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<目次> - 実践女子大学/実践女子大学短期大学部
<目次> はじめに ...................................................................................................................................................2 1章 子ども の概念..........................................................................................................................2 1‐1 子ども という意識が存在しない..........................................................................................2 1‐2 子ども という意識の誕生 ....................................................................................................4 学校の普及 ........................................................................................................................................5 地域との関わり .................................................................................................................................6 1‐3 1‐4 1‐5 2章 ニール・ポストマンによる解釈 ..................................................................................................7 子ども 大人と 遊び という概念 ...............................................................................................................8 ......................................................................................................................9 子ども という概念 .....................................................................................................................10 ホイジンガの 2‐2 遊びの本質 ...............................................................................................................................13 2‐3 仕事と 3章 遊び の特徴 ..................................................................................................11 2‐1 遊び ........................................................................................................................14 子どもの遊び から考えるこれからの社会 ............................................................................14 3‐1 子どもの遊び の社会的意味...............................................................................................15 3‐2 子どもの遊び の特性 .........................................................................................................16 3‐3 子どもの遊び =大人の仕事 という時代 .........................................................................17 大人の仕事..........................................................................................................................................18 ①テレビ(オトナゴコロ) .............................................................................................................18 ②テレビ(NEW DESIGN PARADISE) ................................................................................................19 ③映画(『今を生きる』 『遠い空の向こうに』)...............................................................................20 3‐4 子どもの遊び =社会の構造 という時代 .........................................................................23 ①プリウスというクルマ.................................................................................................................23 ②スマトラ沖地震被害への民間募金...............................................................................................24 おわりに .................................................................................................................................................25 1 はじめに 私たちの現在の社会は脱産業社会だと言われている。その特徴は近代の社会とは異なる。 それはどう異なっているのか。私はこの社会を形作るものとして、キー概念となるのが 子 どもの遊び だと考える。その 子どもの遊び という言葉の意味の違いから現在の社会 を考えていきたい。 子どもの遊び には 1 つの意味として、日常的には幼稚で意味がないということがあ る。そして、もう 1 つの意味として 子どもの遊び を物事の本質から捉えて、何にもと らわれない自由な行動する、ということがある。現代は後者の意味が見てとれる時代にな った。この 子どもの遊び という言葉の意味をどちらに取るか、それが脱産業社会とは 何かということを理解する上で重要なものになると私は考える。 1章 子ども の概念 子どものイメージにはさまざまなものがある。その中には相反する 2 つのイメージが存 在する。1 つは幼い、未熟であるというイメージ、もう 1 つは無邪気・純粋・かわいい・ 愛らしいなどの子どもこそが人間の本質、人間の存在としての充足感がある存在だという イメージである。前者は大人になると大きくなり満たされるが、後者は大人になるにつれ て失われていくものである。なぜ、このような相反するイメージという矛盾があるのだろ うか。 それについて例えばフィリップ・アリエスは『<子供>の誕生』で次のように説明してい る。ヨーロッパにおいては、 子ども は中世において存在せず、近代になって生まれたと 述べている。そして、このとき 2 つのイメージが生まれた。これは私たちの子ども観を考 える上でも重要なのでアリエスを基に述べていく。 1‐1 子ども 中世において という意識が存在しない 子ども が存在しないとはどういうことか。私たちが考える子どもの特 徴は、大人、特に親から保護され、学校に行って教育を受けるということである。