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ウイーン売買条約と契約実務: その実践的な役割を批判

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ウイーン売買条約と契約実務: その実践的な役割を批判
Kobe University Repository : Kernel
Title
ウイーン売買条約と契約実務 : その実践的な役割を批判
的に考察する(CISG and its Impact on the Practices of
International Sale of Goods)
Author(s)
齋藤, 彰
Citation
神戸法學雜誌 / Kobe law journal ,57(3):112-138
Issue date
2007-12
Resource Type
Departmental Bulletin Paper / 紀要論文
Resource Version
publisher
DOI
URL
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/handle_kernel/81005068
Create Date: 2017-03-31
神
神戸法学雑誌
戸
法
第五七巻第三号
学
雑
1
3
8
誌 5
7巻3号
二〇〇七年十二月
ウィーン売買条約と契約実務
! その実践的な役割を批判的に考察する !
齋
藤
彰
(神戸大学法学研究科教授)
1 はじめに
………………………………………………………………… 137
2 国際売買の契約書式や援用可能統一規則との関係
2.
1 書式の闘い
………………… 135
…………………………………………………………… 135
2.
2 実務的視点から評価したときに CISG のどの規定が重要か?
2.
2.
1 当事者の義務
… 133
………………………………………………… 133
2.
2.
2 当事者の義務違反に対する救済
2.
2.
3 【引渡時期の違反に対する救済】
2.
2.
4 【物品の不適合に対する救済】
…………………………… 132
………………………… 130
…………………………… 130
2.
3 CISG に規定されているが ICC のモデル契約書式で規定されてない事項
………………… 129
2.
3.
1 【不履行が予期される場合における履行期前の対応】
2.
3.
2 【書類交付や物品の包装等に関する義務違反】
3 CISG が定める実体規定の特徴について
… 128
………… 126
…………………………… 126
3.
1 「CISG には履行についての規定が定められていない」
との指摘について
…………………………………………………… 126
3.
2 引渡・書類交付・危険移転の時期が一致しない点について
4 CISG と従来の国家法との関係について
4.
1 CISG の適用範囲
…………………………………………………… 1
24
4.
2 CISG の成功の要因について
……………………………………… 121
5 CISG とその他の国際契約法の調和を促進する動きについて
5.
1 特に PICC との役割分担について
参考資料
…… 1
20
………………………………… 120
5.
2 CISG における解除権についての理解
6 おわりに
…… 125
…………………………… 1
24
…………………………… 1
19
………………………………………………………………… 118
……………………………………………………………………… 116
1
3
7
ウィーン売買条約と契約実務
1 はじめに
本稿は、2007年10月7日に開催された日本私法学会の拡大ワークショップ
「ウィーン売買条約」において筆者がコメンテータを担当した際の報告原稿を
加筆修正したものである。本条約への日本の加盟に向けた作業は法務省と外務
省ですでに開始されており、それらが順調に運べば2009年中に日本での施行が
予定されている。そうした背景において行われた本ワークショップの目的は、
「日本の民法・商法との関連づけ」をはかろうとすることにあった。しかし、
本小論はそうした問題に直接に答えようとするのもではない。確かに、日本の
民商法における契約法(売買契約法)と CISG との間に大きな落差が存在する
とすれば、CISG に日本が加盟することは法律関係者の間に混乱を招くものと
なろう。しかし CISG の締約国に日本が加わるにあたり、日本の法律研究者が
第1に取り組むべき課題が日本の民商法との関連づけであるとすることは、筆
者には必ずしも適切ではないように思われる。
それでは、現時点において日本の法律研究者が最優先に探求すべき問題とは
どのようなものであろうか。それにはまず、この時期に日本が CISG の締約国
となることの必要性を確認することにあると考える。少なくとも1988年に発効
してから今日に至るまでの間、日本の貿易関係者は CISG なしで乗り切ってき
たわけである。そして締約国が70ヶ国に達した今でも、日本の企業が国際売買
を行う上で CISG についてほとんど知ることなしに済ませているわけであ
る(1)。しかしこの点に関しては、日本の債権法改正にも大きな影響を与えるで
あろうドイツの債務法改正において、CISG・ユニドロワ国際商事契約原則・
ヨーロッパ契約法原則が大きな影響を与えたことが指摘されており(2)、日本と
(1) 最近において日本の当事者が関係する仲裁において CISG が適用された例が指摘
されたり、日本の裁判所が CISG をも参照して解釈論を展開したかのように思われる
判例が現れてはいるが、特に CISG が適用されたからといって、日本の当事者に思わ
ぬ結果がもたらされたという深刻な情報を、少なくとも筆者は知らない。
(2) 差し当たり、次の文献を参照。R Zimmermann(ed.
)
,The New German Law of
Obligations : Historical and Comparative Perspectives(Oxford UP,2
0
0
5)
.
