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韓国 ソウル 05`3月
05 ソウル 旅行 05・3・20(日)∼ 27(日) 高橋 恭子 1、旅行のきっかけ 韓国語の会話の実践 学生時代からの友人が韓国へ行った事がないとのことで案内がてら出発 2、宿泊 前半はロッテホテル 後半 ツイン1泊38万 W +サービス料・税 韓国伝統韓屋ゲストハウス シングル1泊3万 W 21% 3泊 → ? 4泊 3、旅行記録 92,500 20日(日) 仁川空港で岡山からの真邉さんと無事落合う。さっそくウオンに換金(1万円 w)リムジンバスにてロッテホテルへ(12,000W) 大韓旅行社で板門店ツアーの手続き後、韓国観光公社へ行ってガイドブックをもらい色々な情報を聞く。 公社の窓口の人々は日本語ぺらぺら。親切に色々質問に答えて くれる。 「NANTA」の観賞予約をしてもらったがすべていっぱ いで残念。インサドンは歩行者天国をぶらぶら見て歩く。途中 伝統茶店に入ったが小さな部屋で色々な小鳥が部屋を飛び回り、 いろいろな小動物が周りで飼われていて、飲食の場としては、 衛生上問題あり。なつめ茶生姜茶各 5000w ここは一度経験し たら十分。その後民俗学博物館へ向かう。道を間違えたような ので、アベックの大学生に道を聞くと、親切に近くまでつれて 鳥たちが飛び交う伝統茶園 いってくれる。途中たどたどしい韓国語でいろいろ話をする。 博物館見学後明洞へ 途中日本大使館、アメリカ大使館の近くにおびただしい警察の機動隊がいた。さ ては竹島に関するデモ隊への警備かと緊張する。夕食はたら料理を始めて食べたけど美味しいような、 今ひとつのような・・・・ 21 日(月) 板門店ツアーへ すべてが 10 数年前とは大きく変わっている。2台のバスは2組の西洋 人を除いてすべて日本人イムジン閣には観光用の大きな建物が建設されており、往復の道路も高速道路 ができ広い道路が整備されている。昼食は以前は国連軍の食堂で軍の人々とともにとったが、今回は途 中の観光用のレストランで焼肉(プルコギ)を食べた。確かに以前よりおいしかったが、以前のほうが 緊迫感があった。今回は境界線近くのポプラ事件の切り株、帰らざる橋までバスで周り、新しい道路を 通って帰途についた。2回目ということもあって、前回ほどすべてにおいて緊迫感を感じなかったのは、 感受性が衰えた所為?帰途のバスの中でガイドさんに昨日のデモについて聞いてみると、アメリカのイ ラク侵攻2周年にあたるので、それに反対する人々の大デモ行進があったとのこと。ソウルでは行くた びに市庁大通りを通行止めにして、この道路を埋め尽くす大デモにぶつかる。その後南大門市場を散策 し二人で帽子を買い、その店に来合わせた時計店の兄さんに案内 してもらって、地のひとがいくレストランへ。チゲやビビンバ 肉まんなどを食べたが、驚くほど安くておいしかった。隣のテー ブルで二人の婦人がわかめのようなめずらしいものを美味しそ うに食べている。めずらしそうにみていたら、それにつける味噌 とともにそれをたくさんいただいた。店をでて気がついたが、彼 女達は店の前で、野菜を売っている露天商の人達であった。 1 東大門の最新の衣料ビル ミリオレ 22日(火) 水原の韓国民俗村へ 地下鉄で河南駅へ(1000W) そこよりバスにて民俗村へ(1500W)半島各地の伝統の家屋 や伝統芸能 伝統結婚式などをゆっくりみてまわる。2時間ほどかけた交通費が片道日本円にして25 0円このやすさに驚き、また昼食でたべたパジョンが 8000W 約 800 円 この価格のアンバランスに又 驚く。このヘムルパジョンはどこでも高いようであるが、薄いお好み焼きにすぎないのにこの価格落 差・・・・ (<情報> 民俗村により安く行く方法・地下鉄1号線で水原まで行き(1500w)駅前の観光案内所で民俗 村の入場券を買うと民俗村へのバス代無料)帰りは地下鉄 東大門で降りて東大門市場へ。