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第34回全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集

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第34回全国中学生人権作文コンテスト入賞作文集
表1-4 入稿
34
34回
第
全国中学生
人権作文コンテスト
入賞作文集
「いじめ」や暴力行為等は人権侵害です。
法務局・地方法務局では,
人権侵害による被害を受けた方を
救済するための活動を行っています。
お気軽にご相談ください。
人権イメージキャラクター
人 KEN まもる君・人 KEN あゆみちゃん
入賞作文集のデータは,法務省ホームページに掲載しています。
http://www.moj.go.jp/JINKEN/jinken111.html
人権イメージキャラクター
人KENまもる君
人KENあゆみちゃん
ゼロゼロみんな の ひゃくとおばん
0570-003-110
国共通
子どもの人権110番(全通話料無料
) 0120-007-110
女性の人権ホットライン( 全 国 共 通 )
0570-070-810
みんなの人権110番( 全 国 共 通 )
ぜろぜろななのひゃくとおばん
ゼロナナゼロのハートライン
インターネット人権相談受付窓口
この冊子には,音声コードが, 各頁
(奇数頁 左下, 偶数頁 右下)に印
刷されています。
専用の読み上げ装置で読み取る
と,
記録されている情報を, 音声で
と,記録されている情報を,
聞くことができます。
Human Rights
法務省人権擁護局・全国人権擁護委員連合会
インターネット人権相談
パソコンからは http://www.moj.go.jp/JINKEN/jinken113.html
携帯電話からは https://www.jinken.go.jp/soudan/mobile/001.html
人権ライブラリー
http://www.jinken-library.jp/
Human Rights
法務省人権擁護局・全国人権擁護委員連合会
検索
表2-3 入稿
日本放送協会解説委員室解説委員
橋 本 淳
文部科学省初等中等教育局視学官
津 金 美智子
全国人権擁護委員連合会長
内 田 博 文
法務省人権擁護局長
岡 村 和 美
(敬称略)
感想をお聞かせください
本作文集を読まれた感想等を下記の連絡先又は [email protected] までお寄せください。
転載について
本作文集の作品を, 印刷物やインターネット上に掲載する場合は, 下記の連絡先までお
知らせください。
詳しくは, 法務省ホームページ(http://www.moj.go.jp/JINKEN/jinken111.html)
を御覧
ください。
〈連絡先〉
〒100‐8977 東京都千代田区霞が関一丁目1番1号
法務省人権擁護局人権啓発課
TEL 03(3580)4111 内線5875
印 刷 平成27年1月26日
発 行 平成27年2月4日
発行者 法務省人権擁護局
全国人権擁護委員連合会
東京都千代田区霞が関一丁目1番1号
電話 03
(3580)
4111 内線5875
URL http://www.moj.go.jp/JINKEN/
すべての人間は、生まれながらにして
一般社団法人日本新聞協会事務局長 國 府 一 郎
自由であり、かつ、尊厳と権利とに
山 田 洋 次
ついて平等である。人間は、理性と
映画監督
良心とを授けられており、互いに同胞
落 合 恵 子
世界人権宣言 第一条 作 家(審査員長)
の精神をもって行動しなければならない。
第34回全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員
第三四回
全国中学生人権作文コンテスト
入賞作文集
法務省人権擁護局
全国人権擁護委員連合会
はしがき
はしがき
法務省と全国人権擁護委員連合会は、人権尊重思想の普及高揚を図るための啓発活動の一環と
して、昭和五六年度から「全国中学生人権作文コンテスト」を実施しています。
本コンテストは、次代を担う中学生が、人権問題についての作文を書くことにより、人権尊重
の重要性、及び必要性についての理解を深めるとともに、豊かな人権感覚を身につけることを目
的として実施しているものです。
三四回目となった平成二六年度は、各都道府県単位(北海道については、札幌法務局及び函館、
旭川、釧路の各地方法務局単位)で実施された地方大会に、七、〇八三校の中学校から過去最高
となる九五万三、二一一編にも及ぶ多数の作品が寄せられ、中央大会には、地方大会の審査を経
た代表作品一〇一編が推薦されました。
この作文コンテストへの応募作品は、いずれも中学生らしい感性に富み、純粋な感覚で人権問
題をとらえたものばかりであり、応募された皆様の真しな姿勢には心を打たれるものがあります。
入賞作文集 2
はしがき
この作文集をより多くの方々に御愛読いただき、人権尊重の輪が更に大きく広がることを願って
やみません。
おわりに、この作文コンテストの実施に当たり、多大な御尽力をいただいた全国各地の教育委
員会、及び中学校等関係各方面の皆様方に対し、心から感謝を申し上げます。
平成二七年二 月
法 務 省 人 権 擁 護 局
全国人権擁護委員連合会
3 第34回全国中学生人権作文コンテスト
目 次
けいこ
落合 恵子 おちあい
中央大会審査員長
佐賀県・佐賀県立武雄青陵中学校一年 平木 洵太
ぎょうとく
ごらい
み
な
たくと
こうき
やんやん
神奈川県・横浜市立青葉台中学校二年 林 楊洋
りん
和歌山県・和歌山県立古佐田丘中学校三年 村上 幸輝
むらかみ
じゅんた
福岡県・久留米市立田主丸中学校三年 行德 美那
6
ひらき
茨城県・日立市立久慈中学校一年 五来 拓斗
10
14
目 次
【審査講評】 【入賞作文】
内閣総理大臣賞
被害者と加害者 それぞれの立場 法務大臣賞
戦争を次世代へ伝えて
文部科学大臣賞
きれいな心のままで 法務副大臣賞
『人間らしく生きる』 法務大臣政務官賞
真の国際化に向けて 18
22
26
入賞作文集 4
目 次
全国人権擁護委員連合会長賞
未来は自分自身にかかっている
わたらい
ゆ
ひ
き
な
千葉県・筑波大学附属聴覚特別支援学校中学部二年 渡会 由貴
一般社団法人日本新聞協会会長賞
たにぐち
ゆ
う
ゆうわ
あおと
こ
神奈川県・厚木市立荻野中学校三年 坂 碧人
うえの
か ず し
栃木県・大田原市立若草中学校一年 上野 加瑞志
さか
東京都・青梅市立新町中学校三年 永山 由和
ながやま
広島県・呉市立安浦中学校二年 大山 由宇
おおやま
宮崎県・宮崎県立宮崎西高等学校附属中学校一年 谷口 日奈子
「当たり前」がかなう日を夢見て
日本放送協会会長賞
生の終わりに 法務事務次官賞
父の背中 手伝えることはありますか 強い心を持つ 5 第34回全国中学生人権作文コンテスト
30
34
38
50 46 42
審査講評
審査講評
「この素晴らしき世界! と
誰もが言える日に」
中央大会審査員長
おちあい
けいこ
合 恵子
落
過去最高数の、それも力作を応募していただき、身が引き締まる思いで、わたしたち委員は選
考をしました。心惹かれる作品が多く、選考会からひと月以上もたったいまでも、繰り返し拝読
する夜があります。まずは、それぞれの筆者に心からお礼を!
