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保険事故の偶発性の立証責任と立証の程度
保険事故の偶発性の立証責任と立証の程度 控訴審:広島高判平成 21 年4月 22 日判決(平成 20 年(ネ)第 426 号 災害死亡保険金請求控訴事件) 原 審:山口地周南支判平成 20 年9月 17 日判決(平成 18 年(ワ)第 340 号 災害死亡保険金請求事件) (いずれも判例集等未登載) [事実の概要] 中、埠頭の車止めのない岸壁を超えて海面に転 本件は、原告Xが被告Y生命保険株式会社に対 落し、同月下旬ころ溺死し(以下、この転落事 し、保険契約者兼被保険者AがYとの間に締結し 故を「本件事故」という)、その遺体は同年4月 ていた各生命保険契約に付加された各災害割増特 11 日、川底で発見された。また、本件車両は、 約に基づき、災害死亡保険金合計 2000 万円及び履 同年8月2日に、同埠頭付近の海中から発見さ 行期の後の日である平成 18 年3月 14 日から支払 れた。 (4) Xは、平成 17 年4月 20 日、Yに対し、本件 済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害 金の支払いを求めた事案である。 各生命保険契約に基づき、普通死亡保険金及び 災害死亡保険金を請求し、YはXに対し普通死 1.前提事実 亡保険金を支払ったものの、平成 18 年3月 13 (1) Aは、昭和 61 年5月 13 日、Y1生命保険相 日付文書にて、災害死亡保険金を支払うことは 互会社との間で、被保険者をA、死亡保険金受 できない旨回答した。 取人をXとする災害割増特約が付加された生命 保険契約および平成 10 年3月1日、Y2生命保 2.争点 険相互会社との間で、死亡保険金受取人をXと (1) 主張立証責任の所在およびその立証の程度 する災害割増特約が付加された生命保険契約を (2) 本件事故が偶発的な事故であるか 締結した(以下「本件各生命保険契約」という)。 なお、平成 16 年1月、Y1生命保険相互会社 とY2生命保険相互会社が合併し、Y生命保険 相互会社が設立され、本件各生命保険契約をY が承継した。 (2) 各生命保険契約に付加された各災害割増特約 ①Xの主張 最高裁平成 10 年(オ)第 897 号平成 13 年4 月 20 日第二小法廷判決(民集 55 巻3号 682 頁) の内容は次のとおりである。Yは、被保険者が は、生命保険契約に付加された災害割増特約に 同特約の責任開始時以後に発生した不慮の事故 基づく災害死亡保険金を請求する者が、発生し た事故が偶発的な事故であることについて主張 を直接の原因として、その事故の日から 180 日 以内のこの契約の保険期間中に死亡したときに 立証責任を負うとする。しかし、Yの定める約 は、それぞれ 1000 万円を災害死亡保険金として、 款は、あたかも偶発的な事故であることの主張 死亡保険金受取人に支払う。ここにいう不慮の 立証責任が保険会社にあるように読み取ること 事故とは、急激かつ偶発的な外来の事故で、か ができ、上記最高裁判決が出た後約4年が経過 つ、昭和 53 年 12 月 15 日行政管理庁告示第 73 した本件事故当時もなお約款を改善しなかった ことなどにかんがみると、Yが、本件事故が自 号に定められた分類項目中別紙に挙げられたも のをいう。 殺であることの主張立証責任を負うものという なお、各災害割増特約の各約款には、 「免責事 べきである。仮に、主張立証責任を上記最高裁 由(保険金を支払わない場合)」として、保険契 判決のとおり保険金請求者であるXが負担すべ 約者、被保険者又は主契約の死亡保険金受取人 きとしても、保険金請求者は偶発的な事故であ の故意又は重大な過失によって被保険者が死亡 ることのついて一応の証明をすれば足りる。 ②Yの主張 したときが記載されている。 (3) Aは、平成 17 年3月下旬ころ、A所有の普通 乗用自動車(以下「本件車両」という。)を運転 10 3.当事者の主張 (1) 主張立証責任の所在およびその立証の程度 争う。 (2) 本件事故が偶発的な事故であるといえるか ①Xの主張 車)であるから、着水時に運転席は水没せず、 本件事故は、Aが運転操作を誤って埠頭付近 の岸壁から海中に転落した偶発的な事故である。 いったん浮力により浮き上がるという過程を たどるから、Aは運転席ドアから脱出する時 その根拠として、 間的余裕が十分にあったと考えられること ア.Aは日ごろマニュアル車を使用しており、 カ.Aが営んでいた不動産業の業績は芳しくな 本件車両を含むオートマチック車の運転には く、金融機関や友人に対し借金を抱え、その 不慣れであったことから、誤って本件車両を 返済について思い悩んでいた上に、母の認知 後退させてしまったこと イ.フロントガラスには亀裂が入ったにとどま 症による老人ホームへの入所等で相当な心理 的な負担を感じていたことから、Aには自殺 るのに対し、リア・ウインド・ガラスはほぼ 完全になくなっていたことなどから、本件車 両は後退し、転落したものであること の動機があるといえること キ.XはAが行方不明となった後、勤務先に虚 偽の欠勤理由を告げ、Xの債権者に対し、A ウ.ギアはニュートラルであり、Aが慌ててギ 所有の土地を代物弁済する旨を念書に記載し アを操作しようとしたと考えられること エ.シートベルトは装着の状態ではなく、運転 たこと ク.XはA死亡後、弁護士に依頼して相続放棄 席ドア及び助手席ドアはロックされておらず、 の手続きをとっているが、同弁護士の作成し 運転席ドアの窓が 20cm 程度開いていたのは、 た相続放棄の申述書中に「自殺と思われる」と Aの日常の運転状況のとおりであること の記載があること オ.