しかし、 ヨーロッパの中世にはこの意味においての 子ども 人を分けて考える概念がなかった、あるいは子どもを 2 はいなかった。つまり、子どもと大 小さい大人 と考えていたという ことである。子どもという意識が存在しなかったと言うのである。 中世では 7 歳くらいで大人とみなされ、その「小さな大人」は徒弟や奉公人として他人 の家に送り出される。他に、17 世紀初頭のルイ 13 世が例として挙げられている。彼はフ ランスの王太子ではあるが他の貴族の子どもと変わらない扱いを受けていた。遊びも玩具 を使ったりしていた。しかし、 「七度目の誕生日が近づくと万事が一変する。子供時代の衣 服を着るのをやめ、それ以後のかれの教育は男性の手に委ねられる」 (アリエス『<子供> の誕生』64p(以下頁のみ))また、遊びについての記述でも「「殿下はもう、この小さな 玩具(ドイツ製玩具)や、馬車遊びで遊んではなりません。殿下は大きくなられたのです、 もう子供ではないんですよ。」」と言われ、 「乗馬や射撃を習い始め、狩猟に行き、賭け事も する。 (中略)七歳という年齢がある重要な段階を画していた」。 「当時は今日見られるよう な子供用の遊びと大人が行う遊びの間に厳密な区別は存在していなかったように思われる。 同じ遊びが、大人と子供の双方に共通であったのである。」(以上 64,65p)つまり、遊び において大人と子供は区別されていなかった。このように大人と子どもが区別されていな かった例として他に、服装と性が挙げられている。 まず、服装についてである。私たちには子ども服と呼ばれる子どもらしい服がある。今 はあまり見かけなくなったが、半ズボンなどはその典型である。しかし、中世においては 大人と子どもの服は区別されていなかった。 「幼児は産衣をはずされると、つまり幼児の身 体に巻きつけられていた帯状の布をはずされるとすぐに、自分の属する身分の他の男性や 女性と同じ服を着せられていた。」つまり「中世にはどんな年齢区分とも無関係な服装がさ れていたのであり、(中略)服装のうえで大人から子供を区別するものはなにもなかった」 (以上 50,51p)のである。これは 17 世紀まで続いた。 次に性についてである。現代では大人が子どもの前で猥談を口にすることは非常識で道 徳的に悪である。それが中世ではそうではなく「下品な冗談、卑猥な仕草が公然と行われ てしかも世の顰蹙をも買わず、それはそれで自然のように思われていた」(96p)「子供が 思春期、すなわちほぼ大人の世界に達するやただちに禁止されることになる仕草や身体接 触が、常識的に公然と許されてもいたのである。これには二つの理由がある。まず第一に、 適齢期に達していない子供は性には部外者であり無関心であると考えられていたからであ る。したがって仕草やほのめかしは子供には何の影響も残さず、その性的な意味を失って 無性化されたわけである。第二に、実質的に曖昧な底意が抜かれているはいえ性的なもの への言及が子供の無垢を穢し得かねないという感覚が、実際の面でも世論の中にもまだ存 3 在していなかったことがあげられる。この無垢というものが、本当に存在するのであると いう観念はもたれていなかった。」(102p)つまり、子ども期という感覚はなく、大人と 同じように考えられていたのである。 そして、もう 1 つこの時代の大前提として重要なことがあるとアリエスは述べている。 それは中世において乳幼児死亡率が高かったということである。 「小さな子供は死去する可 能性があるゆえに数のうちにははいっていなかったのである。 「私はまだ乳呑み児であった 子供を二、三人亡くした。痛恨の思いがなかったわけではないが、不満は感じなかった」 と、モンテーニュは述懐している。子供はその生存の可能性が不確実な、この死亡率の高 い時期を通過するとすぐに、大人と一緒にされていたのだった。」(123p)子供は沢山生 まれるが、生き延びることが難しくほとんどが死んでいった。つまり、この乳呑み児は子 どもに考えられる以前に人間の数にも入っていなかったということではないか。そして、 生存の可能性の不確実な時期である 7 歳くらいを越えると子どもではなく大人の一員とさ れ、「小さな大人」となった。 以上を踏まえて見てみると、中世では子どもと大人は区別されていなかった、子どもと いう概念が存在しなかったことがわかる。つまり 子ども の大人とは違う特殊性につい ては意識されていなかったし、考えられていなかったのである。 1‐2 子ども という意識の誕生 しかし、近代に入ると 子ども という意識が生まれる。大人と子どもが分けて考えら れるようになるのである。ここで、近代で大人の子どもに対して生まれた意識とはどのよ うなものだったのかについてアリエスを参考に述べていく。それは大人の子どもに対する 2 つの新たなまなざしである。これが、本章の冒頭で述べた子どもに対する 2 つの矛盾し たイメージの 1 つの背景となっていることでもある。 1 つは、法律家や聖職者、モラリストによって長いあいだ共有されてきたまなざしであ る。それは「子供の無垢と弱さの自覚とかかわる感覚であり、従って子供を保護し防衛す るのは大人の義務という感覚である。」 (309p) 「もう一方のまなざしは、家庭内部から源 を発するものではない。 (中略)モラリストたちは「自分たちの気晴らしのため」だけに子 供を可愛がるだけの大人たちを非難する。彼らは、大人と違って子供は未熟な存在と考え、 理性的である人間に、よきキリスト教徒に育て上げるべきだと主張した。要するに、子供 というのは理性的でないから、理性を持った人間に育て上げることが必要だとモラリスト 4 たちは論じているわけである。」(小熊研究会Ⅰ最終レポート「社会史・家族史研究はエリ ザベート・バダンテールにどのような影響を与えたか∼フィリップ・アリエス『<子供> の誕生』を中心に∼」(以下小熊))。これは家庭の外部から出現したものである。 もう 1 つは、可愛がりのまなざしである。 「子供はその純真さ、優しさ、ひょうきんさの ゆえに、大人にとって楽しさとくつろぎの源、言わば「愛らしさ」と呼び慣わされている ようなものになっているのである」(123p)。私達が子どもを見て可愛い、愛らしいと思 うのと同じ感覚である。このまなざしはごく短期間の幼い年齢に限られた感情であり、家 庭環境の中から生まれる。 この 2 つのまなざしの違いというのはそのまなざしが生まれた場所、作った人が違うの である。幼い、未熟だというのは、家庭の外、教育者から。かわいい、純粋というのは家 庭の中、親から生まれたのである。つまり、1 つの存在に対して、2 つの存在がそれぞれの 見方をしたということなのである。そしてこのそれぞれの見方は今も存在する。私たちが 考える子どもは保護され、教育を受けるという特徴を持っていた。保護されるとは親から 生まれた見方であり、教育を受けるとは教育者から生まれた見方である。このように近代 で違う場所、人から生まれたこの 2 つのイメージは今日まで根強く残っている。 学校の普及 では、なぜ中世ではなかった子どもという意識が近代では生まれたのだろうか。 そこで大切なのが家族意識である。アリエスは「十六世紀から十七世紀にかけて、こうし て迸り出る家族意識は子供期の意識と不可分である。私たちがこの本の最初に分析した子 供期に向けられた関心は、このさらに普遍的な意識である家族意識の一つの型態、一つの 個別の表現にすぎない。」(330p)と言っている。つまり、中世から近代にかけては、子 どもという意識と家族意識は切り離して考えることができないのでる。 家族意識を持つ近代的家族とはどのように生まれたのかについて、アリエスの論をベー スに他の論を交えて述べていく。 「はじめに中世および近代における教育の担い手の比較を してみたい。まず中世の社会では、教育機能を持っていたのは家庭や学校ではなく、徒弟 修業や家庭奉公であった。十五世紀までの中世ヨーロッパでは、子供が七歳になると徒弟 や家庭奉公として他人の家に送り込まれ、一方であかの他人の子供たちを自分のところで 受け入れるのが一般的な習慣だった。」(小熊)そうすることで礼儀作法や仕事を覚えるの であり、自分で生活をしていくということである。 「教育はすべて見習い修行によってなさ 5 れていた。こうした見習いによって、ある世代から次の世代へ直接に伝授がなされていた 時代には、学校の占める余地は存在し得なかった。 (中略)大部分に共通する慣例は見習修 行だったのである。このように、ある世代から次の世代への伝授は、子供たちが大人の生 活に参加することで保証されていたのである。」 (小熊)つまり、 「日常生活においては仕事 をとおしてつねに、子供たちは大人たちと一体になっていた」(345p)である。 また、ここでは自分の子供を早くから他人の家に送り出す。自分の生まれた家族から離 れるということである。後に大人になって自分の生まれた家に戻ることはあっても、全員 がそうだとは限らなかった。したがって、この時代の家族は、親子の間で深い実在的な感 情、つまり愛情や絆を培うことができなかったとアリエスは述べている。 しかし、15 世紀を起点に子供たちの教育は、学校に行く人びとの範囲が拡大されたこと によって見習修行から学校へと移っていったのである。そうして、子どもから大人への過 渡期の社会的な手ほどきの通常手段となっていった。