毎年感じることではあるのですが、こんなにも深く豊かで瑞々しい論理性と感受性をもった中
学生が、「いま」、「ここ」におられること……。そのことに、大人のひとりとしてとても感謝し、
共感していることもお伝えします。
そう、これからの社会と時代は、「あなた」が創り上げていくものなのですから。これで安心
して社会を次世代に手渡せるな、という充実した安堵感もあります。
回目を迎えた全国中学生人権作文コンテスト。わたしは途中から選考に加わったひとりです
34
入賞作文集 6
審査講評
が、1回目の受賞者の中には、間もなく 代になられるかたもいるはずです。
そうして 年後、今回の
この社会で実現していますか? あなたが力をこめて書かれた差別のない明日への拓かれた社会
は、あなたの目の前に拡がっていますか? と。
回目のコンテストに応募されたかたがたひとりひとりと共に、再検
会は望ましい方向に変わったと思いますか? かつて、「あなた」
が人権について記されたことは、
ひとりひとりを訪ね歩き、取材をさせていただきたいという思いに駆られます。あれから、社
ん中に据えて、それぞれの日常を営んでおられるのか。
それぞれの年度の受賞者(惜しくも受賞を逸したひとも)が、いま、どんな人権意識を心の真
50
とする人間関係は、 年たって現実となっていますか? と。
年後としたのは、他意はありま
証してみたいという思いに駆られます。わたしたちは、どこまで辿りつけたのか。あなたが理想
34
10
で、味わい深いしゃがれ声で歌う、『 WHAT A WONDERFUL WORLD この素晴らしき
世界』が流れています。大好きな歌です。
いま、この講評を書いているわたしの部屋には、ルイ・アームストロングが、あの独特の暖か
せん、わたし自身の年齢を考えてのことです。
10
ます。
「♪…木々は緑で 薔薇は紅い花をつける」から始まるこの曲は、次のように続き
‚
♪ I HEAR BABIES CRY I WATCH THEM GROW
赤ん坊が泣く声をわたしは聞き、そして彼らが成長していくのを、わたしは見て
7 第34回全国中学生人権作文コンテスト
10
‚
審査講評
い る。 子 ど も た ち は わ た し よ り も は る か に 多 く の こ と を 学 ん で い く だ ろ う。 そ う、
わたしは心から思う。なんと素晴らしい世界だろう、と♪。
ベトナム戦争をテーマとした映画『グッドモーニング・ベトナム』でもこの曲は
使われ、世代を超えて多くの人に愛され続けています。そしてこの曲を聴くたびに、
わたしは考えるのです。「この素晴らしき世界!」と言うためには、心から肯くためには、やは
り人権がより深く、より豊かに社会に根付く必要がまだまだあるのではないか、と。
木々の緑が、薔薇の花がいかに美しくとも、人権が守られていない誰かがひとりこの世界にい
る限り、わたしたちはやはり幸福にはなれないのではないでしょうか。歌を聴きながら、しみじ
みとそう考えます。
それぞれの力作については、作品を読んでいただくことが先だと思いますが、内閣総理大臣賞
の平木洵太さんの『被害者と加害者 それぞれの立場』
。たとえ過失であっても、他者の権利を
侵すこと、傷つけることの切実な重さについて書かれた優れた作品です。同時にこの作品は、誰
の内にも、被害者にも加害者にもなり得る可能性があることを、鋭く示唆してくれています。友
代半ばを過ぎた戦争体験者である
人に怪我をさせ、それゆえに傷ついた平木さんを抱き止め、そっと背中を押してくれたご家族に
も感謝します。
法 務 大 臣 賞 の 行 德 美 那 さ ん の『 戦 争 を 次 世 代 へ 伝 え て 』
。
曾祖父様がふっと唇にのせた言葉。「戦争せんことたい」
。
この短くも、確かでかけがえのない言葉と思想と姿勢を、わたしたち大人もまたしっかりと受
90
入賞作文集 8
審査講評
け止めたいと思います。
文部科学大臣賞の五来拓斗さんの『きれいな心のままで』
。五来さんを「たあくん」と呼んだ、
辰ちゃんとの日々。「無心に働くことを教えてくれた」辰ちゃんという存在そのものが、優れた
掌編小説のように、あるいはカラーの映画の中にきわめて印象的に挿入された、モノクロームの
一場面のように心に迫ります。
わたしたちが暮らすこの社会と時代を「この、素晴らしき世界!」と言える日に向かって、わ
たしたち大人も、絶え間なく努力をしていくことを「あなた」とお約束します。それが優れた作
品を寄せてくださった「あなた」への、わたしたち大人からの感謝のかたちになると思います。
人権に敏感なひとは、時に傷つきやすいひとでもある、とわたしは考えます。侵され、傷つく
人権にいやおうなく気づいてしまい、叫びたくなる瞬間をほかのひとより多く持つ場合があるか
らです。
ですから、お願いします。どうか疲れないでください。そうして一緒に歩ませてください、と。
9 第34回全国中学生人権作文コンテスト
入賞作文
内閣総理大臣賞
被害者と加害者 それぞれの立場
佐賀県 佐賀県立武雄青陵中学校 一年
ひらき
じゅんた
平木 洵太
さだまさし氏の曲に「償い」という有名な作品がある。私が小学生の頃、母が聞かせてくれた
話だ。それは、私が過って友人に怪我をさせたことがきっかけだった。遊びの中の事故で、決し
て故意ではなかったが、友人は目のすぐ横を負傷してしまった。
真冬のある日、私が加害者であるとの連絡を受けた母は、すぐに友人の家族に電話で謝罪し、
受診する病院に私を伴って駆けつけた。寒い廊下で、診療が終わるまで直立のまま待っていたと
ころ、母が静かに私を見据えて
「もしA君が視力を失ったら、あんたはこれからは自分のために生きるんやない。一生A君の目
になり生きていきなさい。」
と、とめどなく流れる涙とともに言った。この冷静すぎる母の態度に、私は全身が冷たくなって
入賞作文集 10
入賞作文
いくのを感じた。「わざとじゃないのに。まさかこんな重大なことになるなんて。」取り返しのつ
かないことをしてしまったと、頭が真っ白になった。気付くと母と私は人目もはばからず号泣し
ていた。診察室から出て来た友人と彼のお母さんに、母は
「A君は大好きなテニスも諦めなきゃならなくなるかもしれません。それどころか日常生活にも
支障があるかもしれません。ご両親が今までどれだけの苦労をして育ててこられたか。将来をど
れだけ楽しみにしていらしたか。出来る限りの償いをさせてください。」
と、これでもかというほど頭を下げ、謝罪をした。私と友人が仲が良いことで、母親同士も仲良
く付き合っていたので、まさか母が敬語で謝罪するなんて思いもよらなかった。友人のお母さん
は、母に寄り添って言った。
「幸い眼球は傷つかなかったの。傷跡は残るかもしれないけど、わざとじゃないんだから。洵太
君もそんなに泣かないで。」
と、私の肩もなでてくれた。余計に涙が出てきた。普段バカ話をする友人の左目にはガーゼが当
てられ、黙っている。とても気まずくて、私は「本当にごめんなさい。
」というのが精一杯だった。
その夜、母は帰宅した父の隣に私を座らせて、この出来事を説明した。そこで「償い」という
曲の話を聞かせてくれた。
“ゆうちゃん”が起こした交通事故で被害男性が死亡。彼は毎月給料日になると郵便
局に走る。同僚は「貯金だけが趣味だな。」と嘲笑うが、実はずっと被害者の妻に送
金を続けていたのだ。ある日ゆうちゃんに一通の手紙が届く。それは被害者の妻か
11 第34回全国中学生人権作文コンテスト
入賞作文
らだった。
「そこには、もうあなたの人生を送ってくださいって書いてあったんよ。到底許さ
れるわけもないと分かっとんやけどね。お母さんが言いたいのは、誰かの権利を侵
してまで、あんたの権利が優先されることは絶対ないってことなんよ。今回はわざ
とじゃなかった。でも注意を怠ったのは事実やろ。もしA君が失明したら、あんたは必死で働い
て、A君が本来ならば持っていた“見る”という権利を復活させるためにお金と時間を遣いなさ
い。あんたが学生のうちは、お父さんとお母さんが代わる。家族みんなでいろんなことを犠牲に
して生きていかないかん。それが償いたい。」母の言葉に、私は頷くしかなかった。
翌日は、学校で友人と顔を合わせることが怖かった。許してもらえるのか、いや、そもそも許
してもらおうなんて思ってはいけないんじゃないか。そんな私に彼は「おはよう。昨日はごめん
な。」と話かけてくれたのだ。その時の気持ちは、今でも言葉にできない。胸につかえていた巨
大な黒い何かが、ゴロッと落ちてくれた感じだった。きっと彼は、私が遠慮して疎遠になるのを
避けてくれたのだろう。何事もなかったようにとはいかないが、自然な対応ができるようになっ
たのも、その一瞬の彼の気遣いのおかげだったと思う。
週末、ずいぶん傷が回復したと連絡を受け、私と両親は改めて友人の家に謝罪に行くことにし
た。サッカーの練習の後だったので、ユニフォームのまま行こうとした私を、父が「着替えろ」
と制した。「お前がさせた怪我のせいで、テニスの練習を休んどるA君の気持ちを考えろ。」いつ
もは優しい父が厳しい口調で言った。そうだ、この小さな気遣いも償いなのだ。私は即座にユニ
入賞作文集 12
入賞作文
フォ
ー
ム
を
脱
い
だ
。
その後、友人の怪我は治り、傷跡もほとんど残らなかった。私達はそれぞれの志望校に合格し、
離ればなれになってしまったが、私の部屋には卒業式に彼と肩を組んで写った記念写真が飾って
あ る。 も ち ろ ん 大 切 な 友 人 だ か ら と い う 理 由 だ
が、 あ の 事 故 を 忘 れ な い よ う に と い う 意 味 も あ
る。あの事故は、他人の権利を侵すことの悪と、
た と え 過 失 で あ っ て も、 自 分 だ け で な く、 家 族
