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遺族厚生年金の課税化による税・社会保険料 収入増の試算

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遺族厚生年金の課税化による税・社会保険料 収入増の試算
論
文
遺族厚生年金の課税化による税・社会保険料
収入増の試算
―非課税所得と租税・社会保険料負担の公正性
下野 恵子*
大阪大学
竹内 滋子
電波学園教育センター
本論文では、特定の収入の非課税化が租税・社会保障負担の不公正をもたらして
いること、税と社会保険が密接につながっていることを試算例により示す。具体的
な非課税所得として「遺族厚生年金」を取り上げ、非課税扱いが課税ベースの縮小
による減収と同時に社会保険料収入の大幅な減収をもたらしていることを示す。遺
族厚生年金受給者は年々増加し、2007 年には 441 万人(厚生年金受給者の 4 人に1
人)、給付額は約 4.5 兆円に達する。人数が多いために、租税の公正な負担を図る
だけで、所得税 37 億円、住民税 20 億円が新規の税収となり、国民健康保険料、介
護保険料の増収はそれぞれおよそ 370 億円、300 億円と計算される。さらに寡婦・寡
夫を税制上で優遇する「住民税の特例」および「寡婦・寡夫控除」の廃止を仮定す
ると、新たな所得税収は 77 億円、住民税収は 272 億円と計算され、所得金額と住民
税額によって決定される国民健康保険料の増収は 700 億円弱、介護保険料の増収は
約 500 億円にもなる。
1. はじめに
本論文では、
「遺族厚生年金」を例として、特定の収入源を非課税扱いすることが、
租税負担の公平性をゆがめて税収を減少させるだけではなく、社会保険料収入をも減少
させていることを具体的な試算によって示す。租税制度が社会保障制度に影響を与える
理由は、租税制度によって決まる「所得金額」と「住民税額」に基づいて、社会保険料
が決定されるからである。それゆえ、租税制度と社会保障制度とが密接に結びついてい
ることを認識せずに所得税や住民税の減税を行えば、税収を減らすにとどまらず、社会
本論文のもとになる論文は2009年度の日本財政学会秋季大会で報告された。討論者の岡本章教授(岡山大学)
、
および、フロアーの村上雅子名誉教授(国際基督教大学)には有益なコメントをいただいたことに感謝する。
また、本論文を完成するにあたり、本誌レフリーには多くの貴重なコメントをいただいた。お二人の助言に
従い試算の仮定や制度を再考することにより、試算結果を多面的に考察できたことに深く感謝する。
* (連絡先住所)〒567-0047 大阪府茨木市美穂ヶ丘 6-1
(E-mail)[email protected]
大阪大学社会経済研究所(招へい教授)
日本経済研究 No.65,2011.7 23
保険料の減収を通じて社会保険の財源不足を招くことになる。
さて、特定の収入源の非課税扱いは、自動的にその収入を課税ベースから除外するこ
とを意味する。つまり、仮に年間 300 万円、400 万円の収入があった場合も、所得はゼ
ロとみなされる。一方、課税対象収入でもその額が低く、各種の所得控除により課税所
得金額がゼロとなれば、結果的に課税されない。
しかし、同じ所得税非課税でも、
「最初から非課税扱いである」のと「結果的に非課
税になる」ことには大きな違いがある。非課税化された特定の収入は課税ベースから自
動的に外され、税務署の把握できない個人収入となる。この額が小さければ問題にする
必要性は低いが、例えば、本論文で扱う遺族厚生年金総額は年々増加しており、2007 年
度には 4.5 兆円にも達する。さらに遺族基礎年金・遺族共済年金を含めると、税務署に
把握されない遺族年金という形の個人年収総額は 6 兆円を超える。1990 年代半ば以降、
日本の名目 GDP は 500 兆円前後で推移しており、企業業績の低迷と名目賃金の低下によ
る税収不足が大きな問題となっている現状を考えれば、6 兆円もの収入を課税ベースか
ら外すのが妥当とは思えない。
現在、非課税扱いとなっている継続的な収入源には、遺族年金(遺族基礎年金、遺族
厚生年金、遺族共済年金など)だけでなく、障害年金(障害基礎年金、障害厚生年金、
障害共済年金)
、雇用保険の失業等給付などがある。上記の収入の非課税化の根拠は、
弱者救済であろう。しかし、石(2004)でも指摘されているように、遺族年金受給者、障
害年金受給者、失業者のすべてが「貧困にあえぐ低所得者」という意味の弱者ではない。
筆者らは、現在非課税化されている遺族年金・障害年金・失業等給付なども老齢年金と
同様に課税対象所得とし、収入額に応じて租税や社会保険料を負担するべきであると考
える。実際、他の主要先進国では、課税範囲に差はあるものの、老齢年金・遺族年金・
障害年金の税制上の扱いに区別はない(財務省のホームページなどを参照)
。
なお、本論文において、非課税所得の例として「遺族厚生年金」を取り上げる理由は、
以下の通りである。まず第 1 に、受給者数が 07 年には約 440 万人と人数が多く、非課
税化の影響を明確に示すことが可能であること、第 2 に、遺族厚生年金受給者の 8 割が
65 歳以上であり、高齢社会における租税・社会保障制度の在り方を再考するための良い
例題となること、の 2 点があげられる。本論文の試算結果により、遺族厚生年金の非課
税化は、税収の減少以上に、社会保険料収入の大幅な減少をもたらすことが明らかにさ
れる。
遺族厚生年金課税化の試算は EXCEL の表計算機能を用いて行った。ページの関係で試
24 日本経済研究 No.65,2011.7
算過程を本文に含めることはできなかったが、
『日本経済研究』ホームページ掲載の本
稿付属「データ」ファイル、あるいは竹内(2009)で参照可能である。ただし、竹内は 04
年度の遺族年金受給者を分析対象としたが、本論文は論文作成時点の最新データである
07 年度の受給者を用いた(04 年から 07 年の 3 年間で受給者数は 10%以上増加した)
。
本論文の構成は以下の通りである。
第 2 節では、
遺族厚生年金制度について説明する。
遺族厚生年金・遺族共済年金は遺族基礎年金とは異なり、年齢や子の有無にかかわらず
受給可能であり、しかも終身年金であるという非常に寛容な制度である。第 3 節では試
算の前提となる主な仮定と、試算に必要な制度の概要を説明する。試算には原則として
08 年の制度を用いた。第 4 節では、まず現行税制のもとで遺族厚生年金を課税化した場
合の試算結果の含意を論じる。さらに、寡婦・寡夫に対する優遇措置である「地方税の
特例(地方税法第 295 条、第 24 条の 5)
」および「寡婦・寡夫控除」を廃止した場合の
試算結果を示す。後者の試算結果は、特例や所得控除が課税ベースを大きく縮小させる
ことを明らかにし、時代に合わなくなった特例や所得控除の整理の必要性を示唆する。
第 5 節はまとめである。
2. 遺族厚生年金制度の現状と支給要件
