...

ニュースレター vol.2 (2005年1月)

by user

on
Category: Documents
17

views

Report

Comments

Transcript

ニュースレター vol.2 (2005年1月)
院内学級の仲間たち
ニュースレターVol.2
山鳥:こども病院院内学級Y.Sさん(中1)の作品
平成17年1月(新年号)
長野県教育委員会義務教育課・県立こども病院院内学級
・・・・・・・・・・・
はじめに ・・・・・・・・・・・
今回は、信州すずらんの会の宮越様にお願いいたしました。
ニュースレター「いのちのかがやき」の第1号を読ませていただきました。こういうも
のを県教育委員会義務教育課で発行して下さったことに対して大変感動いたしました。私
たちは8年近く活動を続けてきましたが、昨年の4月に行われた大がかりな会に始まり、
このニュースレター、やっとだんだん光が見えてきた気がいたしました。平成6年に、病
気療養児の教育についての文書が国から出されましたが、病気の子供に勉強が必要かどう
かさえ、なかなか理解していただけなかったのです。私たちの活動期間はそういう期間で
した。義務教育課の方でも「個人的にはそう思いますが、…。」と何度か言葉を濁らせたり
されました。
そういう私たちも我が子が難病にかかったからこども病院そして院内学級というものを
知り、院内学級がどれほど病気の子供達の支えになるかを知ったのです。院内学級は難病
の宣告を受けて八方ふさがりの家族に夢と光を与えてくれたのです。そんな院内学級がも
っと子供達のためになればという本当にささやかな願いを叶えていただくために私たちは
活動してきました。
病気になって友達に1年遅れをとった娘が、長い治療を終えやっと学校に行き始めてか
ら、また再発して入院になったとき、今度の友達にもまた遅れちゃうと心配しましたが、
その時には院内学級が出来ていたのです。親子で大変救われたことはいうまでもありませ
ん。まだその頃はほんの小さな教室でしたが、それなりにとっても楽しかったようです。
ただそんな楽しい院内学級だったからこそ病室から出られないときは切なかったようで
す。娘の場合その行かれないときの方がずっと長かったからです。そういうときにベッド
サイドまで来て下さる先生がいたらなあ、そんな些細な願いが元でした。
問題点はそれからも新たに出てきました。退院してから元の学校に通えるようになるま
での期間でした。院内学級の先生とFAXのやりとりで何とか勉強を続けてはいたのです
が、なにぶんにも小学生、自主勉強がそう長続きするわけではありませんでしたし、ノー
トをコピーしたりFAXしたりでお金がかかると心配もしてくれました。
この時の娘の悩みを聞いた私の妹が、姪である由貴奈の願いを何とか叶えたいと、私た
ち「院内学級を支える会」に加わってくれ、県にも何度か陳情に行きました。この時おこ
なった署名活動でかなり多くの一般の方々に院内学級というものを知っていただくことが
出来たように思います。
1
このあとようやく院内学級の教室を広くして欲しいという夢が叶いましたが、教室が病棟か
ら離れてしまったことで、ますます先生の数が必要になってきました。こればかりは今までと
同じようにすぐに解決というわけにはいかないようで、手だてがないまま時が過ぎました。
そんなとき、
「電池が切れるまで」という本が出たのです。私たちも信じられないくらいどん
どん広まり、テレビでも何度か紹介され、ドラマにまでなりました。これをきっかけに院内学
級という言葉を多くの方に知ってもらうことが出来、同時に県の方々の気持ちをも動かす結果
につながったのではないかと思うのです。すぐに教員の増員というわけにはいかないかもしれ
ませんが、みんなでよい方向へ向けて動き出して下さっていることを強く感じます。
これからも私たちは地理的には遠くではありますが、院内学級のことを見守っていきたいと
思います。病気の子供達の笑顔を見続けるために……
信州すずらんの会
2
代表
宮越陽子
も く じ
ページ
1 はじめに
1
「命」という詩を書いた宮越由貴奈さんのお母さんであり、長年、院内学級の充実にご尽力
いただいている「信州すずらんの会」の代表でもあります宮越陽子さんにご寄稿をいただきま
した。
(次回は他の人にお願いしたいと思いますのでその際はご協力お願いいたします。)
2 特別寄稿ーー長野県における病弱教育の新しい試み
4
西南女学院大学保健福祉学部教授の谷川先生が、「KTK病気の子どもと医療・教育」
(編集
全国病弱教育研究会)でお書きになった長野県の動向について、先生のお許しをいただき掲載
しました。先生は、全国における院内学級の立ち上げについて、初期の段階から深く関わって
おいでになるとともに、多くの著書を記されており、最近では「病気の子どもの心理社会的支
援入門」
(ナカニシヤ出版)を出版され、これから医療保育や病弱教育、医療ソーシャルワーク、
心理臨床を学ぼうとする人達にとってわかりやすい入門書となっております。
また、
「いのちのかがやき vol.1」について、先生からメッセージをいただいておりますので、
併せて掲載いたしました。先生、ありがとうございました。
3 院内学級の仲間たちーー東西南北
8
今回は、9年間、伊那中央病院の院内学級で、子ども達に寄り添って指導にあたられている
吉田先生にご執筆をお願いいたしました。子ども達との温かみ溢れるふれあい、そして子ども
達のたくましさに感動いたしました。(Y.Sさんのかわいらしいカット作品もいただきました。)
◇◇◇ 豆知識ポケット
◇◇◇
20
○ 転校により教科書が相違し、学習の継続や復学に支障が生じるのですが・・・
(保護者の声を、野池義務教育課長が文部科学省に、切実に訴えています。
)
表紙の絵を書いたこども病院院内学級のY.Sさんは、ムードメーカー的存在で、院内学級の雰囲気をとても明るく
し和ませてくれます。今回の山鳥の絵は、鳥年ということで版画カレンダーの表紙にする予定の絵ですが、特別にお許
しをいただき、新年号に掲載をさせていただきました。ありがとうございました。
☆☆☆お願い☆☆☆
ご意見、ご感想、投稿は次までお願いいたします。
Email: [email protected]
FAX:026-235-7494(義務教育課あて)
3
特別寄稿
動向
<「病気の子どもと医療・教育 11」より。編集部の許可を得て転載>
長野県における病弱教育の新しい試み
谷川弘治(西南女学院大学)
県民参加の政策づくり推進事業と
病気療養児の教育支援を考える会
考える会の政策提案
平成15年8月に考える会から教育長に対してプレゼ
脱ダム宣言などで有名な田中知事のもと、長野県で
は「平成 15 年度県民参加の政策づくり推進事業」が平
ンテーションが行われた。政策提案の内容を示す。
成 14 年度末に公募された。その1つとして、長野県立
1. よりよい院内学級にするために
① 院内学級の設置と維持
すべての入院している子どもが1人でも1日で
こども病院の患児の保護者等による「病気療養児の教
育支援を考える会」
(以下、考える会)の『県民参加に
よる教育改革-病気療養児の教育支援のため、保護者、
も、教育を受ける権利を保障するために、院内
教育関係者、医療従事者、行政機関関係者による、全
②
県的なネットワーク(長野モデル)をつくる』が採用
された。政策提言は、
「県民参加による教育改革」の他
に、
「地域コミュニティの活性化」
、
「みんなで支え合う
学級の設置と維持に努める
安定した教員の配置
院内学級には前年度実績に基づいて年度を通し
て教員を配置する。子ども 3 名に対して教員 1
福祉社会づくり」
、
「地域における障害者の自立した生
名とする
活の促進」
、
「食品の安全確保のための施策」
、
「学校給
③
食への地域農産物の供給」
、
「第 4 次長野県緑化基金基
本計画策定に伴うこれからの長野県の緑づくり」
、
「県
民の暮らしの中で県産材利用を進めるには」
、
「住民主
ベッドサイド学習の充実
ベッドサイド学習を行う体制を整える
④
⑤
体による『より良いまちづくり』
」という地域づくりに
関わる幅広いジャンルにおいて、49 団体が創造的な取
り組みを展開した。
さて、考える会による取り組みは精力的に行われ、
