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英米法における人体組織の規制

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英米法における人体組織の規制
報 告 国際シンポジウム 1
英米法における人体組織の規制
バーナード・M・ディケンズ*
(訳)大坂賢志**
および義務を認めたのであった。
1.序
しかしながら,法は,人体またはその一部が,
特別な取り扱いの対象とされてきた場合のよう
カナダおよびアメリカ合衆国における法の全
に,通常とは異なる利益を有する場合には,そ
般的基礎は,イングランドの歴史的法であるコ
れらが価値を取得し,それゆえ所有権の対象と
モン・ローに由来し,これら3つの法体系は相
して取り扱われうることを認める方向へと発展
互に協同して機能し続けている。これらの法体
した。たとえば,アメリカの裁判所は1905年に,
系は同一のものではなく,ときに重要な点にお
科学に資するように用いられる死体は所有権の
いて異なっているが,共通の一般的アプローチ
対象であると判示し1,また1998年にイングラン
を共有している。政治的方針に左右される立法
ドの控訴院は,医学教育のために用いられてい
は,裁判所が発展させる法理に比して国による
た膝関節を持ち出したことについて,窃盗罪の
隔たりがより大きいが,カナダ,イングランド
有罪判決を下した2。
およびアメリカの人体組織の法的規制に対する
ヒトを奴隷として扱うことが合法であった時
アプローチ方法を概観するならば,そこには強
代,奴隷は法的に所有権の対象であるとみなさ
い類似性が見出される。
れていたが3,イングランドおよびアメリカにお
3ヶ国の法体系は,たとえば,死体を所有権
ける奴隷制度の廃止以降,人間は所有権の対象
の対象(property)とはみなさないなど,イン
であるとはみなされなくなっている。しかしな
グランドのコモン・ローにおける歴史を共有し
がら,比較的最近に至るまで,生体および死体
ている。死体の処分権は,キリスト教の教会則
であるヒトから得られる組織の法的地位はなお
によって規律される宗教法に属する事柄であっ
不確定であった 。3つの法域すべてにおいて立
た。歴史的なコモン・ローにおいて,財産的利
法は,臓器およびその他の人体組織に関する商
益は,富ないしは価値を保護するものであると
業的取引を禁じようと試みたが,立法は,人体
して,往々にしてその有用性と関連づけて扱わ
組織が所有権の対象であり,かつ,合法に取引
れた。死体は歴史的には利用法がなく,それゆ
されうるという概念を否定するよりも,正式に
え価値がないものとされており,
したがって,
所
それを認める傾向にあった。
4
有権の対象とはみなされなかったのである。死
体は死者の遺産(estate)の一部ではなく,そ
人体組織の地位は,以下の事項との関連にお
れゆえ遺贈によっては譲渡されえなかった。コ
いて問題とされる:
モン・ローは公衆衛生の観点から,死体の処分
・慈善的・利他的臓器提供
権に関してのみ,それ相応の敬意を払って権能
・売買・取引
* トロント大学名誉教授
**早稲田大学大学院博士後期課程
82
・自身の目的または利用のための保存
および生存中の臓器提供の双方を対象とする傾
・放棄
向にあるが,死がどのように判定されるかとい
・第三者による回収・保持
うことについては違いがある。呼吸の不可逆的
停止の診断のように,2人の医師による通常の
2.慈善的・利他的臓器提供
医学的診断に死の判定を委ねれば十分であると
する州法もある。しかしながら,マニトバ州で
腎臓移植,肺移植,または提供者の死後の心
は,神経組織学的な死,あるいは,脳死を死の
臓移植のような,
固形臓器移植の発展に伴い,
臓
基準として認める明示的条項を設けている。こ
器提供についての法的条件を示す立法がなされ
れは,たとえば,組織を維持する血流を保持し
た。イングランドでは,
1961年人体組織法(Hu-
て死後の移植のために臓器を回収できるよう,
man Tissue Act 1961)が死体からの回収(reco-
人体に対して人工換気が行われる場合に適用さ
very from dead bodies)を規律し,1989年臓器
れうる。
移植法(Human Organ Transplants Act 1989)
慈善的または利他的な臓器提供のための死後
が生体提供者による臓器提供の問題を取り扱っ
の組織の回収に関する法は多くの場合,提供者
た。1961年法はすべての人体組織に適用される
が生前に死後の回収について法的に有効な同意
が,生体提供者にかかわる1989年法は「臓器」
を与えているときには,当該身体を管理する者
のみを規律するものであった。ここにいう臓器
(those in charge of the body)による提供組織,
とは,
「全体が摘出された場合に,
当該人体が再
とりわけ,移植用の臓器の外科手術による摘出
生することのできない組織の構造物」
(“structu-
を許容するためにはそれで十分である旨を規定
red arrangement[s] of tissues which, if wholly
している。関連する諸法はまた,死後における
removed, cannot be replicated by the body.”)