2.1 遺族厚生年金制度の概要と現状
本節では、遺族厚生年金制度(08 年度)の概要と受給者データを示す。厚生年金は民
間企業の被雇用者が加入する公的年金制度である1。
遺族年金には遺族基礎年金、遺族厚生年金、遺族共済年金があり、順に、国民年金、
1
日本の公的年金制度は複雑であり、職業により受給できる公的年金の種類が異なる。年金額は、保険料支払
い期間、保険料によって個人ごとに異なるが、以下では、95 年の各年金の平均受給額を用いて、夫婦の職業別
の世帯類型による平均的な受給額を比較している(詳しくは、下野(1998)
)
。
合計受給額
夫の職業
夫の年金受給額
妻の職業
妻の年金受給額
(夫婦計)
a
自営業
老齢基礎年金 5 万円
家族従業員
老齢基礎年金 5 万円
10 万円
老齢基礎年金 5 万円・
b
会社員
専業主婦
老齢基礎年金 5 万円
20 万円
老齢厚生年金 10 万円
老齢基礎年金 5 万円・
老齢基礎年金 5 万円・
c
会社員
会社員
30 万円
老齢厚生年金 10 万円
老齢厚生年金 10 万円
公務員・
老齢基礎年金 5 万円・
公務員・
老齢基礎年金 5 万円・
40 万円
d
教員
退職共済年金 15 万円
教員
退職共済年金 15 万円
厚生労働省がモデル年金とするのは、夫が民間企業の被雇用者で妻が専業主婦の場合であり、夫婦の年金額
は月 20 万円程度と妥当な金額になる(b)
。しかし、厚生年金制度の想定外で被雇用者が共稼ぎの場合には、月
30 万円という過大な公的年金が支給される(c)
。公務員・教員の共稼ぎ夫婦の場合には月 40 万円にもなる。
さらに、現在の 70 歳代の共稼ぎ夫婦であれば、毎月 50 万円以上の公的年金を受給しているケースも少なくな
い(d)。ただし、自営業であると、共稼ぎでも老齢基礎年金だけなので、
夫婦で 10 万円程度にしかならない
(a)
。
日本の公的年金格差は非常に大きい。
論文:遺族厚生年金の課税化による税・社会保険料収入増の試算 25
厚生年金、共済年金制度の一部となっている。遺族基礎年金の支給範囲は、18 歳未満の
子のある妻、および 18 歳未満の子に限定されている。子の年齢制限があるために、遺
族基礎年金受給者は基礎年金全受給者の 1%でしかない。それに対し、遺族厚生年金や遺
族共済年金は、妻に対する支給要件に子の有無・年齢制限の無いこと、受給資格者の範
囲が広いこと、さらに終身年金であるという非常に寛容な制度であるために、年金受給
者全体の 4 分の 1 強が遺族年金の受給者となっている。
現在の遺族厚生年金制度のもとでは、被保険者もしくは被保険者であった者が、被保
険者期間中の傷病が原因で初診日から 5 年以内に死亡したとき、または障害厚生年金・
老齢厚生年金の受給権者および受給資格を満たした者が死亡したときに、遺族厚生年金
が支給される。遺族厚生年金の受給資格を持つ遺族の範囲は、配偶者や子だけでなく、
被保険者等によって生計を維持されていた父母・孫・祖父母をも含む。ただし、妻の場
合には年齢に関わらず遺族厚生年金を受給できるが、子や孫は 18 歳未満、夫・父母・
祖父母は被扶養者死亡時に 55 歳以上であった場合に限り、60 歳からの支給と条件がつ
く(ただし、07 年から 30 歳未満で子のない妻は 5 年間の有期年金に変更された)
。
遺族厚生年金の給付額は、老齢厚生年金の被保険者期間が 25 年未満でも 1 カ月以上
であれば 25 年加入していたとみなし、その老齢厚生年金相当額の 4 分の 3 が遺族厚生
年金となる。さらに、妻が 40 歳から 65 歳までの間、年額 59 万 4200 円(遺族基礎年金
の 4 分の 3 相当額)が加算される。また、子が 18 歳未満の場合には、遺族厚生年金に
加えて、遺族基礎年金 79 万 2100 円と子の加算額(1 人の場合 22 万 7900 円で、合計 102
万円)が併給される。
65 歳以上になると、老齢基礎年金と遺族厚生年金の合計額が支給される。このうち老
齢基礎年金は課税対象である。ただし、妻が就業し老齢厚生年金の受給権を持つ場合に
は、非課税の遺族厚生年金部分がなくなるか、あるいは、縮小する (詳しくは第 2.2 節
の説明、脚注 3 を参照)。
次に、遺族厚生年金受給者数の推移を見ておこう。なお、厚生年金制度のもとにおけ
る遺族給付には遺族厚生年金・通算遺族年金・その他の遺族年金があるが、税制上の扱
いが同じであること、9 割が遺族厚生年金受給者であることを勘案し、本論文では厚生
年金制度のもとで遺族年金を受給する者すべてを「遺族厚生年金受給者」として扱う。
受給者数は、95 年の 250 万人から 04 年には 400 万人と、10 年間で 1.6 倍と大幅に増加
している。07 年の受給者数は 441 万人である。厚生労働省の推計によれば、今後も老齢
年金と同じペースかそれ以上での増加が予想される。
26 日本経済研究 No.65,2011.7
また、遺族厚生年金受給者の 99%が女性である。その理由は、女性のほうが長命とい
うだけではなく、前述のように、遺族厚生年金の支給要件が寡婦を優遇している点にも
ある。妻は年齢に関わらず遺族厚生年金を受給できるが、寡夫は妻の死亡時に 55 歳以
上であることが条件となっており、かつ 60 歳以上にならないと受給できない。遺族年
金制度には明らかな男女差が存在する。
給付額に関して言うと、遺族厚生年金受給者が厚生年金受給者全体の 4 人に 1 人と比
率が高いため、遺族厚生年金給付額が厚生年金給付総額に占める割合も 18%、給付総額
は約 4 兆 5000 億円に達する(07 年)
。1 人あたりの遺族厚生年金給付額の平均は 102 万
円と計算される。この給付額は、40 年間国民年金保険料を支払った場合に給付される老
齢基礎年金の満額 79 万 2100 円を大幅に上回る。老齢基礎年金が課税対象あるいは社会
保険料徴収対象収入として税務署や自治体に把握される一方で、平均給付額が 100 万円
を超える遺族厚生年金や遺族共済年金が非課税扱いされ、税務署や自治体に把握されな
い収入となっているのは不合理であろう。
最後に、遺族厚生年金受給者の年齢と受給額の分布をみておこう。01 年の『遺族厚生
年金受給者実態調査』
(厚生労働省)データによれば、全受給者の 8 割が 65 歳以上であ
るが、受給者の 12%は 60 歳未満、9%が 60 歳から 65 歳未満である。つまり、遺族厚生年
金受給者の 5 人に 1 人は老齢基礎年金受給資格年齢の 65 歳未満で、非課税の遺族厚生
年金(終身年金)を受給していることになる。さらに、遺族厚生年金受給額のデータを
みると、受給者の 4 割弱が年間 100 万円以上 150 万円未満のカテゴリーに入る。100 万
円未満の受給者も約 4 割存在するが、年間 150 万円を超える受給者も 2 割以上存在する
(第 3.1 節の表 1)
。
2.2 遺族厚生年金の支給要件の拡充と 2007 年度の改正
