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イエメン共和国概況 - 中東協力センター

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イエメン共和国概況 - 中東協力センター
イエメン共和国概況
平成 20 年 8 月
中 東 第 二 課
【基礎データ】
(1) 面積
(2) 人口
(3) 言語
(4) 人種
(5) 宗派構成
(6) 政体
(7) 元首
(8) 議会
55.5 万k㎡(日本の約 1.5 倍弱)
約 2,229 万人(07 年:IMF)(日本の約 6 分の 1)
アラビア語
アラブ人(他にインド系もいる)
イスラム教
共和制
アリー・アブドッラー・サーレハ大統領
国会(一院制、定員 301 名、任期 6 年)
(1993 年初開催。2001 年 2 月の憲法改正前は任期 4 年)
他に立法権のない諮問議会(2001 年設立、大統領任命の 111 名)がある。
(9) 政府
首相:アリー・ムハンマド・ムジャッワル
外相:アブーバクル・アブドッラー・アル=カルビー
(10)GNI
164 億ドル(06 年世銀統計)
(11)所得水準(一人あたりGNI) 760 ドル (06 年:世銀統計)
(12)在留邦人 59 名(08 年 4 月)
注:イエメン共和国は、1990 年 5 月に南北イエメンが統一したもの。
-1-
1.内政
(1)政治
(イ) 略史
イエメンでは、古代よりシバ王朝に代表される王国が、インド及び東アフリカと地中海
を結ぶ東西貿易によって栄えた。7 世紀には、いち早くイスラム化が進み、近世までイス
ラム教のイマーム(宗教指導者)による統治が続いた。
北部の山岳地帯(旧北イエメン)では、イスラム教ザイド派イマームによる統治の後、
16 世紀以降オスマン・トルコの侵略・支配を受けたが、1918 年にイエメン王国として独
立を果たした。その後、1962 年の共和革命によって王政が倒され、イエメンアラブ共和国
(北イエメン)が樹立された。
他方、南西部沿岸の低地地帯(旧南イエメン)では、1839 年にイギリスが紅海海路の要
所であるアデンを植民地化した。しかし、1960 年代になると、アラブ民族運動の高揚で反
英運動が激化し、1967 年に南イエメン人民共和国としてイギリスから独立を果たした。独
立後の南イエメンでは、共産化の傾向が強まり、70 年に国名がイエメン民主人民共和国と
改められた。
南イエメンの独立後、南北イエメン間で武力衝突がしばしば発生したが、統一への努力
は継続され、90 年 5 月 22 日、イエメン共和国として南北統一を果たした。しかし、統一
後、徐々に顕在化した旧南北間の争いは、94 年 5 月に内戦にまで発展した。この内戦は同
年 7 月に旧南勢力が放逐される形で収束した。その後、政府は安定を確保している。
(ロ) 民主化プロセス
南北統一後、イエメンはアラビア半島の中で最も民主化プロセスを進展させており、ま
た地方自治体の強化にも努めている。93 年に第 1 回、97 年に第 2 回の総選挙(普通選挙)
が行われ、国会議員を選出しただけではなく、99 年には初めての大統領選挙を実施した。
2001 年には地方評議会を選出する選挙を初めて行ったほか、憲法改正に関する国民投票を
実施している。03 年 4 月には、第 3 回の総選挙が行われ、サーレハ大統領が党首を務める
与党「国民全体会議(GPC)」が議席の 2/3 以上を獲得し前回と同様に圧勝した。06 年 9
月には第 2 回大統領選挙及び地方評議会選挙が民主的に実施された(結果は以下の(ハ)
参照)。08 年 5 月にはこれまで大統領任命であった地方知事及びサヌア市長が選挙(ただ
し間接選挙)で選出されており、地方自治強化が進んでいる。また、イエメンは G8 の拡
大中東・北アフリカ・パートナーシップ構想(BMENA)における民主主義対話の共同議
長も務めている。