各種の調査と検討会を経て、
平成 15 年 8 月に政策提案
がまとめられた。その概要はすでに病弱研通信にて報
告したが、
平成 16 年度よりコーディネーター教員の配
置など、
政策提案を受けた新たな試みがスタートした。
⑥
⑦
病気療養児の教育の専門家の育成
院内学級の教員の研修
院内学級の教員が研修に出かける機会が得られ
るようにする
転籍手続きの簡略化
転籍手続きを簡略化し、教員の負担を軽減する
院内学級と医療関係者の連絡会
院内学級と医療関係者の連絡会を設ける
2. 笑顔で地元校に復学するために
①
これに関して、筆者は、平成 16 年 5 月 15 日から 3 日
間の日程で、長野県立こども病院院内学級、信州大学
付属病院院内学級等を訪問し、
保護者、
院内学級教師、
教育行政担当者、その他この取り組みを支えてこられ
た関係者の皆様との懇談の機会を得ることができた。
まずは、
この場を借りて、
ご多忙中にもかかわらず、
こうした機会を与えて下さった長野県の皆様に感謝の
意を述べたい。
以下では、その席上教えて頂いた新しい試みの概要
と、取り組みを支えているものについて報告する。
子どもの復学に必要な個別の教育支援を行う
(ア) 復学に際しての心配や気になっていること
を重点に、主体性を尊重した計画的な支援
(イ) 家庭訪問や補習等、状況に応じた具体的な支
援
(ウ) 病気療養児と保護者、院内学級、地元校、医
療者の 4 者連絡会の実施
(エ) 病院スタッフの地元校への派遣
② 地元校の教員に対する支援
(ア) 入院中からの連携
(イ) 地元校教職員の院内学級や病院での研修
(ウ) 院内学級教員の地元校への支援
4
3. すべての病気療養児の学ぶ喜びを途切れさせない
3. すべての病気療養児の学ぶ
喜びを途切れさせないため
に
ために
①
病気療養児の医療・教育・福祉を総合的なもの
ととらえ、行政機関、医療関係者、保護者、地
特別支援教育は今大きな転換期に
あり、今後研究
コーディネーター教員について
元校、院内学級の教員が協力してサポートチー
ムを作る
②
病気療養児の生活及び教育の支援が円滑に行わ
れるために、
「特別支援教育コーディネーター」
今回は検討結果の中から、コーディネーター教員
(CoT)に注目した。平成 16 年度に配置されたのは、長
を先行的にモデルとして県立こども病院に配置
野県立こども病院(こども病院)の院内学級と信州大
する
学付属病院(大学病院)の院内学級である。こども病
これらの提案は、病気療養児の教育の意義と教育支
院については豊科町立豊科南小学校に 1 名、大学病院
については松本市立旭町中学校に 1 名が配置された。
援の課題、そして教育支援のシステム上の問題を幅広
これにより、こども病院の院内学級は、小学校担任 1
く、奥深く捉えて、トータルな教育支援システムの構
築を考えようとしているところが大きな特徴といえる。
名、中学校担任 2 名、CoT1 名の 4 名体制、大学病院の
考える会の皆様の、研究の熱心さと、洞察の深さに、
頭が下がる思いである。
名の 3 名体制となった。
院内学級は小学校担任 1 名、中学校担任 1 名、CoT 1
CoT は定数外教員である。児童生徒数の増減に影響
を受けないため、政策提言 b の「安定した教員配置」
に対応した施策として位置づけられている。このねら
全体では 49 団体から 285 の提案が行われた。
そのう
い目は確かに学ぶべきものがある。ただし、CoT は建
前上、学級担任にはなれないため、仕事上の制約があ
る。とはいえ、子ども達にとっては、おなじ「せんせ
ち新規予算化されたのは 17 事業で 3 億 4000 万円、そ
の他、既存の施策を充実させるなどの対応が検討され
い」である。
こども病院のCoTに、お仕事について伺った。最
た。考える会の政策提案に関しては、最終的に下記の
ような結果となった。新規予算化はないが、1 の「よ
近(7 月)の様子も確認のうえ、主たるお仕事を整理
した。
りよい院内学級にするために」は「内容の充実・見直
し」が図られ、2「笑顔で地元校に復学するために」と
「すべての病気療養児の学ぶ喜びを途切れさせないた
3
めに」は引き続き継続して検討することとなった。
授業は午前中教室で、午後はベッドサイドで行っ
政策化の概要
ている。病棟から出られない子どもが多いときは、
午前中から病棟に行く
ベッドサイド学習は、担任と協力して、1人2時
間が目標。1.5 時間が実際のラインである
表 政策提言の検討結果の概要
政策提言
1. よりよい院内学級にするた
めに
a.
院内学級の設置と維
持
b.
安定した教員配置
c.
d.
e.
f.
ベッドサイド学習の
充実
病気療養児の教育の
専門家の育成、院内学級
の教師の研修
転籍手続きの簡素化
院内学級と医療関係
者の連絡会
2. 笑顔で地元校に復学するた
めに
病院内の医療関係者との連絡調整を行っている
検討結果の概要
出身校(地元校と同じ)との連絡調整を行ってい
る(教科書、補助教材の確保、院内学級通信を週
1 回送付、復学時の連絡調整等)
。出身校への出張
のための旅費は年間20万円(20件分)が確保
され、
教育事務所にて管理されている。
出張者は、
子どもを一番よく知っている教員としている
a. 1名で教員配置という現状
を維持
b. コーディネーター教員を2
つの院内学級に配置
c. ボランティア活用を検討
d. 研修参加を配慮
その他
e. 子ども中心に考えた転出入
を考える
f. 院内学級相互の連絡体制を
立ち上げる
以上のように通常の授業を行いながら、連絡・調整
を実施しているが、連絡調整を教育支援の固有の柱と
して位置づけた点は意義深いものがある。なお、CoT
子どもの復学にあたり、自宅療養
期間においても必要な教育支援が
図られるように検討
は地域の教育相談に乗るとか、ニーズを掘り起こすと
いう役割はなく、その点では特別支援教育コーディネ
ーターとは異なる位置づけである。
5
を見る思いであった。今回 5 月の訪問の際にも、休日
にもかかわらず教育委員会の方が出席して下さり、有
意義な意見交換ができた。
長野県では 4 月以降も関係者の協議の場が設けられ
ている。そこでは、療養中の子どもさんの抱える個別
の問題が取り上げられ、改善が図られるというケース
もあるとのことである。考える会の政策提案の基本テ
ーマであった『全県的なネットワーク』が芽生え、成
長し始めたといえよう。
すずらんの会が編集した「電池が切れるまで」が、
こども病院の教室(この広さの教室が 3 つ確保されている)
多くの人々の共感を得て広がっていったように、子ど
も達の生きることへの強いねがいとそれを支える友達
長野の取り組みを支えているもの
や家族、そしてそれを支える医療、教育、行政それぞ
れの立場の専門家、
ボランティアの輪が広がりをもち、
長野の取り組みを支えているものとして、保護者、
保護者OB、医療従事者、教育関係者、ボランティア
あらたなネットワークが形成されはじめたこと、そこ
にこそ、今回の政策提言の取り組みの成果があったと
などからなる考える会の存在は大きいものである。
思われる(下図)
。
昨年の検討会に参加させて頂いた立場から、もっと
も印象的だったことは、
「病気の子ども達の教育支援に
なお、考える会に出発において、財団法人がんの子
供を守る会の「がんの子どもの教育支援に関するガイ
ドライン」が考える会の皆さんを支えていたことを申
おいて子どもを支える人が一番大事である。人と人の
つながりが大事である」という共通する考えに支えら
し添えておきたい。同様に、すずらんの会など、病気
れているということであった。それは、長野県で院内
の子ども達の幸せを願う人々の地道な取り組みが背景
学級を支えてこられた教師と子ども達、保護者、医療
にあったということも忘れてはならないことである。
従事者の、篤い信頼関係を物語っている。
こうして築かれてきた人間の輪に教育行政の担当者
も加わり、真剣に意見交換をし、できることを考えて
いこうとしてこられたところに、地方自治の本来の姿
(本稿は、2004 年 5 月 22 日長崎大学で開かれた九州
山口小児血液・腫瘍研究会での講演に加筆したもので
ある)
医療スタッフ
院内学級担任
ボランティア