や周囲まで巻き込んでしまう恐ろしさを私に教
えてくれた。
13 第34回全国中学生人権作文コンテスト
入賞作文
法務大臣賞
戦争を次世代へ伝えて
「死に損ない。」
福岡県 久留米市立田主丸中学校 三年
ぎょうとく
み
な
行德 美那
今年五月、修学旅行生を案内していた被爆者の方に中学生が発した言葉です。なぜこのような
心ない言葉が出てくるのだろうかと、不思議でなりませんでした。
私には、曾祖父がいます。曾祖父は戦争に行き、大きな怪我をしながらも、命だけは助かり日
本に帰ってくることができています。私は戦争について多くの知識を得ることが、戦争を経験さ
れた方々を自分の中で受け止める糸口になると思い、曾祖父から話を聞くことにしました。
曾祖父は、大正七年生まれの九十六歳です。日中戦争中、昭和十四年の七月に召集令状、通称
赤紙によって太刀洗にあった陸軍の航空情報隊に入隊しました。結婚して二年、長男である私の
祖父が生まれる年でした。それから終戦までの六年間もの間、戦地にいたというので私はとても
入賞作文集 14
入賞作文
驚きました。曾祖父は、中国、ベトナム、マレーシア、そしてビルマ(現ミャンマー)へ渡りま
した。航空情報隊は、敵の飛行機を見つけては電報を打って知らせていたそうです。次々と飛ん
でくる飛行機に日々忙しく、また撃ち落とされないだろうかと不安を抱えていたのでした。ある
時、ビルマの飛行場にいた曾祖父は、近くに落とされた爆弾の爆風によって飛んできたもので、
頭と手に深い傷を負いました。その爆風は人の体をも、
持ち上げるほど強いものだったそうです。
その傷跡は、いまだに曾祖父の顔や手の甲に痛々しく残っています。しかし、恐ろしく、悲しい
話だけでなく、アジアの国々で見た色鮮やかなバナナやパイナップル畑、ウミガメの産卵の様子
を見物した話をしてくれました。そんな些細な事が曾祖父にとっては大きな力であり、支えとな
っていたのでしょう。曾祖父は、当時の気持ちをあまり話しませんが、戦争の苦しさや恐ろしさ
は並大抵のものではなかったのだと、時折顔をしかめる曾祖父の姿から伝わってきました。また、
現地の方々と話をしていた曾祖父は、壁に描かれていた浦島太郎に似た絵がとても印象に残って
いるといいます。浦島太郎はビルマの亀に乗ったのかな、そんなことを思いながら遠い日本のこ
とをよく思い出していたそうです。私は、“早く戦争が終わってほしい”“日本に帰りたい”と願
っていたのではないかと思いました。
昭和二十一年、終戦の翌年の五月に日本に帰国した曾祖父には、大きな戸惑いが
ありました。それは、近所の青年が十数人も戦死していたからでした。集落を眺め
ながら、どんな顔をして帰ろうと、道端で一人考えたそうです。案の定、集落の人々
は冷たい態度で曾祖父を迎えました。
15 第34回全国中学生人権作文コンテスト
入賞作文
「おかげで帰ってこられました。」
そう一言言って家に帰ったあとも、あまり話さずに過ごしたそうです。戦争は、地
域の温かいつながりや家族の絆さえも奪ってしまうものなのだと胸が張り裂けそう
になりました。
私は最後に、
「死に損ない。」という暴言を吐いた問題について、どう思うのか聞いてみようと
思っていました。ですが、聞かないことにしました。それは、話を聞いていて、ここまで戦争の
恐ろしさの中を一生懸命戦い抜いてきて、苦しみ続けた曾祖父は、「死に損ない」なんかじゃない、
すばらしい人だと強く確信したからです。その経験をした人、命を落とした人、そんな方々のお
かげで今の日本の平和があるのだと思いました。そして私は、代わりに曾祖父に聞きました。
「じいちゃん、何か伝えたいことない。」
と。曾祖父は、
「戦争せんことたい。」
と言いました。その言葉の重みは、命の重みにも感じられました。
私 は、 曾 祖 父 の 話 を 聞 く こ と が で き て 本 当 に 良 か っ た と、 心 か ら 思 い ま す。 戦 争 が 終 わ り、
七十年を迎えようとする今日、戦争を経験された方は少なくなりました。戦争を知らない私たち
の世代は、他人事として捉えていたり、間違った考えをもっている人が多くいます。そんな中、
身近にいる曾祖父から話を聞くことで、私の平和と戦争に対する気持ちが強くなり、戦争の愚か
さを次世代に伝えていく一人になることができたと思います。もし私たちに伝えてくれる人がい
入賞作文集 16
入賞作文
なければ、戦争は繰り返されていたかもしれません。あなたはそれでも、後世に伝えようとして
いる方々に「死に損ない」と言いますか。語り継ぐということは、平和な世界を創り、守ってい
くための大きな一歩なのです。
忘れられつつある平和の大切さや命の尊さを深く考え、理解し、受け止めていくことが今の私
たちにとって必要なことなのだと気づかされま
した。
“戦争せんことたい”曾祖父の言葉は私の胸を
強く打ちました。
17 第34回全国中学生人権作文コンテスト
入賞作文
文部科学大臣賞
きれいな心のままで
茨城県 日立市立久慈中学校 一年
ごらい
たくと
五来 拓斗
辰ちゃんは、ぼくの生まれた時には家にいた。庭の草取りやゴミ出し、店のかたづけなどをし
ていた。辰ちゃんは片手分しか数えられない。おつかいを六個以上たのむと五個までしか買って
こられなかった。辰ちゃんは、知的障害。五十年以上前に身よりのない辰ちゃんを、祖父が働き
手として、引き取った。六十才を過ぎても、三十キロの米袋を軽々と持ち上げた。わが家で一番
の力持ちだった。
母から聞いたのだが、辰ちゃんは兄やぼくを大好きだったという。赤ちゃんの頃、母は芝生の
上に歩行器を置き、ぼくらを乗せて遊ばせたらしい。辰ちゃんは、庭仕事をしながら、ぼくらを
見 て 喜 ん で い た そ う だ。 ぼ く が 幼 稚 園 生 に な る と 庭 で 捕 ま え た 生 き 物 を プ レ ゼ ン ト し て く れ た 。
サワガニ、カマキリ、チョウチョウ。ナナフシにカミキリムシ。カナヘビやミミズ、いも虫にム
入賞作文集 18
入賞作文
カデまで持ってきた。ぼくらが水あそびをする時は、ぼくの肩にやさしくじょうろで水をかけて
くれた。顔にかからないよう注意しながら遊ぶ様子に母は辰ちゃんの優しさを感じたと言ってい
た。
辰ちゃんは、物が捨てられない。ゴミに出したはずの食器や古着を自分の部屋に持っていって
しまい、父に叱られた。でも、物のない時代に育ったから仕方ないんだと母は言っていた。それ
から、辰ちゃんはくいしん坊。みんなと同じ食事をしているのに、食べたい欲求がいつもあった
そうだ。ビワの実がなると危ないのに木のぼりをして取って食べた。柿がなると、渋柿なのに平
気で食べて叱られた。
辰ちゃんは、兄を「りいくん」ぼくを「たぁくん」と呼んだ。どもりながら
「とっとっともだちできたのけ」
「かっかっかわいいなぁ。おりごうだね」
と、頭をなでながら言った。小さい頃は、ぼくらと遊んでくれた辰ちゃんだったけれど、小学生
になると、ぼくらが辰ちゃんと遊んであげるようになった。かけっこをする時は辰ちゃんが転ば
ないようにスピードを出さないで走った。キャッチボールは辰ちゃんが取れるようにやさしく投
げた。風が吹くと辰ちゃんと一緒に風に当たった。アイスを一緒に食べた。ぼくは、
お菓子をうれしそうに、大事そうに受けとる辰ちゃんが好きだった。
あ る 日、 辰 ち ゃ ん が い な く な っ た。 病 気 で 入 院 し た ら し い。 と て も 寂 し か っ た。
わが家のリビングには、辰ちゃんとぼくらが一緒に笑っている写真がある。兄は辰
19 第34回全国中学生人権作文コンテスト
入賞作文
ち ゃ ん を 心 の き れ い な 人 だ と 言 っ た。 母 は、 無 心 に 働 く 立 派 な 人 と 言 っ た。 父 は、
辰ちゃんも大切な家族だと言った。
ぼくは、障害者という呼び方はあまり好きではない。辰ちゃんは知的障害者だっ
たけれど誰よりもきれいな心を持っていた。働いて食べて、一生懸命に生きていた。
誰も傷つけたりしない。生き物が大好きで、小さな命を大切にした。いつも笑っていた。
ぼくは、辰ちゃんのような人が世の中にはいっぱいいると思う。ちゃんと役に立っているし、
働いているのに差別されてしまう。とても悲しい事だ。辰ちゃんは誰も傷つけないと言ったが、
ぼくも人を傷つける事ができない。意地悪をした相手に嫌な気持ちがあっても、傷つけるような
言葉をぶつけられない。ぼくは、自分が弱いからだと思っていた。けれども、母は優しい心の辰
ちゃんや兄と一緒にいたからなんだと言った。辰ちゃんは子供のような人だったので、時々叱ら
れた。でも、父や母は小さな子供に話すように、分かりやすい言葉で叱った。叱られた辰ちゃん
は、シュンとなったが、お菓子をもらうと元気になった。ぼくの家族は、弱い人を傷つけない。
いつの間にか、ぼくの心にも同じ気持ちがしみ付いていた。
最後に、この作文を書くために基本的人権について調べてみた。憲法には、人間が人間として
基本的に持っている権利は侵害される事なく尊重されるべきであると書かれていた。また、平等
権とは差別されない権利と書いてあった。今の日本はどうだろうか。障害のある人を差別してい
ないだろうか。
ぼくは、辰ちゃんに出会って無心に働く事のすばらしさを知った。きれいな心のまま生きる辰
入賞作文集 20
入賞作文
ちゃんをステキだと思った。障害者を弱者というが、「弱者」ではなく、「弱い人」とぼくは言い
たい。世の中の人が、弱い人に優しくなったらいいなぁと心から願っている。ぼくは、
「助けが
必要な人」をサポートしてあげられる大人になりたい。
21 第34回全国中学生人権作文コンテスト
入賞作文
法務副大臣賞