(ハ) 内政
06 年 9 月の大統領選挙、地方評議会議員選挙においては、サーレハ大統領が 77%の得
票率にて再選され、地方評議会選挙については、州及び群レベルでも与党 GPC が議席の
約 74%を獲得し、対テロ対策や民主化、経済改革を含め現政権の施政に対する国民の支持
-2-
が高いことを示した。また、右選挙は国際選挙監視団の参加により公平かつ平穏裡に投票
が実施され、イエメンの民主化の成果を国内外に示すものとなった。07 年 4 月、内閣改造
が行われ、ムジャッワル前電力相を首相とする新内閣が誕生した。
07 年夏頃から、食料価格等の騰貴に抗議する南部州住民のデモ、旧南イエメン軍退役軍
人(944 年内戦での敗北の結果退役を余儀なくされた者)等による待遇改善を求めるデモ
等が発生し、これに野党が同調する形での政府批判の声が強くなった。根底には南北間の
経済・社会的格差がある模様。サーレハ大統領は、各州の公務員給与引き上げを 08 年 1
月から実施(13-15%引き上げ)し、上述のとおり 08 年 5 月に州知事(及びサヌア市長)
選挙を実施することで、不満をとりあえず抑えることに成功している。
(ニ) 治安
北部山岳地帯では、未だ部族意識が強く国家への帰属意識が希薄であるため、中央政府
の統治が十分及んでいない地域があり、これら地域では地方部族民が対政府取引の手段と
して欧米人を誘拐する事件が 90 年以降継続的に発生していた。誘拐事件は 01 年後半から
05 年前半までは沈静化していたが、
05 年後半から 06 年にかけて北部のアル・ジャウフ州、
シャウブ州で連続して発生している。また、イエメンにおいては、国内全域に渡って武器
が氾濫しており、一般市民でも銃器を所持している。07 年 8 月より都市部への武器携行が
禁止されたことにより小型武器等が没収され、また政府による部族等からの重火器の買取
り措置等により 07 年の都市部での犯罪発生率は 43%まで低下したとされているが、地方
部では依然として多数の武器が流通している模様。
テロ事件に関しては、98 年 12 月アデン・アビアン軍による欧人誘拐事件、00 年 10 月
アデン港での米軍艦船コール号爆破事件、02 年にはムカッラ沖仏船籍タンカー爆破事件が
起きるなど外国人・権益を対象とした国際テロが疑われる事件が散発した。これに対し、
イエメン政府は、01 年 12 月以降、米同時多発テロ関連で、国内のアル・カーイダ分子の
掃討作戦を展開し、02 年 11 月にはコール号事件の主犯格を含むアル・カーイダ分子 6 名
が乗る車を爆破、全員が死亡した。イエメン政府は米国との治安協力を進め、03 年からは
治安要員の増員、内務省予算の増額、沿岸警備隊の設立といったさらなる治安強化措置を
とり、大規模なテロ事件の発生を抑え込んでいたが、06 年 2 月、政治犯収容所に拘束され
ていたアル・カーイダ・メンバーら 23 名が脱走し、そのうちの一部がハドラマウト州、
マアリブ州にある石油関連施設を標的とする自爆テロ未遂事件を引き起こした。07 年 7
月にはマアリブ州の観光地においてアル・カーイダ分子によると見られる自動車自爆テロ
事件が発生し、スペイン人観光客 8 名、イエメン人 2 名が死亡した。また、08 年 1 月に
はハドラマウト州においてベルギー人観光客 2 名、イエメン人 2 名がアル・カーイダ分子
による狙撃で死亡した。
その他の治安上の懸案として、04 年 6 月北部サアダ州においてシーア派の一派であるザ
イディ派に属するホーシー及びその支持者がイマームによる統治と共和制の廃止、反米、
反イスラエルを唱えて政府軍との間で武力衝突を引き起こし、以後も両者の間で大規模な
衝突が繰り返され、双方に多数の死傷者が出た(なお、イエメン政府は旅行者の同州への
-3-
立ち入りを禁止している)。07 年 6 月カタールの仲介により政府側とホーシー派の間に停
戦合意が成立したが、ホーシー派の軍事拠点からの撤退や中型以上の武器の放棄などの停