学校は大人の世界から隔離し、大人 たちの誘惑に抵抗するように若者を仕込もうという考えにも、自分たちの子どもを出来る 限り自分たちのもとに置いておきたいという親の欲求にも一致していた。これはつまり、 「かつては分離されていた家族と子供たちの接近を、すなわち家族意識と子供期の意識の 接近」(347p)を表わしていた。そうして家族意識として、家族は子どものことを思い、 感情的な交流が深まるようになるのである。 地域との関わり しかし、学校教育が普及し子どもが家庭に戻っただけでは近代的家族の発生に十分では ないとし、その近代的家族の発生のもう 1 つの理由として同じ論を参考にして挙げたい。 その理由は、中世では「地域共同体において、旧来の社交の形態が全面的に存続している からである。これは、中世の家族が共同体に対して開けているということである。中世の 共同体においては、職業生活、私生活、社交ないし社会生活の間に区別が存在しなかった。 家族は生産組織であると同時に、友人や取引相手との重要な社交場でもあったのだ。夜中 まで友人が家を訪問しているといったじたいが頻繁にみられていた。また、 (中略)徒弟や 家庭奉公も同居していた。 (中略)これらを踏まえると、中世社会には家族のプライバシー という発想は存在しなかったと言える。社会的に密であったために、家族の占める場所が 存在しなかったからだ。以上のように、家族は共同体で独立して存在していたのではなく、 あくまで地域の一部であったのである。 しかしながら、その地域の社交性も近代化の中で徐々に失われていくことになり、家族 6 は共同体にたいし、閉じた存在になる。十八世紀以後、家族は社会とのあいだに距離を置 き始め、社会をそこから押し出すようになる。人びと、社会生活、職業生活、私生活をそ れぞれ分離させるようになるのである。(中略)加えて、自分たちの家から奉公人や顧客、 友人たちを遠ざけた。そして、親子だけの私的空間において家族は私生活をおくるように なったのである。こうして家族は友人、顧客、奉公人たちに絶えず介入され世間に開かれ ていた十七世紀以前の家族ではもはやなくなり、 「近代家族」となったのである。近代家族 は血縁関係にある者だけから構成され、情緒的結びつきを持つ。これは中世の家族と比較 すると大きな相違点である。」(小熊) 以上のような経緯で近代的家族は生まれた。つまり、子どもは親、あるいは大人にとっ て重要であり自分たちで守り教育すべき存在となっていったのである。この考えは、元々 決まっていた考えではなく、今述べたような近代的家族が生まれることによって 子ども という意識が生まれたのである。 1‐3 ニール・ポストマンによる解釈 また、アリエスが 1963 年に『<子供>の誕生』を書いた 20 年後の 1982 年にニール・ ポストマン²⁾によって書かれた『子どもはもういない』の中でもアリエスと同じように中 世で子ども期が存在しなかったと考え、理由を挙げている。 「読み書き能力が欠けていること、教育という観念がないこと、羞恥心がないこと―こ れらが、中世に子ども期という観念が存在しなかった理由である。」(ポストマン『子ども はもういない』33p)読み書き能力が欠如した理由として「文字の複雑化、紙資源の枯渇、 ローマ教会の権威維持手段(知識人の独占)が挙げられる。そして、その結果、中世世界 は読書のない世界に立ち戻った。読書のある(というよりもむしろ必要とされている)世 界には、子供と大人の間に明確な差が存在する。それは知識の差である。 (中略)大人と子 供は混在し、口頭のコミュニケーションで教養(現代の水準から見れば程度が低いかもし れないが、恐らくはそれで十分であったろう)を身につけていくし、専門的な知識につい ては、例えば職人ならば、親方から学んだであろう。」 ( 「子供」という概念)教育という観 念がないことは「段階化されたプログラムの欠如、難易性のちがう学問を同時に教育して いたこと、さまざまな年齢の生徒・学生が一緒にされていたこと、それに生徒の放任」 (ア リエス『<子供>の誕生』140p)とアリエスが言っているように、「つまり、中世世界に は、子供の(特に、年齢に平行した)段階的発達という概念が存在していなかったのであ 7 り、したがって、「移行期」を設けるという観念も希薄であったということである。」(「子 供」という概念) 上の 3 点を復活させ、子ども期を誕生させたのは、活版印刷の発明・発展であるとポス トマンは強調している。印刷技術は読むという機会を大衆に与えた。そして、そこから自 分を考えることによって人間の価値や個性を発見することとなった。 「印刷技術の発明以後、 生きる術の大部分が、読み書きできる能力に依存しはじめた。社会的に生きるとは、文明 化された社会の中で文明のあらゆる恩恵に預かって生きることであり、そのためには知識 を身につける必要があった。印刷された書物は、その宝箱であった。また、さまざまな書 類に記入する必要があった。したがって、文字を書くことができなければ、話にならなか った。子供は大人予備軍として認められた。彼らは、読み書きのできる大人にならなけれ ばならず、そうなるように大人が導かなければならなかった。ここにおいて、段階的な教 育が求められるようになった。学校の再生である。大人たちが子供に知られて困る秘密は、 難しい本の中に閉じ込められた。ここにおいて、何かをじっと読む(それは、教育を受け るということに通じるのであるが)という自制心は、羞恥心に投影されている。彼らは、 大人によって用意された段階的レールに乗って、ものの分別を身につけて行く過程で、自 制心を身につけて行く。」 (「子供」という概念)印刷技術の誕生が読み書き能力、教育、羞 恥心を復活させたのである。ここでわかるのは、教育する場という意味で学校の成立が 3 点を復活させたということである。つまり、学校が子ども期を確立したと言っても良いの ではないだろうか。 1‐4 子ども という概念 アリエスもポストマンも言っているように今日使われているような意味での 2 つの ども 子 という概念は中世にはなく、近代になって生まれたものである。しかも、それは学 校に通うようになったこと、親と一緒に暮らし関心が向けられるようになったことによっ て生まれた。ここで注目したいのは、 子ども という概念は大人が認識してはじめてでき るものだということである。つまり、大人との違いが子どもの特殊性として考えられ、常 に大人からの視線によって作られたり、変化していくということなのである。だからと言 って大人の方が主だということではなく、 大人 もまた子どもによって考えることができ るし、2 つはそれぞれがあるからこそできた概念だということである。 また、もう 1 つ私が強調したいことは、子どもは「小さい大人」ではなく、 子ども と 8 いう 1 つの独自の存在だということだ。確かに大人とは常に関係はあるが、付属ではなく、 独立しているのだということである。アリエスは中世では子どもは乳幼児の死亡率が高か ったことで、死ぬことがあってもまた産めばよいという考えだったと言っている。それは、 子どもはほとんど物のように考えられていたと言ってもよい。大人が基準だったから子ど もは無能だと考えられていた。見習いや奉公などの職場では仕事をするということであり、 仕事でできるのかできないのかが決まる。つまり、子どもは役に立たない、まだ未熟であ る「小さな(劣った)大人」というふうに考えられていた。それが中世の子どもの捉え方 である。しかし、近代からはそうではなく子どもは 子ども という 1 つの大人とは違う 存在だということである。 1‐5 大人と 子ども 当たり前だが、子どもは大人と違う。そこで大人はとはどういうものか、子どもとはど ういうものかということについて考えていきたい。大人と子どもの違いはさまざまなもの がある。その中で後者の子ども観には、1 つの子どもイメージが共有されていることに注 目したい。それは、大人と子どもの違いは、大人にはいつも責任がつきまとうということ であり、子どもにはそれがなく、自由だということである。それは子どもが社会に無力だ ということとは関係のない、言わば 非 責任性である。私がここで言う責任とは社会に 対しての責任を指す。大人は社会に属するものであり、集団に属している。逆に子どもの 自由とは社会に属さない、個人の世界だということである。 以上のように 子ども には 2 つの見方がある。それは単純には表せないが、1 つは大 人を完成として見て、子どもを未熟で幼いとする見方である。一方、子どもは子どもであ るとし、独自の存在であると見る見方がある。そして、どちらの見方に人間の本質がある と言えるだろうか。それは後者の見方である。後者の見方には人間存在としての充実した あり方を見るという文化的な傾向もあり得るだろう。私たちの日本文化ではこの見方の方 が強い。しかし、西洋においてもこれが大切だとされていることは、アリエスの研究を通 しても推察することができるであろう。 後者の見方における 子ども とはどういう存在のこと言うのか。例えば、ある会社に 勤める大人がいるとする。その人を他人に説明するときどうするか。顔の特徴や年齢など の他に仕事は何をしているか、大学は出たのかなど肩書きについても必ず説明するのでは ないか。また、それがその人の主な特徴になっているということも少なくないのではない 9 だろうか。では、子どもの場合はどうだろうか。年齢などの他にはその子の性格について 説明されるのではないだろうか。