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第 60 号 - 臨床パストラル教育研究センター

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第 60 号 - 臨床パストラル教育研究センター
第 60 号
特定非営利活動法人
発行人:W.キッペス
2013. 7.20
発行所:臨床パストラル教育研究センター
〒158-0095 東京都世田谷区瀬田 1-28-2
TEL 03-3700-3425/FAX 03-3700-3427
e-mail:[email protected]
http://pastoralcare.jp
信 念 ~多様性の中で自己を生きうる基礎~
全国大会の反省
理事長
・全国大会=
スピリチュアルケア in action
ウァルデマール・キッペス
れるだろう。また、大会開催のために尽力
して下さった方々を始め、そこに集う参加
者一人ひとりの存在への尊敬(による信
頼)と感謝の念は、大会運営がスムーズに
運ぶという“見える縦の流れ”に“見えな
い横のつながり”を与え、その場(とき)
に厚みをもたらす。大会への参加が各人の
スピリチュアルケアに対する努力と協力
への意志、そして、「現
代社会をより良いもの
にするために心の力を
結集する」という当セン
ターの存在意義を(再)
確認する機会になるよ
う希望していた/いる。
2013 年度全国大会が6月8日、9日に
行われた。今大会テーマは「癒し と 治し」
であった。そこで大会に参加された皆様に
お尋ねしたい。大会に参加したことによっ
て自身が何か“癒し”を得たであろうか。
わずかであっても、癒さ
れる時を体験できたで
あろうか。示唆に富む個
性豊かな各講演、参加者
によるグループ討議や
会員同士の個人的な分
かち合いなどによって、
自身がまず、内面的な刺
激や深まりを実感できたであろうか。全国
大会の場(とき)そのものがスピリチュア
ルケアの実践の場(とき)でもある。
・他者の考え方・生き方にオープンであるこ
ととその条件(信念)
自分の生き方に信念や信条をもち、それ
を明確に持ち続けることは自他への尊敬
につながる(スピリット・スピリチュアル
ケアの定義も同様である)。自分と異なる
信念、信条、スピリチュアリティー、生活
様式(習慣)を耳にしたとき、すぐに反発
や迷いが生じるならば、そのとき再度、自
分の信念や信条を確認してみてはどうだ
ろうか。それぞれに固有の人生哲学、人間
・内面的な生き方
センター会員にとって馴染みのある、大
会前、中、後の“静かなとき”は、初参加
の方にとっては違和感を感じるものかも
知れない。しかし、静かなときと共に自分
自身と向き合う/自分自身に触れること
は内面的な生き方を意識させ援助してく
1
07.20.2013 NL60
像、世界観などを先入観なしに聴き、理解
することは聴く耳、理解する心、知性など
を必要とする重労働でもあるが、他者のそ
れらを認め尊重しようと努力するならば、
日常、いつでもどこでもスピリチュアルケ
アの実践は可能である。このとき、
“理解
すること”と“納得し同意すること”は別
であることを念頭に置くことが大事であ
る。スピリチュアルケアの基礎は、まず自
分自身が信念・信条をもつことである。
講演①:泉氏そのものからあふれるエネル
ギーがまず印象に残っている。それまで
の職位を辞してホスピスケアのために
自発的に研究し、その後の 20 年の歩み
の中で学び続け模索し続けてきた。その
姿に内面的なパワーの存在を感じると
ともにホスピスケアは Know-how では
なく絶えず学び自分を磨く努力である
ことを示してくれた。また自身の体験を
分析し「ことばとの出会い」という独自
の療法を工夫してきたことにも頭が下
がる。同時にそれはあくまでも泉氏の持
論であって方法論ではないことを意識
すればよいと思う。
講演②:鈴木氏に生き生きとした姿と素直
さを感じた。自然科学がベースである小
児科医療に携わる中で超自然の存在を
信じるようになったこと。そのきっかけ
として、ある幼児が瀕死の状態(脈拍 30)
で両親の到着を1時間待ち、両親が手を
握った途端に脈が 100 まで上がり、その
後も牧師/神父が到着するまで安定し
続け、祈りの最後「アーメン」とともに
亡くなった…という話は私に強いイン
パクトを与えた。私ならば脈拍(自然科
学的なこと)は中心とせず子供の状態だ
けを見たであろう。そうであれば親のス
キンシップによる効果(科学的に証明で
きる変化)に気づかなかったかも知れな
い。MOA の健康法の第3“浄化療法”
についての話で、子供の頃に毎晩父がし
てくれた祝福を思い出した。また普段の
散歩中、目にする家(人)の内に平安が…
移動中、乗り物が無事目的地に着くよう
に…通り過ぎる町の人々が平安の内に
あるように…と手で祝福する私自身の
習慣も重なり手を通してエネルギーを
与えられることを確信していることに
共通点を感じた。鈴木氏への尊敬の度合
いがより大きくなったのは氏が 6 人の
父親であると分かったときです。子供の
少ない現代日本社会における個人の信
念!を感じた。
・考え方の多様性
今大会の講演を例にすれば…
① 20 年余りのホスピス病棟、臨床の場で
の学びと併せ、活動しつつ(模索しつつ)
個人的に発見していった、言わば継続的
な独学を「ホスピスケア・臨床での学び」
と題し分かち合って下さった泉キリ江
氏。
② 西洋医学的治療に加え、全人的ケアであ
る岡田式健康法(食事法・美術文化法・
浄化療法)を取り入れ、患者自身のもつ
自然治癒力を最大限に活かすよう心掛
けているMOA東京療院の鈴木清志先
生。
③ 「世界の根源的把握と向かう姿勢~人
のスピリチュアルな領域について~」と
題し、自然科学 対 精神科学、無神論
者・唯物論者・神道・仏教・イスラム教・
キリスト教などの世界観や信条、信仰の
違いを述べて下さった清水哲郎先生。
三人三様、それぞれ異なる体験、異なる
信念や信条の上で知識や経験を分かち合
って下さった。それらに対する聴講者の基
本的な態度は尊敬であり、理解の度合いや
反応は様々であろうが、他者のスピリチュ
アリティーと信念を理解することによっ
て、自分のスピリチュアリティーや信念を
省みるきっかけにすれば有意義ではない
だろうか。
これらの講演に対する私の感想は次の
ようなものである。
2
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講演③:清水氏の哲学や宗教学を基にした
人間考察は私に多くの考える刺激を与
えた。例えば人間が現実をありのままで
はなく、視点、体験、思考を含む“意志
と認識”を通して把握し関係を結ぶこと。
それは人間同士やいのちの源との“関係
の質”を作り上げる要素でもあることを
意識させてくれた。また“人間は神に見
られて初めて価値のあるものになる/
なっている”というルテールの思想に対
しては、存在はすでにいのちの源との関
係によって在るのだから元より価値の
あるものである。すなわち“人間は元々
善いもの”という私の信条(仏教の影響
もあり)を新たに意識した。 また質疑
応答で、「地獄とは人間の想像によるも
の」という氏の発言は、「“地獄=命(=
神)から離れている状態”は人間自身が
選んだものであり神が与えるものでは
ない」という私の信条を深めてくれた。
人間の内面性を深く追究されている清
水氏が被災地から数匹の猫を引き受け、
家族にしたという話からは氏の深い人
間性を感じた。
めていくためには、やはり自分の考え、信
念をしっかりと持つことである。
自分と異なる多様な考え方に対して、自
分の考え、理解を提供した上で、それを基
に相手との違いを明確に表現し討議でき
れば意味のあるディスカッションになる。
「あなたはこうおっしゃったのですが、わ
たしはこう思います。いかがでしょうか。」
のように。また、相手の考えを知的に理解
できなかったときは、そのことを正直に述
べ、これから勉強/研究してみますと言え
るならば、上辺の関係ではなくなるだろう。
