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憲法とリスク

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憲法とリスク
第
総
第1章
第2章
第3章
憲法とリスク
行政国家とリスク社会
行政国家における憲法秩序の形成
総論では、リスク論を整理しながら、憲法とリスクの関係につ
いて、憲法の統治構造に関するリスクの問題(マクロのリスク)
を考察する。統治構造をリスクの観点から踏まえると、権力濫用
のリスクを事前に防ぐ予防的立憲主義と、政府の効率的運営と権
力濫用とのバランスをはかる最適化立憲主義、というアプローチ
があり、本書は後者の立場をとることを明らかにする。
現在の統治機構の特徴として、行政国家化の進展が著しいこと
はいうまでもない。予防的立憲主義のアプローチからすると、行
政の権力拡大や権力濫用に焦点がしぼられてしまうが、最適化立
憲主義のアプローチをとると、行政国家が果たす役割とそれによ
って生じる問題点の両方に光を当てることになる。行政国家がこ
こまで進展し、かつ市民に重要な公的サービスを提供している以
上、それを問題視するよりも、それを前提とした上で、いかなる
憲法秩序を形成していくべきかを検討することが重要だと思われ
る。したがってこの総論では、行政の果たす憲法価値の実現(プ
ラスの側面)と、それがもたらす行政の権力拡大や権力濫用のリ
スク(マイナスの側面)を考察する。
行政国家における憲法秩序を形成していくためには、行政によ
るリスク対策を憲法適合的なものにしていかなければならない。
そこで、立法府や司法府による外部的統制を考察し、とりわけ司
いざな
法が行政を法の世界に誘っていく役割が重要であることを指摘し、
行政国家型の憲法秩序像を明らかにする。
論
1
部
第
1章
憲法とリスク
衽衲リスク社会における立憲主義のモデル
リスクや不確実さを前にしたとき、私たちはコストと利益の計算
を、感情抜きで冷静にできるわけでもない。むしろその逆で、リス
クや不確実さを前にすると、不安や苦悩などの強い感情が生まれて
しまう。
衽衲マッテオ・モッテルリーニ
現代社会はリスク社会と呼ばれる。リスク社会では、人々はリスクに対する
決定を迫られ、かつその決定もリスクとなる。つまり、あらゆる決定がリスク
となり、現代社会においてはいたるところにリスクが潜んでいることになる。
こうした状況の下、リスクの観点から様々な事象を分析するリスク論(学)と
いう学問領域が登場した。リスクの蔓延により、多くの学問分野においてもリ
スクが見出されることとなり、様々な学問がリスク論の考察対象となる可能性
が出てきた。そのため、憲法(学)もリスク論の分析対象となりうる。しかし、
「憲法とリスク」という大きなタイトルを冠した場合、そこでは何を検討する
ことになるのだろうか。
それを考えるためには、まず、リスク論でいうところのリスクとは何かを明らか
にする必要がある。リスクとは決定にまつわる損害(可能性)のことであり、かよ
うにリスクを捉えるアプローチ自体は憲法とリスクの関係を考察する場合でも変
わらない。したがって、統治や人権に関する憲法問題につきそこで行われる決定
にまつわるリスクを分析していくことが「憲法とリスク」の基本的枠組となる。
憲法とリスクの問題を検討する場合、統治構造に光を当てたマクロのリスク
と個別の憲法問題に着目するミクロのリスクに分けられる。統治構造の問題を
最初に考えなければ、個別の憲法問題の解決策を提示することはできないこと
から、最初にマクロのリスクを検討する必要がある。そこで、本章ではマクロ
のリスクを取り上げ、それに対するアプローチには予防的立憲主義と最適化立
憲主義があることを示し、最適化立憲主義が有用であることを指摘する。
第
1
章
憲
法
と
リ
ス
ク
17
第
2章
行政国家とリスク社会
衽衲行政によるリスク対応とそのリスク
われわれの正しい権利が健康を回復するためには、本来なら恐ろ
しい不正、おぞましい悪であるはずの罪深い手を借りるのもやむを
えないことと思われます。
衽衲ウィリアム・シェイクスピア
行政国家では、行政が市民の様々なリスクに対応することが要請される。行
政が行うリスク対策は市民生活にとって重要なことも多く、行政が人権保障を
行う側面も少なくない。つまり、行政は憲法価値の実現の一翼を担っているの
である。
しかし、行政による憲法価値の実現は、権力の拡大や濫用の危険性と隣り合
わせでもある。行政は権力行使の実働部隊であり、三権の中では「最も危険な
