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「第 3 の道」を求めて: アルトゥール・カウフマンの法哲学①

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「第 3 の道」を求めて: アルトゥール・カウフマンの法哲学①
(570)
「第 3 の道」を求めて:アルトゥール・カウフマンの法哲学①
1
シュテファン・グローテ
「第 3 の道」を求めて:
アルトゥール・カウフマンの法哲学①
上 田 健 二 訳
訳者まえがき
こ の 訳 文 は、Stefan Grote, Auf der Suche nach einem „dritten Wege“: Die
Rechtsphisosophie Arthur Kaufmanns, Studien zur Rechtsphilosophie und
Rechtstheorie, heraugegeben von Prof. Dr. Robert Alexy und Prof. Dr. Ralf Dreier,
Band 45、1. Auflage 2006を原著者および本書の出版社Nomos Verlagsgesellschsft
Baden-Baden の2007年 3 月14日付の包括的な承諾書を得て全訳したものである。
著者の「まえがき」には、「本研究は、ゲッチンゲンのゲオルク・アウグスト大
学法学部の2005/2006年の冬ゼメスターに博士論文として受理された論文にさら
に手を加えたものであり」
、指導教授はハンス・シュライバー教授であり、上記
研究シリーズの編集者であるロベルト・アレクシー教授とラルフ・ドライアー教
授によって当該シリーズに採用されたとある。
訳者は本書の原著者であるシュテファン・グローテ氏とはこれまでには直接的
な面識はなかったのであるが、彼のほうでカウフマンの「人格的」法哲学に関連
した訳者のいくつかの刑法学上のドイツ語による論文を読んで訳者の存在をすで
に知っており、本書の出版を契機に早速故アルトゥール・カウフマンの未亡人で
あるドローテイア夫人に訳者の住所を問い合わせて本書を送呈することにしたと
その最初の通信文に書かれていた。
ところで訳者は、すでに2006年 ₁ 月に公刊されているアルトゥール・カウフマ
ンの半世紀以上にもわたる学問的人生行路のいわば終着駅であり、その生涯にわ
たる学問的営為の総決算とも言える最後の大著『法哲学(第 ₂ 版)
』(1997年)の
日本語版(ミネルヴァ書房)の「訳者解説」のなかで、この著書の翻訳中にすで
に原著者が故人となっていたことから、「アルトゥール・カウフマンの生涯と作
品」という副題を付して「訳者あとがき」としては異例長い「解説」
(429⊖559頁)
2
同志社法学 59巻 ₁ 号
(569)
をこの訳書に付け加えた。とはいえ、これはいわゆる「帯に短し襷に長し」の喩
えの通りで、当然のことながら主として20世紀の後半から今世紀の初頭にかけて
法哲学と刑法学の領域で ― そしてこれに劣らず神学、哲学、倫理学の領域で
も! ― 活躍した、ドイツが輩出した世界的な碩学の生涯を描く伝記としてはき
わめて不十分なものでしかない。ある偉大な人物の伝記が書かれるのは、通例と
してその人物の歴史的評価が定まった段階である。アルトゥール・カウフマンも
その師グスタフ・ラートブルフの伝記を書いているのであるが、それは次のよう
な言葉で締め括られている。「昔も今も偉大な人物については、そして誰が実際
に偉大であるかについては、歴史がはじめて決定する。そしてラートブルフは、
その死後40年になってもいまだ歴史ではない。われわれの見方から確実に言い得
るのは、ラートブルフは偉大な人物であったということである。その理解力とそ
の理性によって重要である人物は存在する。その感情と魂のゆえに重要な人物も
存在する。そしてこの両方の力によって卓越した人物も、もちろん少数ながら存
在する。ラートブルフはこの最後の人物であった」
(Arthur Kaufmann, Gustav
Radbruch. Rechtsdenker, Philosoph, Sozialdemokrat. 1987, S. 198. 中義勝・山中敬
一訳『グスタフ・ラートブルフ』
(成文堂、1992年)248頁以下)。そこで訳者も
これに習って上記「解説」なかで次のように記しておいた。「アルトゥール・カ
ウフマンという人物についても、その歴史的評価が定まった段階で適任の人を得
てその本格的な伝記が書かれるであろう。この『訳者解説』はそこへと繋ぐいわ
ば橋渡しとしてこの人物についてこれまで知られていることを手がかりにその
『生涯と作品』の最小限が書き求められるにすぎない」と。この予期された伝記
が思いがけない速さで ― 故人の死後たった ₅ 年にして! ― 送られてきた。そ
れがこの訳文の原本である。一読してその内容の充実さ、とくにカウフマンの著
作物の緻密な分析とその総合的評価の学問的レベルの高さに大きな感動を覚え
た。実際のところ本書は先に触れたカウフマンによるラートブルフの伝記にも、
さ ら に は ラ ー ト ブ ル フ に よ るP. J. A. v. フ ォ イ エ ル バ ッ ハ の 伝 記(Gustav
Radburch, Paul Johann Anselm Feuerbach; Ein Juristenleben, 1936, auch in:
GRGW Bd. 6, 1997)菊池榮一・宮澤浩一訳『1法律家の生涯 ― P. J. アンゼルム・
フォイエルバッハ伝』ラートブルフ著作集第 ₇ 巻東京大学出版会、1963年)とも
比肩し得るほどの名著であると直観し、直ちに翻訳作業を開始した。翻訳を進め
るうちにその明晰な文章力をもって膨大な関連文献を駆使してそれらを総合的な
統合へともたらすというこの若いドイツの法律家の卓越した能力、それもこのよ
うな骨の折れる仕事をたった ₅ 年間で仕上げるという卓抜した集中力に驚きの念
が募るばかりであった。そこで、アルトゥール・カウフマンの死後に彼の残した
(568)
「第 3 の道」を求めて:アルトゥール・カウフマンの法哲学①
3
学問上の著作物への再評価を求める関心がわが国でもますます高まってる現在に
おいて、この本のテクストだけでもとりあえず早急に正確な日本語に翻訳してそ
れを本誌に、それもその分量にかんがみて 3 回に分けて掲載することにしたわけ
である。
とはいえ、周知のようにアルトゥール・カウフマンが生存中に書き残した著作
刊行物は膨大な数量に及び、純学問上の著作物以外に物故者への追悼文、レクイ
エム、諸々の挨拶文、新聞記事などいわゆる雑多物を加えれば、ほとんど無数と
いってよいほどである(一説には全部で700を超えるとも言われている)
。純学問
上の、とくに法哲学と刑法学の領域に限定しただけでも訳者に知られているもの
をまとめた著作文献目録によれば、単行刊行物が44本、編集ないしは共同編集に
よる著作物が42本、論集への寄稿論文が113本、雑誌論文が103本、死後刊行論文
が4本にも達している(上記『法哲学 第2版』巻末に掲載されている著作刊行物
目録を見よ)
。この訳文の原典である本書のなかで純法哲学上の著作物に限定し
て著者の評価の対象となったアルトゥール・カウフマンの作品は299点にも及ん
でおり、著者が参考にした関連文献は何と572点にも達している(本書巻末の文
献目録をみよ)
。これらすべての文献を渉猟したうえでそれらを過不足なく適切
な箇所で言及したうえでカウフマン法哲学の全貌をわがものにしているのは見事
というほかないと同時にかの国のこの分野における学問的水準の高さには圧倒さ
れるばかりである。
では、この偉大な人物が遺したこの膨大な精神的な遺産をこの現在において省
みてその法思想の真髄をわがものとする必要はどこにあるのか。その最も適切な
答えを、アルトゥール・カウフマン自身の言葉に見出すことができる。彼は、彼
が総編集をしたグスタフ・ラートブルフ全集第1巻の冒頭に掲載されているその
導入論文『グスタフ・ラートブルフの生涯と作品』を次のような言葉をもって締
め括っている。
「ラートブルフの著作物はいまだ過去のものではなく、むしろ未
来を指し示している。……法学と法哲学の発展が可能な限りラートブルフを超え
ることがあっても、たとえ一歩であっても再び彼の背後に後退しないこと」
、こ
れがラートブルフ全集の刊行の主要な理由である、と。これを基盤にして20世紀
後半において学問的活動を確実に前進させた人、この人こそアルトゥール・カウ
フマンその人にほかならないのである。そこでこの21世紀に生きて法学を、法哲
学を、さらには刑法解釈論を営まんとする者であれば誰もがこの人物の精神的遺
産の背後に立ち止まることは許されない、ということである。この訳文の原典で
あるシュテファン・グローテの力作『第 3 の道を求めて:アルトゥール・カウフ
マンの法哲学』は、この意味において、そしてアルトゥール・カウフマンを乗り
4
同志社法学 59巻 ₁ 号
(567)
越えてさらに法思想を前進させるためにというその重要な意義をいつまでも持ち
続けることであろう。
以上のような理由から取り急ぎこの画期的な著作の本文の訳文のみを本誌に掲
載することにしたのであるが、カウフマンの著作物については、周知のようにす
でに数多くの日本語訳が存在している。訳者がかかわった訳書だけでもこれまで
にすでに ₈ 冊に及んでいる(前掲『法哲学 第 ₂ 版』の末尾の訳者紹介覧を見
よ)
。この訳文の原典が完結した日本語版として刊行されるには、これらが原書
の引用文の適切な箇所に挿入されることはもとより、原書のなかで言及されてい
ている関連文献の日本語訳も必要に応じて付け加えたうえで、とくに日本の読者
にとって有益な示唆が得られるような、本書の実質的な内容に踏み込んだ『訳者
解説』も書き改められなければならない。本訳文は、そこへ至るためのあくまで
「試訳」であり、
「仮訳」にすぎない。この間に読者から貴重な諸々の指摘が得ら
れるならば、それは訳者にとっては望外の幸せである。
なお、本文中の引用文献のほとんどが原典の正式題名を簡略化して表示されて
いる。それらの正式題名と出典は本書巻末の文献目録に一括して挙げられてい
る。アルトゥール・カウフマンの著作物の正式題名とその出典については、前記
の上田健二訳『法哲学 第 ₂ 版』巻末に搭載されている訳者が作成した著作文献
目録をも参照されたい。
(566)
5
「第 3 の道」を求めて:アルトゥール・カウフマンの法哲学①
目 次
略語目録
〔本誌本号〕 9
第 1 部 始めるに当たっての諸々の所見
A.本稿の目標設定:アルトゥール・カウフマン法哲学への一接近の試み
10
10
Ⅰ.アルトゥール・カウフマンの法哲学
10
Ⅱ.アルトゥール・カウフマンの法哲学上の作品
13
Ⅲ.ひとつの時期を失した課題
B.伝記上の背景
19
20
Ⅰ.序言
20
Ⅱ.アルトゥール・カウフマンの生涯の道
21
Ⅲ.理解背景としての伝記的背景
30
₁ .アルトゥール・カウフマンの解釈
₂ .ヴィンフリート・ハッセマーとウルフリット・ノイマンの解釈
C.アルトゥール・カウフマンの現実性理解
Ⅰ.現実性の過程的性格
Ⅱ.合理主義
30
31
32
32
34
D.中間的所見
37
E.解釈学上の予備的諸考察
38
Ⅰ.理解への道
38
Ⅱ.アルトゥール・カウフマンの思考様式
38
Ⅲ.アルトゥール・カウフマンの哲学理解
39
Ⅳ.道としての法哲学
41
Ⅴ.解釈学上の諸帰結
42
Ⅵ.
「前理解」
42
Ⅶ.赤い糸としての「第 3 の道」を求める探究
F.
「第 3 の道」
Ⅰ.標語しての「第 3 の道」
45
48
48
₁ .ひとつの流布している標語
48
₂ .ひとつの魅惑的な隠喩
49
3 .法哲学上の議論における「第 3 の道」
50
Ⅱ.自然法対実証主義
51
₁.
「法とは何か」という執拗な問い
51
₂ .自然法⊖実証主義⊖問題の暫定的な説明
52
3 .さらなる処理方法にとっての諸帰結
54
₄ .論争の現実性
55
Ⅲ.
「第 3 の道」というものを求める探究
57
₁ .現在の法哲学
57
₂.
「第 3 の道」というものの重要な探究
61
3 .歴史上の諸々の所見
G.探究のさらなる進行
63
65
6
(565)
同志社法学 59巻 ₁ 号
第 2 部 アルトゥール・カウフマンの思考の道
65
A.序言
65
Ⅰ.思考の道の分割
65
Ⅱ.カントの認識批判
67
₁ .存在論と認識論
67
₂ .カントとヘーゲルとの間
67
3 .カントの認識論のアルトゥール・カウフマンの解釈
69
B.思考の道の第 1 節:存在論のフォーラムを前にした自然法論と法実証主義
Ⅰ.歴史的状況
75
75
₁ .法哲学の歴史性についての序言
75
₂ .アルトゥール・カウフマンと自然法のルネサンス
76
3 .自然法のルネサンスから法実証主義へ
76
₄ .歴史的自然法
81
₅ .トマス流の自然法論のアルトゥール・カウフマンの解釈
83
Ⅱ.法の歴史性
86
₁ .歴史性のカテゴリーについての序言
86
₂ .諸々の熟慮の出発点
87
3 .相対主義と歴史主義
88
₄ .法の客観性と収斂の原理
88
₅ .絶対主義の自然法概念
90
₆ .相対主義と絶対主義との間の道
₇ .歴史性と法存在論
Ⅲ.法の存在論的構造
₁ .実在存在論上の出発点
₂ .普遍論争
3 .法の実在性
Ⅳ.法実証主義の一面性
₁ .実践的および理論的実証主義
₂ .法実証主義の存在論的根拠づけ
3 .法実証主義の認識論的根拠づけ
₄ .反⊖形而上学としての実証主義
Ⅴ.伝統的な自然法論の一面性
Ⅵ.法の内的な緊張
Ⅶ.中間的帰結
Ⅷ.法の存在論的歴史性
₁ .人間の歴史性
₂ .人格の歴史性
3 .実存哲学の現存在解釈
₄ .時宜に適った法
Ⅹ.総括と帰結
₁ .総括的な評価
₂.
「第 3 の道」というものは?
90
[以上本号] 91
(564)
「第 3 の道」を求めて:アルトゥール・カウフマンの法哲学①
C.思考の道の第 2 節:自然法と法実証主義を突破して法学的かいしゃくがくへ
Ⅰ.序言
Ⅱ.解釈学的構想の成り立ち
₁ .歴史上の背景
₂ .法存在論から法学的解釈学へ
Ⅲ.法律と法
Ⅳ.類比⊖書の主要思想
₁ .存在と認識との類比性
₂ .法の実現手続き
3.
「事物の本性」
₄ .カール・エンギッシュにおける類似の思想
Ⅴ.アルトゥール・カウフマンの哲学的解釈学の習得
₁ .法学的および哲学的解釈学
₂ .主観⊖客観⊖分裂
3 .法発見過程の解釈学的な質
₄ .解釈学の存在論的転換
Ⅵ.附論:解釈学と自由法運動
Ⅶ.論文『自然法と法実証主義を突破して法学的解釈学へ』(1973/75年)
₁ .予備的所見
₂ .方法 ₂ 元論からの方向転換
3 .自然法と法実証主義の方法論上の類縁性
₄ .解釈学的法理解
₅ .法適用者の積極的な役割
₆ .解釈学の光のもとに照らし出された正しい法
₇ .法律の意義
Ⅷ.批判的評価
₁ .予備的所見
₂ .存在と当為との分離
3 .演繹機械論と当てはめイデオロギー
₄ .ハンス・ケルゼンの当てはめの理想
₅ .中間帰結
Ⅸ.解釈学的構想の引き続く展開と自然法⊖実証主義⊖問題
₁ .予備的所見
₂ .主観⊖客観⊖図式からの方向転換
3 .アルトゥール・カウフマンの後期作品における法学的解釈学
Ⅹ.
「第 3 の道」というものは?
₁ .
「第 3 の道」としての法学的解釈学
₂ .他の手段をもってする自然法思想のひとつの継続か
3 .具体的な自然法か
₄ .超越論哲学としての解釈学
D.思考の道の第 3 節:人格的法哲学
Ⅰ.序言
7
8
同志社法学 59巻 ₁ 号
(563)
Ⅱ.論文『法学的解釈学の存在論的根拠づけのための思想』(1982年)
₁ .もうひとつの新たな問題設定
₂ .法の発見過程の不可任意処分的なものとしての「事物法」
Ⅲ.諸関係の存在論
₁ .法の類比性から関係性へ
₂ .人格と人間的諸権利
3 .人格の不可任意処分性
₄ .関係的存在論の諸起源
₅ .中間的所見
₆ .関係的存在論のフォーラムを前にした自然法論と法実証主義
Ⅳ.人格的に裏づけられた正義の手続き理論
₁ .予備的所見
₂ .真理性ないしは正義の手続き理論
3 .討議理論
₄ .アルトゥール・カウフマンの手続き的正義理論
₅ .自然法と実証主義のかなた
E.総括
第 3 部 アルトゥール・カウフマンの「第 3 の道」
A.序言
B.アルトゥール・カウフマンの人格的法哲学:「第 3 の道」か、それとも自然法理論か
Ⅰ.附論:自然法対実証主義 ― 第 3 のものは与えられていない(terutium non datur)
のか
Ⅱ.自然法と不可任意処分性
₁ .法による不可任意処分性の理念
₂ .アルトゥール・カウフマンと不可任意処分性を問う問い
Ⅲ.人格的法哲学の自然法的内実
₁ .主観的、歴史的および消極的自然法
₂.
「弱い自然法論」としての人格的法哲学
C.グスタフ・ラートブルフと「第 3 の道」
Ⅰ.序言
Ⅱ.グスタフ・ラートブルフにおける法概念と法理念
Ⅲ.
「第 3 の道」としてのラートブルフの法概念
Ⅳ.自然法と実証主義との間のラートブルフの後期哲学
₁ .法律上の不法と法律を超える法についてのラートブルフ公式
₂ .自然法⊖実証主義⊖問題の「解決策」としてのラートブルフ公式
3 .弱い自然法論としてのラートブルフ公式
₄ .人格的法哲学と法律を超える法
総括と完結的な諸考察
文献目録
(562)
「第 3 の道」を求めて:アルトゥール・カウフマンの法哲学①
9
略語目録
法 学 文 献 上 の 略 語 に つ い て は、 私 はKirchner/Rurz, Abkürzungsverzeichnis der
Rechtssprache, 5. Auflage, Berlin 2003を指示する。その他の略語に関しては、私は
Joseph Werlin, Wörterbuch der Abkürzungen, 3. Auflage, Mannkeim/Wien/Zürich 1987
を指示する。以下の目録はこの両辞典に搭載されていない略語だけを含む。
A.P.D.
Archives de Philosophie du Droit
Dt. Z. Philos. Deutsche Zeitschrift für Philosophie
JPPF
Jahrbuch für Philosophie und phäinomenlogische Forschung
ÖzöffRuvölr
Österereichische Zeitschrift für öffentliches Recht und Völkerrecht
PhiJB
Philosophisches Jahrbuch
PVS
Politische Vieteljahresschift
RJ
Rechtshistorisches Jaunal
StuR
Staat und Recht
ThPh
Theologie und Philosophie. Vierteljahresschrift
ZDK
Zeitschrift für Deutsche Kulturphilosophie(Neue Folge des Logos)
ZRPh
Zeitschrift für Rechtsphilosophie
ZThK
Zeitschrift für Theologie und Kirche
10
(561)
同志社法学 59巻 ₁ 号
第 1 部 始めるに当たっての諸々の所見
A.本稿の目標設定:アルトゥール・カウフマンの法哲学への一接近の試み
I.アルトゥール・カウフマンの法哲学
2001年 ₄ 月11日に77歳で逝去したミュンヘンの法学者であったアルトゥール・カウ
フマンは広く弧を張った諸々の関心をもつひとつの普遍的な精神であった。彼の法学
上の活動は三音響によって刻印づけられた。すなわち、カウフマンは刑法学者、刑事
︵₁︶
政策学者、法哲学者であった、ということである。
その学問上の成り行きの最初の段階のなかでアルトゥール・カウフマンにとって問
題であったのは、これらの作業領域のひとつの統合を創り出すことである。この関心
事はとりわけよく知られた、1961年に初版で刊行された責任原理に関する教授資格論
︵₂︶
₂
文であった。この論文のなかで刑法解釈論のある基本的テーマを一般的な哲学と法哲
︵3︶
3
学の光のもとに照らし出すという印象深い試みが企てられる。とくにこの研究を理由
に、カウフマンという名称は「上首尾に成功した、稔り豊かで深い造詣に裏づけられ
︵₄︶
₄
た刑法哲学」を代表している。
︵₅︶
₅
アルトゥール・カウフマンがその博士論文のなかで達成していたような刑法学と法
哲学との固い組み合わせは、しかし長期にわたるものではなかったのであって、それ
というもの、その法学上の著作活動のより先へと進む流れのなかで徐々に純粋な法
(1)
Vgl. Haft, JZ 2001, 869. 他 の 追 悼 論 文 を も 参 照:Prantl, SZ vom 17. April 2001, S. 19;
Roellecke, F. A. Z. vom 23. April 2001, S. 53; Hassemer, NJW 2001, 1700 f.; Neumann, ARSP
87(2001)
, 419 ff.; Kühl, ZStW 113(2001)
, 641 ff.; Information Philosophie 29(2001)Heft S.
144, DER SPIEGEL vom 23. April 2001. S. 250; Landau, Jahrbuch 2001 S. 316 ff.; Klenner,
Topos 17(2001)
. 109 ff. – Leicht, DIE ZET vom 19 April 2001, S. 1は、その大学教師の臨死介
助についてのある記事について触れている(
「ある哲学上のテーマにとっての個人的なあと
がき」
)
(2)
Hassemar, Strafrechtgerechtigkeit, S. 10は次のように確認している。「私にはわれわれ
の法圏から、刑法上の根本問題を解明するために、あれほど遠大かつあれほど深く根拠づけ
られたどのような作品も知られていない。」
(3)
この本が法政策上の(刑事政策上の)意義をも所持していることを、アルトゥール・カ
ウフマンは第 ₂ 版(1976年)の「まえがき」のなかではじめて強調した。
(4)
現 に Hassemer, Rechtsphilosophie, Rechtswissenschaft, Rechtspolitik, S. 131が こ の よ う
に述べている。ハッセマーはこの箇所でラートブルフ、ヴェルツエルおよびエンギッシュを
挙げている。 ― 刑法学と法哲学との間には伝統的に、しばしばある人的連合において表明
されるようなひとつの密接な、集中的な結びつきが存在している。
(5)
文献目録が一般哲学 ― 法哲学 ― 刑法というように分類されているは、理由のないこ
とではない。
(560)
「第 3 の道」を求めて:アルトゥール・カウフマンの法哲学①
11
︵₆︶
₆
哲学へのいや増す集中というものが生じたからである。カウフマンはさらに引き続い
︵₇︶
₇
て視線をその「刑法上の仕事場」のなか投げかけて刑法解釈論についての、刑事政策
︵₈︶
₈
についての、そして刑法哲学についての明敏な諸論稿を起草しもしたのであるが、し
かし、その思考の地平はもはや刑法上の諸疑問提起によって規定されなかったことを
確証することができる。カウフマンの弟子であるヴィンフリート・ハッセマーはその
追悼文のなかでこの変化を次のように強調している。
「アルトゥール・カウフマンは
刑法学者であり法哲学者であったが、その生涯の終末期にはいよいよもって決定的に
何よりも先ず一人の法哲学者であった。刑法は彼の本物の愛好物ではなかったので
︵₉︶
₉
ある」と。
本書はこのような事情を顧慮している。ミュンヘンの正教授が ― その有名な師グ
︵₁₀︶
₁₀
スタフ・ラートブルフと同様に ― 何よりも先ず法の哲学に関与したことから、その
学問的な活動と生産性のこの領域だけが視野に取り込まれる。寛容な、自由な、そし
︵₁₁︶
₁
て開かれた刑法というものを弁護した刑法思考家(刑事政策家)であるアルトゥー
ル・カウフマンには、明示にはどのような注目も払われない。
多くの追悼文が故人の人格性と高貴さを評価している。フリチョフ・ハフトの言葉
︵₁₂︶
₁₂
によれば、カウフマンは「一人の素晴らしい人物」であり、ウルフリット・ノイマン
︵₁3︶
₁3
は彼を「偉大な人物」と呼んでいる。このミュンヘンの法学者は一人の「偉大な」法
哲学者でもあったのか。この賓辞は同様に彼のためのある追悼文のなかで承認さ
︵₁₄︶
₁₄
れた。その死後に直結して ― つまりは時間的な間隔を置くことなく ― 故人の知性
的で学問的なランクを、しかしながらいまだ適切に規定することはできない。誰が現
(6)
この表現は、刑法にはもはや折に触れての例証的にしか関連づけられないような法哲学
を特徴づけているものとする。誤解を避けるために、「純粋法学」の形式的な純粋性が問題
になっているのではないことをはっきりと強調しておこう。
(7)
Kaufmann, Prozedlare Theorie(1989), S. 18.
(8)
たとえばその後期の諸論稿から次のものを参照:Kaufmann, Über die gerechte Strafe
(1986); Ders., Strafrecht und Freiheit(1988)
; Ders., Das Problem der Schuld(1990); Ders.,
Relativierung des rechtlichen Lebensschutzes?(2001)
(9) Hassemer, NJW 2001, 1700. Schloth, Einführung, S. 131は 同 様 に、 ア ル ト ゥ ー ル・ カ ウ
フマンは「年齢が高まるとともにいよいよ解釈論的刑法への関心を失っていった」ことを強
調している。
(10) Vgl. Kaufmann, Gustav Radbruch – Leben und Werk(1987)
, S. 71.
(11) カウフマンは、刑法典の「対⊖案」を完成した刑法学者に属している。 ― 「対⊖案」に
ついては、vgl. etwa Jeschek/Weigend, Lehrbuch des Strafrechts AT, S. 103.
(12) Haft, JZ 2001, 869.
(13) Neumann, ARSP 87(2001)
, 423.
(14) Vgl. Plantl, SZ vom 17. April 2001 S. 9. ― Haft, JZ 2001, 869:「ヨーロッパの法学はその
一人の偉大な人物のために悼んでいる」をも参照。
12
同志社法学 59巻 ₁ 号
(559)
実に偉大な人物であるかについては歴史がはじめて決定する ― このことをカウフマ
︵₁₅︶
₁₅
ンが強調していた。
今日的な見方からひとはいずれにせよ確信をもって、現在のドイツ法哲学はその死
︵₁₆︶
₁₆
によって「最も著名で国際的に名声の高い一人の代表者」を失ったと確定することが
︵₁₇︶
₁₇
できる。一人のオーストリアの同僚はアルトゥール・カウフマンを1992年に「ドイツ
︵₁₈︶
₁₈
法哲学の傑出した諸現象のひとつである」と呼び、フランスでは、カウフマンは„un
︵₁₉︶
₁₉
eminent representant du droit penal et, surtout, de la philosophie du droit en Allemagne“
として通っていた。
このような特別な、卓越した位置づけはとりわけカウフマンの観客と役者としての
︵₂₀︶
︵₂₁︶
₂₀
₂₁
感動的な二重の役割と関連している。その「法哲学への奉仕」がすでに戦後初期に始
まっていたことから、彼はこの教科の発展を半世紀にわたってともに体験することが
︵₂₂︶
₂
できた。1991年に刊行されたひとつの自伝的な素描は、
『45年間を体験した法哲学』
︵₂3︶
₂3
という印象的な表題を有している。このグスタフ・ラートブルフの弟子は、しかしな
がら一人の興味深い観察者であったばかりでなはない。 ― 彼はわが国における法哲
︵₂₄︶
₂₄
学をともに形態化し、恒常的に刻印づけたのである。
アルトゥール・カウフマンの生涯にわたる学問的功績は、しかしながらその国際的
な実効性が顧慮される場合にのみ、これを適切に評価することができるのである。カ
(15)
Vgl. Kaufmann, Gustav Radbruch(1987)
, S. 198; Ders., Demokratie – Rechtsstaat –
Menschenwürde(1990)
, S. 471.
(16) 現 に Neumann, ARSP 87(2001), 418 は こ の よ う に 言 う。Vgl. auch Information
Rhilosophie 29(2001), Heft 2 S. 144:「カウフマン、ラートブルフの一人の弟子は、確かに国
際的に最も著名な現在のドイツ法哲学者であった。」
(17) 著名な法学者でさえ、専門科学⊖大学の領域の外でのより広い公共に知られているのは
希でしかない。カウフマンは( Grasnick, F.A.Z. vom 10. September 2001, S. 54の意見によれ
ば)これらの珍しい例外に参入される。時代の焦点となっている諸々のテーマについての彼
の意見表明は学問的な刊行物にだけではなく、一般的な公共にも向けられている。
(18) Lachmayer, ARSP 78(1992)
, 385.
(19) Walz, A.P.D. 38(1993)
, 373.
(20) その告別講演のなかでKaufmann, Nach-Neuzeit(1990)
, S. 1は回顧的に、彼が「優に40
年間にわたって学問的展開を体験し、ともに形態化することを試みてきた」ことを確認して
いる。
(21) こ の よ う な( 荘 重 な ) 表 現 形 式 をKaufmann, Fünfundvierzig Jahre(1991), S. 482で 用
いている。
(22) ひとはそこから、アルトゥール・カウフマンの作品はドイツ連邦共和国の法哲学を反映
していると言うことができる。
(23) Klenner, Dt. Z. Philos.(1988)
, 870の評価によれば、カウフマンは「ラートブルフのすべ
ての弟子のなかでも全く疑いもなく最も生産的な弟子である」。
(24) Vgl. auch Haney, ARSP 84(1998), 274; Kühl, Überblick, 331.
(558)
13
「第 3 の道」を求めて:アルトゥール・カウフマンの法哲学①
︵₂₅︶
₂₅
ウフマンの考え方によれば、法の哲学は「優れた意味においてひとつの国際的な教科」
︵₂₆︶
₂₆
であり、それゆえにドイツ法哲学者の「最古参者」は国家的な討議にのみ関与してい
︵₂₇︶
₂₇
るのではない。
「世界的な真価を有する学者」としてアルトゥール・カウフマンは国
際的な次元でも指導的な役割を演じた。1991年には、このミュンヘンの教授は法およ
び社会哲学のための国際協会(IVR)の名誉理事長に選出された。その死によってこ
︵₂₈︶
₂₈
の組織は「心に刻み込むべき諸人物の一人」を失ったのである。
Ⅱ.アルトゥール・カウフマンの法哲学上の作品
︵₂₉︶
₂₉
「不撓不屈の法哲学上の著作者」としてアルトゥール・カウフマンはその生存期に
ひとつの印象深い記念碑を設置した。すでに50年代の終わりにその綱領的な論稿『自
︵3₀︶
3₀
然法と法実証主義』
(1957年)に始まった集中的な、まさに倦むことのない出版活動
︵3₁︶
3₁
を通して「ドイツ語による最も生産的な法哲学者」はひとつの包括的な作品群を創作
︵3₂︶
3₂
した。その膨大な著作熱心と法哲学の根本問題をめぐるその粘り強い格闘はひとつの
偉大な、思考様式において取り替えることができない著作物集をもたらした。
1993年には『刑罰的正義』と題する論集のなかに、カウフマンの文筆創作能力を記
録する著作目録が掲載された。カウフマンが続く数年間にわたって相変わらずに作業
をし続けたことから、その死後には学問上の作品の全体範囲について全く相異なる
︵33︶
3
諸々の言明が存在した。すなわち『2002年度世界人名辞典』では「700を超える論文」
が話題となっている。ヴィンフリット・ハッセマーはその追悼文のなかで、アルトゥ
︵3₄︶
3₄
ール・カウフマンの著作目録が包括しているのは700を超えると述べている。これに
対して、フリチョット・ハフトは「400を超える学術的刊行物」を話題にしている(に
(25)
Ka u f m a n n , R e c h t s p h i l o s o p h i e ( 1 9 9 7 ), S . 4 . ― K a u f m a n n , Ve r g l e i c h e n d e
Rechtsphilosophie(1991)
, S. 435は、この「教科はどのような国家的な障壁をも知らない」
ことを強調している。
(26)
現 にpawlik, ARSP 81(1995)
, 289が こ の よ う に 言 う。 ― Klenner, NJ 1991, 123は ア ル
トゥール・カウフマンを「ドイツの法哲学者たちの長老」と呼んでいる。
(27)
Hassemer, NJW 2001, 1701はその物故した先生をこのように呼んでいる。
(28)
Neumann, ARSP 87(2001)
, 419.
(29)
Haney, ARSP 84(1998)
, 274. ― Haft, JZ 2001, 860の評価によれば、カウフマンは「高
いランクの文筆家であった」
。
(30) 法 哲 学 上 の 諸 考 慮 は す で に 刑 法 上 の 博 士 論 文 に も 見 ら れ る。Vgl. Kaufmann, Das
Unrechtsgewußtsein(1949), S. 33.
(31) 現にKlenner, NJ 1995, 192.はこのように言う。
(32) Landau, Jahrbuch 2001, S. 117は次のように確証している。
「この作品は、20世紀後半
のドイツ語圏の法哲学者ではほかに誰もいないほどに包括的かつ多面的である」と。
(33) The International Who's Who 2002, 65th edition, London 2001, S. 795.
(34) Vgl. Hassemer, NJW 2001, 1701.
14
同志社法学 59巻 ₁ 号
︵3₅︶
(557)
3₅
すぎない)
。
もちろん刊行物の数量は単にひとつの量的な等級のものであり、そこから、どれほ
ど多くの刊行物をアルトゥール・カウフマンは結局のところ刊行したのかという問い
︵3₆︶
3₆
をさらに深めることは求められない。いずれにしても確認することができるのは、
「国
家と法についての哲学の伝統的なテーマのすべてを考え抜いたうえに刑法学の根本的
︵3₇︶
3₇
な諸問題にとっても稔り多いものにしたと言える」この物故した多作者は、豊かにし
て堂々たる生涯作品を後世に残しているのである。もっとも、カウフマンはしばしば
同一の、もしくはたやすく言い換えたにすぎない諸論稿を異なる場所で刊行したこ
と、それらの本文はしばしば諸々の同じ響きをもつ部分や繰り返しを含んでいること
にも言及されなければならないであろう。
アルトゥール・カウフマンの学問上の全作品が法哲学、刑事政策および刑法解釈論
上の著作を含んでいることはすでに示唆された。カウフマン自身の評価によれば、刑
︵3₈︶
3₈
法上の諸々のテクストにも「法哲学的なものが流れ込んでいる」のである。本書はし
かし、より狭い意味における法哲学上の作品に集中することになるであろう。
ある熱心な読者でさえほとんどいまだ見渡していないこの作品には、たとえばアル
トゥール・カウフマンとヴィンフリット・ハッセマーによって編集された『現在の法
︵3₉︶
3₉
哲学と法理論への案内』が属している。アルトゥール・カウフマンの二つの寄稿論文
(
「法哲学、法理論、法解釈論」
[上田健二訳・同志社法学第302号473号以下]と「法
︵₄₀︶
₄₀
哲学の問題史」[上田健二訳・同志社法学第306号316頁以下、同307号169頁以下]な
︵₄₁︶
₄₁
らびにその弟子たちの数多くの論文を含んでいるこの入門教育用の著作は、察するに
(35)
Haft, JZ 2001, 869.
(36)
グスタフ・ラートブルフ全集(2003年)の完結巻のなかにはいまや、記念論集『刑罰的
正義』のなかでの目録と結びついている1993⊖2001年の時間帯についての文献目録が見られ
る。これによれば、アルトゥール・カウフマンの著作目録は全部で436の刊行物に上る。
(37)
現にSchild, Das Urteil König Solomo, S, 281.
(38)
Kaufmann, Fünfundviezig Jahre(1991), S. 502.
(39)
Einführung in Rechtsphilosophie und Rechtstheorie der Gegenward, hrsg. von Arthur
Kaufmann, Winfrid Hassemer. 本稿では第 ₆ 版(1994年)から引用される。アルトゥール・
カウフマンの死後に弟子たちが『案内』の新版を刊行した。第 ₇ 版(2004年)では、カウフ
マンの諸論稿が不変のままに受け継がれた。この新版については、Grote, Jura 2004, 647の
論評をも参照。
(40)
これらの論稿はいずれもほとんど170頁にも及んでいる。Hilgendorf, ARSP 83(1997)
,
287の意見によれば、問題となっているのは「ドイツ語におけるこの種のきわめて簡潔な叙
述であり、法哲学の深められた理解の獲得を求める者であれば誰もが読んで然るべきであろ
う」。
(41) Hirgendolf, ARSP 83(1997), 287の評価によれば、ひとつの名だたる学派を自分の周り
に集めることにカウフマンは成功した。この学派の大多数の成員はミュンヘンの法哲学およ
(556)
「第 3 の道」を求めて:アルトゥール・カウフマンの法哲学①
15
︵₄₂︶
₄₂
ラートブルフの古典的な『法哲学』以来の最も成果の豊かな法哲学上の教科書である。
― ドイツ以外でもそれはすでに„un classique de la philosohie du droit allemande“と
︵₄3︶
₄3
して通っていた。
アルトゥール・カウフマンの筆になる多くの刊行物が数多くの外国語に翻訳され
︵₄₄︶
︵₄₅︶
₄
₄₅
おり、
「しばしば日本語に訳されているのが人目を引く」
。ドイツ法哲学は1945年以後
︵₄₆︶
₄₆
は「まさに大当たりの輸出商品ではなかった」にもかかわらず、カウフマンの「仕事
︵₄₇︶
₄₇
と作品(opera et opuscula)
」はひとつの力強い反響を見出した。ハッセマーはその
追悼文のなかで、
「いやしくも刑法学者であり、法哲学者であれば誰もが至る所で彼
︵₄₈︶
₄₈
を知り、彼を読んでいる」ことを確証している。
故人が学問上の遺産として後世に残した法哲学上の作品は、しかしながらその範囲
と世界に広がるその影響を通してのみ感銘を与えるのではない。この著作物集はその
豊かな内実によっても感嘆の念を起こさせるのであって、それというのもそれは並外
れた思考の豊かさときわめて大きなテーマの広がりを通して際立っているからであ
る。その無数の刊行物においてこの博識の法学者は「古典的な」諸問題ばかりでなく、
び法情報学のための研究所で研究生活をしており、それぞれの寄稿論文を『現在の法哲学お
よ び 法 理 論 へ の 案 内 』 の た め に 起 草 し た。「 カ ウ フ マ ン ⊖ 学 派 」 に は と り わ けAlfred
Büllesbach, Günter Ellscheid, Frijof Haft, Winfried Hassemer, Per Mazurek, Ulfrid
Neumann, Jochen Schneider,およびUlrich Schrothが属している(学問的にも友情的にも
アルトゥール・カウフマンと結びついていたLother Philippsは、これに反してヴェルナー・
マイホーファーの弟子である)。 ― 哲学上の諸学派を、それが他の側面に向けて切り開く
ことができないような独断論へと堕落しかねないことから、カウフマンはもともと大いなる
懐 疑 を も っ て 見 て い た。Vgl. Kaufman, Einleitung, in: Rechtsthorie(1971), S. 1; Ders.,
Rechtsphilosophie im Wandel, Vorwort( S. VIII)
; Ders., Rechtsdogmatik(1994), S. 10. 彼の学
派は、しかしながらひとつの「きわめて開かれた学派」である(Kühl, Die Bedeutung der
Rechtsphilosophie, S. 22)
。
(42)
現にHilgendorf, ARSP 83(1997), 286がそのように言う。
(43)
現にWalz, A.P.D. 38(1995), 373がそのように言う。
(44)
カウフマンの国際的な声望を証明しているというこの事実は、ハンス・ケルゼン学派に
由来する一人の論争的な論評者を驚かせた。Walter. ÖzöffRuVölkR 36(1985/86)の過少に評
価する所見を参照。
(45)
現にRoelleck, F.A.Z. vom 23. April 2001, S. 53がそのように言う。 ― すでにアルトゥー
ル・カウフマンの最初の法哲学上の著作は日本において大きな関心をもって受け止められて
いる。Vgl. Noguchi, Naturrecht und Rechtsontologie, S. 443 ff. 日本の法哲学と法学へのカウ
フマンの影響については、vgl. Miyazawa, Artur Kaufmann, S. 7 ff. 東アジアの法律学へは、
グスタフ・ラートブルフも大きな影響を及ぼしていた。Vgl. etwa Kaufmann, koreanische
Rechtsphilosophie(1985)
, S. 142 ff.