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の貿易の重要なパートナーである中国の新しい統一契約法も CISG やユニドロ
ワ原則の影響を大きく受けたものである。しかも欧州諸国やアメリカ合衆国を
含む70ヶ国がすでに CISG の締約国となったことは、日本がその加盟国となる
ことを真剣に考えるべき時期に差し掛かっていることを明白に示していると判
断するに十分な根拠となる。
しかしそれにもかかわらず、日本の国際私法が一貫して認めてきた契約準拠
法の選択における当事者自治の原則と、日本法が準拠法として選択された場合
に日本の民商法を中心とした売買契約に対応する規定で対応する実務をあえて
変更して、国際売買についての紛争に新たに CISG を日本で訴訟を行う場合に
中心的な法規範としての地位を与えることの意味はどこにあるのであろうか。
そこに何らの具体的な改善も見出せないのであれば、現時点においても、日本
がなお CISG の締約国となることを拒否する選択はあり得るであろう。
本稿はこの問題に対して、国際取引法の視点から、次のような検証を試みる
ことで CISG が国際売買の実務にどのような影響をもたらしうるかを考察する
ことによって、この問題に対する一応の解答を得たいと考える。まず、筆者が
ここで指摘する実務とは、国際売買契約をおこなう上での実務であって、紛争
に対処するためだけの法律実務のみを意図するのではないことを明らかにして
おきたい。そのために、まず国際売買において行われる契約及び契約書との関
係で、CISG がどのような役割を果たすことができるかを考えてみたい。CISG
は当事者間の契約上の取決を優先し(CISG6条)、国際売買における慣習(CISG
9条)を尊重している。したがってその実践的な側面におけるインパクトを精
確に見定めるには、国際売買の当事者間で契約の具体的内容としてどの程度ま
でのことが決められているのかを確認する必要がある。
もちろんこの点について一律の解答が得られるわけではない。しかし、国家
法の一貫したサポートが与えられない国際売買においては、商人達の自助努力
によってかなり詳細な契約書が用いられることが多く、それをさらに補充する
ことで契約関係をコントロールする様々な手段(例えばインコタームズのよう
な援用可能統一規則等)が整えられてきた。したがって、CISG がそうした現
1
3
5
ウィーン売買条約と契約実務
実の中でどのような役割を果たすものであるかは、国際売買を規律するための
法環境全体との関連において、それを検討することが不可欠となる。
本稿の3以下においては、当日のワークショップでの報告者の方々から指摘
のあった問題を中心に取り上げて、実務的な視点から批判的に検討してみた。
本来諸報告に対するコメントとして作成したものが土台となっているために、
本稿が全体としてやや論争的になっている点は否めない。この点は、読者の方々
の宥恕をお願いしたい。
2 国際売買の契約書式や援用可能統一規則との関係
国際売買の契約当事者は、多くの場合、私達が予測するよりも遙かに精密に
契約関係をコントロールしている場合が多い(3)。そのために多くの標準契約書
式が作成され、インコタームズや信用状統一規則に代表される様々な目的の援
用可能統一規則が整備されてきた。これらには、契約締結及び履行に関する当
事者関係を規律するだけに止まらず、契約が正常なルートから逸れた場合にお
いて当事者間による円滑にトラブルの処理を可能とするための取決も含まれて
いることがある。
2.1
書式の闘い
CISG を論ずる際に、1
9条との関係で「書式の闘い」について言及されるこ
(3) 特にこの点において、日本の契約法研究者は正確な認識を持つ必要がある。国際
売買を行うには、海外の相手とのコミュニケーションを行い、引渡や代金決済につい
て明確な取決を行い、運送や保険の手配を行い、貿易に関連する行政手続等を済ませ、
そして契約が途中で本来のルートから逸れた場合には相互に連絡をして調整をするな
どの、様々な実務的能力が必要とされる。こうした実務能力がなければ、そもそも現
時点で国際売買に参入することはできないのであり、当事者間の取決に対する父権的
介入の要請は大きく背後に退き、当事者が取決によって行おうとすることを最大限に
尊重する姿勢が、各国の法律において示されてきた。それを法律的に表現すれば、法
廷地選択と準拠法選択におけるほとんど無制約の当事者自治の尊重であり、商事契約
における契約自由の原則であり、商慣習の最大限の尊重ということになる。
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とは多い。書式の闘いとは売主・買主の双方が自分の契約書式をそれぞれに送
付するため、その定型条項内容の違いをめぐって後に紛争が生じる場合を漠然
と指す。しかし書式の闘いは、法廷における紛争としては重要性があるものの、
実務的には少し異なった視点から考える必要があるように思われる。中立公正
で両当事者が納得するような標準契約書が利用可能となることが、書式の闘い
の防止策の決め手となる。なぜなら書式の闘いは、それぞれの当事者が自分に
とって都合のよい内容の書式を用いようとすることから生じる問題であるから
である。また、法廷地選択条項や準拠法選択条項のように、そもそも両当事者
にとって公平中立な選択肢を見出すことが困難な問題も存在する。
実際の書式の闘いは、当事者達の間で契約の履行が現実としてかなり進んだ
段階においてはじめて表面化する。つまり当事者が裏面約款の差異に着目する
のは何らかのトラブルが生じてからである。あるいは契約をめぐる訴訟におけ
る訴訟戦略において優位に立つために、かなり後の段階で契約の成立自体を争
点とするために書式の闘いが持ち出されることも少なくない。
こうした段階で例えば「契約は不成立だ」との主張が当事者から出された場
合に、それを何らかの形で抑制することは必要であり、そうした対応を favor
contractus の一表現であるということも可能である。しかし実際にはすでに契
約は履行に移され、そうした段階で何らかの問題が生じた場合において、自ら
の有利な立場を確保するために裏面約款の規定の相違が持ち出され、それを根
拠として契約の不成立が主張されることは、ある意味において禁反言の原則に
反するといえなくもない。
日本では書式の闘いについての議論が活発になされている。しかし、極めて
多くの国際契約は書式の闘いの潜在的要因を持ちながらも、ほとんどが無事に
終了しているのも現実である。法律学は紛争に焦点を合わせて議論をすべきで
あるとの考え方もあろう。しかし、こと契約を論じるに当たっては、紛争にお
ける問題を適切に扱うための議論に集中することは非効率であると同時に、現
実における中心的な問題から目を逸らせることにもなりかねない。したがっ
て、もっと生産的な方法で書式の闘い自体を減少させることにも注意が向けら
1
3
3
ウィーン売買条約と契約実務
れるべきであろう。そしてその際には、中立公正な標準契約書の可能性につい
てもっと議論を活性化して行く必要があろう。
2.2
実務的視点から評価したときに CISG のどの規定が重要か?
2.2.1
当事者の義務
当事者の主要な義務については、契約書の表面において明確に定められてる
ことが多い。また裏面約款では、表面の取決の意味をより厳密に確定するため
の補充的な事項が詳細に規定されているのが通常である。特に引渡時期や物品
の品質については、契約で詳細に決められていることが少なくない。
(本稿で
は国際売買において用いられる契約書の内容を確認するための資料として ICC
の国際売買モデル契約書式を主として参照する(4)。)そしてインコタームズや
信用状統一規則が、詳細で専門的な規定によってそれらをさらに補充する。し
たがって当事者が契約の履行においてどのような義務を負うかについてはこれ
らの定めが優先するため、CISG の規定が補充的にせよ影響力をもつ場面はか
なり限定されると考えられる(5)。
当事者間の義務に関連した CISG の最も重要な部分は、その45条及び61条が
規定するように、契約関係において当事者が負担する全ての義務の違反を一律
に契約違反による責任の発生原因と捉えている点にあるように思われる。例え
ば国際売買では、様々な目的を有する多くの種類の書類交付や、通知・連絡の
義務等が契約上求められることが少なくない。こうした付随的な義務の違反も
(4) The ICC Model International Sales Contract : Manufactured goods intended for resale(ICC,
1
9
9
7)ICC Publication No.
