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1 部 50 円(消費税込・送料別) 発行所/天台宗出版室 発行人 / 出版室長 工藤 秀和 〒520- 0113 大津市坂本4- 6- 2 天台宗務庁内 電話 077-579-0022(代) E メール/ [email protected] 托鉢とは、本来僧侶が自分 親の信仰心の厚い背中をみ て、英霊の御魂に回向を捧 げ続けようと決心したとい 宗祖大師の発願文 に う。 ﹁生ける時善を作さずんば 始る。昭和十八年、二十一 内を一周し、主人の一日が とあるが主人は、﹁善行﹂﹁信 歳で兵役に招集され、ビル 石 段 を 登 り、 観 音 堂 境 有余年継承されている回峯 仰 ﹂﹁ 健 康 ﹂ を 心 の 糧 と し 比叡山無動寺谷では、千 行が、僧侶の捨身の荒行と マ、台北と南方前線激戦地 ねたように、春夏秋冬、雨 大袈裟だが、暁天を待ちか り、﹁ ミ ニ 回 峯 ﹂ と い え ば 人 が い る。 半 世 紀 に わ た を営んでいる八十三歳の主 私寺の門前に、鯉料理店 後の混乱、亡き戦友を思う 船、故郷に復員したが、戦 翌 年 の 八 月、 佐 世 保 に 下 て終戦を迎えた人である。 も散る中、九死に一生を得 も戦場で桜衣と散り、戦友 ﹁謂うは易し、行い難し﹂ ながらも の心を持ち続けたいと念じ 中で善行を積み重ね、感謝 て、今なお健在である。 獄の薪とならん﹂ 死する日 して、今なお、実践されて を点々とする中、実兄二人 お釈迦様が托鉢をしていた の日も風の日も、心経を唱 である。 たよ﹂と言うと﹁その人 誰?﹂と聞かれた。そん なことを言っても、かつ ては我々も、大人から今 の若者と同じように言わ れていたのである。流行 り廃れは世の常だ。しか し、大人になれば、どん な流行にも左右されない 世界があることに気づか されるのである。 いる。 とき、農夫から﹁人に恵んで 悲哀、生活困窮の日々の中 もらわずに、自分で耕して食 え、参道の空きカン、ゴミ で、心の灯を失いつつあっ に前進するのみである。 に、コツコツと牛歩のよう そ れ で も、 肩 を 張 ら ず 私自身も、日々の生活の べろ﹂ と言われ、 お釈迦様は、 を拾いつつ、今日も寺に参 た。 最近の若い人たちの服 装を見るとおしゃれの感 覚がまるで違うことを痛 感する。 シャツをズボンの外に 出すのは、だらしなかっ たのに、今は格好いいの だ と い う。 ﹁三島由紀夫 は決してアロハシャツと いう言葉を使わず、たら しワイシャツと呼んでい ﹁ 信 仰 が 種 で あ り、 修 行 は 拝すること一万八千余日を しかし、幼き年より、両 数える。 雨、智慧が人々の心を耕し、 を越え、 衣食住に﹁少欲知足﹂ このことは、托鉢が、執着 全ての苦悩からの解放を実ら せます。私は、托鉢をするこ いるのです﹂と答えたといい とで、信仰の種をまき耕して 廻り、信心の布施を頂戴し、 も併せて行います。長期にわ を旨とし、人々が僧侶に金銭 たって実施することのできる ます。 天台宗では、皆さまが喜捨 よう今月十二月中を﹁地球救 自らの糧とする修行です。 今月 十二月は、全国一斉托鉢の月です。 天 台 宗 で は ﹁ 地 球 に 慈 愛 の 灯 を ﹂ を ス ロ ーガ ンに、毎年全国で﹁天台宗全国一斉托鉢﹂を展開 しています。十二月一日には天台宗と総本山延暦 寺をはじめ、各天台宗教区・寺院で托鉢を行いま す。皆さまの浄財をお待ちしています。 2004 年( 平 成 16 年 ) 12 月 1 日水曜日(毎月 1 日発行) の鉢を持って一般在家の宅を された浄財を、社会福祉施設 や食物を施す善根 布 ( 施・ 財 やNHK歳末助け合いなどに 施 を ) 積ませる尊い行為であ ることを教えています。また 援募金強化月間﹂と定めてい 冬到来に備え本格的復興が 待たれる︵兵庫県・日高町︶ ます。 ます。ご協力をお願いいたし 寄託しております。 被災された方々への救援募金 また本年は、天災により、 托鉢は、僧侶が在家者に法を 説く布施 法 (施 と ) 一体にな っています。 寒風の中、托鉢に向かう僧侶 今なお地震の爪痕が至る所に 残る(新潟県・小千谷市で) ごくみ 極 微 ! 第21号 平成 16 年 12 月 1 日 水曜日 毎月 1 回発行 (毎月 1 日付) (平成 16 年 4 月 20 日第三種郵便物認可 郵業認第1号) 1 托 鉢 朝晩、めっきり冷え込むと 思ったら、もう師走である。 天台宗出版 室長 御支援を、有り難いことだと 思う。 工 藤 秀和 終わりのインドの奥 久しぶりに雨期の で、朝寝坊にはお目にかかること 象は日が昇る早朝のほんのひと時 てゆく。インドの公園でもありき 見かけた草木が急ぎ足で姿を消し かったのだが、かつてはどこでも 絢爛と咲く植物をじっくりと見た りものだ。