『人間らしく生きる』
和歌山県 和歌山県立古佐田丘中学校 三年
むらかみ
こうき
村上 幸輝
僕の祖父は二年前の秋に亡くなりました。病名は下咽頭ガンで、三月に病院で告知を受け、半
年間の闘病生活でした。病状がすすんで、まず食べ物がのどを通りにくくなり、水さえ飲めなく
なってきて鼻からチューブで栄養を入れるようになりました。大好きなビールも口から飲めなく
なり、かわいそうでした。最終的にはお腹に穴を開けて、そこから直接栄養を入れるようになり
ました。祖父は食事の時間になると、
「これを入れんと生きられへんけど、これは人間としての食事とちがうなぁ」
と言い、時にはいらないと言うこともありました。病気だから仕方ないけれど、口から物を食べ
ることができないなんて本当に辛かっただろうと思います。好きなものも嫌いなものも、口から
食べて自分の舌で味わうからこそおいしいとかまずいとか言えるんだし、チューブからの栄養で
入賞作文集 22
入賞作文
は自分が食べているという感覚もなかったと思います。
さらに、五月頃にはガンが大きくなってきて気管を塞ぐ危険があるという理由で、気管切開を
しました。医師が気管切開の手術の同意書を持って、突然病室に来ました。その日は土曜日で、
祖母と母は週明けまで考えさせてほしいと言ったのですが、手術室のスタッフがいなくなるので
今すぐ手術に同意するよう言ったのです。気管切開によってその後の祖父の生活がどれほど過酷
なものになるかわかっていたはずなのに、どうして医師はそんな大事なことを、すぐに決断しろ
と言ったのだろうか、医師は患者の人権を考えていないのだろうかと、悔しくて胸がつぶれそう
になりました。声が出なくなる前に、家族に言っておきたいことがあったかも知れないし、僕も
もっと祖父と話をしておきたかったです。病気が進んだので仕方がなかったかも知れないけれど、
患者やその家族の立場にたって考えてほしかったです。そんな余裕もなく、手術をしないと今後
の治療はできないと言われた祖父は結局、手術を受けその日のうちに声を失いました。僕は、人
4サイズのホ
23 第34回全国中学生人権作文コンテスト
間が声を失うのはこんなにもあっけないものなのかと、ぼう然としていました。
全く声が出なくなった祖父は、周りの人とのコミュニケーションをとるために
たいとは一度も書かなかったそうです。そして、痰の吸引も祖父を苦しめた原因の
ました。祖父は、痛いとはいつもボードに書いたけど、辛いとか、もう治療をやめ
さ れ ま し た。 口 か ら 食 べ る と い う 、 あ た り ま え の こ と を す る た め に 辛 い 治 療 を 選 び
分の意見もめったに言わなかった祖父がこんなに強い意志を持っていたことに驚か
を書いてくれ、勉強や野球のことではげましてくれました。僕は、健康な時は口数が少なく、自
ワイトボードに書いて、自分の気持ちやしてほしいことを表現しました。僕にもいろいろなこと
A
入賞作文
一つです。祖父はボードに
「これほど医療が進歩しているのに、痰の吸引がなぜこんなに苦痛なのか。自分は
まだ若いが、もっと年をとった人達はたえられないだろう。
」
と書きました。そして
「自分も気管切開などしなかったら、こんなこと知らないままやった。医師や技術者は、もっと
弱者の立場にたって、頭を使ってほしい。」
とも書きました。僕はその時、
「じいちゃん、すごいな。」
と思い、涙が出ました。自分の辛さから、もっと弱いお年寄りのことを心配できる祖父に感動し
ました。人間の本当の優しさに触れたような感覚でした。
僕は今、看護師をめざしています。患者さんの立場にたって、少しでも患者さんの苦痛をやわ
らげることのできる看護師になりたいと思っています。そして、
祖父の最後の願いに応えるため、
痰の吸引を楽にできる取り組みをしていきたいと思っています。そして、患者さんの人権を守る
ことのできる看護師になります。
じいちゃん、僕に人としての本当の強さ、優しさとは何かを教えてくれてありがとう。
入賞作文集 24
入賞作文
25 第34回全国中学生人権作文コンテスト
入賞作文
法務大臣政務官賞
真の国際化に向けて
神奈川県 横浜市立青葉台中学校 二年
りん
やんやん
林 楊洋
私は小学校六年生の時、中国から日本へやってきました。はじめは日本語が全く分からず、と
ても困りました。六年生の始業式では先生たちの話の意味が全然理解できなくて、黙って立って
いる自分がとても嫌でした。その後、国際交流ラウンジや日本語教室などで勉強して、少しずつ
分かるようになってきました。
半年ぐらい経って、ある程度日本語が理解できるようになった時、理科でレポートを書く授業
がありました。実験の後に考察やまとめなどを書く課題でしたが、「あなたは、やらなくてもい
いよ。」と先生や友人に言われました。
きっとまだ日本語に慣れていない私を気遣ってくれたのだと思います。私は嬉しいはずなの
に、なぜか周りの人との距離感を感じてしまいました。その時から、私はみんなとの違いに気づ
入賞作文集 26
入賞作文
かさ
れ
ま
し
た
。
そ
の
後
も
周
り
の
人
た
ちはいろいろと配慮してくれました。漢字テストの時、私だ
けは漢字ではなく平仮名を書く。国語テストの時、私は読書する。こんな時、私は中国に帰りた
かったし、昔に戻りたい気持ちになりました。
その頃、周りの人たちは私に対する優しさでそのように接してくれたのだと思います。その優
しさのおかげで私は日本に慣れ、理解していくことができました。でも、私は外国人として特別
扱いをしてほしくなかったのです。たとえ日本語が分からなくても、家に帰ってからネットや辞
書で調べることができます。最初は、できなくても、教えてもらえれば、みんなと同じように仕
事や勉強ができるようになるかもしれません。それでもできなかったなら、区別をしても納得す
ることができます。日本人と同じようにやることによって外国人も早く日本になじむことができ
るでしょうし、日本人も外国人の考え方や習慣を理解することができると思います。
私は日本にきて外国人という立場になりました。でも、別の時に逆の立場を経験したことがあ
ります。小学校三年生の時、成績のあまりよくない男の子がいて、私は軽く見ていました。その
時、私はただ単にその男の子のことを、あまり言葉を喋らないだけかと思っていました。しかし、
彼から
「自分の両親は中国人とアメリカ人で、去年初めて中国に来たばかりだ。だから、
まだ中国語がよくわからなくて、テストの点数なども悪いんだ。
」と言われました。
その時、その子は私にとって外国人でした。その頃の私は、彼をまるでアメリカ
の代表のように、「アメリカ人は何が好きなのか。」「何が嫌いなのか。」
「アメリカ人
27 第34回全国中学生人権作文コンテスト
入賞作文
はどう考えているのか。」というような質問ばかりをしていました。その時彼は「俺
はアメリカ人の代表じゃないから。同じ国籍でも、みんな同じ考えや性格なわけで
はない。」と言っていました。その時はちょっとびっくりしましたが、今ではよく理
解できます。
彼のことを外国人としてみていた私が、今度は日本のみんなにとって外国人になりました。み
んなから中国の代表と見られて、中国のことを聞かれたり、質問されたりしました。
中国人という人がいる訳ではない、アメリカ人という人がいる訳でもない、一人一人の人間が
いるだけなのです。
これからの時代はますます国際化が進むと思います。あなたがいつ異文化の中に入り、外国人
という立場になるか分かりません。私が考える真の国際理解とは、外国人を特別扱いしないで、
異文化を理解し、その人が本当に困っていることに寄り添い、手助けしてあげること、同じ人間、
同じ立場で生きていく者同士として協力し合うことだと思います。そうする事の積み重ねが真の
国際理解につながると思っています。
入賞作文集 28
入賞作文
29 第34回全国中学生人権作文コンテスト
入賞作文
全国人権擁護委員連合会長賞
未来は自分自身にかかっている
ゆ
き
渡会 由貴
わたらい
千葉県 筑波大学附属聴覚特別支援学校中学部 二年
私は将来何に な り た い の だ ろ う 。
中学二年になってすぐ学校で、生徒たちへの目標に関する調査があり、その中の一つに「将来
の目標や希望」というものがありました。私は幼い頃から二つの夢がありました。歯科医師と料
理屋さんです。歯医者さんにある機械はどれも楽しそうで、先生や歯科衛生士の方はみんな優し
く、歯医者さんに行くのが大好きでした。また、料理を作ることも好きで、料理でいろいろな人
を幸せな気分にしてあげられるようになりたいと思っていました。
小学部の高学年になり、授業でパソコンの使い方を習った私は、なにげなく歯科医師について
調べてみました。そこに、歯科医師の欠格条項として「目が見えない者、耳が聞こえない者又は
口がきけない者」という記載をみつけました。「欠格条項」というのは、資格や免許を取るとき、
入賞作文集 30
入賞作文
ある
条
件
に
当
て
は
ま
っ
た
場
合
は
そ
の
資格や免許を与えないと定めた規定のことで、ある条件のこ
とを「欠格事由」といいます。例えば歯科医師の免許や管理栄養士の資格、自動車を運転すると
きに必要な免許などを取るときに、障害をもっていると試験に受かっても免許がもらえないとい
うことです。
私は聴覚に障害があります。いろいろ調べましたが原因は分からず、生まれたときからの感音
性難聴だと診断されました。感音性難聴というのは耳の器官に不具合がないのに、音を伝える機
能に不具合があるため、音が正しく伝わらない障害です。例えば音楽を聴いている時、何か音が
しているのは分かってもそれがどんな楽器で、どんな音色なのかはとても分かりづらいです。歌