科学的研究目的,および/または,医学教育目
であると定義されている。したがって,血液や
的での自己の身体の利用に個人が承認を与える
移植精子のような再生可能な組織は同法の対象
ための規定を置いていることが一般的である。
とはされず,卵子についても,当該人体による
したがって,死亡した提供者の家族は,同意を
再生の可否について議論はあるものの,同法は
求められる必要がなく,かつ,彼らは,組織の
適用がないとされていた。
回収,または,研究もしくは医学教育目的での
アメリカおよびカナダでは臓器提供について,
当該身体の利用を禁じるべく,合法的に介入す
州レベルでの立法による規律がなされているが,
ることができない。しかしながら,実務上は,当
その一方で,アメリカの州およびカナダの州の
該身体の利用に対する家族の反対は,通常,尊
双方において,地域ごとにわずかに差異はある
重されており,それゆえ,家族が死者の意思を
ものの,それぞれの連邦のモデルを採用する傾
否定することが許容されている。
向にある。アメリカでは,1987年に改正された
提供される組織の,死体からの摘出と被提供
1968年統一死体提供法(Uniform Anatomical
者への移植との間における地位に関して,未解
Gift Act of 1968)が多くの州で法律として制定
決の法的問題が存在する。死骸そのものは所有
されている。同様に,カナダでは1970年代初頭
権の対象ではないため,死者の体内にある間,移
に,カナダ統一法協議会(Uniform Law Confe-
植されるべく摘出された組織は所有権の対象で
rence of Canada)が,モデルとなる人体組織提
はない。同様に,生きている人は所有権の対象
供法(Human Tissue Gift Act)を公表し,地
とはなりえないため,被提供者の体内に移植さ
域ごとのわずかな差異はあるものの,ほとんど
れた後も,提供された組織はやはり所有権の対
の州がこれを立法化した。
象ではない。臓器のような組織が一度完全に死
たとえば,カナダの州法は,死後の臓器提供
骸から摘出されてから,被提供者の身体に移植
83
されるまでの状況において,当該組織は,外科
同法はまた,ヒト受精卵の作製および利用の
医あるいは医療チームの占有下にあるか,また
ような制限行為(controlled activities),ならび
は提供者の身体から移植を受ける患者の身体へ
に,配偶子や受精卵の提供にかかわる提供者の
の移動中にあるわけであるが,コモン・ロー体
支出および代理母がその役割を果たすことに
系の下でそれらを誰が所有しているのかについ
よって生じた費用の払戻しを規制することを目
ては明白でない。
的としている。犯罪化に関する条項は,刑事法
そのような組織はおそらく所有権の対象とみ
に関して連邦政府が排他的に有する憲法上の権
なされるための基準を満たすであろうし,窃盗
限の範囲内にあるように思われる。
は所有権(ownership)自体ではなく占有(pos-
しかしながら,制限行為を規律するために課
session)状態への攻撃であるから,それらの組
された規制および認可制度は,違憲であるとさ
織を保持する病院または診療所による占有状態
れてきた。2008年6月,ケベック控訴裁判所は,
はそれらの機関を窃盗罪から保護するであろう。
医療提供者および医療提供施設についての規制
歴史的にコモン・ローを補い,その間隙を補填
は州の排他的権限の下にあるという理由により,
してきた衡平法の原理を通じて,コモン・ロー
配偶子および受精卵の入手と提供による場合の
以外から得られるアプローチがある。占有をな
ような,認められた形態によるヒトの生殖補助
している者は絶対的な所有者とはみなされない
に関する規制は,連邦政府の権限の範囲を超え
が,ただ,死亡した所有者の意思を果たすよう
ている,と判示した。連邦政府は控訴裁判所の
拘束された受託者(trustee)とみなされる。そ
判断に対して上訴を行っており,カナダ最高裁
れはつまり,摘出された組織が所有権の対象で
の判断が待たれるところである。
あるとみなされるにいたったならば,当該組織
ヒトの配偶子もしくは受精卵の売買および売
の占有者がそれらを信託財産として所有し,提
買の申込みをなすことに対する刑事罰による禁
供者の示した意思に従って利用されることとな
止は,イングランド法,およびアメリカとカナ
るという意味である。
ダの諸法域の法において共通のものである。こ
人体組織の贈与に関する法は,主に死亡した
のことはおよそ,人体組織を商品として扱うこ
提供者からの,角膜移植にはじまり,ついて臓
と,また,それらを市場で取引することに対す
器移植にいたる発展に基づくものであったため,
る反感を反映している。しかしながら,移植の
それらは生殖組織,つまり,精子および卵子を
ための臓器を含む人体組織の提供数が,それら
意味する配偶子,またはヒト受精卵には適用さ
に対する需要を満たすにはあまりに深刻な不足
れえない。医学的な生殖補助におけるこれらの
状態にあり,かつ,個人の生命がその供給の欠
物質の利用は,現在では,特別な立法によって
