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青年期から成人前期にある重症心身障害児(者)をもつ親の 体験・思いの

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青年期から成人前期にある重症心身障害児(者)をもつ親の 体験・思いの
修士論文
青年期から成人前期にある重症心身障害児(者)をもつ親の
体験・思いの分析
広島大学大学院保健学研究科博士課程前期
看護開発講座
保健学専攻
発達期健康学講座
平成 16 年度入学
今村美幸
指導教員
田中義人教授
目
次
Ⅰ
緒言
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1
2.文献検討
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2
3.研究目的
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
6
4.研究の意義
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
6
5.用語の定義
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
6
1.研究の背景
Ⅱ
研究方法
1.研究協力者
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 7
1)研究協力者
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 7
2)協力施設の概要 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 7
2.調査方法
1)調査期間
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 7
2)データ収集方法
3)分析方法
4)倫理的配慮
Ⅲ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 7
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 8
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 8
結果
1.対象者
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 9
2.青年期から成人前期にある重症児(者)を育てる親の体験・思い
1)対象者別の体験・思い ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 10
2)青年期から成人前期の重症児(者)をもつ親の体験・思いの統合
Ⅳ
・・・・・ 16
考察
1.わが子との将来に対する思い ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
47
2.子どもの成長・発達に対する思い
49
・・・・・・・・・・・・・・・・
3.在宅生活を支えるための医療・福祉 ・・・・・・・・・・・・・・・・
50
4.自分のアイデンティティー ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 51
Ⅴ
5.研究の限界と課題 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
52
結語
54
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
謝辞
引用文献・参考文献
Ⅰ
緒言
1. 研究の背景
近年、ノーマライゼーションの考え方の普及や、『施設福祉』から『地域福祉』へと移行
する社会福祉施策により、たとえ障害が重くても地域で家族とともに生活したいという人
が増え、在宅の重症心身障害児(者) (以下重症児(者)という)への施策も徐々に整備され
てきた。平成 15 年 6 月の実態では、全国の重症児(者)数は、約 38,000 人と推計されてい
る。そのうち在宅重症児(者)数は約 26,000 人弱と考えられ、重症児(者)全体の約 68%
が在宅で生活を送っていると推定されている1)。
このような中で、社会福祉制度や医療制度改革のもとで、2003 年から支援費制度がスタ
ートした。この制度は、利用者の立場に立った制度を構築するために従来の措置制度を利
用契約制度へと移行させるもので、障害者の自己決定を尊重し、利用者本位のサービスの
提供を基本として障害者自らがサービスを選択して利用する仕組みとなっている。しかし、
この制度の中では重症心身障害児という障害区分はない。在宅の重症児(者)という概念は
不明確になってきているという現実があり、重症児(者)福祉を含めて、わが国の障害者福
祉体系は大きな転換期を迎えているといわれている2)。
このような転換期の中で在宅重症児(者)がより豊かな在宅生活を送るためには、何が必
要なのか、どのような支援が必要なのかを考えて、現行の制度に照らして利用していく必
要がある。個々のニーズにあった支援を考えるためには、重症児(者)の時期に応じた問題、
すなわち、発達に伴う心身・社会的変化に直面した親子の問題を見逃さないようにすること
が大切である。
学齢期以降は、養護学校を終了し新たな療育・活動の場を作らなくてはならなくなる時期
であるだけでなく、身体の成長に伴い摂食機能や呼吸機能の低下、二次的障害が出現する
時期でもある。また、この時期は、一般的には親の子離れときょうだいの巣立ちなど新た
な自立生活が急激に進む時期というだけでなく、家庭介護においても介護方法の変更を検
討しなくてはならなくなるなど、ライフサイクルの大きな節目となる。ところが、これま
で、重症児(者)と親への支援についての研究は、ほとんどが乳幼児期から学齢期まであ
るいは成人期以降を対象にしたものであり、学齢期以降から成人前期までの重症児(者)
やその家族を対象にした研究は少ない。
そこで、本研究は、青年期から成人前期にある重症児(者)とその家族への適切な支援の
示唆を得るものとして、在宅重症児(者)との生活における家族の思いや体験を明らかに
するものである。
1
2. 文献検討
1) 障害受容過程・人間的成長に関する研究
親の障害受容についてのこれまでの考え方としては、段階的な過程としてとらえる視点
と、悲しみを繰り返す慢性的悲哀説としてとらえる視点がある。段階的な過程としてとら
える視点では、Drotar ら3)による研究がある。これは、先天性奇形をもつ子どもの親 25
名(母親 20 名,父親 5 名)を対象に、診断告知後に引き起こされる親の心理的過程をショ
ック,否認,悲しみと怒り,適応,再起の 5 つの段階に分類している。一方、慢性的悲哀説は、
Wikler ら4)による研究がある。これは、精神発達遅滞の子どもの両親は、常に悲哀の状態
を示していないが、歩き始める時期やことばがでる時期や進学など、発達の節目に周期的
「慢性的悲哀は常に悲哀の状態
に悲哀が再起するということを実証した。また、中田5)は、
にあるのではなく、健常児では当たり前の発達的な事象や社会的な出来事が障害児の家族
の悲哀を再燃させるきっかけとして潜在的にあり、そのために周期的な現れ方を示すとい
うことである」と述べ、これらの両方の説を理解するモデルとして螺旋モデルを提案した。
これらの慢性的悲哀説をうけて、Hirose ら6)は、20 歳代の脳性麻痺のある子どもをもつ
親 28 組に面接を行ない、子育ての過程で危機を迎える時期は母親が乳児期で、父親が幼年
期、学童期、思春期であることを明確にすると同時に、重要な支援者は配偶者であったこ
とを述べている。さらに、佐鹿ら7)は、障害のある子どもと親の危機的時期・状況を 10 段
階に仮定した。第 1 段階は誕生から障害が予測された間の時期、第 2 段階は生後 3 ヶ月∼3
歳、第 3 段階は 3 歳∼4 歳、その後、第 4 段階、第 5 段階を経て、第 6 段階は学齢期終了時、
第 7 段階は成人式を迎える時期、その後も 3 段階に分けられている。そして、子供の接し
方や育て方がわかり、子供の成長発達が実感できると障害を受容するきっかけになるとも
述べている。さらに、また、高校 3 年生の親への面接調査8)では、受容過程や社会生活へ
の支援を検討し、発達課題を乗り越える時期に、子どもの力を発揮できる場や地域社会の
受け入れなどが円滑であると、子どもの障害を受けとめやすいと述べている。
また、山崎ら9)は、自閉症児の母親の思いを検討し、不安、闘争、運命への順応、障害
の理解と究明への欲求、最適環境の追及、自己肯定と変遷していることを明らかにした。
そのほかにも、ダウン症児をもつ母親についても、子供の障害を受容する過程で、ショッ
クや悲しみ、苦しみを経験しながら人間的成長をしていく過程が報告されている 10)11)。
このように、子どもの障害を受容し、人間的な成長や変遷の過程にはいろいろと報告さ
れており、そこには、さまざまな要因が影響していることもわかった。しかし、あくまで
も、そこに報告されたものは、その対象となった障害の種類や程度、親のおかれた環境な
どによっても異なるため、要因に違いによって、それぞれの独自性が出てくるのではない
かと考えられる。
2
2) 養育上のストレス、QOL に関する研究
中西 12)は、重度心身障害児を持つ 20 代∼60 台の母親 67 名を対象に、QLI(Quality of life
index Generic Version)測定を含むアンケート調査を行い、一般成人女性との比較調査を
行った。その結果、母親は「ストレス・心配事」、
「心の安らぎ」、
「生活の体力・気力」、
「人
生」についての項目で低く、QOL に関連する要因として「生活の充実度」、「自分だけの時
間の有無」、
「自分の健康状態」が影響していたと報告している。また、刀根 13)は、通所訓
練施設に通う発達障害乳幼児の母親 45 名を対象として QOL 質問表と KGPSI(Parenting
Stress Index 関西学院日本語版)による調査を行い、保育園児の母親 835 名のデータと
比較した。その結果、障害児の母親は健常児の母親に比べて「生きがい」と「育児」につ
いて満足度が低く、「子供の行動特徴」に関する育児ストレスが高いことが報告されてい
る。そのほかにも健常児との比較をした研究 14)15)はあるが、いずれも健常児に比べて対人
関係において QOL 低下やストレスや疲労感がみられたと報告されている。
武田 16)は、知的障害者の家族を対象にしており、福祉サービスは必ずしも介護者のスト
レス負担の軽減にはなっておらず、効果的なサポートは家族サポートやピアカウンセリン
グなどの介護者を心理的に支える情緒的サポートであると報告している。
このように、障害児の親は健常児の親に比べて QOL が低く、養育にあたって問題も生じ
ており、情緒的サポートの必要性を示唆したものが多かった。しかし、今後は障害児の親
が抱えるストレスや問題を理解し支援するためにも、より詳細な調査や検討が必要である。
3) 重症心身障害児の親を対象にした研究
障害受容や人間的成長は、対象となった障害の種類や程度によっても異なる。そこで、
重症児(者)の親を対象にした研究を検討した。
牛尾 17)は、重症心身障害児の母親を対象に調査し、告知のショックや苦悩から立ち直り、
新しい価値を追求して人間的成長をしていく過程について報告している。さらに、牛尾は
通所施設に在籍する 19∼37 歳の重症児の母親 28 名を対象として、養育意識や態度の実態
から養育態度を「適応状態」「ストレス状態」「不適応状態」の三つに分類 18)した。
また、中川 19)は、重症心身障害児の母親 9 名へ半構成的面接を実施し、母親が専門職、
家族や親戚、他の母親等との社会的相互作用を通して、母親意識を形成し変容させていく
プロセスを明らかにした。その結果、母親は、専門職やほかの母親の役割期待を受けて、
子と一体化し、子供の人生や障害を自分の指名として全面的に引き受けていこうとする意
識「子へのトータル・コミットメント」を形成させていた。また、トータル・コミットメ
ントを母親の役割として要請する社会からの圧力として「役割的拘束」を認知していたと
「自
報告している。さらに、意識変容させる契機とメカニズムを明らかにした研究 20)では、
3
己の喪失感」という前提条件の下、「障害軽減の諦め」「役割的拘束の自己調整」が契機と
なって「コミットメントの調整」をはかり、その後に子どもや自分、その他の家族の状態
の評価を行って「コミットメントの再調整」を行っていたと報告している。
藤本 21)は、青年期の重症児(者)を持つ 2 組の両親を対象に、重症心身障害児を育てる
両親の育児観の過程を明らかにした。その結果、両親は、育児が家族の絆を深め親自身を
成長させたと肯定的にとらえており、その背景には、親がありのままの子どもを受け入れ
たこと、子どもが社会的存在であると理解したことが影響していると報告している。
野村 22)らは、16 人の親を対象にして在宅重症心身障害児を育てる親が経験する育児上の
難題を、子どもの乳幼児期と学童期で明らかにし、それらの難題は子どもの成長に伴い変
化することや家族内から地域社会へと拡大していくことを示した。
重症児(者)の親の思い、特に、成人期以降の児(者)の親を対象にしたものについては、
施設入所している親を対象としたものとしては、長谷川 23)澤村 24)のアンケート調査や深海
25)
島本 26)らの面接調査研究がある。深海 25)は、13 名の親(父親 3 名、母親 10 名、年齢 45
∼72 歳)を対象に調査し、長期入所している子どもへの親の思い(安心、すまない、心配、
さびしい)を明らかにした。長谷川
23)
は障害児の親は溺愛傾向が強く、子どもの苦難を作
り出したことへの罪の意識があると報告している。島本 26)は、障害児(者)の将来に対する
親の思いを明らかにし、将来の扶養をきょうだいにと思いながらも実際にはその半分しか
頼んでいないという実態報告と親亡き後の不安があることを示した。
藤田
27)
は成人期の重症者をもつ母親の体験を明らかにした。しかし、成人期という特定
のライフステージにあるものではなく母親の思いの変遷を明らかにしたものであった。そ
の中で、短期入所の利用によって、母親は精神的な余裕がうまれ、自分の生活の広がりを
自覚していたと報告している。
望月 28)は、動く重症児を持つ高齢の親を対象にしていた。10 名の親(父親 7 名、母親 3
名)から面接し、成年期になった子供の生活と親の心理状態を調査した。子供に対する認
識は、現状を肯定的にとらえ成長を喜ぶ、わが子とともに生きる親であり続けたい、親に
よる介護が困難な場合は施設入所を考えている、親亡き後の心配などがあったと報告して
いる。また、在宅支援サービスの充実や親亡き後の「動く重症児」を理解し受け入れてくれ
る入所施設を求めていることが明らかになっている。
このように、重症心身障害児を持つ親の思いを対象にした研究はあるものの、障害受容
過程や人間的成長と相互作用など、幼児期から学童期の重症児(者)をもつ親を対象にした
ものが多い。また、就学後や成人期の重症児(者)の親を対象にした研究も、施設入所児(者)
の親を対象にしたものが多く、在宅重症児(者)の親を対象ものが少ない。そのため、親の
思いから見た、この時期の問題やニーズを考えることは今後の課題である。
4
4) 在宅支援・サポートについての研究
夫のサポートは母親の不安を和らげ母親の子供へのかかわり方や子供の発達にもよい影
響を及ぼすと言う報告は多い 29)30)。数井 31)らも親役割ストレスが高い母親の場合、夫婦関
係が調和的でないとき、子供との愛着が不安定になることを報告している。
飯島 32)は、在宅重症児(18 歳未満)の家族を対象に、地域生活における問題には、日常
生活を送る上での居住環境や社会環境などの問題、主介護者の健康上の問題、家族の問題
などがあることを明らかにした。そして、家庭内の介護力低下による不安が大きく、外部
支援の充実や、情報窓口の一本化、地域を越えた情報ネットワークの必要性を示唆してい
る。しかし、対象者の子どもの年齢が 1 歳∼17 歳と幅広く、ライフサイクルに応じた支援
の必要性は示唆しているものの、その問題や支援内容は明らかにされていない。
訪問事業の現状からニーズを調査したものには、村瀬 33)栗原 34)などがあり、訪問看護開
始と終了時期、支援内容から見た年代別ニーズについて報告している。栗原 34)は、成人期
には成人病対策と介護者への負担軽減という視点からサービスの必要性を報告している。
サービス内容という視点で検討した研究には、高野
35)
の研究がある。しかし、アンケート
調査のため、困っている項目しか明らかにされておらず、その具体的な内容までは言及さ
れていない。
諸岡
36)
はライフステージ別(幼児期、学童期、成人期、成人後期)に異なる課題と支援
を明らかにした。成人期の課題は「合併症・二次障害への対応」と「生きがいの場の確保」
であり、「不安が少なくなった」という項目が高いと報告されているが、不安の内容につい
ては明らかにされていない。さらに、郷間 37)らは、家族をも包括した支援の必要性を示唆
している。
在宅重症児(者)の支援に関する研究は、重症児(者)の自立に関するもの 38)がある。短期
入所中に何らかの体調変化を訴えた児(者)から、環境の変化が体調に影響受けやすいこと、
社会経験の蓄積が短期入所中の体調悪化を防ぐとはいえないという結果があった。また、
親は、自立について、「親の介護から離れること」ととらえていた。
このように、ライフサイクルに応じた支援や家族をも包括した支援の必要性は示唆して
いるものの、問題や支援内容は明らかにされていない。そのため、具体的にどのような問
題がありどのような支援が必要とされているかを明らかにするために、詳細な内容につい
ての研究が必要である。
5
3. 研究目的
本研究は、青年期から成人前期にある在宅療養重症心身障害児(者)の家族が、生活の中
でどのような体験や思いをしているかを明らかにする。
4. 研究の意義
青年期から成人前期にある在宅療養重症児(者)の家族の体験や思いを知ることは、その
ライフステージにある家族が求める支援のあり方を把握し、検討する資料となる。
5. 用語の定義
重症心身障害児(者)
昭和 41 年厚生省次官通達により、
「身体的・精神的障害が重複し、かつ、それぞれの障
害が重度である児童および満十八歳以上の者」と定義された。その後、都立府中療育セン
ターの大島一良氏が副院長の時代に発表した重症児(者)の区分法が『大島の分類』とし
て関係者によって広く用いられるようになり、現在施設現場では広く使用されている。
本研究における重症児(者)とは、定義どおりの重症児(者)である『大島の分類』の
区分 1∼4 に該当する人たち(IQ:35 以下,運動能力:寝たきり∼すわれる)である。
図1
21
大島の分類
22
80
23
24
25
70
20
13
14
15
16
50
19
12
7
8
9
35
18
11
6
3
4
20
17
10
5
2
1
寝たきり
座れる
歩行障害
歩ける
走れる
6
IQ
Ⅱ
研究方法
1. 研究協力者
1) 研究協力者
研究協力者は、A 施設の重症児(者)通園を利用している青年期から成人前期にある在宅重
