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2908 木下樹親様
103 ロベール=ショヴァン編『セリーヌになる』 木 下 樹 親 セリーヌは関連書籍の刊行が比較的多い作家である。2009 年も研究を進める うえで重要な出版が相次いだのだが,わけても 10 月に公刊された 2 つの書簡集 は群を抜いていた。ひとつは,セリーヌのプレイアッド版最終巻となる『書簡 したた 集』だ 1)。これは 1907 年から 61 年に至る期間に彼が認めた膨大な量の書簡を まとめたものである。収録書簡のほとんどは宛名人別の単行本(初出が少部数 発行の稀覯本もあり)や『カイエ・セリーヌ』シリーズなどで公表済みなのだ が,精密な読み直し作業による修正と附註を施したうえで年代順に配列されて いる。編者は,セリーヌのみならずジオノやクノーのプレイアッド版編纂者と しても定評のあるアンリ・ゴダールと,1990 年から続く情報誌『セリーヌ年鑑』 の版元デュ・レロ出版のジャン=ポール・ルイ。コレクターの手に渡った自筆 稿を閲覧する苦労を熟知するゴダールは「セリーヌの書簡全集出版の試みは時 期尚早であろう」と述べているが 2),2 名のスペシャリストによる本書簡集が現 時点で最も整備された資料体であることは間違いない。そしてもうひとつが, 本稿でとりあげるヴェロニック・ロベール=ショヴァン編『セリーヌになる』 である 3)。編者は,ダンス教師であったセリーヌ未亡人リュセット・デトゥー シュの弟子にあたる人物で,かつて彼女が夫の回想記を出版した際も聞き取り 等の補助を務め,著者に名を連ねている 4)。実は,本書の書簡はプレイアッド 版『書簡集』にも収録されたのだが,全て未発表資料で構成された初出書であ ることにくわえ,題名が示すとおり,青少年期のルイ・デトゥーシュ(以下, ルイと略)が『夜の果てへの旅』の作家になるうえでの不可欠な素材=体験を 赤裸々に記した文章が含まれていることもあって,重要度はきわめて高い。 本書収録の書簡は,発信年月日とルイの滞在地によって,次の 8 つに分類で きる。① 1912 年 11 月から 14 年 7 月,ランブイエ,② 14 年 8 月 1 日から 10 月 27 日,ラ・ムーズおよびフランドル,③ 14 年 11 月,アズブルック,④ 14 年 104 12 月 1 日から 15 年 5 月,パリ,⑤ 15 年 5 月から 16 年 3 月,ロンドン,⑥ 16 年 4 月から 5 月,パリ,⑦ 16 年 6 月から 17 年 4 月,カメルーン,⑧ 18 年 3 月 から 19 年 7 月,レンヌおよびボルドー。18 歳から 25 歳のときのセリーヌの実 態を伝える全 122 通の内訳は,ルイによる書簡が 48 通,他者からルイへの書簡 が 30 通,他者からルイの両親への書簡が 41 通,私信とは言えぬものが 3 通で ある 5)。 まずルイによる書簡をいくつか拾ってみよう。この書簡集は元々,彼の両親 が保管していた資料であるため,ルイのもほとんどは彼らに宛てたものである (両親に 40 通,父に 6 通)。そのうち,36 通が上記区分の ② から ③ に,10 通 が ⑦ に分類される。前者の場所はルイが第 1 次世界大戦に従軍した戦場とそこ で被った右腕の銃創の治療を受けた病院であり,後者は除隊後,彼が森林会社 の農園監視官として赴任した先の土地である。総じて,親元から離れれば離れ るほど,苦難が大きければ大きいほど,ルイは多くの,あるいは長い書簡を両 親に送っている 6)。 ② の時期の書簡で目を引くのは,例えば,出くわしたドイツ兵を殺害したこ とを意気揚々と報告する部分であろう(日付なし,14 年 9 月 17 日着信)。しか も,その書簡には当該兵士の軍隊手帳が戦利品として同封されていた。もちろ ん万事良好な状態ばかりが続くものではなく,進軍する第 12 連隊は砲弾にさら され,死傷者が増えていくだろう。ルイは周囲に広がる〈死〉を恐怖と忌まわ しきものとして認識する──「村はあるのですが近づけません。それほど漂っ てくる臭いがひどいのです。死体が入っていない井戸はないくらいです」 (同年 9 月 15 日)。そして伝令の途中で銃撃を受け,前線からの後退を強いられる。 それでも ③ の時期,右腕の切断を拒否して電気治療等を受けるルイは,慣れな い左手でペンを執り,両親を安心させる言葉を書き連ねているが,乱れた文字 からは生涯続くことになる苦痛に耐える様子が垣間見えて大変痛々しい。とこ ろで,本書には入院中の兵士を慰問したある女優からの書簡が 1 通含まれてい る(15 年 5 月以前)。それは,彼女に同行した女友達にたいして戦線復帰を誓っ たルイの勇猛果敢さに感銘を受けたことを伝える内容であった。編者はそこに 反抗の作家セリーヌにまだなってはいない若者の姿を見るが 7),彼の内面では すでに, 『夜の果てへの旅』で愛国心を誇示したバルダミュのように,茶番の演 技を体得していたかもしれないと考えることもできるのではないか。