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クローン病の精神心理

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クローン病の精神心理
病気のプロフィル No.
42
クローン病の精神心理
─ 若い成人に好発する病気のモデル ─
この「病気のプロフィル」No.42では、2000年1月に配布したうつ病
(「病気のプロフィル」No.34)に準じて、医師ばかりでなく、看護婦、医
療社会福祉士、保健婦、....などのコ・メディカルの人たちをも対象にして、
前途ある若い人が治りにくい病気に罹ったときの精神心理について出来る
だけ平易にまとめてみた。
この試みは予想以上に困難な作業であったが、他の似たようなむずかし
い病気の患者に対するときの参考になれば、幸いである。
2002年2月19日に筆者は同じ病棟で二人のクローン病の患者を診た。消化器病専
門の診療施設でもこの病気の患者を同時に二人以上見ることは少ないと聞いていた
から、驚き、かついろいろと考えさせられた。
二人の患者のうち一人は37歳の女性で、夫君と二人の小学生の娘さんが毎週見舞
いに訪れ、また実のお母さんとお姑さんが自宅から二日交代で介護に通っている。
もう一人の患者は16歳の男子高校生で、進学その他の問題を目前に控えている。
診る側は努めて平静、かつ穏やかに構えて接したが、内心そうはいかなかった。
前者については実の母と姑が交代で介護するとは世界に例がないのではないかと思
い、後者についてはこれから先、家庭、学校、社会生活において起こり得べきこと
を考えて胸ふさがる思いであった。
その日から「クローン病の精神心理」に関する論文を探し始めたが、容易に見つ
からなかった。ただ、良永雅弘博士(消化器病専門)がアメリカ留学への出発前に
置いていった炎症性腸疾患に関する文献の中で高添・河南(1997)の「Crohn病の
生活指導」が筆者の注意を引いた[1]。その後、炎症性腸疾患患者の精神心理学と心
身医学的アプローチについての報文をいくつか手にすることが出来た[2-7]。これら
の報文を参考にしてクローン病患者の精神心理についてまとめることにした。
クローン病は日常そう頻繁に経験する病気ではないから、コ・メディカルの人た
ちのことも考えて、本論に入る前に、この病気のことをあらまし紹介する。
わが国におけるクローン病
1932年にアメリカのB.
B.
Crohn
et
al.
が初めてこの病気について報告してから
今年でおよそ70年になる。病気の名は、いうまでもなく、最初の報告者の名を取っ
てクローン病
Crohn's
disease
と名づけられた。
この病気はわが国では、かなり長い間、幻の病気であり[8]、1970年の時点でも
わが国に存在するかどうかさえ疑問視されていた
1
(「病気のプロフィル」No.
38)。
それからおよそ30年を経て、今日ではわが国全土で14,016∼17,520人以上の患者
がいると試算されている
[9,
10]。当然、このような状況は卒前・卒後の医学教育に
反映し、この病気に対する医師、コ・メディカルの人たち、および一般の人たちの
認識と知識水準は他の病気に比べてかなり低いと推測される。
患者の頻度 クローン病の集団中頻度は正確には分らない。まだ多分にこの病気
の診断に不確定な要素が残されているからであろう
定疾患医療受給者数が参考になる
表1.
(後述)。しかし1984年以降の特
[11]。
1984年以降の特定疾患医療受給者数
─潰瘍性大腸炎とクローン病
人口10万あたり
年 度
潰瘍性大腸炎
クローン病
1985-1989
1990-1994
1995-1997
八尾
1.6
2.9
4.2
(2002)
による
0.6
0.9
1.2
[11]。
表1に示すように、1995-1997年の受給者数は人口10万あたり1.2で、潰瘍性大
腸炎のほぼ1/4∼1/3であろうか。しかし、その数は年々増加している。これは経
験とカンにより多く依存していた従来の診断の仕方に代って、再現性と精度の高い
画像診断や病理学的検査法が発達してきたからであろう
[12]。
クローン病とはどのような病気か
医科学国際組織委員会(WHO)は、クローン病とはどのような病気か、次のよ
うに簡潔にまとめている。
クローン病はその原因が不明で、主に若い成人に見られ、消化管の浮腫、線維
(筋)症や潰瘍をともなう肉芽腫性炎症性の病変から成る。
しかし、このまとめだけではクローン病がどのような病気であるかなお分りにく
く、また潰瘍性大腸炎、腸結核、腸型ベーチェット病、その他の腸の潰瘍性疾患
(「病気のプロフィル」No.