症児(者)の親(主介護者)で、子どもの障害を受容できており精神的に安定しており、本研
究の主旨を理解し、了解が得られた者とした。
2) 協力施設の概要
研究協カ者が利用している A 施設は、重症心身障害児(者)の在宅支援を目的に、平成 11
年に B 型通園(5 名定員)として開設した施設である。常勤職員として看護師・支援員・保育
士と理学療法士・作業療法士・医師がいる。近年、通園希望の登録者は増加してきており、
A市はもとより近隣の市など県の中央部を中心とした地域に住む 30 数名が登録利用してい
る。登録者の年齢は 2 歳∼35 歳(平均年齢 17.2 歳)である。
施設のある A 市は、人口約 17 万人、県内の約 7.5%を占める広いエリアを有する中央地
域の中核都市である。
B 型通園とは、医療、リハビリテーションスタッフを配し、病院機能を有する療育環境が
要件である A 型通園(定員 15 名)とは異なり、実施施設が必ずしも重症児(者)施設でなくて
もよく、できるだけ身近で通える施設をという要望によって開始された小規模通園である。
2. 調査方法
1) 調査期間
2005 年 3 月∼8 月
2) データ収集方法
調査は、研究協力者に対して研究者が半構成的面接を行った。研究協力者の都合の良い
時間を確認し、通園センターや医療機関または、自宅に出向いて行った。面接の前に、基
本データとして児の属性(年齢・性別・医療的ケアの有無・利用しているサービス)や両
親の属性(主介護者の年齢・性別・就業の有無・健康状態,配偶者も同様)について研究
者が面接時に質問し記入する。(資料 1) 面接は、研究協力者から了解が得られた場合のみ
MD に録音した。面接回数は、1∼2 回で、面接時間は1回 60∼90 分程度とした。
7
面接内容は、①重症児(者)との生活の中で印象に残っていること(嬉しかったこと、困
ったこと、不安に思ったこと)、②重症児(者)との今後の生活についてどのように考えてい
るか、③医療従事者や福祉にかかわるものに対する要望とした。
3) 分析方法
分析に用いるデータは、半構成的面接によって得られた逐語録で、分析は質的帰納的分析
法に基づいて行った。
分析手順は以下の通りである。
(1) 面接で得られたデータは逐語録におこし記録した。
(2) ひとつの意味内容を表す文章ごとに区切りラベルに転記し、これらを意味内容の類
似性により統合する。
(3) 主題が明らかになるまで統合し、カテゴリーを抽出し、カテゴリー間の関連性を図
解化し文章化した。
(4) 分析過程では、保健学領域の研究者からの指導・助言を受け、研究者間の解釈が一
致するまで統合を繰り返し、信頼性・妥当性を図った。
4) 倫理的配慮
(資料 2−5)
倫理面については、以下の配慮を行った。
(1) 研究に先立ち、当該施設の施設長および研究協力者に対して、研究協力の依頼と研
究主旨を文書および口頭で説明し、協力と承諾の確認を行う。
(2) 研究協力者の研究参加は、自由意志によって同意を得るものである。
(3) 研究協力者が調査への協力を断っても、なんらの不利益を生じないことを保障する。
(4) 協力の承諾後や調査開始後も、研究への参加の途中の自体は自由であり、いつでも
調査を中止できることを保証する。
(5) 得られたデータは匿名であり、個人的情報が特定されないように配慮しプライバシ
ーを保障する。また、研究以外の目的には使用しない。
なお、上記の倫理的配慮については、広島大学医学部保健学科看護学選考倫理委員会
において審査され、承認を受けた。
(承認番号:97)
8
Ⅲ
結果
1. 対象者
対象者は、5 名(男性 1 名、女性 4 名)であり、年齢は 45 歳∼56 歳(平均 50.8 歳)で
あった。対象者の背景は表1に示した。重症児(者)の年齢は 21 歳∼29 歳(平均 24.4 歳)
であった。大島分類 1 が 4 名、大島分類 4 が 1 名であり、医療的ケアが必要な者は 1 名で
あった。なお、大島分類1とは,IQ が 20 以下,運動機能は寝たきり状態であり、大島分類
4 とは,IQ が 35 以下,運動機能は寝たきり状態である。
表1
A
B
C
D
E
対象者の背景
対象者
子ども
(年齢)
の属性
母親
男性
(53 歳)
24 歳
父親
女性
(56 歳)
29 歳
母親
男性
髄膜炎後遺症
(52 歳)
26 歳
(大島分類1)
母親
男性
(48 歳)
22 歳
母親
男性
CP(大島分類1)
(45 歳)
21 歳
胃瘻造設
病名
家族構成
利用している
福祉サービス
主介護者
の就業の
有無
知的障害者作業所
CP(大島分類1)
父・母・姉
通園
無
ヘルパー(入浴)
CP(大島分類4)
父・母
弟2人
父・母
CP(大島分類1)
通園 2 ヶ所
ヘルパー(入浴)
父・母・弟
知的障害者作業所
兄:結婚し
通園
独立
9
通園 2 ヶ所
母・弟
自営
無
パート
ヘルパー(入浴)
通園
ヘルパー(入浴)
パート
2. 青年期から成人前期にある重症児(者)を育てる親の体験・思い
1) 対象者別の体験・思い
対象者別の体験・思いについて、カテゴリーを< >、象徴的な言葉を「 」で表し、対
象者ごとに図解化して文章化した。以下、対象 A から対象 E の順に、主介護者の体験・思い
の概要を記述する。
(1) 対象 A(図 2-1)
A は、姑との同居に加え小姑が近くに住んでいるという生活環境の中で、<子どもを受け
入れてもらえない>、<夫はあてにならない>と感じ、家族内で孤立していた。そして、
<自分が看るしかない>と考えていた。
また、A は、<障害児という現実にショック>を受けながらも、前向きに考えて訓練を開
始した。幼少時は病気ばかりで訓練が進まない、子どもの反応もないため<期待する効果
がでずむなしい>と思う時期があったが、<子どもをそのまま受けとめる>事ができるよ
うになった。養護学校卒業時には<卒業後にどうなるのか>と子どもの受け入れ先の不透
明さを不安に思い、<受け入れ先を探すしかない>と自らが行動していた。その結果、進
路会議が開かれ卒業後の進路が決定し<不安が解消していった>と、戸惑いながらもここ
までたどり着き現在の生活に至った経過を語った。
その中で、A は、最初は「自分だけが・・・」というマイナス感情を持っていたが、通園や
知的障害児(者)の会などで出会った人とのかかわりの中で、「頑張れるかもしれない」「障
害児(者)の親はみんな同じだ」と思えるようになり、<人との出会いが自分が変えた>と
感じていた。そして、これまでの事を振り返り<出会った人に助けられている>、<子ど
ものおかげで乗り越えられた>と思っていた。
しかし、将来について A は、<できるだけ在宅を続けたい>と思いながらも、「自分の健
康や体力に自身がない」、「これ以上大きくなると抱えられない」などの現実から、<いつ
までできるだろうか>という不安を抱えていた。そして、これまで在宅生活を選択してき
たことについて、<自分の選択は良かったのか>と迷い始めていた。また、<親亡き後が
心配>で、本音は自分より先に逝って欲しいが、現実には親が先に行くことは理解してお
り、親亡き後は<娘しかいない>と将来への不安を感じていた。
また、きょうだいについて A は、重症児にかかわりすぎて、「さびしい思いをさせた」た
め、<娘に申し訳ない>と思っていた。また、自分の思いが伝わらないため<健常児の子
育ては難しい>とも思っていた。しかし、知的障害児(者)施設に勤めるようになってか
ら、娘が自分の思いをわかってくれたこと、娘に相談ができるようになったことから、<娘
の変化が嬉しい>と喜んでいた。そして、きょうだいの将来について親は、親亡き後は<
10
娘しかいない>と思う反面で、「娘を縛り付けたくない」「早く結婚して欲しい」と、<幸
せになって欲しい>と案じていた。
重症児(者)について A は、表情の変化や態度の変化から<子どもは言わないけどわかっ
ている>と重症児(者)にも意思がある事を確認し、施設入所などについては<子どもへも
説明が必要だ>と考えていた。そして、そのような子どもに対して、将来の施設入所に向
けて<子どもが困らないようにしたい>と考えながらかかわっていた。また、A は<どの施
設がよいのだろう>と施設の選択も身近に感じていた。その反面で、わかっているにもか
かわらず状況をただ受け入れるだけの<子どもに申し訳ない>との思いがあった。
「もう 25 年も経ったんだ」とこれまでの自分の人生を振り、「自分の何かを教えるため
にこの子は生まれてきた」と、自分にとって、重症児の子育ては意味のあるものだと考え
ようとしていた。
(2) 対象 B(図 2-2)
B の家族は共働きであった。子どもが学齢期までは祖父母が介護を手伝ってくれていたが、
子どもの卒業を機に祖父母による介護力の低下から妻が介護を担当する予定であった。と
ころが、妻が悪性腫瘍と診断され手術を行ったため、妻の体力や精神的負担を考慮し、父
親である自分が退職して主介護を担当することになった。
B は、「男として仕事面ではみんなと同じ仕事第一でいきたかった」、
「重症児がいるから
ということでハンディを負いたくなかった」と語り、重症児がいるということで<仕事で
は特別扱いはして欲しくない>と思っていた。そして、家族や子どもには<自分にできる
だけのことはしてきた>と、男として仕事とプライベートとは切り離して考えようとして
いた。しかし、妻の大病によって、自分の人生を考え直さなくてはいけなくなった B は、
<働き盛りの時期の退職の決断は大きな問題だった>が、<自分が子どもの世話をしよう
>と主介護者となる覚悟をした。
子どもの高校卒業という時期は、在宅か入所かの選択や通所施設の選択の時期であるた
め、<高校卒業が大きな転機だ>と感じていた。在宅を選択した B は、重心児に対応した
施設が少ないため<サービスを利用できないことがある>ことを問題だと感じていた。さ
らに、ショートスティも空きがないと断られるなどの現実もあり、<サービスが利用でき
ないと在宅はつらい>と思っている B は、必要なお金は出すから<重症児の福祉制度を充
実させて欲しい>と願っていた。また、B は支援費制度導入に関して、良い面もあるが将来
的な不安も感じていた。それは、「効率的な経営と手厚いサービスは矛盾する」というもの
で、<福祉サービスの理想と現実は違う>ととらえていた。特に、重症児(者)福祉は、
対象者が少ないため<福祉を動かすパワーが欲しいが現実は弱い>と思っていた。このよ
うに、B は、重症児(者)福祉への不満と今後への期待を持っていた。
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子どもに<活気ある生活をさせたい>と考えている B は、現在、二つの重症児(者)通
園を利用している。複数の施設を利用することについて、<いろいろなことを体験できる
ことは良いこと>と、子どもにとってはメリットであると考えていた。
将来については、<両親が見られる間は在宅を続けたい>が<見られなくなったら施設
入所だ>と考えていた。しかし、<施設の生活は人間らしくない>とも思っていた。<親
亡き後が一番気になる>と語り、<きょうだいには迷惑をかけたくない>と思いながらも、
<最期まで見守って欲しい>という親の思いがあった。また、親亡き後のことを心配しな
くてもよいようにと福祉制度の充実を願っていた。
(3) 対象 C(図 2-3)
C の子どもは、生後 10 ヶ月時の突然の病気が原因で障害児となった。C は、障害を告知
されたときに、「夢なら覚めて欲しい」と願い、「育てる自信がない」と<障害を受け入れ
られな>かった。しかし、これ以上悪いことはないだろうと開き直り、一生懸命にボイタ
法をしたり、訓練やてんかん治療のために病院まで遠い道のりを通いつづけたりと<子ど
ものために一生懸命にやってきた>。そして、身体の弱かった子どもがここまでこれると
は思ってなかったと、<元気に育ってくれてよかった>と喜び、重症児(者)の親として頑
張ってきた体験を語った。その間 C は、<信頼する医師がいるので心強い>と、医師に支
えられて頑張ってきた。しかし、子どもが成長した現在は、動くので安全に治療ができな
いといわれることが多く、<重症児が受診できる病院が少ないので困る>とも感じていた。
また、子どもに対しては、<病気さえしなければ今頃は>と思うこともあり、「病気にさ
せた子どもへの責任が一生続く」と<病気にさせた子どもへの母の負い目>を感じていた。
そのため、「これからの子どもの道を築いていってやりたい」と<親の責任を果たさないと
いけない>と感じていた。
同時に、通所施設に通う子どもを見て、<子どもなりに発達し、意思を持っている>と、
人とのかかわりが子どもによい効果を与えてくれていることを実感し<多くの人とかかわ
ってもらいたい>と考えていた。そして、<自分らしく生きて欲しい>とも思っていた。
成人した子どもの発達から子どもの意思を確認しながらも、
「病気時の反応がこれまでと違
う」と。<子どもの反応の変化に戸惑い>も感じていた。
将来については、<可能な限り一緒に生活したい>が<いつかは同居できなくなる>と
在宅への限界も感じていた。だからこそ、<親の責任を果たさねば>とも考えていた。
日常の生活では<近くに通える施設がない>ため、月に6∼8日しか通所施設を利用で
きていなかった。そのため、C は体調が悪くても休養することができず、<施設がなければ
在宅は限界だ>とも感じていた。また、1 時間かけて通所施設へ通うため、<長時間の移動
による子どもの体調への影響が心配>だとも思っていた。このように、現行の福祉サービ
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スへの問題も感じ、特にショートステイについては、支援費制度の導入により<利用者の
増加で必要時に利用できないので困る>と感じていた。
さらに、自分の人生を振り返り、これまでの<がむしゃらな人生>を<これはこれでよ
い人生だ>と思う反面、
「なんか焦っている。何かやり残したものがあるような。」と感じ、
今後は<充実した人生を送りたい>とも思っていた。
(4) 対象 D(図 2-4)
D は、実母が緊急入院の時に子どもの短期入所先を探したが、施設側から予約で満床だと
告げられ、なかなか<必要時サービスが受けられな>かったという体験をしていた。その
ため、今後、家族の緊急時に利用できないのではないかと<緊急時の対応に不安>を感じ
ていた。また、満床の理由が、若い親の定期的な利用にあるということで、「昔は、自分た
ちが家庭で看るのがあたりまえだった。子どもは小さいころは家族で看られるはずだ」か
ら<若い人は遠慮して欲しい>と思っていた。さらに、<在宅継続のためにサービス選択
が重大>だと考えているにもかかわらず、<施設が少ないので選択肢がない>と、現行の福
祉サービスへの不満を感じていた。
また、D は、将来への漠然とした不安も感じていた。その内容は、「自分たちが看れる間
は一緒に家族でおりたい」と<できるだけ一緒にいたい>と願いながらも、自分たちの健
康不安により、<いつまでできるだろう>という不安であった。さらに、「入所希望を出し
て順番が早くきたら嫌だし、かといって、必要なときに順番がきてなかったら不安」と、
現実に<いつ登録すればよいのか>と迷っていた。
また、D は自分の若い頃を振り返って、一生懸命に子育てしてきた体験を語った。「まさ
か障害児を産むなんて」
「どうしていけばよいのか」と<現状を受け入れられない>状況か
ら、周りも見えないほどに<無我夢中>で訓練や介護を行っていた時期を経て、今では<
子どもとの生活が普通>になっていた。その間、D は、家族や同じ重症児を持つ親、情報交
換できる仲間など<周囲の人に支えられた>から、これまでやってこられたと感じていた。
一方で、D は、<田舎での子育ては難しい>と感じていた。特に重症児を育てていく中で
心無い言葉に傷ついた経験や、人間関係にくたびれた体験から<周りの目や反応が気にな
る>と感じていた。そのため、重症児の親という体験は<もう一度体験したいとは思わな
い>という思いを持っていた。だが、<周囲の人に支えられた>体験から、自分の人生観
をかえた<障害児の子育てはよい経験だ>という思いも持っていた。
D の長男家族に近々孫が生まれる予定であった。そのため、D は、その長男夫婦のことを
気遣っていた。嫁や相手の親が、きょうだいに重症児がいることで出産に不安を持ってい
るのではないかと気にしていた。そして、自分と「同じ体験はさせたくない」、「障害児と
わかれば堕ろさせる」など、きょうだいの将来を案じ、きょうだいには「負担をかけたく
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ない」、<幸せになって欲しい>と思っていた。
同時に、障害児(者)が家族にいること
でこれまで甘えさせられなかった経験や結婚に関してマイナス感情について<兄弟に申し
訳ない>という思いを持っていた。反対に、自分がかまってあげられなかったきょうだい
が、<子どもを家族として接してくれることに喜び>を感じていた。
しかし、D は、重症児の親としての人生だけではなく、自分の人生も考えていた。重症児
を育てながら<就労できることは恵まれている>と思いながらも、<障害児を育てながら
の就業はハンディ>を感じる社会のなかで、それでも<自分自身のために働きたい>と思
っていた。
子どもについては、<人とのかかわりの中で成長している>と実感し、さらに<さまざ
まな経験をさせたい>と思っていた。そして、<成長に伴う身体的変化>、特に、関節拘
縮を見ながら<訓練は必要だ>とも思っていた。
(5) 対象 E(図 2-5)
E は、子どもの障害を告げられた時やその後のことについても、<何もかもわからず困惑
>したと語った。障害児の育て方がわからない、将来の見通しがつかない、どこへ相談に
いってよいかわからないという状態だった。ところが、実際に相談したくても、<きちん
と相談できるところがない>と感じていた。また、どの施設も病院も、自分が中心になっ
てつながっているだけで、<施設間の連携がない>とも感じており、結局は、<自分が切
り開いていくしかない>状況に、福祉環境への不満を感じていた。
E は、障害を告知された後の夫の言動に反感を持っていた。夫が子どもに触れなくなった
り、子どもを否定するような言動があったため<夫はあてにならない>と感じていた E は、
結局離婚という形をとっていた。
E は、<自分にできることはしてやりたい>と頑張ってきた。しかし、高校2年の時から
徐々に子どもに変化が起こってきた。これまでできていたことができなくなっていく、動
けなくなる、嚥下が下手になるという、<機能が低下していく現実に不安>を感じていた。
重症児は成長とともに<機能低下は仕方ない>と理解しながらも、どうにかして<この状
態を維持させたい>とも思い、これまで通りの訓練を家庭でも続けていた。だが、今の状
態を見ると、これまで頑張っていろいろとやってきたが、<してもしなくても結果は同じ
だったのかな>と感じていた。しかし、結果は同じでも、<してきたことに後悔はない>
とも思っていた。このように、E は子どもの機能低下を受容するまでの葛藤と、子どものた
めに頑張ってきた体験を語った。
だが、E は、子どもとの生活について、「子どもが大きくなってきたのでしんどい」と思
っており、<介護が大変だけど家で見たい>が、そのうち<看られなくなるかもしれない
>という不安を持ち始めていた。そして、これからは安心してあずけられる<施設を探さ
