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放牧の環境影響,多面的機能,家畜福祉及び経済的評価
放牧の展開に向けて-都府県で放牧を推進するための提言畜産草地研究所資料(平 16-11) 2005 年 3 月 (抜粋) (注)本報告書は第二期の中期計画(2006年∼)に向けて、今後の放牧研究のあり方について旧放 牧管理部、旧山地畜産研究部、旧草地生態部が検討した結果をまとめたものです。その内の草地の多面 的機能研究にかかわる部分を抜粋して掲載しました。 第Ⅳ章 放牧の環境影響,多面的機能,家畜福祉及び経済的評価 1.放牧を支える研究 2)環境影響評価と多面的機能に係わる研究 近年企業の社会的責任(CSR, Corporate Social Responsibility)が重視されるようになり,利潤追 求だけでなく,環境対策などの社会的貢献もその企業や製品に対する消費者の評価や選択基準になって きている。農業またその一員である畜産業も環境に対する配慮なしに生産を行うことは出来ない時代に なっている。2004 年 11 月には家畜排泄物の適正管理や利用促進に関する法律をはじめとして,いわゆ る環境三法が施行されている。新しい食料・農業・農村基本法でも環境・資源保全は,担い手育成,経 営安定政策と並んで政策の主要な柱の一つに据えられている(農林水産省 2005) 。農業としての放牧は 草地生態系を利用しているため,環境に対する負荷や汚染と言った負の面を持つだけでなく,景観や自 然を保全するという正の面も併せ持っている(環境に対する二面性) 。放牧は環境に対して窒素やリン の負荷を与えたり,病原菌で水を汚染したり,病害虫の発生源になる可能性がある。これらの負の要因 は「汚染者負担の原則」や環境意識の浸透により放牧の継続を困難にする。一方放牧を行うことにより, 美しい農村景観・草地景観の提供(Ⅳ-3.-1)参照) ,生物や生態系の保全(Ⅳ-3.-2)参照) ,土壌 や水の保全(Ⅳ-3.-3)と4)参照) ,さらに炭素やメタンの吸収源として温暖化防止(Ⅳ-3.-5) 参照)にも貢献できる(農業・農村の公益的機能) 。一般国民や消費者も農業に対してこうした公益的 機能,とりわけ生物・生態系・景観保全機能や水資源保全機能を重視している(図1,吉田 1998) 。こ れからの放牧にはこうした環境に対する負の効果を回避し,一方多面的機能で代表される正の効果を向 上させることが求められ,これに関する研究が必要である。 日本の草地は以前は国土面積の1割程度を占めていたと言われるが,有畜農業の衰退や農村の近代化 などにより里山を構成していた草地などが消失し,現在では3%程度にまで減少している。また火入れ や放牧の衰退で管理の行き届かない草地も増えている。これらの草地には草地に依存した固有の生物が 多数生息しているが(高橋・中越 1999;井村・時 2004;時・井村 2004:Tsukada et al.2004) ,草地の 衰退と共に多くの草原性の植物や動物が減少や絶滅の道を歩んでいる。放牧はこれらの生物種を保全す ることにも貢献出来るはずだが,家畜の生産と多様性保全の整合性のある放牧管理手法についての具体 的な研究はほとんど未着手である(井村・時 2004;時・井村 2004:Tsukada et al.2004) 。 温暖化防止の枠組みを決める京都議定書が発効し,我が国は温室効果ガス排出量を 2008∼2012 年の間 に 1990 年比で 6%削減することが義務付けられている。世界の草地生態系の土壌炭素蓄積量は 200∼300 ギガトンと推定され,その量は森林生態系に匹敵すると言われる(小泉ら 2000) 。地球温暖化防止のた めにも草地を維持することは欠かせない。我が国の放牧草地における温室効果ガス(二酸化炭素,メタ ン,亜酸化窒素など)の収支を科学的に明らかにする研究が必要である。草地の収支がマイナスと評価 されれば次期枠組みで削減率に貢献することも可能であろう。 我が国では,サルモネラ菌,O-157,BSE,無認可添加物,鳥インフルエンザなど畜産物をめぐる 問題が続発し,消費者の畜産物に対する安全性の要求が高まっている。世界的にも安全な食品と環境に 優しい農業を求める動きとして有機食品の市場規模が拡大している(松木・松永 2004) 。EU の共通農 業政策では,生物多様性の保全や環境保護と食の安全性を重視する方向を明確に打ち出すようになった (嘉田 1990) 。米国も 1990 年農業法以来,有機農業への政策転換が進んでいる(中村 1992) 。