運転席の背もたれは完全に倒されており、 Aが直ちに脱出しようとしたと考えられるこ と カ.自殺を企図する者は、車両を猛スピードで 前進させるのが通常であること キ.転落前の速度は 20 ないし 40km 程度と推測 できるところ、自殺しようとする人間が時速 40km 足らずの低速で海に飛び込むとは考え がたいこと などが挙げられる。 Xは、一審で敗訴し、控訴。 [判旨][控訴棄却] 「1争点(1)(主張立証責任の所在及びその立証の 程度)について (1) 主張立証責任の所在について 生命保険契約に付加された災害割増特約にお ク.自殺の動機がないこと ける災害死亡保険金の支払事由を不慮の事故に よる死亡とする約款に基づき、保険者に対して ケ.自殺を図るのであれば普段自分が使ってい 災害死亡保険金の支払を請求する者は、発生し た車両を用いたと考えられること た事故が偶発的な事故であることについて主張、 などが挙げられる。 立証すべき責任を負うと解すべきである(前掲 ②Yの主張 Xは、本件事故が偶発的な事故であると主張 最高裁平成 13 年4月 20 日第二小法廷判決参照) 。 するがそれは疑わしい。その根拠として、 Xは、①本件は上記最高裁判決の射程外であ る、②Yは一般人の誤解を招きやすい約款規定 ア.Aは日常的に本件車両を使っており、オー を上記最高裁判決の後約4年も放置したことに トマチック車の操作に不慣れであったとはい かんがみれば、信義則ないし当事者間の衡平の えないこと 理念から、本件では、Yが本件事故が自殺であ イ.トランクや後部バンパーに変形が見受けら れないこと等にかんがみると、後退したとは 断定できないこと ウ.平坦な広い場所で、高速で相当無理な走行 をしない限り、転落するとは一般に考えにく いこと エ.仮に後退中に時速 40km で海に転落したのだ とすれば、異常な加速によるものであること ることの主張立証責任を負うべきである旨主張 する。 しかしながら、①については、Xの上記請求、 主張の内容によれば、本件が上記最高裁判決の 射程内であることは明らかである。 また、②については、なるほど、上記最高裁 判決には約款規定の改善を求める補足意見が付 オ.後退して転落したのであれば、本件車両は されていることにかんがみれば、事情によって は、上記最高裁判決のとおり解釈することが信 FF 車(フロントエンジン・フロントドライブ 義則ないし当事者間の衡平の理念に照らして適 11 切を欠くと判断すべき場合も出てくるとしても、 りを好み、気晴らしに E 港に出かけ、昼寝をし 本件においては、上記最高裁判決以前に締結さ れた生命保険契約について、契約締結当時の約 たりぼんやりして過ごすこともあったところ、 実際、本件事故の現場では、釣りや休憩をして 款を、上記最高裁判決後の現時点で解釈適用し いる車両も見られること、Aは平成 17 年3月 ようとするものにすぎず、保険契約者であるA 22 日午後6時すぎに「すぐ帰るから」と言って が偶発性の主張立証責任についての誤解を余儀 自宅を出たところ、上記埠頭内は照明施設が設 なくされたというような事情は何ら見当たらな 置されていないため夜間の視認性は悪いこと、 い。 したがって、Xの上記主張は、到底採用でき 過去にこの岸壁から誤って車両が転落したと聞 いたことがあると述べる者がいることが認めら ない。 れる。 (2) 立証の程度について これらの事実を併せ考慮すると、車両が夕方 また、Xは、保険金請求者は偶発的な事故で 又は夜間にE港第二埠頭の車止めのない岸壁を あることを一応証明すれば足りると主張するが、 超えて海面に転落するという事態は偶発的に起 同主張は、証明の概念をあいまいにするもので あり、そのまま採用することはできない。 こり得ることが認められるから、本件事故は外 形的に見て事故であると認められる。 もっとも、保険金請求者側で事故が偶然であ ることすなわち被保険者の意思に基づかないと イ 続いて、上記1(2)の②の点(自殺を真に疑わ せる事情があるか否か)について検討する。 いうような消極的な事実を立証することが困難 前記認定事実・・・によれば、本件事故の態 であることにかんがみると、本件のように被保 様等(転落した際に前進であったか、後進であ 険者の自殺か否かが問題となる場合の判断手法 については、①保険金請求者が外形的に見て事 ったか、本件車両の転落時の速度、引き上げら れた本件車両の状況等)は、本件事故が偶発的 故であるということを立証できれば、事故が偶 な事故又は自殺のいずれであっても必ずしも矛 然であるということが事実上推定される、②そ 盾するものではないから、自殺を真に疑わせる の後、保険者は自殺を真に疑わせる事情を立証 に足りる事情とは認められない。 する必要がある、③保険者がこの立証をした場 しかしながら、前記認定事実・・・によれば、 合には、今度は、保険金請求者が上記疑いを払 拭するに足りる程度の立証をしなければ、偶発 Aの経済状況は、特に平成 17 年に入って、不動 産業の経営は行き詰まり、相当苦しくなってい 的な事故であることの立証はされたことにはな たことが明らかである。 らない、と解すべきである。 以下、上記の観点から検討を進める。 しかも、それだけでなく、Aは、知人であっ たD及びC夫婦から多額の借金をしていたとこ ろ、前記認定事実及び証拠・・・によれば、以 2争点(2)(本件事故が偶発的な事故であるといえ るか。)について 下の事実が認められる。〔略〕 CD 夫婦は、平成 15 年2月 28 日及び平成 16 (1) 認定事実〔略〕 年2月 10 日の貸金については、返済を受けられ (2) 判断 ずにいたことから、同年7月 20 日にはA所有の 以下、上記1(2)で説示した手法をもって判断す る。 