如により害され,また,失われているという理
規律される傾向にある。
イングランドでは,
1990
由により,商品化を拒絶する原理に対する異議
年ヒトの受精および胚研究に関する法律(Hu-
はますます増大している。
man Fertilisation and Embryology Act 1990)
3.人体組織の売買・取引
が,2008年に同名の新法に改正された。カナダ
の2004年連邦ヒト生殖補助法(Federal Assisted Human Reproduction Act 2004)は,たと
人体組織の商業的取引を禁じる法は,必ずと
えば,ヒトクローンの作製,幹細胞研究または
いっていいほど,血液,血液構成成分,および
その他の研究のような非生殖目的でのヒト受精
血液製剤については例外的取扱いをしている。
卵の作製,配偶子もしくは受精卵の売買または
血液の提供および血漿の提供は,対価の支払い
その未遂といった一定の行為を犯罪化するため
と引き換えになされることが認められているが,
のものである。
それは,対価の支払いが貧困者を提供者になら
84
しめ,それが栄養不足や健康状態の劣悪さに関
提供に対し,50,000ドルもの額が提示されてい
連して,被提供者にとって潜在的に有害な性質
る 。想定される卵子の質に関連して対価が決ま
の血液の伝播という危険を伴うことを,立法者
るということは,対価が提供という役務に対し
が認識していたとしても認められているのであ
て支払われているのではなく,提供された組織
る。輸血のための需要を満たすに足る血液の供
の質に対して支払われているということを示し
給の不足や,血液から製造される治療薬の不足
ている。対価を目的とした卵子の取引は,ほぼ
について,政府は糾弾を受けることを免れない。
きまって,豊かな買主と貧しい売主との間で行
血液サービスの供給を確保することの切迫性が,
われており,稀覯品ないしは贅沢品の買主が,彼
たとえば,移植可能な臓器や配偶子の供給を増
らによるその品の入手を可能にした者よりも豊
加させることの切迫性においても同様に見受け
かである,という一般的な市場現象を反映して
られ,それゆえ規制を課した上で人体組織の市
いる。
場を合法化すべきである,という主張がなされ
ヒト生殖組織の取引はまた,金銭が直接的に
6
5
ている 。
はかかわらない形でも受け入れられつつある。
提供という行為の法的性質は,検査を行うこ
IVFを行う診療所では,治療に必要とするもの
とを正当化する。多くの法域において,たとえ
の余りであることが判明した配偶子もしくは受
ば,配偶子の提供者が負担した費用を被提供者
精卵が,他の患者の治療に用いられ,または研
が支払うことが認められている。卵子の採取
究のために用いられうるということについて,
(recovery)はより侵襲性が強いため,
多くの場
事前に同意している患者に対しては,割引料金
合,卵子提供者は精子提供者よりも高額の対価
で一連の治療を行うことが可能となる。これに
を受けるが,一方で,精子の提供にはHIV感染
より,たとえば,受精卵を胚幹細胞の研究のた
の危険性を排除するために反復的な検査が要求
めに入手することも可能となる。
されている。詳細に述べると,HIV検査におい
イングランド法は,IVFで残った受精卵のみ
て陰性の結果が出た後,提供精子は凍結される。
が研究のために用いられうるとするアメリカや
当該精子提供者は6ヶ月以上後に再度HIV検査
カナダの法よりも先進的である。すなわち,法
を受け,彼がなお検査で陰性の結果を得た場合
改正により現在,遺伝子疾患に関する特性を有
には,
当該提供精子は利用ために解凍される。
人
するものを含め,受精卵が幹細胞の研究のため
体組織の商品化についてはしばしば反対がなさ
に意図的に作成されることが認められているの
れるが,血液の提供と同様に配偶子の提供につ
である。このことはおそらく,乳幼児死亡の原
いては,商品の売買というよりもむしろ役務の
因となる疾患のような,個人がIVFに踏み切る
取引であると性格づけられることがある。それ
ことを断念させる疾患に関する研究を含め,よ
はつまり,提供者は,彼らが提供した組織に対
り幅広い幹細胞研究に道を開くことになる。
してではなく,彼らが提供した役務に対して対
患者がIVF治療での費用を安価にするために,
価を受けているということである。
余った配偶子や受精卵を取引するという概念の
この見解は,体外受精(IVF)を目的とした,
濫觴の際に,イングランド政府機関は,そういっ
卵子の市場,あるいは商業ベースでの需要があ
た概念がそれらの物質に対する対価の支払いや
り,かつ,供給も行われているアメリカのいく
その売買に等しいものであるとして,受け入れ
つかの州における経験によって否定されている。
がたいと考えていた。しかしながら,英国ヒト
10年以上前のアメリカにおける卵子提供者への
の受精および胚研究等許可庁(UK Human Fer-
対価はおよそ5,000ドルであったが,現在,トッ
tilisation and Embryology Authority-HFEA)
プレベル大学の大学新聞に掲載された広告では,