子どもと家族
CoT
院内学級の
本校
保護者OB
行政関係者
出身校
図 長野県の取り組みを支えているネットワーク
6
谷川先生からのメッセージ∼∼∼ニュースレター「いのちのかがやき Vol.1」に寄せて∼∼∼
保護者の皆様、院内学級と地元校の教師の皆様、そして教育行政の専門家の皆様の情報交換の場ができ
あがったことに、たいへん注目しております。こうした取り組みは、全国的にみてもあまり例がないので
はないでしょうか。病気の子どもたちのための教育支援は、一人一人の状況が大きく異なるために、教師
の皆様の創意工夫によってはじめて有効になるという側面がございます。そのためには、個々の子どもに
関係する専門家と当事者のコミュニケーションが欠かせないわけですが、
ニューズレターは、関係する人々
のコミュニケーションを支え、励ます重要な仕組みになると思われます。また、ニューズレターの紹介さ
れています「笑顔の復学支援カード」も、4月より配置されましたコーディネーター教員も、同様にコミ
ュニケーションの要となるものと、注目しております。
教師の皆様の創意工夫は、一つの院内学級の中だけで考えますと、どうしても限界が生じます。ニュー
ズレターは、広域の情報交換によるバックアップシステムができあがったことを意味しております。その
ことは、県の全体的なレベルアップを支えるものとなっていくと考えます。ニューズレターの内容をみま
しても、保護者の皆様の思いを汲み取りながら、
「問題の明確化」を進めていかれる姿勢が伺えます。これ
は、一種のソーシャルワークであります。また、特別支援教育構想にもあります広域の支援システムの病
弱教育版のひな形になるのではないでしょうか。私は、病弱教育に関しては県レベルでシステム化しない
とうまくいかないと考えております。
課題となる事柄は少なくないわけですが、現場の教師は教育実践を通じて、教育行政の皆様は行政を通
じて、それぞれの専門家としての知恵を出し合っていけば、光明が見えてくるものと確信いたします。い
うまでもないことですが、
一番大事なことは子ども達の生きようとする力に学ぶということだと考えます。
今後、院内学級教師の教材の工夫であったり、自宅療養中や登校のならし期間の地元校の実践などが紹
介されていくと、参考になって良いのではないでしょうか。福岡市内の院内学級は月一回情報交換の場を
公式につくって10年になりますが、教師としてはやはり教育内容や方法の情報交換が一番切実の様子で
した。
その次が、院内学級を存続できるかという不安です。県という単位では月一回の集まりは難しいでしょ
うから、このニューズレターはきっと大きな励ましになると思われます。
「笑顔の復学支援カード」は、大変すばらしい試みであると思います。本人と保護者の要望、主治医の
意見を踏まえて問題を明確化し、対応の結果までしっかり確認する。今一番求められている「個別教育支
援計画」の要になると思われます。おそらく3(P5)に含まれるか、別途情報交換されることになって
いると思われますが、院内学級での学習の到達度と課題、復学先の学習の進行具合などを出し合って、自
宅療養中の学習課題を明確化していくといった部分が大事になるのではと思いました。たとえば、学校は
笛の練習をしているが、本人はまだしていないので、自宅療養中に練習をするなど。
皆様の実践的なご研究(行政の取り組みを含めて考えております)に期待するものです。
谷川先生、ご丁寧なアドバイスをいただき、ありがとうございます。
先生からお話のあった、復学にあたって、
「院内学級での学習の到達度と課題、復学先の学習の進行具合
などを出し合って、自宅療養中の学習課題を明確化していくといった部分が大事になるのでは」といった
観点や、院内学級相互の情報交換の観点から、「院内学級の教材の工夫」や、
「自宅療養中及び登校のなら
し期間の地元校の実践例」なども、今後掲載してまいりたいと思います。
先生からいただいた言葉で、
「子ども達の生きようとする力に学ぶ」という点に強い共感を覚えます。ま
た、
「一人一人の状況が大きく異なるために、教師の皆様の創意工夫によってはじめて有効になるという側
面がございます。そのためには、個々の子どもに関係する専門家と当事者のコミュニケーションが欠かせ
ない・・・」まさに、そのとおりだと思います。一口に円滑なコミュニケーションと言いましても、難し
い問題があります。絶えず見守り話し合い、絶えず工夫して行くことが大切だと思っています。
7
院内学級の仲間たちーーー東西南北
瞳 輝 い て
伊那小学校 院内学級 吉田江身子
―――院内学級の子どもたちとの9年間 ―――
平成15年4月に新築移転した伊那中央病院の3階に院内学級の教室はあります。この院内学級を参観に
来られた皆さんの誰もが、「院内学級の子どもたちって病気しているから、青白くてやせていて暗い感じの
子どもたちかなあと思っていましたが、明るい子どもたちで驚きました。」という言葉を残して帰って行か
れます。そうです。そうなんです。院内学級の子どもたちは明るくて、優しくて、とっても前向きな子ども
たちです。たとえ病気と向き合う毎日でも、決して心は病んでいません。それどころか、闘病生活からくる
不安やストレスを克服しながら瞳を輝かせて精一杯生きているのです。
<共に闘病生活を送った友との別れ>
「本当は、寝ていなかったんだよ・・・・」
友だちとの別れを乗り越えたH君
幼稚園の年長さんから入院している2年生のH君という子どもさんがいました。夏、4年生のY君が入院
してきました。2人は病室が同じで年齢も近く、性格的にも明るく元気なところが似ていて、いつも一緒で
したから兄弟と間違えられるほどの仲良しでした。そんな2人でしたので、7ヶ月間の入院後にY君の退院
話がちらほら聞こえてくるようになった頃から、周囲の者たちはH君のことを心配しました。なぜなら、こ
れまでにも仲良くなった友だちが、入院しては退院していくということを何回も経験し、その都度寂しそう
に見送るH君の姿を目にしていたからです。H君の退院のめどはたってはおらず、「H君だってそのうちに
…」などという気休めの言葉を安易にかけることはできませんでした。Y君はそんな雰囲気を感じ取ってい
たのか、「退院が決まったら僕から話すから他の人は黙っていて。それと退院はHちゃんが寝るのを待って
て、寝たら帰るから・・・。」と話していました。そして退院の日が決まると、Y君は自分からH君に伝え、
何度も「退院しても遊びに来るからさあ・・」と励ましていました。H君も幼いなりに覚悟ができていたよ
うで、「Yちゃん、本当に遊びに来てよ。」と寂しさをこらえながらY君に何度も話していました。
いよいよY君の退院当日、2人は一緒に夕食をとり、消灯ぎりぎりまで仲良く遊んでいました。「そろそ
ろ帰らないと遅くなるから・・・。」とお母さんが促してもY君は「Hちゃんが寝るまで帰らない。」とH
君の寝付くのを待っていました。そしてY君は、やっと寝付いたH君を起こさないようにそっと真っ暗な中
を退院していきました。
8
H君は、Y君の退院後、気分が落ち込んでしまい、学習に手が付かなくなってしまいました。H君の寂し
さや悲しみは日が経つほどに募っていくように感じられました。その間、私は彼の望む活動に寄り添い、H
君が自分の力で立ち直ってくるのを待とうと決めました。ようやく一週間経って「先生、今日は勉強しよう
かな・・・。」とH君から言ってくれました。と同時にH君が、「僕さあ、あの時寝てなかったんだよ。寝
たふりしないとYちゃん退院できないでしょ。だからタヌキ寝入りしたんだよ。」とそっと私に教えてくれ
ました。その言葉を聞いて、私はH君がいとおしくて思わすぎゅっと抱きしめてしまいました。別れの寂し
さ、辛さを乗り越えて、H君がまた一回り大きくなったように感じられた一瞬でした。
「退院、おめでとう。」と言いながら、自分より後から入院してきた友だちを送り出さなくてはならな
い事実に直面したときの子どもの辛く、悲しい思い。頭では分かっていても、寂しさ、不安、無力感に襲
われて、自分でもどうしていいのか分からなくなってしまう。しかし、「早く退院するぞ。」「元の学校
に戻れるように頑張るぞ。」と、自らを奮いたたせてそこを乗り越えることで、優しく、たくましく、強
い人間に育っていく子どもたちの姿がある。私が子どもたちにしてあげられること、それはその時々の子