月には平成 17 年春まで返済を待つ旨述べてい ア まず、上記1(2)の①の点(外形的に見て事故 であるか否か)について検討する。 た。ところが、Dは平成 17 年3月、Xから連絡 を受け、A及びX宅に赴いたところ、Xから、 前記前提事実によれば、本件事故は、Aが本 Aが行方不明になったので、借入金の返済とし 件車両を運転中、E港第二埠頭の車止めのない てA所有の土地の名義を CD に変更してほしい 岸壁を超えて海面に転落したというものである 旨を言われ、上記念書に、貸付金の返済が不能 が、一般の車両が埠頭の岸壁を超えて海面に転 と思うので土地を買い取る旨を書き込んだ。 落するという事態はそれ自体偶発的なこととは いい難いから、本件事故が直ちに外形的に見て 〔略〕CD 夫婦は、平成 17 年4月 14 日に山口地 方裁判所周南支部から仮差押命令を得て、同月 事故であるとは認められない。 18 日にA所有の2筆の土地について仮差押登 しかしながら、証拠・・・によれば、Aは釣 12 土地を担保とする念書の差入れを受け、同年 11 記手続をした。CD 夫婦は、Aの死亡について、 自動車保険の調査員に対し、生命保険であれば っても必ずしも矛盾するものではないから、上 金が戻ってくるのにとか、Aの死亡後も家族が 挨拶や返済のお詫びに来ない、Aは返済から逃 記1(2)の②の疑いを払拭するに足りるもので はない。 げるために死んだ、無責任さを感じ腹が立つと また、Xは、金融機関に対する返済も滞りな か、今回一番被害を受けたのは自分達夫婦であ く行っており、CD 夫婦に対する借金こそ返済が るなどと述べている。 おくれていたものの、CD 夫婦はAを励まして気 なお、X及びAの二人の子は、その後、平成 長に待ってくれており、Aが CD 夫婦に申し訳な 17 年6月 17 日付けで弁護士に委任し、同年7 月4日に相続放棄の申述をしたところ、上記弁 いと思っていたことはあっても、自殺の動機と なる程のもではない旨主張する。しかしながら、 護士作成の申述書には、Aの死亡について、「自 CD 夫婦との関係について、Xの上記主張が上記 殺と思われる」との記載がされている。上記弁護 イの認定に反するものであることは明らかであ 士は、Xらから自殺であることをうかがわせる る。また、前記認定事実・・・によれば、金融 話を聞いたわけではなく、推測したものにすぎ 機関に対する債務は、減少したとはいっても、 ないとするが、推測の理由はAに多額の負債が あったからと述べている。 なお約 1800 万円もあったというのであるから、 上記疑いを払拭するに足りるものではない。 以上の事実が認められる。 このようなAの平成 17 年当時の経済状況、と りわけ同年3月当時における CD 夫婦からの金 さらに、Xは、遺書がないことなどを主張す るが、それだけで上記疑いを払拭することがで きないことはいうまでもない。 銭の借入れ、返済等の状況に加え、Aが真面目 そして、他に上記疑いを払拭するに足りる主 で大人しい性格であったこと・・・にかんがみ ると、Aがこうした逼迫状況を苦にして自殺し 張、立証はない。 エ 以上によれば、本件において、偶発的な事故 たのではないかと疑わせるに足りる事情が認め であることの立証はされていないといわざるを られるといわざるを得ない。 得ない。 さらに、Aの本件車両の使用状況等について 3結論 は、上記・・・で認定したとおり、AはE港に したがって、本件事故は偶発的な事故であると 出かけたことがあり、現場の状況を知悉してい たといえること、また、前記認定事実・・・の は認められず、Xの本件請求はいずれも理由がな いから棄却すべきである。 とおり、Aは車両の運転の習慣を有し、オート よって、これと同旨の原判決は相当で、本件控 マチック車の運転にも未熟であったとはいえな 訴は理由がないから棄却することとする。」 いことからすると、夕方又は夜間であったこと のほかに車両の故障や身体の不調、悪天候等の [研究] 格別の事情が認められないにもかかわらず、上 記程度の知識及び技能を有するAが本件車両を 1.はじめに 運転中に岸壁を超えて海面に転落するという事 生命保険契約に付加された災害割増特約に基づ く災害死亡保険金および損害保険会社の傷害保険 態が真に偶発的といえるかについては、疑いを に基づく傷害保険金の支払要件としての偶発性の 抱かざるを得ない。 立証責任に関しては、これまで下級審判例および このようなところのほか、Aの遺体に外傷が 学説において、保険金請求者と保険者のいずれが なく・・・、一刻を急いで脱出しようとしてい たかについても、疑いの余地があること、前記 立証責任を負担するかについて、請求原因説と抗 弁説の両見解が対峙していたところ、最高裁判所 平成 13 年4月 20 日判決(民集 55 巻3号 682 頁、 すると、本件においては、Aの自殺を真に疑わ なお、傷害保険契約に関し最高裁判所平成 13 年4 せる事情が立証されたというべきである。 月 20 日判決、判例時報 1175 号 171 頁)が、偶発 ウ 認定事実・・・のAの母の状況も総合して考慮 そこで、上記1(2)の③の点(上記1(2)の② の疑いが払拭されたか否か)について検討する。 まず、Xは、本件事故の態様等について主張、 性の要件に関し、保険金請求者が立証責任を負担 するとの判断を示したことは周知のところである。 立証するが、上記イで説示したとおり、これは 同判決に対しては、学説上、偶発性は急激性、 外来性とともに傷害保険の対象である傷害事故の 本件事故が偶発的な事故又は自殺のいずれであ 概念を構成する不可欠な要素であり、約款規定に 13 則した妥当な解釈であるという評価がある反面 (近時のものとして潘阿憲『保険法概説』295 頁、 松田武司「傷害保険契約における保険事故」 『保険 2.