40)などと鑑別しにくい。そこで、これらのなかで最
も近縁の病気とされている潰瘍性大腸炎と比較して、違うところと似たところを示
しながら、クローン病とはどのような病気であるか説明しよう。
クローン病と潰瘍性大腸炎の違うところ
クローン病と潰瘍性大腸炎とは、次のような点で異なっている。
⑴ 潰瘍性大腸炎では病変はほぼ大腸に限られているが、クローン病では口腔から
肛門に至るまで消化管のどの部分でも病変が見られる。したがって後者では食物の
2
消化・吸収により重要な役割を果たしている小腸に病変が生ずる傾向が強く、前者
に比べてそれだけ治療がむずかしくなる。
⑵ 潰瘍性大腸炎では病変は直腸に始まり、腸管を上方向に向ってさかのぼるよう
に連続的に生ずる傾向があるが、クローン病では病変が非連続的に飛び飛びに現れ
る傾向がある
(飛び越し病巣
⑶ 消化管(腸管)の横断面
skip
lesion)。
(「病気のプロフィル」No.
38の図1)
で見ると、ク
ローン病では潰瘍性大腸炎に比べて病変は深く、消化管の粘膜、粘膜下、筋層、...
におよび、ときとして腸管壁を貫通して病変が周囲の臓器、組織におよぶことがあ
る(全層性病変
transmural
lesion)。
⑷ クローン病では肛門病変がより顕著である。
最近、クローン病では診断の標識として肛門病変が重視されつつある(表2)。
表2.
クローン病に合併した肛門病変
肛門病変
裂肛
肛門潰瘍
Ulcerative edematous
痔瘻
肛門周囲膿瘍
肛門膣瘻
直腸膣瘻
Skin tag
肛門乳頭腫大
その他
例
31
26
pile
3
174
59
5
4
28
10
4
福島・杉田(1995)を一部改変
数
頻
度
8 %
7
1
46
15
1
1
7
2
1
[13]。
クローン病と潰瘍性大腸炎の似たところ
以上述べたような所見によってクローン病と潰瘍性大腸炎とは異なる疾病単位
disease
No.
40)
entity
として確立したが、他の非特異性の腸潰瘍(「病気のプロフィル」
などに比べると、クローン病と潰瘍性大腸炎は似たところが多く、Kirsner
などはこの両者は「きょうだい」とまではいかなくても、「いとこ」程度の類縁関
係にあると述べている
[8]。その一端が中間型大腸炎である。
中間型大腸炎 症例のなかには臨床像、病巣の組織学的所見、その他の所見を比
較検討してもクローン病、潰瘍性大腸炎のどちらとも判定しがたいものがある。こ
のようなものを中間型大腸炎
intermediate
colitis
という
[14-19]。
以上のことから、クローン病と潰瘍性大腸炎はそれぞれ独立の疾病単位として確
立してはいるが、一部に両者のどちらとも判定しがたいものがあることが分る。
表3にクローン病の臨床像を要約しておく。
3
表3.
クローン病の臨床像(要約)
若い成人に発症することが多い、原因不明の病気である。
浮腫、線維(筋)症や潰瘍をともなう肉芽腫性炎症が病変の主体をなして
いる。
病変は口腔から肛門まで、消化管のどこにでも生じ得る。
栄養障害をきたしやすい。
病変は飛び飛びに生じ、深層におよぶ傾向がある。
肛門病変が多い。
消化管外症状が発現する (表4)。
根本治療の方法がない。
慢性の経過をとり、再燃と寛解を繰り返す。
長期療養になる傾向がある。
栄養療法、薬物療法に加えて、手術を必要とすることが多い。手術後の再
発率が高い。
諸家の報文を参考に筆者編成。
表4.