詞もとぎれとぎれで言葉としては聞こえないし、音の高低もほとんど分かりません。普段は補聴
器を装用していますが、人と会話する時は補聴器から聞こえてくる不鮮明な音を聴きながら、話
している人の口形を見て、話の流れを手掛かりに何を言っているのか判断しています。また、自
分の声もゆがんで聞こえるため、正しい発音ができているか判断しづらいときがよくあります。
聴覚に障害があると就けない仕事がある。これを知って私は強いショックを受けました。それ
と同時に、私が歯科医師になりたいと言ったとき、欠格条項の事を知っていたはずの両親が「歯
医者さんは難しいから頑張ってお勉強しなくちゃね。」といった言葉が、なんていい
加減な返事だったのだろうと泣きたくなりました。しかしその時は両親に問いただ
す こ と が で き ま せ ん で し た。 私 が 難 聴 と い う こ と で 小 さ い 頃 か ら 大 変 な 思 い を し て
いる両親をさらに困らせることをしたくなかったのです。
31 第34回全国中学生人権作文コンテスト
入賞作文
実は、将来の目標については毎年調査が来ていました。小学部の時は
「歯科医師」「料
理 屋 」 と 書 い て い ま し た が、 中 学 部 に な っ て か ら は 職 業 を 書 か な い よ う に し て い ま
し た。 両 親 が 記 入 す る 欄 も あ り 、 母 は い つ も 記 入 す る 前 に 私 と 将 来 に つ い て 話 し 合
っていましたが、今まで欠格条項について聞いたことはありませんでした。しかし
今年の調査の時は思い切って母に聞いてみることにしました。「歯医者さんにはならない」とい
う私に、「どうして?いいじゃない、歯医者さん。じぃじも入れ歯作ってもらうって楽しみにし
ていたよ。」と言いました。「だってなれないもん。」とだけ言うとなぜだか涙が出てきました。「欠
格条項」の事を言っているのだと分かった母は「難聴だからってなれない職業はないんだよ。
」
と言い、私が生まれたころぐらいから欠格条項の見直しが行われだして、たとえ聴覚に障害があ
っても補聴器などを活用することでほとんどの職業に就けるようになったという話をしてくれま
した。また、見直しは障害を持っている人たち自身からの働きかけによるもので、私と同じ聴覚
障害の女性が薬剤師の試験に合格してから四年後にようやく免許をもらえたことや、これからも
欠格条項が減ってくることを教えてくれました。
私はパソコンで見つけた欠格条項というところだけ読んで、よく調べることもせずに勝手にあ
きらめてしまっていたことに気づき、とても恥ずかしく思いました。やりたい事を禁止する規定
があれば、その規定はなくすよう働きかければいいのです。そんな規定はなくしても大丈夫だと
いう事を証明すればいいのです。簡単なことではありませんが、
「できない」と言うことも自分
自身、「できる」と言うことも自分自身だと思います。今まで先輩たちがそうしてくれたように、
入賞作文集 32
入賞作文
私もまたこれからのためにできることを
やっていくべきだと思いました。
母 に は 言 い ま せ ん で し た が、「 歯 科 医
師」と「料理屋さん」という幼い頃から
の夢は、もう少し持ち続けていようかな
と思いました。
33 第34回全国中学生人権作文コンテスト
入賞作文
一般社団法人日本新聞協会会長賞
「当たり前」がかなう日を夢見て
宮崎県 宮崎県立宮崎西高等学校附属中学校 一年
たにぐち
ひ
な
こ
谷口 日奈子
「お姉ちゃんはね、人と違ってゆっくりゆっくり成長していく役目なんだよ。
」
姉のことについて母に初めて聞いたのは保育園生の時。姉が生まれつき「脳障害」をもっている
のを知らなかった時だ。そもそも、姉のことを聞いた理由は、保育園の友達から、
「日奈子ちゃんのお姉ちゃんってちょっと変だよね。」
と言われたからだった。私はその言葉を聞くまで、姉のことを変だと思うことは一度もなかった。
姉はそういう人なのだと思っていた。
小学生になると、姉は、私の中で少しずつ変わっていった。私にとって、姉は、家族の中で誰
よりも特別な存在になっていた。なぜなら、姉は私に、大切な「夢」を与えてくれたのだ。姉は
小さい頃から、救急車に搬送される状況になったり、夜中に救急外来にいったりすることがあっ
入賞作文集 34
入賞作文
た。
小
さ
か
っ
た
私
も
、
何
度
も
一
緒
に
付き添っていったのだが、そこにはいつも、落ち着いた様子
で診察し、処置する医師の姿があった。ただ頼もしくかっこいいだけではなく、医師という存在
は、患者本人だけでなく家族にとってもかけがえのないものであると感じ、私は、小学三年生の
頃に、将来は医師になることを決めたのだった。そして、姉を助けたいと強く思った。
また、こんなこともあった。それまでは気づかなかった周囲の人の目が、成長するにつれて気
になるようになり、姉を偏見の目で見る人もいて、姉と出かけるのが恥ずかしいと思った時期も
あった。そんな時、私の意識を変えてくれたのが母だった。母は、
「日奈ちゃんはいつもお姉ちゃんと過ごしているから、そばに障がいのある人がいても別に変に
思ったりはしないでしょ。だけど、日頃からそういうことに慣れていない人はびっくりしてしま
うのよ。だから、日奈ちゃんは堂々としてていいんだよ。
」
と言ってくれた。その言葉は私の力強い味方になった。
また、友達と 遊 ん で い る と 、 よ く 、
「昨日ね、お姉ちゃんとけんかしてすごく腹が立ったっちゃわあ。
」
などと、兄や姉とのけんかについて文句を言うのを聞くことがある。私にはそのことがとても新
鮮でうらやましく思える。姉が健常者だったら、私も、友達のように口をとがらせ
て文句を言っていたかもしれない。姉がけんかをしかけてきたら、どんな言葉を言
い返そうか、と想像するだけで楽しい。だけど、そんなことは、他の人にとっては
ごく当たり前のことであって、とりたてて話すようなことではない。私にとっては、
35 第34回全国中学生人権作文コンテスト
入賞作文
それは願いであり、夢であり、とても大切なことなのだけど。
姉は今、特別支援学校高等部の二年生である。以前、母が姉の授業参観に行った
時に、「明日への一歩」というタイトルで生徒達の「未来への決意」が掲示されていて、
そこに、ひときわ目を引く言葉があったという。
「私たちは将来かっこいい大人になりたい。人をまもれる大人になりたい。やさしい大人になり
たい。かぞくをまもれる大人になりたい。人に信頼される大人になりたい。
」
母の言葉を聞きながら、私は耳を疑った。だって、この学校の生徒達は、何らかの不自由があっ
て、社会から守ってもらうことが多い人達ではないの。それなのに、将来、人を守れる大人にな
りたい、家族を守れる大人になりたい、と強く思っているのだ。私の中で、障がいのある人への
考え方が変わった瞬間だった。
この時から、特別支援学校に通う人達は、私にとって、将来の夢の実現に向けての最大のライ
バルとなった。そして、最強の仲間でもあると思う。もしかすると、私の中のこの変化は、母が
いつも言っている「ノーマライゼーション」と言えるのかもしれない。だけど、それは、姉と私
の間には小さい頃からこれまで、ずっとあった形だ。私は、姉が困っている時は助け、姉は、私
が悲しい時つらい時には笑顔で私を元気にしてくれる。そうやって私達は当たり前に過ごしてき
た。特別支援学校の高校生はそのことを改めて気づかせてくれた。そして、姉がその中の一人で
あることが、私にはたまらなく誇らしい。
ある時、母は こ ん な こ と を 言 っ た 。
入賞作文集 36
入賞作文
「お母さんね、お姉ちゃんが歩いたら、嬉
し 泣 き し よ う。 マ マ っ て 呼 ん で く れ た ら、
おしゃべりしたら嬉し泣きしよう。そう思
っていたら本当にその日は来たけど、もっ
と上をもっと上をと期待してしまって、な
かなか嬉し泣きできないんだよ。
」
母は、姉がまだまだ成長するのを夢見て
いるのだろう。これじゃあ、嬉し泣きする
のはまだまだ先になりそうだ。だから、私
は 決 め た、 母 よ り も 先 に、 一 日 で も 先 に、
嬉し泣きしよう、と。姉と妹の何気ない会
話ができた時に・・・・。
37 第34回全国中学生人権作文コンテスト
入賞作文
日本放送協会会長賞
生の終わりに
広島県 呉市立安浦中学校 二年
おおやま
ゆ
う
大山 由宇
わが家には、何度話し合っても結論に至らない問題があります。それは、わたしの祖母の考え
ている献体についてです。祖母は、強く献体を希望していますが、実の娘であるわたしの母は強
く反対しています。献体については、本人の意志のみで実現するものではなく家族の同意が必須
です。このことを巡り、祖母と家族との話し合いの合意ができず、いつも最後にはどちらかが腹
を立てておわってしまうのです。
祖母は持病を抱えており、今は元気そうに見えますが、過去に何度も大きな手術をしています。
死と隣り合わせの体験をしてきた祖母にとって、「献体」は自分にできる医療や社会への恩返し
だと言います。何度も命を助けてもらったことに対する感謝を、解剖実験のために捧げることに
よって、何かの役にたててもらいたいと純粋に思っているようです。母は、献体に納得いかない
入賞作文集 38
入賞作文
強い
思
い
が
あ
り
ま
す
。
父
親
を
早
く
に
病気で亡くし病気がちな母親との生活の中で、一日でも長生
き し て ほ し い と い う 願 い が 強 い の で す。 こ れ ま で の 闘 病 生 活 を 一 番 そ ば で 見 て き た 母 に と っ て 、