立証責任の所在と立証の程度に関する学説と 下級審判決 法改正の論点』中西正明先生喜寿記念論文集 288 (1) 学説 頁等)、同判決は免責規定の存在を無視しており、 傷害保険に関しては被保険者の故意免責規定が存 説等をみると、 在していることから、偶発性の立証責任は保険者 ①偶発性の要件は傷害概念の本質的な要素であ が負うという反対説もなお有力に主張されている ところであるが(近時のものとして岡田豊基『現 るとの観点で、立証責任は保険金請求者に存 在するのがむしろ当然であるという立場から 代保険法』405 頁、小林登『不慮の事故の立証責 立証責任軽減を否定する説がある(上記最高 任』保険事例研レポ 176 号1頁等) 、その後の判決 裁判決後のものとして松田・前掲書 288 頁)。 においてはこれと相違する判断を示すものは見い ②請求原因説に立ちながらも保険金請求者の立 だせない状況であり、少なくとも訴訟実務の上で 証責任軽減の必要から、保険金請求者の証明 は上記最高裁判決により判例の立場は固まったも のと考えられている。 は一応の証明で足りるという説がある(大森 忠夫『保険契約法の研究』120 頁、石田満「傷 上記最高裁判決以前の請求原因説と抗弁説との 対立に関しては、その原因として、約款規定が災 害保険契約における立証責任」 『保険契約法の 論理と現実』301 頁等)。 害死亡保険金の支払要件に関し、急激かつ偶発的 ③事実上の推定を説くものとして、偶発性の立 な外来の事故と定めているのに反し、免責条項に 証責任については「請求原因説を正当としな おいて被保険者の故意を定めるという、いわば矛 盾した定めとも理解できる構造を有しているとの ければならないであろう」としながらも、 「一 般に、人は自ら自分を傷つけるものではない 理由の他、偶発性=故意ではないという関係から、 という人の自己保存本能に基づく経験則が存 消極的な事実を立証することの困難さを救う必要 在」するため、証明責任を軽減すべきであっ があるという考慮が存在していたと考えられる。 て、 「保険契約者が外形上事故を想起させる傷 前者に関しては故意免責条項は注意的確認的規 害を明らかにする事実を証明すれば(第一段 定に過ぎないとの判断が示されたものの、後者に 関しては上記最高裁判決では解決されてはおらず、 階の主張・証明)、差し当り偶然性の証明とし て一応十分であ」り、 「保険者が事故の偶然性 訴訟実務においては保険金請求者が立証責任を尽 を争うためには保険契約者が故意に傷害事故 くしたといえるためには、どの程度の立証が必要 を引き起こした点についてのまともな疑念を とされるかが依然として問題として残されたもの 理由づける事実を主張・証明しなければなら と考えられる。 ない(第二段階の主張・証明)。」とし、 「保険 この点に関しては、上記最高裁判決以前におい ても、一応の推定、事実上の推定等の論理により 者が第二段階の主張・証明に成功すれば保険 契約者(または保険金請求者)は、再び、こ 保険金請求者の立証責任を軽減する説が唱えられ のまともな疑念を反駁しなければならず、こ ていたが、上記最高裁判決以後の下級審判決に関 れに失敗すれば事故の偶然性の証明はないこ しても、偶発性の立証責任の所在に関しては基本 とになる、と解すべきである。」とする説があ 的には同判決の趣旨に従いながらも、保険金請求 る(松本博之「保険金請求訴訟における証明 者の立証責任の負担軽減を図ろうとする下級審判 決があり、同様の趣旨の学説も主張されている。 責任と具体的事実陳述義務」昭和商法学史 673 頁、笹本幸祐「人保険における自殺免責 本件判決は、このような判決の一つであり、偶 条項と証明責任(四・完)」文研論集 131 号 発性の立証責任の軽減を図ろうとする判決例の1 つの方向を示すものである。 14 立証責任の所在やその立証の程度に関する学 145 頁も松本説に賛同)。 ④保険金請求者は、外形的・類型的に偶然な外 そこで、上記最高裁判決前後における立証責任 来の事故であることが証明されればよく、保 の所在や、立証の程度およびその軽減に言及する 学説等を概観するとともに、上記最高裁判決後の 険者が故意によるものであることを立証する 責任を負うという説がある(竹濱修「生命保 下級審判例との比較から、本件判決の示す論理の 険契約の災害割増特約に基づく災害保険金請 当否について検討する。 求における偶発的事故の主張立証責任」私法 判例リマークス 2002<下>109 頁、鈴木正彦 て事故であることが立証されれば足りるとの 「傷害保険における保険者の免責事由」現代 裁判法大系 25、215 頁) 。 主張がなされたもの。 (判旨) 「原告らが主張、立証責任を負担する ⑤偶発性の要件を客観的外形事実に限定すべき のは、原告らのいう被保険者側の意思に基づ であるとの立場から、約款に故意免責条項を く自殺でないことという消極的事実ではなく、 おく傷害保険契約における偶然性とは、偶然 『急激かつ偶発的な外来の事故』であって、 性の要件から「故意によらない」という意味 原告らのこの点についての主張は、そもそも を排除した解釈を取るべきであり、保険金請 求者は傷害を構成する傷害原因的出来事を証 前提を誤っている。そして、先に指摘したと おり、本訴で請求に係る保険金は、いずれも 明する必要があり、これにより傷害事故が推 『急激かつ偶発的な外来の事故』を要件とし 認され保険者の側で自殺・自傷など被保険者 て支払われるものであるから、その主張、立 の故意によるものであることを証明しなけれ 証責任は、その効果を主張する原告らが負担 ばならないとするものもある(土岐孝宏「傷 すべきであるのが民事裁判の原則である。