戦合意の完全履行には至らず、08 年 2 月に再度カタール仲介によりドーハにてイエメン政
府とホーシー派側の間で停戦合意の履行に関する合意が行われたものの、対立は解けず依
然として衝突が続いている。
我が国との関係では、08 年 4 月アデン湾沖公海上で日本船籍タンカーが不審船に襲撃さ
れる事件(同船はイエメン沿岸警備隊にエスコートされてアデン湾に入港した。
)、5 月に
は邦人女性 2 名の部族による誘拐事件が発生している(翌日無事解放された。)
(2)経済
(イ)経済開発
90 年に南北が統一した直後に湾岸戦争が勃発した。その際に、イエメンが親イラク的な
立場をとったことを理由に、アラブ産油国からの経済援助が途絶え、また湾岸諸国などか
らイエメン人出稼ぎ労働者が本国に帰国させられた。また、94 年の南北内戦も重なって、
イエメンの国内経済は疲弊した。
イエメン政府は、経済回復を目指して、石油・ガス資源の開発やアデン港のフリーゾー
ン設置による再開発・ハブ港化を推進している。国家歳入の 6 割強を占める石油の生産量
は近年減少傾向にあり(現在 35-38 万 B/D)、悲観的な見通しとしては今後 10 年程度で石
油は枯渇するとの予測(世銀)もあるため、新規油田発見のための積極的な石油探査活動
および最新の採掘技術の導入による既存油田の増産を目指している。
天然ガスが石油に継ぐ重要な歳入源と考えられており、05 年には、外国企業との間で
20 年間の LNG 輸出契約が締結され、09 年から生産・輸出が開始される予定(韓国、米国
向け)。今後 20 年から 25 年間にわたり年間最大 670 万トンの LNG 生産が見込まれている。
ただし、石油生産減少を相殺するには足らないとの予測もある。
いずれにせよ、石油・ガスの埋蔵量は限られていることから、非石油・ガス分野の開発
が重要な課題とされているが、あまり進んでいない。また急激な人口増加(特に 25 歳未
満が人口の 67%に達する)にも起因する高い失業率、水不足、電力等経済インフラの未整
備等構造的な問題を抱えていることに加え、最近の食糧品等基礎物資の値上がりが国民の
不満を高めつつある。
(ロ)経済構造調整
アラブ産油国からの支援に依存できなくなったため、イエメンは 95 年より、世銀・IMF
の経済・行財政改革プログラムの下、経済構造調整に取り組んできた。01 年に第 2 次 5
ヵ年計画を策定し、02 年 6 月には貧困削減戦略ペーパー(PRSP)が完成した。但し、改
革に伴う補助金の削減などの措置は、社会的な反発を生んでおり、特に、05 年 7 月には石
油製品の値上げに反発した群衆デモ・暴動が全国規模で発生した。他方、05 年 12 月にイ
-4-
エメンを訪問した世銀副総裁は、今後 3 年間の対イエメン援助予定額を 34%削減すると発
言し、イエメンの経済改革・貧困削減に向けての取組みは厳しい評価を受けた。
06 年 9 月の大統領選挙後、再選されたサーレハ大統領は選挙公約(経済改革、貧困削減、
民主化など)の実施に努力し、右努力は西側ドナー諸国の評価を受けるようになった。現
在も投資環境の改善、行政における透明性の確保、汚職対策、公金管理の強化、政府調達
関連法令の整備、公務員の登録システムは給与改善、省庁改革、社会保障・年金改革等に
取り組んでいる。
06 年 11 月に、英・イエメン共催 GCC 後援という形で開催された対イエメン支援国会
合(CG 会合)においては、第三次貧困削減開発計画(DPPR)及び公共投資プログラム
(PIP2007-2010)に対して参加ドナーより賛同が得られ、目標額の 86%に達する総額 47
億ドルの拠出誓約がドナーから表明された(後に約 53 億ドルまで増額された)。そのうち
37 億ドルが具体的な案件に割り当てられている。右プレッジ額はイエメンの公共投資計画
の必要額の 84%をカバーするもの。
民間外国投資に関して、07 年 4 月にサヌアでイエメン政府と GCC の共催でイエメン投