例えば、この子は活発である、明るい、おとなしいなど その子の人間性のようなものを挙げるのではないだろうか。これは大人が社会から見てど うであるかということに対して、子どもはあくまで個人個人であるということである。大 人は成長するにしたがって規則が増えていく。社会から見られ、社会のための存在になっ ていってしまう。子どもはそういうものとはまだかけ離れている。子どもは社会にとらわ れず自由な存在である。 では、自由で個人の世界とはどういうことだろうか。灰谷健次郎さんの『砂場の少年』 という小説の中に「自由はすべての人間にあるもので、他者が与えるとか、許すとかいう ものじゃないと思う。何かの本で読んだのですが、自由というものは、例えば人を殺す自 由もあるんだと…(中略)人を殺す自由もあるが、ほんとうに自由の意味を理解している 者は、決して人殺しなどはしない」(273,274p)という部分がある。これは大げさな言い 方かもしれないが、自由という言葉の核心に近い言葉ではないだろうか。子どもがほんと うに自由の意味を理解しているから人殺しをしないというわけではないと思うが、事実子 どもは人を殺したりはしない。私たちは人を殺してはいけない、そんな自由はないと社会 に訴え、他人に言う。それが社会のルールであり、規則だと言う。しかし、自由で個人の 世界はそれらかも自由である。人を殺すという考えを持つことがない。言ってみれば何も ないという世界なのかもしれない。自分というものがいなければ存在しない世界=個人の 世界ということになるのである。そして、自分があってはじめて存在し、そこから自分で 考えて行動することが自由ということなのではないだろうか。つまり、 子ども とは身体 的な部分で物事を大人のようにこなすことは無理だが、自分で考え、自分の考えによって 行動することができる自由な存在である。 2章 次に 遊び という概念 遊び という概念について考えたい。遊びも子どもと同様で 2 つの相反するイメ ージがある。1 つは、遊びをなくなってもいいけれど、あった方がよいという意味。ある ことをするために必要なことのための余裕として考えられる。例えば、帯に遊びを持たせ ると言えば、ゆるく、余裕を持たせることである。遊びを補足的なものとして捉えられる 捉え方である。 しかし、もう 1 つは遊びを 1 つの目的として成り立っていると考える。例えば、海外や 10 J リーグで活躍するサッカー選手や、売れている歌手。サッカーをすることや歌を歌うこ とは本来遊びである。しかし、彼らはそれが仕事となっている。遊びなのかと仕事なのか 区別がつかないのである。つまり、遊びは遊ぶというそれ自体の目的のために行われるも のであると捉えられる。 これからは後者の 遊び を社会に取り入れることが大切である。以下、ホイジンガ³⁾ 著書『ホモ・ルーデンス』を整理しながら、考えていきたい。 2‐1 ホイジンガの 遊び の特徴 後者の意味である、遊びがそれ自体の目的のために行われるということ。それは、つま り他の目的を持たない、遊びは遊びの中で完結するということである。この考えはホイジ ンガから生まれた考えであり、それ以前は全く異なった考えであった。 ホイジンガ以前の遊びの解釈は、 「遊びの起源、基礎は、あり余る生命力の過剰を放出す ることである」、「人間が遊びをするのは、先天的な模倣本能に従っている」からである、 「遊びによって、緊張から解きほぐされたいと願う欲求を満足させたり、実生活がやがて 要求してくる真剣な仕事のための練習をしたりしている」、「遊びを克己、自制の訓練とし て役立てている」、「遊びの原理を、ある事をしでかしてみたい、何か事を起こしてみたい という先天的な欲望のなかに求めたり、他人の上に立って支配してみたい、人と競争して みたいという欲望のなかに探ったりしている」、「人間に有害な衝動を無害化する鎮静作用 であるとか、人間の行動があまりに一方的に偏ったときに起こるやむをえない補償である とか、現実の中では満たされなかったさまざまの願望をフィクションによって満足させる ことである」。 (ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』p17(以下頁のみ))など実にさまざまで あった。その中でホイジンガは 1 つの共通点を見つけた。それは「遊びは遊び以外の何も のかのために行われる、遊びとはある種の生物学的目的に役立っている、という前提から 出発している」ということである。つまり、 「なぜ遊びは行われるのか、何のために遊びを するのかという原因、目的」 (以上 17,18p)について考えている、とホイジンガは述べて いる。これが前者の意味の遊びというのが常に何か他のものに付随している、補足的なも のとして解釈されているということであった。 これに対してホイジンガの考えは、遊びという概念は他の対象を持たず、遊びは 遊び そのものとして考えるというものである。つまり、 遊び は他の目的を持たないという後 者のイメージを作ったのがホイジンガだということになる。しかし、ホイジンガ以前の考 11 え、何かの補足だという意味もなくなることはなく、仕事の合間にリフレッシュのために 遊んだり、運動のために遊んだりすることなど未だに根強い考えである。 その他ホイジンガが考える 遊び を形作る特徴を 5 つ挙げる。 ①<一つの自由な行動>―「命令されてする遊び、そんなものはもう遊びではない。そ れはいつでも延期できるし、まったく中止にしてしまおうと何ら差し支えない。これは個 人の気分・状況により、遊びに参加するもの参加しないのも、それをやめるのもそれを継 続するのも全く自由であることを意味する。これらの意思決定をすべて任意に個人の自由 のもとに行うことができるとき、それを「遊び」を行うと言えるのである。」 (「ホイジンガ の遊び概念と消費者行動」)「成人して生活に責任を負っている大人にとっては、遊びはし なくてもかまわない一つの機能である。遊びは余計なものである。ただ、遊びによって満 足、楽しみが得られるというかぎりにおいて、遊びへの欲求が切実になる、というだけの 話である。 (中略)肉体的な必要から課せられるわけではないし、まして道徳的義務によっ て行われるものでもない。それは仕事ではない。暇な時、つまり「自由時間」に遊びをす る、ということなのだ。 」(30p)これはつまり、遊びが他の何ものからも独立して、自由 であるということである。 ②<遊びは必要や欲望の直接的満足という過程の外にある。いや、それはこの欲望の過 程を一時的に停止させる。>―遊びは「そういう過程の合間に、一時的行為として割って 入る。遊びはそれだけで完結している行為であり、その行為そのもののなかで満足を得よ うとして行われる。」(32p) しかし、とホイジンガは続ける。遊びを規則的に「繰り返しているうちに、遊びが生活 全体の伴奏、補足になったり、ときには生活の一部分にさえなったりすることがある。生 活を飾り、生活を補うのである。そして、そのかぎりにおいて、それは不可欠のものにな ってしまう。」(32p) ③<完結性と限定性>―「定められた時間、空間の限界内で「行わ(プレイ)」れて、そ の中で終わる。遊びそのものの中に固有の経過があり、特有の意味が含まれている。」(34 p) また、 「遊びにおける時間的制限よりも、より明確なのは遊びの空間的制限である。野球 場、テニスコート、ゴルフ場、ボクシングリング、相撲の土俵、将棋盤、チェス盤、すご ろくの盤、舞台、スクリーン、コンピュータ・ゲーム等の液晶画面などなどにその遊び空 間は限定されている。それ以外にはみ出して、プレイは行われない。」 (「ホイジンガの遊び 12 概念と消費者行動」)つまり、遊びは遊びの中で完結しているのである。 ④<緊張の要素>―この緊張の要素こそ重要な役割を演じているとホイジンガは言う。 「緊張、それは不確実ということ、やってみないことにはわからない、ということである。」 (36p)不確実というのは、結果がわかっていない、それがどうなるかわからない、誰が 勝つかわからないなどの状態のことであり、これによって緊張感が生まれ、高まるのであ る。そしてこの緊張を解こうと努力することによって、遊びは面白さを増していく。 ⑤<固有の規則>―「どんな遊びにも、それに固有の規則がある。それは、日常生活か ら離れたこの一時的な世界のなかで適用され、そのなかで効力を発揮する種々の取り決め である。遊びの規則は絶対の拘束力をもち、これを疑ったりすることは許されない。 (中略) 規則が犯されるやいなや、遊びの世界はたちまち崩れおちてしまう。遊びは終わる。」 (37,38 p) 以上が 5 つの特徴である。これらが 遊び とは自発的に行うものであり、他の目的を 持たず、遊びは遊びという行為のためだけに行われるものであるという 遊び の意味を 形作る一部になっている。 2‐2 遊び の本質 更に、もう少し深く考えてみる。私達は普段草野球を何のためにやるのか、トランプを 何のためにやるのだろうか。頭が良くなるためでもない、何のためでもなくただその遊び をするだけある。つまり遊びとはそういうものではないだろうかと言っている。何か他の もののための利益や欲のために行うものではなく、純粋にその遊びを楽しみたい、そのた めにのみ遊びは行われるのである。ホイジンガはこのことを「人を夢中にさせる力のなか にこそ遊びの本質があり」(19p)、面白さこそが遊びの本質であると言っている。