ジャングルや、野山に しく降り注ぐ雨は植物に嬉しい贈 洗濯ものは乾かないが、連日、激 と同様に日本列島から激減してい ような個性豊かな植物は人間さま に分布し、栽培も容易だが、この 西の太平洋側と四国、九州の山地 ン語の学名がつけられた。関東以 スケァ・ジャポニカ﹂というラテ 藤圭介さんが発表したので﹁ケイ 寄せ草。明治初期、植物学者の伊 福寺︵安藏玄周住職︶では、 たり、滋賀県甲賀市にある泉 トル四方の巨大なもので、計 金剛界、胎蔵界各面が五メー て、この度発願されたもので、 千二百年慶讃記念事業とし がない情景だ。 たりの園芸植物が盛んに植えら る。小僧時代見かけなかったもの 本尊子安延命地蔵尊の十七年 千八百七十五尊の仏像が彫ら シ ソ 科 シ モ バ シ ラ 属、 別 名 雪 地を一カ月ほど一人 れ、ジャングルや疎林で見かけた の、叡山の環境では群生している 目の中開帳が奉修された。ま れる。鑿入れ式では、仏師服 ㌫。 固有の草木がめっきり減った。 場所もあるだろう。植物好きだっ た十七日には、住職晋山式、 旅した。湿度 シモバシラは日本固有の花だ。 た父のメモにもこの花の記載は見 滋賀院門跡井深観譲大僧正を 総出仕による開宗千二百年慶 大導師に迎え、部内寺院住職 き、有縁信者も五年後の完成 部俊慶師の鎚音が堂内に響 こ の 両 界 曼 荼 羅 は、 開 宗 秋にシソの花を大きくしたような あたらない。 分が毛管現象で茎を通して吸い上 十月十六日から九日間にわ 白い花が咲く。枯れると地中の水 げられ、写真のような白い氷の結 ︻滋賀=梅中堯弘通信員︼ を願って鑿を入れた︵写真︶ 。 典、祝賀会など終日悦 讃法要、さらに木彫両界曼荼 伝教大師ゆかりの広 済院︵岐阜県中津川市︶ で は、 遺 跡 顕 彰 碑 の 玉 垣 が 改 修 さ れ、 十 一 月 二十三日の例祭におい て関係者に披露され 樹同教区宗議会議 福武安文・小暮道 ンカの美しさが、一層きわだ り従来より一回り広い玉垣が完成 晃氏が、土地を寄進したことによ 今回、遺跡を管理している島崎 般参拝者に振る舞われた。 祉法人萱垣会のお年寄りたちや一 われ、式典に随喜していた社会福 行なわれ、記念式 にはじまる法要が ︻栃木=関純真通信員︼ また、晋山式では、 これまで同寺を守り続 遺 跡 法 要︵ 写 真 ︶ が 執 行 さ れ た。 員等が臨席し、大 正直に申し上げれば、楽に びに包まれた。 ︵黒 貞伸住職︶で、 県宇都宮市の寶藏寺 広 済 院 は、 伝 教 大 師 けていた貞伸師に、旭 た。 十月三十一日、栃木 羅の鑿入れ式が厳修された。 本堂・庫裡書院の落慶 晶ができあがる。ただし、この現 私どもは、般若心経を唱え て 各 家 を 回 っ た り、﹁ お 願 い が、弘仁八年︵八一七︶ しまーす﹂と声をかけたりし 岡所長から法燈が伝承 ながら、街頭に立ったりする。 法要並びに住職晋山式 旗を立てて、数人で回ったり、 が、 盛 大 に 厳 修 さ れ 全国で天災による被害が相次 止み、旭岡聖順栃 に比叡山から東国巡化 いだ年であった。寒さがつの と信濃の国境である神 木教区宗務所長、 に赴かれた時に、美濃 今年最後の原稿になった。 年早いものだなあ﹂と思う。 一人で行ったりする。地下足 坂峠を越える旅人の難儀を見かね 開式の辞に始まり、山本光賢総本 された。 り、雪が降る時、被災された 袋を履いたり、時にはスニー て、信濃側の広拯院と同時に無料 山延暦寺参拝部長が導師となって 宗祖大師遺跡顕彰会では、開宗 また、萱垣光英願王寺住職の経過 勢の檀信徒が見守 当日は、前日の雨も 今年四月に、広報天台を復 人々のことを考えると、じっ カーの若き僧侶もいる。格好 宿泊所を建立されたのが始まり。 千百五十年記念として昭和三十三 報告に続いて島崎氏と施工業者に る中、法縁寺院住 今年を振り返ってみると、 したものである。 活させて、本紙をリニューア としていられない気持ちであ は、少々野暮ったいかもしれ まのお志が、困っている人に 年に広済院跡に顕彰碑を建立。続 感謝状が授与された。天台宗から 職が出仕のもと詠 当日は、小山健英顕彰会会長の ルした。 それから本号を九回、 る。 た。 正月増刊号を一回、天災の号 一斉托鉢﹂が行われる。また 届くように托鉢に歩きたい。 いて、伝教大師一一五〇年遠忌記 は、壬生照道一隅を照らす運動総 ないが、気は心である。皆さ 今月は﹁地球救援募金強化月 毎年寒風の中を歩いている 念の昭和四十五年には石灯籠一対 今月一日には﹁天台宗全国 間﹂でもある。各地を托鉢僧 と、皆さまから寄せられる暖 本部長が授与に当たった。このあ 外を一回と、計十一号をリリ 発刊できたことは一度もな が歩く。皆さまのご協力を心 を建立し、毎年例祭を執行するな ースさせた。 い。素人の悲しさで、編集に かい気持ちが冷えた体を温め って見えるのも托鉢の時であ 歌和讃の稚児行列 よりお願い申し上げたい。 ホーイ﹂と声をかけて、家々 る。 と出仕全寺院によって餅投げが行 を回られる。素足に草鞋履き ど顕彰に努めてきた。 