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ねば>と思っていた。このように、E は、子どものために頑張ってもいつかはできなくなる
ことを考えており、そのために、将来<施設入所後困らないようにしたい>と考え、人に
なれて欲しい、施設になれて欲しい、場所になれて欲しい、親離れ子離れの準備として生活
していた。そこには、<子どもなりに意思がある>からであり、自分のためでもあった。
E は、きょうだいには<兄にあわせて生活させてきた>と考えていた。そして、兄弟が今
自分の<やりたいことをしていることが嬉しい>と思っていた。将来のことについて、E は、
兄のことを重荷に思って欲しくない<きょうだいに負担をかけたくない>とも思っていた。
だが、<親亡き後はたまに会いに行ってほしい>とも思っていた。きょうだいに負担をか
けないように、後見人について興味を持っていた。このように、E は、きょうだいの幸せを
願っていた。
さらに、E は、自分の人生も考えており、仕事をする自分について、
「普段とは違う自分
になれる」「気分転換になる」と<仕事は気分転換の場>であると考え、自分の時間を大切
にしようとする姿があった。そして、今はまだできないが、<いつかやりたいことができ
ればいいな>と、自分にも夢があり、希望を持っていることを語った。しかし、その根底
には、<子どもが元気なのが一番>だという前提があった。
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2) 青年期から成人前期の重症児(者)をもつ親の体験・思いの統合
対象者の体験・思いを統合した結果、6 つのカテゴリーが抽出された。(1) 子どもの成長
と幸せを願う、(2) 子どもの将来が気になる、(3) きょうだいの幸せを願う、(4) 重症児
の親としての人生だった、(5) 自分自身の人生もあるんだ、(6) 医療・福祉への不満と期
待、であった。このカテゴリーを図解化したものは図 3 に示す。
図 3 は、
【子どもの成長と幸せを願う】
【子どもの将来が気になる】
【きょうだいの幸せを
願う】という 3 つが関連し合っており、それらを支えているものが【医療・福祉への不満
と期待】であった。また【重症児の親としての人生】の一方で【自分自身の人生もあるん
だ】と、人間としてのアイデンティティーを感じていたことを示している。
以下、各カテゴリーについて説明する。なお、大カテゴリーは【
<
】
、中カテゴリーは
>とし、
「 」は象徴的な言葉、そしてゴシック体文字は対象者の言葉を示す。(
)内
のアルファベットはその対象者を表す。各カテゴリーを図解化したものは図 3-1∼3-6 に示
す。
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【子どもの将来が気になる】
【きょうだいの幸せを願う】
親亡き後が心配
施設入所への
覚悟
親亡き後は
自分の人生を
きょうだいに
健常児の子育て
歩んで欲しい
申し訳ない
は難しい
きょうだいしかいない
在宅継続への
これまでの選択
不安
に対する迷い
自分と同じ苦労は
きょうだいに感謝
させたくない
【子どもの成長と幸せを願う】
子どもの成長と
子どもへの負い目と責任
その喜び
機能低下は
仕方ない
活気ある生活を
子どもなりに意思
成長にともなう
送って欲しい
を持っている
戸惑い
【重症児の親としての人生だった】
【医療・福祉への不満と期待】
サービス保証が
通所施設は
福祉を動かす
障害児(者)の子育て
障害児(者)の子育ては
不安定
意外な良さがある
パワーが欲しい
は良い経験だ
経験したくない
利用者偏りへの不満
サービス選択は
妥協して
医療・福祉職員
重大だ
選択している
への不満
周りに支えられて
戸惑いながらも
頑張れた
一生懸命だった
社会の中で育てるのは
難しい
家族はあてにならない
【自分自身の人生もあるんだ】
生きがいを
自分のために
見つけたい
働きたい
将来自分のために
注)図中の記号の見方
関係あり
相互に因果的となる
生起の順
互いに反対
できるといいな
図 3 青年期から成人前期の重症児(者)をもつ親の体験・思いの統合
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(1)【子どもの成長と幸せを願う】
(図 3-1)
ここでは、重症児(者)である子どもへのさまざまな親の思いが語られていた。<子ども
の成長とその喜び>【1-1】、<子どもなりに意思を持っている>【1-2】、<活気ある生活
をして欲しい>【1-3】、<成長にともなう戸惑い>【1-4】、<機能低下や拘縮は仕方ない
>【1-5】、<子どもへの負い目と責任>【1-6】という 6 つのサブカテゴリーで形成されて
いた。
【1-1】子どもの成長とその喜び
障害をもって生まれ、幼少時に肺炎などで入退院を繰り返していたわが子が、成人にな
ったことを「元気に育ってくれて良かった」と思っていた。
今は、普通に育ってくれたので良かったな∼と思ってます。(B 事例)
ここまでこれるとは思ってなかった。弱かったんですよ、とにかく身体が弱かったんですよ。だから、
ここまでこれて良かったな∼という感じですね。(C 事例)
また、親は、通所施設へ通う子どもの表情や動きが変化していることから、子どもは通
所施設などでのさまざまな体験を通して、「人との関わりの中で発達している」と感じてい
た。
最近すごく表情が良くなってきたんですよ。養護学校のときとはまったく違った反応が出てきて。ヘ
ルパーさんからも、
「表情が良くなったね∼って」言われるんです。声も出して何かを言おうとしてるん
です。 (A 事例)
通園に行って帰るとすごく表情がいいというか、ニコニコしてる感じですね。リハビリもしてもらっ
て、すごく動きが変わってきた。今まで床から移動するにしても、何十年もこういう風なやり方しかい
ってなかったものが寝返りができだしたりだとか、全然今までにしてなかった移動方法を本人がするん
ですよね。この 2 年ほど前から。すごいんですよ、今。全然動きが違ってて。(C 事例)
【1-2】子どもなりに意思を持っている
子どもは、嫌な表情や嬉しそうな表情など、その時々にさまざまな表情や態度を見せる
ことから、親は、「子どもなりに感じている」「子どもは言わないけどわかっている」と、
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とらえていた。
この人、切り替えができるみたいで、施設に入るとここの時間にピっと切り替えるんです。家だと 2 時
3 時くらいまで起きてるんですけど、ここ(施設)だと、消灯って言ったら寝るんです。朝、起きてくだ
さいって言ったら朝起きるんです。…略…「あ∼この人はわかってるのかな?」って。
「わかってるんだ
ろうな」って。(A 事例)
私が思っていること、この人には読めてるんじゃないかなと。多分、私がわからないだけでこの人には
全部私が考えてることが・・・「今度どうしようって思ってるんだろう」って勘ぐってるっていうのか、感
じるんですかね。そのような気がするんですけどね。(A 事例)
そのため、親が考えているより「子どもは意外とたくましいかも」ととらえており、親
が心配するほど環境の変化に弱いわけではなく、与えられた環境に意外と適応できるので
はないかとも思っていた。
この子達って、施設に入れば入ったような生活をするんじゃないかと思うんですよね。どこへ行っても
この子はできるんじゃないかなって。私が思うほど、この人はやわではないかなとは思ってるんですけど
ね。(A 事例)
結構、器用にこの人たちわかってるな∼というのは感じますけどね。親が思ってる以上に環境の変化
に生きていけるんかな∼とは思いますけどね。なんかヘンな所でわかっとるところがあると思うんです。
(C 事例)
しかし、ほとんど反抗することができず黙って環境に適応しようとしている子どもの姿
を見て、親は、「子どもがかわいそう」とも感じていた。
時々入院した時、
「A ちゃん、ここはこれでないとダメなんよ」って、言ったら最初ペッペと出すけど、
そのうち諦めて食べますけどね。だから、切り替えができるから、余計かわいそうだなって思ったり。(A
事例)
【1-3】活気ある生活をして欲しい
親は、養護学校卒業後の子どもの生活のあり方を考えていた。特に、家の中で寝たきり
というような「むなしい生活はさせたくない」と考えていた。
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家にいれば寝たきりで、テレビつけてという生活でむなしい生活を送らないといけない。むなしい生
活は送らせたくはなかった。(B 事例)
そして、子どもが外出できる機会を少しでも多くするために通所施設を選択し、
「いろい
ろな人にかかわってもらいたい」と考えていた。
お母さんは A ちゃんを出かけさせたいんで外に出してやれる方をとっちゃった。W に行くといろんな
人が関わってくださるんで。ずっと家にいたら親もねっころがして食事食べさせてしかしないんで。(A
事例)
家においておこうという考えはなかったですね。本人の視野が広がるというのではないんだけど親で
は限界ですよね。連れて行ってやればいいとは言うものの、やっぱり日々の生活に追われて、なかなか
この人を連れてどこまで行くというのがやっぱり難しいですよね。
(C 事例)
また、通所施設が地域にない家族は、子どもにとって良い環境は何かを考え、一人でも
移動させやすいように住居環境を整えていた。それは、寝かせたままの生活を送らせたく
ないという思いからだった。
この人がずっといるという状況の中で、過ごしやすい環境ってなんだろうと考えて、…略…部屋はリ
フトだから車椅子でも私一人でも移動させることができて、車椅子で家の中で過ごしやすかったり。車
椅子でこのスロープで車に乗るところまで降りられるし。車は電動リフトつきの車にしてますので、主
人が仕事を休みを取れないもんだから、日中は私一人になるってことだから、じゃあどうやれば一人で
外へ連れて出ることができるんだろうって。(C 事例)
【1-4】成長・発達に対する戸惑い
運動機能の低下や摂食機能の低下が起こった子どもの母親は、これまでできていたこと
が徐々にできなくなっていく現実に、「やったことがどこへいったんだろう」「結局は訓練
しても同じだったのかな」と、感じていた。
以前は歩いたり喋ったりしてたんですよね。今はほとんど言葉も喋れないし、ご飯も食べる事ができ
なくなってきてるんで、それだけやったことが、どこへいったんだろうって。やってもやらなくても変
わらなかったのかなと。(E 事例)
いろいろ思いつくままにやってましたけど、今二十年経って思うと、だから結局それだけやっても行
き着くところは一緒だったのかな∼と思います。(E 事例)
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そして、その親は、子どもの機能が低下し始めたころからは「どこまで落ちていくのだ
ろう」という不安や、「なぜそうなるのか」「どうすればよいのだろう」という戸惑いの中
で過ごしていた様子を語った。
機能が低下し始めた頃が不安ていうか、どこまで落ちていくのか、維持できるのか、持ち直せるのか、
って思ったときがあった。(E 事例)
中学生ぐらいの頃から 40℃くらいの熱がボンよく出るようになって。何でこんなに高い熱が出るんだ
ろうと思ってたんですけど。入院もだんだん増えてって。何でこんなに肺炎になるのかな∼と思って。
誤嚥とかを知らなかったので除湿機をつけたり空気清浄機をつけたり、湿度の管理をしたり。それでも
やっぱりなるし。結局、それで高校もずっとそれで過ごして。わからないまま・・・。(E 事例)
また、子どもの反応の変化に対して、子どもの心の成長だと肯定的にとらえながらも「反
応が変わったので(今までのようには子どものことが)わからなくなった」という、戸惑
いも持っていた。
この人たちの心の成長じゃないけど、よく一般に言われる親離れとか子離れとか言われるそれかな∼
と感じた事もありました。…略…18 歳をすぎた時点でね、なんかで違うんですよ。本人からしてみれば
親離れかな∼と、私は思うんですけどね。今までのようには子どものことがわからなくなった。(C 事例)
【1-5】機能低下や拘縮は仕方ない
親は、子どもの身体的な成長にともなって起こる、骨・関節の「変形・拘縮が気になり
始めて」いた。
オムツ替えたりするのに足が硬くなってるんですよ。…略…学校の時には訓練はなかったんですが、
子どもが若い。若いから身体も柔らかい。年をとるに連れて、高等部くらいからかな∼ちょっと気にな
り始めて。 (D 事例)
歪みがきますよね、それぞれ。右足はもう伸びきりません。だんだんいろんなところが・・それと、座
るのがいやですね。いつも手がこんなになってるし。(肘屈曲位)嫌がりますね、何しても。(A 事例)
その機能低下や拘縮が起こることについて、親は医療従事者からこれまでに説明を受け
ていた。そのため、親は、子どもの成長にともなう変形・拘縮が気になりはじめていたが、
「機能低下や拘縮は仕方ない」とも思っていた。
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機能が低下していくのは仕方がない。てんかん発作もあるので、脳の問題もあるので、身体が大きく
なっていく割には動けないので筋力がないので身体もどんどん萎縮してきたりとかするので、だからそ
ういうところはもう仕方なくそうなるものだって。(E 事例)
そして、それがどうしても起こるものなら「少しでも楽になるなら訓練をして欲しい」
と考えていた。
訓練は必要ですよね。重度だから理学療法の身体を動かす事とかしてもらいたい(D 事例)
訓練をして少しでもゆがみを防ぐんじゃなくて、どうしてもなるんならそれが少しでも本人が楽にな
ればと。(A 事例)
療育センターに入るとある程度の知識が入ってくるので、のびる所まで行くとあとは低下していくっ
て言われたので、…略…でも、そういうところで納得しつつチョットあがきながらやってきてる。なる
べく今を維持できるようなことをやってる。(E 事例)
【1-6】子どもへの負い目と責任
親は、「病気さえしなければ今は・・・」と、病気が原因で障害児になった子どもへの負い
目を感じていた。そして、病気にさせてしまった「子どもへの責任がある」と考えていた。
普通の子どもはそれから運転免許を取りにいったりとか専門学校とか、自分が望めば色んな所を探し
ていけるわけなんでしょ。でも、この子たちはそういうこともまったくできない状況になる。おんなじ
年の人、リクルート活動や結婚とかおんなじ年代の子をみると、やっぱしダブって見てしまう自分がい
るし、「病気になってなかったら、あ∼いう人生を送ってるんかな∼」と思ったりもするし。(C 事例)
病気にさせてしまった自分、病気を見抜いてやれなかった自分、子どもが言葉もいけない頃だったか
ら、こんな大変な病気をしているという状況を早急に気づいてやれなかったというのがいつまでも自分
の中でトラウマみたいなものが一生続いていくんだろうと思いますけどね。(C 事例)
気づいてやれなかった自分の代わりに、これからのこの人の道をしっかり築いていってやりたいとい
う思いしかないですけどね。(C 事例)
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(2)【子どもの将来が気になる】
(図 3-2)
ここでは、子どもの将来についての親の思いが語られていた。このカテゴリーには<親
亡き後が心配>【2-1】、<在宅継続への不安>【2-2】、<施設入所への覚悟>【2-3】、<
これまでの選択に対する迷い>【2-4】、<親亡き後はきょうだいしかいない>【2-5】とい
う 5 つのサブカテゴリーで形成されていた。
【2-1】 親亡き後が心配
親は、「親亡き後のことが一番気になる」と、子どもの将来を心配していた。そして、こ
の心配は、<親亡き後はきょうだいしかいない>【2-5】という思いにつながっていた。
親なき後のことは一番気になりますよね。どっちが先に、ひょっとして本人の方が先に逝ってしまう
かもしれんけど。(B 事例)
他の子は巣立っていくけれども、この子のことが心配で。自分たちが病気になったらどうなるんだろ
う。いつか自分たちが看れなくなったらどうなるんだろうっていうのが。(D 事例)
親亡き後が心配なため、「自分より早く亡くなって欲しい」と語る親もいた。
本音を言えば、私より 1 秒でも早く亡くなってくれたらいいですけど、そんな事普通ならありえない
ですからね。他の子どもの親もきっと同じことを思ってますよ。親亡き後が一番心配ですよね。
(A 事例)
また、親亡き後の後見人制度について考えている親もいた。
もし、私が死んだら・・・先のこともわからないし詳しい事もわからないんですけど、後見人だとか
そういうことはどうなっているのかわからないですけどそういうのがあればまた、そういうことも手続
きなんかもしないといけないんだろうし。(E 事例)
【2-2】 在宅継続への不安
親は、自分の体力や健康に不安を持ち始めていた。そのために<在宅継続への不安>を
感じながらも自分が介護できる間は家族として一緒に生活をしていきたい、
「可能な限り在
宅を続けたい」と思っていた。また、施設へ入れると抱けなくなるのではないか、連れて
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帰ってあげられなくなるのではないかという不安も、その思いを強くしていた。
できるだけ在宅を続けたい。できるだけ一緒に。 (A 事例)
我々が元気な間だけはなんとか在宅でやっていこうと思ってます。我々が病気をせん限りは。(B 事例)
うちは 3 人の家族なんですよ。いやおうなしに親はどんどん高齢化とともに、この人と一緒に同居す
る事ができなくなる。日に日にそっちに近づいているわけでしょ。そしたら反対に、一日でも多く家族
として 3 人の生活を長く持ってやりたいんです。両親がみれる間は一緒に。この人がこの家族の一員と
しておれたらな∼と。(C 事例)
夫婦で健康におれば F ちゃんと三人で犬と暮らせたらいいな∼とは思いますね。
(D 事例)
また、親は自分の老いから健康や体力への不安を持ち始め、徐々に将来への不安が強く
なっていた。自分が若かった頃と比べると介護に負担を感じはじめており、在宅はこれか
ら大変だと自覚しながら、「いつまで在宅を続けられるだろうか」と思っていた。
在宅はこれからが大変だと思うんです。今はもう体力を維持できなくなってきてますからね。私たち
の身体がだんだんいう事がきかなくなっている。いつまで持つだろうかと思うことがある。昔は私も元
気だったから良かったんですけどね。今は更年期みたいになって自分の身体に自信がなくなってきてる
んですよね。ちょっと無理をするとメニエルになったりして、こっちの身体がガタがきはじめてるか
ら・・・。(A 事例)
年をとってきて他の兄弟が巣立っていったりとか、それと、自分たちの健康が、いろいろ出てきた時
にやっぱり不安が出てきます。いつまで続けられるんだろうとか。若いときよりも今の方が自分に健康
不安が出てきてから、将来の不安が強くなってきました。(D 事例)
老いていくじゃないですか。だから、看れなくなるっていうのがいちばん不安ですね。今でもやっぱ
り、結構日常の介護、おしめを変えたりとか、起こしたりするのが結構大変になってきてるので。体重
も私より重いんです。でも、まだ抱えられるんですけどね。でも私も形成股関節不全で歩けない事もあ
るんですね。たまに。だから、やっぱり看れなくなるっていうのが一番不安ですね。(E 事例)
また、将来の施設入所を覚悟していながらも、