どもたちの心に寄り添うことだと思っている。
<日記に綴った思い>
(1)「かみさまはいつになったらゆるしてくれるのかなあ。」と胸の内を書いてき
たD君
整形外科の病気で2年間入院していた4年生のD君は、明るく
て元気がよくとってもやんちゃな子どもです。いつもひょうきん
なことを言っては皆を笑わせてくれ、院内学級のムードメーカー
的な存在でした。
しかしその笑顔の裏側では、D君自身も退院が延びていました
し、大好きだったおじいさんが不治の病で同じ病院に入院し、D
君をいつも明るく支えてくれていたお母さんまでもが病気にな
り、仕事を辞めなければならないかもしれないということが起き
ていました。私もその事を知っていましたので気になり、D君の
支えにもなれればと思い何度か2人で話す機会を作りましたが、
その件になると口が重くなってしまうD君でした。
そんなある日、D君が長い日記を書いてきました。『(前略)か
あさんの足がいたくなって仕事をやめなければいけないかもし
れません。見ててもびっこをひいてあるいているところを見てい
るとおれはしんぱいです。
9
あとじいちゃんがたいいんできると聞いてよろこんでいたら、とうさんがいってたけど、(中略)家にか
えってくるとじゅみょうがちぢむといってました。でもじいちゃんのさいごのねがいをかなえてあげたいと
いってました。じいちゃんもかあさんもどっちもがんばってもらいたいです。かみさまはいつになったらゆ
るしてくれるのかなあ。』と細かい字でびっしりと書いてきました。普段は朗らかに笑ってばかりいてそん
な悲しみを抱えていることを微塵も見せなかったD君が、普段は書くことを嫌がっていたにもかかわらず日
記に自分の胸の内を書いてきてくれたことが嬉しく、D君の思いをしっかりと受けとめて支えなくてはいけ
ないと思いました。担任である私は、今自分にできることは前にも増して日記を丁寧に読み取り、担任とし
ての思いをD君に伝えたり、できるだけ声がけをしたり、明るく前向きに毎日を送れるように夢中になれる
活動を取り入れたりすることだと考え、できるだけD君に寄り添いました。だから、面と向かうと多くを話
さないD君でしたが、私はどこかで心がつながっているという安心感をもってD君を見守ることができたよ
うに思います。
(2)「もう泣きたいくらい悲しかった。」と綴ってきたSさん
穏やかで思いやりがあって、
自分のことを主張する前にいつも相手のことを気遣っている6年生のSさん。
自分の思いや考えを遠慮しがちに言うSさんを見て、私はいつも「時には我が儘だって言っていいんだよ。
喧嘩したっていいんだから。思ったことがあったらきちんと言うことも大事だよ。」と言葉をかけています。
しかし、高学年になったSさんは低学年の子どもたちのまとめ役になっていることもあって、自分の思いを
主張することを遠慮してしまっているように感じられました。
そんなSさんの様々な気持ちの一端を掴むことができるのは、Sさんが綴る日記です。Sさんは書くこと
が大好きですので、日記には日々その時々に感じたことを詳細に綴ってあります。例えば、なかなか病状が
好転していかないことへの不安、従兄弟たちの前でお兄さんに、副作用でふくよかになった体のことをから
かわれて、「もう泣きたいくらい悲しかった。」と切なかった事、同年齢の女の子たちがどんどん女性らし
い素敵な体になっていくことへのうらやましさ、「それに比べてこの私は・・・・」と女の子としての悩み
等々・・・。日記には普段の生活のなかでは決して私に語らないだろうSさんの内面を綴ってきてくれます。
だからこそ、私は交換日記をやっているような気持ちでSさんの日記に向かい、心を込めて言葉を添えて見
守るようにしています。私としてはSさんが自分の心の内をストレートに日記に綴ってくれる今の姿を本当
に有り難く思っています。Sさんの日記には、もう一つのSさんの姿が見えるのです。
子どもたちが抱えている悩みを担任がキャッチする一つの手段として、また心の通い合いの場として日
記を大切に考えている。日記でなくても、詩でも、会話でも、絵でも何でもよいが、子どもの心が少しで
も見えるようなものが何かあるとよいなあと思って日々生活している。あながち、目に見える姿だけで子
どもをとらえがちなのだが、なかなか見えてこない心の叫びもしっかりと受け止められるようでありたい
。特に院内学級の子どもたちは、家庭や学校と離れた場で病気と向き合うというストレスを抱えがちな状
況のなかで生活しているので、日々、子どもの心を見とれるような配慮をしたいと思っている。
10
<苦しい制限のある生活・・・・>
(1)「僕だってカップヌードル、食べたいんだよ!」 食事制限のあったK君
食事制限を2年以上続けていたK君が登校するなり、
「もう頭に来た。隣のベッドにお見舞いに来た人が、
カップヌードル食べていたんだよ。カーテン閉めていたけど、においはするし、音はするし・・・僕だって
カップヌードル食べたいんだよ!」と叫び始めました。普段は穏やかで、聞きわけがよく、食事制限の不満
を口にすることのない我慢強いK君でしたが、周りの大人の無神経さに傷ついたのでしょう。今までには見
たことのない姿を見せていました。しかし、考えてみれば当然のことなのです。人間にとって食べることは
大きな楽しみなのですから・・・・。担任として何かしてあげたかったのですが、こればかりはどうしょう
もありません。さんざん考えて、K君に「食べたいものを紙とか粘土とかで作ってみない?」と提案しまし
た。食べたいものが自由に食べられない子どもに、食べ物に似せて作品を作ろうなんて残酷かなあと思わな
いでもありませんでしたが、慰める方法が他に考えられず苦し紛れの提案をしてみたのです。
ところが意外にもK君は「それ、いいかも。」とすぐに同意してくれたのです。そして、友だちといろい
ろな種類の紙、紙粘土、毛糸、ひも、スポンジ、発砲スチロール等を集めて早速作り始めました。そのうち
に本物みたいに作りたいと言って、食堂にどんなメニューがあるか調べに行ったり、お家の方にも協力して
頂いてプラスチックの容器をもってきて頂いたりして、何日もかけてたくさんの模擬の食べ物を完成させた
のです。私はK君の意欲的な姿に目を見張りましたが、それだけでなく、仕上がった作品は見事な出来ばえ
でした。子どもたちは作り上げることのできた満足感からだったのか、「これで嘘っこの食堂をやりたい。」
と次の活動への夢をもちました。そこで、点滴゛ソリタ″の箱をいっぱいもらってきて陳列棚にしたり、ダン
ボールでレジやお金を作ったり、自分たちで『ちびっ子食堂』と名前を付けたりして開店させることができ
ました。仕事を休んできてくださった保護者の皆さん、看護師さん、看護実習生さん、小児科病棟の小さな
患者さんたちを前に、店員さんになりきったK君が「いらっしゃいませ。」「ご注文は何にしますか?」と
大きな声を上げて忙しく働いていました。その時のK君のはじけんばかりの笑顔は、今でも忘れることがで
きません。
その半年後、外泊が許されたK君は、念願のカップヌードルをお母さんにおねだりして食べることができ
たということです。さぞかし美味しかったことでしょう。
(2)「病院の周りに行こうよ。」運動制限のあった3人の男子
院内学級児童5人のうち、整形外科関係の同じ病気で車椅子に乗った1年、2年、4年のやんちゃ盛りで
元気がよい3人の子どもたちが在籍していたことがありました。主治医から「足さえ付かなければ、普通に
生活してよい。」と言われていましたので、私はこの子どもたちを連れてほぼ毎日のように中庭に出かけて
いました。そこでは、病院の花壇の一角を院内学級でお借りして畑にして野菜や花を作っていましたので、
水くれや草取りをしたり、昆虫を捕まえて遊んだりしていました。それはそれで楽しい時間でしたが、その
うちに子どもたちは「いつもここだけではつまんない。病院の周りに行こうよ。」と敷地外に出たがるよう
11
になりました。
しかし、
車椅子の3人と安静度の強い内臓疾患の児童を担任1人で連れていくことに加えて、
旧病院の周囲は車の往来が激しく坂道も多かったため、危険と判断してやめていました。しかし、1年以上
の入院生活でストレスが溜まっていたのか大人の目が届かなくなる夕方、子どもたちだけで病院内を出歩い
...