クローン病の腸管外合併症
比較的多い合併症
[泌尿器系] 腎結石、腎アミロイド
[眼] 強膜炎、虹彩毛様体炎、など
ーシス、など
[皮膚] 結節性紅斑、壊疽性化膿
比較的少ない合併症
性皮膚炎、など
[心臓・血管系] 心外膜炎、静脈血
[骨・関節系] 関節炎 (主に肘関
栓症、など
節)、強直性脊椎炎、仙腸骨炎、
[呼吸器系] 慢性気管支炎、気管支
ばち状指、など
拡張症、肺胞線維症、など
[肝・胆道系] 原発性硬化性胆管
[その他] 自己免疫性溶血性貧血、
炎、肝硬変、脂肪肝、胆石症、
血管炎、など
肝膿瘍、肝アミロイドーシス、
など
Allan et
al. (1990)、屋代 (1994) を参考に編成 [23, 28]。
クローン病の診断
1995年に厚生省・特定疾患・難治性炎症性腸管障害調査研究班(班長:武藤徹一
郎)によってクローン病の診断基準(改訂案)が提出された
[20,
21]。その主要所
見と副所見を表5に示す。
これらの所見のなかで腸粘膜の画像診断の所見として縦走潰瘍long itu di nal
ulcer
と敷石状像
cobble
stone
appearance、病理組織学的所見として非乾酪性の
4
類上皮細胞肉芽腫
non-caseous
epithelioid
であることを示す特異性の高い所見である
表5.
granuloma
はその病気がクローン病
(図1と2)。
クローン病の診断基準(改訂案)の要約
主要所見
縦走潰瘍
敷石状像
非乾酪性の類上皮細胞肉芽腫
副所見
縦列する不整形の潰瘍またはアフタ
上部と下部の消化管両方に認められる
不整形の潰瘍またはアフタ
八尾
(1995,
1997)
を参考に再編
[20,
21]。
しかし、早期診断となると、いまだしの感を免れない。
表6に症状が発現して最終診断に至るまでに3年以上かかった患者の例を示す。
中には9年以上もかかった例がある。長期間にわたって潰瘍性大腸炎として治療さ
れていたものが2例あり、腸結核と腸型ベーチェット病と誤診されていたものがそ
れぞれ1例ある。全例に肛門病変が見られることが注目される
[22]。前にも述べた
ように、最近、クローン病の診断に肛門病変を重視する報文が多い
図1.
クローン病の腸管のX線像(一部)
16歳の男性。縦走潰瘍
skip
(表2)。
lesion
longitudinal
が見られる。
安田大助(福岡逓信病院)原図。
5
ulcer
と飛び越し病巣
図2.
クローン病の大腸内視鏡像(一部)
16歳の男性。光沢を帯びた玉石様の隆起─敷
石様像
cobble
stone
appearance
が見られる。
安田大助(福岡逓信病院)原図
以上述べたような例のほかに、容易に陰性化しない炎症反応、微熱、貧血、低タ
ンパク血症、体重減少などの症状が続くが、診断決定に至らず、不明熱、病巣不明
の結核、神経性食思不振症、内分泌疾患疑いなどと診断されていることがある
[23]。複数の医師で症例を検討している過程で誰か一人がクローン病を鑑別診断の
対象にあげると、その後一気に診断決定に傾くこともあるらしい。
症例
表6.
クローン病の診断に3年以上かかった症例
発症
主な症状
入院回数 以前の診断
22歳の女性 9年前
23歳の男性 7年前
発熱→発熱、肛門病変
発熱、肛門病変→腹痛、下痢
24歳の男性 6年前
32歳の男性 5年前
28歳の女性 4年前
発熱、肛門病変→腹痛、体重減少 4
発熱、肛門病変→腹痛、体重減少 4
下痢、肛門病変
4
20歳の女性 3年前
17歳の男性 3年前
腹痛、肛門病変→発熱、下痢
発熱、腹痛→肛門病変
吉田・棟方
(1993)
より引用
[22]。
6
3
4
3
2
不明熱→痔瘻
不明熱、痔瘻
→腸結核
痔瘻
潰瘍性大腸炎
腸型ベーチェット病
→肛門周囲膿瘍
痔瘻、潰瘍性大腸炎
虫垂炎
→肛門周囲膿瘍
早期診断 ─ 早期治療への期待 前にクローン病は主に若い成人に発症すると述
べたが、約15%は中・高年齢層にも発症する(後述)。
1962年にアメリカの第34代大統領
D.
D.