資促進会議が開催され、アラブ・外国企業 300 社の参加があった。
イエメン政府は遅くとも 2015 年までの GCC 加盟を目指して経済開発や貿易・投資環境
の整備を進めており、また早期 WTO 加盟に向けて我が国を含め関係国と加盟交渉を行っ
ている。
<参考>
○主要産業
石油、農業、漁業
○原油埋蔵量
29億バーレル(07年:BP統計)
○原油生産量
約390万b/d(07年:BP統計)
○ガス埋蔵量
4,900億立方メートル(07年BP統計)
○総貿易額
輸入:56億ドル(06年:Economist Country Report)
輸出:76億ドル(06年:Economist Country Report)
○主要貿易品目
輸出:原油、コーヒー、魚介類
輸入:食料品及び動物(食用)、機械類、化学製品
○主要貿易相手国
輸出:中国、インド、タイ(日本は第7位)
輸入:ア首連、中国、サウジアラビア、(日本は第9位)
(07年:IMF)
○対外公的債務残高 約61億ドル(07年推定:Economist Country Report)
○ODA受取額
約2億8,400万ドル(06年:OECD開発援助委員会(DAC)統計)
-5-
外交
(1)基本的外交姿勢
アラブ民族主義に基づき、アラブ・イスラム世界との連帯強化を目指している。近年は関係
修復を果たした湾岸諸国との更なる友好関係の増進を目指し、将来の GCC 正式加盟を目標にサ
ウジ等と経済関係の一層の強化を図りつつある。
一方、民主化や経済構造調整を進めつつ、西側ドナー諸国との関係強化も図っている。
「テロ
との闘い」の分野でも、米国その他西側諸国との治安協力を緊密化させている。
(2)近隣諸国との関係
【GCC 諸国】
:00 年 6 月のサウジアラビアとの国境画定条約調印(オマーンとは 92 年 10 月
に調印済み)を機に、湾岸危機以降冷え込んでいた GCC 諸国との関係が完全に回復し、産油国
からの経済支援も本格的に再開された。また、01 年末の GCC サミットでは、一部機関(保健
相会合、アラブ教育機関、社会労働相会合、アラブ湾岸サッカー・カップ・トーナメント)へ
の参加が認められ、05 年 12 月のサミットでは、イエメンの GCC 加盟に向けて策定された 10
年投資計画が提示された。
イエメンにとって GCC 加盟は国策の柱であり、05 年閣議にて 2015 年の加盟目標を決定し、
加盟に向けて鋭意 GCC と協議してきているが、GCC 加盟国の中にイエメンの加盟に消極的・
懐疑的な声も少なくなかった。しかし、06 年のロンドン CG 会合における多額の拠出誓約やイ
エメン投資促進会議への積極参加に見られるように、現在はサウジ筆頭に GCC 加盟国は開発支
援、民間投資を通じた経済の底上げなどイエメンの加盟実現に向けた条件整備を支援する姿勢
を強めている。07 年 12 月の GCC 首脳会議でもサウジのアブダッラー国王がイエメンの加盟迅
速化を提案しこれが各国首脳に承認され、現在 GCC 事務局が同事務局の事務所をサヌアに設置
することを検討中である。また、08 年 6 月に開催された GCC 外相会合にてイエメンは湾岸標
準化機構と湾岸工業諮問機構への加盟手続きの早期完了を要請し、現在 GCC 側が作業中である。
CG 会合におけるサウジのプレッジ額は、12 億ドル(全体の 22%)を占め、かつすべてが案
件として具体化している等積極的な対イエメン支援姿勢が伺える。
【イラク】
:歴史的に緊密な関係にあり、湾岸危機後も突出しない程度でそれを維持し、米英に
よる対イラク軍事攻撃に強い反発を示してきた。フセイン政権崩壊後は、イラク情勢に対して
アラブ諸国が統一した立場を構築することが重要であると主張した。また外国軍の即時撤退と
イラク国民の和解によるイラク国民による統治を行うべしとの基本的立場をとっている。
【アフリカの角諸国】
:紅海の入り口であるバーブ・ル・マンデブ海峡を挟む地理的位置にある