これに 私は全く同感である。人が夢中になる、そこには理由はないし、理屈でもない。また、面 白さが遊びの本質あることをホイジンガはオランダ語を用いて説明している。オランダ語 の「aardigheid(アールデイヒヘイト) (面白さ)」のもとになっている aard は、ドイツ語 の Art に対応し、あり方とか、本質、天性という意味である。つまり、 「面白さ」とは本質 的なものだということであり、それ以上根源的な観念に還元させることができないもので ある、ということを証明している。ホイジンガは面白さというものは「どんな分析も、ど んな論理的解釈も受けつけない」 (19p)とし、意味を考えずに受け入れるものということ であると言っている。 13 これは考えてみれば単純なことである。私達が遊ぶ。例えば、テレビゲームやトランプ、 鬼ごっこやかくれんぼ、または野球やサッカーなど遊びは実にさまざまあるがそれらはど れもやる本人が面白い、楽しいということで共通している。その遊びをやっているのは面 白いからである。もし、テレビゲームを面白くないと感じる人ならそれはやらない。言い 換えれば、その面白さや楽しさのために遊びを行っているということではないか。そして、 その面白さなるものが遊びの本質なのである。遊びの本質のために遊びをやる。それがつ まり遊びが遊びの中で完結するということであり、遊びは単独で他の目的を持たないとい うことである。 2‐3 仕事と 遊び 次に仕事と比較して考えてみたい。私たちにとって遊びは仕事の合間にあるものであり、 リフレッシュするものと考えられている。遊びは楽しむため、仕事は例えば、会社の利益 のためや社会を良くするため、お金を稼ぐためなどの理由でやる。遊びと仕事は対極のも のと捉えられることが多い。仕事は今挙げたような理由で行う。決して遊びのようにそれ 自体が目的ということではなく、社会のためという他の目的を持っている。仕事は社会の ためであるが社会は仕事のためというわけではない。遊びは遊びのために行う。そういっ た意味でも仕事と遊びは対極にあると言っても良い。他の目的のために何かをするのでは なく、ただそのためにやる、それ自体が目的だということはなかなかない。しかし、私た ちはそうでありたいと思っている。そしてそのことと、遊び(面白さを味わい)たいから こそ遊ぶということをやめないのではないだろうか。 単独で他の目的を持たないということは、1 章で述べた 子ども と似た部分がある。 それは子どもも遊びも社会にとらわれていないという点である。子どもは自由で個人の世 界であり、遊びは社会など何か他の目的ではなく、ただ遊びのために行われるからである。 3章 子どもの遊び から考えるこれからの社会 1 章と 2 章において 子ども と 遊び について論じてきたが、ここで整理すると 子 ども は自分があって、自由だということであり、 遊び はそれ自体のために行われる、 他の目的を持たないということであった。そこで私はここからは、 子ども と 遊び の 両方の要素を持つ 子どもの遊び について考えていきたいと思う。 14 3‐1 子どもの遊び それでは 子ども と の社会的意味 遊び からなる 子どもの遊び とは一体どのような要素を持 つのだろうか。そもそも子どもはなぜ遊ぶのかという根本的な疑問についてここで少し考 えてみたい。子どもは身体が小さく、未熟で私たちのようにはできないことが多い。遊ぶ ということも子どもにとって、できないことであることが多いだろう。しかし、それでも 子どもが遊ぶことをやめたりはしない。それは、できないことをやったり知ったりするこ と、それが楽しいと感じるからではないだろうか。なぜそれが楽しいのか。それは遊びを 経験 しているからである。経験とはそれによって学び、自分が変わるということであ る。つまり、子どもは遊ぶことによって学び、変わっていっているのである。だから楽し いのである。経験できるということ、それは しかし、それ以外にも 子どもの遊び 子どもの遊び の持つ要素である。 の要素はある。そしてそれは、私がここで重要 だと考える要素である。今の私たちは社会のために生き、それに従っている。それは多少 は仕方の無いことで、変わらないものだと思っている。しかし、それは感情を無くしてし まいはしないだろうか。そうであるとするならば、 子どもの遊び は全く逆の性質を持つ。 子どもの遊びは他の目的のために生きたり、行ったりはしない。ただそれ自体のためだけ に行う。自分で考え、そして行動する。それはどういうことか。それはつまり 子どもの 遊び とは、より人間らしいものであり、生き方ではないだろうか。1‐5 で述べたように 人間としての充実したあり方ということである。自分の考えに沿った行動ができる、それ は単純なようで難しい。 もう 1 つのポイントは自由であるということである。それは 子ども と 遊び それ ぞれが自由であるということでもある。それぞれの自由であるということはどういうこと だろうか。 子ども が自由であるということは、それが個人の世界、社会に属さないから 自由ということである。それはつまり 子ども という「存在」として自由だということ である。 遊び が自由であるということは、それが他の目的を持たず、それ自体が目的だ から自由ということである。他の目的を持たないということは社会に対する目的、役割が ないということであり、その 子どもの遊び 遊び という「あり方」として自由だということである。 はこの 2 つの自由を含んでいる。さらに、この両方の自由から考え得る ことは、先に述べたように 子ども と 遊び は社会にとらわれていない、つまり社会 から切り離された存在であるということである。つまり、言い換えれば び のこの重要な要素を含んだものが 子どもの遊び 15 子ども と 遊 と言えるのである。つまり、あら ゆる制限・規則・目的からも自由な行為であると考える。 3‐2 子どもの遊び 子どもの遊び の特性 は人間の本質であり、あらゆるものから自由である。それを踏まえた 上で、そこからさらにもう少し 子どもの遊び 考えるかと言うと、それは、もしこの について深く考えてみたい。どのように 子どもの遊び という要素を社会の中に置き換え るとどうなるのかということ、 子どもの遊び の要素は社会に対してどういう意味がある のだろうかということを考えていく。 私は、人が成長するというとき意味が生まれるのだと考える。 成長 とは広辞苑による と「①育って大きくなること。育って成熟すること。②俗には発育と同じ意味で用い、生 物学では生体の量の増加を指し、形態形成あるいは形態変化に対していう。」とある。つま り、子どもの成長とは一般的に身体が大きくなり、身体的に大人になるという意味に捉え られる。ここでは 子どもの遊び について論じているのだから、当然 子どもの遊び による成長について考える。 子どもの遊び によって成長するとは、子どもが遊びの中で 成長するという意味であると考えたとする。そうすると子どもが大人に成長することが身 体のことだけではなくなってくる。社会のルールを知っていくことによって社会的に成長 するという意味が存在してくる。社会に出て行く上での規則を学び、責任を負っていくこ とで大人になっていくという意味での成長である。これも一つの成長であり、子どもの成 長である。しかし、今ここで私が考える成長とは、この社会的な成長ではない。むしろ、 ここでは間違った成長であると考える。なぜなら、これは ではいないからである。自由であるはずの 子ども ることであり、他の目的を持たないはずの 遊び 子どもの遊び の要素を含ん が自由を捨てて責任を持つようにな が規則を学ぶためという他の目的をも ってしまうことだからである。 社会的な成長は、あらゆるものから自由であり、人間の本質であるという び の要素を含まない。では、私がここで言いたい 子どもの遊び 子どもの遊 という要素が成長に おいて意味を持つ場合とはどんなときか。それは、遊びがより遊びらしくなる、子どもが より子どもらしくなれるような成長をしたときではないだろうか。それはつまり、遊びの 中で子どもが成長するときに、 本質 もの遊び により近づくような成長をすることである。 子ど の自由は、社会にとらわれないということであり、本質とは物事を見るとき人 間としての充実というあり方から捉えることができるということである。本質を捉えるこ 16 とができるとは、自分で質を変えることもできるということである。これはどういうこと か。 例えば、野球やテニス、ドッジボールなどのスポーツである。テニスをするとして、ラ ケットでボールをコート内の相手に打って、返してをただ繰り返すとする。それは単調だ と感じられるだろう、あるいはもっと上手くなりたい、何とかして相手より多くコートに 入れたいと思うだろう。それにはもちろん自分で努力することが大切になってくる。何千 回とボールを打つことにより正確にコートに入るようになったり、そうすることではじめ は強く返して次は弱くといったような作戦ができてくる。これはつまり、テニスをすると いうことの面白さの質が上がったということである。自分で質を変えることによって、よ り楽しむことができるようになったのである。また、面白さを追求するということは、遊 びの本質に近づくことである。ただそのこと自体、ただテニスをしたいということのため に作戦を立てる。