なにしろ 105 ルイは看護を担当した 40 歳にならんとするアリスなる女性と恋愛関係を築くし たたかさをもち合わせていたのだから。 いっぽう ⑦ のアフリカからの書簡には,編者も指摘するとおり,「すでに変 容された現実であり,紛れもない小説のシーンだ」と呼びうる文章が少なくな い 8)。 「僕は常軌を逸した事柄をたくさん見ましたが,それについては改めてお 話ししましょう」 (16 年 7 月 14 日)という予告どおり,例えば,フライドポテ トばかり作る奇矯なスウェーデン人や,悲劇的な死を迎えたイギリス人探検家 の詳細を両親に伝えている。特に後者にかんする話では,現地のコオロギの耳 を聾さんばかりの鳴き声の誇張的比喩などに,のちのセリーヌの片鱗をうかが うことができるであろう。またルイは「孤独のあとには,明らかにもっと辛い 生活という新たな一章があります」 (同年 9 月 27 日)と記している。これは缶 詰のみの単調きわまりない食事の耐え難さを嘆く文章であるが,心身ともに慣 れない熱帯気候のなかで奮闘する若者のやるせない心情の吐露に他なるまい。 そして母国への郷愁──「燕がフランスから到着したところです。ヨーロッパ 人の小屋を見つけ,周囲を倦むことなくまわり続けています。〔…〕こうして冬 の間は留まるのですが,春になるとそちらに戻ってしまうのでしょう。僕をひ とり残して」 (同年 10 月 13 日)。しかし,こうした体験が彼に自己省察の好機 をあたえ,ひいては『夜の果てへの旅』におけるアフリカのおぞましくも詩的 な描写を可能にしたのである。付言すれば,疫病予防の薀蓄を語り,パストゥー ル研究所のメチニコフ博士の死に言及する姿に,やがてロックフェラー財団に 雇われて結核予防を講演し,さらにレンヌ大学で医学を修めるルイの意志の萌 芽を認めても差し支えあるまい。 さてルイからの書簡に次いで,他者から彼の両親への書簡が多いことは先述 のとおりだが,これは,親元を離れて暮らす一人息子の消息を得るためにデ トゥーシュ夫妻が尽力した結果である。つまり,彼らは息子のそばにいて通信 の労をとれる人物を見つけるや,近況を伝えさせたのだ。書簡は出征中の時期 ①~③ に集中していることから(通信役のなかには叩き上げの騎兵がいて,単 語の綴り間違いと無骨で味気ない表現が目立つその書簡からは,軍人の実相が 想像できて興味深い),戦争という極限状況に放りこまれた息子を心配する親心 が如実に看取できる。また届いた書簡は,ときには父によって到着日が記入さ れ丁寧に保管されていたという。そして 1951 年,セリーヌが無罪放免され, 106 リュセットとともに軟禁状態にあったデンマークから祖国に戻ったのち,母方 の叔父からこの書簡の束が彼に手渡されたのだ 9)。さらに作家の死後,半世紀 近くものあいだ,これを大切に保存してきた未亡人。本書の成立過程を見ると, セリーヌの親族が彼に深い愛情を抱いていたことがよく分かる。 以上,本書の内容を略述したが,セリーヌの伴侶が満を持して公刊に踏み切っ た一級資料であるだけに,素直に喜びを表したい。 註 1 )CÉLINE, Lettres, édition établie par Henri GODARD et Jean-Paul LOUIS, coll. « Bibliothèque de la Pléiade », Paris : Gallimard, 2009, XLIV + 2036 pp. 2 )Henri GODARD, « Note sur la présente édition », in ibid., p. XXXV. 3 )Devenir Céline, édition et postface de Véronique ROBERT-CHOVIN, Paris : Gallimard, 2009, 216 pp. 4 )Véronique ROBERT avec Lucette DESTOUCHES, Céline secret, Paris : Grasset, 2001, 168 pp. 邦訳は『セリーヌ──わたしの愛した男,踊り子リュセットの告白』高坂 和彦訳,河出書房新社,2003 年。 5 )最後の 3 通はいずれも ⑧ に分類され,ロックフェラー財団の一員として結核予防の 講演活動をはじめたルイの原稿,レンヌ控訴院裁判長によるアメリカの結核予防委 員会会員の歓迎挨拶,そして講演実施を報告する通達である。 6 )いっぽう,ロンドン滞在中はルイの書簡が見られないが,それは,小説『ギニョル ズ・バンド』に描かれたように,彼が現地のやくざ社会や売春婦たちと知己を得て, その享楽に耽っていたことと無関係ではないようだ。 7 )ROBERT-CHOVIN, « Postface » de Devenir Céline, op. cit., p. 174. 8 )Ibid., p. 179. 9 )セリーヌの父フェルナンは 1932 年,『夜の果てへの旅』出版の数か月前に,母マル グリットは彼がパリを脱出しドイツに滞在していた 45 年にそれぞれ死去している。