そ 害保険契約における偶然性の立証責任分配に 関する将来展望—法制審議会保険金部会・保険 して、このように解し、保険金の支払いを請 求する原告らに『急激かつ偶発的な外来の事 法の見直しに関する中間試案を踏まえて」損 故』の主張、立証責任を負担させるのでなけ 保 69 巻4号 39 頁) 。 れば、保険金の不正請求が容易となるおそれ 上記の内、②説及び③説は、いずれも上記最 が増大する結果、保険制度の健全性を阻害し、 高裁判決以前より唱えられていたものであるが、 保険制度の崩壊もしくは保険料の高騰化等を 偶発性の立証責任が保険金請求者に存するとい う前提であるから、上記最高裁判決後も立証責 招き、誠実な保険加入者の利益を損なうおそ れがあり、相当でないというべきである」と 任軽減を説く説としての意義をなお有するもの と考えられる。 他方、④説及び⑤説は、故意の立証責任が保 した。 ② 青森地裁八戸支部平成 18 年2月 26 日判決 (判タ 1258 号 295 頁) 険者に存在するとする抗弁説に分類され、上記 (事案)漁港の岸壁から被保険者運転の自動 最高裁判決とは立場を異とするものと考えられ る。 車が海に転落し、死亡したもの。被保険者に は借財があったが、妻と併せそれなりの収入 (2) 下級審判決 がある等の事実関係が認められたもの。 上記最高裁判決以後の下級審判決を見ると、 (判旨) 「保険金の請求者である原告らの側に 同判決に従い保険金請求者に偶発性の立証責任 不慮の事故であることについての立証責任が が存在するとの前提に立ち、各種の間接事実を あると解するのが相当である。」と最高裁判決 総合して偶発性有無の判断を下しているものが 多数であり、直接、立証の程度が争点とされた を引用しながら、 「保険金請求者側で事故が偶 然であること、すなわち被保険者の意思に基 ものや、これに対する判断を示した事例は多く づかないというような消極的な事実を立証す は見いだせないが、以下のような事案がある。 ることは実際上極めて困難であるから、保険 ① 金請求者に偶然性の主張立証責任があるとし 東京高裁平成 17 年2月9日判決(判例集未 登載、保険事例研レポ 222 号 10 頁) つつも、一定程度その立証の負担は軽減すべ (事案)被保険者運転の自動車が道路右の立 木に衝突したと考えられる地点から約 79.6m きであり、人は一般に自らを傷つけるもので はないという人の自己保存本能に基づく経験 先で車内が焼燬し、被保険者が死亡した状態 則から、保険金請求者において、保険事故を で発見された事案。事故が被保険者側の意思 推認させる程度の一応の外形的事実が立証さ に基づくものではないとの消極的な事実を立 れれば、保険者が前記推認を覆すに足りる事 証することには困難を伴うものであること、 実、すなわち、自殺を真に疑わせる事情を立 保険者との力量差、保険者が約款を一方的に 定めていること等を理由として、立証責任は 証しない限り事故の偶然性を認定することが できるものと解するのが相当である」とした。 一応被保険者側にあるものの、その立証の程 以上のように、上記最高裁判決以後の状況 度については被保険者側で外形的類型的にみ を見ると、立証責任の負担軽減を否定する判 15 決例や軽減を認める判決例等も存在している また、本件判決は前記最高裁判決を前提とし 状況である。 また、学説においても、立証責任軽減を否 ているのであるから、これとの整合性が検討さ れる必要があり、この点に関しては疑義がある 定する学説が存在する一方、立証責任を軽減 しようとする学説も有力に唱えられており、 その論理構成が分かれている状況である。 と思われる。 (2) 事実上の推定の妥当性 本件判決は、まず、 「事実上の推定」の理由と して「保険金請求者側で事故が偶然であること 3.本件判決の検討 (1) 検討にあたって 本件判決に関しては、具体的に認定された事 こと」を挙げている。 実を前提とする限り、これにより導き出された 事実上の推定とは本来客観的な事実に対して 結論自体の正当性に関してはほぼ異論はないと 経験則を適用し、Aという事実からBという事 思われる。 実を推認すること(例えば、新堂孝司『新民事 また、本件判決は前記最高裁判決を挙げ、偶 発性の立証責任は保険金請求者にあると説示し 訴訟法』495 頁)を意味するはずであるが、消 極的な事実の立証困難というのは言わば政策的 ているが、この点も下級審裁判所の判断として な考慮で、心証形成場面における経験則の適用 は当然のことと考えられる。 という観点とは異質であり、事実上の推定とい ところで、本件判決の説示内容を前述の学説 う論理を導き出す以上、それを基礎づけうる経 や判決例との関係でみると、③説及び青森地裁 験則等に関しても何らかの言及は示される必要 八戸支部判決とほぼ同様の論理を採用したもの と理解することができる(但し、これら学説や があると思われる。 この点、前提となる原審判決が人の自己保存 判決例が「人は自ら自分を傷つけるものではな という本能を有しているという経験則を挙げ、 いという人の自己保存本能に基づく経験則」を その判断を受けたものであるから、同様の経験 事実上の推定の理由として挙げており、本件判 則を前提としていると考える余地があるとも考 決の原審判決も同様の説示をしているにも拘わ えられる。 らず、本件判決はこの点の言及を避けており、 その理由は必ずしも明らかでない)。 