つまり、作戦を立てることによって面白さが増す。それは、人間の存在 としての充実に、より近づこうとする行為に他ならないのである。作戦を立てるという行 為は質を変え、人間の本質に近づいた。それはつまり、 子どもの遊び の要素を持つ成長 をしたということである。それが社会において意味のある 子どもの遊び の要素である。 また、これはスポーツに限ったことではない。これは仕事というものの中にもあり得るこ とである。そのことについて次節で詳しく述べていきたい。 3‐3 子どもの遊び =大人の仕事 という時代 ただそのこと自体のために、自ら考え出すこと、これは創造である。前節で述べたよう な自分でテニスが上手くなりたいと思うが故に作戦が生まれる、それは創造である。そし てその創造は人間の存在としての本質に近づくものである。 子どもの遊び は社会にとらわれていない、つまり社会とつながりは持たない。しか し、 成長 というときに 子どもの遊び の要素を持つものが存在する。その 成長 と は、成長するときに本質により近づくような行為・成長をすることである。また、それは 創造が生まれるときでもあると言える。そう考えるならば、創造もまた の要素を持つ場合があり、その 子どもの遊び 子どもの遊び の要素を持った創造が社会とつながるこ とがある。それはどんなときだろうか。 遊びは 2 章で述べたように何か他のためにということがない。それ自体を目的としてい る。仕事とは対照的で、仕事は社会のためという他の目的を持っていると述べた。しかし、 17 この遊びの要素は仕事と関係する場合がある。それは芸術の世界である。芸術は遊びの究 極である。自分の作りたいものを作って、ただその作品のためだけに作り、真剣な努力を する。例えば、陶器を作る人は陶器を作りたいから作り、自分で面白いと感じるから作る。 そしてそれを繰り返している。しかし、それを評価して欲しいと言って値段をつける人が いたらそれは商品となり、それが売れれば商売となる。仕事となるのである。そこで重要 なのは、本人は仕事として考えていないという点である。本人は社会やお金のために陶器 を作っているのではない。あくまで他人が他の目的をつけているだけである。芸術は新し いものを創り出す創造の世界である。つまり、創造には他の目的が存在しなくてよいわけ である。 では、芸術の部分にだけ 子どもの遊び ではなく、私がここで述べたいのは の要素があればよいのだろうか。それはそう 子どもの遊び という要素の方が実は本質であり、 社会の在り方こそが 子どもの遊び の要素を含むものであってほしいということである。 子どもの遊び の要素が実は社会や大人に必要なものであり、これからの社会に生かす ことを考えることが重要であると考える。 大人の仕事 それは、社会が芸術になればいいというわけではない。仕事にこの 子どもの遊び の 要素を取り入れていくようになればいいのである。例えば、新商品の開発である。新商品 を一度作り始めると、その作業は仕事というものになる。枠ができ、次はこうする、より 売れるようにという他の目的ができるわけである。しかし、その商品を考え出すときには 枠があってはいない。自由に、ただ作りたいものを作るということができることが大切な のではないだろうかということである。 ①テレビ(オトナゴコロ) テレビ朝日で日曜の昼間の毎週 11 時 45 分~11 時 50 分に「オトナゴコロ∼こだわり my Life∼」という番組が放送されている。この番組は「団塊の世代と言われた「ミドルエイ ジ」たち。セカンドライフを迎える彼らに自分の時間/空間を、自分の望む形で自由に使う、 様々なライフスタイルを提案していきます」 (テレビ朝日 番組表内検索)と書かれており、 毎週のゲストがそれぞれの自分の自由で楽しい部分のライフスタイルを紹介するという形 で進行される。私が見たのは、2005 年 1 月 16 日の回で八谷和彦さんという人の回だった。 その日の番組内容は HP によれば八谷和彦さんという人はポストペットを開発した 38 歳、 18 ソフト開発会社代表取締役である。そこに彼の言葉が載っているが、それは「世の中にま だ無いものを作るのは本当に楽しいですね。」という言葉である。彼には、仕事に 子ども の遊び の要素がある。また、番組中に空飛ぶスケートボードの映像が流れていたが、そ れは映画を見て思い立って本当に実際作ってしまったらしい。そこには、映画で空飛ぶス ケートボードを見て作りたい、それを実際に見てみたいという気持ちしかない。物を創造 している。確かに彼は創造しているのだから、芸術家といってしまえばそうかもしれない。 しかし、彼は代表取締役という立派なビジネスマンである。これは仕事を超えて社会とつ ながることができたということである。 ②テレビ(NEW DESIGN PARADISE) また、毎週木曜深夜 0 時 35 分∼1 時 5 分にフジテレビで「NEW DESIGN PARADISE」 という番組が放映されている。この番組のテーマは物のデザイン。 「デザイン」を地球に残 された最後の資源だとし、「「デザイン」を入り口に、人類のさまざまな文化を読み解いて いく、まさに新しいスタイルの知的情報番組です。新しさの核となるのは・・・デザインの分 析→デザインのリセット→デザインの再生 つまり、既存のデザインを分析した上でそれ を一旦白紙に戻し、全く違う観点から新しいデザインを作り上げてしまうのです。」 (「NEW DESIGN PARADISE」HP )どのように番組が構成されているのかといえば、俳優の谷 原章介さん進行のもと「まず、 「ある物の形がなぜ現在のデザインになったのか?」 「いつ、 どこで、誰が、何のためにデザインしたのか?」を分析。そして、従来のデザインをリセ ットし、さらなる可能性を見出すべく新しいデザインを作り上げます。その インを生み出す 新しいデザ という重要任務に挑むのは、谷原が信頼する現在活躍中のクリエーター 陣。毎回多才で、多彩な強力なクリエーターを招き、奇想天外な発想でデザインを追及し ます」 (「NEW DESIGN PARADISE」HP)。毎回違うテーマが決まっていてるが、私が見 たのはゴミ箱というテーマの日だった。 ここで 1 つ注意したいのは、この番組はテーマというものがあるので、ゴミ箱ならゴミ 箱という枠ができてしまって自由とは言えない。その点で 子どもの遊び の要素を全て 含んではいない。しかし、私がここであえて挙げたのは、このテーマという枠を考えなか ったならば、そこに 子どもの遊び の要素があるといえるからである。ゴミ箱というテ ーマ以外は全て自由に自分で考えて作ることができるのである。ゴミ箱のデザインを考え たのはグラフィックデザイナーの佐藤直樹さんという人で、実際ゴミ箱のデザインをした ものを見てみると、それは缶用のゴミ箱であったが、今までにないアイデアのあるゴミ箱 19 である(図①)。缶を入れることによって中を転 がって一つの作品のように仕上がっている。ゴミ 箱は汚いというイメージをなくして、中を見せる ことでより一層美意識を高めるという効果もあ る。このゴミ箱のデザインが 子どもの遊び の 要素があるというわけでは決してない。例えばゴ ミは汚い、ゴミ箱はゴミを入れるなどにとらわれ ることなく、そこは自由に考えることができるという点において、これは 子どもの遊び (図①) を含んでいる部分があるということなのである。これも創造を通して社会とつながってい る。ちなみに、このデザインは他にもさまざまなものがあり、うちわやカレンダーから横 断歩道やポストなどもある。①や②は、仕事という枠を超えて 子どもの遊び の要素で 社会とつながることができている例である。 ③映画( 『今を生きる』『遠い空の向こうに』) さらに 子どもの遊び の要素を持った映画を 2 つ紹介し、 子どもの遊び の要素と社 会をつながりを持たせたとき、その主人公はどうなったかについて比較したいと思う。映 画は『今を生きる』と『遠い空の向こうに』の2つである。それぞれのあらすじを簡単に 説明すると、 『今を生きる』は、全寮制の厳しい規則に縛られた名門校に一人の英語教師が 赴任してくる。そして、その先生の知識だけを身につける教育とは違う、人間的な教育を していく。そして、その型破りな授業によって生徒と交流していくという話。 『遠い空の向 こうに』は、ロケット作りに魅せられた主人公の高校生が周りに支えられながら、しかし (図①) 父親に反対されながらもその夢を追いかける姿を描いた話。 この 2 つの映画の 子どもの遊び の要素は、 『今を生きる』では教えるということであ る。主人公である先生は詩の授業を行うが、教科書に書かれている詩の定義のページを破 るように生徒に言う。詩は形にこだわるものではなく、自由なものであると言っている。 先生のいう詩を教えることやこの先生の存在が 子どもの遊び の要素を持つものである。 『遠い空の向こうに』ではロケット作りである。これは炭鉱かフットボールかしか選択肢 がないところで、主人公は夜空に見た人工衛星によってロケット作りを始める。これは主 人公が自分で新たに選択肢を見出し、ただロケットを作りたいから作る。ただそのために やるという意味で 子どもの遊び の要素を持つ。その 子どもの遊び の要素は社会と 関わりを持ってくる。先生は学校という社会であり、ロケットボーイは家庭や自分の住ん 20 でいる町という社会である。