から提供される記事が月ごと で、背筋の伸びた姿は美しい。 てくれる。時折みかけるサザ に増加し、新年号は予想以上 だが、購読者が増え、各教区 に購買して頂いた。皆さまの 禅宗の僧侶方は﹁ホーイ、 は、毎月悪戦苦闘している。 月並みで申し訳ないが﹁一 98 2 平成 16 年 12 月 1 日 水曜日 (第三種郵便物認可) 第21号 を祈った﹁比叡山宗教サミッ 六十五歳以上という年齢制限 僧正に補任されるためには、 宗と現代社会の問題を探って ム真理教問題など、常に天台 宗務総長時代には、脳死問 ト﹂のインパクトが強い。 十月二十八日の宗議会で、 がある。 題、死刑制度廃止問題、オウ 天台宗宗機顧問に新しく選ば れた。 役職で、五人で構成される。 諮問に応ずる天台宗の最重要 することが不可欠と考えてき 会議員になって発言権を確保 想を実現するためには、宗議 時代から、天台宗の中央で理 視点から社会問題を考えてい 員会委員長で、やはり宗教の 仏教会の宗教教育推進特別委 日本委員会事務総長、全日本 現在、世界宗教者平和会議 杉谷師の場合、枕詞は﹁天 た。それまで古い体質だった 来た。 台宗最年少﹂ 。三十三歳で る。 初代天台仏教青年連盟代表 宗 議 会 議 員 に 初 当 選 以 来、 宗議会に、議会運営委員会な 宗機顧問とは、天台座主の 四十七歳で宗議会議長、天台 どの制度とルールを持ち込ん し か し、 何 と 言 っ て も 開 く 日 々 で あ る。 ﹁退屈では 法話をし、月に一度写経会を に般若心経、観音経を誦え、 に朝八時に出勤し、信者と共 四十五歳の時に事務局長とい ありませんか?﹂と聞くと怒 蟹というのは、牛飼の童たちが 理解はこの程度だったのでしょ います。平安時代の人々の仏教 この仏教説話はおかしいと思 刃一閃のおもむきがある。 せん﹂。言葉遣いは優しいが、 おろそかにしては何もできま 宗の代表役員である宗務総長 だのも、この人。 普段は、寛永寺の両大師堂 就任は五十一歳というタイト の権大僧正。大僧正位以外か うしきり役で、世界の宗教代 ルホルダーで、現在六十二歳 ら、宗機顧問職が選ばれるの 表者を比叡山に集め世界平和 ら れ た。﹁ 世 界 の 平 和 と い っ は初めてである。ちなみに大 ても、突き詰めればひとりひ 蟹を焼いて食おうとしていたの うが、このような考え方は仏教 かないが、イラクや、中東を とりの心の中にある。足下を を、女が自分の衣と交換して買 の教理ではありません。できも みるまでもなく、平和の達成 わらべ と こ ろ で、 ﹃日本霊異記﹄に い取り、逃がしてやったもので しない約束をして、困れば仏に と維持は、きれいごとではな りょういき は、 こんな話があります︵中巻・ す。だから、これは蟹の恩返し 助けを求める。そして、相手が とくや もうとしているのを見て、その 蛙を助けてやってくれるように いしているゆえんである。 本紙のコラムニストをお願 いると思われる。 ようなリアルな考えに立って マンではなく、おそらくこの 社会問題を考えるときは、ロ である。宗教者だが、平和や とリアリストが混在する性格 る。杉谷師は、ロマンチスト 練手管がいる﹂と述べてい ﹁ 風 塵 抄 ﹂ の 中 で﹁ 平 和 と 司馬遼太郎はエッセイ集 は、理想的なイメージしか抱 平 和 に つ い て、 我 々 凡 夫 第十二︶。 ﹃日本霊異記﹄は、平 なんです。 困ろうが、そんなことは自分の い。 安初期の仏教説話集です。 さて、読者はどう思われます 知ったことじゃないと思ってい さるがいし ある女が、大蛇が蛙を飲み込 頼み、交換条件に、 か ? 徳弥と女と、二人とも相 る人が現代にもいます。そんな は、まことにはかない概念で た乞食の母娘を言いくるめて、 ﹁わたしがあなたの妻になり 手を騙したことに違いはありま 自分勝手なご利益信仰を仏教が ︵略︶平和を維持するために いう男の家が流されそうにな り 死ぬよりましだと、親子が一緒 * その娘を川の主にやることにし ます﹂ せん。ところが、民話の方では 説くのであれば、わたしは仏教 は、人脂のべとつくような手 岩手県遠野市に伝わる民話 ました。乞食の母親は、立派な と申し出ました。蛇はそれを 騙した徳弥が悪者にされていま 者であることを恥ずかしく思い に、こんなのがあります。 大雨が降って、普段はおと な 着物をきて、大勢の村人に見送 承知し、蛙を吐き出しました。 すが、仏教説話だと騙された蛇 ます。そこで徳弥は、川に向 か しい猿ケ石川が増水し、徳弥と られて死ぬのは、乞食のままで だが、女は蛇の妻になる気は ます。 ありません。約束の日に蛇が迎 えにやってくると、女はぴっし りと戸を閉めて、熱心に仏に祈 すると、そこに八匹の大蟹が が悪者にされています 。 に犠牲になってくれました。 た。 それで徳弥はほっとしまし って大声で、 ﹁ 川 の 主、 川 の 主、 娘 を お ま えにやるから、俺の家を流さ な やってきて、そのはさみでもっ りました。 