「登録しようか。どうしよう」という親の
思いもあった。その思いには、在宅生活の継続に不安を持ちながらも、いざという時に安
心できるようにしておきたいが現実にはどう行動すれば良いのかと迷っている親の思いが
感じられた。
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入所希望を出しといて順番が早くきたら嫌だし、かといって、必要なときに順番がきてなかったらど
んなか。その不安もあります。この間、そういう話を主人としました。A か B かに、順番がまだまだだ
ったら、希望を出しとった方がいいんかね∼。でも、そうかといって早くきたらね∼とかね。(D 事例)
また、施設について「施設の生活は良くない」という否定的感情を持っている親もいた。
入所で、時間通り朝何時に起きて、何時に食事して・・・という生活は毎日毎日同じサイクルでやる
のは人間じゃないじゃないっていうね。朝寝はしたい、食事だって朝遅く十時ごろ食べてみたいとかね。
毎日同じような生活なんて、そりゃア無理。そんな画一的にあさ 7 時半からご飯食べて・・・それを経
験するのも。まあ、やむを得ないとは思いますけどね。どうしても、本人のそういう状況を見ながらや
るというとマンツーマンでいてやるのが一番理想ですよね。(マンツーマンだと)今起きたばっかり、食
事はもう少し後の方がいいね∼とか、時間なんていうのはねどうにでもできるけど、みんな一緒にとい
うと、どうしても団体行動となると、そうせざるを得ない面もありますよね。(B 事例)
【2-3】
施設入所への覚悟
親は、在宅生活には限界があることを理解しており、「いつかは施設入所」だと考えてい
た。また、ほとんどの親は、両親のどちらかが欠けると入所になるだろうと考えていた。
施設へはいつかはあずける事になるとは思っている。(A・B 事例)
いずれはもう、どこかの入所施設に入所となりますので。それまでは両親のどっちかが先に欠けても
おそらく入所になるだろう(C 事例)
どっちとかが病気とか入院とかしたらそれは(入所は)考えないといけないね∼とは言ってる。夫婦
どっちかが病気したり入院になったらアウト。風呂も一人じゃ無理だし。いずれ子どもは出て行くだろ
うし。(D 事例)
そして、入所施設の選択が親にとって大きな関心事になってきていた。「どこの施設がよ
いのか」と、子どもに適した施設の選択を始めていた。
どこがいいのかわからない。どこへしようかな?施設をいろいろと・・・同じような人とのグループホー
ムもいいか。今はいいですけど、吸入とか吸引なんか必要な時には医療面の介助ですかね。だから、どん
な風になるのがこの子にとって良いんだろうって。だから、どこの施設にするかっていうのはいつも頭の
25
中で考えている。(A 事例)
(自分たちが看れなくなると、)どうしてもこういった医療施設が整って、入所ができる所ですね。そ
のときは本人も年をとって障害児対象じゃなくて障害者ですかそういうところが整備されておれば、そ
ちらの方にお願いするようになるのかな∼と。(B 事例)
今から思うのは、安心してあずけられる施設を探してってことですかね。だから、今からはそれが一
番心配ですかね。もっと中をよく知って見つけたいというのがある。そういう職員の方の入所されてる
方に対する人数だとか、うちだと胃瘻とかもあるので医療の整った所だとか。まあ、家で看てるように
はならないので、どこで妥協していくかなんですけど。(E 事例)
また、親は将来の施設入所のために、親以外の介護に慣れてもらいたい、規則的な生活
リズムをつけさせたいなど、子どもが「施設入所後に困らないようにしたい」と考えて行
動していた。そして、通所施設やショートスティを利用し、徐々に施設や人の介護に慣れ
てもらおうと考えていた。
この人が施設へ行って困らないようにするのが私の務めというか私のしてやれること。家で好きなも
のばかり食べてるから施設へ入ったら困るだろうな∼って。それを思うんですよ。だから、できるだけ
白いご飯食べさすように。この子、白いご飯嫌いだから。いずれは施設へ入ることを思って小さい頃か
ら、白いご飯食べなさいって。(A 事例)
施設へあずけるためには、家での生活をある程度リズムをつくっておかないといけないって思ったり。
何でも食べさせるとか。それと、好き嫌いないように食べさせなくてはならないとか、それはいつも心
がけている。(A 事例)
土日夜に家にいて、離れてる状態を続けて施設に入れた方がいいかな∼と思って。ベッタリになりた
くない。でもベッタリですけどね。どういうんでしょう。この人が「お母さんがいないと僕生きていけ
ない」っていうのではいけないんで。これまでも学校の先生が関わってくださったから、この状態を続
けて施設へ緊急一時をしたりショートステイをしたりして徐々に徐々に離れていくほうがいいなって思
って。(A 事例)
将来何十年か先にはどっかの施設に入所の形になって、たくさんの職員さんの中にはあんたも好きな
人、嫌いな人があるんだから、その中で、熱が出てしんどいな∼、あ∼して欲しい、こ∼して欲しいっ
て言う事を、この人だったら言えそうだなっていう人を、あなたが自分の力で引っ張ってでもいいから、
自分でしっかり作っていきなさいよって、そういうことを、この人に今伝えていく大きな義務というか
ね、この人に教えていかんといけんかなって。(C 事例)
26
いろいろな人にも将来的にも慣れていってもらわないといけないというのがあるから、ヘルパーさん
とか看護師さんとかも別に指定はせずにいろいろな人に入ってもらうように。A 施設も空きがあるとな
るべく行かせてもらっているんですけど。まあ、そうして外の人にもどんどん知ってもらって、本人に
もどんどん慣れてもらって、すんなり入れるようになればな∼って思うんですけどね。本人が、そうい
うところでも生活していけるようにしていけるように。今から準備段階ですかね。本人と、お母さんの
子離れできるように準備段階ですね。(E 事例)
【2-4】 これまでの選択に対する迷い
これまで、夫に相談に乗ってもらえず自分ひとりで決めてきた親は、「これまで在宅生活
を続けてきたが、子どもにとって本当に良かったのか」と、これまでの自分の選択に迷いを
感じていた。
20 数年やってきてこれでよかったのかな∼って思うことがある。あずけてしまった方が良かったのか
な∼この子にとっては幸せだったかな∼って。在宅が長い方がいいのかどうかっていうのが・・・。長くな
い方がいいのかなって、施設に入ったときに困るのは本人かな∼って思って。(A 事例)
【2-5】 親亡き後はきょうだいしかいない
親は、親亡き後の子どもをきょうだいに託すしかなく、できれば最期まで見守って欲し
いと思っていた。子どものことできょうだいには迷惑はかけたくないと思っているが、親
亡き後はきょうだいしか頼れるものはいないという親の相反する思いがあった。特に、き
ょうだいについて親は、
「最後の頼みはきょうだいだけ」だと考えていた。
今でも全部こうこうって言ってるんだけど。だけど、先はどうしてもお姉ちゃんなんで。どこへ嫁いで
も。どんな風になっても。(A 事例)
そして、施設へ入所している子どものために、きょうだいには「最期まで見守って欲し
い」という親の思いがあった。
(兄弟には)そばにいて何かいろいろなことを、もし親がいなくなってもね、いろんなことを間接的に
そばにおって見守ってくれる立場でいてくれたらいいかなと思ってる。何かがあったときにだけ、ちょ
っと。お前らには迷惑をかけんようにするけど、子供が亡くなったら、葬式とかそういうことはちゃん
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としてやってくれとは言いますけどね。(B 事例)
もし、お父さんお母さんが死んだ後も、施設にいるんだったら、盆と正月とか面会の日くらいは行っ
てやってね∼。兄弟じゃけ∼ね。」っていうのは言ってるんですけどね。年取ってからね、施設に入れる
事があったら頼むよって。面倒見てくれという「頼むよ」ではなくて、面会に行ったりね。この子には
お金が下りるけれども、何かお金がいるような時には兄弟が出して援助してやってねという。(D 事例)
もし、私が死んだらおにいちゃんは施設にいるから忘れないくらいには会いにいって欲しいとか話は
してますけどね。(E 事例)
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(3)【きょうだいの幸せを願う】(図 3-3)
ここでは、親のきょうだいに対する思いが語られていた。このカテゴリーには、<きょ
うだいに申し訳ない>【3-1】、<自分の人生を歩んで欲しい>【3-2】、<自分と同じ苦労
はさせたくない>【3-3】、<健常児の子育ては難しい>【3-4】、<きょうだいに感謝>【3-5】、
という 5 つのサブカテゴリーで形成されていた。
【3-1】 きょうだいに申し訳ない
親は、重症児(者)の世話を一生懸命してきた時期があり、
「重症児(者)中心の生活だった」
ととらえており、その時期にきょうだいにかかわる時間が少なかったことや、甘えさせて
あげられなかったこと、さびしい思いをさせたことなどを<きょうだいに申し訳ない>と
感じていた。
一生懸命に思ってるんですけど、身体が向いてませんよね。背中を向けてたって娘が言いました。
「お
母さん、私は橋の下の子か」って。
「そんなことないでしょ。橋の下からどうやってもらってくるん?」
って。この人を一生懸命に見てたから。耳は向けてたんですけど、音で何してるって聞いてたんですけ
ど。でも、あの子(姉)には背中しか見えてないって。(A 事例)
入院するときとか、こういう状況だからこうするとか、そういう話はきちんと小さいうちからしてま
すね。でも、ずっと、お兄ちゃんに合わせて生活してきたっていう感じですかね。(E 事例)
母子入園に行く前におにいちゃんを途中から保育園に入れたんですよ。後から振り返っても、その後
の半年間って、同じクラスに誰がいたか、全然覚えてないんですよ。D ちゃんばっかり。…略…正直言
って、そこまでの余裕はなかった。「ボクはお父さんのもの」だなんて、それも寂しいし仕方ないけど、
でも、甘えさせるという事を上の子にはできなかった(D 事例)
この子は甘えたい。人から何を言われてもいいわ。今、甘やかしてやらないとこの子が大きくなった
時には私の責任だとその時思いました。人の噂なんてもうどうでもいいわって思いました。(D 事例)
また、重症児の存在がきょうだいの結婚や妊娠に関して何らかの影響があるのではない
かと気にしており、「余計な負担を背負わせた」と感じていた。
早く結婚して欲しいんですけど。この子のこともきちんと話して、わかってもらえる人でないといけ
ないですからね。それがあるから難しいですよね。いろいろ負担をかけてます。 (A 事例)
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子どもが大きくなりますよね。だから、結婚するときにね、こういう兄弟がおることを相手の親御さ
んがどう思うかっていう。向こうはなんとも思わないかもしれないけど、何か思ってるんじゃないかと
か。今度孫が生まれるんですけど、嫁さんは、障害児が兄弟にいるから不安に思ってるんじゃないかな
とか。相手側の親御さんの気持ちとかね。(D 事例)
【3-2】自分の人生を歩んで欲しい
親は
重症児のことで「きょうだいには負担をかけたくない」と思っていた。
将来、あの子(姉)を縛り付けるのは良くないんでね。「あんたはこの子の面倒を看ようとは思わな
くていいよ」って、ずっと言い続けてきたんですけどね。(A 事例)
親なき後は、兄弟がおりますけどね、二人の弟がいますけどね、その兄弟には直接的なお姉さんの世
話をさせてやりたくはない。(B 事例)
子どもたちには、息子たちの家族があるから子どもたちに面倒看てくれって言うのは、親でも大変な
のにそれはよう言わないし。家族崩壊になったらいけんからね、それは思ってない。(D 事例)
下の子とはボチボチ先のことも話はしてますけどね。重荷に思うことはないって。 (E 事例)
また、「きょうだいの人生を歩んで欲しい」と願う親の思いがあった。
下の子ははちゃめちゃなんですけど。バンドしてるんですけど、昨日も帰ってこんかったんですけど。
でもそれも嬉しいんですよ。帰ってこないのはいけんのじゃケド、普通に高校生の発達ですよね。帰ら
んかったり、夜遊びしたり。普通が嬉しい。(E 事例)
やっぱり兄弟であっても、彼らには彼らの人生があるからね。それをいきなりハンディを背負わすの
はちょっと酷だなという。親はそう思う。(B 事例)
【3-3】自分と同じ苦労はさせたくない
重症児を育ててきた親は、自分の人生を重ねながら、きょうだいには「自分と同じ苦労
はさせたくない」と思っていた。
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今は出生前診断みたいなのがあって障害児の子が生まれて、生きる権利があるとか何とか言ってます
けど、生まれてくる前にそういうのがわかったら、私がもし、娘やら息子の嫁さんに障害があるってわ
かったとしたら、
「堕ろしなさい」って言います。悪いけど。生まれてくる、まだこの世の中に出てきて
ない子だったら悪いけど、その子を育ててみなさいとは言えない。(D 事例)
自分のしんどさを子どもにも・・・とは思わない。悪いけど。(D 事例)
【3-4】健常児の子育ては難しい
きょうだいを育てるのは、重症児を育てるよりも難しいと感じている親もいた。これは、
これまでの自分のきょうだいへの子育てを振り返る機会にもなっていた。
お姉ちゃんの方がしんどかったです。育てるのは。健常者は何て難しいんだろうって思いました。反
抗期はあるし、私の思いを伝えても伝わらない。(A 事例)
【3-5】きょうだいに感謝
これは、2 人の親が語った。一人は、自分の思いをわかってもらえないため、<健常児の
子育ては難しい>と思っていた親が、娘の変化や相談ができるようになったことを喜んで
いた。もうひとりは、きょうだいが、子どもを家族の一員だ、きょうだいだと認めてくれ
ていたことが嬉しかったと語った。
今はわかる。知的障害者施設へ勤めたことで。知的障害施設へ勤めるようになってその頃の話ができ
るようになった。相談もできるようになった。それをニコニコして聞けるようになった。お姉ちゃんが
やっと。(A 事例)
(弟の出産時に)おばあちゃんは血圧高いし、何かあったらいけないので子どもを緊急一時であずけ
る方がいいかね∼って話した時に、お兄ちゃんが、
「D ちゃんを施設に預けるんか。お父さんとお母さん
がそういう話をしとる。ボクは絶対に許さん。」って言った言葉を覚えてますね。それが嬉しかった∼。
ほんとに。(D 事例)
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(4)【重症児の親としての人生だった】(図 3-4)
ここでは、重症児(者)の親としての人生への思いが語られている。このカテゴリーでは、
<重症児(者)の子育てはよい経験だ>【4-1】、<重症児(者)の子育ては経験したくない>
【4-2】、<戸惑いながらも一生懸命だった>【4-3】、<周りに支えられて頑張れた>【4-4】、
<家族はあてにならない>【4-5】、<社会の中で育てるのは難しい>【4-6】という6つの
サブカテゴリーで形成されていた。
【4-1】 重症児(者)の子育てもよい経験だ
親は、重症児を育ててきたことについて、苦しいこともあるが人のありがたさなど、重
症児を育てたからこその気づきがあり、「よい経験だった」と感じていた。
人にはそんなに経験できない事をこの子に経験させてもらったかな∼。楽しい事よりも苦しいことの
方が多いけれども。そういう面もいい経験をさせてもらったとは思う(D 事例)
今までこの人と生きてきた人生がまったく否定しているんではないんですよ。これはこれでいい人生
だったと思えるしっていうところなんですよね。(C 事例)
障害を持ってからね、人生観が変わりますよ。人の見方とか。苦しい事も受ける。悔しい事、情けな
い事もいっぱい受けるけれども、反対にちょっとしたことの有難さって言うかね∼。こういう子を持っ
ていないと感じなかったかな∼って思いますけどね。(D 事例)
【4-2】 重症児(者)の子育ては経験したくない
親は、重症児(者)の子育て経験を「よい経験だった」と思いながらも、本音では「でき
れば経験はしたくなかった」と考えていた。
(楽しい事よりも苦しいことの方が多いけれども。
)いい経験をさせてもらったとは思うけれど、そう
いう経験をしなくてもすむんだったら、そのほうがいい。これは、生まれてきてね、出てきて育てる中
で、この子が死んだらとは絶対に思いませんよ。生まれてきて自分のわが子はかわいい。でも、やっぱ
りいろんな社会とかにかかわってきて、「あ∼よかった∼」とは正直言って思いません。(D 事例)
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【4-3】 戸惑いながらも一生懸命だった
親は、これまで重症児(者)と過ごしてきた年月を振り返り、障害を告知されてから現在
にいたるまでの戸惑い、障害を受けとめながら一生懸命にしてきた経験を語った。
突然の病気で障害児となった子どもの母は、子どもの障害を告知され、その「障害をう
けいれられない」という体験を語った。
最初は正常に生まれてる子なので、そこがスタートの時点で違いますよね。生まれついての障害の
方と。そこでまったくどん底に行って、その時に私がこの子が寝たきり状態になったのを受け入れなか
ったんですよ。(C 事例)
小児科の先生に退院を言われた時に、私「先生、私、こういう状況になった子どもをどうやって家で
育てるんですか?自信ない」って言ったことがあったんですよ。(C 事例)
また、医師から障害を告知された親は、
「状況を受け入れられない」という経験を語った。
斜視があったから S 眼科に連れて行ったです。そしたら、目はどこも悪くない。だから脳よって言わ
れて。耳鼻科の先生が脳波を取りなさいって言って、CT とって先生に診てもらって。「おかあちゃん、
脳はメチャクチャじゃ」って言われて、見たら鉛筆で殴り書きしたような、ほんとに真っ黒。えっこれ
脳波?って思うくらい。ここでは訓練せんと歩けんよといわれ、カーっとして。(A 事例)
自分の子に障害を持って生まれるって。まさかうちの子に限ってって言うのが頭にあったから、そ
れが現実に来たときにこの子をどうしよう。どうしていこうと思うのでね。全然その期間ていうのは、
自分が自分でないような感じでね。私が障害児を生むなんてっていうのもあるし、この子をどうして
いこう、精神的苦痛、肉体的苦痛がいっぺんに来るから。もう、そういう余裕って言うか、周りを見
渡せるような余裕がないです。一歩間違えればこの世にはいなかったかもしれないっていうような精
神状態にもなりましたしね。(D 事例)
しかし、中には、告知されたときに障害のことを理解できず、徐々に障害を理解してい
ったという経験を語った親もいた。
その時は、将来的に全然どうなるものかもわからないし薬を飲むと治るものだと思ってたので。は
じめの方は。脳性まひっていう病気があって、薬を飲めば治るんだと思ってたくらいのことだったの
で。病名を聞いてもぴんとこなくって、主人がどうしてそんなに落ち込んでいるのかもわからなくっ
て。実家にはもう帰れないとか、お前のせいだとかって、すごく感情が・・・すごい悲観的なときがあり
ましたね。そのときも私はピンと来なかった。(E 事例)
