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高層気象台彙報第 69 号の発行にあたって -特にこれから投稿しようと
高層気象台彙報第 69 号の発行にあたって -特にこれから投稿しようとする人へ- 高層気象台長 石 原 正 仁 今回高層気象台彙報第 69 号を発行することになった.第 68 号が発行されてから約 3 年が経 過し,少し間が空いた.これには訳があって,高層気象台彙報(以後「彙報」)についてずいぶ んと前からその去就が論じられてきた.気象庁には研究時報,測候時報さらに英文彙報という それぞれ論文誌,技術報告誌,英文論文誌があり,これらとの統合(吸収というべきか)が何度 か議論されたと聞いている.この 3 年間もこうした議論・検討があったのである.確かに学術 誌に限らず出版物は広く読まれることに価値があるわけだから,彙報が著名誌に吸収されるこ ともひとつの選択肢ではある.実は私も半年前に高層気象台に赴任してくる前は漠然とそう感 じていた.赴任後当台の仕事を知るようになって,彙報には高層気象観測や日射放射オゾン観 測という専門分野に限定して調査・開発・研究の成果を「記録」するという大事な使命がある ことに気がついた. 当台の仕事は,現業,試験(校正・修理など),技術開発(新規・改良),調査,研究と多岐にわ たっている.職員数は地方気象台とほぼ同じであるが仕事の分野と種別は広い.これらの仕事 の中で現業と試験は「日々やること」に意義がある.一方,技術開発・調査・研究の場合には 「記録を残し人に知らしめること」に意義がある.屋外で,実験室で,あるいは室内で作業し ているときはまだ仕事の始まりに過ぎないのである.それによって得た結果をまとめて他人に わかるように記述し,後世に残す作業がそれらの仕事の本質といえる.これは思いのほか気が 重いことである.なぜなら,例えば研究を始める前は世間でだれも知らないことを調べるとい うワクワクする気持ちが仕事を支えている.技術開発では今までにない装置やプログラムを自 分が作っているという興奮が時間の経つのを忘れさせる.そうやって没頭したあとに成果が出 る.期待どおりの成果,期待以上の成果,思ったようにはいかなかった結果と様々である.特 に期待以上の成果が出たとき,本人の気持ちは最高潮にある.だからそのピークが去ったあと に論文やレポート(技術報告)を書くため机に向かうことはつらい.書くことがつらいというよ り,自分としてはわからなかったことがわかってしまった今,書くことには面白みがないので ある.それでも書かなくてはいけない.上で述べたようにそれがこの種の仕事の本質だからで ある. 科学の進歩は,などというと大げさに聞こえるが,それは後の人が前の人がやったことを繰 り返さないことによって成り立っている.前の人と同じことをしなくてはらならいのは伝承を 重んじる伝統芸能の世界である.道を極めた職人や芸人の技は立派であるが,科学の進歩とは 別の世界である.科学とは前の人がやったことを土台に,あるいはそれを踏台にして,それに ほんのわずかでも新しいことを付加することである.そのわずかな「糊しろ」が大事であり, それだからこそ少しずつ人間は進歩するのである.論文や技術報告はその土台や踏台である. 昔読んだ本の中に記憶に残る言葉があった. 「人から聞いたことも考え,そして書かなければ シエンス(サイエンス,イタリア語で科学)にはならない」である.マキャベリが著書「君主論」 i 高層気象台彙報 第 69 号 2011 の中で述べたとあり,これには「ダンテが言ったように」という枕言葉がつく(塩野:1991). マキャベリも先達のダンテを引用している.私の学生時代の恩師である駒林誠先生(観測部長か ら大学校長でお辞めになった)は授業中にこう教えてくれた.「(研究や調査は)まず始めなさい, 始めたら終わりなさい,そして終わったら書きなさい」.これは英国稀代の科学者ファラディの 言葉だそうである.その後,私はファラディの伝記などを何度かあたってみたがこの言葉はど うしても見つからない.同級生の何人かは先生のこの言葉を覚えているので私の記憶違いでは ない.おそらく授業中に話をよく聞いていない学生達に印象づけるため,先生ご自身の考えを ファラディに託したのかもしれない.そういえばファラディといえば中学・高校生時代に「ロ ウソクの科学」を読まされた人は多い.あの頃はずいぶん退屈な本だと思って読んだが,最近 読み直してみるとその奥深さとわかりやすさに関心した.歳はとるものである.この本は少年 少女を対象としたクリスマス講演会の記録であって,編集者はクルックス管を発明したクルッ クスである.読んでいて気がついたことは,現代の中学校の理科教科書の化学分野はほとんど この本が底本となっているということである. 脱線してしまったので本題に戻る.今回彙報第 69 号を発行するにあたって次のことを決めた. ひとつは紙の形態を存続させること,二つめは掲載する資料を「論文(短報を含む)」,と「技術 報告」に分類して明記することである.ただし分類の明記は第 70 号からである.現代はパソコ ンやインターネットの時代であるから電子書籍とすることも考えられる.