(46) 現にRoelleck, F.A.Z. vom 23. April 2001, S. 53 はこのように言う。
(47) Klenner, Herr-und-Knecht-Relation, S. 177.
(48) Hassemer, NJW 2001, 1701.
16
同志社法学 59巻 ₁ 号
(555)
同時代人の法哲学の諸々の疑問提起と将来を指し示す諸理念をも論じている。一般的
な哲学の現代的展開諸傾向と流行の趨勢(実存哲学、言語哲学、解釈学、ポスト・モ
デルネ)が同様に顧慮され、自らの構想継続形成のために稔り豊かなものにされる。
その精神的な成長過程の始めにスコラ哲学によって鼓舞されたこのカトリックの法
︵₄₉︶
︵₅₀︶
₄₉
₅₀
学者は、時として神学上のテーマをさえ扱っている。もっとも解釈者の視点からは、
このような内容的な多様性はひとつの障害であって、それというものそれは作品のす
ばやい理解というものを妨げるからである。
カウフマンの著作物集では伝承的な、時宜に適い、そして未来を指し示す思想が話
題になっていることがいましがた述べられた。しかしなお付け加えるべきは、これら
の領域は結びつけられていてひとつの内的な統一をなしている、ということである。
アルトゥール・カウフマンの一人の学問上の同行者である東ドイツの法哲学者へルマ
︵₅₁︶
₅₁
ン・クレンナーは適切にも、このミュンヘンの学者は「結局のところ、過去の法哲学
上の思考を完全に所持してこれを未来にとっても生産的に保持することを知っている
︵₅₂︶
₅₂
現在の数少ない法哲学者に属している」ことを強調している。カウフマンはしばしば
伝承された諸認識を援用したのであるが、それというのも「哲学上の探究の過程にお
︵₅3︶
₅3
いては過去の諸々の洞察は後に続く者にとっての準備作業である」からである。哲学
︵₅₄︶
₅₄
にとって ― とりわけ法の哲学にとって ― 伝統の「比類なき意義」はその諸々のテ
︵₅₅︶
₅
クストのなかに繰り返しアンダーラインを引いて強調され、様々な論拠をもって根拠
づけられる。その初期の作品では、伝統の本質と意義を規定するためにアウグスチヌ
スの思想が受け継がれ、後期の諸著作では、アルトゥール・カウフマンはそのうえに
(49)
この「左派自由主義的カトリック教徒」
( DER SPIEGEl vom 23. April 2001, S. 250)はそ
の教会の公式的な諸立場をしばしば批判した。これについては、たとえば、vgl. Der Schutz
menschlichen Lebens, S. 161 ff.
(50)
た と え ば、 次 の 諸 論 文 を 参 照: Kaufmann, Gesetz und Evangelium(1984)
; Ders., Die
Theodizee(1998).
(51)
両法哲学者の間には法学的解釈学についての激しいながらも生産的な論争があった。こ
れについてはKlenner, Rechtsphilosophie in der Krise, S. 77 ff.; Kaufmann, Es ist das Recht
der Fische(1992), S. 9 ff.を見よ。
(52) Klenner, Herr-und-Knecht-Relation, S. 117. ― Brieskorn, ThPh 70(1995)477の 言 葉 に
よれば、カウフマンの思考は「西洋流に哲学することの高度な習熟を際立たせるのあり、こ
れが彼をして、法哲学上の思考の最近の諸々の端緒に開かれており、それらを批判的に問い
かけるという標尺をもって評価するということを可能にさせている。
(53) Kaufmann, Gedanken zur Überwindung(1960), S. 64; Ders., Schuldprinzip(1961)
, S. 80.
(54) Kaufmann, Gedanken zur Überwindung(1960), S. 65; Ders., Schuldprinzip(1961)
, S. 80.
(55) Vgl. Kaufmann, Gedanken zur Überwindung(1960)
, S. 64 f.; Ders., Schuldprinzip(1961)
,
S, 80 f.; Ders., Die „ipsa res iusta“(1973), S. 53 f.; Ders., Recht und Rationalität(1088), S. 325;
Ders-, Problemgeschichte(1994), S. 123.
(554)
「第 3 の道」を求めて:アルトゥール・カウフマンの法哲学①
17
ハンス⊖ゲオルク・ガダマーの解釈学的伝統主義に結びつける。
カウフマンによれば、伝承するということが意味しているのは、
「過ぎ去ったもの
を不断の創造的な新しい諸々の形態を通して現在の中に取り込み、それを未来に向け
︵₅₆︶
₅₆
るということである」。それゆえに彼は、
「伝統的なものと未来的なものとの間に橋を
︵₅₇︶
₅₇
構築する」という試みを企て、伝統的な法哲学を現代の諸々の疑問提起に結びつけ、
︵₅₈︶
₅₈
独自の理論へと仕上げることが、彼には成功しているのである。
とくに後期の著作物のなかで示されているこの理論の特徴的な基本的様相は、すで
にこの箇所で触れられるべきである。問題となっているのはひとつの実質的な法哲学
である ― アルトゥール・カウフマンの関心の対象となっているのは「正しい法」の
内容である。そこから彼の法哲学の二つの根本的な問いはこういうことになる。 ₁ 、
0
0
0
0
0
0
0
0
0
正しい法とは何か、 ₂ 、われわれは正しい法をどのようにして認識ないしは実現する
︵₅₉︶
₅₉
のか。これらの問いは存在論と認識論に関係している。
カウフマンの法哲学を極端な二つの方向の間のひとつの中間の道として言い表すこ
︵₆₀︶
₆₀
とができる。ひとつの方向は、法についての(そして正義についての)絶対的な、普
遍妥当的で超時間的な諸言明を言い表そうとする試みを企てる。もうひとつの方向は
内容的な諸々の熟慮を完全に断念し、法の諸形式と諸構造とのみ取り組む。第 ₁ の見
解をカウフマンは否認するのであって、それというのも彼の目には ― とりわけ認識
︵₆₁︶
₆₁
論上の諸理由から ― 正しい法の具体的な内容について究極的な諸々の論定を下すこ
とは可能ではないからである。彼の確信によれば、この冷静な所見は、しかしながら
決して法哲学が形式的な諸々の疑問提起の説明に制限され、法の諸内容は政治にゆだ
︵₆₂︶
₆₂
ねられるということには導かないのであって、それというのも法哲学は現実的な諸問
︵₆3︶
₆3
題のための諸解決を案出するという課題を有しているからである。「今日的な状況に
(56)
Vgl. Kaufmann, Die „ipsa res iusta“(1973)
, S. 54..
(57) Kaufmann, Strafrecht zwischen Gestern und Morgen, Vorwort(S. VII)
.― このような
言明はもともと刑事政策にのみ関係づけられるが、しかしそれは彼の法哲学上の諸々の著作
物にも的中している。
(58) この成果はHilgendorf, ARSP 83(1997), 283によっても強調される。
(59) Kaufmann, Rechtsphilosophie(1997), S. 9(強調は原典のなかで)
; 同様にすでにDers.,
Problemgeschichite(1994), S. 30, Ders., Rechtbegriff und Rechtsdenken(1994), S. 58.
(60)
(61)
これについてはまた、vgl. Kaufmann, Rechtsdogmatik(1994)
, S. 20.
カウフマンはこの関連でイマニュエル・カントの理論哲学に拠り所を求める。カントの
認識論の彼の解釈は後に明らかにされる。
(62)
Vgl. auch Kaufmann, Nach-Neuzeit(1990)
, S. 2. 内容的な法哲学というものの必要性は
この箇所でナチス主義者の「法律上の不法」をもって根拠づけられる。
(63)
これについては、たとえば、vgl. Kaufmann, Über Gerechtigkeit, Vorwort(S. VII)
; Ders.,
Rechtsphilosophie(1997)
,(S. IX). ― Otto, Jura 1995, 111は適切にも、
「抽象的な諸体系を
18
同志社法学 59巻 ₁ 号
(553)
おいては、人間の共同生活の正義に適った秩序というものの内容的な諸々の問いに対
︵₆₄︶
₆₄
する諸々の答えが要求されている。
」とはいえカウフマンは、暫定的な、確証されて
いない諸々の答えしか存在していないこと、したがってどのような「究極的に根拠づ
︵₆₅︶
₆₅
けられた」真理性も存在していないことから出発する。
アルトゥール・カウフマンはしばしば、際立って正確に規定することは内容的およ
び意味的空虚化を代償としてのみ、これを達成することができることを詳述してい
る。上述の説明のなかで、彼がこの高い代償を弁済するつもりはなかったことが示唆
された。暫定的な諸認識で満足し、数学的な厳密性を求めないというような実質的な
法哲学を構想する彼の諸々の努力は時として非科学的であるとして烙印が押され、
︵₆₆︶
₆
「辛辣な反論」にさらわれた。ラインハルト・メルケルは、「憤慨した、もしくは遜っ
︵₆₇︶
₆₇
た反抗の生涯にわたる伴奏音楽」という言い方さえしている。二つの不適切な論評を
ここで例として挙げることができる。ロベルト・ヴァルターは法学的解釈学について
︵₆₈︶
₆₈
のカウフマンの諸論文を「擬似⊖学問的なおしゃべり」と呼んだ。グントラム・プラ
ッターはカウフマンの『法哲学』
(第 ₂ 版、1997年)についてのその論評を次のよう
︵₆₉︶
₆₉
な壊滅的な総括をもって終結した。 „si taquisset philosophus mansisset!“
アルトゥール・カウフマンにはその精神的な高揚のさなかに時として必要な明晰性
が欠けていることは、確かに争い得ないであろう。いましがた引用された反抗的な諸
判断は、しかしながら実質的な正当化を欠いている。支配的な見解もまたこのような
否定的な態度を表明しているのではないのであって、それというのもアルトゥール・
空虚な空間のなかに打ち立てて内容空虚な諸言明をその形式的な諸関連のなかで描出するこ
とがアルトゥール・カウフマンの問題ではなく、彼は燃えるような諸問題に現実的な歴史的
状況における人間の共同生活の正義に適った秩序というものに従って身を置いている」と論
定している。
(64)
Kaufmann, Über Gerechtikeit, Vorwort(S. VII) ― 現 実 的 な 生 命 倫 理 上 の 議 論 で は、
ユルゲン・ハバーマスもまた実質的な法哲学というものを弁護している。
「言語および行為
0
0
0
0
0
能力のある主体の倫理的な自己理解が全体として一役買っている限りでは、法哲学は内容的
な 諸 々 の 態 度 表 明 か ら も は や 免 れ る こ と が で き な い。」
(Habarmas, Begrundete
Enthaltsamkeit, S. 100 ―(強調は原典のなかで)
(65)
規範的な諸判断の「究極的な根拠づけ」というものを言い表せなければならないという
討議倫理学(カール⊖オットー・アーペル、ユルゲン・ハバーマス)の要求を、カウフマン
は繰り返し斥けている。たとえば、vgl. Nach-Neuzeit(1990), S. 31.
(66)
現にKaufmann, Recht und Rationalität(1988), S. 303; Ders., Nach-Neuzeit(1990)
, S. 9.
(67)
Merkel, JZ 1993, 571.
(68)
Walter. ÖzffRuVölkR. 36(1985/86)
.
(69)
Platter, VRÜ 32(1999), 132. ― しかしまたSmid, NJW 1998, 3702 と Cattaneo, ARSP 84
(1998), 278の公平な論評をも見よ。
(552)
19
「第 3 の道」を求めて:アルトゥール・カウフマンの法哲学①
︵₇₀︶
₇₀
カウフマンの法哲学はますます承認と尊重を見出しているからである。
Ⅲ.ひとつの時期を失した課題
アルトゥール・カウフマンがその生涯の流れのなかで創作した浩瀚な著作物集との
︵₇₁︶
₇₁
対決はいまだ完結していない。ドイツでは、この作品の探究はとりわけ弟子たちと同
︵₇₂︶
₇₂
行者たちとによって推し進められた。これに関連してとくにヴィンフリート・ハッセ
マーの二つのテクストに言及されなければならない。記念論集『解釈学の諸次元』の
︵₇3︶
₇3
なかでハッセマーはアルトゥール・カウフマンの解釈学上の構想を素描し、祝賀論集
『刑罰的正義』(1993年)のための彼の論稿のなかでは、その師の学問上の全作品が詳
︵₇₄︶
₇₄
細に吟味される。
最後に言及した論文は、アルトゥール・カウフマンの法学上の生成過程についてか
なりの外観を伝えている。とはいえ、彼の膨大な作品の包括的な評価というものは一
本の記念論集への諸論稿の枠内で成し遂げることができないのは、自明のことであ
︵₇₅︶
₇₅
る。このテクストの場合でも問題になっているのは「中間的な確証」というものにす
ぎないのであって、それというのもこれに続く数年間のなかでカウフマンの著作物集
はさらに著しく拡大されたからである。
見渡し得る限りでは、アルトゥール・カウフマンの作品のなかで展開される思考律
は、これまでのところではいまだ詳細な学問上の検証の対象ではなかった。ヘルマン・
︵₇₆︶
₇₆
クレンナーはすでに1993年に、この欠損はひとつの「時宜を失した課題」を意味して
いることを表明していた。本稿はこの課題に取り組むものである。それは、アルトゥ
(70) 現に Hanney, ARSP 84(1998), 278もまたこのような見解である。
(71)
外国では、アルトゥール・カウフマンの法哲学と取り組んでいる数多くの研究が刊行さ
れ た。Kürschners Deutcher Gelehrten-Kalendar 2001, Bd. II, S. 1502に お け る 指 摘 を 参 照。
― イタリア語、ポーランド語、日本語、韓国語で公刊されているこれらの研究を本稿のな
かでは(残念ながら)顧慮することができない。
(72)
アルトゥール・カウフマンの弟子、友人および同僚たちは、その作品と対決する学問上
のコロッキウムを ₂ 回にわたって開催した。このような仕方で『解釈学の次元(Dimensionen
der Hermeneutik)
(1984年)と『機能主義の彼方(Jenseits des Funktionalismus)』
』
(1998年)と
いう小祝賀論集が成り立った。アルトゥール・カウフマンの死後には、ミュンヘンと台北で
追憶会議が開催された。これらの集会の諸成果は『価値多元論:寛容と法(Value Pluralism,
Tolerans and Law)
』(2004年)と『責めに答える法(Verantwortetes Recht)
』(2005年)と
いう論集において公刊されている。
(73)
Vgl. Hassemer, Die Hermeneutik.
(74)
Vgl. Hassemer, Strafgerechtigkeit.
(75)
Hassemer, Straftgerechtigkeit, S. 1.
(76)
Klenner, Herr-und-Knecht-Relation, S. 17.
20
同志社法学 59巻 ₁ 号
(551)
︵₇₇︶
₇
ール・カウフマンの法哲学上の作品を理解するという目標を設定している。
ついでに述べられるべきは、この目標設定はある種の仕方でカウフマンの研究上の
諸関心を反映しているということであって、それというのも彼は集中的に解釈学、す
なわち理解の科学に取り組んできたからである。この法哲学については、ある英米百
科事典は、アルトゥール・カウフマンが「法の哲学的基礎づけへの解釈学的接近の最
も 有 名 な 主 唱 者 の 一 人 で あ る(one of the foremost exponents of a hermeneutical
︵₇₈︶
₇₈
approach to philosophical faundation of low)
」ことを確証している。
ある有名な解釈学上の格言によれば、問題となっているのは「著者自身が自らを理
︵₇₉︶
₇₉
解したよりも彼をよりよく理解すること」である。本書はしかし、この解釈原理に方
向づけられているのではない。本書では、カウフマンの偉大な思想界を開明し、その
長大な思考運動を把握しようとするという試みが企てられるのである。この試み際し
ては、アルトゥール・カウフマンの作品が今日の法哲学の全スペクトルのなかでどこ
に移入することができるのか、そしてどのような精神的諸起源がその思考を鼓舞した
のかを可視的なものにすることも求められる。
1998年にアルトゥール・カウフマンの75歳を契機に「法および社会哲学のための叢
書」に公刊されたある寄稿論文のなかで、イエーナの法哲学者であるゲルハルト・ハ
ナイはカウフマンの著作物集を、
「いったん植樹されると、年から年へと大きくかつ
︵₈₀︶
₈₀
広くなり、ますます多くの果実をも稔らせるようになる」一本の樹木に喩えた。この
ような美しい象徴を念頭に置きながら、見渡し難いほどの枝分かれと錯綜した細分化
のあとを追う前に、考察は先ず作品の根元に設置することが求められよう。作品がそ
のなかに根を下ろしている土壌が、以下においてアルトゥール・カウフマンの生涯史
を通して発掘されるべきである。
B.伝記上の背景
I.序言
アルトゥール・カウフマンの法哲学上の作品への接近が伝記上の諸々のヒントをも
(77) 「法哲学」という表現は、ここでは広い意味において理解される。したがってそれは法
理論と法学方法論をも包括している。
(78)
Piechowiak, Art. „Kaufmann, Arthur“, S. 475. ― Troller, SJZ 82(1986)は、
「アルトゥ
ール・カウフマンの法哲学上の作品のひとつの主要テーマが解釈学である」ことを確認して
いる。
(79)
Dilthey, Die Entstehung der Hermeneutik, S. 331. ― こ の 格 言 に つ い て は、vgl. auch
Engisch, Einführung in das juristische Denken, S. 86, Bollnow, Das Verstehen, S. 7 ff.;
Gadamer, Wahrheit und Methode, S. 180 ff.
(80)
Haney, ARSP 84(1998), 247.
(550)
「第 3 の道」を求めて:アルトゥール・カウフマンの法哲学①
21
って切り開かれるという事情は、ひとつの簡潔な根拠つけを必要としているのであっ
て、それというのも、ある法哲学上の思想建造物の根本的な理解にとってこの種の考
察が必要であるか否かという解釈学上の問いは、決して異口同音に答えられないから
である。たとえばマルチン・ハイデガーは、ある哲学者の生涯はどのような格別な注
目にも値しないという見解を提唱した。「ある哲学者の人格性にあっては、彼はかく
︵₈₁︶
₈₁
かくに生まれ、仕事をし、そして死んだという関心しか有していない」と。
アルトゥール・カウフマンはその生涯の諸経験から思考し、その作品は年少時代の
諸体験を反映している。そこからこの作品は伝記上の背景からのみ正しく解釈され、
理解させられる。生涯史への顧慮はそのうえ、その思考の精神的な由来を可視的なも
のにするために必要である。以下では、アルトゥール・カウフマンの生涯の道が描出
︵₈₂︶
₈₂
される。
Ⅱ.アルトゥール・カウフマンの生涯の道
︵₈3︶
₈3
アルトゥール・カウフマンは1923年 ₅ 月10日にジンゲン/ホーエントヴィール(コ
ンスタンツ州圏)に生まれた。同じ年に彼の父、国民経済学者であるエドムント・カ
ウフマン(1893⊖1953年)はこの都市の市長になった。1928年以来、中央党に属する
この政治家は同時にバーデン州議会の議員であった。ナチス主義者たちの「権力掌握」
後に彼はこの二つの要職を解任された。ナチス支配のさなかに1935年以来マインツで
書籍出版業者として働いていたアルトゥール・カウフマンの父は、キリスト教徒の抵
︵₈₄︶
₈₄
抗に加わった。
(81)
Grodin, Hans-Georg Gadamer, S. 7からの引用。 ― この章句はアリストテレス哲学に
関するある講義(Sommersemester 1924)に由来している。
(82)
カウフマンはその生涯の道と哲学上の生成過程を『45年間にわたって体験した法哲学
(Fünfundvierzig Jahre erlebte Rechtsphilosophie)』と題する論文のなかで素描した。グスタ
フ・ラートブルフ全集の完結巻のなかで「H.F.Z」
(このイニシアルの背後にはおそらく
Hans F. Zacherという本名が隠されているのであろう)は、物故した編集者のひとつの思い
やりのある生涯像を記している(S. 433 ff.)。そのうえ、Kürschners Deutscher GelehrtenKalender 2001, Bd. II. S. 1051 f. な ら び に Persönlichkeiten Europas. Wissenschaft, Kultur,
Wirtschaft, Politik. Deutschland I, Stuttgart 1976(頁数を欠いている)におけるカウフマンに
関する諸々の所見を参照。
(83)
同 じ 日 に、 と は い え20年 前、 し た が っ て1903年 ₅ 月10日 に ハ ン ス・ ヨ ー ナ ス(Hans
Jonas)が生まれた。Die Theodizee(1998)
, S. 298のカウフマンの評価によれば、
「ヨーナス
は現在の最も著名な宗教哲学者であり倫理学者の一人である」
。その倫理学はカウフマンに
甚だしく影響した。ARSP 79(1993), 428 f.におけるカウフマンの追悼文をも見よ。
(84)
エドムント・カウフマンが1937年に„Michael Teutonikus“ というペンネームのもとに仕
上げて流布させた、ゲッベルスに向けられた一枚のビラが、Hoffmann, Schlaglichter, S. 40
ff.に復刻されている。
22
同志社法学 59巻 ₁ 号
(549)
終戦後には、ラインラント⊖プファルツでのドイツキリスト教同盟(CDU)の設立
︵₈₅︶
₈₅
者に属していたエドムント・カウフマンは新たに政治上の責任を引き受けた。すなわ
ちこのキリスト教民主主義者は1949年から1951年までヴュルテンベルク・バーデン州
の財務大臣であったのである。1952年には、彼はドイツ自由党/ドイツ国民党( FDP/
DVP)に鞍替えした。エドムント・カウフマンは南西ドイツ憲法制定議会に選出され、
︵₈₆︶
₈₆
州書記として新憲法の総仕上げに参加した。彼はその憲法の施行直前に死去した。
アルトゥール・カウフマンが一人の勇気のあるナチス⊖敵対者の息子として育った
︵₈₇︶
︵₈₈︶
₈₇
₈
ことから、彼が全体支配をきわめて正確に観察したことは、驚くには当たらない。カ
︵₈₉︶
₈₉
ウフマンは確かにその「ある独裁における青少年期」についてどのような包括的な報
告をも出版していないのであるが、しかし多くのテクストのなかで、たとえば『白薔
︵₉₀︶
₉₀
薇(Weiße Rose)』
(1990年)のための追憶講義のなかでこの暗黒時代に由来するい
くらかの個人的な体験が描き出されている。カウフマンは、体制に勇敢に立ち向かい、
その命を賭けにさらした多くの人々を知るに至った。「ナチス不法国家とそれに対し
︵₉₁︶
₉₁
て敢行された抵抗に出くわしたこと」が伝記上の出発点とその後の思想展開の経験的
な背景をなしている。そこからひとは、アルトゥール・カウフマンの法哲学は、その
青少年期に観察し、体験した諸々の驚愕に源を有していることを確証することができ
るのである。それは、このような事情が十分に注目される場合にのみ、よく理解され
得るのである。
マインツでの人文ギムナジウムで大学入学資格を得た後に、アルトゥール・カウフ
マンは1941年にフランクフルト・アム・マイン大学で数学と物理学の勉学を開始した。
しかし彼は程なくして軍役に招集されなければならなかった。その兄弟のカール・ル
ドルフが第2次大戦のなかで斃れた後の法哲学者は、 ₄ 年間にわたって空軍の兵士で
あった。1945年の始めに彼はある小さなサボタージュ行動に関与したのであるが、こ
(85)
そ の 父 の 側 で 後 の 法 哲 学 者 も ま た こ の 設 立 に 参 加 し て い た。Vgl. Kaufmann,
Gerechtigkeit – der vergenessene Weg(1986), S. 11 f.
(86)
エドムント・カウフマンの伝記については、vgl. auch Killy/Vierhaus, DBE V, 471.
(87)
一人の中央党⊖政治家の家族がナチス⊖支配のさなかで数多くの差別を甘受しなければな
らなかったであろうと推測することができる。
(88)
Kaufmann, Rechtsphilosophie(1997), S. 299 Fn. 2は、彼が「ナチス不法国家と人間の
可処分性をきわめて意識的に体験した」ことを強調している。
(89)
アルトゥール・カウフマンと並んで第2次大戦後のグスタフ・ラートブルフの傑出した
弟子であった刑法学者のギュンター・シュペンデル(Günter Spendel⊖1922年生まれ)は、
この表題のもとにひとつの読むに値する伝記的な回顧を公刊した。
(90)
Vgl. Kaufmann, ARSP 77(1991)
, 1 ff. ― 「 白 薔 薇 」 に つ い て は、Kaufmann,
Widerstand im „Dritten Reich“(1992), S. 461 ff.,をも見よ。
(91)
Kaufmann, ARSP 77(1991)
, 1.
(548)
23
「第 3 の道」を求めて:アルトゥール・カウフマンの法哲学①
︵₉₂︶
₉₂
れが「ドイツの戦闘機はしばしば強力であることができなかった」ことへと導いた。
︵₉3︶
₉3
その公刊物のなかで時おり感じ取られる戦争経験はアルトゥール・カウフマンをして
40年後に ― つまりは東と西との間の軍備拡張の最盛期に ― 『正義 ― 平和への忘
︵₉₄︶
₉₄
れられた道』という平和哲学上の研究を書くことへと赴かせた。
終戦後にはアルトゥール・カウフマンは、彼には戦傷の結果として器具観察が不可
能になっていたことから、開始された自然科学上の研究をもはや継続することができ
︵₉₅︶
₉₅
︵₉₆︶
₉₆
なくなったのである。教育に飢えたこの帰還兵は、必要に駆られて自らを方向づけな
ければならなかった。
「かくして、私は関心を引いたあちらこちらの講義を聴講し、
どのような学問が私の素質に合うだろうかを調べようとした。当時、法学を学ぼうと
は、全く考えていなかった。このような次第で、大学町から大学町へと巡り歩いたの
であるが、それは、当時では、今日、日本へ旅するよりもはるかに困難な冒険であ
︵₉₇︶
₉₇
った。
」
このような旅行きはアルトゥール・カウフマンをフライブルクへも導いたのであり、
そこで彼はマルチン・ハイデガーに出会った ― とはいえ、『存在と時間』の有名な
著者は彼に何の印象も与えなかった。1945/46年の冬学期にカウフマンは、破壊され
︵₉₈︶
₉₈
ることなく大戦を切り抜けていたハイデルベルク大学で法学の勉学を開始した。当時
︵₉₉︶
₉
に法学部の学部長であったグスタフ・ラートブルフとの個人的な対話が彼をしてこの
(92)
Kaufmann, Martin Luther King(1968), S. 329.
(93) Vgl. auch noch Kaufmann, Die Theodizee(1998)
, S. 304 f.
(94) Vgl. Kaufmann, Gerechtigkeit – der vergessene Weg(1986)
, S. 11. ― こ の 本 の 思 想 を
Hoffmann, Bilder des Friedens, S. 7 ff., が受け継いでいる。
(95) Vgl. Kaufmann, Gustav Radbruch(1987)
, S. 9. ― 1945年 3 月のデンマーク上空での戦
闘機墜落が頭部および脳の損傷へと繋がったのである。この戦傷の苦痛に満ちた後遺症がア
ルトゥール・カウフマンを生涯にわたって苦しませた。
(96) Vgl. Kaufmann, Die Bedeutung Gustav Radbruchs(2001), S. 3:「われわれは精神的に飢
えつくしていたので、われわれは熱烈に勉学へと殺到した。
」
(97)
Kaufmann, Gustav Radbruch(1987)
, S. 9はこのように言う。Dens., Gustav Radbruch –
Leben und Werk(1987)
, S. 10をも見よ。
(98)
一人の帰還兵が1945年にネッカー川沿いの町に立ち現れることができた精神的世界と当
時の学生世代の生活感情を、カウフマンと同じく1923年 ₅ 月10日に生まれた文化社会学者ニ
コラウス・ゾンバルトがその『ハイデルベルクの追憶』のなかできわめて生き生きと叙述し
て い る。Vgl. Sombart, Rendezvois mit dem Weltgeist. ― ハ ン ス・ マ イ ヤ ー の 描 出(Ein
Deutscher auf Wiederruf I, S. 316)によれば、当時のハイデルベルクでは「いまだに大ドイ
ツ帝国というものの平和な日常の残滓」が存在していた。
(99)
1933年 ₅ 月に最初の大学教師の一人として新しい権力掌握者によって解任されたこの著
名な法哲学者は1945年 ₉ 月に再びその教職に任命された。彼はいまや、彼がカール・アウグ
スト・エムゲに宛てて書いた(Radburuch, Briefe II, S, 246)ように、「12年後に今一度全く
新しい諸形式のもとに、比類のないほどに重い答責をもって、そしてほとんど影響するとこ
24
同志社法学 59巻 ₁ 号
(547)
︵₁₀₀︶
₁₀
研究分野を選ばせたのである。
カウフマンは回顧的に、彼には特定の実質的な諸々の問いと特定の哲学者が法哲学
︵₁₀₁︶
₁₀
への道を指し示したことを確認している。この方向を指し示す(法)哲学者には、と
くにグスタフ・ラートブルフが属していた。この偉大な法思考家は、とりわけその人
︵₁₀₂︶
₁₀₂
格性によって、多くの若い人々に心に刻み込むような影響を及ぼしたのである。後に
『法哲学入門』という表題のもとに公刊されたラートブルフの法哲学の講義は、学生
︵₁₀3︶
₁₀ 3
であるアルトゥール・カウフマンにとってはひとつの「学問上の原⊖体験」であった。
彼にこの講義のなかで伝えられた諸々の思想は、その後に彼の哲学上の出発点を形成
︵₁₀₄︶
₁₀₄
した。ラートブルフの思考の習得と批判的な継受を通してアルトゥール・カウフマン
は彼に固有の道を見出すことができたのである。
カウフマンはその生涯の長きにわたって敬慕の念をもってハイデルベルクの「教師
︵₁₀₅︶
₁₀₅
と巨匠」に結びついていた。この追憶を彼は「他の誰もが真似ることができないほ
︵₁₀₆︶
₁₀₆
どに」有している。カウフマンはラートブルフ⊖追憶論集(1968年)というものを編
︵₁₀₇︶
₁₀₇
集し、
「思いやりを込めた精神的親和性を認めさせるような」伝記『グスタフ・ラー
トブルフ ― 法思考家、哲学者、社会民主党員』
(1987年)を書いた。とくに言及に
値するのはもちろん、カウフマンによって発案され、編集された全20巻を包括するグ
︵₁₀₈︶
₁₀₈
スタフ・ラートブルフ全集である。カウフマンはこの唯一無類の編集企画を倦むこと
︵₁₀₉︶
₁₀₉
なく先へと推し進めたのであるが、しかしその完結を彼にはもはや体験することは許
されなかった。これをもってラートブルフ全集は彼自身にとってのひとつの記念碑に
ろの古い尺度をもって講義をするという幸運」を体験した。
(100) そ の 後 に 教 師 と な る 人 と の 最 初 の 出 会 い を、Kaufmann, Gustav Radbruch(1987)
, S.
9 ff. が描いている。
(101) Kaufmann, Fünfundvierzig Jahre(1991)
, S. 481.
(102) Dreier/Paulson, ARSP 85(1999), 468が こ の よ う に 言 う。 こ れ に つ い て は、Spendel,
Jugend in einer Diktatur, S. 39 ff.,をも見よ。
(103) Kaufmann, Fünfundvierzig Jahre(1991)
, S. 482はこのように言う。
(104) Vgl. Kaufmann, Fünfundvierzig Jahre(1991)
, S. 482.
(105) カ ウ フ マ ン は そ の 博 士 論 文 の な か で(Das Unrechtsbewüßtsein, S. 7) こ の よ う に 述
べている。
(106) Hassemer, NJW 2001, 1701.
(107) Kühl, ZStW 113(2001)
, 647.
(108) ラ ル フ・ ド ラ イ ヤ ー(Ralf Dreier) が こ の 全 集 を 詳 細 に 論 評 し て い る:Göttingische
Gelehrte Anzeigen 256(2004), 137 ff.
(109) Lüderssen, ARSP 85(1999)
, 471は、 ア ル ト ゥ ー ル・ カ ウ フ マ ン が こ の 企 画 を 営 ん だ
粘り強さを評価している。Kastner, Vorwort, S. VIIは、
「彼の専門知識とその投入がなければ
この全集は可能ではなかったであろう」と論定している。
(546)
「第 3 の道」を求めて:アルトゥール・カウフマンの法哲学①
25
︵₁₁₀︶
₁₀
なっているのである。
アルトゥール・カウフマンの筆になる多くの著作物のなかで、哲学することによっ
て担われたラートブルフの精神的な根本的態度が叙述される。そのさいこの弟子は彼
に固有の諸様相を尊重された先生のなかに再発見する ― もしくは彼から読み取る
― ことが希ではなかった。カウフマンはしばしば、彼に固有の諸々の熟慮をラート
ブルフの法哲学の継続展開として、そして深化として表明することにも努めた。彼は、
「法学と法哲学の将来的発展は可能な限りラートブルフを乗り越えることがあっても、
しかしどのような場合であれ彼の背後に再び一歩でも退くことがない」ために寄与し
︵₁₁₁︶
₁
ようとしたのである。
アルトゥール・カウフマンの法学および哲学上の思考にとっては、しかしながらラ
ートブルフによって決定的に規定されているばかりでなく、その友人であるカール・
︵₁₁₂︶
︵₁₁3︶
₁₂
₁3
ヤスパースからもこの学生は重要な諸々の刺激を受けた。1945/46年の冬学期に彼は、
そこから後に『罪責問題(schuldfrage)』という本が由来している「ドイツにおける
精神的状況」と題する講義を受けた。責任論の刑法上および法哲学上の根本的諸問題
に対するカウフマンの関心は、とりわけこの効果に満ちた講演を通して成り立ってい
︵₁₁₄︶
₁₄
るのである。当時ではハイデルベルクの母校の重要人物であった著名な社会学者であ
︵₁₁₅︶
₁₅
り、文化哲学者であったアルフレット・ヴェーバーは、これに対してどのような持続
︵₁₁₆︶
₁₆
的な影響も後に残していない。
ハイデルベルクにおけるその学生時代の間に15歳年長の法哲学者ヨゼフ・J・M・
ファン・デア・フェン(Joseph J. M. van der Ven)とも知り合いになった。この接触
(110) Spendel, Vorwort, S. VIIもまたこのように言う。
(111) Kaufmann, Gustav Radbruch – Leben und Werk(1987)
, S. 88.
(112) ラートブルフとヤスパースとの間には友好的な接触と哲学上の思想交換が存在した。
ヤスパースの実存哲学はラートブルフの思考に重要な刺激を与えた。Vgl. Wolf, Große
Rechtsdenker, S. 751 f. ― 戦後初期の時代では、二人のハイデルベルクの学者は、偉大な道
徳 上 の 権 威 を 享 有 し た 声 望 の あ る 人 物 で あ っ た。 ヤ ス パ ー ス は ま さ に„Praecepter
Germanie“ の地位を有していた。第 ₂ 次世界大戦後はこれとは全く別の状況にあった一人の
著名な国法学者は1949年 ₇ 月12日にひねくれてその日記( Carl Schmitt, Grossarium S. 256)
に次のように記した。「ラートブルフとヤスパースは1945年には解放されドイツの精神科学
上の跳ね上がり(pin-up)であった」と。
(113) Vgl. auch Neumann, ARSP 87(2001), 419. ― カ ウ フ マ ン が 哲 学 上 の 学 派 と み な し た
大きな不信の念は、ヤスパースの哲学に由来していると察せられる。
(114) Vgl. Kaufmann, Fünfundviezig Jahre(1991), S. 482 f. ― 『 罪 責 問 題 』 と い う 争 い の
ある本については、vgl. auch Wiehl, Moralische Verantwortung, S. 96 ff.
(115) Sombart, Rendezvous mit dem Wertgeist, S. 155はこのように言う。
(116) Vgl. Kaufmann, Fünfundvierzig Jahre(1991)
, S, 483.