5
5
6(E)
.本稿で触れた本標準契約書の各規定に
ついては、末尾の参考資料を適宜参照いただきたい。
(5) 国際売買の現実を考えればすぐ分かるように、当事者間で物品の品質数量・引渡
時期及び方法・費用負担の配分・決済時期と方法などが明確になっていなければ、そ
もそも契約の履行を開始することができない。このように国際売買においては通常の
国内売買と比較して、様々な問題が当事者間で予め決定される必要があり、バックア
ップとなる任意法規が表に顔を出す場合は少ない。これに対しては、当事者間で予め
明確に定めなければならない事項が多いにもかかわらず国際売買契約においてなぜ書
式の闘いのような問題が生じやすいのかとの疑問があろう。これに対しては次のよう
な説明が可能であると考える。国際売買においては、一国の法制度による一貫した規
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CISG においては、その救済制度へと明確に結びつけられることになる。そし
てそれらの違反が、特に解除の制度と結びつけられている点は特に重要であ
る。こうした附随義務違反に対する救済は契約書で明確に定められていること
は少ないため、CISG が実践的な意義を持ちうる一場面と考えられる。
2.2.2
当事者の義務違反に対する救済
日本の総合商社等が通常用いている自社製の契約書式を見る限り、物品の不
適合や不可抗力があった場合に具体的に期限を定めて通知を要求する規定は頻
繁に見られるものの、損害賠償の計算方法の詳細についてまで規定されている
ものは、少なくとも筆者の知る限りにおいては稀であった。しかし、その例外
も少なからず存在するようである。
ICC のモデル契約書式は、国際売買に関する契約書として最も詳細な部類の
ものであると考えられる。しかしここで注意すべき点は、注意深い当事者であ
れば現実にこうした詳細な取決を行うことは十分に考えられることである。そ
うした現実を裏付けるものとして、国際売買契約実務の詳細を扱う著書の中に
次のような記述がみられる。
「・・・売買契約で損害賠償額をあらかじめ合意しておく場合がよくある。
たとえば、納期遅れ1日につき契約金額の何パーセントかを支払うとか、
また、支払期日を徒過した場合に一定金額の遅延損害金を支払うと約定す
るのがこれに当たる(6)」。
律が及ぼされないため、当事者達は自分達の契約の開始から終了までに生じうるあら
ゆる問題に契約的に対処しようとする。そしてこれには、契約関係が正常なルートか
ら逸れた場合における対処方法についての規定までもが含まれうる。書式の闘いにお
いて問題となるのはほとんどの場合こうした規定である。なぜなら当事者間の主要な
権利義務についての規定において書式の闘いが存在すれば、その契約はその時点で両
当事者によって不成立であると自覚され、結果としてそうした不一致を残したまま履
行に移されることはあり得ないからである。これに対して、契約が正常なルートから
逸れた場合に対応する規定はについて、当事者によって十分に詰められないことも少
なくないと考えられる。
(6) 田中信幸=中川秀彦=仲谷卓芳(編)
『国際売買契約ハンドブック【改訂版】
』3
7
頁以下(有斐閣・1
9
9
4)
。
1
3
1
ウィーン売買条約と契約実務
そして実際に ICC が作成した国際売買についてのモデル契約書式において
もこうした詳細な定めがおかれている。
これらの規定の特徴は、当事者による契約違反があった場合に、それに対応
した明確な遅延損害金などを予め定めていることである。それによって履行過
程で生じ得るトラブルに対して機械的ともいえる対処方法を予め確定しておい
て、それらを解決するための交渉コストを最小限に抑えようとする姿勢をあら
わしているように思われる。
この ICC のモデル契約書式の概要は次の通りである。この契約書式は、個々
の契約当事者が契約の特性に応じて空欄に書き込んだり複数項目から選択した
りして完成させる‘A. Specific Conditions’と、それを補充するための‘B. General
Conditions’から構成されている。そして準拠法に関して当事者が A において定
めなければ、B の1.
2が適用されることになる。それによれば、当事者が契約
書で明示又は黙示に規定していない問題については、CISG が適用され、それ
によってもカバーされていない問題には売主の営業所所在地の法律が適用され
ることになっている(7)。
本契約書では売主による契約違反の責任を二つ側面から規定している。第1
(7) 国際私法の視点からこの部分で2つ注目すべきことがある。第1に、CISG はどこ
かの国家法の一部としてではなく、あたかも援用可能統一規則のように売買契約書を
補充するものとして、合体されていることである。そして従来の国際私法でいうとこ
ろの契約準拠法としては、売主が営業所を有する国家法が選択されており、その国家
が CISG の締約国であるか否かは問われていない。同じく ICC が作成した国際フラン
チャイズ契約のモデル書式では、準拠法について定めた3
2A において、ユニドロワ原
則とともに国際取引において広く認められているルールや原則が適用されるとしてお
り、最早そのバックアップに入る国家法の指定を予定していない。ICC が公式にそう
したモデル条項を推奨していることに鑑みれば、実務的には国家法を準拠法としなく
とも CISG やユニドロワ原則を軸として国際的な商慣習を用いることで、十分に紛争
に対応できるとの認識が高まりつつあるといってよいであろう。
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が「遅滞による責任」であり、第2が「物品の不適合に対する責任」である(8)。
そして、契約書の B で詳細な定めがおかれているのは、売主の契約違反につ
いてはこの二つの側面にほぼ限定されている。
2.2.3
【引渡時期の違反に対する救済】
物品の引渡時期についての違反(履行遅滞)に関する本契約書の中の規定の
概略は以下の通りである。
引渡が遅延した場合、他の合意がなければ、買主が引渡期日から15日以内に
通知をすれば、引渡期日以降1週間あたり0.
5パーセントの遅延損害金が売主
に課されることになるが、その総額は契約価格の5パーセント以内とされる
(10.
1:以下括弧内の数字は ICC のモデル契約書式の B. General Conditions の
条文番号を指す)。
前述の Specific Conditions(A―4)において解除日が指定されていれば、売
主は通知のみによって、理由の如何を問わず解除できる(1
0.
2)
。それ以外の
場合は、遅延損害金が限度額に達する日までに引渡がなければ、通知後5日以
内に売主が引き渡さない限り、買主は解除ができる(10.
3)。
2及び B―10.
3の条項によって買主が解除する場合、さらに損害があれ
B―10.
ば価格の10パーセントを超えない範囲でそれを請求することができる(1
0.