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その後は、障害を告知された親が戸惑いながらも子どものために。母子入園を開始した
り、訓練のために通院を行っていた。そのころは、「一生懸命だった」と語った。
これ以上の悪いことはないだろうと覚悟して、それから開き直るとどんどん前しか見ていかなくなっ
て、県立 R 病院へ母子入園して、当時ボイタ法っていう訓練法がありましたので、あれを一生懸命やっ
てましたね。ほんとにもう、必死だったですね。とにかく、一生懸命この人と突っ走ってきた 26 年間し
かないですよね。それはどの重心の親でも同じだと思うんですよね。ただがむしゃらにやってきた。生
きてきた。(C 事例)
訓練して帰って、また、大学病院へ入院して。そういうことが立て続けにあった時にはね、ほんとに
覚えてないくらい。周りは見えてないっていうんですかね。必死だったですね。(D 事例)
この子が障害児だと、寝たきりになると、聞いたときにそのときに最後まで行ったんです。私が死んだ
時にこの子はどうなるんだろうってバーっといって。先のことまで考えずに、まずは何をするの?今の
時点に帰ってきて、今できることしなくっちゃって。今できることは何?母子入園?母子入園で訓練し
たら歩けるようになる?で、ずっとしてて。(A 事例)
【4-4】
周りに支えられて頑張れた
親は、重症児(者)の子育ての中で、落ち込みながらも「周りの人の支えで前向きになれ
た」ことを語った。母子入園や通園、養護学校で出会った同じ重症児を持つ親を見て、「一
人ではない」「自分だけがつらいのではない」「頑張れるかもしれない」と考えるようにな
り前向きになっていた。
訓練すれば風邪引く。肺炎になる。それの繰り返しで・・・。無理すると、胸がヒューヒューといって
肺炎になるんですよ。1 年生になったら 1 学期休まずに行けたんです。それでも 2 年に一回は入院。小
学校6年生とかのいろんなお母さんを見て、あのお母さんたちも育ててるんだから何とかなるかもしれ
ん。お母さんたちも頑張ってるんだから私も頑張れるかもしれんって。(A 事例)
障害児の親だからってすぐ障害児の親になれるわけでもないし、やっぱり月日もいるし。母子入園し
たこともかなり大きな力になってます。友だちとのかかわりができてきて、
「私一人じゃないんだ」って。
「私と同じ境遇の人がいっぱいいるんだ。だから頑張らないと。」って。同世代の子どもを持つお母さん、
そうすると、兄弟もみんなそうですよね、そういうのを一緒に話せるということがすごく嬉しかったで
す。同世代のお母さん方がとっても嬉しかったですね。アレは大きいですね。(D 事例)
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母子入園してた時のお母さんと遠距離電話を、気持ちが寂しくなったりしたら電話して話すわけです
よ。自分が気持ちの中で不安なときに同世代の自分の気持ちがわかる人と、そういう話をするわけなん
だけれども、なんかそういう何でもない話なんだけれども気心がわかって、電話を長話を自分の心が沈
みそうなときには、電話代なんか忘れてすごく話した記憶があります。(D 事例)
(知的障害のお母さんたちの会へもね、ちょっと入ったら、)お母さんから「寝たっきりならいいのに」
って言われたんですよ。え∼そうなんか。私は、どこへでも連れて行かれて手をつないでいけてご飯も
食べれていいな∼と思ったけど。
「寝たっきりならいいのに」って言うから、あ∼そうか、本人が夜中に
目がさめたら、お母さんが寝てても、カチッとかぎ開けて布団あげて出ますよね。休まらんって。うち
は、まあ寝かしておけばいいから。あ∼考え方だと思って。ポロっとうろこが落ちて。(A 事例)
そのほかにも、夫や子どもなど家族の支え、障害児の親との出会いなどによって助けら
れていた。特に、<家族はあてにならない>と思っている親は、子どもや障害児の親に支
えられていた。
母子入園なんかしたときに、後から離婚された方もおられますしね。やっぱりそんなのを聞くと、こ
こまでこの子を連れて死のうかと思うこともあったとは思いますけどね、血のつながる家族のサポート
が全然なかったらやっぱり生きていけんと思いますよ。夫婦の支え、家族の支えがあったから、フォロ
ーがあったからやれたけど、そのときにはね。(D 事例)
知的障害の会にも行ってみてね。それで知的障害のお母さんも重度の子がいる事がわかって・・・略・・・
あ∼私はこの子を連れていることで、いろんな人とめぐりあっていろんな話きけるなって。だから助け
られている。幸せだな∼って。私はこの人の後ろにいて幸せをもらっているから頑張れたんだと。多
分・・・今はそんな風に思うんですよね。(A 事例)
あんたが障害児でなかったら、私も片目弱視だから免許とるつもりなかったんですけど、私が運転し
て外に出てやらんといけんと思って取ったんでね。この子のおかげで私いろんなことを・・・外に出なさい
って。だから嫁姑も乗り切れたのかなあ∼と。この子に感謝してます。いろんな情けないこと、嫁姑っ
てありますよね∼。連れて出るじゃないですか。それで気を紛らわせていたんかね∼。この子がいたお
かげで私はいろんな人と出会えて、いろんなものもらって。(A 事例)
しんどい時もありましたけどね。おばあちゃんに何言われても、ハイハイハイって。この人も我慢し
てますよね。言いたいことを。一生懸命言おうとしてる。だから助けられている.幸せだな∼って。(A
事例)
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【4-5】 家族はあてにならない
子どものことを「家族に受け入れてもらえない」、「夫が相談に乗ってくれない」と感じ
た親は、姑や小姑、夫などの家族からの協力が得られず、家族内で孤立し<家族はあてに
ならない>と考えていた。
結婚先からいろんなことをいっぱい言われましたからね。いろんなこといっぱい。亡くなったおばあ
ちゃんとか、近所にお姉さんがいらっしゃるんです。それがね∼もう産むなとか.うちにはこんなのは
おらんとか。働きよらんとかね。(A 事例)
おばあちゃんの考え方は外に出さんって考え方があるんで、外に出したかったんですけど。だから、
「置いていけ。置いていけ」って言われましたね。お姉ちゃんが参観日なんかでも連れて行こうと思っ
たんですけど、「置いていけ」って言われましたよね。(A 事例)
お父さんに相談しても、黙ってるから答えが出ない。私こうするよって言うと「う∼」って。いいのか
な?って。われが勝手にしたんじゃっていうから「え∼!!私相談したでしょ」って言うことが多い。
事後承諾みたいに、こうこうこうで、こうしますよって言うのは一応全部報告はします。ただ、方針は私。
(A 事例)
お父さんはいるんだけど、どうしてもダメな時は頼むけど、それ以外は私ができるだけ自分で。無理
せんようにするようにしてるんですけど。・・・略・・・頼めばしてくれるけど、頼まなければ全然。(A 事例)
そして、徐々に「自分がやるしかない」と思うようになっていた。
私しかいないので、お風呂だけは入れてくれますけど。そんなのがいっぱいあるから私が意固地にな
ったのがあるのかもしれないですね。意固地というか、この子は私が看るしかないというか。私が守って
やらんと誰が守ってやるんだという風にガーっとなってしまってる。私が出してやらんとダメじゃと思
って。(A 事例)
【4-6】
社会の中で育てるのは難しい
これまで障害児を育ててきた体験から、親は、
「田舎での子育ては難しい」と感じ、高齢
者に対しては「人の目や反応に傷つき、くたびれた」など、「周りの目や反応が気になる」
と感じていた。
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田舎でそういううまれて育った環境と、都会でそういう子を産んだのとは、またちょっと違ってくる
と思うんですよね。精神的に人から言われる苦痛っていうのはやっぱり田舎の方が風習も古いしきつい
ですよね。田舎にいたから、生まれてきてからの視線ね。生まれてから最初の・・・ありましたね。何気な
い言葉はきついですよ∼。何気なく言う言葉なんだけど、こっちにとっては家族の重大な問題ですもの
ね。田舎にいると村中の人の言葉がね∼。(D 事例)
結構。年寄りは平気であ∼いう事を言うから。若いお母さんは、障害児教育とか、人権学習をしとる
から、そういう風に変な目で見ることはないですけど、50 代、60 代と年齢が上にいくに連れて、ジ∼っ
ト見られたり、何気ないことがね。(D 事例)
フェリーに乗って訓練行く途中でも、根掘り葉掘り聞くんですよ。それがいやでね∼。聞かんで欲し
いわ∼って。でも、そこで考えるんですよ。ここでつんけんしたら「あそこの嫁さんがこう言ったって
言われたらどうしよう」と思うから無下に突き放されんし、でも、言いたくないし。あんまり言うと、
いろいろ聞かれるし、でも言わなかったらどう思われるかナ∼とかね、そういうことも頭の中で考えな
がらいくのがくたびれる。病院一つにしても、すごいくたびれるんですよ。人にじろじろ見られて・・・
しんどかった。(D 事例)
また、就労している親は、
「障害児を育てながらの就労はハンディだ」と感じていた。 時
間的制約があること、同僚に理解してもらえないこと、優遇されていると思われることが
悔しい、就業のことで共感できる人が少ないなどと感じていた。
私が仕事へ行きますよね。作業所にしてもそういう所へ行くっていっても、時間が早くはないですよ
ね。パートの仕事はみんな 9 時から始まるけど、もしそれに行こうと思ったら、作業所なんかでも 8 時
半くらいに迎えに来ないといけない。連れて行かんといけないんですよね。仕事先では 9 時半にさせて
もらってるんですけど、やっぱりそうなると残業もできないし。(D 事例)
障害児を持ちながら働くっていうのはハンディっていうのが・・・。朝は 8 時半は無理だから、9 時半で
してるんですけど。前は 3 時に帰ってたんですよ。そしたら、「F さんえ∼よね∼。3 時に帰れてね∼」
って。子ども自身のことじゃないけれども、そういう時間の関係とか、そういうことをね。周りから見
ときにね∼。(D 事例)
自分がしんどくなったら弱い者に行くわけですよね。そういう意味では、あそこは重度の子がいるか
ら大変だからね∼とは思いませんよ。その時はその人たちも自分のことがしんどいから「え∼わいね∼。
F さん 3 時で帰れるけんね∼」みたいな。「私は帰ってから力仕事がまっとるんよ」って言いたいけど、
そんなこといっても、わからない人には言わない。(D 事例)
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働くと別の意味で働く時は、社会一般のそういうレベルから見たら優遇されてるとかそういう見方を
されるのは悔しいですよね。自分がしんどいときには誰かにぶつけたい気持ちがあってそういう風に出
るのかナ∼と思ってるんですけどね。そういう時は悔しい。(D 事例)
障害児の中でも、
「じゃあ、働くな」と言われればそれまでなんですけど。障害児を持って働けるって
いうか、経験者が少ないでしょ?(そういう人が)ほんとにいない分だけ、すごく悔しいし、聞いても
らいたいし同じ共感したい。障害児同士の障害の部分ではしっかり共感できるけど、障害児を持って働
きながらそういう仕事の就労の部分でのっていうのはないんですよね。(D 事例)
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(5)【自分自身の人生もあるんだ】(図 3-5)
ここでは、ひとりの人間として自分自身の人生についての思いが語られていた。<生きが
いを見つけたい>【5-1】、<自分のために働きたい>【5-2】、<将来、自分のためにでき
るといいな>【5-3】という3つのサブカテゴリーで形成されていた。
【5-1】
生きがいを見つけたい
重症児(者)の親という立場ではあるが、自分という個人としての人生を振り返り、これ
からの自分自身の自己実現を追い求めようとする親の思いがあった。
私がね∼なんか焦ってきてるんですよ。自分の人生を振り返ったときに、私の人生こうだったのか。
このまま人生の終焉に向けて突っ走っていくんだろうかと思うと。
「え∼こういう生き方は私の中にはな
かっよね∼」って言うのがすごくあって。なんかやり残したものがあるような。それが何といわれても
よくわからないんだけど、そういう意味でも、親がこれからもう少し充実した生きがいになるようなも
のがあれば日々介護の中で充実したものが見えてくるのかな∼と思ったりするんですよね。(C 事例)
【5-2】
自分のために働きたい
また、パートタイマーとしてはたらいている親は、「仕事は自分自身の気分転換になる」
「いろいろな情報を知りたい」と語り、仕事中は重症児の親ではなく、ひとりの人間とし
ての自分でいられことを語った。
1 時間ですけど、仕事に出てるっていうのもまったく違った人と接して子どもの話とかもしてないで
すし。だから、気晴らしじゃないんですけど、1 時間だけでも全然違うようにいられるっていうのもあ
るし。(E 事例)
いろいろな、寂しいとか子どものことでショックなことがあっても、違う場面があるじゃないですか。
例えば、夫婦喧嘩をしたとしますね。家にいるとそれを引きずりますよね。でも、働くとそこで、仕事
のことを一生懸命考えるからそれで忘れるし、障害のことで心配があっても仕事でやるときには忘れま
すよね。そういう部分も私自身が気分転換にもなる。健康だから、働ける条件も環境もあるから働きた
い。家で、ボーっとして帰るのを待ってっていうのも・・・。なんかいろいろな情報も知りたいしと思いま
すよね。若い子とかいろいろ。そういう面で、「へ∼」っておもしろいですよ。(D 事例)
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【5-3】 将来、自分のためにできるといいな
自分のやりたいことはあるけれど、時間的制約などにより今はできないため、「将来、い
ろいろできたらいいな」と思っていた。
自分のやりたいことがいっぱいあるんですけど、でもやっぱり全部できないですけどね。仕事も昼間
はできないので夜してるんですけど。病院行ったりとか急に休むような事があるので。やりたいことも
いっぱいあるんだけどできるときに違う形でいろいろできたらいいかな∼と。まだ何もできませんけど
ね。(E 事例)
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(6)【医療・福祉への不満と期待】(図 3-6)
ここでは、重症児(者)を在宅介護する中で福祉の現状に関する親の思いや、将来への期
待と親の覚悟が語られた。<サービス選択は重大だ>【6-1】、<サービス保障が不安定>
【6-2】、<利用者の偏りへの不満>【6-3】、<妥協して選択している>【6-4】、<通所施
設は意外な良さがある>【6-5】<医療・福祉職員への期待>【6-6】
、<福祉を動かすパワ
ーが欲しい>【6-7】という7つのサブカテゴリーで形成されていた。
【6-1】サービス選択は重大だ
在宅生活を続けたいと思う親は、「養護学校卒業後の進路選択は重大だ」と思っていた。
その理由として、養護学校までは重症児でも通える場の保障がされていたが、その後は重
症児(者)が通える場の保障はない。そのため、卒業後の進路について親が選択しなくては
ならないということが大きな要因であった。
在宅を続けていて大きな変化がくるのは、高校卒業してどういう方向へ行くか、進路ですよね。これ
はやっぱり大きなことですよね。行く所がないんですから。どこへ行くかっていうのが、親はみな心配
するみたいですね。かなり重大です。 (D 事例)
高校卒業するときの進路ですね。アレがやっぱり最初に一番の問題だったんじゃないかなあ。どうし
ようかって言う事が…。高校はまだあったからいいんですが。学校だったら、寮があって学校へ通える
とか、家からでも通えるとかいうのあるけど、いきなり高校が終わってしまうと。一番考えるんじゃな
いですか?まずは、病気のことはさておいて本人の身の振り方をどうしてやるのかという事をね。入所
にするのか在宅でみてやるのか。(B 事例)
高校卒業するとき、作業所へいける子はいいけど、いけないわが子はどうなるんかな∼と思った。 (A
事例)
【6-2】サービス保障が不安定
現在の福祉サービスについて、「必要時サービスが受けられない」という体験を多く語っ
た。これはショートスティに関することがほとんどであった。利用できない理由は、施設
側の都合や、予約で満床になっているというものであった。
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ショートステイも利用する事があるんですが、そのショートステイも難しい。急病とかね葬儀なんて
いうのはね、ほとんど、予期せぬ時にパット来るものだから、その時に「どうですか?お願いできますか?」
というと、「ウ∼ン…」というのがありますからね。困りますよ。 (B 事例)
私の母親がけがをして救急車で運ばれてくるのに、一応ショートの電話を A 園にしたら、
「今、悪い子
がいるから、亡くなりそうな子がいるから受けられません」って言われて。B 園に電話したら「いっぱ
いなんですけど。どこかへ電話しましたか?」って言われて・・・略・・・C に電話したらやっぱりいっぱい
で断られて、結局は B が受けてくれたんですけど。(D 事例)
C 施設と A 施設、B 施設の 3 箇所にショートステイ(の登録)をしてるんですけど、断られることがある
んです。両方。A 施設は 1 回 4 月に頼んだら、職員が入れ替わってちょっとあずかれませんって言われ
て。B 施設は、「もう予約の人がいらっしゃるから。いつも予約の人がこられるのでその日はダメです」
って。それが 4 月の初めなんです。2 月の中ごろに頼んだのにそうなんです。登録してても、はいれな
いんです。緊急って言う意味が・・・ダメなんです。今のようにインフルエンザが流行ってたら却下だし。
(A 事例)
ショートスティができない。
・・・略・・親同士が何かをしようと思っても、子どもを見てもらうとこ
ろがないということですかね。(B 事例)
支援費になってから、重心の施設が少ないからそれがいつも満杯の状態で。(C 事例)
そして、このような現状の中で、親は、自分たちの病気や事故などの緊急時に子どもを
預けられるのだろうか、どうすればよいのだろうかという「緊急時の対応に不安」をもっ
ていた。
枠の部分が詰まったら、ほんとに必要な人が、歳いった作業所とか行ってる人の親は、自分が腰が痛
くて病院へ行ってるような人もあずけられなくなる。(B 事例)
本当にお母さんが倒れて今日の夜からどうするんじゃろうっていった時にそのシステムが使えないん
ですよ。満杯の状態で。そこのシステムをもう少ししっかり考えてもらわないと、本当に必要な時に利
用できない人がいるということですよね。(C 事例)
緊急の時に、一緒に住んでいる家族、それこそ主人だったりしたらどうしよう。それこそ家族がそこ
におってやりたいっていうかそういう時だったらって、緊急の時のことがとても不安に思いました。(D
事例)
42
家族が倒れましたとか交通事故ですとかっていう突発的な時に、ワ∼っとなりますよね。救急車を呼
びますよね。そうしたら、この子を置いていかんといけん。連れてはいけないし。そういう時にどうし
ようと思いますよね。親のその事故を通して、もしこれが家族だったらどうだろう。もし夜中に自分の
家でそうなった時にどうなんだろうっていう不安がね∼。(D 事例)
【6-3】利用者偏りへの不満