こうした 動きから,2001 年の FAO/WHO の合同食品規格部会(CODEX)による有機畜産のガイドラインでは,生物 多様性の保全や家畜福祉(Ⅳ-4.)参照)は有機畜産において考慮すべき要件となっている(FAO/WHO 2001)。 0.2 重要度 0.15 0.1 0.05 他 の そ 防 止 浄 化 壌 浸 食 土 大 気 浄 化 水 質 涵 養 水 保 全 景 観 生 物 ・生 態 系 保 全 0 図1 一般市民アンケートによる農業・農村の公益機能別重要度(吉田 1998 より作成) 中山間地の衰退の要因の一つに獣害が挙げられる。獣害を防ぐために耕作放棄地に家畜を放して荒れ 地をなくすことが提案されており(江口 2001) ,獣害防除からの放牧研究が必要である(Ⅳ-3.-2) 参照) 。 3)総合的評価 国産の畜産物は価格だけから見ると輸入畜産物に対して割高であることは否めない(図2) 。品質や 安全性は価格に反映出来るが,放牧の持つ生物・環境・水資源・景観保全などの多面的機能(環境便益) は価格には直接反映されない(外部経済) 。これらの農業の公益的機能を直接支払い制度で補填する政 策が新農政で実施されるが,財政支援のためには放牧の持つ多面的機能と環境に与える負の効果(外部 不経済)を総合的に評価する研究が求められる(Ⅳ-5.参照) 。環境を経済的に評価する様々な方法が これまでに開発されている(ジョン・ディクソンら 1991) 。 600 通常価格 500 特売価格 円/100g 400 300 200 100 0 国産(和牛) 国産(その他) 豪州 米国 図2. 牛かた肉の国産および輸入肉の価格比較(平 9 年∼13 年平均). 放牧は環境を保全しながら持続的に人類に食料を供給する未来産業である。それには放牧が環境に貢 献するための研究を蓄積していく必要がある。 引用文献 江口祐輔(2001)イノシシの行動と能力を知る. 高橋春成編. イノシシと人間. 古今書院, 東京, p 171-199 井村 治・時 坤(2004)草原性チョウ類から見た草地の生物多様性保全の問題点. 農業および園芸 79:352-357. 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Grassland Science 50: 329-335 吉田謙太郎(1998)農山村の保健休養機能の経済的評価. 農林水産省,国土庁,環境庁,日本学術会 議関係研究連絡委員会(監修). 農業・農村と環境. 養賢堂,東京,p 74-79 (井村 治) 3.放牧の多面的機能の評価 1)景観の保全,保健休養機能 (1)これまでの取り組み 広々とした草地で家畜がゆったりと草を噛む景観は,多くの牧場来訪者がその来訪目的とする重要な 要素であると考えられ,近年のふれあい牧場の増加は,このことを如実に示している(日本草地畜産協 会 1997)。ふれあい牧場としての機能を付加するかしないかに関わらず,草地とくに放牧地をもつ牧場 のほとんどには,都市住民にとって価値のある草地資源をはじめからもっているといっても過言ではな い。それを利用するかしないかは,経営者の判断にゆだねられるが,潜在的な景観資源は公共の資源と して生かすべきであるという意識も重要であろう。 草地景観によって来訪者の気分が爽快になることが,牧場や周辺地域の活性化にどれほど役に立つの かは,正確な数値に直すことができない(日本草地畜産協会 1999)が,夏の暑い日に家族や知人とど こかに行こうと思った時に,その候補地として想起されれば,それだけで社会的な価値が1つ認められ たことになり,ある程度の経済効果も期待できる。 以上のような潜在的な草地資源の中から,来訪者にとっても意味のある,魅力的な景観資源としてそ の機能を十分に発揮させるためには,あらかじめ十分に調査および評価する必要がある。そこで,どの ような方法が適用できるかについて,まず拠点となる領域の選定基準について,次に個別の景観の改善 方策について以下に述べる。 ・拠点領域の設定 草地景観を来訪者に効果的に提供するためには,来訪者の移動経路を結ぶ動線と,草地に存在する景 観資源を有機的に結びつける必要がある。来訪者は多くの場合,自家用車やバスを利用して来訪するの で,外部道路から場内道路を経由して駐車場で下車することになる。下車するまでに,ある程度の草地 景観を提供できれば,来訪者の期待に添うことになる可能性が高い。したがって,来訪者を迎え入れる ために牧場の全体を変更する必要はない。実際に,長期滞在する場合を除けば,広大な牧場のすべての 機能を来訪者が享受することは不可能に近い。