4)。
そしてこうした規定が定める救済は引渡遅滞に関して排他的なものとされる
(10.
5)。したがって、契約上こうした詳細な規定がなされる場合には、引渡
遅滞に関する救済について CISG が補充的に適用される余地はないことにな
る。
2.2.4
【物品の不適合に対する救済】
買主は物品到着後できる限り早急に検査を行わなければならず、不適合があ
った場合にはそれを発見した日または発見すべきであった日から15日以内に通
(8) これらの規定は、本稿の末尾に参考資料として掲載しているので、それを参照願
いたい。
1
2
9
ウィーン売買条約と契約実務
知しなければならない(1
1.
1)。またいかなる場合にも1
2ヶ月以内に通知しな
ければ救済を得る権利を失う(1
1.
1)
。しかしその際に、その取引において普
通に見られる些細な違いは不適合とは見なされない(11.
2)。
物品に不適合があった場合には、売主にも B―11.
3により次の三つのオプシ
ョンが与えられる。
(a)追加費用なしに代品を提供する。
(b)追加費用なしに修補を行う。
(c)買主によって支払われた価格を返還して契約を解消する。
もちろんその場合にも、買主は不適合の通知の日から代替品の引渡または修
補の完了の日まで、B―10.
1でみとめられている遅延損害金を1週間ごとに得
る権利を有するが、その総額が価格の5パーセントを超えることはできない。
そして遅延損害金が限度額に達する日までに引渡または修補がなければ、買主
の通知後5日以内に売主が代品を提供するか修補をしない限り、解除ができる
(11.
4)。B―11.
3(c)
または B―11.4によって解除がなされる場合、買主は代
金と遅延損害金に加えて、他に追加的な損失がある場合には、それが契約価格
の10パーセントを超えない限度で請求できる。
もし買主が不適合の物品を受領することを決定した場合には、契約に適合し
た物品の目的地での市場価格との差額を、契約価格の15パーセントを超えない
限度で請求することができる。
そして、こうした B―11に定められている救済は、他の不適合に対する救済
を排除するものとされている。ここでも、こうした詳細な取決が契約において
なされる限り、CISG が定める物品の不適合に関する救済の規定が適用される
余地はない。
2.3
CISG に規定されているが ICC のモデル契約書式で規定されてない事項
国際売買において当事者が詳細な契約書を用いた場合、CISG において当事
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者間の義務を定めた規定だけでなく、契約違反が行われた場合の救済について
規定した部分もほとんど適用の余地がなくってしまうことが、以上の分析から
明らかとなった。もちろん、全ての国際売買契約においてこうした詳細な規定
が定められることはなく、その点のみをとらえて CISG の役割が小さいことを
強調しすぎるのはミスリーディングであろう。しかし、ここでむしろ注意すべ
きは、国際売買の当事者達は契約上の不履行が生じてしまったような場合にお
いても、できる限り低い交渉コストで機械的に当事者関係を処理しようとして
いる点にあるように思われる。一方において、当事者達は通知義務や様々な協
力関係の実現によって契約関係を双方的な余剰価値の実現に向けた効率的なも
のとすべくコントロールしようとしているのは明らかである。そうした場面に
おいて協力的で柔軟な姿勢は取引者間で極めて重要な役割を果たす。しかし契
約が予測のルートから逸れ、最早双方の当事者に対して利益をもたらす潜在力
を失ったことが明らかとなった場面では、当事者達はその紛争を精密な意味に
おいて衡平に処理することを必ずしも望んではいない可能性がある。そうした
場面ではむしろ、大まかで概括的な衡平しか確保できないにしろ、破綻した契
約関係から早急に双方を解放することで、双方的に損害を軽減するための方策
を速やかに実行に移し、新たな利益獲得に向けたビジネスの機会を探求するこ
とへと移行することを望んでいるように思われる。こうした推論を例証するも
のとして、物品の引渡が遅れた場合には理由の如何を問わず契約を解消してし
まうことを可能とする日時を、当事者が予め定めることが実務的に行われてい
る(10.
2)。
2.3.1
【不履行が予期される場合における履行期前の対応】
しかし、ICC のモデル契約書式において全く対応がなされていない事項に関
して、CISG が詳細な規定をおいている部分が存在する。それが7
1条から7
3条
に規定されている諸規定である。
履行期前の対応を定めた CISG71条∼73条に相当する規定はモデル契約書式
の中には全く見られない。したがってこれらの規定は、CISG の中でも特に実
1
2
7
ウィーン売買条約と契約実務
務的に大きなインパクトをもつ可能性が高いと考えられる。履行期前の場面
で、将来予期される契約違反に備えて当事者がどのような法的手段を用いるこ
とができるかは(9)、従来のわが国の契約法についての学説においては極めて活
発な議論の対象となってきた。しかし明文の規定を欠くためか、実務的にはき
わめて不安定な状態におかれたままである(10)。したがって、現実に契約の履
行が行われている過程において、事情変更の原則や不安の抗弁権などを積極的
に用いることにより当該契約関係を具体的に調整していくことには、大きな障
害が存在したといわざるを得ない。そうした視点から、CISG がこうした制度
について具体的で詳細な規定を有していることは、日本が CISG に加盟した場
合に日本の当事者が関与する国際売買の実務に対して大きな影響力を有するこ
とが考えられる。また、国際売買に関して日本の裁判所でこうした規定が適用
されるようになれば、それは国内の契約法にも否応なしに影響を与えることに
なることが予測される。
こうした制度は、効率的な国際売買契約の運用という視点からも重要であ
る。なぜなら一旦物品を引き渡したり、代金を支払ったりした後の段階におい
て相手方が契約違反をした場合には、たとえ法律上は自分に理があったとして
も、それらを取り戻すために多大な費用や労力が必要となる場合が多い。した
がって、国際売買全体を効率的なものとして維持するためには、履行期前に当
事者が用いることのできる救済方法を明確で公平なものとして規定しておくこ
との意義はきわめて大きい。
こうした将来の不履行に備える規定は、少し視点を変えてみるならば、不履
行の後の解除や損害軽減義務の要請によって代替的な取引を行うことと表裏の
関係にあるともいえる。相手方の将来の履行が期待できない場合に、あえて先
履行の義務を開始することは、その後の当事者間における契約関係を調整する
(9) 日本の民法学において、事情変更の原則、不安の抗弁権、履行期前の違反などに
関する議論によって扱われてきた問題である。
(1
0) たとえば事情変更の原則が適用されることを抽象的には認めつつも、問題となっ
た具体的な事例との関係においては否定した最高裁判所判決(最高裁平成9年7月1
日第三小法廷判決、民集5
1巻6号2
4
5
2頁)がある。
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ためのコストを引き上げてしまうため、その国際売買契約を全体としてみるな
らばより非効率な結果を導いてしまう可能性が高い。確かに「合意は遵守され
るべきである」
としても、国際売買を生業とする人々の多くは、代替性のある
商品を転売することによって金銭的な利益を実現している。そうであるとすれ
ば約束通りの履行を保証することは必ずしも重要ではなく、契約の成功によっ