異なる意見をもつ相手であっても、その人
生の歩みを理解するための努力はスピリ
チュアルケアでの患者訪問と同様である。
自分の意見を持たない(考えない)/言わ
ない(言えない)ことではなく、それぞれ
の個性や違いを重なり合わせ補強する鎖
(チェーン)のような連帯の和が出来たら
良いと思う。多様な意見を建設的に活かし、
その上で Harmony=癒しがあれば良いと
思う。
・全国大会はスピリチュアルケアの実践の場
年に一度の全国大会で仲間と再会し理
解と励ましを得ることは喜びであり、互い
の歩みを信頼できる仲間に語ることがで
日本において和を重んじることは美徳
きれば力となるだろう。同時に気心の知れ
のひとつであろう。しかし、健全な(本物
た仲間とのつながりだけでなく、知らない
の)和とそうでない和がある。例えば他者
メンバーと出会い、考え方や価値観を理解
の意見と自分の
し合う機会とな
自分の信念を保持しながらも、
意見を同等に扱
ればなお有意義
それを先入観や偏見のもとにすることなく、
いディスカッシ
ではないだろう
相手の思考に全力で耳を傾け理解しようと努力し、
ョンした上での
か。見知らぬ者
納得できない場合でも反論せず、
妥協、それによる
同士が尊敬し信
意見の相違を述べることができれば、
和は健全である
頼し理解し合う
それは相手を尊重し癒しをもたらす態度となる。
が、自分の考えを
ことによって相
持たない、又は持
互の心の力を活かす・・上述したように全
っていても皆の前で言うのは恥ずかしい、
国大会もスピリチュアルケアの実践の場
言えば嫌われるのではないかという心配
なのである。全国大会の目的はスピリチュ
などから意見を抑え、その上で成り立つ上
アルケアを深めることとその普及である。
辺の和は不健全であり本物の和ではない。
従って、大会に参加したことによって内面
本物の和を目指し、その和を大切にし、強
・討論できる関係 対 上辺だけの和
ディスカッション
3
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的な深まりがあったか、内面的な力を相互
に生かし合えたかが中心である。
今年の全国大会で癒されたか、そうであれ
ば何によって癒されたかを明確にし、持ち
続けるようにしましょう。来年の全国大会
のテーマは「心の力を活かすスピリチュア
ルケア」です。大会テーマを2日間だけの
一時的なもので終わらせず、日々継続的に
意識し考え深めていくようにして欲しい
と思います。
臨床パストラル教育研究センターの使命の再認識
ウァルデマール・キッペス
人生には解決のできない問題がありま
す。なぜ自分が女性であって男性ではない
のか。なぜ五体満足があり五体不満足があ
るのか。なぜ能力や教育の機会に差異があ
るのか。なぜある人に○○癌が生じるのか。
なぜ寿命は人によって異なっているのか。
なぜ苦しんでいるのか。震災や人災はなぜ
起こるのか?
解決の出来ない、または解決が簡単では
ない困難や理想的でない現実を生きる体
験は誰かに学ばなくとも私
たち一人ひとりがすでに持
っているものではないでし
ょうか。こうした現実を変
えられなくとも、それに対
する考え方、生き方や暮ら
し方は変えることができま
す。仕方がないとか運命だ
というのではなく、自分が取り組む課題、
いわば生きようとする課題として受容す
ることはできます。独学すること、信条や
哲学、医療や科学の発達などはその結果に
よるものです。生と死そのものは変えられ
ないことですが、それらの捉え方や生き方
を変えることはできます。60 年ほど前か
らの緩和ケアの進展とそれに伴うスピリ
チュアルケアもその一つの結果です。
痛みや苦しみ、難病や死、喪失や悲しみ
を排除することには限界があります。だが、
わたしたち NPO 臨床パストラル教育研究
センターのメンバーは、それらを生きよう
4
とする力がわたしたち人間の中に内在し
ていることを信じ、また自己の体験を通し
て、それを活かす有益さや重要性を確信し
ています。生きる困難とぶつかったときこ
そ、自己に眠っている内面的なパワーを掘
り出し、それを結集する機会とすることが
できます。避けられない困難に出遭っても、
その困難を生き抜くことは可能だと思い
ます。当センターの存在意義と特徴はこう
した変えられない状況の中でもその人な
りに生きるためのものです。
使命感や目標を持ってい
ても、スピリチュアルケア
を学び、その重要性を理解
していても、周りからの理
解や協力が得られない時、
痛みや本音を信頼して自由
に話せる場や相手がいない
時などは苦しみ立ち止まることもあるで
しょう。 同時に、その時誰かが自分を理
解し応援してくれれば、また一歩前へと進
む力が生まれる、その力が自分の中にある
ことも体験しているのではないでしょう
か。
私たち一人ひとりが現実の中で困難を
実際に生きていることはスピリチュアル
な痛みに苦しむ人々を理解しケアする上
で最も活かせる生きた体験でしょう。内面
的にも豊かな社会を目指すために、内面的
な力を信じ、その価値を体験している私、
私たち一人ひとりがまずその力を活かす
07.20.2013 NL60
実践者として生きることが出来れば良い
と願っています。
去る 6 月に開催された当センター全国
大会は、会員同士が臨床パストラルケア=
スピリチュアルケアの起源を思い起こし、
その有益性と必要性を再認識するときで
もありました。人間の内面的な状況はその
眼が語っています。安心か不安なのか、喜
びなのか悲しみか、使命感や目標のなさは
自分の眼を自分で見れば分かります。また、
他者の眼から見ても相手の内面的な状態
を感じ取ることができるのは少なくあり
ません。
スピリチュアルケアは日々の挨拶から
始まります。他者との出会いにおいて、自
分が眼の前の人をどのような(内面的)状
態で相手にしているのか意識する必要が
あるでしょう。信頼感をもって挨拶できれ
ばお互いを生かし合えますし、挨拶するこ
とによって信頼感が生じるきっかけとな
ります。信頼は癒しの元です。今年6月に
品川で科目Ⅰの5日間研修を行ったとき、
三日間続けて朝の通勤時間帯に人身事故
がありました。大勢の人の中にありながら、
助けられる相手はいませんでした。最初の
日の現場は「有楽町」でした。
「有楽町」
と聞いた瞬間「災い町」
「無楽町」と考え
てしまいました。
(ちなみに、
「泥棒は挨拶
されると『泥棒することができなくなる』
」
とある捕まった泥棒の発言。
)
臨床パストラル教育研究センターの理
念はキリスト教哲学をベースにしていま
す。
理由は“パストラルケア”の内容や言葉
が“JESUS THE HEALER”という概念
から発生したものであるから、それを表明
するのはごく自然なことです。非暴力のシ
ンボルとしてガンジーが、平和への活動の
シンボルとしてマザーテレサが挙げられ
るのと同じでパストラルケアだからキリ
スト教でありイエスなのです。
同時に会員の皆様方の中には他の信仰
を自分のベース、支えにして生きている方、
また自分の価値観や人生哲学を大事にし
て生きている方などさまざまな方がいま
す。多様な信仰、考え方を持つもの同士が
こうして一つの団体に属しながらパスト
ラルケアを社会に推進して行けるのは、各
自が大切にしていることを当センターの
哲学や価値観の中に宗教の枠を超えて多
少なりとも重ねることができ人間らしい
生き方をそこに発見できたからではない
でしょうか。“多様性を尊重し認める”と
いうパストラルケアの根本的姿勢を私達
がまず実践できる機会でもあります。パス
トラルケアのルーツを意識し尊重するこ
とは自分の信念や信仰を失うことではな
く、むしろ各自の生き方にあるルーツを意
識し、より深めることにもなると思います。
わたしたち会員が互いに尊敬し合い、問
題とぶつかったときにもそこから逃げず、
それを生きるチャンスやチャレンジとし
て捉えるなら、本物のスピリチュアル・ケ
アワーカーになられます。逆に心があって
い な い と 感 じる と き (の ほ う が 問 題で
す!)、すぐ関係を絶ってしまうならスピ
リチュアルケアをする資格はありません。
