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理想に生きる異端児
理想に生きる異端児 「ココ・シャネル」に最も近い起業家・大関綾 レディー京郷 6 月号掲載 記事・金ミンジョン ■高校生の大胆発想から起業まで 昨年 3 月 11 日、甚大な被害をもたらした東日本大震災は一年が経過した今も進行形である。連日、放射 能関連ニュースが報道され、電力不足に悩む企業は工場の海外移転に乗り出した。原発フル稼働の例年と 比べ、電力は 15%不足しているという。東日本大震災以前から、節電の運動は行われていた。その一つが、 毎年夏の「クールビズ」である。 2005 年から始まったクールビズ運動は、夏の室温の温度を 28℃に設定すること。 28℃の室内でネクタイまで締めていると、首の周りや脇に汗がじっとりにじむ。ネクタイ、正確にいえば、 首元と暑さはどうも深い関係で結ばれているようだ。そのためか、クールビズはいつの間にか「ネクタイ 脱ぎ捨て運動」として広まっている。国会議員がネクタイを脱ぎ捨て、エコとアピールするのは、もはや 見慣れた光景になってきた。ネクタイは象徴である。権力の、男の、そしてクールビズにおいても。象徴 だからこそ、脱ぎ捨てた時にインパクトを持つのである。その運動の本質とは別の問題として。 今日、紹介する弱冠二十歳の女性社長は、クールビズを商機として事業を起こした。 大関綾(20)は平均 140cm の長さのネクタイを約 15cm にカット、布ではなく、革を使用しているところに も特徴がある。「結ぶ」ネクタイではなく「着る」ネクタイ、「苦しく暑い」ネクタイではなく「クール」 なネクタイを開発した。 レディー京郷(以下 LADY):今、首にしているのがそのネクタイですね。結ぶタイプじゃなくて、首にか けるタイプですか。 大関:ええ、私の開発したノーブルタイです。ノーブル(noble) 、 「気品がある」と言う意味です。ネクタ イの結び方が分からない人でも大丈夫です。紐でかけるタイプなので、首にかけて、紐を調節すれば、簡 単に装着できます。 LADY:こんなに可愛くて若い女性が、どうして男性のシンボルと言われるネクタイを開発することになっ たのですか。 大関:可愛くはありません(笑) 。中学生の時から会社を作りたいと思っていました。 そこで 2006 年に、神奈川中小企業ビジネスオーディションに応募したのです。行ってみると 120 人中、生 徒は私だけでした。ほかの参加者は全員、中小企業の経営者でした。 LADY:では、おじさま、いや経営者の方々と一緒にオーディションに挑んだということですね。 大関:最初は緊張していたのですが、予選を通過すると、ホッとして、それからは自信を以って、自分の 思いをぶつけることができました。そのおかげで月刊優勝と人気賞を受賞しました。この大会に出て得た ものは「自信」です。 LADY:弱冠 14 歳という最年少記録を立てましたよね。まさに快挙ですね。しかし、会社を設立するまで、 苦労もあったのでは? 大関:そうですね。私立高校に奨学金をもらって通っていましたが、学費の支援はありがたかったのです が、校則が厳しい学校でした。校則では会社の設立を認めていなかったのです。そこで退学を決断しまし た。 LADY:高校をやめたということですか。 大関:ええ。単にやめただけではありません。東京の教育委員会に電話をして、会社の設立が認められる 学校を調べて、それから退学しました。翌年、改めて高校を受験して、合格。その新しい学校に通いなが ら、会社を作りました。 LADY:日本の若い女性はファッションをビジネスにする傾向がありますが、大関さんはネクタイといった 女性には興味の無さそうな分野を選択したのですが、何か理由はありますか。 大関:多くの若い女性は女性向けファッションが好きで、ファッションを学んだ人が多いのが特徴です。 私はファッションより、起業をしたいという思いがより強かったです。 私が中学生の時にクールビズ運動が始まり、ネクタイをしないことがクールビズに直結するイメージが出 来てしまいました。ネクタイをしないのが解決策ではないと思いました。ネクタイは一つの象徴であって、 根本的な問題が解決された訳ではない。 LADY:ビジネスマンの特徴であるネクタイを脱ぎ捨てることでクールビズに参加している気分になります よね。ところで、大関さんはネクタイをしないことに違和感がありますか。 大関:少しは。たとえば、白いガウンを着ていない医者に命を預けられますか。