て期待された金銭的な利益を守ることで十分な場合が多いと考えられる。つま
り元の契約を反古にしても、市場において急救的に代替的取引を行うことがで
きれば、市場の機能を生かすことによって契約不履行がもたらす経済的な損失
を、両当事者の協力的関係のなかにおいて最小限に抑止することができる。
2.3.2
【書類交付や物品の包装等に関する義務違反】
書類の交付については、当事者が契約書において注意深く規定することに加
え、インコタームズや信用状統一規則等にも詳細な定めがおかれている。しか
しこうした書類交付に関する義務違反があった場合に、どのような救済が与え
られるかについて契約書で定められることは稀なので、その範囲において
CISG が大きな意義を有するであろう。特に書類交付に関する義務違反につい
ても「重大な義務違反に対する解除」を認めることは、注目に値する。
3 CISGが定める実体規定の特徴について
3.1
「CISG には履行についての規定が定められていない」
との指摘(11)について
この点は、国際売買においては当事者達が履行に関してすでに契約において
詳細に規定している場合が圧倒的であるためであると考えるべきであろう。例
えば、履行期・品質数量・価格・引渡時期及び方法・代金決済の方法などを具
体的に定めなければ、両当事者が履行に向けた行動を起こすことは現実におい
(1
1) これは日本私法学会での拡大ワークショップ(注(1)参照)において、CISG の特徴
として指摘された点の1つである。
1
2
5
ウィーン売買条約と契約実務
て不可能である。国際売買は比較的シンプルな契約ではあるが、こうした点に
おいて通常の国内売買よりかなり詳細な取決を当事者間で予めおこなっておか
なければ、現実の履行に向けた第一歩を踏み出すことさえ困難となる。地に足
のついた実践的な議論をするために、国際売買を行う人々のモデルについて、
法律学研究者は正確で現実的な認識を持つ必要があるように思われる。
3.2
引渡・書類交付・危険移転の時期が一致しない点について
国際売買においては、書類の交付と物品の引渡とが、時間的に一致しない場
合が頻繁に生じることも指摘しなければならない。例えば、国際売買において
最も重要な書類の1つである船荷証券は、通常は船積みが完了してから発行さ
れることになる。
また、危険の移転と費用負担とが一致しない場合も決して少なくない。例え
ば現実の国際売買において、インコタームズの中でも、とりわけ積地において
危険が移転するタイプの条件(FOB・CFR・CIF・FCA・CPT・CIP)が圧倒的に多
く用いられている。これらの中で国際売買に代表的な FOB と CIF とを比較す
れば、危険移転自体は何れも積地において船側の手摺の上を通過したときに生
じるが、海上運賃と保険料は FOB では買主が、CIF では売主が負担すること
になる。運送中の危険は何れにしても海上保険によってカバーされるため、国
際売買における危険移転とは、実質的には保険金請求の手続の負担を、売主・
買主のどちらが負うかを分配する問題に過ぎないと見るのが実務的な感覚であ
ろう(12)。法律研究者はここでも、特定物売買を母型とした契約像の固定観念
を払拭して、大量生産・大量消費の時代における国際売買の現実についてリア
ルな認識を持つ必要がある。
(1
2) 国際売買の中心をなすのは転売目的で行われるものであると考えられる。そうし
た場合、当事者が最終的に目的とするのは金銭的利益を獲得することである。したが
って、損害が何れにせよ保険でカーバされることが確実な場面では、毀損・滅失した
物それ自体が問題ではなく、その価値が金銭的に確保されることによって十分な救済
となる場合が大多数であると考えられる。
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4 CISG と従来の国家法との関係について
実務的に見た場合に、CISG において最も問題が多いのはその空間的な適用
範囲に関する規定であろう。その根本的な原因は国内売買と国際売買とをかな
りの無理を冒して切り分けようとした点にあると筆者は考える。実際に、統一
売買法を作成するための作業を1930年に私法統一国際協会において開始した作
業部会の中心メンバーであったラーベル自身が、
「国際売買」に適用範囲を限
定することは、統一法を成立させるための戦略上の理由によっておこなわれた
ことであり、本音は国内と国際とを区別しない世界で唯一の売買法を作成した
かったのだと述べている。ラーベルが熱心な普遍主義者であったことから、こ
れは至極当然のことである。CISG の複雑な空間的適用範囲の確定は、究極的
には従来の国家法並立の状況を維持したままで、国際的な私法の統一を部分的
に進めていこうとすることから論理必然として発生する問題といっても過言で
はない。しかしこうした点においても、CISG はその前身である ULIS/ULF(13)
との比較において大きく改善されたものとなっている。
以下ではまず、CISG の空間的な適用範囲を画する上でさらに残った問題点
を検討する。その後に CISG の成功の要因について、再評価を加えることにし
たい。
4.1
CISG の適用範囲
ハーグ売買条約との比較において、CISG を最も高く評価できるのは、その
(1
3) CISG の基礎となった、ユニドロワの起草による1
9
6
4年のハーグ売買条約は、正確
には二つの条約から成るものであり、それぞれ統一法を国内立法化することを締約国
に義務づけていた。その一つが契約当事者間の権利義務を規律する ULIS(Uniform Law
on the International Sale of Goods)であり、もう一つが国際売買契約の成立について
定める ULF(Uniform Law on the Formation of Contracts for the International Sale of
Goods)である。この両者を以下では ULIS/ULF と略称する。
1
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ウィーン売買条約と契約実務
自制的で明確な適用範囲についての規定であろう。ハーグ売買条約では、法廷
地が締約国である場合には、全ての国際売買について ULF/ULIS が無条件で適
用されることになっていた。
しかし CISG の空間的適用範囲についての規定は、従来の国際私法との関係
で様々な複雑な理論的問題を引き起こしている。1条1項(a)は、その範囲に
おいて特別抵触規定として各国の一般国際私法に優先することに異論はない。
しかし CISG6条は CISG 自体の適用を排除する自由を認めており、それが明
示のものに限定される根拠はないため、当事者達による黙示の排除の可能性を
さらに検討する余地が残る。
CISG1条1項(b)について、問題はさらに錯綜する。なぜなら同項における
「国際私法の準則によって締約国の法が適用される場合」の意味が明確でない
からである。契約準拠法の決定において、当事者による準拠法の選択を認める
ことは、今日のグローバルスタンダードとなっている。そして多くの国際契約
において当事者達は契約書中に準拠法選択条項を規定している。こうした条項
において例えば「フランス法を準拠法とする」と定めた場合、文言上は1条1
項(b)に当てはまるため、CISG が適用されるようにも見える。しかし、契約
準拠法の選択において国際私法が当事者による自由な準拠法選択を認める理由
は、当事者達の予測可能性を確保するためである。したがって、当事者が準拠
法を選択していない場面において、1条1項(b)によって CISG を適用するこ