もうこれ以上亡くなってまで解剖や臓器摘出など身体を切り刻むようなことはしてほしくないと
話しています。
ある日、祖母は孫である私に同意のサインをしてほしいと話しました。私はこれまでの話し合
いの様子を見てきていますが、自分としては最終的には祖母が決断することであり、周りがいく
ら反対したとしても本人の意志を大切にすべきだと思っていました。だから、祖母が強く望むの
であれば承諾のサインをしようと考えていました。
そのような中、学校の道徳の時間で「白い記憶」という題材で話し合いをすることになりまし
た。この話は、医師を志した医学生の「わたし」が初めて解剖実験をすることになり、はじめは
恐れていた「死体」をやがて「番号札をつけた塊」と見るようになったことが書かれていました。
そこにはもはや、人間としての尊厳は薄れ、「人」としてではなく「モノ」として何度も何度も
切り刻み、縫い合わせを繰り返すと書かれていました。私は、ショックでした。「やはりそうか。
番号で死体を扱うような場で何かの塊みたいに学生の手で解剖されるくらいなら、死後はすぐに
家族の見守る中で火葬する方がばあちゃんにとっても幸せかもしれない。
」と思いま
した。
しかし、この話には続きがありました。解剖実験の最終日に「わたし」は、ふと
したきっかけに死体に残された「白い記憶」・・・。指輪の跡を見つけたのです。こ
39 第34回全国中学生人権作文コンテスト
入賞作文
れまで何かの塊として死体を解剖し続けた医学生にとって、指に残された指輪の跡
はまさしく「人」が「人」として生きた証であり、その人の生きた跡だったのです。
そのことに最後に気づいた「わたし」は、これまでの傲慢ともいえた自分の行動を
反 省 し、 改 め て 一 人 の 人 間 に 対 す る 畏 敬 の 念 を 持 っ て そ の 死 体 に 対 し て 心 か ら 頭 を
下げたということです。
この道徳の授業を通して、私は祖母の献体について承諾のサインをするかどうか再び迷ってし
まいました。はじめに考えていたように、祖母の希望を尊重したいという思いはありますが、祖
母の「身体」がどのように扱われるのかについてはまだ、疑問が残ります。
一方で、祖母が話すように、この献体は人体の構造を知るための解剖実験で不可欠なものであ
ること、医学のために何かの役に立ちたいという人たちの協力がなければ、人体解剖実習はでき
ないということも確かです。まだまだ、私たち家族の迷いは続きそうです。
最近のニュースの中には、高校生が同級生を殺害し、死体を切るという残忍なものがあり、恐
怖でいっぱいになります。その事件の動機を聞くと、「死体」を解剖してみたかった。という信
じられない言葉・・・。いろいろな事情があり、不幸が重なり、その事件は起こったのだと思い
ますが、残忍で残酷で生命の尊厳が全く尊重されていないと感じます。殺害された人の両親や家
族の悲しみ、そして本人の無念さを考えると、決して許されることではありません。
「世界人権宣言第一条」には、
「すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ尊厳と
権利について平等である・・・。」と書かれています。このように、生まれてから「死」を迎え
入賞作文集 40
入賞作文
ると
き
ま
で
、
一
人
一
人
が
大
切
に
さ
れ
、その
人らしく生きぬくことができるように尊重
されることが大切です。私は、今回初めて
祖母の献体の問題や道徳の時間のなかで、
「 死 」 を 通 し て「 生 」 に つ い て 考 え る こ と
ができました。日々の学校生活や家庭での
生活の中で、今、自分は人を人として大切
にしているか、常に自分に問いながら生活
していきたいと思っています。
41 第34回全国中学生人権作文コンテスト
入賞作文
法務事務次官賞
父の背中
東京都 青梅市立新町中学校 三年
ながやま
ゆうわ
永山 由和
みなさんは、自立支援施設という場所を、ご存知だろうか? 私の父は、その職場で児童指導
員として働いている。「自立支援て何? どんな仕事?」そんな質問を周りから何度、繰り返し
聞かれたことだろう。特殊な仕事で私も興味はあるものの、自分の中で、それは触れたくない物
と勝手に決めつけ、内容は詳しく教えてもらったことは今までなかった。それは何故かというと、
父の仕事に対して、物心ついた頃から少し疑問を感じていたからだ。まず、家に居ない日がほと
んどで、休日も、問題を起こす児童がいれば、すぐに施設へ向かわなければならない。家族水い
らずのドライブが施設を飛び出してしまった児童を、捜索する目的に変わってしまった日もよく
あったからだ。その度に施設の印象は悪くなり、「どっちが大事なの!」と口答えをし、父を困
らせてばかりいた。
入賞作文集 42
入賞作文
な ぜ 、体
力
や
精
神
的
に
も
辛
い
職
業
を、わざわざ選んだのか。もっと、家族と一緒に居られる仕
事だったら良かったのに…。将来、自分の未来に夢を膨らませる私にとって、父の生き方は、理
解できないものだった。
けれど、人権作文を書くにあたり、先生方に父の仕事を考えてみたらと、アドバイスを頂き、
改めて向き合うことに決めた。直接、父に面と向かい聞くのは少し気恥ずかしく、まずは本やネ
ットで施設の内容を調べてみることにした。「そこは、不良行為をなし、又は、なすおそれのあ
る 児 童 を、 受 け 入 れ る 施 設 。 心 の 触 れ 合 い を 基 盤 と し た 家 庭 的 な 雰 囲 気 の 中 で 生 活 を し な が ら 、
日常の知識や善悪の判断を習得させる指導を目的とした場所。
」とあった。理解はできるが、イ
メージするのはやはり恐怖だけ…。頭の中で不良行為の四文字が残ってしかたがない。それと同
時に、施設やその児童を今まで以上に、偏見の目で見てしまっている自分に気づき、このまま誤
解してはいけないと思う気持ちと、父がこの仕事を選んだ理由を、もっと深く知りたいと思う気
持ちが同時に浮かんだのだった。その夜、いつもの様に遅く帰宅した父に、興奮しながら、質問
攻めの私に意外な答えが返ってきた。
「今、君は十四歳だよね。」父が真面目な顔で言った。なぜ、年齢を聞くのか不思議に思ってい
ると、父は自分の過去をゆっくりと語り始めた。昔、君と同じ歳に私の両親は離婚
して母親は家を出て行ってしまう。残された自分と、まだ小学生だった妹は、今ま
で過ごしてきた環境が、大きく変わっていくのを感じた。暫くすると、父親は働か
なくなり、お酒に頼る毎日。借金にも手を出してしまう状態で、公共料金の支払いや、
43 第34回全国中学生人権作文コンテスト
入賞作文
日 々 の 食 事 に も 支 障 が 出 て く る の は、 当 然 の 事 だ っ た。 そ ん な 苦 し く 辛 い 事 情 を、
知り合いの大人達が、色々と手を差し伸べてくれたんだ。
「 何 で 俺 だ け、 こ ん な 目
に … 。」 と 自 暴 自 棄 に な り 、曲がった道に進んでもおかしくなかった自分を、助け
て く れ た 人 達 に は、 今 で も、 感 謝 し て も し き れ な い。 私 が 働 い て い る 施 設 は ね …。
暴力、家出。窃盗、社会的問題行動をしてしまった小学生から高校生までの児童が共に生活をし
ている。その中で、自らの行動を反省しつつ、自立の道をみつけ、退園しても頑張っている姿を
見せに来てくれるのが私の生き甲斐だと、最後に笑顔で答えてくれた。その夜は、なかなか寝つ
けなかった。父が、過去に苦労したのは聞いていたが、いつものお説教かと、耳を貸さなかった
私。同じ歳に、辛い思いをしていた事実は、胸を締め付けられた。私がもし、その環境に置かれ
ていたら、どうなっているだろう。ショックで想像もつかない。けれど、父が今の仕事を選んだ
理由が、痛いほど伝わり今の何不自由ない暮らしが、どんなに幸せで、有難いことか! 母が干
してくれた布団の温かさで、それを感じた。
近年、少子化なのにもかかわらず、施設に入る児童数は年々、増えつつあるそうだ。非行の多
くは、現代の生活環境が、そうさせるのもあるのだろう。だが、罪は罪。一度の過ちでも、犯し
てしまった人間を、簡単には受け入れられず、更生意欲があっても、社会復帰が困難な場合もあ
る。しかし、どんなに苦難な状況でも、人には父の様に、それを乗り越えられる強い能力が備わ
っていると思う。その力を引き出すには、偏見や差別、無関心を無くし、周囲の愛情や信頼、そ
れにサポートが、絶対に不可欠だ。法務省も黄色い羽をモチーフに犯罪や非行を防止しつつ、立
入賞作文集 44
入賞作文
ち直りを支える社会をめざす運動を進めて
いる。私達が理解と温かい目で、助け合え
る世の中を作ることが、犯罪や非行を減ら
す第一歩になるにちがいない。施設の児童
も、そこを新しい人生のスタート地点とし
て、頑張っている。そして子供の権利を大
切に見守る、
まさに人権の塊の様な現場で、
父は働いているのだと改めて痛感した。
今日も仕事に向かう父の背中が、いつも
より何倍も誇らしく映る。私も将来父の様
に、陰ながら人を支える人になりたい。
45 第34回全国中学生人権作文コンテスト
入賞作文
法務事務次官賞
あおと
坂 碧人
さか
神奈川県 厚木市立荻野中学校 三年
手伝えることはありますか
「俺はやればできる子だから。」
父は笑いなが ら そ う 言 い ま す 。
三年前、父は仕事中の事故で怪我をしました。会社からの連絡を受け、母、弟、私で病院へ行
くとそこには、ベッドに横たわり、一人涙を流す、右手を失くした父の姿がありました。初めて
の父の涙に私は、戸惑い、不安さえ覚えました。しかし、ふと冷静になった私は、