は現在その概念を許容している。その理由は,当
高い知的能力と身体能力を備えた提供者からの
該概念が,子をもつために提供配偶子または提
85
供受精卵を必要とする患者のニーズを満たし,
る幹細胞に対し,多くの優越性を有することを
また,とりわけ反復的な治療を要する場合に,
発見している。臍帯血および胎盤血は,母親や
IVF治療を受ける費用が過大な負担となってし
子に危険や痛みを与えることなく,出産の際に
まう患者にとってのニーズも満たす,という点
容易に採取することができ,かつ,凍結によっ
にある。
て無期限保存用の加工(凍結保存)をすること
ができる。
4.自身の目的または利用のための組織
の保存
現在の概算では,新生児が自らの臍帯血を利
用する必要があるのは400件に1件と考えられ
ているが,研究および幹細胞に関する認識が発
2009年2月,イングランド控訴院は,精子が,
展するに伴い,その子や家族にとっての利用法
それが保存されていた冷凍保存庫が故障したこ
は増えることが見込まれている。
とによって,偶発的に棄損されてしまった6人
出生前,あるいは出生時において,子が臍帯
の患者への賠償を認めた。当該裁判所は当該精
血から得られる幹細胞を必要としているように
子を所有権の対象として扱い,その所有者の受
思われる場合には,イングランド,アメリカ,お
けた精神的損害とは別に金銭的賠償を認めたの
よびカナダの保健当局が臍帯血採取の手配をし,
である。当該所有者らは,不妊の原因となる化
それにかかる費用を負担するようである。しか
学療法を行う前に自身の精子を保存しておいた
しながら,当該物質が必要とされるであろうこ
癌患者であった。自らの利用という利益を保護
との徴候がない場合には,たいていが商業的に
するために,自身の組織を他者の支配下に置い
営利目的で運営されている増加しつつある民間
た者が当該組織の法的所有者であり,かつ,占
機関が,臍帯血を採取および保存するサービス
有者が彼らに対して注意義務を負うことを認め
を宣伝している。臍帯血幹細胞は,命を脅かす
た点において,当該判決は重要性を有する。
70以上もの悪性および非悪性の疾患を治療する
当該判断は,生前に夫から摘出された精子の
ために用いられており,何千もの患者を救って
利用に関する未亡人の主張が認められた,以前
きたことが報告されている。再生医療および人
の事案の結論に一致する。イングランド法によ
体組織に関する技術の進歩に伴い,さらなる利
る禁止により,彼女は受精のためにイングラン
用可能性が生まれるであろう。
ド国外であるベルギーへの渡航を余儀なくされ
それにもかかわらず,それがあてはまるのは
たが,彼女は,夫の死後懐胎子を産むために,人
子どもが,骨髄幹細胞または臍帯血幹細胞の移
7
工授精を受けることができた 。
植の必要性がある白血病のような状態で生まれ
保存された血液が提供者の所有権の対象であ
た場合であるにも関わらず,臍帯血が価値ある
るとの認識は,公的部門および民間部門の双方
資産とされる可能性を誇張しているとして,商
において,出産に伴う臍帯血および胎盤血を保
業的利益の目的で運営される民間機関に対する
存する慣行の増加,という法的状況を生んでい
批判がなされている。臍帯血を保存する機会は,
る。かつてこうした血液は,バイオ廃棄物と考
顧客が被りたくないと願う損失を償うために保
えられていたが,幹細胞に関する科学的知識の
険料を支払うという,保険契約条項に類似する
発達が,臍帯血を治療にとって価値のあるもの
契約条項の下で与えられる。しかしながら,イ
へと変えた。
ングランドの控訴院の判断は,保存された臍帯
たとえば,骨髄が侵されている場合,あるい
血が,それを保存するために提供し,保存料を
は化学療法や放射線によって棄損された場合に,
支払う両親の所有権の対象であることを確認す
臍帯血幹細胞は骨髄移植の代替物となる。研究
るに資するものである。
者は,臍帯血に由来する幹細胞が骨髄に由来す
両親がこの所有権の対象についてなしうる利
86
用に関して興味深い法的問題がある。臍帯血は,
組織または切断された四肢が保存されること
出産時の取得に基づいて彼らの法的所有権の対
についての,外科手術前の要求は尊重されねば
象となるが,彼らは,彼らが望むようにそれを
ならず,したがって当該組織は焼却処分された
処分することのできる完全な所有者とはみなさ
り,そうでなくとも病理学上の廃棄物として扱
れえない。臍帯血は子どもの血液型のものであ
われたりしてはならない。たとえば,アメリカ
るため,保存により主たる利益を受ける者はそ
メリーランド州の控訴審裁判所は,保持可能な
の子である。臍帯血は,それが家族やその他の
期間内に患者が保存を求めるという条件のもと
者と適合性を有するか拒否反応を起こさずに輸
で,摘出された自身の組織に対する患者の所有
血できる場合にのみ,彼らにとって有益である
権を認めた 。たとえば,脚を切断したが,その
が,その子自身については,不適合に基づく拒
処分について,4週間後に漸く問い合わせたケ
絶の危険性がなく,常にその子とって有益であ
ンタッキー州の患者は,外科手術による廃棄物