牧場全体としてふれあい牧場である場合でも,売店や食 堂などの拠点となるゾーンが必要であり,そのゾーンの選定基準として草地景観の質は重要な意味を持 つ。したがって駐車スペースや広場など,最初に立ち寄る場所が拠点となり,その場所周辺で良好な草 地景観を眺望できるようにする必要がある。そのための指標として,草地の広がりと奥行き(菅野ら 1998),見晴らし(山本ら 1996; 佐々木ら 1998),景観内草地面積・景観内土地利用多様性・景観内地形 多様性(佐々木ら 1999)などが利用できる。放牧による遠景(山)−中景(草地)−近景(家畜)の組み 合わせが重要である。 ・景観の改善 草地景観を提供するための拠点が定まっても,周辺に既存の施設がある場合には,景観シミュレーシ ョン画像と実際に見える景観が異なる。このような場合には,特定の地点からの景観が問題となること が多いので,景観を部分的に改善するためにフォトモンタージュによる事前評価を用いることができる (堀ら 1997; 佐々木 2000)。この手法は,近年ではパーソナルコンピュータによって容易になったため広 く用いられているが,そもそもは加納ら(1988)による事前評価が先駆的事例である。この事例では,建 物や牧柵の好まれる形状や色を決定する際に,他の景観構成要素の条件を同一にする必要があったため, フォトモンタージュにより評価対象物だけを入れ替えて評価した。本稿で扱うのは,現状の写真を用い, これをどのように変更するとどのような景観となるかを事前に確認する目的で用いる。基本的には「雑 然」を「整然」に変えることを考え,悪い印象を与える物に対しては,移動できる場合には片付け,で きない場合には色を変えてみるとか,樹木等で隠すことで対処できる。全体を隠せない場合には,人工 構造物の縦の直線を樹木に置き換えるようにする。 (2)研究の方向性 ・基本的視点 環境保全が保障されずには畜産業は成立しない。またその中の草地である以上,優先順位は①環境保 全 ②生産 ③景観となる。これを踏まえて景観評価・改善を図る必要がある。経営として成立すれば, 畜産業だけで生活していかなくてもよい。農地が荒廃して放棄林(雑木林)にならないように,草地と して一定レベルの生産量を維持することが大切である。そのためには過去の生産追求型では無理がある。 放牧には草地管理を兼ねるメリットがある。 牧場来訪者の来訪目的が多様化・高度化してきている。畜産をとりまくさまざまな問題への対応とし て,消費者主導の国民に畜産現場を公開・説明し,理解してもらう必要がある。同じことをしていても, その場の雰囲気がいいか悪いかで,来訪者のとらえ方は大きく異なる。印象の悪い物については,きち んと説明する必要がある。 ・今後の方向 牧場のふれあい機能を積極的に提供する牧場として, 「ふれあい牧場協議会」の会員約 50 牧場, 「地 域交流牧場全国連絡会」の会員約 200 牧場があり,さまざまなサービスを提供している。一方,近年「体 験」に対する需要が高まっている(中央畜産会 2005)。表1は体験を提供する牧場に,その目的を回答し てもらった結果で, 「家畜や自然とのふれあい」が最も多い。 表1.牧場側からみた体験活動の目的(中央畜産会 2005). 家畜や 生産者 生産現場 いのちの 自然との 食の学習 との の学習 学習 ふれあい ふれあい 件数 114 85 52 88 57 割合(%) 66 49 30 51 33 その他 11 6 計 407 有効回答数 173 牧場,複数回答可 ところが現実には,体験項目の多くは,乳搾りやバター作りなど,牛舎や室内での体験となっている。 ふれあい機能を提供している牧場すべてが放牧を行っているわけではないが,放牧地での体験項目とい ってもなかなか思いつかない。放牧地が提供するふれあい機能として,単に牧場で散策したりのんびり するだけではなく,最近需要の高まっている「体験」に対して何らかの対応が必要であると思われる。 また,放牧とは関係ない,観光だけを目的とする牧場との差別化も図っていく必要がある。 これまでのふれあい牧場では,駐車場があり,駐車場を中心として歩ける範囲に施設が集中していた。 そのため,放牧家畜を見たくても近くに放牧されていないか,いても見せ物として数頭いるだけの場合 が多い。シバ草地の定置放牧なら可能だが,それでも放牧頭数が少なくなってしまう。まず始めに「牛 を見に来たのにどこにどうやって行けばいいのかわからない」という来訪者の希望をかなえることを考 える。