ことから、アフリカの角諸国とは歴史的に深い関係にある。アフリカの角諸国の紛争に伴って、
多数のソマリア、エチオピア難民が流入してきている。
95 年 10 月、エリトリアによるハニーシュ群島の武力占領を機に紛争が発生したが、99 年 12
月国際仲裁裁判所により両国間の国境が画定され、エリトリアとの関係を正常化している。そ
-6-
の後イエメンはアフリカの角の安定に向けた積極的な外交努力を行っており、05 年 12 月には
サーレハ大統領の仲介により、ソマリア大統領と暫定連邦議会議長との間でソマリア和解のた
めの「アデン声明」が署名された。
イエメンはソマリア等難民対策のための負担に対応するため我が国を含む国際社会に支援を
求めている。
(3)中東和平
イエメンは一貫して、東エルサレムを首都とするパレスチナ国家建設、公正かつ包括的中東
和平の達成のためのプロセスを支持し、常に親パレスチナの立場をとっている(イスラエルと
は外交関係、通商関係を有していない)。07 年 11 月のアナポリス中東和平会議にはカルビー外
相が出席。
また 08 年 3 月には、サーレハ大統領の仲介の下、ファタハ代表とハマス代表との間で、パレ
スチナ情勢をガザの出来事以前の状態に回復するため、両派の対話再開の枠組みとしてイエメ
ン提案を受け入れる旨宣言が行われた(サヌア宣言)。当初、アッバースPA大統領はイエメン
提案を対話再開の枠組みとして受け入れることを拒否していたが、08 年 6 月 4 日、アッバース
大統領は、イエメン提案に基づく「パレスチナ人民及び祖国の結束への配慮から包括的な国民
対話」を開始するとのイニシアチブを打ち出している。
(4)欧米諸国との関係
米国は、90 年代後半よりイエメンでの地雷除去支援を開始するほか、アデンの米海軍給油基
地で発生したコール号事件後も捜査協力を行った。米同時多発テロ事件後の国際テロ対策にお
いては、治安協力のための軍事アドバイザーを派遣している。イエメンと米国との治安協力・
沿岸警備協力は引き続き強化されている。
ただし、対米関係では、米軍艦船コール号爆破事
件の容疑者バダウィ(07 年 10 月に自首、一度イエメン当局は同容疑者を釈放するも、後に再
拘束)の米への引き渡し等を巡る問題がイエメン・米間の懸案となっている(イエメン憲法は
自国民の外国当局への引渡しを禁止している)
。
蘭、独などの欧州諸国は、伝統的な主要ドナーであり、イエメンは欧米援助国への配慮を払
い、また経済関係一般の拡大に腐心している。サーレハ大統領は、05 年 11 月訪日の後、訪米、
訪仏し、ブッシュ大統領、シラク大統領とそれぞれ会談した。また、07 年 5 月にサーレハ大統
領は訪米し、ブッシュ大統領他と会談している。
(5)アジアとの関係
05 年 4 月にサーレハ大統領が韓国を公式訪問し、貿易投資等の分野で二国間関係強化が図
られている。中国はイエメンにとって重要な貿易相手国(対イエメン輸出国として 06 年はタイ
に次いで第二位)になっている他、対イエメン投資を積極的に展開している。06 年 4 月には外
交関係樹立 50 周年にあわせて大統領が中国を訪問し、経済・技術協力分野での二国間協定(500
万ドル)、無償資金協力(500 万ドル)、借款(2500 万ドル)、対中国輸出に対する特恵関税措
-7-
置に関する合意文書が署名されるとともに、各種開発プロジェクトに対する二国間協力覚書(10
億ドル)が署名された。ニ国間協力の一環として中国はイエメン外務省の建物の新築を支援し
た(費用の 70%を中国が負担)。
我が国との関係
(1)概況
北イエメン
1963 年 5 月
旧北イエメンを国家承認
在北イエメン日本国大使館を開設
1976年
(89 年 3 月まで駐サウジアラビア大使が兼任)
1981 年 6 月
在京北イエメン大使館が開設された
旧南イエメン
1967 年 12 月
旧南イエメンを国家承認
1974 年 5 月