ここでは、現サービスの利用の仕方についての不満が多く語られた。特に、支援費制度
導入により定期的に利用する人が増えたことに対して、レスパイトサービスの必要性は理
解しつつも、「利用者が偏っている」「若い利用者は遠慮して欲しい」という言葉が語られ
た。これは、
「サービスが利用できない」「必要時に利用できないのではないかという不安」
という<サービス保障が不安定>に影響されていた。
うちは極力、年 1 回くらいの利用で、たちまちそういう緊急の人が使えるようになればいいかなと思
って、そのくらいにしてるんですがね。利用する人は毎月毎月、1 週間めいっぱい使っておられますの
でね。利用する人しない人っていうのは極端ですよね。めいっぱいそれを利用する人が短期入所でも利
用するから、利用しすぎで。息抜きで必要なのは必要なんですけども。(C 事例)
私たちの子が学校の時には、親が当たり前のように夏休み、冬休みは親がみるものだと思っていたも
のが、今の制度になって使わないと損だというみたいに使い出したので、夏休み、冬休み、春休みは集
中して、普段使うものまでが使えなくなってるんです。今の若いお母さんは、若いにもかかわらず、家
で見るのは大変だからといってあずける。勝手な都合かも知れないけど、若いお母さんはまだエネルギ
ーがあるんだから、少々の事は夏休み冬休みは家で見て欲しい。(D 事例)
【6-4】妥協して選択している
地域によっては、重症児(者)が利用できる施設がない。そのため、施設が少ない地域に
住む重症児(者)の親は、「利用できる施設が少ない」と思っていた。そのため「選ぶことが
できない」「重症児(者)対象でない施設(知的障害者授産施設など)へ通わざるを得ない」
と語った。C 事例の場合、通園施設まで片道約 1 時間の車での移動という状況であった。
親は、在宅生活を長く続けられるようにと、子どもの通所施設を選択しようと考えてい
た。その際、親の希望通りの施設がないため妥協しながら選択していた。
もっとね∼、システムがたくさんあって本人は本人なりに日中活動する場所がたくさんあればいいん
43
ですけれどね。それがホント、K 市内にはまったくない状況ですよね。(C 事例)
高校卒業して・・・進路ですよね。その時に、選択肢がないんです。K 町は認可になった作業所が一つ。
入ったときはまだ無認可だったんですけど。いろいろ国の方から言われますけど、自分がここを選ぼう
というのに数がないですよね。行く所がそこしかない。いろいろ選べるという状態ではないですね。
(D 事例)
本当は重心の人でも、行く所がないから知的障害者の授産施設へ行かざるを得ない言う部分もありま
すよね。重心のほうで専門的にきちんとしたケアができる施設であれば、なおかつ毎日通えるのであれ
ばと思うのですが、まだまだ現状は難しいと言うのが実態ですからね。一番はね∼我々でも何でも、選
べるということ。(B 事例)
自分たちの生活の環境と、自分たちの思うようなところとが噛み合うようなピッタリくるような所は
ないから。どこかで、我慢する部分が出てきますよね。デイサービスでもいいんじゃないかとか。デイ
サービスとかだと毎日はないから、仕事をしたいと思っても無理ですよね。私が仕事をしようと思った
ら、そういう面で噛み合わないから、それはダメと。そしたら作業所になったり。時間的な問題とかね。
(D 事例)
【6-5】通所施設は意外な良さがある
親は、重症児施設はもちろんのこと、利用施設が少ないため仕方なく利用している施設
についてそれぞれの良さも感じていた。2ヶ所以上の施設を利用している子どもの親は、
「いくつかの施設へ通うことで変化のある生活が送れる」と語り、知的障害者授産施設を
利用している子どもの親は、「重症児だけでなくいろいろな人とかかわることができる」と
いうものであった。
二つ登録してますけどね。二つ併用しても毎日どこかへ出られるということもありますね。毎日同じ
施設へ通うのは、本人にとってはどうかな∼と思ってはいるんですけどね。通所 K は K のいい所がある。
通所 T は T のよさがある。だから、全然違うものを本人も経験できる。いろいろな思いを感じられると
いうのがねそれは人としては必要なんじゃないですかね。毎日同じ環境の中でというのは、確かに親と
しては楽だけど毎日行けばいいというものではないでしょうし。(B 事例)
B にとっては、いろんな人と触れ合って、かかわりを持ってくれた人というのは、学校の職員であっ
たり、同級生であったり、こちらの施設の職員であったり、利用者だったり、保護者であったりね、そ
ういう面ではいろいろな人とのかかわりを持てるって言う事は本人にとってもとてもいいことだと思い
44
ます。好きな人、嫌いな人に出会ったりとか。やっぱりそれはそれでいいんじゃないですかね。(B 事例)
通所に行くといろいろな人が友達だけではなくって職員さんにしてもボランティアさんが来られたり
とか、0 歳のお子さんから入れますのでその人間関係の幅がすごく広いですよね。(C 事例)
作業所が何でいいかというと、健常者と。人のことをうちの子はよくわかるからよく聴いてるんです
よね。・・・略・・・そういう風に、いろんな人とかかわりがもてるんですよ。重心の子だけじゃなくて。(D
事例)
また、散歩や旅行など、
「家ではできない体験ができる」ことも施設の良さとしてとらえ
ていた。
通所は家にいるよりは確かにいいと思いますよ。家にいるとどうしても寝たきりになってしまいます
よ。その子どもについて散歩に行きましょうかとかね、なかなかできないですよ。家にいると。(B 事例)
本人の視野が広がるというのではないんだけど、親では限界ですよね。連れて行ってやればいいとは
言うものの、やっぱり日々の生活に追われて、なかなかこの人を連れてどこまで行くというのがやっぱ
り難しいですよね。今の時期ですとプールに行くんですよ。おりづるのプールが近いんでね。また、プ
ールが好きなんですよね。親だと限界があるところをそういうところを使ってできるということがね。
(C 事例)
作業所で旅行もあるから。ディズニーランドにも行ったし。だんだん家族的には動くのが狭くなりま
すよね。今出かけようかなと思っても、今は・・・「やめて、お母さんは階段があるところはもういや。こ
れ(車椅子)をどうするの?」って。出て行っても大変なんです。とにかく段差があるとダメでしょう。
一段あってもダメだし。でも、作業所から行くからみんなでワイワイと。
(A 事例)
【6-6】医療・福祉職員への期待
親は、重症児(者)にかかわる医療従事者や福祉職員に対して、
「重症児(者)への知識がな
いスタッフが多い」と感じていた。そのため、職員の重症児(者)への対応に不満を持っ
ており、今後の改善に期待していた。
一般病院に重心の子供を看れる人がいない。H 病院ですら、え∼って思ったんですよ。H 病院でも看れ
んの?って。結局、年齢が高くなればなるほどわからないみたいですね。重心の年齢の高い人になると
状況の把握がやっぱり難しい。医療的な知識はあるんだけど、やっぱり重心の子に慣れてない。(C 事例)
45
障害者っていうのは、年齢にもよるんだけど、まだまだこれから先が長い。だから、もっともっとい
ろんな方向から見たりとか、いろいろなことを知ってないといけん…略…老人だけじゃなくて障害者に
も対応できるヘルパーさんもいて欲しいですね。(C 事例)
専門的な知識が薄い。ヘルパーさんとか訪問看護師とかでも、こっちが知りたいのに、知ってらっし
ゃらない事が多くて。ヘルパーさんは障害のことに関してほとんど知ってらっしゃらない。…略…ヘル
パーさんはほとんどの方がそういう状態なんです。(E 事例)
【6-7】福祉を動かすパワーが欲しい
親は、現在の福祉制度改革の中で重症児(者)福祉の充実を期待していた。しかし、重
心児(者)の数が少数であるため、行政を動かすパワー不足を感じており、今後「福祉を
動かすパワーが欲しい」と考えていた。
我々のような重心なんて人数が少ないですからね、そういう行政を動かすパワーも弱いですしね。ど
うしても老人とか何とか。老人介護なんて、誰でも同じようになるからどうしてもそういったところの
整備は、お金はどんどん徴収するものはするんですけれども、お金を徴収してでも老人介護は整備でき
るんだから。我々も必要なものは出しますという思いはありますよね。(B 事例)
こういう子どもたちに関心を持ってくれる小児科医が増えてもっともっと圧力を加えていってもらえ
ると、もっと力がついてくると思うんですけどね。(B 事例)
しかし、親は、パワーの結集は現状では困難であると感じていた。そこには、在宅重症
児(者)の親同士のコミュニケーションの場が少ないこと、コミュニケーションをとろう
と思っても、子どもをあずける場が限られていることなどの問題があった。
家族同士のコミュニケーションが取れない。…略…なかなかその親同士の話し合いとはコミュニケー
ションをとる場というのは難しいんですよね。在宅の家族はまとまりがあるとかないとかいうんじゃな
くて、そういう面でいろんなことを意見なんか出していくにはハンディですね。(B 事例)
自分が都合つければ。総会あるからショートスティって考えるじゃないですか。ショートスティがで
きない。現実に受け入れてもらっても、一人か二人ですよとなればね。親同士が何かをしようと思って
も、子どもを見てもらうところがないということですかね。
(B 事例)
46
Ⅳ
考察
青年期から成人前期の重症児(者)をもつ親の思いは、【子どもの成長と幸せを願う】【子
どもの将来が気になる】
【きょうだいの幸せを願う】の 3 つが関連し合っており、それらを
支えているものが【医療・福祉への不満と期待】であった。また【重症児の親としての人
生】の一方で【自分自身の人生もあるんだ】と、人間としてのアイデンティティーを感じ
ていた。そこで、本研究では、この時期の特徴に関する 3 つの視点と自分のアイデンティ
ティーについて考察する。
1. わが子との将来に対する思い
親は、重症児(者)である子どもとの将来について「可能な限り在宅を続けたい」と考え
ていた。しかし、年齢を重ねるにつれ健康や体力への不安などの問題が浮上し、親は、「可
能な限り在宅を続けたい」という思いの一方で、「いつまで在宅を続けられるだろう」とい
う不安も持っていた。そして、いつ訪れるかわからない在宅継続の限界に備えて「登録を
しようか…どうしよう」と悩んでいた。また、親は「いつかは施設入所だ」と覚悟を決め
ており、「どの施設が良いのだろう」と施設を選択しながら「施設入所後困らないように」
と日々の生活のあり方も考えていた。このように、青年期から成人前期の重症児(者)を
もつ親は、<施設入所への覚悟>を持つ一方で、施設入所を受け入れられず<在宅継続へ
の不安>を抱えていた。
在宅重症児(者)の家族は、可能な限り在宅を続けたいが、介護が困難になれば施設入
所を考えている1),28),32),36)といわれている。本研究の対象者もそういう思いを持ち、そのた
めの準備を行っていた。しかし、親の思いは、在宅か施設入所かと単純に割り切れるもの
ではなく、「いつかは施設入所だ」が、「可能な限り在宅を続けたい」。しかし、「いつまで
在宅を続けられるだろう」。だが、もしもの時のために「登録をしようか…どうしよう」と
いうように、悩みや不安、葛藤など複雑に絡まっているものであった。このように、親の
思いは、在宅から施設への移行を意思決定するまでの過程で揺れ動いていることが明らか
になった。
施設入所に際して親は、子どもに「すまない」という思い 25)をもったり、施設入所は子
どもを捨てることだという偏見に悩む 22)ともいわれている。中川 19)は、重症心身障害児の
母親は、子どもへの幾ばくかの自責感を感じており、その自責感が「子へのトータル・コ
ミットメント」すなわち、子どものケアを母親が全面的に引き受けていこうとする意識に
影響していること、そして、子どものケアに専念すべきという「役割期待」と、その役割
を遂行すべきだという社会からの無言の圧力「役割的拘束」を感じていたと報告している。
そして、役割的拘束の強い母親にとっては、「役割期待」を排除することで「役割的拘束を
47
自己調整」するという認知的な準備段階を経ることが意識変容に必要であると報告 20)して
いる。
本研究の結果から、親は、<子どもへの負い目と責任>を感じており、「子どもへの責任
が一生続く」と考えていたことがわかった。さらに、「子どもなりに意思を持っている」に
もかかわらず、黙って環境を受け入れることしかできない子どもを「かわいそう」とも感
じていた。このように、<子どもへの負い目と責任>を感じている親は、自分への「役割
期待」や「役割的拘束」を強く感じており、在宅から施設への移行を意思決定する過程で
揺れ動いているのではないかと推測された。
また、親は、
「親亡き後のことが一番気になる」と、<親亡き後への不安>も持っていた。
これは障害児のほとんどの親が持っている不安である。そのために、親は、在宅に勝るも
のはないので、「どこで妥協するか」と言いながらも、親亡き後の子どもを安心して託せる
施設を選択しようとしていた。
三原
39),40)
は、親亡き後の障害を持つ子どもの世話をきょうだいに期待する親は、半数で
あったと報告している。しかし、実際に頼んでいる人はそれより少ないという現状であっ
たことから、親の気持ちの複雑さを示唆していた
41)
。本研究でも、<自分の人生を歩んで
欲しい>と思う一方で、<親亡き後はきょうだいしかいない>とも思っていた。この思い
は、きょうだいには<自分と同じ苦労はさせたくない>という思いとも相反していた。そ
こには、<自分の人生を歩んで欲しい>と【きょうだいの幸せを願う】親の思いが影響し
ているのではないかと考えられる。これまで重症児(者)中心の生活だった母親は、きょう
だいにかかわる時間が少なかったことや甘えされてあげられなかったことなど、重症児
(者)のきょうだいが受けてきたしハンディに対して<きょうだいに申し訳ない>と思って
おり、それが、<自分と同じ苦労はさせたくない><自分の人生を歩んで欲しい>という
思いに影響していた。
障害児の親子関係は、健常児のそれよりも密着している。
「本音は自分より先に逝って欲
しい」と考えている親もおり、【きょうだいの幸せを願う】と同時に親亡き後の子どもを心
配する親の複雑な思いが示唆された。
さらに、A は、将来施設入所するのであれば「子どもにとって在宅が長くないほうが良か
ったのかな」と、今まで在宅生活を続けてきたことへの迷いを感じていた。この迷いには、
「最終的に施設入所をとなるのであれば、早めに施設環境に慣れていたほうが子どものた
めには良いのではないか」という親の思いがあった。重症児(者)の場合、意思決定はすべ
て親に委ねられる。<子どもへの負い目や責任>、「役割意識」「役割的拘束」を感じてい
る親は、その時々の判断が良かったのかどうかという迷いは常にもっているのではないか
と考えられる。しかし、本研究の結果、この思いを語ったのは A だけであった。このこと
より、家族に相談することができず自分が常に意思決定してきた場合は、その時々の判断
が良かったのかどうかという迷いが特に強いのではないかと考えられる。
在宅生活が限界となるのは、親の年齢が 60 歳ごろであるという報告 42)がある。今回対象
48
となった親の年齢はそれより若い。しかし、本研究の結果、親は 60 歳より早い時期から、
将来への不安を身近に感じ始め、さまざまな迷いや葛藤を抱えて生活している事がわかっ
た。さらに、親は自分の役割を遂行しなくてはという使命感に近い思いももっていた。
したがって、このような不安や葛藤、迷いを親が抱え込まないよう、気軽に相談できる
場が必要である。加えて、見通しをたてた早期からのかかわりも重要であると考える。
2. 子どもの成長・発達に対する思い
<子どもへの負い目と責任>を感じている親は、「さまざまな経験をさせたい」「多くの
人とかかわってもらいたい」と<活気ある生活を送って欲しい>と、通所施設を利用して
いた。そして、ここまで「元気に育ってくれた」ことや、
「人とのかかわりの中で発達して
いる」ことを感じながら、<子どもの成長とその喜び>や<子どもなりに意思を持ってい
る>ことを確認して生活していた。しかし、その一方で、<成長のともなう戸惑い>も感
じていた。その戸惑いとは、身体・機能面での変化と、心理面での変化であった。
重症児(者)は筋緊張の異常や自発運動の障害により、加齢に伴い骨・関節に変形・拘縮
をきたしやすい。これにより、二次的な姿勢、筋緊張の異常や運動障害を引き起こすとい
う悪循環に陥ることがある。さらに、筋緊張の異常や運動・姿勢維持の障害は、呼吸、循
環、消化・吸収など生命維持のための基本的機能にも影響を与えることがある。
「以前は歩
いたり喋ったりしてたんですよね。今はほとんど言葉も喋れないし、ご飯も食べる事がで
きなくなってきて」と親が語っているように、重症児(者)は 10 歳ごろから機能低下をきた
すことが報告されており、20∼30 歳代に至るまで退行や機能低下の可能性がある2)といわ
れている。
これまでできていたことができなくなっていく現実に、親は、
「どこまで落ちていくのか、
維持できるのか、持ち直せるのか」と不安を感じ、最終的な治療方法が決定して自分が納
得するまで、「なぜそうなるのか。どうすればよいのか」と、戸惑いながら生活していた。
現在は、「機能が低下していくのは仕方がない」と受け止めることができていたが、そこに
至るまでの親の思いは、機能低下という現実を肯定する気持ちと、現実を否定する気持ち
との葛藤が起こっていたと考えられる。佐鹿ら7)は、障害のある子どもと親の危機的時期・
状況を 10 段階に仮定し、第6段階は学齢期終了時、第7段階は成人式を迎える時期、そし
て、第8段階は親の加齢が進んでくる 30∼40 歳代ごろの時期であるとしている。この時期
は、主に、重症児(者)の進路や親の介護負担という視点で区切られていた。しかし、その
ような視点だけで区切られるのではなく、子どもの加齢に伴って起こる機能低下・退行と
いう視点から見た場合の危機的時期というものも考慮する必要があるのではないかと考え
る。
また、親は、子どもの心理面での変化に戸惑いも感じていた。本研究の対象者の場合、
49
戸惑いながらも「親離れ」だと、子どもの心理的変化を肯定的に受けとめることができて
いた。しかしながら、この心理的変化に対して「子どもの気持ちがわからなくなった」と
戸惑いを持つ親もいる 46)といわれているように、依然戸惑いを感じたまま生活していた。
このように、この時期の重症児(者)の親は、子どもの心理的変化や退行および機能低
下により戸惑いや不安を持って生活していることが明らかになった。したがって、この時
期に起こる子どもの身体・機能面と心理面での変化を、親が肯定的に受けとめることがで
きるように、肯定的かつ共感的にかかわるなどの心理的な支援が必要である。
この時期にある重症児(者)の親は、学齢期のころと比較すると、親同士のコミュニケー
ションの機会は少なくなっている。学齢期は学校という場が親同士のコミュニケーション
の場となっていた。しかし、卒業後は、知的障害者の作業所や重症児(者)通園など、進路
はさまざまである。また、通所施設は自宅までの送迎サービスがある施設が多いなど、親
同士のコミュニケーションはとりにくい状態である。そのため、この時期にある重症児(者)
の親の情報交換は、これまで出会ってきた仲間もしくは医師や通所施設の職員という、限
られた者ではないかと予測され、おのずと、情報交換の場や心理的な支援の機会も限定さ
れていることが予測される。通所施設の自宅送迎サービスひとつをみた場合、家族の介護