とは、当事者の予見可能性を大きく害することはないため深刻な問題はないと
思われる。
しかし当事者が準拠法を選択している場合の、契約準拠法に対する予測可能
性とは、やはり契約法の実質法的な内容についての予測可能性を意味すると考
えるべきであろう。先の例において、当事者達がフランス法を準拠法として選
択することの意味は、漠然とフランス法全体が適用されることにあるのではな
く、フランス民商法を中心とした売買に関する法律の適用か、新たにフランス
法の一部となった CISG の適用のどちらかを、意図しているものと思われる。
そうした場面で CISG1条1項(b)が当事者の意思(つまり当事者は、フラン
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ス民商法を選択する意図で「フランス法」という表現を用いた)に反する場合
にも、締約国の裁判所は CISG を強制的に適用しなければならないとすること
には、明らかに矛盾がある。CISG と従来の民商法の何れを準拠法とすべきか
を決定するにあたっては、あくまで当事者の意思が尊重されるべきであろ
う(14)。
このように CISG1条1項(b)は、従来の国際私法との関係においてそれ自
体として何を意図しているのか分からない規定である。この1条1項(b)に拘
束されないとする9
5条の留保をおこなっている国は、国際私法を介しての
CISG の適用を全く認めていないわけでもない。例えばアメリカ合衆国におい
ては、95条の留保をするにあたって作成された国務省のノートによれば、アメ
リカ合衆国では UCC と CISG とのどちらもが国際売買に適用可能であること
が示されている(15)。これはアメリカ合衆国に限った問題ではない。国際私法
をベースとした従来の準拠法による紛争解決手続においては、何れにしても従
来の国内売買に適用される契約法を用いてきたのであって、それが国際売買に
関する紛争を解決する上で、CISG との比較において明白に不適切であると断
定することはできない。
思うに、準拠法について明確な意思を持たない当事者に対して、CISG を可
能な限り適用する方が望ましいとの考え方が、1条1項(b)の規定の根底に存
在している。そしてその正当化の根拠は、CISG の方が従来の国家法において
定められた契約法よりも当事者に衡平であるとか、国際売買により適合的であ
るとか、先進的であるとかいった、漠然とした論証不能な言説によって示され
(1
4) もしこの段階で無理矢理に CISG を適用したとしても、さらに CISG6条によって
CISG の適用排除が問題とされうる可能性は依然として残っているのであるから、こ
の場面で1条1項(b)
を CISG 適用の根拠として強く持ち出す意味は、そもそも存在し
ない。
(1
5) Reprinted in J A Spanogle & P Winship, International Sales Law : A Problem Oriented Course Book(West,
2
0
0
0)
,p.
6
0.
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2
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ウィーン売買条約と契約実務
ることが多い。しかし、契約法とは決して紛争の場面においてのみ問題となる
ものではない。国際売買契約の様々な段階でどのような通知や検査を行うべき
か、どのような場面において当事者は履行を停止したり契約を解除したりでき
るのか、など契約を履行する過程において、契約法が当事者の行為規範として
参照される場面は少なくない。つまり、契約準拠法の決定において当事者自治
の原則が広く尊重されるのは、当事者にとっての行為規範としての予測可能性
を確保するためであって、契約法自体の内容が先進的であるとか両当事者間に
より衡平であるとかいった要素は、その限りにおいて背景に押しやられること
になる。したがって、当事者自治によって当事者が準拠法を選択した場合に、
それが CISG を意味するのか従来の民商法を意味するのかを決する基準はあく
まで当事者の意思解釈に求めるべきであり、そのことと1条1項(b)による
CISG の適用範囲を広げようとする立法趣旨との間には根本的な矛盾があると
いわざるを得ない。それに加えて、CISG1条1項(b)があろうとなかろうと、
裁判所は契約準拠法の選択において当事者が CISG を選択していると考える場
面において、準拠法所属国の従来の民商法に優先して CISG を適用することに
は、国際私法上は何らの論理的な障害もないと筆者は考える。
4.2
CISG の成功の要因について
ULIS/ULF と比較した場合に、CISG がその実質的な内容において優れてい
るとの指摘は頻繁になされている。しかし、CISG を作成する作業の開始に当
たり、UNCITRAL はまったく新たに作業を始めるべきか、それとも ULIS/ULF
を土台としてそれを改良する方法で作業を進めるべきかについて慎重な検討を
行っている。そしてその結果として、ULIS/ULF の成果を土台として活用する
方法が意識的に採択された。したがって UNCITRAL の起草作業において、ハ
ーグ売買条約が決して失敗作と考えられたわけではない。それどころか、ウィ
ーン売買条約の優れた特徴とされる、物品の不適合の債務不履行責任への一元
化、当事者の義務違反に対応して救済を定める規定の方法、重大な契約違反や
損害軽減義務などは、すべてハーグ売買条約においてすでに採用されていたも
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のである。
したがって ULIS/ULF と比較した場合の CISG の内容自体の改善を高く評価
する見解に対して全面的に賛同することはできない。むしろウィーン売買条約
の成功は、UNCITRAL を特に国際的な政治力学においてコンセンサスを獲得
できる組織として万全の注意を払って構成した上で、各国の同意を獲得できる
ような起草手続を採用した点に負うところが大きいと思われる。
5 CISG とその他の国際契約法の調和を促進する動きについて
現時点において国際的な契約法の調和を促進する動きは、様々な方向から進
展しつつある。その中で特に日本の法律学研究者の関心を集めているものは、
ユニドロワ国際商事契約原則(PICC)とヨーロッパ契約法原則(PECL)であ
る。ここでは国際売買契約の実務を重視する視点から、PICC についてのみ取
り上げることにする。
5.1
特に PICC との役割分担について
CISG と PICC とでは、ターゲットとする契約の範囲にある程度の違いがあ
ると理解すべきであろう。PICC は契約全般についての原則を定めるものであ
って、その中には様々な種類の契約が含まれる。例えば、PICC がその各条文
に付されたコメントの中でイラストレーションとして取り上げる事例は、売買
だけでなく、建設、ソフトウェア開発、フランチャイズ、施設使用、融資、不
動産売却、ジョイントベンチャー、保険、雇用など、きわめて広い範囲にわた
る契約が取り上げられている。特に PICC における契約内容に応じた義務の柔
軟な取扱いや、ハードシップ、免責、不可抗力などの条項における、契約の性
質に応じて使い分けを可能とするような文言上の工夫が目立つ。
CISG は国際売買という単発的で比較的に「完備」された契約を対象として
いる。しかし PICC は、国際売買のような完備された契約だけを対象とするわ
けではなく、法と経済学の表現を借りれば「不完備性」の高い契約に対応する