不安ですよね。では判事 が判事の正装ではなく、半袖、半ズボンで裁判をしたらどうでしょう。 制服は形式的な部分がもちろんありますが、一方で相手に信頼を与えることもできます。ビジネスマンに ネクタイは必需品です。命です。クールビズが始まったから、簡単に脱ぎ捨てるようなものではないと思 います。ネクタイを脱ぎ捨てるクールビズではなく、ネクタイを締めるクールビズはいかがでしょうか。 そう言う発想から、このように首に簡単にかけるタイプのネクタイを開発しました。 ■高校生社長から年商 1100 万円まで LADY:社長になって大変なことはありますか。 大関:これまでは商品開発に主力してきました。世の中にないアイテムを作りたかったです。グローバル 化の波で、中小企業のアイテムをすぐに大企業で作って売ることができ、中小企業がのまれてしまう。中 小企業が生き残るためには、独自の知的財産で守られた商品を作っていくことでしか生き残れない。最初 から他企業の資本力、組織力に負けない企業、デフレにも影響されない独創的なビジネスをしたかったで す。そう考えた時に、最も重要だと考えたのが、特許でした。知的財産権を持つ商品を開発すれば、他社 がまねできない、また価格競争に巻き込まれない。なくタイを開発して、すぐに国際特許を申請しました。 LADY:日本の伝統産業はグローバル化のもとで斜陽に差し掛かった事業がいくつもありますが、こうした 部分はどう考えていますか。 大関:実は私の作るネクタイには日本の伝統技術が使われています。革を柔らかくする手作業や、印伝と 言った技術は日本の匠の技です。印伝は、鹿の革に漆で模様を付けたもので、その技術がネクタイの生産 を支えています。日本の伝統的な、メイド・イン・ジャパンの匠の技が活かされています。カービング技 術もベテランの技術者によって作られています。 LADY:それで値がはるのですね。1 万円以上の商品が殆どですが。 大関:高級商品を念頭に置いて製作しました。価値が高く、できれば日本の伝統技術を活かせるものを。 LADY:家族経営と聞きましたが、経営はどなたが担当していますか。 大関:私と妹、母、そして親戚のおじさんの 4 人で経営しています。母は会社に通っており、妹は学生で あるため、経営は私が主に行っています。ファッション業界は、人脈がモノを言うので「初心者」の私な ど相手にされませんでした。子供扱いされましたね。新規参入が難しい業界でした。それでも自分の思い を伝えると通用すると思いました。そこで手紙を書き始めたのです。節電の為に単にネクタイを脱ぐので はなく、新しいネクタイを開発して販売すると新しい市場をオープンできると、今がそのチャンスだと訴 えました。 節電やエコライフで話題を集めた大関綾のネクタイは、ドイツの男性ファッション誌でも紹介された。1 日 37 の会社が倒産するという日本で、株式会社ノーブルエイペックス(http://ノーブルタイ.com/)は創 立 2 年目にして 1100 万円まで売上を伸ばした。広告費は一切使っていない。もちろん、楽な道ではなかっ た。何通もの手紙を書いた。省エネネクタイで新たなクールビズファッションを開拓していこうと語る高 校生の手紙は、経営者の心を少しずつ動かし始めた。遂に百貨店に進出したのである。 ■次の目標は、親孝行、大学進学 LADY:最近は韓国でも起業をする若者があまり見当たりません。日本でも会社に入り安定した道を歩みた い若者が増えていますが、大関さんは自分の道をしっかり歩んでいますね。 大関:14 歳の時に大人の経営者の中でビジネスアイデアのオーディションを受けたことや高校を辞退して 会社を作ったことなどは、今の時代には少し珍しいかもしれませんね。 会社員になりたい若者が多い中、会社を作ったことも珍しいと映るかもしれません。 LADY:不景気が続き、日本の若者も徐々に消極的になってきたのでしょうか。 大関:日本の若者はいま、夢や希望を簡単に諦めるように教育された子犬のように思えます。 「出る杭は打 たれる」と、他人と違うことを不安に思います。外見では独特のファッションをしていても、他人と異な る思想や言動をすることはない。 「ジャパンドリーム」という言葉があった時代が終わり、今は会社に就職 して、他人と同じように生きることが一番になりました。夢や理想という言葉、まるで夢のような言葉に なってしまいました。 LADY:平凡に暮らすのも大変な時代ですからね。 大関:ええ、ただ、どんな人生を選んでも大変なのは一緒だと思います。 