26
同志社法学 59巻 ₁ 号
(545)
︵₁₁₇︶
₁₇
から生涯にわたる交友関係ばかりでなく、生産的な学問上の意見交換が成り立った。
このオランダの学者が仕上げた人格的法人間学はカウフマンの思想展開に影響したと
︵₁₁₈︶
₁₈
いってよい。
ドイツ連邦共和国の創建の年にアルトゥール・カウフマンはグスタフ・ラートブル
フ の も と で『 刑 法 の 責 任 論 に お け る 不 法 意 識(Das Unrechtsbewußtsein in der
︵₁₁₉︶
₁₉
Schuldlenre im Strafrecht)
』と題する論文をもって博士号を取得した。彼はこれに結
びついて『義務について(De Oficiis)
』という作品に関して教授資格論文を起草する
︵₁₂₀︶
₁₂₀
はずであった。とはいえ、1949年11月23日の早朝での予期していなかったラートブル
フの死がこの企画を突然に終わらせたのであって、それというものカウフマンは、ハ
イデルベルク大学法学部では彼を引き受けるどのような構成員をも見出ださなかった
︵₁₂₁︶
₁₂
からである。この理由から彼は1952年に司法のための第 ₂ 次国家試験に合格した後に
︵₁₂₂︶
₁₂
カールスルーエ地方裁判所の判事になった。司法への転換は、しかしながら決して長
︵₁₂3︶
₁₂3
期にわたるものではないのであって、それというも「学問が彼を引き離さなかった」
からである。
カール・エンギッシュが重篤な病気に罹患した後に、アルトゥール・カウフマンは
︵₁₂₄︶
₁₂₄
その諸講義において正教授を代行した。いまや彼はその裁判官職と並んでハイデルベ
ルク大学で講義委嘱を受けたのである。1957年に彼は学者としてこの大学の評議員に
(117) ア ル ト ゥ ー ル・ カ ウ フ マ ン の 論 集『 法 学 的 解 釈 学 に つ い て の 諸 論 稿(Beiträge zur
Jurisitischen Hermeneitik)』は、このオランダの法哲学者に「心からの友情のもとに」
(第
₁ 版、1984年)ないしは「敬愛かつ感謝の念を込めた回想のもとに」捧げられた。 ―
Kaufmanns Nachruf in: ARSP 74(1998).
(118) Schefold, PhilJB 96(1988)
, 402も同様に、アルトゥール・カウフマンの(始めの)法
哲学上の構想はファン・デア・フェンへの接近を示している。
(119) ラートブルフはこの論文のために好意のある前書きを書いている。
(120) この著作のなかで「事物の本性」に関するキケロの思想を探究することが求められ
ていた。Vgl. Kaufmann, Gustav Radbruch – Leben und Werke(1987)
, S. 12. ― ラートブル
フの後期哲学においてひとつの重要な役割を演じている「事物の本性」というテーマを、カ
ウフマンはその類比に関する著作(1965年)なかで扱った。
(121) Neumann, ARSP 87(2001)
, 419は、
「カウフマンが司法のための二つの国家試験に州
最高得点者として合格を果した」ことに触れている。
(122) ナ チ ス ⊖ 犯 罪 に 刑 法 的 に 決 着 を つ け る こ と が 当 時 の 彼 の 活 動 の 重 点 で あ っ た。Vgl.
Kaufmann, Rechtsgewinnung(1999)
, S. 32.
(123) Neumann, ARSP 87(2001), 429.
(124) そ の 裁 判 官 と し て の 活 動 の 結 果 と し て ア ル ト ゥ ー ル・ カ ウ フ マ ン はRudolf
0
0
Stammler,.(Die Lehre von dem richtigen Rechte, S. 27)の要請、すなわち「成果豊かな法哲
0
学を営もうとする者は、書類のちりを掃き清めていなければならない」ということを充足し
たと察せられる。
(544)
27
「第 3 の道」を求めて:アルトゥール・カウフマンの法哲学①
︵₁₂₅︶
₁₂₅
復帰した。 3 年後に彼はすでに言及した責任原理に関する教授資格論文を提出した。
︵₁₂₆︶
₁₂₆
彼の回顧的な評価によれば、この論文は二つの目標設定を有している。この論文にお
いて、立法者と法適用者の恣意を限界づけることができる責任と刑罰にとっての存在
論的基盤を見い出そうとする試みが企てられる一方で、ほかでは自由かつ法治国家的
︵₁₂₇︶
₁₂₇
な刑法というものの裏づけが問題になっているのである。
教授資格論文を仕上げている間にも彼は集中的に哲学を研究した。これらの根本的
︵₁₂₈︶
₁₂₈
な研究を通してこの博士号を取得した法学者は哲学上の専門的知識を獲得したことに
ついては、すでに責任原理に関する探究が告げている。彼の最も重要な教師は、この
時代ではハンス⊖ゲオルク・ガダマーとカール・レヴィスである。
「前者は私に解釈学
︵₁₂₉︶
₁₂₉
を、後者は人間学と東アジアの哲学を明らかにした。
」
刑法、刑事訴訟法および法哲学のための教授資格は、アルトゥール・カウフマンの
法学⊖哲学上の見習期間を終わらせた。その知性的な発展のこの段階において様々な
潮流が彼に影響を及ぼした。論文『45年を体験した法哲学(Fünfundvierzig erlebte
Rechtsphilosophie)
』のなかでカウフマンは回顧的に、
「その哲学へのアプローチは南
西ドイツ流の価値論的新カント主義(ラートブルフ)に、実存哲学(ヤスパース)に、
︵₁3₀︶
₁3₀
解釈学(ガダマー)に、そして人間学(レヴィス)おいてなされた」ことを確認して
いる。別の箇所では、彼はラートブルフとカール・エンギッシュをその二人の法学上
の教師であり、カール・ヤスパースとハンス⊖ゲオルク・ガダマーをその二人の哲学
︵₁3₁︶
₁3
上の教師であると呼んでいる。
(125) Engisch, ZStW 80(1968)
, 639 ff., の詳細な論評を参照。
(126) Vgl. Kaufmann, Jura(1986), 225 Fn. 4.
(127) Haft, JZ 2001, 846に よ れ ば、 現 代 の 刑 法 学 に お け る こ の 著 作 の 成 果 は 今 日 で も な お
組みつくされていない。
(128) カウフマンの見解によれば、法哲学者たる者は法学にも哲学にも精通していなけれ
ばならない。Kaufmann, Rechtsdogmatik(1994)
, .S. 1; Ders., Rechtsphilosophie(1997), S. 8.
(129) Kaufmann, Fünfundviezig Jahre(1991)
, S. 484. ― ア ル ト ゥ ー ル・ カ ウ フ マ ン の 東
アジア哲学への関心は論文『比較法哲学 ― 古典的なシナ法文化と古典的は西洋法文化
の例に即て(Vergleichende Rechtsphilosophie – am Beispiel der klassischen chinesischen und
abendländischen Rechtskultur)』が記している。
(130) Kaufmann, Fünfundvierzig Jahre(1991), S. 484. ― こ れ と 一 致 し た 評 価 を、
Piechowiak, Art. „Kaufmann, Arthur“, S. 484“ は次のように言い表している。「カウフマンの
法哲学は、何よりも先ず、価値論的新カント主義(後期におけるG.ラートブルフ)と哲学
的解釈学(ハンス⊖ゲオルク・ガダマー)から展開される。彼の作品の根源はカール・ヤス
パースの実存主義とカール・レヴィスの人間学にも見られよう。
」
(131) Vgl. Kaufmann, Nach-Neuzeit(1990)
, S. VII, 3, 42. ― 見 渡 し 得 る 限 り で は、 し か し
ながらアルトゥール・カウフマンとハンス⊖ゲオルク・ガダマーとの間にはどのような集中
的な接触も存在していない。
28
同志社法学 59巻 ₁ 号
(543)
教授資格取得後にアルトゥール・カウフマンは1960年にザールブリュッケンにおけ
るザールラント大学の正教授になった。そこで彼はヴェルナー・マイホファーととも
に法および社会哲学のための研究所を主宰した。この時以来、二人の間で集中的な意
見交換が存在した ― 刑法上のテーマについてばかりでなく、法の理論と哲学上の諸
︵₁3₂︶
︵₁33︶
₁3₂
₁3
問題についても。短期の外国滞在によって中断されることもあったザールブリュッケ
ンの年年は、
「カウフマンにとっては、真剣に参加し、自己の専門の諸限界を超えて
関心を有している同僚たちのサークルのなかで最高に成果豊かな教授および研究活動
︵₁3₄︶
₁3₄
の時期であった」
。
1969年にアルトゥール・カウフマンは、ミュンヘン大学でカール・エンギッシュの
後継者としての地位に就任した。彼はここで、かつてパウル・ヨハン・アンゼルム・
︵₁3₅︶
₁3₅
フォン・フォイエルバッハが占めていた教壇に招聘されたのである。この著名な法思
考家はグスターフ・ラートブルフにとってもアルトゥール・カウフマンにとっても導
︵₁3₆︶
₁3₆
きの星であった。ミュンヘンのルートヴィク・マキシミリアン大学でカウフマンは法
哲学のための研究所を主宰し、これを彼は法哲学および法情報学のための研究所にま
︵₁3₇︶
₁3₇
で拡大した。彼の指揮のもとにこの施設は「国際的な法哲学上の討議の場所」になっ
た。
アルトゥール・カウフマンはほとんど20年間にわたってバイエルン州の首都におけ
︵₁3₈︶
₁3₈
る正教授として活動した。他の諸大学への招聘を彼は断った。1998年 ₇ 月27日にカウ
フマンはその公的な教職活動を『近現代後の法哲学』についての告別講義をもって終
えた。当時のポスト・モデルネ論議を背景とした法哲学上の時代診断として特徴づけ
︵₁3₉︶
₁3₉
ることができるこの講義を、彼は「回顧としてではなく、予測として形態化する ―
(132) こ の 法 哲 学 上 の 対 話 に つ い て は、Maihofer, Recht und Rationalität, S. 219を も 見 よ。
― 本書は、どのような思考上の諸々の刺戟をアルトゥール・カウフマンはヴェルナー・マ
イホーファーから受けたのか指摘するであろう。カウフマンのマイホーファーへの影響は、
しかしながら探究することが求められない。
(133) 1965年に彼は東京とシドニーで客員教授として教えた。
(134) Neumann, ARSP(2003)
, 420. こ れ に つ い て は、Philipps, in: Kansai University Review
of Law and Politics, No. 24(2003)
, S. 23 ff., をも参照。
(135) ドイツ刑法学 の創始者が1804年に 教えていたラ ンズフート大学が1826年にバイエ ル
ン州の首都に移された。
(136) これについては、Haney, Von einer negativen zur positiven Vernunft, S. 111; Ders., ARSP
84(1998), 275をも見よ。
(137) Neumann, ARSP 87(2001), 423.
(138) 40年 前、1948年 ₇ 月13日 に グ ス タ フ・ ラ ー ト ブ ル フ は そ の ハ イ デ ル ベ ル ク で の 告 別
講演を行っていた。
(139) フ ラ ン ス の 主 唱 者 た ち(Jean-Francois Lyotard, Jacques Derrida) た ち に は、 し
かしカウフマンはどのような注目も注いでいない。彼はドイツ語圏における議論にしか関係
(542)
「第 3 の道」を求めて:アルトゥール・カウフマンの法哲学①
29
哲学と法哲学における際立った諸々の展開への展望としても自らの諸々の計画と企画
︵₁₄₀︶
₁₄₀
への洞察としても」。この講義の流れのなかで聴衆には「最高度に精気を蘇えらせる
近現代の学派と潮流のすべてとの決着が耳の辺りに流れ、それが明確性と独自性のう
︵₁₄₁︶
₁₄
えで考えられた(法)哲学者に今日では生活をあれほど渋みのあるものにしている」。
ノベルト・ブリースコルンの評価によれが、アルトゥール・カウフマンは「際立った
︵₁₄₂︶
₁₄₂
思想的豊かさのひとつの手引きを、ひとつの道標を提示したのである」
。
1993年 ₅ 月10日のその誕生日には、この定年退職者は弟子たちと同僚たちから豪華
な記念論集『刑罰的正義(Strafgerechtigkeit)』を贈呈されたのであるが、それは「ド
イツと外国の学者の52の寄稿論文がそのなかで扱われているテーマの多様性を通して
︵₁₄3︶
₁₄3
法哲学と刑法上の思考における多様性と国際性を反映している」
。より小さい記念論
集はすでにその60歳の誕生日(
『解釈学の諸次元(Dimensionen der Hermeneutik)』
)
とその65歳の誕生日(『機能主義のかなた(Jenseits des Funktionalismuns)』
)に刊行
された。
告別講義のなかで公職から立ち去るこの正教授は、
「なお先に向けて学問的な課題
︵₁₄₄︶
₁₄
に奉仕する」意図を表明した。これに従ってアルトゥール・カウフマンはその定年退
︵₁₄₅︶
₁₄₅
職後もなお巨大な出版物の法哲学上の著者として現れた。1994年に彼は「彼の法哲学
︵₁₄₆︶
₁₄₆
上 の 思 想 の 核 心」 を 意 味 し て い る『 法 哲 学 の 根 本 的 諸 問 題(Grundprobleme der
Rechtsphilosophie)
』 を 公 刊 し た。 こ の 改 訂 版 が 3 年 後 に『 法 哲 学(Rechts︵₁₄₇︶
₁₄₇
philosophie)』という表題のもとに現れた。その生存時に公刊された最後の本のなか
では、解釈学的に方向づけられた法律家にとっての法適用の合理性の限界を指摘して
いる(『法獲得の手続き(Das Verfahren der Rechtsgewinnung)』1999年)
。アルトゥ
ール・カウフマンは2001年 ₄ 月11日に逝去した。
づけていない。近現代は終末期にあるというテーゼを、カウフマンはRommeo Guardiniか
ら受け継いでいる。 ― ポスト・モデルネについては、vgl. auch Kaufmann, Recht und
Rationalität(1988), S. 301 ff.
(140) Neumann, ARSP 79(1993), 259.
(141) Stephan, SZ vom 25. Juli 1988, S. 35.
(142) Brieskorn, ThPh 60(1994)
, 159.
(143) Kühl, GA 1998, 298が こ の よ う に 言 う。 ― Schultz, ZStR 112(1994)
, 269は、
「この学
問上の多様性と放射はそれに伴う卓越さに相応している」ことを強調している。
(144) Kaufmann, Nach-Neuzeit(1990)
, S.1.
(145) Schünemann, Zum Verhältnis von Norm und Sachverhalt, S. 303は、 そ こ か ら 適 切 に も、
カウフマンの告別講義は本当のところ、「その『逍遥の法哲学』の浩瀚な本にもうひとつの
新しい章を開く」ものであることを確認している。
(146) Brieskorn, ThPh 70(1995)
, 477はこのように言う。
(147) 本書はとりわけこの版に関係づけられる。
30
同志社法学 59巻 ₁ 号
(541)
︵₁₄₈︶
₁₄₈
カウフマンがその生涯の終わりまで熱心な学問上の著作者であり続けていたことか
ら、いくらかの論文が彼の死後に公刊された。南ドイツ新聞は、2001年 ₅ 月31日に遺
︵₁₄₉︶
₁₄₉
伝子工学の諸々の挑戦についてのカウフマンの考察を掲載した。死後にもなお物故し
︵₁₅₀︶
₁₅₀
た法哲学者の数多くの記念論集への寄稿論文が現れた。
その学者生活の流れのなかでアルトゥール・カウフマンには数多くの栄誉が与えら
︵₁₅₁︶
₁₅
れた。それらは「彼のエネルギーと活発さを反映している」
。
「著名な、国際的に承認
︵₁₅₂︶
₁₅₂
されているドイツの法哲学者」は ― すでに言及されたように ― 法および社会哲学
のための国際協会名誉理事長に選出された。彼はドイツIVR部会(およびバイエルン
支部会)の名誉総裁でもあった。東京の慶応大学(1970年)とアテネ大学(1987年)
はこのミュンヘンの教授に名誉法学博士を授与した。世界に広がって名声の高いこの
法学者が法律学の限界を超えても大きな名声を享有したことを、ニューヨークのヨシ
ヴァ大学(1998年)とシドニー大学(1998年)の名誉哲学博士の学位が示している。
ラブリン・カトリック大学は彼を名誉神学博士に指名した。
Ⅲ.理解背景としての伝記的背景
₁ .アルトゥール・カウフマンの解釈
生涯の道を跡づけることで、アルトゥール・カウフマンの法哲学がナチス⊖専制と
の個人的な体験を背景としてのみ、よく理解され得ることが示唆された。この解釈学
的に重要な事情をさらに厳密に顧慮することが求められよう。カウフマン自身の説明
をもって始めるのが、この目的に適っているように思われる。アルトゥール・カウフ
マンが1971年に書いたある「まえがき」では、その青少年時代の諸経験の二つの後続
︵₁₅3︶
₁₅3
影響が語りかけられる。回顧的に何よりも先ず、当時の諸体験が法哲学の方向へ向け
て導いたことが強調される。すなわち、
「いまから30年前に私に法哲学への関心を呼
(148) その死の前の数ヶ月にわたってカウフマンはとりわけその『法哲学』の第 3 版に取
り組んでいたのであるが、しかし彼は計画された新版をもはや完結することができなかった。
(149) SZ vom 31. Mai 2001. S. 19(
「一種の遺産」)
.
(150) 以 下 の テ ク ス ト を 参 照:Kaufmann, Relativierung des menschlichen Lebenschutz?
(2001); Ders., Die Bedeutung Gustav Radbruch(2001)
; Ders., Die Rolle der Abduktion
(2001)
; Ders., Bemerkungen zur positiven Begründung(2002); Ders., Was heißt
„Wesensgehalt“ der Grundrechte(2002). ― 『帝国の最後にとってのグスタフ・ラートブル
フの意義』に関する研究は、1991年にARSP-Beiheft Nr. 43に公刊されたテクストと広い範囲
にわたって同一である。
(151) Roelleck, F.A.Z. vom 23. April 2001, S. 53.
(152) Wassermann, RuP 26(1990)
, 190がこのように言う。
(153) 以 下 の こ と に つ い て は、vgl. Kaufmann, Rechitsphilosophie im Wandel, Vorwort( S.
VIII).
(540)
「第 3 の道」を求めて:アルトゥール・カウフマンの法哲学①
31
び起こしたのは、不法国家の直接的な体験であった」ということである。
そのうえにカウフマンは、この生活経験が「法についてのある一定の根本的態度を
呼び起こした」ことを示唆する。それは、
「法律の諸条文だけでは何ものをも、法の
惹起も不法の阻止もなすことはできない」という確信に基づいている。人間によって
のみ、「彼が正しいことをなすというようにして、もしくは彼が不法に抗うというよ
うにして」法は現実的なものになるのである。法と法治国家とは、それゆえに最終的
に現存しているどのような占有物でもなく、
「ひとがつねに創造し、形態化し、弁護
しなければならない貴重な財である」
。これらの簡潔な所見は、アルトゥール・カウ
フマンの全法哲学上の思考の要点を衝いている。
₂ .ヴィンフリート・ハッセマーとウルフリット・ノイマンの解釈
アルトゥール・カウフマンの弟子および同行者たちは同様に、ナチス不法国家との
︵₁₅₄︶
₁₅₄
経験が彼の学問上のライフワークを深刻かつ持続的に刻印づけたことから出発する。
これらの執筆者は、彼の法哲学の基底に置かれている諸々の疑問提起がヒトラー⊖独
︵₁₅₅︶
₁₅
裁の体験に由来していることをも指摘している。
この関連では、次のような諸々の問いが挙げられる。ヴィンフリート・ハッセマー
の解釈によれば、ナチス・ドイツの不法体制との諸々の経験はグスタフ・ラートブル
フとアルトゥール・カウフマンをして、
「どのようにして実定的な、形式的に規則ど
︵₁₅₆︶
₁₅₆
おりに成立している法律というものが可能であるのか」という問いと対決させた。ウ
ルフリット・ノイマンの解釈によれば、権力による法の濫用に抵抗を敢行するために
は、法、法の妥当、法の定立および法の適用はどのように考えられなければならない
︵₁₅₇︶
₁₅₇
のかという問いの前にカウフマンは立たされたのである。
ノイマンによって触れられた疑問提起は、疑いもなくカウフマン法哲学の中心的な
問題である。この疑問提起は法の本質についてのカウフマンの見解を刻印づけてい
(154) こ れ に つ い て は 、 H a s s e m e r, S t r a f g e r e c h t i g k e i t S . 5 ; M e r k e l , J Z 1 9 9 3 , 5 7 1 ;
Neumann, ARSP 79(1993), 259; Ders., ARSP 87(2001), 420; Haft, JZ 2001, 869.
(155) この指摘は特別な注目に値するのであって、それというのも哲学上の思考端緒とい
う も の は、 そ の 疑 問 提 起 か ら の み 理 解 さ れ 得 る か ら で あ る。 現 にKaufmann,
Rechtsdogmatik(1994)
, S. 8はこのように述べている。Vgl. auch Larenz, Die Sinnfrage in der
Rechtswissenschaft, S. 413:「思考過程の根底に置かれている問いを理解する者だけが、与え
られる諸々の答えを、そのつどそれぞれの箇所で、それらの意義において正しく理解するこ
とができるのである。
」
(156) Hassemer, Strafgerechtigkeit, S. 4.
(157) Neumann, ARSP 67(2991)
, 420; す で に ま た、dens., ARSP 79(1993)
, 259(
「法におけ
る不可任氏処分的なものを、何が法の定立の任意処分から免れているのかを問う問題であ
る」を見よ。
32
同志社法学 59巻 ₁ 号
(539)
︵₁₅₈︶
₁₅₈
る。不法に対する抵抗は、カウフマンにとっては法の本質的な要素である。この問い
は、アルトゥール・カウフマンが法哲学上の諸々の考察の中心点に置いた諸テーマの
選択をも導いた。すなわちそれが彼をして特別に、抵抗権の問題を繰り返し論じさせ
︵₁₅₉︶
₁₅₉
る誘引となったのである。
カウフマンの弟子たちが選び出したこの二つの疑問提起が内的な関連を認識させる
ことは注目に値する。すなわち、二つの問いは自然法⊖実定法⊖問題を指し示している
のである。ヴィンフリート・ハッセマーによって挙げられる指導的な問いは根本にお
︵₁₆₀︶
₁₆₀
いて「超実定的な法、自然法の根拠づけ可能性を問う問題以外の何ものでもない」
。
ウルフリット・ノイマンは、彼によって持ち出された核心的な問いを、確かに直接に
自然法に組み入れるのではないが、しかし彼は、この問いがアルトゥール・カウフマ
︵₁₆₁︶
₁₆
ンの立場を法実証主義と自然法との間に規定したことを強調する。この立場が本書に
おいてひとつの重要な役割を演じているのである。
C .アルトゥール・カウフマンの現実性理解
Ⅰ.現実性の過程的性格
アルトゥール・カウフマンの作品の基盤には、いましがた説明された伝記的な経験
的土壌ばかりでなく、現実性の構造状態についてのある一定の見解も属している。ア
ルトゥール・カウフマンの多くの著作物のなかに認めることができるこれについての
考え方を厳密に輪郭づけるのは困難であるが、それにもかかわらず以下では、この実
在性概念を示唆的に開明する試みが企てられる。
アルトゥール・カウフマンの見方では、人間の、そして法の現実性はどのような生
︵₁₆₂︶
₁₆₂
態的な、静止している存在でもなく、ひとつの動態的で手続き的な構造連関である。
カウフマンはその限りで、「現実的なものは過程的である」というエルンスト・ブロ
︵₁₆3︶
₁₆3
ッホの意見に与しているのである。
(158) 1968年 に カ ウ フ マ ン は(Martin Ruther King, S. 331)「 法 の 本 質 は 不 法 に 対 す る 抵 抗
である」と告げていた。その後の諸々の公刊物のなかで、抵抗が法の動態的な本質的要素と
し て 特 徴 づ け ら れ る。Vgl. Kaufmann, Das Widerstandrecht(1083)
; Ders., ARSP(2001)
,
S. 13.
(159) アルトゥール・カウフマンの抵抗権の構想については、いまや vgl. auch Klenner, Das
Recht zum Wiederstand.
(160) Hassemer, Strafgerechtigkeit, S. 5.
(161) Vgl. Neumann, ARSP 87(2001), 420; Ders., Einfühlung, S. 11.
(162) このように見る見解は、アルトゥール・カウフマンの後期の作品のなかで「実体的存在
論」としてのレッテルが貼られる。
(163) Bloch, Das Prinzip Hoffnung, S. 225. こ れ ら の 言 明 をKaufmann, Rechtsphilosophie der
Hoffnung(1974)
, S. 104は引用している。
(538)
33
「第 3 の道」を求めて:アルトゥール・カウフマンの法哲学①
これを通して、アルトゥール・カウフマンの哲学は現実性の動態性と手続き性によ
って把握される。反省の諸々の作用においてその認識諸対象の内的な被動性に相応し
て試みるような考察方法が成り立っているのである。静態的な思考を決然として拒絶
するこの考察方法は動態的なもの、出来上がっていないもの、過程的なもの優先的に
︵₁₆₄︶
︵₁₆₅︶
₁₆₄
₁₆₅
扱い、その主要な注意をつねにある現象の過程的な性格に向けている。カウフマンは、
とりわけ法の手続き的な質と内在的な動態を浮き彫りにすることに努めた。ミヒャエ
ル・パヴリックは「個別的な諸問題についての態度決定のかなたにカウフマンの中枢
的な功績は、法に内在している動態を法律学にとって思考可能なものにしたことに成
り立っているのであり、このことは、将来においてもはや失われてはならないひとつ
︵₁₆₆︶
₁₆
の進歩である」ことを確証している。
︵₁₆₇︶
₁₆₇
カウフマンの考え方によれば、法の内的な動態はひとつの自律的な体系のなかに示
されるのでない。それはむしろ、人間的現存在の生命活性と歴史性に相応しているの
である。「真なる人間的生命が決して静止しているのではなく、いつまでも続く過程
であるように、法(そして国家)もまた何か出来上がったもの、固定しているもの
― 既存の諸々の法律の単なる総計 ― ではなく、つねに創造され、形態化され、弁
︵₁₆₈︶
₁₆₈
護されなければならない何かである。」法は、そうでなければそれは硬直し「石化し
てしまう」ことから、絶え間なく革新され、継続形成されなければならないのである。
︵₁₆₉︶
₁₆₉
とりわけ市民的勇気において日常において阻止され得る法の硬直化を、カウフマンは
ひとつの大きな危険として見ているのであって、それというのも彼の見方では、石化
作用は法の転倒へと導くからである。これによれば、法治国家というものと不法国家
というものとの諸限界は流動的であり、ひとつの不法国家への漸増的な移行は、
「ひ
とが有している何か与えられたものとして、それを保持するに値するような状態とし
て、それですっかり休息できるような達成された目標としてみなされるところですで
(164) Vgl. Kaufmann, Das Widerstandsrecht(1987), S. 203:
「いまだ出来上がっていないもの、
過程的なものだけが生き生きとしている。
」同様にまた、Dens., Rechtsdogmatik(1994)
, S.
10:「いまだ開かれたもの、出来上がっていないもの、問うているものだけが生き生きとし
ている。」 ― アルトゥール・カウフマンがアルフレット・ノース・ホワイトヘッド(Alfred
North Whitehead)の『過程哲学』を心に留め置いていないのは、奇妙なことである。
(165) た と え ば、Kaufmann, Die „ipusa res iusta“(1973), 54( 人 間 の 過 程 的 な 性 質)
; Dens.,
Gerechtigkeit – Der vergessene Weg(1986)
, S. 21 f.(平和と正義の手続き的な性格)を見よ。
(166) Pawlik, ARSP 81(1995)
, 289.
(167) このような見解はハンス・ケルゼンとニクラス・ルーマンに見ることができよう。
(168) Kaufmann, Die Sprache als hermeneutischer Horizont(1969/72)
, S. 356.
(169) このような「小銭の抵抗権」については、vgl. Kaufmann, Das Widerstandsrecht(1993);
Ders., ARSP 77(1991)
, 12 ff. Vgl. auch Klenner, Das Recht zum Widerstand, S. 116 ff.
34
同志社法学 59巻 ₁ 号
(537)
︵₁₇₀︶
₁₇₀
に始まっているのである」
。この認識は法の動態的かつ手続き的な構造への洞察から
帰結するのであるが、しかしこの立場にはナチス―独裁との自らの経験も表明されて
いるのである。
アルトゥール・カウフマンの思考の根底に置かれている現実性理解はそのうえ、そ
の刊行物のなかで繰り返し諸々の緊張関係が、諸々の矛盾および敵対が指摘される。
すでに早期の段階で、彼は次のような見方を表明していた。すなわち「われわれの世
界における真理性、法および正義を求めるに当たって諸々の暫定性と被制約性を決し
てきれいさっぱりと割り切ることができないこと、手触りがよくて几帳面なすべての
公式 ― 『命令は命令である』および『法律は法律である』
、しかしまた『法とは正
義である』も ― はそのなかに不真理性の一片の核が隠されていること、およびそこ
からわれわれは、あらゆる生きとし生けるものに内在しており、法の現実性にも徹底
︵₁₇₁︶
₁₇
0
0
0
0
0
0
して幅を利かせている諸々の両極的な緊張を耐え抜かなければならないということ」
である。法学的解釈学についてのある論稿のなかで彼は、真理性はしばしば「相補的
な諸言明の相互に関係し合う相応化においてはじめて真価を発揮するようになる」と
︵₁₇₂︶
₁₇₂
述べている。
真理性が、諸々の両極的な緊張と過程的な経過によって形づけられるような動態的
な構造状態を所持していることから、それは、すべての過程と現象を計算可能なもの
にしようとするような思考方法を拒絶する。
Ⅱ.合理主義
「合理主義」という表現をもってアルトゥール・カウフマンは人間についての、世
界についての、そして科学についてのある一定の考え方を表示する。その叙述に従え
ば、この思考方向は、真理性について覆すことができない、普遍妥当的かつ厳密な諸
言明を言い表すことを試みようと企てる。現実性の認識は「諸物の数学的に計算する
︵₁₇3︶
︵₁₇₄︶
₁₇3
₁₇₄
把握に制限」され、存在は「数学的に厳密に認識」される。言語哲学上の視点からは
︵₁₇₅︶
₁₇₅
言語の二次元性を除去することが求められる。合理主義は「世界をその全体性におい
(170) Kaufmann, Das Wiederstandsrecht(1983)
, S. 203; Ders., ARSP 77(1991)
, 12.
(171) Kaufmann, Der Mensch im Recht(1958), S. 39(強調は原典のなかで).
(172) Kaufmann, Die Sprache als hermeneutischer Horizont(1969/72)
, S. 351.
(173) Kaufmann, Schuldprinzip(1961)
, S. 7.
(174) Kaufmann, Analogie(1965), S. 290.
(175) カウフマンの見解によれば、言語は二つの次元を、つまりは合理的⊖カテゴリー的な次
元というものと志向的⊖隠喩的な(象徴的⊖直感的な次元というものを有している。合理主義
は 言 語 を 合 理 的 ⊖ カ テ ゴ リ ー 的 な 次 元 に 制 限 し よ う と す る。Vgl. Kaufmann, Die
hermeneutischer Horizont(1996/72)
, S. 343 ff.
(536)
35
「第 3 の道」を求めて:アルトゥール・カウフマンの法哲学①
︵₁₇₆︶
₁₇₆
て一義的な、つねに⊖真なる諸言明の閉じられた体系のなかで相応に叙述するという」
︵₁₇₇︶
₁₇
終局目標を有している。このような潮流が啓蒙哲学に由来しているにもかかわらず、
それはカウフマンにとっていまだにきわめて活性的である。「このような努力が今日
でもなお ― そしてまさにコンピューターと電子式データ処理の時代相にある今日に
︵₁₇₈︶
₁₇₈
おいて ― 存在していることには、ほとんど言及されることを必要としていない。」
アルトゥール・カウフマンの著作物では、合理主義は繰り返し力を込めて斥けられ、
︵₁₇₉︶
₁₇₉
この企画に対する批判はその法哲学のレパートリーに属している。カウフマンの確信
によれば、全現実性をひとつの正確な、矛盾から免れて閉じられた体系のなかに模写
することは可能でない。彼は、
「世界は、理性で除せられて、決して余すところなく
︵₁₈₀︶
₁ ₈₀
割り切れるものではない」ということから出発する。人間の現実性のなかには、そし
て法の現実性のなかには非合理的な諸々の過程が存在していることから、実在性をそ
の全体性において計算しながら把握しようとする試みは、失敗するものと定まってい
るのである。
カウフマンの批判は、一方的に数学と厳密な自然諸科学へと向けられている合理主
義の科学概念に対しても向けられている。カウフマンは、数学的厳密性は決して科学
︵₁₈₁︶
₁₈
に属していないことを強調する。ほかでは、この科学概念は悟性と理性との区別を無
視している。
「合理主義的な科学概念が意味しているのはラチオ(Ratio)のひとつの
(176) Kaufmann, Die Sprache als hermeneutischer Horizont(1996/72), S. 350; Ders., Einige
Bemerkungen(1079)S. 121; Ders., Recht und Sprache(1983), S. 112; Ders., Über die
Wissenschaftlichkeit(1986)
, S. 263; Ders., Nach-Neuzeit(1990), S. 16. ― 「閉じられた体系」
という概念をもって(簡潔に言えば)現実性との関連を欠いているひとつの硬直した導出関
連を特徴づけているものとされる。
(177)「合理主義」という表現は通例としてデカルト、シュピノザ、ライプニッツおよびヴォ
ルフの哲学的諸端緒を表示している。
(178) Kaufmann, Über die Wissenschaftlichkeit(1986), S. 263; Ders., Nach-Neuzeit(1990)
, S.
16.
(179) ポストモデルネ⊖論議を背景にしてアルトゥール・カウフマンは、しかしながら彼が徹
底して正しく理解された合理性の理念を信奉していることを明らかにしている。
(180) Kaufmann, Schuldprinzip(1961), S. 61; Ders., Die finale Handlungslehre(1967)
, S.
102; Ders., Vorwort zum Neudrück(1976/83), S. VIII. ― 世界と理性との関係についてのこ
の文章を、アルトゥール・カウフマンはその師グスタフ・ラートブルフから受け継いだ。ラ
ートブルフはその『法哲学』(第 3 版、1932年)のなかで「この本のなかで提唱される合理
主義はもちろん、世界は理性に除せられた余すところなく割り切れることを考えているので
はない」と書いている。ラートブルフはこの言い回しを『ヴィルヘルム・マイスターの修業
時代』
(ゲーテ)のなかで発見していたのである。Kaster, Goethe in Leben und Werk Gustav
Radbruch, S. 265 ff.,を見よ。
(181) た と え ば、Kaufmann, Gedanken zur Überwindung(1960)
, S. 55 f.; Ders., Schuldürinzip
(1961)
, S. 62を見よ。
36
同志社法学 59巻 ₁ 号
(535)
過大評価であり、分析的な悟性のひとつの過大評価であり、酷使である。それは、悟
性の分解する働きにそもそもはじめて基盤を提供する理性の統一をもたらす機能を無
︵₁₈₂︶
₁₈₂
視している。
」
アルトゥール・カウフマンに従えば、
「とりわけ合理主義にとって特徴的である、
︵₁₈3︶
₁₈3
あらゆる認識のひとつの閉じられた体系という夢は見尽くされているのである」。そ
︵₁₈₄︶
₁₈₄
こからカウフマンは「開かれた体系」というものを獲得しようと努める。この概念は
その著作物のなかでしばしば立ち現れるのであるが、しかしながらカウフマンがひと
つの正確な定義を負ったままであることから、不明確なものにとどまっている。開か
れた体系という構想は二つの(相異なる)根本的想定を表現しているものと推察され
る。
この構想は、一方では法の適用における体系問題に関係づけられる。この関連で開
かれた体系の思想は、法の適用を決してある閉じられた規範体系からのひとつの厳密
(182) Kaufmann, Über die Wissenschaftlichkeit(1986)
, S. 263.
(183) Kaufmann, Rechtsbegriff und Rechtsdenken(1994)
, S. 81. ― 閉じられた体系形式とい
う指導形象を、アルトゥール・カウフマンは往々にして合理主義の思想界に組み入れる。い
くらかの著作物のなかでは、閉じられた、欠けるところのない体系の理念は、しかし実証主
義的な科学概念とも結びつけられる。Kaufmann, Die „ipsa res iuria“(1973)
, S. 56; Ders.,
Tendenzen(1976)
, S. 128.
(184)「開かれた体系」の思想は様々な文脈において成り立っているのであり、これに対応し
て様々な意義内実を有している。この箇所では、次のような簡潔な指摘しかなすことができ
ない。
( ₁ )一般哲学では、この思想はとりわけ新カント主義(H. Cohen, H. Rickelt)によ
って仕上げられた。すなわち新カント主義の体系構想は、科学上の発展の動態と探究の可謬
論とともに全体としての人間的生活の文化的多様性と歴史性を取り込んでいる。これについ
ては、vgl. Strub, Art. „System“, Sp. 852; Klein, Art. „System/Syatemtheorie“, S. 1583; Vgl. auch
Edel, Offene und geschlossene Systemform.( ₂ )システム理論(Ludwig von Bertalanffy)
は、あるシステムとある環境との交換的諸関係を記述するために、「開かれたシステム」と
い う 概 念 を 導 入 し た。Vgl. Klein, Art. „System/Systemtheorie“, S. 1584; Lumann, Soziale
Systeme, S. 22.( 3 )法学上の言語使用では、
「開かれた体系」という表現は様々な事態を表
示している。すなわち第 ₁ に、開かれた体系と閉じられた体系という対置は決議論的に形成
された法秩序と法典編纂思想によって支配された法秩序との間の差異が同一化される、とい
うことである。いまひとつは、開放性のもとにある体系の無完結性、展開可能性および修正
可能性が理解される。この場合では、開放性を科学的な体系と客観的な体系とに関係づける
ことができる。これについて詳しくは、Canaris, Systemdenken und Systembegriff, S. 61 ff.;
vgl. auch Oeser, Evolusion, S. 55 ff.; Esser, Grundsatz und Norm, S. 44. 法学方法論が「開かれ
た体系」に向き合うことは、トピック論的法律学(Thodor Vierweg)の体系懐疑へのひと
つの答えとして解され得る。「開かれた体系」の思想はそのうえ、類型論的法思想とのある
種の類縁関係を示しているのであって、それというのも類型はその開放性を通して標識づけ
られるのであり、それはどのような明確に分離する限界をも有していないからである。
(534)
37
「第 3 の道」を求めて:アルトゥール・カウフマンの法哲学①
︵₁₈₅︶
︵₁₈₆︶
₁₈₅
₁₈₆
な科学的演繹として把握することができないことを明らかにしている。
開かれた体系のモデルは、法哲学の諸認識にとってある一定の秩序構造を特徴づけ
ている。閉じられた体系形式はあらゆる法哲学上のテーマの完全かつ包括的な叙述を
︵₁₈₇︶
₁₈₇
提供する。絶え間なく変遷している現在の複雑な社会では、しかし法の哲学はもはや
︵₁₈₈︶
₁₈
開かれた体系としてしか形態を獲得することができない。これによれば、法哲学は「永
遠の」真理のどのような不変的な「兵器庫」でもない ― それは絶えず現実的な諸々
の疑問提起を摑み取り、新たな認識諸内容を受け容れなければならないのである。
ついでに書き留めるべきは、諸々のシステムの開放性についてのこれと同様な諸考
察に出会うことができる、ということである。カール・ラレンツの見方によれば、法
学にとってと同様に、実践的な哲学(倫理学と法哲学)にとっても決して完結するこ
とが可能でなく、繰り返し問いのなかに置かれている、
「開かれていて」ある種の程
度まで自らのなかで「稼動する」体系は、
『内的な理性性』を、法の指導的な諸価値
︵₁₈₉︶
₁₈₉
と諸原理を明瞭なものにする、それだけでなお可能な種類の体系である。ヘルムート・
︵₁₉₀︶
₁₉₀
0
0
0
0
コーイングにとっても「体系は開かれていなければならない」のである。
D .中間的所見
これまでの叙述のなかでカウフマンの作品の基盤が可視的なものにされた。さしあ
たりアルトゥール・カウフマンの法哲学上の作品を「深層次元」から開明しようとす
る試みが企てられたのである。生涯の道への顧慮は、この著作物集がナチス⊖不法体
制によってあとまで残るような形で刻印づけられたことへと導いた。伝記上の諸々の
ヒントは、アルトゥール・カウフマンの法哲学上の思考方向についても発言すること
を許した。ついで先行するなかで、カウフマンの法哲学の根底に置かれている現実性
理解が照らし出された。
この考察にはいまや直接に作品に立ち向かうことが求められよう。しかしながら前
(185) 法の適用はひとつの論理学的⊖演繹的な導出以外の何ものでもないという考え方を、ア
ルトゥール・カウフマンは法学的解釈学についてのその著作のなかで攻撃した。これについ
てはなお詳しく話題とされるであろう。
(186) 現代の(複雑な)社会というものにおいては、どのような閉じられた規範体系も存在し
ていない。Vgl. Kaufmann, Die Idee der Toleranz(1983)
, S. 222; Ders., Reflexionen(1995)
,
S. 388.
(187) カウフマンにとって開かれた体系とは、
「開かれた社会」
(カール・ポッパー)とのひと
つの対である。Vgl. Kaufmann, Problemgeschihite(1994)
, S. 106, Fn. 208.