これまでは遊歩道の設置が考えられたが,放牧しているところまで駐車場からどれだけ遠いかわ からない(日によって違う)ため,有効利用されているとはいえない。 以上のことから,徒歩だけでなく,自転車,自動車,マイクロバス等による巡回体験コースの設定に ついて,検討する余地がある。業務上支障の出ない範囲でこれを実現するにはどうするか。来訪者を放 牧地に導いてから,何をどのように体験してもらうかについても検討課題である。 引用文献 堀 繁・斎藤 馨・下村彰男・香川隆英(1997)フォレストスケープ.全国林業改良普及協会, p 1-191 菅野 勉・福山正隆・奥 俊樹・長町三生・千枝健一(1998)樹林帯で囲まれた草地の大きさと広がり 感との関係.日草誌 44: 177-178 加納春平・前野休明・鈴木慎二郎(1988)保養機能向上のための牧場の設計と配置.国土資源報告書(第 4集): 63-66 佐々木寛幸・柴田昇平・吉田信威(1998)草地における展望施設の配置計画決定支援システムの開発 1. 被視頻度を用いた景観評価サブシステムの開発とその適用性の検討.日草誌 44: 142-147 佐々木寛幸・小路 敦(1999)草地における展望施設の配置計画決定支援システムの開発 3.景観多様 性評価のための機能の追加と市販ソフトウェアの同時利用による Windows95 版システムの高度化.日 草誌 45: 82-87 佐々木寛幸(2000)景観評価に基づく草地計画法.関草研 24(1): 17-20 山本由紀代・須山哲男・小路 敦(1996)地理情報システムを用いた地形解析による景観評価 1.景観 解折のための地図データベースの構築とその適用.日草誌 42: 260-266 (社)中央畜産会(2005)畜産ふれあい体験交流施設の生産加工体験実態調査報告書.p1-41. (財)日本草地畜産協会 (1997) ふれあい牧場整備の手引. p 1-127 (財)日本草地畜産協会 (1999) ふれあい牧場と地域活性化効果. p 1-80 (佐々木寛幸) 2)生物多様性保全機能(獣害防止含む) (1) 生物多様性の重要性 生物多様性とは,遺伝子,種,群集,生態系のそれぞれの階層において多様な生き物が存在している ことを表し,人間を含むすべての生き物が現状を維持する上で無視できない重要な概念と位置づけられ る。わが国は地球サミットで採択された「生物多様性条約」を 1993 年に批准し,1995 年に国内法とし て「生物多様性国家戦略」を策定後,2002 年には「新・生物多様性国家戦略」へと改訂している。そこ では,1)地域固有の生物多様性の保全,2)絶滅の回避,3)持続的な利用が,主たる目標として掲 げられている(環境省自然環境局 2002) 。農林水産省でも「食料・農業・農村基本法」の下で環境保全 型農業を推進し,農業と生物多様性との調和に向けた取り組みが行われている。したがって,放牧が生 物多様性に及ぼす影響について研究を進める必要がある。 (2) 放牧と生物多様性との係わり わが国は温暖湿潤な気候から森林が極相群落となり,一部の地域を除いて自然草原が成立しない。そ のため,わが国の草地の大半は放牧,採草,火入れといった人為的要因によって維持されてきた。一般 に非平衡状態にある生物群集では,中程度の攪乱により種の多様性が高まると理論的に予測されており (中規模攪乱説:Connell 1978),適度な放牧は実際に採食,踏みつけ,排糞などを通じ,草地の生物多 様性に正の効果をもたらす(Collins et al. 1998; Takahashi and Naito 2001) 。ただし,過度の放牧は多くの生 物相や環境に負の効果を生むため(Fleischner 1994; White et al. 2000; 山本 2001b) ,放牧圧のバランスは生 物多様性を維持する上で重要である。 (3) 放牧地(草地)における生物多様性の現状 長期に渡って維持されてきた草原環境は様々な動植物の生息地となり(口絵 11 参照) ,わが国の生物 多様性を形成する上で重要な役割を果たしてきた。半自然草地の代表的な植生として,ススキ,ササ, ネザサ,シバ型草地が挙げられる(西村ら 2001) 。これらの植生には,地域や利用法によって異なる多 様な随伴種が出現する。また,放牧により保全できる稀少植物種もいくつか報告されている(内藤・高 橋 2002) 。 近年,これらの草原性植物の存続が危ぶまれつつある。近畿地域,神奈川県,愛知県の地域ごとのレ ッドデータを草地,森林や海浜などの生息環境毎に比較した研究では,13-15%を草地性の植物が占めて おり,草地において絶滅の高危険度種の割合が生息環境別の平均よりも高いことが示された(藤井 1999) 。 