ここでは、吉原(2004)などを参考として、遺族厚生年金制度の歴史を簡単に紹介する。
遺族厚生年金制度は、厚生年金制度と同時に第二次大戦中の 1942 年、厚生年金制度
と同時に創設された。その目的は寡婦や残された家族の生活を守ることであり、
「養老
年金を受けるのに必要な期間を満たした者が死亡した場合に、その者によって生計を維
持されていた妻、子、父母、孫に遺族年金を支給する」とされ、支給期間は 10 年間、
養老年金の 2 分の 1 が支給額とされた。その 2 年後の 44 年には終身年金となった。
その後、日本経済の拡大にあわせて女性の就業機会は増え、86 年には男女雇用機会均
等法も施行されたが、07 年改正までは遺族厚生年金制度は拡充される一方であった。
論文:遺族厚生年金の課税化による税・社会保険料収入増の試算 27
まず 54 年には大改正があり、遺族厚生年金の支給条件は次のように定められた。(a)
支給要件は、被保険者または被保険者期間が 20 年以上であった者が死亡したとき、(b)
遺族の範囲は 18 歳未満の子のある妻、40 歳以上の妻(55 歳まで支給停止)
、18 歳未満
の子もしくは孫、60 歳以上の夫・父母・祖父母、(c)支給額は老齢年金相当額の 2 分の
1 とされた。
65 年には、(b)の妻の年齢支給要件に関する条件が緩和された。子のない妻について
も 40 歳以上という年齢制限が廃止されると共に、55 歳までの支給停止が廃止され、支
給要件を満たす夫が死亡した場合、残された妻は年齢に関わらず直ちに遺族年金を受給
できるようになった。76 年には、(c)支給金額に「寡婦加算制度」が創設され、18 歳未
満の子がある妻、60 歳以上の妻に加算されることになった。
86 年には公的年金制度の大改正があり、国民年金が全国民に老齢基礎年金を給付する
制度となった。この時に遺族厚生年金の支給範囲が大幅に拡充された。(a)支給要件か
ら被保険者期間が外され、被保険者もしくは被保険者であった者が被保険者期間中の傷
病が原因で初診日から 5 年以内に死亡したとき、または障害厚生年金、老齢厚生年金の
受給権者、受給資格を満たした者が死亡したときとなった。(b)遺族の範囲は、夫・父
母・祖父母については 55 歳以上(60 歳から支給)に広がった。また、(c)支給要件の緩
和に伴い支給金額の計算方法も変わり、被保険者期間が 1 カ月以上あれば、被保険者期
間が 25 年未満でも 25 年加入していたとみなし、その老齢厚生年金相当額の 4 分の 3 が
遺族厚生年金となった。さらに、妻が 40 歳から 65 歳に達するまでの間、年額 59 万 4200
円(遺族基礎年金の 4 分の 3 相当額)が加算されることになり、76 年に創設された寡婦
加算は廃止された。
このように遺族厚生年金制度が寡婦に手厚いのは、厚生年金制度そのものが、女性の
就業機会が限られ、
「夫が働き、妻が家を守る」ことが社会常識であった 42 年に創設さ
れたためである。つまり、女性を就業できない弱者とみなすことにより、妻が年齢に関
わりなく夫の老齢厚生年金の 4 分の 3 を遺族年金として一生涯受給することが正当化さ
れている。八田・木村(1994)などが見直しを求める国民年金の第 3 号被保険者問題も含
め、現在の公的年金制度は明らかに専業主婦を優遇している2。
そして、専業主婦世帯を前提とするために、遺族厚生年金額の基になる老齢厚生年金、
2
「第 3 号被保険者」問題とは、厚生年金・共済年金に加入する被雇用者の妻が年金保険料を支払うことなく、
老齢基礎年金を受給できる点の妥当性を問う。自営業者の妻は老齢基礎年金受給権を得るために国民年金保険
料を納めなくてはならないが、被雇用者の妻は第 3 号加入者として、国民年金保険料の支払い義務はない。こ
の制度は、被雇用者の妻を専業主婦とみなし、収入のない妻に将来の老齢基礎年金受給権を保障している。し
かし、収入の無い 20 歳以上の学生には保険料の支払い義務を課しており、制度上矛盾している。
28 日本経済研究 No.65,2011.7
遺族共済年金の基になる退職共済年金の給付額はそれぞれ、夫の年金で夫婦 2 人が生活
できる高い水準(
「2 人 1 年金」といわれる)に設定されてきた。女性の社会進出状況を
考慮しない制度が維持されてきた結果、下野(1998)が指摘しているように、共稼ぎ夫婦
世帯の受給年金(老齢基礎年金を含む)の合計額は月 30-40 万円にも達し、
「最低限の
生活保障」とは到底いえない受給額になる問題も生じている(脚注 1)
。
前述のように、遺族厚生年金制度は一貫して拡充されてきたが、07 年改正によって、
ようやく支給条件の一部が制限され、受給額の抑制が図られた。まず、受給権者のうち
30 歳未満で子のない妻への支給期間が、終身から 5 年間の有期年金となった。07 年以
前は年齢・子の有無に関わらず遺族厚生年金が一生涯にわたり支給されていたので、初
めての支給条件の縮小となる。さらに、妻が就業して老齢厚生年金の受給権がある場合、
65 歳以上になると受給額の配分が変化する。まず妻の老齢厚生年金支給が優先され、そ
の支給額が遺族厚生年金よりも少ない場合には、遺族厚生年金と妻の老齢厚生年金の差
額が遺族厚生年金として支給される3。07 年以前は、遺族厚生年金と妻の老齢厚生年金
のどちらかを選択する必要があり、ほとんどのケースで金額の多い前者が選択されてき
た。07 年の改正は、妻に老齢厚生年金(課税対象)がある場合に遺族厚生年金給付(非課
税)を縮小させることになり、課税ベースを広げる効果がある。しかし一方で、租税・
社会保障制度をより複雑にし、負担の公正性から遠ざかった。老齢厚生年金は課税対象
なので、同じ受給額であれば、就業して自分で年金保険料を負担した寡婦の方が、専業
主婦であった寡婦よりも、税・社会保障料の負担が重くなる事態が起きるのである。こ
れも専業主婦優遇の一例である。
なお、この改正時には、離婚時における婚姻期間に応じた公的年金分割制度も導入さ
れた。この制度は、高齢で離婚した妻が遺族厚生年金の対象外になる点に配慮している。
3
妻(寡婦)が老齢厚生年金の受給権を持つ場合、07 年以降はそれが優先されるようになった。07 年以前は、
老齢厚生年金、遺族厚生年金、1/2 老齢厚生年金+1/2 遺族厚生年金、から選ばなければならなかった。
65 歳未満
遺族厚生年金(非課税)
65 歳以上
妻の老齢厚生年金<
遺族厚生年金の場合
老齢基礎年金(課税対象)+老齢厚生
年金(課税対象)+遺族厚生年金(非
課税)
妻の老齢厚生年金>
遺族厚生年金の場合
老齢基礎年金+老齢厚生年金
(全額が課税対象)
この場合、
65 歳未満時における遺族厚生年金額
-老齢厚生年金額
=65 歳以上における遺族厚生年金額
論文:遺族厚生年金の課税化による税・社会保険料収入増の試算 29
3. 遺族厚生年金課税化の試算に関する前提
3.1 試算の対象者と対象者に関する主な仮定
本論文の試算では、遺族厚生年金受給者の 99%以上が女性であることを考慮し、受給
者全員を寡婦とみなした。その他の主な仮定は以下の通りである。