高層のおしゃれな 「ミリオレ」のビルをみてあるいたのち、再び地下鉄で明洞へ夕食は「明洞カルビ冷麺」でプルコギを 食べる。 23日(水)ロッテホテル9時半チェックアウト 景福宮へ。10時より日本語ガイドあり、やはり、 いろいろ説明してもらうと興味深い。なかでもミン妃殺人事件があったところなど始めて知った。ソウ ルを最初に訪れた時は旧朝鮮総督府が中央博物館として残っ ていたが、数年前にすっかり取り除かれ、今は昔の姿に復元 されている。 、その広場では韓国古来の武装をかためた、衛兵 が光化門と興礼門を守っている。その後、徳寿宮へ。その中 にある国立美術館で韓国を代表する彫刻家キムチョンヨンの 作品を観る。ここの博物館は、新しい中央博物館オープンに 向けて移転中で今は閉鎖されていて残念。昼食は地下街で済 ます。 真邉さんロッテ百貨店にてキムチを土産に買い、リ ムジンバスにて帰国。ロッテホテルでリムジンを待っている 景福宮の衛兵 時、ホテルの前でデモをやっている。旗の文字を調べてみると、ロッテ労働組合のデモンストレーショ ンのようである。平和的なデモではあるが、一流ホテルの玄関先で従業員の労働組合のデモをするとは 驚き! 真邉さん帰国後、荷物を持ってソールゲストハウスへ。タクシーに乗ろうとしたが、運転手が場所を調 べても判らないの言うので、地下鉄で安国駅近くの宿へ行く。地下鉄は階段が非常に多いので大変。こ のような個人旅行ではやはり西洋人のようにバックパックにしなくては。途中で道を聞きながら宿に到 着、しかし周囲も宿の中も工事中でごちゃごちゃしているので、 えらいとこへ来たとちょっと不安になる。工事が終わって部屋に 入るとまた驚き。3畳あるかないかの部屋でふとんのほか何一つ ない。オンドル部屋であたたかいのは良いが、トイレ、シャワー は別棟で共同。パソコンでのメールチェックはいつでもできる。 シャワーを終えて居間で同宿の名古屋の男性とオーナーと話し ていると、次々イギリス人、アメリカ人などがやってきて、話に 昔両班の屋敷現在ゲストハウス 花が咲く 24日(木)同宿の名古屋の男性と一緒に世界遺産の水原城へ。 地下鉄3号線、1 号線をのりついで電車代1500W。しかし、こ このツアーバスの乗ろうとすると、そのバスは出た直後。しかたが ないので、タクシーで追っかける。そのタクシー代が10分ほどで 2 水原華城の弓道場で矢を射る 4000W(模範タクシー)日本語の説明もあり、見応え十分さすが世界遺産、途中弓で射ることができた が、初めてにしては結構良く飛びとても面白かった。そのご韓国の有名ドラマを制作している国営放送 KBS の野外セットを見に行った。宿に帰ってテレビでペ・ヨンジュンの「初恋」を観たがそのセットが 沢山つかわれているのに感動した。昼食は水原名物カルビを「カボジョム」にタクシーで行き名古屋の 男性と一緒に食べた。一人分は注文できないので、彼と一緒で良かった。なんとカルビのほかに付け合 せの並ぶこと並ぶこと。大きなテーブルにお皿がいっぱい。この量を見ただけでもう幸せいっぱい。エ ゴマやレタスもつぎつぎもってきてくれる。わたりがにのケジャンも肉がいっぱいつまっていてとても おいしい。もちろんカルビも量、味ともに申し分ない。二人分 54000W 満足満足 水原から帰り西大門刑務所歴史館と独立門へ出かける。この刑務所歴史館は日本の植民地時代、日本の 植民地支配に抵抗した人々の刑務所で、当時の過酷な取調べや拘禁の様子が、ジオラマや女性の拷問さ れている様子が音声で再現されている。「約80年にわた日帝侵略に立ち向かい、投獄され、酷い拷問 と弾圧の末に殉国した愛国烈士の魂を慰め、次の世代にその自主独立精神を伝える、生きた歴史教育の 場となるよう、新しくオープンした」という。現実に日本の植民地支配でやっていたこととはいえ、戦 後60年も経って、日本の国民の意識は大きく変わっているのに、今の時代にあえてこういう施設を再 現し多くの小学生他に見学させていることに大きな衝撃を受ける。 (私達がここにいる間、教師に引率された小学生のグループが次々 と訪れていた。)