草地性植物の減少に関わる原因としては,生息環境の住宅地への改変,中山間地での耕作放棄に伴う草 地の減少などが考えられている。 動物については,チョウ,鳥,などで草地性の種における生息状況の悪化が指摘されている。わが国 原産のチョウ類 236 種のうち 97 種(41.4%)が草原や草地的環境を利用する草原性の種に分類されるが, これらの種の中には絶滅が危ぶまれているものもあり,環境省のレッドリストに掲載されたチョウの内, 草原性の種は 62.9%を占める(井村・時 2004) 。チョウ類の減少を招いた要因には,既存草地の改廃と 不十分な管理や放棄,野草地(半自然草地)の人工草地化などが挙げられる。わが国の草地には 13 目 26 科 86 種の鳥類が生息するが,これはわが国全土に生息する鳥の 22%を占め,このうち 7 目 14 科 37 種については草地で繁殖する(時・井村 2004) 。さらに,主な草原性鳥類 10 種のうち,6 種が国および 25 都道府県のレッドデータにリストアップされ,とくにオオセッカとシマアオジは分布が限られている ためにその存続が危ぶまれている(時・井村 2004) 。一方,わが国原産の哺乳類の中で草原に適応した と考えられる種はカヤネズミやハタネズミなど少数だが,草地を生息地の一部に含む種は全体の半数程 度を占める(塚田 2004) 。カヤネズミについては,16 都府県でレッドデータの記載種にリストアップさ れ,主要な生息環境の悪化が指摘されている(全国カヤネズミ・ネットワーク 2002) 。 (4) 草地の荒廃・林地化,獣害の増加 わが国における社会・経済構造の急激な変化は,わが国の景観にも大きな変化を及ぼし,戦前には国 土の約 10%を占めていたと考えられる草原的景観(荒れ地として分類される)が,今日では約 3%程度 にまで大きく減少した(小路 1999) 。明治期の古地図を解析した研究から,その当時,平野部の農業地 帯の 21%を草地が占めており(スプレイグ 2003) ,草地は林地とともに自給肥料の供給地として利用さ れていたと考えられる(スプレイグら 2000) 。ところが,1950 年代を境に里地のランドスケープ構造が 大きく変化し,採草等によって維持・管理されてきた草地が管理放棄による遷移の進行や植林によって 林地化し,その面積が大きく減少した(山本 2001a) 。同様の傾向は,東北地域(氷見山・本松 1994) , 島根県三瓶山地域(小路ら 1995) ,埼玉県内の丘陵地や低山地域(田村 1994) ,大阪平野南部地域(山戸 ら 2001)などのよりミクロな地域レベルでも認められる。 さらに近年では,上述した里山管理の変化(自然林の人工林化,里山利用の減少,耕作放棄地の発生 など)を背景に,野生動物の生息域と人の生活圏とを分かつ緩衝地帯として里山の機能が弱まり,耕作 放棄地を中心としてサルやイノシシなどによる利用が進み, 獣害発生の温床と化している (寺本 1994; 千 田ら 2002) 。環境省による分布調査では,主たる加害種であるサル,イノシシ,シカのいずれの動物に おいても 20 年前と比較して分布域が拡大している(自然環境研究センター2004) 。 (5) 生物多様性保全に向けての課題 ① 問題の抽出 草地の生物多様性の現状を考えると,実態把握と保全対策の策定をできるだけ速やかに行う必要があ る。わが国は多様な環境から成るため,環境毎に実態把握が必要であり,そのためのモニタリングには 多大な労力を要する。このことから,特定の種や分類群で全体を代表させる,特定の環境要素の組み合 わせで代表させるなど,より簡便な多様性モニタリングの手法開発が必要である(Duelli and Obrist 2003) 。 多様性の評価には様々な方法があり,これらと併せて草地性の各生物群に適した方法の開発が望まれる。 一方,草地の利用法と多様性との関係についてはいくつかの研究が行われているが,それらの多くは短 期的な観測によるものであり,長期的な変化には不明な点も多い(坂上 2001;内藤・高橋 2002) 。したが って,多様性の長期観測の継続および体制の強化が望まれる。 ② 具体的保全手法に関わる研究 放牧を用いた半自然草地の保全について,研究あるいは実際の取り組みが行われつつあり(内藤・高 橋 2002),さらなる継続および発展が望まれる。また,放牧圧やその時期,畜種あるいは家畜の大きさ などを含む草地管理法が,生物多様性に及ぼす影響については不明な点が多く(福田 2001; 山本 2001b; Rook et al. 2004),解明されるべき課題と考えられる。