毎年の全国大会が互いに認め合い、励ま
し合う機会となるよう切に願っています。
問題とぶつかった時こそ、眠っている内面
的な力に気付き結集する機会となります。
その力を引き出すのがスピリチュアルケ
アの中心課題と存在理由であり人間の特
徴でありましょう。
自分は相手の病気を治すことはできない
かもしれない
だが癒すように手助けになれる
5
07.20.2013 NL60
『生きがいの創造
生まれ変わりの科学が人生を変える』を読んで
臨床パストラル・カウンセラー
著者の飯田史彦氏は元福島大学教授の
経済学者です。経営の立場で「働き甲斐」
について考えると、「生きがい」について
考えざるを得ない、生きがいについて探求
すると、「生きる意味」について問うこと
になり、そこからスピリチュアリティを究
める生き方をしておられる方です。現在は、
いのちの作家としての執筆、講演会、音楽
療法家としてコンサート活動、経営心理学
者としてカウンセリングやコンサルタン
トをしながら、依頼に応じて講演もボラン
ティアでしておられます。
京都大学の 100 周年・時計台
記念館で講演をされた時に飯
田氏は、『一歩間違えば、私の
「生きがい論」の今後どころか、
飯田史彦という研究者の存在
価値そのものが、木っ端みじん
に否定されてしまうのです。い
や、私の研究者生命など重要で
はなく、それよりも、私が大舞
台で失敗を演じてしまうことにより、せっ
かく日本でも陽が当たり始めた「スピリチ
ュアルケア」の概念が、「こんなもの学問
に値しない」と一笑に付されてしまう危険
性こそが、最も恐ろしいと言えるでしょう。
このような重責を担う今回の講演会は、ま
さに命がけの真剣勝負そのものであり、私
の人生の試練となることは、疑いの余地も
ありません。
』と述べています。幸いにも
この講演の内容は多くの方々に受け入れ
られ、CDや著書(『生きがいの創造Ⅲ』
PHP 研究所、2007 年)として発売されてい
ます。
飯田氏は、
「
『生まれ変わりの科学』が人
生を変える」と言います。それは、人生は
今この人生だけではなく、過去生もあり、
6
高橋佳代子
未来生もあり得る「魂の悠久な歴史を通し
て、現在の人生に生きる意味を見出すこと
ができる」という意味です。
ここで私は、過去に師事したブライア
ン・L・ワイス博士を思い出します。ワイ
ス博士は、アメリカの著名な精神医学者で
す。ワイス博士は、臨床の現場で行う催眠
療法で、過去生を思い出して語りだす多く
の患者に接しながら、飯田氏と同じく、
「こ
れを世に発表したら、自分というという研
究者の存在価値が、完全に否定されてしま
うのではないか」と大いに迷い、悩みまし
た。しかし、友人の精神科医の何人もが、
自分と同じように臨床の現場で
過去生を追想する患者さんに接
して、生まれ変わりの真実を確信
していることを知り、1988 年に
『Many Lives,Many Masters』
(邦
題は「前世療法1」
「前世療法 2」
PHP 研究所刊)を発表し、世界的
ベストセラーになったのでした。
キリスト教では、生まれ変わり
を否定しているようですが、元々聖書には
生まれ変わりのことが記されていたもの
を、400 年代に教会の布教活動の妨げにな
ると判断されて削除されたことが、死海文
書(1947 年から 1956 年にかけて発見され
た)に記録されていたと、聖心会のシスタ
ー鈴木秀子からお聞きしました。 飯田史
彦氏は、「生まれ変わり」を科学的に明ら
かにするために、著書や講演に取り上げる
話は、私のような市井のセラピストの実体
験に依らず、医師や研究者による証言を基
にしています。
過去生は、催眠状態で追想できるだけで
なく、夢に見ることもあります。ワイス博
士も私も、初めて自分の過去世を意識した
のは夢を見て「前世だ!」と直感したので
した。その夢を過去生と信じるかどうか…
07.20.2013 NL60
よりも、時に応じて与えられる大事な夢に
は、「思い出す価値ある示唆」が含まれて
いるのです。
「自分の魂のルーツを知る」
ことによって、今の人生の困難を生きる意
味が自分でわかってくるのです。生まれて
くる前に、地上の肉体に降りる覚悟をした
際の、人生設計のエッセンスを思い出すこ
ともあります。
人生の困難を生きる意味は、過去生を知
ること以外にも、生きるか死ぬかギリギリ
の辛苦の中にあって、あたかも目が覚める
ように、何かに打たれるように、気づく(思
い出す)こともあります。それを体験した
人は、
「啓示を受けた」とか「神の声を聞
いた」などと表現するのでしょう。気づい
たときは、音声だったのかどうかわからず、
それは「感じた」としか言いようのない感
覚だったのかもしれません。
過去生を思い出すことによって重度の
パニック障害から解放された方もいます。
催眠療法士であるの私の目の前で起きた
ことですが、ご本人の了解を得てここにご
紹介します。
閉所恐怖症とパニック障害と診断され
た A さんは、電車内の人々の話し声が苦痛
で耳栓をして電車通勤していました。座席
に座っている自分の前に誰かが立っただ
けでパニックを起こして気を失うことも
あり、通勤ができなくなり退職しました。
(長く精神科に通院しても改善されず、薬
で解決できない何かがあると感じてセラ
ピーを受けられました)
催眠状態で A さんは、1687 年のイギリ
スで魔女狩りにあった女性だった人生を
思い出したのです。ある日いきなり男たち
に、家から連行され、
「お前は魔女だ!」
と罵る群衆の中に曝されたのです。「違
う!違う!」と言っても誰にも聞き入れて
もらえない…、頭から袋をかぶせられ、極
度の恐怖と絶望を感じながら、首を絞めら
れて息を引き取りました。
A さんは、その時の恐怖と無念が未解決
のまま、今の人生に持ち越して生まれて来
られたのです。「なぜか子どもの頃から、
7
家族しか信じられなかった。」
「人が怖かっ
た」と言っていたのも、耳栓を手放せない
ほど人の話し声が怖かったのも、前世の体
験と繋がりました。
過去生を知るだけでなく、私たちが普段
は感じ取れない深い所にある「叡智」にア
クセスできるのが催眠療法です。A さんは、
自己の深みにある叡智(仮にマスターと呼
びます)と交信し、罵っていた群集の中に、
「自分の無実を知っていて、助けたいと思
いながら、何も手助けすることができなか
った多くの人たちがいた」ことを知ります。
そして、その中の一人の人と、これから出
会うことになると知ります。マスターとの
交信によって言葉にならない癒しを体験
し、魂の記憶に残っていた恐怖と絶望感が
癒されていったのです。
催眠状態で(イメージの中で)、それまで
は入れなかった映画館へ行っても怖くあ
りませんでした。電車に乗っている状態を
イメージで体験しても、当初感じたような
怖さはありませんでした。催眠から覚めた
A さんは、「なんだかスッキリしました。
家族以外の人も信じてみようかな。」とお
っしゃいました。その後、お目にかかるこ
とはありませんでしたが、A さんからのメ
ールで、スキルアップのために電車で学校
へ通っていることを知りました。
この人生を、魂の永いスパンで見直すな
ら、視野が広がり、視点が変わります。ま
た、深く叡智にアクセスすることで「自分
を生かそうとしてくれる働きかけ」を体感
できるなら、生きることの意味もおのずか
ら見出せるのではないでしょうか。
飯田氏の著書は、わかりやすく、科学的
に書かれていますので、これらのことをよ
く理解されるために是非お読みになる事
をお勧め致します。
『生きがいの創造 生まれ変わりの科学
が人生を変える』(PHP 研究所、1999 年)
『生きがいの創造Ⅲ 世界標準の科学
的スピリチュアル・ケアを目指して』
(PHP
研究所、2007 年)
07.20.2013 NL60
スピリチュアルケアの勉強室 19
自然科学的医学/医療の展開と限界
ウァルデマール・キッペス
今年度全国大会において(財)MOA 健
康科学センター理事長、東京療院・MOA
高輪クリニック院長鈴木清志氏は MOA 独
自の取り組みを紹介して下さった。それは、
通常の西洋医学的治療に加えて、全人的な
