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宗教の語彙で<家族>と<私>を語る人びと-地方女性の生きる道

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宗教の語彙で<家族>と<私>を語る人びと-地方女性の生きる道
2006 年 10 月 8 日社会科学基礎論研究会
川又俊則・寺田喜朗・武井順介編『ライフヒストリーの宗教社会学 紡がれる信仰と人生』合評会
第Ⅲ部 地域に生きる人々の信仰
第5章
仏教的解釈枠組による家族の絆の再構築―富山市における女性真宗門徒の死別体験の語りから
玉川貴子氏論文書評
宗教の語彙で<家族>と<私>を語る人びと-地方女性の生きる道
魁生 由美子(島根県立大学)
p.130
「本論は、死別体験者の語りの分析から、死別によって喪失・変容した絆、具体的には死者、及び遺され
た家族同士の繋がりがどのように再構築されているのかについて考えてみることにしたい」
「鎮めの力」(大村英昭)
「人様はともかく、自分は世を捨て、まるで『消えいる』ような仕方で、その生涯をまっとうする。この(ア
クティヴィズムと対照的な)静寂主義こそ、とくにいま、再評価すべき仏教の真髄があると私は思いま
す。
・・・・・・浄土真宗もまた、仏教である限り、
『禁欲のエートス』とは違った『鎮めのエートス』を
持っているのではないでしょうか。
・・・・・・
『諦念』の何たるかをよく思案することこそ、もっとも肝
要なことではありますまいか・・・・・・。」(大村 1990 pp.105-107)
「宗教はクーラーである」 < デュルケーム「煽られっぱなし」の欲望
ゴフマン「信用詐欺」のクーラー役
(大村 1990 pp.50-52、1996 pp.87-92)
1.論文の構成
はじめに
1. 問題の所在-死別体験と仏教信仰
2. 対象とフィールドの概要
(1) 真宗信仰に関する先行調査と家族の変化について
(2) 女性門徒のライフヒストリー
3. 事例
(1) 配偶者の死別と信仰体験
(2) 配偶者のいる場所としての浄土
(3) 家族の絆の再構築
(4) 事例のまとめ
おわりに
1
2.女性と宗教
1. 調査対象者としての「富山女性」
調査地
: 富山県
「全国平均より高」い三世代同居率
県下各地域における講組織 (女性>男性)
調査対象者:
・
「配偶者との死別後信仰に傾倒した」Aさん(69歳)
筆者と「中学生の頃から既知の間柄」
3回のフォーマルなインタビュー
富山別院
夫の闘病なし
・
「もともと信仰をもっている」Bさん(72歳)
「Aさんからの紹介という機縁法(引用者注:accidental sampling)」
函館別院・富山別院
夫の闘病あり
p.133.
「配偶者との死別は、平均寿命から考えても男性よりも女性に経験者が多いだろう。特に、子供と同居し
ていない高齢期を迎えた夫婦が、配偶者との死別体験をどのように乗り越えるかということはライフコー
ス上の1つの課題となる。
」
A さん Bさんとも、
「舅、姑と同居し、夫との死別を体験している」
、
「現時点においては、それぞれ成
人した子どもと同居していない。また、それぞれの姑が経典などに親しみ、寺(別院)に通っていたという
点も共通している」(p.134.)
2. 「本」と信仰
Aさん(p.136)
「法話」より「本」
、
「本」を求めて総曲輪(そうがわ)、買えぬままに帰途についてふと見た「別院」は結
婚式の最中
「そしたら、なんか入りやすいのね、今まで中入りにくかったんね。なんか入りやすいのね」
「『私、本買いに来たんだよ』って言ったら、『うん、その本ならあるよ』って別院にあったがね」
Cf.地方紙の購読と「教養」
「足が震えるしね、今でないけど嗚咽が出てね、どうしようもなかった」
感激、嬉しさ、身体的にも感知される「私のきっかけ」
「道筋をつけてくだはれる」、「あの人が逝かれたために阿弥陀さんとお会いできたんだと」
「そういう方便」
Bさん(p.137-)
鈴木章子(昭和 16年生-63年没)『癌告知のあとで』
「阿弥陀仏の存在を自覚した詩篇を残し」
、
「生と死を見つめる形で浄土真宗の教えを詩篇に残す」
2
その体験記を下敷きにして、
「死をちゃんとお互いに受け入れ」る夫婦
京都、本山の銀杏の話
雑誌『御堂さん』(本願寺津村別院大阪教区教務所刊)へ寄稿 「よい別れだったと思う」
「信仰を通じて望ましい夫婦のあり方を実践しようとしていた」 モデルとしての「本」
3. ジェンダー・アドヴァタイズメントとしての信仰
介護と信仰
p.140.