第 1 は、遺族厚生年金受給者の分布に関する仮定である。試算を行うためには、遺族
厚生年金受給者の年齢・給付額のクロス分布が必要となる。試算にとって最も重要な表
であるが、入手可能な最新の公表データは、01 年の厚生労働省『遺族厚生年金受給者実
態調査』にまで遡る必要がある。筆者らは上記の調査データと 07 年度の遺族厚生年金
受給者 441 万人の年齢階級・受給額の分布が同じと仮定した。表 1 は試算で用いた年齢
階級別・遺族厚生年金額階級別の受給者分布である。試算では受給額として遺族厚生年
金額階級の中央値を用いる。
第 2 として、単身者で遺族厚生年金以外の収入はないと仮定する。最近は女性の就業
機会も増え、自分の老齢厚生年金の受給権を持つ女性も増加しているが、遺族厚生年金
受給者の 8 割が既に 65 歳以上であり、この世代では専業主婦あるいは年金受給権につ
表 1 年齢階級別・受給額階級別の遺族厚生年金の推計受給者数
受給額
50万円未満
50~100万
100~150万
150~200万
(中央値)
(25万円)
(75万円)
(125万円)
(175万円) (225万円) (275万円) (325万円) 推計受給者数
200~250万
250~300万
300万円以上
25歳~
1,620
0
0
0
0
0
0
30歳~
3,240
2,430
0
0
0
0
0
1,620
5,670
35歳~
4,050
6,480
0
0
0
0
0
10,530
22,680
40歳~
810
2,430
17,820
1,620
0
0
0
45歳~
4,050
8,100
55,080
2,430
0
0
0
69,660
50歳~
18,630
38,880
103,680
24,300
0
0
0
185,490
55歳~
37,260
46,980
115,830
36,450
4,860
0
0
241,380
60歳~
48,600
73,710
157,950
104,490
20,250
0
0
405,000
65歳~
105,300
171,720
218,700
136,080
15,390
810
0
648,000
70歳~
154,710
155,520
257,580
156,330
44,550
1,620
0
770,310
75歳~
179,820
172,530
276,210
167,670
26,730
810
810
824,580
80歳~
128,790
171,720
247,860
104,490
4,860
0
0
657,720
85歳~
76,140
130,410
139,320
39,690
2,430
0
810
388,800
90歳~
17,820
82,620
46,170
7,290
1,620
0
0
155,520
95歳~
1,620
13,770
8,100
810
0
0
0
24,300
810
1,620
0
0
0
0
0
2,430
783,270
1,078,920
1,644,300
781,650
120,690
3,240
1,620
4,413,690
100歳~
推計受給者数
注)この表は、厚生労働省『遺族厚生年金受給者実態調査』
(2001 年)の第 4 表の年齢階級別・遺族厚生
年金額階級別受給者数を利用して作成した。具体的には、07 年度の遺族年金受給者数 441 万人が、01 年調
査の 5,449 サンプルと同じ分布であると仮定し、上記の調査の第 4 表の数字を 810 倍(441 万人/5,449 人
に近い数字)している。
30 日本経済研究 No.65,2011.7
ながらない、パート・タイム労働以外の就業経験を持たない場合も多い。その点を考慮
し、自分の老齢厚生年金を持たない、あるいは老齢厚生年金の受給権を持っていたとし
ても 07 年以前の選択制下ですでに支給額のより多い遺族厚生年金を選択したと想定す
るのは不自然ではないであろう。試算の簡単化のために、65 歳未満の場合も就業しない
(勤労収入はゼロ)と仮定する。
さらに、現行の制度のもとでは 65 歳以上になると遺族厚生年金と老齢基礎年金を受
給するが、頻繁な制度変更が行われたことから、現在の遺族厚生年金受給者が実際に受
給している老齢基礎年金額を想定することは困難である(課税対象である老齢基礎年金
という形で受給していない場合もある)
。そこで、老齢基礎年金受給額は試算対象から
外し、遺族厚生年金のみを取り出して試算を行った。確かに老齢基礎年金を考慮してい
ない点は本論文で行った試算の大きな欠点である。しかし、老齢基礎年金を加味すると
試算された効果をより大きくする方向に働く(全体の所得を大きくする)ので、ここで
の試算結果は課税化の効果の下限を示すものと考えることが可能であろう。
また、寡婦になると子供の世帯に同居する場合も少なくないが、試算では全員が単身
者世帯と仮定する。これは試算の簡単化のための仮定でもあるが、公的年金の充実とと
もに高齢単身者世帯が急激に増加していることを考慮している。75 年の国勢調査によれ
ば、65 歳以上の単身者世帯はわずか 59 万世帯であったが、直近の 10 年には 458 万世帯
(65 歳以上親族のいる一般世帯 1926 万世帯の 23.8%)へと大幅に増加しており、高齢
者の独立志向は高まっている。高齢者夫婦世帯も 28.4%を占め、現在では子供と同居す
る高齢者数は急激に減少している。三世代世帯はわずか 17.2%である。遺族厚生年金受
給者の 1 人あたり受給額は年間 100 万円を超え、持ち家であれば単身での生活が可能な
額であり、また、子供と同居していても別会計の場合もあるので、単身者世帯の仮定は
現実をある程度反映している。
第 3 として、試算には名古屋市の社会保険制度を用いる。地域を特定化するのは、国
民健康保険・介護保険の保険料の決定方法、低所得者に対する保険料の減額制度が地方
自治体によって異なるためである。ただし、名古屋市の国民健康保険料、介護保険料と
もほぼ全国平均であり、減額の方法も標準的である。
3.2 遺族厚生年金課税化の試算にかかわる租税制度
本論文では、遺族厚生年金・老齢厚生年金との租税負担の公正性を図る観点から、現
行の税法において非課税所得扱いになっている遺族厚生年金を、老齢厚生年金と同様に、
論文:遺族厚生年金の課税化による税・社会保険料収入増の試算 31
課税対象となる公的年金収入として扱う。本節では、遺族厚生年金の課税化の試算に関
係する 08 年度の租税制度について説明する。
筆者らは、具体的な試算の過程において、表 1 に示された遺族厚生年金受給者を 60
歳未満(54 万人)、60 歳以上 65 歳未満(41 万人)、65 歳以上(347 万人)の 3 つの年齢階
級に分割した。その理由は、遺族厚生年金を課税化した場合に適用される租税・社会保
険制度が異なるためである。表 2 は試算に関わる 3 つの年齢階級に適用される租税・社
会保険制度をまとめている。
