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大田氏提出資料

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大田氏提出資料
資料6
第3回再チャレンジ懇談会
『復興御宿
富双江葉大馬』グループ
総女将
1.
大田
美智
現在に至るまでの経緯について
私は、平成15年8月に当時自動車部品の製造販売を主たる業務としておりました
(株)インシュランスに普通の OL として入社しました。その後、若年層の自動車離れ
が進み事業の構造改革の下、不動産賃貸管理業の比重を高めました。社内のさまざま
な仕事と経験を積み、平成21年5月に代表取締役に就任すると同時に自動車部門を
売却し、それによって得た資金を新たなる不動産購入に充当し、富裕層向け優良賃貸
住宅 INSURANCE
BLDG.のブランドを確立いたしました。私どもの賃貸物件のコ
ンセプトはただ単に収益物件の取得にとどまらず、取得物件がその地域にもたらす影
響を考慮し、地域全体の活性化につながるようにいたしております。具体的には、高
齢者やお体の不自由な方のために入口を全てスロープ状にし、防犯用カメラを敷地内
だけでなく周辺道路にも向け近隣の防犯活動に貢献しております。
平成23年は飛躍の年と考え、大型物件も取得を加速させ東葛地域だけでなく総武
線沿線にも進出しようと計画していた最中に東日本大震災に遭遇しました。
ご入居者様の不安を取り除くために構造上の耐震調査を独自に調査し、福島原発の
爆発事故に伴う放射能汚染の問題が千葉県でも話題となっておりましたので弊社でも
ガイガーカウンターを用意し、全物件の敷地で毎日放射能測定を行い入居者様からの
お問い合わせにもすぐに回答できるように体制を整えました。
東日本大震災の2週間後に、私どもは、宮城県から福島県の太平洋岸を視察して回
り、その被害の大きさと凄まじい惨状を目の当たりにしました。自動車部品の製造販
売部門に携わっていた頃、協力会社が福島県の浜通り地区にたくさん点在していて、
その会社の方たちに私も公私共にお世話になっておりましたので、震災後その方たち
とは連絡も取れず心配でなりませんでした。
社内のミーティングで被災された方に何かお役に立てることはないかとみんなで案
を出し合い、その中で温泉旅館を始めて被災された方々やご家族を失った方(特に震
災孤児となられたお子様)を格安プランや無料ご招待という形でお招きし、心と体を
癒して差し上げようと考えました。それから、私自ら関東近辺の温泉場めぐりが始ま
りました。
2.女将(女性)としての再チャレンジ
INSURANCE
BLDG.のブランドも千葉県北西部では確立され、震災後も当初の
予定には及ばないものの物件取得を進めて参りました。8棟のマンション、2棟のオ
フィスビル
総戸数 430 戸を運営管理するようになり安定的な賃貸収入も得ておりま
した。
「違業種に新規参入して苦労するよりも既存の事業を維持発展させた方がいいの
ではないですか。」などの意見もございました。それでも私たちはそうした意見を振り
切って未知の世界に挑んでいくことを決意しました。私自身、温泉旅館と言っても宿
泊したことはありますが、それを運営するとなると全くの素人ですが、過去やってき
た事業もほとんどが0からの出発でありましたし、東日本大震災で大変な思いをされ
た方のことを考え、何とか復興支援事業を成功させたいという強い信念で頑張って参
りました。
何十件という温泉場を夏場の熱い時期に車で回り(北関東、福島県、甲信越、伊豆
箱根地方)走行距離は1ヶ月で 6,000 キロ以上となりました。
私どもとゆかりのある福島県に候補を絞って物件を求めましたが、最終的には 3 月
11 日震災の日から 6 か月後の 9 月 22 日に栃木県と福島県の県境近くにある那須町湯
本のかつての名門旅館『十石荘』様を取得することとなりました。この地は那須御用
邸の近くにあり、お子様に喜ばれるレジャー施設やご家族で楽しめる観光名所も多く、