で す。 乞 食 の 母 娘 が 死 ん だ 翌 て大蛇をずたずたに切断してく でも、やはりそれは約束違反 と叫びました。すると、そ の 日、徳弥の娘がぽっくり死んで れました。じつは、その八匹の 声が川の主に聞こえたらしく 、 * しまいました。 いでくれ!﹂ 川はたちまち減水しました。 ひとみごくう だが、あとで徳弥は後悔し ま す。十八歳の娘を人身御供にす るなんてできません。それで 、 ちょうどそのとき村にやって 来 (カット・伊藤 梓) 平成 16 年 12 月 1 日 水曜日 (第三種郵便物認可) 第21号 3 仏教では「生老病死」という。生れて、老いて、病んで、死を迎えると いう自然の摂理のことである。病と死に直面する医療、葬儀を司る宗教と 思われがちだが、その両者とも「人がよりよく生きる」ことを最大の目標 とする。よりよい生、よりよい死のために、宗教と医療の最前線はどう考 えているのか。野中博日本医師会常任理事と浦井正明寛永寺執事長に語り 合ってもらった。 者に大きな負担がかか か り ま す。 こ れ で は 患 週 三 回、 四 ∼ 五 時 間 か 工透析の治療は昼間に し た。 そ の 当 時 は、 人 の必要に迫られてきま る こ と を 考 え、 ま た そ り戻すべきだと思いますね。 患者さんの心と触れあう部分を取 る、これが大事なんじゃないか。 業医が、患者さんの相談相手とな 思うのです。地域の身近にいる開 行くだけで患者さんは安心したと 来なかったと思うのですが、父が 術では、そんなに高度な医療は出 うした大学病院勤務の は、大変心強く思います。 師会の理事でいてくださること ね。そういうお考えの先生が、医 宗教者としても同感です り ま す。 そ こ で 夜 間 に 透析することを考え負 経験は、いま地域に戻ってきて、 担 を 軽 減 し ま し た。 そ 浦 井 患 者 と 接 し、 在 宅 介 護 な ど を 通 して、患者の生活を見ることに役 宗教から、人の生と死に拘わって 人生のサポートとなっていますよ ておられる毎日の活動は、人々の 題もあります。本当は自宅で生活 ね。私たち医師も、患者の人生の 野 中 立っています。浦井先生が行なっ います。世間からは、医療の側は したいけれど、治療のためには病 野中先生も、私も医療と 病気を治し、宗教の側は死後のこ サポートを診療所でやらなければ 浦 井 とが中心のように思われています ならないと思っています。 っておられます。まず医師の立場 き、どう老い、どう死ぬかに拘わ だ け を 扱 う の で は な く、 ど う 生 事しておられる野中先生も、病気 都会で往診をされているというこ なってきているようです。この大 す。最近は地方でも往診が少なく の に、 往 診 治 療 を な さ っ て い ま 教本来の教えです。地域医療に従 浦 井 野中先生こそ、お忙しい とで、どう生きるかというのが仏 とは、非常に珍しいことではない 分があります。医療は、二十四時 ん。この点で、誤解されている部 治療でも出来るわけではありませ せん。ところが、在宅ではどんな 医療を視野に入れなくてはなりま かを考えながら、訪問診療、在宅 うした患者のニーズにどう答える 院を退院できない人もいます。そ 現状の医師には多くの問 が、実は死後のことは二義的なこ からお話頂きたいと思います。 頃、 透 析 医 療 の 現 場 に お り ま し 野 中 私の父も医者でして、電 酷なことになります。そのため、 って、特に診療所医師には大変苛 ればなりません。これが医師にと 間、三百六十五日体制を組まなけ のですか。 話があれば夜でも往診に出かけて あらゆる面でサポートできるシス かつて、大学病院にいた た。その頃は、治療しても、助か いました。子ども心に﹁カッコい 野 中 るか助からないか解らないような いなぁ﹂と思いまして、それが私 テムを作らなければと奮闘してい 時 代 で し た。 そ の 時 代 か ら 考 え と思いますし、患者にやさしい医 ます。 療を提供することが本当の姿だと が医師を志した動機のひとつなん 術 を 駆 使 す る た め に、 思います。 です。今から考えると、当時の技 病院に入院する。しか る数をこなさなくては ールメリット、いわゆ に、今の医療側はスケ ない医療、人間関係がない宗教な んてありませんよね。人間関係が なれば、もうそこには人間関係な さんを診られるか、ということに だけになります。一日に何人患者 競争原理でいくと、効率 成り立ちません。死や んて、異常ですよね。 家族の側の人間関係もあ 老いという個人的な問 いできた事があります。 く、病院で迎えるものになってい き て い ま す。 死 は、 自 宅 で は な 常生活から隠されるようになって 初めてお宅を訪れ、家族構成も何 えます。檀家さんが亡くなられて からすれば、葬儀でも同じ事がい 関係がない医療が問題だと。