事実,彙報は印刷物 と並行して当台の外部向けホームページにも電子版がすでに掲載されている(題目は 1923 年の 第 1 号から,本文は 2004 年の第 64 号から).紙として残すことは手間や経費はかかるし場所も 取るしと,現代にあって無駄ではないかという議論もある.しかし,ホームページや CD など では読みたい人が積極的にそれを捜しに行かないと読まれることはない.印刷物であれば,机 の上に載ったものをふと手にすることもあるだろうし,昼休みに足を隣の椅子に投げ出しなが らでも読むことができる. 20 数年前に米国の大学の図書館でダーウィンの「種の起源」の原本(1859)を見る機会があっ た.何やら銀行の大型金庫のようなところに入ると,それを管理する科学史の先生が手袋をし た手で本のページをめくってくれた.もう 150 年前の印刷物である.そのとき中身はわからな かったが,本の各章が論文の形式になっていてその形式が現代のものと全く同じであることに 驚いた.つまり, {タイトル,要旨,はじめに(緒言),研究手法やデータ,解析・計算などの結 果,考察・議論,まとめ,謝辞,引用文献}というように並んでいたのだ.私が現在とまった く同じ形式ですねといったら,あたりまえです,ギリシア時代からこうなっています,という 答えが返ってきて,なるほど科学とはこういうものかと関心した.そういえば科学・哲学はギ リシア時代に始まったのだ.書物のもつ普遍性,高貴さ,収められている図書室の匂いのなつ かしさ,そうしたものをさし置いて彙報を電子媒体で済ませるという気にはならないし,そう したとき先人に申し訳が立たない気がする.情緒的なことを言ったが,つまり紙と電子媒体の 両者のよいところを両立させるのである. 論文と技術報告の違いは何であろうか.端的にいえば論文はほんの少しでもよいから新しい 発見が含まれるもの,よくいうオリジナリティ(新規性)のあるものである.論文としての形で は未発表であることが原則である.論文はダーウィンのところで述べた{ ii }内の中身がす べて整っている必要があり,話の進展が最初から最後まで首尾一貫したものでなければならな い.ひきかえ技術報告(テクニカルレポート)は,研究・調査,技術開発・改良などのプロセス, そこから得られたデータ,今後解析・分析する方向性などを記録したものである. { }内の 「結果」までは含まれる必要があるが, 「考察」や「まとめ」はよくできていればそれでよいが, 舌足らずであってもかまわない.貴重なデータの集積でページ数が増えることもあるであろう. 結果を無理に解釈するのに時間がかかり結局は印刷物にならないというよりも,手法や得られ たデータが詳細に記述されていれば,次に同じことをする人の手を助けることに役立ち,そこ にこそ技術報告の価値がある.当然,技術報告をもとに本人が論文まで仕上げるということが あってよいし,そうあるべきである.書き手は技術報告と論文の性質の違いをうまく利用して, 作業が終わったらさっさと書き始めて書き終えることである. 研究と調査の違いは何かというと,人によって多少意見が異なるかもしれない.私はオリジ ナリティーの違いと結果の利用に際しての普遍性の違いであろうと思う.わずかであってもき らりと光る新規性があり,結果が広く利用される可能性があるものが研究であろう.調査はこ れまでの研究成果(法則や解析技術など)を自分が取得したデータなどに適用し,その結果を自 分の周辺の仕事に役立てるものと思っている. 「短報」は基本には論文である.ただし,速報性 を重んじる場合や,論文としての成果が軽微であると判断したとき全体のページ数を短くして (日本気象学会の「天気」では 6 ページまで)すばやく発表するものである. 論文を投稿すると複数の査読者がついて細かいコメントとともに採用・不採用・修正の上採 用・修正の上再度査読などの判定をいただくことになる.私の若いときは査読者からたいへん 厳しいコメントをいただくと苛立たしさや情けなさを感じたものだが,最近では全くありがた いものだという気がしている.査読者は論文を修正・改良するにあたって貴重な意見をくれる ものの,論文の最後の謝辞に名前が載ることもない. 査読の作業は全くのボランティアである. であるから,投稿者は査読者からのすべてのコメントに対して修正・改良点を箇条書きにして, 感謝の言葉とともに査読者にお返しする必要がある.ただ査読者のコメントが常に絶対という わけではない.考えが相違するところは査読者に反論することもある.論文や技術報告を書く ことはつらい作業だと最初に述べたが,そうやって苦労して仕上がったときの爽快さを, 「喉に 刺ささった魚の骨がとれた」と表現したのは,北海道大学低温科学研究所の藤吉教授である. 言い得て妙である.これから論文を書く人には同教授の「論文を書く上でのマナー(藤吉:2011)」 を一度読むことをお勧めする.駒林先生の「4 新法的視座について」というエッセー(駒林:1978) も研究・調査を始める前に読むと頭がたいへんすっきりする. 一方技術報告の場合には,査読ではなく共通分野の方から意見をいただくという程度でよい と思う.技術報告では基本的・本質的なところに誤りがなければ掲載は可とすべきである.こ の場合,早く印刷物にすることが大事である.気象庁など異動が多い職場では論文を書く時間 がないこともあるが,技術報告は残すことが調査・研究をするものの義務である.