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放射能と「周辺地域の知恵」
放射能と「周辺地域の知恵」 文・写真 トム・ギル 共同研究 ● ストリート・ウィズダムとローカリティの創出に関する人類学的研究(2011-2014) 射能地帯を十字路の一隅に作った。そこにある区の掲示板の 上にプラスチック・ボックスがあり、その中に文部科学省の 放射能測定器が入っている。放射能がちょうど測定される場 所で、A さんが個人除染をしていたのだ。 その後、この幻の放射能減少の原因がばれて、多くの区民 たちは怒った。A さんの個人除染のせいで、この区の放射能 が下がったという現実離れの印象を世間に与えてしまったか らである。区長が A さんを村役場に行かせ、村長にも頭を下 げさせた。 私は A さんになぜ草を刈ったのかと聞いた。「自分と仲間た ちが帰れる日を早めたかった」と言われた。A さんはその区 測定地の十字路は谷底にある。そこの掲示板の上に赤いテープでプラスチッ ク・ボックスが貼り付けられており、その中に文部科学省の放射能測定器が 入っている(2011 年 4 月 24 日)。 の生まれ育ちで一生そこで暮らしてきた男だから彼の気持ち が分かる。だが、それだけなら願望的思考だとしか思えない。 しかし話はそれで終わらなかった。 関根康正(関西学院大学)が長年率いてきた「ストリート 文科省の測定器は道路沿い、畑の傍にあるが、畑の値は道 人類学」研究会は現在第 2 段階として「ストリート・ウィ 路の真ん中の値の倍ぐらい高いと A さんが指摘する。なぜこ ズダムとローカリティの創出」に注目している。管理国家 の区の代表的な値は道路の真ん中の値ではなく畑の傍の値に に抵抗する周辺の人の厳しい経験から育った、ある特定の されたのか。 場 所 の 人 な ら で は の 知 恵 が、 主 流 社 会 の「 常 識 」( 英 語 で ―それは、雨が降れば道路の固いアスファルト面から放射 conventional wisdom) と 一 味 違 う 可 能 性 を 探 る こ と は こ の 性物質が流されるから、放射能が残る畑の方が現実に近いか 研究会の狙いだと考える。本稿では、この狙いに向けて、国 らではないか、と私は応じた。 家の管理の下で、まさに厳しい経験をしている末端の地域の 人々の知恵と格闘を語る。 しかし A さんは負けていない。区内にもうひとつの測定 器があると指摘した。十字路は国の測定器だが、コミュニ 私がこの一年半調査してきた福島県のある村の一行政区は、 ティ・センターの前には、福島県の測定器がある。あれは ただでさえ周辺的な場所にある村の中心から離れた場所で、 数ヶ月間約 8 μSv/h を表示している。放射能は山から谷に流 福島第一原発事故により突然人間が住めない忌の場所と化し れるから、高台にあるセンターでは谷にある十字路より低い た。「ストリート」という概念を隠喩的に使うなら、道路の汚 数字が出る。しかも周りの地面は土ではなく砂利である。で 染された溝になってしまった。しかし、「放射能」という物理 は、国がセンターの「8」ではなく、十字路の「15」を世間に 的な汚染と「穢れ」という概念的な汚染に区別をつける必要 見せるのはなぜか。 がある。「人間が住めるようになるほど放射能を除染するのは さらに、もしこの区に人がまだ住んでいたとすれば、草刈 可能か」。それとは別に「仮にきちんと除染が出来ても、概 りを普通にしていたはずである。だから「いつから人がまた 念的に穢れた集落に住民が戻るか」という問題がある。下記 のエピソードで分かるのは、これに関して「住民の知恵」が あっても、けっして一枚岩ではないことである。 2011 年 10 月 10 日の朝、文部科学省が発表したこの村の 最南部にある区の空中放射線量は 14・6 μSv/hr(マイクロシー ベルト毎時)であった。村の全体が計画的避難区域となり、 その中でもこの区は一番線量が高い。その日の午後、この区 の元区長 A さん(76 歳)は区の中心である十字路に行き、別 の男性に十字路に面する畑の草刈りをお願いした。その男性 は十字路に一番近い所で約 20 平米の草を刈り、A さんが刈っ た草をトラックに積んで行った。2011 年 10 月 11 日の朝、文 部科学省が発表したこの区の放射線量は 11・2 μSv/hr であっ た。 文科省のオンライン放射能データを見る限り、この区の空 中放射能は 10 月 11 日を区切りに 2 ∼ 3 割減ったように見え る。放射能で汚染された草を刈ることで A さんが小さな低放 14 民博通信 No. 139 近隣の測定地は高台の道路の真ん中にある(2011 年 11 月 3 日)。 住めるか」を考える場合、草刈 高放射線量のため「帰還困難区 り済みの値は草ぼうぼうの値よ 域」とされ、そこに入る道路に り参考になると言う。 金属バリケードが設けてある。 村長は国と交渉した結果、大半 つまり、A さんの目から見る と測定の場所の選択により、こ は 2014 年、一部は 2016 年、こ の 区 の 概 念 的 な「 穢 れ 」( 高 線 の区だけは 2017 年に帰還スケ 量によるスティグマ化されたイ ジュールが設定された。それに メージ)はその物理的な「汚れ」 対し区長は弁護団と組んで、区 を不自然に上回っていた。草刈 りで値を「曲げた」のではなく コミュニティ・センターにある測定器。高台で地面は砂利なので、十字 路より低い値が出る(2011 年 11 月 3 日)。 