみると,論点を次のように まとめることができる。オー-デンは1933年から1937年の間に主として恋愛を主題にした 拝情詩を集中的に書いた。しかも性的成就と情緒的挫折という伝統的な主題を,ノスタ ルジアとメランコリーという伝統的な調子でうたった。そしてこれらの作品は,一方で は1930年代中葉という時代の表現となり得ているのに対し,その反面オーデンの他の時 期の作品から奇妙に孤立している。ここで問題となるのは,とのように一時期に拝情詩 が湧出し,その後突然途絶えたという事実である。これをカーペンターのいうようにア ガペの体験と結びつけて考えられないとすると,オーデンの拝情の動機はどこにあった のか。 2 1930年代のイギリスの若いインテリ達はドイツに惹かれた。オーデンもその例外でな く, 1920年代の末から30年代の中頃にかけてたびたびドイツに出かけている。これを以 下にメモ風に記しておく。 1928年にオクスフォードを卒業したオーデンは,その年の秋に初めてベルリンを訪れ me W.H.オーデンの恋愛拝情詩 133 る。クリスマスまで滞在していったん帰国,再びベルリンに舞い戻って翌年7月まで滞 在する。 1930年に彼はイギリスのハイスクールに教師の職を得るが,この年の夏と翌31 年の夏,そして別の-イスクールに転勤した1932年のクリスマスに,それぞれ短期間な がらベルリンに滞在している。 1933年はすでに触れたようにアガペのヴィジョンを体験 した年に当る。翌34年の夏にはヨーロッパを旅行,教職を辞して映画関係の仕事に就い た1935年の秋にはブリュッセルを訪れる。はゞこの時期にオーデンの親友Christopher lsherwoodとStepbenSpenderはドイツに住んでいたが,オーデンは幾度か彼らと会っ ている。 World スベンダーは自伝Worldwithin (1951)の中でこの時期のドイツでの生活を 回想している。そこに「我々(イシャウッドとスペンダー)自身は,ドイツを我々の個 人的な問題のための一種の治療として用いた」 6)という一節がある。オーデンの場合, 例えば1928年から29年にかけて次々に男友達を替えていたことが当時の日記7)にうかが える。こうして見ると,オーデンにとっても事情は同じであったものと思われる。オク スフォ-ドでの不幸な学生生活と比較して,ベルリンで味わった自由と解放感がどれほ どのものであったか,これを思うとたび重なるドイツ行きの動機がよく分かるのである。 しかしスベンダ-やイシャウッドにとって,ドイツでの経験は単に「個人的な問題」 の解決のためにあったのではない。それはまた創作への刺激ともなった。 「私自身にとっ て危険であり,他人に対して決して正当化することのできない生活を送っていた1年余 りの間に,私は初期の最高の詩を書いていた(World, p. 121)。スペンダーは-ンブ ルグで送った1929年を省みてこう語っている。同じことはイシャウッドについてもいえ (1939)を書いた。またス る。彼はドイツでの経験を糧として名作GoodbyetoBerlin ベンダーのWorldwithin Worldにしても,最も読み応えのある部分はドイツでの経験 を叙したところにあるといえる。こうして見ると,スベンダーが自らの世代をゲーテの 同時代人のStrumundDrangになぞらえている(World, p. 159)のは決して牽強付 会ではないのである。 それに対し,同じ経験を分かち合ったはずのオーデンに彼らの作品に匹敵するものが ないというのは奇妙といえばいえる。 1936年にアイスランドを, 1937年にスペインを, 1938年に中国を旅したオーデンは,それぞれの体験をふまえてLetters froTn Iceland 8), JourneytoaWar (1937) Spain (1937) (1939)をものしている。ところがド , イツに関しては何もまとまったものは書いていないのである。 年の数年間に書かれた行情詩を, 連づけて読んでみたらどうか。 9)そこで1933年から1937 1928年から1935年に至る数年間のドイツでの経験と関 (経験と詩作との間の時間的なずれは行情の発酵期間と 見る。)これらの作品は危機の意識に裏打ちされた自由の感覚を根底にしている点で, スベンダ-やイシヤウッドの作品と共通する面を備えている。その意味ではいかにも時 代的なのである。そして作品を貫いているものがStrum and Drangに通じる詩情であ るというのなら,それらが「ノスタルジアないしエロティックな哀感の調子を基盤にし た」 「伝統的な行情詩」という,いわばモダニズムの流れに反したものとなっても不思 議はない。 後 134 藤 生 明 自由な雰囲気の中での殺那的な快楽主義-スベンダーはドイツの同時代の若者たち にこうした生活原理を見た。 「彼らの目的は,ただその日その日を生きながら,すべて の自由なもの一太陽,港,友達,彼ら自身の肉体-を極限まで楽しむことであった」 (World, p. 107)。スベンダーはこうした生き方にごく自然に共感し,同調していった。 「私は感覚的自由の悦惚感の中を動いているようだった。そしてその時すべてが可能で, まことしやかで,気楽であった」 (World, p. 111)。彼はこう回想している。次の引用 は彼が交際していた友人の1人,ワルタ-について語った一節からのものである.