機関」(most dangerous branch)とさえいわれることがある。そのような機関に
憲法価値の実現という任務をあてがうことは行政が権力を拡大させたり権力を
濫用したりすることを正当化してしまうおそれもある。
そのため、行政は憲法上いかなる権限を持っているのかをあらためて明らか
にし、これまでにどのような憲法価値の実現をはかってきたのかを考察し、そ
の権限行使にはどのような危険性が潜んでいるのかを検討する必要がある。
本章では、行政とはどのような概念なのかを分析しながら、行政の憲法上の
権限を確認しつつ、行政による憲法価値の実現を記述的に概観する。その上で、
行政による憲法価値の実現には公権力の拡大というリスクがあり、それは強制
力の直接的な行使に限らず、近時議論されているソフトパターナリズムのよう
に「自己決定」を誘導する状況も創出していることを明らかにする。
第
1
部
総
論
56
第
3章
行政国家における
憲法秩序の形成
衽衲行政立憲主義の概念
司法審査と行政裁量は別個に分析されるものではない。司法審査
は一定の限られた範囲の概念ではなく、裁判所が行政機関の行為を
審査するかどうかに関わるものである。司法審査と行政裁量に関す
る問題は有機的に捉えなければならない。
衽衲フェリックス・フランクファーター
ここまで、リスク社会がもたらした行政国家の展開は、行政による憲法価値
の実現を促進すると同時に、権力分立や法の支配などに歪みをもたらす危険性
をはらんでいることを明らかにしてきた。かかる統治構造のリスク(マクロの
リスク)に対して、取り組むべきは夜警国家への回帰ではなく、行政国家の存
在を所与のものと受け止めた上で、それを最適な形で立憲主義と接合させるこ
とである。そのためには、執行府に対する法的統制を強化するというよりも、
執行府の活動を維持したまま、それを秩序づけていく方法を模索しなければな
らない。
本章では、行政国家における憲法秩序をいかに形成していくべきかという問
題に取り組む。とりわけ、近年提唱されている行政立憲主義という概念を取り
上げながら、その構想を検討する。行政立憲主義は、三権の協働による憲法秩
序構想を前提とするもので、行政による憲法価値の実現を肯定的に捉えつつ、
他権がそれに統制をかけていくことで憲法秩序を形成していくというものであ
る。論者によってその内容に違いがあるため、ここでは総和的な行政立憲主義
の姿を明らかにし、その検討を行う。
第
3
章
行
政
国
家
に
お
け
る
憲
法
秩
序
の
形
成
105
第
各
第4章
第5章
第6章
第7章
第8章
監視とリスク
犯罪予防とリスク
公衆衛生とリスク
情報提供とリスク
環境問題とリスク
各論では、総論で取り上げた統治の視点を踏まえて、個別の憲
法問題についてリスクの視点を交えながら検討する。総論で述べ
たように、憲法とリスクの問題は、行政国家を前提としてそれを
憲法の中で秩序づけていくことが重要である。そのため、各論で
取り上げる個別の憲法問題についても、問題の状況を概観しなが
ら、政治部門や行政機関の対応を考察し、それを司法が憲法の中
で秩序づけていく様相を描いていく。
リスクの観点から上記目次にあるような個別の憲法問題にアプ
ローチすると、以下のような流れで論を進めることになる。まず、
政治部門や行政機関がそのリスクに対していかなる対応を行って
いるのかを把握する。次に、そのリスク対策が別のリスクを生み
出している状況を考察する。そして最後に、リスク対策に関する
司法的統制を考察することで、その対策が憲法適合的に形成され
ていくプロセスを分析する。このとき、司法的統制が不十分な場
合もあれば、憲法秩序の形成に向けて動いている場合もある。不
十分な場合は司法判断に欠けている問題点を明らかにし、憲法秩
序の形成中の場合はその状況を明らかにする。
このアプローチの特徴は、必ずしも〈政治部門(行政機関)対
司法〉という対立構図で両者を捉えない点である。そもそもリス
クが循環する性質を有する以上、司法的統制によってリスク対策
を無効にしても、元のリスクの問題は何も解決しないままとなっ
てしまう。重要なのは、リスクの最適化であり、それをどのよう
に実現していくかという点である。
各論では、以上のような問題意識を念頭に置きながら、個別の
憲法問題を検討する。
論
2
部
第
4章
監視とリスク
衽衲 9.11 後のテロ対策を素材にして
天使が人間を統治するというならば、政府に対する外部からのも
のであれ、内部からのものであれ、制御など必要としないであろう。