なお、現在の日本の税制上、公的年金受給者(高齢者世代)全体が社会的弱者とみな
され、給与所得者(若年世代)よりも租税負担の面で優遇されている。具体的にいうと、
「給与所得控除」の最低額は年間 65 万円であるが、
「公的年金等控除」の最低額は 65
歳未満 70 万円、65 歳以上 120 万円となっている。なお、給与所得控除、公的年金等控
除とも、収入額の増加につれて控除額も増加する(本稿付属の補論の付表 1)
。同じ収入
額に対し、同じ租税を負担することが公正であるとする筆者らの考えに添えば、田近・
古谷(2005)で議論されているように、給与所得者・公的年金受給者の負担の公正性を確
保するためには、
「公的年金等控除」の縮小も試算に含める必要があろう。しかし、本
論文では、遺族年金の問題点を明確にするために、老齢年金・遺族年金との間の税・社
会保険料負担の公正性に議論を限定する。
まず所得税に関して、60 歳未満の寡婦の場合には、国民年金保険料の支払い義務が生
表 2 試算に関わる租税・社会保険制度
所得税の控除
・公的年金控除最低額70万円
・基礎控除38万円
・寡婦・寡夫控除27万円
・社会保険料控除(国民健康保険料・
介護保険料・国民年金保険料)
60歳未満
60歳以上65歳未満
・公的年金控除最低額70万円
・基礎控除38万円
・寡婦・寡夫控除27万円
・社会保険料控除(国民健康保険料・
介護保険料)
65歳以上
・公的年金控除最低額120万円
・基礎控除38万円
・寡婦・寡夫控除27万円
・社会保険料控除(国民健康保険料・
介護保険料)
住民税の控除・特例
・公的年金控除最低額70万円
・基礎控除33万円
・寡婦・寡夫控除26万円
・社会保険料控除(国民健康保険料・
介護保険料・国民年金保険料)
・寡婦・寡夫に対する「住民税の特例」
・公的年金控除最低額70万円
・基礎控除33万円
・寡婦・寡夫控除26万円
・社会保険料控除(国民健康保険料・
介護保険料)
・寡婦・寡夫に対する「住民税の特例」
・公的年金控除最低額120万円
・基礎控除33万円
・寡婦・寡夫控除26万円
・社会保険料控除(国民健康保険料)
介護保険料)
・寡婦・寡夫に対する「住民税の特例」
社会保険制度
国民年金
国民健康保険
介護保険第2号被保険者
国民健康保険
介護保険第2号被保険者
国民健康保険
介護保険第1号被保険者
注1) 公的年金控除は受給額に応じて控除額が決まる(
『日本経済研究』ホームページに掲載された本稿付属
の「データ」付表 1 を参照)
。
注2) 60 歳未満の年齢層において、第 2 号被保険者として介護保険料を支払うのは 40 歳以上である。
32 日本経済研究 No.65,2011.7
じ、国民年金保険料が社会保険料控除の対象に入ってくる。さらに、前述のように、公
的年金等控除の最低額は 65 歳未満が 70 万円、65 歳以上は 120 万円と異なる。
「寡婦・
寡夫控除」は、試算対象者全員が女性であると仮定しているので、本試算では年齢に関
わらず全員に適用される。
ただし、現行の所得税制のもとにおける遺族厚生年金の課税化の効果は限定的である。
例えば、65 歳以上であれば、公的年金等控除の最低額 120 万円、基礎控除 38 万円、寡
婦・寡夫控除 27 万円なので、遺族厚生年金が課税化されたとしても、受給額が各控除
の和である 185 万円に社会保険料控除額を加えた額を超えない限り、課税所得金額はゼ
ロとなり、結果的に所得税は課されない。
次に住民税制をみると、所得税制には存在しない寡婦・寡夫に対する優遇制度により、
住民税の課税ベースは大幅に縮小している(
「住民税の特例(地方税法第 295 条、第 24
条の 5)
」
)
。具体的に言うと、65 歳以上であれば、公的年金等控除 120 万円を除いた「所
得金額」
(公的年金収入-公的年金等控除)が 125 万円以下、つまり、公的年金収入が
245 万円以下であれば、結果的に住民税は非課税となる。そのため、遺族厚生年金の課
税化による住民税の増収効果は所得税に比べ、はるかに小さくなる。
この特例は地方税法施行時から存在し、50 年に 10 万円であったものが、60 年代、70
年代に年々引き上げられ、77 年に 80 万円、84 年に 100 万円、89 年に 125 万円と増額さ
れ、現在に至っている。この特例が存在する根拠については、いくつかの自治体に尋ね
たが、地方税法に基づくという以上の明確な理由は示されなかった4。
そこで、本論文では、現行税制下における遺族厚生年金の課税化だけではなく、遺族
厚生年金受給者と老齢厚生年金受給者(生涯独身)との税・社会保険料負担の公正を達
成する観点から、
「住民税の特例」と「寡婦・寡夫控除」を廃止した上で、現行税制に
基づいて遺族厚生年金に課税した場合の試算も行う。
所得税と住民税の「寡婦・寡夫控除」の廃止を仮定する根拠は、生涯独身の老齢厚生
年金受給者には適用されない制度であるだけでなく、寡婦と寡夫で適用条件が異なるた
めである。寡婦の場合には「扶養親族があるか、合計所得金額が 500 万円以下」の場合
に適用されるが、寡夫の場合には「生計を一にしている合計所得金額が基礎控除額以下
の子があり、かつ、合計所得金額が 500 万円以下」と適用条件がより厳しい。寡婦・寡
夫控除額は所得税 27 万円、住民税 26 万円であるが、試算の結果、課税ベースに与える
影響は予想以上に大きいことが確認される(第 4.2 節を参照)
。
4
この「住民税の特例」の存在は、財政学者にも十分認識されていない。日本財政学会での報告やセミナー報
告で、一様に驚かれたという事実がある。
論文:遺族厚生年金の課税化による税・社会保険料収入増の試算 33
3.3 社会保険料負担について
この試算の前提は 08 年の社会保険制度であるが、医療保険に関しては大きな仮定を
置いた。08 年 4 月に後期高齢者医療制度が発足し、75 歳以上の高齢者は国民健康保険
を離れ、新しい制度のもとで、新たな保険料を課せられることになった。しかし、筆者
らは後期高齢者医療制度導入を試算に反映させなかった。その理由は、試算時に保険料
の決定方法(減額制度を含む)が必ずしも確定していなかったこと、民主党政権下にお
いて見直し対象になっており短期的な制度になる可能性があること、試算を必要以上に
複雑にしたくなかったこと、による。つまり、本試算では、75 歳以上の高齢者も引き続
き国民健康保険制度内にとどまると仮定していることに注意していただきたい。
つまり、医療保険に関しては、3 つの年齢階級の全員が、地域保険である「国民健康
保険」に加入すると想定する。国民健康保険の保険料は世帯単位で決まり、
「均等割」
と「所得割」の合計額である。均等割は所得の有無・多寡に関わらず加入者全員が負担
する一定額であり、所得割は住民税額に応じて決定される。さらに、低所得者に対する
均等割の減額制度がある。現行制度のもとでは、遺族厚生年金のみの受給者は所得がゼ
ロとみなされるので、減額された均等割のみの負担になる。名古屋市の 08 年度におけ