ていたようで、病院の方から「院内学級の暴走族と呼ばれているのですよ。」とお叱りを受けました。
そこで担任として腹を決め、野外探検に出かけることにしました。内臓疾患の児童がいるときは(交流で
いなかったり、治療のため欠席したりすることもありましたが・・)その子も4年生の子どもの車椅子に乗
せて春と秋の穏やかな日は、毎日のように天竜川の河川敷に出かけて行きました。子どもたちは、河原で穴
を掘ったり、枝を集めてきて秘密基地にしたり、ススキの群生場所に車椅子毎入り込んで行って遊んだり、
石投げをしたりして楽しみました。青空に響き渡るような子どもたちの高らかな笑い声を聞いたり、目をラ
ンランと輝かせて秘密の場所に入り込んでいく子どもたちの姿を見たりするなかで、たとえ病気でも可能な
限り活動を保障してやることが大切なことだということを、子どもたちの姿から学ぶことができました。
食事制限や運動制限等、様々な制限を「治療だから・・。」と受け入れて、4年、5年と長期の闘病生
活を送っている子どもたちがいる。本人も大切な治療だからと普段は全くと言っていいほど不平や不満
を口にすることはない。しかし、時として制限の多い生活からくるストレスを吐き出す子どももいるよ
うに感じている。そんな時、一方的に「治療上必要だから・・・」とあきらめさせるのでなく、少しで
も子どもたちのストレスが解消できないかと一緒に考えるよう心がけている。治療に支障をきたさない
範囲で、子どもたちの願いや要求を実現すべく、子どもと共に模索していくことが大切であると思う。
< 原籍学級とのつながり>
(1)「ここで勉強しているんだね。」
交流で支えてもらえたT君
長く闘病生活をしていると、一概には言えませんが原籍校とのつながりが弱くなりがちです。しかし、原
籍学級の先生のお考えによってもその対応が違ってくると感じています。
院内学級に約1年間入院していたT君は、たまたま院内学級のある伊那小学校在籍の児童でした。学校か
ら病院が近く、
またT君のクラスが総合活動で病院近くに度々訪れていたこともあり、
T君の担任の先生は、
一回に一グループずつの子どもたちを連れて度々教室を訪問してくださいました。原籍学級の子どもたちは
必ずクラスでの活動の様子を説明してくれ、また院内学級で学んでいるT君の姿や教室内の様子を見ていっ
てくれました。ですから「Tちゃんはいつもここで勉強しているんだね。」と話している友だちの姿を、T
君は恥ずかしそうにしながらも、いつも嬉しそうな顔をして眺めていました。手紙のやりとりも多く、交流
が普段からなされていましたので、院内学級の劇発表会にはそのクラス全員を招待しました。また原籍学級
のクラス行事にはT君はたいがい参加することができました。だからこそ、入院しているにもかかわらず友
だちとの距離をほとんど感じることもなく、伊那小学校に戻っていくことができたのです。
12
(2)「参加できそうな行事には行ってみたい。」交流を楽しみにしているYさん
Yさんは、入学時から何年間も院内学級で学習していてほとんど原籍校に行くことができなかった子ども
さんです。そのためか、5年生でのクラス替えの事務手続時に、名簿から名前が落とされてしまったことが
ありました。すぐにお母さんから「Yの名前がないんです。」と連絡がありました。確かにいつ行けるか分
からない状態でしたし、籍も伊那小学校に移してはありましたが、Yさんは「いずれは帰るんだ。」という
希望をもって生活していましたし、担任も「交流をさせていただきたい。」と考えてクラスだけは決めてい
ただきました。
6年生になるとYさんは「今年は小学校生活も最後だから参加できそうな行事には行ってみたい。」と話
すようになりました。しかしその思いとは逆に、長い期間交流に行っていないことで行きづらくなっている
ように担任には感じられました。そこで、院内学級でのYさんの活動の様子をまとめた模造紙や作品を持参
して、担任と2人で原籍学級に交流に出かけて行くことにしました。原籍学級の先生は快く引き受けてくだ
さり2時間も時間をとってくださいました。当日は院内学級の教室の様子や学習について発表することで、
たとえ闘病中であっても一生懸命前向きに生活しているYさんの様子を原籍校のクラスの友だちや先生方に
分かって頂くことができました。Yさんも友だちの前で発表できたことが自信につながったようで、「ドキ
ドキしたけどみんなの前で発表できて良かった。」と話してくれました。
現在、体調のことがあってなかなか交流に行くことができない状況です。しかし、原籍学級からはお誘い
をいただいていますので、担任同士が連絡を取り合い、Yさんの夢が叶うように支えていきたいと思ってい
ます。
院内学級担任の大切な仕事の一つに、子どもと原籍校との橋渡しの役をするということがある。原籍
校に戻ることに子どもはプレッシャーや不安を抱えるだろうから、連絡を密にとって少しでも心配事を
減らしてやらなければと思っている。実際は日々の院内学級での指導に追われたり、原籍校との日程的
な調整がうまくいかなかったりで、なかなか思うようにいかないときもある。しかし、原籍校の担任、
保護者、子ども、院内学級担任がそれぞれがうまく噛み合うことで、子どもが原籍学級へ安心して戻っ
て行かれると思っている。そのためにも、担任として橋渡しの役目をきちんと果たしていかなければな
らないと感じている。
<コンサートでのリコーダー奏>
伊那中央病院院内学級Y.Sさん(小6)の作品
13
<総合活動で自己実現>
(1)「緊張したけど、劇をやって本当に良かった。」自信をつけることで不登校を乗
り越えたNさん
不登校と呼吸器系疾患を併せ持っていたNさんが院内学級に入級してきて4ヶ月経った5年生の春、5人
の院内学級の子どもたちが劇活動に挑戦したいと言い出しました。何時間か話し合って、自分たちでストー
リーやせりふを考えたり小道具を作ったりして、7月、病院の講堂をお借りしての第一回劇発表会を実現さ
せることができました。当初この劇活動にさほど積極的ではなかったNさんでしたが、当日は中心となって
活動を進めてきたYさんと協力しながら発表することができました。第一回目の発表後、伊那市の職員の方
から、「是非ミニディサービスで発表していただけませんか。」と問い合わせがありました。この件につい
ては、体調の問題や一緒に劇をやってきた友だちが退院するということもあり、子どもたちと相談してお断
りしました。しかし、このことがきっかけとなって、「もっと多くの人に劇で楽しんでもらいたい。」とい
う新たな願いが生まれてきました。
秋になり2回目の劇発表会に向けての活動がスタートしました。ストーリーやせりふも子どもたちが決め
て、さあ練習というときになって、今まで中心的に進めてきたYさんが大病院に転院することになってしま
いました。そこで私は、Yさんがいなければ必然的に中心的役割を果たさなければならなくなるNさんに劇
を続けるかどうか相談することにしました。しかし、10日経ってもなかなか答えを出せないで困っている
Nさんに、私は今のNさんならきっとできると判断して「思い切ってやってみようよ。」と背中を押してみ
ました。すると、まるでその言葉を待っていたかのようにNさんは大きくうなずきました。こうして2回目
の劇活動を開始させることができました。Nさんは低学年の児童をまとめ、リーダーシップを発揮して創作
劇を完成させました。前日の夕方から緊張のため、食事も喉を通らなかったようですが、当日は病院長先生
をはじめとする医療スタッフ、伊那小学校の校長先生や交流学級の児童たち、保護者、卒業生ら70名近く
の人々の前で堂々と演じ、多くの方から拍手や励ましの言葉をいただくことができました。Nさんは満面の
笑みで「緊張したけど、劇やって本当に良かった。」と感動を担任に話してくれました。このことをきっか
けとして、病院のスタッフにも顔を知られ、みんなから励ましの声をかけてもらえるようになり、少しずつ
自信を取り戻していったNさんでした。
その後も1年間院内学級に在籍し、3月に院内学級から巣立っていきました。そして現在は、地元中学に
元気で通学しています。
(2)「入院していても人の役に立ちたい。」とボランティア活動を続けたYさん
3才で発病して以来ずっと闘病生活を続けている5年生のYさんが、どんな総合活動を進めていきたいか
みんなで話し合った際に「入院していても人の役に立ちたい。何かボランティア活動をしたい。」と発表し
ました。この言葉を聞いて、何年間も病気と向き合った生活を送ってきて辛いこともいっぱい経験してきた
Yさんの、この願いを何とかして叶えてあげたいと思いました。他の子どもたちも、Yさんの話を聞いてい
14
るうちにだんだんにそういう気持ちに傾いていったようでした。そこで、どんなボランティア活動ができる
かみんなでいろいろ考えましたがすぐには決まらず、
2ヶ月間かかっってようやく決めることができました。
それは新病院のラウンジが閑散として寂しいから患者さんやお見舞いの方にも楽しんでもらえるように、季
節の物を作ったり採ったりしてきて飾るという『ラウンジ飾り』でした。
活動を始めてしばらくたった頃、
見てくれた方の感想が知りたいと子どもたちが意見箱を設置したところ、
毎日のように、「皆さんのおかげで元気が出ます。」「季節を感じることができてとっても嬉しいです。」