我々 とってもやさしい医療の基礎にな くてはいけません。それが、誰に うのか、その原因が何かを考えな 惑だと考える。どうして、そう思 て介護が必要になると、老人を迷 迷惑だとは思わないのに、年老い る。子どもを育てることは、誰も 野 中 題にきちんと対峙しな と も 思 え ま す。 そ れ 浦 井 関係が分断されている し一方で、家族の人間 ると随分医療技術も進歩しまし 最近、本人にとっても家 た が、 治 療 と 共 に 社 会 復 帰 さ せ 浦 井 ます。自宅で家族に見守られなが も知らないというのはどこかおか ります。私は医師になってから、 医師と患者との間に人間 ら死を迎え、家族がそれを看取る しい。 患者に ﹁この医師にならば、 ずっとその事を考えてきました。 族にとっても、死というものが日 浦 井 ことによって、命に対する感動や 全てお任せしてもいい﹂という安 地域社会の問題も大きい 心感を持ってもらわなくてはなら な い し、 ﹁ こ の 住 職 に 葬 儀 を し て 常の空間です。そこで管や機械が 繋がれた︵スパゲッティ状態︶で ほしい﹂と思われなければなりま 浦 井 悲しみが生まれます。病院は非日 迎える死は、普通の死ではないた せんね。 患者も医療提供者もどん 多くの原因には﹁病院に入れてお の方が病院で亡くなります。その れが、逆転してきて、今は、殆ど 社会といってもいい。私は競争で 中は儲け優先です。おかしな競争 発展ばかりに目が向けられ、世の のに、そうはなっていない。経済 療も人に優しくなっていくはずな 壁だと思います。︵次号に続く︶ すが、皆で努力すれば越えられる せるか、多くの問題を抱えていま された時間をいかに有意義に過ご ての尊厳に繋がると思います。残 域に住み続けることが、人間とし な状況にあっても、住み慣れた地 野 中 よね。今は核家族ですから。 い面を地域社会が補っていました と思います。昔は家庭では足りな めに、感動や悲しみが薄らぐよう 昭和二十年代には、自宅 な気がします。 野 中 で亡くなる方が八割近くで、病院 けば安心だから﹂という意識があ はなく切磋琢磨することが大切だ 科学の進歩に伴って、医 るように思えてなりません。さら での死というのは僅かでした。そ 野 中 には、科学が進歩し、最先端の技 1947年生まれ。1972年、東京医科 大学卒業。 同年東京医科大学内科教室入局。 1985年、野中医院開業。現在、浅草医 師会会長、東京都医師会常任理事。 1937年生まれ。1961年慶應義塾 大学文学部史学科卒業。東叡山寛永寺執事 長。現龍院住職。 4 平成 16 年 12 月 1 日 水曜日 (第三種郵便物認可) 第 21 号 5 この太鼓は、山田俊尚最勝寺 に向けて∼これからの部落解 迎え﹁人権の二十一世紀実現 同盟中央本部書記長を講師に 午後には、同和問題講演会 が開催され、松岡徹部落解放 ︻栃木 本 = 橋亮成通信員︼ 職が多数参加した。 副住職と親交のあるネイティ 加盟教団代表者等七十名が参 法要は、旭岡聖順宗務所長 列し執り行われた。 付与した事実を反省し、同和 れ、過去において差別戒名を 口座番号 した。 ブ・インディアンのデニス・ 所︵佐野市・惣宗寺︶におい 十一月六日、栃木教区宗務 わ れ︵ 写 真 ︶ 、教区内寺院住 インディアンの意匠が施され 放運動﹂と題した講演が行な あり、ネエモン住職も﹁まさ ている。 バンクス氏の作。和太鼓風の ーカー教徒が建てた馬小屋を に一人一人の力を出し合って 外観に、随所にネイティブ・ ニューヨーク別院︵聞真・ 改築したもので、百五十年以 て、 ﹁被差別戒名物故者追善 ポール・ネエモン住職︶の新 いることが実感できます﹂と 法要﹂が、部落解放同盟栃木 上たっている。馬小屋とはい 現地では、あと数週間で雪 本堂建設作業がいよいよ本格 語っている。 県連合会役員はじめ、同宗連 え、ハリケーンの激しい風雨 となるが、明年六月の落慶に 的に始まった。 同別院では、一カ月三千円 授戒があり、新たに五名の若 のサポーターを募集してい を導師に、教区役職、佐野部 向けて工事が続けられる。 も立派な木材を使用し、斧で 者がサンガメンバーに加わっ る。サポーターには月一度、 寺 院 住 職 が 出 仕 し、 厳 修 さ 去る九月二十二日には、お ったが、作業には同別院に集 一本一本削って作ってあるた た。ハードの面だけでなくソ レポートが送付される。 に耐え続けた建物で、柱など う信者組織であるサンガメン め、新本堂の柱として再利用 フトの面でも開教拠点を支え 八月から旧本堂の解体に入 バーのボランティアも多数、 されることになっている。新 が、クレーンなど重機が 必 要 で、 専 門 家 を 待 っ て 本格的工事となる。 ︻福島・幸福寺︼中野裕俊師 ︻埼玉・明圓寺︼永橋良文師 ︻福島・常願寺︼中野瑞弘師 れる中、稚児行列など盛大に ︵平成 行なわれた。