負担が減少するというメリットはあるが、家族間のコミュニケーションの機会が減少する
というデメリットもある。
したがって、今後は、少ない機会を利用した心理的なかかわりの重要性や、親の会など
家族間のコミュニケーションの充実を図るための支援の必要性が示唆された。
3. 在宅生活を支えるための医療・福祉
「重症児(者)の進路は模索期」46)であるといわれている。それは、各地でさまざまな取り
組みが行われているが、重症児(者)特有の医療・福祉ニーズへの充足の困難性によって、
特定の事業や施設が重症児の進路として確定していないということである。その中で、2003
年から利用者の自己決定・自己選択を尊重する支援費制度が導入された。
本研究の結果から、親は<就学後のサービスの選択は重大だ>と思いながらも、<利用
できる施設が少ない>という現実に、<サービス保障が不安定>だと感じていた。特に、
【子
どもの将来が気になる】在宅重症児(者)の親は、いざというときに福祉サービスに頼りた
いが、「必要時にサービスが受けられない」ことがあるため、「緊急時の対応に不安」を持
っていた。そして、それが、<利用者の偏りへの不満>につながっていた。
支援費制度の導入により、利用者が市町村に支給申請を行えば支給量が月単位で決定さ
れるため、支給量の範囲内で定期的に利用する人が増えている
47)
という現実がある。<利
用者の偏りへの不満>は、こういう現実の中で起こっていた。特に、若年層の親への不満
が多かったが、その不満の根底には、若いときは自分が見るのが当たり前だったという過
50
去の経験があった。この思いには、若年層の親への「役割意識」と「役割的拘束」が感じ
られた。しかし、それは、サービスが利用できれば起こらない不満でもある。<サービス
保障が不安定><利用者の偏りへの不満>は、特定の事業や施設が重症児の進路として確
定していないという重症児を取り巻く医療・福祉環境の問題が影響していることが考えら
れた。
さらに、その現状を打破しようと、<福祉を動かすパワーが欲しい>とも思っていた。
しかし、そこでも、「福祉を動かすパワーが欲しい」が、「親が結集することが難しい」と
いう現実があった。
このように、
【子どもの将来が気になる】在宅重症児(者)の親は、いざというときに福祉
サービスに頼りたいが、<サービス保障が不安定>という現実があり、それが、<利用者
の偏りへの不満>につながっていた。そのため、親が安心して在宅継続ができるように、
必要な時に必要なサービスが受けられるシステムがさらに整備されることが望まれる。
また、「重症児(者)への知識がないスタッフが多い」「小児科以外が受診することが難し
い」という問題もあった。近年、重症児(者)の高齢化と、それに伴って、成人病や悪性腫
瘍などさまざまな疾患も認められることが報告されている。その場合は、専門医の診療が
必要となる。今後は、重症児(者)が安心して専門医の治療が受けられるように、重症児(者)
への知識の向上、施設間の連携の必要性が示唆された。
4. 自分のアイデンティティー
先行研究では、家族の QOL の視点から見た研究 12),13)では、障害児をもつ親は、健常児を
持つ親と比較すると「人生」や「生きがい」についての項目が低いという報告はされてい
る。しかしながら、これまでの障害児の親に関する研究は、障害受容や養育態度、人間的
成長という障害児の親としてのどのように変容していくかという変容過程に重点が置かれ
たものが多く、障害児(者)の親の生きがいや人生について報告されたものはほとんどなかっ
た。ところが、本研究の結果、親は【障害児(者)の親としての人生】だけでなく、一人の人
間として【自分自身の人生もあるんだ】と考えていることが明らかになった。
これまで親は、
【重症児の親としての人生】を一生懸命に歩んできた。その親が、子どもと
ともに生きてきたこれまでの人生を振り返り、「これはこれでいい人生だった」と肯定的に受け止めな
がらも、「何かやり残したものがあるような」と、疑問を持ち始めていた。この思いは、中年期以降に
みられる「自我同一性の再体制化」43)と酷似している。すなわち、人間が、心身の変化を契機にし
て主体的に自我同一性を見直し、自分の生き方を模索しようとするものである。女性の場合であれ
ば、子育てから開放されて時間的余裕ができた妻が、これまでの子育てを後悔するわけでは
ないが、「何のための人生か」と、これまでの子育てに費やした時間を取り戻したいと強い
衝撃に駆られる 44)という自立への心理である。
51
在宅重症児(者)の親はまだ子育てから解放されたわけではなく、在宅から施設入所へと移
行するまでは子育て中である。ところが、本研究の結果から、在宅重症児(者)の親も、中年
期の心理的危機である「自我同一性の再体制化」という段階があり、自己実現を達成しよ
うと考えていることがわかった。このことより、在宅重症児(者)の親か否かにかかわらず、
中年期にある親は、「自我同一性の再体制化」が起こり、自己実現に向けて自分自身の生き
方を模索していることが明らかになった。
また、パートタイマーとして働いている母親は、
「障害児を育てながらの就労はハンディ」
だと思いながらも、働いている時間は重症児(者)の親ではなくひとりの人間としていられる
時間であり、気分転換の時間でもあると認識し、<自分のために働きたい>と語った。そ
して、今はできないが、やりたいことはあるので<将来、自分のためにできるといいな>と
も思っていた。
B は、自分が主介護者になると決心したときにこれまでの職場を退職した。それは、介護
と仕事の両立が困難な現状があったからであろうが、B は、「男として仕事面ではみんなと
同じ仕事第一でいきたかった。重症児がいるということでハンディがあるとは思いたくな
かった」と、仕事人間だったころのことを語っていた。それは、一人の男性として仕事面
での自己実現を追い求めようとする姿だったのではないかと考えられる。Hirose ら6)は、母
親と父親の役割についても研究しており、子どもの介護は母親中心で父親は働いて収入を
得ることが中心であるが、何人かの父親は途中で職場での競争をやめたと報告している。
このように、障害児の親は、理想と現実の中で仕事面での自己実現を求めることを諦めざ
るを得ない状況があることが考えられる。
これまで、在宅重症児(者)支援についての研究は、重症児(者)の親役割という視点での研
究がほとんどである。これは、重症児(者)支援を考えている者も、いつの間にか中川 19)がい
う「役割期待」や「役割的拘束」をしていることの表れかもしれない。しかし、重症児(者)
の親であるとともに一人の人間でもある。本研究の結果、在宅重症児(者)の親も、【重症児
の親としての人生】だけではなく、
【自分自身の人生もあるんだ】と考えていることがわか
った。したがって、親役割という視点だけではなく、重症児(者)と暮らす親の自己実現とい
う視点での支援も必要であると考える。
5. 本研究の限界と課題
本研究は、青年期から成人前期にある在宅重症児(者)の親の体験・思いを明らかにする
ことを目的として、質的帰納的分析を行った。その結果、子どもの成長にともなう戸惑い
や、将来への不安をかかえながらも、これからの自分自身の人生を考えていることが明ら
かになった。
しかし、今回の対象者は、1施設を利用している限られた者であり、重症児(者)の健
52
康状態が安定している者が多かった。在宅重症児(者)の健康状態は安定している者もいれ
ば、不安定な者や医療的ケアが必要な者もいる。重症児(者)の健康状態が異なれば、その
ときの親の思いも異なっていることが予想される。したがって、本研究は、健康状態の安
定している重症児(者)の親の思いに限定される。
また、今回は対象者数が 5 名と少なく、分析においても対象者の背景やその家族のおか
れた環境を考慮した分析までには至っていない。しかし、対象者の背景や家族のおかれた
環境が異なれば、そのときの体験・思いも異なっていることが予想される。
したがって、在宅重症児(者)の親の思いを明らかにするには、今後、さらに対象者数を
増やし、健康状態が異なる重症児(者)の親を対象にした分析や、家族のおかれた環境(家
族機能など)を含めた分析、母親と父親との違いなどの分析も必要である。さらに、青年
期から成人前期にある在宅重症児(者)と家族の特徴を明らかにするためにも、幼児期や学
齢期との比較研究も必要であると考える。
53
Ⅴ 結語
青年期から成人前期にある在宅重症児(者)の親の体験・思いを質的帰納的分析方法で明
らかにした結果、以下のことがわかった。
1.親の体験・思いから、
【子どもの成長と幸せを願う】、
【子どもの将来が気になる】、
【き
ょうだいの幸せを願う】
、【重症児の親としての人生だった】
、【自分自身の人生もある
んだ】、【医療・福祉への不満と期待】という 6 つのカテゴリーが抽出された。
2.【子どもの将来が気になる】親は、<施設入所への覚悟>を持つ一方で、<在宅継続
への不安>を持っていた。そこには、<子どもへの負い目と責任>や【きょうだいの
幸せを願う】親の思いが影響していた。
3.親は、【子どもの成長と幸せを願】っており、<子どもの成長とその喜び>を感じて
いた。しかし、その一方で、<成長にともなう戸惑い>も感じていた。
4.親は、
【医療・福祉への不満と期待】を持っていた。利用できる施設が少ない現実に、
<サービス保障が不安定>だと感じており、<利用者の偏りへの不満>や<在宅継続
への不安>につながっていた。
5.親は【障害児(者)の親としての人生】だけでなく、一人の人間として【自分の人生も
あるんだ】と考えていた。
したがって、重症児(者)と親にかかわる看護師や他の医療従事者および福祉職員は、
この時期に遭遇する親の不安や戸惑いを受けとめ、それらが軽減されるよう心理的支援を
行うことの必要性が示唆された。また、親役割という視点だけではなく、重症児(者)と暮
らす親の自己実現という視点での支援も必要であると考えられた。
54
謝辞
本研究を行うにあたり、お子様の介護でお忙しい中、研究への参加を快く承諾いただき、貴重な
お話を聞かせてくださったご家族に心より感謝いたします。また、本研究の主旨をご理解いただき、
快く調査の場を提供していただいた A 施設の園長、副園長、施設職員の方々に心より御礼申し上
げます。
論文作成の過程におきましては、貴重なご助言・ご指導をくださり、そして励ましてくださいました
広島大学大学院保健学研究科発達期健康学講座の竹中和子先生、横浜市立大学医学部看護
学科の永田真弓先生に心より感謝いたします。
本研究をまとめるにあたり、ご指導いただきました広島大学大学院保健学研究科発達期健康学
講座の田中義人教授に深く感謝いたします。
最期に、本研究の作業を通して、あたたかい励ましやサポートをしてくださいました広島大学大
学院保健学研究科の皆様をはじめ、お世話になった皆様に心より感謝いたします。
55
引用・参考文献
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56) 操華子,森岡崇(訳):質的研究の基礎 グランデッド・セオリー開発の技法と手順.
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57) 野口美和子(監訳):ナースのための質的研究入門―研究方法から論文作成まで.
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58) 川喜多二郎:発想法. 中央公論者,1967
59) 川喜多二郎:続・発想法. 中央公論者,1970
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62) 榎本博明:家族心理学. ブレーン出版,東京,2004
59
対象 A
(図 2-1)
<人との出会いが自分を変えた>
<障害児という現実にショック>
<卒業後はどうなるのだろう>
<子どもを受け入れてもらえない>
自分だけがつらい・・・
何かおかしい
作業所へいける子はいいけど、この子は
家族(姑・義姉)からの誹謗
この子は障害があるんだ
自分がしんどくなる
障害を理解してもらえない
<自分が看るしかない>
障害児(者)の親はみんな同じ
自分が守ってやらないと
頑張れるかもしれない
子どもの存在を否定される
<期待する効果がでない。むなしい>
誰がする
<受け入れ先を探すしかない>
病気ばかりで計画どおりに進まない
自分が行動するしかない
<夫はあてにならない>
自分がしないと生きられない
<出会った人に助けられている>
一生懸命しても反応してくれない
夫は相談に乗ってくれない
いろんな人から話を聞ける
介護を手伝ってくれない
<不安が解消していく>
みんなが気にかけてくれる
<そのままを受け止める>
進路会議が開かれ、道が広がった
このままでいいや
サービスにより精神的負担が軽減して
<子どものおかげで乗り切れた>
いる
子どもに夢中になれた
子どもの頑張りに力をもらった
<自分の人生ってなに?>
「もう 25 年も経ったんだ」
笑顔に癒される
「自分に何かを教えるためにこの子は生
まれてきたのだろう」
<子どもは言わないけどわかっている>
<娘に申し訳ない>
<自分の選択はよかったのか>
<できるだけ在宅を続けたい>
周囲の変化を感じ適応できる
反抗期があるし、自分の思いが
さびしい思いをさせた
子どもにとって在宅選択は
在宅はこれから大変だ
子どもはしっかりしている
伝わらない
負担を背負わせてしまった
よかったのか
看られる間は看てあげたい
いろいろな思いをしている
<健常児の子育ては難しい>
<親亡き後が心配だ>
<子どもへも説明が必要だ>
<いつまでできるだろう>
<子どもに申し訳ない>
自分の健康・体力に自信がない
受け入れるだけでかわいそう
施設入所の説明が必要だ
本音は私より早く亡くなって
<娘の変化が嬉しい>
<幸せになって欲しい>
自分の思いをわかってくれた
娘を縛り付けたくない
娘のサポートが受けられる
結婚して欲しい
欲しい
これ以上大きくなると抱えられない
<子どもが困らないようにしたい>
<娘しかいない>
親以外の介護に慣れてもらいたい
親亡き後を託す者は娘だ
規則的な生活リズムをつけさせたい
良い健康状態を保ってやりたい
<どの施設が良いのだろう>
最適の施設を探そう
60
64
対象 B
(図 2-2)
<高校卒業が大きな転機だ>
<両親が見られる間は在宅を続けたい>
<親亡き後が一番気になる>
<きょうだいには迷惑をかけたくない>
卒業すると通えるところがなくなる
きょうだいには姉の世話はさせたくない
入所か在宅かの選択
きょうだいにハンディを負わせたくない
<看られなくなったら施設入所だ>
<施設の生活は人間らしくない>
自分たちが見られなくなったら医療設備のあ
毎日同じサイクルの生活はおかしい
る施設のほうが安心だ
画一的なかかわりは仕方ないが・・
<最期まで見守って欲しい>
そばで見守ってやって欲しい
在宅のほうが人間らしい生活ができる
なくなったら葬式を出してやって欲しい
<仕事面では特別扱いはしてほしくない>
男として、仕事面ではみんなと同じ仕事第一でいきたかった
ハンディを負いたくなかった
<普通に育ってくれてよかった>
<重症児の福祉制度を充実させて欲しい>
病気のことは仕方ない。
<自分にできるだけのことはしてきた>
必要なお金は出すから『親亡き後』という事を心
普通に育ってくれた良かった
<福祉サービスの理想と現実は違う>
配しなくてもいいような社会になってほしい
家族にはプライベート時間にかかわってきたつもり
効率的な経営と手厚いサービスは矛盾する
<活気ある生活をさせたい>
<サービスを利用できないことがある>
<福祉を動かすパワーが欲しいが
在宅で寝てばかりのむなしい生活はさせたくない
空きがないためショートスティを受けてもらえない
現実は弱い>
親がついて行ってもどこかへ通わせたい
重心通園に通いたくても数が少ないので通えない
知的障害者の授産施設へ通うしかないという現実
<働き盛りの時期の退職の決断は大きな問題だった>
今からまだ…という時期の退職だった
<いろいろ体験できることは良いことだ>
子どもにとっていろいろは人とのかかわりは良いことだ
<サービスが利用できないと在宅はつらい>
いろいろな施設でいろいろ体験することは良いことだ
家族がいる場合はいいが、一人で介護している人は
生活に変化があったほうが良い
大変だ
<自分が子どもの世話をしよう>
嫁さんを仕事に出した方がある程度メリハリがあって、元気が出るかな
やっぱり自分の子を見てやらないといけない
61
65
対象 C
(図 2-3)
<信頼できる医師がいるので心強い>
<重症児が受診できる病院が少ないので困る>
ずっと同じ先生が診てくれて相談にものって
動くので必要な治療さえ制限される
くれた
重症児についての知識が少ない
<障害を受け入れられない>
発達時の突然の病気
<長時間の移動による子どもの
体調への影響が心配>
夢なら覚めて欲しい
育てる自信がない
<近くに通える施設がない>
<子どものために一生懸命やってきた>
ボイタ方を一生懸命やっていた
<病気にさせた子どもへの母の負い目>
遠い道のりを通院しつづけた
<施設がなければ在宅は限界だ>
病気にさせた子どもへの責任が一生続く
自動車免許を取った
体調管理が大変だった
<可能な限り家族で一緒に生活したい>
施設がないのでほとんど利用できない
両親がいる間は家族として一緒に生活したい
病気になっても通院ができない
一人でも介護できるように生活環境を整えよう
体調が悪くても休めない
<病気さえしなければ、今は・・・>
同じ年代の子をみると、ダブってしまう
<元気に育ってくれてよかった>
ここまで生きるとは思ってなかった
<利用者の増加で必要時に利用
<最期まで親の責任を果たさないといけない>
<いつかは同居できなくなる>
これからの子どもの道を築いていってやりたい
できないので困る>
親はどんどん高齢化していく
これからの苦難も乗り越えなくては
<子どもなりに発達し、意思を持っている>
<これはこれでよい人生だ>
子どもとの人生も良い人生ではあった
動きや表情が良くなっている
意外と環境に適応できるのかも
<自分らしく生きて欲しい>
<多くの人と関わってもらいたい>
どういう環境でも自分らしさ
<がむしゃらな人生だった>
友達の中で過ごすことが重要だ
を失わずにいて欲しい
がむしゃらな 26 年だった
人との関わりがよい効果を与えている
生きる術を身につけて欲しい
何かやり残したような気がする
<充実した人生を送りたい>
焦ってきている
何か遣り残したような
<子どもの反応の変化に戸惑い>
病気時の反応がこれまでと違う
生きがいがあれば介護の充実するかも
62
66
対象 D
(図 2-4)
<子どもを家族として接してく
れることに喜び>
<きょうだいに申し訳ないことをした>
<できるだけ一緒にいたい>
<必要時サービスが受けられない>
<在宅継続のためにサービス選択は重大>
きょうだいに関わる余裕がなかった
できるだけ一緒に暮らしたい
利用者が多い
高校卒業後の進路選択が重大
施設側の状態によって断られる
在宅継続のためにサービスの選択は重要だ
母親として甘えさせてあげられなかった
看られる間は看てやりたい
若い人の利用が多い
<幸せになって欲しい>
きょうだいの将来が気になる
<親亡き後は気にかけて欲しい>
負担をかけたくない
<いつまでできるかな?>
面会に行って欲しい
自分と同じつらい経験はさせたくない
<施設が少ないので選択肢がない>
自分の健康に自信がなくなっている
<緊急時の対応に不安>
夫婦のどちらかが倒れればできない
緊急時にも断られるのではないか?