1
1
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ウィーン売買条約と契約実務
ための規定が充実している点が注目される(16)。
5.2
CISG における解除権についての理解
CISG が「契約を尊重せよ」という姿勢をとっており、解除を最後の手段で
あるとしているとの指摘がなされることは多い。しかし私見からは、CISG の
規定ぶりを客観的に分析した場合、それは必ずしも明確であるとはいえないと
考える。例えば前述のように、履行期前に自らを守るための法的手段が契約当
事者にかなり広範に与えられている(CISG71∼73条参照)。また、契約違反の
相手方は、解除をした後にも損害軽減義務を負っており、自らの損害を拡大し
ないために代替取引を促され、損害賠償額の増加を抑制しなければならない。
これは見方によれば、契約違反を助長する可能性さえ有する制度的枠組であ
る。
実際にこうした傾向は、国際売買の実務感覚とかなり整合的であると考えら
れる。先に取り上げた ICC の国際売買契約モデル書式の一般条項(General Conditions)においても、自ら不履行を行った当事者が支払うべき損害賠償額につ
いて、明確な上限を設定する姿勢が見られる。同書式では、解除についても、
一定の明確な要件を定めて可能とする対応もなされている。更に、不適合な物
品を引き渡した当事者に対しても、契約で上限が定められた金額の損害賠償を
支払うことを条件として、解除を選択する権利までもが認められている。
こうした契約の拘束力を弱めるかにみえる実務的対応は、恐らくは、当事者
間で契約関係が錯綜し膠着状態に陥って身動きが取れなくなる(その結果とし
て損害を軽減する機会を逸したり、紛争解決に多大な時間と労力とが必要とな
ったりする)ことを恐れていることから生じるのではないだろうか。つまり解
除は、一定の場合において、契約関係から生じるトラブルが膠着状態に陥るこ
(1
6) 具体的には、ハードシップ、不可抗力、履行期前の不履行などに関する規定がそ
の代表例である。ここでいう不完備とは、契約締結の時点において両者当事者間の権
利義務が全て確定できないような複雑な契約の特徴を示す、経済学上の概念である。
この概念を法律学が取り入れる必要性は極めて大きいと考える。
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とを避けるための非常脱出口としての役割をも担っていると考えることができ
るように思われる(17)。
6 おわりに
国際売買という具体的に限定された場面において、それを取り囲む法環境を
改善するという具体的な目的に向けた、CISG のような101条にものぼる包括
的な売買契約法(18)が日本において、民法学の俎上にのったことはこれまでな
かった。その意味において、CISG は日本の民法学(特に契約法学)にとって
黒船ともいえる存在である。しかしこれを契機として、国際売買契約のユーザ
ー(具体的には国際貿易の最前線で毎日のように国際売買契約を交渉・締結
し、履行し、クレームに対処し、そして最悪の場合に紛争処理に当たる人々)
にとって有する実践的な意義を、正面から検討してみる必要性は大きいものと
思われる。そしてそれは、私達の契約法に対する認識を深めるために避けては
通れない過程であると考える。
冒頭に掲げた本稿において検証すべき事項は、日本が CISG の締約国となる
ことによって、国際売買契約の実務に何か具体的な改善がもたらされる可能性
があるかを明らかにすることであった。この点について確認できたのは、実務
において用いられる最も詳細な部類の標準契約書を用いた場合に、CISG の規
定の広範な部分は契約書で定められた条項によって上書きされてしまうという
ことであった。しかしその中で、契約書によって上書きされることの少ない部
分として、次のような規定の重要性が明らかとなった。相手方当事者の後履行
義務の履行期がまだ到来していない時点で、その将来における不履行が予見さ
れる場面において、先履行義務を負う当事者が用いることのできる救済手段
(1
7) これは、私の個人的な僅かな実務経験(その多くは傭船契約に関するものである)
における感覚とも完全に一致する。
(1
8) 売買契約法は大陸法からは契約法のプロトタイプであり契約法全体の骨骼を示す
ものともいえる。
1
1
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ウィーン売買条約と契約実務
(CISG71―73条)についての規定は、実務で用いられる契約書式等の中ではほ
とんど見られないものであり、実務上大きな役割を果たす可能性があると考え
られる。こうした契約締結後の状況の変化に対応する規定は、国際売買契約の
より効率的な運営を可能にする潜在力を持っており、CISG が適用される場面
においてその内容を熟知して適切に用いることは、当事者にとっての大きなメ
リットとなり得る。また、契約違反をした当事者の相手方にさえ、損害を抑制
する義務を課す「損害軽減義務」を CISG が明定し、その典型的な場面として
不履行の相手方当事者による代替的な取引を要求する姿勢からは、
「契約は守
られるべし」という原則が、市場型商品を対象とするような売買において根底
的な変容にさらされていることを示唆するようにも思われる(19)。代替取引を
可能とする市場には、膠着状態に陥った契約当事者達をそうした関係から速や
かに解放し、新たな生産的活動へと方向転換させるための脱出装置として機能
している可能性がある。つまり市場の存在は、正の局面では大量の契約を効率
的に成立させる働きをすると同時に、負の局面では当事者を頓挫してしまった
契約から安価にそして速やかに解放するための装置として機能しているとの推
測が成り立つ。しかしこの点の詳細な分析については、後日に譲ることとする。
(1
9) こうした事実を理論的に明らかにするものとして、デビッド・キャンベル「契約
違反の関係的契約論による再構成−契約違反制度の第2原則としての協力の意義−」
齋藤彰編著『市場と適応』
(法律文化社・2
0
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7)3
8頁以下参照。
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参考資料
ICC 国際売買モデル契約書式(B. General Conditions からの抜粋)
Art.1
1.1
GENERAL
These General Conditions are intended to be applied together with the
Specific Conditions(partA)of the International Sale Contract(Manufactured Goods
Intended for Resale),but they may also be incorporated on their own into any
sale contract. Where these General Conditions(PartB)are used independently of
the said Specific Conditions
(PartA),any reference in PartB to PartA will be interpreted as a reference to any relevant specific conditions agreed by the parties.