暗澹たる気持ちのままその近所にある独立門とそ の公園にでかける。この公園には、前日徳寿宮の国立美術館で観た 韓国を代表する彫刻家キムチョンヨンのタプコル公園にある3・1 独立運動のレリーフを彫刻にした独立運動の像が建っている。その 背面には3・1独立運動の独立宣言文が彫刻されている。また、こ の地下鉄の駅(西大門駅)の地下道の階段の壁にもこの独立宣言文 が彫刻されている。 この日は近くの銭湯(沐浴湯)へでかけ 独立門公園内にある三・一独立運動の碑 背後に独立宣言文 あかすりと顔のマッサージをしてもらう。 (入浴料 3500W マ ッサージ・アカスリ代 20、000W)顔をつるつるとても気持ちがいい。風呂の中で周りの人々から話し かけられたがさっぱりわからない。日本人だというと、あんたの顔は韓国人だいう。宿に帰ってビール とマッコルリ(米酒のにごり酒)キムパプ(のり巻き)でアメリカ人、イギリス人たちと談笑。 25日(金)朝からとても寒い最低気温がマイナス3度とか。 宿のすぐ横が世界遺産の昌徳宮、ここは広くて迷う危険があるとかで、ガイドなしでは見学できない。 10時発の日本語の見学ツアーに参加したが、100 人以上の日本人がいただろうか。大変な人数であっ た。最後に訪れた建物「楽善斎」には、李朝最後の王 英王(日本の植民地支配で皇太子時代から日本 につれてこられ、戦後も帰国できず、やっと晩年に帰国できた王とその妃梨本宮家出身の李方子(まさ こ)の住居だったという。この方子妃はソウル帰国後、韓国の人々 のために力を尽くし、1989 年になくなった時は、韓国の人々に 最大の敬意を払われたという。) ここの庭園は秘苑と呼ばれ、アジア一とガイドさんが言ったが、 冬で木々がすべて落葉しそこまで美しいとは思えなかった。 昼食は宿の近所のキムパプのみせですます。午後、は連日の観光 と寒さのために疲れ果て部屋で昼寝。夕食はオーナーのすすめで 3 世界遺産 昌徳宮の秘園 近くの中華料理店「龍園」でジャージャー麺(3000W)高級感のあるきれいな店でとてもおいしかった。 26日(土) 昨日の休養でこの日は元気いっぱい。南山タワーに登ろうと明洞から頂上まで歩く。こ の日は「家族歩こう会」が催されていて多くの家族連れが歩いていた。頂上への途中、いろいろな人に 道を尋ねたがみんな親切に教えてくれた。途中の林のなかではカササギをはじめ沢山の鳥が飛び交って いた。やっと頂上に到着しタワーに登ろうとすると、タワーは修復中で入場できない。その横に「美し き日々」でよくセナがよく出かける東屋があり、それをなつかしんだ後下山して麓の植物園に入る。す べて温室でサボテンをはじめ、美しい植物がいっぱい。しかし春休みの子供たちが大勢おしよせて、や かましいことこの上ない。 その後そのすぐ横にある「安重根」の記念館に入る。私の以前の この人に対する印象は日本の明治維新の立役者伊藤博文を暗殺 した大悪人 というものであったが、ソウルへ何回も行きこの記 念館にも何回か来てみて、かれが韓国の人々にとって愛国者の代 表であり、大きな尊敬を集めていることに気付いた。この日は安 重根の殉国95年にあたるとかで、記念式典が行われ、ノ ムヒ ョン大統領ほか、政府の主だった人々各政党の党首などの花輪が 沢山ならんでいたのにもびっくり。韓国が独立してこれだけ時代を経てい るにもかかわらず、いまなお大々的に追悼記念式典が催され、彼にたいし て、大きな花輪が館いっぱいに飾られるとは・・ 安 重根が刑を執行されるまで、刑務所で書いたという書も展示されてい るが、素人目にもすばらしい書で彼の国を思う純粋の気持ちが伝わってく る。手元において眺めたいとさえ思う魅力的な書であった。 この書は当時の看守であった日本人が保管していて、後に寄贈されたと英 文の解説に書いてあったが、日本語や韓国語の解説には書の内容が書いて 中央 ノムヒョン大統領の花輪 あるだけで、そういう記述はいっさいない。このことはすこしひっかかった点である。当時日本人の中 にも人間的な心情をもった人物がいて、彼の心情を理解し、彼の書いたものを大切に保存していた人物 がいたのである。