Eisenhower
がクローン病と診断され、
1964年に手術を受けた。このときに一般の人たちの間に一躍クローン病の存在が認
識されたが、同時に、かなりの期間この病気を診断できなかった医師団の知識と経
験の不足が問題になった
[22,
24,
25]。
療養が長期にわたり、治療がむずかしいクローン病も早期に診断して早く治療を
開始すれば治療効果が上り、長期寛解に導入させ、あるいは完治させることも可能
ではないかという期待はあるが、現状はそれに程遠い。その理由はいくつかあるが、
最たるものは早期に発現する症状に特異性が乏しいことであろう。
表7に示すように、クローン病で早期に発現する症状は腹痛、全身倦怠感、およ
び下痢で、三主徴
triad
とみなされている。しかし、これらは日常よく見られるあ
りふれた症状で、例えば全身性進行性強皮症(PSS)におけるレーノー症状、硬指症、
食道運動障害などのように特異性の高いものではなく、症状発現から直ちに画像診
断─病巣の病理組織学的検査に至る可能性は低い。また早期の症状として「夜間の
下痢または下血」を指摘する消化器専門家がいるが、まだ具体的な統計数値として
示されていない。しかし注目しておいて良い症状であろう。
表7.
クローン病242例の症状
症状
頻度
症状
頻度
腹痛
81 %
イレウス症状
30 %
全身倦怠感
58
腹部の腫瘤
29
下痢
57
腹膜炎症状
20
下血・潜血反応
54
瘻孔
17
発熱
49
痔瘻
16
体重減少
43
その他
貧血
41
頻度の小数点以下は四捨五入してある。笹川ら
7
(1987)
を一部変更
[26]。
発症年齢と生命予後
クローン病は、前に述べたように、若い成人に好発し、慢性の経過をとる。この
点を発症年齢と生命予後の視点から見てみよう。
発症年齢 守田ら
(1994)
の全国疫学調査によれば、クローン病は男女とも、ご
く少数ながら、5∼9歳の幼小児期に発症している。年齢別の発症頻度は10∼14歳、
15∼19歳、20∼24歳と年齢が高まるに従って上昇し、ピークは男性では20∼24歳、
女性では15∼19歳にある [27]。このことから、クローン病は人生のこれからという
年齢期に好発することが分る。およその推測では、約85%は幼少期から青年期に、
7
約15%は中高年に発症するとみなされる [11, 19, 21, 27, 30]。
生命予後 クローン病の生命予後
vital
prognosis
に関しては、十数年前から
Allan et al. (1990) をはじめとして、いくつかの報文がある [23, 28-31]。
厚生省・難治性炎症性腸管障害調査研究班によれば、419例のクローン病患者に
ついては診断後10年間の累積生存率は96.9%で、短期的推定による予後はきわめて
良好である [23]。
クローン病の生命予後は短・中・長期的推測のいずれでも良好とみなす報文が多
く、屋代
(1994)
によれば、クローン病は悪性腫瘍のように放置すれば必ず死に至
るような病気ではなく、患者によっては長期にわたって生活に適応し、ときとして
自然寛解に入って来診しなくなる例もあるという [23]。この報告は貴重で、とくに
早期診断 - 早期治療の効果について期待を抱かせる。
患者と家族が当面する問題
クローン病の発症年齢は、上に述べたように、男性で20∼24歳、女性で15∼19
歳にピークがあり、これから送るべき人生において計画の多い若い成人期に好発す
ることが分る。すなわち学校生活、就職、結婚、出産、あるいは子育ての時期に相
当して発症し、それから数十年にわたり家庭と社会生活において病気の再燃と寛解
を繰り返し、先々の見通しが立ちにくい慢性疾患であることが分る [1, 33, 34]。
以下、高添・河南
(1997)
などを参考にして、クローン病患者が当面する可能性
のある問題を取り上げてみよう [1-4, 32, 33]。
受診当初における心身の反応 クローン病患者およびその家族が治りにくい病気
に罹ったことを知ったときの驚愕、不安、動揺、焦燥は推測に余りある。食思不振、
睡眠障害、めまいなどの身体症状も起り得る。したがって主治医はまず初めにこの
病気の実態と療養の仕方について懇切に説明しなければならない(後述)。
家庭の内外で患者が当面する問題 これまでに繰り返し述べたように、この病気
はまだ十分に人生経験を積んでいない若い成人に好発する。したがって、この病気
は内では家庭生活、外では近隣との付き合い、学校、会社、その他の集団生活に影
