...

Balzac, La Fille aux yeux d`or

by user

on
Category: Documents
30

views

Report

Comments

Transcript

Balzac, La Fille aux yeux d`or
Balzac, La Fille aux yeux d‘or (1835)
『金色の眼の娘』
の中のパリ
『金色の眼の娘』の粗筋(1)
パリの住民の一大絵巻と言える幅広い社会学的解
説の後で、レシがアンリ・ド・マルセーの登場とともに
始まる。社交界の花形で、パリ随一の美男子と誰も
が認めるアンリ・ド・マルセーは、1815年4月のある
日、上流階級の人々の散策の場であったテュイル
リー公園で、まれにみる美しさをもつ神秘的な若い
女性に出会う。金色の眼をしたこの娘パキータ・ヴァ
ルデスは、同性愛者であるサン=レアル侯爵夫人
がアンティル諸島で買い求め、普段は嫉妬深くパリ
の館の中に閉じこめている。愛人の旅行中に気晴ら
しのために外に出たときアンリ・ド・マルセーの気を
引くことになってしまう。
『金色の眼の娘』の粗筋(2)
彼は隠れ家を突き止め、様々な障害を乗り越えて、
逢い引きを得るようになる。自分への愛を信じて疑
わないまでになったある日、官能の極限にある一瞬、
パキータの口からその恋人の名前が漏れ出る。裏
切られたと思い、彼女を殺すためにサン=レアル館
に侵入したが、目にしたのは若き侯爵夫人の手で
何度も短刀を突き刺され、すでに息絶えているパ
キータの姿。血まみれの部屋の中で対峙するアン
リ・ド・マルセーとサン=レアル侯爵夫人は、生き写
しそのもののお互いの顔立ちを見て、二人は兄妹で
あり、イギリスの大貴族ダッドレー卿の私生児であ
ることを知る。
『金色の眼の娘』の粗筋(3)
パキータがド・マルセーを愛したのは自分の影であっ
た、自分だけが本当に愛されて
いたことに気付いた侯爵夫人は、
悲しみのあまり修道院へ入ること
になる。(cf. Félix Longaud,
Dictionnaire de Balzac,
Larousse, 1969)
Le film de Jean-Gabriel
Albicoccoavec Marie Laforêt,
1961
問題体系
・パリは、バルザックの小説において重要な役割を果
たす。行為が展開される場である都市は、不調和な、
不可思議な、恐ろしい世界をなし、卑劣なあるいは不
思議な策謀の舞台(装置)になる。『金色の眼の娘』の
冒頭部は、その住民のおぞましい光景を通してパリを
提示している。
・パリの住民を構成しているさまざまな社会階層を研
究している。作家は社会的上昇のまた道徳的堕落の
都市でもあるパリに活気を与えている狂熱的な活動
の主要な要因を探究し、それを金と快楽の中に見出
す。そして「黄金の眼の娘」は、金と快楽を表す色彩
である金色と赤からなる作品である。
テクスト1日本語訳(1)
われわれにもっとも激しいおどろきを与える光景のひとつは、
たしかに、パリの住民の概括的な相貌である。彼らの顔はや
つれ、黄ばみ、くすんでいて、見るからにおぞましい。パリは、
たとえてみれば、絶えず利害の嵐にかきみだされる広漠たる
畑ではなかろうか?そのあらしのしたでは、人間という収穫物
がふきさらされて渦まいている。死は他の地域よりもいっそう
ひんぴんとこの収穫物を刈りとるが、それはつねにまたよみが
えって密生する。そうした人間たちのねじれゆがんだ顔は、あ
りとあらゆる毛孔から、彼らの頭脳をみたしている精神や欲望
や毒素を発散する。いや、いま顔といったが、顔ではなく、多く
はマスクだ。弱さのマスク、力のマスク、貧しさのマスク、喜び
のマスク、偽善のマスク。すべての人は疲れはて、はげしい貧
欲の消すべくもない烙印を捺されている。彼らはいったい何を
のぞんでいるのか?金か、あるいは快楽か?
テクスト1日本語訳(2)
二つの年齢、つまり青春と老耄しか持たない彼らの死人めい
た相貌は、バリの魂についての二、三の観察で説明すること
ができる。その青春は蒼白く色あせ、その老耄は若く見せよう
として粉飾をこらしている。この疲憊した人々をみて、深く省察
する力のない他所者たちは、享楽の大工場ともいうべきこの首
都に対してまず嫌悪の惰をおぼえるが、やがて彼ら自身もここ
から出ることができなくなり、みずから進んでパリ風のゆがみ
に身をゆだねるようになる。パリ人の顔のほとんど地獄めいた
色艶を生理学的に説明しようとすれば、わずか数語でこと足り
るであろう。パリが地獄の名をもって呼ばれるのも、単に冗談
からのことではないからだ。地獄という言葉を真実そのものと
してうけとっていただきたい。そこでは、いっさいがけむり、燃え、
ひかり、湧きたち、焔をあげ、蒸発し、消滅し、ふたたび燃えあ
がり、きらめき、音たててはぜ、焼きつくされる。どんな国のど
んな生活もこれほど強烈でもなければ激甚でもない。
Les Tuileries d’aujourd’hui
la grande allée des Tuileries
フイヤンのテラス(la Terrasse des Feuillants )
シェレ『テュイルリー公園眺望』(1835)
シャンティイー、コンデ美術館
19世紀のテュイルリー散歩(1)
19世紀のテュイルリー散歩(2)
Camille Pissaro, Rue Saint-Lazare (1893)
Rue de la Pépinière et Rue Saint-Lazare
Rue Saint-Lazare, N° 88.
Fly UP