一方,放牧のみによる草地管理では樹木の侵入を 制御することが困難であり(坂上 2001),長期的に半自然草地の維持するためには伐採や火入れなどを 行う必要がある(山内・高橋 2002)。したがって,半自然草地保全を目指した技術開発は,必ずしも放牧 だけでなく,採草や火入れおよびそれらと放牧の組み合わせを用いた手法の研究も必要である(大窪 2002; 津田ら 2002; 高橋 2004)。 中山間地の耕作放棄地で放牧する事により,獣害の回避,景観の改善,地域振興などに役立てる事が できる(千田ら 2002; 上田 2003; 宮崎 2004) 。放牧導入の際に必要な放牧管理技術の基本要素は小規模移 動放牧用に開発されたものが応用可能と考えられる(山地畜産研究部山地畜産研究チーム 2002)。今後の 課題としては,放牧による獣害回避効果を対象種,実施場所等の条件を変えて検証し,普遍的獣害回避 技術として推奨をできるかをチェックすることが必要だろう。 草地の生物多様性は,草地以外の周辺環境との相互作用を通じて維持されている(Benton et al. 2003; 夏 原 2003) 。そのため,草地の生物多様性を良好に維持する上さらに広域の地理的スケールでの土地管理 システムを構築する必要がある。どの程度の地理的スケールが多様性の保全に重要か,どのような環境 要素を組み合わせるべきか,その配置や大きさどのようにデザインすべきか,保全生物学分野で研究さ れてきた知見を応用し(鷲谷・矢原 1996; Pullin 2002) ,実地で検証していく必要がある。その際,GIS を活用したモデル化やシミュレーションが有効であろう。 ③ 生物多様性の社会・経済学的評価 生物多様性を保全する上で,行政からの制度的・資金的援助や NGO 等の社会的活動,さらには消費 者による賛助制度の利用などは重要な役割を果たす。これらの社会的・経済的活動を活性化する上で, 生物多様性自体の社会的・経済的価値を評価・提示することは重要である。例えば森林では野生鳥獣の 保護機能が代替法によって推定され,3 兆 7800 億円の評価額が提示されている(長崎屋 2001) 。また, 小路ら(1999)は仮想評価法(CVM)を用いて草地景観の経済評価を行っている。さらに寺脇(2002) は,農業の生物多様性保全機能をアメニティ機能(景観形成機能とレクリエーション機会提供機能) , 情操教育環境提供機能,生物資源保存機能に整理し,CVM 法の適用可能性を検討している。草地の生 物多様性に対しても同様の手法が適用できる。今後,それぞれの機能に対する実際の効果を評価するこ とも視野に入れる必要がある。さらに,中山間地域生物多様性保全を直接支払い制度の対象とすること を想定し,基準の根拠となるデータ収集に取り込む必要がある。 (Ⅳ-5.も参照のこと。 ) 引用文献 Benton TG, Vickery JA, Wilson JD (2003) Farmland biodiversity: is habitat heterogeneity the key? 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(2002),Erskine et al. (2003)をもとに作成) タバコ畑 裸地 10 1 0.1 0 100 200 300 期間降雨量 (mm) 400 図4 期間降雨量と土砂流出量 の関係 (藤田ら,1987より作成) (2)傾斜放牧草地における土壌保全機能低下の要因 放牧草地における土壌保全機能低下の要因としては、草地管理や家畜管理の不良などが 挙げられるが、大きな要因の一つとして家畜による草地面の踏圧現象が考えられる。家畜 踏圧は、表層土壌の緻密化、土壌硬度の増大および植生剥離による裸地化などを引き起こ す原因となる。土壌の緻密化・硬度増加は、雨水の地中浸入能を低下させ、結果的に表面 流の発生を促進し、土壌侵食へのリスクを増加させる。これらの現象が放牧草地内で生起 するとすれば、放牧によって草地の土壌保全機能は、少なからず低下することとなる。牧 区において家畜を入退牧させる箇所の周辺部、牧柵沿いおよび飲水・休息場付近では、裸 地化が進行し、土壌侵食を誘発する大きな原因となる。また、牧区内に形成される牛道網 は、草地地形によっては雨水の集中化を招き、土壌保全機能を大幅に低下させる危険性を 有する。 (3)土壌保全機能の評価・維持・向上に関する今後の課題と研究の方向性 ①草地における降雨流出量および土壌侵食・流亡量の評価技術 草地の土壌保全機能の評価ならびに機能の維持・向上技術を開発するためには、草地か らの降雨流出量や土壌侵食・流亡量を的確に把握・評価する技術の確立が不可欠である。 前述のように、草地における降雨流出や土壌侵食に関する研究は国内外で多く行われ、 特に国外では、それらの定量的評価に関する研究蓄積が多い。草地からの降雨流出量につ いては、これまで水文学的な検討が数多く行われてきたが、現状では現象を的確に予測・ 評価するに至っていない。草地における土壌侵食量および土壌流亡量については、国内で はその予測手法として従来 USLE(Universal Soil Loss Equation; Wischmeier et al. 1978)式が広 く用いられてきた。しかし USLE 式は、対象草地内での侵食土壌の堆積過程などが考慮さ れていないため、中・大規模草地や草地流域からの土壌流亡量予測に利用することは不適 当である。 近 年 、 米 国 や 英 国 を 中 心 に 、 概 念 的 モ デ ル (conceptual model) や 物 理 的 モ デ ル (physically-based model)と呼ば 表1 土壌侵食・流亡量予測のための概念的・ れるモデルが数多く開発されて 物理的モデルの一例(Jetten et al ., 2003より抜粋) モ デ ル 名 開発者 いる。その一例を表 1 に示す。 Beasley et al . (1980) ANSWERS Areal non-point source watershed environmental response simulation 中でも WEPP モデルは代表的な Chemicals, runoff and erosion from CREAMS Knisel (1991) agricultural management systems physically-based model である。こ EROSION3D 3D erosion model Schmidt et al . (1999) EUROSEM European soil erosion model Morgan et al . (1998) のモデルは現在、世界的にその KINEROS2 Kinematic runoff and erosion model Smith et al . (1995) WEPP Water erosion prediction project Flanagan et al . (2001) 適用性などが検討されている が、データベースの使用限界や 予測精度の問題などが指摘されている。国内では最近、このモデル適用研究が始まったば かりで、草地に対する適用事例はない。今後、これら既存モデルの放牧草地への適用性に ついての検討が必要となろう。 physically-based model の利点は、降雨流出や土壌流亡過程を圃場内だけでなく流域レベル でも追跡可能なことである。また、土壌保全策の物理モデルを開発し、モデルに組み込む ことにより、単に対象領域の土壌流亡量などの評価だけでなく、最適な保全策を模索する ための保全計画ツールを構築することも可能である。放牧草地の場合は、牧柵等各種施設 の配置、家畜の行動やそれに伴う植生・土壌への影響、またそれらが降雨・土壌流出に及 ぼす影響などをモデル化することにより、汎用性のある草地保全評価法が開発されると考 えられる。また、放牧草地からの降雨流出や土壌流亡は、家畜ふん尿由来の負荷流出と連 動する現象であり、いわゆる面源負荷の評価は、流域の環境保全上極めて重要な課題であ る。現状では、まず負荷流出の実態・メカニズムの解明研究に取り組むことが重要である。 草地からの負荷流出の評価手法を開発し、それらを上記のモデルと組み合わせることによ り、 草地流域における環境保全全般に渡る幅広いモデルへと進化させることも可能である。 今後、このような評価モデルの開発に向けての枠組みを早期に構築し、既存のモデルの適 用性等も検討しつつ、モデル要素となる個別現象の解明と評価手法の開発に関する研究を 進める必要がある。 ②土壌保全機能の維持・向上技術 降雨流出・土壌侵食抑制技術については、主として普通畑を対象に、様々な農法的・工 学的保全技術が開発されている。これらは国外で開発されたものが大半で、国内ではこれ らの内ほんの一部が導入されているにすぎない。工学的手法は土木的な対策であるため、 地目を問わず適用可能であるが、コストや導入に伴う営農障害などを勘案すると、草地に 導入できる技術には限界がある。