衽衲ジェイムズ・マディソン
パノプティコン(全展望監視システム)の例にあるように、監視は統治の効
率化の道具として用いられることが多い。しかも、現代社会は科学技術の進歩
によって相当広範囲な監視が可能になっている。そのため、統治者側にとって、
監視はますます有用な手段となっている。
しかし、監視は憲法上の権利を侵害し、自由の領域を狭めてしまうリスクが
ある。とりわけ、人々のコミュニケーションを監視する場合、それはプライバ
シー権や表現の自由という精神的自由を侵害するリスクがある。
その典型例が盗聴である。通信は現代社会において欠かせないコミュニケー
ションツールとなっているので、それを盗聴することで膨大かつ重要な情報を
集めることができる。そのため、統治者にとって盗聴はきわめて有効な手段で
ある。しかし、盗聴される側にとってはプライバシー権が侵害されることにな
り、さらには盗聴されているかもしれないという不安から表現活動も委縮して
しまう可能性がある。
ところが、盗聴は秘密裏に行われることに加え、どの時点で権利侵害が発生
するのかは必ずしも定かではない。盗聴が発覚して盗聴対象が明らかになれば、
その問題を裁判で争うことができるだろうが、そうでないケースの方が多い
(はずである)
。そのため、この問題については盗聴のもたらすリスクを中心に、
それに対する司法的統制を検討することが重要になる。
本章では、監視のリスクについて、アメリカの NSA 盗聴問題を素材にして、
その対応を検討する。
第
4
章
監
視
と
リ
ス
ク
161
第
5章
犯罪予防とリスク
衽衲性犯罪予防を素材にして
治療より予防のほうがいいのは誰でも知っている。でも、予防の
ために何かをして高く評価されることはあまりない。
衽衲ナシーム・ニコラス・タレブ
犯罪の取締は、夜警国家の時代から続く国家の古典的責務であり、その重要
性は現代になっても変わらない。犯罪は、被害者のみならず、社会に対しても
損害をもたらすものであり、そのリスクを軽減することは国家の重要な責務で
ある。
しかし、最近では、犯罪捜査のみならず、犯罪予防を強化する傾向にある。
とくに、多くの犯罪については再犯率が高いとされることから、再犯を防ぐた
めの予防措置を施す試みが行われるようになってきている。
たしかに、出所後の生活支援を行うなどして、再犯を防ぐ試みは本人にとっ
ても社会にとっても利益になることである。だが、再犯予防が自由を大幅に制
約するようになると、今度は自由に対するリスクが生じることになる。
とくに近年、出所後の性犯罪前科者に対する再犯予防が強化される傾向にあ
る。アメリカではその傾向が顕著であり、出所後の住所登録はもちろんのこと、
居住や移動の制限から GPS の装着まで、幅広い規制が行われている。日本で
も、2012 年に大阪府で「大阪府子どもを性犯罪から守る条例」が制定され、
子供に対する性犯罪前科者に対して出所後一定期間住所の届出義務を課す制度
が始まっており、今後規制が強化される可能性もある。しかしながら、こうし
た措置は自由に対するリスクを内包しているといえないだろうか。
本章では、このような状況を念頭に、性犯罪予防がもたらす自由へのリスク
第
2
部
各
論
208
を検討する。
第
6章
公衆衛生とリスク
衽衲感染症対策を素材にして
リウー(医師)「問題は、法律によって規定される措置が重大かど
うかということじゃない。それが、市民の半数が死滅させら
れることを防ぐために必要かどうかということです」
知事「しかし、私としては、それがペストという流行病であること
を、皆さんが公に認めてくださることが必要です」
リシャール(医師)「君はこれがペストだと、はっきり確信をもっ
てるんですか」
リウー「そいつは問題の設定が間違ってますよ。これは語彙の問題
じゃないんです。時間の問題です」
知事「つまり、たといこれがペストでなくても、ペストの際に指定
される予防措置をやはり適用すべきだ、というわけですね」
衽衲アルベール・カミュ
人類は太古から感染症と闘ってきた。かつて猛威をふるった天然痘はワクチ
ンの開発によって終息に向かった数少ない例として挙げられるが、それは例外
的なケースと目されており、人間の防御策に対し、ウイルス側も変形などによ
って対抗し、両者の闘いは終わりが見えない様相を呈している。コレラやペス
トなど細菌が引き起こす感染症に対してはワクチンと抗生物質である程度対応
できるようになったが、耐性菌が登場するなど、終わりの見えない闘いが続い
ている。
感染症対策はワクチンに限られない。感染の被害を最小限にとどめるために
