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絶対文感・第十一章 埴谷 雄高 陽羅 義光 梶井基次郎の作品を読んだ後
絶対文感・第十一章 埴谷 雄高 陽羅 義光 梶井基次郎の作品を読んだ後で埴谷雄高の作品を読むと、カラー映画を観続けたあとで偶々モノ クロ映画を観た斬新さを感じるのは私ばかりではあるまい。やや大袈裟に言わせてもらえば埴谷雄 高の小説には色彩がない。それがまずは埴谷雄高の「絶対文感」である。 私は『闇のなかの黒い馬』を気に入っていて、現代文学の最高峰の一つとすら考えているのだが、 ここではやはり現代文学最大の問題作『死霊』一本に絞って取りあげたい。何せ小説の少ない埴谷 雄高だから、この大長編一本で充分であろうから。 初版本の『死霊』を読んで二十歳の私が受けた影響は計り知れない。内容がよく掴めなかったの に影響を受けたというのは変な話だが、その文章から影響を受けたのだ。だからその頃の私の小説 には色彩がない。 『死霊(九章)』の第三章の末尾を引用する。この部分は未完の初版本では全体の末尾となって いた。 【そして、此処で別れることをしめしあわせていたように、三輪与志が相手から離れると、その肩 先に白い霧粒が直ぐまつわりついた。押しわけられた空間を埋めて、白い霧粒が彼の背後へ凝集し はじめた。見る見る裡に、三輪与志の後ろ姿は厚ぼったい霧につつまれた。長身な影であった。厚 い壁へのめりこむようにその後ろ姿はまつわりつく霧をさらに押しわけたが、それは忽ち一つの薄 黒い輪郭となった。そして、さらに身を揺すると、その薄黒い輪郭がちょっとその場に停止したよ うに見えた。確かにそう見えた。何かの物語の痕跡のように、その薄黒い輪郭は一瞬其処に残って いるように見えた。けれども、それは瞬間の残像であった。ぼーっとした淡い形が自身の淡い輪郭 のなかへすっと消えこむと、もはやそのあたり一面には白々と厚い霧が拡がっていた。】 埴谷雄高は幸か不幸か「読書家」ではあるが「小説読み」ではない。十代の後半は左翼活動二十 代の前半は刑務所(独房から病監)に在たためもあろう。それにもともと日本文学には興味は無か ったと思われるフシがある。その証拠に埴谷雄高の文章には、先輩作家から受けた影響の痕跡すら ない。だからこの独自の文章が生まれたのだ。 鶴見俊輔は、このあたりのことを鶴見流にこう分析している。 【日本の国家ができえから百四十年に足りない。だが、この中で育てられた知識人は、国家の形と 見合う一定の型をもっている。まず国家ができて、そのあとで国家が学校をつくった。 その型から埴谷雄高ははずれている。 どうして、こういう人が出てきたか。 ひとつには、彼が、日本本土からはなれた台湾で育ったからだろう。】 ( 『世界文学の中の「死霊」 』 より) 『死霊』の使用語彙の核は、小説の語彙ではなく哲学の語彙である。『死霊』の使用オノマトペ の核は、ドイツ語のデフォルメである。 【 ぷふい!やはり屋根裏の思考へおちこんでしまったな。】 【 あっは、それもまた光を射さぬ屋根裏部屋の思考だ・・・・・・。 】 一読「意識化・徹底化」を感じる埴谷雄高の文章であるが、自己の語彙や嗜好に忠実なだけで、 実はそれは為されてはいない。幼稚なオノマトペは平気で多用されているし、感嘆符や疑問符、ま た罫類や傍点もある。「忽ち」の語彙が癖で鼻につく。月並みな形容や比喩も、何らの戸惑いもな く使用されている。誉められた文章ではない。 またどう考えても自分勝手で妙な言葉の使用法が少なからずある。 【 貴方は与志君にこんな症状を気付いたことはありませんか。 】 これは、 「貴方は与志君のこんな症状に云々」が正しい。 【現代の医やしがたい癌となっている虚無主義】 これは、 「癒やしがたい癌」とするか、 「治癒しがたい癌」にすべきで、言葉の乱用と言われても 仕方がない。 【この蝙蝠が彼の新たな隣人となったのであった。それは一匹の蝙蝠であった。】 これは、 「この蝙蝠が云々」のセンテンスと、 「それは一匹の蝙蝠で云々」とを上下入れ替えなけ れば物語の流れ上おかしい。 もう切りがない。こんな事はいくらでもある。『死霊』は間違いなく文章の勉強をしてこなかっ た人が書いた小説である。 けれども二十歳の私はこの文章に烈しく感化された。底知れぬ魅力を感じた。それはどうしてな のか。