響をおよぼす[1, 34]。
さしあたり家庭内では親離れ、子離れの問題、学校では学習、体育、学内活動、
進級、進学、社会に出た後は就職、転勤、転職、昇進などのイベントに加えて家庭
生活の設計─結婚、妊娠、出産、育児、子育てなどに影響がおよぶであろう。
患者の就職難、学校や職場におけるいじめや厭がらせ、住宅ローンや生命保険へ
の加入の拒否などの差別の問題が生ずる可能性もある [1]。
患者と家族に対する説明と同意
クローン病ではその療養生活において患者自身が、医療陣と協同して、自分で自
分を律しながら療養する自己管理 self care のしめる部分が大きく、これによって
療養と実生活とを両立させることができる [1, 33, 34]。
説 明 主治医は、診療を開始するに当って、患者と家族に対して次のようなこ
8
とについて説明する。
○クローン病とは、どういう病気か。○患者は、この病気の病態の中で、どのような位
置にあるか。○これからどのような治療をするか。○どういう経過が予測されるか。○実
生活はどうあって欲しいか。○当面、外来、入院、在宅医療(後述)のどれを選択するか、
など。
患者と家族が以上の説明をより良く理解するために、医師との間でおそらく次の
ような質疑がなされるであろう(補足的な質疑)。
○治療でどの程度良くなるか。○手術が必要になるか。○いつまで治療は続くか。○治
療にはどのような副作用があるか。○栄養療法に伴う食事制限はどの程度で、いつまで続
くか、など。
第二の意見 診療開始の前または後に、患者は第二、第三、第四、....
の医師の
意見 (second opinion) を求めることができる。
以前、わが国などでは第二の意見を求めることは主治医に対して礼を失すること
としてタブー視される傾向にあったが、アメリカあたりでは情報公開の趨勢にとも
なって第二の意見を求める傾向が強まり、いまやごく普遍的なこととなっている[1,
33]。
私見では、とくに治りにくい病気の場合には、患者が十分に納得して診療を受け
るためにむしろ望ましいことではないかと思っている。
病気の通称名 原因が不明で、治りにくい病気に対して医師または一般の人たち
が用いる通称名がある。
医師の間では「難治性疾患」または「難病」の言葉が用いられているが、この言
葉は内科学用語集 (1998年版) にも医学用語辞典にもない [35, 36]。このような学
術用語として認められていない言葉を患者の前で安易に口にしないが良い。
一般の人たちの間では「業病」、「奇病」、「不治の病」、「宿命の病気」などの言葉
が用いられることがあるが、これも禁句である。わが国では1943年に18万人の死亡
者が出たと言われている結核もいまやさほど恐るべき病気ではなくなった。クロー
ン病についても、完全寛解または根治療法への努力が今後も絶え間なく続けられる
であろう。このことを思い起して不用意な言葉は使うべきではない。もし患者に求
められてどうしても病気の通称名を言わねばならないとすれば、「治療のむずかし
い病気」であろうか。
クローン病とクローン生物 一般にクローン病は病名そのものが馴染みにくいが、
これからクローン生物の「クローン」を連想する人が少なくないことにも留意すべ
きである。
前者の英語名はCrohn、後者のそれはcloneで、似て非なるものである。クロー
ン生物(分枝系生物)は無性的な生殖によって生ずる遺伝子型の等しい生物の集ま
りで、筆者が初めてクローン生物のことを知ったのは日本遺伝学会第54回大会
(1982年) で、以来これをヒトについて実現しようとする発想には筆者は嫌悪感を抱
いている。
重ねて、この二つのクローンには全く関連がないことを強調しておく。
女性患者の妊娠と出産 クローン病は女性の産子期 reproductive age にも好発
するから、妊娠と出産のこの病気におよぼす影響について知っていないと、患者お
9
よび家族から避妊や人工妊娠中絶について相談を受けた場合に適切な返事ができな
い [37]。
妊娠と出産のクローン病におよぼす影響またはクローン病の妊娠と出産におよぼ
す影響については、Fielding・Cook (1970)以来、多数の調査研究がある[37-43]。
わが国では織内ら (1999) の報文と総説が参考になる [37, 43]。これらのうち比較
的新しい報告を一つ取り上げて紹介する。
Woolfson et al.(1990) は、78人の女性のクローン病患者の妊娠について検討し