在京南イエメン大使館が開設(82 年 6 月経済的理由により閉鎖)
1977 年 5 月
在南イエメン日本大使館を開設(駐エジプト大使兼任)
1990 年 5 月 23 日
統一イエメンを国家承認し、在北イエメン日本大使館及び在京北イエメン
大使館がそれぞれを代表する大使館となった。
<参考>
○友好議員連盟
日本側:
87年11月設立、会長:空席(休眠中)
イエメン側:00年9月設立、会長:バーシャ国会外交委員会副委員長
○友好協会
日本側:
96年12月設立、会長:空席
イエメン側:90年11月設立、会長:アドバーン氏(実業家)
(01年秋に勲三等瑞宝章を叙勲)
(2)政治関係
イエメンは、湾岸の大油田地帯に隣接するとともに紅海の入り口に面する地政学的要衝に位
置しており、最貧国たる同国の不安定化は湾岸地域全体の安定をも脅かす危険があることから、
我が国はイエメンの安定を重視し、これを積極的に支援している。
我が国とイエメンの間には特段の政治的懸案はない。イエメンは国際社会における我が国の
役割が強化されるべきとの一貫した立場を示しており、特に 05 年のサーレハ大統領訪日時の共
同プレス文書において、イエメンは我が国の常任理事国入りを公に支持した。また、各種国際
機関選挙においても我が国を非常に積極的に支持している。
-8-
<参考>
主な要人往来(1999 年以降)
99 年 3 月
来訪
サーレハ大統領(公式実務
訪問)
00 年 5 月
99 年 8 月
ワジーフ石油鉱物資源大臣
00 年 9 月
01 年 11 月
アハマディー漁業資源相
福田康夫日・イエメン友好協
会会長(当時)
02 年 1 月
スーファーン計画開発相
01 年 8 月
丸谷佳織外務大臣政務官
02 年 3 月
カルビー外相(外務省賓客)
02 年 9 月
杉浦正健外務副大臣
04 年 3 月
イリヤーニ水・環境大臣
05 年 3 月
河井克行外務大臣政務官
05 年 2 月
アルシャリーフ最高選挙委
員長
06 年 7 月
伊藤信太郎外務大臣政務官
08 年 6 月
宇野治外務大臣政務官
05 年 11 月
サーレハ大統領(実務訪問
賓客)
07 年 8 月
ウバード青年スポーツ相
08 年 3 月
バハーハ石油・鉱物資源相
08 年 4 月
アルハビー副首相(経済担
当)兼計画・国際協力相
往訪
小沢辰夫特使(統一 10 周年
記念)
(3)経済関係
両国間の貿易関係は、統計上規模は大きくないが、イエメンには近隣諸国を通じて大量の日
本製品が流入している。02 年にはアムラン・セメント工場拡張計画(160 億円)を日本企業が受
注した。また、05 年には LNG プラント及びパイプライン建設を日本企業が受注し、JBIC が内
外の金融機関とともに同事業への融資を決定している。LNG 輸出量は年間 670 万トン、輸出先
は韓国及び米国。
貿易、投資関係は未だ限定的。08 年 4 月、サヌアにて日本企業を対象とした日・イエメン・
ビジネスワークショップをイエメン政府が開催し、日本企業 22 社 30 名が参加するなどイエメ
ンは日本企業の投資に期待。
<参考>我が国の対イエメン貿易(06 年:IMF)
○貿易額
輸出:2億400万ドル
輸入: 2億5,000万ドル
○主要品目
輸出:機械類、自動車
輸入:石油、コーヒー
○原油輸入
2万B/D(我が国の原油総輸入量の0.5%)(05年:石連統計)
(4)経済協力関係
我が国は、イエメンにおける経済社会開発推進のための援助需要が高いこと、世銀・IMF の
支援を得て構造調整プログラムに前向きに取り組んでいること、民主化プロセスが進展してい
-9-
ること等にかんがみ、無償資金協力及び技術協力を中心に積極的に援助を実施してきている。
重点分野は、国民に直接裨益する基礎生活分野、①地方の水道整備、②保健・医療(特に母子
保健、結核対策)、③基礎教育・職業訓練である。
他方、イエメンは重債務貧困国(Heavily Indebted Poor Country)であることから、96 年 9