「家族が障が
いを負ったのだから、自分が身の回りの事を全てやってあげなければならない。それが最善であ
る。」そのときは、そう思っていました。
それから、私は、積極的に父の手伝いをするように心がけました。お風呂の時に背中を洗う、
ペットボトルのキャップを閉める、そして、靴ひもを結ぶ。大変だとは思いましたが、それ以上
入賞作文集 46
入賞作文
に、
「 自 分 は 良 い 事 を し た 、 感 謝 さ れている。」という、幸福感がありました。
しかし、父と行動を共にすることに対して、最初は多少の抵抗がありました。なんといっても、
隣りを歩いているのは右手の無い人なのです。義手で隠すといっても限界があります。シリコン
でできているため、人の肌の質感と違いますし、なにしろ指が動かないため、一つ一つの動作が
不自然になってしまうのです。ですから、父の手伝いをして極力手を使わせないことは、他の人
に義手であることを気付かれないために必要なことで、私だけでなく、父のためでもある。そう
とさえ思っていました。
ところが、これらの私の考えは、完全に間違えていると気付かされる出来事がありました。
ある日、家族で買い物をしていたときのことです。私は、父の靴ひもがほどけていることに気
が付きました。そこで私は、いつもと同じように結ぼうとしました。が、しかし、予想もしてい
なかった言葉で父に断わられました。
「俺はやればできる子だから。」
父は、そう笑って言いのけ、実際にやりとげました。どう結んだのかは分かりませんが、そこ
で私は気付きました。今までの行動は良心ではなく、単なる押し付けだったのです。
そもそも、「やってあげなければ。」という考え自体が恩着せがましく、そこから
得た幸福感など、ただの自己満足だったのです。確かに、助けられた父は楽ではあ
ったかもしれません。しかし、私達家族がいつでも近くに付いていられる訳はなく、
父が一人でやらなければいけないこともたくさん出てくるのです。それに義手であ
47 第34回全国中学生人権作文コンテスト
入賞作文
ることを隠そうとするのは、私が周りの目を気にしているだけであり、むしろ父の
存 在 を 否 定 し て し ま っ て い ま し た。 父 に は 本 当 に 申 し 訳 な い こ と を し て し ま っ た と
今では反省し、二度としてはいけないと強く思いました。
しかし、確かに、「やればできる」父は、自ら様々なことに挑戦していました。そ
の一つとして、「アンプティーサッカー」という障がい者スポーツをやっています。フットサル
のようなルールで、足のないフィールドプレイヤーと手のないゴールキーパーによって行われま
す。そのスポーツを始めてから、父と私で過ごす時間が増えました。その時間とは、サッカーの
トレーニングをする時間です。私もサッカーをやっているため、共通の部分があり、大切な時間
となっています。
しかし、それ以上に父にとってプラスになっていると思うことは、アンプティーサッカーの仲
間と、辛さや心身の痛みを分かちあえているということです。そのお陰か、父の表情が以前より
明るくなり、怪我をする以前のような、明るい性格に戻りました。
先日食事に行ったときも、失った右手を通して、無邪気な小さな子供と触れ合っている姿を見
て改めて、「偏見」というものをなくしていかなければならないと思いました。
父に関する体験を通して、私は障がいについてとても考えさせられました。
「一切の偏見を持
たず、相手の気持ちを考えて、できることには手出しをしない。
」様々な体験をした結果、私は
このように考えました。これを守ることは、その人に生きる活力を与え、居場所を奪わずに済み
ます。「やってあげる」、ではなく、「手伝えることはありますか」
、そう声をかけることが大切だ
入賞作文集 48
入賞作文
と思
い
ま
す
。
「俺はやればできる子だから。」その言葉の意味を重く受け止め、差別のない社会作りに私は少
しでも貢献していきます。
49 第34回全国中学生人権作文コンテスト
入賞作文
法務事務次官賞
強い心を持つ
栃木県 大田原市立若草中学校 一年
うえの
か
ず し
上野 加瑞志
僕が父から病気のことを聞いたのは、五年生の冬のことでした。姉が大学に入ることが決まっ
て、家族五人で旅行に行った後のことでした。父は、病気になってしまったこと、これから大変
なことも出てくると思うけれども母を助けてほしいことをゆっくりと話しました。母は、
「今すぐ手術とか入院とかするわけではないし、今まで通りでかまわない。
」
と言う意味のことを言ったような記憶があります。そのころ父は仕事もしていたし、車の運転も
できていたので、僕は何か重たい気持ちになったものの、悲しいとか嫌だとかそんな気持ちには
なりませんでした。
父の病気は、全身の神経が病気になり、筋肉に命令が行かなくなる「筋萎縮性側索硬化症」と
言います。僕たちに知らせる約一年前に発症していました。
入賞作文集 50
入賞作文
「な
ぜ
、
僕
の
父
が
こ
の
病
気
に
な
っ
た
のだろう。」
と思い、調べてもみましたが、もちろん本人の意図的なものではないし、遺伝的なものでもなさ
そうでした。つまり、父は何も悪くないのに、重い病気を背負うことになってしまったのでした。
はじめの頃、左手が挙げにくかっただけの症状は、僕が小学校を卒業するときには両手がほと
んど使えなくなっていました。今は、首の筋肉が使えなくなってきたので、歩くのもやっとで、
食事も時間がかかります。トイレに行っても服が下げられないので、
僕が手伝うこともあります。
他にも、ベットから起こしたり、椅子を押さえたりという簡単な手伝いはしています。それを「嫌
だ」とは思っていません。
しかし、友達が僕の家に遊びに来ることになったとき、僕は車椅子を父の部屋に隠しました。
なぜかというと、僕は、
「父のことが知られたら、差別されるかもしれない。」
と考えたからです。家族の中では嫌でなくても、友達の家と違うことを知られるのが怖かったの
です。
例えば、遊ぶ約束をしているときに、僕が断ると、
「まあ、お父さんのことがあるからね。いいよ。」
と 言 わ れ る の が 怖 い の で す。 ま た、 平 日 は ヘ ル パ ー さ ん や リ ハ ビ リ の 人 が 毎 日 家 に
来ていますが、そんなときは友達が家に来ないようにします。
友達は、心配していってくれるのかもしれません。同情というか、気をつかって
51 第34回全国中学生人権作文コンテスト
入賞作文
くれてるかもしれません。でも、僕だけ仲間に入れない気がして嫌なのです。僕に
聞こえなくても、
「あいつ、大変だよな。」
と言われてるかもしれないと思ってしまうのです。
そんなふうに、父のことを隠す僕のことを父も母も責めませんでした。車椅子を隠したときも、
担任の先生や部活の指導者さんに言わないでと頼んだときも、僕の気持ちを優先してくれました。
でも、それでいいのだろうかとも思うようになりました。毎日症状が重くなっていって、自分
の力で椅子から立つことも難しくなってきた父。それでも筋肉が少しでも長く使えるようにと、
母に手伝ってもらいながら運動をしている父。こんなにがんばっている父を隠す僕はまちがって
いるのではないか、という思いが生まれたのです。それでも、友達に知られたくないという思い
も強く、二つの感情が心の中で戦っています。
僕は今まで、「差別はいけない」とか「みんな違っていていい」とか「障がいのある人にやさ
しく」とか、大切だと習ったことをわかっているつもりでいました。頭では理解していても、自
分の父のことになると、そう簡単にはいきません。僕の心の中に、「人と違うこと」に対する恐
怖があるからです。
僕は父のことを通して自分の心の弱さを知りました。
「人権を守ろう。差別をなくそう」と言
っても、心からそう思って実行するのはそう簡単なことではないこともわかりました。しかし、
ここで止まってはいけないと思いました。まずは小さなことから始めてみようと思います。父の
入賞作文集 52
入賞作文
車椅
子
を
押
し
て
、
外
出
し
て
み
ま
す
。
誰かに声をかけられるかもしれません。物珍しいという目で
見られるかもしれません。「かわいそう」という声が耳に入るかもしれません。がんばっている
父の手助けを人前でできるようになった
時、 僕 の 心 は 一 歩 前 進 し た と 思 い ま す。
そ し て い つ か、 友 達 に も 話 せ る 自 分 に な
り た い で す。 強 い 心 を 持 つ 自 分 に な り た
いです。
53 第34回全国中学生人権作文コンテスト
問合せ先一覧
法務局・地方法務局名
郵便番号
金沢地方法務局人権擁護課 921-8505
富山地方法務局人権擁護課 930-0856
大阪法務局人権擁護部
540-8544
京都地方法務局人権擁護課 602-8577
神戸地方法務局人権擁護課 650-0042
奈良地方法務局人権擁護課 630-8305
大津地方法務局人権擁護課 520-8516
和歌山地方法務局人権擁護課 640-8552
広島法務局人権擁護部
730-8536
山口地方法務局人権擁護課 753-8577
岡山地方法務局人権擁護課 700-8616
鳥取地方法務局人権擁護課 680-0011
松江地方法務局人権擁護課 690-0886
高松法務局人権擁護部
761-8077
徳島地方法務局人権擁護課 770-8512
高知地方法務局人権擁護課 780-8509
松山地方法務局人権擁護課 790-8505
福岡法務局人権擁護部
814-0005
佐賀地方法務局人権擁護課 840-0041
長崎地方法務局人権擁護課 850-8507