る介護分を除いた国民健康保険料の年間の均等割は、医療分 37,809 円・支援金分 9,992
表 3 国民健康保険料算定方法(名古屋市、2008 年)
内訳
医療分
支援金分
介護分
均等割
37,809 円
9,992 円
11,638 円
所得割
住民税額×0.86
住民税額×0.23
住民税額×0.21
注 1) 国民健康保険料は、医療分、支援金分、介護分保険料から成る。このうち、支援金分は後期高齢者医療
制度への国民健康保険からの支援負担分であるが、この試算では老人医療制度への拠出とみなす。介護分
とは、40 歳以上 65 歳未満の介護保険第 2 号被保険者の保険料相当分である。実際には、介護分も一括し
て徴収されるが、この試算では、介護分を「介護保険料」として別建てにした。
注 2)
住民税非課税の場合には均等割のみを負担することになる。介護分を除いた健康保険料は、医療分
37,809 円と支援金分 9,992 円の合計、47,801 円となる。
注 3) さらに、以下のような保険料の減額措置がある。遺族厚生受給者は受給額に関わらず全員が所得ゼロ
とみなされるので、均等割の 7 割が減額され、介護分を除いた健康保険料負担額は 14,340 円にとどまる。
減額措置
前年の所得金額
減額される額
7 割減額 33 万円以下のとき
均等割の 7 割
2 割減額 68 万円以下のとき
均等割の 2 割
(65 歳以上は公的年金に係る所得の場合は 83 万円以下)
34 日本経済研究 No.65,2011.7
円の合計、47,801 円である。この均等割が7割減額され、遺族厚生年金受給者全員の負
担額は年間 14,340 円、月額 1,200 円以下となる(表 3)
。
次に介護保険について説明する。介護保険料を支払う義務は 40 歳以上に生じる。第 2
号被保険者(40 歳以上 65 歳未満の被保険者)の介護保険料は、表 3 に示された国民健
康保険料の介護分として徴収されているが、本試算はこの介護分を介護保険料として明
示的に扱う。介護保険料も、国民健康保険料と同様に均等割と所得割から成るが、遺族
厚生年金受給者の所得はゼロとみなされるので、均等割の 3 割が介護保険料となる。名
古屋市における 08 年の介護分の均等割は年間 11,638 円であり、その7割が減額される
結果、受給額に関わらず、40 歳以上 65 歳未満の遺族厚生年金受給者の介護保険料は年
間わずか 3,491 円となる。一方、第 1 号被保険者(65 歳以上の被保険者)の介護保険料
は、本人所得・世帯所得両方の組み合わせによって、最終的に決定される。名古屋市の
場合は表 4 に示したように、基準額の半額から 2 倍までの 8 段階に分かれる。所得ゼロ
とみなされる遺族厚生年金受給者は全員が段階 2 に相当し、最終的な介護保険料は 08
年度における基準額 52,780 円の半分、年額 26,390 円(最低負担水準)となる。
表 4 第 1 号被保険者の介護保険料の決定方式(名古屋市、2008 年)
収入状況
基準額に対
する倍率
段階1
生活保護、老齢福祉年金受給者で、県市民税世帯非課税
0.5
段階2
課税年金収入金額+その他の所得が80万円以下、世帯非課税
0.5
段階3
課税年金収入金額+その他の所得が80万円超、世帯非課税
0.75
段階4
本人非課税、世帯課税者あり
段階5
本人課税、合計所得金額200万円未満
1.25
段階6
本人課税、合計所得金額200万円以上400万円未満
1.5
段階7
本人課税、合計所得金額400万円以上700万円未満
1.75
段階8
本人課税、合計所得金額700万円以上
1
2
出所) NAGOYA かいごネット
注 1) 名古屋の 08 年の第1号被保険者(65 歳以上)の介護保険料基準額は、年間 52,780 円である。
注 2) なお、国民健康保険加入者で 40 歳以上 65 歳未満(第 2 号被保険者)の介護保険料は、国民健康保険料
の介護分として徴収されている。名古屋市の場合、介護分の均等割は 11,638 円である(表 3)
。遺族厚生
年金受給者は所得ゼロとみなされるため 7 割が減額され、均等割の負担額は 3,491 円にとどまる。
論文:遺族厚生年金の課税化による税・社会保険料収入増の試算 35
4. 遺族厚生年金課税化の試算結果
4.1 2008 年の制度のもとでの遺族厚生年金課税化の試算結果
遺族厚生年金を課税化した場合の試算結果は、
表 5 としてまとめられる。
試算過程は、
『日本経済研究』ホームページ掲載の「データ」欄を見ていただきたい。
表 5 をみると、非課税扱いであった遺族厚生年金を課税化することによる新たな所得
税収は約 37 億円、住民税収は 20 億円と試算される。07 年度の所得税収 16 兆円、住民
税収 12 兆円に比べると、遺族厚生年金を課税化した場合の租税増収は微々たるもので
ある。
新たな所得税の課税対象者も、遺族年金全受給者(441 万人)の 7%の 29 万 5000 人に
限られる。つまり、課税化したとしても遺族厚生年金受給者の 93%は、公的年金等控除
と所得控除を差し引いた課税所得がゼロとなるので、結果的に非課税となる。住民税に
おいては「住民税の特例」があるため、新たな課税対象者は遺族厚生年金受給者 441 万
人の 0.7%にあたる 3 万人に過ぎない。
このように、遺族厚生年金を課税対象となる公的年金として扱ったとしても、実際の
課税対象者数は限られる。逆に言えば、遺族厚生年金の非課税化は、老齢厚生年金受給
者であれば当然租税負担をしなくてはならない額を得ている遺族厚生年金受給者に対
して、所得税・住民税を納めなくてよいというシステムを提供しており、明らかに租税
負担の公正性をゆがめている。
次に社会保障負担に対する影響を表 5 の試算結果からみると、租税収入以上に保険料
収入増加の効果の大きいことが明らかになる。遺族厚生年金を現行制度下で課税化する
表 5 遺族年金課税化の試算結果(1) 2008 年の制度下での試算
税・社会保険
所得税課税対象者
所得税額
60歳未満
7万人
2億6000万円
60歳以上65歳未満
12万5000人
17億2000万円
65歳以上
10万人
17億円
住民税課税対象者
住民税額
5000人
2億3000万円
2万人
12億6000万円
5000人
5億2000万円
国民健康保険料負担増
増額分
36万2000人
95億6000万円
28万3000人
92億9000万円
71万3000人
184億9000万円
介護保険料負担増
増額分
36万2000人
23億1000万円
28万3000人
21億8000万円
190万7000人
253億2000万円
合計
29万5000人
36億8000万円
(対象者の7%)
3万人
20億1000万円
(対象者の0.7%)
135万8000人
373億4000万円
(対象者の31%)
255万2000人
298億1000万円
(対象者の58%)
注 1)試算対象者は、07 年の遺族厚生年金受給者 441 万人である。
注 2)この試算結果の計算過程は『日本経済研究』ホームページの「データ」欄で公開されている。