ケアである岡田式健康法(食事法、美術文
化法、浄化療法)を取り入れて、患者自身
の持つ 自然治癒力 を最大限に活かすとい
うものである。自然科学に基づく医学を学
び医師の資格を獲得した鈴木氏にとって、
自然科学的領域だけは全人的なケア(医
療)に達しないとの結論を得たからではな
いだろうか。
自然科学の領域とその基礎とは「定量し
計測することのできる事柄を明確に説明
できること」である。それは医学で「EBM
(evidence based medicine エビデンス・
ベイスト・メディスン)」と呼ばれている。
EBM と言っても、それは絶対的に正しい
医療という意味ではない。例:以前、心臓
病治療の中心は患者の絶対安静であった
が、現在では適度な運動が推奨されている。
また、1957 年~1961 年のサリドマイド
(thalidomide)の事故は自然科学の確実
性の限界、すなわち不確実性を物語ってい
る。
身体的(somatic)事象のみを重視する
医療の限界を感じた医師により「心身医学
(psychosomatic medicine)
」が提唱され
た。患者の身体面だけではなく心理・社会
面を含めて、人間を統合的に診ていこうと
する心身医学は 1970 年代より医学の一分
野として誕生し認められてきた(例:診療
内科)
。(注意★ 10 世紀のペルシャ人心
理 士 / 医 師 で あ る Ahmed ibn Sahl
al-Balkhi (死亡 934 年) と Haly Abbas (死
8
亡 994 年)は身体的と精神的健康な人およ
び身体的と精神的 病理的 な人の相互関係
を発見した。
)
自然科学の限界を超えて人間を総合的
にみようとする医療が「ホリスティック医
療(holistic medicine)」である。ホリス
ティック医療は、患者の身体的要因だけで
はなく、身体と同様に心理(精神)と心、い
わば個人的、社会的要因をも含めた全人的
治療であり、全体論的医学と名付けられて
いる。
さらに近代科学に基づく医学の前にも
存 在 し た全 人 的 医療 とし て 「 代 替 医 療
( alternative medicine ) と 代 替 療 法
(alternative therapy)
」があり、最近で
は「補完医療(complementary medicine)
と補完療法(complementary therapy)
」
と呼ばれることも多い。ちなみに、何百も
ある療法の中で医療として正式に許可さ
れたものは限られている。
1990 年より心身医学の他に現代西洋医
療の幅を広げたのは「物語に基づく医療
(narrative based medicine NBM)
」であ
る。それは患者が語る病や固有の人生の物
語を治療に活かそうとする取り組みであ
る。(それは臨床パストラルケアの中心課
題である会話記録とその検討会が目指す
ものと同様である。
)
同じく 1990 年には、WHO より「がん
患者に対する総括的な医療(本書での表記
は”care”!) パリアティブ・ケア(緩和ケ
ア)」が発表された。緩和ケアが身体面、
心理面、社会面と霊的な(spiritual)面で
構成されていることが明記され、自然科学
的医療の狭い領域を破り、医療を身体的な
要素だけに限るべきではないことを明ら
07.20.2013 NL60
かにしてくれた。
(注意:原文の“医療”
ではなく”ケア care”という表現は医療
のシフトを表す。
)
患者のケアに当たって、臨床パストラル
ケアと医療の自然科学的な面は互いを理
解できるつもりであるが、理解には限界が
ある。その理解しうる限界をお互いに意識
していることが両者間の人間関係やコミ
ュニケーションにとって大切であり、ひい
ては患者をケアする上で良いチームワー
クを生むのである。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
2013年5月期 -資格認定更新-
◎ 臨床パストラル・カウンセラー 認定更新
森田 和代
吉良 晴子
松村 恵理
(敬称略)
小友 進
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
新 会 員 名 簿
新 B 会員
五十嵐 弘志
高嶋 康伸
久富 和子
敬称略
上原 眞紀
石脇 秀俊
雨森 政惠
中村 公子
千葉 ゆかり
寄 付 者
小野寺 久美子
藤田 早苗
村木 あゆ芽
根田 景子
敬称略
髙濱 昌信(3)
相知 裕子(3)
柴田 イツ子(10)
藤井 昭子(13)
森田 和代(3)
水尾 智佐子(3)
吉澤 明孝(3)
梶 美恵子(10)
宗像 享子(3)
小木曽 優子(3) 石田 了久(3)
中村 正敬(3)
稲江 幸子(3)
麦谷 郁子(3)
吉岡 知子(6)
池坂 明美(3)
吉田 彪(6)
宮原 久枝(3)
押川 春美(3)
久川 洋子(13)
森田 恭一郎(3)
平田 悠貴子(3) 四方 利栄(3)
伊藤 実希子(4)
林 理江(1)
氏家 ゆり子(3)
行徳 清美(3)
川瀬 洋子(3)
仲西 千晶(3)
塩瀬 静江(1)
岩根 康子(3)
佐々木美奈子(1.5) 進藤 喜予(3)
北海道ブロック(0.7)
岩崎 和男(3)
藤生 崇則(0.5)
ドイツ「日本における心と魂のケア援助会」(1,419)
全国大会書籍販売時(2.6)
※ 2013 年 7 月 23 日現在
9
上原 博之(3)
小林
内堀 賤子(13)
上坂
井口 瑞江(10)
前手
藤瀬 邦子(3)
古川
小野 照子(3)
平野
飯田 美穂子(2)
中村
松本 晃子(3)
松田
井口 加代子(20) 丹下
梅津 敏子(3)
石川
今村 聖子(50)
木澤
児玉寿美子(3)
針谷
古市智津子(100) 針谷
全国大会参加者一同(22)
( ) 内単位:千円
テイ子(3)
佑子(3)
由美子(8)
美砂緒(3)
のぞみ(3)
克久(3)
哲裕(3)
令子(5)
百合恵(3)
寛子(1)
宏子(3)
章二郎(3)
07.20.2013 NL60
スピリチュアルケアの的確な援助者の教室
訪問記録の実例
会話記録(H:ホスト、G:ゲスト)
Gは呼吸器の疾患のため、一回の訪問では長い間はお話できない。ここでは
短い会話の 3 回分の記録
① ○月○日(看護師さんからFさんが来てく
れとおっしゃっているので行ってください
と声をかけられ、訪問する。それまではし
ばらく容態が悪く入室できない状態だっ
たので久しぶりの訪問になる。)
H1:こんにちは!Aさん。(そ~っとカーテン
を開け、覗いてみる)
G1:・・・・(ちらっとこちらを見て手をあげ、ほ
んのり笑顔を見せてくださる。)
H2:(ベッドの柵のところに行きアイコンタクト
をしてから)・・本当にお久しぶりです。こう
してまたFさんとお目にかかれて嬉しいで
す。・・・いかがですか?(ゆっくり声をかけ
る。)
G2:今日朝方、周りがみんな敵に思えてしま
って・・・(看護師さんから明け方相当怒っ
ていたという話は聞いていた)
H3:そうでしたか・・。Aさん・・みんなが敵に
思えるほど、つらい思いをされていらした
のですね。・・・それで呼んでくださったので
すね。
G3:もうみんな敵なんじゃないかって思って
しまいましたよ・・。(少しほほ笑み、それ以
上おっしゃらない)・・・・いままでずっと個室
にいたでしょ。一人きりでいる時は本当に
つらかったですよ・・。やっぱり一人でいる
時がつらくてね・・。
H4:・・(無言でうなずく)一人きりでいる時間、
つらかったですね。本当によく耐え忍んで
ここまでいらっしゃいましたね。(どんなに
つらかっただろう・・気管切開して伝えたい
ことも伝えられない、筆談の時間が長かっ
ただけに、・・と思うとたまらなくなる。)
G4:手に触れたり、足を触ったり、声をかけ
10
てもらったり、来てくれると
何 よ り の 慰 め な ん で
す・・・・。
H5:・・(そうだろうなあと思い、
言葉が浮かばず、無言でうなずく)。
Aさんのお気持ちを思うと・・・言葉が何も
出てきません。・・つらい日々の間、Aさん
には支えがありましたか?