(188) Vgl. Kaufmann, Rechtsphilosophie(1997)
, S. 3.
(189) Laremz, Methodenlehre, S. 175.
(190) Coing, Crunzüge, S. 259(強調は原典のなかで).
38
同志社法学 59巻 ₁ 号
(533)
もって、どのような処理方法がこの包括的な作品の相応な理解というものへと導くこ
とができるのであろうかという問いが提起される。この問いは解釈学上の予備的諸考
察を通して答えることが求められる。
E .解釈学上の予備的諸考察
Ⅰ.理解への道
記念論集『刑罰的正義』のなかでヴィンフリート・ハッセマーは、カウフマンの作
品の解釈はどのように困難な企てをも意味していないという見方を提唱した。この浩
瀚な作品を把握しようとする読者にはどのような指導書をも必要としていないと言う
のである。
「彼は、彼が諸々のテクストと掛かり合う限り、つねに彼自身の理解への
道を見出すのであり、次いで彼は ― いずれにせよ、アルトゥール・カウフマンのよ
うな解釈学者というものの見方において ― 疑問のなかにも正しいものを見出すので
︵₁₉₁︶
₁₉
ある。
」とはいえ、より確実で保障された理解というものへと導くこのような道を見
出すのは、決して容易なことではない。
カウフマンの著作物集が示唆しているこの試みは多くの困難を克服しなければなら
ない。この思考迷路を通過する歩行は粘り強くて熱心な読者を要求しているのである
が、しかし諸々の読み物はしばしば、重要な論述は数多くのテクストで繰り返される
︵₁₉₂︶
₁₉₂
ことから、ほとんど骨を折らせることがない。著者が読者の前で繰り広げており、す
ばやい理解というものを妨げている内容的な充満については、すでに述べられた。豊
かな内実は、しかし包括的な理解というものを困難にするのであって、それというの
もあのように大掛かりで切子面に富んだ類の著作物集の場合では、思想の豊穣を完全
に組み尽くすということは可能でないであろうからである。解釈者はこの作品の深み
と浅みに沈没することに警戒さえしなければならないのである。
もうひとつの障害がこれに加わる。アルトゥール・カウフマンの著作物のなかで表
明されている思考様式は、疑問から免れて現存している何らかの意味内実を固定する
という解釈論的な努力に抵抗を対置している。この思考様式をより厳密に考察するこ
とが求められよう。
Ⅱ.アルトゥール・カウフマンの思考様式
アルトゥール・カウフマンが1972年に公刊した一冊の法哲学上の論文集には『逍遥
の法哲学:ある道のそれぞれの停留所(Rechtsphilosophie im Wandel. Stationen eines
(191) Hassemer, Strafgerechtigkeit, S. 1.
(192) 本書では、アルトゥール・カウフマンの諸言明をしばしば複数の箇所を通して裏づけら
れる。
(532)
39
「第 3 の道」を求めて:アルトゥール・カウフマンの法哲学①
︵₁₉3︶
₁₉3
Weges)
』という表題が冠せられている。この表題は彼の法哲学の特性を示唆してい
︵₁₉₄︶
₁₉ ₄
る。
「彼[ラートブルフ]の思考はつねに過程であり、持続的な占有物ではなかった。
」
哲学とはカウフマンにとっては、暫定的な、確証されていない諸認識にしか導かな
︵₁₉₅︶
₁₉₅
いひとつの「真理性発見の過程」である。この見方は彼に固有の思考諸努力の筆法を
刻印づけている。すなわち法哲学上の諸問題に関して彼はつねに探究者および熟考者
として振る舞っているのである。
「他の者がその事柄にもうとうに確信していたとこ
︵₁₉₆︶
₁₉₆
ろで、彼はその疑いをいまだに終わらせなかった。」
カウフマンの考え方によれば、哲学の(そして法哲学の)基本的な諸問題にとって
はどのような究極的な諸解答も存在しておらず、これらの問いは、
「あらゆる真の運
︵₁₉₇︶
₁₉₇
命的な問いと同様に、繰り返し新たに答えられなければならないのである」
。それゆ
︵₁₉₈︶
₁₉₈
えに「彼の学問上の思考の厳格さ」は断定的な諸洞察の厳格な表現形式のなかにでは
︵₁₉₉︶
₁₉
なく、根本的諸問題を取り巻いて繰り返し新たに照射される粘り強さのなかに示され
る。このような努力には精神的な開放性がひとつの重要な役割を演じている。ウルフ
︵₂₀₀︶
₂₀
リット・ノイマンの説明によれば、アルトゥール・カウフマンはつねに新しい諸々の
理念を受け容れ、その諸々の立場を疑問視し、場合によっては修正する心積もりであ
った。
Ⅲ.アルトゥール・カウフマンの哲学理解
アルトゥール・カウフマンの著作物のなかではっきりと目だって顕わになる「緊張
︵₂₀₁︶
₂₀₁
に満ちた、両極的な、前へと駆り立てる思考」は、哲学の本質についてのある一定の
考え方に関連しているのであり、これを以下において説明することが求められる。ア
(193) 同じ年にはこれと同様の表題をもつ法哲学上のもうひとつの論文集が刊行されている。
す な わ ち マ ル ク ス 主 義 法 学 者 で あ る ア ル ト ゥ ー ル・ バ ウ ム ガ ル テ ン(Arthur
Baumgarten1844⊖1966年)の諸々の講演と論文が『途上の法哲学(Rechtsphilosohie auf
dem Weg)』という表題のもとに刊行されたのである。
(194) Kaufmann, Gustav Radbruch(1983), S. 31のカウフマンの認定は、本来的に彼の理論に
関係づけられる。 ― しかしそれは彼自身の思考様式にも当てはまる。
(195) Kaufmann, Die Idee der Toleranz(1983)
, S. 219.
(196) Hassemer, NJW 1001, 1701.
(197) Kaufmann, Gedanken zur Überwindung(1960)
, S. 58.
(198) Hassemer, NJW 2001, 1701.
(199) Kaufmann, Schuldprinzip(1961), S. 65は、Haidegger, Was ist Methaphisik? S, 48( あ と
がき)
:
「正確な思考が最も厳格な思考であることは決してないのであり、そうでなければ、
厳格さはそのつど知識の存在者の本質的なものとの関連を中断する緊張の種類からその本質
を受け取ることになる」に賛同してこれを引用している。
(200) Vgl. Neumann, ARSP 79(1993)
, S. 260.
(201) Hassemer, Strafgerechtigkeit, S. 20.
40
同志社法学 59巻 ₁ 号
(531)
ルトゥール・カウフマンが先に言及された論集『逍遥の法哲学』にモットーとして冒
︵₂₀₂︶
₂₀
頭に置いたカール・ヤスパースのひとつの所見がこの考え方を簡明的確に表現してい
る。「哲学が意味しているのは、途上にあるということである。その諸々の問いはそ
︵₂₀3︶
₂₀3
の諸々の答えよりも重要であり、どの答えも新しい問いになる。
」
生涯の道の描出のところで、アルトゥール・カウフマンがカール・ヤスパースによ
って重要な思考の一撃を受けたことが強調された。彼の哲学理解がヤスパースの思想
によって影響されたと推測することもできる。いましがた引用された所見のなかには
いずれにせよ、カウフマンが完全に与しているひとつの見解が言い表されている。彼
︵₂₀₄︶
₂₀ ₄
はヤスパースと同様に、真理性の探究は ― そして真理性の所持ではなく ― 哲学の
︵₂₀₅︶
₂₀₅
本質を形成しているということを確信しているのである。アルトゥール・カウフマン
︵₂₀₆︶
₂₀₆
が一般哲学の ₁ 部門であるとみなしている法哲学はこのような真理探究に関与してい
︵₂₀₇︶
₂₀₇
る。それは「真かつ正なる法を見出す」という課題を有しているのである。
アルトゥール・カウフマンは、哲学では諸々の問いが諸々の答えよりも重要である
というヤスパースのテーゼにも与している。彼の見方からは、法の哲学は諸々の答え
︵₂₀₈︶
₂₀₈
のどのような総額でもなく、諸々の問いの総額である。ヴィンフリート・ハッセマー
はその追悼文のなかで、
「カウフマンは、諸々の答えよりもむしろ諸々の問いに準備
︵₂₀₉︶
₂₀₉
を整えていた一人の学者であった」と論定している。
問いに優先権というものを容認するカウフマンの傾向は、しかしながらヤスパース
の持続的な影響に帰着するばかりでなく、この傾向はガダマーの解釈学の受容とも関
連しているといってよい。ハンス⊖ゲオルク・ガダマーがカール・ヤスパースと並ん
(202) とりわけその初期の公刊物では、アルトゥール・カウフマンは好んでモットーを冒頭に
置いた。このような愛好はラートブルフにも当てはまる。
(203) Jaspers, Was ist Philpsophie?, S. 14.
(204) Vgl. Jaspers, Was ist Philosophie, S. 14.
(205) 真理性の探究が真理性の所持よりも優先しなければならないということは、すでにまた
レッシングも強調していた。Vgl. Lessing, Eine Duplik, S. 510.
(206) アルトゥール・カウフマンは、法哲学は法律学のどのような部門でもなく、哲学の部門
であるという見解を繰り返し提唱した。彼は法哲学を法解釈論に対して限界づけた。とはい
え、法哲学は(一般哲学とは異なって)法学上の原則的な諸々の問いと根本的な諸問題に関
係づけられなければならない。これについては、vgl. Kaufmann, Zur Rechtsphilosophischen
Situsation(1963)
, S. 175; Ders., Rechtsdogmatik,(1994), S. 1; Ders., Rechtsbegriff und
Rechtsdenken(1994), S. 59; Ders., Rechtsdogmatik(1994)
, S. 1; Ders., Rechtsphilosophie
(1997)
, S. 221 ― Klenner, NJ 1995, 199は、法哲学を法学から除外していることを批判して
いる。v. d. Pfoldten, JZ 2004, 159 ff., もまたこれを否認している。
(207) Kaufmann, Naturrecht und Geschichtlichkeit(1957), S. 13.
(208) Vgl. Klenner, NJ 1995, 192.
(209) Hassemer, Die Hermeneutik, S. 12.
(530)
「第 3 の道」を求めて:アルトゥール・カウフマンの法哲学①
41
でアルトゥール・カウフマンの第 ₂ の先生であったことについては、すでに触れられ
た。ガダマーの提示した理解の哲学では、問いと答えとの弁証法がひとつの重要な役
割を演じている。すなわちガダマーは、
「哲学上の解釈学というものは諸々の答えよ
︵₂₁₀︶
₂₁₀
りも諸々の問いのほうに関心を有しているのである」ことを明らかにしたのである。
それゆえにガダマーに由来し、解釈学上の基盤のうえに打ち立てられた法哲学という
ものは、
「何か具体的なもの、可変的なものそして歴史的なものであり、諸々の答え
︵₂₁₁︶
₂₁
におけるよりもむしろ諸々の問いにおいて把握され得るものである」
。法の本質につ
いてのカウフマンの見解は、ある種の仕方でヤスパースとガダマーの思想を統合して
︵₂₁₂︶
₂₁
いるのである。
Ⅳ.道としての法哲学
カウフマンがモットーとして引用しているカール・ヤスパースの箴言では、哲学の
︵₂₁3︶
₂₁3
「道的性格」がはっきりと強調される。この考え方はカウフマンの著作物のなかで中
枢的な役割を演じているのであって、それというのもこの道は、
「アルトゥール・カ
︵₂₁₄︶
₂₁₄
ウフマンが集中してきたトポスである」からである。この隠喩とともに彼は法哲学の
手続き的な本質ばかりでなく、彼に固有の思想の展開をも叙述している。
法の哲学は、カウフマンの確信によれば、ひとがそこに安住することができるどの
︵₂₁₅︶
₂₁₅
ような建造物でもなく、ひとが粘り強く歩み続けなければならない一筋の道であり、
︵₂₁₆︶
₂₁₆
それゆえに骨の折れる、緊張が強いられる企てである。読者は繰り返し、この困難な
道に赴くことが要求される。カウフマンの最初の著作は、
「われわれは信頼をもって
︵₂₁₇︶
₂₁₇
この道に赴かなければならず、我慢強くこの道にとどまり続けなければならない」と
いう訴えをもって終わっている。彼の最後の本の「まえがき」のなかで彼は、
「私は
この小さな本のなかで与えるものは、私の考えによれば正しい方向に向けて歩んでい
るこの道に道しるべをつけることである。私は、できるだけ多くの人々にともにこの
(210) Gadamer, Hermeneutik als praktische Philosophie, S. 101.
(211) Stermach, Die hermeneitische Auffassung, S. 10がこのように言う。
(212) Vgl. auch Stermacn, Die hermeneutische Auffassung, S. 48.
(213) この「道的性格」はマルチン・ハイデガーによっても強調された。「邪道」
、「道標」お
よび「言語への途上」といった論集上の表題が存在した。
(214) Hassemer, Die Hermeneutik, S. 12.
(215) Kaufmann, Rechtsphilosophie im Wandel, Vorwort( S. VIII). ― Müller-Dietz, 73(1987),
404も同様に、哲学者の認識⊖過程は「確かにつねにすでに途上にあるが、しかし決して目標
にあるのではない」ことを強調している。
(216) もっともMiguel de Cervantesは、
「この道は安宿よりもましである」ことを知ってい
た(Adomeot, Menschenrechte und Rechtsphilosophie, S. 9からの引用)。
(217) Kaufmann, Naturrecht und Geschichtlichkeit(1957), S. 23.
42
(529)
同志社法学 59巻 ₁ 号
︵₂₁₈︶
₂₁₈
道に赴くことを求めたい」と書いている。
アルトゥール・カウフマンは、彼自身の思考の諸々の進歩をもまた一筋の道として
︵₂₁₉︶
₂₁₉
描いている。彼はこの著作のなかで、この反省の諸段階を表しているこの道のそれぞ
︵₂₂₀︶
₂₀
れの停留所を設置した。それゆえに読者は、ひとつの断定的な教説と対峙することは
ないであろう。カウフマンはどのような独断的な主張をもではなく、ひとつの思考過
︵₂₂₁︶
₂₁
程を提供しているのである。
「誰であれ自ら歩まなければならない一筋の骨の折れる
︵₂₂₂︶
₂
道しか指し示されていないのである。
」
Ⅴ.解釈学上の諸帰結
上述の諸所見は、カウフマン法哲学の内容的な諸立場がつねに流動的であったこと
に注目させるはずのものであったであろう。この事情は解釈上の諸帰結に導くもので
︵₂₂3︶
₂3
なければならない。静態的な反省的建造物としてではなく、動態的な思考運動として
― いわゆる「前進へ向けての働き(work in progress)」として ― 提示されるよう
な法哲学は、特別な解釈学的接近というものを要求する。問題となっているのは、解
︵₂₂₄︶
₂₄
釈者が「彼に固有の理解の仕方においてそこで言われているものを追体験する」こと
である。アルトゥール・カウフマンの法哲学上の作品を理解するという目標が設定さ
れている本書は、彼の長期にわたる思考の道を再建するという試みを企てなければな
らないのである。
Ⅵ.
「前理解」
1984年に公刊されたその法哲学および刑法上の「始祖」パウル・ヨハン・アンゼル
ム・フォン・フォイエルバッハについての研究のなかでアルトゥール・カウフマンは
彼の法論の諸々の変遷を、
「偉大なるものは決してまっすぐで平坦な道のうえにでは
︵₂₂₅︶
₂₅
なく、曲りくねった急勾配の小道のうえに切り開かれるのである」と注釈している。
(218) Kaufmann, Rechtsgewinnung(1999)
, Vorwort(S, VI).
(219) グスタフ・ラートブルフはこの点でも模範であったといってよい。Vgl. Kaufmann, Der
Mensch im Recht(1958)
, S. 30(強調は原典のなかで)
:「ラートブルフは自らとその仕事を、
0
0
0
彼 が 途 上 に あ る こ と 以 外 の 何 も の で も な い こ と を 理 解 し た。」 同 様 に、Kaufmann,
Einleitung, in: Aphorisimen zu Rechtsweisheit(1963)
, S. 8.
(220) Vgl. Kaufmann, Rechtsphilosophie im Wandel, Vorwort( S. VII)
.
(221) Vgl. Kaufmann, Vom Ungehorsam gegen die Obrigkeit, Vorwort(S. VII).
(222) Kaufmann, Beiträge zu Juristen Hermeneutik, Vorwort(S, VII)はこのように言う。
(223) Haft, JZ 2001, 869は、カウフマンの法哲学をひとつの「生涯にわたって仕上げられた思
考建造物」と呼んでいる。
(224) Kaufmann, Rechtsphilosophie im Wandel, Vorwort(S. VII).
(225) Kaufmann, Feuerbach(1984), S. 157.
(528)
「第 3 の道」を求めて:アルトゥール・カウフマンの法哲学①
43
このような小道のうえに、カウフマンの著作物のなかで表わされる思想展開もまた遂
行されるのである。すなわちそれは ― 本人の供述によれば ― 多くの「曲りくねっ
︵₂₂₆︶
₂₆
た、がたがたの、そしてあらぬ方向へさまようこと」を示している。そこから、
「諸々
︵₂₂₇︶
₂₇
の断絶や不連続を克服しなければならない」ような思考運動を、どのようにして理解
しながら追体験をすることに最もうまく成功することができるのかという問いが提起
される。ひとつの答えが、法学的解釈学についてのカウフマンの著作物から明らかに
なる。
アルトゥール・カウフマンは繰り返し、「前理解」
(ないしは「前判断」
)が意味付
︵₂₂₈︶
₂₈
着的なものの理解の超越論的な条件であることを詳述した。後に詳しく説明されるこ
とになるその法解釈学的構想のなかでは、理解過程というものは「前理解」というも
のを通して ― それゆえに意味予期というものを通して ― のみ動き始めることがで
きるという認識がひとつの重要な役割を演じているのである。
このような洞察は、しかしながら法の諸々のテクストにかかわっているばかりでは
ない。それは同様に、彼の思想展開を描写するに当たって顧慮されなければならない
のである。すなわち、ひとがすでに解釈上の諸努力の開始時に、どのような問題がそ
の諸々の熟慮の中枢に位置しているのかについてある種の推測を有している場合にの
み、ひとはカウフマンの思考運動を追体験し、理解することができるのである。それ
ゆえに本書はすでにこの箇所で、彼の包括的な、多層的で多岐にわたる著作物集を通
して紡ぎ出される「赤い糸」を取り出さなければならないのである。とはいえ、アル
トゥール・カウフマンがその生涯の流れのなかで公刊した無数の著作物は、かなりの
糸がそのなかに織り込まれているひとつの思想網細工をなしている。そこから複数の
︵₂₂₉︶
₂₉
テーマが赤い糸として考察に登ってくる。
ヴィンフリート・ハッセマーはその追悼文のなかで、刑法の法律学の基礎的諸科学
との結びつきが一筋の赤い糸のようにその師の学問上の作品を貫いていることから出
︵₂3₀︶
₂3₀
︵₂3₁︶
₂3₁
発している。ラインハルト・メルケルの評価によれば、責任論の根本的および限界的
な諸々の問いがこの著作物集から引き出される一筋の赤い糸である。本稿は、しかし
(226) Kaufmann, Rechtsphilosohie im Wandel, Vorwort(S. VIII).
(227) Neumann, ARSP 79(1993)
, 259.
(228) たとえば、Kaufmann, Richterpersönlichkeit(1974)
, S. 147を見よ。「前理解」の理論は
フォイエルバッハ⊖研究のなかでも論及される。Kaufmann, Feuerbach(1984), S. 183を見
よ。
(229) Merkel, JZ 1993, 571も同様に、カウフマンの著作物集のなかには一筋の赤い糸しか存在
していないのではないことから出発している。
(230) Vgl. Hassemer, NJW 2001, 1701.
(231) Vgl. Merkel, JZ 1993, 571.
44
(527)
同志社法学 59巻 ₁ 号
ながらこの二筋の路線を、それらがアルトゥール・カウフマンの法哲学上の ― そし
て刑法上のではない ― 思考にかかわっていることから、さらに追及することはない
であろう。
︵₂3₂︶
₂3
ゲルハルト・ハナイは、社会的正義がカウフマン法哲学の一筋の赤い糸であるとい
う見方を表明した。アルトゥール・カウフマンは実際のところ、社会的正義が内容的
な(規範的な内実に満ちた)法哲学というものの中心点に位置しているという意見で
︵₂33︶
₂3
あった。そこからその公刊物のなかには、正義に適った法秩序というものの個別的な
諸々の問いについての、とくに現実的な諸々のテーマについての数多くの意見表明が
見られる。ヘリベルト・プラントルはその追悼文のなかで、「カウフマンは、その同
業者の別人にはほとんど見られないほど勇敢に重要な諸々の政治的討議に身を投じた
︵₂3₄︶
₂3₄
― エコロジー、生殖医学、人間遺伝学、妊娠中絶、核兵器に」と書いている。多元
︵₂3₅︶
₂3₅
的な社会というものにおける寛容についての諸々の考察およびバイオエシックスにつ
いてのその思想もまた言及されなければならない。社会的正義に肩入れすることは疑
いもなく一筋の赤い糸のように、アルトゥール・カウフマンが学問上の遺産として後
世に遺した法哲学上の作品に貫かれている。
この赤い糸に注意を集中させることは、しかしながら合目的的ではないように思わ
れる。本書では、社会的正義の全く様々な個別的テーマにかかわっている無数の意見
表明をひとつの体系のなかに組み立てることを問題とすることができない。思考の道
を理解しながら追体験することには、これとは別の指導路線に従うことが求められ
︵₂3₆︶
₂3₆
よう。このような基準は、数10年間にも続く思想展開が考察される場合に可視的にな
るのであって、それというのもカウフマンの後期の作品では、その全著作物集のため
︵₂3₇︶
₂3₇
の一本の鍵として機能することができるような思考形象が前面に押し出されるからで
(232) Vgl. Haney, ARSP 84(1993)
, 571.
(233) Vgl. Kaufmann, Rechtsphilosophie(1997)
, S. 189.
(234) Planzl, SZ vom 17. April 2001, S. 19.
(235) Mayer-Maly, Rechtsphilosohie, S. 26は、
「多元論の本質的な条件としての寛容を、カウ
フマンは適切に指摘した」と確認している。Vgl. auch Landau, Jahrbuch 2001, S. 318:「カ
ウフマンにとって寛容はひとつの法哲学上の鍵概念となっている。彼は多元的な社会の諸々
のリスクに対する感覚というものを所持しており、今日および明日の世界において寛容は人
類のひとつの運命的な問題であると考えた。寛容、真理性および自由についての彼の精妙な
諸々の熟慮は、おそらくその最も重要な法哲学上の遺産であろう」。アルトゥール・カウフ
マンの法哲学における寛容の意義については、いまやTakeshita, Toleranz als Rechtsprinzip
をも参照。
(236) 社会的正義の個別的な諸問題についてのカウフマンの態度表明は、それゆえに本書の考
察領域のそとに置かれている。
(237) この作品がこれとは全く異なる点からも開扉され得ることは全く争われない。
(526)
45
「第 3 の道」を求めて:アルトゥール・カウフマンの法哲学①
ある。
Ⅶ.赤い糸としての「第 3 の道」を求める探究
︵₂3₈︶
₂3₈
すでにその最初の著作のなかでアルトゥール・カウフマンは自然法と法実証主義と
︵₂3₉︶
₂3₉
の間の争いと取り組んだ。ナチス⊖不法支配が彼をして「法哲学の永遠のテーマ」に
︵₂₄₀︶
₂₄₀
対峙させたのである。その思想展開のさらなる進展のなかでこの「根本的矛盾」は二
重の視点においてその法哲学上の熟考の関連点であった。
一方では、この対立を通してその諸々の考察の枠組みが画定されるのであって、そ
れというのもこの相対立する立場がそれ以来、その哲学の考察領域がそれらの間に広
がる二つの点を形成したからである。ラインハルト・メルケルはこの事態を次のよう
に素描した。
「法哲学の厄介な両極を貫いて、法律の実定性に対する誤った告発とそ
れへの盲目的な信頼からはるかに距離を置くのと等しく、道徳化する自然法というも
のの楽観論からも全体的な実証主義の冷めた懐疑からも距離を置きながら、カウフマ
ンの法哲学は数10年来にわたり、そして無数のテーマと問題を通して諸々の対立をそ
︵₂₄₁︶
₂₄₁
のうえで耐え抜き、調整しなければならないあの厄介至極な思考の道を探し求める。」
自然法論と法実証主義との間の伝承された争いはそのうえ、様々な視点のもとに繰
︵₂₄₂︶
₂₄
り返し照らし出されるカウフマンの法哲学のひとつの根本的テーマをなしている。こ
の箇所でいま一度、ヴィンフリート・ハッセマーとウルフリット・ノイマンが言い表
した二つの核心的な問いが、主要思想として周りを取り囲んでいるテーマを指示して
いることが想起されなければならない。
アルトゥール・カウフマンの後期の作品ではこの「古典的な」対立が引き続いてひ
とつの重要な役割を演じているのであるが、しかし後期の著作物では自然法と法実証
︵₂₄3︶
₂₄3
主義についてばかりでなく、
「第 3 の道」というものについても話題になる。カウフ
(238) 厳密に考えるならば、「自然法と自然法論とは、前者はひとつの規範内実であるが、し
かし後者はその認識に向けられたひとつの考察方法をなしていることから、区別され」なけ
ればならない(Verdross, Statische und dynamische Naturrecht, S. 14)
。厳密に考えるならば、
それゆえに自然法ではなく、自然法論が法実証主義の反対者である。Vgl. auch Llompart,
Rechtsprinzipien, S. 9 f.
(239) Müller, Marburger Neukantianismuns, S. 8がこのように言う。
(240) Kaufmann, Zum Problem von Wertungswidersprüchen(1990), S. 109.
(241) Merkel, JZ 1993, 571.
(242) 哲学の根本的な諸々の問いは、カウフマンの確信によれば繰り返し新たに答えられなけ
ればならないことについては、すでに言及された。自然法⊖法実証主義問題は、カウフマン
の法哲学上の諸々の考察の結節点でもある。
(243) こ れ に つ い て は と り わ け、vgl. Kaufmann, Problemgeschichte(1994)
, S. 107 ff.; Ders.,
Grundprobleme(1994), S. 39 ff.; Ders., Rechtsphilosophie(1997), S. 39 ff.
46
(525)
同志社法学 59巻 ₁ 号
︵₂₄₄︶
₂₄
マンが60年代以来用いているこの基本語は、その立場を「自然法と実証主義との間も
︵₂₄₅︶
︵₂₄₆︶
₂₄₅
₂₄₆
しくはかなた」に有している法哲学上の理論を表示するものとされる。
「自然法と実
︵₂₄₇︶
₂ ₄₇
証主義の間もしくはかなた」というスローガンはすでにそれ以前にもその諸々のテク
︵₂₄₈︶
₂₄₈
ストのなかに立ち現れている。
形態づけられた明確性によって特徴づけられていない「第 3 の道」という用語は、
アルトゥール・カウフマンにとって二重の機能というものを有している。すなわちこ
の表現は、一方では現代の法哲学上の議論の互いに漂流する諸端緒をひとつの共通
の、包括的な分母のうえに乗せているのであって、それというのもカウフマンの評価
︵₂₄₉︶
₂₄₉
によれば、自然法と法実証主義のかなたにひとつの立場を求める探究は現在の法哲学
︵₂₅₀︶
₂₅₀
の主要な傾向であるからである。この玉虫色の標語には同時に、自らが依って立つ場
所の自己評価が表明されている。すなわちカウフマンは彼自身の構想を、もはや古い
対決の影のなかに置かれているのではないような「第 3 の道」であるとみなしている
のである。法学方法論が考察の中心点に設定されている彼の最後の本のなかで彼は、
「ここで占められる立場は『自然法と実証主義のかなた』に置かれている」ことを確
(244) その作品がきわめて包括的であることから、この標語の第1回目の使用を検出すること
は困難である。見渡し得る限りでは、この表現は第 ₁ 回目としては次のようなテクストに立
ち現れている:Kaufmann, Die Naturrechtsrenaissance(1991)
, S. 221; Ders., Die Naturrechtsdikussion(1991)
, S. 3; Ders., Fünfundvierzig Jahre(1991), S. 485; ders., Vergleichende
Rechtsphilosophie(1991)
, S. 431; Ders., Generalisierung(1992)
, S. 328; Ders., Jura 1992 234.
(245) Kaufmann, Rechtsphilosophie(1997), S. 40.
(246) しかしまた法的に自由な領域の理論もいま一度「第 3 の道」として表示される。Vgl.
Kaufmann, Rechtsphilosphie(1997), S. 231. ― 法的に自由な領域の理論はとりわけアルト
ゥール・カウフマンによって仕上げられた。このモデルの刑法解釈論的、法哲学的および法
理論的な基盤についてはとりわけ、vgl. Kaufmann, Rechtsfreier Raum(1972)
. カウフマン
の構想は、Schünemann, Rechtsfreier Raumによって包括的に描写され、詳細に照らし出さ
れた。Lindner, ZRph 2004, 87 ff. をも参照。
(247) アルトゥール・カウフマンは表現形式のこの選択肢を優先させる。この変型の場合では
伝統化されたこの対立がより強く強調される。
(248) すでに1973/75年に公刊されたある論文のなかで「法を自然法と実証主義のかなたに裏
づける諸々の努力」を話題としていた(Kaufmann, Durch Naturrecht und Rechtspositivismus, S. 79)
。
(249) カウフマンは往々にして探究というものを話題にする。それゆえに彼は、いまだに終局
的な諸帰結というものは現存していないことから出発するのである。Vgl. auch Liu, Artur
Kaufmanns „dritten Weg“, S. 45:「カウフマンは、私見によればどのような完結的な解決策を
提示するのではなく、とりわけ第 3 の道の可能性と方向を指し示そうとしているのである。
」
(250) Kaufmann, Vergleichende Rechtsphilosphie(1991)
, S. 438; Ders., Ploblemgeschichte
(1994), S. 107f.; Ders., Grundprobleme(1994)
, S. 40; Ders., Rechtsphilosophie(1997), S. 40を
見よ。
(524)
47
「第 3 の道」を求めて:アルトゥール・カウフマンの法哲学①
︵₂₅₁︶
₂₅₁
認している。ヘルマン・クレンナーも同様に、
「アルトゥール・カウフマンの構想が
︵₂₅₂︶
₂₅
法実証主義と自然法論との行き詰った対決を克服している」ことから出発する。
「第 3 の道」という表現は、カウフマンの後期の作品のなかではじめてひとつの中
心的な概念になったのであるが、この用語によって表示されるべき実質的な関心事
は、しかしながらはじめから彼の思想のひとつの根本的なモチーフであったといって
よい。たとえば他の法哲学者のいくらかの言明がこの推定に賛同している。すでに60
年代にアレッサンドロ・バラッタは、
「法実証主義と自然法論との間の抽象的な論戦
0
0
0
0
0
と徹底した選択肢の廃棄にとってひとつの大きな意義を有しているのが、アルトゥー
0
0
0
0
0
︵₂₅3︶
0
₂₅3
ル・カウフマンである」ことを強調していた。ヴィンフリート・ハッセマーは1984年
の小記念論集のなかで次のように確証している。「自然法と法実証主義との間の争い
のなかでアルトゥール・カウフマンは自然法に賛成の票を投ずる。しかし彼はこの争
いを克服することに従事し、たとえ超実定的であり、実定法の基準ではあっても、生
︵₂₅₄︶
₂ ₅₄
き生きとして、歴史的、状況的で具体的であるような法を求める探究の途上にある」
と。
自然法⊖法実証主義⊖論争を克服するということがはじめからカウフマンのひとつの
ライトモチーフであったというテーゼの諸々の支点を、ひとは彼自身の刊行物のなか
にも発見することができる。すなわち1973/75年に刊行された『自然法と法実証主義
を 突 破 し て 法 学 的 解 釈 学 へ(Durch Naturrecht und Rechtspositivismus zur
︵₂₅₅︶
₂₅
jurisitischen Hermeneutik)
』と題する論文のなかに。この論文の綱領的な表題は、ア
ルトゥール・カウフマンがすでに当時に、伝統的な対決をひとつの新しい立場を通し
て克服するという意味を有していたことをきわめて明瞭に示している。したがってす
でにこの時期に「第 3 の道」というものを求める探究の途上にあったのである ― が、
し か し い ま だ 宣 伝 効 果 の 大 き い 単 語 が 欠 け て い た。『45年 間 を 体 験 し た 法 哲 学
(Fünfundvierzig erlebte Rechtsphilosohie)
』
(1991年)と題する報告のなかでカウフ
マンは、
「第 3 の道」というものの展望はすでに彼の最初の法哲学上の著作『自然法
と歴史性(Naturrecht und Geschichtlichkeit)
』のなかに認めることができるという見
︵₂₅₆︶
₂₅₆
方さえ提唱している。自然法と実証主義の間の、もしくはかなたの「第 3 の道」とい
(251) Kaufmann, Rechtsgewinnung(1999)
, S. 81.
(252) Klenner, Herr-und-Knecht-Relation, S. 177.
(253) Baratta, ARSP 54(1968)
, S. 346 Fn. 29(強調は原典のなかで)
.
(254) Hassemer, Die Hermeneutik, S. 1 f.
(255) このテクストは先ずもってイタリア語で公刊された。
(256) Vgl. Kaufmann, Fünfundvierzig Jahre(1991)
, S. 485.この箇所でカウフマンはその最初
の著作を後の諸々の洞察の光のもとで見ている。
48
(523)
同志社法学 59巻 ₁ 号
うものを求める探究は、したがってはじめからアルトゥール・カウフマンの法哲学上
の全作品を通して引き出されるようなより長い赤い糸であったといってよいのであ
る。
この赤い糸を、以下において叙述と理解の指導原理として役立てることが求められ
る。本書はそれゆえ、アルトゥール・カウフマンの法哲学が、どのようにして自然法
の諸理論と実証主義のそれらとの対立が克服され得るのかという問題設定の根底に置
いていることから出発する。彼の思考の道は「第 3 の道」というものを求める、長期
にわたる粘り強い探究であるとみなされる。解釈過程のさらなる流れのなかで絶えず
︵₂₅₇︶
₂₅₇
修正されるこのような「前理解」は、彼の思考運動の追体験を可能にし、包括的な全
体叙述というものが遮られているその大掛かりな作品を、少なくとも部分的に開明す
ることが求められる。とはいえ、その前になお「第 3 の道」についての、そしてこれ
に関連する法哲学上の問題領域についてのいくらかの所見が必要である。
F .「第 3 の道」
Ⅰ.標語としての「第 3 の道」
₁ .ひとつの流布している標語
アルトゥール・カウフマンは「第 3 の道」という表現を、自然法と実証主義のかな
︵₂₅₈︶
₂₅₈
たの立場を表示するために標語として用いている。しかし「第 3 の道」は法哲学上の
︵₂₅₉︶
₂₅₉
︵₂₆₀︶
₂₆₀
討議においてのみ話題となっているのではない。この概念は一般哲学においても法学
においても用いられる。しかしながら何よりも先ず「第 3 の道」は社会理論および政
︵₂₆₁︶
₂₆₁
治上の標語である。
(257) Vgl. Gadamer. Wahrheit und Methode, S. 251.
(258) カウフマンは繰り返し、スローガンと標語は法哲学上の議論においてひとつの重要でな
くもない役割を演じていることを指摘している。Vgl. Kaufmann, Zur rechtsphilosophischen
Situation(1963)
, S. 186 f.; Ders., Die Sprache als hermeneutischer Horisont 1969/72)
, S. 330.
(259) 新しい哲学上の公刊物のなかでは、Martin Buberの思考が「第 3 の道」として性格づ
けられる。Vgl. Haupt, Der dritte Weg.