は、隔離等により感染が広まらないようにすることが重要であるが、それは自
由を大幅に制約するものである。しかも、国家は、そうした措置をとるか否か
第
2
部
各
論
250
について、切迫した状況の中で最善に近い判断を下すことを迫られる。
このように、感染症は国家に対して抜き差しならないジレンマを突きつける
ものであり、国家はこのリスクにどのように対応すればよいのだろうか。本章
では、感染症対策を中心に、公衆衛生とリスクの問題を取り上げる。
第
7章
情報提供とリスク
衽衲食の安全に関する情報を素材にして
私はブロッコリーが嫌いだ。私は小さな頃からそれが嫌いだった
が、母親はそれを食べさせてきた。けれども大統領になった今、私
はもうブロッコリーを食べるつもりはない。
衽衲ジョージ・H・W・ブッシュ
情報化社会を迎えた今、膨大な情報の中から必要な情報を取捨選択する能力
がますます重要になってきている。そうした状況下において、国(政府)の提
供する情報は、一般に信頼性があり、内容も整理されていることから、重要な
情報源と位置づけられている。しかし、このことは、国が迅速かつ正確な情報
の提供というやっかいな責務を負わされていることを表している。
とりわけ、食の安全に関する情報提供は、国民の日常生活に密接に関わって
いることから、センシティブな対応を迫られる。食の安全の問題の中で、毎年
のように話題に上がるのが、食中毒の問題である。政府には、食中毒に関する
情報を迅速かつ正確に国民に提供する責務がある。食中毒問題は消費者のみな
らず、食品業者にとって死活問題になることが多い。食品業者にとって、食中
毒の風評は命取りになりかねないからである。
その結果、国は食中毒が拡大するリスクに対応するため迅速に情報を提供し
なければならない反面、業者が不必要な損害をこうむるリスクに対応するため
に正確な状況がわかるまで情報を提供できないというジレンマに襲われること
になる。このとき、国はどのような対応をすればよいのだろうか。
また、食の安全の問題については、国が提供する情報だけでなく、報道機関
が提供する情報の場合も同じようなリスクが存在する。この場合、報道機関側
第
2
部
各
論
298
の表現の自由も関連してくるので、問題はより複雑な構造になってくる。これ
が現実になったとき、いかなる機関がどのような対応を行えばよいのだろうか。
本章では、食の安全に関する情報提供とリスクの問題を考察する。
第
8章
環境問題とリスク
衽衲温室効果ガス規制を素材にして
より根源的な問題は破局的な地球温暖化のシナリオと結びつく蓋
然性がないことであり、蓋然性が予測できなければ予期されるコス
トも計算できない。
衽衲リチャード・ポズナー
環境問題は、リスク学の分野の中でも、最重要課題の 1 つであると同時に最
も物議をかもしているエリアである。環境問題の特殊性は、その被害の大きさ
と科学的証拠を提示することの難しさにある。たとえば、地球温暖化を例に考
えてみよう。温暖化は地球レベルで大きな気候変動をもたらすと予測される。
北極圏の氷がとけて海面が上昇して陸上生物の生息領域が狭まり、海面温度の
上昇による大型台風や大雨洪水が発生し、さらに干ばつによって食糧生産が低
下するなど、その被害ははかりしれない。しかしながらそもそも本当に温暖化
が進んでいくのか、そして温暖化が進むとしても上記のような被害が本当に起
きるのかは必ずしも科学的証明がなされているとはいえない。最近では、過去
と比べて平均気温が高まっているというデータが示されることが多いが、それ
だけで将来的に温暖化が進むことを断定できるとは限らない。
とはいえ、いつまでも手をこまねいていると、とりかえしのつかない事態に
直面する可能性もある。そのため、ヨーロッパでは予防原則が叫ばれるように
なった。今でこそ有名になった予防原則であるが、それは環境問題への対策を
念頭に置いた原理として登場したものである。ただし、それは司法に法的判断
を迫るものとして定着しているわけではない。
それでは、温暖化のリスクに対して三権はどのように対応すべきだろうか。
第
2
部
各
論
360
本章では、温室効果ガス規制を素材にして、最初に、アメリカにおけるその規
制状況を概観した上で、連邦最高裁が地球温暖化のおそれを理由とした訴えを
取り上げた裁判を中心に温室効果ガス規制をめぐる三権の動態を考察し、それ
に関連する他の判決も交えながら、司法による秩序形成とその限界を考える。
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