G5:・・(しばし沈黙)支えは家族ですね。
H6:奥様と息子さんが支えなのですね・・。
(気管切開の承諾書にサインする前、声が
自慢だった主人を思うと可哀想で・・と苦し
い胸の内を話して下さった奥様の事を思
い出し、緊張感を漂わせ毎日病院にいらし
ていた様子を思い出す)お二人でよくなさ
って下さっていますね。
G6:感謝してますよ。・・・・・・・・・でも息子は
きびしいんですよ。(にやりと笑って)家内
に甘えすぎだって言うんです。自業自得な
んだから、ちゃんと治療して、早くよくなれ
って言ってすぐ帰っちゃいますよ。こんな姿
の父親を見るのがつらいという気持ちもあ
るでしょうし、照れもあるんでしょう。
H7:自業自得ですか?ずいぶん手厳しいで
すね。
G7:(温かさのある笑顔をみせる)・・・。家内
は僕と反対で能天気なところがあってね・・。
(少し笑い、奥様の事をしばらく話される)
H8:奥様は小柄でいらっしゃるけれどパワー
があって明るくて、ご本を読ませていただ
いてわかりました。奥様のその明るさと力
に支えられてこその今日なのですね。
G8:ええ・・・(天井を見ながらほほ笑む)。
07.20.2013 NL60
H9:・・・・・。
G9:・・・・・。(しばし沈黙でいる。その間Aさ
んの少し苦しそうな痰のからむ呼吸に合
わせ共にいる。)
H10:Aさん、これからAさんが疲れないよう
に、時々少しづつ伺ってもいいですか?
G10:ええ・・また来てください。
② 10 日後くらいの訪問。
H11:Aさん・・・(カーテンからのぞき声をか
けてみる)
G11:・・・こちらを見て、手を上げて挨拶をし
てくださる。
H12:(ベッドの柵に寄り手をかけ、顔を少し
近づけ)今日はいかがですか?
G12:・・・毎日孤独旅ですよ・・・。(ちらとこち
らをみてから天井を向いて)
今自分の世界は、天井、左の時計、右の
机においてあるもの、この3方向しか世界
がないんですよ。(指差しながら話す)これ
から先が長いですよ・・・。
H13:・・Aさん、本当に毎日よくなさってます
ね・・・。
G13:・・・いやあ・・・・もうズタズタですよ。一
体何のために生き返ったのだろうかと思い
ますよ。
H14:・・・(無言でうなずく)本当に長い間つ
らい状況を耐え忍んでいらしたのですもの
ね。何のために生き返ったのだろうと、そ
の意味を考えていらっしゃるのですね。
G14:あの自叙伝を書いてこれで終わりと思
ったが、とんでもなかった。こんなことが待
ち受けているなんて思いもよらなかったで
す。生きるというのは大変なことだっ
た・・・。
H15:・・(無言でうなずく)
G15:こんなものだろうと思って自叙伝書い
てこれが人生だったとわかったような気に
なっていたが 、ぜんぜんそ うじゃなかっ
た・・これからどうなるかわからないけれど、
もしできることならもう一度ふり返ってみた
いと思います・・。
H16:もう一度人生をふり返ってみたいと思
11
われるのですね。
G16:今もう何もできなくて・・・このテレビを
動かすのだってやってもらわなくてはなら
ないのだから・・・感謝する以外にないです
よ。
H17:・・感謝をなさる日々なのですね。
G17:・・何でまたこうしていられるのかわか
ら ない・ ・ 何か 役目 がある の か な と思っ
て・・なんだろう・・・わからない。・・・もし病
気がよくなったらもう一度ふり返ってみた
いと思っています。
H18:今生かされている意味が何かあるの
ではないか・・、何か役目があるのではな
いかを思っていらっしゃるのですね。
G18:・・いままでの人生は、自分は臆病で
弱虫で焼酎を飲んではいやなことは忘れ、
臆病で怖がりな自分をごまかして生きてい
たんだなって思いますよ。人のために働い
たり、力を尽くしたと言われるが、それも本
当に相手のためだったのかどうかあやし
いものですよ。その事がよくわかりました。
今はごまかしができない・・。 毎日目が覚
めるたびに何をしよう、どうしようと思うん
です。どうやって一日過ごそうか悩むんで
す。何もできないから・・。
H19:Aさん、本当によくなさってますよ。立派
ですよ。・・今何か希望はお持ちですか?
G19:・・(しばらく間があって)できることなら
自分の足でこの部屋の外を歩いてみたい
ですね。(その前向きな言葉に不意をつか
れ心を打たれる)
H20:そう、部屋の外に出て、ご自分の足で歩
くことに希望を持っていらっしゃるのですね。
G20:ええ、・・・。
③ さらに 2 週間後の訪問。
H21:Aさん・・・(カーテンからのぞき声をか
けてみる)
G21:・・・こちらを見て、手を上げて挨拶をし
てくださる。
H22:今日はいかがですか?
G22:(すこし浮かなそうな表情で)今日はコ
ールしても全然来てくれないんですよ。自
07.20.2013 NL60
分では何にもできないのだから・・・・・・・こ
れが浮世・・です。
看護婦さんにもいろいろな人がいるけれど、
心・・思いやりがない人がいるんです。何
で看護師になったんだろうと言いたくなる
ような人がいるんです。来て欲しい看護師
はなかなか来てくれないし・・・・(しばらく沈
黙が続く)
やはり何が大切って、思いやりですよ。思
いやりがほしいんですよ。
H23:そうですよね・・・思いやりがほしいの
ですよね・・。(可哀想に・・と思う)
G23:自分はもう人生十分生きた、やること
やったと思って本を書いたけれど。
3人を看取ったけれど(自叙伝に出てくる
母、姉、義兄を看取った話の事を言ってい
る)。形だけのことしかしなかったんじゃな
いかと今では思います。本当に痛みやつ
らさをどれだけわかってあげていたか・・・。
だから今病気になって“自分でやってみ
ろ”と言われているような気がします。これ
からが本番っていう気がします。いままで
なんて本物じゃなかったって思いますよ。
H24:ご自身が人の世話になってみて、世話
にならなければならない方の痛みや苦し
みやつらさをもっと深いところでご理解なさ
ったのですね。Aさん今本番を生きていら
っしゃるのではないでしょうか?・・・・。
G24:・・・・(しばらく間があり)今回自分は本
気で家内と息子に生きて帰ると宣言したん
ですよ。(突然少し語気強く言う)
H25:そうですか。生きて帰ると宣言なさった
のですね。
G25:・・・・・・(しばらく間があり)昨日の夜は
ね、一回もコールしないでいたら、コールし
なくても来ていろいろやってくれるんです
よ・・ありがたいなあと感謝しましたよ。やっ
ぱり自分では何もできないのでやってもらう
しかないんですから・・謙虚になりますよ。
H26:その感謝と謙虚さこそ、今を生きるAさ
んの尊い力なのではないですか。
G26:いやあ~・・・・・(少し照れたように)。
本(自叙伝)を書いた時は何もわかってい
なかった・・上滑りしているだけで、何もわ
かっていなかったです・・・。
H27:何もわかっていなかったとおっしゃる
のですね・・。これからだと?
G27:これからが本番・・生き返ったら何か違
うことが見えるんでしょう。
H28:何か違うことが見えるのではないかと
思うのですね。
・・・先ほどおっしゃった感謝とか謙虚という
のは、きっといままでよりも深さを増して見
えてきたものなのではないですか・・?