また、山門・鐘 ︻兵庫・高家寺︼井藤圭順師 年 月 日 法人部調︶ 日∼平成 ︻埼玉・清泰寺︼永橋文彰師 年 月 楼も新しく整備され寺観が一 ︻京都・曼殊院︼半田孝淳師 ︻滋賀=三浦密照通信員︼ 新された。 務庁等で開催され、八十名が 年度中央布教研修会が天台宗 十 一 月 四・五 日、 平 成 十 六 ◎宗務所長会議開催 の成果を発表した。 もと、五十三名が日頃の研究 との天台座主猊下のお言葉の り宗運の発展に尽力されたい し、教学及び布教の信仰を図 た。 応答、移動研修等が行なわれ 家の玄侑宗久師の講演や質疑 年僧が参加し開催。芥川賞作 集茨城大会を、百五十名の青 表︶は、平成十六年度全国結 四十六回天台宗教学大会が開 ︵大津市坂本︶において、第 十 一 月 五・六 日、 叡 山 学 院 ◎教学大会開催 わたり意見交換がなされた。 要望がなされ、宗団と細部に 面している諸問題についての の事務の簡素化、各教区が直 院の活性化、宗務庁と教区間 に聞いていた。 別授戒についての法話を熱心 務、写経に勤しみ、大法会特 が 参 加 し た。 坐 禅 止 観 や 作 れ、全国から約百名の檀信徒 十 一 月 十 九・二 十 日、 総 本 ◎檀信徒研修会開催 路によっては、直撃の可能性 催 さ れ、 宗 義 の 深 奥 を 研 鑽 十 一 月 十 一・十 二 日、 宗 務 もあったが、幸い晴天に恵ま された。 当日は、接近する台風の進 れ、多くの来賓や参拝者が訪 内寺院住職総出仕のもと厳修 旧本堂は、築三百余年と老 と、基調講演や全体会議での 参 加 し た。﹁ 現 代 に 生 か す 信 仏 教 青 年 連 盟︵ 坂 本 圭 司 代 十 一 月 十 六・十 七 日、 天 台 ◎仏青茨城結集開催 16 別院はニューヨークの 郊 外 イ ー ス ト・ チ ャ ダ ム ℃で、一面霜に覆われる にあり、朝はマイナス四 が、新本堂建設に向けて のサンガメンバーの意気 込みは眼を見はるものが 28 仰啓発﹂の研修テーマのも ◎中央布教研修会開催 10 協力している。旧本堂はシェ 郵便振 替 また、九月末には山田俊和 る体制が作られてきている。 月末に、掘った地盤をコ 問題の解決に向けて、今後も 七六七二 八 〇一七二 ︻ニューヨーク=寺田豪淳師︼ 海外伝道事業団副理事長︵東 京・最勝寺住職︶より、新本 ンクリートで固め、電気 堂用にと太鼓が寄贈された。 山延暦寺を会場に、天台宗檀 積極的に取り組むことを確認 系統の配線などが終わっ 所長会定例総会と第六十七回 信徒祖山参拝研修会が開催さ 寺田豪淳 た︵ 写 真 ︶ 。これから柱 対 談、 布 薩 会 に つ い て の 講 宗務所長会議が天台宗務庁で 25 16 の立ち上げ作業に移る の熱意と信徒の信心により、 義、また二日目は教学大会布 開催された。所長会から、寺 加入者 名 五 本堂の建設予定地は十一 去る、十月十一日、滋賀県 本堂の改築を発願。慶讃大法 教部門の発表が行なわれた。 甲南町の慈音院︵木村孝英住 会の吉祥時に落慶の運びとな 11 朽化が著しかったため、住職 職︶で、開宗千二百年を慶讃 った。 して本堂改築落慶法要が、部 ¦ ¦ 6 平成 16 年 12 月 1 日 水曜日 (第三種郵便物認可) 第21号 世界遺産登録記念の﹁役行者 供や毘沙門天特別法要、また ォーラムが開催され、多数の 歴史と文化﹂と題した文化フ 立 な ど を 行 っ て お り、﹁ 檀 信 プ化、中庭の整備、梵鐘の造 際し、本堂正面階段のスロー 檀信徒の中には感涙する姿も 二百五十六名の檀信徒が参加 て 特 別 授 戒 会 が 奉 修 さ れ、 行列には五百名を超える子ど 光部檀信徒会では、五十名が 去る十月八日、栃木教区日 にしてもらうことを目的とし 運営について、檀信徒に参考 参拝見学し、今後の寺院護持 し た。︻東海=北川教裕師︼ もたちが参加、引き続いて行 参加して、研修会並びに総会 同寺では、今回の晋山式に 見られた。 沙門堂門主を伝戒和上とし 翌十七日には、森川宏映毘 なスタートとなった。 り﹂を目指す酒井住職の新た 徒の癒しの空間としての寺創 参拝者が訪れた。 と紀伊山地の霊場・参詣道の 惠進天台 東海教区の妙乗院では去る 十 月 十 六 日、 渡 座 主 猊 下 ご 親 修 の も と、 第 二十五世酒井圓弘住職の晋山 を持つ役行者縁の近畿三十六 われた晋山奉告式など式典の 同日は好天に恵まれ、稚児 式を執り行った︵写真︶ 。 寺社が定められており、今回 行われている間もお参りの人 たのを機に、千年以上の歴史 ︵近藤眞道住職︶において、 の法要は、三十六寺社のご本 十一月十九日から二十三日ま 尊ご神体が一堂に会する出開 この研修会は、日光部が数 今回の研修会では、宇都宮 ている。 要が執り行われた。 を開催した。 こ れ か ら を 決 定 する 国 の み な ら ず 世 界の れともケリーか!米 ブ ッ シ ュ 再 選 かそ ブッシュ氏が再選されたと 明したのである。