ここ にはスベンダ-をドイツベ追いやった当時のイギリスの知的風土と共に,エグザイルが 異国で見つけたっかの間の愛が措かれている。 「彼と共に私はある程度,私が育ったあ まりに精神主義的,ピューリタン的,競争主義的な雰囲気から,何かもっと濃密で幾分 不純なものへと逃亡した。しかし私はそこからわずかばかりの愛情を抽出し,精製する ことができた」 (p. 118)0 イギリス,なかんずくオクスフォードの精神主義的な競争社会。逃亡先のドイツで見 出した感覚の自由。濃密で幾分不純な,しかしわずかながら純粋な愛を含んだ友人関係。 これにしのび寄る危機への意識が加わると,ここにオーデンの恋愛詩の背景が浮かんで くる。スベンダーの自伝にはまたヒトラーが台頭する直前のドイツでの生活を叙述した 次のような一節がある。 「(イシャウッドと私は)我々の友人たちの気ままで個人的な生 ファサード 活は,広大な社会的混屯の前の正面であることに以前にもまして気づいていた。この生 活はやがて押し流されるであろうという予感がしだい8,こ募っていった.」この後に迫り くる危機の気配を伝える次のような文章が続く。 麻捧させるような太陽の下,海岸で何百という裸の海水浴客が体を伸ばして横た わるインセル・ルーゲンで休日を楽しんでいたとき,海岸を縁取る林の中ではまる で裸で無防備な人々を殺そうと待ち構えている死刑執行人のように,突撃隊員たち が演習を行っていたが,そこから時折号令に混じって銃声すら発せられるのが聞こ えてきた。 (World, p. 131) 同じようにイシャウッドはGoodbyetoBerlinの中で華やかなパーティーの一夜を描 1つの時代の最後の いてから「今夜は大惨事(disaster)の前のドレスリ-ーサルだ。 晩のようだ」 10)とっけ加えている。こうした終末の意識はsensuous freedomの殺那的 な享受を促さずにはおかない。 「時」との競争に競り勝って一瞬の充足を達成するのが伝統的な拝情詩に共通のモチー フだとすると,オーデンが1936年3月に書いた"Dear, tbougb tbenigbtis さにCarpeDiemの伝統を汲んだ詩といえる。以下は3連から成るこの詩の第2連であ gone"はま W.H.オーデンの恋愛拝情詩 る。 Our whisper We kissed At and Who sat to with ln pal一s Arms On glad did, those hostile every round Inert and was you everything Indifferent l clocks, no woke each vaguely eyes bed, other's necks, sad. (ぼくらの噴き声で時計は目を覚まさなかった/ぼくらは口づけし,ぼくはきみが /ベッドの上に2人ずつ/互いの首に腕を回して/無気 したことすべてに満足した。 力に何となく物憂げに/敵意を含んだ目つきで座っている/あの連中は眼中になかっ た。) ここでは時はしばし停止し,恋人たちは他者から孤立したところで愛の充足を経験す る。 この点はアガペの経験を素材にした(とはいっても必ずしもアガペをうたったもので はない) "A Summer Night''にも見られる。しかもここでは切迫した政治的状況に言及 することで,充足した瞬間の危殆さをいっそう強く意識させる。 And, gentle, Where Poland Wbat ask what Our freedom know, her eastern bow, is done, doubtful in this plCnic to care draws violence Nor Our do not in the act English allows house, sun. (そしてポーランドが東の弓を引くところ/いかなる暴虐がなされるかなど/構わ ないではないか,優しい人よ/また,どんないかがわしい行為によって/このイギリ スの家での自由が/日なたのピクニックが/許されているのかたずねることはない。) もう1つ1930年代中期の最後の拝情詩とされる"Lullaby''を挙げる。ここにおいても, 時の移ろい易さの認識が一方にありTime and lndividual Thoughtful revers beauty burn away from children, and the grave 135 136 後 Proves the child ephemeral 藤 明 生 : (時と熱病は/物思う子供らから/個々の美しさを焼き払い/墓は子供のはかなさの 証明となる。) これに対して「夜明けまで」とか「この夜」という孤立した瞬間での生の充足が強調 される。 But in my Let the living Mortal, The till break arms lie, creature but guilty, of day to me beautiful. entirely (しかし夜明けまでこの腕に/この生身の人間を寝かし続けておこう/やがては死 ぬ身であり罪深いけれどもぼくにとっては/これはど美しいものはない。) あるいは- but Not a whisper, Not a kiss nor from a not looks this night thought be lost. (しかしこの夜から/噴きも想いも/口づけもまなざしも1つとして失ってはなら ない。) しかしこうしてかろうじて確保された一瞬をおびやかすのは,単に「時」の破壊作用 にとどまらない。