36 日本経済研究 No.65,2011.7
のみで国民健康保険料収入は 373 億円、介護保険料収入は 298 億円それぞれ増加する。
保険料が高くなるのは、国民健康保険で 135 万 8000 人(31%)
、介護保険では 255 万 2000
人(58%)に及ぶ。この試算結果は、老齢厚生年金などの課税対象となる公的年金であれ
ば収入に応じて当然負担しているはずの保険料を、多数の遺族厚生年金受給者が免れて
いる現実を明らかにしている。
遺族厚生年金を課税化することによって増加する保険料収入は、各保険にとって無視
できない金額である。
07 年度の国民健康保険の介護分を除いた保険料収入は約 3 兆 5000
億円であり、遺族年金の課税化による増収分 373 億円はその約 1%に相当する。なお、介
護保険の場合、第 1 号被保険者(65 歳以上)の保険料収入のみが明確にされており、07
年度は 1 兆 3000 億円であった。遺族厚生年金を課税化した場合、65 歳以上グループの
介護保険料増収 253 億円は、第 1 号被保険者の保険料収入の 2%に相当する。
以上のように、遺族厚生年金の非課税化の効果は、所得税・住民税以上に、国民健康
保険料や介護保険料に大きく現れる。その理由は、社会保険料が所得金額と住民税額を
ベースに計算されているためであり、現行税制のもとで、遺族厚生年金が受給額にかか
わらず所得としてはゼロとみなされることの影響は大きい。社会保障制度を支える保険
料収入が税制と強く結びついていることを十分認識する必要がある。
4.2 「住民税の特例」と「寡婦・寡夫控除」を廃止した場合の試算結果
本節では、生涯独身の老齢厚生年金受給者との租税・社会保障負担の公平を図る観点
から、寡婦・寡夫に対する優遇を廃止した場合の試算を行う。まず、
「住民税の特例」
表 6 遺族厚生年金課税化の試算結果(2)
「住民税の特例」と「寡婦・寡婦控除」の廃止
税・社会保険
所得税課税対象者
所得税額
60歳未満
7万人
9億円
60歳以上65歳未満
12万5000人
30億3000万円
65歳以上
71万3000人
37億7000万円
住民税課税対象者
住民税額
7万人
27億3000万円
28万3000人
105億3000万円
71万3000人
139億6000万円
36万2000人
121億8000万円
28万3000人
155億3000万円
71万3000人
414億4000万円
36万2000人
28億1000万円
28万3000人
33億9000万円
190万7000人
440億円
国民健康保険料負担増
増額分
介護保険料負担増
増額分
合計
90万7000万人
77億円
(対象者の21%)
106万5000人
272億2000万円
(対象者の24%)
135万8000人
691億6000万円
(対象者の31%)
255万2000人
502億円
(対象者の58%)
注)表 5 と同じ。
論文:遺族厚生年金の課税化による税・社会保険料収入増の試算 37
とは、合計所得金額が 125 万円以下の寡婦・寡夫には住民税が課されないことを内容と
する。
「寡婦・寡夫控除」は寡婦と寡夫で適用条件が異なり、生涯独身の老齢年金受給
者には当然適用されない。寡婦・寡夫控除額は所得税が 27 万円、住民税は 26 万円であ
る。
住民税の特例および寡婦・寡夫控除を廃止した場合の試算結果は、表 6 としてまとめ
られる。まず、寡婦・寡夫控除(所得税)27 万円の影響は、表 5・表 6 の「所得税額」
を比較することにより明らかになる。現行制度下での課税化後における新規の所得税収
は 37 億円となるが(表 5)
、寡婦・寡夫控除の廃止を仮定した表 6 の試算結果では 77 億
円が所得税となり、遺族年金受給者全体が負担する所得税総額は 2 倍以上となる。
しかし、1 人あたり所得税が大きく増加するわけではないことに注意していただきた
い。現行税制下での課税化により所得税を支払う義務を負うのは遺族厚生年金受給者の
7%にあたる 29 万人であるが、課税化と同時に寡婦・寡夫控除を廃止した場合には、新
たな課税対象者が全受給者の 20%にあたる 91 万人となり、所得税の課税対象者数は大幅
に増加する。その結果として、所得税の負担総額が倍以上になるのである。このように、
年間 27 万円とはいえ、所得控除の一つである寡婦・寡夫控除の廃止は、課税ベースを
大きく拡大する効果がある。
次に、住民税に関しては、寡婦・寡夫控除の廃止だけではなく「住民税の特例」の廃
止を仮定して試算した。表 6 の試算結果では、住民税収が 272 億円の増加となり、表 5
の 20 億円増に比べて大幅な増加となる。特定のグループ(この場合は寡婦・寡夫)の
みを優遇する特例・控除を廃止することは負担の公正だけでなく、税収増加に大きく貢
献する。なお、遺族厚生年金受給者全体の 24%、107 万人が新たに住民税の課税対象者
となるが、1 人あたりの納税額は年間 25,000 円程度である。
さらに、表 6 に示された住民税額の拡大に伴い、所得金額と住民税額を基準として決
定される国民健康保険料・介護保険料は高くなり、保険料収入の増額分は表 5 の試算結
果よりも大幅に上昇する。国民健康保険料の増額分は 692 億円(現行税制下での課税化
では 373 億円)となり、国民健康保険料収入を 2%増加させる。介護保険料の増額分は
502 億円(同、298 億円)となり、そのうち第 1 号被保険者(65 歳以上)の増加額は 440
億円となり、07 年度の第1号被保険者の保険料収入 1 兆 3000 億円を 3.4%増加させる効
果がある。
最後に、図 1 と図 2 は、遺族厚生年金受給額階級ごとの国民健康保険料と介護保険料
を次の3つのケースで比較している。
「現在の保険料」
、
「現行制度のもとでの課税化ケー
38 日本経済研究 No.65,2011.7
図 1 遺族厚生年金受給額階級別の 1 人あたり国民健康保険料(年額,円)
250,000
205,340
200,000
158,140
150,000
138,340
122,040
112,440
102,840
100,000
86,440
65,443
50,000
38,240
38,240
14,340 14,340
14,340 14,340
14,340 14,340 14,340
0
25
75
125
175
225
25
<60歳未満>
75
125
175
225
25
75
125
<60歳~65歳未満>
現在
課税化
175
225
275
<65歳以上>
325
(万円)
寡婦に対する優遇廃止
図 2 遺族厚生年金受給額階級別の 1 人あたり介護保険料(年額,円)
90,000
79,200
80,000
70,000
66,000 66,000 66,000
60,000
50,000
39,600
40,000
29,000
30,000
25,900
26,390 26,390
22,200
19,000
20,000