「ここ(ラウンジ)へ来るのが楽しみになってきました。」などという感想が多数寄せられ、それを読んだ
子どもたちが逆に元気をもらうようになっていきました。Yさんは夏から秋にかけての3ヶ月間、体調を崩
して教室に来られなくなりましたが、「早く治して私もラウンジ飾りを作りたい。」と希望を持って治療に
専念することができました。その後、教室にも来られるようになってみんなと一緒に活動に参加することが
できました。暮れには、「ラウンジ飾りを目で楽しんでもらったから、今度は耳で楽しんでもらいたい。」
と病院の講堂をお借りして5人でコンサートも開き、多くの方に聴きに来ていただきました。
ボランティア『ラウンジ飾り』は3月まで続けられ、この一年間に作った作品を一堂に展示した『ひまわ
り美術館』も開館して、より多くの方に活動を知ってもらう機会にもなりました。
*『ひまわり 』は子どもたちが付けたボランティア活動隊の名前です。
その年度末、一緒に勉強してきた仲間がそろってそれぞれの学校へ戻っていってしまいYさん一人になり
ましたが、1年間のまとめのなかで「ラウンジ飾りをしてきてみんなに元気をもらった。また来年も続けた
い。」と新たな希望をもって締めくくることができました。
ここの院内学級では在籍校である伊那小学校の特色を取り入れ、、以前から総合活動に力を入れている
。異学年の児童が共に学び、しかも闘病生活という過酷な現実を抱えているからこそ、子どもたち自らの
願いによって活動を進めていくことが生きる上での力になると確信している。また当然の事ながら治療は
受け身な部分が多いので、自ら活動を決めだし、意欲的にかかわることのできるこの総合活動が一層大切
になってくると思っている。
確かに難しさもある。子どもの出入りが多くて願いがなかなかすわらない、制限がそれぞれ違うため活
動が限定される、治療の関係で中断しなくてはならないことが多い等々あるが、そのなかでも、子どもが
意欲的になれる、生き生きとかかわれる活動は必ずや見つかると思っている。その活動を通して、さらに
教室へ来ることが楽しみになったり、目的意識を持って生活できたり、自信をつけたりすることができる
と感じている。
<友だち>
伊那中央病院院内学級Y.Sさん(小6)の作品
15
(3)
人形劇の発表を通して、『多くの方に支えられて今日の自分がある』というこ
とに気づいていったYさん
入学時から院内学級に6年間在籍していたYさんにとって、平成16年度は小学校生活最後の年となりま
した。Yさんは「人形劇を発表して、病院の患者さんやスタッフの皆さんに喜んでもらいたい。」という願い
をもち、夏から人形劇の活動を進めてきました。
Yさんが『森に遊びに来ていた子どもたちが、木の精と語り合うなかで自然の大切さに気づいていく話』
とストーリーを考え、3年生のM君と二人で台本を書き、人形やバックや小道具も手作りしてきました。人
形を布で作ろうと考えたYさんは、自分の思い描く人形に近づけるためにミシンを使って何回も作り直した
り、もっと動かし易くしたいと人形の首や手を改良したりしました。このように毎日少しずつ作ったり練習
したりして、約4ヶ月かかってようやく人形劇を完成させることができました。創り上げていく段階では、
担任が劇に参加してもどうしても人数が足りないという問題が出てきましたが、教室近くの病室に入院して
いた大学院生さん(院内学級の活動を通して知り合いになった方)にお願いして人形劇に参加していただく
ことで解決することができました。また、人形の動かし方での分からない点は地域文庫の方に教えていただ
いたりと、多くの方々の協力があってこの活動をすすめてくることができました。当初は病院だけで発表す
る予定でしたが、人形劇を作っている段階で「せっかくだからぼくの学校でも発表したい。」という意見がM
君から出されたため、子どもたちの原籍校と伊那小学校でも発表しようということになりました。Yさんは
人形を操る時に腕が幾度もつってしまいましたが、
「クラスの友だちや病院の患者さんたちに観てもらいたい。
楽しんでもらいたい。」と頑張って毎日練習を続けることができました。
そして、11月末から12月にかけて、それぞれの学校や病院で人形劇の発表会をしました。4ヶ所での
発表会では 300 人以上の方々が劇を観て、励ましやお誉めの言葉をかけて下さいました。特に病院では看護
師さん方が患者さんを大勢連れて来てくださり、会場がいっぱいになるほどでした。Yさんは、
「人形劇を創
って発表することができて本当に嬉しかった。そしていろいろな人に支えられて人形劇の発表ができたこと
が分かった。」と話してくれました。多くの方に支えられて今日の自分があるということにあらためて気づく
ことができたYさんが、一回りも二回りも大きくなったように担任には感じられました。
4月からはいよいよ中学生になるYさん。病気と向き合いながらも精一杯歩んできた自分に自信をもち、
大きな一歩を踏み出してもらいたいなと心から思います。
<人形劇の主人公たち>
16
伊那中央病院院内学級Y.Sさん(小6)の作品
<感じるままに・・・>
(1)保護者から教えられたこと
子どもたちを文字通り支えている保護者の姿には本当に、本当に教えられることが多く頭が下がる思いが
します。入院している子どもに寂しい思いをさせたくないと1年半以上の間、夕食用に母親がお弁当を作っ
てきて、病院のベッドで一家揃って食べることを続けた家族。朝は父親が、夕方は母親が毎日病院に駆けつ
け、それぞれ食事を共にする生活を2年近く続けた家族。子どもとの距離を縮めたいとファックスを毎日、
しかも2年以上娘とやりとりしている単身赴任の父親。…・まだまだ多くの家族が形は異なるがそれぞれ闘
病中の子どもに向き合おうと一生懸命になっている姿を長いこと目にしてきました。そんな保護者の方々に
教えられることの多い毎日です。
「さすってあげることしかできなくて…」と腹部をさすり続けた母親
Α君 は突然の腹部の痛みで入院してきましたが、すぐには原因がつかめなかったため検査が続いていまし
た。
診断がつくまでの数日間、
突然痛みが襲うとお母さんは Α君の背中をひたすらさすってあげていました。
さすり続けたため、お母さんの手はまっ赤に腫れ上がっていました。翌日病室に顔を出すと、お母さんの手
はさすったことで指の皮がめくれあがっていました。その翌日には、お母さんの指全部にテーピングがなさ
れていました。それでもお母さんは背中をさすり続けていました。そして「先生も看護婦さんも一生懸命や
ってくれているの。私はさすってあげることしかできなくて・・」と涙を流されました。我が子のために、
懸命に昼夜問わず看病に当たるお母さんの姿に、私はただ、ただ早く痛みが遠のくようにと祈ることしかで
きませんでした。幸いにもすぐ診断がつき、しばらくして Α君は元気を取り戻し退院していくことができま
した。
それから約2年後、突然私の元に訃報が届きました。あの Α君のお母さんが倒れられ、帰らぬ人となって
しまったのです。信じられませんでしたし、まだ幼い2人の子どもをおいて旅立たなくてはならなかったお
母さんの無念を思うと言葉がありませんでした。Α君 はきっと、懸命に背中をさすってくれたお母さんのあ
の手のぬくもりを一生忘れることはないでしょう。そして、きっと力強く生きていってくれるだろうと思っ
ています。
合掌
(2)院内学級の担任としての思い
院内学級の担任として心がけていることの一つに、院内学級児童の兄弟姉妹たちのことも少し視野に入れ
ておきたいということがあります。何故なら、院内学級の子どもたちは両親の愛をたくさん受けており、愛
情面では満たされているように感じられます。ところが、その兄弟姉妹たちは、「○○ちゃんが病気だか
ら・・・。」「○○ちゃんが治ったら・・・。」と親に諭され、我慢していることや耐えていることが意外
と多いように思われます。例えば、夜、親が交代で病院に泊まり込むため寂しい思いを何年間も続けていた
り、学校や地区の行事に親が参加できなかったり、近場であっても家族で出かけることが全くなかったり、
17
親戚の家にたびたび預けられたりと、様々な場面で我慢を重ねて生活しています。幼いなりに自分の置かれ
ている状況を理解して一生懸命に頑張っているのです。
そういうなかでまれではありますが兄弟姉妹たちに、
軽い登校しぶりやチック症状や頭痛・腹痛など、心の面での不調を訴えているなと感じられることがありま
す。ですから、闘病中の子どもたちと同じ位に気を付けてあげなければならない場合もあると思うのです。
ほんの少し視野に入れたいという思いで、兄弟姉妹のことを日常的に、または懇談会で話題にしたり、毎
回ではありませんが遠足などは家族遠足にして休日に実施しています。今までに河原で飯ごう炊さんをした
り、焼き肉会をしたり、信州高遠国立少年自然の家に野外学習会に行ったり、病院近くの場所には遠足で何
回か行ったりもしました。そのなかで、親同士が悩みを相談し合ったり、参加した子どもたちみんなが仲良
くなったりしています。院内学級児童だけではなく、その家族も含めてみんなが少しでも支え合うことがで
きればいいなあというのが私の願いでもあります。
(3)『信州すずらんの会』の皆様との出会い
現在、院内学級の教室には、子ども病院の『信州すずらんの会』の皆様より寄贈されましたパソコン、ミ