農法的手法も一般に普通畑で用いられるものが多く、す べてがそのまま草地に適用できるわけではない。したがって、放牧草地への各種保全技術 の適用性や放牧草地に適した新たな保全技術についての検討が必要である。 また、前述したように、放牧草地では家畜行動による土壌への影響が土壌保全上大きな 問題である。Greenwood et al.(2001)は、放牧が土壌特性や植生に与える影響に関する従来 の研究をレビューし、放牧に伴う悪影響を最小にする家畜管理に対する実用的指針開発の 重要性を示した。とくに土壌泥ねい化防止技術の開発が注目されており、今後の放牧地管 理技術に関する有益な情報である。また、Elliot et al.(2002)は家畜踏圧が草地面の土壌侵食 に及ぼす影響について、図 5 のような概念図によって現象の相互関係を示した。国内では、 放牧に伴う家畜踏圧が土壌や植生に与える影響の 解明や草地劣化対策に関連した研究が極めて少な い。傾斜地を放牧利用する場面が多い我が国にと って、 これらの研究を積極的に進める必要がある。 以上、いくつかの視点から土壌保全機能に関係 する今後の研究的課題を述べたが、ここに記述し きれなかった研究問題も多く存在し、それらの解 決に向けた研究も不可欠である。 ここで述べた土壌保全機能に関わる単独・個別 踏圧の期間,時期,密度 傾斜, 地形 植生,裸地, 根群 土壌の剥離と堆積 土壌の受食性,排水 特性,粗度,輸送性 降 雨 流出 インタリル侵食に対する 踏圧の影響 の技術開発はむろん重要である。しかし、土壌保 図5 家畜踏圧がインタリル(リル間地)侵食 に及ぼす影響の概念図(Elliot et al. , 2002) 全機能の維持・向上技術の開発は、単に降雨流出 や土壌侵食を制御することで達成できるものではなく、草地管理、家畜飼養などの放牧管 理技術と土壌保全機能以外の環境保全機能との調和の中で総合的・システム的に検討され る必要がある。 引用文献 Erskine WD, Mahmoudzadeh A, Browning CM, Myers C (2003) Sediment yields and soil loss rates from different land uses on Triassic shales in western Sydney, NSW. 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(1993) は,土壌中のメタン酸化を制御する要因を図1,2のように提案している。 放牧は,踏圧による土壌物理性の変化,排泄物の還元様式の変化,草地植生の変化を介し,土壌の物理・ 化学・生物性を変化させ,草地生態系における炭素や窒素の動態に大きな影響を及ぼす。草地生態系は, 好気的土壌と嫌気的土壌の境界領域に立地することが多いため,研究を進める上で,メタン生成とメタ ン酸化の両者を考慮することも重要である。草地生態系におけるメタン吸収機能を放牧導入に伴う物質 フローや土壌の物理・化学・生物性の変化との関係から明らかにすることは,環境に配慮した放牧管理 技術を構築する上で重要な意義を持つ。 図 1 好気的土壌でメタン酸化を直接的,間接的に制御する要因の関係(Schimel et al.1993 より引用) 図 2 嫌気的土壌でメタン酸化を直接的,間接的に制御する要因の関係(Schimel et al.1993 より引用) 引用文献 Ehhalt D, Prather M (2001) Atmospheric chemistry and greenhouse gases. In Climate Change 2001: The Scientific Basis: Eds. Houghton JT, Ding Y, Griggs DJ, Cambridge University Press, Cambridge, p239-287 Glatzel S, Stahr K (2001) Methane and nitrous oxide exchange in differently fertilised grassland in southern Germany. Plant Soil 231:21-35 Hansen S, Maehlum JE, Bakken LR (1992) N2O and CH4 fluxes in soil influenced by fertilization and tractor traffic. Soil Biol. 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