G28:・・そうかもしれないですね。
▼訪問記録に対する▼
~~ 國枝
欣一先生からのコメント ~~
この 3 回の会話記録を通して透けて見
①H2で「いかがですか?」と(ゆっくり声をか
ける。)とありますが、このゆっくりがケ
アワーカーの心の状態を示しています。
そこにGに対する思いやりと尊敬心を
感じます。それが伝わったのでしょう、
G2:「周りがみんな敵に思えてしまっ
て・・・」とGさんの心を占めている本題
へと迫っています。ここはとっても良い
ところだと思います。ところがH3では、
えてくることは、自分に与えられている試
練に直面することを通して自己改革、再生
を経験すると言うことだと感じます。その
過程にケアワーカーは関わらせていただ
き、彼のスピリチュアルな成長を助けてい
るところが全般としては良い点だと思い
ます。
12
07.20.2013 NL60
「つらい思いをされていらしたのですね。」
と応えていますが、これはHの安易な解
釈です。ここは単純に復唱した方がずっ
とGさんの思いに寄り添うことになり
ます。
G3:もうみんな敵なんじゃないかって思っ
てしまいましたよ・・。(少しほほ笑み、それ
以上おっしゃらない)・・・・いままでずっと個
室にいたでしょ。一人きりでいる時は本当
につらかったですよ・・。やっぱり一人でい
る時がつらくてね・・。
Gさんの発言、「みんな敵であること」と
「一人でいることの辛さ」とどう関係があ
るのでしょうか。Hはそれを解った気持
ちになっています。前者の中にGのスピ
リチュアルペインが隠れている可能性
があるように感じます。後者はそれを起
因とする心理的な痛みではないでしょ
うか。「みんな敵」という言葉の中にGの
存在を揺さぶられている危機的状態が
あるように感じます。
告白しています。
G14、G15、G16、G18から切々
たる自分の過去にした行為への悔いが伝
わってきます。こうしたことに導かれてい
るHは初心者ではないでしょう。それを前
提にすると反復がマニュアル的です。もっ
と反復に加えてワーカー自身の「今」が語
られてしかるべきだと感じます。
G16の「感謝する以外にないですよ。」
とH17の「感謝をなさる日々なのです
ね。」には違和感を感じます。この「感謝す
る以外にないですよ。」の切実さをどこま
で感じているのでしょうか。感じていれば
H17のような言葉は出て来ないのでは
ないでしょうか。
②
10 日後くらいの訪問。
G12:・・・毎日孤独旅ですよ・・・。重い言
葉です。なぜHはこの言葉に寄り添わない
でかってな評価をするのでしょうか。プラ
スに評価することはしばしばGを元気付
け、自己受容へと招く言葉になりますが、
私には、解った振りをするな!と怒りがこ
み上げてきます。
事実Hの言葉を否定してG13があり
ます。
G13から始まる彼の言葉は、
:・・・いや
あ・・・・もうズタズタですよ。一体何のために
生き返ったのだろうかと思いますよ。
G13からG20までを Hは、あなた
の価値観、神学でどのように受け取ってい
たのでしょうか。これはGさんの悔い改め
の告白だということがわかりますか。私は
カトリックではないので告解については
辞書に載っている程度の知識しかありま
せんが、私のこの場面での理解は、Hの中
に働く主(神)に向かってGは自分の罪を
13
G19:・・できることなら自分の足でこの
部屋の外を歩いてみたいですね。(その前向
きな言葉に不意をつかれ心を打たれる)
G19は、表象として語られていると言
うことにお気づきだろうか。それは文字通
り自分の足で部屋の外を歩きたいと言う
願望を示してもいますが、それが示してい
る意味は、自らの意志と選択で今までとは
違った世界を味わいたいと言うことなの
ではないでしょうか。Hはそれを意識化で
きなくともそれを感じていたそれが(その
前向きな言葉に不意をつかれ心を打たれ
る)と言う形になって現れていたように感
じます。
③
さらに 2 週間後の訪問。
Gさんの霊的成長はどんどん進んでい
ることがわかります。
解っていなかったということが解る事
は、毛虫と蝶のような違いです。同じ仲間
ともなかなか思えません。パウロの回心に
等しい再生、生まれ変わりです。それが、
G23:「これからが本番っていう気がします。
いままでなんて本物じゃなかったって思いま
すよ。」ではないでしょうか。
H24の要約と、「Aさん今本番を生きて
いらっしゃるのではないでしょうか?」と言う
07.20.2013 NL60
評価はとても良く出来ていると思います。
それがG24の宣言を生み出したように
感じます。そしてG25です。Gさんの日
常の中の出来事として感謝が語られまし
た。知的なものから体験へと結びついたも
のになりました。本物への成長です。その
時出る言葉が「謙虚になりますよ。」です。ご
く自然です。
H26:その感謝と謙虚さこそ、今を生きる
Aさんの尊い力なのではないですか。と言う
返答はGさんの今の姿を浮き彫りにする
良い言葉かけです。GさんはHの言葉で自
分をよりはっきりと自覚できました。
~~ 木澤
Hは後半で寄り添えるようになりまし
た。2 回目と 3 回目の間がHにはGさんの
言葉が定着すると言う意味で有効に働い
た様子が伺えます。この間にGさんの言葉
を自分のものに消化できたのではないか
と感じます。消化できた時にはマニュアル
的でない言葉が出てきます。今回は 3 回連
続の会話記録となりましたが、スピリチュ
アルケアはあくまでも 1 回性ということ
を基本とするということを前提に、現実的
にはこのようなこともあるという例だと
思います。Hの努力を評価します。
寛子先生からのコメント ~~
H3:そうでしたか・・という応答は「み
んなが敵に見えてしまって」の内容が理解で
きたという返事にきこえる。 「
“皆が敵に
見えた”というのはどういうことなのです
かとか」
、
「どうしてそんな風に思えてしま
ったのですか」等と質問してHもGも明確
になるようにしたらどうか。「呼んで下さ
った」Gさんに対していいことを言おうと
する、おもねる気持ちを優先させて、あい
まいで解らないままにしまわないように。
H4:Gは周りがみんな敵に思えてと2
回繰り返している。もっと自分の内面を聴
いてもらいたいのかもしれない。同情も大
切だが、お世辞のようなことを言うのでは
なく「もうみんな敵なんじゃないかって思
ってしまった」ことと「ずっと個室にいて」
「一人きりでいる時は本当につらかった」
こととどういう関係がありますか? と
聞いてみたらHもGも明確に出来るきっ
かけになったかもしれない。
H5:「Gさんの気持ちを思った」が、明
確になんであったのかHが言えなかった
のは、触りたくなかったためかもしれない。
Gさんの気持ちを害さないこと、快く気に
いると思われることを探して言っても内
容をしっかり把握しないとうわべだけに
留まってしまう。
「実際にGさんの傍にい
14
て、何を必要としているか寄り添って解っ
てもらうことが助けになるということで
すね」「自発的に考えてケアをしてくれる
と慰めになるということですね」などと G
さんが自分の内面を見つめて、表現出来る
ようにケアすることが大切。「つらい日々
の間、Aさんには支えがありましたか?」
という質問は具体的で G は答えやすいし、
自分の内面に入り易い
H6:「きっと力になりましたでしょうね、
どんなふうに支えて下さいましたか。」の
ように具体的に取り上げると G が自分の
活きている内面を明確にしやすい。
H7:「G さんにとって甘えさせてくれる
ことも、厳しく言われることも両方支えに
なっているのですね。」Gが自分を伝える
ことによってエンパワーを得ることを期
待して「感謝を家族に伝えましたか?」と
尋ねたらどうだろうか。
H8:GのことをHが先に言わずにGに
言ってもらえたら G の力になる、Hの考え
だからGの考えは深まらないし、続かない。
その後沈黙なる。HはGへの理解を深める
ことが出来なかったように思える。訪問は
一期一会なのでここで一つの訪問として
考えます。
07.20.2013 NL60
H13:本当に毎日よくなさってますね、
と応答しているが、Gの発言に本当の意味
で応答していない。Gのどういうところが
よくなさって居られるのか具体的に正直
に伝えることがよいと思われる。そうでな
ければ役に立たない。Gの発言に沿った応
答、例えば「3方向のもう 1 つの方向に自
分の心の中があるのではないですか。そこ
は尽きない泉かもしれませんよ。」と言っ
てみるのもよいかもしれません
H16:
「もう一度命を頂いて、いろいろ
なことが解ってこられたのですね。もう1
度人生を振り返るということはもっと深
めたいということでしょうか。それこそG
さんが生き返った意味のように思えます
がいかがですか。
」と聞いてみたらどうか。
H17:
「何もできなくなったことを自覚
なさって、もっと深いもの感謝が見えてこ
られたのですね。体は衰えてもますます成
長する分野もあるのですね。有難いですね。
だから感謝をなさる日々なのですね。」な
どとG自身が確認出来るように支えたら
どうであろうか?「一体何のために生き返
ったのだろうかという考えから何か役目
があるのかなと変わってこられたのです
ね。その為に人生をもう一度振り返ってみ
たいと思われるのですね。」とでも言って
みたらどうだろうか。
H18:「今生かされている意味が何かあ
るのではないか・・、何か役目があるので
はないか」と漠然と示すのではなく、生か
されている意味を探したいのですね。もう
探すことを始めていますか?等と具体的
に応答するとGは自分を見つめ、1歩を踏
み出しやすいと思われる。
H19:自分をごまかして生きてきたこと
に気付いて悩むGさんに、「Aさん、本当に
よくなさってますよ。立派ですよ。」と何を根
拠に言うのでしょうか・・
Gは深い話をなさっているのだから、
「今何か希望はお持ちですか?」と話題を
変えない方がよい。GをHの興味でふりま
わさないように。何がよくなさって、立派
15
なのか内容が示せないのでは評価したこ
とにならない。Gの内面的なことに対して
具体化できるよう、Gさんの言葉にもっと
敏感なるように。
H20:Hはようやく身体的な希望を示さ
れて、解る話題になってホッとしているよ
うだが、Gは戸惑っているのではないだろ
うか。しかしここで話題を切って退室した
のは適当でない。
ここまでを2つ目の訪問と考えます。
H23:HがGを可哀想に思えばGは成長
できるかどうか、自分に問うてみるとよい.