いま検証してみると、日本文学を勉強し過ぎた者のカルチャーショックというものである。 松田優作ではないが「なんじゃこりゃ」というわけだ。 私に『死霊』を貸してくれた早熟の友人は、「この小説は意味を読むものではなく、感性を味わ うものだ」と言った。それもちんぷんかんぷんであった。 四十男になって全集で『死霊』を再読した。この文章はやはり凄いと思われたがどこが凄いか解 らなかった。 還暦近くなって、今度は文庫本で『死霊』を再々読した。それでようやく解ったのは、埴谷雄高 は内容以前に、文章で、宇宙を提示したのだという事であった。字面も含めたモノクロ・トーンの 文章で暗黒の宇宙を、見事に表出せしめた。つまり文章力で世界観を創生できたのは、少なくとも 昭和では埴谷雄高のみである。だからその文章の上っ面だけ影響を受けても意味がない。十年で脱 したからいいようなものの、私は無駄な影響を受けたということになる。埴谷雄高は頭脳の人と思 われているが、それ以上に感性の人である。私は四十年かけてようやく早熟の友人の話を理解でき た。『死霊』にはグレン・グールドの音楽がよく似合う。 埴谷雄高はカント等の哲学書や政治論文はむろん精読した。ドストエフスキーも良く読んだが、 影響を受けたのはその厖大な小説の中で最も政治色・思想色の強い『悪霊』であった。私見ではド ストエフスキーの三大傑作は『罪と罰』『地下生活者の手記』『カラマーゾフの兄弟』であり、『貧 しき人々』と『虐げられた人々』が最も好ましい小説である。『悪霊』は小説としては最も出来の 悪いものである。 必然的に『死霊』は小説としては未曾有の出来の悪い作品となった。同時に未曾有の画期的な作 品となった。 禍いを転じて福となす。 禅の創始者達磨は、ヘルニアで立てず歩けず、それで明けても呉れても座禅した。『道元の風』 の作者が言うのだから冗談ではない。偉大な仕事は凡そ禍いを転じる事から為される。 なにせこんな小説は日本に初めて登場したのだから、それは二葉亭四迷の『浮雲』に匹敵する青 天の霹靂であった。いやまだ『浮雲』は森鴎外にも夏目漱石にも、すぐに理解され評価された。 『死 霊』はほとんど誰にも、すぐには理解され評価されなかったのだ。それに『浮雲』は日本文学であ っても世界文学ではないが、『死霊』はたとえ日本文学でなくとも世界文学である。 おっと段々深みに填りそうだ。私の任務は文章論であって、埴谷雄高論を読みたい方は白川正芳 のものをお奨めする。また小川国夫は深い洞察力で『死霊』を論じている。 最後に私の最も好きな登場人物である、首猛夫の部分を取りあげる。三輪与志の描写ではまだ感 傷癖が残る作者も、首猛夫の描写では独壇場の凄味がある。 【厚い濃灰色の層の不機嫌な雲の薄暗い帯の真下にたったひとり投げ出され置かれると、眼前の相 手に絶えず皮肉な顔付をしながら挑戦的な身構えを携えつづけてきた首猛夫の全身に、まるで思い もかけぬ自己内部の奥底だけを覗きこむ孤独な翳が浮きでていた。もし薄暗い雲の層のあいだから 白熱の眩ゆい円盤がその僅かな紅焔の部分でもさしのばして下方を覗きおろしたら、首猛夫の思い もよらぬその孤独な顔付にはじめてのごとく驚いたに違いなかった。首猛夫は心持ち前こごみに躯 をかたむけ、濃灰色の小運河に接するすぐ前方にだけ顔を向けたまま、なお歩み進んだ。】 一読下手な翻訳文を読む気がする。三島由紀夫は「下手な翻訳文はすぐ放り出してしまうことだ」 と書いているが、 『死霊』だけはそうはいかない。この「絶対文感」には上手下手の次元を超えた、 作者の創作への執念が籠められているからである。これはまるでクリープを入れないコーヒーだ。 この宇宙論的ドラマを語る濃密な文章は、どういう訳か保坂和志風の反ドラマの淡泊な文章(コー ヒーを入れないクリープ)が好まれている昨今、小説の文章を見直すべき貴重な成果でもある。 余談だが埴谷雄高の「絶対文感」に似ている文章を探すとしたなら、吉本隆明の散文詩以外には ない。この両巨頭はどちらも哲学的文学者、もしくは文学的思想家という点に於いて合致する。 それでは次章の予告だが、皆さんが「解らない、つまらない」と言い、私が今では「解る、面白 い」と言う、埴谷雄高を今回取りあげたので、そのお返しに、皆さんが「解る、面白い」と言い、 私が今でも「解らない、つまらない」と言う、谷崎潤一郎をいよいよ取りあげる。