た結果、妊娠と出産はクローン病の活動性に影響せず、その危険度は一般集団のそ
れと差がないと報告した [38]。織内・樋渡 (1999) の総説の要約もほぼこれに準じ
ている [37]。
クローン病の診療体制
これまでに繰り返し述べたように、クローン病は長期の療養を強いられる慢性の
病気で、心身の安静が症状と経過に影響をおよぼすから、診療は患者の心身両面に
配慮してなされねばならない。
診療の場 診療がなされる場は外来、入院、および在宅に分けられるが、わが国
では1986年ごろから患者のQOL (生活の質または生きがい quality of life) を高め、
ADL (日常生活動作 activity of daily living) を正常な水準に近づけるための在宅医
療 home care and cure が重視されるようになった [44]。とくにクローン病の場合
には、在宅医療の重みが大きい。
在宅栄養療法 クローン病の治療法は大きく栄養療法、薬物療法、および手術に
分けられるが、これらのうちで栄養療法、そのなかでも在宅栄養療法が果たす役割
が大きい[2, 3, 19, 32, 34, 45-47, 49]。医療保険の制度下で在宅成分栄養法 home
elemental enteral hyperalimentation (HEEH) が適用される病気のなかでクロー
ン病は筆頭に位置している。ここでは在宅成分栄養法については詳しく述べない。
委細は松枝 (1990) を参照されたい [46]。
患者がなお若く、活動性を保持している場合には、成分栄養を長期間続けること
は患者の精神心理面におよぼす影響が大きく、限界があることを指摘する専門家が
多い。馬場 (1999) は、少なくとも約1200kcal/日を成分経腸栄養、残りの約600∼
700kcal/日を食事として経口的に取らせる在宅栄養療法を奨めている [19, 34]。
診療チーム クローン病の診療には、医師を中心に、これに協力するコ・メディ
カル・メンバーが必要である [32]。いうまでもなくチーム医療の基礎には患者と家
族の協力がなければならない。
医師陣のなかで外科医の占める部分が大きい。クローン病の場合には、腹腔鏡下
または開腹下で腸狭窄解除術 stricture plasty その他の手術がなされることが多い
からである [48, 49]。また「かかりつけの医師」が加わることも少なくない。
コ・メディカルメンバーとして看護婦のほかに医療社会福祉士、心理療法士、介
護福祉士、保健婦、栄養士などが参加することが望ましいが、実際には次善の体制
で望まざるを得ないことが多い。
前にも述べたように、一般にクローン病に関する知識と経験の水準はあまり高く
10
ないから、診療に従事するメンバーは改めてクローン病について勉強し直さねばな
らない。
む す び
このたび目を通す機会があったクローン病患者の精神心理に関する報文のほとん
どは長期療養の経過中に起こり得る問題の提議で、それへの対応の仕方については
さほど踏み込んで検討していなかった。この点、癌精神心理学 psychooncology に
関する論文に比べると、隔靴掻痒の感を免れない。しかしクローン病患者が療養の
過程で当面する問題と患者の精神心理について、おおよそのことは知ることが出来
た。これを知るのと知らないのとでは診療に大差が生じよう。
一例として、上に述べたような栄養療法にかかわる問題がある。ヒトの摂食欲を
無視して非経口栄養に依存し過ぎると、患者は精神的に参ってしまう [19, 34]。
高添 (1993, 1997) をはじめとする諸家のクローン病の精神心理へのアプローチは
始まってまだ日が浅いが、今後の重要課題として期待されるところが大きい。
クローン病という治療のむずかしい病気の解決には、二つの方法があると思う。
第一は病因を解明して根本治療の方法を見出すことであり、第二は早期診断 - 早期
治療の方法を確立して、軽症のうちに完全寛解に持っていくか、治癒させることで
ある。第一の方法は、ここ当分、目途が立ちそうもないとすれば、第二の方法の実
現に向けて努力しなければならない。
[謝辞] 福岡逓信病院内科の樋口雅則博士、安田大助博士、嶋田裕稔医師、永瀬
章二博士、九大第三内科消化器病研究室(主任:原田直彦博士)の御協力に深謝す
る。
柳瀬 敏幸 (2002. 4. 26.)
参 考 文 献
[1]
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