(260) 国家教会法では、「第 3 の道」という表現は教会の労働法上のモデルを表示している。
Vgl. Canpenhausen, Staatskirchenrecht, S. 205 ff. ― 時としてこの表現は他の法学上の文脈
においても立ち現れる。一例を挙げよう。国法学者Hermut Ridder(1989)のための記念論
集には『第 3 の道』という表題が冠せられている。この表題は、「ドイツ連邦共和国の基本
法は、たとえばアメリカ合衆国における純然たる資本主義から、たとえばソヴィエト連邦に
おける一⊖政党⊖支配からも根本的に区別される第 3 の道を可能にしている」ことを表現して
いる(Zueignung, XI)
。
(261) 政治と経済における「第 3 の道」についてのひとつの優れた外観をGallud/Jesse, Was
ist dritten Weg ?, S. 6が呈示している。Vgl. auch Art. „Dritter Weg“ in: Schmidt, Wörterbuch
zur Politik, S. 240 f.; Art. „Dritter Weg“, Bech, Sachwörterbuch der Politik, S. 241; Art. „dritter
(522)
49
「第 3 の道」を求めて:アルトゥール・カウフマンの法哲学①
この関連で「第 3 の道」は ― 簡単に言えば ― 市場経済と計画経済との間に、資
︵₂₆₂︶
₂₆
本主義と社会主義との間に定位しているひとつの社会経済的なモデルである。もっと
もこの概念が不明確であることが、このような理論的端緒に数多くの様々な構想が参
入されたことに導く。 ― 社会的市場経済さえひとつの「第 3 の道」として通ってい
︵₂₆3︶
₂₆3
るのである。
︵₂₆₄︶
₂₆₄
イギリスの社会学者アンソニー・ギデンス(Anthonay Giddens)の著作を通して
︵₂₆₅︶
₂₆₅
「第 3 の道」は、最近では社会科学上の論議のひとつの魔法の言葉になり、ヨーロッ
︵₂₆₆︶
₂₆
パにおける社会民主党政府のひとつのライトモチーフになった。このような議論の文
脈のなかでこの玉虫色の概念は新しい意義ニュアンスを獲得した。すなわちそれは、
伝統的な社会民主主義の範型には従わないネオリベラリズムの政治へのひとつの選択
︵₂₆₇︶
₂₆₇
肢を表示するものとされるのである。
₂ .ひとつの魅惑的な隠喩
もちろんどのような完全性をも要求していない先の概観は、
「第 3 の道」という表
現が、様々な関連のもとの立ち現れるひとつの流布している標語であることを示
︵₂₆₈︶
₂₆₈
した。問題になっているのは、その暗示力によって生きているひとつの魅惑的な隠喩
である。誤謬へと導く二つの道とひとつの道 ― つまり「第 3 の道」 ― だけが存在
︵₂₆₉︶
₂₆₉
しているのであり、これが目標へと導くのである。
とはいえ、隠喩的な表現はいくらかの弱点をも有している。すなわち、それ自体と
して考えられるならば、ある一定の議論との関連から解き放たれてそれがどのような
︵₂₇₀︶
₂₇₀
厳密な意義をも持たなくなる、ということである。それらから「第3番目」としての
Weg“, in: Brockhaus, 20. Aufl. 5. Bd. 1996, S. 701.
(262) 没落したドイツ民主共和国(DDR)では集中的に資本主義と社会主義との間の「第 3
の道」について議論された。これについては、Rochtus, Realität und Utpie の政治学的分析
を見よ。
(263) 現に、Schlecht, F.A.Z. vom 3. März 1990, S. 15がこのように言う。 ― これについては
また、Vgl. Häberle, ZRP 1993, 383 ff.; Ders., Europäische Verfassungslehre, S. 547 f. の憲法理
論上の諸考察をも参照。
(264) と り わ け 次 の 著 作 を 参 照。Giddens, Der dritte Weg; Ders., Die Frage der sozialen
Ungleichheit.
(265)(共同主義の視点から)Etzioni, Der dritte Weg, S. 17 ff., をも参照。
(266) Vgl. Blair, The Third Way, S. 1 ff.; Ders., SZ vom 23. März 2001, S. 11.
(267) Vgl. Giddens, Der dritte Weg, S. 38.
(268) この事実はアルトゥール・カウフマンによっても言及される。
(269) Vgl. Vorländer, Dritte Weg und Kommumuntarismus, S. 16.
(270) Vgl. auch Giddens, Der dritte Weg. S. 3.
50
(521)
同志社法学 59巻 ₁ 号
新しい道が表示される二筋の「誤道」が知られている場合にのみ、この表現はひとつ
の意義を獲得する。しかしこの意義内実は、この概念が消極的にのみ、他の二つの方
向との限界づけにおいて定義されることから、かなり不明確である。
「第 3 の道」が
話題となっている場合には、それゆえにこの魅惑的な隠喩の表面の背後に隠されてい
る実質的な立場を確かめるために、さらなる諸々の考察が必要である。
「第 3 の道」という比喩的な表象がある具体的な議論の文脈のなかではじめて意義
を要求するにもかかわらず、この表現にはつねにある一定の要求が結びつけられてい
る。このような要求は、アルトゥール・カウフマンの法哲学のなかにも立ち現われて
いる二つの哲学上の思考形象をもって表現される。
「第 3 の道」を「アリストテレス的中庸」という意味において解することができる
のであって、それというのもこの表現は往々にして極端な、一方的な諸見解の間の中
間の立場を表示するものとされるからである。アルトゥール・カウフマンの法哲学上
の作品のなかでは「アリストテレス的中庸」がきわめて重要な役割を演じているので
︵₂₇₁︶
₂₇₁
あり、彼は至る所で「中間の」理論を優先させている。
︵₂₇₂︶
₂₇
しかしまた「第 3 の道」を、ある対立を弁証法的に止揚する総合としてみなすこと
もできる。アルトゥール・カウフマンは確かにどのような直接的な弁証法的法哲学の
提唱者でもないのであるが、しかしそれでもそれとの間に精神的な近親感というもの
が成り立っているのであって、それというのも彼の作品のひとつの特徴的な基本的様
相は「対立する諸立場を互いに関係づけ合い、極端な諸立場を克服することにまで到
︵₂₇3︶
₂₇3
達しようとする両極性における思考である」からである。
3 .法哲学上の議論における「第 3 の道」
ある科学が何らかの激しい論争によって支配されている場合には、「かなた」とい
うものを、つまりは不毛の論議を乗り越えてゆくような理論的立場を求めることは、
︵₂₇₄︶
₂₇₄
なるほどと思わせる。法の哲学が数多くの二元論と二分法を呈示していることから、
(271) Vgl. Kaufmann, Rechtsphilosophie(1993)
, S. 300 f.
(272)「実証主義と自然法との総合」というものに賛意を表しているのは、Tur, Criminal Law,
S. 203.
(273) Neumann, ARSP 79(1993)
, 259. Liu, Arthur Kufmanns „dritte Weg“, S. 42も 同 様 に、 両
極性の思想がカウフマンの法思想において重要な役割を演じていることを強調している。ア
ルトゥール・カウフマンの両極性の理念については、Tönnies, Der Dimorphismus, S. 102 ff.,
をも見よ。 ― 二律背反的かつ両極的な思考方法はすでにグスタフ・ラートブルフの法哲学
上の作品のなかでも示されている。これについては、Kaufmann, Gustav Radbruch(1987),
S. 20 ff.を見よ。
(274) 政治哲学では目下のところ(ハバーマスに習って)「リベラリズムとコミュタリズムの
(520)
51
「第 3 の道」を求めて:アルトゥール・カウフマンの法哲学①
︵₂₇₅︶
₂₇₅
この教科では数多くの「第 3 の道」が存在している。
︵₂₇₆︶
₂₇₆
法哲学上の議論において「第 3 の道」という標語は、しかしながら往々にしてひと
つの全く特定された論争、つまりは自然法論と実証主義との伝統的な対立に関係して
いる。ついでながら述べると、アルトゥール・カウフマンは決して、この標語をこの
︵₂₇₇︶
₂₇
意味において用いる最初の法哲学者ではない、ということでる。法哲学を以前から支
︵₂₇₈︶
︵₂₇₉︶
₂₇₈
₂₇₉
配してきた自然法教義と実証主義との基本的な対立を、いまや詳細に考察することが
求められる。
Ⅱ.自然法論対法実証主義
₁.
「法とは何か」という執拗な問い
イマニュエル・カントはその『人倫の形而上学』(1797年)のなかで「法とは何か」
︵₂₈₀︶
₂₈₀
という問いは法学者を絶望に置くと主張していた。このテーゼは依然として根拠を有
しているのであって、それというのもいまだに「法律家たちは彼らの法の概念につい
︵₂₈₁︶
₂₈₁
てのひとつの定義を探し求めている」からである。法律家たち ― そして哲学者たち
― は確かにすでに長きにわたって法の概念を規定しようと努めてきたが、しかし今
︵₂₈₂︶
₂₈
日に至るまで彼らはこの執拗な問いへの答えを見出していない。
アルトゥール・カウフマンの見方からは、この問いへの答えというものは全く存在
し得ない。
「法とは、ひとがしかと定義する(「限界づける」)ことができるような何
かなた」の理論的立場が求められている。Vgl. Forst, Kntexte Gerechtigkeit, S. 17.
(275) ベルギーの法哲学者Francois OstとMichel van de Kerchoveは、これらの二分法にと
ってはそのつど「第 3 のターム」が存在しているという見解を提唱している。その弁証法的
思考端緒については、Ost/ Kerchove, Constructing the Complexjity, S. 147 ff.
(276) もっとも Walter Grasnik(F.A.Z. vom 10. September 2001, S. 54)は、主観的解釈説と客
観的解釈説との間の「第 3 の道」を主張している。
(277) す で に、Henning, Der Maßtab des Rechts, S. 37; Lerner, Das Problem Objektivität, S,
101, 299; Fikentcher, Methode des Rechts III, S. 343; Larenz, Richtiges Recht, S. 13;
Llompart, Unbeliebigkeit, S. 94; Bittner, Recht als interpretative Praxis, S. 24.
(278) Kelsen, Naturrechtlehre und Rechtspositivismus, S. 817がこのように言う。
0
0
0
0
(279) Vgl. Hörschner, Sittliche Rechtslehre 1, S. 254:「法哲学の内部ではひとつの 基本的な対
立しか存在しておらず、これが実証主義と自然法論との間の対立である。
」(強調は原典のな
かで)
(280) Vgl. Kant, Methaphisik der Sitten, Einleitung in die Rechtslehre, § B( .S. 336).
(281) Kant, Kritik der reinen Vernunft, B 759( S. 778)Anm. – Radbruch Grundzüge, S. 48は こ
の所見をひとつの「嘲笑語」と呼んでいる。アルトゥール・カウフマンも同様に、それが嘲
笑的な意見表明であることから出発している。Somló, Juristieche Grundlehre, S. 53/54 Fn. 2
をも見よ。
(282) Vgl. Hart, The Concept of Law, S. 1.
52
(519)
同志社法学 59巻 ₁ 号
か固定しているもの、静態的なもの、物的なものではなく、何か動態的なもの、手続
き的なもの、歴史的なものであり、そこからいつでもそれらの概念が法それ自体であ
︵₂₈3︶
︵₂₈₄︶
₂₈3
₂₈₄
り、繰り返し新たに形成されなければならないのである。
」彼の考え方によると、厳
格な概念規定というものを求める(無駄な)探究はカント哲学によって誘発された。
古代および中世においては、主として法の本質が把握されようとした。この思考伝統
にアルトゥール・カウフマンは次のように結びつける。
「われわれが法について語る
場合にわれわれが考えていることを、ひとは多かれ少なかれ正確に言い表すことしか
できないのである。実質的な法概念のすべての要素をひとつの定義のなかに押し込も
うとする代わりに、それらを可能な限り具体的に記述することが問題でなければなら
︵₂₈₅︶
₂₈₅
ないのである。
」
法の概念を正確に規定しようとする法律家たちと哲学者たちの絶え間のない努力は
様々な定義の充満というものをもたらした。アルトゥール・カウフマンの初期の著作
のなかにも示されているような流布している見方によれば、しかし、諸言明のこのよ
うな多様性にもかかわらず、存在しているのは「法の本来的な根本構造に関して言え
︵₂₈₆︶
₂₈₆
ば、結局のところ互いに争っており、繰り返し入れ代わる二つの見解だけである」
。
︵₂₈₇︶
₂₈₇
この二つの傾向が、伝統的に自然法論と法実証主義と呼ばれるのである。
₂ .自然法⊖実証主義⊖問題の暫定的な説明
法哲学上の文献では自然法教義と法実証主義と間の古典的な争いがきわめてしばし
ば説明された。最近のある小⊖教科書ではこの敵対関係が次のように説明される。
「法
実証主義にとって問題であるのは何らかの規定の創出であるが、しかしその内容では
︵₂₈₈︶
₂₈
ない。自然法論は法の先置性に準拠して正義の内実を問う。
」
(283) Kaufmann, Recht und Gerechtigkeit(1977), S. 287. ― これと比較し得るような見解を
最近では Johann Braunが表明した。Vgl. Braun, Rechtsphilosophie, S. 1:「法を求める問い
にはいつでもそれに固有の答えを見出さなければならない。このことは、大きくは社会の形
態化と小さくは多くの詳細にとってとともに、法とはその本質からして何であり、われわれ
が法について語るときには、われわれは何を考えているのかという問いにとっても当てはま
る。それというのも、このような問いは時代ごとに新たに提起されるからである。」
(284) Vgl. Kaufmann, Tendenzen(1976)
, S. 127 f.
(285) 現 に、Kaufmann, Rechtsbegriff und Rcchtsdenken(1994)
, S. 37が こ の よ う に 言 う。 カ
ウフマンはこの箇所で、Mayer-Maly, Art. „Recht“, Sp. 668を援用している。
(286) Kaufmann, ontologische Struktur(1962/65), S. 104.
(287) Vgl. auch Albart, Recht und Handlung, S. 11:
「歴史と現在は多数の法概念を知っている。
それらの最も共通した分母として自然法論と法実証主義との敵対関係が立ち現れる。
」
(288) Mayer-Mary, Rechtsphilosophie, Vorwort.
(518)
「第 3 の道」を求めて:アルトゥール・カウフマンの法哲学①
53
︵₂₈₉︶
₂₈₉
このような簡潔な説明は自然法⊖実証主義⊖問題の最初の梗概として、そして暫定的
な説明として役立つのであって、それというのもそれはこの対立を簡明的確に言い表
︵₂₉₀︶
₂₉₀
しているからである。このような説明を通して二つの根本的方向は、しかしながらい
まだ十分な明瞭性をもって定義づけられない。とはいえ、同時代の法哲学のより厳密
な考察では、これまで普遍的に承認されたどのような概念規定も存在していない。
現在の議論では「自然法論」と「法実証主義」という表現は漠然とした上位概念と
して用いられる。これらの表現は決して固く輪郭づけられた理論的な構想を表わして
︵₂₉₁︶
︵₂₉₂︶
₂₉₁
₂₉
いない。それらは「家族的類縁性」というものしか記述していないと推定される。デ
ィートマル・フォン・デア・プフォルテン(Dietmal von der Pfordten)は、
「自然
法と法実証主義の概念は抽象的であり、極端に広くかつ不明瞭である。両概念のため
にたとえ近似値的にしかすぎなくても、学者の多数によって承認される、限界づけが
可能な諸々の意義を取り出すことに成功していないのは、それゆえに驚くには値しな
︵₂₉3︶
₂₉3
い」と確証している。
学問上の対話の参加者であれば誰もが「自然法か、それとも法実証主義かを、彼に
︵₂₉₄︶
₂₉₄
とって最も優れていると思われるように理解することは自由である」というのは、お
そらくこれらの表現には、学問上の議論にとって不可欠である概念的明確性に欠けて
︵₂₉₅︶
₂₉₅
︵₂₉₆︶
₂₉₆
いるからであろう。両用語のいずれもがその意義内実において多義的なのである。
― そしてこの多義性が自然法対法実証主義という二分法にとって高まってくるので
(289) 法哲学の他の諸々の教科書のなかにもこれと同様の説明が見られる。
(290) カウフマンの見解によれば、法哲学はその諸対象の本質的内実を把握しなければならな
いのであるが、しかし定義上の正確性は重要ではない。Vgl. Kaufmnn, Wozu Rechtsphilosophie
heute?(1871)
, S. 16 f.; Ders., Die „ipsa res iusta“(1973)
, S. 54 ff.; Ders., Tendenzen(1976), S.
127 f.
(291) 現に、Koller, Zur Vertraglichkeit, S. 337もまたこのように言う。 ― Höffe, Das Naturrecht,
S. 303の言葉によれば、
「法哲学の歴史と現在の表面的な調査がすでに、『自然法』ないしは
『実定法』という同じ表題のもとに商標をつけて営んでいる諸々の見方の色とりどりの多様
性へと導く」。
(292) Vgl. Füller, The Journal of Philosophie 8(1956)
, 697(自然法論の家族的類縁性)
; Weinberger,
Jenseits von Positivismus und Naturrecht, S. 146(実証主義的諸理論の家族類縁性)
; Krawietz,
Rechtstheorie 16(1987)
, 230(実証主義的諸理論の家族類縁性)
. ― 「家族類縁性」につい
ては、vgl. Wittgenstein, Philosophische Untersuchungen, §§ 65 ff.
(293) v. d. Pfordten, Rechtsethik, S. 100. Dens., Rechtsethik(1996), S. 220をも参照。
(294) Llompart, Dichotomisierung, S. 54.
(295) Vgl. Höffe, Das Naturrecht, S. 303.
(296) これについては、Wolf, Das Problem der Naturrechtslehre, S. 154; Ott, Der Rechtspositivismus,
S. 104 ff.,をも参照。
54
︵₂₉₇︶
(517)
同志社法学 59巻 ₁ 号
₂₉₇
ある。この対立の本質は確かに議論参加者全員の念頭に置かれているのであるが、し
かし「自然法論と法実証主義とを区別する決定的なメルクマールが何であるかという
︵₂₉₈︶
₂₉₈
問いについては、どのような意見の一致も支配していないのである」
。そしてこの対
立のどのような統一的な読み方も存在していないことから、
「第 3 の道」というもの
の具体的な内実については様々な見方も成り立っているのであり、第 3 の道というも
のがそもそも存在しているのかということさえ、争われているのである。
3 .さらなる処理方法にとっての諸帰結
上述の説明は、自然法⊖法実証主義⊖問題を正確に把握し、両概念の多義的な用い方を
明確かつ一義的な言語使用に移し変えることにこれまでのところいまだに成功してい
︵₂₉₉︶
₂₉
ないことを明らかにした。このような事情に考慮を払うことが本稿に求められよう。
︵3₀₀︶
3₀
この箇所では、両表現の多義性と古典的な対立の様々な解釈を詳細に展開すること
は断念される。本書ではとりわけ、アルトゥール・カウフマンが自然法と法実証主義
のもとに何を理解し、この両潮流の二元論を彼がどのように評価するのかを究明する
ことが求められる。
法実証主義的な見方と自然法論的なそれとの間の対決は、法の概念のどのような規
︵3₀₁︶
3₀₁
定が相当であるのかという問いをめぐって旋回する。これとの関連においてとりわ
け、法の概念的に必然的な最小限の道徳的内実というものが存在しているのかという
︵3₀₂︶
3₀₂
問題が論ぜられる。アルトゥール・カウフマンはしかし、この議論にはほんのわずか
︵3₀3︶
3₀
︵3₀₄︶
3₀₄
しか注目していない。それゆえに分離テーゼと結合テーゼについての詳細な説明もま
(297) Vgl. auch v. d. Pfoldten, Rechtsethik, S. 101.
(298) Weinberger, Norm und Intuition, S. 71.
(299) 法哲学上の対話はこのような不明確性によって疑いもなく阻害されている。 ― Fuller,
The Jounal ob Philosophy 8(1956)
, 697は、„It is difficult to achieve effective communication
in any discussion of a term that bears as many meanings as does ,natural law’“ことを確認して
いる。Hoerster, Verteidigung des Rechtspositivismus, S. 9の見方によれば、実証主義⊖論議は
「合理的な哲学にとって分析的な細分化と概念的な正確性がどれほど絶対的に断念すること
ができないものであるかについての、まさに典型的な例である」
。
(300) もっとも本書の第 3 章のなかで、アルトゥール・カウフマンの人格的法哲学を自然法思
想の広い範囲にわたって繰り広げられた不均等な領野のなかに組み入れることができるのか
という問いが提起される。
(301) これについては、Neumann, Rechtsphilosophie, S. 183をも参照。
(302) 法概念に関する今日の議論については、たとえば、vgl. Alexy, Begriff und Geltung. ―
カウフマンはこの本を論評している。JZ 1993, 457 ff.
(303) この控えめな態度はおそらく、法の概念をひとつの正確な定義のなかに押し込むことは
必要でないという彼の見解から帰結するのであろう。
(304) カウフマンは、分離テーゼは「抽象度がきわめて高い場合にのみ、それどころかいっさ
(516)
55
「第 3 の道」を求めて:アルトゥール・カウフマンの法哲学①
た、自然法⊖実証主義⊖問題の彼の理解を明確にするためには必要ではない。
しかしながら法実証主義の様々な現象形式について短く示唆を与えることは有益で
あって、それというのもそれはこれに続く叙述にある種の方向づけを取り持つからで
ある。ヴァルター・オッツはひとつの詳細な研究のなかで、法実証主義の三つの主要
な群を、すなわち国家主義的、心理学的および社会学的な法実証主義を区別すること
︵3₀₅︶
3₀₅
ができることを明らかにした。カウフマンの法実証主義⊖批判はしかし、オッツが「国
︵3₀₆︶
3₀₆
家主義的実証主義」という表示のもとに総括している法理論にのみかかわっている。
︵3₀₇︶
3₀₇
心理学的および社会学的法実証主義には、カウフマンはほとんど注目していないので
ある。
₄ .論争の現実性
︵3₀₈︶
︵3₀₉︶
3₀₈
3₀ ₉
自然法と法実証主義との、この大掛かりな論議はすでに古代に始まっているのであ
︵3₁₀︶
3₁₀
るが、しかし今日でもなお法哲学を支配しているような長い歴史を有している。
オトフリート・ヘッフェ(Otfried Höffe)は1983年に、自然法と法実証主義という
︵3₁₁︶
3₁
表現は法哲学にとってのそれらの意義を失ってしまったという見方を唱えた。しかし
ながらこのような評価は早計であることの実を明らかにしているのであって、それと
いうのも、ほんの数年後に行われた法の概念についての論争では、
「新しい自然法か、
いの内容を除外する場合にのみこれを実行することができる」と考える( JZ 1993, 458)
。彼
の見方によれば、法と道徳とは内容的に「多様な仕方で絡み合っているのであるが、もちろ
んひとつに合致することはない」
。
(305) Vgl. Ott, Der Rechtspositivismus, S. 24.これらの主要な群と並んでなお混合的諸形式もま
た存在している。
(306) 国家主義的実証主義については、Ott, Der Rechtspositivismus, S. 32 ff. ― オッツの論述
によれば、その基本思想はこうである。すなわち、法とは社会的な権威を通して、とくに国
家を通して定立されるものである、ということである。実証主義のこの主要群に属している
のは、法律実証主義(ベルクボーム)
、
「純粋法学」(ケルゼン)および「分析法学」
(ジョン・
オースチン)である。
(307) 心理学的および社会学的な理論を「法実在論」という表示のもとに総括することもでき
る。その場合では、法実在論をより狭い意味における法実証主義に(したがって国家主義的
法実証主義に)対置することができる。
(308) Dyzenhaus, Law and Philosophie 20(2001), 461は„the great debate in legal philosophy“と
いう言い方をしている。
(309) Koller, Theorie des Rechts, S. 121. ― 古 代 の 法 哲 学 に つ い て は、Arthur Kaufmann,
Problemgeschichte(1994), S. 33 ff.を見よ。
(310) Nagler, Ökonomie, Ökologie und Demokratie, Vorwort(S. 5)の評価もまたこれと同じで
ある。
(311) Vgl. Höffe, Das Naturrecht, S. 304.
56
(515)
同志社法学 59巻 ₁ 号
︵3₁₂︶
3₁₂
それとも法実証主義か」という問いが問題になっているからである。現在の討議では、
︵3₁3︶
3₁
両概念は依然として重要な役割を演じているのであり、いまなお確信的な自然法論者
︵3₁₄︶
3₁₄
たちと確信的な法実証主義者たちとの間に開かれた論争が存在しているのである。
このような討論の最も衝撃的な係争問題が、今日では「法律上の不法」の問題であ
︵3₁₅︶
3₁₅
るといってよい。そこから古いフェーデが1989/90年以来の政治上の変革を通して新
たに燃え上がっているのである。すなわち、
「東ドイツにおける法治国家の構築が法
︵3₁₆︶
3₁₆
実証主義と自然法論との衝突にいま一度実践的な意義を与えた」ということである。
伝統的な戦線配備はしかし、形を変えた形態のもとに継続されているのである。ラル
フ・ドライアーは、連邦憲法裁判所の世界秩序判例に関する論議が古典的な論争の新
︵3₁₇︶
3₁₇
版として解され得ることを明らかにしている。
現在の法哲学では、しかしなおこれとは別の展開が存在している。
「自然法対法実
︵3₁₈︶
3₁₈
証主義の終りなき戦闘」を克服し、古い小道を立ち去り、新しい道を切り開こうとす
る要求が示されているのである。アルトゥール・カウフマンの評価によれば、「第 3
︵3₁₉︶
3₁₉
の道」というものを求めるこの探究は、今日の法哲学の中心的な関心事でさえある。
これに続く概観は現在の法哲学のこのような傾向をいくらかはより厳密に考察し、
カウフマン自身の諸々の熟慮を相応する議論の文脈のなかに組み入れるであろう。そ
(312) Vgl. Krawietz, Rechtstheorie 18(1987), 208 ff.; Dreier, Rechtstheorie 18(1987), S. 368.
(313) しかしこの間に用語上の諸々の変型も存在している。たとえば、vgl. Alexy, Begriff und
Geltung, S. 15(実証主義対非実証主義); Neumann, Rechtsphilosophie, S. 193(法実証主義対
法道徳主義)。ひとつの新しいカテゴリー化の提案がv. d. Pfordten, Rechtsethik, S. 99(法倫
理学的虚無主義、法倫理学的還元主義、法倫理学的規範主義、法倫理学的本質主義)に見ら
れる。
(314) たとえば、自然法論者Johachim HruschkaとNorbert Hoersterとの間の激しい論争を
参照。Hruschka, JZ 1992, 429 ff.; Hoerster, ARSP 79(1993), 421 ff. ― Bohners, F.A.Z. vom
29. August 1991, S. 25は同様に、論議はいまなお情熱をもって展開されていることから出発
している。これに対してBrieskorn, StdZt 211(1993), 329は、「
『実証主義者たち』と『自然
法論者たち』との間の闘争は広い範囲にわたって、法の体系を自給自足的なものに作り変え、
それ自体のなかに修正の諸原則を取り込む試みに席を譲っているという評価を唱えている。
(315) Vgl. auch Renzikowski, ARSP 81(1995), 335.
(316) Bahners, F.A.Z. vom 29. August 1991, S. 25. ― Seidel, Rechtsphilosophische Aspekte, S.
16も同様に、自然法と法実証主義の対置はドイツ民主主義共和国(DDR)の名において犯
された国家的不法の刑法による克服に当たって重要な役割を演じていることを強調してい
る。
(317) Vgl. Dreier, Konstitutionalismus und Legalismus, S. 197.
(318) v. d. Pfordten, Rechtsethik, S. 112.
(319) Kaufmann, Vergleichende Rechtsphilosophie(1991)
, S. 438; Ders., Problemgeschichte
(1994), S. 107 f.; Ders., Grundprobleme(1994)
, S. 40; Ders., Rechtsphilosophie(1997)
, S. 40
を見よ。
(514)
57
「第 3 の道」を求めて:アルトゥール・カウフマンの法哲学①
の前に、しかしなおひとつの指摘がなされなければならない。すなわち、今日では確
かに多くの学者が「第 3 の道」(もしくはこれに類する表現)という指導概念を用い
ているのであるが、しかし用語において人目を引くこの一致の背後には、しかし決し
て実質における一致というものが隠されているというわけではない、ということであ
る。
「第 3 の道」というものがどのような様相を呈し得るのかについては、 ― すで
︵3₂₀︶
3₂₀
に示唆されたように ― 全く異なっている諸々の考え方が存在しているのである。以
下に続く概観は、しかしながら他の法哲学者たちの諸立場が簡潔な指摘を通してしか
説明されないのであって、それというのも本書は、アルトゥール・カウフマンの「第
3 の道」というものを求める探究に集中することが求められるからである。
Ⅲ.
「第 3 の道」というものを求める探究
₁ .現在の法哲学
法哲学の歴史はしばしば自然法上の諸理論と実証主義上のそれらとの間の「永遠の
︵3₂₁︶
3₂₁
闘争」というものとして表わされるのであり、そのさいある時は前者が、ある時は後
︵3₂₂︶
3₂
者が支配的なものとなっている。とりわけ戦後において学問上の議論を支配していた
この解釈範型に従い、「自然法の永劫回帰」というものと「法実証主義の永劫回帰」
︵3₂3︶
3₂
というものが存在している。これに従えば、法の歴史は「等しきものの永劫回帰」と
︵3₂₄︶
3₂₄
いうもの(フリードリッヒ・ニーチェ)として、確信された諸立場の永劫の反芻とし
︵3₂₅︶
3₂₅
て現れる。このような像は著しい不快感を引き起こすのであって、それというのも、
︵3₂₆︶
3₂ ₆
繰り返し自然法上の諸端緒と実証主義上のそれらとの間をあちらこちらと揺れ動くよ
うな法哲学は新しい諸認識に到達することができないからである。このような不快感
(320) Vgl. auch Llompart, Dichotomisierung, S. 51.
(321) H, Dreier, JZ 1997, 428.
(322) ケルゼンがこの見方を明瞭に言い表した。Vgl. Kelsen, VVDStRL 3(1927)
, 53:「実証主
0
0
0
義は片づけられておらず、また決して片づけられないであろうことと同様に、自然法も片づ
けられておらず、これが片づけられることもないであろう。この対立は永遠なるものである。
精神史は、ある時は前者が、ある時は後者が前面に登場することしか示していない」(強調
は原典のなかで)。 ― この見方はSieckmann, Regelmodelle, S. 13にも示されている。この
ほかでは、vgl. Honore, Groups, Laws and Obedience, S. 1 f.
(323) Vgl. Rommen, Die ewige Wiederkehr des Naturrecht : Lang-Hinrichsen, Zur ewigen
Wiederkehr des Rechtspositivismus. ― こ の 弁 証 法 的 な 対 置 に つ い て は、 し か し ま た
Krawietz, Theoriesubstition, S. 372 ff.をも見よ。
(324) Vgl. auch Huber, Gerechtigkeit und Recht, S. 98.
(325) Vgl. Kriele, Theorie der Rechtsgewinnung, S. 171 Fn. 14.
(326) Ost/Kerchove, Contructing the Complexy, S. 163は、„eternal swinging back and forth of
legal thinking between natural law doctrine and legal positivism“という言い方をしている。
Vgl. auch Fikentscher, Methoden des Rechts III, S. 307(「自然法と実証主義の振り子運動」)
.
58
(513)
同志社法学 59巻 ₁ 号
︵3₂₇︶
3₂₇
が自然法と法実証主義のかなたにひとつの立場を求める「もっともな要求」を呼び起
こしたのである。
︵3₂₈︶
3₂₈
「実証主義対自然法についての終りなき議論をさらに先へと進めない」というテー
ゼは、現在の法哲学では広い賛同に出遭っているといってよい。
「法実証主義と自然
︵3₂₉︶
3₂₉
法論との行き詰った対立的並存」は、今日の見方からは、どのような新しい諸洞察を
︵33₀︶
3₀
も約束しないような「不毛の」論議として現われる。スペインの法哲学者グレゴリオ・
ロブレス・モルチョン(Gregorio Robles Morchon)は、古い論争が「諸立場がそこ
で相互的な交換で豊かになることもなしに不動のままに成り立ち続けているようなハ
︵33₁︶
3₁
ト仲間の対話に成り果てている」ことを確証している。ネイル・マッコーミック(Neil
McCormick)とオタ・ヴァインベルガー(Ota Weinberger)の判断によれば、引き
続いてこの伝統的な議論に従事することはもはや必要ではない。 „We neither ob us
regard the tradisional disputes those two supposdly antithetical ideal types as a fruitful
︵33₂︶
3₂
field for further exploration in itself .“このような評価にテオ・マイヤー⊖マリー(Theo
Mayer-Maly)も与しているといってよいというのも、彼はある新しい法哲学上の著
作の「まえがき」のなかで、「本書は実証主義的な諸々の理論形成からも何らかの自
︵333︶
3
然法的信条告白からも自由であることを保とうとしている」と告げているからであ
る。
アルトゥール・カウフマンはすでに30年前に、
「自然法と実証主義の古いフェーデ
︵33₄︶
3₄
はもうとうに座礁している」と告げていた。彼の見解によれば、これら二つの方向の
間の永劫の闘争は法哲学上の思考を宿命的な袋小道へと導いたのである。
「誰であれ
何人も何千回と持ち出された論拠と反対論拠を知っているのであるが、しかし誰一人
として論敵をその意見から離れさせることができないのであって、なぜかというに彼
︵33₅︶
3₅
は自分の立場を確信をもって根拠づけることができないからである。
」カウフマンは
(327) Wolf, Naturrecht und Gerechtigkeit, S. 54.
(328) Schwintowski, Recht und Gerechtigkeit, Vorwort( S, VI). ― Schwintowskiは、 法 の 判
定理論というモデルを通してひとつの新しい道を指示しようとする試みを企てている。
(329) Klenner, Herr-und-Knecht-Relation, S. 177.
(330) 現 に、Wagner, Das Reflexionalpotential, S. 33; Tur, Criminal Law, S. 203; Haarschner,
Perelman, S. 245; Mayhofer, Realiststische Jurisprudenz, S. 427.
(331) Robles Morchon, Rechtstheorie, S. 157. ― この争いを克服するためにこのスペインの
法哲学者は、彼が「法理論」と呼んでいるひとつの新しい認識論上の端緒を展開した。
(332) MacCormick/Weinberger, Introduction, S. 7.
(333) Mayer-Maly, Rechtsphilosophie, Vorwort. ― もっともこのオーストリアの法哲学者は、
彼が「むしろ自然法論者に組み入れられるべきである」ことを付け加えている。
(334) Kaufmann, Durch Naturrecht und Rechtspositivismus(1973/75)
, S. 79.
(335) Ka u f m a n n , V i e z i g J a h r e R e c h t s e n t w i c h l u n g ( 1 9 8 9 ), S . 2 4 8 ; d e r s . , D i e
(512)
59
「第 3 の道」を求めて:アルトゥール・カウフマンの法哲学①
︵33₆︶
3₆
何回も、このような「見通しのない陣取り合戦」を終局的に終わらせ、二元論的な見
︵33₇︶
︵33₈︶
3₇
3₈
方を窮極的に克服することを呼び覚ました。法哲学のひとつの進展は、彼の固い確信
によれば、もはや自然法と実証主義のかなたのひとつの新しい立場しか存在し得な
︵33₉︶
3₉
い。イマニュエル・カントに依拠してカウフマンの見解を次のように言い表すことも
できよう。すなわち、第 3 の道だけがいまだ開かれている、というように。
現在の法哲学では、この道を切り開こうとする多様な努力が存在している。現実的
な議論では、敵対した思考諸方向を和解させるために登場する声が増えているばかり
︵3₄₀︶
3₄₀
ではなく、多くの端緒が古い二元論を新しい見方というものを通して完全に克服しよ
︵3₄₁︶
3₄₁
うとする目標さえ有しているのである。ホセ・ヨンパルト(Jose Llomart)の診断に
よれば、自然法論にも法実証主義にも信条告白するのではなく、
「第 3 の道」という
︵3₄₂︶
3₄₂
ものに賛意を表することが現代のひとつの一般的な傾向である。名立たる同僚たちの
著作物のなかにこれに類する態度表明が存在しているのである。
ハインリッヒ・ヘンケルの意見によれば、
「伝統的な二つの根本的立場の外に、な
︵3₄3︶
3₄
いしは上にひとつの場所の可能性」が開かれているのである。ヴェルナー・クラヴィ
エツ(Werner Krawietz)の法理論上の諸々の考察は、「法の規範的に、社会的に確
立されたすべての意味体系の体系的な深層構造に負っており、法へのひとつの新しい
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接近を切り開く、自然法と法実証主義のかなたに定位づけられた、制度的および社会
Naturrechtsrenaissance(1991)
, S. 230.
(336) Kaufmann, Problemgeschichte(1994), S. 108.
(337) Vgl. auch Ollero, Rechtstheorie 30(1999), 495.
(338) Vgl. etwa Kaufmann, Art. „Rechtsphilosphie“, in: Staatsrexikon IV(1988), Sp. 716.
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(339) カントは『純粋理性批判(Kritik der reinen Vernunft)
』のなかで「批判的な 道だけがい
まだ開かれている」と告げていた(B 884. S. 879 ― 強調は原典のなかで)
。この「批判的
な道」は経験主義と合理主義との間の、懐疑論と独断論との間のひとつの「第 3 の道」であ
る(Baumgargen, Kants „Kritik der reinen Vernuft“, S. 7)
である。― Paulson, Rechtstheorie
21(1990), 155 f.によれば、この批判的哲学が『純粋法学』にとって道標となった。すなわ
ちハンス・ケルゼンは、「経験的法理論と自然法論との間にひとつの『中間の道』を求める
限りでカント主義者であるのと同様に、カントは彼の前に懐疑的経験主義と独断的合理主義
との間に『第 3 の道』というものを探し求めていたのである。
」このような見方からすれば、
『純粋法学』でさえ、ひとつの「第 3 の道」として現われるのである。
(340) Vgl. Renzikowski, AESP 81(1995)
, 346.
(341) Vgl. M. Kaufmann, Rechtsphilosophie, S. 180.
(342) Vgl. Llompart, Dichotomisierung, S. 55; Ders., Unbelieblichkeit, 97. ― Schram,
Einführung, S. 58はこれに類する評価を言い表している:
「現在の法哲学上の議論はあらゆる
差異にもかかわらず、自然法論と法実証主義との間に第 3 の領域というものを発見しようと
する努力によって特徴づけられる。」
(343) Henkel, Einführung, S. 521.
60
(511)
同志社法学 59巻 ₁ 号
︵3₄₄︶
3₄
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0
的理論的に裏づけられた第 3 の立場」というものを目標にしている。オタ・ヴァイン
ベルガー(Ota Weinberger)には、
「実証主義と自然法のかなたにひとつの立場を求
︵3₄₅︶
3₄₅
める」ことは有益であると思われるのであるが、彼自身の理論構想、すなわち「制度
論的法実証主義」は、しかしながらすでにその名称からしてひとつの実証主義的な教
︵3₄₆︶
3₄₆
義であり、それゆえにどのような「第 3 の道」でもないのである。
自然法と実証主義との間の場所というものにさらに賛意を表しているのが、ロナル
ト・ドゥオーキン(Ronald Dworkin)である。すなわち、この英米の法思想家は世
界的に広く注目されたその構想をひとつの「法の第 3 の理論(thied theorie ob law)
」
︵3₄₇︶
3₄₇
と呼んでいるのである。その端緒の客観的な組み入れは、しかしながら争われている。
︵3₄₈︶
3₄₈
︵3₄₉︶
3₄₉
多くの論者は(アルトゥール・カウフマンもまた)このような法の構想を同様にひと
︵3₅₀︶
3₅ ₀
つの「第 3 の道」として見ているのであるが、しかしそれは自然法思想にも、また実
︵3₅₁︶
3₅₁
証主義にさえも参入される。このような異なる組み入れは、自然法⊖実証主義⊖問題が
十分な厳密性をもって把握することにこれまで成功していないことを、きわめて明瞭
に示している。
この関連で、ロナルド・ドゥオーキンとアルトゥール・カウフマンとの間にはひと
(344) Krawietz, Recht, Intuition und Politik, S. 14(強調は原典のなかで)
. Vgl. auch Krawietz,
Die Ausdiffenzierung, S. 57; Ders., Rechtstheorie 18(1987)
, 228.
