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産業機器部を振返って- (PDF:232KB/2pages)

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産業機器部を振返って- (PDF:232KB/2pages)
温
故
知
新
パソコンがインターネットで接続され、電話は個人持ち
となり、あらゆる情報が一瞬に全世界を駆けめぐる。私
が会社へ入った38年前では想像すらできませんでした。
リレー制御の時代
大阪万国博覧会が終了した翌年、1971年に私は近畿
車輌に入社し、産業機械部設計に配属された。産業機
械部では、製鉄所や造船所の運搬車輌を製作しており、
最初の仕事は八幡製鉄広畑工場に納めるノロ台車の形式
図を書くことだった。これは製図の練習のようだった。当
時の運搬車輌はレールの上を走り、数十トンから数百トン
の製品を横移動する台車や、ウレタンタイヤの車輪を数十
産業機械から駅務機器へ―産業機器部を振返って―
稲森 実
株式会社ケーエステクノス
個取付け、船のブロックを運ぶ台車などで、機器はリレ
ー制御で、モーターの正逆や油圧機器のバルブ制御が主
であった。入社当時は、制御盤はすべて外部に発注して
いたが、制御は複雑化し、社外製では細かい仕様が伝わ
らず、試運転後もシーケンス
(制御内容)
を変えることが多
かった。そのため、回路設計を社内で行うようになり、
しばらくして制御盤の製作も社内製に切換えた。
IC制御の時代
1975年、新聞自動販売機や週刊誌の自動販売機が製
作されるようになると、硬貨を検銭し計数するコインメッ
クはIC回路で制御されるようになり、当社の制御盤もリ
レー制御からIC制御に変わっていった。最初は専門の会
社へ設計から製作まで外注していたが、IC回路の本を買
ってきて勉強し、当時相当高価なメモリースコープを購入
してもらって、回路の波形を追っていると、いつの間にか
回路図が書けるようになっていた。それからは価格設定
を10円ピッチで1,990円まで全コラム設定するなど、IC回
路図を書き新しい制御に挑戦していった。
マイコン制御の時代
1977年、新製品の開発ということで、切符自動販売機
(券売機)
の自社開発を始めた。インベーダーゲームが登
場した時代で、マイクロコンピューター
(マイコン)
が使われ
出したころである。券売機とは、お金を数えて表示するコ
インメカ、切符の金額を選ぶ接客部、切符を印刷する印
近畿車輌技報 第 16 号 2009.11
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刷メカ、これらを制御する制御部で構成される。どの部
マルチCPU制御とは、各メカが専属のCPUを持ち単
分をとってもまったく初めてである。コインメカは検銭部に
独に制御を行い、メインCPUは各メカを統括する制御方
ノウハウがあり、先発メーカーの製品を購入することにし
式で、各メカに対してプログラムを開発する分業体制がと
た。接客部は部品を買って取付ける。印刷メカは当時他
れることとなり、複雑化するメカ制御もプログラマーを増
社製品は印版を切符の数だけベルト状に並べ、券紙に印
やすことにより開発期間が短縮できるようになる。
刷する方式であったが、当社は3けたの数字円盤を回転
させて印刷する機械を開発した。制御部はマイコン制御
パソコン制御の時代
技術をもった会社の協力を得て、マイコンの原理からプロ
駅のカードもスルッとKANSAIカード
(関西私鉄共通カ
グラムの開発、マイコン基板の設計の手ほどきを受けたと
ード)やJスルーカード
(JR西日本カード)が導入されるとメ
言っても、すべてをやってもらったというのが本音である。
カも複雑となり、データ量も多くなる。そこで、多くのメモ
協力会社はインテル製のマイクロプロセッサー
(8008)
を
リーを持ち画像処理やデータ処理、通信処理を得意とす
使っていたので、われわれも8008CPUを使った。制御
るパソコンの高速化が進んでくると、機械制御への応用
部は大きく券売機の中に納まらず、特にハーネスが太くて
が可能となり、駅務機器への導入も研究テーマとなった。
製品にはならなかった。試行錯誤をやっていると近鉄技
マルチCPU化された券売機のメイン制御部にパソコン
術研究所がマイクロプロセッサーの制御開発の研究を行
(Windows搭載)を使うことに、大きな障害はなく、係員
うこととなり、開発テーマに券売機を選び当社と共同開
パネルからボタンが消え、タッチ操作型液晶パネルとな
発を行っていただけることとなった。ここでマイクロコンピ
り、極め細やかなガイダンスが表示されるようになる。
ューターの全貌が勉強でき、産業機械部の製品群も大型
パソコン導入の大きな利点はほかのパソコンとの双方
運搬機械から駅務機器に方向を変える時代となった。
向データ通信を可能とすることである。券売機をはじめと
近鉄技術研究所指導による券売機は、初めてにして当
する駅務機器はそれぞれ単独で動く時代から、駅データ
時の最先端をいく仕様であった。まず、印刷メカは印版
処理機
(データ集計装置)を介してセンターコンピューター
方式ではなく、サーマルドット印刷方式であった。機構部
と接続され、毎日の売上げデータの収集や、料金データ
が簡単となったが、制御部はマイコンなしでは制御不可能
のダウンロードができる時代となる。
であった。文字パターンもコンピューターのメモリーサイズ
が小さいためベクトル展開方式というまったく新しい方式
その後
が導入された。CPUもモトローラ製の6800となる。プログ
次はICカードの時代が予測され、券売機の台数削減の
ラム開発機もアメリカ製でマニュアルはすべて英語であ
状況が見え、当社の駅務機器開発はスルッとKANSAIカ
り、本当に必要と思われるところのみを読んだが、どこま
ードとJスルーカード
(共通磁気カード)
の搭載で終了するこ
で理解できたか定かではない。また、お金も硬貨だけで
ととなり、1975年からの目まぐるしい開発時代は終わっ
はなく千円札が使えた。また、運賃改定もメモリー ICを
た。
差替えるのみと簡単な作業とした。試作機を2台製作し難
波駅で 1 年間フィールドテストを行った後、量産が始まっ
産業機器部はリレー制御からはじまり、近鉄との駅務
た。初年度は108台で、400台生産され主要駅に設置され
機器共同開発時代を通して、常に新しい制御に挑戦して
た。
きました。私は各制御について10%も理解できていませ
んが、産業機器の一員として、社外では駅務機器に携わ
マルチCPU制御の時代
る仲間として、多くの人と一緒に、未知の世界に挑戦し
近鉄では、パールカードの導入が決まり、カードメカが
続けられたことは、定年を迎える今となっては、大変幸せ
追加されることとなり、コインメカ、紙幣メカ、印刷メカも
なことであったと思います。
それぞれCPUを搭載するマルチコンピューター制御時代
みなさんも毎日の仕事で新しい挑戦を続けられている
となる。メイン制御部も68000CPU
(16ビット演算)
となり、
ことと思いますが、新しい挑戦こそが人生の大きな糧であ
さらに高速処理が可能となった。各メカとの接続もアーク
り、今後も頑張っていただきたい。
ネット通信となった。
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