その結果 あり一位であったことが判 倫理道徳問題が二十二%で ラク戦争が十九%に対し、 ての米国人の関心事は、イ 多い地域であることもわか は、だいたいケリー陣営の 地や日本人が住んでいるの た。そして日本企業の所在 海に面している州であっ 獲得した州は、西海岸など どが内陸部で、ケリー氏が 人を獲得した州は、ほとん ころである。アルコール依 態度をとるか注目すべきと いわれる人々が、どういう 倫理的に厳しい宗教右派と る。こういう流れに対し、 でにその徴候は見えてい する恐れがあるし、もうす いう、米国一国主義が台頭 時には武力をもって臨むと あるところには強い外交、 ース、お便り、感想を待って えている年の暮れです。ニュ 新しい企画はないか?﹂と考 す、と言いながらも、 ﹁何か、 ら。また近いうちに再開しま 記事が次々とあるものですか たわけではありません。企画 ●﹁仏と生きる﹂は、終わっ よろしくお願い申し上げます 申し上げます。また、来年も かけております。心より御礼 みを頂き、完売の上、増刷に 号も、二万四千部のお申し込 ︻栃木=今井昌英通信員︼ の説明を住職から受けた。 真︶ 、 そ れ ぞ れ 由 緒、 沿 革 等 部の普門寺・浄光寺・感応寺 座主猊 と、日本のマスコミ いってよい。特に今度の選 る。だからどうしても情報 を参拝。各寺で法楽を営み ︵写 が 大 騒 ぎ し た 米 国大 挙では、同性婚の認知、妊 が片寄ってしまうのだ。 年に一度主催するもので、教 統領選挙は、ブッシ 娠中絶の合法性などが争 存症だったブッシュ氏は、 下の大導師のもと、檀家先祖 また、午後には渡 たちが引きも切らなかった。 よる神峯山寺で厳修されたも 帳法要として、役行者開山に 年遠忌に、修験道縁の三つの のである︵写真︶。 ュ 氏 が 再 び 大 統 領の 点となり、いずれも否定的 四十歳の時信仰に目覚め、 区内で最近新築された寺院を 座をものにした。選挙前の 世界の情勢は大きく変わ 朝五時に起きて聖書を読 回向法要も営まれ、参列した 日本では、ブッシュ氏が勝 立場をとる人々がブッシュ りつつある。東西冷戦時代 てばイラク情勢も含めてお は、それぞれの陣営が仲間 いるという。この倫理性は 氏へ投票した。いわゆる宗 ﹁弱者ゆえにいただいた﹂ カレンダーは三万部を完売し 教右派といわれる人々であ の陣営の拡大抑止に最大の という謙虚な視点が欠ける ました。また、今年、初めて 先真っ暗で、ケリー氏が勝 注意が払われた。だからそ と、人に倫理性を要求する カ月が過ぎました。読者の皆 手がけたジャーナルの新年 利すれば独、仏なども協調 大統領選挙を左右したのだ の時代の米国は同盟関係を 強者の論理となる。強者が さまのご期待に添えたかどう み、倫理的な生活を送って という。米国というとハリ 重視していたのだ。しかし 主張する正義は、本来宗教 か。ともかく出し続けること と強固な連帯を保ち、相手 通しは明るい、などという ウッドやラスベガス、ウォ 二極体制が終焉を告げた と対極にあるはずのもの る。これらの人々の動きが 評判がもっぱらであった。 ール街やシリコンバレーな 今、米国にとっての安全の だ。 ます●お陰様で、年末恒例の の程よろしくお願い申し上げ ︻訂正︼天台ジャーナル 号7面 います。未完成、荒削り、ち す な わ ち、﹁ イ ラ ク 戦 争 一 どを想像しがちであるが、 障害は、国際テロと核拡散 ょっと耳打ち原稿でも歓迎。 色の大統領選挙﹂を日本の 我々の知らない米国が沢山 に移った。これらの問題の が 出 来 て、 ホ ッ と し て い ま マスコミは演出していたの ある。選挙速報をテレビで す。来る年も、ご指導ご鞭撻 である。 見たが、ブッシュ氏が選挙 新しい広報紙を始めて、九 ところが選挙が終わって し、イラクはじめ世界の見 法要期間中は、採灯大護摩 本山︵醍醐寺・聖護院・金峰 平成十三年の役行者千三百 で、役行者霊蹟札所出開帳法 大阪府高槻市の神峯山寺 みると、今回の選挙に関し た。お詫びし、訂正いたします。 ましたが、正しくは257名でし 南総教区の戒弟を27名と記載し ﹁特別授戒会執行報告﹂記事中、 20 山寺︶が集い合同法要を修し ◆東海教区第6部 圓観寺・10月31日 恵日院探題大僧正 戒弟209名 ◆三岐教区 朝田寺・11月3日 曼殊院探題大僧正 戒弟226名 ◆九州西教区 観世音寺・11月6日∼8日 毘沙門堂探題大僧正 戒弟880名 三千院探題大僧正 戒弟314名 ◆九州東教区 臨済寺・両子寺11月16日∼17日 曼殊院探題大僧正 戒弟906名 ◆岡山教区第5部 宝珠殿・11月16日 毘沙門堂探題大僧正 戒弟205名 ◆東京教区 天王寺・11月20日 毘沙門堂探題大僧正 戒弟114名 平成 16 年 12 月 1 日 水曜日 (第三種郵便物認可) 第21号 7 平成 16 年 12 月 1 日 水曜日 8 (第三種郵便物認可) 第21号 て園児らが喜捨する光景が見 同月十六日、親師会役員と られた。 