大分地方法務局人権擁護課 870-8513
熊本地方法務局人権擁護課 862-0971
鹿児島地方法務局人権擁護課 890-8518
宮崎地方法務局人権擁護課 880-8513
那覇地方法務局人権擁護課 900-8544
所 在 地
金沢市新神田4丁目3番10号
金沢新神田合同庁舎
富山市牛島新町11番7号 富山合同庁舎
大阪市中央区谷町2丁目1番17号
大阪第2法務合同庁舎
京都市上京区荒神口通河原町東入
上生洲町197番地
神戸市中央区波止場町1番1号
神戸第2地方合同庁舎
奈良市東紀寺町3丁目4番1号
奈良第2法務総合庁舎
大津市京町3丁目1番1号
大津びわ湖合同庁舎
和歌山市二番丁2番地
和歌山地方合同庁舎
広島市中区上八丁堀6番30号
広島合同庁舎3号館
山口市中河原町6番16号
山口地方合同庁舎2号館
岡山市北区南方1丁目3番58号
鳥取市東町2丁目302番地
鳥取第2地方合同庁舎
松江市母衣町50番地
松江法務合同庁舎
高松市出作町585番地4
徳島市徳島町城内6番地6
徳島地方合同庁舎
高知市栄田町2丁目2番10号
高知よさこい咲都合同庁舎
松山市宮田町188番地6
松山地方合同庁舎
福岡市早良区祖原14番15号
福岡法務局西新出張所庁舎5階
佐賀市城内2丁目10番20号
佐賀合同庁舎
長崎市万才町8番16号 長崎法務合同庁舎
大分市荷揚町7番5号
大分法務総合庁舎
熊本市中央区大江3丁目1番53号
熊本第2合同庁舎
鹿児島市鴨池新町1番2号
宮崎市別府町1番1号
宮崎法務総合庁舎
那覇市樋川1丁目15番15号
那覇第1地方合同庁舎
電 話
076-292-7804
076-441-6376
06-6942-9492
075-231-0131
078-392-1821
0742-23-5457
077-522-4673
073-422-5131
082-228-5790
083-922-2295
086-224-5761
0857-22-2289
0852-32-4260
087-815-5311
088-622-4171
088-822-3331
089-932-0888
092-832-4311
0952-26-2148
095-826-8127
097-532-3368
096-364-2145
099-259-0684
0985-22-5124
098-854-1215
入賞作文集 54
問合せ先一覧
問合せ先一覧 (法務局・地方法務局)
法務局・地方法務局名
札幌法務局人権擁護部
郵便番号
060-0808
函館地方法務局人権擁護課 040-8533
旭川地方法務局人権擁護課 078-8502
釧路地方法務局人権擁護課 085-8522
仙台法務局人権擁護部
980-8601
福島地方法務局人権擁護課 960-0103
山形地方法務局人権擁護課 990-0041
盛岡地方法務局人権擁護課 020-0045
秋田地方法務局人権擁護課 010-0951
青森地方法務局人権擁護課 030-8511
東京法務局人権擁護部
102-8225
横浜地方法務局人権擁護課 231-8411
さいたま地方法務局人権擁護課 338-8513
千葉地方法務局人権擁護課 260-8518
水戸地方法務局人権擁護課 310-0011
宇都宮地方法務局人権擁護課 320-8515
前橋地方法務局人権擁護課 371-8535
静岡地方法務局人権擁護課 420-8650
甲府地方法務局人権擁護課 400-8520
長野地方法務局人権擁護課 380-0846
新潟地方法務局人権擁護課 951-8504
名古屋法務局人権擁護部
460-8513
津地方法務局人権擁護課
514-8503
岐阜地方法務局人権擁護課 500-8729
福井地方法務局人権擁護課 910-8504
55 第34回全国中学生人権作文コンテスト
所 在 地
札幌市北区北8条西2丁目1番1
札幌第1合同庁舎
函館市新川町25番18号
函館地方合同庁舎
旭川市宮前通東4155番31
旭川合同庁舎
釧路市幸町10丁目3番地
釧路地方合同庁舎
仙台市青葉区春日町7番25号
仙台第3法務総合庁舎
福島市本内字南長割1番地3
山形市緑町1丁目5番48号
山形地方合同庁舎
盛岡市盛岡駅西通1丁目9番15号
盛岡第2合同庁舎
秋田市山王7丁目1番3号
秋田合同庁舎
青森市長島1丁目3番5号
青森第2合同庁舎
千代田区九段南1丁目1番15号
九段第2合同庁舎
横浜市中区北仲通5丁目57番地
横浜第2合同庁舎
さいたま市中央区下落合5丁目12番1号
さいたま第2法務総合庁舎
千葉市中央区中央港1丁目11番3号
千葉地方合同庁舎
水戸市三の丸1丁目1番42号
駿優教育会館
宇都宮市小幡2丁目1番11号
宇都宮地方法務合同庁舎
前橋市大手町2丁目10番5号
前橋合同庁舎
静岡市葵区追手町9番50号
静岡地方合同庁舎
甲府市丸の内1丁目1番18号
甲府合同庁舎
長野市旭町1108番地
長野第2合同庁舎
新潟市中央区西大畑町5191番地
新潟地方法務総合庁舎
名古屋市中区三の丸2丁目2番1号
名古屋合同庁舎第1号館
津市丸之内26番8号 津合同庁舎
岐阜市金竜町5丁目13番地 岐阜合同庁舎
福井市春山1丁目1番54号
福井春山合同庁舎
電 話
011-709-2311
0138-23-9528
0166-38-1114
0154-31-5014
022-225-5739
024-534-1994
023-625-1321
019-624-9859
018-862-1443
017-776-9024
03-5213-1234
045-641-7926
048-859-3507
043-302-1319
029-227-9919
028-623-0925
027-221-4466
054-254-3555
055-252-7239
026-235-6634
025-222-1563
052-952-8111
059-228-4193
058-245-3181
0776-22-5090
世界人権宣言啓発書画
「鳥」
「自由と解放」
を表わしたもの
小木太法 書 オタビオ・ロス 画
(公財)人権擁護協力会提供
入賞作文集 56
表2-3 入稿
日本放送協会解説委員室解説委員
橋 本 淳
文部科学省初等中等教育局視学官
津 金 美智子
全国人権擁護委員連合会長
内 田 博 文
法務省人権擁護局長
岡 村 和 美
(敬称略)
感想をお聞かせください
本作文集を読まれた感想等を下記の連絡先又は [email protected] までお寄せください。
転載について
本作文集の作品を, 印刷物やインターネット上に掲載する場合は, 下記の連絡先までお
知らせください。
詳しくは, 法務省ホームページ(http://www.moj.go.jp/JINKEN/jinken111.html)
を御覧
ください。
〈連絡先〉
〒100‐8977 東京都千代田区霞が関一丁目1番1号
法務省人権擁護局人権啓発課
TEL 03(3580)4111 内線5875
印 刷 平成27年1月26日
発 行 平成27年2月4日
発行者 法務省人権擁護局
全国人権擁護委員連合会
東京都千代田区霞が関一丁目1番1号
電話 03
(3580)
4111 内線5875
URL http://www.moj.go.jp/JINKEN/
すべての人間は、生まれながらにして
一般社団法人日本新聞協会事務局長 國 府 一 郎
自由であり、かつ、尊厳と権利とに
山 田 洋 次
ついて平等である。人間は、理性と
映画監督
良心とを授けられており、互いに同胞
落 合 恵 子
世界人権宣言 第一条 作 家(審査員長)
の精神をもって行動しなければならない。
第34回全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員
表1-4 入稿
34
34回
第
全国中学生
人権作文コンテスト
入賞作文集
「いじめ」や暴力行為等は人権侵害です。
法務局・地方法務局では,
人権侵害による被害を受けた方を
救済するための活動を行っています。
お気軽にご相談ください。
人権イメージキャラクター
人 KEN まもる君・人 KEN あゆみちゃん
入賞作文集のデータは,法務省ホームページに掲載しています。
http://www.moj.go.jp/JINKEN/jinken111.html
人権イメージキャラクター
人KENまもる君
人KENあゆみちゃん
ゼロゼロみんな の ひゃくとおばん
0570-003-110
国共通
子どもの人権110番(全通話料無料
) 0120-007-110
女性の人権ホットライン( 全 国 共 通 )
0570-070-810
みんなの人権110番( 全 国 共 通 )
ぜろぜろななのひゃくとおばん
ゼロナナゼロのハートライン
インターネット人権相談受付窓口
この冊子には,音声コードが, 各頁
(奇数頁 左下, 偶数頁 右下)に印
刷されています。
専用の読み上げ装置で読み取る
と,
記録されている情報を, 音声で
と,記録されている情報を,
聞くことができます。
Human Rights
法務省人権擁護局・全国人権擁護委員連合会
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携帯電話からは https://www.jinken.go.jp/soudan/mobile/001.html
人権ライブラリー
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Human Rights
法務省人権擁護局・全国人権擁護委員連合会
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