大切なのは思いやりを貰うことですか看
護師さんを思いやって応援してあげるこ
とですかと尋ねてみてはどうだろうか
H24:「本物になることは辛いことも、
決断しなければならないこともあります
ね」とか安易に肯定しない方がGのために
なることもある。Gは病気で実行できない
ことを認めながら本物に向けて本番の人
生を歩もうとしている。
H25:そうですか。生きて帰ること、そ
れが目標ですね。目標に向けて始めの一歩
ですね。
H26:きれいな言葉で説教するより、本
人が生きることの支えになることが必要。
「1回もコールしないで見たのですね。皆
がGさんを支えて生きる力を注いでくれ
ることが明確に解ったのですね。よかった
ですね。有難いですね。今度はGさんが答
える番ですね」等。
H28: これは、Hが理解したことであ
るが、Gさんはどう思われますか?と、G
さんの能力に期待して、質問する方がよい
のではないか。Hが言うのは説教になって
しまいがちで、そうではなくGが自分の言
葉で発言し、それが自分の力になるように
支えることが必要。
3回の訪問を通して,GはHとの出会い
の中で、自分を内面的に深め発見して大き
く成長しているように思える。よい訪問だ
ったと考える。
07.20.2013 NL60
研 修 会 感 想
熊本
イエズスの聖心病院
2013 年5月2日 ~ 6日
科目Ⅵ: 哲学的人間論
今回、初めての訪問実習ということで、
とても緊張していた。しかし、講師の先生
もスーパーバイザーも、症例検討で私に対
してプラスのストロークをして下さり、ス
ピリチュアルケアへの興味関心がさらに
大きくなった。
スピリチュアルケアは生活そのもの、と
言われたことはとても心に響いた。頭で理
解しているうちは使い物にならず、習い性
になって初めて使い物になる、というのは、
今まで身を持って理解してきたことだ。知
識として頭で学んだことは結局身につい
ておらず、私の場合、毎日気功の修練をし
ていく中で、自然と身体で身についたもの
しか、自分を変える材料にはなり得なかっ
た。スピリチュアルケアの話しの中では、
どうしてもマインドやスピリットに焦点
が当たり、ボディはなんとなく二の次のよ
うな印象を受けた。しかし、それでは、ボ
ディとマインド、スピリットのバランスが
保てないと思ったが、マインドやスピリッ
トを習い姓にするには、日々に生活をしっ
北海道
かりする、つまり、身体を動かし身体で覚
えることなのだとわかり、これで3つのバ
ランスがうまくとれるのだとわかった。自
分が今まで信条としてきたことが間違っ
ておらず、よかった。研修を終えてから、
日々の生活の中で、傾聴や聴くことを意識
するようにしている。そして、研修後のホ
スピスでのボランティアでは、今までとは
全く違う意識で、ゲストと共にいることが
できた。
大学では臨床心理学を学んでいたが、カ
ウンセリングとスピリチュアルケアは、本
当に別のものだとわかった。
次のチャンスがあるカウンセリングに
対して、一期一会のスピリチュアルケア。
しかも、ゲストの心身の状態がよいわけで
はない。より短時間で、ゲストのコアの部
分をキャッチしなければならない。どれだ
けスピリチュアルなキーワードに敏感に
なれるかがポイントだと思った。
(M.I.
)
藤学園 キノルド館
2013 年 5 月 10 日 ~ 12 日
科目Ⅱ:価値観の明確化
私は幼少時の経験から
人生の不条理を感じ、やや
悲観的に生きて来た部分
がありました。現実生活の
中でも自分の心に捕われ
「なぜ?」とくりかえして
いたようでした。そんな時、
朝のNHK教育の「こころ
の時代」で臨床パストラ
ルケアの存在を知りまし
た。とても心引かれ、ど
うしても研修会に参加し
たいと思いました。
この研修会で、暖かく静
かな雰囲気の中で、自分に
向きあえた事、自分の価値
16
07.20.2013 NL60
観が本当は何であったのかを知り、又、自
分の価値観が他者と異なってもよい事(そ
れはそのまま、他者の価値観が自分と異な
っていても尊敬に値する時もある事につな
がる事) 何かの役割を果たしたから価値
があるのではなく、その人の存在自体に価
値がある事。これらの事を教えて頂いた時、
障害児の兄の存在意義に悩む事自体が、自
分自身の無意識の領域の中で、固定観念(役
割、仕事が出来る事=価値ある人間)に捕
東京
らわれていたのだと気づきました。
「唯、存在している事」その事に大切な
意味がある事、決して悲観的に捉える必要
はなかったのだと感じました。
「日々の生活を送る」という現実の中
で、たくさんの体験を通して自分自身の
価値観を大切にして、「変わってゆける
事が人としての成長につながる」事を信
じて学び続けたいと思っています。
(H.S.
)
東京寮院
2013 年 5 月 14日 ~ 18日
科目Ⅰ:人間関係とコミュニケーション・傾聴
研修前には、これから5日間という長い
研修なのだと思いから、研修最終日には、
あっという間に感じられ、このままもっと
研修を続けてもいいのでは、という思いに
変わっていました。今回の研修では、自分
の研修受講目標の一つで
あった傾聴の技術的なこ
とよりも、自分が何であ
るのか、何のために生き
ているのか、自分の生が
他人にとってどういうも
のであるかを深く考えさ
せてもらえた貴重な機会
でした。 高速化され、
対話が少なくなった現代で「人はいつでも
人とつながっている」という錯覚に気づき
ました。
会話のない世界、うわべだけの会話が効
率、効果だけを追い求めている世界、心の
会話が自分自身に対して、また相手に対し
東京
ても必要だということを感じました。 相
手の想い、気持ち、感情を汲み取り理解す
ることの重要さ、そのためには自分自身が
自己理解し、相手からの思いを受け入れら
れる環境、状態を備えていなければならな
いとひしひしと感じまし
た。 まさに TO DO で
はなくて TO BE です。
相手を受け入れることよ
りも、相手に受け入れられ
る存在。今回の研修内容は、
パストラルケアの基本的
なことだと思います。これ
から更に難しい段階へと
進んでいくわけですが、研修で学んだこと
を日々実践し、パストラルケアの理解を深
めるとともに常にこの研修を心に留め研鑽
していく覚悟です。
(K.H.