前にも述べ たが実験や観測の結果の羅列(データ集)であることもあり,新しい機器の校正法やプログラム の解説のときもある.考察や議論が舌足らずであっても内容に誤りがなければよい. 私が気象研究所の台風研究部に入った当時,同部に在籍しておられた台風研究の第一人者で ある山岬正紀氏(現 JAMSTEC)が雑談で次のように述べられた.人は論文を手にしたとき,「題 iii 高層気象台彙報 第 69 号 2011 目」,「はじめに」,「まとめ」の順でまず目を通すものである.これで興味が湧かない論文はこ の先読まれることはない.であるから,論文では「題目」と「はじめに」が大切である. 「題目」 は漠然としたものではなく,内容が頭にスーと入るような具体的かつ魅力的なものがよい.例 えば山岬氏の最近の論文の題目は「メソ対流システムの研究」ではなく「潜在不安定で鉛直シ アーのある流れのもとで南北非対称性を伴うメソ対流システムの研究」とある(Yamasaki:2009). そして「はじめに」では先達がいかに苦労してここまでの道を作ってきたかを,簡潔でしかも 漏れがなく書く必要がある.これを聞いて私はなるほどと思った.この論文の著者はこの分野 の発展の過程をよく知っており,現在の課題・問題点を理解していると思えば,たいていの場 合読み手は次の章に移るのだ.逆説的にいえば,初めから大上段に論文を書こうと構えなくと も,他の人の論文をいくつか読んで「はじめに」の章をきちんと書き,その後の章を先に述べ た順序で書いていけば論文が自然と仕上がるのである.私は「はじめに」の章をうまく書くこ とができれば,論文を書く作業の半分は終わったのも同然と思っている. さて最後になるが,皆さんは「3 倍の法則」をご存知だろうか.「Cross の第 1 法則」ととも に科学の分野では有名な法則である.というのはウソである.論文を書くときには予定した時 間のざっと 3 倍の時間がかかってしまう,という私が若いころに論文を書こうとしてもがいて いた時に見出した法則である.この法則は人の性格に依存するところが大きいのでだれにでも 適用できるわけではない.また実際には 10 倍の法則になることも多い.とにかく書くことを始 めるにあたっては時間的な見積りを甘くするなという自戒の念にもとづいてできた私的な法則 である.ところで「Cross の第 1 法則」とは「研究発表の際のスライドでは,1 枚のスライドの 中には 7 行以上の文字や数式を入れてはならない」という教えであり,これは中村(1982)から 学んだ.この本は国際学会での発表のやり方をおもしろく親切に解説しており,たいへんため になる.台内の談話会などでも通用する内容が多い.私の座右の書である.さて,ここまでの 文章ではほとんど他の人の本やことばを引用してきたが,上記の 3 倍の法則は私の唯一のオリ ジナルである.言い訳をすれば,私が持っているわずかなオリジナリティーの証である. 転勤や退職で現在の職場を去ったあと,気象台の書庫や気象庁の図書室の書棚の一角に自分 が書いた論文や技術報告がひっそりとしかし確かに残っていると思うと,何やら愉快でなつか しいではなかろうか. 参考資料 ファラデー(1861):ロウソクの科学.岩波文庫などに訳あり. 藤 吉 康 志 (2011) : 院 生 ( ? ) の た め の 論 文 マ ナ ー . 北 海 道 大 学 低 温 科 学 研 究 所 HP, http://stellar.lowtem.hokudai.ac.jp/research/papers/ronbun-manner.pdf 駒林 誠(1978):4 新法的視座について.天気,7,539-540. 中村輝太郎(1982):英語口頭発表のすべて.丸善. 塩野七生(1987):わが友マキアヴェッリ-フィレンツェ存亡.中央公論社. Yamasaki, M. (2009):A Study of the mesoscale convective system under vertical shear flow in the latently unstable atmosphere with north-south asymmetry. J. Meteor. Soc. Japan, 87, 245-262. iv 正誤表 口絵 1 ページ,Fig.2 誤:Fig.2 Doppler lider at the Aerological Observatory, TATENO. 正:Fig.2 Doppler lidar at the Aerological Observatory, TATENO. 口絵 2 ページ,口絵 2 の解説図 誤:The example of continuation wind observation by Doppler lider 2011/10/7. 正:The example of continuation wind observation by Doppler lidar 2011/10/7. 19 ページ,左 20 行目~右 1 行目 誤:1986 年 3 月~1986 年 12 月 正:1968 年 3 月~1968 年 12 月 なお,ホームページ掲載の pdf 版は上記の誤りを修正済み。 v