(345) Weinberger, Jenseits vom Positivismus und Naturrecht, S. 141.
(346) こ れ に つ い て は、vgl. auch McCormick/Weinberger, Introduktion, S. 7; Llompart,
Dichomisierung, S. 52; Kawietz, Recht, Institution und Politik, S. 12; Ott, Der
Rechtspositivisums, S. 263 f.
(347) Dwokin, The law of the sleve-cachters, S. 1435. ― キリスト教法倫理学の見方から福音
派の神学者Worfgang Huberもまた、「われわれは『法の第 3 の理論』というものを探し求
めなければならないこと」を支持している( Gerechtigkeit und Recht, S. 73)
。
(348) Vgl. Bittner, Recht als interretative Praxis, S. 24, 244; M. Kaufmann, Rechtsphilosophie,
S. 190 ff.; Mackie, The third theory of law, S. 3; McCormick, Rechtstheorie 11(1980), 2;
Hoerster, Rechtsphilosophie zur Einführung, S. 97 ff.
(349) カウフマンは、とくにロナルド・ドゥオーキンによって言い表された「法の一般的諸原
理(General Principles of Law)
」の理論を、自然法⊖実証主義⊖論争から抜け出し、ひとつの
「第 3 の道」を記述する試みとして見ている。Vgl. Kaufmann, Rechtsphilosophie(1997)
, S.
49 ff.
(350) Vgl. Weinberger, Die Naturrechtskonzeption, S. 497 ff.; Wilkes, Rawls und Dwokin, S, 105
f.; Pawlik, Rechtstheorie 23(1992), 301 f.; Dreier, F.A.Z. vom 3. September 1986, S. 33. ―
Braun, Rechtsphilosophie, 185は、
「ドゥオーキンはその実証主義批判をもって、彼自身が考
えているよりも正しく理解された自然法の理念に接近している」ことを強調している。
(351) Fikentscher, Methode des Rechts II, S. 430 f.は、ドゥオーキンの構想をアメリカの新―
実証主義に組み入れている。彼はしかし、ドゥオーキンの以前の諸言明にしかかかわってい
ない。
(510)
61
「第 3 の道」を求めて:アルトゥール・カウフマンの法哲学①
つの精神的な接近が成り立っているという興味のある事実に注目されるべきであろ
う。すなわち、ミカエル・パヴリク(Michael Pawlik)は、両法哲学者はガダマー
︵3₅₂︶
3 ₅₂
の解釈学に依拠していることを指摘しているのである。ドゥオーキンが哲学的解釈学
︵3₅3︶
3₅
に敬意を表していることは、カウフマンによっても書き留められている。しかしこの
共通性は過大に評価されてはならないのであって、それというのもドゥオーキンの解
︵3₅₄︶
3₅₄
釈の理論はガダマーの理解の理論から著しく異なっているからである。もうひとつの
親和性を、ノルベルト・ホルン(Norbert Horn)が指摘した。彼は、ドゥオーキン
とカウフマンが、内容的に処理することができない表現形式のために努力している
︵3₅₅︶
3₅
諸々の声に属していることを明らかにした。
アルトゥール・カウフマン、ハインリッヒ・ヘンケル、ヴェルナー・クラヴィエツ
およびロナルド・ドゥオーキンと並んでニクラス・ルーマンもまた「第 3 の道」の弁
護者として見られるのであって、それというのもこの社会学者は、
「伝統的な型の自
︵3₅₆︶
3₅₆
然法上の諸理論と実証主義上のそれらとの差異を克服することができる」ということ
から出発しているからである。彼はこのような言明を、カウフマンの著作『正義の理
︵3₅₇︶
3₅₇
論(Theorie der Gerechtigkeit)』を通して裏づけている。ルーマンの法の機能主義的
な見解は、しかしながらカウフマンの考えによれば「第 3 の道」という標語に該当す
る理論的端緒には決して属していないのである。
₂.
「第 3 の道」というものの重要な探究
「第 3 の道」というものの諸々の戦略のために開かれている回廊は、一見するとこ
ろきわめて広いのであって、それというのもアルトゥール・カウフマンはこの標語を
数多くの理論的構想にとっての集合概念として用いているからである。
「第 3 の道」
︵3₅₈︶
3₅₈
というもののいくらかの試みがその『法哲学』の第4章のなかで紹介されている。
アルトゥール・カウフマンはこれに関連してグスタフ・ラートブルフの法哲学、法
︵3₅₉︶
3₅₉
学的解釈学、法学的論証の理論、
「法の一般的諸原理(General Principles of Law)
」
(352) Vgl. Pawlik, ARSP 81(1995), 286.
(353) Vgl. Kaufmann, Rechtsphilosophie(1997)
, S. 38.
(354) これについては、Bittner, Recht als interpretative Praxis, S. 20 ff.
(355) Vg. Horn, Einführung, Rn. 382(S. 225)
.
(356) 現に、Luhmann, Das Recht der Gesellschaft, S. 217はこのように述べている。
(357) Vgl. Luhmann, Das Recht der Gesellschaft, S. 216 Fn. 8.
(358) Kaufmann, Rechtsphilosopohie(1997)
, S. 41 ff.; すでにこの本の第 ₁ 版における(広い
範囲において一致している)論述:Kaufmann, Grundploblem(1994)
, S. 41 ff.,をも見よ。
(359) 論 証 理 論 も ま た、 こ れ と は 別 の 意 味 に お い て「 第 3 の 道 」 と し て み な さ れ 得 る。
Neumann, Jurisitsche Argumentatioslehre S. 2の言葉によれば、「法学的論証の理論は、法学
62
(509)
同志社法学 59巻 ₁ 号
の理論および「法の批判的諸研究(Critical Legal Studies)
」に論及している。ついで
ながら「第 3 の道」というもののこれよりほかの試みが挙げられる。すなわちマルク
︵3₆₀︶
︵3₆₁︶
3₆₀
︵3₆₂︶
3₆₁
3₆₂
ス主義の法理論、基本法第20条第 3 項および討議諸理論である。初期のある論文のな
︵3₆3︶
3₆
かでは、なお分析的法理論もまた言及されていた。
アルトゥール・カウフマンが呈示している長いリストは、すでに60年代にもう一人
の法哲学者によって言い表されたひとつのテーゼを確証している。すなわち、「
『第 3
の道』の途上に互いにそれぞれにおいてそのつどの独自性を補い合う多くの逍遥者の
︵3₆₄︶
3₆₄
ための場所を有している」ということである。とはいえ、どのようなメルクマールが
これらの理論の共通の核心を表わしているのかという問いが提起される。この問いに
は次のように答えられる。
「自然法論にとっては、法はロゴスのなかに、神の律法の
なかに、理性のなかに認識可能な仕方で前もって与えられている。法実証主義によれ
ば何も前もって与えられていない、少なくとも前もって与えられている法の諸内実を
認識することができないのであり、それゆえに法の内容は任意である。これに対して
『第 3 の道』というものの提唱者たちは確かに法の完全に具体的な内容を認識可能な
仕方で前もって与えられているとは考えないが、しかしそれでもある種の諸構造、諸
原理は、もしくは『不法論拠』という意味において消極的であるにすぎなくても与え
られていると考える。いずれにせよ、明白な『法律上の不法』は妥当性を有していな
いのである。これによれば、客観的な諸内実(
『自然』)へのどのような絶対的拘束と
いうものは成り立っておらず、成り立っているのは特定された諸関係の内部での相対
的な、より優れた拘束というものでしかない(たとえば『売買』という法律関係が規
的決定論を一方とし、法学的決断論を他方とする両者の間のひとつの第 3 の道を標識づけ
る」
。
(360) Kaufmann, Rechtsphilosophie(1997)
, S. 49 Fn. 33は、「マルクス主義法理論も同様に、
自然法と実証主義との間の、もしくはかなたのひとつの『第 3 の道』を探究した」ことを強
調している。 ― 自然法対法実証主義の選択肢はマルクス主義的法理論にとっては、しかし
ながらマルクス的法哲学と市民的法哲学との絶対的な対置によって覆われたひとつの相対的
な対置にすぎないのである。Vgl. Klenner, Rechtsphilosophie in der Krise, S. 20.
(361) Vgl. Kaufmann, Rechtsphilosophie(1997), S. 52 Fn. 41. カウフマンの見解によれば、こ
の憲法規範は法と法律との間にはひとつの差異が成り立っているという古い(非実証主義的
な)見解を確証している。これについては、vgl. Grasnik, F.A.Z. vom 17. Mai 2002, S. 8参照。
(362) こ の 理 論 は、
「ある種の意味において」
「 第 3 の 道 」 に 該 当 す る。Kaufmann,
Rechtsphilosophie(1992), S. 52は,このように述べている。
(363) Vgl. Kaufmann, Vergleichende Rechtsphilosophie(1991), S. 438. ― 分 析 的 法 理 論 は 法
学的解釈学の主要な論敵である。カウフマンはこのように敵対した思考方向のひとつの和解
を弁護する。Vgl. Kaufmann, Rechtsphilosophie(1997), S. 38.
(364) Lerner, Das Problem der Objektivität, S. 102.
(508)
63
「第 3 の道」を求めて:アルトゥール・カウフマンの法哲学①
︵3₆₅︶
3₆₅
範化される場合には、買い手と売り手の役割を任意に処理することができない)」
。
カウフマンのリストについて、この箇所でさらに注釈を続けることは求められな
い。とはいえ、そのラートブルフ⊖解釈についてはいくらかの所見が必要である。ア
ルトゥール・カウフマンはその多くの著作物のなかでラートブルフの思想を叙述し、
そして説明した。これに従えば、自然法⊖実証主義⊖問題はその偉大な師にとってひと
︵3₆₆︶
3₆
つの中枢的な挑戦であった。カウフマンはそのうえに、ラートブルフの法論がその場
︵3₆₇︶
3₆₇
所を自然法と実証主義のかなたに有しているという見解を唱える。この主張へは、後
に ― 本稿の第3章のなかで ― はじめてより厳密に立ち入られる。差し当たって確
認しておかなければならないのは、アルトゥール・カウフマンは「第 3 の道」という
ものを求めるその探究をラートブルフの継続として理解しているということである。
3 .歴史上の諸々の所見
アルトゥール・カウフマンは、
「第 3 の道」がいわゆる「自然法のルネサンス」の
︵3₆₈︶
3₆₈
終焉以来の法哲学のひとつの中心的なテーマを表わしていることから出発する。「第
3 の道」というものを求める探究は、しかしながらすでにそれ以前に開始されていた。
パウル・ヨハン・アンゼルム・フォン・フォイエルバッハに関するその研究のなかで
カウフマンは、「フォイエルバッハの足場は自然法⊖実証主義のかなたに置かれてい
︵3₆₉︶
3₆₉
る」と主張している。他の論者の叙述によれば、オットー・フォン・ギールケ(Otto
(365) Kaufmann, Rechtsphilosohie(1993), S. 40 f.
(366) これについては、vgl. Kaufmann. Gustav Radbruch(1987), S. 25 ff.
Kaufmann, Gustav Radbruch(1987)
(367) たとえば、
, S. 32; Ders., Art. „Radbruch“, in: Staatslexikon
IV(1988), Sp. 625; ders., Art. „Rechtsphilosophie“, in: Staatslexikon IV(1988), Sp. 716; Ders.,
Demokratie – Rechtsstaat – Menschenwürde(1990), S. 474; Dere., Rechtsdogmatik(1994), S.
21; Ders., Rechtsbegriff und Rechtsdenken(1994)
, S. 41; Ders., Art. „Radbruch, Gustav“, in:
Demokratische Wege(1997)
, S. 491; Ders., Die Bedeutung Gustav Radbruchs(2001), S.
10. ― このような見方は他の論者たちによっても受け継がれた。たとえば、vgl. Auer,
Verfassung und Strafrecht, S. 44; Scholler, Die Rechtsvergleichung, S. 104.
(368) Vgl. Kaufmann, Die Naturrechtrenaissance(1991)
, S. 491; Vgl, auch Lüthers,
Rechtstheorie Rn. 578( S. 335)
. ― 戦後初期の法哲学上の議論は後に説明される。
(369) Vgl. Kaufmann, Feuerbach(1984)
, S. 188, 221; し か し ま た、Dens., „Die Hohe Würde
des Richteramts“(1982)
, S. 32をも見よ。「われわれは、フォイエルバッハを自然法論者とし
て烙印を押すことからはるかに離れている。フォイエルバッハが現在の法ないしは法律実証
主義の始祖であったこと、このことを疑うことはできない。しかしその実証主義は絶対的な、
無制約的な実証主義ではなかったのであり、それはひとつの救済条項を、それも、白地の不
法命令が問題になっている場合には、何らかの官憲の指令の拘束性にとっての推定がもはや
妥当しないという形を伴ったひとつの実証主義であった」。 ― Llompart, Dichotomisierung,
S. 53は、フォイエルバッハの足場が自然法と実証主義のかなたに置かれているという主張
を 批 判 し て い る。Haney, Naturrecht bei P. J. A. Feuerbach, S. 179; Dere., Aufklärung und
64
(507)
同志社法学 59巻 ₁ 号
︵3₇₀︶
︵3₇₁︶
3₇₀
3₇₁
von Gierke)とルドルフ・シュタムラー(Rudolf Stammler)がこの種の立場を志向
ないしは提唱していた。このような評価の実質的な根拠を、この箇所で検証すること
は求められない。
カール・ラレンツ(Karl Larenz)が1935年に「自然法と実証主義のかなたの第 3
︵3₇₂︶
3₇₂
︵3₇3︶
3₇
の立場」というものを弁護したという事実も注目に値する。新ヘーゲル主義のもう一
人の法哲学者、ヴァルター・シェンフェルト(Walther Schönfeld)は、その時代に
︵3₇₄︶
3₇₄
類似した諸考察を表明した。しかし「第 3 の道」は新ヘーゲル学派のひとつのプロジ
︵3₇₅︶
3₇₅
︵3₇₆︶
3₇₆
ェクトであったばかりでない。ナチス⊖時代では、多くの法哲学者が自然法と実証主
︵3₇₇︶
3₇
義との間もしくはかなたのひとつの立場を探し求めていたのである。現在の法哲学上
juristieche Zeitenwende, S. 57.
(370) Vgl. Krupa, Otto von Gierke, S. 1.
(371) Vgl. Larenz, Richtiges Recht, S. 13 f.:「シュタムラーはその『正しい法』の理論をもって、
それ自体から妥当している、空間と時間には依存していない『自然法』の思想を一方とし、
その時代に全く支配的な法学的および法哲学的『実証主義』を他方とする両者の間の第 3 の
道というものを求めた。
」
(372) Larenz, Rechts- und Staatsphilosophie, S. 150; Dens., ZDK 4(1938)
, 243を も 見 よ。 ―
民族的⊖観念論的意味におけるこの「第 3 の立場」については、Bracziyk, APSP 79(1993)
,
S. 104 f.; Frommel, Rezeption der Hermeneutik, S. 179 ff.
(373) 以 下 の 諸 々 の 指 摘 を み よ。Kaufmann, Nationalsozialsmus(1983), S. 190; Ders.,
Problemgeschiche(1994)
, S. 97; Ders., Rechtsphilosophie(1997), S. 51 Fn. 41.
(374)「第 3 の立場」というものに賛意を表するに当たってラレンツは、Schönfeld, AcP 135
(1932), 1 ff.を指示している。Schönfeld, Die Geschichte der Rechtswissenschaft, S, 565 ff.,を
も参照。
(375) 自然法論と法実証主義との間の対立の弁証法的止揚は、しかしながらひとつの「典型的
なヘーゲル学派の綱領」であった(Alwalt, Recht und Handlung, S. 94)。 ― M. Kaufmann,
Rechtsphilosophie, 180 ff., の見方によれば、ヘーゲルの法哲学は自然法と実証主義との間の
ひとつの仲介的な見解を意味している。
(376) Vgl. etwa Wolf, Richtiges Recht, S. 5; Krupa, Otto von Gierke, S. 64. ― 当 時 の「 第 3 の
立場」を求める探究については、vgl. auch Kaufmann, Nationalsozialismus(1983)
, S. 189 f.;
Tönnies, Der Dimorphismus, S. 25.
(377) Calr Schmittはその時代に規範主義(法的思考)と決断主義(決断的思考)との間の「第
3 の 立 場 」 と い う も の を 構 想 し て い た。 こ れ に つ い て は、Lege, Pragmatismus und
Jurisprudenz, S. 564をも参照。 ― Kaufmann, Problemgeschichte(1994), S. 104は、この法
学上の思考の種類は「多くの賢明がその背後に差し込まれている」ことを強調している。す
でに、Dens., Analogie(1965)
, S. 283 Fn. 28をも参照。そこでは、「
『法学的思考の 3 種類に
ついて( Über die drei Arten des rechtswissenschafllichen Denkens)』という本は、時代に条
件づけられた諸々の誤謬にもかかわらずいまなお読むに値する」と言われている。そこから、
Rütters, Rechtstheorie Rn. 926(S, 508)は、カウフマンの「事物の本性」の理論と具体的秩
序思考との類縁関係というものが成り立っていると主張している。Dens., JZ 1982 625をも
参照。
(506)
「第 3 の道」を求めて:アルトゥール・カウフマンの法哲学①
65
の討議なかでもなお「第 3 の立場」が問題になっている。
「もっともそれが当時に考
︵3₇₈︶
3₇₈
えられていたのとは別の意味においていである。
G 探究のさらなる進行
本書の第 ₁ 部における詳細な諸々の所見は「第 3 の道」の問題のなかにアルトゥー
ル・カウフマンの法哲学上の作品の理解のための鍵が置かれていることへと導いた。
このような意味予期をもってこの偉大な作品に接近することが必要である。
第 ₂ 部で本書は、カウフマンの長い思考の道を詳細に描き出すであろう。理解しな
︵3₇₉︶
3₇₉
がら再建することは、その法哲学の「数10年間の長きに及ぶ形成過程」を可視的なも
のにするであろう。このためには、カウフマンの哲学的構想がそのなかで形態を獲得
した歴史的および精神的な環境についていくらかの言葉を必要としている。
以下の叙述では、アルトゥール・カウフマンの思想の展開史がある程度まで問題史
として展開されるのであるが、それというのもこの叙述は彼の思想の展開を自然法⊖
実証主義⊖問題の視点のもとに精査するからである。それゆえに主要な注意はこの問
題の変化する解釈と「第 3 の道」というものの様々な構想に向けられる。
本書の第 ₂ 章では、カウフマンの思考の道の各停留所が示されるばかりでなく、彼
の内容的な諸々の主張の実質的な真理内実への問いもまた提起される。指導的なもの
として際立たせられた視角は、探究の地平を限界づける。したがってそれは、アルト
ゥール・カウフマンの法哲学が余すところなく叙述され、包括的に解釈され尽くされ
ることを結果としてもたない。解釈は、この視角の尺度に従って本質的なものと思わ
れるものに集中されなければならない。細部にわたる多くのことについては、示唆的
な仕方でしかこれらを扱うことができない。これとともにこの考察がカウフマンの作
品の深浅に沈み込むことはないが、理解の指導原理はつねに掌中に保持しておくこと
は必要でさえある。
第 2 部 アルトゥール・カウフマンの思考の道
A .序言
Ⅰ.思考の道の区分
期間を画することなしには、アルトゥール・カウフマンの思考を追体験することは
できないであろう。以下の叙述は彼の思想を三つの節に分類する。すなわち存在論的
(378) Klenner, Herr-und-Knecht-Relatiom, S. 177.
(379) Klenner, Herr-und-Knecht-Relation, S. 277.
66
同志社法学 59巻 ₁ 号
(505)
時期、解釈学的時期および人格⊖関係的時期である。この区分が根拠づけられ、詳細
に説明されなければならない。
アルトゥール・カウフマンはその思考運動を論集『逍遥の法哲学(Rechtsphilosophie
im Wandel)
』
(1972年) と『 法 学 的 解 釈 学 へ の 諸 論 稿(Beiträge zur Juristische
Hermeneutik)
』のなかに収録した。後者の本の「まえがき」では、この両巻の関係
が次のように説明される。
「最初の巻では法存在論というものを根拠づけることと展
開することが支配的な要素であったとすれば ― そのさい私は存在論をすでに当時に
実体的存在論としてではなく、諸関係の存在論として理解していた ― 、この論集で
は解釈論的端緒が優勢的である。しかしそのさいもともとの構想があっさりと見捨て
︵3₈₀︶
3₈₀
られたのではなく、新しい思考方向に吸収され、そしてそれとともに修正される」と。
カウフマンの思想展開では、彼自らの判断によれば、法存在論的段階と解釈学的段階
というものが存在しているのである。
︵3₈₁︶
3₈ ₁
80年代においてアルトゥール・カウフマンの法哲学に、
「関係理論的法構想」とい
うものをもたらしたひとつの新たな転換が遂行される。いまや人格的な契機が諸々の
︵3₈₂︶
3₈₂
考察の中心に置かれるのである。この人格的法理論への道の途上での通過点を意味し
ている法学的解釈学は、しかし新しい端緒によって決して追い遣られるのではなく、
︵3₈3︶
3₈
それはいまだに最後の公刊物に至るまでひとつの重要な役割を演じているのである。
存在論的、解釈学的および人格⊖関係的な段階への三分割は、思想の道の描写を容
易にする。けれども強調されなければならないのは、これらの節の間には流動的な移
行が成り立っているということである。すなわち、ある節のなかで支配的である思想
は、たいていの場合ではすでにより古い著作物のなかに根差しているのであり、新し
︵3₈₄︶
3₈₄
い諸々の熟慮は突発的にではなく、おもむろに前面に登場する、ということである。
それゆえに三つの節の間の明確な限界線引きというものは可能でない。
法哲学は、カウフマンの見方では、真かつ正なる法を見出すという課題を有してい
ることについては、すでに述べられた。思考の道の各段階を、したがって彼自身の真
理探究の中間的各停留所として見ることができるのである。そのうえに個々の節は、
自然法⊖実証主義⊖問題の哲学上の意味内実をそのつど修正する独自の解釈地平をなし
(380) Kaufmann, Beiträge der Jurisitischen Hermeneutik, Vorwort(S. VII)
.
(381) Mollnau, NJ 2000, 90がこのように言う。
(382) Lschmaer, ARSP 78(1992), S. 285は、このような新しい構想を「人格的関係論」と呼ん
でいる。
(383) Vgl. erwa Kaufmann, Die hermeneutische Spirale(2000).
(384) Hassemer, Strafgerechtigkeit, S. 19はそれゆえ、カウフマンの思考のなかにはどのよう
な根本的な方向転換も存在していなかったことを確認している。
(504)
67
「第 3 の道」を求めて:アルトゥール・カウフマンの法哲学①
ているのである。自然法に関しては、しかしながらアルトゥール・カウフマンはつね
にひとつの(途中の)絶え間のない出発点に準拠しているのであり、これについてす
でにこの箇所で言及することが求められよう。
Ⅱ.カントの認識批判
₁ .存在論と認識論
カウフマンの思考の道は、大体において二つ反省的次元のうえに経過する。すなわ
︵3₈₅︶
3₈₅
ち、彼の思考諸努力は存在論と認識論に参入される、ということである。彼の内容的
な哲学の根本的な問い ― 正しい法とは何か、われわれは正しい法をどのようにして
認識ないしは実現するのか ― がこの二つの教科にかかわっていることについては、
︵3₈₆︶
3₈₆
すでに指摘された。これらの教科は自然法⊖実証主義⊖対立にとっての哲学的な地平を
︵3₈₇︶
3₈₇
もなしているのである。
法の存在論についてのその諸々の熟慮に当たってアルトゥール・カウフマンは思考
の道の流れのなかで数多くの哲学者とかかわった。前期ではトマス・アクィナス、マ
ルチン・ハイデガー、ニコライ・ハルトマンおよびヘドヴィヒ・コンラート⊖マルチ
ウス(Hedwig Conrad-Martius)が着想の重要な源泉であり、後期ではチャールズ・
S・パース(Charls S. Peirce)の関係理論が受け容れられる、というに。これに対し
てアルトゥール・カウフマンの認識論上の思想諸過程ははじめからある一定の照準点
にかかわっているのであり、これについてヴィンフリート・ハッセマーはその追悼文
のなかで次のように言及した。「彼の道はドイツ観念論の認識批判から出立している
のであり、この道から彼が、その学問的な諸テーゼにおいても、学問におけるその態
︵3₈₈︶
3₈
度においても立ち去ることはなかった」と。
₂ .カントとヘーゲルとの間
いましがた引用された認定はヘーゲル流の客観的観念論にかかわっているのではな
く、問題になっているのはむしろ、イマニュエル・カントが『純粋理性批判』のなか
で文言化した超越論的観念論である。したがってそのうえに究めなければならないの
(385) しかしこれらの次元を明瞭に分離することは可能でない。
(386) Vgl. auch Kaufmann, Rechtsphilosophie(1997), S. 154:「正義を求める問いは二つの方向
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
に帰着する。 ₁ .正義とは何であるのか、 ₂ .われわれは正義をどのようにして認識するの
か。これはいわばひとつの存在論的な、そしてひとつの認識論的な疑問提起である」(強調
は原典のなかで)。
(387) Vgl. Kaufmann, Rechtspositivismus und Naturrecht(1961/72), S. 71.
(388) Hassemer, NJW 2001, 1701.
68
(503)
同志社法学 59巻 ₁ 号
は、どのようにしてアルトゥール・カウフマンが批判的―超越論的端緒を理解してい
るのかということである。しかしその前に、カントとヘーゲルとの間の彼の立場につ
いて簡潔に所見が述べられるべきであろう。
一見してケーニヒスベルクの哲学者との間に大幅な接近が成り立っている。カント
︵3₈₉︶
︵3₉₀︶
3₈₉
3₉₀
の認識論はカウフマンの思考にはじめから影響を与えた。それはすでに刑法に関する
︵3₉₁︶
3₉₁
博士論文のなかで言及される。これに対してゲオルク・ヴィルヘルム・フリートリヒ・
ヘーゲルは、彼自身の評価によれば、どのような持続的な影響を及ぼすことはなか
︵3₉₂︶
3₉₂
った。
カウフマンの作品のなかには、しかしながらこれとは別の印象と「天才的でありな
がら、まさにそれゆえに今日に至るまで争われている哲学者との精神的親和性」を伝
︵3₉3︶
3₉
える諸々の所見も見出される。ヘーゲルが実質的な存在論に形式的な論理学に対する
優先権を認容したこと、このことをヘーゲルがはっきりと表明していることがいくら
︵3₉₄︶
3₉₄
かの論文のなかで賛同的に指摘されている。カウフマンは、カントが自然法の歴史哲
学上の問題を見過ごしているけれども、ヘーゲルはこの問題をその全射程のもとに把
︵3₉₅︶
3₉₅
握しているという見方を提唱している。人格的法哲学を仕上げるに当たってアルトゥ
ール・カウフマンは繰り返しヘーゲルによって言い表された、
「一個の人格であれ、
︵3₉₆︶
3₉₆
そして他の人々を諸々の人格として尊重せよ」という法の命令に拠り所を求めている。
(389) アルトゥール・カウフマンはカントの法哲学によってというよりもはるかに強い程度に
おいて彼の認識論によって影響を受けた。Kaufmann, Problemgeschichte(1994), S. 68の評
価によれば、イマニュエル・カントは「ひとつのまさに無批判的な、本質的な点において合
理主義的な自然法の立場を提唱した」。Kühl, Rehabilitierung und Kutualisierung, S. 212 ff.は
この評価に反対している。 ― カントが自然法論者であったのか、それとも実証主義者であ
ったのかは、争われている。この議論については、Kühl, Naturrecht und positives Recht, S.
75 ff. Wolfgang Kerstinは カ ン ト の 法 哲 学 を 中 間 の 道 と し て 見 て い る。Vgl. Kerstin,
Wohlgeordenete Freiheit, 351:「カントの実定法の拘束性の理論は自然法という前門の虎と実
定法という後門の狼との間のひとつの中間のコースを探し求めている。」
(390) グスタフ・ラートブルフはその弟子たちに南西ドイツの新カント主義に接近させていた
のである。
(391) Kaufmann, Das Unrechtsbewußtsein(1949)
, S. 34:「理性から出来上がった理論的諸認
識を獲得することができるのではなく、物的なものを取り込んではじめてある質量に適用さ
れ得ることを証明したのは、とりわけカントの功績である。
」
(392) Vgl. Kanfmann, Fünfundvierzig Jahre(1991), S. 483.
(393) Vgl. Kaufmann, Wozu Rechtsphilosophie heute?, S. 1.
(394) Vgl. Kaufmann, Die „ipsa res iusta“(1973)
, S. 56; Ders., Tendenzen(1976)
, S. 128.
(395) Kaufmann, Theorie der Gerechtigkeit(1984), S. 56; Ders., Problemgeschichte(1994), S.
76; Ders., Rechtsbegriff und Rechtsdenken(1994)
, S. 63; Ders., Rechtsphilosophie(1997), S.
26.
(396) Hegel, Grundlinien §36(S. 36)
. この法の命令は、Kaufmann, Vorüberlegungen(1986)
,
(502)
「第 3 の道」を求めて:アルトゥール・カウフマンの法哲学①
69
どのような完全性をも要求していない上記の諸々の指摘は、アルトゥール・カウフ
マンの哲学上の思想が徹底的にヘーゲルによって鼓舞されたことを裏づけている。ゲ
ルハルト・ハナイは次のような推定を表明しているが、これは正しいといってよいで
あろう。
「ヘーゲルがカントほどには彼に接近していないと彼は信条を告白している
にもかかわらず、彼は、彼が考えているよりはおそらくヘーゲルに接近しているであ
︵3₉₇︶
3₉₇
ろう。
」
3 .カントの認識論のアルトゥール・カウフマンの解釈
クリスチャン・キュール(Kristian Kühl)はその追悼文のなかで、アルトゥール・
カウフマンへの想起が「その(新カント学派的)認識批判的な処理によって刻印づけ
ら続けているのであり、これはすでに彼の学問上の経歴の開始のときに刑法上のテー
マに向けられたその仕事に示され、その後期の諸作品のなかで豊かな果実を結んでい
︵3₉₈︶
3₉₈
る」と書き留めている。自然法問題についてのカントの立場表明のなかでは、認識批
判的な処理がはじめから目だって顕わになっていたのである。
アルトゥール・カウフマンはすでにその学問上の生成過程の開始時にカントの認識
論のある一定の読み方をわがものにしており、それは部分的にグスタフ・ラートブル
︵3₉₉︶
3₉
フの新カント主義の立場と一致している。その思考のさらなる流れのなかで詳細な点
である種の力点の移行と変更がなされたのであるが、しかしこのような解釈論的端緒
のどのような修正も存在してはいないのである。
これに続く諸論述は、カントの認識批判のアルトゥール・カウフマンの解釈を包括
︵₄₀₀︶
₄₀
的に叙述し、全般的に評価するという目標を有しているのではない。以下ではしかし、
S. 297; Ders., Die „Natur“(1989), S. 216; Ders., Nach-Neuzeit(1990)
, S. 364; Ders., Richtiges
Recht(1990)
, S. 368で引用される。
(397) Hanay, ARSP 84(1998)
, 277,
(398) Kühl, ZStW 113(2001), 641 ― カウフマンの認識論上の立場を新カント主義に算入す
ることができるかは、疑わしい。確かに情報の共通点というものが存在しているけれども、
しかしそれでも見方の違いというものが成り立っているのである。すなわち新カント学派の
人々は、ひとはカントに帰らなければならないことを呼びかけていたが、しかしカウフマン
は、カントの背後に立ち帰ることはできないことを強調しているのである。
(399) ここで全く簡潔に報告することが求められるラートブルフの見解は、カントの形式と素
材との分離に依拠している。すなわち批判主義は、法の形式だけが絶対的かつ普遍妥当的で
あることを示した、ということである。それゆえに不変的な内容をもつ不可変的な自然法し
か 存 在 し 得 な い こ と に な ろ う。 こ れ に つ い て は、Radbruch, Gründzüge S. 25 ff.; Ders.,
Rechtsphilosophie, S. 340 f.; Ders., Der Relativismus, S. 17; Ders., Vorschule, S. 186. ―
Nauke, Die Aushörung der strafrechtlichen Gesetzlichkeit, S. 490はこのような解釈を批判し
ている。彼は(根拠づけなしに)
「カントの政治的に素朴な過激化」という言い方をしている。
(400) このためには、カント哲学と新カント学派の思想界についての詳細な描出が必要であろ
70
(501)
同志社法学 59巻 ₁ 号
︵₄₀₁︶
₄₀₁
彼の解釈の核心的な思想を明らかにしようとする試みが企てられる。
カントの『純粋理性批判』では、周知のように、
「どのようにして形而上学は科学
︵₄₀₂︶
₄₀ ₂
として可能であるか」という問いが論ぜられる。このケーニヒスベルクの哲学者が与
︵₄₀3︶
₄₀3
えた答えは、しかしながら様々に解釈される。意識的な反⊖形而上学的解釈によれば、
︵₄₀₄︶
₄₀
この「すべての粉砕者」は形而上学、存在論および自然法に対してひとつの学問上の
死刑判決を言い渡した。このような描出は、カントの教授資格論文のなかで力を込め
て斥けられる。それは、新カント主義のエピゴーネンたちの思想世界のなかで成り立
︵₄₀₅︶
₄₀₅
っているひとつの「根本的かつ重大な結果を伴う誤解」である、というわけである。
︵₄₀₆︶
₄₀₆
このような「寓話」を打ち破るカウフマンの諸々の努力は、形而上学に対する彼自身
の態度を背景としてのみ、これを理解することができるのである。
︵₄₀₇︶
︵₄₀₈︶
₄₀₇
₄₀₈
ヤン・シャップ(Jan Schapp)は、アルトゥール・カウフマンを形而上学的思考
︵₄₀₉︶
₄₀₉
の法哲学上の提唱者として段階づけることができると論定している。とりわけその初
う。
(401) カントの認識論のカウフマンの解釈については、とりわけ、Kaufmann, Schuldprinzip
(1961)
, S. 56 ff.; Ders., Problemgeschichte(1994), S. 68 ff.,を見よ。
(402) Kant, Kritik der reinen Vernunft, B 22(S. 77)
. ― アルトゥール・カウフマンは、この
疑問提起が『純粋理性批判』の根底に置かれていることを強調している。Kaufmann,
Schuldprinzip(1981)
, S. 57を見よ。
(403)「カントによる形而上学」というこのテーマについては、Habermas, Nachmethaphisishe
Denken, S. 18をも参照。
(404)(Moses Mendelssohn, Morgenstunden, S. 3 に習って)Schopenhauer, Die Welt als Willen
und Vorstellung, S. 567がこのように言う。 ― Heinrich Heine(Zur Geschichte der Religion
und Philosophie, S. 82)の言葉によれば、カントは「思想の王国における偉大な破壊者」で
ある。
(405) Kaufmann, Schudprinzip(1961), S. 56 f.を 見 よ。 ― Joahim Hruschka(JZ 1992, 437)
は、イマニュエル・カントが自然法を「粉砕した」というこのテーゼをひとつの「新カント
主義の発見物」と呼んでいる。
(406) Kaufmann, Schuldprinzip(1961), S. 57.
(407) Vgl. Schapp, ARSP(1997)
, 193. シャップは、形而上学的思考(アルトゥール・カウフ
マン)、形而上学後的思考(ユルゲン・ハバーマス、ジョン・ロールズ、ロベルト・アレク
シー)、反形而上学的反本質論的思考(リチャード・ローテイー)という三つの潮流を区別
している。
(408) 形而上学という概念は多義的である。Kaufmann, Schuldprinzip(1961), S. 39は、形而
上学をアリストテレス的⊖トマス的な意味において確かに本質的に経験可能ではないが、し
かし精神的に理解可能かつ把握可能である、したがって超知性的でない超感性的⊖現実的な
ものの客観的な科学である」と理解している。
(409) もっとも現在の法哲学と法理論では、形而上学的な諸々の根拠づけは懐疑の念をもって
見られる。
(500)
71
「第 3 の道」を求めて:アルトゥール・カウフマンの法哲学①
︵₄₁₀︶
₄₁₀
期の作品のなかで表明されている形而上学的な思考方法は、カウフマンをして批判的
︵₄₁₁︶
₄₁
な哲学を形而上学の地平のなかで解釈することへと誘い込む。賛同さえ見出すことが
︵₄₁₂︶
₄₁₂
なかったこの解釈の基本的な諸々の路線が、いまや描き出される。
カウフマンによれば、イマニュエル・カントは、数学的厳密性に相応するような科
︵₄₁3︶
₄₁3
学的な形而上学というものを根拠づけようとする意図を有していた。この哲学上のプ
ロジェクトは、
「形式的な諸原則、空虚な思考諸形式だけが数学的な厳密性と普遍的
妥当性を示しているのであるが、古典的な意味においてそもそもはじめて形而上学を
︵₄₁₄︶
₄₁
なしている実質的な形而上学はこれらを示していない」という哲学上の洞察へと導い
︵₄₁₅︶
₄₁₅
たのである。カントはこのようにして「ある形而上学の ― ある自然法の ― の内容
を経験なしに単に形式的にアプリオリに諸原理から導き出すことは可能でなく、そこ
から内容的な形而上学は決して普遍的に妥当かつ数学的に厳密ではあり得ないこと」
︵₄₁₆︶
₄₁₆
を証明したのである。
カウフマンの確信によれば、法哲学上の思考はどのような場合であってもこのよう
︵₄₁₇︶
₄₁₇
︵₄₁₈︶
₄₁₈
な重要な(興醒めさせるような)洞察の背後に立ち帰ることができない。批判主義は
(410) Kaufmann, Schuldprinzip(1961)
, S. 56が、懐疑的な諦念という前門の虎と思弁的極端
性という後門の狼との間に定位する抑制のとれた形而上学を支持していたにもかかわらず、
彼はその初期の作品のなかで強く法形而上学的な諸々の主張を表明している。 ― 後期の公
刊物では、あまりにも高く掲げられた形而上学的裏づけ要求は斥けられる。Kaufmann,
Recht und Rationalität(1988), S. 319は、
「私もまた、私が以前では経験をあまりに低く、
『絶
対的なもの』 ― 形而上学、存在論 ― をあまりに高く評価していたことを告白しなければ
ならない」ことを認めている。
(411) マルチン・ハイデガーのカント解釈もまた形而上学一色に塗り潰されているのであるが、
しかしこれはアルトゥール・カウフマンにとっては行き過ぎである。
(412) Lege. ARSP 76(1990), S. 216( Fn. 55)は、この解釈をひとつの「誤解釈」と呼んでいる。
彼は、カントが数学と自然諸科学の仕方で営まれるような形而上学だけを科学的な形而上学
として見たというカウフマンの主張を批判しているのである。 ― カントの認識論のカウフ
マンの解釈が実質的に適切であるか否かという問いを明らかにするためには、ひとはきわめ
て広く手を伸ばさなければならないであろう。この箇所では、これについてのひとつの包括
的な論述は断念されるのであって、それというのもそれは本書の枠を著しく超えてしまうか
らである。
(413) Kufmann, Schuldprinzip(1961), S. 61:「カントは形而上学に数学と理論的な諸科学の
諸々の長所、すなわち諸認識の厳密性、明白性および可量化性を与えようとした。 ― すで
に現代科学の父デカルトが称揚したひとつの理想である」を見よ。
(414)「超越論的論理学」の第1章の思考過程を、Kaufmann, Schuldprinzip(S. 1961)
, S. 58 f.;
Ders., Problemgeschichte(1994), S. 69 ff., が報告している。
(415) Kaufmann, Schuldprinzip(1961), S. 61.