しかし、仮にこのように理解するとしても、 一般的な経験則という点で考えて、人の自己保 本件判決は、上記立証責任の所在に関する判 存の本能という観点からは、危険を回避するた 示に続く「(2)立証の程度について」において「保 めの行動をとると考えられることから、反面的 険金請求者側で事故が偶然であることすなわち には事故が惹起されないはずであるという経験 被保険者の意思に基づかないというような消極 則も存在し、その観点からは故意性が疑われる 的な事実を立証することが困難であることにか んがみると、本件のように被保険者の自殺か否 ことも導き出しうる可能性があると考える。 また、上記経験則は、利害等を除いた人間行 かが問題となる場合の判断手法については、① 動を考えるとすれば一応肯定することは可能で 保険金請求者が外形的に見て事故であるという あるが、偶発性が争点となる事案においては、 ことを立証できれば、事故が偶然であるという 被保険者の行動は保険金という経済的な利害の ことが事実上推定される、②その後、保険者は もとでのものである点が考慮される必要がある。 自殺を真に疑わせる事情を立証する必要がある、 ③保険者がこの立証をした場合には、今度は、 その場合、例外的な場合でなければ自らを傷 つけないという経験則が事故の偶発性を事実上 保険金請求者が上記疑いを払拭するに足りる程 基礎づけるに足るほどの評価が可能か否かも疑 度の立証をしなければ、偶発的な事故であるこ 義がないとはいえないと考える。 との立証はされたことにならない、と解すべき 経験則とは本来具体的な事実を前提として適 である」と説示しているが、本件判決の問題は、 用されるべきであるから、妥当性や合理性を担 事実上の推定という論理と、本件判決が事実上 の推定の前提として必要とし認定した事実、こ 保しうるものであって、抽象的かつ単一の経験 則を前提として推定の根拠とすることには疑問 れを前提とした本件判決の判断過程にあると考 があると思われる。 える。 16 すなわち被保険者の意思に基づかないというよ うな消極的な事実を立証することが困難である 次に、本件判決が指摘する立証の困難さに関 していえば、被保険者の内心の問題の立証の困 一律に保険者に偶発性を否定する事実の立証責 難さと、消極的な事実の無限定な範囲における 立証の困難さがあると考えられるが、まず前者 任があるというのは、少なくとも前記最高裁判 決の指摘する懸念に対する十分な回答とは必ず を考えた場合、被保険者の内心を証明すること しもなってはいないとも考えられる。 が困難であることは確かである。 以上の他、保険金請求者の立証責任軽減の必 しかし、そこにおける立証の困難があるとす 要に関しては、保険者の人的、経済的、もしく れば、保険金請求者も保険者も同様であり(松 はノウハウという点における優越性を考慮すべ 田・前掲書 288 頁) 、むしろ、自殺を否定させる 諸事実や、自殺を推定させる諸事実に関してい きという観点も考えられるが、現実的に考える と、保険者の立場においても、個人情報保護法 えば、保険金請求者は被保険者と生活領域をと 等との関係もあり、実況見分調書や、死体検案 もにすることが多いのであるから、これら事実 書、診療記録等の客観的記録等に関しても保険 に関しては保険金請求者に証拠が偏在している 契約者側の同意書等を要し、証拠収集が容易で ともいえ、証拠の偏在、つまり、必要な証拠を ないことが多々あるというのが現実である。 使用しやすい立場にある当事者が、その事実の 証明責任を負うということも考慮されるべき事 したがって、この点においても、保険金請求 者に限って有利に事実上の推定をすべきである 項と思われる。 というのであれば疑問があり、本件判決が外形 ちなみに、前記最高裁判所判決に関する判例 的に事故であるという事実のみをもって他の事 解説でも消極的な事実の立証には困難が伴うこ 実を証明する責任を一律的に保険者に科すとい とは認めながらも、 「保険事故は保険者側の管理 うのであれば、そのような必要があるかという 外で発生するのが通常であり、保険者側が被保 険者等の自招事故であることを立証するための 点でも疑問がないとはいえないと思われる。 次に、本件判決は「外形的に見て事故である 証拠を十分に収集することについて困難を伴う ということを立証できれば、事故が偶然である ことは否定できない」 (志田原信三、最高裁判所 ということが事実上推定される」というのであ 判例解説民事平成 13 年度(上))とも述べられ るが、そこでいう「外形的に事故であるという ている。 ことを立証」するためにどのような事実、どの また、本件判決の論理とほぼ同様の論理を展 開する前記③説を説く立場においても、推定に ような事実を推定させるに足る事実が、どのよ うな範囲において立証される必要があるかとい より「故意による事故招致を主張する保険者が う点が十分に示されておらず、事実上の推定が 事故の偶然性に対するもっともな疑念を理由づ 働く前提として、事故の外形から意図的なもの ける事実を主張・立証する上で、逆に困難が生 ではないという事実が立証されることを要する じる」との前提から「この困難を緩和するため、 のか、それとも、単に事故である可能性がある 原告には事故の経過について具体的な陳述義務 が要求されるべきである」とされており(松本・ という程度で足りるのか必ずしも定かではない。 この点から本件判決をみると、 「一般の車両が 前掲書 686 頁)、単に保険金請求者にとってのみ 埠頭の岸壁を超えて海面に転落するという事態 有利な推定が行われるべきであると説かれてい はそれ自体偶発的なこととはいい難いから、本 る訳でもない。 件事故が直ちに外形的に見て事故であるとは認 これらを考えても、少なくとも、保険金請求 者にのみ有利なように事実上推定すべきである といえるか否かに関しては疑問がある。 