LADY:趣味を活かした企業ではなく、企業そのものに強い思いがあったと思いますが、何か理由がありま すか。 大関:母のためです。私が幼い頃、離婚し、朝から晩まで働きながら私と妹を育ててくれました。裕福な 家庭ではなかったので、母が働いている姿を見て、お金がたくさん入る仕事をして母を助けたいと思った のです。お金が入る職業と考えた時に、子供の発想ですが、社長になろうと思いました。 LADY:そういう理由だったんですね。 大関:小さい頃から、一緒に会社の経営をしている親戚を見て育ちました。自分の事業を自分の思いと責 任を持ってやり遂げることに魅力を覚えました。自分の開発した商品を精一杯広め、売り、また顧客の要 望を聞き、それに答える為に努力する。そういう姿を見て、私も経営がしたいと思いました。 LADY:社長になって親孝行はできましたか。 大関:いいえ(笑)、母には苦労をさせています。母は会社に行きながら、私の会社の仕事もしています。 私が高校生の頃は代わりに母が革商品を作る学校に通いました。母には感謝の気持ちでいっぱいです。 LADY:社長になっていかがですか。 大関:それが、実は大変です。休みが 1 日もありません。商品を開発し、こうやってインタビューをこな し、手紙を書いて営業をし、経営者に会い・・・・・・。忙しいですが、やりがいはあります。ノーブル タイを続けて購入して下さる方々がいて、やりがいを感じますし、とても有り難く思っています。 LADY:成功の秘訣は? 大関:まだ成功していないので、何とも言えないのですが。これから成功を目標に歩んで行きたいです。 「努力は報われる」という言葉がありますが、違うな。努力しても報われないことがあります。ただ成功 した人の中に努力しなかった人はいない。だから努力すべき。自分の成りたい目標と理想を持って努力す ること。 LADY:まだ 20 歳ですが、進学は? 大関:今勉強中です。世界で活躍する為に、英語を学びたいです。 LADY:10 年後の未来は予想出来ますか。 大関:ブランド「Aya Ohzeki」の知名度を高めることが私の夢です。韓国の代理店も募集しています。関 心のある方は、ご連絡下さい。 落ち着いたしゃべり方に、柔らかい笑顔、高校生のようなフレッシュな香り。そして、世界を席巻しそ うな堂々とした自信に満ちていた。 1990 年代、日本の高校生の間では「ヤマンバ」が流行した。ヤマンバとは顔全体を白く塗り、目の周り だけパンダのように黒くする化粧のこと。驚くほど自己主張をしていた若者が、バブル崩壊 20 年後、不景 気が続くなか、化粧を綺麗に落し、会社に入らせて欲しいと喚く。短かった制服のスカートが長くなり、 ルーズソックスは紺のひざ丈ソックスにかわった。髪の色もすっかり黒くなった。10 代のスターは、金髪 に細い眉、ミニスカートの安室奈美恵から、黒髪に太い眉、ひざ丈スカートの AKB48 へと大きく変貌した。 落ち着いたとも言えるし、反骨精神からは程遠いと見える。社会に順応したい欲望がそこにはあるのだろ うか。どちらがいい、悪いの話ではない。時代が変化したまでのことだ。 ある社会学者は、社会に順応し、それ以外の欲を持たない今の若者の方が幸せかもしれないと結論づけ た。しかし大関は、去勢された若者がもったいないと、自分だけは世の中に挑戦状をたたきつけたいと語 る。 大関綾は 14 歳の時から会社を作ることを目標としてきた。どうしたら会社を作ることができるなか、ど うしたら大企業に負けない会社を作ることができるのか、悩み続けた。クールビズのブームと共にノーブ ルタイを開発し、参入が不可能に思えた百貨店に手紙を出し、社長の心を手紙で動かした。一度の人生、 彼女は出来るなら、ココ・シャネルになりたいと堂々と語る。 「ココ・シャネルが活躍していた 1900 年代頭、女性はつばの大きい帽子をかぶり、コルセットをつけて、 お中の周りをギュッと絞っていたのです。ココ・シャネルは女性をこの苦しいコルセットから解放しまし た。それはファッションの革命であったと同時に、女性の愛するスタイルの変革だったのです。自由への 第一歩。成功するまでシャネルは「おかしい人」 、異端児に過ぎませんでした。今の私と似ています。私は 男性の首に掛かっているネクタイに自由を与えたいと思います。ネクタイを単に脱ぎ捨てることではなく、 新しいスタイルを提案し、男性の苦しみを解放したい。世界に感動を与えたココ・シャネルのように、私 も自分の思いを貫き、必ず成功させます。 」