(416) Kaufmann, Problemgeshichte(1996)S. 71.
(417) Gerhard Hanayはこの見解に与している。Vgl. Haney, Das Widersprüchvolle, S. 91.
(418) Soubold, ARSP 84(1998)
, S. 326は、これに対してヘーゲルの意志説を自然法思考の立
72
(499)
同志社法学 59巻 ₁ 号
︵₄₁₉︶
₄₁₉
その限りで、立ち帰ることができない限界というものを標識づけているのである。実
質的な法哲学というものと自然法思考にとっては、
「立ち帰るべきどのような道も存
︵₄₂₀︶
₄₂₀
在していないのである」
。
超越論的哲学は、
「諸内容にあっては、規範的な諸内容にあってさえ、アプリオリ
︵₄₂₁︶
₄₂₁
などのような総合的判断も、どのような厳密な諸認識も存在していない」という証明
をもたらした。カント以来、「ひとは、われわれの内容的な認識を拡大する総合的な
諸判断は問題をはらんだ判断であり、リスクを覚悟した諸判断であることを知って
︵₄₂₂︶
₄₂
いる」
。アルトゥール・カウフマンはその限りで、「その内容の特別性において絶対的
︵₄₂3︶
₄₂3
に正しいものとして固定しているどのようなただひとつの法命題も可能ではない」と
︵₄₂₄︶
₄₂
するルドルフ・シュタムラーの新カント主義の立場に与しているのである。
これが意味しているのは、その注目が正義の諸内容に向けられているような哲学
は、暫定的な、不安定な諸帰結にしか導かないということである。すなわち、このよ
うな探究領域ではどのような数学的厳密性も存在していない、ということである。ア
ルトゥール・カウフマンはそれにもかかわらず、科学としての正しい法の実質的な哲
学というものが登場することができると主張する。
自然問題にとってのカントの理性批判から生ずる諸帰結を、アルトゥール・カウフ
マンはその思考運動の流れのなかで様々に言い表している。教授資格論文のなかで
は、イマニュエル・カントが形而上学とのその対決に当たって念頭においていたのは
とりわけ当時の哲学上の諸体系であったことが指摘される。
「その攻撃はもっぱら、
それがとくにクリスチャン・ヴォルフによって展開されていたような合理主義的な形
ち帰ることができない限界と見ている。
(419) アルトゥール・カウフマンにとってはなおこれとは別のもうひとつの限界線が存在して
いる。 ― Kaufmann, Demokratie – Rechtsstaat – Menschenwürde(1990), S. 473によれば、
グスタフ・ラートブルフの法哲学は、今日の、そして全く確実になお未来の法哲学的思考が
それで測定されなければならない、いわばひとつの水準を表わしている。
(420) Kaufmann, Problemgeschichte(1994), S. 71. Kaufmann, Prozedurale Theorie(1989)
, S.
10; Dens., Nach-Neuzeit(1990), S. 8, 18をも見よ。 ― これに類する見解をヴェルツエルも
また提唱している。Vgl. Welzel, Vom Irrenden Gewissen, S. 18:「それゆえ、古い自然法に立
ち戻ることは遮られているのであり、どのような現代の復古的な試みも再び生命へと喚起す
ることができないであろう。」
(421) Kaufmann, Rechtsphilosophie(1997), Vorwort(S. IX); vgl. auch S. 94 f.
(422) Kaufmann, Rechtsbegriff und Rechtsdenken(1994)
. S. 81.
(423) Stammler, Die Lehre von dem Richtigen Rechte, S. 94. ― この命題をカウフマンは何回
も( そ し て し ば し ば 不 正 確 に ) 引 用 し て い る。Kaufmann, Schuldprinzip(1961), S. 60;
Ders., Rechtsbegriff und Rechtsdenken(1994), S. 63; Ders., Rechtsphilosophie(1997), S. 26.
95.
(424) シュタムラーはマールブルクの新カント主義と親密な間柄であった。
(498)
73
「第 3 の道」を求めて:アルトゥール・カウフマンの法哲学①
︵₄₂₅︶
₄₂₅
而上学と存在論に当てはまった」
。それだからカントもまた合理主義の自然法教義だ
けを科学的に論駁したのである。 ― 彼は、
「純粋な理性から、 ₂ + ₂ = ₄ という命
題と同じ厳格性と普遍妥当性がそれらに帰せられるような法的諸命題の全体系を演繹
することにいつかは成功することができるという希望を水泡に帰せしめた」ので
︵₄₂₆︶
₄₂₆
ある。古典的な形而上学と古典的な自然法には、批判主義は決して向けられていない
のであって、それというのも「古代と中世の哲学は決して厳密ではなかったのであり、
それがその本質と矛盾したであろうがゆえに、それは厳密である必要もなかったので
︵₄₂₇︶
₄₂₇
ある」。その初期の著作物のなかでは、アルトゥール・カウフマンは、ひとは合理主
義的な自然法を「それがもちろんしばしばなされているように、
『合理主義的な自然
︵₄₂₈︶
₄₂₈
法』と一緒くたに扱ってはならない」ことに大きな価値を置いているのである。
後期の公刊物では、カウフマンはいまだに、批判主義が合理主義的な自然法論を破
壊したことから出発している。その研究『正義の理論(Theorie der Gerechtigkeit)
』
のなかでカウフマンは、カントは「すべての時間とすべての人間にとって妥当してい
るような合理的に認識することができる自然法というもの、したがって純粋な理性法
︵₄₂₉︶
₄₂₉
というものは存在し得ないこと」を証明したにすぎないと書いている。そして『法哲
学の問題史(Problemgeschichte der Rechtsphilosophie)
』(1994年)では、
「カントは
自然法のある一定の表現形式、すなわち合理主義的な自然法を論駁したにすぎない
︵₄3₀︶
₄3₀
こと」が確証される。
アルトゥール・カウフマンの後期の著作物のなかには、しかしまたこれとは別の諸
見解に出くわすことができる。いくらかのテクストのなかでは、カントは伝統的な全
︵₄3₁︶
₄3₁
形而上学とともに古典的な自然法に「最後のとどめ」を刺したと唱えられる。この関
連で注目しなければならないのは、
「古典的自然法」という表現が、後期ではひとつ
の新しい、包括的な意義を獲得しているということである。すなわち、初期の著作物
のなかでこの用語が考えているのは、アクィナス流の法哲学上の諸々の見方であり、
後期の公刊物のなかでは、それはたいていの場合、
(正しい)法についての普遍妥当
的な、空間と時間に依存しない内容的な諸言明をなそうとするすべての理論的構想を
表わしている。カウフマンの『法哲学(Rechtsphilosophie)』
(1997年)では、古典的
(425) Kaufmann, Schuldprinzip(1961), S. 56.
(426) Kaufmann, Schuldprinzip(1961), S. 61.
(427) Kaufmann, Schuldprinzip(1961), S. 61; vgl auch Ders., Analogie(1965), S. 290 f.
(428) Kaufmann, Die Sprache als hermeneutischer Horizont(1969/72)
, S. 353 f.
(429) Kaufmann, Theorie der Gerechtigkeit(1964)
, S. 25.
(430) Kaufmann, Problemgeschichte(1994), S. 76.
(431) Vgl. Kaufmann, Rechtsphilosophie(1997), S. 94; vgl. auch Kaufmann, Nach-Neuzeit
(1990)
, S. 8, 18; Ders., Richtiges Recht(1990), S. 360.
74
(497)
同志社法学 59巻 ₁ 号
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自然法の基本思想が次のように言い表される。
「自然法は絶対的、普遍的かつ超歴史
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的であり、これが意味しているのはそれが実定的な、人間によって定立された法を超
えて妥当すること、それがすべての人間にとって、それがすべての時間にとって妥当
︵₄3₂︶
₄3₂
するということである。
」
イマニュエル・カントが古典的自然法にとどめの一撃を刺したというテーゼは、ア
ルトゥール・カウフマンが最初に根本的な誤解であるとして斥けていた「すべての粉
︵₄33︶
₄3
砕者」という新カント主義の考え方と広い範囲にわたって一致している。とはいえ、
カウフマンはそれでもなおその後期の作品のなかで、自然法の理念それ自体をこのケ
︵₄3₄︶
₄3
ーニヒスベルクの哲学者が論駁したのではないという見解を提唱している。この理念
は、
「その内容が任意に処分されてはならない『正しい法』を意味しているのである
が、しかしそれは必ずしも、この種の『正しい法』がどのような時代であってもあら
︵₄3₅︶
₄3₅
ゆる事情のもとで妥当しなければならないであろうことを意味しているのではない」
。
このような諸々の説明は、批判主義を通して純化された自然法論というものがどの
︵₄3₆︶
₄3₆
ような様相を呈しているのかという問いへと導く。カウフマンはその後期の作品のな
かで、カント哲学の基盤に立てば、 ― 一般的に言って ― 「もはや『可変的な内容
をもつ自然法』というもの、手続き的、動態的、歴史的な自然法というものしか存在
︵₄3₇︶
₄3₇
し得ない」と主張する。この関連でアルトゥール・カウフマンはルドルフ・シュタム
︵₄3₈︶
₄3₈
ラー(Rudolf Stammler)の法論に拠り所を求めるばかりではない。彼は、思考の道
の第1節に属しているその論文『自然法と歴史性(Naturrecht und Geschichtlichkeit)』
をも指示しているのである。彼の思考展開の研究は、以下において考察される。
(432) Kaufmann, Rechtsphilosophie(1997), S. 24はこのように言う(強調は原典のなかで)
。
― 合理主義では、絶対的、普遍的かつ超歴史的な法内実が幾何学ふうに演繹される、とい
うことである。
(433) Vgl. auch Hruschka, JZ 1992, S. 430.
(434) 現に、Kaufmann, Problemgeschichte(1994), S. 76に、このように言われている。
(435) Kaufmann, Problemgeschichte(1994)
, S. 76.
(436) ある論評( Jura, 1993, 560)のなかでカウフマンは、Hermut Coingの法哲学を「実質
的な、合理的でカントの批判主義を通して純化された自然法論である」と呼んでいる。
(437) Kaufmann, Rechtsbegriff und Rechtsdenken(1994), S. 63; Ders., Rechtsphilosophie
(1997), S. 26. ― もはや「可変的な内容をもつ自然法」というものしか存在し得ないという
見方は、すでにラートブルフも提唱していた。Vgl. Radbruch, Rechtsphilosophie, S. 241.こ
のほかに、vgl. Sonnenberger, Jura 2000, 564.彼は、アルトゥール・カウフマンを拠り所と
して次のように論定する。「カントによれば、もはや歴史的な法理解というものと歴史に結
びつけられた正義の理解というものしか存在しなかった。
」
(438)「可変的な内容をもつ自然法」という周知の標語は、Stammler, Wirtschaft und Recht, S.
185に載せられている。自然法のこの見解については、Szyszkowska, Die Philosophie des
Menschen, S. 248 ff.,をも見よ。
(496)
75
「第 3 の道」を求めて:アルトゥール・カウフマンの法哲学①
B .思考の道の第1節:存在論のフォーラムを前にした自然法論と法実証主義
Ⅰ.歴史的状況
₁ .法哲学の歴史性についての序言
︵₄3₉︶
₄3₉
周知のヘーゲルの格言によれば、哲学は「その時代を思想のなかに把握する」。ア
︵₄₄₀︶
₄₀
ルトゥール・カウフマンはこれとは別の見方をしているのではない。彼は幾度も、現
在の法哲学上の思考をひとつの時代診断のなかで描き出そうとする試みを企てた。ア
ルトゥール・カウフマンは、哲学上の諸理論はつねに歴史上の問題意識というものを
背景として展開されるというヘーゲルの見解にも与している。引用された格言に表現
︵₄₄₁︶
₄₁
されている哲学の歴史性は、彼の公刊物のなかで繰り返し強調される。すでに論文『現
在の法哲学上の状況について(Zur rechtsphilosophischen Situation der Getenwart)
』
(1963年)のなかで「哲学は、たとえそれが理念からして永遠の哲学(philosophia
︵₄₄₂︶
₄₂
perrenis)であるとしても、歴史性の法則のもとに置かれている」ことが確証される。
そして自伝的なスケッチ『45年間を体験した法哲学(Fünfundvierzig Jahre erlebte
Rechtsphilosphie)
』のなかでアルトゥール・カウフマンは、
「法哲学的に正しく問う
ことは、そのつどの歴史的な状況に依存している。それというのもたとえすべての哲
学が結局のところ同じ目標に、すなわち存在の全体、真理性の全体、法の全体に向け
られているにせよ、しかしそれでもそれらにとっては、歴史から絶え間なく新たな、
︵₄₄3︶
₄3
そして変化した諸々の課題が生ずるからである」と述べている。
自伝的なテクストのなかでカウフマンは、彼自身の哲学が時代に結びついているこ
とについても信条を告白している。彼は、戦後期の精神的な雰囲気によって影響を受
けたと説明した。カウフマンの最初の著作のなかで展開される法哲学上の思想がこの
ような歴史的状況を背景としてのみ理解することができることから、精神史上の舞台
裏が以下においてより正確にくまなく照らし出される。
(439) Hegel, Grundlinlinien, Vorrede( S. 26).
(440) 法哲学の歴史性についてのカウフマンの見解は、ヘーゲルとの類縁性にとってのもうひ
とつの証拠となるものであろう。
(441) こ れ に つ い て は、Lampe, Antholopologische Struktur, S. 199を も 見 よ。 ― Lampeは、
歴史的自然法というもののカウフマンの構想を人間学上の諸々の熟慮をもって裏づけようと
する興味深い試みを企てている。
(442) Kaufmann, Zur rechtsphilosophische Situation(1963), S. 197; Dens., Rechtsdogmatik
(1994)
, S. 13をも見よ。
(443) Kaufmann, Fünfundvierzig Jahre(1991)
, ― Vgl. auch Dreiyer, ARSP 81(1995), 155:
「法哲学の諸々の潮流もしくは方向はつねに諸々の挑戦の諸々の答えであり、それらの歴史
的背景を前にして理解されていようとする。
」
76
(495)
同志社法学 59巻 ₁ 号
₂ .アルトゥール・カウフマンと自然法のルネサンス
アルトゥール・カウフマンの法哲学への搭乗は戦後初期の時代に、つまりは自然法
思考がそのなかで短期的な更新というものを体験したような時代に果された。このよ
︵₄₄₄︶
₄
うな「自然法のルネサンス」は、今日では圧倒的に批判的に評価される。すなわちそ
れは持続的な成果を欠いている時代史的に条件づけられたひとつの現象として通って
︵₄₄₅︶
︵₄₄₆︶
₄₅
₄₆
いるのであり、
「苦渋と嘲弄との間のひとつの階梯のうえで説明される」。アルトゥー
ル・カウフマンはこのような評価に与している。すなわち論文『戦後初期の自然法の
ルネサンス ― およびそこから生まれてきたもの(Die Naturrechtsrenaissance der
ersten Nachkriegsjahre – und was daraus geworden ist)
』のなかで回顧的に、彼はひと
︵₄₄₇︶
₄₇
つの「エピソード」という言い方をしているのである。
このような否定的な評価に結びついて、しかしながらひとつの重要な補充が続く。
「しかしこのようなエピソードが過ぎ去ったとき、その根底には、法哲学にとって新
しい画期的な課題がそこから生じているひとつの根深い実質的な問題が置かれている
ことが明らかになる。法的内実を絶対的なものとして設定した古典的な法哲学も、法
的形式を絶対的なものとして設定した古典的な法実証主義も難破してしまったのであ
︵₄₄₈︶
₄₈
る。そこからは自然法と実証主義のかなたの『第 3 の道』というものしか残らない。
」
アルトゥール・カウフマンはそれゆえ、
「第 3 の道」というものを求める探究が戦後
時の法哲学上の議論を通して誘発されたことから出発しているのである。この議論が
いまや大まかな様相において描き出される。
3 .自然法のルネサンスから新実証主義へ
差し当たっていくらかの言葉をもって自然法のルネサンスより前の法哲学上の展開
を想起しておくことが賢明であるように思われる。
︵₄₄₉︶
₄₉
十九世紀の始めに自然法思想は暫定的な終焉を見出していた。これに続く数10年間
(444) これについては、vgl. Kühl, Rückblick, S. 355 ff.
(445) Vgl. Kühl, Rückblick, S. 355 ff.
(446) Hassemer, Strafrechtswissenschaft in der Bundesrepublik Deutschland, S. 263が こ の よ う
に言う。
(447) Kaufmann, Die Naturrechtsrenaissance(1991)
, S. 221. 同 様 に、Ders., ARSP 70(1984),
384; Ders., Theorie der Gerechtigkeit(1984)
, S. 31; Ders., Recht und Rationalität(1988)
, S.
303; Ders., Prozeduale Theorie(1989)
, S. 10; Ders., Nach-Neuzeit(1990)
, S. 8, 9; Ders.,
Richtiges Recht(1990), S. 360; Ders., Die Naturrechtsdiskussion(1991), S. 3; Ders.,
Problemgeschichte(1994)
, S. 99; Ders. Rechtsphilosophie(1997), S. 32. ― Kaufmann,
Rechtsbegriff und Rechtsdenken(1994), S. 66は「一時的な興奮」という言い方をしている。
(448) Kaufmann, Die Naturrechtsrenaissance(1991)
, S. 221.
(449) これについては、Horn, Vom jungeren und jungsten Naturrecht, S. 889 ff.,をも参照。
(494)
77
「第 3 の道」を求めて:アルトゥール・カウフマンの法哲学①
では、法実証主義が幅を利かすことができた。カウフマンの叙述によれば、自然法の
崩壊は大体において二つの原因を有している。すなわち歴史学派が、カント哲学を通
してそれが本質的に論駁された自然法を事実として追い遣ってしまったということで
︵₄₅₀︶
₄₅₀
ある。
︵₄₅₁︶
₄₅₁
二十世紀の開始以来、実証主義的な法適用の理論は利益法学と自由法運動によって
戦いが挑まれた。同時に新カント主義(ルドルフ・シュタムラー)とカトリック道徳
︵₄₅₂︶
₄₅₂
哲学(ヴィクトール・カトライン)を通して新しい自然法論議が始まった。自然法へ
︵₄₅3︶
₄₅3
の問いはしかし、第2次世界大戦後にはじめて(新たに)法哲学上の対話の中心的な
テーマになったのである。その限りで、どのミサもどの戦争も新しい自然法を提供す
︵₄₅₄︶
₄₅
るというジャン・ポールの嘲笑的な所見が確証される。
1945年の後に ― 戦争と暴力支配の直接的な体験のもとに ― 多くの人々によって
︵₄₅₅︶
₄₅
すでに死が宣告されていた自然法論はひとつの注目すべきルネサンスを体験した。
「独
裁時代に由来する『法律上の不法』の克服と、立法者および法の言い渡しの恣意に
諸々の限界を設定するものとされる『不可任意処分的な』
、
『存在論的な』基盤がそこ
︵₄₅₆︶
₄₅₆
で問題になっている」このような歴史的な状況のなかで永遠なものと不変的なものが
︵₄₅₇︶
₄₅₇
再び王位に持ち上げられたのである。そのさい一方では啓蒙時代の理性法に、他方で
︵₄₅₈︶
₄₅₈
はアリストテレス⊖トマス流の自然法の伝統に立ち帰られた。その第 ₁ 版がほとんど
(450) Kaufmann, Theorie der Gerechtigkeit(1964)
, S. 22 f.; Ders., Rechtsphilosophie(1997),
S. 25 f. すでにRadbruch, Rechtsphilosophie, S. 242:「法の歴史と比較法ではなく、認識論が、
歴史学派ではなく、批判哲学が、サヴィニーではなくカントが自然法に対して決定的な一撃
を加えたのである。Welzel, Naturrecht, S. 165によれば、批判主義と歴史主義が自然法に「痛
烈な一撃を食らわせた」のである。
(451) この運動をアルトゥール・カウフマンは1965年にひとつの方法論的な研究のなかで紹介
した。Vgl. Kaufmann, Freirechtsbewegung.
(452) Vgl. Kühl, Art. „Naturrecht“, Sp. 609 f.
(453) 自 然 法 の 再 生 は 第 ₁ 次 世 界 大 戦 後 も 存 在 し て い た。Vgl. Kühl, Kontinuitäten und
Diskontinuitäten, S. 608.
(454) Vgl. Jean Paul, Siebenküs, S. 21.
(455) こ れ に つ い て は、Kaufmann, Die Naturrechtsdiskussion, Ders., Naturrechtsrenaissance
(1991). Schelauske, Naturrechtsdiskussion; Neumann, Rechtsphilosophie, S. 145 ff.を も 見
よ。
(456) 1945以降に開始された法哲学上の課題をArthur Kaufmann, Fünfundviezig Jahre(1991)
,
S. 482は、このように書いている。
(457) Llompart, Dichotomisierung, S. 48.
(458) Vgl. Loos/Schreiber, Art. „Recht, Gerechtigkeit“, S. 307. Neumann, Rechtsphilosopihie S.
154の評価によれば、戦後初期の議論はとりわけトマス主義的な自然法論に負っていた。
― Wiacker, Zum heutigan Stand, S. 9 f.は、自然法ルネサンスを次の三つの主要潮流に区別
する。すなわち新トマス主義、理性法⊖人道的な伝統および「非独断論的な諸々の寄与」か
78
(493)
同志社法学 59巻 ₁ 号
注目を見出していなかったハインリヒ・ロンメン(Heinrich Rommem)の本『自然
法の永劫回帰(Die ewige Wiederkehr des Naturrchts)
』が、いまやドイツ法哲学上の
文献の一冊のベストセラーにまで昇進したということは、当時の時代精神にとって特
徴的である。
1945年の後に大きなセンセーションを巻き起こしたのは、グスタフ・ラートブルフ
︵₄₅₉︶
₄₅₉
の法律を超える法についての「壮大な信条告白」である。このアルトゥール・カウフ
マンの師は、きわめて速やかに学問上の議論の信念の表明となったひとつの診断を次
のように言い表した。「実証主義は実際のところ、
『法律は法律だ』というその確信を
もってドイツの法曹階級を恣意的かつ犯罪的な内容の諸法律に対して無防備にしてし
︵₄₆₀︶
₄₆₀
まった」と。
︵₄₆₁︶
︵₄₆₂︶
₄₆₁
₄₆₂
カウフマンはこの「無防備テーゼ」を差し当たって受け継いだ。その最初の法哲学
上の刊行物のなかで「第3帝国」の法イデオロギーは実証主義に算入されるのである
︵₄₆3︶
₄₆3
が、カウフマンはそこで「実証主義の恐るべき支配」という言い方さえしている。そ
の初期の作品のなかでは、そのうえにナチス時代の諸々の経験を通して実証主義の法
︵₄₆₄︶
₄₆
理論はいわば実験的に論駁されているという意見を唱えている。
とはいえ、後の公刊物のなかでは、実証主義は決してナチズムの法イデオロギーの
︵₄₆₅︶
₄₆₅
基本的範型ではなかったことが明確にされる。その告別講演のなかでカウフマンは、
ら成り立っているひとつのグループである。アルトゥール・カウフマンの態度表明もまた、
ヴィアッカーによれば、このグループに属している。
(459) Rosenbaum, Naturrecht und positives Recht, S. 10.
(460) Radbruch, gesetzliches Unrecht, S. 88. Dens., Vorschule, S. 226:「 わ れ わ れ が 標 語 的 に
『法律は法律だ』という公式に総括することができる法実証主義はドイツの法学と司法を、
それらが当時の権力掌握者たちによって用いられたあれほど甚だしい残虐さと恣意に対して
無防備にしてしまった、それどこかなおこのような法律上の不法の諸効果の事後的な純化に
とっていまだに再生し続けている実証主義からつねに新たに諸々の難問が生じているのであ
る。」
:をも見よ。
(461) これについては、Seidel, Rechtsphilosophische Aspekte, S. 196 ff.,をも参照。
(462) Vgl. etwa Kaufmann, Naturrecht und Geschichtlichkeit(1983), S. 2. そこでは,実証主義
の科学が「法曹階級を法律の形をした不法と犯罪に対して無防備にしてしまった」と言われ
ている。
(463) Kaufmann, Schuldprinzip(1961)
, S. 109はこのように言う。
(464) Vgl. Kaufmann, Naturrecht und Geschichtlichkeit(1957)
, S. 3; Ders., Schuldprinzip
(1961)
, S. 43; Ders., Die ontologische Struktur(1962/65), S. 108. ― Vgl. auch Kaifmann,
Schuldprinzip(1961), S. 72:「われわれが途方もなく驚愕すべき仕方で専制政治の不法に『襲
われた』という事実にもかかわらずいまだに実証主義的な思考に固執している者は、オーブ
ンで焼傷をしているにもかかわらずなおそれに近づくことを避けない子供に喩えられる。彼
は客観的な諸事情を馬耳東風と聞き流しているのである。」
(465) 1945年以降に法学上の実証主義に加えられた批判は、今日ではもはや一般的に与されて
(492)
「第 3 の道」を求めて:アルトゥール・カウフマンの法哲学①
79
不法な諸法律の原罪については、
「実証主義的思考は自然法的思考と同様に責任を負
︵₄₆₆︶
₄₆
っている」ことが強調され、1995年に公刊された『ラートブルフ公式』に関する論文
のなかでは次のように言われる。
「ナチス主義者たちは、彼らにとって彼らの目標を
達成するために役立つと思われるものに応じて全く恣意的に様々な論拠を用いた。彼
らは、裁判官は革命前の法律に厳格に拘束されることはないと彼らが言明する場合に
は、超実定的な法を持って処理したのであり、ナチスの諸法律には、不法な諸法律で
あっても、厳格に従わなければならないことを彼らが要求した場合には、彼らは実証
︵₄₆₇︶
₄₆₇
主義的に論証したのである。
」
その初期の法哲学上の諸々の寄稿論文のなかでは、アルトゥール・カウフマンもま
た、その師が実証主義について描き出したような像に準拠している。彼は法学的実証
︵₄₆₈︶
︵₄₆₉︶
₄₆₈
₄₆₉
主義をラートブルフと同様に、法律と法は同一である、したがってそれがどれほど正
義に適っていない法律であっても法として承認するような理論として把握する。カウ
フマンがその初期の著作物のなかで法実証主義に対して加えた激しい批判は、したが
って「法律実証主義」とも呼ぶことができようひとつのドグマを目標としているので
ある。この関連で指摘されなければならないのは、カウフマンが「実証主義」
、「法実
証主義」および「法律実証主義」を正確に区別していないことである。これらの表現
︵₄₇₀︶
₄₇₀
はしばしば同義語として用いられるのである。
アルトゥール・カウフマンが戦後時代の法哲学上の討論に介入したときには、
「自
然法思想の再生はすでに明白にそれと認めることができる後退運動に捕らわれて
︵₄₇₁︶
₄₇₁
いた」。第 ₂ 次世界大戦の終結の直後には、法律家、哲学者および神学者たちは正義
を永遠の世界秩序というものの確固とした地盤のうえに根拠づけた古い形而上学上の
いない。これについては、たとえば、Horn, Vom jüngeren und jüngsten Naturrecht, S. 894
f.,; Rüthners, Rechtstheorie, Rn. 483(S. 278)
; Neumann, Rechtsphilosophie, S. 146を見よ。
(466) Kaufmann, Nach-Neuzeit(1990)
, S. 9.
(467) Kaufmann, NJW 1995, 81 Fn. 1; す で にDens., Nationalsozialismus(1983)
, S. 190を も 見
よ。
(468) 1945年以降のラートブルフの公刊物のなかに見出すことができる法実証主義の概念につ
いては、たとえば、Radbruch, Gesetz und Recht, S. 96; Dens., Die Erneuerung des Rechts,
S. 108をも見よ。
(469) カウフマンの初期の著作物のなかでは、法と国家的法律との同一化がしばしば実証主義
のドグマとして言明される。たとえば、Kaufmann, Gesetz und Recht(1062)
, S. 157; Ders.,
Zur rechtsphilosophische Situation(1963), S. 176を見よ。他方で、Kaufmann, Rechtsfreier
Raum(1972)
, S. 153は、
「法秩序の論理学的完結性と無欠缺性」に言及している。
(470) Walter Ottは、カウフマンがしばしば法実証主義と法律実証主義との同置化というもの
を企てていることを強調している。Vgl. Ott, Was heißt „Rechtspositivismus“?, S. 414; Ders.,
Der Rechtspositivismus, S. 106.
(471) Kaufmann, Naturrecht und Geschichtlichkeit(1957)
, S. 1.
80
(491)
同志社法学 59巻 ₁ 号
︵₄₇₂︶
₄₇₂
伝統を再生させようとする試みを企てた。これに続く議論のなかで、しかしながら認
識批判、歴史主義および実存主義が内部から掘り崩していたような揺れ動く地盤のう
︵₄₇3︶
₄₇3
えにひとが立っていたことが明らかになった。ハンス・ヴェルツェル(Hans Welzel)
はその本『自然法と実質的正義(Naturrecht und materiale Gerechtigkeit)
』
(1951年)
のなかで、
「人間の『本性』から、その実存在と妥当が実定法に対して独立している
ような、絶対的かつ超時間的に妥当する法的諸命題の全体系というものを演繹すると
︵₄₇₄︶
₄₇
いうことは可能でない」ことを証明した。
︵₄₇₅︶
₄₇₅
自然法の熱狂の鎮静は ― ほとんど「弁証法的必然性」と言ってもよいほどに ―
︵₄₇₆︶
₄₇₆
実証主義の再生というものを引き起こした。『自然法の永劫回帰』
(ロンメン)に『法
実証主義の永劫回帰』
(ランク・ヒンリクセン)が続くのである。ナチス独裁の終焉
後のたった10年にしてハンス⊖ウルリヒ・エヴァース(Hans-Ulrich Evers)は、最も
︵₄₇₇︶
₄₇
非難すべき法秩序でさえなお義務づける力というものを有していることを主張した。
このような展開を通して法哲学上の議論は一筋の袋小路に陥った。すなわち、自然
︵₄₇₈︶
₄₇₈
法思考の伝統に無批判的に訴えることがもはや可能でないことは明らかになっていた
のであるが、しかしまた「第 3 帝国」における諸々の体験ゆえにほんのわずかな法哲
学者しか法実証主義の陣営に立ち帰る心積もりはなかったのである。このような理由
︵₄₇₉︶
₄₇₉
から、学問上の対話が「実証主義― 自然法論の循環論法(circulus vitiosus)」から抜
︵₄₈₀︶
₄₈₀
け出すような新しい思考端緒を求める探究が始まったのである。「第 3 の道」という
ものを求めるこのような探究にあっては、歴史性というカテゴリーがひとつの中心的
な役割を演じたのである。
(472) Henke, Recht und Staat, S. 171がこのように言う。
(473) Vgl. Simon, NJ 1998, 3.
(474) Kaufmann, Schuldprinzip(1961)
, S. 41; Waimar, Grundlage einer „Einheit“, 475も ま た、
このように言う。
(475) Kaufmann, Die Naturrechtsrenessance(1991)
, S. 225 ff.
(476) カ ウ フ マ ン は「新 実 証 主 義」 と い う 言 い 方 を し て も い る。 Kaufmann, Zur rechts
philosophische Situation(1963)
, S. 179; Ders., Die Naturrechtsrenaissance(1991), S. 226;
Ders., Rechtsphilosophie(1997), S. 32. ― 西ドイツ新実証主義については、Fikentscher,
Methode des Rechts III, S. 337 ff.をも見よ。
(477) Vgl. Evers, Richter, S. 141.
(478) Dreier, ARSP 81(1995)
, 156は、
「1945年以降により古い自然法の諸々の伝統への立ち帰
りを特徴づけていたある種の素朴性」という言い方をしている。 ― カウフマンの後期の作
品のなかでは、自然法ルネサンスに対しては、とりわけそれが『純粋理性批判』の背後に逆
戻りしていることが非難される。
(479) Ritter, Zwischen Naturrecht und Rechtspositivisumus, S. 14.
(480) Llompart, Die Geschitlichkeit, S. 52.
(490)
81
「第 3 の道」を求めて:アルトゥール・カウフマンの法哲学①
₄ .歴史的自然法
戦後初期には、不可変的な内容をもつ不変的な自然法を明示する多様な努力が存在
していた。けれどもこのような諸々の大いなる努力も、人間の歴史性と法の歴史的制
約性が蔑ろにされたために、どのような説得力も有していいなかった。トーマス・ヴ
ュルテンベルガー(Thomas Würtenberger)は1949年に、
「その視線を人間の現存在
に向ける者は、超時間的な、不変的な自然法というものに対して懐疑的な気分にさせ
︵₄₈₁︶
₄₈₁
られている」と書いた。
超時間的に、普遍的に妥当しているが、それでも内容的な自然法というもののあら
ゆる構成が歴史性という事実で失敗に帰したことから、歴史性を自然法のなかに統合
︵₄₈₂︶
₄₈₂
して動態的な自然法というものを提示しようとする試みが企てられた。
新トマス主義の法哲学では、自然法をその歴史的な制約性において把握するため
に、不変的な「第1次的自然法」というものと可変的な「副次的自然法」というもの
︵₄₈3︶
₄₈3
とが区別された。自然法理念と歴史性とを互いに和解させようとするこれとは別の試
︵₄₈₄︶
₄₈
みは、トマス・アクィナスとではなく、マルチン・ハイデガーと結びついている。ハ
︵₄₈₅︶
₄₈₅
イデガーの実存的存在論と結びついてマックス・ミュラー(Max Müller)とヴェル
︵₄₈₆︶
︵₄₈₇︶
₄₈₆
₄₈₇
ナー・マイホーファーは「歴史的自然法」というものの理念を展開した。
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0
「もはや抽象的でなく、具体的な、もはや無歴史的に絶対的ではなく、もはや無時
0
0
0
0
0
0
0
︵₄₈₈︶
₄₈
間的に妥当するのではなく、歴史的に生成する自然法というもの」の思想は、1945年
(481) Würtenberger, ARSP 38(1949/50), 103.
(482) これについては、Henkel, Einführung, S. 513をも参照。
(483) Vgl. Verdroß, Abendländische Rechtsphilosophie, S. 273 ff.; Ders., Statischtische und
Dynamische Naturrecht, S. 92 ff.; Messner, Das Naturrecht, 359 ff.; Schelauske, Naturrechtsdiskussion, S. 210 ff.
(484) Pöggeler, Heidegger und die hermeneutische Philosophie, S, 414. 彼 は、 ハ イ デ ガ ー が 自
然法の歴史化にとっての思想上の一撃を与えたことを示唆している。
(485)「歴史的な本質概念」というものから出発してMüller, Existenzphilosophie, 105 ff., は次
のように論定する。「法哲学では、
『歴史的な本質概念』を通してひとつの全く新しい状態が
成り立つであろう。無時間的な『自然法』と存在的な歴史の単なる『実証主義』との『あれ
か⊖これいか』は、その呼び名はさしあたり(自然と歴史との通例の対置から考えられると)
パラドックスであると思われるのと同様に、(本質と実存との通例の対置から考えられると)
もうひとつの可能な『実存的本質法』である『歴史的自然法』というものに有利な結果にな
るように克服されるであろう。」
(486) Maihofer, Recht und Sein, S. 121は、「そのなかで『事物の本性』のなかに置かれている
存在、……そのつど歴史的なその特有性において確定され、法秩序へと固定されている」「制
度的自然法」というものに賛意を表している。
(487)「歴史的自然法」というもののこの実存哲学的に裏づけられたこの諸々の構想について
は、Seubold, ARSP 84(338)をも見よ。
(488) Maifofer, Einleitung, S. X(強調は原典のなかで). ― ルドルフ・シュタムラーの「変化
82
(489)
同志社法学 59巻 ₁ 号
︵₄₈₉︶
₄ ₈₉
以降に多くの哲学者によって ― それぞれに異なる仕方で ― 提唱された。このよう
な思考端緒の形態づけは、アルトゥール・カウフマンの初期の公刊物のなかにも示さ
れている。
その初期の著作物のなかで展開される諸々の見方は西洋的伝統の自然法哲学に結び
ついているのであり、それらはとりわけアクィナス学派の法論に負っている。アルト
ゥール・カウフマンは、「歴史的な、空間と時間の制約に結びついた自然法」という
ものの思想をすでにアリストテレスとトマス・アクィナスに見出すことができること
︵₄₉₀︶
₄₉₀
から出発している。
︵₄₉₁︶
₄₉₁
カウフマンはその初期の著作物のなかではトマス流の影響のもとにあることから、
︵₄₉₂︶
₄₉₂
彼は繰り返し新トマス主義に算入された。論文『45年を体験した法哲学』のなかで彼
はしかし事後的に、その初期の作品が同時代のトマス⊖理解に、したがって新トマス
︵₄₉3︶
₄₉3
主義に向けられていたことを明らかにした。これに続く論述では、アルトゥール・カ
ウフマンがトマス・アクィナスの自然法観をどのように理解しているのかについて示
︵₄₉₄︶
₄₉
唆的に輪郭づけることが求められる。
する内容をもつ自然法」がひとつの「歴史的自然法」を表わしているのかという問いには、
アルトゥール・カウフマンは様々に答える。その最初の著作物のなかでは、シュタムラーに
おける正しい法はひとつのカテゴリー上の思考形式にすぎないことから、いまだ「歴史的自
然法」には段階づけられない。Kaufmann, Naturrecht und Geschichtlichkeit(1957)
, S. 6 Fn.