「Aさんは結婚後、同居していた舅、姑の介護を自宅で行った。(引用者注:信仰の契機にはならなかった)
義理の両親の死はAさんが直接介護した上での死であり、夫のように介護期間がほとんどない突然の死で
はなかった」
姑から―「私」―嫁へ
p.139
「A さんにとっては、死は怖いものであるが、浄土でまた夫や先祖に会えるという安心感もある。」
→「Aさんにとって先祖は誰のことを指すのか問いかけたとき、
嫁ぎ先の家の代々なくなった人達と答えて
いた」・・・・・・<家>の再確認
p.140
「洗濯も掃除も何にもせんでいいけど、(浄土から)お金を送ってきてくれるんだよね、ありがたいよねと
かて。」Bさん
p.142
「・・・自分のお参りするという『行為』にかつての姑の姿と重ね合わせるだけでなく、Aさんの嫁へと
繋がっていると感じている・・・」
妻として、おばあちゃんとして、
「お経」で家族を繋げる
p.143
「夫の死を契機に、孫がお経を上げるという宗教的行為を目にすることによって家族のつながりを感じて
いる」 ← このナラティヴによって、家族に繋がりを上書きしている
3.地域と宗教
1. ストーリーの伝染
「お浄土」
「倶会一処」(くえいっしょ)
「仏」
げんそうえこう
行く・・・・・・
「還相回向」
、帰る・・・・・・
「現相回向」
2. 「別院」の所在
p.132
「北陸地方の中でも、本論の調査地である富山県は、他宗派に比べて真宗門徒(→【用語解説】)の多い地
域である」
p.133「富山県(富山市)という地域的な特殊性」
3
4.いくつかの質問
家族形態と宗教体験の相関について
p.145
「・・・両ケースとも、成人後の子供とは同居しておらず、配偶者との死別体験を個人で乗り越えねばな
らなかった。そのような場合、離れている子供に心配をかけたくないという思いと自身のつらい気持ちと
の間で心理的な葛藤を生じさせる。死別という配偶者との繋がりを絶たれた状況と、子供と同居していな
いという状況において、家族との心理的な繋がりをどう感じたらよいかわからないところに、仏教が死者
との繋がりだけでなく生きている家族との繋がりも確認するための解釈枠組みを与えたと思われる。
・・・
家族との絆を再構築させていく上で仏教は重要な働きをしていたことがわかる。
」
・ 地域の視点について
・ 「相互行為」の視点について
フレーム・・・・・・ある活動に対して意味を与える認知の枠組み
転調(keying)・・・・・・フレイム分析の核心的概念。Cf.動物の遊び。
「プライマリー・フレームワークの観点ですでに意味を獲得している活動が、
その活動パターンに従いつつもまったくべつの何かとして行為者に感知さ
れる」E.Goffman, Frame Analysis pp.43-44
・ 子ども世代が同居しているケースで、もっと強力/強圧的に仏教言説が家族の紐帯を強化する可能性
について
クーラーとしての仏教の役割、あるいは宗教の家族維持/再生機能?
しかし、大村いわく、
「ちょっとした“出会い”にも、我々の祖先は『他生の縁』を感じとっていたのではないか。
・・・どんな
小さいいのちとのふれ合いも、
・・・文字通り『一期一会』であるのかもしない。いや、夫婦や親子の、一
見ながい交わりも、実は、ほんの一瞬のはかない縁なのかもしれぬ。
・・・日本仏教は、在家者の、という
より家庭の仏教として・・・本場にもなかったユニークな展開をとげた。もし、近代日本のあのイエ主義
に悪のりすることがなかったならば、日本の家庭をして、不思議の縁を喜ぶ、もっと開かれた祈りの場に
していけたであろうに・・・。残念ながら、イエの祭祀にもれた霊魂への『施餓鬼供養』の心に、わずか
にその痕跡を止めるまでに、現実の家族を自閉させていったのである。」(大村 1996 pp.79-80)
参考文献
E.Goffman, 1986 Frame Analysis, Northeastern University Press
大村英昭 1990『死ねない時代 いま、なぜ宗教か』有斐閣
1996『現代社会と宗教 宗教意識の変容』岩波書店
酒井正子 2005『奄美・沖縄 哭きうたの民族誌』小学館
「身体的感受やパフォーマンスの『間接化』と人間関係の『希薄化』という、現代的な状況
がある。現代社会では情報化がすすみ、音や情報を人から人へ直接伝えるのではなく、マイ
クやオーディオ、電話やインターネットなどのメディアを介して感受しあうことが主流だ。
私たちの身体は、直接、人に泣きかけるような表現をどんどん忘れていくように思われる。
そうした『間接化』はじつはメディア状況だけでなく、死の看取りや葬送儀礼にも及んでい
る。すなわち医者や聖職者、葬儀屋などの専門家の手にゆだねる部分が増大する一方なので
ある。琉球弧も例外ではない。
・・・人間関係の希薄化は進行している。このことが『哭きの
喪失』につながっていよう」(pp.208-209)
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