を東京電力に要求し原子力損害 賠償紛争解決センターへの集団 「正した」と彼は主張した。 どうだろう。確かに測定器の位置により違う結果が出れば、 の一家庭当たり一億円強の賠償 申し立てに乗り出した。その結果次第では、訴訟する可能性 世間の目に違う印象を与える。福島市役所の測定値を福島県 もあると言う。70 世帯のうち約 60 世帯が申し立てに加わっ の「代表的」な値、村役場の駐車場の値をこの村の「代表的」 た。A さんは入らない。「闘争より交渉」を強調する村長は反 な値にする科学的な根拠は無い。十字路の畑の傍の値をこの 対。しかし 2012 年 10 月、隣の区も申し立てに加わった。 区の代表的な値にする根拠もなかろう。山か谷か、アスファ 村民、区民、A さんは皆それなりに自分の共同体を愛して ルトか土か砂利か、川の近くか遠くか、地面から何メートル いる。でも共同体とは何か。村か、区か。それに人間の集ま の高さで測るか等々と放射能測定値に影響を与えるファク りか、人間の住む場所(故郷)なのか。区長の認識は前者に ターは多々ある。どこの値を公表すべきか。農業が問題なら 近い。よその場所に共同体を作り直したい。ダム建設で沈ん 畑の値だろうが、暮らしが問題なら高台の砂利の値が参考に だ村という前例もある。しかし村長と A さんはあくまでも なる。この区の家の多くは高台にあり周りは砂利なのだから。 「この場所」を強調し、現段階(2012 年 12 月)では、国も 入念に測定地を選ぶ必要がある。 次の日、この区の近くの測定地を見学した。測定地の地面 その方針であり、大金をかけて村を除染すると公言している。 でも特に子持ちの村民たちは除染を信じていない。村は公式 に文科省の赤いゴムテープの十文字があり、場所は特定出来 に「住める」場所になっても、人口の 1 ∼ 2 割(主に老人) た。この区の十字路にある測定地から始まり、3 ヶ所を見学 しか帰らない見込みであり、村は一気に限界集落になる可能 した。この区の測定地は谷なのに、他は高台にあり、その 2 性が高い。故郷を守る方針は、結局故郷を潰す可能性さえあ つは道路の真ん中だった。自分の測定器で測ったら、道路沿 る。同時に、除染に当たっている土木業者は相当儲かるだろ いよりその真ん中の方がはるかに測定値は低いと確認出来た。 う。その一部は原発の建設でも儲かったのに。 A さんが指摘した通り、この区の測定値はよそより高い値が 出やすいところに置いてあった。草刈り作戦は放射能の値を 「正した」とも読めるかもしれない。 その晩、酒の席でこの区の区長(62 歳)に A さんの草刈り 作戦の正当性の話を伝えて、区長の意見を求めた。 「もちろんひとつだけの値が正しいとか正しくないとかは有 り得ない。だが、我々には低い値より高い値の方がいい。だ から A さんがやったことは困る。」 区長も本来、この区を離れたくなかった。彼もこの区の生 ところで肝心な放射線量だが、2012 年 9 月に入るところ、 十字路の値は約 8 μSv/h で、それが文科省の HP でこの区の 値となっていた。一方、コミュニティ・センターは約 5 μSv/h で、その値は福島県の HP で表示されていたが、2012 年 3 月 から、その測定器を管理する責任は福島県から文科省に移っ ていた。 2012 年 9 月 2 日、区長はセンターで記者会見を行った。外 の駐車場には建設会社のトラック 5 ∼ 6 台があった。駐車場 を実験的に除染していると区長が説明する。外へ出て、測定 まれ育ちで他所に暮らしたことがない。避難区域になってか 器を読んだら、7 割減の「1.5 μSv/h」である。その日から、 らもさらに 3 週間、最後の牛が子牛を産むまで残った。しか 福島県の HP を見るとこの区の値は 1.0 ∼ 1.5 で、激減してい し避難してから、考え直し始めた。村長は「2 年間で帰村」 る。 と宣言したが、一番放射線量が高いこの区の場合、数十年間 皮肉にも、文科省と福島県がやったのは A さんと同じこと がかかるはずだ。その厳しい現実を早々に認め、損害賠償を である。区全体の放射能は激減していない。国が測定器の周 求め、新天地に移るしかない。一方、東京電力や国は放射能 りだけを除染し、それで公表される値を下げた。「この値は特 の値とその危険性を過小評価し帰村ムードを作りあげ、損害 賠償を安くしようとするだろう、と区長は心配していた。 別に除染された駐車場に限る」などの脚注は無い。「主流」が 「周辺」から知恵を貰ったケースなのかもしれない。 要するに、区長が A さんに怒ったのは「正しい放射能の値 を曲げた」からではなく、「政治的に具合の悪い方向に値を移 した」からである。A さんは、この区の高い放射線量は現実 離れで部落の評判を穢すと考えたが、区長はその値が国を動 トム・ギル かすのに必要な材料だと見たのだ。 明治学院大学国際学部教授。専門は社会人類学。英・米・日の貧困や ホームレスの比較研究、東日本大震災以降は福島県の放射能被災地域で フィールドワークを続ける。論文には「闘争空間としてのストリート― シェルターを拒否するホームレスの日・米・英比較研究―」(『ストリー トの人類学・上巻』2009)など多数ある。 HP は:http://www.meijigakuin.ac.jp/~gill/ 一方文科省のウェッブサイトでは、この区の値は「14」か ら「11」になっただけである。「A さんが草刈りしたから低め になった」など、脚注は無い。 それから一年が経った。村の 20 区のうち、この区だけは No. 139 民博通信 15