11; Llompart, Rechtsprinzipien, S. 200 Fn. 13を も 見 よ。 し か し こ れ と は 別 の 評 価 が
Kaufmann/Hassemer, Grundprobleme(1971)
, S. 19で示される。
(489) こ れ に つ い て は、Kaufmann, Naturrecht und Geschitlichkeit(1957)
, S. 5 ff.; Ders.,
Schuldprinzip(1961)
, S. 88 f.; Maihofer, Naturrecht als Existenzrecht, S. 12 f.を参照。
(490) Kaufmann, Schuldprinzip(1961), S. 66を 見 よ。 ― Sticht, Sachlogik als Naturrecht?, S.
153は同様に、「歴史性はトマスの自然法構想のなかにその場所を見出している」ことから出
発している。Engisch, Die Idee der Konkretisierung, S. 299の見方によれば、トマス・アクィ
ナスに具体的⊖個別化的な自然法というものの理念が示されている。アリストテレスにおけ
る 自 然 法 の 可 変 性 に つ い て は、Gadammer, Wahrheit und Methode, S. 302 ff.; Ders.,
Hermeneutik und Historismus, S. 490.
(491) 神学と哲学においては、今日では以下のような言葉の使用が通例である。すなわち、「ト
マス的な(Thomasisch)」と「トマスの(thomanisch)」という表現は直接的にアクィナス
の原典作品に関係しており、これに対して「トマス主義的( thomistisch)」という表現はそ
の学派の教義体系に関係している、ということである。
(492) た と え ば、Wolf, Das Problem der Naturrechtslehre, S. 97; Maihofer, ARSP 44(1958), S.
171 fn. 80; Heydte, Art. „Naturrecht“, Dp. 941; Peschka, Grundprpbleme, S. 233(
「新トマス主
義的存在論」)参照。
(493) Kaufmann, Fünfundvierzig Jahre(1991)
, S. 487.
(494) トマス・アクィナスが構想した法哲学上の理論構築物を、ここではもちろん、包括的に
描き出すことはできない。さらに本書は、トマス⊖解釈の係争諸問題を詳細に取り扱うこと
をも断念しなければならない。
(488)
「第 3 の道」を求めて:アルトゥール・カウフマンの法哲学①
83
₅ .トマス的自然法論のアルトゥール・カウフマンの解釈
新トマス主義の見方では、自然法はとりわけ普遍的な、超時間的に妥当する正義の
︵₄₉₅︶
₄₉₅
諸原則を包括する。たとえば、ハインリヒ・ロンメンは、
「自然法の内容には明白な
諸原理としては本来的に二つの規範しか属していない。すなわち正しきことをなし、
正しからざることを止めることおよび太古以来の崇高の念を呼び起こす原則すなわち
︵₄₉₆︶
₄₉₆
各人に彼のものを」という意見であった。新トマス主義のほかでも見出すことがで
︵₄₉₇︶
︵₄₉₈︶
₄₉₇
₄₉₈
きるトマス的自然法論のこのような読み方は、カウフマンの見方によれば、トマス・
︵₄₉₉︶
₄₉
アクィナスが具体的な自然法と抽象的な自然法律との間になしている差異を無視して
0
いる。
「法は、彼にあってはつまるところつねに具体的⊖内容的なものを、今日ではわ
れわれが言うところの実定的な現在高を意味している結果として、それゆえにあの普
遍的な諸原理は自然法ではなく、自然法律である。トマス主義の自然法は、したがっ
てその重点からして、われわれが現代の用語において実定的法律という言い方をして
いるところに定位しているのである。そしてトマスは徹底的に自然法のなかに何か動
的なものも、歴史的な状況とともに変化するものをも見たのであって、新スコラ哲学
者たちがあれほど好んでしがみつきたがっているあの硬直した諸原理法を見たのでは
ない。このような普遍的かつ不変的な諸原理が具体的、歴史的であるにもかかわらず、
しかし客観的な事態というものと結びつくところではじめて、自然法は成り立つので
ある。そのさいつねにこの過程にあっては人間の本性と事物の本性とがひとつの重要
な役割を演じているのであるが、しかしそのさいトマスはここでも『本性』のもとに
人間と諸物の不変的な本質を理解するばかりでなく、まさにその歴史的に可変的な性
︵₅₀₀︶
₅₀
情をも理解しているのである。
」
このような短い所見のなかで重要な諸々の思想が語りかけられる。アルトゥール・
カウフマンはたとえば、思考の道の第 ₂ 節のなかでひとつの重要な役割を演じている
(495) Hauser, Civitas II(1963), S. 21:「新スコラ哲学の再覚醒した自然法には、この自然法が
いくらかの普遍的に洞察可能かつ妥当な基本的諸原則に制限されているという、ひとつの明
瞭な傾向が成り立っている」という論定をも参照。
(496) Rommen, Die ewige Wiederkehr des Naturrechts, S. 225/226.
(497) 福音の神学者Wolfgang Huber は、トマス・アクィナスが自然法を「数少ない、普遍的
な諸原理に制限しようとしている」と主張する(Gerechtigkeit und Recht, S. 94)。
(498) カ ウ フ マ ン は、Arthur Fridorin Utzの 解 釈 に 準 拠 し て い る。Vgl. Utz, Kommemtar, S.
401 ff.; 432 ff.; Ders., Recht und Gerechtigkeit, S. 235 ff., 236 ff.この解釈について批判的であ
るのは、Scheford, Souvänität als Naturrechtsprolem, S. 171 Fn. 149.
(499) 自然法律については、Utz, Sozialethik II, S. 76 ff.および(最近時のものから)Kluxen,
Lex naturalis bei Thomas von Aquin をも見よ。
(500) Kaufmann, Naturrecht und Geschichtlichkeit(1957), S. 7. Kaufmann, Schuldprinzip
(1961), S. 113; Ders., Die Naturrechtsrenaissance(1991)
, S. 227をも見よ。
84
(487)
同志社法学 59巻 ₁ 号
︵₅₀₁︶
₅₀₁
「事物の本性」という標語に言及している。このような所見からは、しかしながらと
りわけカウフマンの見解によれば、自然法と自然法律との間にはひとつの本質的な差
異が成り立っているということが生じてくるのである。アルトゥール・カウフマンは、
アクィナスの法哲学では自然法律上の諸原則だけが可変的であることを強調している
のであり、彼は、トマスが徹底的に自然法の状況被関係性を顧慮したことを示唆して
いるのである。トマス・アクィナスは奴隷制を永遠の自然法として描き出したという
︵₅₀₂︶
₅₀₂
流布している意見は、それゆえに斥けられるのである。
いましがた引用された言明のなかでは、アクィナスの人間像が様々な構成要素をそ
れ自体のなかに統合していることが詳細に説明される。トマスにとっては、人間の本
質的な諸要素はひとつの核心的な恒常的状態においてのみ不変的であり、ほかでは、
それらは諸々の歴史的変化に服している。トマスが人間の本性の可変性を承認してい
︵₅₀3︶
₅₀3
るという事実は、アルトゥール・カウフマンによってとくに強調される。彼は何回も
アクィナスの次のような意見表明を指示している。
「自然とは違って人間は変わりや
︵₅₀₄︶
₅₀₄
すい(Natura autem hominis est mutanbilis)
。
」カウフマンの見方によれば、この命題
は、
「歴史的自然法」というものの思想をすでにトマスの法論のなかに見出すことが
︵₅₀₅︶
₅₀
できることを証明している。
さらに、アルトゥール・カウフマンが自然法律と自然法との差異を具体的/抽象的
(501) トマス・アクィナスにおける「事物の本性」の思想については、Hassemer, ARSP 49
(1963)
, 29 ff.; Küchenhoff, Die Natur der Sache, S. 221 ff.をも見よ。
(502) Vgl. Kaufmann, Naturrecht und Geschichtlichkeit(1957)
, S. 7; Ders., Schuldprinzip
(1961)
, S. 113 f. これについては、Sticht, Sachlogik als Naturrecht?, S. 154をも参照。
(503) Hollenbach, Das christliche Naturrecht, S. 18の言葉によれば、トマス流の自然法論のカ
ウフマンの解釈は、
「トマスが人間の本性の可変性をきわめて強く強調したというようにし
て、諸々の重複や誤解を撤去したのである」。
(504) Thomas von Aquin, Summa theologica II, II, 52, 7. Kaufmann, Naturrecht und
Geschichtlichkeit(1957)
, S. 7; Ders., Schuldprinzip(1961), S. 88 Fn. 12がこの命題を引用して
い る。 後 期 の 著 作 物 で あ るKaufmann, Die Naturechtsrenaissance(1991)
, S. 227; Ders.,
Problemgeschichte(1884), S. 52 Fn. 55をも見よ。 ― アクィナスのこの言明を他の法哲学者
たちも指示している。Verdross, Abendländische Rechtsphilosophie, S. 274 Fn. 1; Henning,
Der Maßstab des Rechts, S. 82; Marció, Rechtsphilosophie, S. 274 Fn. 1; Ders., Geschichte der
Rechtsphilosophie, S. 284; Henkel, Einführung, S. 238を見よ。
(505) これとは別の見解を提唱しているのが、Hollerbach, Das christliche Naturrecht, S. 18で
ある。これによれば、トマスは確かに法の空間時間的被制約性と可変性を体系的に把握した
が、しかしそれはトマスにおける自然法の歴史性という言い方を是認するものではない。同
様にKaufmann, Problemgeschicthte(1884)
, S. 52も、トマスは「法の歴史性の現象をきわめ
て不十分にしか把握しなかった」と判断している。 ― アクィナスにおける自然法と歴史性
との関係を詳細に探究することは、この箇所ではもちろん可能ではない。
(486)
「第 3 の道」を求めて:アルトゥール・カウフマンの法哲学①
85
︵₅₀₆︶
₅₀₆
という概念の対をもって組み合わせていることが注目されるこの多義的な概念対置
は、彼の著作物のなかでひとつの重要な役割を演じている。この二つの表現の使用は
たいていの場合に、抽象的なものは超歴史的であり、具体的なものは歴史的であると
いう想定に基づいている。
アルトゥール・カウフマンは繰り返しトマス流の法哲学について態度表明をしてお
り、自然法の具体性につねにより強い力点が置かれていることを無視することができ
ない。すなわち、まさに引用された所見のなかで、カウフマンはトマスの見方から自
然法は主として実定的法律に定位しているという意見が唱えられるのであるが、しか
し後期の諸々の態度表明のなかでは、アクィナスにとっては具体的な法的判定がはじ
めて自然法であるということが強調されるのである。
これまでの諸々の論述から大まかな様相において、アルトゥール・カウフマンが
― 新トマス主義の諸立場とは批判的な距離を置くなかで ― どのようにアクィナス
の法論を解釈しているのかが明らかになった。この解釈が、自然法の歴史性について
のその諸々の考察の基盤をなしているのである。
すでにこの箇所で指摘されなければならないのは、
「法」、
「正しい法」および「自
然法」といった表現は、カウフマンの初期の著作物ではしばしば同義語として用いら
︵₅₀₇︶
₅₀₇
れるということである。この見方からは、それゆえに法の歴史性と自然法の歴史性と
の間にはどのような差異も成り立っていないのである。
アルトゥール・カウフマンは法の歴史的被制約性についての諸々の考察を先ずは小
︵₅₀₈︶
₅ ₀₈
研究『自然法と歴史性(Naturrecht und Geschichilichkeir)
』
(1957年)で展開し、次
︵₅₀₉︶
₅₀₉
いで他の諸々の公刊物のなかで、とりわけ教授資格論文『責任原理(Schuldprinzip)
』
(1961年) と『 法 の 存 在 論 的 構 造(Die ontologische Struktur des Recht)
』
(1962/
︵₅₁₀︶
₅₁₀
65年)のなかで継続する。これに続く諸々の論述は何よりも先ずこの三つの著作物に
かかわっている。
(506) カール・エンギッシュはこのような概念対置の哲学上および法学上の意義の多様性を描
き出している。Vgl. Engisch, Die Idee der Konkretisierung.
(507) これについては、Wieacker, Zum heutigen Stand, S. 24 ff.をも参照。
(508) この論文の表題は、Leo Straußの本『自然の権利と歴史( Natural Right and History)
』
を想起させる。 ― 「自然法と歴史性」という公式は、判例によっても拾い上げられた。
Vgl. BVerfGE 19, 59(81)
.
(509) アルトゥール・カウフマンは回顧的に、将来の法哲学上の思考作業にとってのひとつプ
ログラムを表わしていることを強調している。Kaufmann, Fümfundviezig Jahre(1991)
, S.
485を見よ。
(510) このテクストは1962年にイタリア語で公刊され(„La struttura ontologien del diritto“)
、
1965年にはじめてドイツ語文で刊行された。
86
(485)
同志社法学 59巻 ₁ 号
Ⅱ.法の歴史性
₁ .歴史性というカテゴリーについての序言
すでにその思考の道の第2の節に属している論文『法の歴史性の解釈学的地平とし
︵₅₁₁︶
₅₁
ての言語(Die Sprache als hermeneutischer Horisont des Rechts)
』
(1969/72年)の
なかで、アルトゥール・カウフマンは歴史性というカテゴリーが二十世紀においては
︵₅₁₂︶
₅₁₂
じめて哲学上の反省の中心点に押し出されていることを詳述している。すでに十九世
紀の歴史主義が歴史性を意識にまで登らせたという見方は、彼の目には不適切であ
る。「確かに歴史主義と『歴史法学派』はこの世には永遠に持続するものは何もなく、
いっさいの存在者は始めと終りというものを有しているのであり、人間は、したがっ
て法もまた、その世界においてあるすべてよりほかの何ものでもないことを指摘し
た。しかしこの歴史主義は、合理主義と合理的な自然法に対するあらゆる批判にもか
かわらず、何といってもそれ自体が啓蒙の子であり、それが歴史にとって何らかの意
︵₅₁3︶
₅₁3
義を有していたとしても、人間の現存在の歴史性をそれが発見したのではない。
」二
︵₅₁₄︶
₅₁₄
十世紀の実存哲学がはじめて歴史性を「
『実存的なもの』そのもののすべての根本
︵₅₁₅︶
₅₁
概念」にまで高めたのである。
︵₅₁₆︶
︵₅₁₇︶
₅₁₆
₅₁₇
実存哲学は実際のところ、
「歴史性」という概念を前世紀においてひとつの流行語
にまで昇進したことに貢献した。第 ₂ 次世界大戦後には、法の哲学もまたこの流行に
︵₅₁₈︶
₅₁₈
捕らわれた。論文『法の存在論的構造』のなかでカウフマンは、法の歴史性は「現在
︵₅₁₉︶
₅₁₉
の法哲学の最も現実的な、差し迫った諸問題のひとつである」と確認している。
︵₅₂₀︶
₅₂₀
アルトゥール・カウフマンは多層的で切子面に富んだ「法と歴史性」というテーマ
(511) これは、1969年にカール・エンギッシュのための記念論集のなかで公刊された論文『解
釈学の光のもとに照らし出された法の歴史性』に新たに校訂された表現型である。
(512) これと比較可能な表現型を、ven, Grundrecht und Geschichtlichkeit, S. 11が提唱してい
る。
(513) Kaufmann, Die Sprache als hermeneutischer Horiyont(1969/’72)
, S. 347は こ の よ う に 言
う。
(514) Kaufmann, Schuldprinzip(1961), S. 105にとっては、アウグスチヌスが「キリスト教西
洋の最初の『実存哲学者』である」
。
(515) Müller, Existenzphilosophie, S. 31がこのように言う。
(516) この概念については、vgl. erwa Renthe-Fink, Art. „Gecschichtlichkeit“.
(517) Vgl. Kaufmann, Die Sprache als hermeneutieche Horizont(1968/72), S. 338:「
『歴史性』
という言葉は、今日では人口に膾炙している。
」
(518) 1976年にLlompart, Rechtsprinzipien, S.XI(Vorwort)
:は、「法の歴史性に拠り所を求め
ること、伝統的な自然法論が今日では歴史性に向けて信条を告白することが流行になってい
る」と書いている。
(519) Kaufmann, Die ontologische Struktur(1962/65), S. 122.
(520) こ の テ ー マ に つ い て 詳 し く は、Llompart, Die Geschichtlichkeit; Kirste, Dir Zeitlichkeit
(484)
「第 3 の道」を求めて:アルトゥール・カウフマンの法哲学①
87
︵₅₂₁︶
₅₂₁
をしばしばその哲学上の諸々の熟慮の中心に据えたうえで、彼は繰り返し「法の歴史
︵₅₂₂︶
₅₂
性はその内容の任意性と同義であるか」という問いを論じた。カウフマンの根本思想
ははじめからはっきりと際立っている。すなわち歴史は、
「法の形態化にとってのひ
︵₅₂3︶
₅₂3
とつの徹底的に客観的な、非任意的な要素」であり、それゆえに法の絶え間のない変
︵₅₂₄︶
₅₂₄
化は偶然的かつ恣意的にではなく、ひとつの確固としたリズムに従って経過する、と
いうことである。アルトゥール・カウフマンがその初期の著作物のなかで扱っている
問題設定を、以下においてより正確に照らし出すことが求められる。
₂ .諸々の熟慮の出発点
アルトゥール・カウフマンの初期の作品を支配している目標設定は、疑いもなく法
実証主義の克服である。この目標設定は当時の時代精神に相応しているのであって、
それというのも1945年以来、大多数の法哲学者は、法的思考は法学上の実証主義から
︵₅₂₅︶
₅₂
開放されなければならないと確信していたからである。カウフマンのそれについての
考えによれば、しかしながら決定的に重要であるのは、この課題が「正しく見詰めら
︵₅₂₆︶
₅₂₆
れ、正しく扱われる」ということである。
その初期の著作物のなかでカウフマンは、法実証主義は何らかの自然法上の立場を
通してのみ克服され得るということから出発している。しかし彼は、自然法思想が歴
史性の次元を顧慮しなければならないことをよく弁えている。そこからカウフマン
は、法の歴史的被制約性の問題をその全射程において把握しようと試みるのである。
その諸々の熟慮は差し当たって、
「相対主義的な立場というものによっても、絶対主
義的な立場というものによっても歴史的なものの現象を法にとってのその本来的な意
︵₅₂₇︶
₅₂₇
義において把握するができない」という認識に導く。
des positiven Rechts, S. 21 ff.を 見 よ。Kaufman, Die Sprache als hermeneutische Horizont
(1869/72), S. 339 Fn. 6における文献指示をも見よ。
(521) そこからLlompart, StdZt 192(1974)
, 349は、
「法の歴史性の重要性に注目させたのは、
アルトゥール・カウフマンの功績である」ことを確証している。
(522) Kaufmann, Die Naturrechtsrenaissance(1991)
, S. 226.
(523) Kaufmann, Naturrecht und Geschichtlichkeit(1957)
, S. 8; Ders., Schuldprinzip(1961),
S. 85.
(524) Kaufmann, Lukrez(1993)
, S. 118.
(525) Coing, Die obersten Grundsätze, S. 7:「法学が実証主義から開放され、再び法の理念に
結びついた法についての何らかの見解に向かわなければならないということは、今日ではそ
れを口にすることがほとんど憚れるほどの自明の理になっている」をも参照。
(526) Kaufmann, Naturrecht und Geschichtlichkeit(1957), S. 1.
(527) Kaufmann, Naturrecht und Geschichtlichkeit(1957)
, S. 8 f. Vgl. auch Dens., Die
Naturrechtsrenaissance(1991), S. 228.
88
同志社法学 59巻 ₁ 号
(483)
3 .相対主義と歴史主義
相対主義は、
「すべての主観にとって妥当する真理性の尺度というものは存在して
︵₅₂₈︶
₅₂₈
いない」ということを教える。歴史哲学ではこのような考え方が、すべてが時間的な
変化に服していると主張する歴史主義の形態において現れる。相対主義的な歴史主義
の見方では、それゆえに真理性と正義についてのどのような固定的な諸基準も現存し
ていないのである。
様々な時代と様々な国民において全く異なっている諸々の法観と法定立が存在して
いるという争い得ない事実が、この見解によれば、正しい法の客観的な尺度というも
のが現存していないこと、自然法は実存在していないことを証明している。相対主義
的な歴史主義は、このようにしてひとつの実証主義的な立場へと導く。すなわち客観
的に拘束する法認識が欠如しているのであれば、立法者は自らの権力的完全性から何
が法であるべきかを確定しなければならない、というわけである。
アルトゥール・カウフマンの確信によれば、自然法に対するこのような意義申し立
ては不適切であって、それというのも認識の変化は決して認識客体の変化というもの
を許さないからである。自然法の実質的な内実について様々な時代と様々な国家にお
いて相異なる諸々の見方が成り立っているという、否認し得べくもない事実は、決し
てすべての自然法論が目標としている対象が実存在していないことを示しているので
はない。
「法的諸認識の相対性と可変性をもってひとは法それ自体の相対性を証明す
ることはできないのであり、むしろ、法についての諸認識が存在すべきであるのであ
れば、それはまさに非相対的なものであり、客観的なものとして理解されなければな
︵₅₂₉︶
₅₂₉
らないのである。
」
₄ .法の客観性と収斂の原理
︵₅3₀︶
₅3₀
かくしてアルトゥール・カウフマンは、法がひとつの固定的な認識対象であること
から出発する。彼の考え方によれば、しかしながらこのような客体をその全体性にお
いて相応に把握することは可能でない。「全体における法、絶対的に真かつ完全なる
法は、われわれにとってはつねに完結することができない課題となるのであろう。わ
れわれはわれわれの認識力の不完全性から完全な法の所持に到達することはできない
︵₅3₁︶
₅3₁
であろう。」
(528) Kaufmann, Naturrecht und Geschichtlichkeit(1957), S. 6.
(529) Kaufmann, Naturrecht und Geschichtlichkeit(1957), S. 14.
(530) 法という表現をもってここでは自然法が考えらている。
(531) Kaufmann, Schuldprinzip(1961)
, S. 75.
Überwindung(1960)
, S. 53.
同 様 に す で に ま た、Ders., Gedanken zur
(482)
「第 3 の道」を求めて:アルトゥール・カウフマンの法哲学①
89
︵₅3₂︶
₅3₂
アウグスト・ブルンナー(August brunner)の認識論上の諸々の熟慮に習ってア
ルトゥール・カウフマンは個別的な諸認識の収斂を通して正しい法を少なくとも近似
値的に認識することができるという思想を展開する。収斂とは、彼の言葉によれば、
「同じ存在者についての相異なる諸主観に由来しながらも互いに独立した諸認識の合
︵₅33︶
₅3
一化である」
。
︵₅3₄︶
₅3₄
収斂の原理は、同じ対象についての相異なる諸主観の数多くの、互いに独立してい
る諸認識が存在しているという想定に基づいている。これらの認識が比較対照される
ならば、異なる源泉に由来している主観的な諸契機を統合に向けて組み合わせること
ができない。 ― それらは弱体化するか、もしくは完全に止揚される。これに対して
客観的な諸契機は同じ対象に由来している。すなわちそれらは、アルトゥール・カウ
フマンがアウグスト・ブルンナーとともに言うように、
「後方へ向けて辿られれてひ
とつの中心点において出会ういわば光線であり、それらが統合のなかに入り込むこと
を通して、それらの共同努力もしくは収斂を通して客観的なものであることの実が証
︵₅3₅︶
₅3
明されるのである。」
︵₅3₆︶
₅3₆
法の客観性は、「超時間的かつ不変的妥当性と同義のものではなく、差し当たりは
法は、人間の任意処分から免れている要素であるひとつの固定的なものであり、それ
ゆえに法はつねにそしてすべての文化にわたって同じ仕方で固定している必要はない
︵₅3₇︶
₅3₇
のである」。このような言明は、アルトゥール・カウフマンが自然法をどのように理
解しているかを示唆している。彼の見方によれば、「すべての自然法の根本的意味は
立法者の主観的な意志にではなく、すべての法の形態化に前もって与えられている客
︵₅3₈︶
₅3₈
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0
観的な法の真理性に負っている客観的に正しい法である」
。この言明はそのうえ、カ
(532) カウフマンは、Brunner, Erkenntnistheirie, S. 77 ff.,に依拠している。
(533) Kaufmann, Gedanken zur Überwindung(1960)
, S. 61; Ders., Schuldprinzip(1961)
, S. 77
はこのように言う。
(534) こ れ に つ い て は、Kaufmann, Naturrecht und Geschichtlichkeit(1957)
, S. 13 f.; Ders.,
Gedanken zur Überwindung(1960)
, S. 60 ff.; Ders., Schuldprinzip(1961)
, S. 76 ff. Maihofer,
Rechtsstaat, S. 132 Fn. 105をも見よ。後期の著作物のなかでは、収斂の思想が再び拾い上げ
られる。Kaufmann, Über die Wissenschaftlichkeit(1986); Ders., Über das Problem(1989),
S. 146 ff.; Ders., Fünfundvierzig Jahre(1881), S. 487 ff. Deckekt, ARSP 82(1996)
, 52をも見
よ。Welzel, Naturrecht, S. 129 Fn. 16には、収斂⊖理論についてのひとつの傍論的所見が見ら
れる。しかしアルトゥール・カウフマンにはとくに触れられない。
(535) Brunner, Erkenntnistheorie, S. 78.
(536) 法がひとつの固定的な客体であるというテーゼは、ひとつの認識理論上の言明であるば
かりでなく、ひとつの存在理論上の(存在論上の)言明である。カウフマンの法存在論の理
解は同様に説明される。
(537) Kaufmann, Naturrecht und Geschichtlichkeit(1957)
, S. 14.
(538) Kaufmann, Schuldprinzip(1961)
, S. 42( 強 調 は 原 典 の な か で); Ders., Die ontologische
90
(481)
同志社法学 59巻 ₁ 号
ウフマンが絶対主義の自然法概念を否認していることを示している。
₅ .絶対主義の自然法概念
絶対主義の見解によれば、自然法はひとつの超実定的な、普遍妥当的で永遠なる法
である。けれどもこのような考え方には、
「これまでのところいまだ自然法として公
布された具体的な内容をもつどのような法命題も時間に結びつけられていることの実
︵₅3₉︶
₅3₉
を証明している」という経験が反対している。すべての時間にとって妥当する自然法
を打ち立てようとする絶対主義は、それゆえに法の歴史性という否認し得べくもない
︵₅₄₀︶
₅₄₀
事実で挫折する。正義の最高の基本的諸原則しか絶対的に妥当し、超時間的でないこ
︵₅₄₁︶
₅₄₁
とから、絶対主義はこれらの原則に引き下がらなければならないのである。このよう
︵₅₄₂︶
₅₄₂
な抽象的な諸原則は確かに「端的に非倫理的かつ正義に適っていない法律の排除」を
可能にするのであるが、しかしほかでは法の実質的な内実は国家的立法者の任意にゆ
だねられているのである。
₆ .相対主義と絶対主義との間の道
カウフマンの見解によれば、自然法思考は何よりも先ず実定法の具体的な内容を視
野のなかに収めていなければならない。このような見方は、トマス流の法哲学の彼の
解釈から帰結している。「トマス流の自然法論が今日でもなおわれわれに言うことが
0
0
できなければならないのは、法の本来的な問題性は、現代の大多数の自然法思考家が
通例として止めることをつねとしているところ、すなわち実定法に、具体的な法的内
︵₅₄3︶
₅₄3
実にはじめて始まるということ、まさにこのことであると私には思われる。」
アルトゥール・カウフマンは、法の具体的な内容を究極的に確定することができな
いということから出発する。それゆえに彼は挫折した絶対主義の諸々の努力から距離
を置いているのである。立法者はその任意に従って恣意的に法を形態化することがで
Struktur(1962/65)
, S. 101. ― 「客観的に正しい法」という表現を、Henkel, Einführung, S.
530も用いている。
(539) Kaufmann, Naturrecht und Geschichtlichkeit(1957)
, S. 4; Ders., Die Naturrechtsrenaissance(1991)
, S. 226.
(540) 法絶対主義を通しては、しかしながら自然法理念それ自体が論駁されるわけではない。
こ の こ と を、Kaufmann, Schuldprinzip(1961), S. 41 f.; Ders., Dir ontologische Struktur
(1952/65), S. 109が強調している。
(541) Vgl. Kaufmann, Die ontologische Struktur(1962/65)
, S. 123. ― 新 ト マ ス 主 義 に と っ て
0
はこの諸原則が「第 ₁ 次的自然法」をなしている。カウフマンにとってはそれらは自然法で
0
0
はなく、自然法律である。Vgl. Kaufmann, Die ontologische Struktur(1962/65)
, S. 132.
(542) Kaufmann, Naturecht und Geschichtlichkeit(1957)
, S. 15.
(543) Kaufmann, Naturrecht und Geschichtlichkeit(1957)
, S. 8(強調は原典のなかで).
(480)
91
「第 3 の道」を求めて:アルトゥール・カウフマンの法哲学①
きるとする相対主義的ないしは実証主義的な立場は、しかしまたその賛同を見出さな
い。カウフマンはその初期の著作物のなかで、可変的な法内容が任意な変更可能性か
ら引き離されていることを証明しようとしているのである。彼はそれゆえに、相対主
︵₅₄₄︶
₅₄
義と絶対主義との「第 3 の道」というものを求めているのである。
法の歴史的被制約性を求める問いは、これとともにひとつの新しい方向を獲得す
る。
「この方向は、つねに全く妥当していない超時間的な自然法にでも、法の諸定立
を時間の流れのなかで何の脈絡もなしに任意に並列させている無時間的な法実証主義
︵₅₄₅︶
₅₄
にも向けられているのではない。
」相対主義と絶対主義との間に一筋の道を求める探
究は、それゆえに同時に「法の諸内容の実証主義的な任意性という前門の虎と、持ち
堪えられない自然法上の諸々の固定という後門の狼との間を通り抜けようとする試み
︵₅₄₆︶
₅₄₆
である」。法の歴史性は自然法と実証主義との間に一筋の道を切り開くものとされる
のである。
₇ .歴史性と法存在論
法はひとつの歴史的な形象であることはすでに経験的な現実に示されているのであ
って、それというのも実定法の諸規範は時間の流れのなかで展開するからである。ア
ルトゥール・カウフマンがその初期の著作物のなかで提示している法哲学上の諸々の
︵₅₄₇︶
₅₄₇
熟慮は事実史的な歴史性にではなく、存在論的な歴史性にかかわっているのである。
0
「すなわち、問われるのは、どのようにして法は純然たる事実として歴史のなかにあ
0
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るのかではなく、どのようにして法はその本質からして歴史を有しているのか、どの
ようにして法はその存在において時間性の様相のなかで規定されているのかというこ
︵₅₄₈︶
₅₄₈
とである。」
︵₅₄₉︶
₅₄₉
カウフマンの見方では、法の歴史性は、それゆえに法存在論の問題である。このよ
うな見解は当時の時代のひとつの精神的な傾向に相応しているのであって、それとい
うもの第2次世界大戦後に法哲学のなかで「事物に立ち帰る」ということが生じたか
(544) Noguchi, Naturrecht und Rechtsontologie, S. 450.
(545) Kaufmann, Naturrecht und Geschicjtlichkeit(1957)
, S. 17 f.
(546) Tönnies, Dimorphismus, S. 17.
(547) このような区別については、Henkel, Einführung, S. 203をも見よ。思考の道の第 3 の節
では法の解釈学的歴史性が考察される。この関連で言語の法にとっての重要性が強調され
る。Vgl. Kaufmann, Die Sprache als hermeneutieche Horizont(1967/72), S. 342.
(548) Kaufmann, Naturrecht und Geschichtlichkeit(1957), S. 18(強調は原典のなかで)
.
(549) Kaufmann, Zur rechtsphilosophischen Situation(1963)
, S. 198.
92
(479)
同志社法学 59巻 ₁ 号
︵₅₅₀︶
︵₅₅₁︶
₅₀
₅₁
らである。存在論は自然法思想のルネサンスにとって重要な刺激を与えたのである。
法存在論と自然法哲学との間の関係は、アルトゥール・カウフマンの初期の作品の
︵₅₅₂︶
₅₂
なかではっきりと強調される。カウフマンは存在論を何よりも先ず「客観主義的な形
︵₅₅3︶
₅3
而上学」として把握する。したがって彼は、現実性はその程度とその秩序をそれ自体
のなかに担っているということから出発するのである。法は客観的に与えられている
︵₅₅₄︶
₅₄
のであって、それというのもそれは「存在」のなかに裏づけられているからである。
それゆえに法は人間の思考と意欲に由来しているのではない。
存在論的なもののカウフマンの考え方は、
「存在」のなかに根拠づけられているも
のは任意な処分にゆだねられているのではないという想定に根差している。カウフマ
ンの法存在論の根底には、したがって法の内的な構造法則性を「任意に処分すること
︵₅₅₅︶
₅
ができない」という思想が置かれている。この思想は、戦後の法哲学上の議論のなか
でひとつの重要な役割を演じている。すなわち「独裁における比類のない法の濫用に
直面してわれわれは再び法における「不可任意処分的なもの」―「存在論的なもの」
― を、そして転倒した恣意に抗して客観的な法的諸内実を思案しなければならなか
︵₅₅₆︶
₅₆
ったのである。これはひとつの全く必然的な歴史上の課題であった」ということであ
る。
すでにこの箇所で言及されるべきであろうことは、法存在論的に論証するというこ
とが決して問題をはらんでいないわけでもないのであって、それというのも人間は
(550) Vgl. Verdross, Abendländische Rechtsphilosophie, S. 188. ― ドイツの法哲学における存
在論的議論については、Pak, Über Rechtsphilosophieをも参照。
(551) こ れ に つ い て は、vgl. Kaufmann, Einleitung, in: Die ontologische Begründung des
Rechts(1965); Noguhi, Naturrecht und Rechtsontologie, S. 443 ff.
(552) た と え ば、Kaufmann, Zur rechtsphilosophischen Situation(1963), S. 198:「 存 在 よ り ほ
かに自然法にとっての妥当根拠は全く存在し得ない。自然法論は結局のところ、つねに法存
在論である。
」を見よ。
(553) Kaufmann, Zur rechtsphilosophischen Situation 1963)
, S. 198.
(554) 法 の 客 観 性 と「 意 味 付 着 性 」 に つ い て は、Kaufmann, Gedanken zur Überwindung
(1960)
, S. 53 ff. をも見よ。
(555) 実質から見て、不可任意処分的なものの理念ははじめからアルトゥール・カウフマンの
著作物のなかに示されている。
「不可任意処分性」という概念は、しかしながら後期の作品
の な か で は じ め て ひ と つ の 中 心 的 な 概 念 に な る。Vgl. Kaufmann, Gedanken zu einer
ontologischen Grundlegung(1982), S. 96; Ders., Vorüberlegungen(1986), S. 282; Ders.,
Gustav Radbruch(1987), S. 161; Ders., Gustav Radbruch – Leben und Werk(1987), S. 86;
Ders., Rechtsdogmatik(1994), S. 14. カウフマンはこの関連でNeumann, Rechtsontologie
und jurisitische Argumentation, S. 1を引き合いに出している。
「不可任意処分性」という哲学
上の概念については、vgl. auch Vorster, Art. „Unverfügbarkeit“.
(556) Kaufmann, Rechtsphilosophie im Wandel(2. Aufl. 1984), Vorwort(S. VIII) が こ の よ う
に述べている。
(478)
「第 3 の道」を求めて:アルトゥール・カウフマンの法哲学①
93
「存在」のなかに備わっている諸法則を尊重しなければならないという主張にとって
は、結局のところどのような必然的な証拠も存在していないからである。このような
理由から法存在論はその批判者の目ではひとつの哲学上の信念、ひとつの「とらえど
︵₅₅₇︶
₅₇
ころのない靄」である。
存在論は事実上の、個別的な事実として証明され得る存在者とではなく、存在と取
︵₅₅₈︶
₅₈
り組むのである。存在それ自体は、しかしながらこれを認識することができない。
「存
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₅₉
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0
0
0
0
0
在は、存在者の存在としてしか開明することができないのである。」それゆえに、存
在論はその注意を先ずもって存在者の構造に、そして本質的な諸要素に向けなければ
︵₅₆₀︶
₅₆₀
ならないのである。このことは、周辺存在論にとってはいよいよもって当てはまる。
︵₅₆₁︶
₅₆₁
「法存在論は、したがって法の本質についての科学である。」それは法の存在状態を問
︵₅₆₂︶
₅₆₂
わなければならない。以下の諸々の論述は、どのようにしてアルトゥール・カウフマ
ンは法の内的な構造を解明しているのかを示している。
(557) Kurt Schellingは „Naturrecht und Geschichlichkeit“(DFBl 1959), 626の 論 評 の な か で こ
のように言う。
(558) それゆえに存在学(Ontik)と存在論(Ontologie)とが区別されなければならないので
ある。存在と当為とが問題になっている場合には、この差異がとくに顧慮されなければなら
ない。Vgl. Kaufmann, Schldprinzip(1961), S. 34:「つねに存在と当為とが区別されるところ
では、存在は存在論的にではなく、存在学的に理解される。
」― カウフマンの判断によれば、
( Hans Welzelとその学派の)
「事物論理構造の理論」は現実的な存在論とはいささかも関係
がないのであって、それというのもそれは存在学的な存在にとどまり続けているからであ
る」
。これについては、vgl. Kaufmann, Schuldprinzip(1961)
, S. 32 ff.
(559) Kaufmann, Schuldprinzip(1961), S. 38.
(560) 法哲学は、
(現象学の意味における)ひとつの周辺的な存在論である。Maihofer, Recht
und Sein, S. 53をも参照。
(561) Kaufmann, Schuldprinzip(1961), S. 38.
(562) Kaufmann, Schuldprinzip(1961)
, S. 97 f.; Ders., ontologische Struktur(1962/65)
, S. 119.
― Werner Maihoferは法哲学の根本的な問いを、マルチン・ハイデガーの基礎的存在論の
疑問提起に依拠して言い表していた。Maihofer, Recht und Zeit, S. 38を見よ。これについて
は、Schäfer, Die Rechtsontologie Werner Maihofers, S. 140 ff., をも見よ。
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