る。したがって,両親は保存された臍帯血の完
の処分について,病院の通常の扱いを受けてい
全な所有者ではないが,
「受益的所有者(benefi-
たものとされた9。
cial owner)
」である子のために信託の形で保有
しかしながら,テキサス州控訴審裁判所は,癌
しているのである,と裁判所は判決するかもし
性を診断するための病理検査を目的に摘出され
れない。
た眼球が,不器用な取り扱いにより覆いのない
裁判所はまた,意図された第三受益者として,
排水管に落ちてしまい,取り戻すことができな
当該子がその両親と保存会社との間の契約に基
かった患者に対する賠償を認めた10。この事案
づく権利を有している,と認めることを厭わな
は,もちろん,眼球に対する財産的利益の喪失
いであろう。もっとも,子が未成年の間に両親
よりも,視覚の喪失に着目したものであった。
8
が保存料の支払いを続けず,保存された臍帯血
5.放棄
が廃棄されることを認容した場合,法的問題が
生じる。裁判所は,両親が支払えない費用を負
担する義務を負わない,と判示するかもしれな
明らかに不必要な財産は所有者によって放棄
い。
されることが可能であり,それによって所有権
患者あるいは小児患者の両親が外科手術また
は,意図的に,あるいは,権利の放棄により受
等で残された組織に有する利益とは,通常,そ
動的に,占有を取得した占有者に移転される。も
れらが適切に処分されるという利益である。し
はや供給者に何ら有益でない人体組織は,他者
かしながら,イングランド,アメリカそしてカ
がそれに利益を有するならば,当該他者によっ
ナダの3ヵ国は,出産後の胎盤の処分について
て取得されることができる。
特定の方法を要求する集団を含め,世界の様々
たとえば,1997年のカナダの刑事事件におい
な場所からの移民集団を有している。女性が分
て,ある被疑者がDNA鑑定のために組織サンプ
娩前に胎盤の返却を望む旨を述べる場合,この
ルの提供を求められ,それを拒否した。しかし
ことによって,その女性は胎盤が体外にあると
ながら,尋問の過程で彼は,ティッシュペーパー
きの当該組織の所有者となる。同様に,おそら
で鼻をかみ,それをくず箱に捨てた。警察はそ
くは宗教的理由に基づくものであるが,死後に
のティッシュペーパーを回収し,それに含まれ
自らが甦り,完全な四肢を具えて無傷で墓から
ていた粘液についてDNA鑑定を行った。カナダ
抜け出ると信じている者もある。彼らは四肢の
の最高裁は,被疑者は粘液サンプルを放棄して
切断に際し,四肢とともに埋葬されるためにそ
いたのであるから,警察は当該被疑者の粘液サ
れが保存されねばならない,と要求するかもし
ンプルの合法的な所有者となった,と判示した。
れない。
仮にもし,被疑者が,自分のポケットに粘液サ
87
ンプルを保存しておいたり,あるいは,トイレ
てきたが15,一方で,イングランドでは最高位
に流したりしていれば,そのことは他者への付
の裁判所が,精神医学的観点に基づく男性性器
与を拒絶する意思を示すものとなっていたであ
の摘出による性別適合手術を,合法であるとし
ろうが,被疑者の財産の放棄に基づいて,警察
ており ,また,このことはアメリカやカナダ
を含む他者が,それを取得し,利用することが
においても同様である。さらに,男性の割礼も
16
11
認められたのである 。
合法であると判示されてきた。たとえば,脂肪
カナダの最高裁は同様に今年〔2009年〕の4
吸引や乳房縮小手術のような美容目的での組織
月,収集の目的で公道の脇のような公の場所に
の摘出は一般的であり,適法性も疑われていな
持ってこられた生ごみは,前所有者によって放
い。
棄されたものであり,その者はもはやそれにつ
たとえ,生体提供者自身の身体から被提供者
いてのプライバシーの利益を主張することので
の身体への移動中にある臓器の法的地位の問題
12
きない,ということを判示した 。この事案で
が未解決であったとしても,移植目的での健康
警察は,薬物製造の器具に関する証拠を回収し
な臓器の摘出に同意している生体提供者が法的
た。たとえば,
公的機関が,
バイオバンクやデー
に受け入れられていることについては,すでに
タバンクのような公衆衛生援助をなすために,
述べたとおりである 。しかしながら,臓器や
個人の食物およびアルコールの摂取,運動,そ
その他の組織の同意なき摘出および保持は,大
して場合によっては,娯楽について証拠を取得
きな懸念を生んできた。
17
するかもしれない。廃棄された物質には,粘液
6.組織の摘出(recovery)および保
持
その他の身体組織が付着した使用済みのティッ
シュペーパーや紙コップ,さらには,なめて封
をした封筒から採取されるDNAサンプルが含
まれるであろう。
1990年代,イングランドおよびスコットラン
maim(手足など身体の一部を切断しそれが
ド,とりわけブリストルおよびリバプールの病
回復不能なほどの傷害を加えること〔訳者注〕
)
院で,子どもの患者および年長患者の死因の検
と呼ばれる深刻な身体的損傷を加えることを規
査後に同意なく保存された,何千もの身体の部
制する歴史的法の下では,ヒトの身体のすべて