これは 2 つに共通することだが、始めは受け入れてもらえな い。それは 2 人ともそれぞれの社会の常識や規則からは考えられないようなことをするか らである。規則で固められている学校で、形にこだわることはない、自由だと教えること も、炭鉱かフットボールかという社会の中でロケット作りを選ぶことも理解できないこと だった。しかし、2 人は真剣だった。真剣にただやっていた。生徒に馬鹿にされたり、戸 惑われても詩というものの意味、素晴しさを教え続けた。同級生に馬鹿にされ、父親から 反対されても、ロケット作りに失敗しても、ロケットの勉強をしたり、材料のためにお金 を稼いだり、何度も何度もロケットを作り続ける。ロケットを飛ばしたいという思いだけ で続けるのである。それはなぜかと問われても理由はないのである。教えたい、作りたい というただそのことのためだけにやっている。しかし、これらが社会と関わっている以上 何かしら反応はある。その中に、最初は戸惑いであったものが、次第に理解していくとい う反応がある。 『今を生きる』では生徒であり、 『遠い空の向こうに』では町の人々である。 生徒は先生を慕うようになり、詩の集まりも始まる。町の人々はロケット作りを応援する ようになる。これは社会に属していた人々が、 子どもの遊び の要素を持つ社会に属さな い人をそのまま受け入れたということではないか。むしろ、それを良いと判断し の遊び 子ども の要素を自分たちの社会に取り入れようとする方向に行く。もちろんそれを非難 し、変わることを許さない存在もある。 『今を生きる』では学校の上に立つ人間であり、 『遠 い空の向こうに』は父親である。 この 2 つの話には、事件がいくつか起こる。それが 2 つの違いになってくる。 『今を生き る』ではある生徒が自殺をしてしまい、その責任は主人公である先生にあるということに なる。そして、先生は学校を辞めるように言われる。先生を辞めれば教えることができな くなる。『遠い空の向こうに』では、ロケットを打ち上げたせいで森林が火災になったり、 コンテストで部品が盗まれたりする。火災になったときはロケット作りを中止にさせられ るし、部品が盗まれてはコンテストで優勝できなくなってロケット作りが続けられないか もしれないということになる。どちらも 子どもの遊び をやめなければいけないという ところまで追い込まれる。そのとき、この 2 つに違いが表れる。そして、この違いは両者 を大きく分けることになる。 『遠い空の向こうに』では、火災は自分たちのせいではないと証明し、部品は父親のお かげで新しい部品を作ることができる。つまり、父親に認めてもらうことで社会に もの遊び 子ど の要素を取り入れることができたのである。そしてコンテストでは優勝し、大 21 学への奨学金をもらい、彼は今NASAのエンジニアとなって、宇宙飛行士を養成してい る。八谷和彦さんのように仕事を超えて 子どもの遊び 、創造として社会と関わっている。 しかし、 『今を生きる』では先生は結局誰からも助けられず、自分でもどうすることもでき ずに学校を去っていくことになる。生徒たちは 子どもの遊び の要素のある社会に属す ることができず、今までの規則のある社会に戻っていくこととなってしまう。つまり、先 生はその社会で受け入れられず、関わっていくことができなかったのである。このように 子どもの遊び の要素というものが、何か社会によって変化を求められたとき、特に悪 い変化の場合 子どもの遊び はその属している社会によって扱いが大きく変わってくる。 それは、どういうことか、なぜ先生とロケットボーイはこんなにも違ってしまったのか。 社会がそれを許すか許さないかという社会の中身の多少の違いはもちろんあるだろうが、 この場合 子どもの遊び の要素を持つ人がどういう人かによって違ったということはな いだろうか。私は違いがあったと思う。それは先生が大人であり、ロケットボーイが子ど もであったという違いである。1 で述べたとおり、大人は社会に属する集団であり、子ど もは社会に属さない個人の存在である。先生は 子どもの遊び の要素を持つ大人であり、 ロケットボーイは 子どもの遊び の要素を持つ子どもだったということである。つまり、 先生には仕事として社会の責任があり、結局はその責任から逃れることができなかった、 仕事を超えることはできなかったということではないだろうか。先生(大人)には生徒(子 ども)を守る義務があり、辞めるという責任を取る常識が存在した。ロケットボーイズも 一度はロケット作りをやめざるを得なくなったが、それすらも自らの 子どもの遊び と し、ロケットを作りたいという思いのために、他人からの助言はあったが、またそれをや ろうとした。それが結果、火災が自分たちではないと証明することになったのである。彼 にはロケット作りをやめる義務も常識もなかった。ただロケット作りのことを考えただけ で、証明して続けられるようになったのはおまけのように結果がついてきたに過ぎないの である。言ってみれば、ロケットボーイは単独で は社会の中にある 以上のように 子どもの遊び 子どもの遊び 子どもの遊び だったのに対し、先生 だったとも言えるだろう。 の要素が仕事や規則を超えて社会とつながることができ る。それはつまり、 子どもの遊び が大人の仕事に変わる時代である。サッカー選手や歌 手のように遊びか仕事かの区別がつかないということは、かつては真面目ではなく、真剣 ではないというような悪いイメージだった。しかし、今は物事の核心や創造を示す褒め言 葉になっている。このことから見ても、現代は 22 子どもの遊び が大人の仕事に変わる時 代だというのは明らかではないだろうか。 3‐4 子どもの遊び 子どもの遊び =社会の構造 という時代 の要素を持って社会とつながっているのは前節で述べたような芸術家 や八谷さんやロケットボーイのようなごく一部の人たちだけだろうか。これは商品活動や ビジネスだけに関わることではなく、社会の根本に関わることではないかと私は考える。 そして、今現在の社会に 子どもの遊び の要素の考えは一部だけではなく、社会に広ま ってきていると考える。 例えば、今までの安いものを買って、使っては捨てるというライフスタイルはどうだろ うか。見直されてきてはいないだろうか。その見直しは、 子どもの遊び を通して個人の 活動という形で私たちの生活に関わってきている。 ①プリウスというクルマ プリウスは 1997 年 10 月トヨタから誕生した。<プリウス>とは、ラテン語で先駆けと いう意味で、その名の通りハイブリットカーの先駆けとして誕生した。このクルマの特徴 は、 「動力システムが、ハイブリットであることです。ハイブリットというのは、異種の交 配種、混血という意味で、2つ以上の異なるものを組み合わせたものを表現する言葉です が、プリウスの場合は、ガソリンエンジンと、電気モーターという組み合わせですね。こ のハイブリットシステムは、動力配分機構として、プラネタリーギア(真ん中にサンギア を置き、遊星ギア、外側にリングギアという3組のギアを組み合わせる特殊なギア)を使 っているのが、キーポイントです。つまり、3系列のギアがそれぞれ、発電機(回生ブレ ーキ)、エンジン、モーター=タイヤと連動して、複雑な動きをすべてこのギアでコントロ ー、ルできるようになっています」。(プリウスマニア)エンジンが停止の状態でもモータ ーだけで発進が可能になったり、減速時はエンジン停止のまま発電機を回して蓄電するの が、そのままブレーキになったり、無駄なエンジンを使わなくて済むようになったという ところだ。また、「世界最高レベルの低燃費と超‐低排出ガスレベルを達成するとともに、 リサイクルへの対応や環境負担荷物質を低減するなど、世界トップレベルの環境性能を追 求しました」。(「TOYOTA∼プリウス∼」コンセプト―アウトライン) このようにトヨタは環境にとことんこだわるといった形のクルマを発売した。しかし、 プリウスには 1 つ問題があった。それは車体が小さい割に値段が高いということだった。 23 全長 4.3 メートル、全幅 1.7 メートル、高さ 1.5 メートルで 225 万 7 千 5 百円だった。な ので、当時は、いくら環境にいいからといって高ければ売れないだろうという見方が強か った。地球全体の環境を見直そうとはしないだろう、自分が買うのに安ければよいという 考えだろうと思っていたのだ。それは自分では何もしない、自分からは行動しないという 意味である。しかし、トヨタの HP には「今日のクルマ社会の進展を見ますと、その環境 負荷軽減が必須との思いを強くします。私は、クルマの環境対応には、ハイブリットカー の普及が現時点では最も現実的かつ有効な方向であると確信して」 (「TOYOTA∼プリウス ∼」コンセプト―フロムザチーフエンジニア)いる、とある。では、実際はどうだったか というと、予想を裏切ってよく売れたのである。高いのに売れた、これにはプリウスとい うクルマの環境面以外の要因ももちろんあるとは思うが、環境、エコロジーに関心がある と考えても良いと思う。しかも、それが個人個人の行動に表れたのである。環境問題なん て他国のこと、遠い未来の話といって見過ごす時代ではもちろんないし、まあ知ってはい るし、関心はあるけれどどうしよう、何かやってくれるのを待っていようという時代でも なくなっている。