シン、MDラジカセ、オーブンレンジが置かれています。それぞれ、教室にあったらいいなあと常々、必要
性を感じていた品々です。
どのように教室で使われているかちょっとご紹介したいと思います。パソコンは言うまでもなく、調べ学
習に使わせて頂いています。例えば春には、野外探検で食べられる野草があることを知った子どもたちがパ
ソコンで調べ、食べられる野草も多くあるがまた逆に毒の草もあるということ、調理方法もいろいろあるこ
と、野草を食べる会が全国いろいろなところにあることを調べました。そして、早速調べた野草を摘んでき
て、天ぷらにしてみんなで食べました。また、社会の勉強でも毎回のようにパソコンを使って調べ学習をし
ています。外に出て調べたり、図書館へ出かけて行ったりすることがなかなか思うようにいかない子どもた
ちだからこそ、居ながらにして学べるパソコンは有り難いです。ミシンは、家庭科の学習にも使わせていた
だいていますが、総合活動の人形劇では、6年生のYさんが「私、ミシンを使って人形の衣装を縫うね。」
と張り切って縫いました。MDラジカセは朝の会で歌を歌うとき、大変役立っております。オーブンレンジ
では何回か調理実習をさせて頂きました。今までは担任の古い物をもってきて使っておりましたので、とっ
ても便利で子どもたちも大喜びです。6月には、摘んできたヨモギを使ってヨモギクッキーを作って、病棟
の看護師さん方や、家の人にも味を見て頂きました。そして、感謝の気持ちを少しでも表そうと子どもたち
と相談して、『電池が切れるまで』の宮越由貴奈ちゃんのお宅に本当にごくわずかですがお送りして、お仏
壇に進ぜて頂きました。
『信州すずらんの会』からの心のこもった品々の寄贈を受けて、大変有り難いという気持ちと同時に、『電
池が切れるまで』に寄稿している子どもさん方と本を通して出会えましたこと、また親の会や事務局の方々、
子どもさん方を指導なさった山本先生ともお話ができましたこと、何よりも嬉しかったです。
この尊いご厚志を無駄にしないよう、大切に使わせて頂きます。ありがとうございました。
18
<終わりに >
院内学級の子どもたちは皆、たとえ病気と向き合っていても、入院中であっても、瞳を輝かせて毎日を明
るく精一杯前向きに生きています。そして、闘病生活を送る中で、我慢したり耐えたりすることが多いから
なのか、どの子どもたちもみんなとっても優しい子どもたちです。どうしてこんなに人や物や自然に対して
優しくなれるのか不思議なくらいです。そんな子どもたちと生活する中で、どんな状況におかれても精一杯
前向きに明るく生きていくことの尊さや、思いやりや優しさをもって生活することの素晴らしさを子どもた
ちから教えてもらうことができました。本当に子どもたちはすごいなあというのが実感です。
多くの方々に支えられて現在の私があります。子どもたちをはじめとしまして、保護者の皆様、教室へ来
る度に子どもたちを勇気づけてくださった校長先生・教頭先生方や各先生方、いつも温かく見守ってくださ
った病院長先生をはじめとした医療スタッフの皆さん方には本当に感謝しております。そして忘れてはなら
ないのは、「闘病生活を送っていてもできるだけ体験的学習を大切にしたい。」という私の一番の理解者で
あり、子どもたちの願いと病状にいつも折り合いをつけてくださっている小児科医長の薮原先生には本当に
感謝しております。
<院内学級での調理実習>
伊那中央病院院内学級Y.Sさん(小6)の作品
19
◇◇◇
豆知識ポケット
◇◇◇
・・・転校により教科書が相違し、学習の継続や復学に支障が生じる・・・
平成16年4月に院内学級打ち合わせ会を開いたところ、保護者の方、石井さん、宮越さんなどから教
科書の問題が取り上げられました。考えが及ばなかった点ですので、配慮のなさを反省するとともに、ご
指摘いただいたことに対して大変感謝申し上げます。1年以上の長期入院になる場合、院内学級のある学
校と原籍校(元の地元学校)との教科書が相違し、学習の継続や復学に支障が生じるというものです。
そこで、早速、野池義務教育課長が、文部科学省に、特例でも例外でも良いのでとにかく弾力的運用を
認めていただきたいと、お願いや要望をいたしました。最終的な結論には至っていませんが、教科書の無
償配布制度や教科書の採択地区など法律的なことも含めて、途中経過を報告したいと思います。
初等中等教育局教科書課 大西補佐・山田企画係長に説明した資料です。
資料
1
長野県立こども病院
院内学級における教科書の扱いについてのお願い
長野県教育委員会義務教育課
1
現状
県立こども病院(南安曇郡豊科町)は、平成3年に、小児癌等に対する高度かつ特殊な専門的小児医療を提供するた
めに建設されました。院内学級は平成7年から豊科南小中学校の75条学級として開設されました。その間、延べ約
250名の子ども達が院内学級に在籍しました。
県内各地からの入院となりますので、教科書の採択は地区(県内15地区)によって異なり、入院期間も1年以上の
長期にわたります。長期にわたる闘病生活の後、元気に原籍校に復学する子ども達も大勢います。その長期間の入院中
に使用する教科書は、豊科町を含む南安曇郡での採択教科書を使うことになります。しかし、元気に復学した後は、原
籍校のある地区における採択教科書を使用することになります。子ども達は原籍校とのつながりをもちつつ、勉強での
遅れがでないように頑張っていますが、教科書が違うことが一つの課題になっています。保護者は、入院費用等が嵩む
中、原籍校で使用する教科書を購入して子どもに使用させています。また、院内学級の先生も、原籍校と学習進度など
を確認しながら、原籍校での教科書で授業しております。
2
検討いただきたい事項(下線部の弾力的運用について)
教科書採択事務取扱要領中(3)特殊学級で使用する学校教育法第107条の規定による教科書の採択において、
ア
採択の原則
学校教育法第107条、同法施行規則第73条の19の規定により、小・中学校の特殊学級で、特別の教育課程に
よる場合において、教科により当該学年用の検定教科書を使用することが適当でないときは、当該学校の設置者の定
めるところにより、他の適切な教科書を使用することができることとなっている。
この場合にも市町村の教育委員会及び国立、私立の小・中学校の校長は、都道府県教育委員会の指導、助言等によ
り、十分調査研究を行い、適切な教科書の採択に努めることが必要である。
なお、特殊学級においても検定教科書を使用する場合は、その採択地区内のものと同一のものを採択することとなる。
20
資料
2(長野県における採択地区等の状況)
○小学校採択教科書一覧(平成17年度∼)
採択地区
国語
書写
社会
地図
算数
理科
生活
音楽
図工
家庭
保健
佐久
光村
光村
光村
帝国
啓林館
信教
信教
教芸
日文
開隆堂
東書
上小
光村
光村
東書
帝国
啓林館
信教
信教
教芸
日文
開隆堂
学研
諏訪
光村
光村
東書
帝国
啓林館
信教
信教
教芸
日文
東書
東書
上伊那
光村
光村
東書
帝国
啓林館
信教
信教
教芸
日文
東書
学研
下伊那
光村
光村
東書
帝国
啓林館
信教
信教
教芸
日文
東書
東書
木曽
光村
光村
東書
帝国
啓林館
信教
信教
教芸
日文
東書
東書
松塩筑
光村
光村
光村
帝国
啓林館
信教
信教
教芸
日文
開隆堂
学研
南安曇
光村
光村
光村
帝国
啓林館
信教
信教
教芸
日文
開隆堂
東書
北安曇
光村
光村
東書
帝国
啓林館
信教
信教
教芸
日文
東書
東書
更埴
光村
光村
東書
帝国
啓林館
信教
信教
東書
日文
東書
東書
須高
光村
光村
東書
帝国
啓林館
大日本
信教
教芸
日文
東書
学研
下高井
光村
光村
東書
帝国
啓林館
信教
信教
教芸
日文
東書
学研
上水内
光村
光村
東書
帝国
啓林館
信教
信教
教芸
日文
東書
光文
飯水
光村
光村
光村
帝国
啓林館
信教
信教
教芸
日文
開隆堂
東書
長野
光村
光村
東書
帝国
東書
信教
信教
教芸
日文
東書
学研
附属長野
光村
光村
東書
帝国
東書
信教
信教
教芸
日文
東書
学研
附属松本
光村
光村
光村
帝国
啓林館
信教
信教
教芸
日文
開隆堂
学研
○中学校採択教科書一覧(平成14∼17年度使用)
採択地区
国語
書写
地理
歴史
公民
地図
数学
理科 1
音楽
美術
保体
技術
家庭
英語
佐久
光村
光村
東書
帝国
東書
帝国
啓林館
理科 2
器楽
東書
教芸
日文
学研
東書
開隆堂
東書
上小
光村
光村
東書
東書
東書
帝国
啓林館
東書
教芸
日文
学研
東書
東書
東書
諏訪
光村
光村
東書
東書
東書
帝国
啓林館
東書
教芸
日文
学研
東書
東書
東書
上伊那
光村
光村
東書
東書
東書
帝国
啓林館
東書
教芸
日文
学研
東書
東書
東書
下伊那
光村
光村
東書
東書
東書
帝国
啓林館
東書
教芸
日文
学研
東書
東書
三省堂
木曽
光村
光村
東書
東書
東書
帝国
啓林館
東書
教芸
日文
学研
開隆堂
開隆堂
東書
松筑
光村
光村
東書
東書
帝国
帝国
啓林館
東書
教芸
日文
学研
東書
東書
東書
南安曇
東書
光村
東書
東書
東書
帝国
啓林館
学図
教芸
日文
学研
東書
東書
東書