位が残されていたのが発見されたことにより,
の部分が合法的に分離され,放棄できるわけで
いくつかの公的な調査が行われることとなっ
はない。この歴史的法は,同意に基づいて他者
た 。2001年,イギリス保健省主席医務官(Chief
に対してなしうる行為のみならず,個人が自ら
Medical Officer of Health for England and
の身体に対して故意になしうる行為についても
Wales)は,1999年の終わりまでにほぼ105,000
制限を加える。たとえば,17世紀初頭,物乞い
の臓器,身体の部位,死産児,そして胎児が,病
が人に物を乞う際に,自身をより困窮している
院および大学の医学部によって保有されていた
ように見せるために手を切断することを要望し,
ことを報告した19。その多くは,1984年コロナー
それに基づいてその物乞いの手を切断した者が,
法(Coroners Act 1984)に違反して違法に保有
18
13
maimの罪で有罪とされた 。イングランドにお
されていたものであった。
ける最高位の裁判所である貴族院は,
1994年,
サ
残された臓器や身体の部位の貯蔵は,長年に
ドマゾヒズム的行為の制限について述べた際に,
わたって問題視されないままになっており,そ
この法が現代でも実際的意義を有するとした14。
の歴史はおそらく教育と同様に研究の中核施設
四肢が切除される必要性を感じる人々の精神
としての医学部の出現にまで遡ることになるで
医学的症状を治療する目的で,健康な四肢を切
あろう。ブリストルの病院のスタッフのひとり
断することの合法性については,疑義が呈され
は,カナダから帰国後,ブリストルだけでなく,
88
カナダおよびアメリカにおいても,ヒト由来物
要性を有しなかった。感情的側面に対応するた
質を残しておく習慣があることを非難した。
めにイングランド政府は,そのような組織の適
保存された物質の発見は,とりわけ死亡した
切な運用を取り仕切るための保有臓器調査委員
子の両親に対して憤激を与え,その憤りや嘆き
会(Retained Organs Commission)を設立した。
を引き起こしたが,そのような物質の取得や保
しかしながら,2004年の事案において判事は,
持は必ずしも不法とはいえなかった。イングラ
死後の解剖に対する両親の承諾が要求され,摘
ンド高等法院は,2004年,そのような親の集団
出された臓器が埋葬の目的のために当該身体に
によって提起された訴訟において,このことを
戻されることを条件として同意が与えられた場
20
認めた 。死体は所有権の対象ではないが,死
合,その条件に従うことについて注意義務が生
体から摘出された組織は所有権の対象となりう
じることを付け加えた。この義務は,財産権法
るため,当該所有権の対象がどのようにして出
(property law) で は な く ネ グ リ ジ ェ ン ス 法
現したのかについての問題,および,その所有
(negligence law)の原理の下で生じる。当該判
権者についての問題が生じる。
事の判断は,臓器が身体の外にある間,それら
伝統的なコモン・ロー体系が,大地を駆ける
は一時的に,あるいは条件付きで所有権の対象
野生動物,水中を泳ぐ魚,そして上空を飛ぶ鳥
としての地位を有するということを示唆してい
をいかに処遇するかということに,類似性を見
る。
いだすことができよう。これらは,捕獲される
しかしながら,コロナーの命令による場合の
までは誰の所有権の対象でもないものとして扱
ように,死後の検査に両親の同意を要しない場
われる。そしてそれらは,それらが取得された
合,注意義務の内容は,摘出された組織が合法
土地の所有者ではなく,その捕獲者に帰属する。
的に保有されることを両親に対して通知するこ
何かを捕獲するために土地に不法侵入した密猟
とのみとなる23。
者は,土地への侵入について責めを負うかもし
スタッフが利用目的で組織の取得および保存
れないが,窃盗の罪を問われることはない。
の技術を用い,それによって当該組織を所有権
同様に,たとえば,脳,心臓,四肢,そして
の対象とした場合に,そのスタッフが属する病
脊髄のような組織を死体から摘出し,それに
院または大学がその財産を合法に所有する旨が,
よって当該組織を所有権の対象に変える病理学
ミズーリ州で提起された2006年のアメリカの事
者は,それらを盗んだということにはならない。
案で確認されている24。ある大学の癌の研究者
カナダの裁判所は,埋葬を目的とした死者の身
であった医師が他の大学に移動し,彼が手を加
体の取り戻しにおいて,死者の家族が「準財産
えた組織のいくつかを一緒に持って行こうとし
的(quasi-property)
」利益と呼ばれるものを有
た際に,当該事案が提起された。それらの組織
21
していることを認めたが ,死後の解剖におい
は,当該大学のヒト由来物質の貯蔵場所に保存
て所有権の対象となった組織を相続するもので
されていた。当該医師は,生存している当該組
はないとした。
織の提供者を説得し,当該組織上の利益を自分
2004年のイングランド高等法院における臓器
に譲渡する旨に合意する署名をさせていた。し