自分が自ら、何が大切なのか、どんな選択肢があるのか、考えて行動す るようになってきたのである。 他に有機農業もそうだ。有機農業で作られた有機野菜は無農薬・低農薬だといわれてい る。有機野は通常の野菜の値段より高い。中には一般品より 2~3 倍になることもある。し かしあえて有機野菜を買う人が増えている。値段は高くても売れている。それはお金より も大切なもの、そこに人間としての本質があると考えているからではないだろうか。 ②スマトラ沖地震被害への民間募金 この①であげたような行動はつい最近にも見られた。それは 2004 年 12 月 26 日午前 8 時(現地時間)におきたスマトラ沖地震の津波被害の募金においてである。その募金額は 今までにないほど多くなった。主な国の支援表明額は、オーストラリア 8 億 1550 万ドル、 ドイツ 6 億 6000 万ドル、日本 5 億 4000 万ドル、米国 3 億 5000 万ドル、ノルウェー1 億 8190 万ドル、英国 1 億 4000 万ドル、イタリア 9500 万ドル、中国 8300 万ドル、韓国 5000 万ドル(1 月 11 日付=ロイターによる)。このように国からの支援も非常に多かったが、 ここで私が特に注目したいのは国民からの募金である。この国民による民間募金は、政府 の支援に勝る勢いである。その例として民間募金に関する記事をいくつか紹介する。 「英民 間募金、50億円に 津波災害で29人死亡―【ロンドン31日共同】英BBC放送は3 24 0日、スマトラ沖地震被害への民間募金の総額が2500万ポンド(約50億円)に達し たと伝えた。一方、英政府は支援額を当初予定の1500万ポンドから5000万ポンド に増額した。募金団体のウェブサイトや電話に援助の申し出が殺到し、つながりにくい状 態になっているという。英国人は津波災害で29人の死亡が確認されている。」(西日本新 聞) 「民間募金も19億ドル突破 欧米中心に過去最大支援―【ロンドン12日共同】スマト ラ沖地震の津波被災国への復興支援閣僚級会議で表明された7億1700万ドルの公的支 援と別に、民間の寄付が欧米諸国を中心に拡大し、ロイター通信によると、既に19億ド ル(約1960億円)を突破。まだ集計に含まれていない国もあり、民間でも過去最大級 の巨額支援となりそうだ。 「国民の善意がここまではっきり表れたことはなかった。」ス ウェーデン赤十字の広報担当者はAP通信に対し、通常なら集めるのに1年間かかりそう な2億3200万クローナ(約35億円)の募金が、約1週間で集まったことに驚きを示 した」。(livedoor NEWS) このように募金や他国への支援を国任せにはしていない。他国で起きたことという認識で はなく、今は自分がいつ被災者、被害者になるかわからない時代である。だからこそ、今 自分でできることはしたいと人々は考えるようになったのではないか。国・政府がやって くれるからいいや、ではなく、私が何かしたい、自分で助けたいという気持ちの表れでは ないか。国や政府の集団単位ではなく、個人単位で物事を考えるようになってきている。 そして、考えるだけでなく、クルマを買うことや募金をするといったように自分で行動す るようにもなった。 私が考える 子どもの遊び とは物事を本質から捉え、自由で何事にもとらわれず行動 に移ることである。その意味では、企業の在り方を根本から見直すこともその 1 つである し、政治活動にとらわれない個人の活動もその一部である。 人間には何が本当に大切なのかその本質、生きることや面白い、楽しいといった人間の 存在における充実感を追求すること、これを私たちはこれからの社会の中で考えて行動し ていかなければならない。 おわりに 私はこの 4 年間脱産業化社会と広告やメディアのあり方や社会責任について学んだ。こ 25 れからの社会に出て行くにあたって、この 子どもの遊び という考えは。そして、何よ りこの考えが私だけでなく、他の人がこれからの社会を考えるにあたって役に立つもので あることを願う。 26 <注釈> 1) フィリップ・アリエスの略歴をここで紹介しておく。1914 年ロワール河畔の プロワで、カトリックで王党派的な家庭に生れる。ソルボンヌで歴史学を学び、 アクション・フランセーズで活躍したこともあったが、1914-42 年占領下のパ リの国立図書館でマルク・ブロックやリュシアン・フェーヴルの著作や『アナ ル』誌を読む。家庭的な事情から大学の教職には就かず、熱帯農業にかんする 調査機関で働くかたわら歴史研究を行った。 『フランス諸住民の歴史』 (1948)、 『死を前にした人間』 (1977,邦訳みすず書房,1989)などユニークな歴史研 究を発表し、新しい歴史学の旗手として脚光をあびる。1979 年に社会科学高 等研究員(l’Ecole des Hautes Etudesen Sciences Sociales)の研究主任も迎え られる。自伝『日曜歴史家』(1980,邦訳みすず書房,1985)がある。1984 年 2 月 8 日逝去。 2) ニール・ポストマンはニューヨーク大学教授。メディア・エコロジー専攻。言 語、教育メディアについて数冊の著書があるが、日本では未紹介。大学での教 育のかたわら、アメリカの各地で講演会をひらいている。 3) 解説より)ヨハン・ホイジンガ Johan Huizinga は、1872 年 12 月 7 日、オラ ンダ北部の商業都市フローニンヘンに生まれた。父はフローニンヘン大学生理 学教授であった。1891 年、フローニンヘン大学に入り、ネーデルランド人文 学科(オランダ語学、文学、歴史の総合学)を専攻したものの、彼の言語学研 究への志は変わらなかった。大学卒業後、ハーレムの実科高等学校の歴史教師 となり、1905 年まで勤める。1915 年、ライデン大学に移り、1940 年、ナチ ス・ドイツによる同大学閉鎖にいたるまでの通算 35 年間、彼は大学人(アカ デミカー)として研鑽を重ね、研究も次々と発表した。ヨーロッパ美術文化史 の名著『中世の秋』 (1919,堀越孝一訳、中公文庫、)もこのときである。そし て、1938 年ホイジンガ 65 歳のとき『ホモ・ルーデンス』が発表された。しか し、ナチスのライデン大学閉鎖の強制に強く抵抗し、70 歳近くにヘステル強制 収容所に入れられる。晩年はヘルデルランドのデ・ステーグに隠棲した。自伝 『わが歴史への道』(1943 年)がある。1945 年 2 月 1 日死去。 27 <参考文献> フィリップ・アリエス著、杉山光信,杉山恵美子『<子供>の誕生:アンシャン・レ ジーム期の子供と家族生活』みすず書房、1980 年、ⅴ,395,xxp. ニール・ポストマン著、小柴一訳『子どもはもういない:教育と文化への警告』、 新樹社、1985 年、238p. 灰谷健次郎『砂場の少年』新潮社、1990 年、414p. ホイジンガ著、高橋英夫訳『ホモ・ルーデンス』中央公論社、1973 年、477p. 小熊研究会Ⅰ最終レポート 渡辺朋昭「社会史・家族史研究はエリザベート・バダン テールにどのような影響を与えたか∼フィリップ・アリエス『<子供>の誕生』を中 心に∼」 (http://web.sfc.keio.ac.jp/~oguma/kenkyu/02f3/report/eb-watanabe.htm) 藤川真之介「「子供」という概念」 (http://page.freett.com/GPK/siryou/kodomo/kodomo03.html) 小川純生「ホイジンガの遊び概念と消費者行動」 (http://www.mng.toyo.ac.jp/publication/kenkyujoronshu/r23/09_ogawa.pdf) 「オトナゴコロ」(テレビ朝日日曜 11 時 45 分∼11 時 50 分放送)番組表検索 ( http://www.tv-asahi.co.jp/bangumi/epg_search.php?week=last&day=&st=&et=&ke yword=%83I%83g%83i%83S%83R%83%8D&dd=8&sd=1&kbn=pc) 「NEW DESIGN PARADISE」(フジテレビ木曜深夜 0 時 35 分∼1 時 5 分) (http://www.fujitv.co.jp/index.html) 『いまを生きる』、アメリカ、ピーター・ウィアー監督、1989 年 『遠い空の向こうに』、アメリカ、ジョー・ジョンストン監督、1999 年 プリウスマニア(http://www.priusmania.net/index.html) 「TOYOTA∼プリウス」コンセプト―アウトライン (http://www.toyota.co.jp/company/prius/concept/outline.html) 「TOYOTA∼プリウス」コンセプト―フロムザチーフエンジニア (http://www.toyota.co.jp/company/prius/concept/index.html) 西日本新聞(12 月 31 日) ( http://www.nishinippon.co.jp/sokuhounews/20041231/MN2004123101000333.html 28 ) livedoor NEWS(1 月 12 日) (http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__936633/detail) 29