北安曇
光村
光村
東書
東書
東書
帝国
啓林館
東書
教芸
日文
学研
東書
東書
東書
更埴
光村
光村
東書
東書
東書
帝国
東書
東書
教芸
日文
学研
東書
東書
三省堂
須高
光村
光村
東書
東書
東書
帝国
啓林館
東書
教芸
日文
学研
東書
東書
三省堂
下高井
光村
光村
東書
東書
東書
帝国
啓林館
東書
教芸
日文
学研
開隆堂
開隆堂
東書
上水内
光村
光村
東書
東書
東書
東書
啓林館
東書
教芸
日文
学研
東書
東書
東書
飯水
光村
光村
東書
東書
東書
帝国
啓林館
東書
教芸
日文
学研
東書
東書
光村
長野
東書
光村
東書
東書
東書
帝国
啓林館
東書
教芸
日文
学研
東書
東書
東書
附属長野
東書
光村
東書
東書
東書
帝国
啓林館
東書
教芸
日文
学研
東書
東書
三省堂
附属松本
光村
光村
東書
東書
帝国
帝国
啓林館
東書
教芸
日文
学研
東書
東書
東書
佐久長聖
光村
光村
東書
東書
東書
帝国
啓林館
東書
教芸
日文
学研
開隆堂
開隆堂
三省堂
21
資料
3(教科書配布と購入実態調)※こども病院院内学級の先生にご協力いただきました。
長野県立こども病院・院内学級における児童、生徒の教科書使用の実態
長野県教育委員会義務教育課
1.平成16年度前期の教科書使用の実態(4月1日現在)
配布人数
小学校
(割合)
中学校
(割合)
5
合致教科書数
不一致教科書数
32
5
86%
14%
18
11
62%
38%
(5人に計37冊配布)
3
(3人に計29冊配布)
私費で購入した教科書について
・小学校5年生の社会科
・小学校6年生の社会科
・小学校6年生の算数2冊
計4冊
・中学校3年生の国語
・中学校3年生の公民
計2冊
2.平成16年度後期の教科書使用の実態(9月29日現在)
配布人数
小学校
(割合)
8
(全31冊)
合致教科書数
不一致教科書数
26
5
84%
16%
中学校
私費で購入した教科書について
・小学校4年生の社会科
・小学校5年生の社会科
(現時点では未定3冊)
計2冊
・後期配布なし
(割合)
*合致教科書とは、県立こども病院・院内学級(南安曇郡)で配布された教科書と児童、生徒の出身校で使
われている教科書が同じものを指す。
*不一致教科書とは、県立こども病院・院内学級(南安曇郡)で配布された教科書と児童、生徒の出身校で
使われている教科書が異なるものを指す。
*私費で購入した教科書とは、配布された教科書が不一致教科書であるため、私費で出身校と同じ教科書会
社より発行された教科書を購入したものを指す。
*私費で購入した教科書数と不一致教科書数が合致しない主たる理由は
①入院期間が短かったり、病気治療により未習の教科書があるため
②病気等の都合により院内学級では出身校の教科書が十分使用できない教科があるため
③配布された教科書に教師が補足して、出身校の教科書の内容を補っているためである。
○
4月1日又は10月1日に院内学級に在籍する児童・生徒に対して配布した教科書数をベースに実態調
査しております。したがって、年度途中などの転籍による児童・生徒は除いてあります。
22
(参考)
3.平成15年度前期の教科書使用の実態(4月1日現在)
配布人数
小学校
4
(割合) (全25冊)
中学校
3
(割合) (全20冊)
合致教科書数 不一致教科書数
21
私費で購入した教科書について
4 ・不明
84%
16%
20
0 ・不明
100%
0%
4.平成15年度後期の教科書使用の実態(10月1日現在)
配布人数
小学校
6
(割合) (全22冊)
合致教科書数 不一致教科書数
20
私費で購入した教科書について
2 ・不明
91%
9%
5.平成14年度前期の教科書使用の実態(4月1日現在)
配布人数
小学校
4
(割合) (全28冊)
中学校
1
(割合) (全8冊)
合致教科書数 不一致教科書数
27
私費で購入した教科書について
1 ・不明
96%
4%
8
0 ・不明
100%
0%
6.平成14年度後期の教科書使用の実態(10月1日現在)
配布人数
小学校
5
(割合) (全19冊)
合致教科書数 不一致教科書数
17
私費で購入した教科書について
2 ・不明
89%
11%
23
1
教科用図書の法律上の規定について
◆
学校教育法第21条〔教科用図書又は教材の使用〕と40条では、
「小中学校においては、文部科学
大臣の検定を経た教科用図書又は文部科学省が著作の名義を有する教科用図書を使用しなければならな
い。
」とされています。
一方、院内学級を含む自律(特殊)学級や盲・ろう・養護学校では、法第107条〔教科用図書使用の
特例〕において、
「当分の間、第21条第1項・・・・・の規定にかかわらず、文部科学大臣の定めるとこ
ろにより、第21条第1項に規定する教科用図書以外の教科用図書を使用することができる。
」とされてい
ます。特別な教育課程による児童・生徒について検定教科書又は文部科学省著作教科書があっても、それ
を使用することが適当でない場合には、当該学校の設置者の定めるところにより、他の適切な教科用図書
を使用することができる(施行規則73条の12、73条の20)というもので、107条教科書と称し
ています。
学校教育法逐条解説によると「小中学校の(院内学級を含む)特殊学級において特別の教育課程による
場合には、多くは、当該学年用以下の検定教科書が使用されているのである。同じ検定教科書であっても、
特定の学年の特定の教科用のものを他に用いることができるのは、本条(107条)で認められた場合に
限られるのである。」とされており、院内学級において、107条教科書として検定教科書を使用する場合
には下学年の教科書を使用することになり、同学年の教科書であれば107条教科書には該当しないこと
になります。
◆
ここで留意しなければいけないことは、107条教科書を含む検定教科書や文部科学省著作教科書は
無償(教科書の無償給与の根拠法令である義務教育諸学校の教科用図書の無償措置に関する法律第2条)
となっていますが、この検定教科書には同法第13条〔教科用図書の採択〕において、採択地区ごとに協
議して同一の教科書を採択しなければならないとされています。
したがって、107条教科書であっても「検定教科書は採択地区ごとの教科書を使用しなければならな
い」というのが法律上の結論となるとのことです。
◆
しかし、文部科学省教科書課の山田企画係長は、私見ではあるが「107条教科書という位置付けの
もとで、
下学年の検定用教科書を使用するのであれば、採択地区を問わず使用できるかどうか検討したい。」
と語ってくれました。文部科学省教科書課内で更に議論していただけることになっています。
子ども達のための法律であればこそ、子ども達にとって望ましい形で運営されることが期待されるとこ
ろです。
24
2
では、院内学級で使用する教科書が地元校と違う場合、実際どのようにしたらよいのでしょうか。
◆
一般的に、教科書は、教科書無償法と教科書無償措置法に基づく教科書無償給与制度により、入学式
または始業式の当日などに児童・生徒に無償で給与されます。
同一年度において教科書を給与されるのは、
一度だけという原則ですので、同じ年度で、同一人に対して同じ教科書を再度給与することはできないこ
とになっています。
ただ例外として、学年の途中で転入学してきた児童・生徒については、転学前の学校で給与された教科
書が転学後において使用する教科書と異なる場合だけ、新たに使用する教科書が給与されます。ただし、
教科書が給与される期間は、学年の初めから2月末日までとなっています。
◆
院内学級の場合、現実に即した形で法律が改正されるのが一番でありますが、現実的かどうかは別に
しても、次のようなことが考えられます。
① 学籍を、年度末(2月頃)から年度当初(4月頃)にかけて、地元校に移す。
⇒ 地元校で使用する教科書が、入学式・始業式に併せ配布される。4月1日の学籍簿上でも地元校
の学級の一員であるので、クラスの一員であるという意識も持ちやすくなる。ただし、入院中で
あるので、実態にそぐわないケースが考えられ、また、転籍事務の煩雑化が生じることも考えら
れる。
② 採択地区を県全体とする。
⇒ 最近の動きとして、採択地区のより細分化が叫ばれており、学校ごとに採択できるようにという
審議会での意見がある。
③ 教科書課の山田係長の検討方向が実れば、下学年の教科書とはなるものの、採択地区に関係なく原
籍校(地元の学校)の教科書が給与されることになります。
⇒ 法律的な解釈を変更することで可能となるよう、もっと国に働きかけていきたい。
④ 南安曇地区以外の採択地区分の教科書を、院内学級用として購入しておく。
⇒ 当面、一番現実的な方法と思われる。ただし、費用負担については別途検討が必要である。
次回のニュースレターVol.3 では、平成17年2月12日(土)に開催を予定している「院内学級保護者
等関係者打ち合わせ会」で出された保護者・医師・学校関係者の方々からの意見などを報告したいと思
いますので、どうぞ、ご期待ください。
「子ども達の生きようとする力に学ぶ」を合言葉に、関係者が力を合わせて一歩でも前進してまいり
たいと思います。よろしくお願いいたします。
25
Fly UP