保有訴訟(Organ Retention Litigation)の事案
かしながら,大学はそれらを譲り渡すことを拒
において,
裁判官は,
「身体の一部が占有権およ
絶し,裁判所は,提供者がすでに自らの組織を
び所有権に服する財産(property)としての性
大学に与えており,それゆえその組織は大学の
格を取得しうるという原理は,現在わが法の一
財産(property)となっていたと判示した25。
部となっている」とした22。当該請求は感情的
カリフォルニア州最高裁による1990年のアメ
または精神的な損害を中心に据えたものであり,
リカでの判断であるMoore v. Regents of the
財産的利益は,訴訟の進行や解決を左右する重
University of California事件判決は,
詐欺により
89
研究者に対して組織サンプルを提供させられた
ただ,この事案の事実関係においては,生み出
男性の,財産権に関する主張が斥けられた事案
さないということを明示的に述べたのである。
26
である 。当該裁判所は,提供者への十分な説
というのは,科学者らが科学的知識の向上や治
明に基づく同意
(インフォームド・コンセント)
療用品の開発を目的として,彼ら自身の間で,い
の欠如,および,研究者らが医師として提供者
かに頻繁に人体組織サンプルを移転しているか
に対して負うところの,信義に従い誠実に行動
について,当該裁判所が留意しているからであ
する義務という意味での信認義務(fiduciary
る。
duty)違反を根拠として,当該主張が提起され
組織の利用が認められる前提として,当該組
うることを認容した。しかしながら,裁判所は,
織の被提供者がそれぞれ,本来の人的提供源の
研究者が細胞株にまで成長させた提供者の組織
インフォームド・コンセントを必要とし,得な
に,当該提供者が何らかの財産権を有するとの
ければならないとした場合に,科学および治療
提供者の主張は認めなかった。当該主張がなさ
の進歩が後退するのではないかということを,
れた時点で,それらの組織の概算価値は30億ド
裁判官らは恐れていた。当該裁判所は,ヒト組
ルを超えていた。当該患者は財産的利益を保持
織工学および再生医療が,ヒトの痛み,苦痛,そ
することができないが,カリフォルニア大学お
して早すぎる死の救済のために資するものでな
よびその研究者らは,財産ならびに当該組織お
ければならないとする期待に応えることを,財
よび細胞株に存する特許の利益を取得したとい
産権法の効果が妨害し,阻むことになる嫌いが
う当該裁判所の判断に対しては,賛成,反対の
あるとして,プラグマティックなアプローチ,あ
双方を含むかなりの数の論考が公表されてきて
るいは功利主義的アプローチを採用した。
27
いる 。
これらの原理は,臨床的研究や,場合によっ
当該判断は,Moore氏が当該組織の自身への
ては疫学的研究を目的とした,ヒト(およびそ
返還を条件として付さず,あるいは期待しない
の他の生物の)組織を保存する,しばしばバイ
で,絶対的に提供したという根本方針と適合す
オバンクと呼ばれる貯蔵施設の設立と運営に法
るものであると思われる。当該組織から価値あ
的根拠を与える。組織の提供者は通常,事情に
る細胞株を作成した科学的技術は,当該研究者
よっては返還を要求する旨を特に明らかにして
らおよび大学が排他的に供給したものである。
おかない限り,それらを完全に贈与するものと
Moore氏は,当該組織を利用することにおいて
みなされており,したがってその後の支配権の
不都合を被り,また,詐欺によって当該組織が
すべてを失う,ということを,これらの原理は
自らの診断のために必要であると信じ込まされ
示している。たとえば,カナダの先住民族の中
たのではあるが,彼は,その目的のために当該
には,一時的な貸し出しとしてのみ自らの組織
組織を絶対的に与えたのである。それはつまり
サンプルを提供することができると考える者も
彼が,当該組織サンプルがいかなる形態におい
ある28。
ても彼に返還されないことを認識した上で,自
臍帯血や胎盤上の物質は子どもの利益のため
発的に自身の身体から当該組織サンプルを排除
に両親が保有するものであるという理由により,
したということを意味する。彼は詐欺を受けた
それらの受託者であるとみなされる両親は,そ
ことについては賠償を受ける権利を認められた
れらの財産をバイオバンクに対して法的に有効
が,財産の損失にかかる賠償については認めら
に贈与することができるが,ただしそれは,個
れなかった。
人的に何らかの信託違反の責めを負うとみなさ
裁判所は,当該提供者が主張しうるような財
れる危険を冒してである。組織はまた,前所有
産的利益を,提供された組織が生み出すことは
者の放棄や,たとえば死後の解剖後に,事前の
決してありえない旨を判示したわけではなく,
同意を与えていなかった死者の身体から当該組
90
織が摘出されることによって,バイオバンクの
所有権と支配の下に移されることも可能である。
イングランド,アメリカ,およびカナダにお
ける人体組織の規制に関する将来の法的検討課
題は,移植目的での血液やその関連物質の作成