9,300
10,000
3,491
3,491
25
75
9,300
3,491
3,491
0
125
175
225
<60歳未満>
25
75
125
175
225
25
<60歳~65歳未満>
現在
課税化
75
125
175
225
275
<65歳以上>
寡婦に対する優遇廃止
注)図 1、図 2 とも、数字は「寡婦に対する優遇廃止」ケース。
論文:遺族厚生年金の課税化による税・社会保険料収入増の試算 39
325
(万円)
ス(第 4.1 節)」
、
「寡婦・寡夫に対する優遇(地方税の特例と寡婦・寡夫控除)を廃止し
たケース(第 4.2 節)」である。現行制度のもとでは遺族厚生年金が非課税なので、受給
額の多寡に関わらず全員が最低限の負担となるが、課税化により、収入に応じた負担と
なる。
例えば 65 歳以上グループの国民健康保険料は全員が 14,340 円であったものが、課税
化と寡婦・寡夫に対する優遇を廃止すると、遺族厚生年金受給額に応じた保険料となり、
受給額 175 万円であれば 65,443 円、受給額 225 万円であれば 112,440 円と現在の 8 倍
の保険料となる(図 1)
。介護保険料についても、第1号被保険者の介護保険料は、現在
は全員が 26,390 円となっているが、課税化と寡婦に対する優遇の廃止で、受給額 125
万円で 39,600 円、受給額 175 万円で 66,000 円など、保険料は大幅に増加する(図 2)
。
なお、図 1 と図 2 のもとになる年齢階級、遺族厚生年金額階級ごとの国民健康保険料
および介護保険料の試算過程と試算結果は、本稿の補論(
『日本経済研究』ホームペー
ジの「データ」欄)の付表 5 および付表 7 として報告されている。
5. まとめ
本論文では、現在非課税の遺族厚生年金課税化の試算を行った。ただし、本試算では
簡単化のための仮定が多く、より現実的な仮定に置き換えることは今後の課題である。
特に重要なのは、基礎年金を考慮していないこと、後期高齢者医療制度の導入を考慮し
ていないこと、単身者世帯の仮定などである。本論文における試算の仮定は 3 節で詳細
に述べられており、試算過程は『日本経済研究』ホームページの「データ」欄で公開さ
れているので、仮定の妥当性を勘案しながら、試算結果を見ていただきたい。
本論文における第 1 の貢献は、特定の所得の非課税化を廃止し、税負担の公正性を取
り戻すことが、税収だけでなく、社会保険料増収にも貢献することを具体的な試算によ
り明らかにした点である。現行の租税制度のもとで遺族厚生年金を課税化するだけでも、
所得税収 37 億円、住民税収 20 億円が新たに生まれるだけでなく、国民健康保険料、介
護保険料の増収はそれぞれ 373 億円、298 億円にもなる。遺族厚生年金総額 4.5 兆円を
課税ベースに取り込むことは、税収の増加以上に社会保険財政の改善につながる(表 5)
。
第 2 の貢献は、特定所得の非課税化や特定グループに対する税制上の優遇(控除・特
例)が、社会保険料負担の公正をいかにゆがめているのかを明らかにしたことである。
社会保険料は、所得金額と住民税額によって決定されるために、受給額の多寡にかかわ
らず自動的に所得ゼロとみなされる遺族厚生年金受給者の社会保険料負担は最低限の
40 日本経済研究 No.65,2011.7
ものとなる。収入に応じた負担を免れている遺族厚生年金受給者数は、国民健康保険で
136 万人(31%)
、介護保険で 255 万人(58%)と非常に高い割合を占めることは重要な発
見である(表 5・表 6)
。租税負担の公正が、社会保険料負担の公正と保険収支の改善に
つながるのである。
なお、所得階級別の税・社会保険料負担の詳細な分析結果は、
『日本経済研究』ホー
ムページの「データ」ファイルの付表に示されている(社会保険料負担に関しては、本
文中の図 1 および図 2 も参照)。
第 3 の貢献は、特例や所得控除の効果の大きさを数字で示した点である。第 4.2 節で
論じたように、
「寡婦・寡夫控除」は 27 万円であるが、その廃止は所得税の課税ベース
を 2 倍以上拡大する。さらに、表 5 と表 6 の住民税額を比較することにより、寡婦・寡
夫控除に加えて、住民税だけに存在する寡婦・寡夫に対する優遇である「住民税の特例」
を廃止すれば、新たな住民税収は 20 億円から 270 億円へと大幅に増加することが明ら
かにされた。以上の分析結果から、特定のグループを優遇する特例・控除が課税ベース
の縮小と社会保険料収入の大幅な減収をもたらしていることが明らかになる。
税制上の控除項目・特例は一貫して増加しており、所得税に限定しても控除項目は 20
以上にのぼる。特定の所得や特定のグループを優遇する特例・控除は租税制度を複雑化
し、租税負担の公正をゆがめるだけでなく課税ベースを縮小させ、社会保険財政を悪化
させる。役目を終えた控除・特例の整理・廃止が必要であろう。
以上のように、本論文の試算結果は、大きな経済成長を望めない社会で、特定の収入
源の非課税化あるいは特定グループの優遇(控除・特例)により生じる税・社会保険料
負担の不公正を放置することは許されないことを示唆する。
最後に、筆者らは本試算の過程で、遺族厚生年金(および遺族共済年金制度)自体が
本当に必要な制度なのかという点を再検討する必要性を強く感じた。遺族厚生年金の受
給者が厚生年金受給者の 4 人に 1 人を占める状況は異様であり、子の有無や年齢に関わ
らず終身受給できる遺族厚生年金制度は女性の就業機会が乏しかった時代の産物であ
ろう。厚生年金財政健全化のためにも、遺族厚生年金も基礎遺族年金と同様、18 歳未満
の子あるいは 18 歳未満の子を持つ寡婦・寡夫に支給対象を限定するような制度変更が
必要であろう5。
5
遺族基礎年金受給者は、18 歳未満の子あるいは 18 歳未満の子を持つ寡婦・寡夫に限られるために、基礎年金
受給者の 1%となっている。
論文:遺族厚生年金の課税化による税・社会保険料収入増の試算 41
参考文献
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下野恵子(1998)
『公的年金と租税制度の統合-最終報告-』名古屋市立大学経済学部附属経済研究
所、研究プロジェクト報告書.
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度修士論文,名古屋市立大学大学院経済学研究科.
田近栄治・古谷泉生(2005)
「年金課税の実態と改革のマイクロ・シミュレーション分析」
、
『経済
研究』
、56(4),304-316.
八田達夫・木村陽子(1994)
「公的年金は、専業主婦世帯を優遇している」
、
『季刊社会保障研究』
、
29(3), 210-221.
吉原健二(2004)『わが国の公的年金制度』中央法規.
42 日本経済研究 No.65,2011.7
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