しかし、このような事実を大衆に知らせる努力はあえてしていないように見える。一 貫して日本の植民地支配の非合理性だけを追及している。余談ながらこの記念館のすぐ上には植民地時 代京城神社があり天長節などの各節には、必ずみんな参拝させられたという。(前回ここを訪れたとき 案内してくれた年配の男性の話)昼食は南大門市場でビビンパを食べる。(5000W)大根と白菜のキム チが二皿出てきたが、これでもかというほどの量でびっくり。 夕方ソウルの中心を流れる漢江で遊覧船に乗船しようと地下鉄でヨイド公園へ向かう。漢江の河川敷は 公園となっているが今はやはり緑がなく殺風景。遊覧船の乗船切符を買いにいくと、近くにいた家族連 れが招待券を一枚くれる。この券をどのように手続きしたらよい のかわからず、窓口でうろうろしていたら、もう1枚買う羽目に なり訳がわからなくなっていると、その家族の奥さんがまた、代 金を取り返しに行ってくれ、代金を返してくれた。 ただで観光船に乗れたことと、その家族の親切にとてもうれしい 船の観光であった。1時間の乗船であったが、あっという間に時 間が経ち下船した。 観光船の乗船券をプレゼントしてくれた一家 4 夕食は宿の近くであわび粥を食べた。(10,000w) 27日(日) 宿の近くの看板 で「冬のソナタ」の主人公たち が通った中央高校(ドラマでは 春川高校、実際のロケ地は中央 高校)がすぐ近くにあることが わかり、午前中に行ってみるこ とにする。高校はこの観光客の ために開放されており、多くの 中央高校の庭にある3・1運動と 6・10 万歳運動の記念碑 日本人の冬ソナフアンがガイドたちと訪れ、どの場面の場所か説明を受けている。この学校は1908 年に創立され、自主独立の高邁な精神を掲げた名門の男子校である。この学校で印象的だったことは、 校門を入って坂を上り、広場が広がるその右手には、3・1独立運動(1919 年)の碑が建っており、 そこには例の独立宣言文が彫刻されている。そして広場の左手には「60万歳記念碑」が建っている。 この記念碑は 1926 年6月 10 日大韓帝国最後の皇帝純宗の葬儀の日に学生たちが「大韓独立万歳」を叫 び、日本の軍隊・警察に逮捕されたが、「6・10 万歳運動」と呼ばれ朝鮮全土に影響を与えた。当局に 逮捕されたこの学校の生徒を顕彰してこの碑が建てられている。 (写真集参照)この中央高校 no がいか に大韓民国の自主独立の精神を叩き込まれているかが一読できる庭の風景であった。 今回の旅は丁度竹島(韓国では独島)問題で日韓関係が揺らい でいる時であったが、韓国がなぜあれほど、国民がこぞって独 島の領有権を主張するのか、この背景が少し判ったような気が した。植民地支配は日本にとっては、とっくの昔の出来事。し かし韓国にとっては未だ現在のこととしてとらえている。韓国 国民は日々3・1独立宣言文を読み、安重根の功績を称え、西 大門刑務所の博物館を訪れ、ETC・・・2度と外国の支配を受 ける事のないよう日々国民を戒めている。このように韓国国民 世宗会館前に展示された竹島の写真 は常に緊張状態にあり、今回の竹島問題も詳しいことを知らされないまま、韓国固有の領土にまたもや 日本が侵入してきたと、報道関係にもあおられ、いらついているように見える。それにしても韓国民衆 の発言力、行動力のすざましさにおどろく。アメリカ大使館周辺、日本大使館周辺は異様な雰囲気につ つまれ、常に警察機動隊がものものしく警戒していた。新聞はどのページをみても「独島」だしテレビ も CM で「我々の島」と叫んでいる。例の「ヨンさま」も「独島はわれわれの領土」と言ったと新聞の トップに掲載されていた。 警察のバスに取囲まれている日本大使 5 警察に守られるアメリカ大使館 27日午後3時半 宿をでてリムジンで空港へ 7000w 約1時間 今回は独島で異様な雰囲気を感 じたが、個人的には嫌なおもいをしたことは一度もなく、常に親切に接してもらった。ソウルの皆さん に深く感謝している。 6