月のパリクラブ合意により債務削減対象国となった。我が国も 1997 年 10 月、98 年 6 月、2002
年 7 月と計 3 回の債務削減及び 2004 年に債務免除を実施したことから、新規円借款の供与に
は慎重な検討が必要な状況にある。06 年 11 月のロンドン CG 会合においては、わが国はプレ
ッジしなかったが、イエメン側よりこれまでの我が方支援及び本国からの出席に対して謝意が
述べられた。
05 年に青年海外協力隊の派遣が再開された(07 年 5 月 10 名派遣)。また、06 年 6 月サナア
にて経済協力に関する政策協議が実施され、双方が上記の重点 3 分野を確認した。
<参考>
◎最近の援助実績は以下のとおり。
年度
有償
無償
技協
合計
1997
(10.62)
39.93
2.18
52.73
1998
(24.65)
65.20
2.34
92.19
1999
0.00
29.98
2.72
32.70
2000
0.00
28.20
3.09
31.29
2001
0.00
15.52
2.49
18.01
2002
0.00
35.94
2.45
38.39
2003
0.00
15.18
2.58
17.76
2004
(64.18)
4.67
2.56
71.41
2005
0.00
2.74
3.47
6.21
2006
0.00
11.63
4.66
16.29
累計
608.49
602.22
80.92
1291.63
(注)単位は億円。有償・無償はE/Nベース、技協はJICA経費ベース。有償の括弧内
の数値は債務削減・免除額。
◎
DAC 諸国の対イエメン ODA 実績での我が国の位置づけ
(百万㌦)
年
2000
2001
2002
2003
2004
2005
1位
56.99
米国
29.78
米国
オランダ 40.78
32.96
ドイツ
43.69
米国
31.0
ドイツ
2位
オランダ
オランダ
ドイツ
オランダ
ドイツ
オランダ
34.43
28.73
28.36
28.73
35.83
23.7
ドイツ
ドイツ
米国
日本
日本
英国
3位
31.82
27.27
25.62
28.49
32.43
15.1
- 10 -
4位
日本
日本
日本
米国
オランダ
米国
5位
28.7
21.98
13.96
23.1
29.84
13.1
フランス
スペイン
英国
スペイン
英国
日本
7.41
4.15
7.77
8.6
12.66
6.3
計
168.69
120.03
129.84
131.92
168.21
134.66
◎
イエメン開発指数(中東アラブでは唯一の LDC)
・イエメンの一人当たりの国民総所得(GNI):760 ドル(2006 年:世銀)
・人間開発指数(HDI):世界 151 位
・絶対貧困人口(1 日 1 ドル以下):全人口の 15.7%
・貧困ライン以下(1 日 2 ドル以下)人口:全体の 45.2%
・失業率:40%
・非識字率(15 歳以上):51%
・初等中等教育就学率:55%
・外国の開発援助額は人口一人当たり年間 12.7 ドル(UNDP)
(4)文化交流
イエメンは伝統的で保守的な社会であり、また、識字率等も低いため、比較的文化交流が実
施しにくい環境にあるが、概してイエメン人は親日的であり、対日関心も高く、今後の各種文
化事業の拡大が期待される。
2005 年イエメンは愛知万博にも参加し、皇太子殿下も訪問されたイエメン・パビリオンは好
評を博した。
2007 年 11 月にはサヌアにて初めての「日本文化週間」が開催され延べ 4 日間でのべ 3,000
人の市民が参加した。治安状況が不安定にも拘わらず、最近我が国メディアでイエメンの世界
遺産等が取り上げられる機会が増えたこともありイエメンを訪問する邦人旅行者数も近年は増
加傾向にある(2006 年 2,408 人)。
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