れ、壬生照道総本部長に浄財 日、会場に新潟県中越地震復 一つ﹁忘己利他﹂の実践とし たところ、同園の教育理念の 園児代表が天台宗務庁を訪 六万四千六十七円を手渡した 本・武覚超園長︶では、十一 ︵写真︶ 。 本大会に参加した方々か ら 、 二 十 七 万 三 千 七 十 七 円の 月七日、恒例のチャリティー らすことなのです﹂と、開宗 千二百年慶讃大法会期間にお 地球救援募金が集まり、閉会 バザーを開催、園関係者・近 比 叡 山 幼 稚 園︵ 大 津 市 坂 ける本運動推進の意義と大切 式の折に、全額を壬生総本部 さをユーモアたっぷりに話さ 長に手渡した。 興支援の募金箱を設置し、親 隣 住 民 た ち で 賑 わ っ た。 当 れ聴衆をひきつけた。 大会は教区内寺院住職出仕 名の参加者が集った。 による厳かな法楽、檀信徒に 師会 水 ( 尾寂芳会長 役 ) 員や 三岐地方本部︵宇野光道本 美江寺︵岐阜市・加藤弘和住 よる詠賛歌の奉納の後、壬生 本赤十字社茨城支部に寄託さ 人間はみな〝心の陰〟を人に見られ た く な い 思 い で 生 き て い ま す。 そ し て、光の当たっているところだけを見 せようとして、かえって疲れ果ててい るのです。もし、人間の陰、それも一 人ひそかに背負い込んでしまった心の 陰を、ありのままに聞いてもらえる人 や、訴えることのできる相手があった としたら、人はどんなに楽になること でしょうか。 いので、思うがままに喜怒 が、私たちは赤ん坊ではな 大須賀発蔵 著 柏木社刊 ﹃いのち分けあいしもの﹄ 事で﹁役﹂を演じることが 哀楽を人にぶつけて生きる 多いものです。よほど天真 ことができないという意味 役を演ずるといいました れた。 二、七 部 の 寺 院 住 職 と 法 嗣 六 同部は、十一月下旬には降 大師講に併せて托鉢を行なっ 方郡温泉町の牛峰寺 誉 ( 田玄 五部 吉 ( 川廣隆主事 は ) 、美 十月三十一日、兵庫教区第 長 が、 昨 年 度 の 一 隅 を ょうはなにができるか 名が、天台宗全国一斉托鉢を タ ー の 標 語 で あ る﹁ き な﹂と題した講演を行 実施し、J R下館駅前や商店 街で街頭募金や托鉢を行なっ った︵写真︶。 壬 生 総 本 部 長 は、 例 年 は、 ﹁地球救援募金月 ており、同寺界隈での実施は 雪に見舞われることもあり、 間﹂である十二月に実施して 十八年ぶりだったが、檀家約 た。 斉托鉢を実施した。 照らす総本部作製ポス 教諭らが浄財喜捨を呼びかけ 職︶を会場に一隅を照らす運 十 月 三 十 日、 茨 城 教 区 第 照道一隅を照らす運動総本部 部長︶ では、十一月二十一日、 隆住職 界 ) 隈 で、 誉 田 住 職 は じめ檀徒ら十五名が、全国一 動三岐大会を開催。約百三十 ﹁一人ひとりの心には いるが、本年は、先の新潟中 は、温泉町社会協議会と災害 この日集められた浄財 六十軒を行脚した。 支援として地球救援募金事務 越地震支援のためにと、日程 にもかかわらず、多くの浄財 を繰り上げて実施、当日は雨 が寄せられた。 局に寄託された。 爛漫な芸術家でもないかぎ 私たちは、日常生活や仕 庫・京都・新潟・福井・三重・ り、地の姿はみせません。 岐阜・静岡の十三府県と、全 左記の義援金受付は、十二 対 策 本 部︵ 西 日本仏教会、日本赤十字社に 香川・徳島・愛媛・岡山・兵 郊良光本部長︶ 天台宗災害 同日寄せられた浄財は、日 で は、 今 夏 か 送金された。 風水害被害に る。先の豪雨・ を行なってい 察、 支 援 活 動 現地調査や視 避難所で生活する避難者はま 住 宅 へ の 入 居 も 始 ま っ た が、 発生から一カ月が経ち、仮設 活動に取り組んでいる。地震 山健英本部長︶と連携し支援 地震では、現地対策本部︵小 被害をもたらした新潟県中越 また、宗内寺院に甚大なる て、自分自身でも見分けが 当の皮膚が仮面に張り付い をつけて生きていると、本 ものです。長年、その仮面 辛い仮面である場合が多い りします。しかし、それは 笑わせている部長であった であったり、いつも周りを た り、 抜 け 目 な い 商 売 人 例 え ば、 鬼 課 長 で あ っ なら求められる人になりた 人を求めています。できる れ、ただ一緒に居てくれる ままの自分を受け入れてく に、みな疲れ果て、ありの りです 。 とは、皆さんがご存じの通 も職場もうまく回らないこ かけますが、それでは社会 です。希に、そんな人もみ 月十五日まで 。 ら続いている つ い て は、 復 だ多く、今月には積雪になる つかなくなってしまったり 災害に対して、 興義援金を募 します。 いと、そう思います。 し か し、 役 を 演 じ る の り、千百二十二万百三十一円 ところもある。あらゆる面で この義援金は、災害救助法 が適用された、宮崎・広島・ ている。 の支援がまだまだ必要とされ Wonderful Words が寄せられた。 =1,122 万余円を= 仏 性 が あ り、 そ の 仏 性 を磨くことが一隅を照 復興義援金を送る