緊迫した政治的状況が背後に迫っている。 "A Summer Night"では, それは釆たるべき大洪水として呈示され, Soon, The soon, crumpling And, Hold Whose And through flood taller than sudden dykes death will force a of the our a content rent tree, before river dreams vig・ours of long our eyes hid the size sea. (やがてほどなく,我々の逸楽の溝を通って/敏立った洪水が押し寄せ/木よりも 高く/突然の死を我々の目の前にさし出す/その川の大きさや/海の威力を夢は永い 間被い際してきた。) また"Lullaby''には動乱前夜のベルリンを思わせるような次の行がある。 w. Certainty, On fidelity the stroke Like vibrations And fashionable Their 137 H,オーデンの恋愛拝情詩 pedantic pass of midnight of bell a madmell boring raise cry : (確信も忠誠JL、も/鐘の余韻のように/真夜中の合図と共に消え去る/そして時めく 狂人どもが/知ったかぶりの退屈な叫び声をあげる。) こうした危機の意識を相手にせめぎあうところに,オーデンの恋愛詩の拝惰性が発揮 される。愛の一瞬の充足のために,いまこの一瞬のために,前を見ることも後ろを振り 返ることも許されないのである。 May these Tbis privacy, delights need we dread no excuse. to lose, ("A Summer Night'') (ぼくらが失うのを恐れるこれらの喜び/この2人だけの時間,こうしたものに言 い訳など必要でないように.) オーデン詩の基調を成すのは,こうしたいわばせっぱ詰まった瀬戸際の拝情である。 これが政治的危機の意識と合いまって,この時代の詩に固有の緊迫感を与えている。 1933年から1937年の間に書かれたオーデンの拝情詩は, とAnother Time (1940) Look, Stranger ! (1936) 2巻の詩集に収録されている。ところがATWtherTimeにはオー デンがアメリカに移住した1939年以降に書かれた作品も収録されており,それらが1939 年以前の作品と混交しているために,この詩集はオーデンの過渡期の詩集としての性格 を強く印象づけることになる。これは拝情詩についてもいえるように思われる。 1937年1月にスペインに発ってからオーデンはしばらく拝情詩を書かなくなる。再び 拝情詩を書き出すのは約2年を経た1939年以後になる。オーデンが米国で知り合った chester Kallmanとの出合いがその契機となっている。そしてこれ以後に書かれた拝情 詩はそれ以前のに比べて,拝情の質の上でかなり異なってくるのである。最も大きな違 いはかっての挫折感や危機の意識が全く見られないところにある。ここでは愛は復活す る。 ! Restored Restored On seas See ! In of shipwreck a ! The bone fire of praising lost at burns are last borne : 後 138 Tbe dry dumb Our life-day past, long 藤 生 明 we and no shall part ("Warm more. are the still and lucky miles") (回復し帰ってきた。失われたものは/難船の海をっいに郷里へと運ばれてくる/ 見よ,賞讃の火の中/乾き,黙した過去は燃え/ぼくたちは終日終生離れることばな い。) 当然のことながら,このような調子の詩には以前の詩に見られた喪失感やメランコリー は見られない。代わって賛美の調子が支配的になる。また一瞬の充足に賭ける者の性急 さは完全に消える。それに代わって見られるのは,時の連続の意識である。ここでコー (1939年5月作)を例に挙げる。 ルマンに宛てたとされるうちの1篇"TheProphets" この詩でオーデンは少年時代に父親の鉱物学の本の中に見出した機械の図版と,その神 聖な響きを持った名称を思い出す。これらの機械は彼が初めて愛情を注いだ対象であっ た。 Those But beauliful machines let the small boy All their long Love As names was the word nothing that a that them worship never plCture him made said Can learn and hardness whose they talked never proud ; aloud return. (あの美しい機械たちは決して口を開くことはなかったが/少年に畏敬の念を起こ させ/その長い名を覚えさせた。少年はその固い名を誇らしく思った。/写真が返す ことのできないものと同様/愛がその言葉であったが機械は声高にそれを言わなかっ た。) 幾年か経った後,詩人はいま廃嘘となったかっての鉱山を訪れ,そこで見捨てられた 機械に再会する。 