のために臍帯を用いることを含む,幹細胞研究
29
や治療における人体組織の役割 ,また,バイ
オバンクの創設および運営に着目することとな
ると予想されよう。人体組織の規制における法
的問題は,英米法の伝統において長い歴史を有
するが,おそらくこの問題には,さらに興味深
く価値ある未来が待ち構えていることであろう。
注
1 Long v. Chicago, R.I. and P. Railway Co.
(1905), 86 P. 289 (Oklahoma Sup Ct.)
2 R. v. Kelly, [1998] 3 All E.R. 741.
3 Gregson v. Gilbert (1783), 3 Dougl. 232.
4 B.M. Dickens “The Control of Living Body
Materials” 27 University of Toronto Law Journal (1977) 142-198.
5 J.D. Mahoney “The Market for Human Tissue” 86 Virginia Law Review (2000) 163-223.
6 Ibid p.187.
7 R. v. Human Fertilisation and Embryology
Authority, ex parte Blood, [1997] 2 All E.R.
687.
8 Venner v. State of Maryland (1976), 354 A.2d
483, at 498.
9 Browning v. Norton Children’s Hospital
(1974), 504 S.W.2d 713.
10 Mokry v. University of Texas Health Science Center at Dallas (1975), 325 So 2d 479.
11 R. v. Stillman (1997), 114 D.L.R. (4th) 193.
th
12 R. v. Patrick (2009), 304 D.L.R. (4 ) 260.
13 R. v. Wright (1603) Co Lit f. 127. a-b.
14 R. v. Brown (1994), 1 A.C. 212.
15 Elliott T. Body Dysmorphic Disorder, Radical Surgery and the Limits of Consent, 17 Medical Law Review (2009) 149-182.
16 Bellinger v. Bellinger, [2003]2 All E.R. 593.
17 Nwabueze RN. Donated Organs, Property
Rights, and the Remedial Quagmire, 16 Medical Law Review (2008) 201-224.
18 Morrison D. A Holistic Approach to Clinical
91
and Research Decision-Making: Lessons from
the UK Organ- Retention Scandals. 13 Medical
Law Review (2005) 45-79.
19 Ibid, at 50.
20 In re Organ Retention Group Litigation,
[2005] QB 506.
21 Edmonds v. Armstrong Funeral Home Ltd.,
[1931] 1 D.L.R. 676.
22 Note 20 above, at 541 (para 148).
23 Ibid, at 554 (para 206).
24 Washington University v. Catalona (2006),
437 F.Supp.2d 985 (Dist.Ct. Missouri).
25 See Nwabueze, note 17 above, at 218-9.
26 (1990), 793 P.2d 479.
27 See Dickens B.M. Living Tissue and Organ
Donors and Property Law: More on Moore 8 J.
of Contemporary Health Law and Policy (1992)
73-93.
28 Canadian Institutes of Health Research,
CIHR Guidelines for Health Research involving Aboriginal People, Ottawa, 2007, at 25.
29 Bhattacharya N, Stubblefield P. Frontiers of
Cord Blood Science, London: Springer, 2009.
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