In case of contradiction between these General Conditions and any specific conditions agreed upon between the parties, the specific conditions shall prevail.
1.2
Any questions relating to this Contract which are not expressly or im-
plicitly settled by the provisions contained in the Contract itself(i.e. these General Conditions and any specific conditions agreed upon by the parties)shall be
governed :
A.
by the United Nations Convention on Contracts for the International
Sale of Goods
(Vienna Convention of 1980,hereafter referred to as CISG),and
B.
to the extent that such questions are not covered by CISG, by reference
to the law of the country where the Seller has his place of business.
1.3
Any reference made to trade terms(such as EXW, FCA, etc.)is deemed
to be made to the relevant term of Incoterms published by the International
Chamber of Commerce.
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1
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1.4
ウィーン売買条約と契約実務
Any reference made to a publication of the International Chamber of
Commerce is deemed to be made to the version current at the date of conclusion of the Contract.
1.5
No modification of the Contract is valid unless agreed or evidenced in
writing. However, a party may be precluded by his conduct from asserting this
provision to the extent that the other party has relied on that conduct.
*********************************************
Art.10 Late−delivery, non−delivery and remedies therefor
10.1 When there is delay in delivery of any goods, the Buyer is entitled to
claim liquidated damages equal to 0.
5% or such other percentage as may be
agreed of the price of those goods for each complete week of delay, provided
the Buyer notifies the Seller of the delay. Where the Buyer so notifies the
Seller within 15days from the agreed date of delivery, damages will run from
the agreed date of delivery or from the last day within the agreed period of delivery. Where the Buyer so notifies the Seller after 15 days of the agreed date
of delivery, damages will run from the date of the notice. Liquidated damages
for delay shall not exceed 5% of the price of the delayed goods or such other
maximum amount as may be agreed.
10.2 If the parties have agreed upon a cancellation date in Box A―9,the
Buyer may terminate the Contract by notification to the Seller as regards goods
which have not been delivered by such cancellation date for any reason whatsoever(including a force majeure event).
10.3 When article 10.
2 does not apply and the Seller has not delivered the
goods by the date on which the Buyer has become entitled to the maximum
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amount of liquidated damages under article10.
1,the Buyer may give notice in
writing to terminate the Contract as regards such goods, if they have not been
delivered to the Buyer within 5 days of receipt of such notice by the Seller.
10.4 In case of termination of the Contract under article10.
2 or 10.
3 then in
addition to any amount paid or payable under article10.
1,the Buyer is entitled
to claim damages for any additional loss not exceeding 10%of the price of the
non−delivered goods.
10.5 The remedies under this article are exclusive of any other remedy for
delay in delivery or non−delivery.
Art.11
Non−conformity of the goods
11.1 The Buyer shall examine the goods as soon as possible after their arrival at destination and shall notify the Seller in writing of any lack of conformity of the goods within 15 days from the date when the Buyer discovers or
ought to have discovered the lack of conformity. In any case the Buyer shall
have no remedy for lack of conformity if he fails to notify the Seller thereof
within 12months from the date of arrival of the goods at the agreed destination.
11.2 Goods will be deemed to conform to the Contract despite minor discrepancies which are usual in the particular trade or through course of dealing
between the parties but the Buyer will be entitled to any abatement of the price
usual in the trade or through course of dealing for such discrepancies.
11.3 Where goods are non−conforming(and provided the Buyer, having given
notice of the lack of conformity in compliance with article11.
1,does not elect
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in the notice to retain them),the Seller shall at his option :
(a)
replace the goods with conforming goods, without any additional ex-
pense to the Buyer, or
(b)
repair the goods, without any additional expense to the Buyer, or
(c)
reimburse to the Buyer the price paid for the non−conforming goods
and thereby terminate the Contract as regards those goods.
The Buyer will be entitled to liquidated damages as quantified under article
10.
1 for each complete week of delay between the date of notification of the
non−conformity according to article11.
1 and the supply of substitute goods under article11.
3
(a)or repair under article11.
3
(b)above. Such damages may be
accumulated with damages(if any)payable under article10.
1,but can in no case
exceed in the aggregate 5% of the price of those goods.
11.4 If the Seller has failed to perform his duties under article11.
3 by the
date on which the Buyer becomes entitled to the maximum amount of liquidated damages according to that article, the Buyer may give notice in writing
to terminate the Contract as regards the non−conforming goods unless the supply of replacement goods or the repair is effected within 5 days of receipt of
such notice by the Seller.
11.5 Where the Contract is terminated under article11.
3
(c) or article11.
4,
then in addition to any amount paid or payable under article11.
3 as reimbursement of the price and damages for any delay, the Buyer is entitled to damages
for any additional loss not exceeding 10% of the price of the non−conforming
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goods.
11.6 Where the Buyer elects to retain non−conforming goods, he shall be entitled to a sum equal to the difference between the value of the goods at the
agreed place of destination if they had conformed with the Contract and their
value at the same place as delivered, such sum not to exceed 15% of the price
of those goods.
11.7 Unless otherwise agreed in writing, the remedies under this article11 are
exclusive of any other remedy for non−conformity.
11.8 Unless otherwise agreed in writing, no action for lack of conformity can
be taken by the Buyer, whether before judicial or arbitral tribunals, after 2
years from the date of arrival of the goods. It is expressly agreed that after the
expiry of such term, the Buyer will not plead non−conformity of the goods, or
make a counter−claim thereon, in defence to any action taken by the Seller
against the Buyer for non−performance of this Contract.
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