められない」としながらも、 「被保険者は釣りを 好み、気晴らしに E 港に出かけ、昼寝をしたり ぼんやりして過ごすこともあったところ、実際、 なお、前記最高裁判決は不正請求の危険につ 本件事故の現場では、釣りや休憩をしている車 いての指摘をしているところであり、前記の通 両も見られること、被保険者は・・・午後6時 り、偶発性を肯定しうる間接事実、又はこれを すぎに「すぐ帰るから」と言って自宅を出たと 否定しうる間接事実はむしろ保険金請求者側に ころ、上記埠頭内は照明施設が設置されていな 偏在することを考えれば、保険金請求者側の一 方的な立証責任の軽減は不正請求の余地をもた いため夜間の視認性は悪いこと、過去にこの岸 壁から誤って車両が転落したと聞いたことがあ らす危険性を内包することは否定できないとも ると述べる者がいることが認められる」とし、 いえ、単に消極的事実の立証困難というだけで これらから「車両が夕方又は夜間に・・・車止 17 めのない埠頭の岸壁を超えて海面に転落すると これらを考えれば、保険金請求者に過大な立 いう事態は偶発的に起こり得ることが認められ るから、本件事故は外形的に見て事故であると 証の負担を求めることは妥当ではないが、偶発 性の立証責任が保険金請求者にあるという前提 認められる」とする。 に立ちつつ事実上の推定という論理を採用する しかし、その説示内容からみると、 「起こり得 のであれば、少なくとも偶発的な事故であるこ ることが認められるから」という説示から、本 とを推定させるに足り、経験則に従った推定に 件判決は事故である「可能性がある」ことをも 必要かつ合理的な範囲での事実の立証を求める って外形的に事故であると推定することを認め たものと考えられ、可能性をもって事実上の推 べきであり、立証されるべき事実の範囲が経験 則に沿うように明示されるべきであって、そう 定の根拠とするのは、事実上の立証責任の転換 でなければ偶発性の立証責任を保険金請求者が とも捉えられる内容であり、前記最高裁判決の 負担するという原則は実質的に成り立たないこ 趣旨とは相容れないものと思われる。 ととなると考える。 この点、本件判決とほぼ同様の論理を説く前 この点、具体的な事案は様々であり、事実上 記青森地裁八戸支部判決は対照的であり、同判 決は事故現場、遺体の状況、収入、保険加入状 の推定の前提としていかなる事実の立証が必要 かを予め定義することは困難であることも否め 況、債務等に関し詳細な事実認定を行い、これ ない。 らを前提として外形的事実が立証されていると 判断している。 しかし、一定の枠内においていかなる事実を 立証する必要があるかという程度においては、 このように事実上の推定という論理は内容次 一応の基準を示すことは可能ではないかと思わ 第で左右されるものであり、本件判決が排斥し た一応の証明という説と同様に、立証範囲や程 れるし、当事者の立証活動の指針としてもそれ は不可欠なのではないかと思われる。 度について必ずしも明確な基準を提供しうるも のではなく、基準としては曖昧なものと言わざ るを得ないと思われる。 (3) 私見 18 4.本件判決の意義、保険法等との関係 本件判決は保険法施行前のものであり、保険法 との直接的な関係はないが、保険法では傷害疾病 立証責任の所在は別としても、偶発性を否定 する事実については保険者に相応の主張・立証 定額保険における傷害の概念に関して、偶発性の 要件を前提としておらず、また保険法 80 条(保険 の必要があること自体は否定されるべきもので 者の免責)により、免責事由として「保険者は、次 はないし、訴訟の実際においては現実的にもそ に掲げる場合には、保険給付を行う責任を負わな れが不可欠である。 い(以下略)。一被保険者が故意又は重大な過失に 保険金請求者の主張や立証に対し保険者が反 より給付事由を発生させたとき。(以下略)」と定 証を提出する必要があることはもとより、経済 的な困窮、保険への集中加入など、保険金請求 めていることから、立証責任に関する法律要件分 類説に照らせば、免責を主張する保険者が負うこ 者の主張と矛盾しない間接事実に関しては、そ とになり、保険法の下では、前記最高裁判決は、 の事実の存在が立証されて初めて主要事実の推 もはや効力を有しないように思われるとの見解が 定を妨げる関係にあることから、間接反証とし ある(萩本修『一問一答保険法』195 頁は、この て積極的な立証を要することも決して少なくな 見解が法制審議会保険法部会においても主張され いと考えられる。 また、外形的な事実による偶発性の推定が行 たことを指摘している)。 しかし、保険法第 80 条は任意規定とされており、 われることや、具体的に立証される事実により 約款により支払要件を別異に定めることは否定さ 裁判所の経験則に基づく自由な心証形成により れていない。 事実上の推定が行われることも否定されるべき 偶発性の立証責任の問題は約款文理として要件 ではないし、保険金請求者に過大な立証責任を をいかに定めるかという問題であるとすれば、約 負担させることも避けられるべきであり、客観 的な事実に基づく健全な経験則の適用による判 款規定が偶発の事故を保険事故として規定し、支 払要件と定める以上、なお、上記最高裁判決は先 断がなされるべきであることも当然であると考 例的な意味を有しているといえるであろう(潘・ える。 前掲書 296 頁)。 また、本件判決の内容には疑義があるものの、 趣旨が明確になるよう、並列的な記載を改めるこ 本件判決は保険金請求者が偶発性の立証責任を負 担するとの前提に立ち、その立証責任の軽減を図 との検討も必要と考えられる。 るものであるから、同様に一つの方向性を示す判 (竹濵修教授追加説明) 決として先例的な意味を有するものと考えられる。 ただし、これに関しては、今後の判決の動向を 本判決は、生命保険契約の災害割増特約におけ る保険事故の偶発性について主張、立証すべき責 注視していく必要があると考えられる。 