)
聖母病院
2013 年6月 17日 ~ 21日
科目Ⅶ:神学的・宗教的人間論
七回目の研修でしたので、
「人生の分か
ち合い」をしていただきました。自分の人
生をふり返りながら、前もって準備してい
る間は行きつ戻りつ、あんなこと、こんな
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07.20.2013 NL60
こと、自分の行いに、思いに涙したり感謝
したり、いっぱいになって、かなり緊張し
て研修に臨みました。 皆さんに分かち合
いをしていただいて、今回参加のおひとり
おひとりから、ポジティブなお言葉をいた
だき、感謝と謙遜のうちに自分の課題もは
っきりしてきました。改めてこれが又次へ
の始まりだと思ったことです。若い頃に、
洗礼への道を進んでいた時は洗礼へたど
り着くことが、目的で、到達点のように思
っていましたが、洗礼はあくまでも信仰へ
の始まりだと、一歩だと思い知りました。
その後の長い道程ののうちに、安心も喜び
も確かに私とともにあることを実感して
おります。
パストラルケアの研修会も回を重ねる
たびに、到達点でなく一歩の始まりだと思
東京
うのです。 毎回、学びを多くいただき、
自分なりの目標をもちつつ、患者訪問し、
検討会で多くの気づきをいただいていま
す。が、私が足りないと思うところに、ま
た、次に進むべく、次への歩みが備えられ
ているのです。それは毎日の生活の中で、
本来の私へ近づいていくために、生涯かけ
て歩み続けるものであると思っています。
今回の学びで、自分の中で神の愛をどう
育てるか、いかに相手を映し出す優秀なカ
ガミになれるか、患者さんに私の宝物をお
見せできるようにと、目標はいっぱいあり
ます。次の研修会へ向けて今するべきこと
を、今できることを、精一杯しようと、今
回ご一緒したお仲間と次への一歩を共に
歩みましょうと、願い祈りながら帰途につ
きました。
(O.Y.
)
聖霊修道会 マリア館
2013 年6月28日 ~ 30日
科目Ⅱ:価値観の明確化
「価値観の明確化」の研修は自分自身を
知るよい機会でした。 なんとなく大切な
ものは宗教的とか道徳的なものを中心に
考えて来ましたが、それでは十分とはいえ
ないことを知りました。まず、自分の価値
を知ることの大切さを学びました。自分自
身を知ること。 自分自身を尊敬すること、
自分自身を受け入れること、の大切さを学
びました。 今まで価値観について考えた
ことはありましたが、常に人の意見を参考
にした生き方はあまり賢いとはいえない
ので、やはり自分の体験の中からこれが大
切であると考えたら、それを生きる決意を
しました。 まず、自分自身はかけがえの
ない存在であることをしっかり認識し、
日々を生きようと思いました。人と比較す
るのでなく、自分の心の声をよく聞き、そ
の声に従って生きることが大切という学
びは本当にプラスになりました。価値は沢
山あるが本当の価値あるものは何かを常
に考えた生き方をしたいと思います。価値
観は変化するであろうが、どんな時でも自
分にとって大切なものをしっかり持ち、自
分に正直に生きることが私の価値観です。
とてもよい勉強になりました。
(A.M.
)
一日研修会
感想
★南関東ブロック
鎌倉 2013年5月19日
*今回の研修では苦しんでいるかたがたの
スピリチュアルケアは、先ず自分自身を見
つめ、自分の生きる意味、価値を明確にし、
実際の自分を見つけてからでないと出来
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ないと思いました。
「to be」の存在になり
たいです。
(A.A.)
*******************
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*簡単な気持ちで傾聴とは?と参加してし
まい熱心な皆様にとても刺
激を受けました。
その方に寄り添い、良く聴
き共に歩むには自分自身が
しっかり生きていなくては
ならないという事を学びま
した。これからテキストの本を読み解き、
少しでも自分のものにして
ゆきたいと思います。ウィッ
トに飛んだ講師の先生が丁
寧に 1 つ 1 つお答え下さり、
お心の温かさ深さを感じま
した。
(
B.B.)
★南九州ブロック
鹿児島ザビエル教会 2013年5月19日
キッペス師が日本で「変人」と思われて
50 年とおっしゃった。私は、
今、大学 1 年生となり心理臨床
学を学び、18 才の子どもたち
と学生をしている変人です。し
かも、スピリチュアルケアを 10
年前から内なる声で実践して
いる変人です。がんばります。
*******************
自分が相手に対する影響を考える。不思議
がる心を育てる。相手によって自分を評価し
センターホームページが、
ない。価値判断しない。相手にされていない
ことによって強くなる。
*******************
た く さ んの 気付 き をい た
だき、疲れていた心が少し元
気になった気がする。難しい
問題に出会った時も、それが
難しい程、立ち向かう自分も
強くなれる、という講師の言
葉に勇気づけられた。
新 し く な り ま し た!
http://pastoralcare.jp
ページをご覧になって、ご意見などありましたら連絡ください。
スピリチュアルケア啓蒙普及のために、ご協力をお願いします。
連絡先は、センター久留米事務所 [email protected] まで
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07.20.2013 NL60
第16回ドイツ 心と魂のケアとホスピス研修旅行のお知らせです
この研修旅行では、ドイツの 7 ヶ所
のホスピス、7 ヶ所の病院、3 ヶ所のス
ピリチュアルケア研修施設を訪れ、見
学、研修、患者訪問を行います。
2010 年の第 15 回研修旅行までに
268 名の医師、看護師、スピリチュアル臨床パストラルケアワーカー、ボランティアの人々
が参加し、心・霊・魂の臨床パストラルケア(=スピリチュアルケア)を体験しています。
................................
今回、おそらく最後のチャンスです。多くの人々の参加をお待ちしています。
<一人の参加者から>
2010 年、ドイツ研修旅行から帰国後、私はすぐに一人の女性に宛て手紙を書いた。宛先はドイツ
初のエイズホスピス「マリアフリーデン」。そこで出会った彼女から病を含む“わたしの人生”を積極的
に生きる力を感じ、それは私にとって手本にしたい生きる姿であった。そのことを伝えたかったからだ。
彼女からはすぐに返事が届いた。手紙には希望の言葉とともに色彩豊かな模様が色鉛筆で丁寧に
書いてあり、もらった私のほうが心癒された。マリアフリーデンの在り方が彼女の生きる力を援助して
いることは言うまでもない。私にとってドイツ研修旅行は何かを(体験)して終わる旅ではなく、そこで生
きた時を(自分を)今も感じ、育み続ける…未だ終わっていない旅なのです。
期間:2013年 9月20日(金)~10月2日(水)
費用は:55 万円
お問い合せ・申し込みは、センター久留米事務所まで
久留米事務所:TEL 0942-31-4836/FAX 0942-31-4835
(センターホームページからもお申し込み頂けます)
なお、10名以上の定員に満たない場合は中止されます。
~~ 編集後記 ~~
今号も発行が若干遅れてしまったことをまずお詫びします。 次号は是非 20 日発行の原則
を守りたいものと思います。 それから毎号掲載の「現場から」の原稿を頂けませんでした。ス
ピリチュアルケアを実践されている皆様から、実践に当たっての種々の困難、あるいは喜び
の具体的な声を聞かせて頂けたら、読者の裨益するところ大だと思います。皆様の積極的な
ご投稿をお待ちしています。 先月、恒例の「全国大会」が盛会の内に開催され、それに関
する記事をキッペス先生が書いて下さいました。 現在、会員中心の「全国大会」から脱皮す
べく、この会の名称を変えようとしています。 次号には広島での大会の案内を致しますが、
その時には新しい名称で紹介されるはずです。 なにとぞ、ご期待ください。
(文責:吉田 彪)
本誌「スピリチュアルケア」の発行費用の一部は、ドイツ NPO 法人「日本における
心と魂のケア援助会」及び、中外製薬株式会社からのご寄付によるものです。
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