被災された方の心と体を癒すにはこの地が最適であると思いました。
物件を取得してからは、毎日が戦争のようでした。その時はまだ、自分が女将をす
ることになるとは思いませんでした。その中で 30 人位の職人さんの食事の世話を私一
人でやっていると、自然とみんなが、私のことを女将さんと呼ぶようになり、そのま
ま女将となった次第です。
私どもの旅館名の頭には必ず『復興御宿
富双江葉大馬』がつきます。『富双江葉大
馬』とは、福島県東部沿岸地域(福島県浜通地区)の特に被害の大きかった『富岡町』
『双葉町』『浪江町』『楢葉町』『大熊町』『南相馬市』の 6 市町より一文字ずつ引用さ
せて頂き『富双江葉大馬』(ふそうこうようおおま)といたしました。
現在、7 つの宿泊施設を保有し、内 3 つの温泉旅館を開業運営いたしております。ま
た 5 月の連休前までにもう 1 つ川俣温泉にて営業開始する予定です。一人でも多く東
日本大震災で大変な思いをされた方や震災孤児となられたお子様をご招待して私ども
の旅館で勇気づけて差し上げることができれば幸いでございます。
また、私は企業経営者であると同時に 3 児のまだ小さな子供の母親でもあります。
仕事と子育ての両立が出来たのは職住の場所が同じであったことが大きな要因です。
企業の経営をしながらの子育ては相当な体力が必要でありストレスも大きいものです。
社会問題となっております待機児童の問題には早急に対応して頂きたいと思います。
現在の時間枠ではせいぜいアルバイトかパートタイマーしかできない方が多いのでは
ないかと思いますので、保育所での時間の幅を正社員や女性管理職向けに広げて頂け
れば、もっと女性も働きやすくなると思います。
アベノミクスの成長戦略の中で『女性が輝く日本』の具体策として 25 歳から 44 歳
の女性就業率を 2020 年までに 73%にする項目がございますが、私もぜひその政策を
女性企業家として支持して参ります。私どもの旅館運営においてもスタッフの内女性
が過半数を占めており、管理職としての登用も積極的に行っております。女性が社会
へどんどん進出して、女性経営者や女性議員の増加は将来の日本にとってとても大切
なことだと思っております。
3.被災者への復興支援への取り組みとまとめ
現在、被災地の現状から見ますと、現政権における復興支援は着実に進みつつあり、
震災直後に大きな問題でありましたガレキの処理や除染の問題は比較的鎮静化に向か
っておりますが、地方自治体におかれましては被災された方々を平均的、画一的に支
援する傾向があり、仮設住宅での生活を余儀なくされていらっしゃる方やご家族を失
って震災孤児となったお子様などに対する心のケアは、残念ながらまだ十分になされ
ておりません。その部分を私どもで手助けできればと思っております。ご宿泊してく
ださる方との心と心のつながりを大切にして参ります。
私どもは、今年の震災の日 3 月 11 日(火)に『那須湯本十石』
『塩原秘極の湯 葵』
『塩原秘極の湯
紅』の 3 館にて東日本大震災で大変な思いをされた方々を無料でご
招待いたします。現在、既に 54 組
約 180 名の募集に対して満室のご応募を頂いてお
ります。まだまだご応募が続いておりますので、抽選とさせていただき、年に数回は
この企画を続け一人でも多くの方をご招待できるように企画して参ります。また、私
どもだけの力では、限界がございますので、只今大手企業様、地元有力企業様を中心
にお声掛けをしてご支援とご協力をお願いいたしております。
最後になりますが、私がここまでやって来られたのは、東日本大震災でご苦労され
ていらっしゃる方に少なからず支援の手を差し伸べることを基本理念に事業を進めて
きたことと、それに対して多くの方からのご賛同を頂き、ご協力とご支援を頂けたこ
とです。
まだ、道半ばではございますがこれから先も、速度を緩めることなくこの復興支援
事業を進めて参ります。そして被災地の復興が進んで福島県をはじめ東北地方全体が
元気を取り戻すことを願っております。
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