And later when Abandoned There was rusty One obviously Just While pity let themselves lack l didn't to apt, taught And all the landscape calm with a know, answer gradually which ; Late : of praislng l was gazing whispered'Wait', without round they Tbo way why all their lack or me say was of shyness what be caught taught never winding-englne too Place, in the adit's face, And The the Good lead-mines no The Their l hunted coersion, them took pointed complete to desertion W. As of that proof you H.オーデンの恋愛拝情詩 139 existed. (後になってあの「良き場所」を探索したとき/見捨てられた鉛鉱が見っかった/ 入口の正面には憐れみの表情はなく/錆びた巻上げ機はいまにも口を出していいそ うなぼくに「もう手遅れだ」とはいわせなかった。そのはにかみを知らぬ風情はそ のときのぼくには理解しかねたもの/なぜかぼくがじっと見つめていたものを讃美 する1つの方法であったのだ/そして物言わぬ彼らは「待て」と噴いた/そしてぼ くに無理なくゆっくりと教えてくれた/その回りの風景すら彼らが全くの廃嘘を/ 甘受している穏やかな態度を指し示していった/これは君が存在していることの証 しなのだと。) 以前の拝情詩の性急さとはうって変わって,ここで詩人は待っことを学ぶのである。 結局,少年時代のオーデンの心を捉えた鉱物や鉱山の機械は,現在の愛人の言わば「予 表」 (Typology)としてあったことになる。ちなみにこの詩の表題は「予言者たち」と あるが,詩人はこの後に続けて"Itwas ''といってその予言の正しかったことを true. 証言する。 It For l have now That But never And answer go back will for all my asks Where the all l touch there is no from into is moved is the Place to thing as the face book a life, and such true. was an a embrace, look. vain (それは本当だった/というのは書物の世界へ戻ってしまうことなく/むしろぼく の全人生を要求する/あの顔がいまや答えてくれるのだ。そしてこの場所こそ触れ るものすべてが抱擁へと向かい/ただ空しく見っめることなどもはやない。) かっての愛は現在の愛の準備としてあったのである。ここでは時は現在に向かって連 続し,いまあるこの愛において全うされる。その成就を称え,これを寿ぐのが詩人の役 目ということになるが,これはもう後期のオーデンの詩の世界である。 注 1) The HelmetedAirman WiⅢdus p. 2)くわしくはW. : A Study 80. H. Auden of W. H. Auden's ForewordsandAfterwords : (1972) Poetry (1973) Chatto FaberandFaber and pp, 69-70参照. 3) 4) 5) W. H. Auden EarlyALLden : (1981) ABiography (1981) Faber (1977) you''で始まる作品。 ) Worldwithin World (1951) and Faber Faber and TheEnglishAuden GeorgeAllenandUnwin p. p. Faber p. 146. ("Turn urnto 6) Hamish 159. 210. Hamilton p. 131. not towards me lest I t 140 7) 8) 後 W. H. Auden:ABiographyp. 藤 明 生 97. もっともスペインから帰ったオーデンは,スペインについて多くを語ろうとしなかったとい われている。 9) ただし最近公にされたオーデンの初期の作品にドイツでの経験をうたったものがあるのは W. H. Auden: `TheMap この点で興味深い.これはドイツ語で書かれた6篇の恋愛詩で, Youth': Early Works, Friends Studies l ed. by my (Auden ofAll andlnfluences K. BucknellandN. Jenkins 1990 0ⅩfordU. German Auden : Six P.)の中で'The EarlyPoems'として初めて公表された。 6篇の詩はイシャウッドに送られたもので1930年 頃の作とされる。愛の孤独を主題とし, 1篇を除いたすべてはShakespearean sonnetの形 式で書かれている。 10) FolioSocietyed. (1987) p. 220.