任を負うのは、災害死亡保険金を請求する者であ 5.おわりに るとして、最判平成 13・4・20 民集 55 巻3号 682 頁を引用する。この点は、この間の多くの下級審 以上のとおり、私見としては、訴訟実務として 前記最高裁判決を前提として立証責任の所在は保 判決に見られることであり、とくに目新しいこと はない。 険金請求者にあると解する以上、事実上の推定と 本判決の特徴は、立証の程度という項目を設け いう論理に関しても、前提として何が立証される て、上記の偶発性に関する主張立証責任を果たす 必要があるかが検証され、当該事案に合理的な経 験則に則り適用されるべきであり、かつ、その限 うえで、両当事者の立証手順を解釈上具体化しよ うとする点にある。すなわち、保険金請求者側が、 りにおいては、立証責任の負担軽減が行われるこ 事故が被保険者の意思に基づかないことという消 とは妥当であると考える。しかし、まさにその点 極的な事実を立証することが容易でないことを考 において本件判決は推定の前提事実を極めて緩く 慮して、被保険者の自殺か否かが問われる場面で 解しており疑問であると考える。 は、①保険金請求者が外形的に見て事故であるこ 他方、査定実務担当者の視点からいえば、査定 実務においては、立証責任の所在を前提とした安 とを立証できれば、事故の偶発性が事実上推定さ れるとし、②それに対して、保険者は自殺を真に 易な取扱はなされるべきではないし、保険金請求 疑わせる事情を立証する必要があり、③保険者が 者の負担を軽減するよう十分な配慮が必要である。 この立証をすれば、今度は保険金請求者がその疑 現実の実務の取扱からみれば、請求者からの事 いを払拭するに足りる程度の立証をしてはじめて 故の申出がある場合、提出された診断書や新聞情 事故の偶発性の立証がされたことになるという。 報等から偶発性に疑義があるだけの理由で直ちに 災害保険金不支払を決定している訳ではなく、自 本判決の前にも、事故が被保険者の意思に基づ かないこと(事故の偶発性)という消極的な事実 殺動機の有無、行動や事故現場の不審性等、保険 の立証が困難であるという観点から、保険金請求 会社として支払可否判断に必要な事実の確認を行 者の偶発性の立証負担をある程度軽減すべきであ っているのが実際である。 るとする方向の下級審判決(青森地八戸支判平成 保険者の立場からいえば、訴訟を想定した場合、 18・2・26 判タ 1258 号 295 頁) が見られることは、 訴訟になってからでは相手方の同意を得にくい状 況となり、情報収集が困難となる点からも、早期 本報告で述べられている。下級審判決の多くがこ の方向に向かうのか、その点は明確ではないが、 段階での十分な情報収集は重要である。 事故の偶発性の立証責任を通常の形で保険金請求 このため、立証責任の所在のいかんに関わらず、 者に負わせることが酷な場合があることが裁判所 従来どおり、保険者として偶発性の欠如を理由と によっても認められ始めているということは、注 する不支払を決定するまでのプロセスにおいては、 意を要するであろう。 十分な事実確認を実施することが必要であり、安 易に立証責任に依拠した対応はなすべきではなく、 もっとも、この方向が上記最判平成 13・4・20 の意図するところかどうかは判然としない。同最 そのような取扱により、保険金請求者の負担を軽 高裁判例は、保険金請求者の立証責任の軽減につ 減することこそが必要である。 いては何も語っていないのであり、むしろ保険金 また、約款規定の故意免責規定についても、前 請求者側が通常の立証責任を負担するものと考え 記最高裁判決により立証責任の準則が示され立証 ているとも見ることができる。とくに、同判例が、 責任の所在は明確になったものの、依然として学 説には反対意見も有力に主張されており、保険法 保険金請求者側に偶発性の立証責任を負担させる のでなければ、保険金の不正請求が容易となるお との関係からも約款における支払要件や免責規定 それが増大し、保険制度の健全性を阻害し、ひい のあり方は、支払要件と規定するとしても、その ては保険加入者の利益を損なうおそれがあること 19 をその理由として挙げていることからすると、保 険金請求者側の立証責任の困難に配慮する意図が あるとは簡単には読み取り難いであろう。しかし、 同判例が判断の対象とした具体的な事案は、高額 の生命保険契約がいくつも重なって締結されたい わゆるモラルリスク事案であり、同一事件につい て別訴が後に最高裁に上告されたときには、高裁 段階で自殺であることが認定され、その認定は維 持されている(最判平成 16・3・25 民集 58 巻3号 753 頁)。その意味では、上記最判平成 13・4・20 は、保険金請求を棄却している結論は妥当である としても、そこで述べられた偶発性の立証責任に 関する理論は、過剰なものであったとも考えられ る面がある。かなりの学説が上記最判平成 13・4・ 20 に批判的であるのも理由のあることである。し たがって、偶発性に関する立証責任の問題につい ては、実務上、なお下級審判決を含めて注意を要 する状況にあり、上記最高裁判例によって固まっ たと簡単に判断してしまうことには慎重であるほ うがよいであろう。その点は、損害保険の最近の 最高裁判例を見ても理解できることである。また、 保険法の下では、傷害疾病保険契約における保険 者の故意免責は、立法の形式から、保険者がその 主張立証責任を負う形になっていることにも注意 を要する。 (大阪:平成 23 年 11 月 11 日) 報告:大同生命保険株式会社 保険金部 指導(代行) :立命館大学 (弁)三宅法律事務所 20 岡本 知浩 氏 教授 竹濵 修 氏 弁護士 千森 秀郎 氏