親が病気になったらどうなるの?
緊急時、子どもをどうすればよいだろう
<若い人は遠慮して欲しい>
夜中の緊急時は子どもをどうしよう
若い人が利用するから使えない
断られると、交渉に時間がかかる
若い人は少々のことは家で看てほしい
必要時に援助して欲しい
障害児とわかれば堕ろさせる
<いつ登録すればよいのか>
<周囲の人に支えられた>
<障害児の子育ては良い経験>
必要時に入所できないとどうしよう
家族の支え
子どもの存在が人生観を変えた
いつ入所希望を出せばよいの?
入所順番が早くこないで欲しい
同じ重症児を持つ親の支え
情報交換できる仲間
仲間との会話に助けられた
<もう一度したいとは思わない>
子どもの存在は否定しない
苦しいことの方が多かった
<人との関わりの中で成長している>
<障害児を育てながらの就業はハンディ>
作業所が子どもに新しい刺激(情報)を与えてくれている
時間的制約がある
<現状を受け入れられない>
子どもはいろいろな人とかかわりの中で成長している
同僚に理解してもらえない
まさかうちの子にかぎって
<田舎での子育ては難しい>
優遇されていると思われることが悔しい
厳しい現状に押しつぶされそう
<様々な経験をさせたい>
就労部分で共感できる人が少ない
<無我夢中>
いろいろな人と関わってもらいたい
<周りの目や反応が気になる>
周りは見えてない。必死だった
いろいろな刺激を与えたい
人の言葉に傷つく
<子どもとの生活が普通>
<就労できることは恵まれている>
年寄りは配慮がない
子どもを介護しながらの生活が普通だ
<自分自身のために働きたい>
子どもが元気だから働ける
子どもとの生活から抜け出せない
<成長に伴う身体的変化>
<機能訓練は必要だ>
気分転換になる
周囲との関係にくたびれる
時間的制約を理解してくれる
67
63
成長に伴い関節が硬くなる
対象 E
(図 2-5)
<何もかもわからず困惑>
<施設間の連携がない>
<介護が底辺だけど家で見たい>
障害児の育て方や病気がわからない
病院を紹介してくれれば良いのに
<親亡き後はたまに会いに
<兄に合わせて生活させてきた>
行って欲しい>
兄に合わせて生活させてきた
体重が重くてしんどい
将来の見通しがみえず不安
自分としか繋がっていない
重くなったので日常の介護が大変だ
どこへ相談に行けばよいのか
<自分で切り開いていく>
<きちんと相談できる所がない>
自分で探し回る
総合的に相談できる機関がない
<看られなくなるかもしれない>
<きょうだいに負担をかけたくない>
抱けなくなるかもしれない
兄のことを重荷に思って欲しくはない
自分は老いていく
自分で聞いて自分で決める
後見人はどうなのか
専門的なことを知らないスタッフが多い
自分でできることはする
あてにしない
<やりたいことをしてることが嬉しい>
<入所施設を探さねば>
安心できる施設を探さねば
施設内を知って見つけたい
<夫はあてにできない>
夫のことがわからない
夫の言動に反感
<機能が低下していく現実に不安>
<子どもなりに意思がある>
<子どもに癒される>
<子どもが元気なのが一番>
できたことができなくなっていく
その時々で顔の表情が違う
発達が嬉しい
だんだん動けなくなっていく
子どもなりに状況の変化を感じている
嚥下が下手になる
<自分にできることはしてやりたい>
子どもの状態がどう変化するか不安
自分にできることはしてやりたい
子どもの笑顔が嬉しい
<仕事は気分転換の場>
仕事は気晴らしの場になる
<してきたことに後悔はない>
普段とは違う自分になれる
<この状態を維持させたい>
<施設入所後困らないようにしたい>
この状態を保っていきたい
いろいろな人に慣れて欲しい
あがきながら訓練を続けている
ショートを利用して施設に慣れさせたい
<いつかやりたいことができればいいな>
やりたいことはあるが全部はできない
<してもしなくても結果は同じだったのかな?>
いろいろな場所へ慣れさせたい
長時間家を空けられない
結局行き着くところは一緒なのか?
子離れ親離れの準備だ
<機能低下は仕方ない>
いつかできればいいな
訓練の効果はどこへ行ったのだろう
機能が低下するのは知っていた
身体の萎縮や衰えは仕方ない
成長に伴う機能低下は仕方ない
64
68
【1】子どもの成長と幸せを願う
(図 3-1)
<子どもへの負い目と責任>
子どもへの負い目
<子どもの成長とその喜び>
子どもへの責任がある
人との関わりの中で発達している
障害児にしてしまった
病気にさせてしまった・見抜け
子どもの将来の道を築かねば
いろいろな人とかかわりの中で成長している
子どもの道を築いていってやりたい
病気さえしなければ
自分にできることはしてやりたい
同じ年代の子をみると、ダブってしまう
自分にできることはしてやりたい
動きや表情が良くなっている
元気に育ってくれてよかった
ここまで生きるとは思ってなかった
<成長にともなう戸惑い>
<子どもなりに意思を持っている>
結局は訓練しても同じだったのかな
子どもなりに感じている
やったことがどこへいったんだろう
子どもなりに状況の変化を感じている
どこまで落ちていくのか
子どもは言わないけどわかっている
<活気ある生活をして欲しい>
反応がかわったのでわからない
むなしい生活はさせたくない
周囲の変化を感じ適応できる
今までのようには子どものことがわからなくなった
子どもは意外とたくましいかも
いろいろな人と関わってもらいたい
いろいろな人と関わってもらいたい
いろいろな刺激を受けて欲しい
友達の中で過ごすことが重要だ
<機能低下や拘縮は仕方ない>
意外と環境に適応できるのかも
機能低下や拘縮は仕方がない
子どもはやわじゃない
変形・拘縮が気になり始めた
少しでも楽になるなら訓練をして欲しい
子どもがかわいそう
黙って受け入れるだけでかわ
65
【2】子どもの将来が気になる
(図 3-2)
<施設入所への覚悟>
<親亡き後への不安>
どの施設が良いのだろう
施設入所後困らないようにしたい
いつかは施設入所だ
医療設備が整ったところがいいのかな?
安心できる施設を選びたい
親が看れなくなったら入所だ
夫婦のどちらかが欠けたら入所になる
子どもにはどんな施設が良いのだろう
規則的な生活リズムをつけさせたい
自分より早く亡くなって欲しい
親以外の人の介護に慣れてもらいたい
親亡き後のことは一番気になる
ショートを利用して施設に慣れさせたい
後見人制度はどうなっているのか
いろいろな場所へ慣れさせたい
<親亡き後はきょうだいしかいない>
<在宅継続への不安>
最期まで見守っていて
可能な限り在宅を続けたい
登録しようか・・どうしよう
欲しい
看られる間は在宅を続けたい
必要時に入所できなければ困る
面会に行ってほしい
可能な限り家族で一緒に生活したい
入所順番が早くこないで欲しい
最後の頼みはきょうだいだけ
いつまで在宅を続けられるだろう
自分の健康・体力が維持できなくなっている
<これまでの選択に対する迷い>
施設の生活は良くない
抱えられなくなるかも
施設より家のほうが人間的な
日常介護が大変になってきている
子どもにとっては在宅が長くないほうが良か
生活が送れる
きょうだいが巣立っていく
ったのかな?
いつまでできるだろう
66
【3】きょうだいの幸せを願う
(図 3-3)
<自分の人生を歩んで欲しい>
<きょうだいに申し訳ない>
きょうだいに負担をかけたくない
きょうだいの人生を歩んで欲しい
兄のことを重荷に思って欲し
やりたいことをしてくれることが嬉しい
くはない
彼らには彼らの人生がある
重症児(者)中心の生活だっ
た
兄に合わせて生活させてき
ハンディを背負わせたくない
た
将来、直接的な世話はさせた
きょうだいに関わる余裕がなかった
くない
余計な負担を背負わせた
負担を背負わせてしまった
余計な不安を持たせている
<自分と同じ苦労はさせたくない>
<きょうだいに感謝>
きょうだいのやさしさが嬉しい
自分と同じ苦労はさせたくない
自分の思いをわかってくれた
自分と同じつらい経験はさせたくない
<健常児の子育ては難しい>
娘のサポートが受けられる
障害児とわかれば生まれる前なら堕ろさせる
反抗期があるし、自分の思いが伝わらない
【重症児(者)の親としての人生】
<障害児(者)の子育ては経験したくない
>
67
【4】重症児の親としての人生
(図 3-4)
<障害児(者)の子育ては良い経験だ>
<障害児(者)の子育ては経験したくない>
子どもの存在が人生観を変えた
障害児を育てる経験は正直良かったとは思わない
この子に貴重な経験をさせてもらった
苦しいことの方が多かった
子どもとの人生も良い人生ではあった
<戸惑いながらも一生懸命だった>
状況を受け入れられない
<周りに支えられて頑張れた>
一生懸命だった
突然の病気。夢なら覚めて
家族の支え・同じ境遇の人
ボイタ法を一生懸命やっていた
育てる自信がない
情報交換できる仲間
周りは見えてない。必死だった
障害を受け入れられない
仲間との会話に助けられた
まさかうちの子にかぎって
同じ医師が診てくれて相
厳しい現状に押しつぶされそう
談にものってくれた
できることをしなくっちゃ
病気ばかりで計画どおりに進まない
一生懸命しても反応してくれない
障害は治ると思った
<社会の中で育てるのは難しい>
<家族はあてにならない>
周りの目や反応が気になる
障害児を育てながらの就業はハンディ
人の言葉に傷つく
時間的制約がある
年寄りは配慮がない
同僚に理解してもらえない
周囲との関係にくたびれる
家族に受け入れてもらえない
夫はあてにならない
家族(姑・義姉)からの誹謗
夫のことがわからない
障害を理解してもらえない
夫は相談に乗ってくれない
子どもの存在を否定される
介護を手伝ってくれない
優遇されていると思われることが悔しい
就労部分で共感できる人が少ない
男として仕事で特別扱いは受けたくない
仕事上での特別扱いは受けたくない
68
【5】自分自身の人生もあるんだ
(図 3-5)
<生きがいを見つけたい>
やり残したものがあるような
<自分のために働きたい>
自分自身のために働きたい
生きがいがあれば介護も充実するかも
仕事は気分転換の場
仕事は気晴らしの場になる
<将来自分のためにできるといいな>
やりたいことはあるが全部はできない
いつかできればいいな
69
【6】医療・福祉への不満と期待
(図 3-6)
<医療・福祉職員への期待>
<サービス選択は重大だ>
<妥協して選択している>
高校卒業後の進路選択が重大
施設が少ないので選択肢がない
在宅継続のためにサービスの選択は重要だ
地域に施設がない
作業所へいける子はいいけど・・・
重症児(者)対象の施設がないので
知的障害者対象の施設に通うしかない
重症児(者)への知識がないスタッフが多い
施設間の連携がない
総合的に相談できる機関がない
病院を紹介してくれれば良いのに
どこへ相談に行けばよいかわからない
自分としか繋がっていない
専門的なことを知らないスタッフが多い
小児科以外は受診するのが難しい
動くので必要な治療さえ制限される
<利用者偏りへの不満>
若い人が利用するから使えない
エネルギーがある若い人は家でみて欲しい
利用する人としない人は極端に異なる
<通所施設は意外な良さがある>
いくつかの施設へ通うことで変化のある生活が送れる
重症児だけでなくいろいろな人とかかわることができる
家ではできない体験ができる
<福祉を動かすパワーが欲しい>
<サービス保障が不安定>
福祉を動かすパワーが欲しい
必要時サービスが受けられない
緊急時の対応に不安
重心児(者)の人数が少ない
利用者が多い
緊急時にも断られるのではないか?
重症児(者)福祉に関心をもってくれる人が少ない
施設側の状態によって断られる
緊急時、子どもをどうすればよいだろう
若い人の利用が多い
夜中の緊急時は子どもをどうしよう
親が結集することが難しい
断られると、交渉に時間がかかる
70
資料 1
調査票
<児の属性>
1.年齢: (
歳)
2.性別:
男
3.医療的ケア: 有
女
無
種類;
開始時期;
ケアフォロー;
回/ 週・月
その他;
4.利用しているサービス
デイサービス
短期入所
その他;
<両親の属性>
1.主介護者;年齢(
歳) 性別(
就業;有 無
常勤・パート
健康状態; 良好
良
(
2.配偶者;年齢(
歳) 性別(
就業;有 無
常勤・パート
健康状態; 良好
良
(
)
不良
)
)
不良
)
資料 2
平成
年
月
日
病院
所長
様
広島大学大学院保健学研究科保健学専攻
博士課程前期 学生 今村 美幸
「重症心身障害児と家族への在宅支援に関する研究」へのご協力のお願い
時下ますますご清栄のこととお喜び申し上げます。
近年、ノーマライゼーション理念の普及や国の社会福祉施策への移行により、重症心身障害
児(以下重症児という)の在宅指向が増えてきています。それに伴い、さまざまな在宅支援事
業が行われていますが、個々のニーズにあった支援が提供できていないという問題も指摘され
ています。
現在、私は大学院修士課程において、身体の成長に伴って医療・介護上での新たな問題が起
こる思春期から青年期にある重症児とその家族への支援のあり方を目的とした研究に取り組
んでおります。そのために、思春期から青年期にある在宅療養重症児の家族を対象に、在宅支
援の実態、子どもの成長とその時々の家族の体験や思いなどについて面接調査を計画しており
ます。つきましては、貴院の在宅支援事業を利用している子どものご家族を対象に調査をさせ
ていただきたく、本研究にご協力いただけるご家族をご紹介いただきたく存じます。
ご多忙中の折、大変恐縮ではございますが、本研究の主旨をご理解の上、調査にご協力いた
だけますようお願いいたします。
なお、面接は 1 回 1 時間程度を 2 回予定し、ご協力いただける家族のご都合の良い日時・場
所に合わせてうかがいます。面接調査の内容は、忠実に研究に反映されるために録音させてい
ただきますが、本調査で得られました情報は、厳重に保管し研究以外の目的で使用することは
ありません。研究結果は修士論文や学会などで発表させていただきたいと存じますが、この場
合も、個人名や施設名などの個人的情報が特定されないように配慮し、プライバシーを厳守す
ることを申し添えます。
研究にご協力いただけます場合には、別添の同意書にご記入いただきたいと存じます。同意
いただいた後も、協力の取り消しは自由であり、その場合は別添の同意取消書へご記入いただ
きたく存じます。研究に協力しないことにより不利益を受けることは一切ございません。
ご多忙中の折、大変恐縮ではございますが、本研究の主旨をご理解いただき、何卒貴院のご
協力を賜りますようお願い申し上げます。
<調査についてのお問合せ先>
調査者:広島大学大学院保健学研究科保健学専攻博士課程前期
〒734-8551 広島市南区霞1−2−3
携帯:
E-mail:
指導教官:広島大学大学院保健学研究科 教授 田中 義人
〒734-8551 広島市南区霞1−2−3
今村
美幸
資料 3
平成
年
月
日
様
広島大学大学院保健学研究科保健学専攻
博士課程前期 学生 今村 美幸
「重症心身障害児と家族への在宅支援に関する研究」へのご協力のお願い
時下ますますご清栄のこととお喜び申し上げます。
近年、ノーマライゼーション理念の普及や国の社会福祉施策への移行により、重症心身障害
児(以下重症児という)の在宅指向が増えてきています。それに伴い、さまざまな在宅支援事
業が行われていますが、個々のニーズにあった支援が提供できていないという問題も指摘され
ています。
現在、私は大学院修士課程において、身体の成長に伴って医療・介護上での新たな問題が起
こる思春期から青年期にある重症児とその家族への支援のあり方を目的とした研究に取り組
んでおります。そこで、思春期から青年期にある在宅療養重症児の家族を対象に、在宅支援の
実態、子どもの成長とその時々の家族の体験や思いなどについて面接調査を計画しております。
ご多忙中の折、大変恐縮ではございますが、本研究の主旨をご理解の上、調査にご協力いた
だけますようお願いいたします。
なお、面接は 1 回 1 時間程度を 2 回予定し、あなた様のご都合の良い日時・場所に合わせて
うかがいます。面接調査の内容は、忠実に研究に反映されるために録音させていただきますが、
本調査で得られました情報は、厳重に保管し研究以外の目的で使用することはありません。研
究結果は修士論文や学会などで発表させていただきたいと存じますが、この場合も、個人名や
施設名などの個人的情報が特定されないように配慮し、プライバシーを厳守することを申し添
えます。
研究にご協力いただけます場合には、別添の同意書にご記入いただきたいと存じます。同意
いただいた後も、協力の取り消しは自由であり、その場合は別添の同意取消書へご記入いただ
きたく存じます。研究に協力しないことにより不利益を受けることは一切ございません。本研
究について、何かご質問などがありましたら、いつでも遠慮なくお尋ねください。
ご多忙中の折、大変恐縮ではございますが、本研究の主旨をご理解いただき、ご協力を賜り
ますようお願い申し上げます。
<調査についてのお問合せ先>
調査者:広島大学大学院保健学研究科保健学専攻博士課程前期
〒734-8551 広島市南区霞1−2−3
携帯:
E-mail:
指導教員:広島大学大学院保健学研究科 教授 田中 義人
〒734-8551 広島市南区霞1−2−3
今村
美幸
資料 4
同 意 書
広島大学大学院保健学研究科保健学専攻
博士課程前期
今村 美幸 様
(個人用)
上記学生から依頼のあった「重症心身障害児と家族への在宅支援に関する研究」について、
その目的、方法、意義、研究協力の任意性、協力中断の自由、調査協力に伴う負担と対処、プ
ライバシーの保護、研究結果の公表の仕方ならびに看護上の貢献に関する説明を受け、研究の
主旨を理解しましたので、面接調査に協力いたします。
平成
年
月
日
本人氏名
広島大学大学院保健学研究科
博士課程前期 今村 美幸
〒734-8551 広島市南区霞 1-2-3
携帯:
印(自署)
指指導教員:広島大学大学院保健学研究科
教授 田中 義人
〒
734-8551 広島市南区霞 1-2-3
資料 5
同 意 取 消 書
広島大学大学院保健学研究科保健学専攻
博士課程前期 学生 今村 美幸
(個人用)
私は、自由意志にもとづいて、この研究に同意しましたが、その同意を撤回いたします。
平成
年
月
日
本人氏名
印(自署)
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